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クラレンス・J・ヒックスと従業員代表制

その他のタイトル Clarence J. Hicks and the Employee Representation Plan

著者 伊藤 健市

雑誌名 關西大學商學論集

巻 50

号 6

ページ 111‑123

発行年 2006‑02‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/4672

(2)

【研究ノート】

クラレンス・ J ・ヒックスと従業員代表制

伊 藤 健 市

1946

年のフォーチュン誌に,「

30

年に及ぶ労働平和

(ThirtyYears of Labor Peace)

」という 論文が掲載されている

1

)。この論文は,

1915

年にストライキを経験したのを最後に,その後

30

年 間 労 働 平 和 を 維 持 で き

t

‑ ― ユ ー ン ヤ ー ン 一 ・ ス タ ン ダ ー ド ・ オ イ ル 社

‑‑ (StandardOil of  New Jersey)

の最大要因を,同社の労務政策

(laborpolicy)

に求めている。そして,この労 務政策が「

2

つのストライキと

3

人の人物の合作」

2)

であったと指摘しているのである。この

2

つのストライキとは,

191314

年 の コ ロ ラ ド 燃 料 ・ 製 鉄 会 社

(ColoradoFuel and Iron  Company)

のストライキと

3), 1915

年 の ニ ュ ー ジ ャ ー ジ ー ・ ス タ ン ダ ー ド ・ オ イ ル 社 ベ イ ヨ ーン精油所

(BeyonneRefinery)

のストライキである\一方, 3 人の人物とは,ジョン •D·

ロックフェラー・ジュニア

(JohnD. Rockefeller, Jr.

以下,ロックフェラー

Jr)

,ウィリアム・

L

・マッケンジー・キング

(WilliamL. Mackenzie King)

,そしてこの小論で取り上げるクラ レンス・

J

・ヒックス

(ClarenceJ.  Hicks)

である。

以 上

2

つのストライキと

3

人 の 共 通 項 は , い ず れ も 従 業 員 代 表 制

(EmployeeRepresenta tion Plan)

― と く に 合 同 協 議 会 型 の そ れ 一 ー と 密 接 に 関 係 し て い た と い う 点 に あ る 。 コ ロ ラ

ド・ストライキは,かの有名な「ルドローの大虐殺

(LudlowMassacre)

」を契機に,コロラ ド燃料・製鉄会社が一—より正確にいうならロックフェラー Jrが一従業員代表制を導入する 意思決定を行ったストライキであったし,ベイヨーン・ストライキは,同じくニュージャージ ー・スタンダード・オイル社に従業員代表制が導入されるきっかけとなったストライキであっ た。また,ロックフェラー

Jr

は,いうまでもなくコロラド燃料・製鉄会社とニュージャージー・

1) "Thirty Years of Labor Peace."  Fortune, Nov.. 1946.  2)  Ibid.. p.168. 

3)

コロラド燃料・製鉄会社のストライキについては,廣漉幹好「

CF&Iとロックフェラー・プラン」(平

尾・伊藤•関口•森川絹著『アメリカ大企業と労働者』北海道大学図書刊行会, 1998年所収)を参照のこと。

同社のストライキは, コロラド州の炭田地帯で1

913

年に発生したストライキのなかの

1

つで,同社も含め て約

20

社が関係したストライキをここではコロラド・ストライキと呼んでいる。同社はこれらの企業のな かで最大の会社であり.世間の注目は同社と同社最大株主のロックフェラー父子の動向に注がれていた。

4)

ベイヨーン精油所でのストライキについては.伊藤健市「

NJ

スタンダードにおける従業員代表制の展開」

(『アメリカ大企業と労働者』所収)を参照のこと。

(3)

1 1 2   関西大学商学論集 第5

0

巻第

6

(2006

2

月 )

スタンダード・オイル社の大株主であり,「ルドローの大虐殺」では世間の非難を一身に浴び た人物で.このストライキ後その労使関係観を敵対的な労使関係観から協調的な労使関係観へ と大きく転換し.協調的労使関係を推進する手段として従業員代表制(ロックフェラー・プラ ン)をある意味「伝道」していた。一方,マッケンジー・キングは,シカゴ大学とハーヴァー ド大学で学び.最終的には低賃金・悪条件工場の比較研究でハーヴァードで学位を得ている。

ジェーン・アダムス (JaneAddams)のシカゴのハル・ハウス (HullHouse)における仕事 に感銘を受けた彼は.卒業後は労使関係問題に取り組もうと考えていたようである。実際.カ ナダに戻り1909年に労働大臣となった。だが, 1911年の選挙で所属政党である自由党が敗北し.

