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インフレと価格決定の多様性

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インフレと価格決定の多様性

その他のタイトル Inflation and Various Prices

著者 安田 信一

雑誌名 關西大學商學論集

22

3‑4

ページ 386‑401

発行年 1977‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021009

(2)

208(386) 

インフレと価格決定の多様性

第二次大戦後30年余を経過したが,その間世界の国々はそれぞれの国特有 の経済的事情を反映して,その程度において非常な相進はあるが,物価は一 貫して騰貴を続け,インフレに悩やまされ続けてきたのである。

ィンフレは第二次大戦後始めて生じた現象ではなく,かっては金銀鉱の発 見に伴うヨーロッパ諸国への大量の貴金属の流入によるインフレ,フランス 革命当時のアッシニア紙幣,アメリカにおける南北戦争当時のグリンバック 紙幣の乱発によるインフレ,さらに第一次大戦後の敗戦の結果として生じた ドイツのインフレ,第二次大戦直後のわが国のインフレが史上有名なインフ レである。

ィンフレは本来的には貨幣的現象であった。したがって金銀鉱の発見にと もなう貴金属の流入や不換紙幣増発等の巨額の貨幣数量の増加はその間に種 々の条件を必要とするとしても終局的には物価の騰貴に導くのは当然であ る。第二次大戦前,さらには第二次大戦直後のインフレについては種々の見

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ィンフレと価格決定の多様性(安田) (387)209  解があるとしても根本的にはこのように言うことができるであろう。しかし ながらその後30年にわたるインフレは次第にその性質を変えていったのでは なかろうか。

今日のインフレは第二次大戦直後にまで遡ることができるであろう。けれ ども第二次大戦直後のインフレは戦勝国では戦争中にその行使を抑圧せら れ,そのために蓄積せられ続けてきた巨額の流動資産が一挙に流出したが,

これに対して戦時中軍需品の生産に転換せられていた民需産業が戦争終了と 同時に軍需品の生産から解放せられ,民需品の生産に努めたが,なおその需 要増加に十分に応じ得ないために生じたインフレであり,また敗戦国では戦 時中に累積せられた巨額の流動資産に加えて,戦後経済再建をはかるために 種々の形で貨幣が増発せられたが,生産能力が急減したことによるものであ った。このように考えると第二次大戦直後のインフレは同大戦までのインフ レと全く同一性質で,貨幣的現象であるということができるであろう。

今日わが国の社会は自由経済社会であるというが,すべての商品の価格は 需要と供給との関係によって決定せられるのではなく,その間に種々の要素 が加わっている。例えば銑鋼一貫作業の鉄鋼,ビール,硝子等については少 数の企業が支配する宴占産業であり,その価格については必ずしも需要と供 給との関係によるものではなく原材料価格騰貴等の生産者側の事情によって 主として決定せられるものであり,不況で超過供給にあり,本来ならばその 価格が引下げられるべきであるにもかかわらず,逆にその価格が引上げられ ることがある。また農業については各国共種々の理由によって保護策が実施 せられ,その生産物の価格の決定においては経済的事情よりは政治的関係が 重視せられ,ときには超過供給で,価格を引下げるべきときにも,その価格 が引上げられることがある。

労賃は労働の対価であり,一般財貨・サービスの価格の決定とは異なるこ とはその性質上当然のことである。すなわち好況で,労働に対する超過需要 のときには労賃は上昇するのは当然であるが,不況で,労働に対する超過供 給のときにも労賃は低下しない。 1930年代の不況期においては物価は著しく

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210(388)  インフレと価格決定の多様性(安田)

下落し,実質賃金がかなり上昇しているにもかかわらず貨幣賃金の切下げに は労働者は極力反対したのである。 このように貨幣賃金は下方硬直性を有 し,労働が超過需要である好況期には上昇するが,労働が超過供給である不

(1) 

況期にも低下しない。ところが近年においては第二次大戦までのこのような 貨幣賃金の動きとは異なって不況期においても物価は下落する代わりに逆に 騰貴し,実質賃金が低下したために,不況期においても貨幣賃金は騰貴する ようになったのである。不況期においても物価は騰貴するということ自体が 今日のインフレの第二次大戦までのインフレとの異質性を示すものではある が,不況期における貨幣賃金のこのような動きも第二次大戦までの貨幣賃金 の動きとその性質が異なることを示すものと言えるであろう。

