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千葉大学 科学技術と現代社会

第 14 回講義

イギリス小売業の経営科学技術

日本大学商学部 戸田裕美子

1.

はじめに

近年,日本では小売業者独自のブランドであるプライベート・ブランド(以下PB)が急速に普及している.PB は, 主に小売業者が製造業者と共同で商品の開発や企画を行い,製造業者に生産を委託し,小売業者の商標やブランドを付与 して販売するものであり,広告費や販促費,物流費などを圧縮しているために,製造業者のブランドであるナショナル・ ブランド(以下NB)に比べて販売価格が2,3割安いのが一般的である(日経 MJ,2008 年 6 月 13 日付).また,小 売業者が年間契約などで商品を完全に買取るため,製造業者の側にとっても,売上が確保されることや,製造ラインを安 定的に稼働させることができるというメリットがある. 大手小売各社は軒並みPB 比率を高めているが,その潮流として,単に低価格を訴求することを超えて,NB に遜色な い高品質を実現し,独自のブランド・アイデンティティをもった PB として成長させて行こうとする傾向(Seven & I

holdings, Annual Report 2009, p.14)が指摘できる.下位メーカーが大手の小売業者の PB を生産するという常識が崩れ,

業界トップクラスの技術力の高い有力メーカーが続々とPB 製造に参画していることが,PB の高品質化を推進させてい

る.Laaksonen & Reynalds (1994)による分類(図表1)に従えば,近年の PB の動向は,低価格訴求の第二段階や,NB

追随の第三段階から脱却し,セグメント化されたブランドとして最も成熟した第四段階のPB を目指すものであるといえ る. 図表1 プライベート・ブランドの発展段階 (出所:Laaksonen&Raynolds 1994, p. 38 から部分的に抜粋) PB が急速に関心を集めているとはいえ,日本の小売業においてPB が売上に占める割合は約1割から2割程度である. 一方,イギリスの大手食品スーパーにおけるPB 比率は約 2∼5 割であり,ヨーロッパ諸国の中でも高い(図表2).また, イギリスの小売業の中でも,取扱商品すべてをPB で展開するというユニークな戦略で他の小売企業の PB 戦略を先導し

てきたのが,マークス&スペンサー社(Marks and Spencer Group plc.:以下 M&S)である.今日の日本における PB への関心の高まりに鑑みると,PB 先進国であるイギリスの実践を紐解くことは有意義なことであると思われる.そこで 本稿では,イギリスにおいてPB の発展を牽引し,プレミアム PB としての地位を確固たるものにした M&S の実践につ いて,その独特なブランド戦略を歴史的に分析する. !"#$ !%#$ !&#$ !'#$ ()*+,-./ 0123456 078()*+ 09()*+ 0/).:8;0()*+ 0/).:8;0()*+ 0<=>?@/).:8;0() *+ABCD*;>?@PBE FG 078()*+FG 0HIJFG 0KLFG 0MNIOFG PQ 0 R81*,SN 0IJTUVWXY,Z[ 0R81*,SN 0\]IJ^_`abcde,f^ ghV 0UiIO,jVbk^ZlAkm /IJE 0nop48,R81*,Sq 0rk,kstAuve,WXYE ^<q 0wxde,.D81^yz 0{|}~,<qÄÅÇ 0nop480R81*,SqÇ 0>ÉT.D81^ÑÖ 0Üáà kmâ .D81 0bcde,()*+Täa @HkmãåV.D81Ç 0çéè,kmêëíìQîbc de,()*+TäïVãHkm êãñó>?VÇ 0íìQîbcdeTäaò%ôQ ()*+Ç 0íöî()*+ãõúÇ 0íöî()*+ãõúùjVû ü?Ui†°mùjVÇ 0íöî()*+Ui¢£Qû§ Üáà>?ò•VÇ

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図表2 欧米諸国における食品PB の浸透率

出所: Datamonitor analysis (BFCM0160),Marks & Spencer Simply Food case study, Datamonitor, 09/2008, p. 3 より作成.

2.

プライベート・ラベルの時代:

(1884 1918 年) 2−1.行商からペニー・バザールへ M&S の創業者であるマイケル・マークス(Michael Marks)は,1880 年代にロシア領ポーランドからイギリスに亡 命し,イングランド北部のリーズ(Leeds)でわずかな資金を元手に日用雑貨を仕入れ,イングランド北東部を中心に巡 回商人として仕事を始めた(Annual Report 1965, p. 4).当時リーズは産業革命によって発展を遂げた人口 31 万人の都 市であり,製造業,鉱業,そして羊毛や毛織物などの衣料産業で急成長していた.また鉄道の中心地として交通路の結節 点であると同時に,労働者階級の需要を満たしていた青空市場や定期市で賑わう商業都市でもあった(Rees 1969, pp. 2-3, Jefferys 1954, p. 293).

