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104 sion of feelings and reflections of the protagonists but also by inverting the relationship between his protagonists and the natural environment.

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『エーテルの道』から『ジャン』へ

―1920 ∼ 30 年代のプラトーノフ作品にみられる

人間と自然の関係における変化をめぐって―

古 川   哲

(共立女子大学非常勤講師)

From Efirnyi trakt to Dzhan:

Change in the Relationship between Man and Nature in Andrei

Platonov’s Works of the 1920s and 1930s

Furukawa, Akira

Part-time lecturer, Kyoritsu Women’s University

Abstract

It is well known that the style of Andrei Platonov (1899–1951) underwent a notable change during the first half of the 1930s. This article aims to concretely analyze how his writing evolved during this period by comparing two of his novellas: Efirnyi trakt, written in 1927, and Dzhan, written in 1935.

These works were written, respectively, before and after Platonov altered his style. However, there is another reason to compare these two works in particular.

These novellas have entirely different themes; however, they contain similar ele-ments in their plots. Therefore, they are relatively easy to compare in order to show how the author’s style underwent a transformation. Efirnyi trakt is about physicists who explore a way to increase or decrease materials at will. In contrast, Dzhan is about a youth who is sent from Moscow to rescue an ethnic group that is facing almost certain destruction in the Sary-Kamysh basin in Central Asia. Despite the apparent differences between these two works, each has a protagonist with a high level of education, and who, while eager to accomplish his mission, suffers a setback.

A closer look at these works makes it clear that the position of the protagonist in relation to the natural environment undergoes a critical change. In other words, the relationship is turned upside down. In Efirnyi Trakt, the physicists are active agents dealing with the natural environment, and they exploit it for their own gains. In Dzhan, the young man is vulnerable to predation by eagles, and is therefore relatively passive to nature. In Europe after World War I, Platonov was not unique in characterizing the man by putting emphasis on his passiveness. However, Platonov was original in expressing the passivity of man with respect to the natural environment, not only through the

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sion of feelings and reflections of the protagonists but also by inverting the relationship between his protagonists and the natural environment. A comparison of these two novel-las makes this clear.

It is well known that since the mid 1930s, Platonov attempted to write works that faithfully accorded with the principles of socialist realism. Yet, despite his efforts, as seen in Dzhan, his own literary cosmos kept evolving.

は じ め に アンドレイ・プラトーノフ(1899–1951)の作風は,1930 年代の前半を挟んで大きく変化す るという理解が定着している。本論文は,このような先行研究を踏まえつつ,作風が変化する 前後の時期から『エーテルの道』(1927 年完成)と『ジャン』(1935 年完成)を取りあげ,比 較する試みである。 プラトーノフ作品の創作における変化という問題は,プラトーノフ研究の初期から存在する。 しかし,ペレストロイカ以後,一次資料へのアクセスが容易になったことにより個別の作品に ついての検討が主流になったため,複数の作品を巨視的に眺めようとする試みを行う余地は残 されている。 この問題に関して,代表的ないくつかの見方を,簡潔にまとめてみよう。ゲレルは,プラトー ノフの全作品が『チェヴェングール』までとそれ以後に分けることができると主張する。『チェ ヴェングール』にいたる作品において,革命が向かおうとする未来の検討(SF 的な作品),革 命を相対化するための過去の検討,進行中の革命の検討(風刺的な作品)が行われていたが, それは総体としては革命初期,レーニンが先導していた時期の革命についての考察であり,そ れ以後の『土台穴』以降の作品においてはスターリンが権力を獲得してからの時代がテーマに なると指摘している(1)。またテスキーは,作家が SF 的な作品から現実の歴史をテーマとする 作品へと移行しはじめた 1926 年から 1927 年にもっとも重要な転換点を見出している(2)。また 久保は,『チェヴェングール』『土台穴』『幸せなモスクワ』の三作品を比較しつつ,身体の描 写が次第に具体的になってくると指摘している(3) また,本稿の著者もプラトーノフ作品の変化について持続的に研究を行っている。そのなか で,プラトーノフのロシア・コスミズムに影響を受けた世界観においては政治的な革命と自然 科学における物質の変化が切り離して考えられてはいないことに注目しつつ,『エーテルの道』 『チェヴェングール』『土台穴』『ためになる』『ジャン』における自然と人間の関係を,各作品 の個別の内容と文脈をふまえながらも,漸進的な変化を被るものとして捉えた(4)。それに対し て,本稿の第一の目的は,『エーテルの道』と『ジャン』という二つの作品において,自然と の関係において浮き彫りになる人間像を取りあげることで,プラトーノフの作風の変化をより (1) Геллер М. Я. Андрей Платонов в поисках счастья. М., 1999. С. 266.

(2) Ayleen Teskey, Platonov and Fyodorov: The Influence of Christian Philosophy on a Soviet Writer

(Amersham, England: Avebury, 1982), p. 45.

(3)久保久子「プラトーノフ『幸せなモスクワ』における身体の部位の用例について」,『ロシア語ロシア

文学研究』,第 31 号,日本ロシア文学会,1999 年,58–69 頁。

(4)古川哲『繁茂する革命―1920–1930 年代プラトーノフ作品における世界観―』博士論文(東京外

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端的に捉えることである。その際,本稿においては,登場人物の人間像を,登場人物と環境と の関係,つまりきわめて広い意味でのコミュニケーションに焦点をあわせつつ,つぶさにみて いく。二つの作品の内容には,相違と共通点がある。前者は,物質を増殖させる技術を追い求 める科学者たちの物語である。それに対して,後者は,中央アジアの砂漠で滅亡の危機にさら された民族を救済するためモスクワから派遣された青年の物語である。同時に,どちらの作品 においても,ある目的をもって行動するエリートが,挫折を経験してそれに対応することを迫 られる。したがって,二つの作品を,この共通点を通して比べることができる。すると,両作 品において,主人公と自然が持つ関係性は,共通する要素を持ちつつ,大きく異なっているこ とがわかる。さらに,こうした変化が歴史的にもった意義について考察を加えることが,本稿 の第二の目的である。 1 『エーテルの道』について(5) まず,『エーテルの道』から検討する。この作品において,本論文の問題設定からみて重要な のは,この作品において,世代の異なる四人の科学者によって受け継がれていく,原子を人間 の手で操作するための方法の探求の歴史である。そこに,この作品における自然観が科学的な 仮説という形式をとって提示されているからである。まず,作品の冒頭部分でポポフが,ウィー ン留学時代の指導教官であるシトゥーフェルに宛てて書いている手紙を引用しよう。そこで彼 は,約二十年ぶりに連絡をとろうとするかつての指導教官に自分の著書の草稿を査読する依頼 をしているのだが,そのなかで彼は,シトゥーフェルの学説を次のように振り返っている。 原子は,知られているように,電子の群体であるが,電子は物理学的な範疇であるだけで はなく生物学的な範疇でもある。電子は微生物であり,つまり生体である。そして全き深淵 が電子を,人間のような動物から隔てているとしても,原理的にはこれは同一のものなのだ! 私は先生の言葉を忘れたことはありません。(251) ここでは,「電子」が生物として位置づけられている。この虚構の自然観について,現実に 受け入れられていった学説との関係が次の一節において示されることで,この学説のどの部分 からが虚構であるかが明示される。 そして先生もお忘れになってはいなかったのですね。私は先生の御本を拝読しました。今 年ベルリンで出た『初源的な生物の生物学的範疇としてのメンデレーエフの体系』です。こ の輝かしい著作で先生が初めて,慎重に,真に科学的に,しかし確信を持って証明なさった のは,電子は生命を与えられていること,電子は動いていて,生きており繁殖すること,そ して,電子についての研究は今後物理学から取り上げられて生物学の分野に移されるという ことでした。(251) (5)本節では,作品の訳出はПлатонов А.П. Собрание сочинений в пяти томах. Т.1. М, 1998.より行った。 括弧内にページ数を記した。

