国家 : 地方関係二次元基準の効果
その他のタイトル The Effects of Centralism and Localism
著者 間 登志夫
雑誌名 關西大學法學論集
巻 44
号 6
ページ 965‑990
発行年 1995‑03‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00024621
︹ 論
国家ー地方関係二次元基準の効果
一 は じ め に 二 地 方 王 義 と 中 央 集 権 主 義 の 効 果
m
リーダーシップ形態と地方主義形態① 地 方 に お け る 政 治 家 と 官 僚 間 の 関 係
A政治的リーダーシップと政治的地方主義
B政治家と官僚
② 地 方 政 治 家 と 市 民
A参加レベル
B参加方式
③ 正 当 性 の 追 求
② 公 的 サ ー ビ ス 配 分 形 態 三 お わ り に 国
家 ー 地 方 関 係 二 次 元 基 準 の 効 果
説 ︺
間
登
︵九 六五
志
夫
国
{ f
地方関係における二つの異なった次元は︑なによりもまず︑
方の政策に影響を与えるとき︑国家の政治家とか公務員と取引や交渉を通じて地方に利益をもたらして行う場合と︑
大きな官僚組織を率いて行う場合とは異なっている︒多くの政治的活動と技術は政治的地方主義のもとにおいても法 い
難い
︒
本稿においては︑さきに吟味した国家﹈地方関係における二次元基準︵関西大学法学論集第四四巻第一号︶
地 方 主 義 と 中 央 集 権 主 義 の 影 響
の異
なった形態が地方の政治的および行政的行為に対してどのような効果を持っているかを検討する︒リーダーシップ形
態と地方主義形態という観点と公的サービス配分形態という視点から効果を考究したい︒とくに前者の立場に主眼を
おいて︑地方における政治家と官僚間の関係︑地方政治家と市民︑そして正当性の追求に焦点を合わせて解明するこ
国家ー地方関係における二次元基準の異なった形態は︑どのような類型の行政的︑政治的行為に影響を与えるので
あろううか︒政治的地方主義は実際的な決定形成と結合し︑法的地方主義はより教条的接近と結合しているという見
方がある︒こうした見地からフランスが実際的であり柔軟的であり︑イギリスが非柔軟的であり教条的であるとはい ①リーダーシップ形態と地方主義形態 と
にす
る︒
は じ め に
関法第四四巻第六号
政治的活動の二つの異なった類型を伴う︒地
︵九
六六
︶
①地方における政治家と官僚間の関係 分配の性質に影響すると思われる︒ のエリートが強力な専門的官僚制に依存する程度をより高いものにするであろう︒ 的地方主義のもとにおいてもエリートにとって共通のものであるが︑法的地方主義は政治的地方主義よりも地方選出
︵九 六七
︶
地方政策への影響力において︑何れがより優勢であるのか︑国家権威を通じてか地方官僚制度を通じてかが︑地方
の政治のみでなく政府の構造を基本的に決定する︒政治的地方主義か法的地方主義か︑従って地方政治エリートか地
リーダーシップの異なった形態すなわち一方において国家の政治的または行政的構造を操作して地方政策を決定す
る形態と︑他方において大きな地方官僚制の長として地方政策を決定する形態とは︑地方政府の性質に広く影響する︒
その主要な影響領域は三つある︒第一に︑①地方政府の権威内︑とりわけ政治家と官僚間の関係への影響である︒法
的地方主義のもとでの地方政府はより広範な官僚制を発達させているので︑法的中央集権主義のもとにおけるよりも
官僚制はより専門的でより強力的であり政治家の役割をより大きな程度で制限していると思われる︒第二に︑②市民
と政治家間の関係に影響をあたえる地方主義の類型が考えられる︒市民がその選出政治家の行為を評価する基準は多
様であるから︒法的地方主義のもとでの成功は地方財源の使用と配分という観点からのみ評価されるが︑政治的地方
主義のもとでの成功は外部から利益を持ってくる能力の効能である︒第三に︑③政治的地方主義が市民に対する特殊
な扱いを保証する地方政治的エリートに基づいているとし︑法的地方主義が下位国家の資源の割当を遥かに一般化す
る地方行政的エリートに基づいているとするならば︑これらが政治的または法的地方主義のもとでの公共サービスの
国家
ー地
方関
係二
次元
基準
の効
果
方官僚エリートかが重要な問題となる︒
を集中させる傾向がある︒
A
ない
︒ これは︑イギリスーフランスの比較に基づいた妥当な結論のようであるが︑政治的と法的地方主義間の相違の特徴
としてより広範に適用されのではなかろうか︒ここで考察せねばならない二領域は︑
A
政治的リーダーシップの構造と ︑
B
地方の政治家と官僚間の関係である︒しかし︑これらの評価は︑体系的証拠がないので︑仮説的たらざるをえ政治的リーダーシップと政治的地方主義
政治的地方主義は︑全国的政治家から利益を引き出すために願望された地方の政治的資源の操作を必要とする︒フ
ランスとイタリアにおいては︑これらの資源は圧倒的に個人的である︒フランスでは地方レベルでの人民による選出
という正当制︑合意の造成が可能だという主張であり︑イタリアでは政党内部での地位︑任命権に対する支配︑投票
を集める能力である︒これらの資源は主として個人の掌中に集中しているので︑政治的地方主義は個人の掌中に権力 明瞭に示す傾向がある︒ イギリスとフランスの比較研究に基づくと︑フランスの市長は主として政策~媒介者であるといえる。彼は金銭や
法的権力のような乏しい財源の折衝︑取引あるいは誘引において活動しており︑こうした活動が彼にイギリスの市長
が享有していない地方政治的決定における重要な役割を与えている︒イギリスにおいて市長の役割は機能的サービス