一時在野する5)。その後 1914年にロックフェラー財団(RockefellerFoundation)に雇用され.

コロラド・ストライキを収拾すべく従業員代表制を考案した。その後カナダ政界に復帰し.首 相となったことは周知の事実である。

以上,ロックフェラーJrとマッケンジー・キングが従業員代表制に関して演じていた役割は 非常に明確である。ところが,ヒックスの役割はこの2人に比べればさほど明確ではない。こ の小論の目的は.この点をヒックス自身の著書6)に依拠しつつ.明らかにすることにある。

結論を先取りして述べれば,ヒックスは従業員代表制に関する哲学(考え方)を提供したので あって.この点では従業員代表制に対して先の2人に優るとも劣らない貢献を行ったと筆者は 考えている。

1.

クラレンス・

J

・ヒックスの職歴

従業員代表制に対するヒックスの哲学(考え方)は,彼が多くの企業で労使関係の専門家と して働いた経験のなかから蒸留されたものである。まず,彼の職歴を辿ってみよう。

①鉄道YMCA

ヒックスは.苦学の末ウィスコンシン大学を卒業した。彼は,入学前に農機具デイーラーの リンゼイ・プラザーズ社 (LindseyBrothers)で〔9,14〕,休学中はシカゴのスプラグ・ワ ーナー社 (Sprague,Warner and Company)でそれぞれ働いた経験をもち〔1012, 15 17 卒業後も短期間であったとはいえスプラグ社で働いたようであるが, 1886年末に復学後は法学 部に籍を置き.同学部を1888年に卒業している〔15, 21

5) Stuart D. Brandes, American Welfare Capitalism : 18801940, University of Chicago Press, 1970,  pp.123124

.伊藤健市訳『アメリカン・ウェルフェア・キャピタリズム』関西大学出版会.

2004

年 ,

180

ベージ。

6) Clarence J. Hicks, My Life in Industrial Relations: Fifty Years in the Growth of a Profession, 1941.

伊藤

健市訳『経営コンサルタントのパイオニアークラレンス.

J

・ヒックス伝一』関西大学出版部,

2006

年 。

なお,上記文献からの引用は煩雑さを避けるため,引用符の後に原著,翻訳書の順でページを〔 〕で括

って記載する。

(4)

ヒックスは,兄に倣って弁護士になり.その兄とパートナーを組むことを夢見ていたようだ が,卒業前にキリスト教青年会 (YMCA)のウィスコンシン州委員会から大学部門の事務担 当者に就くよう要請され, 1年後には弁護士を開業してもいいという了解のもとにそれを引き 受けた。しかし,その1年が終わる直前,ニューヨークに本部を置く国際YMCAの鉄道部か

ら上級事務担当者としての仕事を提供され.「鉄道労働者と働いてみたいと前から考えていた ことから弁護士開業を再度延期し.それ以来ずっと延期したまま」〔16, 21〕となった。彼は.

当初は鉄道部門の事務担当者,その後は国内活動の事務長代理として, 1911年までYMCA 働いた。

ヒックスが鉄道YMCA(彼の職が鉄道業と深く関係していたことからこう呼んでいる)で 働いていた世紀転換期.鉄道業は成熟したビジネス形態の顕著な事例を数多く提供していた。

リーダー

しかし,彼にいわせれば,「鉄道業界の大物は,社内の経営管理問題よりも利潤を生む事業に 寄せる関心の方がはるかに大きな金融業者」〔20, 26 27〕であった。そのため,「賃金を上げ るかあるいは調整すること.苦情を解決するかあるいは苦情が表面化するのを防ぐこと もし

イ ニ シ ア テ イ プ

くは労使関係政策の策定に際して主導権を発揮すること」〔20, 27〕には関心がなかった。彼は.