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シトゥーフェルは,元素についてのメンデレーエフの学説を受け入れながらも,自分の学説 を,先行者の学説を包摂しつつ原子についての見方を覆すようなものとして示そうとしたのだ。 『初源的な生物の生物学的範疇としてのメンデレーエフの体系』という書名から読み取れる点 は,シトゥーフェルの学説ではメンデレーエフによる元素の周期表が,特定の生物の生態に関 する何らかの違いを示すものだと捉えられていることである。そのうえで,ポポフによるこの 著作についての言及から読み取れるのは,そうした元素に共通して存在する「電子」が,初源 的な生物(альфа-существо)であるということだ。実際の物理学でも,原子核の周りに存在す るものとされる電子は,原子の構成要素である。しかし,先に引用した箇所の「原子は,電子 の群体である」という箇所とあわせて考えると,シトゥーフェルの虚構の物理学においては, この初源的な生物は,諸元素を成り立たせている単一の要素として捉えられていることが推測 される。この作品においては,「電子」以外の素粒子には言及がないこともこの裏付けになる だろう(6) さらにここでは,「電子」が生物であり,繁殖するだけではなく,動くという動物的な特徴 を備えたものであることにも言及されている。そして,次の箇所で示されるのは,この学説の 工業的な応用の可能性である。 先生,私は先生の御著作を読み終えて三夜眠りませんでしたよ!先生の御本には「技術者 の仕事は今や鉄,金,そして石炭を育てることであり,それは畜産家が豚を育てるのと同様 だ」というフレーズがあります。私はこの思想をすっかり自分のものにしていますが,いっ たいだれが私ほどこの思想を自分のものにしているでしょうか!(251) この箇所において,この小説の,科学的な探求という要素における主要な課題が提示された。 ポポフ,キルピーチニコフ親子は,「電子」が生物であることから出発しつつ,物質を人工的 に操作することの可能性を追究しつづける。次に引用するのは,ポポフが死ぬ直前に遺した, 書きかけの書簡である。この書簡もシトゥーフェルに宛てられているが,ミハイル・キルピー チニコフは,ポポフを補佐していた当時にこの手紙を偶然読んでしまい,このことは物理学を 彼が勉強し始めるきっかけとなる。このポポフの研究において新しく導入されるのが,「エー テル」という概念である。 エーテルの本性について述べられたすべてのことから,当然のこととして次のような結論 になる。仮に電子が微生物,つまり生物学的現象だとすれば,エーテル(上に私が「基本体」 と名付けたもの)は電子の墓地である。エーテルは殺されるか死ぬかした電子の力学的な塊 である。エーテルとは,微生物つまり電子の死体の細片である。他方で,エーテルは電子の 墓地であるのみならず,電子の生命の母でもある。というのも死んだ電子は生きた電子の唯 一の食物になるからだ。電子は自分の先祖の死体を食べているのだ。(254) (6)電子を含む,原子の構成要素一般を指すために,プラトーノフ自身が使用した用語ではないが,素粒 子という語を用いた。なお,19 世紀から 20 世紀にかけて物質を構成する原子が,原子核と電子によっ てできているという仮説が,実証されていく。鉄道技術専門学校の電気工学科で理系の教育を受けた プラトーノフは,そうした物理学の知見に疎かったとは考えにくい。故に,『エーテルの道』におい て物質の最小単位が「電子」の一種類のみとされていることは,作品の物理学世界に関する虚構の一 部だと考えるのが妥当だと思われる。

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「エーテル эфир」はここでは,日常的な用法としての「大気」あるいはアルコールに近い成 り立ちの化学物質とは異なる意味において用いられている。また,ここでの用例は相対性理論 以前の十九世紀の物理学において宇宙を満たし光や電磁波を伝える媒体とされていた仮説上の 物質としてのエーテルとも異なっている(7)。この作品においては,「電子」と「エーテル」は, 同じ生物の生体と死体とされているからだ。 さらに,ここでは「電子」と「エーテル」は,捕食者と食料という相関関係に置かれている。 この,「エーテル」の栄養補給についての発見は,虚構の物理学における重要な発見であるだ けではなく,その応用としての物質を人工的に増殖させるというポポフの計画との関連で重要 な点である。後に引用される部分で述べられるように,「電子」の栄養補給に人間が介入する ことによって,「電子」を人工的に操作する可能性が生まれるからだ。次に,生物である「電子」 の生態についての記述を検討する。 電子と人間の生命の長さが一致しないことが,これらの,先生の用語法でいえば,初源的 な生物を観察することを非常に困難にしている。すなわち,電子の寿命は,地球での 5 万年 から 10 万年という数字になるはずであり,これは人間の生命よりも著しく長期にわたるの である。しかしながら,電子という物体における生理学的な過程の数は,より原始的な生物 と同様に,高度に組織された物体である人間よりも著しく少ない。したがって,電子という 有機体におけるそれぞれの生理学的なプロセスは,恐ろしく緩慢に進み,どんなに鋭敏な道 具を使ってもこの過程を直接的に観察することはできない。(255) ここでは,「電子」が持つ二つの特質,つまり,寿命の長さおよびその生物としての機構の 相対的な単純さが指摘されている。そして,その結果として,「電子」の生態を理論的な可能 性をこえて実証することの困難さが示されている。つぎの箇所ではこのような条件の帰結とし て,原子を,生命や無生物に共通する構成要素として捉え,原子自体に生命を見出さない場合 に自然がどのように見えるかが指摘される。 このような状況のせいで,自然は,人間の目には死んだものとなるのだ。この,多様なカ テゴリーの生物のあいだでの,寿命の恐ろしい多様性が,自然の悲劇の原因なのである。あ る生物は一世紀をまるごと一時代だと感じていて,ある生物は一瞬だと感じているのだ。こ の「時間の複数性」が,生けるものの間のもっとも分厚く破壊し難い壁なのだ。そしてこの 壁を,苦労しつつ壊し始めているのが,人類の,科学という重い大砲なのである。科学は, (7)この意味でのエーテルに,元素の周期律の発見者であるメンデレーエフ(1834–1907)が若い頃から 関心を持っていたことが知られている。そして,周期律を発見したあと,1870 年代と 20 世紀初頭の 二度にわたってメンデレーエフは「世界エーテル мировой эфир」という存在を仮定して元素につい ての研究を深めようとしたという(梶雅範『メンデレーエフ:元素の周期律の発見者』(東洋書店, 2007 年),29–30 頁,46–51 頁)。 この「世界エーテル」の存在をメンデレーエフは結局実証できなかった。また,メンデレーエフの 考えた「世界エーテル」と,『エーテルの道』の登場人物であるポポフがこの部分で仮説としてあげ ている「エーテル」は,互いに異なる概念である。 しかしながら,元素よりも根本的な存在を考察するうえで「エーテル」という用語を使用している という点でメンデレーエフとポポフは共通している。このことは,プラトーノフの作品における架空 の物理学が,科学史についての一定の理解をふまえていたことを示唆する。