行政によって支配されているから︑政治的リーダーシップがより分解されているだけでなく︑その役割は機能的政策
形成領域においてすら専門家気質と特殊政策形成分野での官僚による影響力の故により弱いようである︒要するに︑
政治的地方主義は政治的中央集権主義に欠如している地方政府における政治的エリートの重要な特定の役割︑媒介を
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
四︵九六八
一の人物として大統領制形態の故に出現している︒
五︵九六九 一連の委員会に与えられ フランスにおいて︑こうした権力集中は自治体における市長の支配的役割にみられる︒市長は︑その法的地位が同
僚と直接民主政治から保護されており︑外国の市長の羨望である活動範囲を享有している︒この市長の権力は︑小さ
い自治体のみでなく大きな自治体においてもみられる︒古い田舎風の名士的市長に取って代わる傾向にある市長の典
型的モデルには専門的市長と戦闘的市長とがある︒専門的市長モデルは特権的媒介者として国家装置内の依存関係を
利用している︒戦闘的市長モデルは︑政党がより大きな参加メカニズムを通じて地方リーダーシップの大統領制形態
の取消を求めている自治体において︑合成の用意を多様な政策提案を自治体政策への統合を主張できる地位にいる唯
フランスの市長は︑行政権威が彼の掌中に集中し︑議会に一般的
に妨害されないので︑また︑大きな都市の市長は全国政治において重用な人物なので︑強力である︒
個人の掌中への権力の集中は︑イギリスにおける政治的リーダーシップの同僚組織的性格と顕著に対照している︒
イギリスでの政治家の決定形成への関与は︑議会の機能的委員会内で行われる︒これらは︑地方当局を支配する政党
の権力中枢集団のみでなく政策や財源委員会のような調整組織である︒それだけでは地方当局の政策に関する戦略的
決定を行う行為者の存在を否定し難い︒しかし︑中心的問題点は︑これらの行為者が複数であって単数でないという
ことであり︑個々の個人であるよりも委員会や幹部会であるということである︒
地方政府の行政権威は︑次の三つの政治機関︑市長あるいは議会の議長︑集団的理事会︑
ている︒さらに︑行政権力は︑これらの機関間での分配も可能である︒こうした三機関の何れが地方当局の部課に対
する行政権力を持っているかの展望から対象七ヶ国を区分することができる︒
フランスにおいて︑行政権力は市長の掌中に集中している︒さらに︑自治体の行政理事会が市長によって任命され
国家ー地方関係二次元基準の効果
ダーシップの性格についての期待と適合する傾向がある︒ しかし︑イタリア制度における市長の役割は︑ 権力を分配するよう強要されているといえる︒
︵九 七
0)
市長の必要を満たしているので︑行政権力が市長の掌中に集中しているスペインのような国家を含めることができる︒
こうした唯一の地位への行政権力の集中は︑市長が行政権力を持たず議会の委員会に与えられているイギリスの実際
と対比している︒スウェーデンとノルウェーもまた︑議長が行政権力を持っておらず︑議会業務は主として機能的委
員会を指揮する執行委員会によって処理されているので︑フランスやスペインと顕著に相違している︒
以上のような法的地方主義のもとでの権力分散と政治的地方主義のもとでの権力集中という傾向に対する明白な例
外は︑イタリアとデンマークである︒行政権力は︑イタリアにおいて市長と行政委員会
g i u n ct a om mu na le
間に分割
されているが︑デンマークにおいては市長と委員会に与えられている︒イタリアの行政委員会は委員会構造と同等と
みなされるので︑フランスとスペインを除く他の国家の市長は︑限定された機能的責任をもつ議会からの同僚と行政
t e r
のそれよりも強い︒イタリアにおいて︑市長は行政委員会と衝突したあと議会によって非難され︑辞職すら強要
される︒しかし︑衝突の可能性は︑イタリア市長が政治的同僚と衝突する正当制を享有する活動的政策形成者である
地位を強化している︒デンマークにおいて︑市長の役割は遥かに制限されている︒市長は︑市会の司会とか決定の公
表などの多様な非ー行政的機能を持っているが︑行政的役割は緊急決定の遂行に狭く制限されている︒イタリアでは
市長の権力がイギリスやスカンジナビアで見いだされるよりも遥かに大きな権力を個人的政治家に与えているので︑
これまでの対象七国家における行政的リーダーシップの性格は︑政治的な地方主義と中央集権主義のもとでのリー
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
フランスの市長のそれよりも弱いが︑デンマークの市長
bo rg me
, s 六
度と行政的リーダーシップの性格間に関連があるとみなしうるであろう︒
政治家と官僚
七
この傾向は︑低い政治的地方主義を持つ都市が大指導者を享有しないことを示唆するものではなく︑まして高い政
治的地方主義を持つ都市がそれらを常にあるいは頻繁に享有することを暗示するものでもない︒むしろ︑行政権力の
構造は︑政治的地方主義がより強い都市においてより大きな程度でただ一人の人物︑市長の掌中に集中することを示
一致は因果関係を構成するものでなく︑また因果関係は立証されないが︑政治的地方主義の程
政治家と官僚間の関係は︑地方政府の性格を理解するのに重要である︒地方政府の地方での実在根拠は︑選挙を通
じて確立された正当性に基づいているので︑地方政府の名においてなされたことは専門的にして官僚的エリートに対
抗する政治的エリートによって形成される程度の関数である︒しかし︑信頼性のある証拠は国家横断的な体系的方法
