• 検索結果がありません。

中央学術研究所紀要 第13号 092深田伊佐夫「開発途上国開発援助と宗教-その二 宗教のもつ社会の発展への二面的性格について-」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中央学術研究所紀要 第13号 092深田伊佐夫「開発途上国開発援助と宗教-その二 宗教のもつ社会の発展への二面的性格について-」"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

一はじめに ︵1︶ 前稿では、開発途上国への開発援助の定義および、宗 教との関連性についての考察を行ない、社会の発展化、 近代化へ向けての開発のあり方についての位置づけを行 なってきた。 その中から、開発自体のもつ役割と性質、それを開発 研究ノト

開発途上国開発援助と宗教

その二宗敷のもつ祇会の発展への二面的性格について

はじめに 基礎的考察 開発援助と宗教 ・援助の供与!受取の両面の立場からゑた時のあり方 へ、ある程度の接近を承ることができたと考える。 究極的に、開発︵物質的附発と精神的開発︶の促進は、 人間社会における発展化・近代化への唯一の方法である と考える。それによってもたらされるものは、一個人の 生活からはじまり、経済・社会の各分野の発展化・近代 化そして安定化であるといえよう。

深田伊佐夫

Qワ ゾ ー

(2)

開発途上国開発援助と宗教 また、すでに開発された先進社会に身を置く人間は、 未開発状態・貧困状態の社会に身を置く者や国に対し て、自らのできる開発援助・協力を行なうことが使命で あることも明確となった。安定した社会環境と国際秩序 の形成を目指す基礎となるからである。 さらに、これらを宗教的レベル︵信仰的レベル︶にて とらえれば、物質的開発とならんで、精神的開発という 課題も新たにもたれよう。 ここでは、宗教的レベルからみた開発援助についての 考察を行なうことにしたい。 日宗教のもつ社会の発展への二面的性格 宗教・宗教者が開発援助に取り組む場合、その前提条 件として考えなければならない点が存在する。 それは、現在、宗教・宗教者が、開発援助活動にどの ように関わり、位置づけられているか、また、今後、ど のように働きかけをしてゆくのかという点である。 そして、その中で最も重要な部分を占めることは、宗 二基礎的考察 教・宗教者が、社会の近代化への阻止要因・阻害要因と なっていることの事実と、その解消化へ向けての働きか けへの着目である。これは、伝統的価値観と慣習・因習 ︵2︶ が、宗教自体と結合してつくり出された結果である。 以上のことについて、⑦巨旨烏冒著﹃アジアのドラ マ﹄および、詞z・団些目編著﹃アジアの近代化と宗 ︵3︶ 教﹄にみられる宗教と社会の発展・近代化についての考 察を例にとって、この問題を考えてゆくことにしよう。 口の巨旨骨巨による宗教的価値観 宗教・宗教者を、開発・近代化に向けての枠内で位置 づけた時、それらへの阻止要因・阻害要因としてはたら くことは、さきにのべた。これは、宗教・宗教者が伝統 的価値観と結合し、もしくは、伝統的価値観そのものと してあらわれる結果であるといえよう。 この傾向は、近代社会においては、あまりみられない ものであるが、本研究の対象となる開発途上国の未開発 社会においてみられる現象である。近代社会において も、この傾向は、全く象られないものではないが、開発 途上国の未開発社会にみられるそれに比べれば、程度は 93

(3)

︵4︶ 低いとゑてもよいであろう。 ここで、の、冨胃烏昌の提示する宗教的価値観に基づい て承てゆくことにしよう。 の、冨買烏一によれば、宗教が発展・近代化への阻止. 阻害要因としてはたらくことを前提として、つぎのよう な論述が染られる。 ﹁継承された制度的仕組や生活様式や、態度に対しての 神聖さや、禁忌や、不易性の公認を考える高度に情緒的 な信条や、価値判断の儀式化された複合体がそれであ る。かかる現象は、包括的意味に理解された宗教は、通 常、社会的慣習性の協力な力としての働きをするからで ある﹂と定義する。これにあてはまる宗教は、﹁低次元 宗教﹂・⋮すなわち、未開発社会における低次の宗教の ことを示している。逆に、仏教・キリスト教・イスラム 教等の高度な哲学的価値観の裏付けをもつ宗教との関係 でこれを象れば、このような現象は減少するとゑてい ︵5︶ ヲ。O また、⑦冨胃烏昌は、宗教自体を﹁低次の宗教﹂と ︵6︶ ﹁高次の宗教﹂に分類して位置づけ、上述のような定義 をしている。 しかし、高次の宗教自体の教理面にも、非合理的因習 的・迷信的部分が存在することを認めている。そして場 合によっては、低次の宗教が、発展化・近代化への阻止 ・阻害要因として働くのと同様の結果をもつことも指摘 している。 いずれの場合も、宗教自体のもつ特性としての非合理 的・因習的・迷信的部分が多分に含まれる。その問題に ついては﹁人びとの信条や価値判断の全複合体と不可分 の一体をなしている以上は発展への阻止・阻害要因を除 去するためには、︵宗教自体の体質が︶改革される必要 ︵7︶ がある﹂と、宗教自体の体質の改革を提示している。 そして、ここにあげたような、宗教の特性・体質が、 人間の内面に保存されているところに、宗教が、発展・ 近代化の阻止・阻害要因となってあらわれるととらえて いる。 以上が、の、巨旨烏一の宗教に対する価値観のあらま しである。 これらをまとめて考えれば、開発途上国における宗教 の位置づけを、伝統的価値観との結合による近代化への 阻止・阻害要因としている。そして、その伝統的価値観 94

