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教師に教育学は必要か?

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Academic year: 2021

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要約

 「教師に教育学は必要か」と問われれば、筆者は「必要である」と答える。ではな ぜ必要なのか。先の問いを言い換えると、「そもそも教育学とは何であり、教師にとっ てどんな意味を持つのか」となる。共に人間主義の教育を提唱した牧口常三郎と村井 実の声を手がかりにすれば、教育学は、教育の目的─子どもの幸福─を達成するため の方法の原理を見いだし、その原理に基づく教育の方法を解明する科学であり、教育

(子どもを“よく”しようとする働きかけ)問題の科学であることが理解できる。

 それでは、教育学は教師にとってどんな意味を持つのか。それは、次の 2 点にまと めることができよう。 1 点目に、子どもの価値創造力を伸ばす、あるいは、子どもを

“よく”することを目的とする教育という眼差し(教育的な見方)で、物事を捉える ことを可能にし、教育の在り方や実践内容・実践方法について、自分の考えを科学的 に検証すること(教育的な考え方)ができるということである。 2 点目は、教育的な 見方・考え方を、教育研究の共通基盤として教師集団が共有することで、教師間での 対話を可能にし、教育の在り方や実践内容・実践方法をより洗練させることができる ということである。教育学は、自己の教育実践を振り返ったり、互いの教育実践につ いて対話したりするための、いわば「原点」としての役割を果たすことによって、よ りよい教育実践を産む母体となるのである。

Ⅰ はじめに

 筆者は創価大学教育学部の卒業生である。ゆえに、 4 年間で「教育学」を学んだこ とになる。大学卒業後、公立小学校で 5 年間働き、今年度(2018年度)で、現在の勤 務校 3 年目を迎えている。本稿のタイトル「教師に教育学は必要か」という問いを立 てたのは、公立学校に勤めている時代に、「大学で学んだことは、現場では全く生か せられない」と豪語する方々に多く出会ったことがきっかけになっている。「本当に 教育学は現場で生かせられないのか。そもそも教育学とは何であり、教師にとってど

研究ノート

私立東京創価小学校

高 橋 正 明

教師に教育学は必要か?

(2)

んな意味を持つのか」という問いが産まれた。「ぼんやりと『教育学は必要だ』と思っ ていたことを、なるべく明確に表してみたい」─本稿のタイトルが「教師に教育学は 必要か」と問いかける形になり、いささか挑戦的なのは、以上のような経緯があるか らである。

 本稿の結論が「必要である」となるのは明白だが、重要なのは、「なぜ必要なのか」

に答えることであろう。本稿では、まず、「教育学とは何か」を明らかにしたい(Ⅱ、

Ⅲ)。手がかりとするのは、牧口常三郎(1871~1945)と村井実(1922~)の声である。

牧口は、学校現場の最前線で子どもたちの幸福のために戦った教育実践家として、村 井は、古代ギリシャのソクラテス研究からはじまり、あらゆる教育思想を研究してき た教育学者として、それぞれ独自の教育学を創造した。牧口も村井も共に、人間主義 の教育を提唱し

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、子どもの幸福を願う多くの人々に希望を送っている。二人の声を 手がかりとすることで、人間主義の教育思想の視点から、教育学を捉えることができ るだろう。その後、教育学が教師にとってどんな意味を持つのかについて考察したい

(Ⅳ)。

Ⅱ 教育学とは何か①―牧口常三郎の創価教育学

 牧口は、自身が創り上げた創価教育学について次のように定義している。

 「創価教育学とは人生の目的たる価値を創造し得る人材を養成する方法の知識体系 を意味する」

2

また、教育学について次のように述べる。

 「教育の目的達成の手段、幸福への手段として、被教育者の採るべき途と方法とを 意識し、之を研究の目標としたものが教育学の使命である。(中略)教育学の目的は、

目的を達成せしむる為の指導に任ず可きもので、目指す所の目標は教育方法に就いて の帰着点を意味する」

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 牧口にとって教育学は、子どもたちを教育するにあたって、その目的─牧口は、教 育の目的を子どもの幸福と定め、幸福は価値を創造すること

