[書評] 保田芳昭著『マーケティング論研究序説』
その他のタイトル [Book Reriew] Yoshiaki Yasuda "Modern Marketing Theory"
著者 森下 二次也
雑誌名 關西大學商學論集
巻 22
号 1
ページ 69‑82
発行年 1977‑04‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021023
[書評】
保 田 芳 昭 著
「マーケティング論研究序説」
森 下 二 次 也
ー
かつてわたくしは,わが国におけるマーケティング(論)の研究者を 3つ のグループに類別したことがある。 (森下監修『マーケティング経済論』上 巻 序 文 ) そ の 第1は実務解説書を中心とするアメリカ文献を直訳的に紹介 することに終始し, 「もっぱらアメリカの新しいマーケティング技法の断片 をいちはやく紹介するという,いわば輸入業者としての役割を果すことに満 足している」人たちである。彼らは,あるいは実務家であってその業務の遂 行に直接に役立つ知識を吸収しようとしているか,そうでなければ学問的良 心を資本の手に売りわたして恥じない似而非学者である。その第 2はアメリ
カの新しいマーケティング理論を批判的に摂取してこれを発展させ,あるい はこれをわが国の特殊性にあわせて独自化しようと努力している人たちであ る。彼らは,すくなくとも主観的に良心的であるという点で,第1のグルー プと区別できるし,またしなければならない。第3のグループは科学的経済 学の立場から,その1つの特殊部門としてマーケティング論を体系づけよう としている人たちである。
70(70) 保田芳昭著「マーケティング論研究序説」 (森下)
このような類別は現状にもそのままあてはまると考えてよいであろう。し かしここでは第1および第2のグループについてこれ以上に深くたちいる必 要はない。いま問題にしなければならないのは第 3のグループだけである。
わたくし自身このグループに属するものと自任して,その成長を念願してい るばかりでなく,この書評でとりあげようとする書物の著者,保田芳昭氏も またこのグループにあって,そのホープの1人と目されている新進の研究者 だからである。
さてこの第3のグループの研究の出発時点は他の2つのグループのそれに くらべて,.ずっとおくれていたということができる。 そしてその出発の当 時,それは経済学の一般理論からするマーケティング批判,それも超越的批 判の域を出ないほどのものであった。そのような状況についてその頃わた<
しはつぎのように書いている。「マーケティング活動が経済活動の一種であ るかぎり,マーケティング理論は経済学の一般理論との関係を断つことはで きない。そうすることは戦前の配給論のもっていた……欠陥を再生産するこ とになる。だが同時に一般理論にだけ固着するとすればそれは経済学の特殊 理論としてのマーケティング理論を否定することになるであろう。マーケテ ィング(論)批判はまた批判的マーケティング理論でなければならない。逆 にマーケティング理論を欠いてはマーケティング批判もついに超越的,高踏 的な説教に終ることになるであろう。」'(拙稿「風呂勉著『マーケティング・
チャネル行動論』」経営研究,第100号)
この文章が書かれたのは1969年のことであるが,ここから当時においては まだ科学的経済学の立場によるマーケティング論の体系らしいものが存在し ていなかったことを容易に読みとりうるであろう。それだけではない。逆に 当時マルクス主義の立場からする科学的なマーケティング理論の成立を否定 する有力な見解があったのである。ほかならぬ故松井清氏の見解がそれであ る。すなわち氏は「わたくしはマーケティング論を理論にまで高めようとす る……こころみは,結局失敗に終らざるをえないものと考える。勿論このよう にいうことはマーケティング論そのものの存在が無意味であるというのでは
( ない。またマーケティング論を整理して一つの体系に作り上げることが不可 能であるというのでもない。しかしこのようにして出来上がる体系は,客観 的法則を内容とする理論ではなく,主体的論理を内容とする思想または哲学 であるといいたいのである。」(松井清『経済学とマーケティンゲ』 p.222)
