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―特に教育雑誌『南洋教育』を中心に

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(1)

は じ め に

南洋群島関係の資料は,他の植民地関係の資料に比べ残存しているもの は僅少である。しかしそれでも,近年まとまった資料調査が行われたり1), 復刻版の発行なども少しずつ増え,資料の所在を確認したり,資料の活用 がしやすい状況が整備されつつある2)。本稿では,こうした状況のなか,主 として南洋群島の教育関係の資料に関する所在や内容について広く概観 し,南洋群島の教育研究に資するための情報提供をせんとするものである。

南洋群島の教育関係資料については,1982年に『南洋群島教育史』が復 刻されており,また,現地児童用教科書として使われた『南洋群島国語読 本』が

2006

年(全

8

巻)と

2012

年(補遺)に復刻されている。本稿では これらをふまえつつ,欠号が多く十分にまとまったものになっていない が,南洋群島教育会発行の教育雑誌『南洋教育』(1935年創刊,前身は『群 島教育研究』1927年創刊)に注目し取り上げる。南洋群島の教育関係資料 は,南洋群島全般の残存資料のなかでも特に少なく,こうした状況におい て『南洋教育』は,南洋群島での教育活動の実相がつかめる貴重な情報源 であると考える。そこで本稿では,所在の確認ができた『南洋教育』やそ のほかの残された教育関係資料を使って,

1930

年代後半の南洋群島の教育

旧南洋群島における戦前の 教育関係資料について

特に教育雑誌『南洋教育』を中心に

小 林 茂 子

(2)

事情の一端を略述することを試みたい。

以下,構成としてまず,南洋群島の教育政策を概観し,そのあと南洋群 島関係の資料の復刻状況について記す。次に,主たる教育関係資料の所在 や,教育雑誌『南洋教育』の全体的な内容について述べる。さらに,『南洋 教育』の誌面のうち,南洋庁内務部長であり南洋群島教育会副会長であっ た,堂本貞一(1936年から在任)の記事を取り上げつつ,アジア太平洋戦 争勃発直前の南洋群島の教育状況を考察する。

1.南洋群島における教育政策の概要

まず,南洋群島における教育政策に関する概要について述べておく。日本 は第一次世界大戦が起こるとドイツへ宣戦布告をし,

1914

8

月に参戦し た。同年

10

月には海軍南遣枝隊が赤道以北のドイツ領を無血占領し,同年

12

月に海軍南遣枝隊を母体とする臨時南洋群島防備隊の司令部をトラッ ク島に置き,南洋群島の統治を開始した。さらに

1919

5

月にパリ講和会 議において,旧ドイツ領を南洋群島C式委任統治領として日本が統治する ことが決定されると,日本政府は防備隊を逐次撤退させて,

1922

3

31

日付で廃止した3)。翌

4

1

日,南洋庁をパラオ諸島コロール島に設置し,

委任統治条項により「未ダ自立シ得サル人民」の「文明化」を使命とし,

委任統治が開始された。以後,日本が国際連盟の脱退を宣言した

1933

年以 降も委任統治は継続され,日本軍がこの地で「玉砕」する

1944

年までの約

30

年間南洋群島は日本の統治下にあった。

教育については,軍政期の

1915

12

月に「南洋群島小学校規則」が制 定され,満

8

歳以上

12

歳以下の児童に「修身,国語,日本歴史,地理,算 術,理科,手工,図画,唱歌,体操,農業(男子),裁縫及家事(女子)

の教科目を教え,修業年限

4

ヵ年の初等教育を行うこととなった。このと きは日本人児童と現地児童は同一の教室で教育を受け区別はなかった。ま

(3)

た,教科書として『南洋群島国語読本』(第一次)が

1917~19

年にかけて 編纂された。この教科書はすべての教科目が含まれた総合的な教科書で あった。さらに

1918

年現地児童に対し,

「南洋群島島民学校規則」が制定

された。修業年限を

3

ヵ年に改め,地理,歴史,理科の教科目が削除され たが,

2

ヵ年の補習科の設置が認められた。委任統治期になり

1922

4

月,

8

歳以上の現地児童に対し「南洋庁公学校規則」が出され,従来の島民 学校は南洋庁公学校と改称された。公学校は「国語ヲ常用セサル」児童に 教育を授けるところとし,日本人児童とは判然と区別されることとなっ た。本科

3

年,補習科

2

年(支庁所在地の公学校)の初等教育が行われる こととなったが,全授業時間の半分を日本語(国語)教育にあて,

「修身,

国語,算術」等の教科目を教えた。教科書はその後,第二次(1925~27 年),第三次(1932~33年),第四次(1937年)と改訂を重ね発行された。

1926

年には大工養成のための「木工徒弟養成所」がパラオ諸島コロール公 学校に付置され,補習科を終えた成績優秀者が入学したが,現地児童に対 する普通教育を施す中等教育機関はなかった。1937年

4

月末日現在,公学 校

25

校,児童数

3 , 133

人,日本人教員

61,現地人助教員 25

人であった4)

一方,日本人児童に対しては,1919年に制定された「南洋群島尋常小学 校規則」を廃止し,1922年

4

1

日に「南洋庁小学校規則」を制定し,増 え続ける日本人児童に対応した。南洋群島の小学校は義務教育ではなかっ たが,徐々に初等教育は拡張され,1937年

4

月末日現在,尋常高等小学校

6

校,尋常小学校

17

校,児童数

6 , 637

人,教員数

131

人となっている5)。 また,中等教育機関としてサイパン実業学校が

1933

年に,パラオ中学校が

1942

年に作られた。女子教育としては,サイパン高等女学校の前身,南洋 家政女学校が

1936

5

月に設立され,その後

1939

年にサイパン高等女学 校と改称され公立となった。1941年にはパラオ高等女学校が作られた。こ れらの中等教育機関への現地児童の入学は許されなかった。

(4)

2.南洋群島関係の復刻資料と教育関係資料の残存状況 2-1.現在復刻されているもの

軍政期,委任統治期の南洋群島関係資料については,すでに日本植民地 研究会編『日本植民地研究の現状と課題』(アテネ社,2008年)の「南洋 群島」の章(千住一)で,年代別・対象別の研究動向,