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によって実現すると主 張した─を達成するためのよりよき方法・手段を産み出すためのものであった。教育 学は、現場の教師たちによる実践経験から出発して、観察、分析、整合を経て、教育 実践の原理・原則とならなければならないと牧口は主張するのである。そして教育学 が一つの科学として成立するにあたって、牧口が求めた科学分野は「応用科学」で あった。

 応用科学は通常、原理や知識を実際的な事柄にあてはめて利用することを意味し、

「真理の探究自体を目的とし実用上の目的をあらかじめ設定しないことをたてまえと

する基礎科学と対比」

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される。しかし、牧口は自身の思索から独自の応用科学観を提

唱する。

(3)

 牧口によれば、応用科学とは、「人為的因果関係、即ち人間の意志の加わったが為 に生じた、因果関係の現象を、研究対象として、変幻出没きわまりなき外観の裏に存 する、恒常不変なる因果の法則を見出そうと」

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するものである。この牧口の定義は、

応用科学の一般的理解と異なることがただちに見出されよう。さきほど紹介した応用 科学の定義は、「実際的な事柄」を研究の対象とし「実用上の目的」をあらかじめ設 定するといった特徴を有していた。しかしながら、牧口の科学観はそうではない。彼 は、基礎科学─牧口の言葉では純正科学─の研究者においても、その研究で獲得され た知識・理論を何かの目的で使用することを企図する者が少なからずいること、逆に 応用科学に分類されるような事柄を扱っている人が必ずしも意識的に目的を設定して いない場合もありうることを主張して、「目的意識の有無は科学の分類には重要な関 係はない」

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というのである。

 「要するに余は純正科学と応用科学とは研究対象の相異によって区別するを以て最 も妥当なりと信ずるものである」

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 「従来の分類においては純正科学と応用科学との区別の重大な要件は研究作用の目 的観念の相異であったが、其れが排除されて、代りに研究対象の相異が、最も重大な る区別の要件となったのであって、人間の為す価値創造の活動を研究対象となして、

目的と手段との因果関係を見出し、創価作用に於ける因果の法則を確定して、然る上 で軈て来るべき創価作用

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の原理となるべき法則を提供するのが応用科学であるとす るのである」

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 要するに、牧口にとっての教育学とは、人間の教育活動を研究対象とした応用科学 であり、教育の目的を達成するための手段として、教育者が被教育者を指導するため の原理を得ようとするものなのである。あくまで教育学は、教育実践家のためにある ものであり、教師を助けるものでなければならない、というのが牧口の信念であった。

 牧口が提示した応用科学としての教育学の研究方法は次の通りである。

(一)生活の学問化―特殊事実よりの帰納的研究  (A)教育生活に於ける偶然の成功の記憶

  ( 1 ) 失敗か若しくは無意識なる生活の反復の間において、特に目立ちてかつ記 録に値するだけの結果をもたらしたる事実の認識と記憶。

  ( 2 ) その特殊の結果たる事実の生じたる原因と見なさるべき、特殊なる生活現 象の分析的観察。

  ( 3 ) 要するに日々に反復しつつある平凡単調なる教育生活中に表れたるやや特 殊なる結果を生じたる事実の観察と、その依って生じたる原因の分析考察。

 (B) 同様の成功をもたらしたるいわゆる堪能者の成功の事実の観察と、これを生 じたる特殊の原因の考察。

  ( 1 ) いわゆる堪能教師として、他の一般同業者より尊敬を受けるだけの人と、

(4)

そのゆえんの事実の認識。

  ( 2 ) その人の努力。他の一般との比較観察において発見された特殊の点の分析 的観察。

  ( 3 )その特殊の結果を生じたるが為に加わった特殊の事情の分析的考察。

 (C)因果律に基づく、総合的概念─心理的概念と論理的概念

(二) 学問の生活化─演繹的考察、すなわち概念の特殊的還元─すなわち法則の実験 的証明─総合的研究

(三) 進化論的考察─以上によって確認された真理を、古来より発達変遷した過程の、

歴史的考察をして、その点よりその妥当性を論証すること。

(四) 真理の批判的考察─目的観念より観たる真理の判断。それが果して生活上に何 程の価値を有するかを批判し、更に確実性の自身を確かめること。

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 牧口にとって教育学は、教育の目的─子どもの幸福―を達成するための方法の原理 を見いだし、その原理に基づく教育の方法を解明する科学だったのである。

