Ⅰ.はじめに
日本政府は成長戦略の一環として人材育成の重 要性を掲げ,情報化社会における国際競争力向上 に向け,国民のICT利活用能力の向上を目指し,
教育の情報化の推進を図っている(文部科学省,
2016).平成27年12月21日の中央教育審議会答 申を受けて,学校授業におけるICTの活用を推 進するに際し,新たな学びを実現するための教育 実践の開発,アクティブラーニング型授業での ICT活用,教員研修の体系的実施と教材の開発,
教員養成についても,質・量とも,より内容を充 実させていくことが求められている(文部科学 省,2015).
体育のアクティブラーニング型授業でのICT 利活用に関する検討は各種研究会において行われ ている.文部科学省も教科指導におけるICT活 用を促進するために手引の作成について検討し,
ICT活用の具体例などを紹介している(文部科学 省,2009).例えば,「自分の動きを撮影したり,
模範演技を確認したりして,演技や運動での課題 を見つけさせるようにし,より良い動きができる
ように考えさせるようにする」.「デジタルカメラ の動画機能などを用いて,自己の課題に応じた練 習を工夫するために,自分の動きを撮影し,動き や技の改善点を見つける」などである.その多く は動作の映像情報から,何を知っているか・何が できるといった「個別の知識や技能」を理解し,
どのように改善しようかという,知っているこ と・できることをどう使うかといった「思考力・
判断力・表現力等」の学びを深めようとしてい る.
いっぽう,地球の重力場という力学環境の中で の運動,スポーツ動作というものは,そこに内在 する力学的要素の働きについて理解がなければ動 作を正しく観察し学ぶことはできない.ただし,
力学情報というものは目に見えないものであり,
一般的には正しい動作のメカニズムについての理 解は難しく,安易にICT教育といって動作の映 像情報のみの提供だけでは,学習者はまったく異 なった運動の理解をしてしまうこともあり,そも そも体育の教科学習の観点から内容的に基礎的・
基本的な知識の提供が欠落しているとも捉えるこ
力学情報を可視化した体育デジタル教材開発の試み
-短距離走とハードル走の地面反力に着目して-
Development of the mechanical signal visualization digital learning materials for Physical Education:
Special reference to the ground reaction forces in sprinting and hurdling 持田 尚
帝京科学大学
Takashi MOCHIDA Teikyo University of Science
要約: 学校体育科で扱うスポーツ運動を取り上げ,その運動中に発生する力学情報を教材的に上 手に可視化できるか検討し,デジタル教材の開発の素材となる基礎的資料を作成することを目的 とした.分析対象は陸上競技領域のなかの短距離走とハードル走とし,その運動中の地面反力情報 を収集しアニメーション化することで可視化したデジタル教材づくりを試みた.その結果Matlab による自作プログラムにより地面反力情報の収集とアニメーションは可能となり,映像編集ソフ トを活用することにより合成映像を作成することができた.そして,力学情報を可視化したデジ タル映像は短距離走の力学的メカニズムを学習するのに有用な教材である可能性を示した.また 一度力学情報ありのデジタル教材を用いて学んだ学習者は,力学情報の無い映像を視聴したとき も,実際には見えない力の働きの存在を頭の中でイメージしながら観察するようになる可能性を 示した.これは今までスポーツ指導現場や体育授業で行われてきた,映像のみの学びとは一線を 画す学習現象であろう.
とができる.
また,このような力学情報といった自然科学系 情報を含む教材は,数理系の他教科との学びの連 動性を高めることに繋がり,体育科指導の量・質 ともに充実した内容の教材となりえると考えられ る.
そこで,本研究では,体育教材の内容を充実さ せることをねらいとして,学校体育科で扱うス ポーツ運動を取り上げ,その運動中に発生する力 学情報を教材的に上手に可視化できるか検討し,
デジタル教材の開発の素材となる基礎的資料を作 成することを目的とした.
Ⅱ.方法 1.対象 a.被験者
a. 1.実験での走者
短距離走では女子陸上競技選手A(測定時期の 100m走記録12秒50)を対象とし,ハードル走で は女子陸上競技選手A(測定時期の100mハード ル走記録14秒11)と女子陸上競技選手B(測定 時期の100mハードル走記録14秒78)の2名を対 象とした.なお,女子陸上競技選手Bのハードル 走は女子陸上競技選手Aに比べて競技記録が劣 る選手であった.
a. 2. 力学情報を可視化したデジタル教材の有用 性調査
帝京科学大学中高保健体育教員養成課程のゼミ ナール学生(男子6名,女子2名)に通常の「力 学情報が可視化されていない映像」を用いて指導 者(筆者)が技術解説を行った場合の理解と,
「力学情報を可視化した体育デジタル教材」を用 いた場合の理解について,所見を調査した.