(4)

の主要部分を占める非合理的・因習的・迷信的な蔀分

は、宗教のもつこれらの性格をもたせる要因禁忌

性・呪術性・神秘性と深い関わり合いをもち、その影響 を受けているとみている。 宗教のもつこれらの性格は、未開発社会の低次の宗教 のみにみられる現象とは限らず、西欧社会︵近代社会︶ の高次の宗教においても、﹁高次の水準では極めて合理 的で、偶像崇拝や魔術性から解放されているイスラム教 や仏教においてさえ、それが実際に生活や社会関係に影 響を与える形態は悪霊的で、禁忌や魔術性や神秘性に彩 ︵8︶ られている﹂と、社会環境条件・宗教自体の次元によっ て、度合の相異に関わらず承られるともみている。 つまり、宗教は、本質的・体質的な面において、なん らかの反近代的な要素をもっていることが認められるわ 謡けである。よって、宗教のもつこうした面を改めてゆく とところに、宗教自体が、社会の近代化へ向けてのプラス 助 華の要因としての働きを果たせることとなる。 野宗教が、人間の精神の深層部分にわたり浸透している 上 途ことと、各種の社会制度の上での影響をもっていること 露から染ても、宗教自体の体質の改革によって、人間個々 から社会全体の近代化への有力な推進力となることも珂 能である。 ⑦、巨旨目一自身も、宗教自体の反進歩性を認めなが らも、その体質改善によっては、進歩・発展への要因に ︵9︶ 変化することを提示している。 宗教・宗教者が、社会の近代化へのプラス要因として の働きを果たせる可能性をもっていることの証明である と考えられる。 匂宗教のもつ因習性の問題 宗教自体のもつ因習性が、社会の近代化への阻止・阻 害要因となることは、何度か触れてきた。 そして、宗教自体のもつこれらの性質は、その宗教の 次元が高次・低次の別なく、両者に存在していることが わかった。とくに、低次の宗教の存在している世界で は、その傾向は高くなる。 ここでは、こうした宗教のもつ因習性がどのような事 由により発生するかについてを考えてゆくことにした いO まず、宗教の高次・低次をどこで見極めるかの問題で 95

(5)

ある↑︾それ臆、その宗教のもつ一↑つぎの側面によって判 断できよう。まず、高度な哲学的価値観嵯異付けられた 教義と教理の有無の問題、呪術性・迷信性からの解放の ︵、︶ 度合い・その他の非合理性の状態等の側面である。 これらの側面の要素が、その宗教の存在する世界の人 間個々の精神面や社会全体に、どの程度蓄積されている かが問題である。 とくに意識しなければならないこととして、高次の宗 教の存在する世界における同様の問題についてである。 それは、社会階層の段階、教育を受けた程度等により、 この世界でも低次の宗教の存在する世界の低次の宗教の 信仰と同様か、あるいは類似した状態を示すことも考え られる。同じ宗教の信仰がもたれていたとしても、社会 階層や教育程度の相異によって、価値観の上での開きが ある。また、場合によっては教育を受けたエリト階層 の中にも精神面に非合理的な価値観が存在する。 一方、低次の宗教の存在する世界では、宗教・宗教者 自体の体質に、多くの呪術性・迷信性、強調された神秘 性が存在しており、これらからの解放のなされぬまま、 ︵、︶ 伝統的価値観の根幹となっている例が認められる。 ︲剛︶かし呪術性・迷信性を、単に低俗のものと象なし たり、あるいは、まったく哲理から外れたものとして排 斥することも危険な姿勢である。その土地の人間にとっ ては、他の目︵とくに、西欧的な近代的価値観からの視 点︶から承るところの呪術性や迷信性が、彼らにとって は、大自然への敬慕であり、かつ、神⋮⋮大自然の力と しての神:・の存在を認めるあらわれでもある。 したがって、社会の発展や近代化への阻止・阻害要因 としてはたらく、伝統的価値観や、宗教Ⅱとくに、開発 途上国における低次の宗教のもつ呪術性・迷信性・因習 性等も、短絡的に否定することはできないと考えられ る。俗習性の中にある、歴史的・経験的に積承重なった 信仰的な事実を承てゆくことが必要となる。 このように、宗教にまつわる因習性の問題は、複雑な 要素が含まれていると考えられる。 そこで、宗教自体の体質の改革が求められることにな る。 ここでは、二つの﹁宗教﹂が、その改革の対象とな る。すなわち、近代化の方向づけをする、供与側の立場 にある高次の宗教と、受取側の途上国に存在する低次の 96

