石坂洋二郎『美しい暦』考
著者 森 英一
雑誌名 金沢大学語学・文学研究
巻 9
ページ 7‑11
発行年 1979‑01‑31
URL http://hdl.handle.net/2297/23719
石坂氏の最初の書下し作品である「美しい暦」は、昭和十五年六 月二十九日、〈新作青春叢書〉の一冊として新潮社より刊行された。 因みに、同叢書は『日本近代文学大事典』第六巻(昭和囲・3講談 社刊)の記述によれば、ほかに芹沢光治良『命ある日』(昭嘔・5) 阿部知二『朝霧』(昭咀・6)、丹羽文雄『春の門』(昭巧・8) の三冊を発刊しただけで沙汰止みになったという。 当時氏は、あとでふれるように『美しい暦」の作品内容と深いか かわりを持つと思われる「暁の合唱」を十四年一月から連載中であ り、また、のちに『何処こや「わが日わが夢」へ収敞される諸短 篇も断続的に諸誌に発表していた。 さて、『美しい暦』は伊豆の谷津温泉で書かれたということにな っているが、その執筆時期については氏自身のいくつかの文章によ っても異同があり、客易に定めえない。そこでまず、それらの文章 を年代順に列挙すると、以下のようになる。 ①「医者のゐる村」(昭巧・8「三田文学』) 私はY温泉に四十日間滞在して体重を一貫目もふやし原稿を 一一一百三十枚書き上げて東京へ帰って来た。 ②「『美しい暦』(自著に題す)」(昭珀・9「三田文学』) 全篇一一一百三十枚を四十日ばかりでどうにか書き上げることが 出来た。 石坂洋次郎「美しい暦』考
③「あとがき」(昭配・9『石坂洋次郎作品集』2新潮社刊) 私はこれを書くために、・奥伊豆の温泉に一と月ばかり寵って
いた。 ④「著者だより」(昭咀・5「石坂洋次郎文庫」3新潮社刊) 昭和十四年の十一月から翌年の三月頃まで南伊豆の谷津温泉 に滞留してこの作品を書き上げた。そして、本はその年の六月 に刊行された。 ⑤「あとがき」(昭囲・6『石坂洋次郎文庫」講談社刊) 私は伊豆の谷津温泉にこもって、二十日ぐらいでこの一編を 書き上げた。 右の諸文章中、①はY温泉滞在中の様子をかなり精しく述べたエ ッセイ風の小説であるが、ほぼ事実に従ったものと判断してよいだ ろう。②と符号する箇所も多いし、また両者とも最も執筆時点と時 間的に近接しているからである。③と④は似たようなもので滞在期 間の相違だけだが、問題なのは④である。滞留を〈十四年の十一月 から翌年の三月頃まで〉とし、他と大巾に食い違っている。この点 に関して、①の中に、〈宿の娯楽室にあった近刊の「改造」を借り て来て文壇の先輩達の座談会記事を読んでゐたら、秋田雨雀氏のこ とに就いて、広津和郎氏が「あの人は怠け者ではないのかね」と云 ってる一一一一口葉が胸にこたへた〉とあり、これを該当の「改造』に拠っ
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てみると、十五年六月号(昭巧・5.四印刷納本6.1発行)の座 談会「文学雑談」(出席者l徳田秋声、里見惇、・広津和郎、正宗白 鳥、久保田万太郎、宇野浩二)であることが判明する。従って、も し、①が事実通りの記述だとすれば、石坂氏が谷津温泉にこもって 『美しい暦』を仕上げたのは、十五年四月から六月までのうち四十 日間、という推定が成立する。 とはいうものの、このように推定したとしても、脱稿から刊行ま で一か月足らずということになり、出版事情を勘案すると、かなり 窮屈な時間のやりくりである。そこで、①は『改造』のことだけを、 Y温泉滞留の事実の中にフィクションとして押し込んだ作品だと推 察して、④にあるような、昭和十四年十一月から翌年三月頃までの 四十日間を滞在期間と断を下すことも可能である。 なお考察の余地がある問題として、結論は保留せざるをえない。 執筆時期のことはさておいて、十六年一月に連載完了の「暁の合 唱」は「美しい暦』刊行前後、大詰めを迎えていた。小稿「『暁の 合唱』の位相」(昭囲・3『青森県立金木高等学校研究紀要』第5 号)で詳述したことだが、同作は全三部に分けて考えることができ る。小説全体としては女学校を卒業したばかりの女主人公斎村朋子 が社会人としても一女性としても目覚めて成長して行くその過程を 描こうとしたところに作者のねらいがあったと思われるが、十五章 以下の第三部は朋子と小出――一郎との、健康で明るく、さわやかなカ ップルの誕生に向けて全力が注がれている。この第三部のそのよう な内容と以下みて行く『美しい暦』のテーマとがほぼ同一なのであ る。 結論めいたことを先に述べておけば、『若い人』の完成(昭和皿 年皿月)によって自己の文学観をほぼ確立しえた氏が(小稿「『若 い人』考」昭和兜・9『郷土作家研究』第旧号)、さらに「暁の合 唱」を継続執筆することによって職業作家としての自信をも得、そ の自信が『若い人」や.「暁の合唱」に登場する〈思想的に環境的に 異常性を帯びた〉人物(前記②文)をすっかり筋落した作品、同時 に「暁の合唱」第三部の双生児となる作品、の執筆に結びついた、 これが「美しい暦』でなかったか。 ☆