マイケルは,1884 年に青空市場に露店を開き,1886 年には屋内市場(covered market hall)の屋台店を一店買い取っ

て,そこで当時としては画期的な販売方法を思いついた.それは(1)商品をオープン・ディスプレイし,買い物客が商

品を手に取ることができるようにしたこと,(2)商品に値札をつけて価格を示し,買い物客が店員に値段を聞く手間や

価格交渉する精神的圧迫から顧客を解放したことである.間もなくして,彼は「全て1ペニー(Don’t ask the price, it’s a

penny)」というスローガンの看板を掲げ,全商品を1ペニーで販売した.1894 年にはビジネス・パートナーにトム・ス ペンサー(Tom Spencer)を迎え,1903 年に有限会社となり Marks & Spencer の原型ができた.この頃までに,イギリ ス国内のみならず,ヨーロッパ各地の生産者から直接商品を買い取り,現金で買い取ることにより,仕入費用を節約する 購買方針を確立した(Rees 1969, pp. 6, 22). 2−2.M&S ラベルでの販売 M&S がペニー・ショップを拡大させていた頃は,人口の多数を占める労働者階級は実質所得の上昇と共に生活水準を 向上させ,安価な商品への購買力を高めていた.労働者階級の需要を満たす新たな小売形態として1870 年ごろから食料 品や履物,薬品や衣服といった商品別のチェーン店(multiple shop)が登場し(Jefferys 1954, p. 47 ),1910 年代以降, M&S は幅広い商品の品揃えを特徴とする新進のチェーン店の一形態であるバラエティ・チェーン店として発展した. 1915 年までには,イングランド各地の中心市街地を中心に合計 145 の路面店舗を構え,チェーン方式で低価格販売を実 現した. この商売の成功により,ペニー・バザールの模倣店が多く出現するようになると,マイケルは図表3のように,社名 (Marks & Spencer Ltd)の入った台紙に商品を添付して販売することで,他店との差別化をはかるようになった.製造業 者から買取った商品に独自のラベルをつけて販売する方法を採ることにより,自社ブランドを広く普及させることに成功 し,M&S の名は広く知られるようになった.

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図表3 ペニー・バザールで販売されていた商品 M&S 社の許可を得て著者が撮影,掲載

3.プライベート・ブランドの時代:

(1919 1945 年) 3−1.1ペニーから価格ライン制へ 第一次世界大戦までにM&S はペニー・バザールとしての地位を確立したが,戦争勃発により,ヨーロッパ諸国や日本 からの安価な商品の供給網が遮断され,さらに戦争時中の生産制限や価格上昇,インフレ,超過在庫といった諸条件を前 に,そのビジネスを特徴付けていた1 ペニーの価格設定が徐々に困難になり,1918 年ごろには,殆どの店舗で1ペニー での販売をやめた(Rees 1969, pp. 39-55). 1916 年に社長に就任したマイケルの息子サイモン(Simon Marks)は,新たな店舗経営の方向性を模索する中で,当 時M&S の最大のライバルで,1909 年にイギリス市場に参入したアメリカのバラエティ・チェーン店のウールワース社 (Woolworth)のようなアメリカの小売業者が,いかにチェーン経営を実践しているかを視察するため1924 年に渡米した. 価格戦略に関するアメリカ企業の実践は,1ペニーの価格設定から脱却したいと考えていたサイモンに最も重要な示唆を 与えた(Rees 1969,pp. 60-62).アメリカの多くのチェーン店が5セントから 10 セントの低価格設定を基本としながら, 1ドルを上限とした複数の価格帯を採用していたことに倣い,サイモンは5 シリング(60 ペンス)を上限として1ペニ ーから1シリング(12 ペンス)の間で価格設定をする複数価格帯の考え方を採用した(Briggs 1984, p. 51). 3−2. 新たなマーチャンダイジング戦略と St. Michael ブランド この新しい価格戦略の実践は,商品の仕入れや購買に関するマーチャンダイジング戦略の革新を必要とした. マーチャンダイジング戦略の第一の改革は,1927 年の第 1 回年次総会の場で宣言された「バイイング・ブリティッシ ュ(国産品調達)原則」を採用したことである(Annual Report 1977, p. 12).商品の販売価格を安定させるためには, 戦争のような不測の事態によって商品供給が途絶えることや,仕入れ価格の急激な高騰を回避する必要があった.そのた め,サイモンはヨーロッパ諸国の製造業者からの商品購買をやめ,M&S の取扱商品の 90%をイギリス国内の生産者から 直接調達することを基本方針とした.しかし,両大戦間期のイギリスでは再販売価格維持が一般的に行われ,製造業者に 商品の価格決定権が掌握されていたため1M&S のような小売業者が独自の価格戦略を実現するには,価格決定権を製造 業者から奪取する抜本的な改革が必要だった. そこで第二の改革として,バラエティ・チェーンのウールワース社との差別化を図るため,M&S は商品ラインを絞り, 徐々に衣料品の分野に力を入れた.従来,衣料品は卸売業者を経由することが一般的であったが,M&S はチェーン展開 による販売力を武器に,レスター(Leicester)の衣料品製造企業コラー(Corah)社との直接取引をとりつけ(Rees 1969, pp. 106-107),M&S 向けの商品に創業者である父の名前にちなんだ St. Michael のブランド・ネームをつけて PB 商品の 生産を依頼した(Bevan 2007, p. 31).M&S が独自の PB 商品を企画・開発し,小規模な製造業者を取り込み,価格決 定権を確保することによってのみ,1ペニーの価格戦略からの脱却し,独自の価格戦略を実現することができたのである. この新しいビジネス・モデルによるコラー社との成功は,小売と生産の融合による規模の経済性の実現に先例を与え, 1929 年から 34 年までの不況で低迷した繊維産業に大きな影響をおよぼした.第一次世界大戦中にイギリスからの織布輸

