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t yofTeacherEducation OntheCreationoftheHScienceofTeacherEducationMastheFundamentalTheoryoftheFac 教員養成学部の基礎理論としての「教員養成学」の創出

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(1)

弘前大学教育学部紀要 特集号 :

3‑16 (2004

3

月)

Bull.Fac.Educ.HirosakiUniv.ASpecialIssue:3‑16 (Mar.2004)

教員養成学部の基礎理論 としての 「 教員養成学」の創出

一教員養成教育論の展開か ら見たその意義 と課題‑

Ont heCr e a t i o no ft heH Sc i e nc eo fTe a c he rEduc a t i o nMa st he Fu nda me nt a lThe o r yo ft heFa c

ul

t yo fTe a c he rEduc a t io n

‑FromtheViewpointoftheDevelopmentofTeacherTrainingEducation一

夫*

TakaoENDO*

要 旨

昨今の教員養成学部 の再編 ・統合の論議 の中で、教員養成学部 は 「 専門学部」 としての 自らの存立の在 り 方が厳 しく問われている。 「 教員養成学」の創出は、 こ うした状況 を踏 まえて、教員養成学部 の学問的存立基 盤 を成す基礎理論 を構築す る ことを意図 した ものである。本稿 は、戦後の教員養成教育論 の歴史的展開を踏 まえて、「 教員養成学」を創 出す ることが如何なる意義 を有 し、またそれが如何なる課題 を担 う学問領域 なの かを明 らか にした ものである。

キーワー ド

教員養成学、教員養成学部、教員養成教育論、宮城教育大学、弘前大学教育学部

は じめに

2001

12

24

日、 「 国立の教員養成系大学 ・ 学部 の再編動 向を考 える」 と題 された、 日本教育学会 による 「 緊急 シンポジウム」が開催 された。周知 の よ うに

、1991

年の大学設置基準大綱化以降、わ が国の大学、 とりわけ国立大学は激流の よ うな改 革の渦 中に投 げ込 まれ、遂 には 「 国立大学法人」

とい う新たな設置形態‑の大転換

(2004

年 4月) を迎 えることとなった。 この急激な国立大学改革 の中で も、とりわ け教員養成系大学 ・ 学部 ( 以下、 教 員養成学部 と略記)は、平成 に入 っての

10

数年 と い うもの、その組織 と教育課程 の改革 に次 ぐ改革 を余儀な くされて きた。 しか も、 ここ最近

5

年間 の急激な動 きは、改革の成果 を検証す る暇 さえ保 証 されない慌ただ しさとなっている。特 に

、1997

年 4月の文部省 による唐突な教員養成課程定員の

5

千人削減発表は、続 く

3

年間に、教官数確保の ための苦肉の策 とも言 うべ き 「 新課程」設置や新 たな学部‑の改組 を余儀な くし、また

1998

年 に成 立 した 「 新免許法

」(2000

年 4月新入生か ら適用)も、

教員養成学部の教育課程の全面改訂 を強いた。加

えて

、2000

年 7月 には、文部科学省 内に 「 国立の 教員養成系大学 ・学部の在 り方 に関す る懇談会」

( 以下、「 在 り方懇」と略記)が設置 され、その報 告書が

2001

1

1 月 に提 出 され、 しか もそれ に先だ

つ2001

6

月 には、「 大学 ( 国立大学)の構造改革 の方針」、いわゆる 「 遠 山プラン」が発表 された こ

とで、教員養成学部 はその存続 さえ脅か され る深 刻な事態を迎 えたのである。

日本教育学会主催の 「 緊急 シンポジウム」は、

こ うした教員養成学部 をめ ぐる急激かつ危機的な 状況 を背景 として開催 された。 このシンポジウム は、その名称 にも端的 に示 されているよ うに、教 員養成学部の大胆な再編 ・統合 を示唆す る内容 を 盛 り込 んだ 「 在 り方懇」報告書 を受 けて、今後 に 予想 され る教員養成学部の再編動 向を探 ることを 趣 旨としていた。 シンポジウムでは、小笠原道雄 ( 放送大学。元広 島大学教育学部)、加野芳正 ( 香 川大学)、横須賀 薫 ( 宮城教育大学)の 3人が基 調報告 を行っているが、 ここで とりわ け注 目すべ きことは、 この 3人の教育学者 とも期せず して、

教員養成学部 を理論的 に支える学問研究の不在 と い う問題 を共通 に指摘 していた ことである。

*弘前大学教育学部学校教育講座教育学分野

DepartmentofSchoolEducation(EducationalScience),FacultyofEducation,HirosakiUniversity

(2)

小笠原は、 これ まで教員養成学部の組織や教育 課程 自体の研究が看過 されてきたのではないか と の問題提起 を行い、その一番 の要因は本来 この 「 教 育学部の基礎理論」を提示すべ き教育学研究の 「 不 備 ( 偏 り)」にある と指摘 した。 同 じく加野 も 「 教 育学者の責任」を指摘 し、「 教員養成 とい う実践的 課題 を、一つの 『学』 として捉 え られていない こ とが問題なのです」 と述べている。 さらに、横須 賀は、教育学者は 「 教員養成 に、 ごく最近の こと は別 として無関心だった」 と指摘 した上で、教員 養成学部 を支える理論 としての 「 教員養成学」 こ そが、「 教育学研究 における主流 にな らなければい けないのではないか と思います」と述べ、「 教員養 成学」創出の必要性 を主張 した 1 ) 0

上述の よ うな教員養成学部の危機的 とも言 うべ き現状 にあって、政府 ・文部科学省の大学政策や 教員養成政策の矛盾や問題点 を批判す ることは勿 論重要かつ必要な ことである。 しか し、それ より もなお一層重要な ことは、小笠原、加野そ して横 須賀の

3

氏が共通 して指摘 した こと、すなわちこ れまで本質的 に欠落 してきた教員養成学部 を根底 か ら支 え、方 向付 ける学問的基礎、つま り 「 教員 養成学」 を創出す ることであ り、そ してその こと を通 して、教員養成学部 における教育活動 を本来 の意味での 「 大学 における教員養成」として充実 ・ 発展 させてい く地道な努力に他な らないだろ う。

弘前大学教育学部が、教育学部の 「 メイン ・エン ジン」 として 「 教員養成学」 とい う新たな学問を 創出す ることを学部の基本方針 と定め、またその 具体化の一つ として、200 3年1 0月か らは 「 教員養 成学研究開発セ ンター」 を発足 させた ことは、如 上のよ うな現状認識 に基づ くものである。

ところで、戦後の教員養成史の中で、明示的 に

「 教員養成学」 とい う言葉は使用 しないまで も、

教職の専門職化 とそのための大学 における教員養 成活動の実質化 ( 専門化) に向けた学問的 ・実践 的取 り組みが、皆無であった訳ではない。大学 に おいて 「 専門職」 としての教員 を如何なる理念 と 方法で養成すべ きか、それ を可能 にす るカ リキ ュ ラムや組織体制は如何 にあるべ きかを追究す る真 筆な営みは、 ごく限 られてはいて も、存在 してい た

2)

。それは、戦後の教員養成の骨格 を審議 した

「 教育刷新委員会」の議論の中に萌芽的 に確認で き、そ して典型的 には、「 教員養成の 自覚化 とい う 課題

」 3)

