﹁
蕾
然
入
宋
求
法
巡
礼
行
並
瑞
像
造
立
記
﹂
考
山
口
修
さ き に 清 涼 寺 釈 迦 如 来 立 像 の 胎 内 よ り 、 絹 製 の 五 臓 を は じ め 、 経 典 や 図 像 の 類 、 さ ら に 数 種 の 貴 重 な 文 書 類 が 発 見 さ れ た こ と は 、 仏 教 界 お よ び 史 学 界 に 大 き な 驚 き を 以 て 迎 え ら れ た 。 こ こ に 取 上 げ る ﹁ 裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ も 、 そ の な か の 一 つ で あ る 。 こ の 文 書 の 出 現 に よ っ て 、 齎 然 の 入 宋 と 、 宋 国 に お け る 行 迹 、 お よ び 釈 迦 像 の 模 作 に 関 し 、 あ ら た な 事 実 が 判 明 し た の で あ っ た 。 萄 然 の 入 宋 に 関 し て は 、 古 く 西 岡 虎 之 助 先 生 に ﹁ 裔 然 の 入 宋 に つ い て ﹂ と 題 す る 詳 細 な 研 究 が あ る 。 し か し 大 正 十 四 年 の 起 草 で あ り 、 当 時 と し て 求 め 得 る 史 料 の 悉 く を 駆 使 し て 論 述 さ れ て い る が 、 新 史 料 が 発 見 さ れ た 現 在 に お い て は 、 訂 正 ま た は 補 足 す べ き 箇 所 が 少 な く な い 。 さ て ﹁ 齎 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ は 、 紙 本 墨 書 、 縦 17 抽 . 、 全 長 珊 抽 . の 長 尺 で あ り 、 現 在 は ﹁ 入 瑞 像 五 蔵 具 記 捨 物 ﹂ と 共 に 、 .一 巻 に 表 装 さ れ て い る 。 以 下 、 こ の 文 中 で は ﹁ 巡 礼 行 記 ﹂ も し く は ﹁ 造 立 記 ﹂ と 略 し て 示 す こ と に す る 。 こ の 文 書 は 、 既 刊 の 図 録 類 に 写 真 を 掲 げ て 紹 介 さ れ て い る が 、 あ る い は 全 体 の 結 構 を 示 し た た め に 、 写 真 が 小 さ く し て 判 読 に 堪 え ず 、 あ る い は 巻 頭 お よ び 巻 末 の 一 部 分 し か 掲 げ ら れ て い な い 。 幸 い に し て 塚 本 善 隆 先 生 の 論 文 ﹁ 宋 初 の 仏 教 と 裔 然 ﹂ の な か に は 、 そ の 全 文 が 掲 げ ち れ た 。 原 文 に 読 点 を 施 し 、 読 ﹁窩 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 一仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 二 み 易 く な っ て 、 す こ ぶ る 便 利 で あ る が 、 恐 ら く は 校 正 ミ ス で あ ろ う 。 ま ま 誤 字 脱 字 が あ っ て 、 必 ず し も 原 文 を 正 確 に 伝 え て い な い 憾 み が あ る 。 ま た 木 宮 之 彦 先 生 は 、 裔 然 の 研 究 を 精 緻 に 進 め ら れ 、 そ の 著 ﹃ 入 宋 僧 裔 然 の 研 究 ﹄ に お い て ﹁ 瑞 像 造 立 記 ﹂ の 記 述 に つ い て ク も っ と も 正 確 な 記 録 史 料 ク と 評 価 さ れ た 。 さ ら に ﹃ 日 宋 文 化 交 流 史 ﹄ に は 、 7 栴 檀 釈 迦 像 の 展 開 と 題 す る ゆ 章 の な か に ﹁ 巡 礼 行 並 造 立 記 ﹂ の 主 要 部 分 を 書 き 下 し 文 に し て 紹 介 さ れ て い る 。 と こ ろ で 私 は 、 清 涼 寺 住 職 鵜 飼 光 順 貌 下 お よ び 檀 家 総 代 小 松 敏 男 氏 の ご 好 意 に 浴 し 、 文 書 の 全 文 を 複 写 す る こ と を 許 さ れ た 。 よ っ て 本 論 の 第 一 節 に 、 全 文 を 写 真 に よ っ て 掲 げ 、 そ の 下 段 に は 原 文 に 則 し て 、 で き る 限 り 忠 実 な 翻 字 を 記 載 す る 。 つ ぎ に 第 二 節 に は 、 原 文 の 解 読 を 掲 げ 、 下 段 に 簡 単 な 語 釈 を 付 し た 。 ま た 些 か 解 説 を 要 す る 語 句 、 お よ び 塚 本 説 あ る い は 木 宮 説 と 相 違 す る 箇 所 に つ い て は 、 注 を 付 し て 後 段 に 私 見 を 述 べ る こ と に し た 。 さ ら に 第 三 節 以 降 に お い て 、 こ の 齎 然 文 書 に 則 し て 、 そ の 巡 礼 の 行 程 お よ び 造 像 の 由 来 を 、 若 干 の 解 説 を 加 え つ つ 論 述 す る 。 註 ω 釈 迦 像 内 納 入 品 が 発 見 さ れ た 経 緯 に つ い て は 、 佐 藤 春 夫 ﹁ 釈 迦 堂 物 語 ﹂ に 詳 述 さ れ て い る 。 ま た 納 入 品 の そ れ ぞ れ に 関 し て は 、 国 宝 図 録 や 重 要 文 化 財 図 録 の 類 に 、 図 版 と 共 に 細 か く 紹 介 さ れ て き た 。 清 涼 寺 の 住 職 と し て 調 査 に 立 会 わ れ た 塚 本 善 隆 先 生 も 、 論 文 や 随 筆 の な か で 、 し ぼ し ぼ 触 れ て お ら れ る 。 ② 西 岡 論 文 は 一 九 二 五 年 三 月 廿 七 日 稿 と 付 記 さ れ 、 ﹃ 歴 史 地 理 ﹄ 第 三 十 五 巻 第 二 ・ 三 ・ 五 号 に 連 載 。 の ち ﹃ 西 岡 虎 之 助 著 作 集 ﹄ 第 三 巻 に 収 録 さ れ た 。 一 九 八 四 年 、 三 一 書 房 刊 。 こ の 論 文 に つ い て は 塚 本 先 生 は ク 入 宋 中 の 裔 然 の 所 は 、 文 献 的 に 詳 し く 研 究 さ れ て い る が 日 本 史 の 立 場 で あ る の で 、 中 国 史 の
方 か ら 見 る と 、 宋 国 の 国 情 が ど う で あ り 、 そ の 仏 教 が ど う い う 状 況 で あ っ た か が 明 ら か に せ ら れ て い な い 点 に 不 足 を 感 ず る " と 述 べ て お ら れ る ( 次 に 挙 げ る ﹁宋 初 の 仏 教 と 裔 然 ﹂ ) 。 ㈲ 塚 本 論 文 は ﹃ 仏 教 文 化 研 究 ﹄ 第 4 号 ( 昭 29 ) に 発 表 。 の ち ﹃ 塚 本 善 隆 著 作 集 ﹄ 第 七 巻 に 収 録 。 ㈲ 木 宮 之 彦 ﹃ 入 宋 僧 喬 然 の 研 究 ﹄ は 、 昭 和 五 十 八 年 六 月 、 ㈱ 鹿 島 出 版 会 刊 。 同 ﹃ 日 宋 文 化 交 流 史 ﹄ は 、 昭 和 六 十 二 年 十 月 、 ㈱ 鹿 島 出 版 会 刊 。 な お 同 書 に は 、 造 立 記 の " 全 文 を 申 き 下 し 文 に し て 掲 げ 紹 介 す る " と 述 べ ら れ て い る が 、 実 際 に 掲 げ ら れ た 部 分 は 、 入 宋 し て か ら 瑞 像 の 造 作 を 終 る ま で 、 お よ び 末 尾 の 文 で あ り 、 前 文 を 欠 き 、 中 略 も あ る 。 ﹁裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 三
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 四
一
影
印
と
翻
字
日 本 國 東 大 寺 法 濟 大 師 賜 紫 裔 然 右 裔 然 稽 首 和 南 十 方 諸 佛 天 龍 八 部 一 切 靈 祗 。 仰 廻 照 燭 之 恩 。 俯 降 感 通 之 力 。 切 以 、 裔 然 爰 從 託 質 。 已 至 成 身 。 捐 弃 榮 華 。 口 離 父 母 。 途 投 大 寺 。 獲 偶 名 師 。 受 戒 爲 僭 。 日 來 月 往 。 粗 守 如 來 之 禁 制 。 微 知 持 犯 之 眦 尼 。 内 愼 外 脩 。 循 涯 揣 己 。 欲 報 劬 勞 之 徳 。 欲 酬 水 乳 之 恩 。 未 證 苦 空 。 徒 鐫 肌 骨 。 粤 有 五 臺 勝 境 。 天 台 名 山 。 雖 傳 録 標 題 。 奈 滄 溟 隔 闊 。 常 懸 思 想 。 志 願 礼 瞻 。 遽 發 私 心 。 尋 聞 公 府 。 値 台 州 之 商 族 。 泊 帆 檣 於 日 東 。 因 假 便 舟 。 來 入 唐 土 。 以 癸 未 歳 八 月 一 日 。 離 本 國 。 其 月 十 八 日 到 台 州 。 安 若 陸 行 。 駭 之 紳 速 。 駐 跡 於 開 元 寺 止 。 九 月 九 日 。 巡 礼 天 台 。 訪 智 者 之 靈 蹤 。 遊 定 光 之 金 地 。 山 奇 樹 秀 。 溪 濬 泉 澄 。 渡 石 梁 。 瞻 四 果 之 真 居 。 登 桂 嶺 。﹁裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 覩 三 賢 之 舊 隱 攤 骭 塞 山 。 栖 心 莫 及 。 行 役 所 牽 。 十 月 八 日 。 發 離 天 台 。 十 一 日 到 新 昌 縣 。 礼 南 山 澄 照 大 師 三 生 所 製 百 尺 弥 勒 石 像 。 梵 容 奇 特 。 靈 閣 巍 峩 。 以 十 二 日 前 進 。 經 過 杭 越 。 渉 瀝 數 州 。 十 一 月 十 五 日 。 至 泗 州 普 光 王 寺 。 礼 大 聖 。 十 二 月 十 九 日 。 到 沐 京 。 泊 于 郵 亭 。 至 廿 一 日 。 朝 覲 應 蓮 統 天 睿 文 英 武 大 聖 至 明 廣 孝 皇 帝 於 崇 政 殿 奏 封 。 蒙 宣 。 賜 紫 衣 等 例 物 。 隨 侍 僭 四 人 嘉 因 定 縁 康 城 盛 算 各 授 青 褐 袈 裟 及 錫 賚 等 。 奉 傳 聖 旨 。 於 觀 音 院 安 下 。 供 須 繁 盛 。 不 可 具 陳 。 泊 甲 申 歳 三 月 十 三 日 。 離 京 。 往 五 臺 山 。 瞻 礼 文 殊 化 境 。 蒙 宣 。 給 一 行 裹 纏 。 逐 處 津 邊 。 以 四 月 七 日 。 到 岱 州 五 臺 山 大 花 嚴 寺 菩 薩 真 容 院 。 駐 泊 。 尋 而 礼 謁 。 得 不 虔 誠 。 其 日 申 時 。 菩 薩 右 耳 上 。 化 出 白 光 。 移 時 不 散 。 僭 俗 三 百 來 人 。 悉 五
