近代語資料における校訂の問題と資料性をめぐ
坪内適遥﹃一一嶽当世書生気質﹄を見ながら って
増 井 典 夫
一、
ヘじめに
古典語を研究する場合にはまず︑信頼できる資料を得るための諸本︵テキスト︶の検討がしっかりと行われる︒しかし︑
近代語研究においてはテキスト等の検討は︑まだまだ不十分な点が多いようである︒明治時代語研究においても︑小説等
の言語資料になりそうなもののテキストの検討は︑まだまだ不十分と言わざるを得ない︒
例えば︑坪内遣遥﹃当世書生気質﹄は︑明治前期の言語資料として︑重要性が大変高いものとしてよく使われてきたも
のの一つである︒しかしながら︑テキストについては︑明治前期資料として適切な本文かどうかなど︑ほとんど検討が行
われないまま︑﹃遣遥選集﹄所収本文︵及びそれに基づく岩波文庫本︶をテキストにする︵注1︶か︑﹃明治文学全集﹄所
収の本文を用いて検討がなされてきた︵注2︶︒
しかし︑﹃遣遥選集﹄︵昭和二年刊︶所収の﹃書生気質﹄は︑著者自身が校閲の手を加え︑昭和前期の三ロ葉の感覚に合う
表現に改めているものであり︑明治前期の資料として扱うためのものとしては不適当なものである︒
それに対して︑﹃明治文学全集﹄所収本文は初版本によっていることのみを明らかにしただけの︑どういう校訂を施し
ているか全く明らかにしていないものである︒それにも関わらず︑これまでの研究では﹃明治文学全集﹄本文が無条件に
信頼できるかのようなテキストとしての扱いを受けて︑研究がなされてきた︒
筆者はかって︑﹃明治文学全集﹄所収本文が︑言語資料としてはかなり信頼性に欠ける危険があることを指摘︵注3︶
した︒その論文においては作品全二十回のうち︑初めの第三回までを見たのみであったが︑今回は残り全部に目を通し︑
検討を加えたものである︒
一一
A初版本と﹃明治文学全集﹄本文との校異︵不適切な校訂について︶
以下に﹁初版本﹂本文と﹃明治文学全集﹄本文との主な校異を示す︒︵表︶
前論文で扱った︑初版本でいわゆる新字体で記されている漢字が︑﹃明治文学全集﹄で旧字体に改められているものな
どは今回検討対象から外した︒作品全体で見ると︑あまりにも多くの箇所を取り上げることになり︑また繁雑な作業にな
ると判断したからである︒もし︑表記等の研究を行おうとするならば必ず初版本を使わなければならないと考える︒松井
栄一氏はかって︑﹃書生気質﹄について﹁漢字表記や仮名遣い︑ルビに至るまで初版本に忠実﹂︵注4︶などと述べられた
が︑それは実際とは異なることだからである︒
さて前論文では︑﹁第三回まで︵表では①〜⑯︶﹂を取り上げた︒ただし︑⑥の﹁青白︵あをしろ︶い﹂はその時は見落
としたもので︑注4に記した松井氏論文の中での指摘によるものである︒
②︑⑦︑⑪︑⑬︑⑭︑⑮︑などは校正ミスのようにも思えるもので︑校訂されたのもわかる気がするが︑他の箇所の校
表﹁初版本﹂本文と﹃明治文学全集﹄本文︵及び﹃週遙選集﹄本文︶との主な校異
1︑﹁はしがき﹂〜﹁第一回﹂
⑧⑦⑥⑤④③②①
願苔1苦 青2な さ 成 い 才る 下浮勢ξ1白ち|ら ら ら が1
性いずずずめば1バ1ハ1しき
初
版
は 本
し
が 1 き 7 4 4 2 2 1 丁 オ ウ ウ オ オ オ ウ オ 6
2 5 13 10 7 8 8 f〒
