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一 関 東 地方 一 金 子 一 夫*

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(1)

一 関 東 地方 一

金 子 一 夫*

(1988年9月12日受理)

Drawing Teachers of Secondary Schools in the Meiji Era(皿)

Kazuo K油EKO

(Received September 12,1988)

1.は じ め に

本稿はr茨城大学教育学部紀要』第37号(1988)およびr茨城大学教育学部教育研究所紀要』第 20号(1988)に発表した同題の論文(1),(2)に続くものである。関東地方の明治期の中等学校の図画 教員の勤務状況を,網羅的に明らかにすることを目的としている。ただ,関東地方の全県の図画教 員について発表することは紙数の関係でできないので,埼玉県と神奈川県は(4)にまわし,極端に学 校数の多い東京府は次年度の発表にまわすことにした。

前稿と同じように本稿でも各県ごとの図画教員勤務一覧表を示し,各学校ごとに簡単な説明をつ くる提示方法をとっている。

2.茨 城 県

茨城県の明治期中等学校図画教員の勤務の特徴は,これといってない。図画教員の勤務期間が比 較的長い学校もあれば,短期間で交代してしまう学校もある。西洋画系の図画教員もいれば,日本 画系の図画教員もいる。なお,茨城県高等学校教育研究会美術工芸部編r茨城県高等学校美術教育 のあゆみ』(昭和53年)という小冊子があり,そこには明治時代に限らず,昭和53年までの県下の 高等学校(中等学校)の図画・美術教員の変遷がグラフで示されていて参考になった。ただ,大体 の勤務期間が線で示されているだけなので,勤務期間は別の資料で調査した。また,同書には,特 に明治期の図画教員に対しては不明になっている部分も多かったので,そこを埋めるように努力し たつもりである。

茨城県師範一既に発表した「明治期師範学校図画教員の研究」の同校の部分につけ加えるべき,

新たな発見はないが,飯塚忠遠と建部元一郎はr彰技堂門人帖』にも名が記されていることがわかっ

*茨城大学教育学部美術科教育研究室.

(2)

たD。建部の部分だけ紹介する。「(明治)十二年六月五日,牛込区金銀町三十一 静岡県士族 建部元一郎(保証人 同所建部興)」とある。飯塚,建部とも,本多錦吉郎に短期間就いたものと 思われる。

茨城県女子師範一茨城県水戸高等女学校と教員を共有し

;懸灘灘舞1鶴麟溝海一購の勤獺は『水戸一高百年史』(昭和53年)服灘欝獣讐認

G糞鷺{撫灘∵ll欝欝難噺フォンタネージ在任時代はずつと図学のクラスであつたので綴緊篶, 藩

それ以上の段階は,サン・ジョヴァンニに学んだ。サン・ジ1慨         器∵飢る

・ヴァンニは非常に厳しい人であり,lll路の取得し驚業証鰍笠 ジ編鞍        .・ゼ :七

書にもそれが表れている。そこには「風景専門画学生川路新     哺 ザ饗恥 吉郎氏ハ風景初歩ノ画ヲ善ク勉強セリ然レトモ写生ヲ為スニ

      第1図 建部元一郎デッサン(個人蔵)ハ尚数年間ノ修業ヲ要ス」とある。つまり,まだ模写をせよ

ということなのであるが,厳しすぎる感じもする。

藤枝碩三の経歴は不明である。次の丹羽林平は山本芳翠や黒田清輝に学び,東京美術学校西洋画 科撰科を卒業した。黒田の天真道場の主事を務めたこともある。水戸中学在任中,生徒であった辻 永に西洋画に進むきっかけをつくった3)。大橋三平の経歴も不明であるが,明治三十九年の大日本 絵画講習会発行の会員制洋画講習雑誌r洋画講義録』第四号に第二等として,作品が掲載されてい る。住所は小田原である。おそらくこのような通信教育や講習会で修業した人ではないかと思われ 驕B

y浦中学一明治十七年に茨城第二中学として創立され,図画担当は大矢透であると想像される。

しかし,明治十九年の中学校令によって一県一中学制になったので廃校。明治三十年再び設置され る。勤務期間は土浦第一高校その他の資料から推定。福田芳紀は第二中学に学び高等商業学校に入 るが中退し,第二中学時代の恩師である大矢透に洋画・日本画を学んだ人である。福田の後任から は東京美術学校西洋画科卒業の教員が続く。速水不染は東京美術学校卒業直後の勤務,その後東京 で植物園の画工や駒沢中学の図画教員を勤めた。r生活の詩化』 (洵交社,昭和六年)をはじめ,

多数の著作がある。

石田益敏は最初,亘理寛之助,大野幸彦に学んだ後に,明治美術学校入学。明治二十七年卒業後,

浅井忠に就いた。明治三十一年浅井が東京美術学校教授になると,石田も西洋画科撰科に入学し,

明治三十三年七月卒業。石田は土浦中学在任時代にr茨城県立土浦中学校画手本』(明治45年)と いう教科書を作っている。著作兼発行者は土浦の有力者で銅版印刷もした知久市櫻となっているが,

表紙にM.Ishidaのモノグラムがあるので,内容は石田の著になるものであることは間違いない であろう。

(3)

下妻中学一勤務期間は下妻第一高等学校の教示その他によって判明。坂本与吉は少年の時上野 介圃や伊藤弥六に学んだ人。荒川雄四郎については栃木県大田原中学の項で述べる。移川三郎は,

浩哉と号し,東京美術学校卒業の日本画家。粟野保次郎は明治三十七年下妻中学卒業で,移川や坂 本雲谷(恭),吉岡班嶺(芙蓉)に日本画を学び千秋と号した4)。明治三十八年に下妻中学助教諭 心得になっているが,最初は数学,地理を担当し,移川の転任後,図画を担当したらしい。坂本雲 谷や吉岡班嶺にいつ学んだかは不明。粟野は勤務しながら,通信教育で日本画も学んでいる。

太田中学一一勤務期間は太田第一高等学校の同窓会名簿の旧職員表を参照。大越信雄はその旧職 員表にないが,r庁府県学事職員録(明治三十四年八月現在)』の太田中学の項に,体操と図画担 当の助教諭として記されている。ただ,図画専門ではなかったと思われる。本多孝吉は経歴不明で あるが,明治三十四年本多天城(佑輔)との共著でr実験毛筆画帖」を出版している。芳雪と号す 日本画家であった。共に本多姓なので縁者ではないかと思う。和田義三について不明。ただ,大正 二年九月に横須賀中学に就任しているので,それ以前に太田中学を離任しているはずである。