(6)

開発途上国開発援助と宗教 同氏によれ腫二宗教自体が、自己の体質の中に存在 する歴史的に逸脱した部分の除去により、社会・文化の 発展を推進できる﹂ことを前提とすることを述べてい る。さらに、﹁伝統的価値観の中に含まれる、優れた部 分の防護の手法として近代的価値観に基づく近代的手法 ︵吃︶ の駆使﹂をあげている。 これらを通じて宗教自体の体質の改革をしてゆくもの と考えられる。 この提示から考えられることは、自己の体質の中に存 在する非合理的な部分・呪術性・迷信性を改革して、人 間社会における、無知・争い・貧困・侮辱・差別等の問 題に取り組む基礎をつくることと考えられる。 また、途上国に存在する低次の宗教のもつ多くの改革 すべき点の改革への働きかけをしてゆくことも課題であ ブ③。 宗教である。 とりわけ、前者が、自己の改革を行なって社会の近代 化への動機づけをしてゆくことが必要であるが、その方 法論としては、閥z・国のロ島の、つぎの提示が有用性 をもつ。 ㈲宗教の関わる開発の範囲と性格 これまでの考察より宗教自体は外面に向けては、人間 社会における、無知・争い・貧困・侮辱・差別等の不条 理の解放、そして内面に向けては、宗教自体のもつ、呪 術性・迷信性等の因習的部分の改善・改革をしてゆくこ との二つが必要であることがわかってきた。 こうした関わり合いが、社会の発展と近代化へつなが ることといえよう。そして、宗教が開発に対する推進要 因としてのはたらきをしてゆくことにもつながるのであ ブ︵ぜ○ それでは、本研究の課題である、宗教が開発途上国援 助のどの部分へ、どのように関わり合いをもつことが必 要であるかについて考えることにしたい。 また、宗教と経済政策・社会政策の連動による、社会 の変革も新たな課題として必要となる。この目的の達成 のためには、自己の宗教の再認識と社会変革のための力 を自己の宗教への取り入れをしなければなるまい。 三開発援助と宗教 q 7 − F 0

(7)

宗教自体に求められる開発援助の範囲峰いわゆる物 質的部分のものよりも、精神的部分でのはたらきかけが 重要であると考えられる。これは、物質的部分での開発 援助は、非宗教的部分Ⅱ宗教以外の立場の者でも満たさ れるものであるからである。宗教は、人間の精神面への はたらきかけをしてゆくところに、その本来的価値をも つものである。 したがって、開発途上国開発援助のうちでも、宗教が 直接的に関与すべき部分と間接的に関与すべき部分とに 分けて考えることが好ましい。 そこで、開発途上国開発援助への宗教の関わり合いに ついては、直接的関与と間接的関与の二面からとらえて 考察したい。その中には、現代の日本国内における宗教 による同様の問題への関与の例を含めてみることにした いと考える。

①直接的関与

これは、受取国内︵開発途上国の現地︶において、宗 教者が何らかの形で現地の発展・近代化に関する諸活動 を展開してゆくものである。これまでにみられたものと しては、現地における、学校教育・医療奉仕。食料供給 ・農村開発等への関与である。これらに、直接、宗教者 のボランティアがプロジェクトを企画する形をとってい る。その他、随時、現地での奉仕活動を行なうものも含 まれる。 これらとならんで、精神的部分の開発援助ともいえ る、現地での布教を通しての活動も存在する。 また、ここであげた諸活動が、本格的な展開をする契 機となったものに、一九七八年一九七九年に起こった、 インドシナ半島の共産化にともなう難民救済活動があげ られ、日本の宗教界がこの種の問題意識をもつ契機とも ︵B︶ なった。