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道徳的な要因の役割を客観的に果たしている。生命という悲劇を科学は叙情詩に変えるのだ。 なぜなら,人間と電子のような生物を,生命の原理的な共通性によってなりたつ友愛におい て,近づけるからである。(255) ここで最初に語られているのは,緩慢な変化を観測できないため,寿命の極度に長い生物の 成長を科学は観察できないこと,それ故にその対象に生命を見出せないということだ。そして そのような物理学の認識の限界が,生物間の分断を生むものとして,否定的に意味付けられる。 そして,仮説とその検証を通して絶えず認識を更新していくものとしての自然科学の理念と, その最先端としてのポポフの仮説が,そのような分断,つまり「生命という悲劇」を克服する ものと位置づけられる。ここで注目されるのは,物理学上の認識に関連付けられて,人間と人 間ではないものの間の「友愛 братство」が語られていることだ。この語には兄弟を意味する 語 брат が語根として含まれており,血縁関係からくる親密さが含意されている。つぎの箇所 では,「電子」の生命現象を加速させ,その寿命を縮め,人間に認識可能なものにする可能性 について語られる。それは,彼の理論の証明と,物質を操作するというその工業への応用にとっ て重要な点である。また,人間と「電子」という二つの生物の間の「破壊し難い壁」について 議論が深められている。 いずれにせよ電子の生命を加速することは可能である,もし仮に,電子の生命の長さを条 件付けている諸現象を緩和できるのであれば。これには予備的な説明が必要である。エーテ ルは,科学が究明した限りでは,非常に不活性な,反応を起こさない,物質の基本的な特性 を欠いた領域である。このような,エーテルを知覚することの不可能性,そしてそれを実験 で認識することが不可能であることは,「類似のものは類似のものによって認識される」と いうことで説明がつく。それに対して,人間と,電子の死体の堆積つまりエーテルくらい相 異なるものもない。もしかしたら,まさにそのためにエーテルは物質の特性を「欠いて」い るのかもしれない。というのは,一方の人間および生きた微生物,つまり電子と,他方のエー テルの間には原理的な違いがあるからである。第一のものたちは生きていて,第二のものは 死んでいるのだ。私が言いたいのはエーテルの「認識の不可能性」は,物理学的な課題とい うよりはむしろ心理学的なものだということだ。(255) 引用箇所にある通り,ポポフの観点からすれば,彼以前の物理学は,人間の寿命という観測 上の条件と,物質に関するデータについて十分に古いものを用意できないという資料面での条 件によって制約を受けたものにすぎない。彼によれば,物質それ自体には生命を認めないとい う認識も,上述の制約のせいで人間にとってそう思われるだけにすぎない。それが,「心理学的」 という言葉でいわれていることの意味である。つぎの箇所で議論は,「電子」の生態に向けら れている。 エーテルは,「墓地」としては,いかなる内的な活性化の度合いも持っていない。故にそれ らを餌とする生物(電子である微生物)は永遠の飢えを運命づけられている。それらの生物 の栄養摂取は,局外からの偶発的な力によって,新鮮なエーテルの塊が按配されることで確 保されている。ここに,電子の生命が遅延する原因がある。集中的に生きることは電子には

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不可能なのだ。あまりにも,栄養となる物質の流入が,速度を落とされたものなのである。こ れが,電子という物体における生理学的なプロセスの遅延をも引き起こしていたのだ。(255) ここで注目されるのは,ポポフの手紙のなかで言及されたシトゥーフェルの学説において 「電子」は動くものであるとされていたのに対し,ポポフが進めた研究の結果では,「電子」は 餌を自ら捕食しに行くことがない受動的な生活をしているということだ。食料としての「エー テル」が偶然自分のそばにこない限り,「電子」は栄養補給できないし,成長もできない。そ して同時に,これが「電子」の成長の極度の緩慢さの原因でもある。次の箇所では,この点に, 「電子」の成長を促進する手がかりが見出されている。 明らかに,栄養を与えることを加速させることは電子の生命のテンポを増大させるに違い なく,また,電子の強化された繁殖を引き起こすに違いない。現在の,生理学的な行動の遅 延は,栄養摂取の好都合な条件のもとでは,容易に猛烈なテンポへと変わるであろう。とい うのは電子とは,原始的に組織された生物であり,電子を生物学的に改革することは極めて 容易だからだ。 したがって,栄養補給の条件を変えるだけで,電子が持つ全ての生命的な機能(繁殖を含 む)が高まり,こうした生物の生命は容易に観察できるものとなるだろう。もちろん,この ような生命の集中は,電子の生命の長さが短くなるという犠牲を払って行われる。(256) ここでは,「電子」に,強制的に栄養を与え成長を促進させることで,「電子」が生物である ことがより明瞭になると述べられている。この部分で注目されるのは,物質の状態や性質を変 化させることについての記述において,「改革 реформы」するという政治的な領域での語彙が 使われていることだ。そのことで,その直前の部分における「組織された」という語も,何ら かの政治的な共同体を想定しているかのように思わせる効果が生まれている。こうした一節に は,人間とその他の生物の間に連続性を見出し,そこに「友愛」を実現しようとするポポフの 価値観が現れていると言えるだろう。故に,人間の「組織」に「改革」がありうるなら,より 単純な生物の変化も同じ語彙で語りうるのである。 こうした一節を,プラトーノフの作品群の文脈においてみると,政治評論の『電化』(1921 年 発表)に見られるのと同じ世界観が見出される。そして,生物の活動のテンポの増大が,その 死あるいは何らかの意味での停止を近づけるという主題は,『グラドフ市』や『土台穴』といっ た作品での人間の活動にも共通している。前者では,社会の発展が達成されることで歴史が終 わるという結末が描かれる。また後者では,活動家が村の集団化に性急に取り組んだ結果,コ ルホーズを組織するよりも富農を川に流すことが優先されるという事態に至るのである。 そして,ポポフの絶筆となった,この未完の書簡は,次のように,「電子」の成長の促進を 実現する手段の見通しを示したところで途絶えている。 すべての謎は,人間と電子の寿命における差異を減らすことにまつわるものである。この とき電子は,人間がそれを搾取できるほどの力を有したものとして,実り始めるだろう。 しかし,いかにして電子への,栄養となるエーテルの自由で強化された流入を引き起こせ ばよいのだろうか。