Ⅲ 教育学とは何か②─村井実の教育学

 村井教育学の特徴は、“教育”という言葉に込められた本来的な意味を、歴史的研 究によって明らかにしたことにある。すなわち、古代ギリシャにおいて、これまで使 われていなかった新しい言葉─パイデイア─が発生し、その言葉には“子どもをよく する ” という意味が込められていたことを発見した。子ども(ここでは成長を期待さ れるかぎりの人間の意)を“よく”したいという意欲に支えられた人間の営み、子ど もへの働きかけが、“教育”という言葉の本来的な意味であるとするのである。

 また村井は、人間は誰もが“よく”生きようとしていると訴える。言い換えると、

人は誰でも“よさ ” を問題として生きている。例えば、朝食のメニューはご飯が“よい”

かパンが“よい”かの選択、通勤途中で高齢者の方に席をゆずった方が“よい”かど うか、教師なら算数の問題で悩む子どもを前にして、どのような声をかけたら“よい”

か、など挙げたらきりがないであろう。人間の生活には、常に“よさ”が問題として あるということである。

 人は誰もが“よく”生きようとしていて、人を“よく”しようとする働きかけが教

育なのであるから、教育は、人の“よく”生きようとする意欲や力といったものを活

発化させることと言い換えられる。村井教育学は、以上の教育観と人間観を根幹にし

ている

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(5)

 さて、村井にとって教育学とは何であるのか。それは、「教育問題の科学」である。

 「教育問題」というのは自然に起こることではなく、ましてや、自ずと存在するも のでもない。私たち人間が、ある事象に対して、「これは教育(的)問題だ」─すな わち、子どもを“よく”するということについて密接に関係する問題だ─と認識し、

評価してはじめて「教育問題」が生まれるのである。例えば、子どもの学校の成績が 中々伸びない、子どもが友達と仲良くできていない、といった事実があった場合、親 や教師はその子をどうにかして“よく”したいと願って、それらの事実を「教育問題」

として捉え、問題を解決しようとする。あるいは、先のような個人レベルを超えて、

学校のカリキュラムはどうあるべきか、日本のいじめ件数を減らしたい、と考えた場 合にも、やはり根底には、その学校に通う子どもたちを“よく”したい、日本の子ど もたちが安心して“よく”生きられるようにしたいといった願いがあり、それらを「教 育問題」として捉えて、同じように解決しようとしている。つまり、子どもを“よく”

しようとする関心を持って認識された問題を、「教育問題」というのである。

 「教育問題の科学」とは、「教育問題」として認識された問題を、科学的な方法で解 決しようとする試みであり、まさしくそれを「研究」と呼ぶのであろう。その研究の 結果として得られた知識は、教育問題についての科学的知識となり、その知識の積み 重なりによって教育学が構築されていくのである。

 村井が提示した科学的方法をまとめると次のようになる。

(一)理論的研究

 現実に発生した教育問題や、発生しつつある多様な教育問題について、それらの性 格、相互関係等の分析と総合、抽象と統一等の理論的操作を試みる。

 教育問題は、それを構成するさまざまの目的像・方法像、および社会像等の理念(価 値)的構成要素と、多様な事実的構成要素(媒介としての言語、児童の身体的・精神 的構造、政治的・経済的諸条件、制度、方法等)に分析され、それらのレベルや性質 を異にする諸要素について、さらにそれぞれの特質・相互関係等が吟味され、こうし て、「教育問題」の性格を総合的・法則的に把握することが試みられる。

 また、「教育問題」の研究に適用される科学的諸方法―実証的方法・実験的方法・

歴史的方法などの方法的性格および相互関係もまた吟味の対象になる。つまり、価 値・事実・仮説・証明・演繹・帰納・類比等、研究上の諸前提や手続きに関する、い わゆる科学方法論的研究が、「教育問題」との関係において行われなければならない。