「文字史料」の所蔵

先や復刻状況,今後の研究の方向性などが詳細に整理されている。ここで は同書に依拠しつつ,文書資料の復刻状況について

2008

年以降に出たもの を加味して概観する。

まず,教育関係資料の復刻としては,南洋群島教育会編『南洋群島教育史』

(1938年刊),(青史社,1982年)と,教科書類として宮脇弘幸監修『南洋 群島国語読本 全

8

巻』(大空社,

2006

年),同『南洋群島国語読本 補遺  全

1

巻』(大空社,2012年)があげられる。南洋群島関係資料全般の復刻 については,主として以下のものがあげられる。

・ 外務省条約局法規編『外地法制誌 前編・後編』(1962年刊),文生書 院,1990年。

・ 南洋庁『南洋庁統計年鑑』(1933~44年刊),青史社,1993年。

・ 外務省編『日本帝国委任統治地域行政年報』(1920~38年刊),全

5

巻,

クレス出版,1999年。

・ 『南洋庁国勢調査報告(外地国勢調査報告第

6

輯)』(1927年,

1932

年,

1937

年,1940年刊),全

9

冊,文生書院,1999年。

・ 『20世紀日本のアジア関係重要研究資料 

3

 第

1

期政治篇

1 単行図

書資料』,第

5

巻(『南洋庁施政十年史』

1932

年刊),龍溪書舎,

1999

年。

・ 『20世紀日本のアジア関係重要研究資料 

3

 第

1

期社会一般及総合調

査篇

1 単行図書資料』,第 24

巻(『委任統治地域南洋群島調査資料』 

1

輯 南洋庁

1927

年刊),第

29,30

巻(『大南洋年鑑』上・下 南 洋団体連合会

1942

年刊),第

31

巻(『南洋協会十年史』1925年刊),

(5)

龍溪書舎,2000年。

・ 『20世紀日本のアジア関係重要研究資料 

3

 第

2

期南洋協会篇

1 単

行図書資料』,第

66

巻(『南洋協会二十年史』1935年刊),龍溪書舎,

2000

年。

・ 『20世紀日本のアジア関係重要研究資料 

3

 第

3

期旧南洋委任統治領

関係資料

1 単行図書資料』,第 79~91

巻(内,第

85

巻大宜味朝徳

『南洋群島案内』1937年刊),第

86

巻(同『我が統治南洋群島案内』

1930

年刊),第

88

巻(同『南洋群島人事録』1940年刊),龍溪書舎,

2005

年。

・ 『アジア学叢書』106(上原轍三郎『植民地として観たる南洋群島の研 究』1940年刊),112(大宜味朝徳『南洋群島案内』1939年刊),大空 社,2004年。

・ 『アジア学叢書』190(南洋庁『南洋群島写真帖』1932年刊),大空社,

2008

年。

・ 辻原万規彦編,今泉裕美子監修『南洋庁公報』(1922年

4

月~

1944

1

月刊),全

25

巻,別巻

1,ゆまに書房,2010

年。

・ 『南洋群島』(南洋群島文化協会,1935年

2

月~

1943

12

月刊),全

26

巻,追補,不二出版,2009-2011年。

・ 『日本植民地文学精選集 南洋群島編

1, 2,3,4』(丸山義二『帆船天

祐丸』,野口正章『外地』,山田克郎『炎の島』,大久保康雄『孤独の 海』)ゆまに書房,2001年。

・ 『戦前期 海外商工興信録集成 植民地編

2・その他』( 「大南洋興信

録 第一輯南洋群島編」,1938年刊),第

8

巻,不二出版,2010年。

また,大蔵省管理局編『日本人の海外活動に関する歴史的調査 第

1

巻 総論~第

23

巻総目録』(合計

11

37

冊,

1950

年刊)が,

2001

年にゆまに 書房から全巻復刻がでた(南洋群島関係は,第

12

巻〔南洋群島篇〕通巻第

(6)

20

冊,第

21

冊)。復刻に関しては,

1970

年代龍溪書舎からの復刻が大蔵省 の反対により中断となり,

1985

年に韓国国内で復刻されたという経緯があ る。また

2018

年には,南洋協会から発行された雑誌(『会報』・『南洋協会々 報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』 1915-44年刊)が復刻された(『南洋協会 発行雑誌 解説・総目録・索引』全

2

巻,龍溪書舎,2018年)。南洋協会 の南洋群島支部は

1923

5

月に設立され,同会雑誌にも数は多くはないが 南洋群島関連の記事が散見できる6)

そのほか個人の南洋群島関係の復刻では,松江春次関連のもの7),中島 敦の『全集』8),土ひじかたひさかつの『著作集』9)などが刊行されている。

2-2.残されている南洋群島の教育関係資料

既述のとおり,南洋群島の教育関係資料の復刻は,『南洋群島教育史』や 教科書類など数少ないが,防衛省防衛研究所にある軍政期統治に関するも のや,外務省外交史料館の国際連盟や委任統治に関する外交文書のなかに 教育に関するものが含まれており,各年代の教育に関する情報が得られ る。また,国立国会図書館には,『南洋群島要覧』など南洋庁関係のもの,

南洋群島協会関係のもの,個人が書いた手記,回想録など南洋群島関係の 資料などかなりの数のものが所蔵されており,そのなかから教育に関係す る資料を見つけることができる。さらに国会図書館内の「憲政資料室」に は, 資 料 群 名「南 洋 庁 公 報

(Nan’yōchō kōhō),

南 洋 庁 関 係 文 書

(Nan’yōchō Collection)の

62

巻のマイクロフィルムが所蔵されている。こ れらは米国議会図書館が作成したものであり,このなかにも教育に関する 情報がそれほど多くはないが含まれている(このうち,

「南洋庁公報」

は上 記のとおり

2010

年に復刻されている)。

さて,教育関係資料のなかでも,実際の教育活動がわかるより具体的な 教育関係資料がわずかながら残されている。まず,琉球大学附属図書館

(7)