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いかにして技術的にエーテルの道,つまりエーテルのための道を創造すればよいのか。 解決は単純である。電磁的な河床だ……。(256) この一節で重要なのは,人間と「電子」の間の関係が,搾取するものとされるものの関係と して夢見られていることである。その結果,人間と「電子」の溝を埋めることはその受動性を 利用した強制的な成長であることになる。つまり,「友愛」から「搾取」への転化が生じている。 またこの箇所において,読者は作品の題名である「エーテルの道」という語句の意味を知るこ とになる。それは,「電子」の成長を促進するために,その栄養たる「エーテル」が通過する 何らかの場のことなのである。 『エーテルの道』においては,物質に対する物理学的な認識に関する記述としては以上に検 討した箇所で主要な部分は尽きている。以上の検討をふまえて,この作品における「電子」の 意義について考察を加えておく。 最初に言及すべきなのは,生物間の連続性という観点である。電子が生物とされている結果 として,全ての存在が生物であるという一点においては連続的なものと捉えられている。さら に,この作品における「電子」の,動く能力があるが自分から捕食に行くことはないという点 について,動物と植物を特徴付ける両方の性質を兼ね備えた中間的なものが「電子」なのだと みることもできる。むしろ,シトゥーフェルの位置づけにおける「初源的な生物」という位置 づけからすれば,「電子」は動物と植物への分化以前の生物であるということができる。 この点について検討を進めてみよう。ポポフの学説で明示的に述べられているのは人間と「電 子」という生物を連続性の相においてみる観点であるものの,「電子」についての言及を検討 すると,動物と植物も,決定的な差異はないものとして捉える視点が提起されていると言える。 そのうえで,「初源的な生物」たるその未分化な形態をもつ生物において,植物的な要素がよ り強いということは,この作品の物理学者たちの世界観においては,動物よりも植物のほうが 生物として基本的だと捉えられているということができる。 そして,生物間の連続性という観点と,それを支えている理論は,人間とそれ以外の生物の 関係において優れて両義的な働きをしている。すでにみたように,この作品においては『電化』 の結末においてほのめかされているような,人間の社会以外の社会における共産主義について 人間との「友愛」という言葉が語られている。つまり,人間と「電子」の間に連続性を見出す 科学的な認識は,ポポフにとって「電子」に対して「友愛」という道徳的な感情を抱くことを 可能にしてくれる。しかし,ポポフは二者の溝を埋めるものとして科学を位置づけながら,「電 子」を活性化する可能性について触れる際,この微小な対象を「搾取」することを考え始めて いる。隔たったものと「友愛」という対等な関係を夢見るという感情と,それを人間の生活の ための手段として非対称的に搾取することを夢見るという感情の間の,ほとんど隣合わせとも いえる近さは,極めて意義深い。この二つの感情の揺れは,「電子」の生命を縮めることによっ てしか,人間が「電子」を命ある存在として観測できないという,二者の間の認識上の「壁」 を崩す行為そのものがはらんでいた矛盾だといえる。言い換えれば,自然を死んだ存在として ではなく生きた存在としてみなし始めるやいなや,あくまでもそれを死んだ存在として活用し ようとする「壁」に物理学者は阻まれ,再び閉じ込められている。「電子」を死んだ存在とし てしか見なせなかった時代の「心理学的」な課題は,それほど根強いものだったのである。 ただし,ここで留保をつけておかなければならないのは,『電化』においては物質における

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共産主義が具体的には想像されていなかったのに対し,『エーテルの道』においてはそれが原 子論という形式をとって想像されていることが持つ意義である。野放図な空想を排し,可能な 限り現実の科学との整合性を意識しながら虚構を構築するという,この作品での作家の作業に おいて「搾取」という関係によってすぐさま覆われてしまう儚いものとしてではあるが,人間 ならざるものとの「友愛」という感情が控えめに表れているという点を見逃すことはできない。 なお,この「友愛」と「搾取」の間の揺れを考察する際に,ニコライ・フョードロフ(1829– 1903)からの影響を考慮に入れる必要がある。プラトーノフ作品にみられるフョードロフの思 想の影響については,セミョーノヴァ,セイフリッド,そしてゲレルといった研究者が指摘し ているが,本稿の議論において重要な意義を持つのは,セイフリッドが,先祖の身体の痕跡を とどめる塵 прах を集めるという考え方がフョードロフの『共同事業の哲学』の中心にあると 指摘していることだ(8)。フョードロフの著作では,エーテル эфир は,独自の意味づけを与え られてはいないものの(9),その微小さによって,フョードロフの思想における塵を象徴してい ると考えることは可能である。そのとき,『エーテルの道』の「電子」のもつロシア思想の文 脈における意義をより鮮明に理解することができる。作品についての議論でみた通り,プラトー ノフの「エーテル」は,「電子」にとって先祖の死骸である。しかし,子孫の「電子」は先祖 である「エーテル」を食料にして生きている。故に,この現象を物理学者が加速しようとする 行為は,フョードロフの思想が持つ方向性とは相容れないと考えられる。「先祖」の復活を全 く想定しない世界を想定した上で,その世界を舞台にした作品を書いたことのうちに,プラトー ノフからの,全宇宙に調和をもたらすことを夢見たフョードロフに対する批判的な受容を読み 取ることが可能だと思われる。 さらに,テスキーは,フョードロフの強い影響がみられる 1920 年代半ば以前には,プラトー ノフが同時代の思想家ボグダーノフの影響下にあったと指摘する(10)。このような研究動向の中 で,バルシトは,1920 年代の社会評論のなかでプラトーノフが,時間の流れに対して人間が 働きかけを行うことが可能だという見解を示していることについて,「可塑的な宇宙」という, ボグダーノフが「組織形態学(テクトロギヤ)」において提唱した理念の影響をみている(11) ただ,ポルタフツェワは,プラトーノフに影響を与えた思想家を挙げる中で,フョードロフと ボグダーノフに言及する際,「自然の統御」を唱えたフョードロフの理論に比べて,ボグダー ノフの理論は科学におけるパラダイムとしての性格が強いと指摘する(12)。故に,自然を認識

(8) Thomas Seifrid, Andrei Platonov: Uncertainty of Spirit (Cambridge: Cambridge University Press, 1992),

p. 65. (9)たとえば,相対性理論以前の自然科学において世界に遍在するとされていた物質の意味での用例が, 以下の箇所にみられる。 Федоров Н.Ф. Собрание сочинений в четырех томах. т. 1. М. 1995. С. 295. Федоров Н.Ф. Собрание сочинений в четырех томах. т. 2. М. 1995. С. 242, 292, 332. Федоров Н.Ф. Собрание сочинений в четырех томах. т. 3. М. 1997. С. 86. また,アルコールに近い成り立ちを持つ化学物質の意味での用例が,以下の箇所にみられる。 Федоров Н.Ф. Собрание сочинений в четырех томах. т. 1. М. 1995. С. 46, 281, 295. Федоров Н.Ф. Собрание сочинений в четырех томах. т. 3. М. 1997. С. 196, 248.

(10) Ayleen Teskey, Platonov and Fyodorov: The Influence of Christian Philosophy on a Soviet Writer

(Amersham, England: Avebury, 1982), p. 23.

(11) Баршт К. Энергетический принцип Андрея Платонова : публицистика 1920-гг. и повесть

«Котло-ван» // Корниенко Н.В. (ред.-сост.) Страна философов. Вып. 4. М. 2000. С. 255.

(12) Полтавцева Н. Тема «Обыденного сознания» и его интерпретация в творчестве Платонова // Корниенко Н.В. (ред.-сост.) Страна философов. Вып. 4. М. 2000. С. 276.