☆☆〈思想的に環境的に異常性を帯びた〉人物をすっかり筋落したの が「美しい暦』だと述べたが、正確さを欠いたものであった。美貌 で、頭がよい〈小さな虚無主義者〉(加節)の吉村春枝がこの作品 において唯一の気にかかる存在といえる。『若い人』の江波の系譜 にある人物とみられるが、江波と異なる点はこの作品には彼女を理 解してくれる他人が存在せず、全体的には孤立していることが挙げ られる。つまり、彼女は〈他人の不幸の中にのみ自分の心をひき立 たせる種を見出す呪われた子だ〉、と作者によって規定されるもの の、教師宛の心境を綴った文章は、美術教師の武井に〈これは神経 衰弱だな〉(酊節)、と一蹴されてしまう。さらにその判断は理科 教師の村尾先生の支持を得ることによって、より堅固なものとなる。 結局は、吉村の存在は作品の表面から消えてしまう仕組になってい る。もし、これが「若い人』ならば、江波の作文は間崎教師の注視 するところとなり、作品展開の重要な糸口となっていたのである。 このような吉村を除けば、この小説は徹底して戯画化された滝田 先生や朝川先生を含めて、きわめて〈健康な人間〉ばかりが登場す る。武井先生は〈大きな赤ちゃんのような人〉(4節)だし、村尾 先生や矢島には〈性格にネチネチした陰影が感じられない〉(1節)。 従ってこの作品を「若い人」と対比させて江波I矢島橋本 先生l村尾先生.間崎先生l武井圭と対照的に並立させて みることは無意味であって、石坂氏はここにおいて初めてこれら新 しい型の人物を造型した、と理解した方が妥当と考えられる。 ところで、健康で誠実な人間達が綾なす『美しい暦』の筋は単純 であり、小説的事件といえば、全三十節のほぼ真中に配置されたく 不良事件〉ぐらいのものである.この事件を除けば、武井l村尾
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あるいは田村l矢島というカップルがいつどのようにして誕生 するのかという点に興味が持たれる程度であろう。しかもそのカッ プル誕生もきわめて慎重にかつ健全に展開した挙句のことである。 それほど、この小説は単純な筋運びなのである。 従って、朝川先生が高校生を不良よばわりしたことに対する学生 側の抗議を描く十一一一節から一一十三節までのこの部分は、そういう筋 の単調さを救うのに十分の役割を果している。のみならず、田村I 矢島篠原l相川というカップル誕生へ向けての伏線を同時にな しえ、種々雑多な型の教師を紹介しつつ、そこから、たとえば次に 示すような〈真実〉を伝達するという目的も果しているように思わ れる。 働き者で、生活が安定して、法律に反するような悪事も犯さな い中年すぎた男女の中には、世の中に恐ろしいものが一つもな いという達者な心境でいる人が多いものだ。斯ういう人々は、 自分の現在に満足して、生きてる限り伸び且つ育っていこうと する大切な童心を枯らしてしまった人人だ(n節)。 なお、単純な筋運びの弊を避けるべく、この〈事件〉の設定以外 に、すでに「若い人」その他で試みられた手だが、作文や手紙、歌 詞を本文中に引用したり、作中人物(矢島)の語りによって筋を進 める手法を用いたり(6~9節)、種々の工夫を凝らしている点も 指摘したい。 ところで、そういう作者なりの工夫はそれとして、この健康で誠 実な人間達の綾なす単純な筋運びそのものが、実は作者の意図だっ たとしたら、この作品は成功作ということになるではないか。 先述①において、執筆のねらいを氏は次のように語っている。引 用が長引くが、この作品を理解する上で重要な文章と思われるので、 抜書きする。 私は「美しい暦」の中では平凡且つ健康な若い男女の生活を描 いてみようと思った。従来若い男女を描いた小説と云へば、人 物が思想的に環境的に異常性を帯びたものが多かった。その行 動にも反省にもなにかしら地につかない無理が感ぜられた。言 葉を換へて云へば小説的あまりに小説的でありすぎた。私は「 美しい暦」の中では、ちっとも小説的でない、有り触れた生活 をしてゐる若い男女の群を小説に描かうとしたのである。そし て、理窟は乏しいがキチンとした生活力を傭へてゐる日本人の 一面の姿を浮び上らせたいと思った。 この引用箇所には、当時の文遡文学を〈アブノーマルなものがに おっていて、現実をリアルな姿で把えていない。〉(昭n.1「『 垣』の外から」「三田文学」)と批判し、〈出来るだけ一般の人々を 喜ばせる小説〉(昭蛆・4「わが行く道」初出未詳、『石坂洋次郎 文庫別」所収)を理想とした氏の文学観が濃厚に表われている。