「矢内原忠雄文庫植民地関係資料」

のなかにある南洋関係(286点)のもの があげられる。このなかには公学校の要覧類10),現地児童が書いた作文集

『日の光』11),また後述するが教育雑誌『群島教育研究』,矢内原が実際に 行った教育関係の調査結果などが含まれている。

「矢内原忠雄文庫」には

そのほか台湾,朝鮮,満洲,樺太関係のものも入っているが,南洋関係が 圧倒的に多い。

「矢内原忠雄文庫」はインターネット上で閲覧が可能であ

る。また,アジア会館内(東京都港区赤坂)にあるアジア太平洋資料室に は,故・山口洋兒氏が収集した膨大な南洋群島,ミクロネシア関係資料が 収められている12)。そのなかで教育関係の貴重なものとして,小学校や公 学校の要覧類13),教員の回想録14),公学校の教科書のほか南洋を扱った国 定教科書,そして後述する教育雑誌『南洋教育』などが収められている。

またさらに,戦前期には沖縄県から南洋群島に多数の移民が渡航した歴 史的経緯があり,そのために同県では,南洋群島の移民体験者からの聞き 取り調査や資料・写真類の発掘がさかんに行われている。特に沖縄県教育 委員会による『沖縄県史』15)には,南洋群島の教育状況を知ることができ る資料や証言が多数含まれている。また,県内の各『市町村史』には,移 民の巻を編んでいるものが多く,それらのなかからも南洋群島の地域的な 教育動向などを知ることができる。沖縄県立図書館,沖縄県公文書館には こうしたさまざまな関連の県・市町村レベルの資料が所蔵されている。

3

.教育雑誌『南洋教育』の所在と内容・特徴

以上のような南洋群島の教育関係資料の残存状況のなか,教育雑誌『南 洋教育』がアジア太平洋資料室や玉川大学教育博物館に所蔵されているこ とが確認できた。その内容について知ることは,南洋群島の教育を考える 上で貴重であり,意義があることではないかと思われる。以下では,『南洋 教育』に関する情報について述べる。

(8)

3-1.南洋群島教育会について

『南洋教育』の前身である『群島教育研究』の発行母体は,南洋群島教育 会である16)。同会は,1924年

3

24

日に皇太子成婚を記念して設立され たもので,本会を南洋庁内に置き,

7

つの支会(ヤルート,ポナペ,トラッ ク,パラオ,ヤップ,サイパン,テニアン)を各支庁に置いた。同会は,

南洋群島における教育の改善進歩を図ることを目的に設立されたもので,

その目的を達成するために,

「㈠教育に関する意見の発表,㈡教育及学芸に

関する事項の研究及発表,㈢教育学術に関する講演会及講習会の開設,㈣ 社会教育に関する施設及島民の生活改善に関する研究並其の指導奨励」17)

などの事業を行うことが定められている。

「南洋群島教育会規則」

(1937年

7

28

日一部改正)よれば,

「会長ニハ南洋庁長官ヲ推戴シ副会長ニハ南

洋庁内務部長ヲ推ス」18)としており,会則からみて官主導の教育会だとい えるが,会費を徴収する会員組織の団体である。会員は月額

30

銭の会費を 払う通常会員のほか,名誉会員,特別会員がいた。1935年

4

月末日現在の 会員総数は

506

名となっている。『南洋群島教育史』記載の最後の会長は北 島謙次郎(1936年

9

22

日就任),副会長は堂本貞一(1636年

1

24

日 就任)と記されている19)

3-2.

『群島教育研究』の所在とその内容

南洋群島教育会の教育上の意見発表機関として,

1927

9

月に機関雑誌

『群島教育研究』が創刊された。およそ隔月に発行され,支会及び各学校に 配布して教育上の資料を提供した。主に公学校の教材に関するものであ り,謄写版による印刷で,発行は

1934

年度第

23

号まで継続されたとある が20),現在その所在が確認されているものはごくわずかである。前述した

「矢内原忠雄文庫」に次頁のものが確認できた(表 1

参照)。

これらの内容をみると,一つの号に一つの内容を載せる体裁となってお

(9)

り,確かに機関誌というより教員の教材研究のための資料として発行して いる,という感じである。残存している号をみる限り,これらを教科書あ るいは教授書として発行する予定があったようであるが,何らかの理由で 発行には至らなかった。

3-3.

『南洋教育』の所在とその特徴

『群島教育研究』は教職員の専門的研究の発表が主で,あまりに専門的に 偏しているとの理由で,一般的な教育雑誌に改め『南洋教育』と改称して,

6

回発行とし

1935

4

月に創刊された。刊行がいつまで続いたかは不明 であるが,1940年

12

15

日発行までのものが確認できる。主要な記事 は,

「㈠教育に関係ある評論,研究,調査。 ㈡教育上の計画・実施,及学

校・学校経営。 ㈢児童生徒に関する調査研究。 ㈣教育その他に関する体 験・感想・随筆。 ㈤文芸作品。 ㈥注意すべき児童の作品。 ㈦教育事報,

その他」等である21)。章末の付表

1

をみてもわかるように,『群島教育研 究』より記事内容に幅がでており,教育現場の教員の声や実践内容を窺う ことができるものも含まれている。主に会員である教職員の発表機関であ

1 所在が確信できている『群島教育研究』

号 数 発行年月 記 事 名 執 筆 者

第十七号

1932

2

月 南洋群島公学校地理書 巻一

(p.1~

p.80)

佐藤碩成

(コロール公学校)

第十八号

1932

2

月 南洋群島公学校地理書 巻二

(p.1~

p.137)

佐藤碩成

(コロール公学校)

第十九号

1932

4

月 公学校農業教授書

ページ数記載なし。(p.

1

p. 146)

横山 力

(夏島公学校)

第二十号

1932

8

月 初学年に於ける国語読本学習の一

端(p.