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していく以上に,自然に働きかけていこうとする物理学者の姿勢を扱う『エーテルの道』には, ボグダーノフよりはむしろフョードロフの影響,ないし批判的受容を読み取ることが妥当だと 思われる。 次に検討する『ジャン』においても,自然との関係における二つの関係,つまり「友愛」と 「搾取」,さらに言い換えれば,自然を人間の手段以上のものとして捉えるか,あるいはそれを あくまでも人間が何かを制作する際の素材として捉えるか,その二つの態度の間の揺れをみて いくことができる。 2 『ジャン』について(13) 本節においては,『ジャン』に関して,『エーテルの道』をはじめとする他の作品からの変化 と,それらとの共通点に注目しつつ考察する。 第一に挙げられるのは,この作品においても放浪者的な登場人物が現れることである。チャ ガターエフは,砂漠で消滅の危機に瀕した民族を救うというはっきりした目的を持ってモスク ワを離れる。しかし彼はその目的に必ずしも縛られてはいず,任務を短い時間ではあれ忘れて 迂回路を選ぶ資質を持っている。この点はとりわけ『チェヴェングール』のアレクサンドルが, 各地の社会主義を視察するという使命を帯びつつも,事実上は気の向くままに旅を続けている 点と共通性が見られる。 第二に挙げられるのは,その放浪者的な登場人物が民衆へ近づき,それだけではなく共感を もって関与していこうとする強い志向を持っていることである。『ジャン』のチャガターエフ は砂漠の任地においてジャン族の生活を視察するのではなく,彼らを救済しようとする。 次の引用箇所は,『ジャン』のなかのチャガターエフの途中下車の場面からのものである。 タシケント付近で,草むらに深く分け入った主人公は次のような光景を目にする。 そしてアブラガヤの茂みが始まった。チャガターエフがそのなかに入ると,そこに住んで いたすべてのものたちはすぐに叫びだしたり,飛んでいったり,その場でそわそわしはじめ た。(345) チャガターエフの到来は,そこに生息する生物たちにとって平穏さを損なうものとして描か れている。そして,次の一節ではそれはこの登場人物自身の視点からの認識として,よりはっ きりとした表現で語られる。 茂みのなかは温かかった。動物や鳥は人間を前にした恐怖で全員が消え去ったわけではな かった。音や声から察するに,その場に残ったものもいた。彼らはあまりに驚愕したので, 破滅が近いと考え,少しでも早く繁殖し楽しもうとしたのだ。(345) この引用箇所の第一と第二の文は,茂みの情景についての客観的な描写である。しかし,茂 (13)本節では,作品の訳出は Платонов А.П. Счастливая Москва ; Повесть ; Рассказы ; Лирика. М., 1999.より行った。括弧内にページ数を記した。

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みの温もりを感じ,「音や声」を聞き動物たちの位置について判断できるのはチャガターエフ 以外には考えられない。したがって,この二つの文の意味上の主体はチャガターエフだと判断 することができる。そして,この知覚を基にした判断が述べられたその次の,第三の文もチャ ガターエフの視点から発されたものだと判断できる。第三の文でも,人間は動物たちに恐怖を 与え破滅させる存在として現れている。 この引用箇所から判断すれば,この作品では人間と動物の間で一体感は失われていることに なる。しかし,それはこの作品における,人間と動物の間の断絶を意味しない。このことを理 解するにあたり,先の引用箇所の第三の文で特に重要なのは,チャガターエフが,死の恐怖に 駆られた小動物たちの生命力の旺盛さを生殖行為への執着として捉えていることである。動物 たちと彼らの行為に対するチャガターエフの態度は次のようなものである。 チャガターエフはそうした音を昔から知っていて,いま温かい草地からの苦しみを伴った かすかな声を聴きつつ,最後の悦びを手放さない全ての哀れな生命に共感を覚えた。(345) この一節では,動物たちが示す旺盛な生命力の表れとしての,生命における性もまた肯定さ れていることが分かる。ゲレルは,『ジャン』はロシアの文学作品のうちで最もエロチックな作 品の一つであり,そうした官能性はこの作品における世界の描写にもいえると指摘している(14) この論点についてゲレルは詳細に論じてはいないが,今挙げた動物たちの性愛はこの彼の指摘 があてはまる箇所だと思われる。そしてチャガターエフは,小動物の生活に恐怖を与えている ことを自覚しつつ,その恐怖によって喚起された死の予感が引き起こした生命力の高まりに共 感を覚える。つまり,生物学的な差異という隔たりが原因となり,人間から動物に引き起こさ れた死の予感は,人間から動物への共感を通して両者を繋ぐものとしても存在するのだ。 この共感は,人間であるチャガターエフ自身が「最後の悦びを手放さない全ての哀れな生命」 について想像力を働かせることができるということを意味する。その共感の根拠は,彼自身が もつ,自分もいずれは死ぬという未来についての観念にある。したがって,『ジャン』におい ては,動物たちへの共感の根拠が,共産主義(『土台穴』)から死へと移行しているということ ができる。だから,ジャン族に生きることへの執着を覚えさせ,死から救うというチャガター エフの事業には,死という抑圧に抗って生命を擁護する運動という意義がある。チャガターエ フは社会主義の中心地としてのモスクワから砂漠へと派遣されるが,彼自身が実現しようとす る理想はこのように,それまでの作品にあった政治的イデオロギーという外皮を剥ぎ取られた ものとしてある。いわば,生き残ることこそがこの作品における社会主義の内実なのだ。 『ジャン』においては,人間からの動物たちへの共感の根拠が,人間も動物も等しく死の危険 に曝されながら生存を続けていくことへの自覚にある。これがもっとも先鋭化されて現れるの は,動物と人間が互いを死に曝しあう,つまり互いに命を狙いあう,作品のなかでの局面にお いてのことだ。そのとき,両者の働きかけは相互的な度合いを深めていき,最後の一瞬だけで はあるが,両者が互いに意思をもつ存在として承認しあう対称的な関係が成立している。その 一瞬だけ,両者に等しく迫った死の可能性は,上述の茂みの場面とは異なり直接に両者を結び 付けている。それはまた,『ためになる』までの作品において人間だけが周囲への視線を行使 (14) Геллер М. Я. Андрей Платонов в поисках счастья. М., 1999. С. 352–353.