と主張されたのである。アメリカで生成•発展したマーケティング論を企業 経営の主体的論理であると規定し,そのようなものとしてそれは客観的法則 を内容とする理論ではありえない,とするかぎりでの松井氏の主張に異論を さしはさむ余地は全くない。しかしそのことからただちに科学的マーケティ ング理論の成立不可能を結論するとすれば,それはまたあまりに性急である とのそしりをまぬがれないであろう。学者の理論がどうあろうと,マーケテ ィングは客観的な経済過程として存在している。そうである以上科学的経済 学は当然これを研究の対象とせざるをえないであろう。問題はそれにかかわ る特殊経済理論を必要とするほどにマーケティングは経済過程として独自性 をもっているかどうかということであろう。
しかしいまこの点について議論するのはところをえない。とにかくわた<
しは松井氏とちがって,科学的なマーケティング理論の構築の必要と可能を 信じていた。それがさきのような文章となったのである。幸いわたくしの考 え方は孤立をまぬがれた。幾人かの同志がいた。これらの人たちは個人的な 接触を通じて,あるいはとくにそのために設営された集合の機会をとらえて 1つの共通の目標に向って前進しはじめた。すなわちマルクス経済学の立場 からするマーケティング論の研究者が第 3のグループとして出現することに なったのである。もちろんこのグループに属する人たちの研究はマーケティ ング(論)にたいするたんなる超越的批判にとどまっていることはできなか った。マーケティング(論)批判が批判的=科学的マーケティグ論であるた めには,すすんでいわゆるマーケティング論への内在的批判を展開しなけれ ばならないし,また客観的な経済過程としてのマーケティングそのものに透 徹したメスを加えそこに支配する法則性をえぐりだすものでなければならな い。これはしかしきわめて険しい径であり,なみなみならぬ努力を必要とす
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ることであった。 そしてその努力が後に『マーケティング経済論』(上巻,
1972,下巻1973,ミネルヴァ書房)として結実する。この書物は名目上わた くしの監修ということになっているが,実際的にはほとんど 3人の編集委員 の推進によってなったものである。そしてその3人の編集委員の1人という のが誰あろう保田芳昭氏その人なのである。
ところでこの『マーケティング経済論』のできばえは,かなり満足すべき ものであったということができるが,それはあくまでも当時におけるこのグ ループの状況からみてのことであって,決して手放しで喜んでおられるよう なものではなかった。これはすでに同書の序文で告白しておいたとおりであ る。このことは,この書物の出版とともに研究者の層を一層拡めること,研 究の水準を一層謡めることという新たな責務がこのグループの研究者に課せ られたことを意味する。そのうち研究水準の高度化ということについていえ ば,水準という以上それはもちろんグループ全体にかかわることにちがいな いが,しかし全体水準を高めるために決定的に重要なことは個人の研究努力 である。個人の努力による研究成果の蓄積なくしては全体としての水準を高 めることなど全く不可能だからである。そしてそのような観点からすればこ のグループの研究水準はその後着実に向上してきているということができ る。けだしこのグループの研究者の専門的な研究書の出版が相ついでいるか らである。そしてここにとりあげた保田氏の著書『マーケティング論研究序 説』もまさにそのような意義をもつ成果の1つなのである。
以上多少まわりみちをしたきらいがないではないが,これはひとえに,保 田氏のよって立つ理論的立場と,そのような立場にある氏が今般この書物を 公けにされたことの意義とを,書評の出発点において確認しておきたかった からである。すすんで内容に移ろう。
]I
本書は,保田氏がこれまで主題について発表してこられた論文を中心とし て,これに加筆・修正・組み替えをほどこしたものにいくつかの未発表論文
保田芳昭著「マーケティング論研究序説」 (森下)
を加えてまとめられたもので, 4絹10章からなる主休部分のほかに,序章と 補章を含んでいる。以下順を追ってその内容をかいつまんで紹介する。