1

p. 83)

北村わきへ

(夏島公学校)

出典:「矢内原忠雄文庫」より作成

(10)

るが,学者,名士の論説も掲載されており知識向上の機関誌でもある,と いう22)

現在所在が確認できたものは以下のものである(表

2

参照)。

2 所在が確認できている『南洋教育』

巻号数 発行年月日 巻号数 発行年月日

第一巻第二号

1935

6

25

日 第五巻第一号

1938

1

30

日 第二巻第一号

1935

7

20

日 第五巻第二号

1938

7

1

日 第二巻第二号

1935

12

1

日 第五巻第三号

1938

9

20

日 第三巻第一号

1936

1

1

日 第六巻第一号

1939

1

25

日 第三巻第二号

1936

4

1

日 第六巻第二号

1939

5

31

日 第三巻第三号

1936

10

15

日 第六巻第三号

1940

1

15

日 第三巻第四号

1936

12

25

日 第七巻第三号

1940

12

15

日 第四巻第一号

1937

1

25

出典:章末の付表1より作成

創刊号は残念ながら未発見であるが,第一巻第二号の編集兼発行人は金 井新吉で,印刷所は東京市神田区となっている。残存の限りではあるが,

編集兼発行人は第三巻第二号から高橋政吉に替わっている。印刷所は東京 のときとパラオのときがあるが,パラオのときでも印刷設備の関係で写真 銅版だけは東京へ送り,仕上げはパラオの印刷所でするという方法を取っ た。東京の場合は特に発行が遅れ気味であり,年

6

回発行は果たされてい なかったようである。

1

でも述べたように,南洋群島での教育は現地児童に対するものと日本 人児童に対するものと二つの教育体系が認められ,公学校・小学校間の児 童の移動,交流はごく一部の例外を除いてはなかった。しかし,教員には 公学校・小学校間での人事異動があり,公学校では助教員と呼ばれる現地 人教員と一緒に教育活動を行っていた。

(11)

『南洋教育』には公学校,小学校両方の教員の論稿が掲載されており,そ れぞれの学校ならではの現場の事情や教員の考えなどを知ることができ る。例えば,公学校で使用する教科書『南洋群島国語読本』について,

「国

語読本を思い切つて平易にするのが得策ではあるまいか」(

「公学校読本に

於ける文字と仮名遣について」第

2

巻第

2

号,以下

2-2

と略記する,

p. 15),

「……やさしい国語を普及徹底させることが,公学校読本当面の任務では

あるまいか」(同上,2-2,p.

13)との現場からの意見が述べられている。

また助教員については,

「助教員養成所の必要はないであらうか。……手

工,農業などの実科については,殊に助教員の伎儞を期待してもよいと思 ふ」(

「公学校教育に関する雑感」1-2, p. 29)などといった要望が書かれて

いる。一方,小学校については,児童数の急増により教員不足,教室不足 の訴えがあり,また「将来各校に高等科の併置さるべきは児童並父兄の多 年の要望たり」,

「中学校,女学校尚上級学校に学ばしめんと望む者多数あ

り」(

「小学校教育の最近の情勢」 1-2, p. 50)といった進学に関する要望や,

気候,環境,僻遠の地など内地との差異を考慮する必要があることを説い ているもの(

「群島に於ける小学校教育の特質」 2-2, p. 8)などがみられる。

さらに,

「彙報」や「編集後記」からは,細かな教育に関する情報も知る

ことができる。例えば「彙報」(1-2,pp.69-70)には,チヤランカノア小 学校に新たに高等科が設置されたこと,昭和

10

年度は小学校に

15

学級の 増加があったこと,昭和

10

年度新規採用訓導は志願者が殺到し東京で採用 試験を行い,欠員補充

5

名と

20

名が内定したこと,南洋興発株式会社が教 室の建設費を寄付する申し出があったことなどが記されている。教員の採 用や教員の異動などといった教育行政全般を管轄する学務課が南洋庁には 設置されておらず,

「編集後記」

(6-1,p.120)では学務課新設の希望切な るものがあると書かれている(しかし,結局学務課が設置されることはな かった)。

(12)

このように『南洋教育』は官主導の教育会から発行されたものではある が,教員からの投稿も多く,教育現場の実際の様子を知ることができる貴 重な内容が含まれている。しかし,1930年代後半になると日本精神を謳っ た記事が少しずつ増えてくるようになる。

4.1930

年代後半『南洋教育』の記事内容から

4-1.南洋群島教育会副会長・堂本貞一について

堂本貞一は

1893

年大阪府で生まれ,1916年東京外国語学校独語科を卒 業し,文官高等試験に合格後逓信省に入省した。朝鮮総督府の事務官など を経て,1936年

1

24

日南洋庁内務部長に就任した23)。同時に前述のご とく「南洋群島教育会規則」により,同会副会長の職にも就いた。

堂本の著作物は多数あり,『朝鮮の税調』(1930年),『世界の日本史論稿』

(1931年),『大公経綸論』(1937年),『支那事変処理と南方政策』(1940年)

などの著書のほか,複数の雑誌に多くの投稿記事を残している。そのなか で残存している『南洋教育』には全部で

6

本の記事がみられる24)。また,

堂本は南洋群島文化協会の副会長,南洋群島産業協会の理事も兼任してお り,その関係からか雑誌『南洋群島』には

42

本の記事を寄せている25)

また,意外な点として,堂本は中央大学との関わりが深かった。1939年

12

月発行の『中央大学々報』(第

65

号)に土方久功の論稿「ヤップ離島サ トワル島島民の慣習」が載っている。この掲載の経緯について『学報』の 編集部は,

「過般同庁(南洋庁のこと

引用者注)内務部長たる本学員会南4 4 4 4 4 洋支部理事4 4 4 4 4堂本貞一氏の御寄稿を煩はしたところ」(傍点は引用者),堂本 から土方の論稿が学報掲載原稿として送られてきたと述べている。当時土 方はサトワル島から戻り南洋庁の嘱託をしており,土方の体験について堂 本は「民族学的に見て……学員諸賢の御参考資料と相成る可しと考へ居り 候」と書簡に書かれていたという26)。こうした記述から堂本は中央大学の

(13)

学員会南洋支部の理事でもあったことがわかる。中央大学は,

1937

年パラ オに学員会南洋支部を創立しており,翌年には学員会南洋支部サイパン分 会もつくられていた27)。おそらく堂本はパラオの学員会南洋支部に属して いたと思われるが,どのような経緯で中央大学学員会理事に就いたのか遺 族にも話を聞いたが,今のところ不明である。今後さらに調べを進めたい。

4-2.開戦前夜の南洋群島の教育

日中戦争後南洋群島でも,国家総動員法の施行があり,在郷軍人会や愛 国婦人会による祝賀記念日の行事,南京などの「陥落祝賀提灯行列」,国防 献金の奨励や物資節約などの運動が展開されていた。このような時局の変 化のなか,堂本は,1938年

1

30

日発行『南洋教育』の「海國精神の振 起」(5-1)という記事のなかで,次のように述べている。

「……経済圏の確保を全うし,国力培養の根基を固める基礎工作の一

つとして,南洋群島の南方発展の拠点たる地位を強化することは,事 変後の新情勢に対応する為めの緊要事である。(中略)所謂島国根性を 一洗して,大いに海國精神を振起し,南洋群島の重要性に対する挙国 一致の確認を期することが其の第一前提であると思ふ」(p.