労賃もこの価格の中に含めると,超過供給であるにもかかわらず貨幣価格 は低下せず,逆に上昇するものが少くない。これらの価格は前述した独占・

寡占価格,農産物価格,貨幣賃金である。しかもこれらの価格の動きは密接 に関連し,その交錯の中に今日のインフレがある。すなわち今日のインフレ は第二次大戦前の貨幣的現象から全経済的問題に転化したのである。以下こ の立場から今日のインフレ問題を考察する。

I I  

封鎖経済を前提とすれば今日のインフレはディマンド・プル・インフレ (Demand‑pull inflation以下略して需要ィンフレという)とコスト・プッ シュ・インフレ (Cost~push inflation,  以下略してコスト・インフレとい う)とに分つのが常である。この分類はインフレの分類を示すが,この分類 は最近2, 30年来のことで,この分類を第二次大戦までのインフレの分類と 比較すると,当時までのインフレはいずれも需要ィンフレで,さらにその原

(1) J.M.  Keynes,  The General  Theory  of  Employment,  Interest  and  Money,  London,  1936,  pp. 89,  塩野谷九十九訳, 昭和25 4 1011

(5)

インフレと価格決定の多様性(安田) (389)211  因を細別して金ィンフレ,財政ィンブレ等と称したに過ぎず,当時はいわゆ るコスト・インフレはいまだ存在しなかった。ところが今日ではインフレを 論ずる場合に殆んどすべての論者は需要ィンフレとコスト・インフレを挙げ る。旧来の需要ィンフレとともにこの新型のコスト・インフレを挙げるとこ ろにこの30年間にインフレの性質,さらにそれが発生する経済社会が著しく

(2) 

変質化したことを示すものであろう。

一社会における生産能力はそれぞれの特定期間においては資源, 生産設 備,労働能力によって決定せられる。ところでこの三者の中資源と生産設備 はその特定の期間においては与えられたものである。したがってケインズ経 済学ではこの三者の中変動する麗用に重点をおき,完全薦用を以てその社会 の生産能力が十分に発揮せられる状態と把握し,有効需要が完全雇用を超え るときにはインフレがおこるという。この有効需要は公共投資支出,民間投 資支出,消費支出から構成せられ,その割合がどのような割合になっている かを問わない。このような考え方によれば一社会における摩擦的失業と未充 足人員,その概括的な表硯は求職者数と求人数とが一致するときにはその社 会においてはいまだ超過需要は生じていないので,その限界点ではあるがイ

ンフレはおこらないことになる。しかしながらケインジァンが言うようにこ の状態においてはインフレは生じないであろうか。

経済は常に変化し,全休としては長期的には経済は前進するが,短期的に は前進または後退を繰返えす。しかしいま仮りに経済は全休としては不変で あるとするも,経済を構成する俵々の産業では上昇,低下の方向にあり,前 者の産業では労働需要は旺盛で,労働は不足気味であり,多くの未充足人員 があるが,後者の産業では労働は過剰状態で,失業者も数多くある。従って 経済全体としては労働が過剰状態にある後者の産業から労働が不足している

(2)元木氏は超過需要によって物価変動を説明するのが「古典的」インフレ論であ り,費用要因を中にいれて説明するのが「新しい」インフレ論とせられる・(元 木久「物価・貨幣賃金率と雇用の短期分析」関西大学経済政治研究所,研究双 書第34冊,昭和51 53

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212(390)  イシフレと価格決定の多様性(安田)

前者の産業に労働者は移動しなければならないが,労働者個々人にはそれぞ れ事情があり,その移動が必ずしも円滑に行われるものではない。ここに摩 擦的失業が容易に解消するかどうかについての問題がある。この場合にトー ビンも述べるように未充足人員の存在する産業すなわち労働者が不足してい る産業ではその不足の程度を反映して貨幣賃金率は上昇する傾きがあるのに 対して,失業すなわち労働者が過剰な産業では賃金は若干弱含みとならざる