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出が停滞していた一方で,アジア諸国で国内紡績業が好景気を謳歌し,国際競争力を向上させていた.こうした状況に対 して,1920 年代を通じてイギリス繊維産業,特に綿業界の企業連合が採った行動は,国際競争力を回復させるための生産 設備への再投資などの積極的な対策ではなく,横断的合同による共同歩調であった.しかし,これは中心企業のない同族 企業の水平的な連合体であり,このカルテルは生産制限や操業短縮を求めたが,十分な実効力を発揮することができなか った(米川1991, pp. 200-203).このような事情のもと,綿業製造業者にとっては,工場の操業率を上げられる上に,完全 買い取りにより確実な生産計画が見込めるM&S への PB 商品供給は大いに歓迎すべきことであった.St. Michael という ブランド名を1928 年に商標登録し(Briggs 1984, p. 11),1934 年までに取引企業のうち 95%が国内の企業で占められる ようになった(The Times 1934).こうして M&S は新たな価格戦略とマーチャンダイジング戦略を有機的に結びつけるこ とに成功した2 図表4 St. Michael のロゴ (出所)M&S による提供資料.同社の許可を得て掲載. M&S は自らの研究所で素材から縫製,デザインまで分析し,さらに製造業者の工場を頻繁に訪れ,繊維研究所におけ る研究成果をもとに革新的な生産技術を指導したり,近代的な機械の導入について積極的に助言した.こうした体制の下, M&S は強力な商品開発力を発揮するようになり(Rees 1969, pp. 113,122-123, Briggs 1984, p. 68),1930 年代末以降,

このPB 戦略が M&S のマーチャンダイジング戦略の中心となった.商品ラインの整理をして婦人服や紳士服を中心に展 開し,徹底したマーチャンダイジング戦略を実践したことにより1933 年から 1939 年までの間に売上はおよそ 3 倍弱, 税引前利益でおよそ2 倍強の成長を記録した(Annual Report から算出). こうした成功に影響を与えた一つの事柄として,両大戦間期に衣料品の分野で既製服が普及したことが挙げられる.こ の時流に乗り,衣料品に注力したサイモンの戦略が功を奏した.また,良質な商品をあらゆる階層の人の手が届く安い値 段で提供したいというサイモンの手法は,とりわけ中産階級という新興階級から支持された.両大戦間期に,事務員やセ ールスマン,技術者,または医者や法律家など,第三次産業の職業に従事する人々が人口に占める割合を高め,彼らは資 本家階級と労働者階級の中間に存在する階層として,中産階級と呼ばれるようになった(Jefferys 1954, p. 43,Reader 1964, 訳書pp.170, 171, 176).この階層に属する人々は,ペニー・バザールの顧客とは異なり,価格よりも商品の品質や,広い 選択肢を重要視し,買い物に楽しみを求めた(Jefferys 1954, p. 33).百貨店は中産階級をターゲットにしていたが,M&S は良価で良品を提供する戦略と並行して,店舗を近代的で豪奢な建物に増改築する改革を実施して買い物に快適さを演出 し,百貨店から顧客を奪取することに成功した(Rees 1969, pp. 117-118).M&S は,低価格訴求のペニー・バザールか ら脱し,新興市場のニーズにうまく適合しながら,店舗イメージをアップグレードさせた.そして競争の軸を価格ではな く,商品の品質と買い得感(Value)へシフトさせることに成功した. 第2 次世界大戦までに,ペニー・バザール時代の前段階に見られたような単に製品にラベルを付与するだけではなく, M&S は商品の企画や開発、価格付けにおいて主導権を握り,高い商品開発力を武器に,衣料品の PB 開発を軸にしたマ ーチャンダイジング戦略を実践し,今日で言うところのSPA(Specialty Store Retailer of Private Label Apparel:衣料 品製造小売業)のビジネス・モデルを確立することに成功したのだった.

4.プレミアム・プライベート・ブランドの時代:

(1946-1998)

4−1.衣料品事業におけるイノベーション

1930 年代末になると,軍事統制により徐々に衣料品の販売が不振になり,第二次世界大戦中は衣料品の製造や販売に

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され,この経験を通じて,M&S の技術者たちは新素材である人工繊維の研究開発に携わることができた(Bookbinder 1989, p. 45).そして,終戦後すぐにその原材料開発や生産方式の改良で製造業者や原材料供給業者と共同研究を開始し た(Annual Report 1945, 1946).M&S は新素材の人工繊維の開発と製造において,社内の衣料品購買部,繊維試験研 究所,プリント・デザイン部,製品エンジニアリング部を連携させ,科学者と技術者のチームを結成し,さらにはサプラ

イヤーとのチーム・ワークを発揮しながら,自社オリジナルの上質な布地を開発して1947 年に初めてナイロン製ブラウ

スを提供した.