3)。

このなかでは「海の生命線たる我が南洋群島に在る会員諸賢よ」と呼び かけ,南洋群島の軍事面のみならず,経済的な重要性をも強調している。

さらに

1939

2

20

日,堂本はパラオ支庁管内学校長会議で訓示をし,

緊迫しつつある情勢のなかでの群島教育の指針と教職員の心構えについて 述べた内容が『南洋教育』に掲載されている(

「時局と群島の教育」6-2,

pp. 3-11)。

1940

5

9

日には南洋庁から

「南洋群島開発調査委員会再開ニ関スル

件案」がだされ,時局に対する計画案が示された。そのなかで教育に関す る案では,

「邦人教育」では「南進ノ第一線ニ立ツ有為ナ人材ノ養成」を,

(14)

「島民教育」では「島民ヲ皇民化スルヲ要諦ト」することが謳われ,各種学

校の新設,学級の増加など大幅な施設の充実や社会教育の拡充などが計画 された28)。また時局に見合った改訂を試みようと,第五次公学校教科書の 編纂計画も進められた。しかしながら,施設の充実について実現できたの はパラオ高等女学校(1941年)とパラオ中学校(1942年)の新設だけであ り,第五次公学校教科書は結局発行されなかった29)

日米開戦の機運が徐々に高まるなか,確認できる『南洋教育』の最後の 号は「教育勅語渙発五十周年記念号」(7-3,1940年

12

15

日)である。

この号では南洋庁長官・近藤駿介の「教育勅語渙発五十周年を迎へて明 治天皇の御盛徳を偲び奉る

」をはじめ 5

人の南洋庁関係者の教育勅語に 関する講話を載せ,また「教育勅語渙発五十周年記念ニ於ケル各支会ノ行 事報告」,

「官幣大社南洋神社鎮座祭概況」の記事が添えられている。これ

らをみると,パラオをはじめ南洋群島各支庁において教育勅語に関する行 事が行われていたことがわかる。戦争勃発直前,委任統治の内容は大きく 変容させられており,もはやなんの躊躇もなく,

「皇民化」教育が強力に推

し進められたことを『南洋教育』は物語っている。

お わ り に

このように南洋群島の教育は軍政期を経て,委任統治期では当初あくま で現地住民の「物質的及精神的幸福竝社会的進歩」を増進するという委任 統治の名目のもと4 4 4 4 4展開された。しかし,

1933

年に国際連盟からの脱退宣言 を表明した後は,35年の正式脱退,さらに

38

年以降,国際連盟の常設委 任統治委員会に年次報告書を提出する義務を停止し,連盟との事実上の断 絶といった経緯のなかで教育内容も変容し,

「日本化」

さらに「皇民化」が 推し進められた。そして日米開戦後戦局の悪化により,

1943

9

月大本営 は「絶対国防圏」を決定し,南洋群島は絶対確保すべき圏の内と外に二分

(15)

された。同年

11

月には,六支庁を三支庁に統合し,南洋庁長官,支庁長に 初めて現役軍人がすえられて,軍事体制がさらに強化され,民間人の動員 も始まった。

『南洋教育』は欠号が多く,その内容全体を吟味検討するには十分な状態 とはいえないが,南洋群島のこうした統治政策を反映した,特に

1930

年代 後半の変容していく教育内容を,教育の現場からより具体的に知ることが できる資料であるといえる。

以上述べたごとく,南洋群島の教育関係資料は,他の植民地の教育資料 に比べ残存しているものがきわめて僅少であり,また,当事者からの聞き 取り調査なども難しい状況に入っているなか,今後どのように研究を進め ていくことができるのか。その研究方法を考えることがこれからの重要な 課題となってくる。そのためにも既存の資料を活用しつつ,より広範な視 野を持って,関連分野からの幅広い資料収集・発掘を進めていくことが今 後さらに必要であると考える。

1)  例えば,沖縄県教育委員会発行の『史料編集室紀要』(第 28

号,2003年)に

所収されている「旧南洋群島関係資料所在について」(屋比久守・福薗宣子)の 論文では,南洋群島に関する県内,国内,海外にある資料の所在を調査し,そ の報告をまとめている。

2

)  例えば,アジア歴史資料センター(Japan Center for Asian Historical Records:

JACAR)により,外務省外交史料館,防衛省防衛研究所戦史研究センター,国

立公文書館の資料は現在インターネット上で閲覧できる。

3)  南洋群島の統治形態は,1914

10

月の占領から約

8

年間の軍政期と,1922

4

月から開始される委任統治期に分かれる。しかし,実際は軍政期から引き 続いて横須賀鎮守府の管轄であり,またパラオには在勤武官府が置かれていた。

4)  南洋群島教育会

『南洋群島教育史』(1938年刊),青史社,1982年復刻,

pp.796-797。

5)  同上,pp. 794-795。

6)  1915

年に南洋協会が創設され,

1923

5

月に南洋群島支部が設置されて,機 関雑誌『南洋群島』が

1935

1

月から刊行された(創刊号は

1935

2

1

(16)

発行)。その後

1937

12

月に南洋群島文化協会と南洋群島産業協会が創られ,

南洋協会南洋群島支部の事務と『南洋群島』の刊行は,南洋群島文化協会が行 うこととなった(同上,pp.

444-445)。

7)  松江春次『南洋開拓拾年誌』(1932

年刊),

沖縄県史研究叢書 13,沖縄県教育

委員会,

2002

年復刻(影印本)。そのほか南洋興発株式会社関係のものが同年,

ゆまに書房から復刻されている。

8) 『中島敦全集』の最新版は,2001~2002

年に筑摩書房から

1~3,別巻,月報

がでている。特に『中島敦全集

3』には,第五次公学校教科書の編修書記とし

ての中島のメモやコメント類が含まれている。

9) 『土方久功著作集』(全 8

巻),三一書房,1990~1993年が刊行。また,須藤

健一,清水久夫編『土方久功日記』(Ⅰ-Ⅴ),国立民族博物館,

2010~2014

年も 刊行された。

10) 例えば, 「南洋庁メタラニウム公学校要覧」

「南洋庁マルキョク公学校一覧」

南洋庁ヤップ公学校「学校要覧」,南洋庁コロール公学校「本校概況書」,南洋 庁サイパン公学校

「学校経営便覧」

「南洋庁ガラルド公学校一覧」

などがある。

11)  雑誌『日の光』は,恩賜財団奨学会から毎年 2

回刊行し,公学校卒業生に無

償配布し,創始から昭和

10

年までの発行部数は,第

1

号から第

16

号まで

48 , 000

部となっている(前掲書,『南洋群島教育史』pp.