(3) 

を得ない。換言すれどケインズが説く如くに失業者がいかに多数存在する場 合にも労働者は貨幣賃金の切下げには強硬に反対するが,物価が僅ずかに上

(4) 

昇して実質賃金が若千切下げられることには反対しない。このことをこの場 合に適用すれば一社会の貨幣賃金はどのようになるか。失業者が多く,過剰 人員を有する産業でも貨幣賃金には下方硬直性があり,労働者は貨幣賃金の 切下げには容易に応じないが,未充足人員があり,労働不足の産業ではその 産業の労働事情を反映して貨幣賃金は上昇する傾きがある。

このように経済が全体として不変である場合にも,その内部においては産 業構造の変化があり,成長産業と斜陽産業とが存在し,前者の産業では労働 者は不足で,未充足人員も多いが,後者の産業では労働は過剰で,失業者も 多い。けれども貨幣賃金には下方硬直性があり,斜陽産業の労働者といえど も貨幣賃金率の低下には極力反対する。したがって未充足人員と失業者とが 一致するときに,斜陽産業から成長産業への労働者の移動がおこなわれるた めにはトービンは貨幣賃金率の引上げがおこなわれると説き,そのことによ

ってインフレヘの傾向が生ずることを認めている。

ケインジァンであるトービンは以上のように主張するが,マネタリストの 代表者であるフリードマンは貨幣数量と雇用量(反面からいえば失業数)と の関係を論じ,それを通じてインフレとの関係を明らかにしている。以下そ の見解を要約する。

(3) J.  Tobin,  Inflation and Unemployment (Essays in  Economics  IT,  Ams‑

terdam 1975),  pp.467. 

(4)  J.M.  Keynes,  General Theory,  p. 9,訳本1112

(7)

インプレと価格決定の多様性(安田) (391)213  フリードマンによれば今日経済政策,従ってその一部分としての貨幣政策 (monetary policy)の第一次的目的は完全雇用の達成, 維持におかれ,ィ ンフレの防止は第二次的目的となっている。フリードマンはこのように完全 雇用に重点がおかれ過ぎ,物価の安定が第二義的になっていることを遣懺と

(5) 

して,つぎのように説く。

実質賃金,実物利子等は本来実物的な経済諸力の関係によって決定せられ る。例えば労働者が多く, 資本が少ない場合には賃金は低廉で, 利子は高 く,逆に労働者が少なく,資本が多いときには賃金は高く,利子は低い。貨 幣当局は利子をこの実物的要因によって決定せられる本来あるべき水準に保 つよう努力すべきであって,これと異なる水準にある場合にはその政策的操 作によりこれを訂正し,本来あるべき水準に復帰するよう努力すぺきであ る。仮りにいま利子はこの経済諸力の関係から本来あるべき水準にあるとす る。けれども同時に失業者が多く,貨幣面からもその対策に迫まられていた とする。この場合に貨幣当局としては利子を引下げて,失業者を減少し,雇 用者を増加しようとする。貨幣当局が利子を低下するのには種々の方法があ り,そのときの経済情勢に応じて最もよい方法を選ぶが,その最も正統的な 方法は公開市場買操作である。従っていまこの場合において貨幣当局はこの 方法を実行したと仮定し,公債等の有価証券を購入して貨幣数量を増加す る。公債等の購入はその価格の上昇を通して利回りを低下する。すなわちこ の公開市場買操作によって貨幣数量の増加と利子の低下とがあわせおこった のであって,利子の低下が単独で生じたのではなく,両者があわせおこった ことが重要である。ところでこの利子の低下と貨幣数量の増加は一面におい て投資に剌激を与え,投資支出を増加するとともに,他面において消費支出 を増加する。そしてこの投資ならびに消費の両支出の増加によって物価は上 昇する。いうまでもなく物価の上昇は反面からいえば実質貨幣数量の減少で あり,また物価の騰貴が持続するようになれば公衆はこのことをある程度ま

(5) M. Friedman,  The Role of  Monetary  Policy,  The American Econmic  Review,  March 1968, p. 5. 