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する存在として現れていたのとは異なり,人間が動物の視線に曝されることでもある。しかも それは,放浪者を空から俯瞰するような視線なのだ。 次に引用される一連の箇所は,砂漠でジャン族を導きながら旅を続ける途中に昏倒してし まったチャガターエフをある生物が見つけ,捕食しようと近づいてくる場面である。 彼は,震える手を砂につけて心臓の力を振り絞って立ち上がろうとした。しかし今,彼は もとの方に,あおむけに横たわった。彼の後ろ,後頭部のほうに誰かがいて,チャガターエ フは何らかの生物の速い,離れてゆく足音を耳にした。(384) チャガターエフは動くことができず,未知の生物が自分のすぐそばを動く音を聞くことがで きるだけである。それに対して,その生物のほうは動いており,彼の背後から一方的に視線を 向ける。そして,チャガターエフに襲いかかることもできる。これは,チャガターエフが何ら かの生物から一方的に働きかけられる可能性を示し,その意味において彼は環境に対して非対 称的な関係におかれていると考えることができる。これは,『エーテルの道』における,物理 学者と「電子」の関係を想起させる。そして次の一節では,その類似が一層はっきりする。 チャガターエフは目を閉じてポケットにあるレボルバーの銃床をとった。彼が恐れていた のは,いまや自分の重い武器をうまく使いこなせないということだけだった。というのも手 には,赤子のような力しか残っていなかったからだ。彼は,まったくどこも動かさずに,死 んだふりをして,長いこと横になっていた。彼はステップで死んだ人々を食べる多くの獣や 鳥を知っていた。おそらく,民の後ろからは,目につかないくらい隔たって,常に沈黙して 野生の獣が歩いていて,死んだ人々を食べていたのだ。(384) チャガターエフはこの場面でもちろん,人間として生物の一員である。にもかかわらず,命 を狙われているという状況に直面し,その危険を回避するためにその生物を確実に殺すという 必要に迫られてではあるが,彼に視線を一方的に向けてくる生物から見て自分が死せるものと 認識されるように努めている。 このことの意義を十分に理解するには,『エーテルの道』の物理学者たちが「電子」に一方的 に視線を向けつつ,死せるものと見えるその対象のなかに生命を見出そうとしていたこととの 比較が有効である。『エーテルの道』の物理学的探求で人間にとって問題となっているのが生命 を見出すことであるのに対し,『ジャン』のこの場面で問題となっているのは死を偽装すること である。そして前者では,人間は「電子」の生命を犠牲にしてその活動を活性化する行為の主体 であるのに対し,後者では人間は鳥による捕食という行為の客体なのである。だから,二つの 作品で起こっていることには明白な共通点があるが,それらは二重の意味で対極的だといえる。 つまり,プラトーノフの作品における人間が自然に対して占める位置に,明確な反転が生じ ていることになる。この,作品間の比較によって跡付けられる反転を踏まえたときにのみ,こ こでのチャガターエフと獣との関係について捉えることが可能になる点が,二つある。 第一の点は,プラトーノフ作品における変化は,人間が自然との関係で優位から劣位に転じ ることとしてのみ意味づけられるわけではない,ということだ。つまり,人間と自然の関係に おける反転の中にあって,『ジャン』におけるチャガターエフは獣から一方的に捕食される対

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象としての地位に従順におさまることはないからだ。チャガターエフはあくまでも死を偽装し ているだけであり,その目的は獣を殺すことにある。第二の点は,人間と獣の双方が相手に持 とうとしている非対称な関係の並立として現れてくるのが,まさに双方の関係の対称性だとい うことである。 チャガターエフはすぐにでも飛び起きて,獣に発泡し,殺して食べたかった。しかし彼が 恐れたのは,衰弱のせいで的を外し,驚いた獣が永遠に自分のところにやってこなくなるこ とだった。彼は獣を自分の身体そのものに近寄るにまかせ,それを面と向かって殺すことに 決めた。(385) ここで,チャガターエフは,起き上がろうとした際に獣の足音を聞き,反射的に横たわった 瞬間とは違って,この偶然の機会に対して自分の意思を持ち始めている。それは,この獣に対 する食欲に突き動かされた,この獣を殺すという意思である。つまり,チャガターエフは,自 分を食べようとする動物に対して,同じ欲望をその動物に抱きはじめているのだ。その意味で, このとき,獣とチャガターエフは対称的な関係へと移行し始めている。ただし,獣のほうは相 手が死んだものとみなして視線を送り,そしてチャガターエフは相手にその意図を隠している。 だから,獣も人間も,意識の上では対象に対して可能な限り優位に立とうとしている。つまり 双方とも非対称な関係を築こうとしている。 次の箇所で,チャガターエフは,自分が対決しようとしているその生物の正体を知る。 ナザールは両目を少し開けた。彼の足の向こうでゆっくりと二羽の大きな鳥があるいてい て,彼から遠ざかって反対側の砂丘に向かっていた。チャガターエフはこのような鳥を一度 も見たことがなかった。これらの鳥は同時に,ステップのハゲワシにも,野生の黒っぽい白 鳥にも似ていた。彼らの嘴はハゲワシのそれに似ていたが,しかし太い,頑丈な首は鷲のそ れよりも長かった。それに対して,丈夫な足は,優美な,空気のように軽い,白鳥のような 胴体を高く支えていた。片方の鳥のたたまれた翼は全体が灰色をしていた。もう片方のそれ はというと,赤,暗青色そして灰色の羽毛をしていた。これは,おそらく,メスだ。どちら の鳥も,腹の部分が白い,雪のような毛で縁どられていた。チャガターエフは横からですら メスに細かい黒い点がついているのに気がついた。これはノミが鳥の腹に毛をつらぬいて食 いついているのだ。どちらの鳥もどこか,自分の身体で生きることに慣れていず,注意深く 行動している巨大なひよこに似ていた。(385) チャガターエフを捕食しようとしていたのは二羽の鷲だった。ここで行われている,鳥たち についての描写について判断するには,この描写がチャガターエフの視点からのものであると いう点を念頭に置く必要がある。死の危険が迫っているチャガターエフの視点から行われる鳥 の描写は,死に対する恐怖などの情動など存在しないかのように詳細なものだ。したがって, この描写を通して,登場人物の冷静さが表現されていると判断することは可能である。このと き,その冷静さを支えるものは何かという点を問う価値がある。この場面では,それは,鳥た ちをしとめるという明確な目的意識をおいては考えられない。よって,この引用には,死を偽 装するチャガターエフから鳥への,非対称な関係への意志が表れている。しかし,この描写に