製造業者との協働3によるM&S の人工繊維の商品化に向けた努力は早くも 1950 年代初頭に結実し,ストッキングをは

じめ数多くの商品を発売した(St. Michael News, No. 2, June 1953, No. 4. July, 1953).当時,多様なトレード・マーク

の下,人工繊維の新商品が急速に市場に出回ったが,戦前からすでに高品質の評判を得ていたSt. Michael の名は,新し

い人工繊維衣服の品質保証として強力にその威力を発揮した(St. Michael News, No. 15, September 16, 1955).1960

年代以降,科学的知識に基づいたマーチャンダイジング戦略の下,人工繊維の衣料品開発がM&S の成長を牽引した. M&S は自社内で技術者を雇い,高い品質管理と強力な研究開発能力を背景にサプライヤーとの緊密な協力関係を確立 し(Annual Report 1966, p. 7)4,製造業者をリードしながら共存共栄の関係を構築して成長した.1970 年代中盤には, およそ800 のサプライヤーと契約していたが,平均すると,サプライヤーの商品供給総数の 30%を M&S が構成した. 1983 年には,イギリス国内で生産されるワイシャツの約 50%は M&S の St. Michael ブランドのために製造されたもの だった(Bookbinder 1989, p. 67). また,社内報のSt. Michael News は,1960 年代後半から新商品を着用したモデルの写真を多用するようになり,流行 の最先端を行くファッション誌のような存在として従業員に読まれるようになった.これは従業員1人につき約6人の知 人・友人が回覧していると言われたほど注目され (Worth 2007, p. 98),ファッション・リーダー的な存在として St. Michael は支持された. 4−2.St. Michael ブランドの食品事業への拡張 第二次世界大戦中,衣料品販売が制限されたために生じた店舗の空きスペースを活用して,ケータリング事業やカフェ 事業を展開した(Bookbinder 1989, p. 33).また戦時中に食料配給の供給業者として M&S が指定されたことや,カフェ やレストランは配給の対象にならず営業を継続できたという事情により,食品事業で衣料品事業の不振を埋めることがで きた. この戦中のカフェ事業や食品事業の実践を契機に,M&S は 1948 年に高度にトレーニングを受けた有資格の食品衛生

士を雇い,新たに食品開発部を設立した(Rees 1969, pp. 174-175.Briggs 1984, p. 68. The Times 1963).当時食品衛生 の権威であったラーナー(Lerner, A.)博士の指導の下,食品衛生基準が確立された(Briggs 1984, p. 68).食品の衛生管

理の最大の課題は,M&S が設定した衛生基準をすべての食品サプライヤーに遵守してもらうことであり,M&S はサプ

ライヤー各社に専門の食品衛生士を雇用させ,実験施設と試験的な製造工場およびキッチンを設置するよう要求した (Rees 1969, pp. 177-179, The Times 1963. Annual Report 1964, p. 6).また 1949 年に社内用の資料として「衛生的な 食品の取り扱い」というマニュアルを作成したところ,公共の衛生機関や食品衛生に取り組む産業組織からも高い関心を 集め,M&S の経験と知識の蓄積がイギリスの食品衛生を事実上リードするようになった(Annual Report 1964, p.4). こうした経緯の中で,M&S は 1940 年にはじめて,St. Michael のブランド名を食品(マーガリン)に付与し,1960 年代には,持ち前の技術力の高さを活かして乳製品や食肉の分野にも進出した.当時,鶏肉など食肉は「冷凍」して販売 されていたが,それを「冷蔵」の状態で販売することを実現したのは,M&S が業界ではじめてであった.また,女性の 社会進出に伴う家事の軽減とレジャーへの関心の高まりを反映して,1973 年にプラスチックフィルムの袋に密封された 調理済みの食品やインスタント食品の販売を始めた.そして同年に,賞味期限の表示を行ったことも画期的なことであっ た(Marks in Time our heritage).このように,食品と衣料品の両事業分野において,M&S は次々と新製品を開発し,

その高い技術開発力がイノベーションをもたらした.「高品質」というSt. Michael の良好なブランド・イメージを生み出

し,衣料品から食料品へのブランド拡張を容易にしたのであった.

こうした独自のPB 戦略によって,M&S は 1970 年代にイギリスで展開されたスーパー・マーケット市場における価

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ンドであるNB の値引販売が広がり,この価格競争の激化を背景にして,スーパー・マーケット各社は PB や PB よりも 更に10 から 15%も値段の安いジェネリックを続々と導入した(矢作編著 2000, pp. 183 184).他方で M&S は,商品 の品質の高さと,買い得感を顧客にアピールし続け,低価格を訴求点としてPB を展開する他社とは差別化を図り,St. Michael ブランドは,1980 年代にはプレミアム PB として独自のブランド・ポジションを確立した.

5.