(8)

214(392)  インフレと価格決定の多様性(安田)

で予期するので,資金の貸借取引においてはこのことを反映して,貸手はよ り高い利子を要求するようになり,また借手もこれに応じてより高い名目利

(6) 

子を支払う用意がある。すなわちこの場合における資金取引において成立す る利子の中にはこの物価騰貴が織り込まれているのである。

jl子を低く抑制することを持続するためには貨幣当局は公開市場買操作等 を益々大規模に行い,貨幣数量を益々増加しなければならない。物価が極端 にまで騰貴したブラジルやチリーはこの良き例で,ここでは名目利子の急激 な上昇と貨幣数量の著しい増加とがあわせおこっている。これに反して物価 が安定しているスイスにおいては貨幣数量の増加率も低く,かつ低金利であ った。このことより逆なようであるが,事実においても低金利は金融逼迫,

(7) 

高金利は金融綬和をあらわすということができる。

つぎにフリードマンは貨幣数量と雇用との開係を考察するのであるが,彼 はその際つぎの二つを前提とする。すなわち第一は貨幣数量の増加は労働に 対する需要を増加して失業率を減少することであり,貨幣数量の減少は労働 需要を減少して失業率を高めることである。第二は経済変動についてのウィ

クセルの自然利子と市場利子との関係を導入して,自然利子と市場利子とが 一致するときには経済は上方へも下方へも変動しないが,市場利子が自然利 子より低いときには経済は上方に傾き,市場利子が自然利子よりも高いとき

(8) 

には下方に転ずるという。

フリードマンはこの二つの前提をおくとともに,ワルラスの一般均衡体系 によって実質賃金と雇用率とが決定せられるとし,この雇用率の反面として の失業率を,彼自身誤解を招き易い表現であることを認めているが自然失業

(9) 

(naturalrate of  unemployment)と称している。

(6) ・ M. Friedman,  op. cit, pp. 56.  (7)  ibid, pp. 67. 

(8)  ibid, pp. 78.  なおウイクセルの理論については拙稿「貨幣理論の問題」堀経 夫監修,経済思想史辞典,昭和26 5479頁参照。

(9)  ibid, p. 9. 

(9)

インフレと価格決定の多様性(安田) (393)215  ウィクセルは自然利子と市場利子との関係について論じたが,このことを フリードマンはつぎのようにいう。すなわち前述したように貨幣数量が増加 すれば当初は利子が下落し,所得と投資支出および消費支出は増加する。そ してこの貨幣数量の増加は最初の中は物価よりも主として産出高,雇用にあ らわれるが,この状態が持続するとそれは次第に物価にあらわれる。この物 価の状態は企業経営上有利となるが,労働者は一般にこの事実を十分に認識 せず,貨幣賃金の引上げにおいても, その引上げ率は物価の騰貴率を下回 り,実質賃金の低下に苦しむ。しかし物価騰貴のこのような持続は,やがて 労働者をして,その賃金引上げ要求に際して近い将来の物価騰貴を含むよう になる。このことはさらに貨幣数量の増加を通しての大幅な物価騰貴に導く

(10) 

であろう。

これを前述したウィクセルの用語を使えば貨幣数量の増加した当初におい ては市場利子は低下して自然利子よりも低かったが,この状態の持続は物価 の騰貴を通して利子を引上げ,名目利子は上昇するが,名目利子から物価騰

(11) 

貴率を差引した市場利子は自然利子よりも低くなる。

フリードマンは上述したウィクセルの自然利子と市場利子との関係に類似 した関係が雇用においても生じ,この関係を自然失業率と市場失業率 (ma‑

rket rate of unemployment) との関係としてとらえる。すなわちィンフ レによって市場失業率は自然失業率よりも低くなる。しかしながらインフレ 率が減退すると実質賃金が上昇して,この状態に逆転がおこる。したがって 貨幣当局としてはインフレ率を加速することによってのみ市場失業率を自然

(12) 

失業率より低位にとどめることができるのである。

以上はフリードマンの見解であるが,これをさらに要約する。経済が均衡 の場合の実質賃金を均衡実質賃金と呼ぶ。経済が均衡で,その場合の利子を 貨幣数量を増加することによってそれより引下げる。その場合に貨幣数量の

(10)  ibid.,  pp. 79.  (11)  ibid.,pp.910.  (12)  il>id.,  pp. 910. 

