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135 100m 500 40 28 5 3 ,40 40 28 蘇

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Academic year: 2021

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5

藤 江

昭和

2 8

年 に北海道 中標津高等学校教諭 を振 り出 しに北海道小樽桜 陽高等 学校 と

1 2

年間 にわた り高校教育 に携 り,小樽商科大学 には昭和

4 0

年 に赴任 して以来

2 8

年 になるが,平成

5

3

月末 をもって定年 に達 し

,4 0

年間 にわた る教員生活 を一応終 わ ることにな りました。ひ と口に

4 0

年 といって も一瞬 の 間 に過 ぎた ような気 もす るが, その間の大学紛争や怪我 の後遺症 に悩 まされ た時期 の ことを考 える と随分 と長 か った ように も思われ る。

私 の中学時代 とその以 降 は第

2

次世 界 大戦 の最 中 と戦後 の混乱期 に遭遇 し,食糧増産 とか戦力増強 の名 の もとに授農作業や森林 の伐採 ・搬 出作業 に 馬区り出 され,学校 での授業 は殆 ん ど実施 されなか ったが, 中で も特 に重視 さ れたのが軍事教練 と柔道,剣道であった。 また体力増強策 として体力章検定 が実施 され,上級バ ッチ獲得 のための競 い合 い も激 し く行 われた。

中学

2

年 の時,突然,学校側 の命令で全校生徒

5 0 0

名 の中か ら

3

名 が

1

カ 月間のグライダー訓練 に参加 す ることになった (北見市)。多分,特攻隊要員

としての目的であった と思われ る。更 に

1

次訓練 を終 えた者 の中か ら

2 0

名が

2

次訓練 に指名 され,不幸 に も再度参加 す ることとな り美幌農業学校 (現女 満別空港近辺) に宿泊 しての訓練 が始 まった。

1

次訓練 で は平地 か らの滑走 が主であったが,

2

次訓練 で は

1 0 0m

位 の山上か らの飛行 で滞空時間 も長 く 旋 回操作 も自由 にで き快適 な ものであった。搭乗 回数 は

1 3 5

回に も及 んだが,

ここで教 え られた ことは 「失敗 は死」 につなが る とい うことであった。

1

カ月後 に学校 に戻 り,居残 りの生徒 を対 象 にグライダー訓練 の助手役 を務 め ることにな り援農作業等 は免除 された。 しか し, あ と

1

カ月 も戦争が長 引 け ば現在 の私 は無か った と思 うと感慨一入 である

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6 87

戦後 は

6・3・3・‑ 4

の学制改革 に ともない同 じ学年で も中学

5

年で卒業 す る者 と新制高校

3

年 に残 る者 が あった。教科面で は英語 の時間数が大幅 に 増加 し,柔 ・剣道科 目が廃止 とな り,体育授業 の教材 としてスポー ツ種 目が 多 く取 り入れ られ るようになったのが大 きな変化 である

私 は貧乏の子沢 山 といわれ る家庭 に育 ち,小 さい頃か ら店 の仕事や家事 の 手伝 いをさせ られ,外井戸か ら釣瓶 で水 を汲 み,天秤棒 を担 いでの水運 びな ど足元 の滑 る冬期間で は転 んで水 をかぶ ることもあった。更 に薪切 り,薪割 りな ど, 当時 の 日常生活や作業形態が私達 の身体作 りや体力作 りに役立 って いた ことを今 になって痛切 に感 じてい る。 中学入学後 は体力 に も自身が あっ た ことか ら格技 (柔道,相撲) に興味 を もつ ようになった。幸 い入学 した中 学校 に柔道

6

段 の教 師がいて大変厳 しい指導 を受 けたが, その説得力 のある 指導 と人柄 に触 れ,教師への志望 もこの先生 の影響 が大 きか った と思 ってい

昭和

2 3

4

月 に日本体育専門学校 に進学 したが,当時 は日本全国 どこで も 同 じような境遇 の学校 が多か った ことと思 うが, 日体 も戦争 の被害 を蒙 り, 茨城 県土浦市 (霞 ケ浦 の予科練跡) に疎開中で教育環境 は極 めて悪 く, とく

に運動す る者 に とって食糧不足 は何 よ りの苦痛であった。入学 は した ものの 希望 と現実 のギ ャップに悩 み苦 しんだ こともあった。 この頃,部屋 の友人 に 誘 われて ラグ ビーの試合 を観 に行 き,肉弾相打つ コンタク ト ・プ レーや華麗 なバ ックス ・プ レー にす っか り魅 了 された。 その後, 1年間 は相撲 の大会 出 場 を認 めて もらうことで ラグ ビー部 に入部 す る ことになった。相撲 で は関東 大学優秀

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校 に選 ばれ,東西大会への出場 や国技館 の土俵 で相撲が とれた こ