PB と NB のミックス・ブランドの時代:1999 現在

5−1.衝撃的な減益とM&S に内在した諸問題の顕在化 M&S は国内市場において安定的な成長を遂げていたにも関わらず,国際展開5の失策とイギリス国内の店舗への過剰投 資6がたたり,M&S は 1998 年下半期に急激に業績を悪化させ,翌 1999 年の年次総会では,税引前利益が前年比で半減 するという驚愕の結果を報告した. 図表5 グループ売上および税引前利益の推移(1989 年∼2000 年) (出所)各年Annual Report より作成. この減益は,M&S に内在していた諸問題を顕在化させた.第一には,M&S はその伝統的な「バイイング・ブリティ ッシュ原則」に固執していたが,他競争者たちは早くも1990 年代初頭に生産拠点をアジアに移し,生産費用の面での優 位性を発揮し始めていた.ネクスト(Next),バートン(Burton),ベネトン(Benetton)といった競合する衣料品チェ ーン店は安価でファッション性の高い商品を提供し始めていた一方で,M&S の商品は良品であってもファッション性に 乏しい保守的なブランドと見られ,特に若年層の顧客を失っていた(Bevan 2007, pp. 76-77). 第二に,消費者の嗜好の変化が挙げられる.第二次世界大戦後から1970 年代に至る時期は消費者のニーズは均質化し ていて,中産階級や中流という言葉でマス・マーケットを理解することで十分であったが,1980 年代から消費者は徐々 にファッションに他者とは違う個性やスタイルを意識するように変化していたが(Worth 2007, p.9),M&S は市場のニ ーズと乖離を起こしていたことを見過ごした. 第三には競争状況の変化が指摘される.1990 年代から M&S の売上のうち,およそ 40%を食品事業が占めるようにな っていた.1980 年代には,食品スーパー各社が商品構成のうち PB 比率を高め,また価格重視から品質重視の PB 戦略 に転換しはじめており(矢作編著2000,pp.187 191),M&S の独自の競争ポジションを脅かしていた.それでも, 長年にわたりイギリス小売業の雄として君臨していたM&S は,競争状況の変化に危機感を募らせることなく,海外事業 に注力していた間に,1992 年に食品スーパーのセインズベリーズ(Sainsbury’s)に税引前利益で初めて首位の座を奪わ れた(Bevan 2005, pp. 102. 117).さらに 1995 年にはテスコ(Tesco)がセイズベリーズから首位を奪取すると,1999 年にはアメリカの巨大小売チェーンのウォルマートの傘下に入ったアズダ(ASDA)が,イギリスの食品市場でテスコに ついで二位につけ,小売市場は極めて厳しい競争状況の下,その勢力図を塗り替える新たな展開を見せていたが,M&S は徐々に市場ポジションを後退させていたことを看過した.

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1999 年の危機を迎えてはじめて,こうした構造的な諸問題が顕在化し,M&S は大々的なリストラと改革に着手し,

その一環として,1927 年から継続してきた「バイイング・ブリティッシュ原則」を廃止した7

5−2.傘ブランドとしてのM&S ブランドと NB と PB のミックス

2001 年に業績悪化の底をみた後,M&S は再び更なる成長に向けて積極的な改革を行った.

第一に,イギリスを代表するブランドとして愛顧され,品質保証のシンボルでもあったSt. Michael というロゴの使用

をやめた(Marks and Spencer, Company Press Release, 23 March, 2000).そして,M&S の企業ブランドを傘ブラン ドにして,衣料品については新たにデザイナーズ・ブランドを買い取り,M&S の PB としてサブ・ブランドを導入する

ことを決定した(BBC News, Monday, March 1, 1999).より若年市場向けのファッション性の高い女性服を提供するた

め,2001 年 2 月にジョージ・デイビス(George Davies)をデザイナーに迎え(Annual Report 2001, p. 13),「パー・

ウナ(per una)」というブランドを立ち上げた.現在では女性服は6つのサブ・ブランドを有し,男性服は4つのサブ・

ブランドを展開し,これらをM&S の企業ブランドの傘下におさめている(Annual Report 2006, p. 9).St. Michael 時

代には商品ブランドのSt. Michael と企業ブランドの M&S は同義であり,St.Michael の下に衣料品や食料品などの商品

群が配置されたが,新生のM&S ブランドは,企業ブランド(太線)として各商品群のサブ・ブランド(二重線)を統括

する傘ブランドの役割を果たしている(図表6).

図表6 新生M&S の商品ブランドと企業ブランドの関係性

さらに,第二の改革としては,店頭での食料品販売に留まらず,2001 年 7 月に食品だけを扱うコンビニエンス・スト

アのような小規模な店舗としてシンプリー・フード(Simply Food)店を開店したことが挙げられる(Annual Report 2002,

p. 13).現在では直営店とフランチャイズをあわせて 338 店が成長を続けている.さらに,カフェ事業(Café Revive) も現在200 店舗以上を数え,イギリス国内で 3 番目に大きなコーヒー・チェーンに成長している(Annual Report 2007, p. 19).こうした店舗では,M&S の PB 食品が扱われて,商品の回転率を高めることに寄与している.そして,図表7 で示されているように,食料品事業が成長を牽引している. 図表7 衣料品と食料品の売上比較 〔図表8−2〕 (新生M&S ブランドの商品部門とブランド・ライン) 企業ブランド M&S 衣料品 日用品・家具・家電 食料品 M&S NB 婦人服 紳士服 子供服 Classics 下着 Portfolio per una Indigo Autograph Limited Collection Autograph Body Solution per una Limited Collection Ceriso M&S NB North Cost Blue Harbour Collezione Adored Autograph Autograph Everyday Casualwear Limited Collection

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(出所)Annual Report より作成.2008 年以降は,衣料品と食料品という分類で数値が示されていないため,衣料品のデータはGeneral Merchandise と

して,食料品と家具・雑貨・電化製品を含む商品群(Home)の合計としての数値である.