シカゴ・ミルウォーキー・セントポール鉄道 (Chicago,Milwaukee and St. Paul Railroad) A. J・アーリング (A.J.  Earling)社長が鉄道ストライキに直面した折りに語った次のよう な言葉を引用している。つまり.「こうしたストライキは,我々鉄道経営者自身が招いたもの である。我々は,率先してこうした問題に取り組んだことはかつて一度もなかったし,そうし た問題は鉄道友愛会によって強制的に注意を喚起されるまで先延ばしされた」〔20, 27〕と。

鉄道YMCAはこうした状況下で活動していた。ヒックスは,「鉄道YMCAは.労使の利害の 一致に基づく有効的な協力関係を重視し.それを前面に押し出すことではパイオニア的な存在 だった」〔21, 28〕と評価している。しかし.鉄道経営者は金融業者であったと断定するヒッ クスにとって.「従業員と経営者との友好的な関係がもつ価値を維持する諸制度の考案」〔19, 26〕という労使関係担当者の主たる役割を鉄道業で全うするのは不可能なことであった。

ヒックスが直接関係をもった鉄道経営者には, コーネリアス・ヴァンダービルト (Cornelious Vanderbilt).ジョージ・M・プルマン (GeorgeM. Pullman).ジェームズ・ J・ヒル (James

J

Hill),  E ・ ・ハリマン (E.H. Harriman).ラッセル・セージ (RussellSage)などがおり.

彼らは当時の鉄道業界の大立者ばかりであった。そのうち. YMCAに好意的であったのはヴ ァンダービルトぐらいなもので.彼以外に対するヒックスの評価は辛辣である。例えば,プル マンに対しては.「氏の会社はプルマン市において非常に多くの福利厚生を提供していたが.

氏が従業員との緊密な関係を深めようとされたことは一度もなかったのである。一般には.プ ルマン社の従業員が組合に加入すれば.その従業員は同社で長期にわたって働くことはできな いと信じられていた。福利厚生を提供するのはプルマン社のため.それを撤去するのも同社の ためだった」〔24, 31〕と手厳しい 。また. ヒルとハリマンに対しては.「鉄道業者と鉄道業

(5)

114 

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年2 月 )

界のリーダーとしてのひときわ目立った成功は.この2人にとって,従業員の服従ではなく彼 らとの誠実な協力関係がもつ非常に貴重な価値を実感できなくしていた」〔2829, 35〕と酷評 している8)。とくに. ヒックスはハリマンを「独裁的な経営者の典型例」とし.こうした人物 に「経営側と労働者側の双方に関係する問題を処理する労使共同の取り組みのもつ重要性」を 納得させることは「至難の業だった」としている〔27, 34〕。そして最後に.「アメリカの鉄道 経営者のなかにいる独裁者たちは.多くの場合.過去の文明社会の教養豊かなリーダーたちに 比べて.自分たちの神授王権(君主が人民の同意ではなく神から直接授けられたとする権カ一 注伊藤)をより強く確信し,従業員の人権とその欲求を無視していた」〔36, 43〕と断定し ていたのである。繰り返しになるが,「労使の良好な関係は,お金では買えない見返りをもた らす長期の投資」〔3334, 41〕と見なすヒックスにとって.当時の鉄道業界のリーダーたちは,

「金銭面だけを重視する近視眼的な物の見方」〔3334, 40〕しかできず.「従業員との間に健全 な関係を育む機会を失うという事態」〔34, 40 41〕を招いていた。

だが,鉄道YMCAの活動のなかで.ヒックスはインターナショナル・ハーヴェスター社 (International Harvester 

Co.) の社長サイラス•

H・マコーミック・ジュニア (CyrusH.  McCormick, Jr.以下.マコーミックJr)と親交をもつという幸運に恵まれた。ヒックスが鉄 YMCAの次に働いたのは同社だったのである。

②インターナショナル・ハーヴェスター社

ヒックスが鉄道YMCAで学び,その信念としたのは,労使関係問題の解決は労使の協力関 係の推進によるしかない,という信念だった〔41, 49〕。当時アメリカ企業の多くに福利厚 生が導入されていたが,彼は福利厚生による温情・家父長主義的なアプローチではなく,より 基本的でより民主的なアプローチが,「労使の協力関係」の構築には必要だと考えていた。こ の思いを数名の著名な経営者に打ち明けたところ,ハーヴェスター社のマコーミックJrからあ る職に就くことを打診され,即座に引き受けたのである。

ハーヴェスター社では経営陣に属しているものの,何の肩書きもなく,また給与もYMCA 時代よりも下がったが同社では,「人事あるいは労使関係に関する仕事に専念」〔42, 49〕で

きることが保証されていた。同社は,当時ナショナル・キャッシュ・レジスター社 (National Cash Register Company)と並んで,福利厚生の提供では傑出した存在であった9)。ヒックス

7)

プルマン社の福利厚生については.

S.M. Brandes, op.cit,  pp.1619, 138139.

邦訳.

2126,  201  203

ペ ージを参照のこと。

8)

ヒルとハリマンについては,

D.A

.  Wren a

nd R

.  

G. Greenwood, Management Innovators: The People  and Ideas that have shaped Modern Business, Oxford University Press, 1998.