によって入手することは困難である︒政治家と官僚間の関係の取扱いがもっと困難なのは少なからず経験的研究の少
ないことによる︒存在するる資料から︑より大きな法的地方主義とより少ない政治的地方主義を持つ国家はより専門
的にしてより強力な官僚制を持つのではという期待に多少の支持があるように思われる︒
地方官僚制の権力の一標識は︑その専門技術︵知識︶の高い地位にみられる︒イギリスにおいて︑地方官僚は︑そ
の専門技術のためにかなり高い地位を享有しており︑第二次大戦以来地方政府専門職の任用を支配するようになって
いる︒さらに︑地方政府は︑地方政府のほとんどの上級管理職で優位を占める傾向にある弁護士に上級職︑書記官あ
るいは市長を提供している︒地方公務員の全国組織は︑技術的性格の問題について中央政府と定期的に接触しており︑
サービスの給与や条件をめぐっての交渉に関与している︒しかし︑実際の地方公務員の社会的地位はその専門家が勧
B
国家
ー地
方関
係二
次元
基準
の効
果
唆しているのである︒
︵九 七一
︶
一口
に言
えば
︑
︵九 七二
︶ フランスにおいて︑地方政府官僚は︑その専門技術と能力にも関わらず︑遥かに低い地位しか享有していない︒こ れは︑国家官僚の計り知れない技術的評判の影の存在のためのみでなく︑地方政府従業員の専門化の失敗のためでも ある︒国家公務員補充の減少は︑地方公務員を過去数年間に高い教育のある人々にとって魅惑的なものにした︒伝統 的に︑苦労して行政で昇進した人々で満たされる傾向にあった自治体公務員のトップレベルには少数の高い教育的資
フランス地方官僚の描写は︑国家公務員との関係においてのみでな くイギリス地方公務員との関係においても︑低いレベルの専門化である︒ここで対象になっている他の五国家につい ての資料は︑少ない︒イタリアにおいて︑国家公務員はフランスでのそのような地位や威光をもっておらず︑地方政 府官僚は︑その専門技術の地位とその専門職への任用規制の能力によって測定すると︑低い程度の専門化しか持って イタリア地方政府における政治家とかかる官僚間においては︑政治家が支配的である︒これに反して︑北欧におい
ては︑官僚の影響力が情報や専門技術に対する支配以上のものであることを意味している︒政治家は︑妨げのない選 択規準を模索できるがその手探りもそれ自身の多様な責任によって制限されており︑官僚の見地から思考する必要を 学習して最小の抵抗に抑えるように行動している︒地方政策形成における官僚の重要性は増大の傾向にある︒しかし︑
証拠は︑高い程度の政治的地方主義であるところにおいて︑政治家が地方内でその影響力を維持していることを示唆 している︒けだし︑継続的に利用できる資源︑すなわちその正当性を持っているから︒これは︑
メリカの地方における政治家と官僚間の関係を熟視し恩恵政治
c l i e n t e l i s m に依存した政治的権威を持つマシーン都
いないようである︒ 格を有する人々しかいなかった︒ 告している地位と一致していない︒
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
J¥
アメリカの学者がア
② 地 方 政 治 家 と 市 民
市と専門化された改革都市を対比して得た発見とも一致している︒
マシーン都市における政治家は官僚に対して支配する能力を依然として持っているが︑改革都市における官僚は連 邦の法律や行政指針によってより密接に支配されている︒何れの国家においても政治家の名で形成されている決定が 官僚の強い影響力を反映していることは確かである︒官僚の勢力は︑その経験が提供する技術的︑政治的︑行政的専 門技術に基づいている︒全ての国家において︑官僚との関係における政治家の勢力は官僚に対する支配的権威をあた えている民王的憲法に依存する︒しかし︑こうした民王的憲法がフランスやイタリアにおいて作用する方法は︑イギ リスや北欧に大きく欠如している何ものか︑追加的な権威の源泉を政治家に与えている︒
九 フランスやイタリアにおい
て︑選挙は︑どの政党が都市を統治するかを決定するだけでなく︑国家公職にとって価値ある支持票を個人や組織に 提供している︒こうした支持票は︑中央から資源を引き出すのに使用されるので︑官僚化の増大という一般的傾向に もかかわらず︑地方で地位を維持する何ものかを政治家に提供しているのである︒
地方王義と中央集権主義の異なった型相は︑地方の市民と政治家と官僚間の関係に相違を生じるであろうか︒二つ
の可能性がある︒
A
第一に︑法的地方主義がより多いところでは市民参加のレベルがより高いと期待される︒このこ とは︑市民がより広範な権力を持つ制度を対象とするときより重要な制度に影響を与えていると認識するのではない かという仮定に基づいている︒かかる意見は︑他の事柄が同一であれば︑市民が参加する制度がより大きな権力を 持っているところにおいて効果的参加はより大きいという示唆から生じる︒地方政府が決定に市民参加を開いている 程度は︑地方自治の程度と密接に関連しているという見方は資料によって支持されている︒
B
第二の可能性は︑政治国家ー地方関係二次元基準の効果
︵ 九 七 ︱
︱ ‑ ︶
B
参加方式 期待を示していない︒A
参加レベル︵九 七四
︶
的地方主義のもとでの市民の参加は︑選挙制度という手段を通じる以外に︑政治家という手段を用いる︒これに反し
て︑法的地方主義のもとでの参加メカニズムは官僚を通じて経路化される︒これらは︑地方官僚と政治家の権力につ
いての期待から引き出せる結論である︒圧力集団に関する文献は︑その集団がその注意を政府におけるより強力な制
度や行為者を目標にしていることを示唆しているから︑南欧国家における参加は政治家に向けられ北欧国家では官僚