上述のような一連の改革によって,2007 年にようやくグループ売上と営業利益の両面で業績悪化以前の水準まで戻す

ことに成功し, 新生 M&S ブランドとしての再出発を果たした.

しかしながら,ひとつ、M&S の注目すべき動向に言及しておくべきだろう.2008 年から 100%PB という M&S を象

徴する伝統を破り,小規模ながら約20 店舗で食料品(Coca-Cola,Budweiser や Heinz など)や家電商品(Sony や Apple など)の350 品目について, NB を試験的に販売し始めた(Annual Report 2008, p. 7,図表7参照).これに伴い,M

&S は新たな問題に直面しているのである.

第一に,NB と PB の組み合わせの問題がある.1980 年代から,M&S は衣料品と食料品に加え,日用品や家具といっ

た商品ラインに品揃えを拡張し,徐々に総合量販店化していた.2008 年からは AV 機器やオーディオ機器の販売を行う

ために,Sonny 社の DVD プレイヤーや Apple 社の ipod などを取り扱うようになった.このような商品の製造業者は強

力な製品開発能力・技術とブランドを確立しているため,衣料品や食料品を得意としたM&S の商品開発力を生かすこと が困難である.従前,M&S は,寡占的製造業者の存在していない製品カテゴリーに焦点をあて,製造業者に先んじて製 品開発を行うことによりM&S 主導型の PB 開発を達成してきた.しかし,AV・オーディオ機器などは既に製造業者が 高い開発技術を有し,これをM&S が凌駕することは困難であり,こうした商品群については,NB を取り扱うことの方 が合理的であるかもしれない.しかし逆に,こうした新たな商品群では,製品開発や価格決定の主導権が製造業者に握ら れ,これまでのM&S のビジネス・モデルが通用しなくなる.これまでは 100%PB という戦略により M&S が無視し得 た小売業者独自の問題,すなわちPB と NB の適正な構成比率8を決定するという問題にも取り組まねばならない. 第二に,食料品のNB についても新たな問題がある.顧客が M&S の店舗でワンストップ・ショッピングができるよう, PB を補完するものとして NB を扱うことが顧客の利便性に寄与するとしているが(Annual Report 2009),食料品につ いては類似の商品群をM&S の PB でも提供しており,それらにおよそ2割から4割ほど安価を設定して,価格で差別化 をはかっている.従前,M&S は自社の PB 商品の「高品質」と「買い得感」を訴求し,St. Michael というブランドを作 り上げて以来, NB との比較で「低価格」を前面に押し出すことはなかった.独自のプレミアム PB の地位を確立した M&S にとっては,価格訴求型の販売手法はブランド・イメージを揺るがす危険性をはらんでいる.NB の比率をさらに 高めるか,それとも100%PB の戦略に戻るか,そのブランド戦略の方向性によって,その価格戦略の方向性も大きく異 なるものになるだろう. 2009 年に創業 125 周年を迎えた M&S は,およそ 70 年間続いた 100%PB というユニークな戦略にかわる新たなブラ ンド戦略の構築を模索しながら,現在,大きな分岐点に立たされていると言える. 6.本章から学ぶこと 本稿では,M&S の PB 戦略の変遷について概説してきた.図表8にまとめられているように,M&S はサプライヤー を取り巻く諸状況や,消費者の変化に影響を受けながら,そのPB 戦略の特徴を変化させてきたことが明らかになった. 0 1000 2000 3000 4000 5000 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 £m 衣料品 食料品