願駕苦 青2な さ 成 い 才6下浮勢91白9ら ら ら か1
性いずずずめハ1ハ1バ1しき
明治文学
全集
59
63626160606059頁 下上下下上上下上6 13 24 2 24 7 15 6
願81苦青蓼な さ 成 い才Xl 下浮勢91白21ら ら ら か1
性いずずずめば1ば1ば1しき
適遙
選集
18 15 15 11 11 10 9 3
・ ・ ・ ・ … 頁
11 7 2 8 5 7 7 4
2︑﹁第二回﹂〜﹁第三回﹂
⑪⑩⑨
大琴1弊奮セ 層ξ祢ξ1ブ
ン
〔七;だ1 初
版 本
15 10 9 ウ ウ ウ 13 7 11 大6弊Cセ 層ξ裾げン
〔七
〕へ1 明
治文学
全集
68 65 65 下 下 上 20 13 9 畜ll懸1支1
遣 遙 選集
31 24 22
● ● ・
8 2 11
⑫被ふるした⑬團子
⑭よつぼと⑮頂上
⑯不思義3︑﹁第四回﹂
18Eー1 被ふるしだ 18Eー2 團子 23Iー よつぼど
てつぺん
24E8 頂上
25IH 不思儀
70コ8 被ふるした
70コ9 團子
73繧Q よつぼど
てっぺん
74コ9 頂上
74コH 不思議
⑳⑳⑳⑳⑲⑱⑰
∮ワ,常とド}袋居尋孕1年真磐5 守た ね の
@津ず1の り て 比;
@ 慧 甘 釜1 °1 だ
R7 33 31 30 30 29 28
I オ ウ ウ オ ウ オ
P0 5 4 10 1 14 6
初版本
寓も常きト1守居尋51年真X磐は 袋 た ねの
@津づ1の り て 比;
@ 結了 け い1 局り り ま 1 だ
W1 79 78 77 77 77 76
コ 上 上下 上 上 上
Q6 9 7 5 3 1 26
明治文学全集
窮も常とと1守居尋ら年真え磐5 袋たねの
@津づ1の り て こ
@ 欝 守 31 °1 ま だ
U3 56 53 52 50 50 49・ ・ ● ■ ■ ● ●
V 5 10 5 15 14 9
遣遙選集
4︑﹁第五回﹂〜﹁第六回﹂
⑳⑳⑳⑳⑳⑳⑳
冤21ト 馬ば自み1人 と 大誓 シ曽ウ 耳目頒だ ら1丈呈1
ぐ1蚕1封‡夫え
いつ ・
初
て 版
本
48 46 43 43 40 40 38
ウ オ ウ オ ウ ウ オ
8 3 4 8 14 3 8
冤え1ト 馬ば身み人 と 大ド 名曽ウ 耳じ1分棄だ ろ1丈♀1
い
明
つ
治
て
文
学
全集
88 87 85 85 84 84 82
下 上 下 下 下 上 下
21 10 25 12 3 15 9
冤ると 馬ば身み人 と 大享 シCう 耳に1分£だ ろ1丈膓
ぽ1帯夫‡
云一
2 遣遙
選集
80 75 73 72 69 68 65
・ ■ ■ ■ ● ・ ・
8 12 4 9 9 14 1
5︑﹁第七回﹂〜﹁第八回﹂
⑯⑮⑭⑬⑫⑳
で妄1¶1透獅・隅す1也
す信k一子し田だ゜
ヨ1 等ら鼻髪1
を1
o 初版
本
65 64 61 59 59 53 オ ウ ウ ウ オ オ
1 1 4 4 7 1 で妄琴1透獅・隅引な す信比一子し田だり よ1 等・鼻91 °
の1
o 明治文
学
全集
99 98 96 95 95 91 上 下 下 上 上 下
1 9 11 20 7 8
で 妄{ξ1透 獅し隅引也奮
す信文一子し田だ゜
ヨ1 等ら鼻9iを1
、
遣 遙 選集
10510499 96,95 87
. ● ● ● ・ .
