血液病棟における侵襲性アスペルギルス症サーベイランス
1)九州大学大学院医学研究院病態修復内科学,2)九州大学病院検査部
前原 依子
1)長﨑 洋司
1)門脇 雅子
1)江里口芳裕
1)三宅 典子
1)内田勇二郎
2)長藤 宏司
1)下野 信行
1)(平成 20 年 9 月 16 日受付)
(平成 21 年 11 月 28 日受理)
Key words : Aspergillus, HEPA filter, surveillance
要 旨
アスペルギルスは易感染宿主に予後不良の侵襲性の感染症を惹起するため,その感染予防が重要である.
特に造血幹細胞移植時などの好中球減少期が遷延する状態では,HEPA フィルターによる空調管理を行 なうことが推奨されている.当科は 2006 年 4 月,病室内だけでなく廊下などにも HEPA フィルターを設置 し,全体が無菌空間を維持している新病棟に移転した.著者らは,移転に伴う環境変化が,アスペルギルス 感染症の発症にどのような影響を及ぼしたかを検討するため調査を行った.2004 年 4 月から 2007 年 3 月ま での期間に,当科でアスペルギルス感染を疑い血清 GM 抗原を測定した症例を抽出した.この 265 症例 973 検体に関して retrospective に解析を行った.アスペルギルス感染症の診断は EORTC!MSG の改訂診断基 準に従い,proven,probable,possible に判別した.EORTC の診断基準を満たす症状,画像所見,検査所 見のいずれかが最初に出現した日時を retrospective に同定し,発症日時とした.その発症日時が,入院後 10 日以降で認められたものを院内発症と定義した.2005 年 11 月を最後に当科では院内発症の新規アスペル ギルス症患者は認められず,移転前後での発症率は統計学的に有意に減少していた(p<0.05).移転に伴う 環境対策の充実が新規発症の消失に寄与したと考える.
〔感染症誌 84:176〜181,2010〕
序 文
アスペルギルスは広く自然界の土壌や空気中に存在 するが,免疫不全患者においては侵襲性の感染症を惹 起し予後不良の転帰をとる.これまでに,病院に隣接 する場所で建築・改修工事が行われると,空気中を大 量の胞子が飛散することにより病院内でのアスペルギ ルス症の発症率が高くなったという報告1)〜3)や HEPA
(high-efficiency particle air)フィルターによる空調管 理の導入に伴いアウトブレイクを制御できたという報
告1)4)〜6)など,アスペルギルス感染症と環境要因との関
連が示唆されている.このような見地から,特に造血 幹細胞移植時などの好中球減少が遷延する状態では,
HEPA フィルターによる空調管理が重要とされる.
2006 年 4 月に九州大学病院内科病棟は新病院に移 転した.新病院には,一般病棟との出入に前室を介し,
病室内だけでなく廊下などの病室外にも HEPA フィ
ルターを有する,病棟全体の清浄度がクラス 10000 の 無菌病棟が新設された.今回の移転に伴う環境変化が,
アスペルギルス感染症の発症にどのように影響を及ぼ したかを検討するため調査を行った.
対象と方法 1.無菌病棟の構造
新病院における無菌病棟の部屋配置と HEPA フィ ルターの設置状況を Fig. 1に示す.無菌病棟への出入 には前室を有しており,二重扉はどちらか一方しか開 放せず,圧により清浄度の低い外気は直接流入できな いように設計されている.全ての個室はクラス 100 の 無菌室で,病室外である廊下やナースステーション,
休憩室などにも HEPA フィルターが設置され,病棟 全体もクラス 10000 の無菌空間を維持している.なお,
移転前はクラス 100 の無菌室が 2 室あるのみで,病棟 は無菌空間ではなかった.
2.調査対象
当科の入院患者は基礎疾患に血液!固形腫瘍,自己 免疫疾患を有する者が中心で,自家・同種を合わせ年 原 著
別刷請求先:(〒812―8582)福岡県福岡市東区馬出 3―1―1 九州大学大学院医学研究院病態修復内科学
前原 依子
Fig. 1 HEPA filtersitesin transplantation unit
間 45〜50 例の造血幹細胞移植が施行されている.こ れらの患者は,侵襲性アスペルギルス症(IA:Invasive aspergillosis)のリスク因子を有するものが多く,ハ イリスク患者に対しては血清学的診断として,ガラク トマンナン(GM)抗原を測定している.2004 年 4 月 から 2007 年 3 月までの 3 年間において,当科で IA のリスクを有し,血清 GM 抗原を測定した症例を抽 出した.また移転後の 2006 年 4 月以降は,対象を無 菌病棟入室患者に限定した.この 265 症例 973 検体に 関して retrospective に解析を行った.調査期間は 6 カ月毎に,期間 I:2004 年 4 月〜9 月,II:2004 年 10 月〜2005 年 3 月,III:2005 年 4 月〜9 月,IV:2005 年 10 月〜2006 年 3 月,V:2006 年 4 月〜9 月,VI:
2006 年 10 月〜2007 年 3 月とした.