序章はマーケティング・イデオロギーと題される。氏によればマーケティ ングは「独占資本による実現問題の二重の困難(生産と消費の矛盾の激化によ る困難と独占価格による実現でなければならないことによる困難ー一筆者)
を主体的に打解し,独占価格による独占的高利潤を最大限に現実的に獲得す るための諸活動・諸方策」 (p.3)であるが,それは「市場政策行動的側面と 思想的側面の統一として」 (p.5)存在する。この思想的側面がマーケティン グ・イデオロギーとしての役割を演ずるが,マーケティング・イデオロギー としてはこのほかになおブルジョア・マーケティング諭がある。いずれにし ても「•マーケティング・イデオロギーは,独占プルジョアジーのイデオロギ ーの一翼を担って機能する。それは,マーケティングの内的本質的関連,そ の階級的性格をいんぺいし,危機に直面した独占資本にあれこれの役立つ,
有用なプラグマティックなイデオロギー」 (p.11)であって,それはプラグマ ティズムを哲学的基礎とするものである。
第1編では消費者中心志向の問題がとりあつかわれる。けだしそれが戦後 の新しいマーケティング・コンセプトの核心をなすものだからである。 (p. 24)その第1章は「戦前のマーケティング論と消費者志向」と題される。戦 前の消費者志向と戦後の消費者中心志向を対比することによって後者の意味 内容を一層明確に把握しようとするものである。著者によれば,消費者への 志向は戦前のマーケティングにおいてみられるし,またその重要性はマーケ ティング研究の初期からすでに強調されていたことである。だがその消費者 への志向は「主として販売段階での」 (p.25)それであり,「消費者を再生産 の終点,いいかえるならば商品の価値実現の段階において調査・分析し,消 費者の役割を強調する」 (p.26)にすぎない点で後にみる戦後のそれと区別 される。このような消費者志向の特徴は大恐慌期のマーケティングにも貫徹 されている。もちろん変化はあるが,それは「現代の消費者中心志向とは異な
...
る,消費者志向の増大,発展過程を示すものとみるべきである。」 (p.36)た
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だこの時期における消費者運動の高揚を背景として「消費者中心主義」が台 頭することを見落してはならないが,これは社会的次元での問題であって,
マーケティングの問題としての消費者中心志向とは区別すべきものである。
第1編第2章は戦後のマーケティング論における消費者中心思考が考察さ れる。著者はフェルドールン,ハンセン,ハワード,マッカーシー,レイザ ーとケリーなどのマーケティング論を<わし<検討し,そこに明示または暗 示されている現代マーケティング論における消費者中心志向が,戦前の消費 者志向とはちがって「消費者をばマーケティングの終点において認識するの みならず,生産や投資の始点にまでさかのぽっ.て認識する。いわば消費者に 始まり消費者に終るとの認識に立っている。しかも消費者はマーケティング 努力の焦点となり,あらゆる活動の計画と統合を強調する見地」 (p.59)で あることを明らかにする。そして現代マーケティングにおいてこのような消 費者中心志向が必然化した要因は基本的には独占資本のオートメーションを 中心とする技術革新に求められるとする。
第1絹第3章ではこのような消費者中心志向の基本的性格が論じられる。
その基本的性格は「戦後独占資本の技術革新生産休制の内的諸矛盾,…•••と りわけ激化した市場問題を資本家的に『解決』せんとする独占資本の現実の 切実な要請にこたえる一つの経営イデオロギーとしての性格」 (p. 76)であ って,それはつぎのような諸属性をもつ。すなわち(1)独占資本と消費者大衆 の利害の調和を説く弁護論的性格をもつ,(2)独占資本の主体的意識を不当に 強調する主観主義的観念論的性格をもつ,(3)他の経営イデオロギーとの相互 作用,相互関連のなかで存立し,全休としての経営イデオロギ・一の一環をに なうものである,(4)たんなる価値実現の過程にとどまらず,生産•投資・人 事などのプラニング過程まで拡大した「経営の『基本哲学』としての性格」を もつ。このようなイデオロギーとしての消費者志向は「客観的な現実の9土台 に規定されたところのブルジョア意識形態……であるが,それはまた同時に 現実のマーケ天ィングないし経営の組織と行動を規制していくという反作用 の側面をもっている」 (p.7677)のであって,「それはあらゆる領域で問題