に収敵 させた宮城教育大学の改革 とそれ を導いた思想 に確認す ることができる。「 教員養成

学」の創出 とい う喫緊の課題 に取 り組む にあた り、

こ うした戦後の教員養成教育論の歴史的展開に学 び、そ こか ら貴重な知見 を得 ることは不可欠の基 礎作業 となる と考え られ る。

そ こで、本稿は、戦後の教員養成教育論の歴史 的展開を踏 まえて、「 教員養成学」を創出す ること が如何なる意義 を有 し、またそれが如何なる課題 を担 う学問領域なのかを考察す ることを課題 とす るものである。

1

.戦後の教員養成教育論の展開 とその問題点

(1)

教育刷新委員会における教員養成教育論 戦後の教員養成教育論 を、「 教員養成学」の創 出 とい う本稿の課題 との関連づ けの視点か ら検討 し よ うとす る場合 に、まず注 目すべ きは、終戦直後 の教育改革の中での教員養成教育論である。戦後 の学校制度全般 にわたる最 も重要な審議 を行った 組織が、 「 教育刷新委員会

(1946

9

月 に第

1

回 総会

、1949

年か ら教育刷新審議会 と改称)であっ た。 この教育刷新委員会 にお ける審議 を通 して、

戦後の我が国の教員養成の理念 ( 基本原則)、すな わち 「 大学 における教員養成」 と 「 教員養成の開 放制」 とい う二大原則が確立 された。教育刷新委 員会 の決議の うち、教員養成の基本原則 に関わ る 部分のみ摘記すれば、以下の通 りである

4)0

○教員養成 について

(1946

12

27

日、第

17

回 総会で採択)

3 i i l i i l E

教員の養成は、綜 合大学及び単科大学 におい て、教育学科 を置いて これ を行 うこと。

○教員養成 に関す ること ( 其の‑)

(1947

5

9日、第34

回総会で採択)

‑ 小学校、中学校の教員は、主 として次の 者か ら採用す る。

1 教育者の育成 を主 とす る学芸大学を修了 又は卒業 したる者。

1 i i l i i l E

2 綜 合大学 及び単科大学 の卒業 者で教員 として必要な課程 を履修 した者。

3

音楽、美術、体育、家政、職業等 に関す る高等専門教育機関の卒業者で、教員 と して必要な課程 を兼修 した者。

しか し、既 に先行研究が明 らかにしているよ う

5)

、 この教員養成の二大原則の意味内容 をめ ぐ

っては、教育刷新委員会 内部お よび教育刷新委員

(3)

教員養成学部の基礎理論 としての 「 教員養成学」の創出 会 と

CIE

( 連合国軍総司令部 の一部局である民間

情報教育局)との間にも深刻な見解 の相違 ( 対立) が存在 していた。その見解の相違は、大局的 には 教育刷新委員会 の大勢 となっていた 「 教職学科軽 視論」 と、教職の専門性 に基づ き教職学科 ( 教職 教養) を重視す る

CIE

の立場 とのそれであった。

教育刷新委員会 においては、「 はなはだ しきは大 学教育 さえ受 けておれ ば誰 で も教 員 にはな り得 る」と主張 し、「 教職課程 は最小限にとどめて専門 学科 の教養 を高 め よ うとの声 が強 か った」 とい う

6)

。 この教育刷新委員会 の大勢 を占めた リベ ラ ルアーツ重視論ない し教職学科軽視論の背景 には、

戦前の閉鎖的な師範学校制度の下で、「 師範型」と 呼ばれた教員 を養成 していた実態 に対す る痛烈な 批判があった。 これ に対 して、

CIE

側は、良い教 師を養成す るためには、人間的な教養 と専門教科 に関す る相 当な学力のみな らず、「 若い者の心身発 達の諸段階に対す る十分な理解 と経験が切実 に望 ま しい」 と主張 して、教員の専門職性 の確立の立 場か ら、教育刷新委員会側 に修正 を迫 っていた 7 ) 0 また、教育刷新委員会 の内部 にも、少数ではある が、

CIE

の立場 と共通す る考 えを主張す る委員 も いた。その一人の城戸幡太郎は、大学での専門の 勉強 に教育学科の数単位 を加 えれば十分 とす る大 方の見解 に対 して、それは今後の教育者 とい う「 本 当の専門家を養成す る」上では 「 大きな疑問だ」

として、専門職 としての教員の特別の養成の必要 性 を主張 した

8)

。 同 じく、倉橋惣三 も、教員養成 を主 とす る大学 を設 ける必要はない との大勢的意 見 に対 して、「 教員養成 とい うプロフェ ッシ ョナル な ことはなまや さしい ことではない。」 と反論 し た

9)

教育刷新委員会 の審議 においては、最後まで リ ベ ラルアーツを重視す る 「 アカデ ミシャンズ」 と、

少数派なが ら、教員の専門性 を重視す る 「 エデ ュ ケ‑シ ョニス ト」 との対立が解消 しないまま、上 記の よ うな 「 大学 における教員養成」お よび 「 教 員養成の開放制」 とい う原則が確認 された。 しか も、その際 に重要な ことは、「 教育者の育成 を主 と す る学芸大学」 を設 ける との教育刷新委員会の決 定は、教員養成 を専門に行 う大学 としての 「 教育 大 学 の構 想 が 一 旦 は否 決 され た こ とを意 味 す る

」 10)

ことであ る。 「 教員養成 の開放制」の原則 に照 らして、教員養成 に特化 した教員養成専門大 学 ・学部の構想 は否定せ ざるを得なかったか らで ある。但 し

、1949

年度か ら新制大学が全面的 に発

5

足 した際には、教員養成の専門大学設置 を強 く要 求す る

CIE

の動 きや 当時の絶対的な教員不足‑の 対応 といった事情 も加わ って、実態 としては、 旧 制の師範諸学校 は、学芸大学、総合大学の学芸学 部 あるいは教育学部‑ と再編 され ることとなった。

「 学芸学部」 とす るか 「 教育学部」 とす るかは、

主 として当該地域での旧制高等学校の有無 に基づ いてお り、旧制高等学校があった場合は、それ を

「 文理学部」ない し 「 人文学部」 とし、旧師範学 校 を 「 教育学部」 としていった ( 弘前大学の場合

もこれ に準 じた)l l ) 。

結局、戦後の教員養成の基本的な在 り方 を本格 的 に検討 した教育刷新委員会の議論は、「 大学 にお ける教員養成」 と 「 教員養成の開放制」 とい う、

それ 自体 としては重要な原則を確認す るものでは あったが、本稿の課題 との関わ りで見れば、教員 の専門職性 ない し教員養成の専門性 ・特殊性 を掘 り下 げた検討は、極めて不十分な ものであった。

つ ま り、「 大学 における教員養成」とい う原則 と制 度形式は構築 されたが、大方の大学人が 「 アカデ

ミシャンズ」の考 え方 を共有す る状況 にあっては、

「 大学が これ に本格的 に とりくむ とい う状況は創 られなかった」。 この結果、 「 教職課程 の意義 につ いて広範な理解 を得、かつその実質的な教育内容 を確立す る問題は、その後長 く課題 として残 され たのである。

」 12)