龍ケ崎中学一勤務期間はr茨城県立龍ケ崎中学校一覧』(明治41年)所収の旧職員表およびそ の他の資料参照。東京美術学校日本画科,図案科出身の教員が比較的短かい期間で次々に勤務する。

中に小場恒吉のように後に紋様学の大家になった教員もいる。

水海道中学一勤務期間は水海道第一高等学校のr六十年誌』 (昭和37年)および同校済美同窓 会r創立70周年記念会員名簿』(昭和45年)の旧教員表,および水海道第一高等学校の教示による。

坂本与吉の経歴は下妻中学の項で述べた。『庁府県学事職員録』によれば,図画の他に体操も兼担 していることがわかる。荒川雄四郎,平島信と不同舎出身者が続く。不同舎の入門がほぼ同期なの で交流があったのであろう。松田俊夫はたまたま見たr大阪現代人名辞書』 (大正2年)に収録さ        なりつぐ

黷トいた。土浦出身で,上京し,松本楓湖や白馬会(研究所)に学ぶとある。巌本生次は父巌本円 嶺に学んだ人で,円崖と号する日本画家である。酒泉真一は水戸出身で南画を松平雪江に学び,明 治三十年東京美術学校日本画科撰科に入り二年まで修業。川端玉章等に学んだとされる。5)

水戸高女・茨城県女子師範一勤務期間はr水戸二高七十年史』 (昭和45年)所収の旧教員表に よる。岡吉胤は変った経歴の持ち主で,松本竜之助r明治大正文学美術人名辞書』(大正15年)に よれば,佐賀藩家臣で維新後神紙官に入り,後伊勢神宮禰宜となる。さらに皇祖教を創立し管長,

大教正になったという。r美術倭画論説』(明治28年)他多数の著作がある。歴史画も描いたとの ことであるが,絵は誰に就いたのかは不明である。飯田芳文は最初ニコライ神学校に七年間学んだ が6),絵画に転向し,津島耕南等に学ぶ。閑窓堂主人と号す。ニコライ神学校にいつ頃学んだかは 不明であるが,笠間出身の山下りんに会っているかもしれない。

土浦高女一図画担当者名および勤務時期は,当時の中等学校職員録を参照。ただ,最初の三教 員は図画が専門ではないらしく,多数の担当教科の一つとして図画を教えている。江川茂利から図 画専門教員となる。江川は茨城県師範出身で建部元一郎に最初学ぶ。後東京に出て日本画の大家と なり,武村と号する。その後任は酒泉真一。

県立(水戸)商業一勤務期間はr水商六十年史』(昭和37年)の旧教員表を参照。坂本与吉に ついては,水海道中学の項で述べた。福田芳紀は土浦中学の項で述べたように大矢透について絵を 学んだ人。福田は大正2年から水戸高女に転任するが,そこでは習字担当であった。

(4)

3.栃 木 県

栃木県の明治期中等学校図画教員の勤務の特徴は比較的勤務期間が長いことである。

栃木県師範一前の「明治期師範学校図画教員の研究」の栃木県師範の項と違うのは,明治十年 からの部分に横山剛五郎を加えたことである。前稿ではr小学画手本附録』(明治13年)の著者で ある平野長富を図画教員と推定したが,その後r小学画手本』を見ることができ,その画者が横山 剛五郎であった。それゆえ,横山を加えた。ただし,横山の経歴は不明。

栃木県女子師範一谷錬太郎は師範との兼務。浜中の離任時期は明確ではないが,大正前期には 他の学校へ転勤している。

宇都宮中学一勤務期間はr宇高同窓会名簿』の旧職員表による。石原亀治,浦井紹三郎は師範 との兼務。浦井は明治26年に中学専任となり,明治28年頃糸井と改姓している。浦井は工部美術学 校でフォンタネージ,サン・ジョヴァンニに学び風景画生であったが,明治16年1月まで在学して 修業証書を得たかどうかは不明。r(宇都宮高等学校)八十年誌』 (昭和33年)に浦井が出題した と思われる明治二十二年の図画の試験問題が紹介されている。それによると「剥製狸の実写」とあ る。後任の鷹田其石は東京美術学校特別の課程出身である。同課程は図画教員のための課程である が,先のr八十年誌』によればストライキにあったらしく短期間で辞職。よほどこりたらしく,以 後教職についていない7)。r日本画道』(健文社,昭和10年)という著がある。後任の渡辺は鷹田

と同じ出身で同期生であるが,十四年近く勤務。

栃木中学一矢野知蔵の勤務年月は栃木高等学校よりの教示による。松前釧、三郎の勤務は別の勤 務校に提出した履歴書より判明。松前は宇都宮中学の糸井紹三郎に洋画を,菊地愛山に日本画を学 んだ人で楓渓と号す8)・。矢野知蔵の経歴等は不明であるが,後に片柳と改姓。

真岡中学一勤務期間はr(真岡高等学校)八十年史』所収の旧教員表を参照した。田口は東京 美術学校卒業の日本画家。森脇は中丸精十郎に学び同門の大下藤次郎らと交流があった人である。

柴田節蔵は松井昇,岡田秋嶺に学び鉛筆画,毛筆画両方の免許状を取得し,その後は和田英作に学 んだ。八木利八は経歴不明。

佐野中学一勤務期間等は佐野高等学校の教示及びr栃木県立佐野高等学校八十年史』(昭和58 年)の記事による。森川より前の教員は図画が専門ではないらしい。森川,三井と東京美術学校西 洋画科撰科卒業生が続く。森川は大正七年に死亡してしまうので経歴等はっきりしない。三井は最 初,在原古玩や小堀靹音に学び日本美術協会展覧会で褒状を受けたこともあるが,西洋画に転向し たり。そして佐野中学に三十年近く勤めた。

大田原中学一勤務期間その他資料は大田原高等学校および荒川雄四郎遺族の教示と協力による。

荒川雄四郎が赴任する前の明治35年は,『庁府県学事職員録』によれば校長尾河鉄太郎が図画を担 当したらしい。もちろん,尾河は図画が専門ではない。明治36年4月に図画専門の荒川が着任する。