3.患者情報の収集
265 症例に関して診療録を閲覧し,基礎疾患,治療 内容,症状,画像所見,β-D-グルカン,転帰などの情 報を収集した.
4.IA の診断基準
IA の診断は EORTC!MSG(European Organization for Research and Treatment of Cancer!Mycosis Study Group)の改訂診断基準7)に従い,診療録等を 用 い て 得 ら れ た 情 報 か ら retrospective に Proven,
Probable,Possible IA に判別 し た.GM 抗 原 値(プ ラテリア・アスペルギルス)はその基礎疾患に関わら ず,0.5 を cut off 値とした.EORTC!MSG の診断基 準を満たす症状,画像所見,検査所見のいずれかが最 初に出現した日時を同定し,発症日とした.発症日が,
入院後 10 日以降で認められたものを院内発症と定義 し,10 日以内に発症したものは市中もしくは同定不 能とした.
5.Incidence rate の算出と統計処理
GM 抗原を提出した症例で,検査を実施した時期に 該当する入院期間(但し発症者は発症日時までの入院 期間)を算出した.Incidence rate は,各期間におけ る GM 抗原測定患者ののべ人数に対する,新規 IA 発 症者数の比を用い,cases!1000 patient-days で表した.
移転前後での発症率の統計学的検討にはχ2乗検定を 用いた.
結 果 1.検体提出者数の推移
2004 年 4 月〜2007 年 3 月の GM 抗原検査の検体提 出数の推移を Table 1に示す.期間 I〜VI の平均症例 数は 44 人,平均検体提出数は 162 検体で,期間 II は 他期間と比較し,多い傾向にあった.なお調査期間を通 じて造血幹細胞移植実施数に大きな変化はなかった.
2.IA 新規発症者数の推移
Table 2に期間 I〜VI の院内発症の IA 新規発症者 数の推移および()内に市中発症者数の推移を示す.
Proven IA と判定した症例は全調査期間を通じて認め られなかった.院内発症の probable IA は計 14 例で あったが,期間 V,VI では認められなかった.
3.Probable IA 患者 21 例の患者背景
Probabale IA と判定した患者の背景を Table 3に示 す.基礎疾患は血液疾患 15 例,自己免疫疾患 4 例,そ の他 2 例で,これらの宿主因子は様々であった.GM
Table 1 Patients,stem celltransplantation,and serum samplesforAspergillusgalactomannan tests from April2004 to March 2007
Total V I
Oct2006
― Mar2007 V
Apr― Sep 2006 IV
Oct2005
― Mar2006 III
Apr― Sep 2005 II
Oct2004
― Mar2005 I
Apr― Sep 2004 Numbers
265 42
40 36
45 65
37 Subjects
138 18
26 24
22 27
21 Stem cell
transplantations
973 200
119 100
116 304
134 Serum samples
Table 2 Hospital-acquired invasive aspergillosis(HA-IA)
total V I V IV III II I
19 (8) 1 (1) 0 (0) 2 (0) 6 (2) 5 (2) 5 (3) AllHA-IA (CA-IA)
14 (7) 0 (1) 0 (0) 2 (0) 4 (1) 4 (2) 4 (3) Probable HA-IA (CA-IA)
5 (1) 1 (0) 0 (0) 0 (0) 2 (1) 1 (0) 1 (0) Possible HA-IA (CA-IA)
↑
The new unitwith HEPA filtration wasused during V and V I. HA:hospital-acquired,CA:community-acquired,IA:invasive aspergillosis
Table 3 21 probable invasive aspergillosispatientprofiles
outcome Specific
symptoms Radiological
findings β-D
glucan Host GM
factors Onset
Underlying disease Case
D (+ )
- N・C
+
+ 1
HA 06/2004 NHL
1
D (+ )
- N・C
+
+ 3,4 CA 07/2004 ATL/L
2
D (+ )
- C
-
+ 1,2,3 CA
07/2004 SLE,VAHS
3
D (+ )
- N
+
+ 2,4 HA 07/2004 AML
4
I P
A
-
+ 2,4 HA 07/2004 Thymoma
5
I
- N・H
-
+ 1
CA 08/2004 MM
6
D
- N
-
+ 1
HA 09/2004 NHL
7
D (+ ) P
A
-
+ 3,4 CA 10/2004 MDS
8
I
- N
-
+ 1
HA 11/2004 MM
9
I
- N
-
+ 3,4 HA 11/2004 MRA
10
D S
C
+
+ 1
HA 12/2004 AML
11
I
- N
-
+ 1,2,4 HA
02/2005 AML
12
I P・S A
-
+ 3,4 CA 02/2005 AML
13
D (+ )
- N・H