6 8 9 3 8 5
⑰ でるべしく﹁此うち
68Iー3
でるべしく︒此うちm下20出るべし出るべし︒﹂此うち㎜・10
6︑﹁第九回﹂〜﹁第十回﹂
⑯⑮⑭⑬⑫⑪⑳⑲⑱
頗三英ξ1風武ぷ情§1喋曇事じ延え大誓 活ξ 流官£態た々 情ξ1引e丈ξ の 浦鱗制 り 夫ふ1
酒苫1度
初
版 本
87 87 87 86 79 77 77 76 73
オ オ オ オ ウ ウ オ オ ウ
11 9 7 7 1 1 4 1 11
頗三英邑1風文ぷ情§1喋も事じ延え大ド る 流官£態た々ぺ情号1引Σ1丈ξ 活ξ 浦量制 り 夫ぷ1 の 酒も1度
明治文学
全集
113 113 113 112 108 106 106 105 103
上上上下上上上上下
22 18 16 7 7 15 3 15 18
頗三英き風武シ情ξ1喋ヒ事じ延え大9 る 流官・態C々ぺ情§1引儒1丈琴 活ξ 浦芸制リ り 夫ぷ|
の 酒も1度イ
遣遙 選集
136 136 136 134 141 122 121 120 116
… ● ● ■ ● ● ●
11 9 7 13 7 9 15 1 11
7︑﹁第十一回﹂
⑱⑰
ュ罵91か わ
閨@め
?@く「ノ︑91 91オ オ6 6 初版本
蒙覧劉Q・㌘璽115115上 上23 22 明治文学全集
縛1刀E㌘璽145145● ■14 13 遣遙選集
⑯⑮⑭⑬⑫⑪⑳⑲
掌《顯戸曙羅ll シ す が な ∋ム
ス ら
タ 畏ζン う
ス1
97 97 97 95 94 93 91 91
ウ ウ オ ウ ウ オ ウ ウ
4 1 7 9 7 8 14 14
是;1ア 忘琴1下£誰91我不ふξ.5 な便91酵等らッ想藪す シ が な ヨム
ス ら タ ゜1
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H つ
119 119 119 118 117 117 115 115
上上上上上上下下
20 17 4 6 20 3 24 24
是孟1形Z忘琴1下£誰Cl我不ふξ冴 な便9隣多等ら骸駕想ξす 上・γ がな ∋ム
の㌶ ら 助: 畏 力多 う
ス1
154 154 154 151 150 149 147 147
・ ● ● ● ● ● ・ .
13 11 4 15 4 6 3 3
8︑﹁第十二回﹂〜﹁第十四回﹂
⑪⑩⑲⑱⑰
胎誓1い得え誰9可ぺ|
毒ぎそ もが1ラ か1忍お ザ
し ば ル
いすl o 初
版
本
ll711411010199
オ ウ オ オ ウ
8 13 3 5 12 胎迭1い得誰£可;
最そ もか1ラ が1忍 ザ
し ば ル
いず1o 明治
文学 全集
131130127121120
上 上 上 下 下
20 17 2 7523 胎ε1い得誰9可;
毒ぎそもが1ラ が忍 ザ
し ば ル
いず1
、
迫遙 選集
184182174160158
● ■ ● ● ・
9 6 1 13 12
9︑﹁第十五回﹂〜﹁第十七回﹂
⑰⑯㊥⑭⑬◎
夕 器ネ其み尋ξ1中2其あ方 9ヨ原 ね 年ξ1比言1
ノ幽.膓稿た増・
イ1蔓イ料
不 初
版 本
138 138 138 138 127 126
ウ ウ ウ ウ ウ ウ
13 10 8 1 2 10
夕 9ネ其る尋51中 其方 8ζ1原 ね 年t|比;1
h禰た増ま
明治
文 学 全集