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 六 皆 瞻 覩 。 至 其 月 十 四 日 。 到 金 剛 窟 。 礼 拜 而 退 。 登 東 臺 。 倏 忽 間 。 聞 雷 聲 震 響 。 逡 巡 。 飄 雪 降 雹 。 其 雹 大 如 鷄 子 。 至 十 五 日 凌 晨 。 於 東 臺 。 見 一 老 人 。 約 年 八 十 。 鬚 鬢 倶 白 、 身 被 紫 裳 。 裹 三 山 帽 。 着 靴 。 手 携 數 珠 。 領 侍 從 二 人 。 遶 龍 池 而 行 。 其 侍 從 各 年 二 十 來 許 、 一 人 着 青 衣 。 裹 頭 巾 。 手 執 香 爐 。 一 人 着 白 衣 。 裹 頭 巾 。 手 執 柱 杖 。 踟 蹶 而 去 。 不 知 所 在 。 當 日 遊 中 臺 。 有 五 色 雲 現 。 同 日 遊 西 臺 。 有 瑞 鳥 靈 禽 現 。 二 十 三 日 。 遊 南 臺 。 夜 至 三 更 時 。 有 聖 燈 二 炬 現 。 勤 搴 知 忝 。 歸 命 不 任 。 豁 此 日 之 神 魂 。 副 當 年 之 心 願 。 盤 桓 兩 月 。 澄 息 諸 縁 。 其 何 郷 國 須 還 。 瓶 嚢 是 擧 。 以 五 月 二 十 九 日 。 發 離 五 臺 。 至 六 月 二 十 四 日 。 戴 朝 京 闕 。 聖 情 宣 問 安 慰 如 初 。 其 年 十 月 七 日 乾 明 篩 。 弟 子 二 人 所 乾 斫 明 、 各 受 且 ハ戒 。 至 乙 酉 年 三 月 二 日 。 告 辭 金 殿 。 面 鞨
﹁商 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 龍 顏 。 蒙 宣 。 賜 師 号 及 大 藏 經 四 百 八 十 函 五 千 四 十 八 卷 新 翻 譯 經 四 十 一 卷 御 製 廻 丈 偈 頌 絹 帛 例 物 等 。 京 中 差 人 缸 部 途 。 仍 賜 口 劵 驛 料 。 及 累 道 州 縣 。 抽 差 人 夫 傳 邊 。 六 月 二 十 七 日 。 重 屆 台 州 。 於 舊 處 戻 止 。 二 時 所 瞻 。 四 事 無 顱 。 而 以 台 州 知 州 行 左 拾 遺 鄭 公 名 元 龜 奉 佛 恭 勤 。 稟 宣 安 堵 。 州 民 以 之 陌 諫 。 僣 侶 以 之 接 延 。 台 州 管 内 都 僭 正 監 壇 選 練 兼 開 元 都 團 寺 圭 賜 紫 沙 門 景 堯 承 廉 使 之 指 南 。 以 同 道 之 見 待 。 往 還 如 一 。 終 始 不 移 。 裔 然 自 慶 。 多 生 叨 逢 像 運 。 因 聞 。 往 昔 優 填 國 王 於 切 利 天 雕 刻 釋 迦 瑞 像 。 顯 現 既 當 於 西 土 。 寫 遡 或 到 於 中 華 。 以 日 域 之 遐 陬 。 想 梵 容 而 難 覩 。 裔 然 途 捨 衣 鉢 。 收 買 香 木 。 召 募 工 匠 。 依 樣 彫 七
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 八 鏝 。 七 月 二 十 一 日 起 功 。 八 月 十 八 日 畢 手 。 裔 然 所 意 者 。 奉 酬 父 母 養 育 。 師 主 訓 持 。 國 王 康 休 。 諸 佛 救 度 。 憑 斯 互 善 。 先 報 四 恩 。 恭 願 唐 土 帚 皇 丕 業 等 無 窮 之 化 。 本 國 國 圭 崇 基 延 不 朽 之 期 。 當 朝 大 人 此 郡 太 守 各 承 餘 慶 。 倶 叶 長 年 。 裔 然 又 於 今 月 一 日 。 發 心 轉 讀 大 藏 經 。 以 皇 帚 乾 明 節 。 上 扶 聖 壽 。 仍 答 鴻 恩 。 然 燭 焚 香 。 開 函 展 卷 。 其 次 。 願 三 世 父 母 。 曩 劫 親 縁 。 一 切 有 情 。 無 邊 含 識 。 生 生 世 世 。 休 輪 廻 拾 。 六 趣 三 途 。 念 念 心 心 。 速 斷 絶 於 十 纏 五 善 。 仍 願 裔 然 闡 揚 正 法 。 興 顯 大 乘 。 還 家 而 海 道 夲 寧 。 龍 祚 垂 助 。 到 國 而 人 心 喜 悗 。 少 長 無 実 。 碎 摧 我 慢 之 幢 。 増 添 智 慧 之 海 。 年 牙 更 永 。 行 解 相 應 。 蛻 或 大 限 有 期 。 寂 滅 爲 樂 。 如 入 禪 定 。 勿 諸 難 縁 。 上 品 上 生 。 了 空
了 性 。 恆 將 妙 用 。 普 度 衆 生 。 然 後 苞 括 十 方 。 該 羅 三 界 。 但 有 見 聞 之 者 。 倶 超 解 睨 之 程 。 既 滿 願 心 。 是 所 幸 矣 。 今 因 瑞 像 圓 就 入 五 藏 次 。 聊 書 來 意 。 以 序 其 由 。 時 皇 宋 雍 熙 二 年 太 歳 乙 酉 八 月 十 八 日 記 。 櫓 鑒 端 爲 書 。 去 年 六 月 十 八 日 。 參 洛 京 龍 門 。 礼 拜 善 無 畏 三 藏 真 身 。 又 同 七 八 月 中 。 受 學 清 昭 三 藏 金 剛 界 胎 藏 界 兩 部 三 密 大 教 。 五 瓶 灌 頂 已 了 。 以 此 功 徳 。 夲 安 渡 海 。 歸 到 本 國 。 興 隆 佛 法 。 利 盆 王 民 。 ﹁萄 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 九
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 一 〇
二
釈
文
と
語
解
日
本
國
東
大
寺
法
濟
大
師
賜
紫
裔
然
右 裔 然 は 十 方 諸 佛 、 天 龍 八 部 、 一 切 の 靈 祗 に 稽 首 和 南 し 、 仰 い で は か へ り コ ロ お も 切 に 以 へ ら く 、 裔 然 照 燭 の 恩 を 廻 み 、 俯 し て は 感 通 の 力 を 降 す 。 こ こ す で え ん き ゆ 爰 に 託 質 に 從 ひ 、 已 に 身 を 成 す に 至 り て 、 榮 華 を 捐 棄 し 、 口 父 母 に あ え な 離 れ 、 途 に 大 寺 に 投 じ 、 名 師 に 偶 ふ を 獲 て 、 受 戒 し て 僣 と 爲 る 。 日矯
り
月
犠
き
・
糧
ぼ
如
來
の
禁
制
を
守
り
、
観
し
く
持
犯
の
眦
熾
を
知
る
。
か ぎ り は か く ろ う 内 を 愼 し み 、 外 を 脩 め 、 涯 に 循 ひ て 己 を 揣 り 、 劬 勞 の 徳 に 報 い ん と さ と 欲 し 、 水 乳 の 恩 に 酬 い ん と 欲 す る に 、 未 だ 苦 空 を 證 ら ず 、 徒 ら に 肌 き 骨 を 鐫 る 。 こ こ ゆ 粤 に 五 臺 の 勝 境 、 天 台 の 名 山 あ り 。 傳 録 標 題 す と 雖 も 、 滄 溟 の 隔 て ひ ろ い か れ い せ ん に は 礼 瞻 を 志 し 願 ふ 。 遽 か に 私 闊 が る を 奈 ん せ ん 。 常 に 思 想 を 懸 け 、 た ま た 心 を 發 し て 、 公 府 に 尋 ね 聞 く に 、 値 ま 台 州 の 商 旅 帆 檣 を 日 東 に 泊 * 深 く 拝 礼 * 塚 本 ﹁ 昭 燭 ﹂ * * 仏 法 に 感 じ 通 ず る * す て る * 戒 律 * 病 苦 * う や ま い 仰 ぐす 。 因 り て 便 舟 を 假 り 、 來 っ て 唐 土 に 入 る 。 癸 未 の 歳 八 月 一 日 を 以 ご と ゆ て 本 國 を 離 れ 、 其 の 月 十 八 日 、 台 州 に 至 る 。 安 き こ と 陸 行 の 若 く 、 之 が 神 速 に 駭 く 。 開 元 寺 に 駐 跡 し て 止 ま る 。 九 月 九 日 天 台 に 巡 礼 た に す 。 智 者 の 靈 蹤 を 訪 れ 、 定 光 の 金 地 に 遊 ぶ 。 山 は 奇 に 樹 は 秀 で 、 溪 ふ か み あ は 濬 く 泉 は 澄 む 。 石 梁 を 渡 り て 、 四 果 の 眞 居 を 瞻 げ 、 桂 嶺 を 登 り て 、 み や す な 三 賢 攤 骭 寒 山 の 舊 隱 を 覩 る 。 心 を 栖 む る に 及 ぶ 莫 く 、 行 役 に 牽 か れ 、 十 月 八 日 、 發 し て 天 台 を 離 れ 、 十 一 日 、 新 昌 縣 に 到 る 。 南 山 の 澄 照 大 師 三 生 所 製 の 百 尺 彌 勒 石 像 に 礼 す 。 梵 容 は 奇 持 に し て 、 靈 閣 は 巍 峩 た り 。 十 二 日 を 以 て 前 進 し 、 杭 越 を 經 過 し 、 數 州 を 渉 瀝 し て 、 十 一 月 十 五 日 、 泗 州 の 普 光 王 寺 に 至 り 、 大 聖 に 礼 す 。 十 二 月 十 九 日 、 沐 京 に 到 り 、 郵 亭 に 泊 す 。 廿 一 日 に 至 り 、 應 運 統 天 睿 丈 英 武 大 聖 至 明 廣 孝 皇 帝 に 崇 聖 殿 に て 朝 覲 し 、 奏 羯 す 。 宣 を 蒙 り 、 紫 衣 拜 び に 例 物 を 賜 は る 。 隨 侍 の 僭 四 人 、 嘉 因 、 定 縁 、 康 城 、 盛 算 、 各 く 青 褐 の 袈 裟 及 び 錫 賚 等 を 授 か る 。 聖 旨 を 觀 音 院 に つ ぶ 奉 傳 し 安 下 す 。 供 須 は 繁 盛 に し て 、 且 ハ さ に は 陳 ぶ べ か ら ず 。 甲 申 の ﹁裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 * 永 観 元 年 ( 九 八 三 ) 、 宋 の 太 平 興 国 八 年 * 天 台 大 師 智 顕 * * 南 朝 梁 の 僧 、 金 地 に 住 し た * 行 旅 の 役 * 南 山 大 師 道 宣 * 高 大 の さ ま * * 杭 州 、 越 州 * 證 聖 大 師 僧 伽 * 東 京 開 封 府 * 宋 の 太 宗 * 規 定 に よ っ て 支 給 さ れ る 金 品 * た ま も の * 宿 を と る * * 求 め に よ り 供 紹 さ れ る 物 品 二