に向けられていると期待できる︒地方市民の地方公職者への政治的と官僚的接近方法間の区別は︑市民と地方政府間
の関係における相違をもっと広範に形成するのではなかろうか︒
より大きな法的地方主義のもとでは︑参加レベルはどの程度まで大きいのであろうか︒地方政府における参加レベ
ルを示す一般的な国家間標識はない︒参加は︑複雑な現象であり︑多様な行為に表出される︒参加レベルを比較する
手ごろな一手段は︑選挙参加を通じてのものである︒ここでの対象七国家の地方政府選挙結果の数字は︑より低いイ
ギリスとより高い残余の六国家との間に区別を表示している︒選挙結果は︑地方の機能と裁量がより広範な国家間で
最高と最低であるから︑法的地方主義とは無関係のようであり︑あるいは地方権威に与えられた権力範囲や権力行使
の自由とは無関係のようである︒選挙結果の数字は︑より大きい法的地方主義のもとでのより高い参加レベルという
官僚の権力がより強いところでは集団や個人の参加が直接官僚を通じて経路化されると期待でき︑政治家がより強
い地位にいるところにおいては市民や集団の参加は政治家を通じて経路化されると期待できよう︒これらは︑圧力集
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
10
におけるような︶ マークを包含した他の多くの西欧国家から区別している︒ 団論が示唆しているところであり︑参加制度の異なった形態を誘導する︒する政治家との直接的接触のような参加形態の優勢を見いだすであろうし︑他の一組の国家においては官僚の役割を力説する市民調査
pu
bl
ic
in
qu
ir
y
のような官僚的参加形態の卓越を見いだすであろう︒さらに︑市民参加は︑官僚を
通じてよりも政治家を通じての方がより拡大されるであろう︒何故ならば︑官僚は︑政治家が投票の追求を通じて持
たねばならない市民のあるいはその部分の意見を聞く刺激を持っていないからである︒
対象国家間での市民参加の程度を直接比較することは困難である︒参加そのもののの程度は︑少なくとも次の三特
徴︑参加のために入手可能な機会︑それらの機会の市民による使用率︑参加の決定形成に対する衝撃の関数である︒
これらの問題に対する比較的にして体系的証拠は入手し難い︒しかし︑利益集団に関するものではあるが︑参加レベ
ルでの相違を示す比較研究がないこともない︒利益集団構成員は同一レベルであるが︑利益集団活動はイギリスにお
けるよりもノルウェーにおいてより高い︒都市の政治決定への影響を求める利益集団はノルウェーにおいてイギリス
の二倍以上も存在する︒スウェーデン都市政治における参加構造の取るに足らないものであることはイギリスやデン
しかしながら︑政治家と官僚の相対的優劣の地位が大衆参加の基礎的に異なった制度をつくり出しているという証
拠はない︒市民参加は︑普通選挙を通じての場合を除いて︑︵立案の場合におけるような︶公開集会あるいは︵教育
ユーザー・クライエント代表者団体の非ー法的過程のみならず各種の法的過程を通じて経路化され
ている︒ここでの基礎的原則は︑利害関係を持つ全ての市民︑あるいは影響を受ける全ての市民が決定形成者に接近
する平等な権利を持っているということである︒決定形成者は一般に地方政府の公職者である︒影響を受ける全ての
国家
ー地
方関
係二
次元
基準
の効
果
︵九 七五
︶
一組の国家においては政治家の役割を強調
市民に与えられた平等の権利のこうした基礎的原則は︑市政府決定に対する不平は上級の権威に提訴できるスエーデ
ンにおける自治体の提訴
ko mm un al be sv ii r
の過程に示されている︒また︑計画調査に︑計画への市民連座を助長せ
んとする市会の主唱に︑北欧やイギリスにおける教育委員会理事のようなユーザー集団にもみいだされる︒
参加への一般的接近の強調は︑フランスにおけるそうした機構の一般的欠如と相違しているが︑イタリアに導入さ
れている参加原則とは相違していない︒イタリアにおいて︑自治体制度の近隣区と
co ge st io ne
︑
かっ
た︒
ユーザーによる自
一九
七
0年代以来︑自治体予算の緊迫時に始まったユーザーによるサービス運営への貢献が
フランスにおいて︑近隣民と
co ge st io nクライエントと市民によ︑
る自治体活動の協同運営は︑その従事という点においてのみでなく地方政府によるその増大という点においても︑弱
フランスの参加において︑地方レベルにおける集団活動は知られていないし︑サービスに対する市民からの
要求は稀であり滅多に組織化されていない︒
隔離されているということである︒ フランス地方制度の支配的文化特性は︑政策形成者が市民の影響力から
フランスにおける自治体内での集団活動の欠如は︑トクヴィル以来の継続的課題
であった︒要するに︑政治的地方主義が地方における政治家の地位への衝撃を通じて市民参加の型相に影響を与える
ものであるとするならば︑イタリアとフランスの相違は衝撃のより大きな政治家の影響力が市民参加のためのより大
きな機会であるとみなすほど簡単なものでないことを示している︒
地方政治における市民参加に影響する要素は︑経験的に隔離されたままである︒多くの人々が参加レベルは文化の
産物であることを示唆している︒従って︑政治的と法的地方主義は︑その問題に何らかの関係を持っていることは確
かであるが︑参加のレベルやスタイルに大きな影響力をもつものでないというのが安全な結論であろう︒ 必要不可欠になるまで発展している︒対照的に︑ 治体活動の協同運営は︑
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
︵九 七六
︶