(2) 1958

年の中央教育審議会答 申

さて、上述の よ うに

、1949

年度か らの新制大学 制度 の本格実施 に合わせ、旧制の師範諸学校 は学 芸大学及び総合大学の学芸学部ない し教育学部 と して、戦後の新 しい歩み を始めた。その際 に、教 育刷新委員会での審議経過 にも端的 に示 されてい た よ うに、学芸大学ない し学芸学部 ( 教育学部) においては、学問や教養 といったいわゆる リベ ラ ルアーツ重視 の教育論が強調 され、教員養成 を大 学や学部の 目的 とす ることは、「 師範学校‑の回帰 である として警戒す る論調が根強 く存在 した。

」13)

他方では

、1950

年の朝鮮戦争勃発前後か ら、ア メ リカの対 日占領政策の変更 と連動す る形で、戦 後の新教育の在 り方 を見直 し、端的 には教育 ( 学 校)‑の国家統制 を復活 ・強化す る、 「 逆 コース」

と批判 され ることになる一連の教育政策が展開 さ れていった。 こ うした状況下の

1958

年 ( 昭和

33

年)、

その後のわが国の教員養成の在 り方 を大 き く方 向

付 けることとなった中央教育審議会 の答 申、「 教員

(4)

養成制度の改善方策 について」が出 された。 この 答 申では、 「 教員養成の基本方針」 として、 「 国の 定 め る基 準 に よって大学 において行 うもの とす る」との基準 に基づ き、「 必要 に応 じて国は教員養 成 を目的 とす る大学を設置 し、また公私立大学 に ついて認定す る」 こと、つ ま り 「 教員養成 目的大 学」の設置が明示 され ることとなった。 この答 申 で示 された教員養成 における国家の 「目的的な計 画 養 成」 とい う方 向性 は、そ の後、1

963

年 には

「 教員養成大学 ・学部」 を、一定の学問研究 とそ の教育を前提 とす る 「 学科」とは異なる、「 課程一 学科 目制」を とる大学 とす ること

14)、1965

か ら

66

年 にかけての 「 学芸大学 ・学芸学部」か ら 「 教育 大学 ・教育学部」‑の名称 の一律変更 として、具 体化 されていった。

こうした従来 の学芸大学 ・学芸学部の 「目的大 学」化政策は、「 教員養成系大学は教員養成 を目的 とす る大学であって研究機関ではない」 との文部 省 当局者の本音 とも言 える発言 に直裁 に示 されて いるよ うに

15)

、教員養成大学 ・学部 の教育内容 と 組織 を国家 ( 文部省)の強力な 「目的」と 「 計画」

の下 に従属 させ ること、従 ってそれ らの大学 を実 質的 に 「 非大学化」 し、戦前の閉鎖的な師範教育

‑ と逆戻 りさせ る危険性 を強 く持つ ものであった。

その点では、 この当時、 日本教育学会その他か ら 提起 された国の教員養成政策‑の批判は極めて正 鵠 を得 るものではあった。

しか し、同時 に確認 してお くべ きことは、 こ う した教員養成‑の露骨な国家介入 を招 くことにな った内在的素地が、教員養成 を主 として行ってい た大学 ・学部 自体の中に厳然 として存在 していた のではないか、 との問題である。すなわち、上述 の よ うな リベ ラルアーツ論 の強調の下 にあって、

一般大学の教職課程 のみな らず 「 学芸大学その も の」 において さえ、 「 本 気で ( 注 :教員養成 とい う)問題 に取組 まなか った

」 16)

、 とい う問題であ る。そ こには、1

949

年以降の新制大学制度の中で の教員養成が、その高遠な理想 とは裏腹 に、「 教員 養成 を学問的な理論 を根底 に発想出来ず、専 ら教 育職員免許法の基準 によって考 え、免許法 に従属 して捉 えている」1 7 ) 、とい う深刻な実態があった こ とになる。

(3)

宮城教育大学の教員養成教育改革

こ うした認識 に立つ とき、「 教員養成の 自覚化 と い う課題

」 18)

を中核 に据 えた宮城教育大学の大学

改革が、重要な意味を持 って浮上 して くることに なる。周知の よ うに、宮城教育大学 ( 以下、宮教 大 と略記)は、1

965

年 ( 昭和4

0

年) 4月、東北大 学教育学部 ( 旧制東北帝国大学文学部教育学講座

と宮城師範お よび青年師範学校の統合 により発足。

旧制帝国大学が師範学校 を統合 した唯一の事例) か ら分離 ・独立 して設立 された。 この宮教大が、

本格的な教員養成教育の改革 に乗 り出すのは、東 北大学教育学部教授 の林 竹二 を学長 として迎 え た1

969

年 ( 昭和4

4

年)以降の ことである。 ここで は、宮教大の改革が如何なる内容 と特色を有す る ものであったのかを、 日本教育学会が1

974

年の時 点で実態調査 に基づいてま とめた報告書 『 宮城教 育大学の大学改革』 と、改革の当事者たちの諸論 考な どに依拠 しつつ、特 に 「 教員養成の 自覚化 と い う課題」‑の取 り組み に注 目して、その要点の み確認 しておきたい。

( 彰小学校教員養成を基軸 とした教員養成教育改革 宮教大の改革が 「 教員養成の 自覚化 とい う課題」

‑の取 り組みである とされ る時 に、その取 り組み は、当時の教員養成の中で も 「とりわ け教育条件、

教育態勢の貧 困が集 中的 にあ らわれている

」 19)

と された小学校教員養成の抜本的改革 として、最 も その本質 を発揮す るものであった。林 竹二学長 ( 在任期間 :

1969‑75

年)の言葉 を借 りれば、宮 教大の改革の方向性 とは、「 小学校教員養成課程が たてまえは ともか くとして、その教育を実際 にお いて伴食的な位置 におかれている教員養成大学の 教育 を、小学校教員養成課程 を基軸 として再編成 す る企てであるといえるだろ う

」20)

この改革理念 は、1

969

年度後期か ら開始 されたカ リキュラム改 革の うち、 一般教育 ( 教養教育)に関 して見る と、 一 般教育 にゼ ミナール形式 を導入す ることで、従来 までは十分 にできなかった 「 学問研究の方法 をふ まえ」、教 師 と学生 との 「 相互作用 を含 んだ " 揺

莱"」 2

1 )を創造す る試み、従来 の リク レー シ ョン 的要素の強い体育科 目を教員 として必要な身体的 訓練‑ と転換す る試み、 さらには従来は 3年生ま で研究室所属のなかった小学校教員専攻学生が、

1年生の時点か ら「 学生 と教師の合同研究室

」22)

を 使用できるよ うにした試み ( 学内施設再配置)、等

として具体化 されていった。

②教員養成教育の 「 軸」 としての 「 教授学」の

創 出

(5)

教員養成学部の基礎理論 としての 「 教員養成学」の創出 しか し、宮教大が 「 教員養成の 自覚化 とい う課

題」 、とりわ け小学校教員養成 を基軸 とする改革 に 取 り組 んだ際 に、その中心 に位置 していたのは、

小学校教員養成教育 における専門教育の在 り方、

すなわち教職教養 ・教科専門科 目と教育実習の在 り方の改革の試みでであった。林学長の言葉 を再 度 引用すれば、小学校教員養成教育を 「 陽のあた らない部分」とし、「 中、高校教員養成のための教 科の程度 を低 めた ものを与 えれば よい とい うや り 方」 を許 してきた とい う 「 沈滞か らの脱却のため

には、何 において も小学校教員養成のための教育 の中核、諸科統合の軸 となるものをつ くりあげる ことが必要である

」 23)