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 ロ お よ 歳 三 月 十 三 日 に 泊 び 、 京 を 離 れ て 五 臺 山 に 往 き 、 丈 殊 の 化 境 を 瞻 礼 か て ん せ ん と す 。 宣 を 蒙 り 、 一 行 に 裹 纏 を 給 は り 、 處 を 逐 う て 津 邊 す 。 四 サ だ い け ご ん じ つ 月 七 日 を 以 て 岱 州 五 臺 山 大 花 嚴 寺 菩 薩 真 容 院 に 到 り 、 駐 泊 す 。 尋 い で 礼 謁 す 。 虔 誠 せ ざ る を 得 ん や 。 其 の 日 の 申 時 、 菩 薩 の 右 耳 の 上 に ば か り 白 光 を 化 出 し 、 時 を 移 す も 散 ぜ ず 。 僭 俗 三 百 來 の 人 、 悉 く 皆 な 瞻 覩 す 。 其 の 月 の 十 四 日 に 至 り 、 金 剛 窟 に 到 る 。 礼 拜 し て 退 き 、 東 臺 し ゆ く こ つ ひ る が に 登 る 。 倏 忽 の 聞 雷 聲 の 震 響 す る を 聞 き 逡 巡 す 。 雪 を 飄 へ し 雹 を 降 ら せ 、 其 の 雹 の 大 な る こ と 難 子 の 如 し 。 十 五 日 の 凌 晨 に 至 り 、 ほ ぼ と も 東 臺 に 一 老 人 を 見 る 。 約 年 八 十 、 鬚 も 鬢 も 倶 に 白 く 、 身 に は 紫 裳 を き か ぶ ひ き 被 て 、 三 山 帽 を 裹 り 、 靴 を 着 け 、 手 に 數 珠 を 攜 へ 、 侍 從 二 人 を 領 い 、 め ぐ ば か り 龍 池 を 遶 り て 行 く 。 其 の 侍 從 は 各 く 年 二 十 來 許 。 一 人 は 青 衣 を 着 て 頭 巾 を 裹 り 、 手 に 香 爐 を 執 る 。 一 人 は 白 衣 を 着 て 頭 巾 を 裹 り 、 手 ち ぢ ゆ う サ に 柱 杖 を 執 る 。 踟 蹶 し て 去 り 所 在 を 知 ら ず 、 當 日 中 臺 に 遊 ぶ 。 五 色 の 雲 の 現 は る る あ り 。 同 日 西 臺 に 遊 ぶ 。 瑞 鳥 靈 禽 の 現 は る る あ り 。 二 十 三 日 、 南 臺 に 遊 ぶ 。 夜 は 三 更 に 至 り 、 時 に 聖 燈 二 炬 の 現 は 一 二 * 雍 熙 元 年 ( 九 八 四 ) * * 塚 本 ﹁ 泊 ﹂ * 身 の ま わ り 品 * * 旅 費 を 支 給 す る * 代 州 * く や う や し く つ つ し む * * 塚 本 ﹁ 身 ﹂ * 塚 本 ﹁ 来 、﹂ * 塚 本 ﹁ 十 五 日 ﹂ * に わ か に * 難 卵 * 塚 本 ﹁裹 ﹂ 字 欠 * 行 き つ 戻 り つ
き ん け ん コ か た じ け な ま か る る あ り 。 勤 搴 し て 忝 き を 知 る も 、 歸 命 も 任 せ ず 。 此 の 日 の 神 ひ ら か な の 魂 を 豁 く は 、 當 年 の 心 願 に 副 ひ た り 。 盤 桓 す る こ と 兩 月 、 諸 縁 を 澄 ロ 息 せ り 。 其 れ 何 ぞ 郷 國 に 還 る べ け ん 。 瓶 嚢 を 是 れ 擧 げ た り 。 五 月 二 十 九 日 を 以 て 發 し 、 五 臺 を 離 る 。 六 月 二 十 四 日 に 至 り 、 京 闕 に 戴 朝 す 。 聖 情 の 宣 問 、 安 慰 は 初 め の 如 し 。 其 の 年 十 月 七 日 の 乾 明 節 に 弟 子 二 人 所 乾 、 所 明 各 く 且 ハ戒 を 受 く 。 乙 酉 の 年 三 月 二 日 に 至 り 、 金 殿 に 告 辭 し 、 龍 顏 に 面 樹 す 。 宣 を 蒙 り 、 師 號 及 び 大 藏 經 四 百 八 十 一 函 五 千 四 十 八 卷 、 新 翻 譯 經 四 十 つ か 一 卷 、 御 製 の 廻 丈 偈 頌 、 絹 帛 、 例 物 等 を 賜 ふ 。 京 中 人 と 缸 と を 差 は な か さ し て 部 邊 し 、 仍 ほ 口 劵 、 驛 料 を 賜 は り 、 道 州 縣 を 累 ぬ る に 及 び て は 、 え ら い た 人 夫 を 抽 び 差 は し て 傳 迭 せ し む 。 六 月 二 十 七 日 、 重 ね て 台 州 に 屆 り 、 い た た か 舊 處 に 戻 り 止 ま る 。 二 時 の 謄 す 所 、 四 時 も 虧 く る 無 し 。 而 も 台 州 の う 知 州 行 左 拾 遺 鄭 公 、 元 龜 と 名 つ く 、 佛 を 奉 じ て 恭 勤 、 宣 を 稟 げ て べ ん ら い 安 堵 す 。 州 民 も 之 を 以 て 陌 諫 、 僭 侶 も 之 を 以 て 接 延 す 。 台 州 管 内 の 都 僭 正 監 壇 選 練 蕪 開 元 都 團 寺 主 賜 紫 の 沙 門 景 堯 、 廉 使 の 指 南 を 受 け 、 ﹁齎 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 * 撃 挙 と 同 じ く 、 拱 手 作 礼 の 意 * 旅 行 の 意 * 振 り 切 る * * 旅 中 の 用 具 * 太 宗 皇 帝 生 誕 の 日 * 瘧 熙 二 年 ( 九 八 五 ) * 法 済 大 師 号 * 人 と 船 と * 官 物 を 統 率 し て 送 る * * 食 費 と 宿 泊 費 * 塚 本 ﹁ 虔 ﹂ * * 塚 本 ﹁ 瞻 ﹂ * 好 意 を 示 す * * 迎 え て 、 も て な す 兼 * 按 察 使 二 二
い ム お り ハ り ソ 臥 道 の 見 を 以 て 待 驥 ・ 往 還 も 一 の 如 く 、 繆 始 轡 ず 。 塞 自 ら 多 生 に し て ・ 吸 り に 偽 篷 ふ の 蓮 を 黷 。 因 り て 聞 く に 往 昔 、 優 嗔 國 王 は 切 利 天 に 於 て 釋 迦 の 瑞 像 を 雕 刻 す と 。 顯 現 は 既 に 西 土 に 當 り 、 寫 み 遞 は 中 華 に 到 れ る あ り 。 日 域 の 遐 陬 な る を 以 て 、 梵 容 を 想 へ ど も 覩 ボ た 難 し 。 窩 然 逾 に 衣 鉢 を 捨 て 、 香 木 を 收 買 し 、 工 匠 を 召 募 し て 、 樣 に ゆ 依 り 彫 鑁 せ し む 。 七 月 二 十 一 日 に 功 を 起 し 、 八 月 十 八 日 に 畢 手 す 。 裔 然 の 意 ふ 所 は 、 父 母 の 養 育 、 師 圭 の 訓 持 、 國 王 の 蔭 休 、 諸 佛 の 救 嵐 に 奉 酬 し ・ 斯 の 亘 善 に 憑 り て 、 朱 つ は 四 麟 に 報 じ 、 恭 し く 唐 土 帝 み の 皇 の 丕 業 、 無 彊 の 化 に 等 し く 、 本 國 國 圭 の 崇 基 、 不 朽 の 期 に 延 び 、 當 朝 の 大 人 、 此 の 郡 の 太 守 、 各 く 餘 慶 を 承 け 、 倶 に 長 年 に 叶 は ん こ と を 願 ふ 。 窟 然 ま た 今 月 一 日 、 發 心 し て 大 藏 經 を 轉 讀 し 、 皇 帝 の 乾 な と も 明 節 を 以 て 、 上 は 聖 壽 を 扶 け 、 仍 ほ 鴻 恩 に 答 へ 、 燭 を 然 し 、 香 を 焚 の の う こ う き 、 函 を 開 き 卷 を 展 べ ん 。 苴 ハ の 次 に 三 世 の 父 母 、 曩 却 の 親 縁 、 一 切 や ゆ の 有 情 、 無 邊 の 含 識 、 生 生 世 世 、 輪 廻 を 六 趣 三 途 に 休 め 、 念 念 心 心 、 せ ん 速 か に 十 纏 五 善 を 斷 絶 せ ん こ と を 。 仍 ほ 願 ふ ら く は 、 喬 然 正 法 を 闡 一 四 * 塚 本 ﹁ 同 ﹂ 欠 * * 応 待 * 釈 迦 如 来 瑞 像 * 日 本 国 * 完 成 * 庇 護 * 済 度 * * 父 母 、 師 長 、 国 王 、 三 宝 * " 燃 * 遙 か な る 以 前 * 有 情 の も の * * 六 道 * 十 種 の 妄 惑 * * 五 戒
揚 し 、 大 衆 を 興 顯 し 、 家 に 還 る に は 海 道 も 罕 寧 に 、 龍 禪 も 助 け を 垂 れ ん こ と を 。 國 に 到 り て は 人 心 の 喜 悗 し 、 少 長 も 実 な か ら ん こ と を 。 あ ひ 我 慢 の 憧 を 碎 摧 し 、 智 慧 の 海 を 増 添 し 、 年 牙 も 更 に 永 く 、 行 解 も 相 ロ コ ロ 應 じ 、 大 限 を 睨 或 す る こ と と 期 あ り 、 寂 滅 爲 樂 、 禪 定 に 入 る が 如 く 、 さ と ロ も つ 諸 く の 難 縁 な け ん 。 上 品 上 生 、 空 を 了 り 性 を 了 り 、 恆 に 妙 用 を 將 て 、 普 く 衆 生 を 度 し 、 然 る 後 十 方 を 苞 括 し 、 三 界 を 該 羅 せ ん 。 但 く 之 を 見 聞 す る 者 あ れ ば 、 倶 に 解 睨 の 程 を 超 え ん 。 既 に 願 心 を 滿 た す 。 是 れ 幸 と す る 所 な り 。 今 瑞 像 の 圓 就 し 五 藏 を 入 る る に 因 り 、 次 で 聊 か 來 意 を 書 し 、 以 て 其 の 由 を 序 す 。 時 に 皇 宋 の 雍 熙 二 年 太 歳 乙 酉 八 月 十 八 日 に 記 す 。 僣 鑒 端 爲 め に 書 す 去 年 六 月 十 八 日 、 洛 京 の 龍 門 に 參 じ 、 善 無 畏 三 藏 の 真 身 を 礼 拜 す 。 夊 同 じ き 七 、 八 月 中 、 學 を 清 昭 三 藏 に 受 け 、 金 剛 界 胎 藏 界 の 兩 部 、 こ び よ う 三 密 の 大 教 、 五 瓶 の 灌 頂 も 已 に 了 れ り 。 此 の 功 徳 を 以 て 、 夲 安 に 渡 海 し 、 本 國 に 歸 到 し て 、 佛 法 を 興 隆 し 、 王 民 に 利 盆 せ ん 。 ﹁ 裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 * 塚 本 ﹁幢 ﹂ * 寿 命 の 終 り * 霊 妙 な る 功 徳 * ひ ろ く つ つ む * 完 成 * * " 惑 * 塚 本 ﹁ 照 ﹂ ** 塚 本 、 三 字 欠 * 五 瓶 の 水 を 以 て 灌 頂 一 五