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は過剰なものがある。つまり,目に映ったものを描写する以外のことが,この引用箇所で行わ れているのだ。鳥たちが「自分の身体で生きることに慣れていず,注意深く行動していた」と いう一節に注目しよう。この箇所に現れている,鷲たちがもつ経験の少なさについての,想像 力をともなった観察は,彼らを確実に殺そうとする目的にかなう。しかし,その目的を達する ためにチャガターエフは鷲たちの立場に立って,彼らが経験しているかもしれない恐怖につい て想像をめぐらせている。ここで生じているのは,殺そうとする目的意識の果てに現れる,殺 す対象への共感なのだ。この共感をとおして読み取れるのは,チャガターエフが鷲を,射殺す る対象とのみ見なすのではなく,自らの意思をもった主体として扱い始めているということで ある。これは,次の引用箇所でさらに鮮明になってくる。 二羽の鳥はチャガターエフに向かい合った砂丘に登りすぐに彼を,先を見通す,理性的な 眼で振り返った。チャガターエフは鳥を,細く開けたまぶたの下から追っていた。彼は,鳥 たちの眼が灰色のめったに見られぬ色をしていることすら見てとった。その眼が彼を,思考 と注意でもって眺めていた。(385) この箇所ではチャガターエフは鳥たちのまなざしに,「理性」や「思考」そして「注意」を 見出している。それはまた,この場面でチャガターエフが駆使しているものでもある。という のも,死という経験したことのない状況を避けるために彼は細心の「注意」を払って鳥たちを 観察し,鳥たちが逃げないように「思考」をめぐらせているのだし,生きているものにとって 未経験であり続ける死を避けるためにはそれについての観念を理解しうる「理性」が必要だか らだ。だから,この引用箇所には,チャガターエフが鳥たちを対等な存在として扱うという彼 の態度が表れているといえる。このようにして,双方の関係の対称性が,チャガターエフの意 識のうえにも表れている。しかしながら,鳥の側はチャガターエフに目の色を識別されるほど に目を開いているのに対し,チャガターエフの側は鳥から死人と見なされるようにほとんど閉 じられたままである。したがってこの場面でも,自分が生きるための手段を得るために相手に たいして優位を少しでも確保しようとする非対称な関係は,双方に残ったままだ。そのような 関係性が変化するのは次の場面においてのことだ。 オスは空中に上がり,メスはその場にとどまった。巨大な鳥は低く脇の方に飛び,そして 翼で何度か飛躍をして高みにのぼり,すぐにそこから落下し始めた。チャガターエフは,鳥 が彼に到達するよりも前に顔に風を感じた。彼は自分の顔のうえにその鳥の白い,清潔な胸 と,灰色の慎重で曇りのない眼をみた。それは悪意のない,考える眼だった。というのも鳥 はすでに,人間が生きていて自分を眺めていることに気がついていたからだ。チャガターエ フはレボルバーを抜いて,両手でそれを空中に向けて,彼の頭めがけて降下してくる鳥に向 けて発砲した。疾駆する鳥の胸の真ん中,その飛ぶのが速くて風が吹き込んだ白い毛に,黒っ ぽい斑点ができ,そのすぐ後に瞬間的な風が,命中したせいで黒くなっているその部位の周 辺の全ての毛を引き抜いて細かく散らせた。そして鷲の身体は短い時間,空中に不動のまま に残った。(385–386) この場面において,双方の視線は初めて交わる。そして,この瞬間において,鳥とチャガター

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エフの双方が,生きている存在として相手を認識し,さらに,自分に対して相手が関心を持っ ていることを知る。 しかし,そのような両者の直接的かつ対称的な関係は,極めて逆説的な状況のなかで表れて いることを指摘しなければならない。そのためには二つの条件を検討する必要がある。第一に, どのような関係であれ,二者の間に関係が成立するためには,前提として両者が存在している 必要がある。それに対して,この場面でチャガターエフと鳥が向け合っている欲望は食欲であ る。つまり,それは,相手を自分の中に消化する,つまり消滅させようとする欲望である。し たがって,この場面での両者の関係は,双方の関係が成立している前提を崩していくことによっ てのみ成立する過渡的でしかありえない関係なのだ。次の場面では,鳥は,意思をもった存在 ではなくなる。 鳥は灰色の両目を閉じたが,つぎにそれらの眼は勝手に開いた。しかしそれらはもう何も 見てはいかなった。鳥は死んだ。鳥はチャガターエフの身体の上に,落ちてきたのとおなじ 姿勢でいた。自分の胸は人間の胸の上に,頭は彼の頭の上にあり,嘴をナザールのふさふさ した髪に突っ込んで,無力な黒い翼を大きく両脇にひろげていた。そして引き抜かれた羽根 と毛がチャガターエフに浴びせられた。(386) 鳥の死が,何よりもまず,目の様子の変化として描写されることには必然性がある。という のも,チャガターエフにとってこの動物の意思を表現していたのは目であり,目が彼に向けて くるまなざしだったからである。地上に降りた鳥は,チャガターエフと重なり合う。彼らは至 近距離で向かい合っている。しかしそれは,両者がその直前に対称的な関係において相互の意 思を認めて向かい合っていたことの痕跡に過ぎない。 この時点で,チャガターエフと鳥たちの間の関係は再び非対称なものへと変化し始めている。 彼の気づかないところから一方的に視線が注がれているのだ。 チャガターエフは飛び起きて,鋭い痛みで座り込んだ。二羽めの鳥,つまりメスが,嘴で 彼の右脚を強く引っ張り,そこからいくらかの肉を取って,いましがた空中に飛び立ったの だ。チャガターエフは,両手でレボルバーを支えて,二度その鳥に発砲したが,命中はしな かった。(386) 残されたメスが,チャガターエフがオスの死体に気を取られている間に降下してきたのだ。 このメスは,チャガターエフに致命傷を与えはしなかったものの,彼を自分の栄養補給の手段 とすることに成功している。そして,続く箇所にあらわれるチャガターエフの行動は次のよう なものである。 チャガターエフは殺された鳥に這い寄ってその喉を,そこに生えていた毛をむしり取りな がら食べ始めた。メスの鷲は依然として見えていたが,この鳥はすでに,真昼でも夜の闇, 日没および日の出の薄暗がりがあるような空の高いところに到達していた。そしてチャガ ターエフが思ったのは,鳥はもうそこから戻ってこないだろうということ,そこには飛び去っ た鳥たちの,自分たちの,空中の幸福な国があるのだということだった。(386)

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チャガターエフもまた,鳥を殺すという当初の目的を達し,オスの鷲を食べることで,求め ていた食糧を得る。この時点では,鳥たちとチャガターエフの関係は,非対称的な関係の並立 という鳥の降下が始まる直前の関係性へと再び戻ろうとしている。しかし,完全に戻ってしま うわけではない。鷲のオスを食べつつメス鳥が空から向けてくる視線を感じてもいるチャガ ターエフは,鷲たちが自律した生活の領域を持っていると思っている。つまりここで彼は,鷲 の死体を自分の生存のための手段としつつも,鷲たちに対して共感をもちつつ,想像力を働か せ続けているのである。そして放浪者には,自然界によって残された肉体的な損傷という痕跡 が残される。 3 『エーテルの道』から『ジャン』にかけての受動的な人間像の登場とその歴史的文脈について 二つの作品を比較すると,作品における人間の位置づけに,反転が生じていることが分かる。 前者では,人間は自然を操作して自らのために犠牲にする行為の主体であるのに対し,後者で は,人間は自然環境のなかに曝され,野生動物に攻撃されて負傷する受動的な存在である。こ のように,両作品における主人公の人間像に大きな違いがみられる。このような人間像の変化 は,物語の舞台として設定された場所に依存するものではない。たとえば,『エーテルの道』 とほぼ同時期に書かれた『砂の女教師』(1927 年発表)でも,砂漠を舞台に,ロシア人が遊牧 民の生活に積極的に関わって定住を促す希望が描かれる。しかし,後者には,前者と同じよう な,自然と向かい合う際の登場人物の能動性が強調されて描かれる。 この変化を,歴史的視野において捉えてみよう。世界に対する人間の受動性という主題は, 決してプラトーノフ独自のものではない。しかし,人間が自然環境に対して優位に立っていな いという内容を,主人公あるいは語り手が意識することとしてだけではなく,人間と自然が置 かれた構造のなかでの立場の入れ替えとしても表現したところに,プラトーノフ作品の特色が ある。 歴史的な文脈を具体的にみてみよう。『ジャン』が書き上げられた 1935 年はソビエト作家同 盟が組織された翌年にあたる。したがって,この組織が規範とした社会主義リアリズムについ て,まず検討する必要がある。カテリーナ・クラークは,圧倒的な力をもった主人公が困難を 克服するという,社会主義リアリズムの文学作品に共通する物語(「マスタープロット」)が, いかにして成立してきたかを語った(15)。この文脈からすれば,『エーテルの道』から『ジャン』 への移行は同時代のソ連の文学界の動向に沿ったものだ。とりわけ,後者における,偉業をな す主人公をはじめとするいくつかの特徴は,社会主義リアリズムの特質によく当てはまる。に もかかわらず,『ジャン』においては,共同体の復活という目的が達成されるにあたって転機 になるのは,チャガターエフが偶然仕留めた鷲を皆で食べるという出来事である。ここに端的 に表れているように,物語の進展にあたって主人公が主体的にかかわることができる以上に, 自然や偶然の出来事の果たす役割が大きい。その点は,主人公が果たす偉業における主体性を 損なうものとも考えることができる。そのため,『ジャン』は社会主義の典型から逸脱する要 素の多い作品だと言える。

