「経験」の多元性に関する一考察 [ PDF
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(2) 程を見る必要がある。. その純粋性がまた真理の保証であるとされた。単なる自 然の描写に徹底する知ではなく、実践的な力を帯びてい. 第二章. 伝統的な経験論における「関係性」の射程. る知、現実の問題を解決するための道具としての知にな. 1・経験主義とは知識の起源を経験に求める言説であ. った。そのような自然像から、二つの特徴が窺える。第. る。経験主義による経験とは以下のように定義される。. 一に、機械論的自然観がある。自然を対象化し、それが. 一方、 我々が現実という力のもとに置かれつつも、 他方、. 数学的に厳密に定式化できるという考え方である。第二. それに能動的に働きかけ、それを我々の支配のもとに置. に、人間中心主義がある。知的操作によって自然を征服. こうとする、その相互作用の自覚は経験である。経験に. する人間主体が世界の頂点に君臨し、主体と世界との間. おける現実と我々との間のこうした緊張関係の中から、. の関係は支配関係である。. 我々の知識が生まれる。経験知は記述知によって統合さ. 2・のちに、その実践的な力を人間社会の諸問題の解. れ、そして、そうした知識の当否や真偽もまた、いつも. 決の有望な方法として考えられた。人間は、自然と同じ. 誰にでも経験的に確認することができる、という。いつ. ように、社会を制御しようとした。そして、制御である. の時代でも、 人間は世界との関わりを通じて経験をする。. 限り、その目的が社会に秩序をもたらすことである。社. しかしその出来事を経験として捉えるか否かが普遍的な. 会を、市民を制御し、変革し、形成するための「道具」. ことではない。上の定義における働きかけ、統合などと. としての実践力をもった知識であった。よって、経験主. いう用語法は、以下に示されるように、近代初頭の科学. 義における関係性の射程とは以下のようなものであると. 革命を通じて見出されたものである。だが、それは以前. いえよう。まず、未知な(異質な)状況との接触から生. になかった経験というより、むしろ経験をそれとして規. じる緊張関係が問題と見なされていること。第二に、そ. 定する概念装置、世界との関係の図式が新たに規定され. の状況を制御することは経験の目的であること。 第三に、. たのである。西欧中世のキリスト教世界では、 「経験的世. 解決法が検証されたのち、対象を変革・支配する技術と. 界」という言葉がある。それは「世界を生きること」と. なることである。従って、経験主義の視点から「関係す. いう意味をもつ。ここでは、如何なる人間の働きかけは. る」過程とは(外部での)緊張関係を(内部の)調和関. 見られない。神の意志に従って動く自然に対して、人間. 係に変える働きである。未知なるものとの接触の経験を. がその動きに関与する余地は認められなかった。あらゆ. 主体のうち知識として統合するゆえに、そのような経験. る知的な営みは「神の栄光のために」なされていた。ま. の捉え方を「統合経験」と呼ぶ。無論、そのような関係. た、 その知識の妥当性を保証するのは神の全知であった。. の成立は人間の社会生活の基盤となっており、そのこと. しかし、そのような神の秩序を犯したのは数学的論証に. を排斥するつもりはないが、むしろ問いは「関係する」. よって地動説を唱えた Galilei である。そのように自然. ことはそれだけなのかということである。経験主義は知. の法則性を唱える者は、当時の世界観からすれば、神の. 識の起源について論じているが、「経験は何をもたらす. 秩序を乱す異端者としてみなされた。彼が主張した論述. か」ということを問わない。しかし、経験の可能性を追. はそのとき、 「経験」として見なされなかった。彼が見た. 求するならば、避けられない問いである。. ものが、異端審問官にはおそらく問題にならなかった、 むしろ彼が見たと主張するものが問題であった。神の摂 理を排除した自然の数学的定式化、自然の動きに関与す ることこそが排斥のもとであった。人間は、神に依託さ. 第三章. 逸脱経験の「逸話」と統合経験の「経験知」の 関係について. 逸脱経験と統合経験とは相容れない経験形態ではなく、. れた自然の支配者であるということが、既にキリスト教. 経験そのものに共存する「目的」の可能性である。確実. 世界の伝統にある考え方ではあるが、自然を特に操作の. な目的をもった経験はいつも誰にでも、その結果を確認. 対象と見なし始めたのは近代初頭からである。経験論の. でき、他人と共有できる。しかし、共有されるのは経験. 創始者 Bacon は自然法則の認識(=科学)によって、自. の語りであって、経験そのものではない。この場合、経. 然を支配する技術を、人間のために追求することを提唱. 験によって関係性を獲得することはある意味、社会性の. した。科学が神の栄光を表す手段であることをやめ、人. 獲得でもある。そしてそれはいうまでもなく、教育によ. 為によって自然を支配し、制御する目的のもとに機能し. ってなされるものである。. 始めた。その新しい原理とは「正確さ」である。根拠か. 1・経験学習の知識生成過程を論じた池田氏は経験を. ら出発した首尾一貫した体系を作ることが学問の理念で. 濃密な状況との接触としてみなす。筆者は氏の指摘に賛. あり、人々はその理念に従って純粋なる世界を構築し、. 同するが、最終的に統合経験にしか機能し得ない経験の.