この 「 小学校教員養成の 教育の中核」を生み出すため、宮教大では専門教 育 を 「 教育実践」 と結合 させ ること、そのために は 「 教育実践 を対象 とす る科学的研究の確立」が 必要 とされ、「 教授学」とい う新たな学問領域 の創 出が志向 された。1

97

1 年度か らは、全国初の試み として 「 教授学」「 教授学演習」といった授業科 目 が開講 され ( 正規の学科 目となったのは1

974

年) 、 また1

974

年 には 「 授業の実践研究 を行い、す ぐれ た授業の創出に寄与す ること」 を目的 とす る 「 授 業分析セ ンター」が開設 された ( 専任教授 として、

群馬県島小学校校長時代の教育実践で知 られ る斎 藤喜博 を招聴)。

ここで創出す ることが志向 された 「 教授学」 と は、端的 には、個別の教科教育研究の成果 を統一 して、「 教 えることについての全体的原則」を作 り 出そ うとす る「 学問」であ り、「 教師の<教育実践 >

を技術定立す る学 問」で あ る

24)

。つ ま り、 「 教授 学」は<教育実践 >を根底 に据 えることで、「 各教 科の教育法教育 を統合 し、教育学教育、個別科学 ・ 芸術 ・技術の教育の相互連関をはかってい く位置 づ けをもつ」 ものであって、まさに 「 教員養成教 育が展開す る軸」 として機能す るもの として構想 されていた

25)

0

③教員養成教育の一環 としての教育実習

「 教授学」創 出 と密接 に関連 しつつ、宮教大 にお ける教員養成教育改革の も う一つの柱が教育実習 の改革である。関学 当初の教育実習は、

3

年生で

1

週間、

4

年生で

3

週間 ( 中学校専攻は

2

週間) の実習 となってお り、 これでは教育実習が 「 教員 養成の総仕上げの よ うな、あるいは就職準備的な もの」となっていた。これ に対 して、 教育実習 を「 あ くまで も教育の一環」として位置づ け、「目標 とし

7

ては、実際の授業 を経験 してみることで、専門の 学習‑新 しい関心 と意欲が生まれて くる ところに おかれな くてはないない。

」26)

教育実習 をあ くまで も教員養成教育の一環 として位置づ ける との理念 に基づ き、宮教大では1

97

1 年度か ら教育実習の改 革が着手 され

、3

年生で

3

週間 ( 附属校)、

4

年生 で 1週間 ( 公立校。 中学校専攻はな し)の実習 と し

27)

、 しか も実習生の指導 を附属校 に一任 して き た在 り方 も、「 学部の全教官が教育実習の指導 にあ たるよ うにした」「 学部主導型」‑ と大 き く変更 し てい くことも志向された

28)

0

以上の よ うに、1

969

年か ら開始 された宮教大の 改革は、小学校教員養成教育の改革 を中心 に据 え て展開 された ものであ り、「 教授学」とい う新たな 学問の研究 と教育 とを軸 に一連の教員養成教育 を 有機的 に関連づ けることで、教育実践者 としての 教員の形式的な 「 資格」ではな く、本質的な 「 資 質」 をも形成 しよ うとす る試みであった

29)

。従 っ て、宮教大の試みは、教育刷新委員会以降の戦後 の教員養成教育の中で、一貫 して放置 されてきた 教員養成教育の学問的深化 と実践化 とい う課題 に、

初めて正面か ら取 り組む ことを意図 した貴重な試 みであった と言 えるだろ う。

但 し、教員養成教育の 自覚 に基づ く宮教大の改 革が、その後順調 にかつ成功裏 に展開 されたのか 否かは、改めて詳細な検討 を加 えるべ き重要な課 題である。 ここでは、改革の推進者の一人であっ た横須賀 薫の総括

30)

を紹介す ることに止めたい。

宮教 大 の改革 は、それ が 開始 され て約1

0

年後 の

1980

年代 に入 る頃か ら 「 停滞状態」 に入 った。横 須賀 によれば、宮教大の改革が、「 全国の大学 に刺 激 を与 えつつ も行 き詰まるのは小学校教員養成の 専門教官団を設定 しよ うとした ことか ら」だった。

当時、宮教大では小学校教員養成課程 の学生定員 の増加 に伴 って生 じた1

0

名の教官純増分 を使 って、

小学校教員養成教育 を中核 となって行 う教官 グル ープを設 け、小学校教育実践 で大 きな成果 をあげ た教育家や演劇指導の専門家 といった、「 既成のア カデ ミズムのルー トとは無関係な」人材 をそ こに 充当していった。 ところが、 この小学校教員養成 の専門教官団について、招聴 された教官たちか ら は、 「 教科 に所属 しない ことが非常 に不安である」

との声が出 され、他方では教科所属の教官か らは、

「 教科体制 とい うものを乱す」 と批判 され ること

になった。 この結果、「 小学校教員養成 を専門 とす

(6)

る教員の体制」は 「 瓦解」 し、 この ことが 「 宮教 大改革の挫折の原因」 となった。宮教大の改革か

ら約

30

年後 に、横須賀は この よ うに総括 している。

宮教大の改革が、その最 も根底 に据 えられてい た小学校教員養成教育の改善 に資すべ き教官体制 の新設 を契機 に 「 瓦解」 した ことは、教員養成学 部 における伝統的な 「 教科体制」の強固さと、教 員養成カ リキ ュラムの改革 を教官組織全体 の改革 との緊密な連動の下 に推進す ることの必要性 とを 示唆 している。 この宮教大改革の教訓は、今後の

「 教員養成学」 を基盤 とす る教員養成学部の改革 の推進 にあたって、重要な知見を提供す ることに なるだろ う。

2.

「 教員養成学」創出の提唱

(1)

「 在 り方懇」報告書 と 「 教員養成学」創出の 意義

2001

1

1月の 「 在 り方懇」 報告書は、いわゆる「 遠 山プラン」の直後 に提出 された こともあって、教 員養成学部の再編 ・統合の部分 にのみ大方の注 目 が集 中す ることとなった。 しか し、 この報告書の 前半部分は、教員養成学部が直面 している問題、

とりわ け教員養成学部 を専門学部 として充実 ・強 化す る必要性、つ ま り本稿の課題 と密接 にかかわ る教員養成教育論が展開 されていることにも注 目 すべ きである。事実、委員 として議論 に参画 した 小笠原道雄 によれば

3

1 ) 、国立大学の大胆 な統合 ・ 再編の方針 を打 ち出 した 「 遠山プラン

」(2001

6

月)までは、 「 在 り方懇」の議論 においては、 「 統 合 ・再編 とい うよ りはむ しろ教育学部の性格 を専 門学部 として強化 していかな くてはな らないので はないか、 とい う意見が強 く、且つ、その際、現 状通 り、都道府県 に一つ は学部 を置いた方がいい のではないか、 とい う意見が強かった」 とい う。

ここでは、「 在 り方懇」報告書の前半部分で展開 さ れている教員養成教育 に関す る問題提起 を、第

2

章で検討 した戦後の教員養成教育論の展開 と関連 づ けなが ら検討 しておきたい。

①教員養成の専門学部 としての 自立化の必要性 まず、「 在 り方懇」報告書は、これまでの教員養 成学部が、国家 による 「 計画養成」 と教育職員免 許法 とい う制度の下 に置かれ ることによって、「 各 学部 ともほぼ等 質的 な体制 で教 育研 究が行われ て」、 「 教員養成学部が どの よ うな 目的 ・理念の下