144 144 144 144 137 136
上 上 上 上 上 下
22 18 16 7 22 23
夕 るネ其あ1尋ら中 其方 8劃原 ね 年ξ1比日に6膓稿た増・
A Pロィ料
不
遣 遙 選集
216 216 216 216 199 198
● ● ● ● ■ ●
14 11 3 3 12 8
10︑﹁第十八回﹂
⑭⑬⑫⑪⑳⑲⑱
ご坐承薄ネ不忌き美自 ざ敷知 化川可避;1麗n い ぎ い粧曇な な
ま り た し る
せて1い1 我う ゜た 國 初
か が の゜1
ト 版本
147 146 145 142 142 142 141
オ ウ オ ウ オ オ オ
6 14 12 14 5 2 8
ご坐承薄不忌美び1 ざ敷知化げ呵避ω麗n
い ぎ い 粧誉な な ま り た し る
芦1と1元1
ゥ が 國
明治
1 の g
文学
全集
148 148 148 146 146 145 145
下 下 上 下 上 下 上
22 15 21 4 1 24 12
ご座 承薄 不 忌き美び1
ざ敷知化げ呵避ひ1麗n い ぎ い粧ξな な
ま り た し る
㌍1と1義1
ゥ が 國
遣
L「 のト 遙選集
227 227 226 222 221 220 219
… ● ● ● ●
15 10 11 9 2 15 9
⑮床の間なし近頃瑚ウ8床の間なし︒近頃珊下24床の間なし︒近頃却・11
11︑﹁第十八回の下﹂〜﹁第十九回﹂
初 版本明治文学全集道遙選集
享2ーころ⑯町所 皿オ5ちや釦二ろ町所 田下8ちや21一三町所 ㎜・2 1⑰ おはなし・て︒少々 皿オ9おはなし・て少々 鵬下19 ーおはなしして︑少々 脚・5
⑱ おっしゃいますそれじやア 田オ5 1おつしやいます︒それじやア皿上26 ーおっしゃいます︒それぢやア姐・12
⑲候ハ叶 鵬ウ6候ハ叶 面下2候ハ寸 祖・9
⑳ 在候必寛 囎ウー1 日びん⑳過敏 ㎜オー ー在候︒必寛 皿上17刈円びん鋭敏 邸上23 ー在候︒畢寛 蹴・10矧びん過敏 蹴・14
12︑﹁第二十回﹂
⑳⑮⑳⑬㊨
あク1搬駁?1助り ヅ駁?1撃ζ擬
之1く ム製葺の 初
版 本
163162162162161
オ ウ オ オ オ
10 8 1211 2 あグ1辮駁↓園 り ヅ駁ぎ1撃続
判 よ1製 明
の 治文
学 全集
1i賠157157157156 上 下 下 下 下
1622 9 9 13
詫1議遷ぎ霧
21く し、 鐵
製の
遣遙 選集
251250250250247
● ■ ● . ・
12 13 3 3 14
⑭⑬⑫⑪⑳⑳⑱⑰
妙 い 掲 翻覧1青〜1用三寛31ワ
で ひ 断然元棲わ意翌に イ
あ け論 ヲ
ら る な シ1
う や り ン
な う 蓋2 州
小先 し僧生
ノ、
171 171 169 168 166 164 163 163
ウ ウ オ ウ オ オ オ オ
10 4 8 6 10 4 13 11
妙 い 猫 翻21青ξ1用;寛31ワ
で ひ 断然£棲わ意裂に イ
あ け論 ヲ
ら る な ミ1
う や り ン
な う ゜1。1。1蓋 州
小先 し僧生
ノ、
163 1〔B l62 161 160 158 158 158
下 上 下 下 上 下 上 上
5 23 1 23 18 18 20 18 妙い 掲翻21青う用三寛31ワ