(3) 仕組みを論じることになることが欠陥である。 実例では、. 困難に、進んで打ち向かおうとしていたゆえに、旅行は. 経験学習計画のもと、児童は模擬店の運営を通じて、そ. 能動的な態度を必要としていた(ここで、不確実性に進. の実態に触れることが意図される。児童が選んだ店を訪. んで臨むことを「能動性」という。出遭いを含むが、経. れて、その店内状況をまず調べる、そして、模擬店でそ. 験主義のような結果的な支配の要素を含まないので、区. れをできるだけ忠実に再現し、運営する。池田氏のいう. 別する) 。しかし、交通機関の進歩と交通網の拡大によっ. 濃密な状況とは、まず店の全体としての直接な知覚であ. て、旅の不便と不安が減少した。勿論、それは自然制御. る。そして、その知覚による店の諸要素の意味の構成で. の精神と産業技術に多く与っている。その後、大衆化に. ある。その接触によって、知覚的情報とその意味を対応. よる旅行の増大、旅行の企業化組織の拡大によって、旅. させる規則の習得が可能であるという。模擬薬局を営ん. 行の新しい性格が観光客の誕生によって現された。観光. だ「ぼく」の例を取り上げて、薬局に対する知識生成過. 客は旅行者と違って受動的である。楽しみを求め、面白. 程を記述する。しかし、濃密な状況の解釈から(一般的. いことが起こるのを待っている。そして、娯楽も、珍し. な)規則が生成するのに、それが既存の規範によって有. いものも、旅行代理店によって保証され、作り上げられ. 意義な要素に区切られると前提する必要がある。が、そ. ている。Boorstin はその変質を経験の希薄化として捉え. れ自体の意味は店に含意されたり、児童から必然的に見. る。まず、旅行代理店は経験の要因である出遭いを妨げ. 出されたりすることはない。むしろ、経験の目的が設定. る。他面、旅の不確実性を減少した上、旅の驚きと興奮. され、その目的を確認することは経験知の獲得や経験の. の源であった冒険を安全に、 計画的に再現して提供する。. 語りの共有である。例えば、薬局の経験知とは有意義な. 3・本論で提示した逸脱と統合はいずれも、未知なも. 要素だけを抽出して、対象を一般的に定義できるような. のとの関係から始まる。 その関係の捉え方だけが異なる。. 形での記述を要請する。だが、経験の解釈は当人に依存. 旅行経験もそうである。成長と堕落を備えている。成長. するゆえ、必ず計画通りに進むとは限らない。同じ場面. とは、社会での自分の役割に適応するような能力の醸成. で、別の児童を想定しよう。彼は「ぼく」とは異なった. である。そして堕落とは、その社会にとって有用性のな. 仕方で薬局の意味を構成した。その描写は特異の薬局に. い、秩序を乱すものである。だが、経験から得た能力の. ついてであり、一般的に定義するのに不適切である。彼. 醸成は、経験の後に他人に評価されたものであり、当人. が接した状況(経験)は「ぼく」と同じであるが、変則. の経験の一部にすぎない。評価された能力も排斥された. 的な関連付けは既存の世界了解から逸脱している。ここ. 堕落も、同じ経験の産物である。異質な世界との関わり. でもまた、経験の語りが問題である。経験の語りの共有. において、当人が別の視点で従来の世界了解を見ること. がなければ、経験学習としては不適であるが、誤ってい. は不思議なことではない。 発展につながる場合もあれば、. るのだと、容易くはいえないだろう。更に、経験の直接. 懐疑を呼覚ますこともある。 それは経験の両義性である。. 性の問題もある。池田氏の実例ではその状況はあくまで. 旅行経験と経験学習との間、二つの共通点がある。