で、 どの よ うにして教員養成 を行ってい くか とい うことやカ リキュラムの在 り方等 に関 して各教員 のコンセ ンサスが不十分」であ り、「 教員養成学部 としての専門的な立場 を明確 に し、教育全体のま とま りと特性 を発揮」す ることが希薄であった指 摘 している。 この教員養成の 「 専門学部」 として の 自覚的 ・主体的な取 り組みの欠落 とい う問題 は、

ま さに教育刷新委員会 における教員養成改革論議 以降、宮教大での先駆的取 り組み等 を除 けば、大 方の教員養成学部 に通底す る本質的問題であった。

②体系的教員養成カ リキ ュラムの編成の必要性 第 2に、「 在 り方懇」報告書の問題提起で注 目す べ き点は、「 体系的な教員養成カ リキ ュラムの編成 の必要性」とい う指摘である。すなわち、「 将来教 員 になるべ き学生 に、幅広 くいろいろな専門分野 を体系的 に教育す るとともに、教員 としての実践 的な能力を育成 してい くためには、教員養成学部 の教員が、教員養成 とい う目的意識 を共有 し、体 系的なカ リキ ュラムを編成 してい くことが不可欠 である。

「 それぞれの独 自性 を発揮 した魅力ある 教員養成カ リキ ュラム」の編成 とい うこの問題提 起は、 とりわ け 「 教員養成学部独特 の課題」であ る小学校教員養成の部分 に向けられていることも 重要である。上述の よ うに、かつての宮教大の改 革が、小学校教員養成教育の改革 を中核 に据 えた ものであった ことの背景 には、同様 の課題認識が あった。報告書はまた、各大学が独 自の体系的教 員養成カ リキ ュラムを編成す るにあたっては、「 学 内に教員養成のカ リキュラムの在 り方 を検討す る ための組織」 を設 けることも有効であること、同 時 にその際 には 「 単なる教育方法のテ クニ ックの 修得 を目的 とす るものではな く、子 どもの成長 と 発達 に対す る深い理解 と教科 に関す る専門知識 に 基づいて行 うものでなければな らない」 ことも指 摘 して、あ くまでも 「 大学 における教員養成」の 理念 を深化 させ る方向性 も指摘 している。

③教員養成学部 としての独 自の専門性の発揮の 必要性

3

に注 目すべ き点は、「 教員養成学部 としての

独 自の専門性の発揮」が求め られていることであ

る。 この点で報告書が、 とりわ け多 くのスペース

を割いて言及 しているのは、教科専門科 目お よび

それ との関連での教科教育法 ( 学)の在 り方 につ

いてである。すなわち、教科専門科 目の分野は理

(7)

教員養成学部の基礎理論 としての 「 教員養成学」の創 出 学部や文学部 な どの一般学部 で も教育 されてい る

が、「 教員養成学部 の独 自性や特色 を発揮 してい く ためには、教科専門科 目の教育 目的 は他 の学部 と は違 う、教員養成 の立場か ら独 自の ものであるこ とが要求 され る。」 教員養成学部 における中学校教 員養成は、「 単 に一般学部 とは専門科 目の修得単位 数 に違いがある とい うのではな く、その内容 に本 質的な違いがあって しか るべ きである。」加 えて、

教科教育法 ( 学)の分野 は、「 今後、教科教育担 当 教員 と教科専門担 当教員 とが協 力 して教員養成学 部が独 自性 を発揮 してい くための重要な分野 とし て充実 を図ってい くことが期待 され る。」 さらに、

この教科専門分野 と教科教育法分野 との緊密 な連 携 による 「 独 自の専門性の発揮」は、何 よ りも小 学校教員養成教育の充実 との関連で も強調 されて い る。「 小学校 にお ける教育の特性」を考慮すれ ば、

その教員養成教育 において教科専門 と教科教育法 との 「 連携」の在 り方が重要 な課題 となっている が、「 その在 り方 を研究す るのは、教員養成学部 を おいて他 にはな く、教員養成学部 が独 自性 を発揮 してい くためにも率先 して取 り組 まなけれ ばな ら ない分野」である と指摘 されてい る。

「 在 り方懇」報告書 を無批判的 に受容す るもので はないが ( 特 に、後半部分の教員養成学部 の再編 ・ 統合 に関す る効率性 に偏 した提案 には大 きな疑念 を指摘 したい)、以上で確認 した よ うな教員養成学 部の教育体制 と教育 内容の現状 に関す る指摘 には、

前述 した戦後 の教員養成教育論 の問題状況 を踏 ま えれ ば、首肯せ ざるを得ない論点が多い ことも事 実である。特 に、教員養成 の 「 専 門学部」 として の主体性 を持つ こと、「 それぞれの独 自性 を発揮 し た魅力ある教員養成カ リキ ュラム」を編成す る こ と、 さらには教科専門教育 と教科教育法教育 との

「 連携」お よび小学校教員養成教育の内実 を 「 研 究」す る ことな ど、教員養成学部 の在 り方の本質 に関わ る問題提起 は、それぞれの教員養成学部 が 真剣 に受 け止め るべ き指摘 と言わ ざるをえない。

ここで問題提起 された重要 な論点はいずれ も、本 来な らば、「 在 り方懇」とい う政府 の審議機 関か ら の指摘 を受 けるまで もな く、仮 に免許法上の一定 の 「 制約」はある とは言 え、「自治」を保障 された 教員養成学部 自らが、既 に自覚的 ・主体的 に取 り 組 んでお くべ き本質的課題であったのである

32)

0 教員養成学部 自らが内在的批判 を通 して、 この本 質的課題 に真剣 に取 り組む ことな しに、政府 ・文

9 部科学省 の大学政策や教員養成政策 を 「 無定見

と批判す ることだけでは、 もはや何 の問題解決 に も結 びつかない段階 にある と言 えるだ ろ う。

そ こで、問題 は、以上の よ うな問題提起 を突 き つ け られた教員養成学部が、「 教員養成 の 自覚化 と い う課題」、つま り 「 大学 にお ける教員養成」の内 実の深化 とい う自らに課せ られた本質的課題 に、

内在的批判 を踏 まえつつ如何 に応 えてい くのか、

とい う一点 に集約 され ることになる。 この喫緊の 課題 に誠実 に応 えることを意図 した試みが、教員 養成学部 の基礎理論 としての 「 教員養成学」の創 出なのである。すなわ ち、「 教員養成学」の創 出は、

戦後半世紀の間放置 されて きた 「 大学 にお ける教 員養成」の学問的 ・実践的深化 に寄与 しよ うとす る点 に、第一義的な意義 と課題 とを有す るもの と 言 えよ う。

(2)

横須賀 薫による 「 教 員養成学」の提唱 弘前大学教育学部 が提起す る 「 教員養成学」構 想 を検討す る前 に、横須賀 薫 による同様 の指摘 を確認 してお きたい。「 在 り方懇」報告書の中で端 的 に指摘 された教員養成学部 の本質的課題 に応 え る形で、新 たな学問領域 としての 「 教員養成学

の創 出 に言及 してい る数少 ない論者の一人が、横 須賀 薫 ( 現 ・宮教大学長)である。横須賀は、

上述 した20

01

年1

2

月2

4

日開催の シンポ ジウム 「 国 立の教員養成系大学 ・学部 の再編動 向を考 える」

において、「 教員養成学」を確立す る必要性 を提唱 し、「 教員養成学」が包摂す る研究内容 として、以 下の

7

項 目を挙 げてい る3 3 ) 0

( 彰 「 教員養成学部 の内部構造 の研究」( 特 に、免 許基準か ら相対的 に独立 した区分論 とその中 での小学校教員養成 の学生 の受容れ態勢の研 究)

② 「 内部構造 を支 える担 当教官団のあ り方 の研 究」

③ 「 授業研究や教育実習の位置づ けを含む、統 合 の軸 をもったカ リキ ュラムの開発研究」

④ 「 教員の資質構造 のための新 しい領域 の開発 研究

」 (ex.