荒川雄四郎(明治8.12.4〜昭40.3.6)は茨城県出身,東京で松本楓湖,久保田米倦に日本画を学ぶ。

帰郷して小学校の教授雇を経た後,下妻中学水海道分校の図画教員となる。在勤のまま夏休みに小 山正太郎の不同舎で洋画を学ぶ。その後はずっと不同舎流の洋画を描いた。下妻中学本校,分校に 勤務した後,太田原中学に転勤,ここに昭和七年まで約三十年勤務した。尊敬された教員の一人で,

現在大田原高等学校玄関に銅像がある。また,同校には荒川の指導した生徒作品綴『丹青帖』(明

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治40,41年),r図画成績集』(明治43年)が残る。それらを見ると荒川の指導内容が推定できる。

小山正太郎のr中等画学臨帖』第一編(明治28年)や浅井忠のr彩画初歩』 (明治29年)の模写も あるが,静物(石膏像,野菜,動物剥製等)の鉛筆素描,風景の不同舎流の鉛筆素描の後に,静物 や風景の水彩,そして植物や風景をモチーフにした図案というのが基本的な指導順序であったよう である。当時の生徒作品は残存例が少ないので貴重である。

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@ 碇購硫 第2図 荒川指導の生徒作品(明治40年) 第3図 荒川指導の生徒作品(明治40年)

私立下野中学一勤務期間は当時の中等学校職員録等より推定。同校は現在の作新学院の前身で ある。金沢はr彰枝堂門人帖』に明治19年入門として名がある。おそらく短期間学んだのであろう。

その後,明治29年東京美術学校に西洋画科が設置されるとそこに学んだ。亀山金次郎は青木香髄,

木田寛栗に学んだ四条派の日本画家である。ただ,大正中期頃は習字担当になっている。

宇都宮高女一明治九年に設立しそのまま存続した,女学校としては稀な学校である。勤務期間 等は宇都宮女子高等学校の教示及び別な勤務校に提出した履歴や中等学校職員録を参照した。師範 との兼務である生出亀之進は不同舎に学んだこともあるが,日本画に転向した人で,明治三十一年 r一筆画手本』という教科書を宇都宮で出版している。谷錬太郎は大正期に新図画教育会の理論家 となる人である。いつ頃かは不明であるが,宇都宮在勤時代に岸田劉生が谷に水彩画を学んだらし い1P)。安藤,大久保の経歴等は不明。

栃木高女一勤務期間は栃木女子高校の教示による。富山愛太郎は修業歴等不明であるが,毛筆 画教員免許状を取得した人なので日本画専門と思われる。榎本省三も東京美術学校日本画科出身の

日本画家。

佐野高女一勤務期間等は佐野女子高等学校の教示による。小林は多くの担当教科の一っとして 図画を教えたので,図画専門ではないと思われる。花曲義平は図画教員養成を目的にした東京美術 学校図画師範科卒業なので,図画を専ら教えたと思われる。

栃木県立工業一勤務期間は足利工業高等学校の教示による。植松謹蔵は図画と同時に図案の授 業を担当したらしい。植松謹蔵はr小山正太郎先生』 (昭和9年)所収の門人名簿の十九番目にあ

る人なので明治十二年頃十一会研究所に学んだと思われる。それ以前の明治十年に埼玉県師範に就 職しているので,既に画学の心得があったと推定される。植松は明治十九年に長崎県師範学校に転

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勤する。その時の関係文書が長崎県立図書館所蔵県庁文書にある。小山正太郎の紹介状などととも に,「植松謹蔵 三十四年 横浜在留英人ゲルート申者二画学ヲ学ビ…(後略)」と記された文書 があった。内容は明治十年以前のことと思われるので,最初期に外人から洋画を学んだ人になる。

その他一以上の他に栃木県には,私立宇都宮女学校に下野中学と兼務の亀山金次郎(明治40頃),

足利高女に井上良介(明治44頃,東京美術学校日本画科明治38年卒業),私立中学烏山学館に秋山 任(明治44〜大正元年,東京美術学校図画師範科明治44年卒業)などの図画教員がいた。

4.群 馬 県

群馬県は明治三十年に多くの中学分校ができ,かつその分校にも図画教員が配置されたので,充 実した印象を与える図画教員勤務の状況になっている。

群馬県師範一前稿「明治期師範学校図画教員の研究」では林盛太郎の退職を明治三十七年とし たが,その後の明治三十九年まで勤務したらしいので1⇒,その分を表に付加した。

群馬県女子師範一林は師範との兼任。野尻は女子高等師範技芸科卒業で,家事,体操などと共 に図画も担当。草間も家事,裁縫を兼担している。

前橋中学一勤務期間は前橋高等学校よりの教示による。山口彦二郎は北海道師範の項で既述。

飯塚,林と高橋由一門下が続くが,明治三十二年よりはずっと東京美術学校日本画科卒業生が続く。

川村孝は東陽と号し,大正期にr図画教育通信』を発行し,図画教育の啓蒙運動に尽した人である。

沼田中学一群馬県尋常中学利根分校として創立。飯田万吉,生方金良,渡辺周之助についての 経歴ははっきりしない。ただ,生方は日本画を描いたらしい。中村重吉は後の倉田白羊で,浅井忠 に学び,東京美術学校西洋画科撰科に入学して引続き浅井に就いた。鈴木雪哉は川上栄次郎とか金 次郎とも称した人で,東京美術学校日本画科卒業で寿山と号した。西洋画も研究したらしい。鈴木 隆二は経歴等不明であるが,図画担当は当時の中等学校職員録より確実である。

高崎中学一群馬県尋常中学校群馬分校として創立。勤務期間その他は高崎高等学校の教示およ び同校同窓会名簿所収の旧教職員表を参照。芳賀金登は瀧和亭に学び,明治二十二年群馬県の特選