となってくるが,わけても製品計画を規制し,更にマーケティング戦略に重 大な影響を与えずにはおかない。それは典型的には,市場細分化戦略のなか に看取できる。」 (p.77)
第2編ではマーケティング・コンセプトの問題がとりあつかわれている。
前編で考察された消費者中心志向が経営の組織と行動を規制するのは「マー ケティング・コンセプトを通して」 (p. 77)だからである。まずはじめの第
4章ではマーケティング・コンセプトの形成と背景が論じられる。ここでも 著者はラゾとコービン,ペル,コトラーなどの見解を注意深く検討しマーケ ティング・コンセプトが顧客中心志向,諸努力の統合,利潤志向の3つの側 面において理解されていること,そのうちとくに顧客中心志向ないし消費者 中心志向がその本質的要素であると考えられていることをあきらかにする。
そしてそのようなマーケティング・コンセプトがプルジョア・マーケティン グ学者によって歴史的にどのように位置づけられているかについて,すなわ ちいわゆるマーケティング発展段階について批判し,戦後新らしいマーケテ ィング・コンセプトなるものが形成されざるをえなかった客観的諸条件を吟 味している。
それにつづく第2編第5章ではまずマーケティング・コンセプトに対する 独占企業の経営者ならびに教育者の態度にかんする調査の結果を分析して,
それが高く評価される一方批判的意見もあることを示し,つぎにこのコンセ プトが経営管理組織の再編に影響を与えたことをこれまた実際の資料につい てあきらかにしながら, 「管理組織の再編がどの程度達成されているかとい うことと,本来的ないみでの「消費者本位」 「顧客満足の充足」などのコン セプトとはっきり区別さるべき」 (p.113)だとしている。そして最後に「マ ーケティング・コンセプトの美辞麗句に対し, やがて不信の念が広がって いった」が, 「いわゆるコンシューマリズムの高揚は, このマーケティング
・コンセプトに対する不信の表明でもあった」 (pp.114115)のであり,そ のためマーケティング・コンセプトの「いわば改訂版」が提起されるにいた
っている,と指摘している。
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第3絹では市場細分化論がとりあっかわれる。第2編で考察されたマーケ ティング・コンセプトの本質的要素は消費者中心志向であるが,市場細分化 戦略こそこの「消費者中心志向の直系的流れをくむものである」 (p.122)か らである。さて,この編の最初の章である第6章ではまずアメリカの諸学者 のこの問題にたいする見解が紹介され,結局その先駆的研究者であったスミ
スの見方すなわち,それは有効に限定され洞察された市場細分における消費 者の欲求を的確に満足させることによって市場地位を築こうとする戦略であ るとする見方に帰着することをあきらかにし,つぎにそのような市場細分化 論が第1に「市場が全体として異質的であり,これは多数の小さい同質市場 から構成されているとの認識に立っている」こと,第2にそこでは異質的市 場を多数の同質的市場に分割するための基準として人口統計学的基準や行動 科学的基準について論じられているが「特定の細分市場は主要基準と副次的 諸基準の混成としての細分ミックスに外ならない」 (p.131)こと,そして第 3に「市場細分化は,……これまでの製品とは実質的に異なる製品……を消 費者または使用者の必要と欲求を満足さすべく開発し,もって特定市場を支 配しようとする性格をもっている。その意味で市場細分化は市場細分化戦略 である。……市場細分化戦略は,たんに製品戦略としてよりも一つのマーケ ティング戦略として把握される」 (p.134)ものであり,この戦略の重要な特 徴は「それが現代マーケティングのもつ消費者中心志向と不可分であるばか りでなく,その直接の具現者であり,遂行戦略である点に求められ」(p.136) るが,市場細分化論は,これが「あたかも消費者の必要と欲求を満たす戦略 であるかの如く論じ」 (p.136)ていること,が指摘されている。最後に著者 はその市場細分化論を批判し,市場細分化戦略の実体を究明している。すな わち「戦後における独占資本の主体的市場政策行動の論理として展開される 市場細分化戦略は,戦後オートメーションを中心とする技術革新生産自体の 内的矛盾をそれ自体のなかに深く背負わざるをえないこと,激烈なる独占間 競争の舞台において歴史的に先行した製品差別化戦略の一定の行き詰りを打 解し,独占的超過利潤を追及すべく展開されること,更に細分化が差別化と