②間接的関与

直接的関与が、現地におけるボランティア活動を中心 としているのに対して、間接的関与は、供与国側内部に おける献金・募金活動を中心とした諸活動が行なわれて いる。これも、インドシナ難民救済活動を契機にはじま っている。 いま、二つの観点から、宗教・宗教者による、開発途 上国開発援助活動についての傾向︵日本国内の例︶を述 今へた。これらに共通していることは、一九七八年’一九 98

(8)

開発途上国開発援助と宗教 七九年のインドシナ半島共産化にともなう難民救済活動 を契機に、宗教による国際的な問題への関心が拡大し た。そして、実際の対外的救済活動・開発援助活動も展 開されはじめた。 それ以前に、宗教・宗教者が、この種の問題への接近 や取り組桑をした例としては、一九六八年’一九七○年 の三年間に三回にわたって、全日本仏教会・国際仏教交 流センター︵孝道教団︶の手によって行なわれた、﹁ア ︵M︶ ジァ開発と仏教﹂シンポジウム、一九七○年に行なわれ ︵焔︶ た、第一回世界宗教者平和会議の二つがあげられる。前 者では、宗教学者と伝統仏教教団関係者の共同研究によ る、アジア諸国の発展と仏教者の立場について、後者で は、具体的な、世界平和活動としての、﹁非武装﹂﹁人 権﹂﹁開発﹂を宗教・宗教者が取り組む決議が提示され たことがあげられる。 それらの実際面の取り組みとしては、関係教団によ る、難民救済活動、東南アジア・アフリカ方面の飲料水 確保のためのさく井・ボン・フ設置、農村開発への参画が あげられる。 以上が、日本の各宗教・宗教者の、この種の問題への 口開発援助と宗教 つぎに宗教と開発援助がどのように関わってゆくの か、どのように結びついてゆくのか、そして、なぜ、取 り組む意義をもつのかという問題についてを、再確認し たい。 まず、その中で、取り組む意義についてを明らかにし てゆくことが重要である。この点を明らかにしてゑるこ とにしよう。 まず、開発援助の究極的な目的は、社会の発展と近代 化、それをもっての社会の安定化をはかってゆくところ にある。 取り組みを、直接的関与・間接的関与の二面からとらえ ︵恥︶ て、その傾向を象てきたものである。 その傾向・性格としては、インドシナ方面の難民救済 活動を主軸とした、物質的な部分の開発援助が、現段階 での取り組糸が中心であることが読承とれた。 また、これを﹁開発援助﹂の枠組ゑの中で位置づけれ ば、﹁援助﹂の部類に属するものの多いことも、同時に 読みとることができた。 99

(9)

こうして考えた時、宗教・宗教者の取り組むべき開発 援助活動は、社会の発展・近代化・安定化へ向けての正 しい認識の一異付けと、人間ひとりびとりの精神的な自立 へ関与するものであると考えられる。この両者が社会の 発展・近代化・安定化等の、動機づけとなってゆくので ある。そこに開発援助の真価を発揮する鍵もある。 同時に、開発援助活動の上でこれをみれば、開発援助 の受取国側の人間に対して、真に自力による社会の発展 ・近代化が可能となるような方向づけをしてゆくことと 考えられる。 しかし、つぎのような意味において、宗教・宗教者 が、非宗教的な分野の開発援助への問題意識をもつ必要 性もあると考えられる。 それは、前稿にも述べたような、現在、行なわれてい る大規模な政府間・企業間レベルの開発援助が、ややも すると、供与国の利益中心や、過度の産業主導型に傾向 を招く。それによって受取国の主体性や利益配分の上で の不均衡の発生・不条理な国際秩序の形成される例もみ られる。 こうした状態に対して、宗教・宗教者が、その本来的 使命に立脚して、為政者や国際関係機関に対して何らか の働きかけをしてゆくことも、必要である。それは、さ きに述べた、人間社会における無知・争い・貧困・侮 辱・差別等の諸現象の解放の一助となるからである。 開発援助活動のどの部分に、宗教・宗教者が関わるか を考えた時、そこには、二つの関わり方がある。それ は、開発援助活動の規模とレベルの相異による分類であ る。政府間・企業間し。ヘルのような大規模なものに対し ては、宗教は直接関与することなく、開発援助の正しい 方向づけをするような働きかけをしてゆくことが課題と なる。また、民間レベルの中・小規模のものに対しては、 その性格からみて、人間対人間のレベルでの開発援助が 中心となる。そうした場合に、宗教・宗教者が直接それ らに関わり、実際の奉仕活動を行なったり、人間の精神 面に関する問題に取り組む。それにより、宗教・宗教者 の本質的な使命と役割を果たす上での基礎が、できてい くと考える。 しかし、その中で、さらに考察をすすめなければなら ない問題が存在する。それは、開発援助活動の片輪を為 す、精神的部分への開発援助の問題である。 100