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 一 六 註 し め す へ ん き へ ん て へ ん ω こ の 字 は 不 明 で あ る 。 塚 本 先 生 は ﹁ 禮 離 ﹂ と 解 さ れ て い る が 、 字 形 か ら 見 て 蒲 よ り は ﹁木 ﹂ ま た は ﹁ 手 ﹂ と 考 え ら れ る 。 本 文 の 解 読 に 当 っ て は 、 波 多 野 太 郎 先 生 の 示 教 を 仰 い で い る が 、 波 多 野 先 生 は 、 字 形 か ら 見 て ﹁抛 ﹂ か 、 あ る い は 下 句 の ﹁ 遂 ﹂ に 対 ほ し い ま ま し て 副 詞 な ら ん 、 と 示 唆 さ れ た 。 私 は ﹁ 擅 ﹂ か と 考 え て み た が 、 旁 の 形 が 違 う よ う で あ る 。 後 考 を 俟 ち た い 。 ② ﹁ 偶 ﹂ の 字 に つ い て は 、 波 多 野 先 生 の 示 教 に よ り ﹁ 遇 ﹂ の 意 と 解 し た 。 偶 と 遇 と は 音 通 で あ る 。 ㈲ こ こ ま で が 前 文 で あ る 。 木 宮 先 生 の 解 読 は 、 こ の 先 の 文 よ り 始 ま る 。 ω 初 め ﹁ 録 に 伝 へ 題 に 標 す ﹂ と 読 ん だ が 、 波 多 野 先 生 よ り 、 録 も 標 も 動 詞 で あ り 、 伝 録 お よ び 標 題 は 共 に 副 動 詞 と 解 す べ し 、 と 教 え ら れ た 。 ⑤ 呉 越 の 商 人 陳 仁 爽 、 徐 仁 満 等 を さ す 。 そ の 帰 舶 に 便 乗 し た こ と は 、 す で に 論 ぜ ら れ て い る 。 ⑥ こ の 箇 所 を 、 木 宮 先 生 は ﹁ 乗 じ て 唐 土 に 入 ら ん と す ﹂ と 読 ん で お ら れ る が 、 原 本 は ﹁来 ﹂ で あ り 、 し か も 宋 国 に お い て 記 し た も の で あ る か ら 、 文 字 を 訂 正 す る 必 要 は な い 。 ⑦ こ の 箇 所 を 、 塚 本 先 生 は ﹁ 到 台 州 安 着 、 陸 行 ⋮ ⋮ ﹂ と 読 ん で お ら れ る 。 し か し 原 本 の 字 は ﹁ 着 ﹂ で は な く ﹁ 若 ﹂ と 解 さ れ る か ら ﹁ 到 台 州 ﹂ で 切 る 方 が 自 然 で あ ろ う 。 木 宮 先 生 も 、 こ の よ う に 訓 読 さ れ て い る 。 ⑧ こ の ﹁津 送 ﹂ の 語 を 、 私 は 運 河 の 上 を " 水 駅 ご と に 送 り 届 け る " 意 か と 解 し た が 、 波 多 野 先 生 よ り ﹁ 津 ﹂ は 宋 代 の 語 彙 に て " 旅 費 を 支 給 す る " 意 で あ る 、 と 教 え ら れ た 。 ⑨ こ の 箇 所 を 木 宮 先 生 は ﹁ 不 虔 誠 を 得 ﹂ と 読 ん で お ら れ る が 、 意 味 不 明 。 ⑩ 文 中 ﹁ 此 日 之 神 魂 ﹂ と あ る と こ ろ を 、 塚 本 先 生 は ﹁ 此 是 神 魂 ﹂ と 読 ん で お ら れ る 。 こ の と こ ろ の 文 は ﹁帰 命 し て 豁 く に 任 せ ず 、 此 の 日 の 神 魂 は ⋮ ⋮ ﹂ と 読 む こ と も で き る が 、 ﹁ 豁 此 日 之 神 魂 ﹂ ﹁ 副 当 年 之 心 願 ﹂ と い う よ う に 対 句 に な っ て い る か ら 、 や は り 所 掲 の よ う に 解 し た 方 が 良 い で あ ろ う 。 木 宮 先 生 も 、 そ の よ う に 読 ん で お ら れ る 。 ⑪ こ の 箇 所 を 、 木 宮 先 生 は ﹁自 ず か ら な る 多 生 ( う ま れ か わ り ) に 慶 び 、 像 に 逢 う の 運 を 叨 ( め ぐ み た ま ) わ る ﹂ と 読 ん で お ら れ る 。 ⑫ 木 宮 先 生 の 解 読 は 、 こ こ の ﹁ 畢 ﹂ 字 で い っ た ん 絶 り 、 以 下 ( 中 略 ( と さ れ て 末 尾 の 文 に つ な げ る 。 ま ⑬ こ の ﹁ 等 ﹂ を 、 初 め 私 は 〃 待 つ " と 解 し て ﹁無 彊 の 化 を 等 つ ﹂ と 読 ん だ が 、 波 多 野 先 生 か ら 、 こ こ の ﹁ 等 ﹂ は 〃 等 待 の 等 に 非
ず " と 教 え ら れ た 。 ⑭ こ こ の 原 文 ﹁休 輪 廻 於 ﹂ を 塚 本 論 文 で は ﹁休 輪 廻 拾 ﹂ と 写 し て お ら れ る が 、 こ れ で は 意 味 が 通 じ な い 。 ⑮ 木 宮 先 生 は ﹁ 書 を 為 ( つ く ) る ﹂ と 読 ん で お ら れ る が 、 波 多 野 先 生 の 示 教 に し た が い ﹁ た め に 書 す ﹂ と 解 す る 。 三 巡 礼 の 行 程 齎 然 の ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ は 、 そ の 前 文 に お い て 、 入 宋 に 至 る ま で の 略 歴 が 簡 単 に 述 べ ら れ て い る 。 出 生 に つ い て は 述 べ て い な い 。 ↑ 、 丶 そ も そ も 齎 然 の 出 自 に つ い て は 、 か つ て 本 朝 高 僧 伝 や 宋 史 日 本 国 伝 な ど の 伝 え に よ っ て 、 俗 姓 が 藤 原 氏 と 考 え ら れ て き た 。 た だ し 東 大 寺 別 当 次 第 な ど に ほ 、 俗 姓 が 秦 氏 で あ り 、 天 慶 元 年 ( 九 三 八 ) 一 月 二 十 日 の 出 生 と 伝 え て い る 。 こ う し た 異 同 に 終 止 符 を 打 っ た の が 、 釈 迦 像 の 胎 内 か ら 発 現 し た 義 蔵 と 喬 然 と の ﹁ 結 縁 手 印 状 ﹂ で あ っ た 。 こ の 文 書 に 関 し て は 噛 塚 本 善 隆 先 生 の ﹁ 清 涼 寺 釈 迦 像 封 蔵 の 東 大 寺 喬 然 の 手 印 立 誓 書 ﹂ に 詳 し く 紹 介 さ れ て い 駈 結 縁 手 印 状 の 冒 頭 に は 、 喬 然 と 義 蔵 と の 名 を 掲 げ た 下 に 、 そ れ ぞ れ 出 生 と 受 戒 の 日 付 を 記 し た 。 萄 然 に つ い て は 、 次 の 通 り で あ る 。 伝 灯 法 師 位 萄 然 、 天 慶 元 年 戊 戌 正 月 廿 四 日 誕 生 俗 姓 秦 氏 天 徳 三 年 五 月 十 八 日 受 戒 師 主 寛 静 ま た 同 じ く 胎 内 よ り 発 現 し た ﹁ 窟 然 生 誕 書 付 ﹂ に よ れ ば ﹁ 承 平 八 年 正 月 廿 四 日 の ひ つ し の [ 凵 の と き に む ﹂ ﹁ ま る ⋮ ﹁裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 一 七
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 . 一 八 ⋮ L と あ る 。 承 平 八 年 は 五 月 二 十 二 日 に 天 慶 と 改 元 さ れ て い る か ら 、 こ こ に 齎 然 の 生 年 月 日 は 、 天 慶 元 年 一 月 二 十 四 日 と 確 認 さ れ た 。 そ の 出 身 も 藤 原 氏 で は な く 、 秦 氏 で あ る こ と も 判 明 し た 。 さ ら に 受 戒 の 日 付 も 、 天 徳 三 年 (九 五 九 ) 五 月 十 八 日 と 確 認 さ れ た の で あ っ た 。 こ の と き 齎 然 は 、 二 十 一 歳 で あ る 。 さ て ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ は 、 こ の 間 の こ と を 、 栄 華 を 去 り 、 父 母 よ り 離 れ て 、 遂 に 大 寺 に 投 じ 、 名 師 に 遇 う を え て 、 受 戒 し て 僧 と な る 。 と 述 べ て い る 。 こ こ に い う 大 寺 と は 、 す な わ ち 東 大 寺 で あ り 、 名 師 と は 戒 を 受 け た 寛 静 を さ し て い る の で あ ろ う か 。 こ の 後 、 裔 然 は 三 論 を 東 大 寺 に て 観 理 に 学 び 、 密 教 を 石 山 寺 の 元 果 に 受 け た こ と 、 す で に 論 述 さ れ た と こ ろ で あ る 。 ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ に は 触 れ て い な い が 、 三 十 四 歳 に 及 ん で 同 門 の 義 蔵 と 意 気 投 合 し 、 結 縁 立 誓 し た こ と を 、 さ き の ﹃ 結 縁 手 印 状 ﹄ に よ っ て 知 る こ と が で き る 。 そ の 日 付 は ﹁ 天 禄 三 年 餓 軟 ( 九 七 二 ) 閏 二 月 三 日 癸 巳 午 時 ﹂ で あ っ た 。 