(森下) (77)77 補完的に関連しあって廃物化戦略を完成すること,しかもその展開がきわめ て矛盾に満ちたものであり,より一層矛盾を激化させるという自己撞着を露 呈せざるをえないこと」 (p.143144)があきらかにされる。
第3編第7章では,細分化論で重要な人口統計学的基準の一つたる年令集 団別の細分市場についてのアメリカの研究内容を紹介・検討し,それにつづ く同絹第8章では近年のアメリカにおける理論動向とわが国諸学者の見解に ついての批判的検討が試みられている。アメリカについてはコトラー,コラッ
ドなど,ェンゲルなどがとりあげられ,いまや「市場細分化は消費者中心志 向を反映するマネジメントの哲学である」 (p.191)といわれるまでにいたっ ていることが指摘されている。またわが国では楯本,白髭,石原の諸氏の見 解がとりあげられているが,これはこれらの諸氏の批判にたいする著者の反 批判をなすものであり,著者の市場細分化の理解が競争論的視点を欠くとの 批判はうけいれられるものの,その他の論点については消極的である。
第4編の主題はミリクリー・マーケティング論である。まず第9章では,
かつてわたくしが戦時にはマーケティング活動が窒息するといったことを手 がかりに,在来のマーケティング論がミリクリー・マーケティングの理論を 欠除していたことを指摘し,その展開が必要であることを強調している。つ いで第10章では資本主義の発展にともなう経済軍事化とマーケティングの関 係を一般的に考察したうえで,現代アメリカの軍需市場の特徴を解明しこれ をめぐる軍事マーケティングの実際を分析している。またこの章の補説1で は軍事マーケティングについての私見にたいする再批判が試みられ,補説2 では最新のトピックとしてロッキード疑獄事件がとりあげられている。
最後の補章では前掲『マーケティング経済論』に寄せられた松井,竹林,
風呂,荒川,角谷などの諸氏の批判にたいして「その編集者の一人として参 画した筆者が個人的立場から論及」し,科学的経済学の立場からするマーケ
ティング理論の今後の課題として,(1)マーケティング労働論の研究,(2)独占 価格論の正しい位置づけ,(3)マーケティング主体としての独占資本のよりた ちいった規定,(4)日本独占の市場問題への対応の科学的分析,(5)独占のマー
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ケティングにたいする民主的規制の理論的課題などがあげられている。
皿
以上で保田氏の新著『マーケティング論研究序説』の内容の紹介を終る。
もちろんこの紹介はきわめて概略のものであって,これだけでは読者を誤ら せる危険が大いにあるので,かならず原著についてその詳細を知られること を希望する一—そしてすぐつづいて述べるとおり本書はそうするだけの価値 を十分にもつものである一が,しかしこの簡単な要約からもわかるとおり 本書で著者が企図されているのはマーケティングそのもの,あるいは著者の 表硯を借りていえばその行動的側面ではなくて,その思想的側面およびブル ジョア・マーケティング論を含むマーケティング・イデオロギーの分析であ る。もちろんマーケティングの行動的側面が全く無視されているわけではな い。しかしそれは,硯代マーケティング・イデオロギーの正体をえぐりだす のに必要なかぎりで言及されるにとどまっている。主役を演じているのはあ くまでもマーケティングの思想的側面である。そしてそこに本書の第1の特 徴がある。
とはいえ,マーケティングの思想的側面をあっかった論著は決して稀では ない。というより多かれすくなかれこれにふれないものは絶無であるといっ てよい。だがその圧倒的多数はマーケティング主体たる独占にとって有利な 思想,理念を記述し,開発しようとするものである。しかし本書はちがう。