(井上・伊藤・廣瀬監訳『現 代ビジネスの革新者たち』ミネルヴァ書房,

2000

年)の第

4

章が詳しい。

9)

ナショナル・キャッシュ・レジスター社の福利厚生については,

S.M. Brandes, op.cit,  pp.5, 19,  60,  62,  7576, 79

.邦訳,

6,  26,  8687,  110,  115116

ページを参照のこと。

(6)

は,既述のように,福利厚生だけでは真の意味での協力関係を構築できないと考えていたが,

福利厚生はそれに導く恒久的なプログラムの第一歩を提供する, と評価していた。とくにハー ヴェスター社の場合,「1911年時点で,健全な労使関係に欠かせないものと現在認知されてい る多くの施策をすでに導入しており,この時点でアメリカ企業のなかでひときわ目立ったリー ダー的存在」〔42, 50〕であった。具体的には,労働者災害補償,産業衛生,年金制度,従業 員共済組合といった施策の導入で他の企業の先を行っていた。

当時の労働者は,福利厚生を賃金や労働時間に不満を抱いている自分たちを現在働いている 会社に縛りつけるために提供されている, と見なしていた。でもハーヴェスター社では,「同 社と従業員およびその家族との間の相互利益を基盤とする労使関係制度を次第に構築」〔43, 51〕できるようになり,他の企業に先駆けて「労使間の協力的な関係が福利厚生や慈善活動に 取って代わった」〔同上〕のであった。ただし,ヒックスのいう「労使間の協力的な関係」を 構築する仕組み(=従業員代表制)は,残念ながら彼がハーヴェスター社に在籍している間に は導入されなかった。ハーヴェスター社に従業員代表制が導入されるのは,別の機会に明らか にしたようにIO)'191819年のことであり,それはヒックスが同社からコロラド燃料・製鉄会 社を経て,ニュージャージー・スタンダード・オイル社に移った頃であった。

ヒックスがハーヴェスター社に在籍していたのは1911年から15年であった。この時期は,同 社にあって,まさに福利厚生から近代的労務施策への移行期であった。 1918年,同社に労使関 係部が設置される。だが,彼は同部の設置を見ることなくコロラド燃料・製鉄会社に「貸与」

されるのである。この貸与は,後に見るように,彼自身の意志とはまったく別のところで決め られてしまった。もっとも,彼自身がハーヴェスター社で就いていた仕事は,その思惑と違い

「労働関係あるいは福祉に関する活動というよりもその大部分は安全活動」11)であったこと,

また,「ヒックスの在任期間中に発生した大きな労働関係危機 (1913年にニューヨーク州オー バーンで発生したトワイン・ミルでのストライキがその代表例一注,伊藤)において,彼が意 見すら求められていなかった」12)ことを指摘しておきたい。さらに先に例示した年金などの プログラムは, J. p・モルガン (J.P.  Morgan)のパートナーで,ハーヴェスター社の総支

配人だったジョージ•

W・パーキンス (GeorgeW. Perkins)が始めたものであった。しかし,

こうした新たな福利厚生プログラムは,「福利厚生におけるリーダーとしてふさわしい全国的 な評価をハーヴェスターに与え,……ヒックスを労働関係の全国的な泰斗にした」13)のであり,

ヒックスがコロラド燃料・製鉄会社で働くようになる遠因ともなった。

1 0 ) ハーヴェスターの従業員代表制については.伊藤健市「ハーヴェスターにおける従業貝代表制の展開」(『ア メリカ大企業と労働者』所収)を参照のこと。

11)  12)  13) Robert Ozanne, A Century of LaborManagement Relations at McCormick and International  Harvester, University of Wisconsin Press1967,p.171.伊藤健市訳『アメリカ労使関係の一系譜ーマコーミ

ック社とインターナショナル・ハーヴェスター社一』関西大学出版部. 2 0 0 2年 . 2 3 9ページ。

(7)

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月 )

1915年にヒックスはハーヴェスター社を辞める。その形はどうあれ,それは同社における労 使関係の1つの時代が終焉したことを物語るものであった。すなわち,同社の「福利厚生部の 職員が工場改善と福利厚生プログラムを扱っていた」14)時代,別のいい方をすれば賃金や労働 時間そして組合との関係をスタッフ部門が扱っていなかった時代から, 1918年に設置された労 使関係部が「会社組合 (companyunion)の監督,賃金と労働時間の調査,全国の組合活動の 査察といったこと」15)を責務とする時代へ移行したのである。この「会社組合」とは,従業員 代表制のことにほかならない。残念ながら, ヒックスと従業員代表制との接点はハーヴェスタ 一社ではなかったのである。