す で に 齎 然 は 、 愛 宕 山 に 地 を ト し て 、 一 処 の 伽 藍 を 立 て 、 釈 迦 の 遺 法 を 興 隆 せ ん 、 と の 悲 願 を 抱 い て い た ( 結 縁 手 印 状 ) 。 そ の 実 現 の た め に 入 宋 を 企 て る に 至 っ た の で あ る 。 入 宋 の 前 に お け る 関 係 の 詩 文 お よ び 文 書 に つ い て は 、 旧 来 の 研 究 に 詳 し い 。 、 ジ ' ・ さ て 慶 (滋 ) 保 胤 が 喬 然 の た め に 草 し た ﹁ 入 唐 時 為 母 修 善 願 文 ﹂ ( 本 朝 文 粋 ) に よ れ ば 、 ま ま 糞 然 は 天 禄 以 降 、 渡 海 に 心 あ か 。 ・本 朝 は 久 し く 方 貢 の 使 を 停 め て 遣 は さ ず 。 入 唐 は 間 く 商 賈 の 客 を 待 ち て 渡 る を 得 。 今 、 其 の 便 に 遇 ひ 、 此 の 志 を 遂 げ ん と 欲 す 。 齎 然 願 は く は 先 づ 五 臺 山 に 参 じ て 、 文 殊 の 即 身 に 逢 は ん と 欲 す 。 と あ っ て 、 五 臺 山 の 参 詣 を 天 禄 年 間 、 す な わ ち 三 十 代 の 初 め か ら 、 心 に 抱 い て い た こ と を 示 し て い る 。 さ ら に 入 宋 の こ と が 定 ま る や 、 教 王 護 国 寺 よ り 長 安 の 青 龍 寺 に 宛 て 、 ま た 延 暦 寺 よ り 天 台 山 の 国 清 寺 に 宛 て 、 そ れ ぞ れ 裔 然 を 紹 介
ナ る 牒 状 を 贈 ら れ た の で あ っ た 。 す な わ ち 裔 然 は 五 臺 山 お よ び 天 台 山 の 参 詣 、 ま た 長 安 へ の 巡 錫 を 志 し て い た の で あ り 、 よ っ て ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ に も ﹁ 五 臺 の 勝 境 、 天 台 の 名 山 あ り ﹂ と 特 記 し た の で あ っ た 。 こ の 時 期 に な っ て も 、 広 大 な る 滄 溟 を 越 え て 渡 海 す る こ と は 、 も と よ り 容 易 で は な い 。 幸 い に し て 入 宋 の 許 可 を 得 る こ と が で き 、 た ま た ま 来 朝 し て い た ﹁ 台 州 の 商 旅 ﹂ す な わ ち 呉 越 国 の 爽 仁 陳 、 徐 仁 満 等 の 船 が 帰 航 す る に 便 乗 し 、 九 州 よ り 渡 海 す る を 得 た の で あ る 。 出 帆 お よ び 着 岸 の 日 付 も ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ に 明 記 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 わ が 永 観 元 年 ( 九 八 三 ) ﹁ 癸 未 の 歳 八 月 一 日 を 以 て 、 本 国 を 離 れ 、 其 の 月 十 八 日 、 台 州 に 到 っ た ﹂ の で あ っ た 。 そ の 地 は 五 年 前 ( 九 七 八 ) ま で 、 呉 越 国 の 領 内 で あ り 、 五 代 十 国 の 世 に 当 っ て 、 呉 越 国 の 商 旅 が し ば し ば わ が 国 と の 間 を 往 復 し た こ と は 、 よ く 知 ら れ て い る 。 呉 越 商 人 に と っ て 、 台 州 ま た は 明 州 ( 寧 波 ) か ら の 渡 海 は 、 も の 馴 れ た 航 行 で あ り 、 さ れ ば こ そ 齎 然 の 一 行 も ﹁ 安 き こ と 陸 行 の ご と く 、 そ の 神 速 に 駭 い た ﹂ 次 第 で あ っ た 。 か つ て の 遣 唐 使 の 渡 海 に お け る 困 難 か ら 想 え ば 、 十 八 日 間 で 難 な く 到 着 で き た こ と は 、 大 き な 驚 き で あ っ た に 違 い な い 。 さ て 菊 然 の 一 行 は 、 ひ と ま つ 台 州 の 開 元 寺 に と ど ま っ て 、 旅 行 の 許 可 を 待 っ た 。 お よ そ 海 外 か ら 訪 問 し た 者 は 、 到 着 地 の 官 衙 を へ て 中 央 に 報 告 し 、 そ の 許 可 を 得 た 上 で な け れ ば 、 内 地 を 行 動 す る こ と は で き な い 。 な お 開 元 寺 は 、 唐 の 玄 宗 が 全 国 の 諸 州 に 設 け た 大 寺 で あ り 、 入 唐 僧 の 円 珍 も 滞 留 し て い る 。 待 つ こ と 半 月 、 萄 然 に 対 し て 、 早 く も 上 京 の 詔 命 が 届 け ら れ た 。 よ っ て ﹁ 九 月 九 日 、 天 台 に 巡 礼 ﹂ す る 。 台 州 か ら 天 台 山 ま で は 、 か つ て 最 澄 の た ど っ た 道 で も あ っ た 。 大 量 の 献 納 品 を 携 え た 一 行 で あ っ た が 、 詔 命 に ょ る 旅 行 で あ る か ら 、 台 州 で は 州 吏 を 差 立 て 、 人 夫 を 提 供 し た で あ ろ う 。 い ま の 始 豊 渓 を 溯 っ て 天 台 の 町 に 達 し 、 そ こ か ら 天 台 山 に 向 か う 。 ﹁ 裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 一 九
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 第1図 二 〇 天 台 山 に お け る 齎 然 の 足 跡 は 、 従 来 の い ず れ の 記 録 よ り も ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ が 詳 し く 伝 え て い る 。 こ こ に は 記 し て い な い が 、 延 暦 寺 よ り の 牒 状 を 携 え て 、 ま ず 国 清 寺 に 詣 っ た こ と は 疑 い な い 。 お そ ら く は 国 清 寺 の 宿 坊 に 駐 泊 し て 、 天 台 山 の 霊 地 を 巡 拝 し た と 考 え ら れ る 。 ﹁ 智 者 の 霊 蹤 を 訪 れ 、 定 光 の 金 地 に 遊 ぶ ﹂ 。 智 者 の 霊 蹤 と は 、 い う ま で も な く 智 者 塔 院 、 す な わ ち 智 者 大 師 智 頻 の 真 身 塔 院 で あ る 。 智 顎 は 隋 の 開 皇 十 七 年 ( 五 九 七 ) 、 新 昌 県 の 石 城 寺 に お い て 入 滅 し 、 そ の 遺 命 に よ っ て 天 台 山 の 佛 隴 の 地 に 移 葬 さ れ た 。 そ の 地 に 建 て ら れ た の が 、 真 身 塔 で あ る 。 唐 の 元 和 年 間 (八 〇 六 -二 〇 ) に は ﹁ 台 州 隋 故 智 者 大 師 修 禅 道 場 碑 ﹂ が 建 て ら れ 、 こ の 碑 は 塔 院 の 外 に 現 存 す る 。 ま た 付 近 に は 、 天 台 の 祖 師 と 仰 が れ る 章 安 法 師 灌 頂 、 荊 渓 大 師 湛 然 の 墓 も あ る か ら 、 も ち ろ ん 齎 然 は 詣 で た こ と で あ ろ う 。 さ て 智 頻 の 入 山 を 予 言 し た と 伝 え ら れ る 高 僧 が 、
梁 の 定 光 で あ っ た 。 定 光 は 梁 武 の 大 同 の 初 め (慨 賍 ㈱ 彗 、 佛 隴 山 に 隠 れ 、 居 る こ と 三 十 年 。 ﹃ 祖 庭 事 苑 ﹄ 五 に 曰 く ﹁ 天 台 の 佛 隴 に 定 光 禅 師 あ り 、 先 づ 此 の 峰 に 至 り 、 弟 子 に 謂 ひ て 曰 く 、 、 久 し か ら ず し て 当 に 善 知 識 あ り て 、 徒 を 領 し 此 に 至 る べ し と ﹂ 。 そ こ に 智 顎 が 入 山 し た の で あ る 。 陳 の 太 建 七 年 ( 五 七 五 ) で あ っ た 。 さ ら に 曰 く ﹁ 智 者 顕 禅 師 、 年 十 五 の 時 、 佛 像 に 礼 す る に 、 幌 然 と し て 夢 の 如 く 、 大 山 の 海 際 に 臨 む を 見 る 。 峰 の 頂 に 僧 あ り 。 手 を 招 き 一 伽 藍 に 接 し 入 る 。 汝 こ こ に 居 る べ し 。 汝 こ こ に 居 る べ し と ﹂ 。 蓋 し 智 顕 の 入 山 に ま つ わ る 伝 承 の 一 つ で あ る 。 佛 隴 と は 天 台 山 の 金 地 嶺 の 地 と 考 え ら れ 、 よ っ て 智 顕 を 招 い た 定 光 ゆ の 隠 棲 の と こ ろ と 伝 え ら れ て き た 。 裔 然 の 一 行 は 、 智 者 塔 院 に お い て 智 顕 の 真 身 塔 を 拝 し 、 さ ら に 金 地 嶺 へ と 巡 拝 し た の で あ っ た 。 そ の 地 は ﹁ 山 は 奇 ふ か に 樹 は 秀 い で 、 渓 は 濬 く 泉 は 澄 む ﹂ と い う 勝 景 に 恵 ま れ て い た 。 国 清 寺 を 発 し て 金 地 銀 地 に 向 か う と き 、 こ う し た 光 景 は 現 代 で も 味 わ う こ と が で き る 。 ' ア ゴ み あ 天 台 山 に お け る 巡 錫 は つ づ け ら れ た 。 北 へ 向 か っ て は ﹁ 石 梁 を 渡 り て 、 四 果 の 真 居 を 瞻 げ 、 桂 嶺 を 登 り て 、 三 賢 の 旧 居 を 覩 ﹂ た の で あ る 。 石 梁 は 、 い ま も 壮 大 な 滝 を 落 下 さ せ る 石 梁 飛 瀑 で あ る 。 渓 谷 の 上 に は 巨 大 な 石 が 覆 い か ぶ さ り 、 さ な が ら 屋 上 の .梁 の ご と く 、 よ っ て 石 梁 と 名 づ け ら れ た 。 瀑 下 よ り 石 梁 を 仰 げ ば 、 巨 石 は さ な が ら 天 に 接 す か の ご と く 、 飛 瀑 の 音 な 雷 鳴 に も 等 し く 感 じ ら れ る 。 と こ ろ で 、 こ こ に ﹁ 四 果 の 真 居 ﹂ と あ る が 、 そ の 意 味 を 明 ら か に す る こ と が で き な い 。 一 般 に 四 果 と い え ば 、 声 聞 乗 に お け る 聖 果 の 差 別 で あ る が 、 そ の 真 居 と あ る か ら 、 い わ ゆ る 四 向 四 果 の 意 で は な い で あ ろ う 。 こ の 箇 所 は 遺 憾 な が ら 、 解 釈 不 能 の ま ま 残 し て お く 。 大 方 の 示 教 を 請 う 次 第 で あ る 。 つ ぎ に ﹁ 三 賢 ﹂ と は 、 原 文 に も 注 記 し て い る 通 り 、 豊 干 ・ 寒 山 ・ 拾 得 の 三 僧 で あ る 。 三 僧 は 国 清 寺 に も 住 し 、 い ま ﹁ 裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 一 二