で ひ 断然棲ち意鍵1に イ
あけ論ら る な
蓼1
う や り ン
な う ゜l
奄月」芒
州
は
265 264 262 261 256 253 251 251
・ ・ ◆ ・ ● ● ● ■
1 10 3 3 15 2 14 13
・﹁初版本﹂本文において﹁オ﹂は﹁丁の表﹂﹁ウ﹂は﹁裏﹂を表す︒
・⑳と同じく初版本において﹁也﹂︑﹃明治文学全集﹄において﹁なり﹂となっている︑
・初版本は日本近代文学館所蔵本を用い︑昭和女子大学所蔵本も適宜参照した︒ 他の箇所は省略した︒
訂は︑言語資料として見た場合︑問題があるだろう︒特に︑⑫の箇所では︑
き ⑫其羽織ハ親父から貰ったので︒品柄ハわるくないが︒何しろ被ふるしたから︒そんなになったのサ
﹃明治文学全集﹄の﹁撫ふるし矧から﹂だと﹁そんなになっている﹂でないと文法的な対応としておかしいものであり︑
そのような︑文法的におかしい表現に改めてしまうような校訂が見られるものである︒
今回見た﹁第四回﹂以下ででも︑﹃明治文学全集﹄では単純な校訂ミスと考えられるものがかなり見られる︒
⑰の箇所は助詞の﹁は︵ハ︶﹂を﹁い﹂と読み間違えたというものだし︑⑳では本文とは違う文を勝手に作ってしまっ
ている︒明治期の人の話し方に﹁〜とか﹂という話し方は似合わないという先入観でもあったのだろうか︒
⑭の箇所は次のようなものである︒
⑭さてこそ友定透一等を︒まつ八百松へ送りしなりけれ︒
助詞の﹁を︵﹁越﹂の字︶Lを﹁の︵﹁能﹂の字︶﹂に読み誤ったものだが︑文意から考えても﹁の﹂ではおかしいとわかり
そうなものであるが︒
⑮もおかしい︒初版本︵及び﹃遣遥選集﹄︶で﹁アツシスタン刻︹助力︺﹂とあるのだから誤り様がないように思えると
ころだが︒
@の箇所は﹁誰が君なんぞを嫉むもんか﹂というものであり︑﹃明治文学全集﹄で﹁誰か﹂としているのは単純ミスだ
ろう︒また⑮の﹁其︵そん︶﹂も単純ミスだろう︒
一方︑⑲の﹁延引﹂は明治期の読みとしては﹁えん川ん﹂が適当と思われるものである︒第十六回の箇所では︑この語
に初版本︵129丁ウ4︶﹃明治文学全集﹄︵138P下17︶共に﹁ゑん日ん﹂のルビがある︒
このほか︑区読点に関わる問題で︑明らかにおかしな校訂と思える部分が五箇所ほどある︒
⑲女児ハうなづきつ・︒尚不審さうに浩爾とお常の︒面のみ見つめて居たりけり﹃お常ハ頻にあはれをもよほし
この箇所の句点を読点に改めたのは単純ミスとしか思えない︒
むれくる ⑪摩利支天のいやちこなる︒御霊徳を慕ひまつりて︒欺くハ蟻集ぞと推測れバ︒我なが引聞う覚えて︒掌おのつから
合さる︒
句読点が原文になく︑また必要もない所に﹃明治文学全集﹄では勝手に句点を打ってしまっている︒
⑭︵秀︶これハお目覚えがございませうか﹃トいひつ・友定の前へ直せば︒
この箇所も文が終止しており︑読点に改める意味がわからない︒
⑰や⑰の箇所も原文にある句読点を省く必要はないと思われるものである︒
次は校訂者が本文の箇所を著者のミスと判断して改めたと思われるケースである︒しかしながら︑次の七箇所は初版本
と﹃適遥選集﹄本文とで同じになっており︑あえて﹃明治文学全集﹄において改める必要はなかったと思われるものであ
る︒ ㊧の﹁馬耳東風︵ばにとうふう︶﹂だが︑例えば﹃漢英対照いろは辞典﹄でも﹁ばにとうふう﹂でのみ立項されており︑