③コロラド燃料・製鉄会社

ヒックスは, 1915年にコロラド燃料・製鉄会社からJ.F・ウェルボーン (J.F. Welborn)  社長の補佐として招聘された。この背後には, 19142月20日に発生した「ルドローの大虐殺」

と呼ばれる悲劇的な惨事をもたらしたコロラド炭田地帯での労働争議があるのだが,紙幅の関 係で残念ながら割愛せざるを得ない16)

ヒックスの転社は,「マコーミック家は労使関係のノウハウを扱える人物としてクラレンス・

J・ヒックスをルドローでの悲劇的な争議に困窮していたロックフェラー家に貸していた」17)

といわれるように,ハーヴェスター社からの「貸与」であった。当初その期間は1ヵ月であっ たが,最終的には「譲り渡された」18)のである。この間の状況は,マコーミックJrの弟であり,

ロックフェラーJrの義理の兄に当たるハロルド・ F・マコーミック (HaroldF. McCormick) 

—ハロルドの妻はロックフェラーJrの姉エデイス (Edith) ―に宛てたマコーミック Jr の

次の手紙で明らかである19)

「ロックフェラーJrからの手紙を送りました。その手紙は,ヒックス氏がロックフェラ一家 の人々と経験した非常に興味深い会議の内容を明らかにしています。それまでにない回数と深 刻さを伴う争議の最中に,ロックフェラーJrは状況を調査するために1か月ヒックス氏を貸与 してもらえるかどうかを問い合わせてきました。喜んでそうさせてもらいます. と彼に伝えま した。……ヒックス氏は今週赴くはずです。

ロックフェラ一家の人々およびその利害関係者との密接な関係は,あらゆる面で非常に望ま しいものと感じておりできる限り支援したいと思っています。」

この手紙の日付は 1915年 9 月 13 である。ハワード•

M ・ギテルマン (HowardM. Gitelman)  教授によれば, 7月末にYMCAのスタッフがヒックスと面談し,ロックフェラーJrが求めて

14)  15) Ibid., p.172. 241ページ。

16)

詳しくは次の文献を参照のこと。

HowardM. Gitelman, Legacy of the Ludlow Massacre : A Chapter in  American Industrial Relations, University of Pennsylvania Press, 1988. 

17) 

R .  

Ozanne, op.cit., p.117. 166ページ。

18)  19) Ibid., p.172. 240ページ。

(8)

いる人物が彼であるのを確認した上で, 8月にヒックスの「1ヵ月間の試用」が始まった。こ の間, ヒックスは炭鉱の飯場 (camp)の調究を行った20)

ヒックスがコロラド燃料・製鉄会社で働いていた間,ウェルボーン社長から「最新の労使関 係制度の開発に際して惜しみない支援」〔44, 52〕を受けていた。この「最新の労使関係制度」

とは従業員代表制のことである。また,彼とロックフェラ一家との交際が「より親密」になり,

「その後四半世紀」にわたって続くようになったのもこの頃のことであった〔45, 52〕。ヒック スとロックフェラーJrとの関係は,「YMCAで国際活動に従事していた頃」〔46, 53〕にまで 潮る。ロックフェラーJrYMCAに多額の寄付を行っていた理事であり叫そうした関係から ヒックスを知っていた。ヒックス自身は,ロックフェラーJrが「コロラド燃料・製鉄会社での 労使関係に関する職を推薦して下さったのは,間違いなくハーヴェスター社での経験に加えて,

それ以前のYMCAでの活動を熟知しておられたからである」〔46, 53 54〕と述べている。さ らに,ヒックスとマッケンジー・キングとの密接な関係が生まれたのもこの時であった。2人は,

マッケンジー・キングがカナダの労働大臣を務めていた頃に多少の面識はあったが〔47,55 一緒に働いたのはこの時が初めてだった。

ここに従業員代表制の生成•発展に深く関与した 3 人が出揃うことになる。コロラド燃料・

製鉄会社でのこの 3人の枠割り分担は,ヒックスによれば次のようなものであった。

( 1) ロックフェラーJr氏はコロラド燃料・製鉄会社に対し,従業員側と経営側の代表が 労使双方に関係するすべての問題を友好的に議論できる従業員代表制の導入を提案すること,