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 ノ 第2図 二 二 も 国 清 寺 の 境 内 に 豊 干 橋 あ る い は 寒 拾 亭 が あ り 、 唐 代 の 往 時 を 偲 ば せ て い る 。 し か し コ ニ 賢 の 旧 隠 ﹂ と い え ば 、 も と よ り 国 清 寺 で は な く 、 は る か 西 方 に 当 っ て 、 寒 岩 と 呼 ば れ る 台 上 で あ る 。 寒 山 の 遺 偈 を 集 め た ﹃ 寒 山 子 詩 集 ﹄ の 序 に も 、 寒 山 は ﹁ 天 台 唐 興 県 の 西 七 十 里 に 隠 れ 居 り 、 時 に 国 清 寺 に 往 還 す ﹂ と あ る 。 い ま も 寒 岩 の 台 上 に は 大 洞 あ り 、 洞 の 前 に は 坐 石 あ っ て 、 三 賢 が 歓 宴 し た 所 と 伝 え て い る 。 喬 然 は 三 賢 の 遺 風 を 慕 い 、 は る ぽ る 寒 岩 ま で 足 跡 を 伸 ば し た の で あ っ た 。 さ て 、 以 上 が ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ に お け る 天 台 山 巡 錫 の 足 跡 で あ る 。 国 清 寺 か ら 北 へ 西 へ と 巡 礼 す る 間 、 多 く の 仏 蹟 を 拝 し た こ と で あ ろ う 。 齎 然 と し て は 長 く 天 台 山 に 駐 ま り た い 気 持 で あ っ た が 、 何 せ よ 上 京 の 途 次 で あ る 。 し た が っ て ﹁ 心 を 栖 む る も 及 ぶ な く ﹂ 、 随 行 の 州 吏 が 促 す ま ま ( 行 役 に 牽 か れ ) 、 十 月 八 日 に は 天 台 を 発 し て 北 上 し 、 十 一 日 に は 新 冒 県 に 達 し た 。 こ の 新 昌 県 に は ﹁ 南 山 の 澄 照 大 師 、 三 生 に て 製 す る 所 の 百 尺 弥 勒 石 像 ﹂ を 安 置 す る 南 明 山 瑞 象 寺 が あ っ た 。 澄 照 大 師 と は 唐 初 随 一 の 学 僧 た る 道 宣 (瓶 触 舘 1 ) で あ り 、 終 南 山 に 住 し て 南 山 大 師 と 仰 が れ 、 懿 宗 の 威 通 十 年 ( 八 六 九 ) に 澄 照 の 名 を 贈 ら れ て い る 。
新 昌 県 に は 当 時 、 呉 越 王 銭 鏐 が 重 修 し た 南 明 山 瑞 象 寺 が あ り 、 寺 内 に 巨 大 の 弥 勒 石 像 が 安 置 さ れ て い る こ と に よ り 、 内 外 に 有 名 で あ っ た 。 ま た 智 者 大 師 智 頻 が 、 晋 王 楊 広 ( 煬 帝 ) に 招 か れ て 天 台 山 よ り 下 る 途 次 、 こ こ で 円 寂 し た こ と で も 知 ら れ て い る 。 寺 の 由 来 は 古 く 、 晋 の 永 和 の 初 め (三 四 五 ご ろ )、 県 光 が 隠 岳 寺 を 創 建 し た と 伝 え る 。 つ い で 法 蘭 が 元 化 寺 を 開 き 支 遁 が 石 城 寺 を 開 い た 。 梁 の 天 監 年 間 (伍 ℃ 毎 、 三 寺 を 合 し て 石 城 寺 と 呼 ん だ が 、 後 梁 の 開 平 元 年 ( 九 〇 七 ) に 寺 院 の 建 物 は 火 災 に よ っ て 焼 失 し 、 こ れ を 呉 越 王 が 再 建 し た の で あ っ た 。 さ て 大 佛 で あ る が 、 南 山 大 師 道 宣 (澄 照 ) の 所 製 と い う の は 、 高 僧 に 托 し た 伝 承 で あ る 。 実 際 に は 唐 代 よ り 前 、 す な わ ち 斉 の 永 明 四 年 ( 四 八 六 ) か ら 梁 の 天 監 十 五 年 ( 五 一 六 ) ま で 、 三 代 の 住 僧 が 三 十 年 の 歳 月 を 費 し て 彫 造 し た も の で あ っ た 。 よ っ て ﹁ 三 生 ﹂ の 石 佛 と 呼 ば れ る に 至 っ た の で あ る 。 現 存 の 大 佛 は 、 元 代 の 修 復 に よ っ て 跏 趺 の 坐 像 と な っ て い る が 、 原 来 は 立 像 で あ っ た と い う 。 現 在 の 坐 像 に あ っ て も 、 佛 身 は 高 さ 十 丈 ( 13 . 2 研 ) と い う 巨 大 な も の で あ る 。 裔 然 は 、 智 者 入 寂 の 霊 地 に お い て 、 名 高 き 大 佛 を 拝 し 、 山 上 山 下 に 建 ち 並 ぶ ﹁ 霊 閣 の 巍 峩 ﹂ た る 様 に 、 無 量 の 感 懐 を 覚 え た に 違 い な い 。 よ っ て 特 筆 し た わ け で あ ろ う 。 十 一 月 十 二 日 、 新 昌 県 を 発 し た 裔 然 は ﹁ 杭 越 を 経 過 し 、 数 州 を 渉 瀝 し て ﹂ 、 三 日 後 の 十 五 日 、 泗 州 に 達 し た 。 こ こ で は ﹁ 杭 越 ﹂ と 記 し て い る が 、 実 際 の 行 程 は 新 昌 県 か ら 北 上 し 、 越 州 ( 紹 興 ) を へ て 杭 州 に 達 す る 。 こ こ か ら 先 に は 大 運 河 が 通 じ て い る か ら 、 舟 便 に 頼 っ た こ と で あ ろ う 。 杭 州 よ り 泗 州 に 至 る 間 は 、 数 州 を 渉 瀝 し た と 述 べ る の み で あ る が 、 途 中 の 揚 州 に お い て 諸 寺 を 巡 拝 し た こ と は 、 す で に 先 学 が 立 証 せ ら れ た と こ ろ で あ る 。 、 さ て 裔 然 は ﹁ 泗 州 の 普 光 王 寺 に 至 り 、 大 聖 に 礼 ﹂ し た 。 当 時 の 大 運 河 は 揚 州 よ り 北 上 し て 楚 州 、 い ま の 淮 安 に 達 し 、 そ こ か ら は 淮 水 を 溯 っ て 泗 州 、 す な わ ち 吁 胎 に 至 っ た 。 泗 州 か ら は 、 ま た 大 運 河 が 開 封 ま で 通 じ て い る 。 泗 州 は 淮 河 些 ﹁裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 二 三
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 二 四 と 大 運 河 と の 結 節 点 で あ っ た 。 泗 川 の 普 光 王 寺 は 、 西 城 よ り 渡 来 し た 僧 伽 の 建 立 す る と こ ろ 、 初 め は 臨 淮 寺 と 称 し た が 、 の ち 唐 の 中 宗 よ り 普 光 王 寺 の 寺 号 を 賜 わ っ た 。 僧 伽 は 祈 雨 や 治 病 な ど を 示 験 し 、 観 音 の 化 身 と ま で 称 え ら れ て 、 ひ ろ く 天 下 の 信 仰 を あ つ め 、 泗 州 の み な ら ず 、 各 地 に 和 尚 堂 あ る い は 大 師 堂 が 建 て ら れ た の で あ る 。 よ っ て 齎 然 も 泗 州 に 至 っ て ﹁ 大 聖 ﹂ に 礼 し た の で あ り 、 の ち に 成 尋 も 国 清 寺 に お い て ﹁ 泗 州 和 尚 の 影 ﹂ 像 を 拝 し て い る 。 泗 州 か ら は 大 運 河 に よ っ て 西 北 に 進 み 、 十 二 月 十 九 日 に は 国 都 の 沐 京 、 す な わ ち 東 京 開 封 府 に 到 っ た 。 ま ず ﹁ 郵 亭 に 泊 し ﹂ て い る 。 召 命 を 帯 び て の 上 京 の 途 で あ っ た か ら 、 郵 駅 を 利 用 す る こ と が で き た に 違 い な 戦 。 到 着 の こ と は 、 直 ち に 奏 上 の 手 続 が と ら れ た に 違 い な い 。 よ っ て 十 二 月 二 十 一 日 、 太 宗 皇 帝 に 謁 見 す る こ と を 許 さ れ た の で あ っ た 。 と こ ろ で 太 宗 の 諡 号 は ﹁ 神 功 聖 徳 文 武 皇 帝 ﹂ で あ る 。 宋 史 四 太 宗 本 記 に よ る と 、 太 平 興 国 六 年 ( 九 た て ま つ 八 一 ) 、 す な わ ち 齎 然 入 宋 の 二 年 前 、 十 月 に ﹁ 耋 臣 、 三 た び 奉 表 し て 尊 号 を 上 り 、 応 運 統 天 睿 文 英 武 大 聖 至 明 広 孝 皇 帝 と 日 ふ 、 之 を 許 す ﹂ 、 と あ る 。 し た が っ て ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ の 記 述 に も 、 こ の 尊 号 を 用 い た の で あ っ た 。 太 宗 皇 帝 に は ﹁ 崇 聖 殿 に て 朝 覲 し 、 奏 対 ﹂ し た 。 そ し て ﹁ 宣 を 蒙 り 、 紫 衣 な ら び に 例 物 を 賜 ﹂ わ っ た 。 さ ら に 随 侍 し て 同 行 し た 四 人 の 僧 に も 、 そ れ ぞ れ ﹁ 青 福 の 袈 裟 お よ び 錫 賚 ( 賜 物 ) 等 が 授 ﹂ け ら れ た の で あ る 。 、 こ の 崇 聖 殿 は 、 宋 史 八 五 地 理 志 一 に よ れ ば 、 宮 城 の 西 北 隅 に 当 る 後 苑 の な か に あ っ た 。 太 宗 は 苑 内 に 幸 し て 、 遠 来 の 日 本 僧 を 召 見 し た の で あ ろ う 。 こ の 後 、 裔 然 の 一 行 は ﹁ 聖 旨 ﹂ に ょ り 、 宿 舎 を 内 城 の 東 南 隅 に 近 い ﹁観 音 院 ﹂ に 与 え ら れ た 。 そ れ よ り ﹁ 供 須 ( も て な し ) は 繁 盛 に し て ﹂ つ ぶ さ に 述 べ る こ と も で き な い ほ ど で あ っ た 。 観 音 院 は ﹃ 東 京 夢 華 録 ﹄ に よ れ ば 、 皇 城 の 南 に あ る 景 霊 宮 の 東 門 か ち 、 東 へ 進 ん で 太 廟 の 前 門 に 達 す る 前 、 南 へ 折 れ た と こ ろ に 位 置 す る 。 な お ﹃ 盛 算 法 師 記 ﹄ に も 、 京 の