生となり東京美術学校に入学するが,二十四年に退学。当然毛筆画の教員である。永沼富英は近藤      、

読雨や荒木寛畝に学んだ。佐藤豊は大山東皐や岡田秀に学び,その後東京美術学校図画講習科で半 年間学んだ人である。伊勢徳之助は生巧館で山本芳翠に学んだ。

高崎中学安中分校一最初群馬県尋常中学碓氷分校として創立,次いで高崎中学安中分校となり さらに明治四十五年高崎中学に吸収された。小林一意は群馬県館林の出身で東京美術学校絵画科卒        たのうち ニの日本画家であるが,川村清雄に学んだこともあるらしい吻。青木一の経歴は不明。田内千秋は 郷里高知で楠永直枝に就いた後上京し,不同舎に学んだ。

富岡中学一最初群馬県尋常中学甘楽分校として創立。勤務期間等はr富岡高校七十五年史』

(昭和45年)および,r(富岡高等学校)同窓会名簿』(昭和52年)を参照した。柿山蕃雄は東京 高等師範学校附属小・中学校に転勤し,教育的図画の確立に寄与する。森喜一は,金沢で佐々木泉龍 や市村才吉郎に学んだ後,荒木寛畝に就いた。角田政成は川端玉章に学んで玉明と号した日本画家。

船越茂伝治との共著r国民毛筆臨画帖』(明治33・34年)がある。大山圭三郎の経歴はわからないが

(7)

明治三十一年に鉛筆画の図画教員免許状を取得した人である。的場白峰は旧名を直次郎といい,金 沢出身で石川県工業学校や野口幽谷に学ぶ。美術協会展覧会で何度も受賞している。石野監蔵は角

田と同じ川端玉章門下で玉倦と号した。

藤岡中学一最初群馬県尋常中学多野分校として創立,明治三十四年藤岡中学となるが,三十八 年富岡中学藤岡分校となり,四十五年に再び藤岡中学となる。勤務期間等は藤岡高等学校の教示お よびr藤岡高校八十年史』 (昭和50年)を参照した。芳賀,永沼,的場と他の中学や分校との兼務 者が続く。いずれも,その項で説明した。的場は一時本校を兼務する形になっている。

太田中学一群馬県尋常新田分校として創立。明治三十三年太田中学となる。勤務期間等は太田 高等学校の教示による。分校時代の図画教員は不明。関口固一郎は明治初期図画教育の代表的な人 物であった山岡成章に明治二十年から二十七年まで学ぶ。ただ,山岡は明治二十年代は日本画を専

ら描いていたらしく,関口が明治三十五年に取得した教員免許状も毛筆画のであった。

太田中学邑楽分校一明治三十四年に創立されるが,四十五年に廃校。勤務期間その他の資料に        ゆきちか

ツいて太田高等学校より教示を受けた。また,前田千寸の勤務期間はr館林高校五十年史』 (昭和 51年)二十二頁所収の資料を参照。斎藤,五十嵐,川島らは,当時の中等学校職員録によれば多数 教科を担当しているので図画が専門ではないと思われる。前田千寸は後年色彩文化史研究で名を知 られる。邑楽分校在勤の明治四十三年から色彩文化の研究を始めたという13)。東京美術学校日本画 科卒業であるが,在学中不同舎にも入門するという変った経歴をもっ14)。現在,太田高等学校に当 時の邑楽分校の各科進度表が残っていて,前田の年間題材構成がわかる15)。その検討は別稿に譲る が,写生,臨画,考案画をバランスよく配し,二学年末から三学年は主に用器画という題材構成に なっている。

群馬県立高女一勤務期間その他は高崎女子高等学校の教示による。群馬県には明治十五年から 十九年まで県立女学校があり,師範学校教員の林盛太郎がヴィーア・フォスター画手本を使って図 画を指導したゆ。直接には県立高女につながらないのであるが,表中に記入しておく。県立高女の 最初の図画教員は,女学校で教えた林盛太郎。次の村井ヨシ(よ志)は女子高等師範学校卒業後,

さらに共立女子職業学校入学し,図画科及裁縫科を卒業するという篤学家であった。荒木米は荒木 月畝と言った方がわかりやすい。郷里,足利で古川竹雲,上京して荒木寛畝に学んだ。退職後,女 流画家となった。

桐生織物学校一勤務期間は当時の中等学校職員録を参照した。長沢時基は米習と号し,高橋由 一,小林習古,キョソネに学んだという切。天絵社門人牒には長沢達三という名があるが,時基と 同一人かどうかは不明。表にはしなかったが,山田郡立桐生高女の教諭も兼任。また,群馬県図案 調製所長にもなった。大橋郁太郎は最初,岡山の松原三五郎の天彩学舎で西洋画を学んだ後,東京 美術学校特別の課程を卒業,長く東京府師範学校に勤めた人である。

伊勢崎染織学校一小林一意は高崎中学安中分校の項で既述。有元轍三郎は五村と号す,東京美 術学校絵画科の第三回卒業生である。染織学校では図画も教えたが,主に図案を教えるのが彼らの 仕事であったのではないかと思われる。なお,同校は,明治三十八年桐生織物学校に吸収合併され

て廃校となる。

その他群馬県では,前橋市立高等女学校(明治43年創立,明治45年県立移管)には,師範学校の 岡田啓蔵が兼任で図画を担当している。

(8)

5.千葉県

千葉県の明治期中等学校図画教員の勤務の特徴は特にないが,千葉中学の堀江正章がよく知られる。

千葉県師範一前稿「明治期師範学校図画教員の研究」と変更なし。ただ,亘理寛之助の経歴とし て大野幸彦の大幸館で学ぶ前に,神戸の前田吉彦や明治十八年から十九年にかけて東京の番町美術学 校に西洋画を学んでいることが判明した。

千葉県女子師範一勤務期間はr千葉県女子師範学校一覧』 (明治40年)その他を参照した。師範 との兼務である井上良慶は橋本雅邦に就いた後,東京美術学校絵画科卒業。新潟県出身であり,前に 井上円了設立の京北中学創立時の教員であったので1的,円了の縁者と思われる。常川は女子高等師範 卒で多数の教科を兼担している。

千葉中学一勤務期間はr千葉高校同窓会名簿』の旧教員表を参照した。ただし,松室重剛と亘理 寛之助は別な勤務校に出した履歴によって訂正した。この松室,亘理とそれ以前の宮島,小代は師範