(15) Katerina Clark, The soviet novel: History as ritual, 3rd ed. (Bloomington and Indianapolis: Indiana

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しかし,受動的な人間像は,同時代のロシア文化において,他の文学者にもみられた。水野 忠夫は,ロシア革命に刺激を受けて創作を開始したロシア未来派に属するフレーブニコフとマ ヤコフスキーが,ともに「事物の叛乱」をタイトルにした作品を書こうとしていたことに注目 する。そしてその背景には,ロシアの急激な近代化のただなかにおかれた人間が,都市の日常 生活において,周囲の事物に脅かされ人間性を失っていくという事態への危機感があったと指 摘する。水野は,両者とも「主体の崩壊の危機を鋭く自覚していたことに変わりはなかった」 とする(16)。さらに,二人の詩人はともに,世界に対して人間が中心となって能動的にかかわ るという態度が困難になっていること,あるいはそれを続けられない危機感という基本的認識 において共通していたという。 以上のような概観から,二つの点が分かる。1920–30 年代の文化史における,受動的な存在 としての人間像は一定の広がりを持ちえたと言えるだろう。それにもかかわらず,未来派の後 に成立した社会主義リアリズムは,能動的な人間像を理想としていた。 そのような状況において,『エーテルの道』から『ジャン』にかけての,人間中心的な世界 観からそうではない世界観への移行に注目できる。一面では,この変化は,ロシア未来派にも 共有されていた,主体的な人間像の危機という要素をプラトーノフが受け入れたことを示して いる。他方で,『ジャン』における主人公のチャガターエフは,社会主義リアリズムに親和性 を持った,偉業を成し遂げる主人公としての要素も兼ね備えている。そして,そのような,い わば重層的な変化が,『エーテルの道』から『ジャン』にかけての作風の変化においてみられ るといえる。 結びにかえて 本稿では,プラトーノフの作品群における変化を,おもにロシアの文脈において検討してき た。しかし,人間の,世界とのかかわりにおける受動性という傾向は,ロシアにのみみられる 傾向ではない。ゾロトノーソフは,「別の社会的・政治的条件においてプラトーノフは,『存在 と時間』の著者であるハイデガーのようなスケールと傾向をもった哲学者として成長したかも しれない」(17)と指摘している。ゾロトノーソフ自身はこの比較を,1940 年代のハイデガーの テクスト(『ヒューマニズムについて』)と 1930 年代のプラトーノフの作品(『土台穴』)との 間で行っているが,詳しい分析はなされていない。しかし,プラトーノフの作品における人間 の受動性という要素に注目する本稿の視点からは,ハイデガー研究者である木田元の次のよう な指摘が参考になる。 ハイデガーは,著作『存在と時間』(1927 年刊行)において,世界に存在する個々の事物が 存在することの意味,つまり「存在」の意味を問い始める。その作業をハイデガーは,現存在 (人間)が「存在」についてどのように考察してきたかについて,思想史を記述することによっ て行った。木田元は,『存在と時間』においてハイデガーが,自然を制作のための死せる質料 とみるような世界観から,世界がそれ自体として生成するとみるような世界観への転換を図っ (16)水野忠夫『ロシア・アヴァンギャルド』(PARCO 出版,1985 年),24 頁。 (17) Золотоносов, М. Ложное солнце. («Чевенгур» и «Котлован» в контексте советской культуры 1920-х годов.) //Корниенко Н. В., Шубина Е. Д. (сост.) Андрей Платонов: Мир творчества. М., 1994. С. 246.

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ていたと推測する。人間(現存在)が世界に能動的に介入するのではなく,世界で出来事が起 こることによって人間のあり方が決まる,そのような見方に立って思想史を書きなおそうとし ていた,というのだ(18)。この指摘を受け入れるなら,ハイデガーによる受動性の要素に対す る積極的な評価があったことになる。 プラトーノフの作品群における変化を,このようなヨーロッパの思潮との関連においてみて いくことは,本稿ではできない。しかし,ソ連の初期の時代を戦間期と捉え,プラトーノフを 広いヨーロッパ的文脈に位置づけるには,今後欠かすことができない作業だと思われる。 参 考 文 献

Ayleen Teskey, Platonov and Fyodorov: The Influence of Christian Philosophy on a Soviet Writer (Amersham, England: Avebury, 1982).

Katerina Clark, The soviet novel: History as ritual, 3rd ed. (Bloomington and Indianapolis: Indiana University Press, 2000). Баршт К. Энергетический принцип Андрея Платонова : публицистика 1920-гг. и повесть «Котлован» // Корниенко Н.В. (ред.-сост.) Страна философов. Вып. 4. М. 2000. С. 253–261. Геллер М. Я. Андрей Платонов в поисках счастья. М., 1999. Золотоносов, М. Ложное солнце. («Чевенгур» и «Котлован» в контексте советской культуры 1920-х годов.) //Корниенко Н. В., Шубина Е. Д. (сост.) Андрей Платонов: Мир творчества. М., 1994. С. 246–283. Платонов А.П. Собрание сочинений в пяти томах. Т.1. М, 1998. Платонов А.П. Счастливая Москва ; Повесть ; Рассказы ; Лирика. М., 1999. Полтавцева Н. Тема «Обыденного сознания» и его интерпретация в творчестве Платонова // Корни-енко Н.В. (ред.-сост.) Страна философов. Вып. 4. М. 2000. С. 271–281Федоров Н.Ф. Собрание сочинений в четырех томах. т. 1-3. М. 1995–1997. 梶 雅範『メンデレーエフ:元素の周期律の発見者』(東洋書店,2007 年)。 木田 元『ハイデガーの思想』(岩波書店,1993 年)。 久保久子「プラトーノフ『幸せなモスクワ』における身体の部位の用例について」,『ロシア語ロシア文学 研究』,第 31 号,日本ロシア文学会,1999 年,58–69 頁。 古川 哲『繁茂する革命―1920–1930 年代プラトーノフ作品における世界観―』博士論文(東京外国 語大学,2010 年。 水野忠夫『ロシア・アヴァンギャルド』(PARCO 出版,1985 年)。 (本論文は,複数のレフェリーによる審査を経て編集委員会が採択した。) (18)木田元『ハイデガーの思想』(岩波書店,1993 年),139–143 頁。

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