(2)私はハーヴェスター社を休職し,同制度の創設と導入を支援する目的でコロラドに赴く こと,そして(3)その後ロックフェラーJr氏とマッケンジー・キング氏は,コロラド燃料・

製鉄会社の飯場での生活条件と労働条件を調査する目的でコロラドとワイオミングに行き,従 業員の賛同を得て導入された従業員代表制のもとで選出された従業貝側の代表たちとの議論に 加わること,である。」〔47,55

コロラド燃料・製鉄会社の従業員代表制は,西部鉱夫連盟 (WesternFederation of Miners)  に組織されていたキャニオン地区の組合従業員を除く従業員から受け入れられた。だが,同地 区の従業員も,他のすべての地区で従業員側の代表が選出されているのを知った途端,選挙を 要求した。同社では各地にあった石炭や鉄鉱石の採掘現場,そしてプエブロ製鋼所で従業員側 の代表が選出され, 1915年102日に最初の合同協議会 (jointconference)がプエプロで開 催されていた。

ヒックスがコロラド燃料・製鉄会社で働いていたのはわずか2年であったが, この2年間は,

彼自身も語っているように,「アメリカにおける労使関係の展開のなかで従業員代表制の占め る地位が重要度を増した結果,集団関係における友好の推進という非常に貴重な体験ができた

20) 

H .  

M. Gitelman, op.cit., p.155.  21)  Ibid., p.156. 

(9)

1 1 8   関 西 大 学 商 学 論 集 第

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年2 月 )

2年間」〔51, 59〕であった。

④ニュージャージー・スタンダード・オイル社

ヒックスは, 1917年にニュージャージー・スタンダード・オイル社に招聘され, 1933年に退職 するまで社長補佐を務めた。彼が招聘されたのは, 1915年のベイヨーン精油所でのストライキ が遠因であった。このストライキは別のところで取り上げたので詳細は割愛するが22),ヒック スにとっては,「取締役会メンバーのほとんどが現場から昇格してきた常勤従業員であったに もかかわらず,一般従業員との継続的かつ緊密な接触がもつ重要な意味をまったく認識してい なかった」〔52, 60〕ことが問題であった。その結果,「各工場の労務政策はそれを担当するエ 場長にまったくといっていいほど依存」〔同上〕していた。そこで,労使関係に関する経験豊 富なヒックスが招聘されたのである。

ヒックスの任務は,当時の社長A・C・ベッドフォード (A.C. Bedford)の命を受けて,

従業員代表制を導入すべく「ベイヨーンと他の2つの精油所の労働環境を 1ヵ月ないしは2 月にわたって調査する」〔同上〕ことにあった。ニュージャージー・スタンダード・オイル社は ヒックスに,その調査を踏まえて「取締役会向けの勧告を併記した報告書を準備」〔52,61 するよう依頼していた。ヒックスの報告書は取締役会に提出され,ある条件が付記された上で 満場一致で採択された。その条件とは,彼が転社し,その勧告を実行に移すべくベッドフォー ド社長を補佐することであった。彼は,この条件を「好意的な支援のもと,世界で最も影響力 をもつ企業で有効かつ包括的な労使関係制度を構築するのに手を貸すチャンス」〔53, 61〕と

して受け入れたのである。

ニュージャージー・スタンダード・オイル社の従業員代表制は,労使代表制度 (Industrial Representation Plan)と呼ばれている23)。同社は,長年にわたって従業員との間に友好的な関 係を構築してきたことで有名であったが,この労使代表制度が導入されるまでは,「社内の従 業員にとって経営陣と親しくなり,彼らを理解する機会はほとんど与えられていなかった」〔55, 63〕ようである。労使代表制度が導入され,労使の代表で構成される合同協議会が開催される

ようになり,そこで「賃金,労働時間,苦情といった重要問題を含めて,同社とその従業員に 関する問題であればどのようなものであれ取り上げられ,全員で腹蔵なく議論できる自由が完 全に与え」〔同上〕られたのである。それは,一方で労使の友好的な関係強化だけでなく.他 方で明確な労務政策の構築・維持として結実していた。ヒックスは同社労務政策の特徴を17 点取り上げている。すべてを列記できないが,所属団体(協会,友愛会,組合など)に基づく 従業員の差別禁止から年金や死亡保険金にまで及んでいた〔5657, 64 65

ニュージャージー・スタンダード・オイル社に関してもコロラド燃料・製鉄会社と同様,組合

22)  23)

伊藤健市「

NJ

スタンダードにおける従業員代表制の展開」を参照のこと。

(10)