正当性の追求 しかし︑政治家の優勢は︑大きく集団活動と考えられる参加に対するよりも地方政府権威とその市民間の関係スタ
アメリカの改革都市と非'改革都市は︑地方権威と市民間の関係という点で︑
治的地方主義にある程度類似しているように思われる︒政治家と市民の関係︑恩恵政治的関係は︑改革都市と法的地
方主義都市におけるよりも非'改革都市と政治的地方主義都市においてより強いようである︒
アメリカ都市における改革政府に関する文献は︑参加の能力に関するものよりも決定形成者への接近が与えられて いる集団の性格に関するものが多い︒アメリカの都市政治研究は︑改革と非改革間の自治体構造の相違が︑都市権威 と市民間の関係に影響を与えていることを示している︒技術的専門家の制度化と政治ボスのもとで発生した恩恵配分 の根絶を強調している改革都市構造は︑非改革構造よりも市民の要求により責任をもたないのが一般的である︒
公的顧慮の政策と私的顧慮の政策は顕著に相違している︒前者は改革都市と結合している政策であって一般市民に 影響を与えており︑後者は非改革都市で採用されている政策であって市民の部分のためになっている︒こうした区分︑
特にこうした区分がある程度基礎づけられている少数民族文化の仮定は広く批判されているが︑こうした区分が二つ の政府についての広範な方位の存在を示す一般的論題は広く容認されている︒
ヨーロッパ都市の法的地方主義と政
するものであり︑他の方位は市民の部分である利益間に対立があるときどの利益が優勢であるべきかを決定する機構 としての政府の役割を強調するものである︒こうした区分に基づいた証拠は︑非改革的都市が改革都市よりも私的顧 慮政策をより受容しているという仮定を支持している︒地域社会組織のレベルが都市構造︵改革と非改革︶と私的顧
国家
ー地
方関
係二
次元
基準
の効
果
イルに対してより大きな影響をもつことがありうる︒
③
︵九 七七
︶
︱つの政府の方位は公益の捜索を強調
外部の利益への接近は自治体内部の権威に依存している︒ 慮政策産出レベル間の関係に影響する重要な中間的要素であることも見いだされている︒
かかる仮定の背後にある理論は︑
が︑﹁決定は公益が要求するものについての合理的討論に基づいてなされるべきものである﹂という民主政治概念と
対立するものであるというものである︒都市マシーン政府は︑組織化された賄賂の制度であり︑賄賂の製造工場とし
ての都市の役割を強調するものである︒これに反して︑改革の目的は︑公正︑専門家的技術︑公衆道徳や公益を強調
この
こと
は︑
︵九 七八
︶
アメリカの都市マシーンを特徴づけている特殊な物質的誘因に基づいた政府制度
ヨーロッパに適用すると︑地方の統治エリート
型相を示唆している︒しかし︑類似を余り押し進めてはならない︒
スと類似していないことは確かであるが︑ ︵政治家であろうと官僚であろうと︶
フランス市長の場合︑ と市民間の関係
アメリカ都市マシーンのボ
フランスとイタリアの市長の権威は自治体内部での大衆の支持という正当
性の維持に依存している︒正当性は︑何年かに一度獲得せねばならない単なる何ものかではなく︑継続的に育成する
必要のある何ものかである︒全ての国家の地方政治指導者は次選挙での選挙民の審判を心配せねばならないが︑
た組織の支配から生じているのに︑
存している︒
して
いる
︒
フラ
ンスとイタリアの市長の地位は︑継続的に育成した何ものかがなければ活動することができないので︑北欧やイギリ
スにおける市長のそれとはいくぶん異なっている︒北欧やイギリスにおける政治指導者の権力は階層的に構造化され
フランスやイタリアの政治指導者の権力は媒介者として行動する能力に大きく依
フランスやイタリアの政治指導者の自治体内部の権威は外部の利益を持ってくることに依存しており︑
フランスやイタリアにおける市長のリーダーシップは︑市長の権力がその地方外の制度との媒介的役割に基づいて
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
一四
ない
︒
一五
いることを示している︒その役割は調停的なものである︒市長の地方権力は上層部の制度への接近に基づいており︑
市長の外部の制度への接近は地方レベルにおける資源を支配する能力に基づいている︒地方自治体内部での市長の地
方接触の広範化と自治体外部の州や地域や国家の政治家との接触の広範化と相関関係があるとみなしうる︒イタリア
において︑こうした資源の支配は︑全国選挙での投票に影響を与えうる複雑なネットワークとしての政党内部の市長
の地位と結合している︒フランスにおいて︑市長が産出できる資源は︑政治的闘争を抑制する能力︵町村の市長と結
合したリーダーシップの型相︶
市長と結合したリーダーシップの型相︶によって自治体を代表せんとする主張である︒
こうした正当性の異なった形態がフランスやイタリアの市長対市民を北欧やイギリスの政治家対市民とは異なった
地位においている︒北欧やイギリスの地方政府における政治家の正当性は︑選挙の結果によって地方政府組織を支配
するという事実から出ている︒そのような制度の下にあっては地方の行政が選挙的賄賂を特定集団に提供することも
ありうるであろうが︑ かまたは政治的闘争から離脱して自治体の一般的利益の総合を提供する能力︵都市の
フランスやイタリアにおいてよりも地方連合
1
構成と地方支持育成のスタイルがより直接的でフランスやイタリアの市長は︑正当性の確立に多様な戦略を使用している︒フランスのより小さい自治体の市長は
正当性を確立するのに非政治的戦略を使用する傾向がある︒市長は政治的闘争の抑制によって自治体を代表する人物
として身を立てている︒再選されるために︑市長は︑自治体市民の一般的利益のために働いており︑市民が受け取る