(10)

開発途上国開発援助と宗教 開発援助活動自体の目標が号一国なししに一地域の発 展と近代化、それによる社会の安定化であるとすれば、 その基盤をつくるための物質的部分の開発援助が必要と なる。それと並んで、発展・近代化への動機づけとなる 人間の精神的部分の近代化も必要となる。つまり、それ へ向けての人間の魂の開発をしてゆくことを示すわけで ある。 人間の精神的部分の近代化・人間の魂の開発という表 現自体、非常に抽象的な表現であり、実際にそれを具体 化してゆく段階では、さまざまの疑問がもたれよう。ま た、困難な状態に出会うことも予想されよう。 さきに考察した、宗教との関わり合いの上で成立した 伝統的価値観と近代的価値観の対立の問題ひとつをぷて もわかるように、宗教と近代化をめぐる諸環境は、複雑 な部分を含んでいる。 それでは、どのようにして、宗教・宗教者が、魂の開 発へ向かって取り組むかを考えることにしたい。 ます、対象となる一国ないしは一地域の居住者︵人 間︶が、自らの手で、自らの住む地域・国を発展・近代 化してゆけることが目的となる。 これには、まず広い意味での人間開発合貝の唱堅国匡 ︵Ⅳ︶ 目色ロロ①ぐ匹呂目①貝︶が必要である。人間ひとりびとり の持つ潜在的可能性を、最大限に伸長しうる働きかけ 人間教育・一般教育・技能教育の実施があげられる。 つぎに、受取国︵途上国︶にみられる種為の不条理の 解放が課題となる。これらの不条理は、さまざまの因習 性や慣習性によるものが多くみられる。とりわけ、伝統 的価値観と現地の宗教が関わってつくりだされた産物で ある。こうした価値観や観念の解放や除去が重要であ る。 このような人間個々の教育・意識の変革が、魂の開発 の課題であり、宗教・宗教者による開発援助の主軸であ る。 また、その方法論的な面において、特定の宗教・宗旨 によってのみ、この目的を達成してゆくという考え方Ⅱ いわゆる宗教エゴイズムにおちいらないことを戒めなけ ればならない。 例えば、ある特定の宗教・宗旨が、一地域の開発援助 活動に取り組み、その成果をあげたとする。しかし、同 様の目的をもった、宗旨を異にする他宗教も、その場所 10:

(11)

での取り組みをしたとする。この時の両者の関係が﹄ど のようになるかという問題である。 この時の両者の関係が、それぞれの宗教の自己主張に 傾向し、対立したとすればどうであろうか。開発援助の 本来の目的はおろか、宗教自体の本来の使命をも見失う 結果となるであろう。 こうして考えた時、宗教とりわけ宗教者が、表面 的な部分での﹁宗教のちがい﹂の壁を超越して、その本 来的な使命と役割の上での共通性を認識し、相互間の協 力と連帯をしてゆくことが要諦である。 以上、まとめれば、宗教・宗教者における魂の開発の 課題は、開発援助の対象地域の人間に対する教育等の援 助と、この問題に取り組む宗教自体の自己の改革すべき 点の改革であると考えられる。 ここで、もう少し章舎示教による魂の開発の問題に︵辰 ての考察をすすめることにしよう。 匂内なる限界︵冒口①儲巨ロー厨︶と内なる 開発︵冒旨mHo①ぐのざ冒国の具︶について まず、宗教による魂の開発の対象は諺何であるかの意 識である。結論から先に言えば、人間の精神的部分に内 ︵略︶ 在する、内なる限界︵冒口関匡日冒︶であるといえよう。 そして、その限界を打開する働きかけ︵旨口角己①ぐ①一○ ︵四︶ も日①貝︶が、宗教による取り組みである。冒口①Hロ①く① −8日①日は、内なる開発の意であり、内なる限界の打開 策としての位置づけである。 冒口①尉固目扇の内容と性格を、開発途上国開発援助 の問題の上で検討すれば、つぎのようなものがあげられ マ。O ひとつは、開発援助の対象となる地域︵受取国側︶の 人間の心の中に内在する、さまざまの因習性・その他近 代化に反作用すると思われる要素。 もうひとつは、開発援助の供与国側の当事者や大衆の 心の中に内在する過度の自己中心主義や、テクノロジー 中心主義の先行部分であると思われる。 宗教による冒旨①吋国①ぐ堅呂日①日は、こうしたふたつ の要素を正しく方向づけることであると考える。 そして、その時の基本姿勢は、一連の現象を否定的に とらえることにとどまらず、そこにあらわれる、貧困. 102