か らだ による表現指導)

⑤ 「 現職教育のあ り方の研究」( 特 に大学院 レベ ル にお ける在職研修のあ り方)

⑥ 「 附属学校 の必要性 お よびあ り方 の研究」

⑦ 「 教員養成学部教員の資質研究 とその養成 コ

ースの研究」

(8)

横須賀の提案は、 シンポ ジウムでの報告 とい う 制約 された中でのものであるため、必ず しも詳細 な内容 とは言 えない。 しか し、「 教員養成学」とい う学問名称 を明示的に使用 した最初のもの と推定 されるこの提案は、同 じシンポジウムにおける、

「 教育学部の基礎理論」構築の必要性 ( 小笠原道 雄)お よび 「 教員養成 とい う実践的課題」 を 「 一 つの 『学』 」として構築す ることの必要性 ( 加野芳 正) とい う発言 と共振 し、 しか も前述 した よ うな

1970

年代の宮教大改革の当事者の一人 とい う経験 を踏 まえての問題提起である点で、そ して何 よ り も 「 教員養成学」の内容 にまで踏み込んだ提案 と して、注 目すべ きものである。

1970

年代の宮教大の改革 との関連で見ると、か っては 「 教授学」 とい う新たな学問領域 を創 出す ることを通 して、教員養成教育の内的な統合 と深 化が志向されていたのに対 し、今回の 「 教員養成 学」の提案 には、狭義の教員養成カ リキ ュラムの 統合 ・深化 に関す る開発研究 ( 研究項 目の③⑥ な ど) に加 えて、大学教官の資質お よびその組織 と いった教員養成学部 にお ける教員養成 システム全 体の研究の視点 ( 研究項 目の( 彰②⑦ な ど)が付加 されている点が重要 となる。 この変更は、上述 し た ような 「 宮教大改革の挫折」 とい う貴重な経験 か ら学び取 られた知見 に基づ くもの と考え られ る。

今後の 「 教員養成学」研究の具体的展開 において は、横須賀提案 に見 られ るよ うに、内的な統合 と 体系性 を備 えた教員養成カ リキ ュラムの編成 と同 時 に、それを支える大学教員の資質能力や教員組 織体制 といった教員養成 システム全体の在 り方の 研究開発が極めて重要 となる。 さらに横須賀提案 では、明確 には言及 されていないが、教員養成 シ ステム全体の在 り方の研究開発 には、教員養成教 育活動が如何なる教育効果や問題点を有 している のかを、教員養成学部 自らが点検 ・評価す ること で、教員養成教育の質的改善 を図ってい くとい う、

自己検証の仕組みの研究開発 も加 えることが必要 となる と思われ る。

研究項 目④で指摘 されている 「 教員の資質構造 のための新 しい領域 の開発研究」の提案は、教員 養成教育‑の 「 か らだ とことば」の訓練の導入 と いった宮教大の先導的な試みの経験 を踏 まえての ものである。人間関係 を築 く能力が弱体化 してい る現代の学生 に、如何 にして子 どもたちに働 きか ける資質 ・能力を育成す ることが可能 となるのか、

この視点か らの研究開発 は、教員養成学部 の 「 独

白の専門性の発揮」の点で も、重要な研究領域で ある。 この横須賀提案 に加 えて、「 在 り方懇」報告 書の指摘 を待つまで もな く、「 教員の資質構造」に 相応 しい教科専門教育の在 り方、特 に小学校教員 養成 における教科の 「 専門」 とその 「 教育法」の 在 り方の研究 も、「 教員養成学」として早急 に取 り 組むべ き研究領域 となると考 えられ る。同時 に、

地域社会や学校現場 において如何 なる資質 ・能力 を有す る教員が求め られているのか とい う視点か ら、教員養成教育の在 り方 を研究開発 してい くこ とも必要 となるだろ う。

研究項 目⑤ と関連 して、大学院まで も視野 に入 れた教員養成教育の在 り方の研究は、 「 在 り方懇」

報告書では十分検討 されなかった問題であるが、

今後の教員の資質 向上の観点お よび現職教員の研 修体制の再編の観点か らも、重要な研究領域 とな

ることが予想 され る。

以上、横須賀の提案は、戦後5

0

年 にも及ぶ教員 養成教育の歴史の中の本質的課題、すなわち教員 養成学部の学問的基礎付 けの欠落 とい う課題 に真 筆 に応 える とい う課題意識 に根差 し、 「 教 員養成 学」の内容項 目にまで踏み込 んだ提案 として特筆 すべ きもの と言 える。今後は、 ここで提唱 された 教員養成学部の学問的基礎 としての「 教員養成学」

の内実 を深化 させ、その ことを基盤 として教員養 成教育の質的改善 を実行 してい くことが焦点 とな

る。そ して、 この喫緊の課題の実行如何の問題 は、

国立大学の法人化 に伴 って、ま さに個々の教員養 成学部 自身の意思 に委ね られているのである。そ こで、次 にこの局面 を弘前大学教育学部 に即 して 検討 してみ よ う。

(3)

弘前大学教育学部の 「 教員養成学」構想 弘前大学教育学部 は

、2002

年 ( 平成

14)3

月 に 刊行 した 『 教育学部 自己評価委員会報告書』にお いて、「 教員養成学」の構築 と推進 を明記 した。 こ の時が、学部 の公式文書の形で 「 教員養成学」 と い う学問名称 を使用 した最初 となるが、それ以前 か ら、「 教員養成学」構想‑ と結実す る考 え方は既 に提起 されていた。それは

、1994

3

月 に刊行 さ れた、第一回 目の 『 教育学部 自己評価委員会報告 書』まで遡 ることがで きる。そ こには、次の よ う な記述 を確認す ることができる。

教育学部が開設すべ き専門科 目には、教科専

門 と教職専門が、後者 には教育科学 と教科教育

(9)

教員養成学部 の基礎理論 としての 「 教員養成学」の創出 法がある。だが この区分が、教員免許法の定め

る ところに従 ってい ることもあって、専門科 目 が相互 にどの よ うに連関 してい るのか、 どの よ うにすれ ば実効性 を発揮 しうるのか に関 して、

教員養成大学 ・学部 自身が独 自に検証す る努力 が、かな らず Lも十分であった とは言 えないの である。 そ して、弘前大学教育学部 も、その例 外 ではあ りえなかった。

「 大学教育はいか にあるべ きか」 ( 大学教育学) を研究す る大学教育セ ンター等 が構想 されてい るが、教員養成大学 ・学部 にお ける教育 を体系 的 に編成す るための実証的 ・理論的研究は、特 に重要である。「 教育科学、教科教育学、教科専 門諸科学の有機的連 関を実現す るには どの よ う にすべ きか を理論的 ・実証的 に明 らか にす る」