マーケティングの思想的側面をマーケティング・イデオロギーとする著者の 規定からも推察されるとおり, 本書ではこれを批判し, その虚偽性, 反動 性,腐朽性が徹底的にあばかれている。ここに本書の第2の特徴がある。
ところで,さきにわが国における科学的経済学の立場からするマーケティ ング研究が,経済学の一般理論をよりどころとするマーケティング(論)の 超越的批判にはじまったこと,しかしそのような超越的批判に終始している かぎり,批判的・科学的マーケティング理論の構築が不可能であることを指 摘しておいた。ところが本書で展開された保田氏のマーケティング・イデオ
79)79 ロギー批判はあきらかに超越的批判を越えるものである。関連の諸文献が克 明に読まれ,内在的に批判されている。批判は理論的斉合性にかかわってな されているだけではなく,これをマーケティングの行動的側面と照合させる ことによって,その客観性を検証するという仕方でなされている。著者自身 の言葉で要約すれば, 「マネジリアル・マーケティング論の研究にあたって は,できるかぎり諸文献を内在的に追跡すると同時に,本質把握のために批 判的検討を加え」 (p.111)られているのである。ここに本書の第3の,そし て決定的な特徴がある。
要するに本書は現代マーケティング・イデオロギーについての真に科学的 な批判の体系として内外に比肩するもののない創造的な労作である。個々の 論点,についての分析も鋭く,随所に独創的な知見が提示されていて枚挙にい とまがない。相侯って科学的マーケティング理論のあきらかな前進を示す業 績である。その意味で本書をいくら高く評価しても過褒のそしりをうけるこ
とはないであろう。しかしまた本書をもって完全無欠のものであるというと すれば,それはあきらかにゆきすぎであるといわねばなるまい。本書がいわ ば前人未踏の研究領域にかかわるものであるだけに,し、<つかの問題を含む ものとなっていることは否定できないように思われる。科学的マーケティン グ論の一層の発展を願って,以下あえて若干の問題点をあげてみよう。
まず最初に全体を通じて。その1,さきに紹介しておいたように本書の編 別は第1編消費者中心志向論,第2編マーケティング・コンセプト論,第3 編市場細分化論,第4編ミリクリー・マーケティング論となっているが,第
1編と第2編の順序がいれかわっていた方がよかったのではないか。著者も しばしば言及されているとおり,マーケティング・•コンセプトは消費者中心 志向の上位概念だからである。下位概念である消費者中心志向へ,そしてそ の「直系的流れをくむ」 (p.122)戦略論としての市場細分化論へと議論をす すめられた方が著者の志向にずっとついてゆき易かったのではないかと思わ れる。
その2,内容的に本書のきわだった特徴がマーケティング・イデオロギー
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の批判的分析にあることはさきに指摘しておいたとおりである。その点に関 連して残念に思われることは,本書の中心課題の1つであるマーケティング
・コンセプトと切りはなち難く結びついているマーケティング論のシステム ズ・アプローチ,機能主義的アプローチについての掘りさげた分析を欠いて いるということである。
つぎに個々の論点について。その1。著者は筆者や橋本教授のマーケティ ングの規定を批判し,その目的論に問題があるとされる。すなわち「独占資 本の唯一無二の目的は,プルジョア経営学者たちが経営多目的論をふりかざ してその否定に存在理由をかけているところの,独占的高利潤(または独占 利澗)の追求である」 (p.2)から,マーケティングをたんに独占資本の市場 獲得・支配のための諸活動の総称と規定するだけでは不十分であるとし,す でに引用しておいたように, 「独占価格による独占的高利潤を最大限に現実 的に獲得するたきの諸活動・諸方策」であることを明示すべきであるといわ れる。しかしわたくしはそうは思わない。独占価格による独占的高利潤の取 得は,独占資本にとってまさに「唯一無二」の目的である。逆にそのような 目的を持たないような資本,平均利潤あるいはそれ以下の利潤で自ら満足す るような資本は独占資本とはいえないであろう。つまりは独占資本の市場と いえば独占価格によって独占的高利潤が取得できるような市場を当然に意味 しているのであって,独占資本の特定の領域における活動であるマーケティ ングを規定するにあたってことさらにそれをいう必要はないのではなかろう か。あえてそうすることは間遮いとはいわないまでもあきらかに無用の重複 であるように思われる。