(10)

216(394)  インフレと価格決定の多様性(安田)

増加は一面において物価を騰貴するとともに.市場利子を自然利子よりも低 くする。またこの物価騰貴は実質賃金を引下げ,硯実の実質賃金を均衡実質 賃金よりも低くするとともに,市場失業率は自然失業率よりも低下して雇用 を増加する。

フリードマンは上述のように貨幣数量を調節して現実の利子すなわち市場 利子をウィクセルの自然利子と掏等とすることによって,物価を安定するこ とを主張するが,このフリードマンの主張には彼自身も認めているように物 価と失業との間には背反現象があり,彼は雇用よりも物価の安定を経済政 策,従って貨幣政策の第一義的目的とし,この主張から上述のような見解が 生まれたのである。この主張は理論的には検討に価するが,その硯実性とい う点よりすればボールおよびバーンスが指摘するようにフリードマンのいう この自然失業率があまりに高くなり,社会的・政治的に耐え得る限界を超え

(13) 

ていないかどうかの問題がある。 トーピンもまた同様の批判をしている。す なわちこの場合には物価は安定したが,その地盤である経済が崩壊すること になるのである。

この30年間世界経済,少くとも日本を含む自由圏の先進工業諸国において はその経済はケインズ経済学によって運用されてきた。その場合各国におけ る政策の中心となったのは経済成長政策で,この経済成長政策を完全雇用と 結びつけたのである。その限りにおいてはこの時代のインフレが基本的には 需要ィンフレであったのは当然のことである。しかしながら数年前におこっ たオイル・ショックによって世界経済における事態は一変し,コスト・・イン フレが力を増大し,今日では需要ィンフレとともにコスト・インフレが現代 ィンフレの有力な二大形態となっている。以下このコスト・インフレについ て述べる。

(13) R. J. Ball and T.  Burns,  "The  Inflationary  Mechanism  in  the  U. K. 

Economy,"  The American Economic  Review,  Sept.  1976,  p.469.  J.  Tobin,  op.  c.it.,p.42. 

(11)

インフレと価格決定の多様性(安田) (395)217 

およそ一国内における企業間の関係はきわめて密接で,例えばある一企業 は他の企業からその生産物を買入れて,これを原料としてさらに加工して自 らの製品を産出する。従って一国内の企業が同国内の他の企業からその産出 物を購入する場合にも,購入した企業においてはコストは上昇するが,その ことから生ずるインフレを以て直ちにコスト・インフレということはできな

一国内における企業は同国内における企業からのみではなく,他の諸国か らも原材料等を購入する。 この他国から購入する原材料等が値上りした場 合,直接的にはこの原材料等を使用する特定部門の企業コストは上昇する が,このように他国における原材料等の値上りが一国産業全体からみるとコ スト・プッシュとなる場合に,これを原因とするインフレがコスト・インフ

(14) 

レである。このようなコスト・インフレの大規模なものは数年前の原油価格 の大幅な値上げで,エネルギ資源の大部分を石油に依存している世界経済に 大打撃を与えた。

コスト・インフレという場合にはこのような海外における輸入原材料価格 の騰貴というような場合もあるが,それが大規模に生ずるのはオイル・ショ

ックのようなきわめて例外的な場合で,一般的にはそれは大規模とはなり得

(15) 

ない。従ってコスト・インフレの原因は通常一国内部にもとめられ,かつ産 業全体を通じてのコスト・プッシュの原因としては賃上げによる以外にな い。すなわちコスト・インフレがまた賃金インフレといわれる所以でもあ

(14)  この場合正確にいえば輸入コスト・インフレである(山本繁綽「輸入ィンフレ ーションについて」関西大学経済政治研究所研究双書, 34 昭和51 358頁高本昇「硯代ィンフレーションと所得分配」(同書) 7

(15) 山本繁綽,前掲論文, 356

(12)

