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結果の要旨/金沢大学大学院医学研究科

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Academic year: 2021

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ステロイド性骨壊死モデルの作成とその病理組織学 的検討 : ステロイド性骨壊死の発生機序およびア ポトーシスとの関連について

著者 加畑 多文

著者別名 Kabata, Tamon

雑誌名 博士学位論文要旨 論文内容の要旨および論文審査

結果の要旨/金沢大学大学院医学研究科

巻 平成13年7月

発行年 2001‑07‑01

URL http://hdl.handle.net/2297/15612

(2)

学位授与番号 学位授与年月日 氏名 学位論文題目

医博甲第1441号 平成12年9月30日 加畑多文

ステロイド性骨壊死モデルの作成とその病理組織学的検討

一ステロイド性骨壊死の発生機序およびアポトーシスとの関連について-

論文審査委員 主査 副査

教授 教授 教授

富田 中西 須田

勝郎 功夫 貴司

内容の要旨及び審査の結果の要旨

ステロイド性骨壊死は,骨内の虚血によって発生すると考えられているが,虚血に至る機序は未だ 解明されていない.本研究では,家兎にステロイドを投与して骨壊死モデルを作成し,ステロイド`性骨 壊死の発生機序や発生時期および血液生化学的検査値との関連について検討した.また,近年組 織の虚血と密接な関連を示すといわれるアポトーシスについても,同様のモデルを用いて検討した.

体重1kgあたり4mgの酢酸メチルプレドニゾロンを週1回ずつ,最大8週間まで投与したステロイ ド投与家兎を作成し,その骨内病理組織像を経時的に観察した.骨壊死は,大腿骨近位部,大腿骨 遠位部,上腕骨近位部の骨幹端部から骨幹部にかけて発生しており,その発生率は,4週間のステ ロイド投与でそれぞれ70%,30%,40%であった.また本骨壊死は,初回ステロイド投与後1週目より 観察でき,2週目以降はステロイドを継続的に投与してもその発生率は増加しなかった.それらの病 理組織像は,ステロイドの投与期間に応じ特徴的な所見を示す一方で,ステロイドの投与期間が延び ても,新たな骨壊死の発生や壊死範囲の拡大は認められなかった.すなわち,本モデルの骨壊死発 生時期は,初回ステロイド投与後1-2週という極めて限定した時期であり,その後継続投与されたス テロイドは,新たな骨壊死発生を誘発してはいなかった.血液生化学的な検討では,著明な高脂血 症と凝固冗進状態が骨壊死発生時期に一致して認められた.

以上の結果から,ステロイド性骨壊死は,慢性的な,あるいは繰り返し生じる虚血エピソードにより 生じるものではなく,ステロイド投与後比較的早期に起こる非再発性の急性虚血発作により生じるもの と考えた.そして,その発生機序としては,ステロイド投与により生じた急激な高脂血症が,凝固冗進 状態を引き起こし,これらを一因として骨内血管での血栓形成を促し,骨内虚血を発生させるという機 序を考えた.

一方,同様の方法で作成したステロイド.』性骨壊死において,アポトーシスの関与を検討したところ,

修復のほとんど行われていない骨壊死部周辺にはアポトーシス細胞の集籏が観察されたが,修復の 進んだ骨壊死部周辺には,ほとんどアポトーシス細胞は観察されなかった.ステロイド投与により生じ た骨内の虚血発作は,骨内細胞のネクローシスとともにアポトーシスをも誘発し,骨壊死成立に少な からぬ影響を与えていると推察した.

以上の研究結果は,ステロイド性骨壊死の病態および発生機序を解明する上で極めて重要 な知見であると考える.

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