科学 を、教員養成大学 ・学部が専門 に研究すべ き科学の一つ として位置づ ける ことが、重大な 課題 とな るだろ う

34)

0

この 自己評価報告書 は、いわゆる大学設置基準 の大綱化

(1991

年) に伴 って、大学の 自己点検 ・ 評価が求め られ る状況 の 中で、弘前大学教育学部 が

1949

( 昭和

24)

年 の設置以降の教員養成教育 の 在 り方 を、初めて総括 した ものである。そ こでは、

上述 した全国的な傾 向 と同様 に、免許法 の基準 を いわ ば機械的 に配 当 しただ けのカ リキ ュラムにな っていて、専門教科相互の 「 連関」 の在 り方 を独 自に検証す る努力が不十分であった ことが率直 に 反省 され、同時 にそれ を受 けて、教員養成カ リキ ュラムにお ける専門科 目間の 「 有機的な連 関」の 実現 に向けた理論 的 ・実証的研究の創 出の必要性 が提唱 されていた。

しか し、その後 の弘前大学教育学部 においては、

この 「 教員養成大学 ・学部が専門 に研究すべ き科 学の一つ」 と位置づ け られた研究領域 を、具体的 に構築 ・発展 させてい く内発的な取 り組みは、残 念 なが ら直 ちには行われなかった。 この間題が学 部全体 の課題 として 自覚化 されてい く契機 となる のは、 「 在 り方懇」の設置

(2000

7

月)、大学の 再編 ・ 統合 に関す る「 遠 山プラン

」(2001

6

月)、そ して 「 在 り方懇」報告書

(2001

11

月) といった

「 外圧」であった。但 し、契機 は 「 外圧」ではあ った ものの

、2001

1

1 月 に教育学部 の 「 再編統合 に関す る専門委員会」が、いわゆる

A

案」 によ る教員養成 の 「 担 当大学」を 目指す との方針 ( 「 再 編統合 に関す る基本方針」)を決定 して以降、教育

ll

学部 はその 自らに課せ られた使命 と責任 を誠実 に 果 たすべ く、 自覚的な努力を重ねていった。そ し て、その際の学部の方法性 は

、1994

年の 自己評価 報告書での総括 を深化 ・発展 させ る ことであった。

その端的な現れが

、2002

3

月 の 『 教育学部 自己 評価委員会報告書

において表 明 された 「 教員養 成学」構想であった。そ こには、次の よ うに記述

されている3 5 ) 0

( なお、ここで表 明 された 「 教員養成学」構想 は、上 述 した横須賀 薫 の 「 教員養成学」提案 とは無関 係 に構築 された ものである。)

Ⅰ 理念 ・目標

4.

教育学部 の役割 と将来

(5)

教員養成学 を教育学部 の研究の中に位置づ ける。

大学 にお ける教員養成 の在 り方 を専門的 に研究 し、大学教育 に提言す る部門が必要である。全 体的な立場か ら教員養成 を研究す る専門家が求 め られ る。

( 中略)

Ⅴ 研究評価

2.

研究 目的及び 目標

(1)

研究 目的

( 彰 「 教員養成学」の構築.複雑で困難 な現代的 課題 に対処で きるす ぐれた教員 を育成す るた めには、 どの よ うな教育 ・研究体制 と、免許 制度 ・課程編成 ・カ リキ ュラム編成 ・教育 内 容、及び学生指導 のあ り方が求め られ るか。

これ こそ教員養成学部が全 力で取 り組むべ き 基本的課題である。この 「 教員養成学」の創造 ・ 構築 に、教育学部 を構成す る教官全体が協力

して取 り組む。

この 「 教員養成学」構想 は、 さらに、教育学部 基 本構想委 員会 において、 「 教員養成系学部 の再 編 ・統合 に関す る構想試案」 ( 以下、 「 構想試案」

と略記) と題す る新 たな教育学部 の全体構想 の中 核 的部分 として位置づ け られ てい った。 「 構想試 案」は

、2002

4

月の第

4

回北東北

3

大学教員養 成系学部長懇談会 において報告 された後、同年

6

月 には文部科学省 にも説 明 され、同年 9月 の弘前 大学評議会 と教育学部教授会 において も、それぞ れ説 明 ・ 了承 されてい る。 「 構想試案」 においては、

「 教員養成学」 は 「 新生教育学部 の メイ ン ・エ ン

ジン」 として位置づ け られ る とともに、そのため

(10)

の具体的措置の一つ として 「 教員養成学研究開発 セ ンター」の新設が提唱 されている。「 構想試案」は 次のよ うに指摘 している。

これ までの教員養成学部 に最 も欠 けていた も のは、大学の教員養成活動その ものを研究対象 とし、その改善のための方策 を自ら提案 し、そ の提案を実施す ることであった。そ こで、我々 は、「 教育学部 における教員養成の在 り方」を開 発 し、「 その成果 を附属学校園 と一体 となって検 証す る方法論の構築」 をめ ざし、教員養成の在 り方 を不断 に改善す るための理論的実践的な研 究分野 を 「 教員養成学」と名付 け、これ を再編 ・ 統合後の弘前大学教育学部のメイン ・エ ンジン

とす る体制 を築 きたい と考 える。具体的 には、

「 教員養成学研究開発セ ンター」 を新設す る。

「 教員養成学研究開発セ ンター」は、教員養成 の理論的側面 としての 「 教員養成大学 ・学部組 織研究開発分野」 と教員養成の実践的側面 とし ての 「 教員養成カ リキ ュラム研究開発分野」の

2 分野か ら構成 され る。

① 「 教員養成大学 ・ 学部組織研究開発分野」は、

政策学、比較教育学、教育経営学等 の視点か ら 「 教員養成大学 ・学部 における教員養成の 在 り方」 を総合的 に研究 し開発す る。

② 「 教員養成カ リキ ュラム研究開発分野」は、

教員養成のための理論的 ・実際的なカ リキ ュ ラムの研究 ・開発 に携わ る。

この弘前大学教育学部の 「 構想試案

で示 され た 「 教員養成学」 構想 は

、3

つの点で注 目され る。ま ず、第 1に、教員養成教育の学問的基礎づ けとい う、戦後半世紀 に及ぶ教員養成教育 を通底 して指 摘 されてきた本質的課題 を、教育学部 自らが取 り 組むべ き最優先の課題 として明記 した ことである。

上述の よ うに、教員養成教育の学問的基礎づ け と い う課題‑の取 り組みは、1

970

年代の宮教大の試 みや教育研究者 による個別の研究等 を除 けば、教 員養成学部 として公式文書の形で明記 された こと は皆無だったか らである。第

2

には、「 教員養成学」

とい う学問名称 を、教員養成学部 自らが研究開発 すべ き学問領域 を指 し示す もの として、公式 に使 用 した ことである。前述の よ うに、 これ までにも 教員養成教育の基礎づ け となる学問領域 の必要性 は幾度 とな く主張 され、横須賀 による 「 教員養成 学」 構築の提唱 も行われてきたが、「 教員養成学」と

い う名称 を教員養成学部の公式文書の形で明記 し たのは、管見の限 りでは最初の ことなのである。

そ して、第

3

には、 「 教員養成学」 を教 育学部 の

「 メイン ・エ ンジン」 として位置づ けただけでは な く、

2

つの研究分野か ら成 る 「 教員養成学研究 開発セ ンター」の新設 を明記 して、「 教員養成学」の 研究開発 を推進す る体制づ くりまで視野 に入れて いることである。類似の組織 としては、2