との兼務である。宮島,小代も師範の勤務時期と少しずれていて不自然である。おそらく,どちらか の誤記ではないかと思われる。堀江正章は工部美術学校でサン・ジョヴァンニに学んだ。人物画専攻 であった。例の修業証書を取得し,そこには「画学生堀江正章氏ハ天然物ヲ巧二模写シ充分二解剖学 ヲ修メリ故二油画ヲ修ムルヲ得今後数年ノ練磨ヲ経バ他日名家タルヲ得ヘシ因テ之レヲ弦二保証ス」

とあるらしい19)。サン・ジョヴァンニとしては最高に近い評価と思われる。松室,亘理,堀江と大野 幸彦の関係者が続いて図画教員となった。サン・ジョヴァンニや大野とは違い,堀江は温厚な教師で

あったらしい2°)。

佐倉中学一勤務期間はr(佐倉高等学校)創立八十周年記念誌』(昭和58年)所収の旧教員表を 基礎にし,その他の資料で補正した。私立中学時代の図画担当者は不明。県立中学になってから最初 の図画教員である藤崎阿曾吉の経歴も不明であるが,免許状からすると西洋画を学んだ人であ乙。石 田益敏は県立土浦中学の項で,田内千秋は群馬県高崎中学安中分校の項で既述。横井俊造は,田内と 同じ不同舎の出身。旧姓を広瀬といい,不同舎に入る前に秋田中学図画教員の岡忠精に学んでいる。

佐原中学一勤務期間は佐原高等学校の教示による。松原鉢三郎については栃木県栃木中学の項で

既述。

大多喜中学一加藤の勤務期間は,宮城県図書館所蔵県庁文書中の履歴を参照。有賀の勤務期間等 については大多喜高等学校の教示を受けた。加藤は灘賀県師範の出身,そこで図画教員井汲陸次郎の 指導を受けたものと思われる。免許状も鉛筆画のである。有賀は東京美術学校図画講習科終了で毛筆 画系の教員である。

木更津中学一勤務期間等については木更津高校の教示を受けた。根岸は図画が専門ではないと思 われる。笹森は橋本雅邦や野崎如洋に就いた。当然毛筆画系の教員である。松川久次郎は岡田秀に学 ぶ。免許状は毛筆画と鉛筆画両方を取得している。江島,浜中と東京美術学校卒業の教員の後に富山 愛太郎が勤務。富山については栃木高女の項で既述したが経歴不明。

成東中学一勤務期間はr(成東高等学校)創立六十周年記念誌』(昭和38年)所収の旧教員表を 参照した。塩野友弥の経歴は不明。千葉真弓については山形県山形中学,大瀧謙治については同県鶴 岡高女,有賀(武川)については大多喜中学の項で触れた。

安房中学一勤務期間はr(安房高等学校)創立八十年史』 (昭和58年)所収の旧教員表を参照し

(9)

た。明治三十四年十一月に中田清が赴任するまでは,図画が専門でない木川又吉郎,天野三也が分 担して受持ったらしい。小室哲蔵は秋田県出身だが経歴等不明。同じ秋田県出身で図案研究で有名 な小室信蔵の縁者と思われる。

銚子中学一最初県立中学として設立されるが,明治三十九年組合立となり,四十二年創立の銚 子商業学校に移行していき四十四年に廃校となる。信太の勤務期間は当時の中等学校職員録を参照。

信太儀太郎の経歴は不明。雑誌r図画教育』第9号の「会員の動静」に死亡とあるので,三十九年 頃亡くなったと思われる。金子忠順もやはりr図画教育』の何回かの同記事を総合すると,明治三 十八年には愛媛県松山市在住,三十九年に上京,そして四十一年一月に銚子中学に赴任したことが わかる。銚子商業高等学校の教示によれば,愛媛県師範卒業後,小山正太郎に学んだ人らしい。

千葉高女一勤務期間は当時の中等学校職員録,雑誌r図画教育』の「会員の動静」等を参照し た。今田は東京美術学校日本画科卒業の図画専門の教員だが,日本史や数学など多くの教科を兼担 した。有元については群馬県伊勢崎染織学校の項で既述。島田友春は,山口出身の学者島田蕃根の 嫡子で安田老山,河鍋暁斎に就いた後,清国に渡り銭吉生沈心海に人物画を学ぶ。帰国して東京美 術学校に学ぶ。卒業後は,東京美術学校の予備校である共立美術学館長等を経て,三十一年,東京 美術学校助教授。三十四年休職し,女子美術学校,東京女子美術学校など女子美術教育に関り,自 らも三十六年四月,日本女子美術学校を設立する2オ。後に平凡社を創立する下中弥三郎なども経営 に協力していたが,経済状態悪化のため,明治四十年,福島甲子三に経営を依頼し,手を引いた23)。

島田は女子美術教育に私財をかけて尽力した人であった。

東金高女一勤務期間等はr東金高校の歴史・1』を参照した。明治四十一年頃は成東中学の関 口源次郎に作文と図画を兼担してもらい,四十三年から太田,藍野と東京美術学校図画師範科卒業 生が勤務する。

私立松戸中学一最初千葉中学松戸分校として創立されるが,三十九年私立松戸中学となり,四 十二年廃校。その後地に高等園芸学校が設立される。英,福井ともに経歴不明。福井は代数も担当

しているので図画専門ではないかもしれない。私立中学になってから水谷,川野と図画専門教員と なる。川野は大分県出身で小学校に勤務しながら図画教員免許状(毛筆画)を取得している24)。一 方大日本絵画講習会のr洋画講義録』の会員作品公募に応じ賞を得るなど水彩画も学んでいる25)。

私立成田中学一勤務期間等は,成田高等学校の教示及び当時の中等学校職員録による。河原崎,

鶴田,関と東京美術学校日本画科卒業の図画教員が続いた後は,京都市立美術学校絵画科卒業の星 加伝七が勤務する。山形の経歴は不明。

私立大成中学一最初,私立長生学校等として発足し,明治三十四年私立大成学館,四十四年私 立大成中学となる。現在の長生高等学校の前身である。勤務期間等は,当時の中等学校職員録及び r(長生高等学校)創立八十年史』(昭和47年)の記述を参照した。渡辺の経歴等は不明である。

長生高等学校の教示によれば武田は大成中学の前身長生学校の初代校長であるらしい。

その他,千葉県にはいくつかの学校があり1図画担当者がいたが,いずれも勤務期間,経歴等,

はっきりしない。

(10)