(12)

開発途上国開発援助と宗教 争い・侮辱・差別等の本質的な改革を果たしてゆくこと であると考えられる。 ここでは内なる限界︵百口国匡昌蔚︶に対する、内な る開発︵冒冒閏口⑦ぐ①夏目の具︶の位置づけを試承たが、 さらにその拡大的な糸かたをすれば、つぎのようにも考 えられる蜜 例えば、仏教的な価値観によって世界に存在する全て の人間・物質をとらえれば、それらは型・性質を問わず、 全て一体・平等のものであると翠られる。それらには等 しく、それぞれの応分的な潜在価値︵潜在的価値観︶と 役割が内在しており、その価値と役割が完全に発揮され るところに、真に安定した理想社会が出現する、とみる ものである。 この時の、応分的な潜在価値と役割も、﹁内なる﹂部 分として示されるのではないであろうか。こうした﹁内 なる﹂部分の価値と役割の開発も、内なる開発Ⅱ魂の開 発の拡大的な課題である。 この内なる価値と役割をみきわめる目が慧眼であり、 宗教の本来的な使命と役割のひとつである﹁無知﹂から の解放につながると考えられる。宗教的価値観に基づく 精神的な部分への取り組玉i魂の開発の出発点になるで あろう。 そして、その取り組象が充分に行なわれるところに、 物質的開発援助と精神的開発援助の両者の結合した、本 質的な開発援助の意義が染いだせるのである。 宗教・宗教者による開発援助活動は、宗教的価値観に 基づく一連の世界平和活動の一環と染ることができる。 したがって、世界宗教者平和会議の決議に提示された、 ﹁非武装﹂﹁人権﹂﹁開発﹂の指標にもみられるように、 ﹁開発﹂以外の部分との関連性ももたなければならな い。 さきにも触れたように、広義の意味で﹁開発﹂をとら えれば、無知・貧困・争い・侮辱・差別等の不条理の状 態の解放があげられ、このことが開発援助活動の基盤と なり得るし、世界宗教者平和会議で提示された﹁非武装﹂ ﹁人権﹂等の諸課題にも共通するものである。 そこで、開発援助の課題も、他の諸課題との関連の上 で有機的・立体的なつながりの上で考えてゆく姿勢が求 四諸平和活動との関連性 10雲

(13)

められる一¥ また、平和活動の新しい形のものとして、資源と環境 に関する問題意識の拡大もあげられる。人間社会と自然 環境の調和、社会の発展の正しい方向づけにつながるも ︵”︶ のである。 最後に、これまでに提示してきた種々の課題に取り組 むにあたっての宗教・宗教者の基本姿勢について述べる ことにしたい。 ・宗教協力︵他宗教間相互協力︶ 開発援助という大規模な問題に取り組むにあたって、 一宗旨、一教団で取り組むことは、おのずから限界があ る。そこで、同様の問題意識をもつ他宗教間において、 自己の宗教との教義上の相異を超越した協力関係をもつ ことが必要である。 個灸の宗教には、それぞれの独自の宗教理念と教義が 存在する。それらには必ず微妙な点での相異が承られ る。そのことが原因となって、他宗教間での対立や反発 の発生する例も少なくはない。 そこで、教義・教学・教理レ・ヘルにおける、究極的目 的の上での共通性をみいだしての相互間の協力と連携が 求められる。そうすることによって、個為の宗教のエ﹁一 イズムが除去されたなら、宗教的救済力は一層増大する と考えられる。 しかし、ここで留意されるべきことは、全体主義的な 統合のもとに各宗教が一体化するのではなく、それぞれ の宗教のもつ特性と独立性を保ちつつ、全体で調和し、 協力。連携してゆく姿勢をもつことである。 ・非宗教分野との協力 他宗教相互間での協力とならんで、非宗教的分野との 協力も重要である。 すなわち、各種の学界・産業界はじめ、諸科学や技術 面等との関係である。 開発援助活動・さらには、広義の意味での宗教的価値 観に基づく平和活動の展開には、宗教・宗教者の取り組 むべき範囲以外の課題との接点が必要となる。 とくに、諸科学技術而の分野における技術や理論は、 その対象となる。附発援助に関する必要な技術や理論、 その他の近代的価値観の取り入れのための、非宗教分野 との協力は、必須条件となる。 一般的な概念では、宗教と非宗教分野︵とくに諸科学 一圭↓ ハⅡ﹀ ﹃1入