その2はマーケティング・イデオロギーの理解にかかわる問題である。ブ ルジョア・マーケティング理論をマーケティング・イデオロギーとすること についてはもちろん何等の異論もないが,マーケティングの思想的側面と著 者がいっているものについては疑問が残る。たとえば著者は消費者中心志向 について「その主要な側面としては,……客観的な硯実の土台に規定された ところのプルジョア意識形態であり,それは倒錯し歪曲された反映理念であ
保田芳昭著「マーケティング論研究序説」 (森下) (81)81 るが,それはまた同時に現実のマーケティングないし経営の組織と行動を規 制していくという反作用の側面をもっている」 (pp.76 7)といっておられ るが,消費者中心志向というのは文字遥り「志向」であり「哲学」であり,
「考え方=思想」であろう。すると著者は,この場合著者のいわれる思想的 側面とは,全体としての消費者中心志向そのものを指すのか,あるいはその
「組織と行動を規制していく」側面を除いたもう 1つの側面を指すのか,そ れを明示さるべきであろう。
その3。著者は消費者中心志向を消費者志向と区別される。このことはす でに紹介しておいたとおりであり,そしてその区別をあきらかにされたこと は著者の功績と評価してよい。問題はこれに関連していわれているマーチャ ンダイジングの位置づけである。著者の態度はきわめて慎重であるが結局以 前の消費者志向の延長とする考え方に傾いているように思われる。これを現 代の消費者中心志向と区別することに異論はないが,そのことはこれを消費 者志向の延長とすることと同義ではない。 30年代における世界資本主義の構 造的な変化をもっと重く評価すべきではないだろうか。
その4。著者は市場細分化について,在来の製品とは実質的に異なる製品 を消費者の必要と欲求を満足さすべく開発し,それによって特定市場を支配 しようとする戦略で,製品差別化戦略が促進を中核とするのにたいしてこれ は製品を中核とするものであるとされる。このような考え方が,市場細分化 戦略が「結果として一定の満足を消費者に与える」 (p.145)という記述につ ながるものと思われるが,これは疑問である。わたくしは,促進を中核とし て客観性のない市場の細分化を強行するのが市場細分化であると考えてい る。
その5。著者は廃物化戦略をマーケティング戦略の典型的にして一般的な 形態として把握され,したがって製品差別化も市場細分化もこの廃物化戦略 の一形態と考えらるべきであるといわれるが,納得できない。マーケティン
グ戦略は「もっともっと買わせる戦略」 (p.140)であるにちがいないが,そ れは決して廃物化戦略とイコールではない。廃物化は文字通り在来製品のド
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ロップ・アウトを当然に意味しており,その存続を必ずしも否定しない製品 差別化や市場細分化とは区別すべきものであるといわなければならない。
その 6。軍事マーケティングについて。この問題についてはさきに紹介し ておいたように,私見にたいする著者の批判とわたくしの反批判,それにた いする著者の再批判という経緯がある。その再批判にもかかわらずなおわた くしにとっては十分に納得し難いものを残している。いわゆる「中断説」に ついては,著者も戦争中の「特殊性」は認められるらしいから,その特殊性 の内容を具体的に説明されることを希望するらまたわたくしが軍事マーケテ ィングの成立条件について述べたことにたいして,著者はわたくしが「あま りにも独占資本を慎重にして理性的・合理的なものにえがきすぎて」 (p. 249) いると批判されるが, わたくしは逆に著者が独占資本の行動の合理性 を余りにも過小評価されているのではないかと思う。
以上本書についてのいくつかの所感を書きつらねたが,これにはあきらか に瀧を得て蜀を望むていのものが含まれているし,あるいは著者の真意の誤 解にもとづくものがないとはかぎらない。さらに枚数の関係で簡単にすぎて 意をつくせなかったうらみもある。著者の寛恕を願ってやまない。