﹁窩 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 第3図 梁 苑 城 左 街 明 聖 観 音 禅 院 に 住 房 を 与 え ら れ た 、 と 記 し て い る 。 こ こ で 越 年 し 、 甲 申 の 歳 す な わ ち 雍 煕 元 年 ( 九 八 四 ) と な っ た 。 と こ ろ で ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ に は 正 月 か ら 三 月 ま で の 行 動 を 記 し て い な い が 、 そ の 間 に 齎 然 は 勅 許 を 得 て 京 中 の 寺 院 を 巡 拝 し 、 さ ら に 奏 聞 を へ て 宮 城 の 滋 福 殿 に 入 ぴ 、 栴 檀 瑞 像 を 拝 礼 し て い る 。 三 月 十 三 日 に お よ び 、 齎 然 の 一 行 は ﹁ 京 を 離 れ て 、 五 臺 山 ﹂ に 向 か っ た 。 か ね て よ り 念 願 で あ っ た ﹁ 文 殊 の 化 境 を 瞻 礼 ﹂ す る た め で あ る 。 こ の 旅 行 も ﹁ 宣 を 蒙 り 、 一 行 に 裹 纏 ( 身 の ま わ り 品 ) を 給 は り 、 処 を 逐 っ て 津 送 ﹂ す な わ ち 旅 費 が 支 給 せ ら れ た 。 そ の 行 程 お よ び 五 二 五
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 二 六 臺 山 に お け る 巡 拝 の 径 路 は 、 あ ま た の 高 僧 が た ど っ た 途 で あ り 、 よ く 知 ら れ て い る か ら 、 改 め て 述 べ る に は 及 ば な い で あ ろ う 。 裔 然 は 四 月 七 日 ﹁ 岱 ( 代 ) 州 の 五 臺 山 、 大 花 ( 華 ) 寺 の 菩 薩 真 容 院 に 到 り 、 駐 泊 ﹂ し た 。 大 華 厳 寺 の 後 身 は 、 い ま の 顕 通 寺 で あ る 。 創 建 は き わ め て 古 く (寺 伝 で は 後 漢 の 明 帝 代 )、 初 め 霊 鷲 寺 、 つ い で 花 園 寺 と 称 し た が 、 武 則 天 の と き 大 華 厳 寺 と 改 第4図 あ ら れ た 。 裔 然 が 訪 れ た こ ろ の 大 華 厳 寺 は 、 寺 域 す こ ぶ る 広 大 で 、 い ま の 台 懐 鎮 か ら 菩 薩 頂 の 一 帯 に ま で 及 び 、 あ ま た の 塔 頭 を 擁 し て い た 。 そ の 一 つ が 菩 薩 真 容 院 で あ り 、 い ま 菩 薩 頂 の 上 に あ る 真 容 院 が 、 こ れ に 当 る と 考 え ら れ る 。 初 め て 五 臺 山 に 登 っ た 齎 然 は 、 ま ず 真 容 院 の 文 殊 菩 薩 像 に ﹁ 礼 褐 ﹂ し ﹁ 虔 誠 ﹂ す な わ ち 身 を 引 き 締 め る 想 い に 浸 っ た 。 そ の 想 い が 通 じ た の か ﹁ 其 の 日 の 申 時 (驤 鯉 )、 菩 薩 の 右 耳 の 上 に 白 光 ﹂ が あ ら れ 、 時 が 移 っ て も 消 え な か っ た 。 こ の 奇 瑞 は 、 そ こ に あ っ た ﹁ 僧 俗 三 百 ば か り の 人 ﹂ が 、 こ と ご と く 皆 な 実 見 し た と こ ろ で あ っ ㈱ た 。 四 月 十 四 日 に は ﹁ 金 剛 窟 に 到 り 、 礼 拝 ﹂ し
た 。 金 剛 窟 は 、 菩 薩 頂 よ り 北 上 す る 途 の 西 方 に あ る 。 か つ て 屬 賓 の 僧 、 佛 陀 波 利 が 五 臺 山 に 至 っ た と こ ろ 、 文 殊 菩 薩 が 老 人 の 姿 と な っ て 現 わ れ 、 西 国 よ り 尊 勝 陀 羅 尼 経 を 将 来 す る こ と を 命 じ た 。 よ っ て 西 行 し 、 経 を 取 っ て 戻 り 、 漢 訳 に 従 っ た 後 、 梵 本 を 携 え て 入 山 、 つ い に 金 剛 窟 に 入 る や 、 窟 門 お の つ か ら 閉 じ て 再 び 出 る こ と な か っ た と い う 。 窟 内 に は 等 身 の 文 殊 菩 薩 像 を 安 置 し て い る 。 つ い で ﹁ 東 臺 ﹂ に 登 っ た 。 そ の と き 、 に わ か に 雷 鳴 が 轟 き ﹁ 逡 巡 す る ﹂ 問 に 、 降 雪 と 降 雹 が あ り 、 し か も ﹁ 其 の 雹 の 大 な る こ と 、 難 ﹂ 卵 の 如 く で あ っ た 。 東 臺 は ﹃ 古 清 涼 伝 ﹄ に よ れ ば コ 咼 さ 三 十 八 里 L 、 今 も 三 千 層 以 上 の 標 高 で あ り 、 ﹁ 頂 上 は 地 平 に し て 周 廻 三 里 ﹂ で あ り 、 ま た ﹃ 広 清 涼 伝 ﹄ に は ﹁ も と 雪 峯 と 名 つ く ﹂ と 記 し て い る 。 こ こ で 齎 然 は 、 文 殊 の 化 身 か と も 思 わ れ る 老 人 を 見 た の で あ る 。 す な わ ち 登 頂 し て 一 夜 を 明 か し ﹁ 十 五 日 の 凌 晨 に 至 り ﹂ 東 臺 を 歩 く 一 老 人 を 見 た 。 紫 の 裳 を ま と い 、 三 山 帽 を か ぶ っ て 、 靴 を は き 、 手 に は 数 珠 を た ず さ え 、 供 の 者 二 人 を し た が え て 、 龍 池 を め ぐ っ て 行 っ た 。 老 人 の 供 は 、 お の お の 二 十 歳 ば か り 。 一 人 は 青 衣 を 着 て 頭 巾 を か ぶ り 、 手 に は 香 炉 を 持 っ て い た 。 一 人 は 白 衣 を 着 て 頭 巾 を か ぶ り 、 手 に は 柱 杖 を も っ て い た 。 老 人 も 従 者 も 、 そ の あ た り を 行 き つ 戻 り つ し な が ら 、 や が て 去 っ て 行 っ た が 、 も と よ り 何 処 へ 去 っ た の か 、 知 る こ と は で き な か っ た 。 ふ し ぎ な 老 人 を 見 た 後 、 東 臺 を 降 り 、 そ の 日 の う ち に ﹁ 中 臺 に 遊 び ﹂ さ ら に ﹁ 同 日 、 西 臺 に 遊 ぶ ﹂ と 記 す 。 し か し 東 臺 と 申 臺 お よ び 西 臺 と の 位 置 か ら 見 て 、 一 日 の う ち に 巡 拝 す る こ と が 可 能 で あ ろ う か 。 喬 然 の 文 に よ る 限 り 、 中 間 に 位 置 す る 北 臺 に は 登 っ て い な い 。 し か も 北 臺 に は 、 龍 池 と も 思 わ れ る 深 い 池 が あ り 、 中 臺 と 西 臺 に も 、 そ の 頂 上 に は 、 円 仁 の 記 述 に よ れ ば 、 明 ら か に ﹁ 龍 池 ﹂ と 呼 ば れ る 池 が あ っ た 。 こ の あ た り の 齎 然 の 記 述 に は 、 混 乱 が 認 め ら れ ㈲ る 。 ﹁裔 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 二 七