(14)

開発途上国開発援助と宗教 分野︶の価値観で峰対立する要素とみなされる傾向が あるが、何度か触れてきたように、究極的には一致する ものである。したがって、相互間の協力と連携は可能で あると考えられる。 以上で開発援助と宗教に関する考察をおわるが、この 課題は非常に広大な意味あいをもつ。 ここで考察したことは、その課勉の全ての部分を考察 したものではない。その一部分を考察したものに過ぎな い。 また、現在、宗教・宗教者によって取り組まれている この種の活動自体も、その本質的な目的に近づこうとす る一過程であるといえる。今後も、多種多様の型の取り 組鍬が期待されよう。 また、ここでの考察は多岐にわたる部分にまたがった が、その結果、得られた答は、宗教・宗教者がこの種の 問題に取り組む場合、基本姿勢としては自己の宗教に内 在する改革・すべき部分の改革、他宗教間相互協力と非 宗教分野︵学術・技術等︶との協力・連携が中心となる。 そして根底部分では、﹁慈愛﹂と﹁奉仕の精神﹂によ って裏付けられていなければならない。 さらに、宗教¥|宗教者の取り組む開発援助の範囲峰 物質的・精神的な両分野にわたるものにまで拡大される ことが望まれる。それは、万物万有のもちうる潜在的可 能性の開発であるといえよう。 なお、これまでの考察を通して得たひとつの方向性を まとめてみれば、つぎのようになると考えられる。前稲 のはじめに提示した五つの課題に対応するかたちで示す ことにしたい。 ①宗教・宗教者の取り組む開発援助活動は、究極的には 人間の精神面魂⋮の開発による、自助自立の可能と なるような働きかけであることが必要である。 ②究極の目的である精神面魂の開発に至るまでの段 階づけとして、同時に物質的開発援助への取り組みも 要求される。 ③﹁開発﹂は、人間が自己の﹁生﹂に関わる、﹁採食﹂と ﹁繁殖﹂のために、自然環境や資源を、自己に取り入 れる行為である。この﹁採食﹂と﹁繁殖﹂のふたつの 欲求を正しく方向づけすることによって、社会の正し い発展がもたらされる。 ④宗教・宗教者が、自己の体質の中に存在する因習性. 10茜

(15)

迷信的部分等の改革︲を達成すれば、社会の発展や近代 化への有力な推進要因となる。 ⑤宗教・宗教者が開発援助活動に取り組む上では、宗教 的な価値観に基づく世界の平和と安定化を目指す一環 として位置づけ、﹁非武装﹂﹁人権﹂等の問題との関連 化、他宗教相互間、諸科学分野との連携のもとにすす めることが大切である。 §士 ノユー ︵1︶﹃中央学術研究所紀要﹂第十二号一五五頁i一七二 頁所収。 ︵2︶⑦冨胃烏一︵岳ご︶.隆怠§ロミミ・恥板垣興一訳 ﹃アジアのドラマ﹄東洋経済新報社一九七四年五 三頁’五六頁。 同著によれば伝統的価値観の因習性・迷信性・その 他の不条理な部分を宗教が形成している場合もあると 示している。それらが、一国の政府・行政レベル等の 人間に内在する場合は﹁阻止要因﹂で、大衆レベルの 人間に内在する場合は﹁阻害要因﹂としてとらえる。 このとらえ方は⑦昌胃烏一によるものである。さら に同氏は、現在の実際問題としては、両者の複合であ るという。 ︵3︶丙○房風Z固の房戸記島四。葛S鼠卑。噂、閏ミ ミミ唖ミ告旨.己忠津佐々木谷宏幹訳﹃アジアの近代 化と宗教﹄金花舎︵一九七五︶。 ︵4︶板垣輿一訳前掲書五七頁’五九頁。 ︵5︶板垣興一訳前掲害五九頁’六○頁。 ︵6︶I︵9︶板垣興一訳§§︺丙g ○三旨︵巨の考察によれば、宗教の次元の高・低 に関わらず、宗教自体の自己の体質として、さまざま の因習性や、非合理的な性質を含むとみている。 そして、同時に、宗教のもつ合理性や科学性も認め ている。 しかし、その体質の改善・改革のために、宗教者 が、自己の宗教の近代化をはかることの必要性が述べ られている。 ︵、︶板垣輿一訳§昼︺でg宗教の次元と体質に関 わる考え方である。⑦.冨胃烏一によれば、﹁より高次 の水準での宗教は、近代化諸理念と対立することはな い。しかし宗教というものは、人びとの信条や価値判 断の全複合体と不可分の一体をなしている以上、発展 への阻止・阻害要因を除去するために改革される必要 がある﹂とぷており、宗教自体の次元の高低に関わり なく存在する要素である。 ︵u︶板垣輿一訳§員J弓gl巴 10昼