と従業員代表制との関係を取り上げておかねばならない。同社とその子会社のすべてが組合に 組織されたことはなかった〔57, 66〕。しかし,組合が組織されていた職種では,「組合従業員 が組合役員を従業員側代表として通常選出」〔54,62〕していた。ところが,労使代表制度の もとで開催される合同協議会で意見を交わした結果,「種々の組合の職場代表たちは自分たち の組合の必要性がほとんどなくなっていること」〔54, 63〕を悟っていた, とヒックスは語っ ている。この点は,アメリカ労働総同盟 (AFL)を代表する人物が,「ニュージャージー・ス タンダード・オイル社は従業員が組合に加入する必要性を感じさせないほどうまく従業員を処 遇」していたことから,同社における組合活動は前進していないと述懐していた点にも示され ている〔58, 66

最後に,労使代表制度が黒人労働者からも歓迎されていたことをヒックスが明らかにしてい る点を指摘しておきたい。彼ら黒人労働者たちは,「自分たちのなかから代表を選出するよう 求められた時非常に驚き,そして喜んだ」〔58, 67〕ようである。「非常に驚き,そして喜ん だ」のは,おそらく彼らが組合運動から無視されていたからであろう。その意味で,労使代表 制度のもとでこれまでとは違った扱いを受けた彼らが,「合同協議会で同社の経営陣と会合し,

黒人従業員と経営陣との間で公正かつ友好的な関係を構築するという非常に貴重な貢献」〔同 上〕を行ったのも当然のことだったかもしれない。

2.

クラレンス・

J

・ヒックスと従業員代表制

ここでの目的は.従業員代表制とは何かといった問題を取り上げるのではなく24).ヒックス が従業員代表制をどういうものと捉えていたか.という点を明らかにすることにある。それは.

ヒックスが従業員代表制の哲学(考え方)一~労使関係の哲学(考え 方)—を提供したとする筆者の評価を明確にするにはこの方法が最適だからである。

ヒックスは.労使関係の発展段階を 3つに区分している。この3つの区分は,次のような各 段階に見られる指導原理に基づく区分である。

①労使関係に関する3つの原理

その最初の原理は使用者の専制(autocracyof employer)である。ヒックスのいう専制とは,

支配・服従といった一般に考えられるものではなく,「専制は往々にして慈悲深いものである」

65, 74〕と語っているように,温情・家父長主義的な哲学(考え方)である。ヒックスはこう もいっている。「経営者は,従業員に対して行うべきこと,そして行えることのすべてを行い,

さらに自分自身ができる以上のことを行うべきであると考えられていた」〔65, 74〕と。労働

24)

さしあたり,伊藤健市「

SEC

の労務理念と従業員代表制」(『アメリカ大企業と労働者』所収)を参照の

こと。

(11)

120 

関西大学商学論集 第

50

巻第

6

(2006

2

月 )

者に対する譲歩は博愛主義と見なされた。そこでは,「経営者だけがやっていいことを決定で きるとする考えは,労働者との交渉をばかばかしいものにする」〔66, 75〕のであって,そこ に団体交渉などあるはずもなかった。彼にいわせれば,専制原理に欠けているのは,「労働者は,

問題になっている労働環境に経営者と同様関心をもつ従業員であるだけでなく,事業の共同所 有者でもある」〔同上〕との視点であった。そして,その最大の欠陥は,「自由国家における個 人の権利や現代的な管理諸原則」〔同上〕に対する論理的かつ首尾一貫した哲学(考え方)が なかったことであった。彼は,「真の協力関係を育めない不毛の地にあっては,専制はその支 配下にある人々の敵意を招くだけである」〔67, 76〕と喝破している。彼のいう敵意は,勤労 意欲や能率の低下に表れる。彼にあっては,労使関係の要諦はまさにこの「真の協力関係」を 構築できるかどうかにかかっていた。

2つめの原理は,産業界には敵対する当事者しかいないとする考え方である。これは,アメ リカではなく厳格な階級差別と階級意識,労使の間には何も共通するものはないとするヨーロ ッパ的な考えである。そこでは,労働者と資本家は,「それぞれが利己的で,敵対的で,そし て独自に獲得できるものはすべて手に入れよう」〔同上〕とし,「経営側と労働者側の態度は友 好的であるよりも必然的に敵対的なものと想定」〔同上〕されている。ヒックスはイギリスを 事例に,アメリカ流の協力関係は新奇な考えと見られ,アメリカで一時的に流行っているもの として扱われていることを指摘している。例外的に労使の協力関係を助長しようとしたホイッ トレー委員会 (Whitleycouncils)にしても,ヒックスにかかれば「労使は妥協点を模索する のではなく,使用者は使用者団体で,従業員は組合で,それぞれ相対立する階級として団結し ていただけである」〔68, 77〕とにべもなく切り捨てられている。