218(396)  ィンフレと価格決定の多様性(安田)

高本教授はコスト・インフレの原因として輸入原材料の値上げ,殊にオイ

(17) 

ル・ショックによる石油価格の値上げと賃上げとをあげられる。コスト・イ ンフレについての通説ともいうべき見解で,その中コスト・インフレの原因 としてのオイル・ショックについては述ぺたので,以下コスト・インフレの 原因としての賃上げについて述べる。

一国における大部分の企業または殆んど全部の企業で賃上げがおこる場 合,必ずそれによってインフレがおこるかといえばそうではなく,企業の賃 上げによって企業のコストは上昇するが,既でに他の原因によっておこった

イ'ンフレを追認するための賃上げもあれば,そうでないィンフレもある。例 えば労働に対する需要が盛んで,その結果としておこる賃上げは需要ィンフ レによるインフレで, ここに言うコスト・インフレ, 賃金インフレではな

(18) 

アクリーは賃金をもって一種の「管理価格」 (administeredprices)であ るという。そのことの意味は労働に対する超過需要または超過供給がある場 合にこれに応じて賃金が直ちに変化して需要と供給とが直ちに対応して労働 に対する需要と供給とが均等となるものではなく,労使の団休交渉によって 賃金が決定せられ,かつその中には労働に対する需給以外のなんらかの要素 が反映し,したがってその変更せられた賃金は需給状態の変更をどの程度ま

(19) 

で反映しているかを正確に言うことができない。

アクリーはこのように賃金は管理価格で,その中には労働の需給以外の多 くの要素が介入していることを謁め,現実の賃金上昇が労働に対する超過需 (16)  コスト・インフIYについては尾崎康夫「インフレーションと金融政策」(関西 大学経済政治研究所,研究双書,第32 67, 岩井浩「生産性,分配率,

剰余価値率」(同書) 245頁参照。

(17)  高本昇,前掲論文, 5‑7

(18)  G.  Ackley,  Macroeconomic Theory, 1961, New York,  p. 440,  都留重人 監訳直, 32

(19)  ibid.,pp. 439440,訳本皿, 32 46

(13)

インフレと価格決定の多様性(安田) (397)219  要の結果であるかどうかについては容易に区別し得ないとしているが,それ にもかかわらず不完全雇用で,失業者が多数存在する場合に賃金や物価が騰

(20) 

貴するときには賃金インフレであるという。

アクリーの賃金インフレに関するこの概念規定は一応は理解することがで きる。すなわちケインジアンによれば労働が不完全雇用であるときには,労 働は超過供給の状態にあり,したがってこの状態において賃金が上昇して企 業のコストを押し上げ,インフレとなるのは賃金インフレ,コスト・インフ レであるというのである。アクリーの賃金インフレに関するこのような概念 規定はそれ自休としては一般に容腿される概念規定でもあり,特に異をとな えるつもりはない。けれどもこのアクリーの概念規定では明確に説かれてい ないが,暗にその前提として物価の安定があり,物価が安定している場合に 労働が超過供給であるにもかかわらず生ずるところの賃上げを原因とするイ

ンフレを賃金インフレとアクリーは呼んでいるようである。すなわちアクリ ーの賃金インフレに関する概念規定において重要なことは賃上げが攻撃的性 質をもち,物価の騰貴率,さらに正確にいえば物価の騰貴率と労働生産性上 昇率の合計を上廻ることが必要である。アクリーは正確には賃金インフレの 賃上げは前述したように使用者一般が労働の超過供給であるにかかわらず賃 上げすることとあわせてその賃上げの幅が労働生産性上昇率を超えているこ

(21) 

ととしている。

賃金インフレに関する概念規定においてオイル・ショック後現実との関連 で困難な問題がおこった。すなわちォイル・ショックによる石油価格の大幅 な値上げで物価が急激に騰貴したが,同時に労働はそれまでの超過需要から 超過供給となり,かつこの物価急騰に対して賃上げがおこったのである。す なわちこの場合にはこの賃上げには労働の超過供給はあるが,物価安定はな く,物価の急激な騰貴がある。労働の超過供給という面からすればこの賃上 げはそれに続いておったインフレは賃金インフレであるが,同時に他面では