(二)実証的研究

 教育問題の構成要素(先述した理念的構成要素および事実的構成要素のすべてを含

む)について、資料収集・記述・調査・統計的処理・比較的研究・事例研究等、経験

科学に共通する、いわゆる実証的方法を用いて研究し、その研究を介して教育問題の

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実態を把握しようとするものである。

(三)実験的研究

 観察・記述・調査・統計的処理などを使用する点からいえば、広い意味での実証的 研究の中に含まれると考えてもよい。しかし、実験的研究は、仮説の検証にあたって、

あらかじめ一定の条件を人為的に設定し、それによって検証の厳密性を求める特異な 統制的手段を好んで用いる。この点が、実証的研究から区別される理由である。

 実験的研究の領域は、その条件統制の程度に応ずる広がりをもつ。感覚や知覚等に 関する実験室的実験から、日常生活場面での実験、さらに、いわゆる実験学校におい て行われる教育方法・教材・カリキュラム等の教授学的実験にまで及ぶことができ る。

(四)歴史的研究

 教育問題への実証的研究の関心を、時間的な過去へ向けるときに成立する。過去の 教育問題との時間的系列において現在を見るところに歴史的研究の特色がある。

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 村井にとっての教育学は、子どもを“よく”するということに密接に関連する問題 の科学であったのである。

Ⅳ 教育学は教師にとってどんな意味を持つのか

 牧口と村井における「教育学とは何か」が明らかになった。牧口にとって教育学は、

教育の目的─子どもの幸福─を達成するための方法の原理を見いだし、その原理に基 づく教育の方法を解明する科学であった。村井にとっては、教育(子どもを“よく”

しようとする働きかけ)問題の科学であった。

 では、以上のような意味をもつ教育学は、教師にとってどんな意味を持つのか。筆 者は、次の 2 点にまとめられると考える。

  1 点目は、子どもの価値創造力を伸ばす、あるいは、子どもを“よく”することを 目的とする教育という眼差し(教育的な見方)で、物事を捉えることを可能にし、教 育の在り方や実践内容・実践方法について、自分の考えを科学的に検証すること(教 育的な考え方)ができるということである。

 牧口にとって教育の目的は子どもの幸福であり、それは、価値を創造することに

よって実現するとされた。言い換えれば、子どもの価値創造力を高め、豊かにするこ

とによって、教育の目的が達成されるということである。教育学は、教育の目的を達

成するための原理、及びその原理に基づく教育の方法を解明する科学であるから、教

師が、教育の在り方や教育実践の内容や方法について考えるときに、「自分の考えは、

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子どもの価値創造力を高めることにつながるかどうか」という視点を、教育学は与え てくれる。あるいは、村井にとっては、子どもを“よく”しようとすることが教育で あり、教育学は、教育問題の科学であるから、「自分の教育実践の内容や方法は、子 どもを“よく”することになっているかどうか」という視点で自己の考えをふり返る ことができる。すなわち、教育学は、子どもの価値創造力を伸ばす、あるいは、子ど もを“よく”することを目的とする教育という眼差し(教育的な見方)を私たちに与 え、教育についての自己の考えを振り返り、検証すること(教育的な考え方)を可能 にする。

  2 点目は、教育的な見方・考え方を教育研究の共通基盤として教師集団が共有する ことで、教師間での対話を可能にし、教育の在り方や実践内容・実践方法をより洗練 させることができるということである。

 筆者の浅い経験ではあるが、他の教師と、教育の在り方や教育実践の内容・方法を めぐって議論をしていると、多様な意見が飛び交うことがある。当然、教師一人ひと りに個性があり、様々な角度からの多様な考えが出ることは、決して悪いことではな い。しかし、すべての意見をよしとしてしまうと、“何でもアリ”になってしまいか ねない。しかし、教育的な見方・考え方─子どもの価値創造力を伸ばす、あるいは、

子どもを“よく”することを目的とする教育という眼差しと科学的に検証すること─

が、教育研究の共通基盤として共有されるなら、教師間での対話を可能にし、教育の 在り方、教育実践の内容や方法をより洗練させることができる。それは、日々教育実 践に挑戦している多くの教師の助けとなるに違いない。