利益は市長の個人的活動の産物であり︑他に誰も同じ結果に達する者はいないという印象をあたえるようにしなけれ
ばならない︒市長は︑和合した家族の父︵この比喩は地方社会との関係を描写するのに市長によってしばしば使用さ
国家
ー地
方関
係二
次元
基準
の効
果
︵九 七九
︶
︵九 八
0)
れた︶としての非政治的性格を自治体内部で獲得する統一と同意に基礎づけられている︒それにもかかわらず︑ある
いは︑それ故︑市長は︑こうした統一と同意を製造せねばならない︒より小さい自治体におけるこれらは︑望みどう
りの学校に子供を入れるような手段によって政敵を懐柔したり︑混乱を収拾したり︑意見の相違を解決したりして︑
市民との個人的接触の確立を通じて達成される︒より大きな自治体におけるこれらは︑それから分離することができ
る戦略でない︒それよりも︑市長と市民間の接触のレパートリーは︑もっと多様でなければならない︒これが︑選挙
支持の返礼としての仕事や︵免許のような︶公的恩顧に基づいているアメリカのそれらと多くの点で類似した︑今世
紀初期の政治的マシーンを発生させた原因である︒仕事任命権によって用意された賄賂の枯渇とともに︑恩恵政治が
新しい装いで再現している︒市長は︑市民との個人的接触を極大化し︑選挙民にイメージの浸透を助力するよう名士
や教会や商業利益を口説き︑老齢者を的にした社会政策を形成し市長と結合している社会事業家を通じてそれを経路
化し︑政敵を吸収する戦略を追求している︒人民主義的戦略が市長の正当性を確立する唯一の戦略ではなく︑他の方
法︑より大きな都市における広範な部分は︑技術専門家の基礎を確立することである︒それにもかかわらず︑大衆正
当性の維持は選挙の接近に伴って単に心配すべきものではなくフランス市長の継続的関心事であり︑そのための戦略
は市民への直接的訴えあるいは私的顧慮政策の用意を必要とする正当性の追求において採用されている︒
イタリアにおいて︑政治指導者と市民間の関係はより簡単な恩恵政治的である︒イタリアとくにその南部における
賄賂普及の主要な理由としての行政の不活発は︑市民の日常生活の安定と向上のために必要な官僚制の重要性と対比
している︒警察官は︑賄賂によって免許をあたえる軽い犯罪を看過する︒これは︑重要だが職業の提供によって企図
される最終的にはより制限された任命権に追加されるべきものである︒こうした状況のもとでは︑通常の市民︑特に
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一六
一七
無学とか官僚制度との交渉経験の欠如とかの故に不利な貧困者は︑自分達のためになるように直接調停できるより高
位の後援集団からの助力を求めざるをえない︒キリスト教民主党の党員がこうした恩恵政治的な恩恵組織への市民の
接近を提供している︒前述の市長に必要な同意は︑再考すると︑市民と国家間の全ての処理における政党あるいは個
人的政治家の媒介的役割に根ざしているのである︒イタリアとくに南部の仕事や他の恩恵における任命権の重要性は︑
それを根絶しようと決定した共産党の努力が不成功に終わったという事実によって示されている︒共産党は︑同様に
任命権に基づいているとみなされる職業政策を最終的に導入している︒こうした恩恵政治的結合の組織網は︑私的顧
慮政策が中央部や北部においても可能であったという認識を容易にしている︒
イタリアの市長の時間の多くは︑厄介な紛糾を解決したり政治的支持の形成のために他の恩恵を実施するために使
用されている︒これは︑個人的な免許のようなつまらない問題に関するものであろうと広い政策問題に関するもので
あろうと︑イタリア地方政府における参加は︑政党とそれを通じてその内部における影響力ある組織網を統括する政
イタリアにおける政党経路の重要性は︑イタリアと北欧間の参加制度の相違を示している︒近隣区の組織がイタリ
アだけのものでないことは確かであるが︑イタリアの近隣区の影響力は短命の実験という経験しかもっていない北欧
のそれよりも相対的に大きい︒これは︑イタリアと北欧における地方政治家間のイデオロギー的相違あるいは近隣集
団がイタリアの非ー共産党都市にも出現しているから︑共産党がイタリア都市においてより強力であるという事実に
よっても説明できない︒地方政府がイタリアにおいてより少なく活動しているという事実のためでもない︒イタリア
地方政府の活動が少ないというのは象徴的なもの1文化的︑社会的︑保険的サービスの全範囲への拡大とは矛盾す
国家
ー地
方関
係二
次元
基準
の効
果
治家に強力な媒介的役割を提供しているように思われる︒
︵九
八一
︶
︵九 八二
︶ るものを意味するから︒イタリアにおける近隣区組織による自治体分権化への傾向は︑地方政府における政治的要素 支配の関数である︒近隣集団の新制度を育成しその特徴をその発展に残したのも政治的展望の浸透である︒
そうであるならば︑北欧近隣区の影響力の弱さは︑北欧地方参加における政治的要素の弱さと関連しているのでは なかろうか︒これは︑政治的地方主義と法的地方主義のレベルと無関係に相違している参加程度を評価しないという のではない︒むしろ︑イギリスや北欧において︑機会を利用する割合︑参加の衝撃は多様であるが︑市民と地方政府 間の関係は何よりも官僚あるいは一般的参加機構ーューザー集団︑近隣集団︑相談手続きを通じて経路化されてい る︒イタリアやフランスにおいて︑そうした一般的参加形態もみいだされるが︑その形態は地方政治家と市民間のよ り直接的関係に追加したものである︒イタリアにおいて︑政党の重要性は︑非公式の特殊な影響力経路あるいは私的 顧慮政策形成経路の用意に加えて︑近隣組織のような公式の一般的参加経路の影響力を強化したように思われる︒フ ランスにおいて︑地方レベルにおける自発的集団が伝統的に弱いのであるならば︑市民との特殊的経路が市長と市民 間の支配的連接を構成しているように思われる︒イタリアとフランスの両国における参加構造は︑イギリスや北欧に おける参加機構よりも明白により官僚的でなくより特殊的にして選択的のようである︒