-
+ 3,4 CA 05/2005 NHL
14
I
- N・H
-
+ 1
HA 05/2005 AML
15
D (+ ) P
N・C
+
+ 1,3,4 HA
06/2005 SLE,HPS
16
D (+ ) P・S
N
-
+ 4
HA 08/2005 SLE,SSc
17
I
- N
-
+ 4
HA 09/2005 LT
18
D
- N・H
-
+ 1
HA 11/2005 AML
19
I S
N・C
-
+ 1,2,4 HA
11/2005 AML
20
I
- N
-
+ 1
CA 03/2007 AML
21
Underlying disease:NHL:non-Hodgekin lymphoma;ATL/L:adultT celllymphoma/leukemia;SLE:systemiclupusery- thematosus;VAHS:virusassociated hemophagocyticsyndrome;AML:acute myeloid leukemia;MM:multiple myeloma;
MDS:myelodysplasticsyndrome;MRA:malignantrheumatoid arthritis;SSc:systemicsclerosis;LT:lung transplantation Onset:HA:hospitalacquired;CA:community-acquired
Host factors: 1: neutropenia (< 500/μL, for> 10days); 2: allogenic stem cell transplantation; 3: corticosteroid use (> 0.3mg/kg/day predonisone equivalent,for> 3 weeks);4:T-cellimmune suppressantuse in the last90days(GM,β-D-glu- can);+ :positive;- :negative Radiologicalfindings:N:nodule;H:halo sign;C:cavity;A:atypicalinfiltrate specific symptoms:P:pleuralpain;S:hemoptysis;- :no specificsymptoms(outcome);D:death;D (+ ):death attributable to IA;I: improvement
抗原は全例陽性で,β-D-グルカン(βグルカンテスト ワコー)は 5 例で陽性,そのうち発症日に陽性であっ たのは 1 例のみであった.同定された感染臓器は全例 肺のみで,胸部 CT 上特異的画像所見を示さなかった
ものが 3 例,症状が典型的でなかったものが 14 例で あった.転帰は 9 例が軽快し,11 例が死亡,そのう ちアスペルギルス感染症が死亡に寄与したと考えられ るものは 9 例であった.β-D-グルカン上昇例は全例死
Fig. 2 Half-yearinvasive aspergillosis(IA)incidence (cases/1000 patient-days)
亡した.なお,院内発症例と市中発症例の間に特徴的 な差異は認めなかった.
4.Incidence rate
6 カ月毎の incidence rate を Fig. 2に示す.院内発症 probable IA は,期間 I〜III でほぼ一定,期間 IV で 減少し,期間 V,VI では 0 であった.移転前の期間 I〜
IV と移転後の期間 V〜VI を比較検討すると,統計学 的に有意に移転後の incidence rate は減少していた.
考 察
侵襲性アスペルギルス症(IA)は持続する好中球 減少8),ステロイド,免疫抑制剤,TNF-α阻害薬投与 などの免疫不全患者に発症する致死的疾患である.そ のためハイリスク患者に対しては,環境からの曝露の 回避,抗真菌薬投与などによる発症予防に取り組むこ とが推奨されてきた.
2007 年 CDC(Centers for disease control and pre- vention)より新たに公開された隔離予防策のガイド ラインでも,引き続き環境真菌による侵襲性感染症か ら守るため同種造血幹細胞移植患者を防護環境に置く ことが推奨されている.ここで述べられている防護環 境とは,流入する空気の HEPA フィルターによる濾 過や 1 時間に 12 回以上の換気などといった適切な空 調管理がなされている環境を指している.当科でも移 転前より上記推奨に従い,リスクの高い患者を優先し 無菌室を利用するようにしてきていたが,病棟そのも のは外気に開放され,十分な防護環境とは言えなかっ
た.一方,新病院の無菌病棟は,一般病棟や院外の病 原体が空気を介して伝播されることのない適切な防護 環境であると考えられる.このような環境変化が IA の発症に影響を及ぼしたかを検討するため,今回の サーベイランスを実施した.
本来移植実施施設では,アウトブレイクの早期察知 と適切な対策のため,定期的な IA サーベイランスが 推奨されている9)10).しかしながら診断基準,評価方 法など標準化された手法がないために,依然としてそ の実施率は高くない.アスペルギルス症の院内発症に 関する入院後の期間についても確立したものはなく,
文献によっては 1 週間以上,あるいは 10 日以上と決 まっていない10)11).発症に至る潜伏期に関してもほと んど報告はないが,アスペルギルス髄膜炎のアウトブ レイクの際に,平均 11.3 日であったという報告があ る12).そこで,本研究では,院内発症のアスペルギル ス症の定義を入院後 10 日以上経過して発症したもの とした.