(20)  ibid.,pp.4468,訳本皿, 42̲5 (21)  ibid.,pp.44 1,訳本直, 323

(14)

220(398)  ィンフレと価格決定の多様性(安田)

その前提としての物価安定を欠き,物価は騰貴している。この点如何に考え るべきか。

物価が騰貴した場合に,労働者がこれに対応して生活防衛的な意味で賃上 げを要求し,企業経営者がこれに応じて賃上げしたのはこの賃上げが生活防 衛的な意味をもち,したがってこの賃上げにもとづくインフレをもって,賃 金インフレということはできない。賃金インフレの前提となる賃上げはあく

まで物価騰貴プラス労働生産性上昇率を超える賃上げで,この範囲内の賃上 げは労働者の生活防衛+産出物増加への労働者の分配分の実現であり,その 結果としてインフレが持続したとすると,それを以て直ちに賃金インフレと いうことはできない。

w~

アクリーは賃金インフレについて前述のように概念規定したが,その概念 規定には賃金インフレの原因である賃上げ以前に物価が安定していることが 必要である。けれども硯実には種々の原因によって物価は騰貴し,インフレ がおこるのであり,前述したオイル・ショックによる物価騰貴もその原因で あった。それでは既述した需要ィンフレ,石油ィンフレならびに賃金インフ レ以外にどのような原因で物価は騰貴し,インフレはおこるのか。.

技術の進歩に伴って多くの新製品が生まれるとともに, 生産も大規模化 し,その建設資金は巨額となってこの産業に新規に参入することは困難とな り,寡占の発生する余地は拡大している。

すべての財貨・サービスの価格は本来は需要と供給との関係によって決定 せられ,騰貴または下落するが,周知のように独占企業では利潤が極大とな るように価格を決定するし,また寡占企業ではその売上高に対して一定率の 利潤を確保するように,その生産物の主要費用に一定率をマーク・アッ,プし

(15)

インフレと価格決定の多様性(安田) 399)221 

(22) 

て価格を定める。従って独占・寡占企業ではその生産物に対する需要が減退 している場合にも極大利潤または一定率の利潤を確保するために値上げをす る。この場合にその生産物が他の企業の原材料となる場合には,その購入し た企業の生産物価格を上昇し,かつこの価格上昇を通じて生産物価格を全体

として騰貴に導く。

このように今日の社会ではすべての財貨・サービスの価格は需要と供給の 関係だけによって決定せられるのではなく,独占価格,寡占価格のように需 給以外の要素によって価格が決定せられることがあり,独占財貨については 別とするも,寡占財貨については技術の進歩にともなう大規模化によって益 々拡大する傾向があり,従って不況で,その財貨に対する需要が減少してい る場合にも,その財貨および関連財貨の価格が上昇する場合が少くない。こ の場合に不況は経済界全体としての不況であり,財貨一般の価格はオイル・

ショック等の異常な場合を除けば下落するのが常であるが,このようなとき にも寡占価格が騰貴していることがあり,かつ失業は増加する。

独占・寡占価格とならんで重要なのは農産物価格で,この価格の決定には 政治的要素が多分に介入し'..,..種の管理価格となっている。

農産物はその供給が過剰となった場合には価格は急激に下落し,逆に超過 需要となった場合には価格は著るしく騰貴する。 1930年代の不況期には各国 とも農産物価格が激しく下落し,当時の不況をなお深刻とした。このような 事態は農業を投機的企業とし,その経営の安定した地盤を損うもので,農業 関係者にとって不利益であるばかりでなく,一般消費者にとってもその生活 に重要な影響を与える。このような理由で各国とも農産物価格の安定をはか り,それを通して経済界を安定しようとしている。その目的自体は妥当では あるが,硯実には各国ともいずれかといえば政治的要素が多分に介入して,

(22)  G.  Ackley,  op. cit~ p. 452ff,訳本直, 52頁以下参照, 高本昇, 前掲論文,

28‑9頁。なお独占・寡占企業のわが国での価格行動に関しては安喜博 彦氏の研究がある(安喜博彦「管理価格, カルテル価格の実態」(関西大学経 済政治研究所,研究双書,第32冊,昭和50 62頁以下参照)。