法的地方主義都市においては政治的作用がより弱いので官僚的作用がより強くなる︒そこでの地方政治と市民間の 関係は官僚あるいは一般的参加経路が主で政治家あるいは特殊的参加経路が従になるようである︒これとは逆に︑政 治的地方主義都市においては官僚的能力がより弱いので政治的能力がより強い︒従って地方政治と市民間の関係は政 治家回路が主で官僚回路が従になる︒法的地方主義都市における政治的作用が官僚的作用と互角になり︑政治的地方 主義都市において官僚的能力が政治的能力と対等になるようなことがあるとするならば︑両都市において官僚的手段
関法第四四巻第六号
一八
と政治的手段は伯仲するようになるのではなかろうか︒こうした状況に達するようなことがあるとしたならば︑法的
地方王義都市は政治的・法的地方主義都市︑政治的地方主義都市は法的・政治的地方主義都市と呼称できるであろう
し︑地方政府と市民間の関係は二経路によって拡充されるであろう︒もっともこうした都市の証拠はないが︒
中央ー地方関係における相違が公的サービスの配分に何らかの影響をもっているかどうかの探求が有用であるよう
に思われる︒この場合︑これらの影響が中央ー地方関係の型相に起因しているのか︑福利とサービスを集団に授付す
る方法における組織的偏いに起因しているのかを熟視する必要がある︒
一九
中央ー地方関係の型相は︑二つの理由から公的サービスの分配に衝撃をもっていると期待できる︒第一に︑法的次
元は︑あるサービスが中央政府によって執行され他のサービスが地方自治体によって執行されることを意味している︒
中央と地方政府がサービス配分のために特色ある戦略︑方法︑方式をもっている限り︑サービスが中央政府によって
実施されるか地方政府によって実施されるかによって︑特定のサービスと結合した利益の配分において組織的に異
なった偏いをみいだしうるであろう︒中央政府が地方政府よりも貧しい人々により再配分するものであるならば︑教
育のサービスが地方権威の手に委ねられているイギリスのような制度におけるよりも中央権威によって用意されてい
るフランスのような制度において教育的利益の提供がより再配分的であることをみいだしうるであろう︒
そうした偏いについての証拠はない︒全体として国家を対象とするとき︑裕福な地域から貧しい地域への資源の再
配分は︑ほとんど定義によって中央政府によってのみ着手される機能であることは確かである︒しかし︑かかる再配
国家ー地方関係二次元基準の効果
② 公 的 サ ー ビ ス 配 分 形 態
︵ 九八 ︱
︱ ‑︶
定する規範と規則から生じるであろう︒ 分は︑補助金制度を通じても可能である︒サービスの再配分を行う中央政府は再配分的結果を保障するものではなく︑
中央'地方関係の型相による資源配分に与える影響力として考えられるものには︑第一に資源の場所的割当︑地方
政治決定︑官僚の決定基準などがあり︑第二に政治的地方主義がある︒第一よりも第二の影響力がより嘱望できるで
あろ
う︒
︵九 八四
︶
如何に偏いはサービスが地方政府によって実施されるところでのサービス配分の構成素になるのであろうか︒この
場合編いの明白なタイプを心に留めることが役立つであろうから︑教育の事例を取り上げ︑教育が地方政府によって
実施されているところで配分が貧しい人々に不利益に歪む仮定的方法を考えることにする︒まず︑偏いは資源の場所
的割当から生じる︒より貧しい場所はより裕福な場所よりも中央政府からより少ない補助金しか受けられない︑ある
いはより貧しい場所もより裕福な場所も両方とも同額の補助金を受けられるがより貧しい場所はより少ない課税資源
しかもっていない︒つぎに︑偏いは︑より貧しい地域の議会が何らかの理由で予算のより少ない部分しか教育に向け
なかったような一組の地方政治決定から生じる。さらに、官僚の決定基準—ー'どれほどサービスを受けられるかを決
始めの偏い原因の二つ︑資源の場所的割当と地方政治決定は︑中央政府が再配分的で地方政府が非ー再配分的であ
ると考えようとあるいはその逆であると考えようと︑サービスが中央あるいは地方政府によって実施される程度と有
意に関連しているとはおもわれない︒資源の地域的分配を通じての偏いは︑イギリスの国民健康保険やフランスの教
育サービスのように中央によって執行される多くのサービスにおいて大きい︒政治的決定を通じての政治的偏いは︑ そうした結果が達成される唯一の方法でもない︒
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二0
中央で行われる政治的決定が受益者あるいは損益者を目標に定められるので︑中央で実施されるサービスを通じて大
きい︒この適例は生活保護である︒中央の政治的決定がサービスをより多い再配分あるいはより少ない再配分にする
官僚の決定基準に関するアメリカ都市政治研究文献は決定基準のタイプを示唆しており︑サービス配分はその公正
と密接な関係がある︒例えば︑警察サービスの良い指標は︑警察救助の必要に対する応答率である︒応答率の相違は︑
犯罪軽重の判断と犯罪者逮捕見込みの判定と関係しているようである︒こうした決定基準は︑警察サービスの配分を
組織的に歪める可能性をもっており︑この場合貧しい人々や黒人に対する偏いが多いことが発見されている︒しかし︑
社会的︑人種的集団に対する偏いがない決定基準も多くみいだされている︒