1)東京国立文化財研究所所蔵故隈元謙次郎氏筆写本。

2)鈴木兎園r茨城教育家評伝』 (茨城教成社,1914年),40−41頁。

3)辻永「美術学校生活」 (アトリヱ社『画学生の頃』昭和5年,所収)。

4)帝国絵画協会『帝国絵画名鑑』(同会,1917年5),22頁。

5)弘文社『茨城人名辞書』(弘文社,1930年)

6)鈴木兎園,前掲書。

7)鷹田其石「余の画家生活」r書画骨董雑誌』第55号,1912年,30−31頁。

8)日本美術年鑑編集部『日本美術年鑑』 (画報社,1912年),291−292頁。

9)日本美術年鑑編集部,前掲書,392−393頁。      ・ 10)岸田劉生r岸田劉生全集』第6巻(岩波書店,1979年),「日記」大正10年6月12日の項を参照。十三,

四年前のことと岸田は言っているので,その数字を信用するなら,明治四十年の頃のことになろう。

11)保田鐙次郎「我が校の過去現在及未来」『(群馬県師範学校)校友会雑誌』第23号,1913年.

12)日本美術年鑑編集部,前掲書,319頁。

13)前田千寸rむらさきくさ』 (河出書房,1956),同『日本色彩文化史』 (岩波書店,1960年,1983年複 刻)。

14)『不同舎入学謹書』によれば,明治三十四年一月入門。東京美術学校には三十三年九月に入学している。

15)太田高等学校及び同校中山邦隆氏の好意によって知ることができた。

16)r前橋女子高校六十年史』上巻(同校,1973年),42−48頁。

17)日本美術年鑑編集部,前掲書,222頁。

18)東京都(公文書館) r東京の中等教育二』 (東京都,1974年),73−93頁。

19)東京都公文書館所蔵旧東京府学務課文書所収の履歴を参照。

20)r(千葉高等学校)創立百年』(千葉県立千葉高等学校創立100周年記念事業期成会,1979年)所収の卒 業生たちの回想記を参照。

21)『庁府県学事職員録一明治三十四年八月現在』(金港堂,1901年)

22)東京都公文書館所蔵旧東京府学務課文書所収の履歴を参照。

23)不忘会r(附録)福島晩晴翁』(同会,昭和17年),300−313頁。なお,福島に引継がれた同校は,私 立日本女子技芸学校と改称し,さらに明治44年に東京市に寄贈され,市立第一実科高等女学校と改称,さら に忍ケ岡高等女学校となった。

24)雑誌r図画教育』第7,9,11,13,15号の「会員の動静」欄を参照。

25)r洋画講義録』第7号(明治39年4月)に第七回募集の第三等として,川野の水彩風景画が掲載されてい

る。

(11)

明治5 6  7  8 9  10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33卜34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 一

10. 15.4 16.10 19,2/8

大14.

茨城県 1 大矢透(天絵社)1 飯塚忠遠   松本富五郎 建部元一郎(彰技堂,川村清雄)

師 範 (天絵社, 彰技堂) (彰技堂)

38.4  ,

R8.12 大9.1

茨城県落q師範 岡吉胤 飯田芳文

(師, 津島耕南)

11.8 15.4 16.10 19,2/8 26.3 30.5 32,8/9 37.12 40,4/5 大1L4

水 戸

?@学 大矢透

(天絵社)   飯塚忠遠  松本富五郎 i天絵社,彰技堂)(彰技堂)

建部元一郎 (彰技堂, 川村清雄) 川路新吉郎 i工美画16.1)

藤枝碩三  丹羽林平 i東美西選31.7)

37.5−10岩鼻正修

@ 1鱒「(東美西選37.7)

大橋三平@E 1

岡田信利 「 i l

17.8 19. (廃校) 32.10 36,4/8 40.5 昭5.1

土 浦

?@学 大矢透  福田芳紀i師.大矢透)

@      1

  ●エ田竹二郎  速水不染 i東美西33.7)(東美西36.7)

@        }

 石田益敏 i東美西選33.7)

5

 1i廃校) 31.9   32.10   34.4−12     1S0.9 大5.9

下妻?@学

 1      ,

@福田芳紀  坂本与吉    移川三郎 i師.大矢透)(師.上野介圃  1

(東美日

@  ひ

33.7)

刀。験 帽■夢

 〆鱒 1粟野保次郎(師.

@    1

移川三郎)

P

1 1荒川雄四郎 38.9 1

34. 35.3 大.

太 田

 ●蜑z信雄 ・本多孝吉 和田義三

中 学

34.4 37.4−10 39辺40ユー104L4 久保田誠次郎(東美図案32!7)

龍ケ崎

?@学 河原崎謙吉30.7)

      小場恒吉 i東美日    鵜殿長庚(東美図案(同37・

@     (東美絵272) 367) 1人見鉄三(同394)

森垣8 穰辮:1412黙懸)

1

大2.3

33.4  PR4.4−12 36.4 [ 3&4 ≧03 41.3 』大3

水海道

?@学 1 5 1         巳笆{与吉荒川雄四郎平島信 松田俊夫 巌本生次 酒泉真一

i師.上野介圃)  (不同舎)(白馬会研究所)(師巌本円嶺)i

(師,松平雪湖

1 荒川雄四郎(不同舎)1  「  l  I  l l  l l 券?C)

i 33.4 1 1ゴ38,12 1 1− 1 昭5.3

水 戸 岡吉胤『 b飯田芳文(師.津島耕南)

高.女 i i ll l   ・ 1

i

.1↓1 44. 大3.

土 浦古

 ●ikエみどり   1燒?竚b 高松幾代 江川茂利

同 女 1 1 1 (茨城県師39)

5 11.−12 36.3

i

45.4

県 立、 業 1 坂本与吉「 福田芳紀(師.大矢透) 44.

1

(師上野介圃)

@l  l

i 新井清吾(京高工41)       醒

第4図 茨城県の図画教員勤務一覧

(12)

●十●一鯛1●●

栃木県

t 範 林盛太郎 横山剛五郎 石原亀治(師.山岡成章) 浦井詔三郎(工美画)

i糸井)

生出亀之進(不同舎) 谷錬太郎(東美特25,7)   

S1.4

・ 須貝敬二 i東高師図手41)

9.6 平野長富 15.12 17.6 i

 臨R7.4 41.5 大.