427-429)。しかし,残存して

いるのは第

1

号~第

10

号(ただし第

2

号と第

5

号は欠号)となっている。

12

) 山口洋兒『日本統治下ミクロネシア文献目録』,風響社,

2000

年を参照。

13) 例えば,小学校の学校要覧としては, 「南洋庁サイパン尋常高等小学校」

(1938年),

「南洋庁パラオ尋常高等小学校」

(1939年,

1940

年)などがある。

14) 例えば,田中準一『風来坊先生滞南記

或る教師の南洋群島生活記録』,和

師翠交会,

1986

年。同『カナカの子らと共に―続風来坊先生滞南記―』,和師 翠交会,1988年などがある。

15) 例えば,財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部史料編纂室『沖縄県史 資

料編

15 旧南洋群島写真資料(上) 近代 4』,沖縄県教育委員会, 2002

年。同

『沖縄県史 資料編

17 旧南洋群島関係資料 近代 5』,沖縄県教育委員会,

2003

年。同『沖縄県史 資料編

18 キャンプススッペ(和訳編) 現代 3』,沖

縄県教育委員会,

2004

年。同『沖縄県史ビジュアル版

9

近代② 旧南洋群島と 沖縄人テニアン』,沖縄県教育委員会,

2002

年などがあげられる。

16) ただし,残存している 4

つの号の表紙には「南洋群島教育研究会」と記され

ており,

「南洋群島教育会」との関係は不明である。

17) 前掲書,『南洋群島教育史』,p.436。

18) 同上,p. 439。

19) 同上,p. 443。

20) 同上,p.437。

21) 同上,p.437。

(17)

22) 同上,p.437。

23

)  『戦前期 海外商工興信録集成 植民地編

2

 ・その他』(

「大南洋興信録 第

一輯南洋群島編」,1938年刊),第

8

巻,不二出版,2010年,p.

284。

24)  「就任に際して」

(3-2,1936年

4

1

日),

「海王丸を迎えて」

(3-3,1936年

10

15

日),

「年頭辞」

(4-1,1937年

1

25

日),

「海國精神の振起」

(5-1,

1938

1

30

日),

「年頭祈願」

(6-1,1939年

1

25

日),

「時局と群島の教

育」(6-2,1939年

5

31

日)の

6

本である。

25) 内容については,『南洋群島 解説・総目次・索引』,別冊 1,不二出版,2010

年,p.(

14

)の「堂本貞一」の項目を参照。

26) 『中央大学々報』(第 65

号),中央大学,1939年

12

月,p.

3。

27) 中央大学百年史編集委員会専門委員会『中央大学百年史 年表・索引編』,中

央大学,2004年

12

月,p.244,p.254。

28) 1935

10

月に南洋群島開発調査委員会は答申書を拓務大臣に提出し,それ

により連盟脱退後の統治方針を含んだ「南洋群島開発十箇年計画」が樹立され た。しかし,日中戦争勃発により「……殊ニ事変処理ト対南方方策ノ施行トガ 不可分ノ関係ニ在リ」との認識から南洋庁は

1940

5

9

日に

「南洋諸島開発

調査委員会再開ニ関スル件案」をだし,改めて南方方策の立案がなされた(

「緒

言」p.

1)。そのなかで日本人の学校教育に対しては初等教育,中等教育,実業

教育,高等教育,師範教育と幅広く施設の確立が計画されており,現地人の教 育に対しては公学校のほか中等教育機関をも構想していた(pp.

48

-

68

)。しかし 本文に記したように,実現したのはわずかであった。

29) 第五次公学校教科書の編纂を担当したのが中島敦であった。中島は教科書編

修書記として

1941

6

28

日から翌年

3

17

日まで南洋群島に滞在し編纂の 業務にあたったが,帰京後辞表を提出し,また時局の悪化により第五次公学校 教科書は発行されることはなかった。滞在中の中島の動静については,川村湊

『中島敦 父から子への南洋だより』,集英社,2002年を参照。

(18)

付表

1 

『南洋教育』の総目次(所在が確認できているもの)

巻号数 発行年月日 主な記事題名 執筆者

第一巻第二号 口絵:

•  テニアン島に於ける南 洋興発製糖工場

•  可愛いサイパン幼稚園

•  サ イ パ ン 島 の 小 学 生 の楽手達

運動会 ポナペ島ナンマトール

△  の遺跡愛らしいマーシャルの

△  少女達赤煉瓦のウォッヂェ公 学校

1935625

(玉川大学教育博物館)

編輯兼発行人:金井新吉 発行所:南洋群島パラオ 南洋庁庶務課内 南洋群 島教育会

印刷人:東京市神田区旅 籠町二丁目十二番地 靑田 伊祏

印刷所:東京市神田区旅 籠町二丁目十二番地 廣業

巻頭言…教育家の信念 1

日本民族の向上性 2 大木富士雄 建国精神を指導標として  5 田制佐重 開拓精神の必要と其の涵養に就

て  7 渋谷大夢(チューロー小学校)

今後の公学校教育  13 光谷常三(マルキョク公学校)

宗教教育 17 入澤宗壽(文学博士)

青年学校に対する私見 附 青 年学校令条文  19 齋藤民治

公学校教育に関する雑感  27 高橋政吉(トラック島)

新しきもの  30 梅津隼人 時局偶感  32 児玉九十 合科教授の思出  36 森岡常藏 米人記者プライス氏と語るの記 

38 一記者

開拓者  42 楚人冠

最近のテニアン島事情  44 羽山吉藏(テニアン島)

サイパン管内小学校教育の最近

の情勢  48 谷川儀六(サイパン尋常小学校)

我が校の一日 51 小山田庄平(サイパン公学校)