Incidence rate の算出についても,発症者数を何に 対する比で表すかの明確な基準はない11).報告によっ て,観察期間におけるのべリスク患者数,のべ入院患 者数,化学療法施行回数などまちまちであり,他施設 との比較も容易でない.当科で IA と診断したほぼ全 症例において,微生物学的基準の GM 抗原が陽性で あった.そこで,「IA のハイリスク患者に対しては GM 抗原を測定する」という前提に基づき,まずは GM
抗原測定患者を抽出してサーベイランスを行った.そ のため,incidence rate は,GM 抗原測定患者ののべ 人数を母数として計算した.
上記方法で診断した IA 症例に関して,新規発症者 の解析は,診断根拠がより確実な proven,probable の症例に絞って実施した.ただし proven を満たす症 例は 1 例もなかったために,probable 症例のみの検 討となった.6 カ月毎の incidence rate は,期間 I〜III と期間 IV では統計学的有意差はないものの期間 IV において低下していた.当院では 2005 年 11 月に vori- conazole(VRCZ)が採用となり,採用後数カ月間は 抗菌薬不応の発熱性好中球減少症に対して経験的治療 で用いられていた.早期の VRCZ 投与により,アス ペルギルス感染症が顕性化せず,発症率の減少に寄与 した可能性はある.しかしながら少なくとも,経験的 治療としては使用されていない.移転前後の期間 I〜
IV と 期 間 V〜VI で incidence rate を 比 較 検 討 す る と,統計学的に有意差をもって減少していた.移転後 の環境変化,つまり無菌病棟という適切な防護環境の もとに移転したことが,院内における IA の発症率の 減少に寄与したものと考えられる.
HEPA フィルター等の空調管理は以前より推奨さ れているが,非常に高価であること,また無菌病棟で の個室隔離が患者に苦痛を与え,精神面に悪影響を及 ぼすとも言われており,その有用性を示すエビデンス が求められてきた.2006 年に報告された meta-anlysis では13),好中球減少を示す血液腫瘍患者や骨髄移植患 者の無菌室入室の有用性を示唆しているが,明確なエ ビデンスとして提示するには至っていない.また倫理 的問題を考慮すると,今後の新たな RCT(randomised control trial)の実施も期待できない.今回のサーベ イランスの結果は少なくとも無菌病棟という防護環境 の重要性を裏づけるものである.画像検査や微生物学 的検査を組み合わせた早期発見,早期治療も実施され ているが,いまだその救命率は十分に満足できるもの ではない.IA が一旦発症すると致死的である以上,可 能な限り感染予防に努めるべきであり,環境整備はそ の主たるものと考えられる.
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Hematological Unit Invasive Aspergillosis Epidemiology
Yoriko MAEHARA1), Yoji NAGASAKI1), Masako KADOWAKI1), Yoshihiro ERIGUCHI1), Noriko MIYAKE1), Yujiro UCHIDA2), Koji NAGAFUJI1)& Nobuyuki SHIMONO1)
1)Faculty of Medicine and Biosystemic Science, Graduate School of Medical Science, Kyushu University,
2)Faculty of Clinical Chemistry and Laboratory Medicine, Kyushu University Hospital
Invasive aspergillosis (IA) is a major cause of morbidity and mortality among the immunocompromised, especially those undergoing hematopoietic stem cell transplantation. With spore inhalation the usual infec- tion route, such subjects must be protected from environmental spore contamination, necessitating meas- ures such as high-efficiency particulate air (HEPA) filtration. In April 2006, we implemented a new trans- plantation unit with HEPA filtration. We retrospectively evaluated its efficacy for hospitalized transplanta- tion unit subjects whose sera were tested for aspergillus galactomannan antigen between April 2004 and March 2007. Subjects numbered 265 (973 samples) categorized as definite, probable, or possible. The earliest IA onset date was when symptoms, positive radiological findings, or positive galactomannan antigen tests occurred, based on revised European Organization for Research and Treatment of Cancer!Invasive Fungal Infections Cooperative Group and National Institute of Allergy and Infectious Diseases Mycoses Study Group (EORTC!MSG) definitions. We classified cases when IA occurred over 10 days after admission as hospital-acquired. No such cases were detected after November 2005 and IA incidence decreased signifi- cantly after the new unit began being used. Results suggest that the new unit and HEPA filtration helped eliminate nosocomial IA.