000

4

月 に東京学芸大学 に全国共 同利用施設 として設置 され た、 「 教員養成 カ リキ ュラム開発研究セ ンタ ー

」(5

人の専任教官)がある。 しか し、弘前大学 教育学部の構想は、教員養成学部の単独のセ ンタ ーである点 と、教員養成カ リキュラムの研究 にみ な らず、教員養成学部の組織体制の在 り方 まで も 研究対象 としている点で独創的なものである。

周知の よ うに、「 在 り方懇」報告書 を契機 に始ま った各地 における教員養成学部の再編 ・統合の動 きは、教員養成学部存続 を求める地元 自治体関係 者か らの強 い要望や、国立大学の法人化の進展 も 複雑 に絡む 中で、文部科学省 自身の方針転換 もあ って頓挫す ることとな り、弘前大学教育学部がい わゆる 「 担 当校」 となることも、 当面はな くなっ た。 しか し、弘前 大 学教 育 学部 は、教 員養成 の

「 担 当校」 になるか否かに関係な く、先の 「 構想 試案」 を可能な限 り実現す る方 向で、内部改革を 推進 してい くこととした。その一環 として、200

3

年1

0

1

日付 けで、学内措置 による 「 教員養成学 研究開発セ ンター」が、兼任の学部教官

4

人をメ ンバー として設置 され るに至 った。今後 は、 この

「 教員養成学研究開発セ ンター」 を文字通 り 「 メ イン ・エ ンジン」 として、学部の総力を挙 げて教 員養成学部 の基礎理論 としての 「 教員養成学」の 研究開発が展開 され ることが期待 され る。そ して、

この地道 な取 り組みを通 して、弘前大学教育学部 なみな らず、全国の大学 ・学部 における教員養成 教育の質的改善 に資す ることが期待 されているの である。 この ことは、戦後直後の教育刷新委員会 の場で確認 された 「 大学 にお ける教員養成」 とい う理念 を、血 肉化す る努力が漸 く開始 された こと を意味 している。

3.

「 教員養成学」の課題

最後 に、以上の検討 を踏 まえて、教員養成学部

の基礎理論 としての 「 教員養成学」が如何 なる課

題 を担 う学問領域であるのかを、具体的な研究項

(11)

教員養成学部 の基礎理論 としての 「 教員養成学」 の創 出 目を摘記す ることを通 して明 らか にしたい。なお、

その際 に、弘前大学教育学部の 「 構想試案」は、

「 教員養成学研究開発セ ンター」の研究分野 とし て、 「 教員養成大学 ・学部組織研究開発分野」 と

「 教員養成カ リキ ュラム研究開発分野」の 2分野 を想定 しているので、 この分野区分 を基盤 として、

それぞれの研究分野 に含まれ る と考 えられ る研究 項 目を列挙す ることとす る。

(1)

教員養成大学 .学部組織研究開発分野 ( 彰教員養成学部の構成原理 に関す る研究 大学 における学部の構成原理 を一定の 「 学問」

に据 えるとすれば、教員養成学部 とい う 「 専門学 部」 を支える学問的基盤 は何であるのかが、研究 されなければな らない。 換言すれば、「 教員養成学」

とい う学 問の意 味 内容 の理論 的研 究 が必要 とな る3 6 ) 。 この研究は、教員養成学部が 「 教員養成機 関」 に堕す ること、つま り戦前の師範学校へ と回 帰す る危険性 を回避 して、あ くまで も 「 大学 にお ける教員養成」 としての実質 を如何 に確保す るの か、 とい う問題 と関わっている。

②教員養成教育 とその研究の点検 ・評価の在 り 方 に関す る研究

教員養成学部 における教員養成教育 とその研究 に関わ る活動全体 を、一定期間 ごとに点検 ・評価 し、その改善 に結びつ けるための組織体制 と方法 論が研究開発 されなければな らない。加 えて、教 員養成カ リキ ュラムが教員 としての資質 ・能力の 形成 に如何なる効果 を果た したのかを、教員 とし て勤務 している卒業生‑の追跡調査 によって実証 的 に明 らか にす る研究 も必要 となるだろ う。

③教員養成学部の教員組織体制 ( 教員養成 シス テム) に関す る研究

教員養成教育活動 を実施す るためには、如何な る資質 を持つ大学教員が必要 となるのか、またそ の教員団を如何なる組織体制で構成 ・運営 してい くことが必要 となるのかが、研究 されなければな らない ( FD活動 も含 めて) 。 この教員養成 システ ムの研究は、「 宮教大改革の挫折の原 因」を考慮す れば、 「 教員養成学」の不可欠の研究領域 となる。

④地域社会のニーズ と子 どもの実態 を踏 まえた

「 望ま しい教員像」 に関す る研究

教員養成教育 を意味あるもの とす る前提 として、

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教員養成教育が最終的 に目的 とす る 「 教員像」お

よび教員 に求め られ る資質 ・能力を明 らかにす る ことが不可欠 となる。 しか も、その際 には、教育 職員養成審議会答申な どで示 され る一般論ではな く、教員養成学部 を取 り巻 く地域社会 ( 学校現場 を含めて)のニーズ と子 どもたちの実態の調査研 究 を踏 まえることが必要 となるだろ う。

⑤学部 と附属学校の連携 ・協働の在 り方 に関す る研究

教員養成教育 を行 ってい く上で不可欠 となる学 部 と附属学校の連携 ・協働 の関係 を、如何 に構築 してい くことができるのか、その体制づ くりと方 法論が研究開発 され る必要がある。

(2)

教員養成カ リキ ュラム研究開発分野 ( 彰体系的教員養成カ リキ ュラム編成 に関す る研

「 望 ま しい教員像」 とそれ を支える教員の資質 ・ 能 力の育成 とい う目的実現のために、個 々の教員 養成学部の置かれた諸条件 を考慮 して、如何なる 指導理念の下 に、如何なる構造 と内容のカ リキ ュ ラムを編成す ることが必要 となるのかが研究 され なければな らない。 この研究 を通 じて、大学入学 か ら卒業までを見通 した一貫性のある教員養成カ リキ ュラムが編成 され、個々の授業が教員養成カ リキ ュラムの中で如何なる位置 と役割 を果た して いるのかが、個 々の担 当教員 に自覚できるよ うに なることが重要 となる。 また、今後 は、学部

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年 間のみな らず、大学院修 士課程 も含めた教員養成 カ リキ ュラム編成の研究 も必要 となるだろ う。 さ らに、横須賀の提案にも見 られた ように、教員 と しての資質 .能 力の育成 に資す るための新たな学 際的な領域 の開発研究 も重要 となる。

②専門教育の有機的連関に関す る研究

力量ある教員の養成 のためには、教員養成学部

における専門教育、すなわち教育科学 と教科専門

と教科教育法 とを、如何 なる連関 と内容で構成す

ることが必要 となるのかが研究 されなければな ら

ない。特 に、「 発達段階 に応 じた教育」を単なるお

題 目としてではな く、実質化す るために、子 ども

の発達段階に応 じた教科 内容 ・教育方法 ・教材開

発の在 り方 に関す る研究が早急 に進め られ る必要

がある。

参照

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