b.分析対象の運動領域
陸上競技領域のなかで短距離走とハードル走を 対象に分析した.短距離走のなかでは,スタート 局面,最高速度到達局面(図1:スタート13歩 目),ハードル走では速度の減速が大きく出やす い,踏切局面での運動を対象とした.
c.可視化する力学情報
陸上運動でのヒト身体に関わる力学情報には重 力,地面反力,空気抵抗といった外力と筋張力,
関節反力などの内力に大別できる.本研究では外 力に注目し,そのうち人の運動での加速,減速に 大きく影響をおよぼす地面反力情報を対象に可視 化した教材づくりを試みた.
2.デジタル教材(素材)の作成方法 a.地面反力情報の収集と分析
短距離走の加速から等速局面にいたるまでの疾 走全容を把握するため,50m区間といった長い距 離にわたって地面反力が計測できるフォースプ レート(FP)が埋設されている施設(鹿屋体育 大学スポーツパフォーマンス研究センター)で計 測を行った.長さ1m,幅0.9mのフォースプレー トが50台,スターティングブロック設置個所に 手 用 の フ ォ ー ス プ レ ー ト( 右 手FPrh, 左 手 FPlh)2台と足用のフォースプレート(右足 FPrf,左足FPlf)2台,データ収集とデジタル 化するための制御装置とデータ表示装置のシステ ムとなっている(図2).全てのフォースプレー トは,ストレインゲージセンサにより,3つの直 交軸(左右方向:x軸,推進方向:y軸,垂直方 向:z軸)でそれぞれの方向の分力(Fx,Fy,
Fz)とモーメントが測定される.また,各分力 とモーメントから地面反力が作用した圧力中心
(CoP)の平面座標が算出されるようになってい る.以上の情報から地面反力など各種疾走に関す るパラメータの算出にはMatlab(Mathworks)
図1 スピード曲線(横軸:歩数 縦軸:速度)
図2 50mフォースプレートシステムの概要
によりプログラミングしたFP分析用アプリケー ションを用いた.
b.地面反力情報と運動映像の合成方法
Matlabプログラムにより算出した疾走に関す るパラメーターおよび力学情報をグラフ化および アニメーション化した.地面反力の表示グラフは 横軸に時間,縦軸には体重あたりの地面反力
(GRF/BW)を示した(図3).なお,推進方向 Fyの値は正値が加速,負値がブレーキとなる(図 3).
そして,動画,地面反力アニメーション,地面 反力グラフの3つ階層映像(図4)を映像編集ソ フト(Final Cut Pro X)において,時系列を揃 えることで合成映像を作成した.
3.力学情報可視化デジタル教材有用性の可能性
力学情報を可視化し合成した映像(デジタル教 材素材)を大学中高保健体育教員養成課程に在籍 する学生(3年生)に閲覧してもらい,力学情報 を可視化したデジタル教材が動作観察や運動の理 解にどのような効果を及ぼす可能性があるかにつ いて自由討論を行った.4.倫理的配慮
本研究は帝京科学大学研究倫理委員会の承認
(第17066号)を得て行われており,実験に際し て各被験者にあらかじめ実験の目的および試技内 容について説明を行い,協力の同意を口頭および 書面にて得た.
Ⅲ.結果
1.デジタル教材素材
図5(スタート局面),図7(最高速度到達局 面)は女子陸上競技者Aの力学情報無しの映像 を示した.そして図6(スタート局面)および図 8(最高速度到達局面)の映像は,力学情報無し の映像に地面反力アニメーションが時系列と時系 列ごとの地面反力の位置が揃えられた状態で合成
図3 疾走中の地面反力
図4 合成映像の3つの階層
図5 スタート局面(力学情報無し) 図6 スタート局面(力学情報あり)
図7 最高速度到達局面(力学情報無し) 図8 最高速度到達局面(力学情報あり)
図9 ハードルの踏切(女子陸上競技者A) 図10 ハードルの踏切(女子陸上競技者B)
され,通常見えない地面から受けている力(地面 反力)が可視化された映像が作成されたことを示 している.動作映像と地面反力ベクトルアニメー ションが合成されたことで,足関節,膝関節,股 関節,それぞれの関節中心との距離がおおよそ読 み取ることができ,関節運動に関わる情報も合成 映像から推察できた.
また,図9(女子陸上競技者A)と図10(女 子陸上競技者B)はハードル走での力学的情報を 可視化した映像で,ここでは,地面反力ベクトル に併せて,地面反力グラフデータを観察すること で,踏切でのブレーキ,加速の様相が動作および 床反力ベクトルと同時に観察できるため,ハード ルによる減速,加速具合を評価できる映像を得る ことができた.