こうした決定基準の議論の要点は︑高度に多様であり中央ー地方関係型相とは大きく無関係な要素に依存している
ということである︒官僚決定基準の配分結果は︑基準の性質に依存している︒アメリカの研究は︑そうした基準が導
入する偏いが国家的政治制度の特徴とは関係なく︑決定基準の性質のような些細な特殊問題と関係があることを示唆
している︒したがって︑中央ー地方関係の特徴によるそうした決定基準への影響を予期するのは適当でなく︑サービ
しかし︑中央ー地方関係の型相による資源配分への影響が期待できる第二の方法がある︒アメリカとドイツにおけ
る連邦主義に関する文献は︑政治的地方主義と平等化のための補助金︵の欠如あるいは存在︶間に関連があることを
示唆している︒そうした考えに従うと︑国家的レベルでの個々の下位政府の発言が強力であればあるほど財政資源を
平等化する国家政策の発展はますます少ないということになる︒徹底的変化は利得者と共に損失者を産出し︑また可
国家
ー地
方関
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基準
の効
果
スの公正への衝撃を予期するのはさらに適当でない︒ かの基準の適性を変更できるから︒
︵九 八五
︶
能的損失者は中央の政治に影響力を持っているから︒可能的損失者は︑とりわけ定義によれば富裕地域の住民である
から︑最も強力であろう︒また︑個々の下位政府間の利益が対立的であると︑地方財政の平等化は困難になる︒さら
に︑平等化の方式が複雑であれば︑平等化は部分的にしか達成されない︒
不幸にも︑補助金と地方資源間の関連を調べる資料はない︒また︑補助金が地方資源における不平等を平等化する
程度は︑補助金が分配される方法にのみでなく補助金の規模にも依存している︒補助金が資源の不平等を補償してい
ると信じうるためには︑方法と規模の両条件が満たされねばならない︒方法は平等化の計画を明確に呈示するほど充
分なものでなければならず︑規模は平等化の発現に寄与するほど充分なものでなければならない︒しっかりした量の
証拠が欠如しているので︑補助金制度の平等化の特性を検討することによって政治的中央集権主義を平等化と結合さ
せる仮定に対する先験的な支持か批判を提供することができるであろう︒
イギリスにおいて︑地方権威への中央補助金は二つの特徴︑支出の必要に対する評価レペルと地方に対する課税根
拠を重要視する方式に基づいて配分されている︒この方式は︑全ての地方権威が中央で評価された必要レベルで支出
され︑従って地方の課税率がイギリスじゅうで一様であるという仮定に基づいているので︑高度の平等化を示唆して
いる︒地方に対する課税根拠と通常の富裕指標間の一致は不完全なものであることは確かであり︑また︑必要に対す
る評価のみでなく必要に対する評価以上の支出によるペナルティはイギリスにおける補助金の平等化に影響を与える
ことも確かであるが︑イギリスにおける補助金の衝撃は資料から平等化であると思われる︒北欧においては︑特殊補
助金が中央から領収する全補助金のより多くの部分を占めているので︑補助金配分でより多くの公正を保証する平等
化のための資金があることは事実であるが︑平等化補助金は特殊なサービスと関連した特殊補助金と比較すると少な
関 法 第 四 四 巻 第 六 号
︵九 八六
︶
フランスにおいて︑主要な一般的補助金は︑職務全体的補助金
Do ta ti on Gl ob al de Fo nc ti on ne me nt
であり︑主要
な次の三要素から構成されている︒その一は納税努力︵所帯主によって納入される税金︶
的 補 助 金 d ot a t io n f o r f a i t a
i r e ,
︐
pe re qu at 1o n
そ の 二 は 自 治 体 の 税 収 能 力 に 反 比 例 し て 分 配 さ れ る 公 平 化 補 助 金 d ot a t io n de
その三は事業税収に反比例して分配される公平化補助金である︒スペインとイタリアにおいて︑真の
平等化補助金の欠如はこれらの国家における国家財政の問題であるとみなされている︒スペインにおいて︑自治体へ
の一般的国家補助金の配分における支配的規準は人口規模である︒イタリアにおいて︑補助金配分方式における
目的にして粗雑な︶平等化原理の存在にもかかわらず︑平等化への傾倒はなかったし補助金の大部分は過去の支出に
入手可能な資料は︑より多く政治的地方主義である制度において平等化が不可能であることを示唆していない︒と
一九七九年以来のフランスにおいて︑補助金平等化方式は地方政治エリートが中央において大きな権力をもっ
ている自治体間でかなりの金額を配分する基礎として使用されている︒公平に言えば︑ との関連で支出される総括
フランスにおけるこうした平
等化の実際の結果は︑顕著に印象的でないようである︒より裕福な地域が平等化にも関わらずより多くの補助金を獲
得する傾向を示しており︑補助金と一人あたりの収入による概算の課税対象資産間の相関は一九八二年にプラス
O ・
七二であった︒これは︑とくにデンマークにおいて裕福な地域がより少ない補助金しか獲得していないことを示して
いる、デンマークとイギリスの負の相関(それぞれマイナス0•八三とマイナス0・三四)
フランスの数値は︑デンマークといギリスにおける分析単位が郡であるのに︑地方
Re gi on
まで集めた資料に基づい
こ ︑
'
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国家ー地方関係二次元基準の効果 基づいて分配されている︒ ︑ ︒し
と対象的である︒さらに
︵九 八七
︶
︵ 名