とも懐 しい想 い出で ある。ラグ ビー に魅力 を感 じた第 1の理 由は,「ラグ ビー は精神 を重 んず る競技 で ある とい う点で, とくに他 のスポー ツに見 られ ない特徴 として 「ノーサイ ドの精神」がある 試合 中 どんな激 し く闘い合 っ て も試合終了の笛が鳴れ ば敵 も味方 もな くラガーマ ン としての友情 で心が結 ばれ, ひ とつの風 呂に両チームの選手 や レフ リー も共 に入 り, お互 いの健 闘 を称 え合 い,談笑 しあ う様子 は他 のスポー ツでは絶対 に見 られない光景 であ

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る。第 2の理 由は,「自主性 を重 んず る競技」である。とい う点である。スポー ツの中には選手 の一挙手一投足 にいた るまで監督 の指示やサイ ンによって行 動す る競技 もあるが, ラグ ビーの場合 はキャプテ ンがチームの指揮者 として 練 習計画 を立 て,チーム をまとめ統率 す る。では監督 の役割 は何 か とい うと, 選手 に正 しいプ レー を教 え, いかな る戦況 にあって もキャプテ ンを中心 に団 結 し,常 に普段 の力 を充分 に発揮 で きるよう日々 の練習でチーム を育成 し, コンデ ィシ ョンの調整 を計 ってお くことで ある この ような素晴 らしい 「友 情 と信頼」で結 ばれ るラグ ビー とい うスポーツに出合 った ことを幸運 に思 っ ている。 しか もラグ ビー競技 を通 じて蓮 しい意志 とか困難 に立 向か う冒険心 と勇気 といった もの を体験 し,互 いに助 け合 い (サ ポー ト・プレー),遇 げま し合 う 「心 を学ぶ ことがで きた ことは体育指導者 として重要 な知性 的行動 を知 るための良い経験であった と思 ってい る。

小樽商大 で は保健体育授業や クラブ学生 との接触 の中で様 々 な想 い出 も多 く忘れ難 い 28年間であった.体育施設 では現在 の第一体育館 が完成 したのが 私 の赴任 した昭和 40年で,新 しい体育館 で授業 で きた ことを好運 と思 ってい る しか し, これが既存 のグラン ド跡 に新設 したため屋外 グラン ドのない不 自由 を強 い られ ることになった。

5

年後 にや っ とグラン ド (現野球場) は完 成 したが, これ もまた, スキー場 の斜面 を削って作 った ものでスキー場 とし ての面積 が

3

分 の

1

程度 になって しまった。 グラン ド完成後 もひ とつの場所 を体育実技 で使用す る一方,課外時 には硬 ・準硬式野球, ラグ ビー等 のクラ ブが共用す る形 とな り,時間配分 な どの調整 を行 いなが らの使用で あったた め,狭隆化 と危険防止 の点か ら第

2

グラン ドの建設 を大学当局 に強 く要望 し 続 けた結果,昭和

5 3

年 に山上 グラン ドの拡張 ・整備 が なされ事故等 の危険性

も一応 は解消 された。 その後,屋 内プール,,第 2体育館 の新設 な ど一通 りの 体育施設 も整備 され, また保健体育科 のスタ ッフに も恵 まれ,嬉 し く充実 し

た 28年間 を送 れた ことを心か ら感謝 している

昭和 59年度 よ り平成 3年度 までの連続 8年間 にわたって開催 して きた小 樽商科大学 (スキー)公開講座 は,「安全で楽 し く,一 日も早 く上手 に滑れ る

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β

8 7

ための技術指導」 とい う目標 の もとに, 中川書直先生 をはじめ所管事務職員 や基礎 スキー部員 の協力 を得 て実施 して きた。滑 りの良否,上達 の度合 いな

どを自分 の 目で確 かめるための ビデオ等 も利用 し,更 に講座終了 にあたって は各 自の課題 について もア ドバ イスを行 い,受講者 よ り大変 な好評 を得た こ とも懐 か しい想 い出 となってい る。

教員生活 40年 を回顧 して,小樽商科大学 にお ける 28年 は私 の生涯 で最 も 長 く在任 した職場 であ り, その間,北海道地 区大学体育大会等 の学校行事 に あた って は所管事務 官 を始 め,多 くの教官の ご協力 をいただい き, また本学 には多種多様 な面 で有形無形 の恩恵 を蒙 り深 く感謝 している 保健体育 とい う教科 の性格上,教授者 として学生 に接 して きた面が多 く,業績 について も 今 になって見直す と不満 の残 る もの もあるが,学校体育や社会体育 の立場 か

ら現場 に密着 した実戦 的で有効 な もの を と心掛 けて きたつ もりである0

このたび は身 にあ まる名誉教授 の称号 を受 けた上 に記念論文集 まで出 して 戴 くことにな り, この ご配慮 に対 し心か ら感謝 申 し上 げ ます と共 に人文研究 関係 の編集委員並 びに本号執筆 の諸先生 に心か らお礼 を申 し上 げます0

最後 に,小樽商科大学 の益々の発展 をお祈 り申 し上 げて潤筆す る

参照

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