力学情報を可視化したデジタル教材の有用性へ の期待「力学情報無し」のスタート局面の映像
(図5)を視聴した時の自由討論でのコメントは 次の通りであった.『もっと頭を下げて走るべき でないか.』や,『もう少し起き上がりを遅らせて 前傾姿勢で走った方が良いのではないか.』と 言った姿勢に関するコメントが挙がった.
また,「力学情報無し」の最高速度到達局面で の短距離走映像(図7)からも,腕振りや姿勢に 関するコメントが挙げられた.同時に短距離走の 加速(図1)について,そのメカニズムとなる疾 走中の地面反力(図3)の振る舞いについて説明 し,人の加速走は車の加速とは異なり,接地期中 にはブレーキ期と加速期があること,またその差 分でブレーキ量に対して加速量が上回れば加速,
等しければ等速,下回れば減速という加減速のメ カニズムを説明した(福田ほか,2004).しかし ながら,「力学情報無し」の映像を見ながらの解 説ではよく理解ができていない様子であった.
いっぽう,「力学情報あり」の最高速度到達局 面での短距離走映像(図8)に切り替え,人の加 速走の地面反力の振る舞いについて解説をしたと ころ,「おー,本当だ.ブレーキがあって加速が ある.」や「ここで加速に切り替わっていくのか」
など直感的に疾走と力学的関係の理解を示す発言 が出始めた.また,ハードル走の映像において も,熟練者と非熟練者の比較をハードル踏切時の ブレーキと加速量の違いを動作と関連させながら 議論する発言が多くみられた.さらには,スター ト局面の「力学情報あり」の映像を視聴すると,
「一歩目の接地期中に減速がない(図6)」といっ
た中間疾走と異なるスタート初期の地面反力特性 についてのコメントもあり,動作をみる観点に力 学的情報が付帯し始めていった.
一度短距離走の力学情報ありの映像を観察した 学習者は,「力学情報無し」の短距離走映像を見 たときも頭の中に力学情報の時系列的変化のイ メージを動作に同調させながら視聴している様子 が伺えた.
Ⅳ.考察
本研究では,陸上競技領域のなかの短距離走と ハードル走を対象に疾走中の地面反力情報を収集 し可視化したデジタル教材の素材作りを試みた.
Matlabによる自作プログラムにより地面反力情 報の収集とアニメーションは可能となり,映像編 集ソフトを活用することにより合成映像を作成す ることができた.これは今後,様々な教材づくり の基礎となる技術になると考えられる.
力学情報を可視化したデジタル映像は短距離走 の力学的メカニズムを学習するのに,学習者の反 応を見る限り有用な教材である可能性を示した.
また一度動作と力学的な関係について力学情報が 可視化された合成映像を用いて直感的に学んだ学 習者は,力学情報の無い映像を視聴したときも,
実際には見えない力の働きの存在を頭の中でイ メージしながら観察するようになる可能性があっ た.これは今までスポーツ指導現場や体育授業で 行われてきた,映像のみの学びとは一線を画す学 習現象であると考える.
Ⅴ.まとめ
力学情報を可視化したデジタル教材づくりは技 術的に可能であり,運動中に働く見えない力をイ メージした観察スキルを育むといった今までの映 像のみの観察学習では得られない,一線を画す学 習効果が期待されるものであった.今後は,学校 体育科指導内容の体系に沿って力学情報を可視化 したデジタル教材の作成を進め,その有用性に関 する研究を進めていく必要があるだろう.
謝辞
本研究のデータは,元鹿屋体育大学教授・松尾 彰文先生のご協力によって収集された.ここに感 謝の意を表す.
付記
本研究は2018年度帝京科学大学教育推進特別 研究費を使用して行われた.
参考文献
福田厚治,伊藤章(2004).「最高疾走速度と接地 期の身体重心の水平速度の減速・加速:接地 による減速を減らすことで最高疾走速度は高 められるか」.『体育学研究』.49(1),29- 39.
文部科学省(2009)「教育の情報化に関する手引 き( 案 )」https://www.mext.go.jp/b_menu/
shingi/chousa/shotou/056/gijigaiyou/
attach/1259389.htm(最終検索日:2019年10 月1)
文部科学省(2015).「これからの学校教育を担う 教員の資質能力の向上について〜学び合い,
高め合う教員育成コミュニティの構築に向け て〜(答申)」.『中央教育審議会』.1-61.
文部科学省(2016).「2020年代に向けた教育の 情報化に関する懇談会(最終まとめ)」.『2020 年代に向けた情報化に関する懇談会』.1-60.