栃木県 谷錬太郎 浜中半三郎

女子師範 (東美特25.7) (東美日29.7)

@ l l

.      1

16,317,4/5 31.5 32.111331 大2.3

宇都宮

?@学  石原亀治i師.山岡成章)

@     1

浦井詔三郎 i糸井)

(工美画) 鷹田其石

i東美特25.7)

渡辺織衛 (東美特25.7)1

31.4 34.4 昭9.1

L 栃 木

?@学  松前針三郎

i師. 糸井詔三郎)

矢野知蔵

34.5 36.9 373 38.5 40.10 44.10

真 岡

o

田口鎌三郎 森脇英雄 柴田節蔵 八木利八

中 学 (東美絵29.7) (師.

@【

中丸精十郎) (甑松井昇岡田秀)i    i   I         I

i

36.4匹 40.5 昭9

佐 野 1

森川松之助 三井由太郎

中 学 1 (東美西選35.7)

堰@l

(東美西選367)

1

   lk3a4 昭7.3

大田原 尾河鉄太郎 荒川雄四郎(不同舎)

中 学 (校長)

私立コ 野

?@学

金沢悌次郎 i東美西34.7)

@}

亀山金次郎 (師. 木田寛栗)

@ 1

28.4 3L6/8   33.3 34,8/9 大2,3

宇都宮 i 生出亀之進 谷錬太郎 安藤カネ 大久保長

高 女 1 i (不同舎)

P { 1

(東美特2昌・7)l       l

1

1 35.4 40.4 大2.9

栃 木

a@女

i

(師.

富山愛太郎

@ 岡田秀) 幽 40.1 榎本省三 (東美日

P

40.3)

i  ■S0.4 大2

佐 野

a@女

3

 小林平三郎

i栃木県師30.3) 45.4 大2.8鱒

1 花曲義平

(東美師45.3)

私立宇都宮 亀山金次郎

女学校 (師.

@1 木田寛栗)@   1

2き.4 44.9 大8.4

県 立 植松謹蔵 (師. ゲール, 小山正太郎) 矢部芳隆

工 業 (京高工図案)

第5図 栃木県の図画教員勤務一覧

(13)

群馬県

t 範 武居基一郎 (天絵社) 林盛太郎(天絵社) (師.印藤真楯)岡田啓蔵

r 10.4 36.12 1 [

 1R5.4 37.2/4 41・

zL

群馬県落q師範 林盛太郎i天絵社)

@  1

野尻くに i女高師技)

草間鏡

12.11 15.8 16.10 19.3 1・α・

32,4/5 33,3/4 34,4/5 36,4/5 a22 45.4

大3 前 橋

?@学 i工美画11.11)山口彦二郎

@    1一

 飯塚忠遠 i彰技堂,天絵社)

@  1

1 林盛太郎 (天絵社)  渡辺啓三 今田直策i松藤恒吉(東美日30.7)(東美日30.4)

川村孝 (東美日 35.7)   森田静也

i東美日4α3)(東美日l  l

清家恕

@ 31.7)

30.4 32.4 34,8/9 37.4 3&5 40.4 40.1 1

●i 沼 田

?@学 飯田万吉

生方金良 中村重吉

(東美西選34.7)(東美日 鈴木雪哉

@ 30.7)

鈴木隆二

i山梨W鵬謝飯田万吉

30.4 32.5/10 33,3/5 37.5 40,5/6

大元10一大6

同 崎

?@学 永沼富英@荒木寛畝) 3  小林一意i東美絵28.7)

i

佐藤豊 i東美修)

 伊勢徳之助 i師.山本芳翠)

P

 牧野佐武 i東美日38.7)

・31.5 34.3 36.1 141β1 (廃校)

高崎中学 小林一意 青木一 八重畑逸蔵 田内千秋

安中分校 (東美絵28.7)1      … (青森県師2&3)

@1

(不同舎)

1 1 @1

31.3   I       i

R2」233.5/9 35.51 1 40.4 4a4/5 i 45

1

晶 岡

?@学  柿山蕃雄 森喜一i東美日30.7)(師. 荒木寛畝)

角田政成(師,川端玉章)

@ ●一」一_」_●i

 乾長光 i東美日

    的場白峰 Rα7)(師野口幽谷)

 石野監蔵 i師.川端玉章)

l l 35.7大山圭三郎137.11 1

30.4  32.5/10 39,3/4 大6.3

藤 岡 芳賀金登 永沼富英 (師. 荒木寛畝) 的場白峰(師. 野口幽谷)

中 学 (東美修)

P 1

i i }.L 34.4 I    l 大12.3

太 田

?@学   1

1

関口固一郎(師,山岡成章)

@   1口

o 5 1

1 1 1 34.4 35.12

i劃

1 41.7 (廃校)

太田中学 W楽分校

1

斎藤松太郎

一一ト◎川島堰一郎

 ●  1

ヨ藤松太郎

@ ;

    .O田千寸

i東美日38.7)1

i 五十嵐亥太郎 1     1

15.7  i

P9.3 (廃校) 1  .R2,533.3 35,3/4

1

44.3 45.3

県 立

a@女 林盛太郎i天絵社)

8 1 1

林盛太郎村井ヨシ i天絵社)(女高師)

@   ヒ

荒木米 (師.荒木十畝)

@  1 1 林盛太郎i天絵社)

i

桐 生 長沢時基 (師. 高橋由一?)

織 物 i 1● l  l  !

大橋郁太郎(東美特252)

29.1130.12 (廃校)

伊勢崎 小林一意 有元轍三郎 (東美絵27.7)

染 織 (東美絵28.7)

第6図 群馬県の図画教員勤務一覧

(14)

千葉県

t 範 松井昇i師.川上冬崖) 古川鏡之助 i師・小山正太郎)一宮島鎗八       1@小代為重 1松室重剛

i師.百武兼行)(工美画16.1)

亘理寛之助 (師, 前田吉彦, 大幸館) 井上良慶 (東美絵28.7)

37.3 4α4

千葉県落q師範 井上良慶(東美絵28.7)

常川とよ (女高師)

15.7 17.9 18.10  0 21ユ2 22.1 30,3/5 昭7

千 葉

?@学 宮島鎗八

(師.小山正太郎)   1       }

松室重剛 1 亘理寛之助 (師.前田吉彦, 大幸館) 堀江正章(工美画16.1)

16」2 19.5 (工美画16.1)

1 小代為重(師.百武兼行)

32.4 35.4 40,5/6.41.