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図表8 M&S ブランド,サプライヤーおよび消費者特性の史的変遷 最後に,この分析を通じて得られる示唆を今日的な問題との関連でいくつか指摘しよう. 第一に,M&S はバラエティ・チェーンから,衣料品の製造小売、すなわち今日でいう SPA に業態転換した.さらに M&S は衣料品から始まり,そのブランドを食品等,多様な商品分類に拡張させた.これはユニクロが野菜事業にブラン ド拡張しようと試みたことに類似した状況である.既述のようにM&S がこれを成功させた条件は,ブランド拡張に至る までの間に,「高品質」と「買い得感」という極めて強固なストア・イメージを確立させたことにあったといえる. 第二に,M&S がプレミアム PB に成長することを支えた重要な条件の一つには,M&S が研究開発設備に巨額の資金 を投じて高い商品開発能力を備えたことである.これによりサプライヤーを技術面でリードしながら,商品の品質管理を 徹底できた.競合する食品スーパーに比べて,M&S は多くの技術者を雇用し,開発力の向上に努めてきた(図表9). この技術開発力を発揮すべく,製造業者が未開の領域に着目して,製造業者に先んじて研究開発を行い,その分野に進出 していったことがM&S の PB を支えた条件の一つであった.しかし,M&S が NB の比率を高めるとしたら,革新的な 商品であるほど製造業者は情報開示や生産工程への介入を拒むことが予想され,商品の品質管理という観点からは,従来 のビジネス・モデルは通用しなくなる.この点は,大手製造業者に生産を委託し,生産工程まで介入するのが困難である 日本の大手流通業者のPB と同じ問題状況を共有することになるだろう. 図表9 売上高に占めるPB の割合と従業員に占める技術者の割合 出所Davies (1993), p. 169 そして最後に,Laaksonen&Reynalds(1994)で示された4つの段階のように,必ずしも PB の発展はジェネリックから 始まり,プレミアムPB に発展するわけではないことが指摘できる.M&S の場合は,当初から高品質と買い得感を目指 しており,Laaksonen らの区分に従えば,第三段階から始まり第四段階に進歩したと言える.このような PB の展開のし かたは,M&S に例外的なことであるのか否か,さらに分析する必要がある.また,M&S のように始めから NB を排し て独自のPB 戦略を推進した場合,通常 PB の合理的根拠として提唱される「対抗力仮説9(大野2008,第 3 章)は当て ミックス・ブランドの時代 傘ブランドとしての M&S ブランドと、 ナショナル・ブランド商品の導ো (1999-現在) プレミアム・プライベート・ ブランドの時代 ৈい商品開発ৡ・技術ৡの蓄積。 品質保証、ファッション・リーダーとし ての St. Michael ブランド。୫品など他 の商品ラインへの拡張。(1946-1998) プライベート・ブランドの時代 St. Michael の導ো,๲料品製造৵ 売業(SPA)の確য় (1919-1945) プライベート・ラベルの時代 元祖ペニー・バザールとしてのৈい ストア・ブランドの構築 (1884-1918) ファッションのサイクルの短縮化。安価 でファッション性の優れた商品を評価。 (主な顧客層:個性やৈ付加価値を追求 する消費者。) 均質化したপ衆消費。ে活の質の向上や、 余暇を楽しむライフスタイル。੓性の社 会進出。家事労働の軽減化。国ড়的ブラ ンドとしての St.Michael。品質を重視。 (主な顧客層:中産階級) 労働者階級の所得上昇と購買ৡ上昇。 安価な規格品への需要の増加。価格弾ৡ 性がৈい消費者。 (主な顧客層:労働者階級、低所得者層) 中産階級の出現と成শ。既製服を購োす るという新しい消費ધ化。値段より、価 格と品質の関係による買い得感を重視。 (主な顧客層:中産階級) イギリス国内の繊維産業の衰退。ে産 拠点の国際化。強ৡなブランドৡを有 すナショナル・ブランド商品。ৈい技 術ৡを要す୓新的製品の出現。 イギリス国内では、๲料品と୫料品の両分 野において、M&S の商品開発ৡがサプラ イヤーのে産技術を向上させ、ে産規模を 拡প。国内のサプライヤーのপ規模化を実 現。M&S との相互依存的な関係の確য়。 ๲料品分野の製造業者は৵規模な同 族企業の集合体。প規模なে産設備 への投資に失敗。国際競争ৡの低下。 再販売価格維持制度により価格決定 権を保持。  ৵規模な国内外の製造業者。現স取 引によりチェーン化する৵売業者と の直接取引。卸売業者の排除傾向。 サプライヤーの特性 M&S ブランドの特性 消費者の特性

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はまらない.この点において,プレミアムPB 開発の独自の合理性をいかに説明するか,新たな理論的な課題であると言 える. [文献案内] 創業から1960 年代までの M&S の歴史を網羅している著作は,Rees(1969)である.店舗戦略やマーチャンダイジング戦 略に加え,M&S の独特な人材育成や福利厚生の基本方針も詳細に説明されており,同社の経営理念や経営哲学を包括的 に理解することができる.また社長としての自らの経験を語ったSieff (1986)も,M&S が最も成長した時代を牽引した 当事者の証言として貴重な資料である.また,日本語に翻訳されていないが,同社のアーカイビストであったBookbinder の記録(1989,1993)や経営史家の Briggs の著作(1984)も重要な情報源である.そして,M&S の衝撃的な減益から, 再起に至るプロセスを描いた著作には,Bevan(2007)が挙げられよう.ジャーナリストの視点から書かれたものであり, 必ずしも学術的な文献ではないが,緻密な取材の上に書かれており,読み物としても大変興味深い.また,日本の研究者 の文献に関しては,M&S を取り上げた先駆的な研究として矢作編著(2000)が挙げられる.イギリス小売業の一般的な 諸特徴を議論する中で,ひとつの重要な事例としてM&S が PB 戦略をいかに成立させたかを分析している.そして,日 本のPB 戦略の諸事例を挙げながら,大手流通業者が PB 開発を採用する合理性について理論的な分析を試みている大野 (2007)は,PB 戦略の構造的理解をする上で重要な文献である. 参考文献 [1] 大野尚弘(2010),『PB 戦略—その構造とダイナミクス』千倉書房. [2] 戸田裕美子(2008),「マークス&スペンサー:100%プライベート・ブランドの店」『ヨーロッパのトップ小売業』同文舘, pp. 95~119. [3] 矢作敏行編著(2000),『欧州の小売流通イノベーション』白桃書房。 [4] 米川伸一編(1991),『概説イギリス史—現代イギリス経済の形成』有斐閣.