従 って、〈小説的あまりに小説的〉な文壇文学よりは、〈有り触れた 生活の〉〈ちっとも小説的でない〉若い男女の生活を描いた小説の 方が遙かに単純な筋運びになるのである。そしてそういう〈平凡且 つ健康な若い男女の生活〉の中心をなすものとして、男女の恋愛と 結婚にスポットを当てている、このことは先程以来述べている通り である。 それでは、この小説にみられる〈平凡且つ健康な〉恋愛観結婚観 とはどのようなものなのか。たとえば、高校生の田村は、 僕はある年ごろまでは男は男同士、女は女同士で傍目もふらず に精一杯に生長した方がいいと考えているんです。僕達は体力 も旺んだし、異性の知合をつくると、大抵は行きすぎた間違い を起してしまうんだから、当分は成可く近づかないようにして いるんです(8節)。
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と述べて、見様によってはかなりストイックな恋愛観を語っている。 また、村尾先生も矢島に向かって、 貴女はまだ恋愛などしちゃいけないのよ・そんな書物を読んだり、 それに就いて考えたりすることは構わないけど…。その訳は、 まだ貴女は立派な恋愛が出来るほど人格が充実して居らないか らよ(6節)。 と語り、田村の発言と同主旨のことを言う。 両人の話すことを立派だと思いつつも何かふつきれないものを感 じる矢島は、しかし次第に、〈よい正しい生活は、心の骨折なしに は希めない〉という〈人生の本質に朧気ながら目が開い〉て行き、 〈私達は自分の手で立派な幸福を作り得る人間になるために修業中 なんだわ〉(型節)との認識を持つようになり、結局は田村と村尾 先生の考え方に殆んど一致する線上に到達する。 つまり、これがく平凡且つ健康な若い男女〉の恋愛のあるべき姿 だ、というのが石坂氏の考え方なのである。そして、そういう考え 方は氏の持論でもある。自からの学生結婚の体験、東北の地での教 師生活中の見聞、さらには学生の小説を審査する機会を与えられた 享等々、氏にとっての様々のプラス・マイナスの体験の積み重ねか らえた持論なのである。たとえば、「恋愛雑筆」(昭巧・1初出未 詳『私の鞄』昭嘔。u高山書院刊所収)というエッセイがある。 この中で氏は大略、次のように語っている。学生の小説を審査す る機会をえたが、学生諸君の小説は恋愛の相手の女性が書けていな い。つまり、自分の頭の中に篠いている異性に対する憧慣や理想を そのまま相手に押し被せて、実物以上の結構なものに祭り上げてい る場合がずいぶん多い。そういうふうに観念に走らず、男女の交際 は一層慎重な心がけで臨まねばならない。いたずらな恋愛讃美に社 会に害毒を流すばかりである。しかし、当事者さえしっかりしてい れば、やはり恋愛を通して結婚生活に入るのが一番理想的だし、恋 愛自体もそれを通して双方の人格が高められていくような性質のも のでなければならない。とはいえ、若い男女が相互に十分な理解を 遂げられない事由も存する。青年特有の物事を理想化して観る傾向 と共に、一般社会の風習も弊である。それについては、家族同志の 交際の輪をもっと拡げるとか、教科書に恋愛の章を設けるなど、様 々の改善策や努力が必要である。 また、「結婚の形式」(昭u・9初出未詳前記『私の鞄』所収) においても、男は二十五、六。女は一一十一、二以上位で恋愛するの が望ましく、それ以下の年令の人達は恋愛問題なぞはあまり考えな い方がよい。社会や家庭や自己に対する認識が不完全であり、周囲 の事情を無視して、盲目的な自己本位の行動をとりやすいからであ る.lと述べている. このようなエッセイの引用から判明するように、若い男女への恋 愛観結婚観の持論を小説化したものが、『美しい暦』だということ ができるのである。もちろん、そういう〈平凡且つ健康な若い男女 の生活〉は同時並行の「暁の合唱」第三部にも描かれていた。 しかし、「暁の合唱」の場合は、〈思想的に環境的に異常性を帯 びた〉人間が複数以上登場していたし、右のテーマに限ってそれを 全面的に押し出した作品としてはこの『美しい暦」が最初というこ とになるのである。のちに氏は〈私が中間小説とよばれるものを書 き出したのは、この作品が最初のもので〉云々(前記②)と回想し ているが、この回想は右の判断を支持しているのではないだろうか。 この小説に具現されたテーマは、敗戦をはさんだ七年後の「青い 山脈』へと授受され、それがヒットしたことによって氏の作家とし ての位置が新たに堅固なものとなり、次第に石坂文学の一つの大き な要を成して行くのである。そういう意味において、この『美しい
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