(16)

222(400)  インフレと価格決定の多様性(安田)

農業保護に傾き過ぎ,農産物価格は長期的にみても需給の一致するところよ りも高価格に決定せられる傾向がある。このことは農産物およびその関係商 品の価格を上昇するだけではなく,農民の購買力を膨張し,インフレヘの傾 向を強める。

オイル・ショックによる大規模なコスト・インフレは例外的硯象とする も,今日のインフレはほぼ需要ィンフレ,独占・寡占ィンフレ,農産物を中 心とする政治的管理価格ィンフレに分つことができるであろう。これに対し て実質賃金は長期的にみると経済全体の労働生産性に対応して上昇する傾向 にあるが,短期的にはこれらの原因にもとづく物価騰貴に対応して賃上げを 行う。

もとより現実の賃上げが物価騰貴の結果としてであるか,またはそれとは 関係なく独自におこったのであるかを区別することは困難である。しかしこ

(23) 

のこと故に現実のインフレをこの両者の混合とみる論者もある。けれどもわ が国の賃上げについてみる限り,賃上げはいずれかといえば生活防衛的であ り,かつそれは一般的には物価騰貴率と労働生産性上昇率とを加えるものを 超えない。もしこの限界を超えて賃金が長期的に上昇するならばインフレは 循環的となり,悪性化したということができるが,先進諸国の大部分の国で はまだこの段階に到達していない。もっとも現実的に言えばなんらかの原因 によって物価が騰貴するとき,労働者はこれに対して生活防衛的な意味で,

賃上げを要求するのであり,この賃上げが企業のコストを高め,物価を騰貴 し,これがさらに賃上げ要求となるのであるが,このような行為を繰返して この原因にも、とづくインフレは次第に鎮静化するのである。この過程におい ての賃上げはその性質からいうも生活防衛的賃上げであって,賃金インフレ の原因となるような賃上げではない。現実のインフレを需要インフレと賃金

(23)  G.  Ackley,  op.  cit.,pp.  4556,訳本直, 40頁,中山伊知郎,物価について

(中公新書,昭和42年初版)昭和5249頁,但しアクリーも中山伊知郎氏も,

オイル・ショック以前の著書であるが,硯実のインフレを需要インフレとコス ト・インフレ(賃金インフレ)との混合としている。

(17)

インフレと価格決定の多様性(安田) (401)223  ィンフレとの混合とみる論者はあまりにも現実を重視し過ぎ,この点を看過 しているのではなかろうか。

今日のインフレは第二次大戦前のインフレと全く性質を異にしている。す なわち第二次大戦前までのインフレは貨幣的硯象で,ィンフレと言えば需要 ィンフレで,物価騰貴とともに好況を意味した。これに対して今日のインフ レは需要ィンフレのみでなく,その中に独占・寡占インフレ,政治的管理価 格ィンフレ,さらにオイル・ショックのようなコスト・インフレがあり,ま た論者によっては賃金インフレをこれに加え,その上にインフレの中にはイ ンフレとともに不況をもたらしたスタグフレーションもある。

以上のように考えると今日のインフレは各種の原因がからみあい,その中 に関係者の利害が複雑に交錯している。したがってこれが解決は容易ではな く,またその中にはオイル・ショックによるインフレのように資源小国であ るわが国としては如何ともなし難いものもあるが,その対策の第一歩として は独占・寡占価格,政治的管理価格をその需給にしたがって変動するように 今日多様化しているインフレの原因をまず単純化すべきではないか。インフ レ対策としてなすべきことは非常に多い。しかしながら各種商品の価格が需 給にしたがって動くのは当然であるが,この当然のことが守られていないの が今日のインフレである。もちろん個々的には価格がこのように動かないの はそれに相応する理由もある。けれどもそれらが合休して,今日のインフレ を複雑化しているのであって,まずこの対策が実行せられ,その後において 始めて種々のインフレ対策が実を結ぶのではなかろうか。

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