佐 倉

中 学 藤崎阿曽吉 石田益敏(東美西選33.7) 田内千秋 横井俊造(不同舎)

(不同舎) 1  }●−6■●

北条後治 (東高師)

344 大7.9

佐 原

?@学 松前針三郎P (師.菊地愛山,糸井詔三郎)

@  目 一

34.4 41.4 大9.

大多喜

?@学 i 加藤鉄治郎 P(滋賀県師) 川平治 (東美図講39.9)@1

i 33.3 35・Z12136・1137・5 38.3 41,3/4 大2.6

木更津

?@学

1 ,笹森恵之助   1

 江島吾三郎  浜中半三郎 i東美図案32.7)(東美日29.7)

富山愛太郎 i師.岡田秀)

根岸常次 368 松川久次郎 i師岡田秀1 i i

34.4 37.3      蔭R9.9/11 41.5/9 大7.3 成 東

?@学 塩野友弥  千葉真弓   武川平治   大瀧謙治

i師.印藤真楯)(東美図講39.9) (東美修)

@ 1 1 1 1   1

34.7 、 ; 419/10 大11.12 安 房

?@学 1 i

中田硫(東u日鐙1ヨ 小室哲蔵

, 、 1

3 l l 「 39.

@  i 40」1 i 44. 重

銚 子

?@学

【i  l

i信太儀太郎 1     ■      」一

燻q忠順(師.小山正太郎)

1 1 11     穿     一

1銚子商業

34. 42.5 大5.3

千 葉

a@女 今田直策 (東美日 30.7) 1(有元轍三郎券?G27.7) 券?G27.2)島田友春

@ }

43.4 45,5/6 東 金,

a@女

  1

@  大田久男    層}

i東美図師43.3)

藍野精一

@(同)

1』

松 戸 1 1

中 学 英善四郎福井篤 水谷四郎

(東美日選39.4) 川野良蔵

第7図 千葉県の図画教員勤務一覧1

(15)

明治30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45

31.9 32.6/9 34,3/4−10 41,1/2 42,7/8 大3.1 私  立、

ャ田中学

(師.

竹尾虎吉

@松本楓湖)

河原崎謙吉

i東美日 30.7)鶴田幾太郎

@ (東美日30.7)

 関欽哉挙券?冾R49) 星加伝七 i京市美294)

山形張蘇

44.4 大.

私 立

蛛@成 渡辺初太郎 武計噂

中 学 刑部左衛門

私 立

東 洋 大多和林斎

学 校

私 立

明 倫 竹尾虎吉

学 校 (師. 松本楓湖)

私立静 和 渡辺和山

女学校

第8図 千葉県の図画教員勤務一覧H

凡  例

○校名は原則として,多くは地名を冠した明治末年時の名称で統一した。校名の変遷は繁雑になるので記入し ていない。創立と廃校の時期は縦の二本線で示した。

○実線は勤務の期間を示し,その両端の数字は責任と離任の年月を示す。端が矢印の場合は,その時点までの 勤務が確実なことを示す。

○ある年内に同一人が就退任した場合,35.5−8のように表示(明治35年5月就任,同年8月退任)。また後 任者が前任者の退任と同月ではなく,次月以降赴任した場合は,35.5/8のように表示(明治35年5月退任,

8月後任者就任)。

○破線はその附近の勤務と思われる場合,また勤務は確実でも図画担当が不確実な場合を示す。

○人名は後または下の括弧内には修学校名あるいは師匠名を記入した。数字は卒業または終了の年月。

複数箇所に学んでいる場合は,原則として後の方を記入。ただ,重要と思われる場合,前の方や複数を記入

した。

(16)

出身校名の略記

(工美画)・… 工部美術学校画学科     (京府西)・ …京都府画学校西宗         i東美特)…・…東京美術学校特別ノ課程   (京市美)・ …京都市立美術学校

(東美絵)………東京美術学校絵画科     (東 エ)・…  東京工業学校

(東美日)・・ 一東京美術学校日本画科    (東 師)一 ・凍京師範学校

(東美西)・・ …東京美術学校西洋画科    (東高師手)・・…東京高等師範学校手工専修科

(東美図鑑)一・東京美術学校図画講習料   (東高師図手)…東京高等師範学校図画手工専修科 その他は以上の要領に従って略記。

付  記

本稿執筆にあたり多くの機関,方々に御教示,御協力をいただきました。以下に御名を記して御礼申し上げ ます。もちろん,記述に関する一切の責任は筆者にあります。

1.高等学校関係

茨城県立水戸第一高等学校,同土浦第一高等学校,同下妻第一高等学校,同太田第一高等学校,同水海道 第一高等学校,同水戸第二高等学校,同龍ケ崎第一高等学校。

栃木県立宇都宮高等学校及び同校山田行彦氏,同栃木高等学校及び同校青木世一氏,同真岡高等学校,同 佐野高等学校及び同校深田守氏,同大田原高等学校及び同校伴弘毅氏,同宇都宮女子高等学校及び同校安 達常直氏,同栃木女子高等学校及び同校松村晴義氏,同佐野女子高等学校及び同校鈴木進氏,同足利工業 高等学校及び同校風巻栄二郎氏。

群馬県立前橋高等学校及び同校目崎義雄氏,同沼田高等学校,同高崎高等学校及び同校宮下重春氏,同高 崎女子高等学校,同藤岡高等学校,同太田高等学校及び同校中山邦隆氏。

千葉県立佐原高等学校及び同校郡司幸枝氏,同木更津高等学校,同大多喜高等学校,同千葉女子高等学校 及び同校斎藤久子氏,成田高等学校及び同校鏑木行広氏,千葉県立長生高等学校及び同校伊原貞明氏,同 銚子商業高等学校及び同校木内朝子氏。

2.諸個人

荒川チヨ氏,酒泉淳氏,建部ともよ氏,林和男氏,宮沢治正氏。

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