第一. も「子供のための模擬店」たるシミュレーションでしか. に、経験状況の外的制御、第二に、疑似性である。そし. ない。習得するものは計画によって入れられたものに限. て、それは経験の語りの確認及び共有の保証を目指す。. る。 その疑似性はいつも、 破綻する危機に曝されている。. だが、確実な驚きや娯楽の保証のためにせよ、確実な知. 最後に、経験学習とは別の文脈で、氏は経験の濃密な状. 識獲得の保証のためにせよ、当人の(第二節の意味での). 況を旅行にも例える。鈍行より、飛行機での旅の経験が. 能動的で直接的な経験状況との関わりが抹消され、経験. 希薄であるという。その関連で現代における旅行経験の. の両義性が一元化され、第三者によって制御・計画され. 希薄化を指摘した Boorstin の視点からその実態を見る。. る再現になってしまう。その道を外れる当人の経験は失. 2・十九世紀まで、遠距離旅行は稀であった。長時間. 敗か堕落とされる。. に及び、危険と不確実性に満ちた、骨の折れる旅であっ たからだ。膨大な経費もかかっていたため、経済的余裕. 第四章. 逸脱としての人間形成の視点から見えるもの. のある人々に限られていた。青年を大学にやらないで、. 1・当人と世界の関係を促すものは同質で見慣れたも. 教育を完成するため、大旅行に送り出すことがよくなさ. のではなく、異質なものである。頻繁に接する日常的な. れていた。人々との出遭い、珍しいもの、奇抜な経験を. 状況は円滑に処理され、経験をもたらさない。その状況. 求めて人は旅していた。が、それに対して、彼らを堕落. の了解が破綻するときこそ、 当人の当惑と緊張をあおり、. させる危険性があることも指摘された。当時の旅行者は. 経験の次元を開く。統合経験の働きは異質をなくし、同. 旅の過程のあらゆる側面で自ら応対して、そして多くの. 質に変える働きである。その関係は異質との関係である.
(4) どころか、異質を整合的な語り(経験知)によって共約. 遊びは間接経験として排斥されるが、施設や環境整備も. 可能な関係にすることである。そして、異質なものを理. また、 別の間接性を、 別の疑似性を提供するのであろう。. 解の対象にすることによって、客観的実体性を付与し、. 3・疑似性の二元論は遊び経験の欠如問題とより広域. 特定の条件下に常にあるものにする。誰もがそれを確認. の映像文化の問題性として現われる。今日、間接経験の. できることによって、皆の経験、または誰の経験でもな. 氾濫による現実と想像の認識の動揺が非難される。一方. い経験となる。全てを共約可能なものにして行く統合経. では、映像媒体のゲームなどの疑似性は非現実的で、虚. 験は経験の源である異質性との接触を減らすからして、. 構で、 「偽者」であるとされるに対して、他方、豊かな感. 経験の可能性を減らす経験でもある。その欠陥は経験主. 性を育むはずの「環境づくり」が、発達や社会性を補え. 義が最初から背負っている純粋な世界了解を経験でもっ. る限り、現実性と「実感」に溢れたものとして捉えられ. て構築できることへの思い込みにある。経験知は「現実」. ている。また、現実と想像に関していえば、想像は現実. に同質化可能な対象についての記述であるゆえに、経験. 的でないが如くの想像である。現実の規範を超えている. そのものの一部要素だけを抽出して、それを経験全体と. ことをその特質としている。だが、ここでも有用で奨励. してみなす。捨象されるのは誤りとされる不確実な要素. される想像と排斥される想像の二分法がなされる。が、. である。秩序を乱す誤りの追放は確実性と了解の追求の. 如何に確実な世界の規範から、その現実の外部にあるも. 副産物である。制御可能な世界において誤りは修正すべ. のを正確に評価・判断できるのだろうか。