明治期から昭和前期頃まで﹁ばにとうふう﹂でも使われた可能性が十分ある︒今後さらに検討する必要があると思われる︒
なお︑﹃日本国語大辞典﹄︵以下﹃日国大﹄︶では﹁ばにとうふう﹂が立項されず︑この箇所が﹁ばじとうふう﹂の用例と
して挙げられているが︑﹃明治文学全集﹄の不適切な校訂によるものを採ってしまったということで大いに問題があると
考える︒ ⑮の﹁妄信︵ぽうしん︶﹂は﹃日国大﹄では﹁もうしん﹂のほか﹁ぼうしん﹂でも立項されている︒ただ﹁ぼうしん﹂
では用例が挙げられていない︒一方︑﹃日国大﹄ではこの箇所が﹁もうしん﹂の初出例として挙げられているが︑それも
明らかに問題があるだろう︒
⑳の﹁ありうち﹂も﹃日国大﹄に立項されており︑絶対に﹁ありがち﹂に改めないといけないというものでもない︒
⑪の箇所は﹁神経の過敏に過る﹂という表現になっており︑確かに重複表現ではある︒しかし︑これも作者の表現であ
る︒校訂者の個人的判断で勝手に直していいものか︒
⑬﹁武官制度﹂︑⑯﹁ネセツシチイ﹂︑⑳﹁ワイヲシン﹂の箇所についても︑これも作者の表現であり︑校訂者が勝手に
直すべきものではないと考える︒
一方︑次のような箇所は︑初版本と﹃遣遥選集﹄とでは違っており︑﹃明治文学全集﹄での校訂が﹃遣遥選集﹄のもの
と一致したりするような形になっているものであるが︑改めなくてもよかったのではないかとも思えるものである︒
⑱の﹁大丈夫﹂は﹁だいじょうふ・だいじょうぶ﹂︑⑬の﹁駁撃﹂は﹁はくげき・ばくげき﹂それぞれ二つの読みが認
められるものである︒⑭の﹁妄想﹂は︑﹃選集﹄本での﹁まうぞう﹂が明治期の読みとして一般的なものだったようだが︑
初版本での﹁ぼうそう﹂という読みも認められていた︒﹃明治文学全集﹄の﹁まうそう﹂という読みもなかったわけでは
ないようだが︑あまり適切な校訂とは思えないように思える︒
⑳の﹁弁駁﹂も﹁べんばく・べんばく﹂二つの読みが認められるものである︒﹃日国大﹄では﹁べんばく﹂の項に︑唯
一読みの確認できる例として﹃浮雲﹄からの用例︵二篇第九回︶が挙げられているが︑そこでの読みは﹁べんばく﹂であ
る︒︵﹁べんばく﹂での立項が必要なようにも思われるが︒︶
⑪の﹁薄化粧﹂も前記松井氏論文︵注4参照︶の指摘にある通り︑﹁初版本の︿うすけしやう﹀であっても間違いとは
言い切れない﹂ところなので︑改めるべきかどうかは微妙なところである︒
⑰の﹁罵わめく﹂だが︑﹃日国大﹄では︑﹁のりわめく﹂の用例として﹃当世書生気質﹄刊行直後の迫遥の作品﹃内地雑
居未来之夢﹄︵明治19年︶からのものが挙げられている︒
⑪の﹁翻然﹂も﹃和英語林集成m版﹄︵明治19年︶では﹁ハンゼン﹂で挙げられているものである︒
このほか︵⑩の﹁不便﹂に﹁ふうん﹂のルビを振った箇所であるが︑ここはunforltunateの訳として当てた
部分であり︑作者の工夫した表現部分とも考えられる︒⑱の﹁美麗なる﹂に﹁くわれいなる﹂と当てたのも︑作者の工夫
した表現と考える余地はないか︒
次は﹁新字・旧字﹂の字体の問題以外の表記に関わるような問題である︒
⑳の﹁也﹂など特にひらがなに改める必要はわからないのだが︒⑯の終助詞の﹁ヨ﹂は他の箇所ではそのままカタカナ
であるから︑ここだけうっかりひらがなにしてしまったものか︒