この敵対という哲学(考え方)は,アメリカの組合運動にも見られる。ヒックスの組合観は,

「それが労働者の地位向上で達成した成果に関しては,評価すべき点は多い」〔69, 78〕とする ものである。ところが,一方で専制的な使用者は「組合運動がそれほど戦闘的でなければ組合 を無視するか,あるいはそれを粉砕しようとした」〔同上〕し,他方それに対抗して賃金労働 者の多くは「拮抗力を結集することが賃金労働者の利益と権利を守る唯一可能な方法である」

〔同上〕と想定していたのである。だが, ヒックスによれば,徐々にこうした組合の考え方に 変化が生じてきており,「アメリカ産業のある特定部門の労働者と組合幹部は,近年,経営側 との間で建設的な協力関係の構築を支援する願望」〔同上〕を示しているし,労使の「利害は まさに一致すると見なされ,友好的な関係が広範に拡がっている」〔同上〕のである。

最後に,労使関係は必然的に敵対を伴うという前提に対しては,ヒックスは自身の経験を踏 まえて次の3つの結論を導き出している〔7677, 85 86

1.労使敵対という原理は,協力的な関係にとって有効な基礎となることを未だ示していない。

ストライキは勝つか負けるかであるが,いずれの結果も新たに協力的な関係を構築する際に 貢献することはない。

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2. アメリカの賃金労働者の圧倒的大多数は,組織化された労働運動に参加するのが適切だと は認めていない。組織されていない大多数の賃金労働者を考慮に入れずに,労使関係の唯一 の原理が産業界全体にとって一般的であるとか,的を射ているとは想定できない。組織され た少数派の権利と同様,彼らの権利も神聖である。その考えを明確に表明する少数派が,そ うした少数派に与することが適切と認めていない別の者も代弁していると考えられないのは 当然だし,大多数が組合に組織されている場合でさえ,少数派の権利は保護されるべきであ

3.使用者が専制的な態度をとれば,疑いなく従業員は自己防衛と攻撃のために組織化する。

最初の原理は2番目の原理に繋がる。ただ, この3番目のアプローチによってのみ振り子は 静止する。均衡する 2つの力を設定することで,いずれもが強い影響力を行使できないので ある。だが,敵対的な組織による「大混乱」の繰り返しでは産業平和をもたらすすばらしい 技法も台無しになる。

3つめの原理は,全従業員の利害の一致 (unityof interest)という哲学(考え方)である。

アメリカでは,巨大産業企業が「労使を分ける固定的な境界線などない友好的な基盤の上で,

つまり両者の協力的な関係を土台として発展してきた」〔7778, 86〕 こ と は 他 の い か な る 国 よりもはっきりしている, とするのがヒックスの立場である。そこでは,「経営者はもはや絶 対的な専制者などではない」〔77, 86〕し,従業貝や所有者,そして消費者を「相互に利害関

エージェント

係を有する者として一緒にする仲介者」〔同上〕と次第に見なされるようになってきている。

こうした利害関係がうまく機能するには,「全当事者の協力を必要とするが,とりわけパート ナーである経営側と労働者側の協力を必要とし,そしてこうした協力を推進する際には経営側 がイニシアティブを発揮する義務を負っている」〔同上〕のである。

以上,労使関係に関する3つの原理・哲学(考え方)をヒックス自身がどう捉えているか考 察してきた。いうまでもなく,ヒックスの労使関係観の要諦は「利害の一致」にある。これを もたらす制度が従業員代表制である。では, ヒックス自身は従業員代表制をどう捉えていたの であろうか。

②ヒックスと従業員代表制

ヒックスと従業員代表制との最初の接点となったコロラド燃料・製鉄会社の従業員代表制に 関し,彼は同制度が「反組合的な方策であることを決して意図したものではなかった」〔78, 88〕ことを指摘している。この点は同制度の基本原則の1つが,「すべての従業員が組合に加 入しているか否かにかかわらず,差別されないことを保証していた」〔同上〕ことで裏付けら れる。さらにもう 1点。同制度は,「従業員に関する限り, AFL型の組織で具体化されている 従業員もしくは職種の代表者だけでなく, CIOの綱領で具体化されている全工場の代表者を含 んでいた点を指摘しておくことが重要である」〔80, 89〕としている。

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