その問いは経. きものである。しかし、現代では、その秩序において尚、. 験や世界との関係などを考察する上で大切である。. 対応しきれない社会問題、環境問題などは頻発する。人. 4・世界との関係としての経験は二つの次元の混合で. 間は了解に囲まれて暮らすのに、関係する能力はそのよ. ある。一方、世界をひとつの確実な秩序体系として表す. うに希薄になったのは、関係性が了解の上だけでは成立. ことによって、その理解の共有を可能にする。他方、経. しないからであろう。. 験の発端である異質なものとの出遭いはその体系の変容、. 2・頻発する諸問題の内、 「遊べない子供」を取り上げ. 発展や崩壊の可能性を潜めている。異質性と同質性との. る。野外で、または集団で遊べなくなった子供、独り遊. 間に対立関係があるが同時に相補関係もある。いずれか. びに耽っている子供の実態、所謂遊び経験の欠如が子供. に偏重がある場合、滅亡か画一化しかもたらさない。豊. の発達に危害をもたらすであろうと懸念されている。ま. かな出遭いの可能性も、世界に対する多様な眼差の可能. ず、遊びと発達の結びつきが窺える。そのことは児童発. 性もない。. 達論の初期研究や教育的遊戯論の見解で、遊びを通じて 忍耐や社会性が獲得されると主張する。つまり、それは. 【主要引用文献】. 専ら、遊びの教育的有用性を追求したものであり、現在. 池田久美子、 「 「はいまわる経験主義」の再評価――知. にいたるまで、遊び経験の「復活」に努める対策案に遊. 識生長過程におけるアブダクションの理論」 、 教育哲学研. びと関連つけられたのは育む、養う、学ぶの類の用語で. 究、第 44 巻、1981 年、18∼33 頁。. ある。また、その復活のために、施設や環境整備を勧め. 「新しい時代を拓く心を育てるために――次世代を育. る。 だが、 「失われる」 以前の野外での集団遊びは皮肉に、. てる心を失うの危機」 、中央教育審議会答申、平成 10 年. 「遊ぶため」の施設や整備がなかったゆえにこのように. 6 月 31 日. なされていた。想像豊かな経験であった。しかし、 「遊ぶ ため」の整備等はそれを衰退させてしまう。遊びは子供 によって創られるのではなく、子供のために「完成品」 として第三者によって提供される。遊びは「課題」にな. 【主要参考文献】 Jacques Derrida, Force de Loi ― le «Fondement. mystique de l’autorité », Galilée,1994. っている。仮に、忍耐などの獲得を伴うにしても、当人. 今村仁司、 『近代性の構造』 、講談社、1999 年. にとってその獲得は目的ではない。ここで捨象されてい. 村上陽一郎、 『近代科学を超えて』 、講談社、1986 年. るのは遊びの騒動の側面である。その騒動や撹乱は調和. Daniel J. Boorstin、 『幻影の時代』 、後藤和彦・星野郁. と秩序をもたらす教育の彼岸にある。よって如何なる整 備や計画によっても再現できない。前節にも指摘したよ うに、世界の全ての事象は秩序の内におさめることはで きない。遊びはそのひとつである。遊びの形態は子供の 生活環境によって変容する。テレビゲームや映像媒体の. 美訳、東京創元社、1964 年 山下恒男、『子どもという不安――情報社会の「リア ル」 』 、現代書館、1993 年 Edgar Morin, Le paradigme perdu:. humaine, Editions du Seuil, 1973. la nature.
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