⑪で漢字を別の字にしてしまったのは︑おおげさに言えば著者の表現の侵害に当たるようにも思えるし︑⑲も特に改め
る必要があったとは思われず︑また改めてよくなったようにも思えない︒
一方︑⑫﹁誰﹂︑⑬﹁中年増﹂︑⑯﹁町所﹂︑⑲﹁用意﹂といった箇所は﹁濁点の有無﹂の問題であるが︑どれも初版本
と﹃遣遥選集﹄のものが一致するのであるから﹃明治文学全集﹄の校訂は不適当なものだと言えるであろう︒
以上︑﹃当世書生気質﹄の初版本と﹃明治文学全集﹄本文との校異を見てきた︒近代語資料として見る場合︑﹁﹃明治文
学全集﹄本は信頼できない﹂と覚悟を決めて当たった方がいいのではないだろうか︒
なお︑遣遥は作品の分冊刊行中︑前の部分の誤りが見つかった場合︑後の巻で﹁正誤﹂として挙げ︑訂正するようにし
ている︒今回はそれらの部分は取り上げていない︒︵﹃明治文学全集﹄では︑一箇所を除いては訂正されている︒﹁乃公﹂
︵121丁オー2︶の箇所については正誤に﹇﹁だいこう﹂ハ﹁ないこう﹂﹈と記されているが︑﹃明治文学全集﹄では﹁だ
いこう﹂のままである︒﹃造遥選集﹄でも﹁だいこう﹂となっているから﹁だいこう﹂のままにされたのだろうか︒︶訂正
されなかった部分は誤りとは決めつけられないから︑例えば⑪︶の﹁胎毒﹂に﹁だいどく﹂とルビが振られている以上︑
﹃日国大﹄で用例としてこの箇所を︑﹁胎毒︵タイドク︶﹂のように読みを記して挙げているのは︑やはり問題だろうと思
われる︒
三︑終わりに
明治前期の言語資料として大変重要なものの一つである﹃当世書生気質﹄からは﹃日本国語大辞典﹄などでも多くの箇
所を用例として採用している︒しかしその用例は﹃明治文学全集﹄から採っているために︑不適切なものが多いという結
果になっている︒﹃日国大﹄は︑語史等を考える上での基礎資料となるものであるが︑﹃書生気質﹄に限らず︑明治以降の
用例は初版本から採っているもの以外は︑全て危ないという可能性もある︒︵﹃日国大﹄で挙げられている明治以降の用例
は︑ほとんどのものが何をテキストにしているか判断しにくいという問題もある︶︒
﹁﹃日国大﹄の近世以前の用例には注意は必要﹂とは以前から言われていることだが︑実は明治以降の用例の方がもっ
と注意が必要であるかもしれない︒今後︑語史などを考える上で手がかりを求める時に︑テキストがはっきりしない辞書
の用例にどう対応して行けばいいのか︑また辞書の用例の出典確認などどうして行けばいいのか︑これは個人一人一人の
研究のレベルを超えて︑学界全体で考えて行かなければいけない問題のようにも思われる︒
︵1︶
︵2︶
︵3︶
︵4︶ 注新藤咲子﹁漢語サ変動詞の語彙からみた江戸語と東京語﹂︵昭和38︑有精堂﹃論集日本語研究 現代語﹄所収︶では岩波文庫本によっている︒小松寿雄﹁﹃一一籠当世書生気質﹄の江戸語的特色﹂︵昭和49︑有精堂﹃論集日本語研究 現代語﹄所収︶︑飛田良文﹃東京語成立史の研究﹄︵平成4︑東京堂出版︶等では﹃明治文学全集﹄によっている︒
﹁近代語資料における校訂の問題と資料性 坪内道遥﹃一一一鰭当世書生気質﹄の場合I﹂︵﹃淑徳国文﹄34号︑平成5・2︶
参照︒
﹁現代語研究のために 1明治期以降の著作物のテキストについて ﹂︵﹃国語と国文学﹄平成5・10月号︶参照︒なお︑
松井氏はその後増井宛私信の中で︑﹁誤ったことを書いて申し訳ない﹂旨記された︒