[5] Bevan, Judi (2007), The Rise and Fall of Marks & Spencer, and How it rose again, London: Profile Books Ltd.

[6] Bookbinder, Paul(1989),Marks and Spencer, the war year 1939-1945, A division of Century Hutchinson Publishing Group, London. ——— (1993), Simon Marks, Retail Revolutionary, Frome and London: Butler& Tenner Ltd.

[7] Briggs, Asa (1984), Marks & Spencer 1884-1984: A Centenary History of Marks & Spencer Ltd, The Originators of Penny Bazaars, London: Octopus Books Limited.

[8] Davies, Gary (1993), Trade Marketing Strategy, Paul Chapman Publishing Ltd.(住谷宏他訳『トレード・マーケティング戦略』同文舘出版, 1996)

[9] Jefferys, James B. (1954): Retail trading in Britain 1850~1950, A study of trends in retailing with special reference to the development of Co-operative, multiple shop and department store methods of trading, Cambridge University Press, London.

[10] Laaksonen, Harri and J. Reynalds (1994): “Own brands in food retailing across Europe,” The Journal of Brand Management, Volume 2, Number 1, pp. 37~47.

[11] Marks in Time, our heritage.(Marks and Spencer Company Archive pamphlet). [12] Marks & Spencer (1927~2010), Annual Report 1927~2009.

[13] Marks & Spencer (1953~1999), St. Michael News, 1953~1999.

[14] Reader, W. J. (1964), Life in Victorian England, Batsford Ltd. London(小林司他訳『英国生活物語』晶文社,1983).

[15] Rees, Goronwy (1969), St. Michael, A History of Marks and Spencer, William Clowes and Sons, Limited, London and Beccles(鈴木博訳『マーク

ス&スペンサー成長の記録:ヨーロッパ最大のチェーンストア』ビジネス社,1970 年).

[16] Worth, Rachel(2007), Fashion for the people, A history of clothing at Marks & Spencer, Berg, Oxford.

[17] Sieff, Marcus(1986), Don’t ask the price, the memories of the president of Marks & Spencer, Weidenfeld & Nicolson (ダイエー流通研究会翻訳 『わが信念の経営‒マークス&スペンサーとともに』ダイヤモンド社,1987 年)

[18] Tse, K. K. (1985), Marks and Spencer, Anatomy of Britain’s most efficiently managed company, Pergamon Press, Oxford. [19] The Times (1934), “Company Meetings”, Friday, May 8.

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[20] The Times (1963), “Company Meetings:” Friday, June 14. [21] Planet Retail : http://www.planetretail.net/

1 1900 年には再販売維持行為が行われていた商品群の総消費支出に占める割合は3%以下であったのに対し,1938 年には30%に達していた(Jefferys 1954, pp. 53-55). 2 PB 戦略を推進するために事業部の再編がされた.この点については,戸田(2008)を参照されたい. 3 サプライヤーは機械の設置や工場の建設の費用を自らで負担せねばならず,M&S から資金的な援助を受けることはなかったが,製造業者への助言や指導 が最先端のものであるようにM&S は自身の研究所において常に高度な研究開発を行い,サプライヤーの技術進歩や生産効率の向上に大いに貢献した.M&S は新素材の人工繊維の分野において先導的な役割を果たしていたため,こうしたサポートは製造業者に大いに歓迎された(Rees 1969, p. 168. Annual Report 1965, p. 8).

4 M&S のサプライヤーとの契約関係については,Bevan(2007)の pp. 104, 106 や戸田(2008)の脚注14 を参照されたい.

5 国際展開の詳細については,戸田(2008)を参照されたい.

6 国内のLittlewoods19 店舗を2億ポンドで買収し,これはM&S がこれまで行った投資としては最高額であった(Annual Report 1998, p. 19).

7 M&S が行った大々的なリストラ策やバイイング・ブリティッシュ原則の社会的・経済的影響については, 戸田(2008)を参照されたい.

8 現在,M&S のNB の構成比率は10%以下である.会長のローズ(Stuart Rose)によれば,M&S はその構成率を10%に留めると表明したが(筆者の2009

年9月のインタビューによる),2010 年5月1日から食品スーパー・チェーンのWM モリソンのCEO であったボーランド(Marc Bolland)がM&S のCEO

に就任し(Marks & Spencer, Press Release, 25 May, 2010),今後もPB 戦略を保持し続けるかは明らかでない.

9 寡占的製造企業の市場支配力に対して,流通企業がPB 開発を通じて,それを抑制しようとするという考え方である.詳細は大野(2010)の第3 章を参

参照

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