ナンマタールの遺跡に就て 56 桐山丑五郎(マタラニューム公 学校)

「チャモロ」の語源に就ての一

考察  61 S生

教育講談 奉天戦の乃木将軍  63 溪石生 彙報  69

編輯室  70 第二巻第一号

口絵:•  キチー公学校のラジオ 体操

•  大正六年頃のトラツク 島民学校

•  ロタ島のさき

•  木工生徒の実習

1935720

(玉川大学教育博物館)

(アジア太平洋資料室)

編輯兼発行人:金井新吉 発行所:南洋群島パラオ 南洋庁地方課内 南洋群 島教育会

印刷人:パラオ諸島コロー ル島 石井春吉 印刷所:記載なし

巻頭言 植民観念の再検討  1

教育と宗教との関係  3 鶴藤幾太(神宮皇学校教授)

家庭教育に於ける母子の関係  10 細井次郎 教育家としての新渡戸博士  24 前田多門 其の子女の教育問題の解決なし に日本人の移殖民発展はあり得 ない 38

岡部常太郎

日本魂をどうする 43 池田覚次郎 教育所感-役に立つことの教育 

47 弘田秀夫

神と人間との間  52 石渡昭二 私の島民教育に対する心持  56 高橋政吉 群島の教育を築きし人々  83 S・K生

南方移民地の事情  87 佐藤善次郎(神奈川県公立女学 校長)

文苑 奮へ国民  98    和歌  99   俳句  99

ヤップ民情  100 生松英夫 我南洋の土俗工藝について  103 染木 煦 童話 醜い顔と賢い知恵  108 野々山草人 小話 日光見物  112 陶山正樹 小話 盗人を拵へぬ法  114 草壁雲山

(19)

巻号数 発行年月日 主な記事題名 執筆者 口絵の説明  82

編輯室  115 第二巻第二号

口絵:

•  飛行機上より視たるパ ラオ諸島コロール島

•  南洋庁サイパン尋常小 学校

193512月1

(玉川大学教育博物館)

(アジア太平洋資料室)

編輯兼発行人:金井新吉 発行所:南洋群島パラオ 南洋庁庶務課内 南洋群 島教育会印刷人:東京市神田区旅 籠町二丁目十二番地 靑田 伊祏印刷所:東京市神田区旅籠 町二丁目十二番地 廣業館

教育所感(二)宗教教育につい

て  2 弘田秀夫

群島に於ける小学校教育の特質 

8 指村寅治(サイパン尋常校)

公学校読本に於ける文字と仮名

遣について13 高橋政吉(トラック島)

精要算法中の問題について  20 下村すゑ(南洋庁公学校訓導)

南洋の子供と早教育  39 金子夏子(テニアン島カーヒー 小学校官舎)

雑誌「日の光」について  43 高橋政吉(トラック島)

クサイ島に於ける教育者の生活 

47 関 謙一郎

エボン島の事情  54 松下兼守(私立エボン公学校)

南洋群島と少年団運動  74 磯 稔(大日本少年団連盟公認 指導者)

ポナペ島民の奇習  80

チャモロの語源に就て  87 山崎 宏(サイパン医院)

アンガウル音頭  89 編輯後記  90 第三巻第一号

口絵:

•  元旦

•  日本精神

•  南洋小学児童の祖国遙

193611

(玉川大学教育博物館)

編輯兼発行人:金井新吉 発行所:南洋群島パラオ 南洋庁庶務課内 南洋群 島教育会

印刷人:東京市神田区旅 籠町二丁目十二番地 靑田 伊祏

印刷所:東京市神田区旅籠 町二丁目十二番地  廣業館

巻頭言…群島開発計画と王道精 神  1

南方経営と人類学  2 八幡一郎 朗読指導の系統案的考察  6 竹中長理 国史教育の道徳的取扱  13 板倉榮吉 ヤップ島学童の智能測定  22 及川淳太郎 トラック島々民のスポーツ精神

に就いて  29 久保利男 原始的社会の諸相  31 川原次太郎 南方移民地の事情  36 佐藤善太郎 台湾旅行の印象  44 S・K生 マーシャル諸島ウオツヂエ島事

情  47 板谷黄平

郷土教材解説㈠ 珊瑚礁に関す

る解説  61 編輯部

教育断想  65 眞橘生 國のひな歌  67 西田楠雄 サイパン尋常小学校々歌  72

雑録  74 編輯室  75 第三巻第二号

口絵:

•  サイパン尋常小学校  御真影奉安所

•  アラバケツの祠

193641

(玉川大学教育博物館)

(アジア太平洋資料室)

編輯兼発行人:高橋政吉 発行所:南洋群島パラオ 諸島コロール島南洋庁地 方課内 南洋群島教育会

巻頭言  1

就任に際して  2 堂本貞一(副会長)

御真影を奉載して  6 谷川儀六(サイパン)

南洋庁教育事務研究の序論  8 宇宿行郷(パラオ)

小学校舎並に設備に就て  28 増沢重之(サイパン)

寄宿舎の研究と我が校に於ける

経営  46 田中準一(ポナペ)

秀才と其の教育に就て  61 深谷秀雄(ヤップ)

土語に表はれたる島民心惟  70 山口祥吉(トラック)

(20)

巻号数 発行年月日 主な記事題名 執筆者 印刷人:パラオ諸島コロー

ル島官舎 石井春吉 印刷所:パラオ諸島コロー ル島  南洋庁財務課印刷所

児童教育私観と書方による教育 

86 川島勝太郎(テニアン)

教育妄語  89 白浪子(サイパン)

読書余録  90 高橋政吉(パラオ)

バベルダオブ吟行誌  99 西田楠雄(パラオ)

俳句(南洋雑,ビール,西瓜) 

103 花榔子吟社(パラオ)

彙報 104 編輯室  104 第三巻第三号

口絵:

•  彩帆神社

•  トラック島クツワ教会

193610月15

(玉川大学教育博物館)

編輯兼発行人:高橋政吉 発行所:南洋群島パラオ 諸島コロール島南洋庁地 方課内 南洋群島教育会 庁地方課内 南洋群島教 育会印刷人:パラオ諸島コロー ル島官舎 石井春吉 印刷所:パラオ諸島コロー ル島    南洋庁財務課印刷所

巻頭言  1

海王丸を迎へて  2 堂本貞一(パラオ)