(16)

開発途上国開発援助と宗教 ︵進︶佐余木谷宏幹訳§.§︶層・膿?く造この部分 では、宗教の歴史的に逸脱した部分の改革により、宗 教が近代化への動機づけとなってゆくことを示してい る。 本稿における宗教と開発の問題を考察する上での基 調となっている。 ︵昭︶一九七八年’一九七九年に発生した、ラオス、ベト ナム、カンボジア、いわゆるインドシナ三国の政変に ともなう難民の流出は、世界的な社会問題として重視 され、国際機関をはじめ、多くの部分がこの救済にあ たった。 日本の宗教界も、この問題に着目し、救済活動にあ たった。これが契機となり、日本の宗教界の、開発援 助への開眼がなされたと考えられる。 ︵皿︶国際仏教交流センタ︵孝道教団︶が、全日本仏教 会、日本仏教文化会議と共同して行なったもの。 アジアの経済開発に、仏教者がどう取り組むかをテ ーマに、ベトナム問題・仏教交流をはじめとした諸問 題が話し合われた。 わが国における、宗教者による開発援助活動の基本 的な型を提示していることが特色である。 一九六八年1一九七○年の三年間、連続して行なわ れた。 ︵略︶一アジア開発と仏教﹂シンポジウムの第三回と時を 同じくして開かれた。 ︵焔︶佐々木谷宏幹訳§§・君臼I馬より引用し た。宗教の本質的な目的としてあげられている項目で ある。 ここにあげた現実的な課題に取り組むことが必要で あると同時に、筆者は、それらへの単発的な取り組象 と解決とならんで、それらの問題の発生する根元的な 部分への働きかけのなされるところに、宗教・宗教者 の役割が存在すると考える。 ︵Ⅳ︶室靖︵一九八一︶政府間ベース援助に挑戦する民間 の開発協力郡国際開発ジャーナルら巴際国際開発 ジャーナル社亜および、一九七○年に行なわれた﹁ア ジア開発問題協議会﹂の際の資料農乏冨ごmbのくめ一g 旨の昌弓を参考にした。 これらの文献・資料では、物質的開発とともに、人 間開発・精神的開発が、新たな課題として提示されて いる。とりわけ、これからの途上国開発援助も、この 課題が中心になるとしている。 ︵鳩︶山岡喜久男︵一九八二︶暴力なき世界︾君の局宅・ 己駕胃世界宗教者平和会議︾伝統的社会制度や制 度内に含まれる、偏見・差別・貧困・従属等の解放へ 向けての﹁人間の内的転換﹂の必要性を示している。 107

(17)

︵四︶人間の内的転換を表現するために用した皇宮目の門

冒ョ扇ごに対するもので景冒口閏ロ印暑①−8日の日弓と表

P員己津哩琴

現した。 としている。 この転換を必要とする部分を↑富内的限界:盲口のRE目厨

参照

関連したドキュメント

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

医学部附属病院は1月10日,医療事故防止に 関する研修会の一環として,東京電力株式会社

運営、環境、経済、財務評価などの面から、途上国の

概要・目標 地域社会の発展や安全・安心の向上に取り組み、地域活性化 を目的としたプログラムの実施や緑化を推進していきます

太平洋島嶼地域における産業開発 ‑‑ 経済自立への 挑戦 (特集 太平洋島嶼国の持続的開発と国際関係).

研究開発活動  は  ︑企業︵企業に所属する研究所  も  含む︶だけでなく︑各種の専門研究機関や大学  等においても実施 

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

研究開発活動の状況につきましては、新型コロナウイルス感染症に対する治療薬、ワクチンの研究開発を最優先で