 教育学は、教育的な見方や考え方を教師に与える。いわば、それは教師にとって「原 点」である。この「原点」を持つことで、教師は、自己の教育実践を振り返ったり、

互いの教育実践について対話したりすることができる。教育学は、教師にとっての「原 点」の役割を果たすことによって、よりよい教育実践を産む母体となるのである

Ⅴ おわりに

 残念なことであるが、熱心な教師であればあるほど、子どもが「どうしたらもっと

漢字を覚えられるようになるか」、「どうしたら、明るく元気に挨拶ができるようにな

るか」といった、“どうしたら○〇できるか”ばかりを考える人が多いように感じら

れる。もちろん、学校教師は、子どもの学習指導や生活指導を仕事としているのであ

るから、先のような問いを持つのは当然である。しかし、そもそも何のための学習指

導なのか、生活指導なのかという、教育実践の根本に立ち返っての議論が乏しいよう

に感じられる。教育の目的に基づいて考えなければ、学習指導や生活指導は教育実践

とはならず、教師の仕事は果たされないのではないかと考える(牧口や村井の人間主

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義の教育から見れば、知識や技術の伝達、あるいは、ある種の行動が

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できるように指

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導することそれ自体は、教育実践とはならない

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

)。

 筆者が公立小学校の教師をしているときに「大学で学んだことは、現場では全く生 かせられない」と語った教師は、おそらく、大学で学ぶ教育学が、何らかの行動指令 を与えてくれるものだと勘違いをしているのではないだろうか。すぐに How to を求 める人にとっては、教育学は役に立つように感じられないであろう。教育学は、教育 的な見方・考え方を与えるのである。つまり、教育方法や教育技術は、教育的な見方・

考え方に基づいて自分で創り出すものなのである。

【脚注】

1   ここでいう人間主義の教育とは、人間内部の働きに注目し、その働きを認め、そ れが活発化することを助けることに主眼をおいた教育のことを指す。詳しくは渡 邊弘『人間教育の探究』を参照。

2   牧口常三郎『創価教育学体系 Ⅰ』p19。なお、牧口の著作には旧字体や読みに くい所があるため、今後の牧口の著作の引用文には、意図的に現代表記や平仮名 に書き直した所があるのでご了承願いたい。

3  『創価教育学体系 Ⅰ』p53~p54。

4   価値創造とは、牧口の創価教育学の中心となる概念である。詳しくは『創価教育 学体系 Ⅱ』を参照されたい。

5  日本大百科全書(ニッポニカ)より抜粋 6  『創価教育学体系 Ⅰ』p70

7  『創価教育学体系 Ⅰ』p72 8  『創価教育学体系 Ⅰ』p73

9  価値創造の作用。牧口は価値創造を略して「創価」と呼んだ。

10 『創価教育学体系 Ⅰ』p76 11 『創価教育学体系 Ⅰ』p90~p91

12  “よさ”は、村井教育学にとって重要な概念である。詳しくは『善さの構造』や『み んなに伝えたい教育問答』を参照されたい。

13  村井実『教育学入門 上』p104~p107。一部、加筆・省略をした。

【参考文献】

・ 長谷川栄「教師の専門性の向上─牧口常三郎の『教師即教育技師論』 の考察─」

(2006年 『創大教育研究 第15号』所収)

・牧口常三郎『創価教育学体系 Ⅰ』(1972年 聖教新聞社)

・牧口常三郎『創価教育学体系 Ⅱ』(1972年 聖教新聞社)

・牧口常三郎『創価教育学体系 Ⅲ』(1979年 聖教新聞社)

・牧口常三郎『創価教育学体系 Ⅳ』(1980年 聖教新聞社)

(9)

・村井実『教育学入門 上』(1976年 講談社)

・村井実『「善さ」の構造』(1978年 講談社)

・村井実『みんなに伝えたい教育問答』(2007年 東洋館出版)

・渡邊弘『人間教育の探究』(2006年 東洋館出版)

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参照

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