公学校児童の特殊性  6 竹中喜作(パラオ)

宗教に於けるヤップとパラオの

比較 11 深谷秀雄(ヤップ)

サイパン支庁管内人口地理の

二,三  25 中丸壽郎(サイパン)

医院とパラオ  33 西田楠雄(パラオ)

情操教育資料としての詩歌の位

置  54 戸田 一(ヤップ)

南洋の俳句  59 金子鐡嶺(テニアン)

公学校児童と家庭 67 光谷常三(パラオ)

南洋とヴァイオリン  73 村田丈夫(パラオ)

島民教育に関する研究(教育研

究報告) 77 鎌田専之助(パラオ)

俳句 105 花榔子吟社 彙報 106

編輯室  107 第三巻第四号

口絵:

•  コロール公学校 

―コロール島所在

•  カトリック教会 

―コロール島所在

193612月25

(玉川大学教育博物館)

編輯兼発行人:高橋政吉 発行所:南洋群島パラオ 諸島コロール島南洋庁地 方課内 南洋群島教育会 印刷人:パラオ諸島コロー ル島官舎 石井春吉 印刷所:パラオ諸島コロー ル島    南洋庁財務課印刷所

巻頭言  1

教育所感(公学校国語教育の問

題)  2 弘田秀夫(パラオ)

島民の固有文化に対する心理的

考察  9 竹中喜作(パラオ)

ヤルート支庁管内島民の国語 

30 ジャポール公学校研究部(ヤ

ルート)

童話研究(どんなに話すか) 38 垂永文彦(サイパン)

尋常小学校に於ける唱歌指導に

就て  50 堀内静弘(ヤルート)

小学校に於けるトラホーム,結

膜炎治療に就いて  63 淵 募(テニアン)

児童の食物に就て  85 吉田昇平(ポナペ)

南方移民地の事情(承前)  94 佐藤善治郎(神奈川県)

ジャワ島の邦人教育  100 小墻龍一(ヤルート)

ロタ島事情  102 高木三郎(サイパン)

朝三題  108 西田楠雄(パラオ)

コロール俳景  110 南 窓(パラオ)

編輯室  112 第四巻第一号

口絵写真:

•  会長,副会長

•  パラオ島占領記念樹

1937125

(玉川大学教育博物館)

(アジア太平洋資料室)

巻頭言  1

年頭辞  2 堂本貞一(副会長)

児童と国語  3 大越長吉(サイパン)

国語科に対する私見と実際  16 吉岡 巧(ポナペ)

(21)

巻号数 発行年月日 主な記事題名 執筆者

   編輯兼発行人:高橋政吉

発行所:南洋群島パラオ 諸島コロール島南洋庁地 方課内 南洋群島教育会 印刷人:パラオ諸島コロー ル島官舎 石井春吉 印刷所:パラオ諸島コロー ル島    南洋庁財務課印刷所

公学校低学年に於ける読方指導

に付きて  23 岩崎全策(ヤルート)

児童の道徳的意識について  28 鈴木正雄(テニアン)

作法教育について  32 飯島 松(テニアン)

算術教育の本質  34 永原元信(ヤップ)

手工科に於ける児童の訓練  39 高坂啓二郎(トラック)

我が校の脚長測定  43 半場良平(サイパン)

唱歌科を通じて  46 山下清雄(サイパン)

子供の心身発達に適合する玩具 

52 茨木重彦(ポナペ)

具体性より観たる当地の幼児の

遊び  60 佐久間郁子(ヤップ)

南洋に於けるカルシウム分の多

き食物  62 岡田和也(ポナペ)

植民地に於ける児童の趣味  64 駒沢鐡三(パラオ)

群島の子供に読ませたき本  67 森本英満(東京)

マーシャル群島に於けるムカデ

二新種  70 板谷黄平(ヤルート)

ヤップ風俗  72 大橋節三(ヤップ)

スペイン時代に於けるポナペ島

民の反乱に就て  78 相川徳太郎(ポナペ)

東印度の邦人教育(二)  83 小墻龍一(ヤルート)

医院とパラオ(承前)  97 西田楠雄(パラオ)

大連より来りての感想  106 横尾中三(パラオ)

アラカベサン吟行  109 花榔子吟社(パラオ)

編輯室  116 第五巻第一号

写真:

•  トラック尋常小学校    児童のエレン海岸に於

ける写生

•  ポナペ島コロール  公学校寄宿自習

•  ヤルート島ジャポール    公学校網製作指導の実

1938130日

(アジア太平洋資料室)

編輯兼発行人:高橋政吉 発行所:南洋群島パラオ 島コロール町南洋庁内務部 地方課内 南洋群島教育会 印刷人:パラオ島コロー ル町 石井春吉 印刷所:パラオ島コロー ル町 アサヒ印刷所

巻頭言  1

海国精神の振起  2 堂本貞一(副会長)

南洋群島の実業教育  6 田村有年(サイパン)

日本に於ける図画科の使命  10 松尾隆成(東京)

第七回世界教育会議参加報告書 

14-44 山本時治(パラオ)

指村寅治(サイパン)

菅原宗助(テニアン)

熱帯に於ける子供の遊び  61 飯島 松(テニアン)

ロバート・ローガンを憶ふ  63 山口祥吉(トラック)

トラック島民の信ずる亡霊に就

て  70 山崎 央(トラック)

教育研究会記録  76 吉岡 巧(ポナペ)

滞京雑録  86 宇宿行郷(パラオ)

宮古島民の国際美談  100 辻野永教(テニアン)

マンゴー讃辞  102 蟻坂帰羊(パラオ)

花榔子吟社アルミズ吟行記  104 編輯室  110

第五巻第二号 写真:

•  サイパン実業学校(サ イパン島)

•  秋島カトリック公教学 院修道尼(トラック島 秋島)

193871

(『南洋群島国語読本 補遺』掲載)

編輯兼発行人:高橋政吉 発行所:南洋群島パラオ島 コロール町南洋庁内務部地 方課内 南洋群島教育会

巻頭言  1

最近の南洋群島  2 北島謙次郎(会長)

新国語読本指導後の感想  22 山崎 央(トラック)

島民混血児童の知育と体育の研

究  44 茨木重彦(ポナペ)

群島教育雑感(三) 48 稲  喜蔵(トラック)

参照

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