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 二 八 さ て 中 臺 で は ﹁ 五 色 の 雲 の 現 は る る あ り ﹂ 、 そ し て 西 臺 で は ﹁ 瑞 鳥 、 霊 禽 の 現 は る る あ り ﹂ 、 い ず れ も 奇 瑞 と 感 ぜ ら れ た 。 こ の あ と は 竹 林 寺 や 金 閣 寺 を 巡 拝 し た の で あ ろ う か 。 二 十 三 日 に 至 っ て ﹁ 南 臺 に 遊 ﹂ ん だ 。 そ の h 夜 、 三 更 (麟 轍 斜 二 ) に 至 り 、 時 に 聖 灯 二 炬 の 現 は L れ る を 実 現 し た 。 ま さ し く 奇 瑞 で あ る 。 恭 し く 拱 手 拝 礼 し て 忝 け な さ に む せ び 、 心 を こ め て 叩 頭 す る も 、 な お 足 ら ぬ 想 い で あ っ た 。 こ れ こ そ ﹁ 神 魂 ﹂ で あ ろ う か 。 五 台 に 詣 っ て 文 殊 の 化 境 に 礼 せ ん と し た ﹁ 心 願 ﹂ に も 、 か な う べ き 瑞 祥 と 思 わ れ た 。 そ の 故 に こ そ 、 の ち に 帰 国 し て か ら 太 宗 に た て ま つ が ん け い 上 っ た 表 文 に も 、 と く に ﹁ 巌 高 の 晴 前 、 聖 灯 を 五 臺 の 上 に 拝 す る ﹂ を 得 た と 、 大 き な 感 激 を も っ て 記 し て い る 。 南 臺 に お い て ﹁ 聖 灯 ﹂ を 見 た と い う 経 験 は 、 裔 然 の み で は な い 。 古 く か ら 五 臺 の 上 に 夜 半 、 聖 灯 の 現 わ れ た こ と が 伝 え ら れ て お り 、 円 仁 も ま た 南 臺 の 上 に お い て 聖 灯 を 見 て い る 。 こ こ で ﹁ 大 聖 の 化 現 ﹂ を 求 め る 心 は 、 裔 然 に あ っ て も 同 様 で あ っ た 。 も と よ り 裔 然 は 古 来 の 伝 承 を 知 り 、 円 仁 の 体 験 を 聞 い て い た で あ ろ う 。 そ の ﹁ 心 願 ﹂ が 、 つ い に 叶 え ら れ た の で あ っ た 。 さ て 五 臺 山 に お け る 滞 在 は ニ ヵ 月 ( 盤 桓 両 月 ) に し て 、 年 来 の わ だ か ま り も 振 り き る こ と が で き た ( 澄 息 諸 縁 ) 。 い ま や 直 ち に 郷 国 に 帰 る べ き で は な い 。 旅 具 ( 瓶 嚢 ) も 想 え ら れ て い る 。 そ こ で ﹁ 五 月 二 十 九 日 を 以 て 発 し 、 五 臺 を 離 れ た ﹂ の で あ っ た 。 も ち ろ ん 、 こ の ニ ヵ 月 の 間 に は 、 清 涼 寺 に 詣 っ て 拝 礼 し た こ と で あ ろ う 。 清 涼 寺 こ そ は 、 五 臺 山 に お け る 最 古 の 寺 院 と 伝 え ら れ 、 ま た 五 臺 山 は 清 涼 山 と も 呼 ば れ て い た 。 洛 北 の 愛 宕 山 を 清 涼 山 に 擬 し 、 そ の 山 麓 に 一 大 寺 院 を 建 て て 、 比 叡 山 に 対 抗 す る こ と が 、 東 大 寺 の 僧 た る 齎 然 の 悲 願 だ っ た の で あ る 。 ま た 裔 然 は 、 五 臺 山 を 辞 し た 後 、 長 安 か ら 洛 陽 を 巡 遊 し て い る 。 ﹃ 巡 礼 行 記 ﹄ の 本 文 は 、 五 臺 山 を 離 れ た 後 は 、 直 ち に 開 封 府 到 着 の 記 述 に 移 っ て い る が 、 や は り 洛 陽 に お け る 修 行 に つ い て 記 述 す べ ぎ で あ る 、 と 考 え 直 し た に 違 い な い 。 よ っ て 後 段 の ﹃ 瑞 像 造 立 記 ﹄ の あ と に 、 付 記 の 形 で 録 し て い る 。 付 記 の 内 容 に つ い て は 、 本 文 の 順 序 に し た が い 、
最 後 に 解 説 を 加 え る こ と に す る 。 本 節 の ︿ 注 ﹀ は 、 次 節 の ︿ 注 ﹀ と 通 し 番 号 に し て 、 次 節 の 後 に 掲 げ る 。 四 造 像 の 由 来 裔 然 は 五 臺 山 か ら 長 安 、 洛 陽 を 巡 礼 の 後 、 開 封 府 に 戻 っ て ﹁ 六 月 二 十 四 日 に 至 り 、 京 闕 に 戴 朝 ﹂ し 、 帰 京 を 報 告 し た 。 そ こ で も ﹁ 聖 情 の 宣 問 お よ び 安 慰 ﹂ は 、 最 初 の 謁 見 の と き と 同 じ く 暖 い も の で あ っ た 。 さ て ﹁ 其 の 年 十 月 七 月 ﹂ は 、 太 宗 の 生 誕 日 に 当 る ﹁ 乾 明 節 ﹂ で あ っ た 。 皇 帝 生 誕 の 日 は 、 一 代 ご と に 特 有 の 名 称 が 定 め ら れ る 。 太 祖 は 長 春 節 で あ り 、 太 宗 は 乾 明 節 で あ っ た 。 そ の 日 に 、 随 従 し た ﹁ 弟 子 二 人 ﹂ が 具 戒 を 受 け た の で あ る 。 乾 明 節 に 因 み 、 法 名 を ﹁ 祈 乾 、 祈 明 ﹂ と つ け ら れ た 。 開 封 に お い て 年 を 越 し ﹁ 乙 酉 の 年 ﹂ す な わ ち 雍 熙 二 年 ( 九 八 五 ) と な る 。 そ の ﹁ 三 月 二 日 に 至 り 、 金 殿 に 告 辞 し 、 龍 顔 に 面 対 ﹂ し た 。 い よ い よ 帝 都 を 去 る に 当 り 、 謁 見 を 賜 わ っ た の で あ る 。 そ の と き ﹁ 宣 を 蒙 り 、 師 号 お よ び 大 蔵 経 ﹂ な ど を 賜 わ っ た 。 法 済 大 師 の 号 は 、 こ こ で 授 け ら れ た の で あ る 。 大 蔵 経 四 百 八 十 一 巻 お よ び 新 翻 訳 経 四 十 一 巻 に つ い て は 、 従 来 の 研 究 に 詳 し い 。 ま た ﹁ 御 製 の 廻 文 偈 頌 ﹂ は 、 宋 史 嵋 九 日 本 国 伝 に 掲 げ ら れ た 齎 然 の 上 表 文 に も ﹁ 蓮 華 廻 文 の 神 筆 ﹂ と 表 現 さ れ て い る 。 さ て ﹃ 造 立 記 ﹄ に は 記 さ れ て い な い が 、 こ の 滞 京 中 に 窩 然 は 、 重 ね て 釈 迦 瑞 像 の 拝 観 を 許 さ れ 、 さ ら に 模 刻 の 勅 許 を 得 て い た 。 そ の こ と は ﹃ 盛 算 法 師 記 ﹄ の 記 述 な ど に よ っ て 、 西 岡 先 生 の 論 述 せ ら れ た と こ ろ で あ る 。 ﹁萄 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 二 九
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 三 〇 さ き に 滋 福 殿 に 安 置 さ れ て い た 瑞 像 は 、 太 宗 が 一 百 万 貫 を 喜 捨 し て 建 立 し た 啓 聖 禅 院 に 移 さ れ て い た 。 そ こ へ 齎 然 は 赴 き 、 再 び 拝 観 し た の で あ ろ う 。 さ ら に 盛 算 は 、 瑞 像 の 由 来 を 述 べ た ﹃ 瑞 像 歴 記 ﹄ を 得 て 、 こ れ を 観 音 禅 院 に お い て 筆 写 し た 。 こ の 由 来 記 に よ っ て 、 の ち に ﹃ 清 涼 寺 縁 起 ﹄ が つ く ら れ る こ と に な る 。 こ う し て 帰 途 に つ い た が 、 帰 途 も ま た ﹁ 京 中 は 人 と 船 と を つ か わ し て 部 送 ﹂ す な わ ち 官 廨 に よ っ て 送 り 、 さ ら に ﹁ 口 券 と 駅 料 ﹂ す な わ ち 食 費 と 宿 泊 費 を 賜 わ っ た 。 開 封 お よ び 周 辺 に は 運 河 が 四 通 八 達 し て お り 、 よ っ て 運 河 を 船 に え ら よ っ て 南 下 す る こ と に な る 。 そ れ よ り ﹁ 道 州 県 を 累 ぬ る に 及 び 、 人 夫 を 抽 び つ か わ し て 伝 送 ﹂ さ れ る 、 と い う 優 待 で あ っ た 。 い た 開 封 か ら 台 州 ま で は 三 、 四 日 で 達 す る 。 台 州 着 は ﹁ 六 月 二 十 四 日 ﹂ で あ り 、 そ こ で は ﹁ 旧 処 に 戻 り 止 ま る ﹂ と あ る か ら 、 ま た 開 元 寺 に 泊 し た の で あ ろ う か 。 朝 夕 に お け る 膳 部 の 接 待 も 、 夜 に 至 る ま で 欠 け る と こ ろ は な か っ た 。 当 時 、 知 州 と し て 台 州 を 管 轄 し て い た の は 、 左 拾 遺 の 官 に あ り な が ら 刺 史 を 兼 任 ( 行 ) し て い た 鄭 元 亀 で あ る 。 そ の 人 は ﹁ 佛 を 奉 じ て 恭 勤 、 宣 を 稟 け て ﹂ 裔 然 ら を 厚 く 遇 し た 。 こ れ に よ っ て 州 民 も 好 意 を 示 し ( 眄 徠 ) 、 僧 侶 も 一 行 を あ た た か く 迎 え た ( 接 廻 ) 。 台 州 管 内 の 僧 侶 を 統 括 し た の は 、 開 元 寺 主 に し て 紫 衣 を 賜 わ っ て い る 景 堯 で あ る 。 按 察 使 ( 廉 使 ) の 指 南 を 受 け 、 親 し く ﹁ 同 道 ﹂ し て 応 待 し た 。 い つ こ に 往 復 す る も 、 常 に 変 る と こ ろ は な か っ た 。 さ て ﹃ 造 立 記 ﹄ は 、 こ れ よ り 造 像 の 次 第 を 述 べ る 。 喬 然 と し て は 、 瑞 像 に め ぐ り あ う 好 運 に 恵 ま れ た こ と を 、 前 世 う て ん か ら の 因 縁 と 覚 え た の で あ ろ う か 。 か ね て か ら 拝 観 を 熱 望 し て い た 瑞 像 は 、 聞 く と こ ろ に よ れ ば 、 そ の 昔 コ 優 嗔 国 王 が 仞 利 天 に 於 て 釈 迦 の 瑞 像 を 雕 刻 L し た も の と い う 。 こ の 伝 承 は ひ ろ く 伝 え ら れ て お り 、 優 嗔 国 王 の 念 願 に こ た え 、 釈 迦 如 来 が 仭 利 天 よ り 下 降 し て 、 そ の 姿 を 毘 首 羯 磨 天 に 彫 刻 せ し め た 、 そ れ 故 に 釈 尊 生 身 の 像 と し て 尊 崇 せ ら れ て き た の で あ る 。
や が て 西 域 の 流 沙 を 越 え て 、 は る ば る 瑞 像 は 中 国 ま で 運 ば れ た 。 す な わ ち 釈 尊 が 地 上 に 姿 を 現 わ し た ( 顕 現 ) と こ ろ は h 西 土 に 当 り L 、 そ の 姿 を 写 し た 瑞 像 ( 写 遞 ) は 中 華 の 地 に 到 っ た の で あ る 。 し か し 日 本 の 地 ( 日 域 ) は 遠 く 離 れ ( 遐 陬 ) て い る 故 に 、 瑞 像 の 姿 ( 梵 容 ) を 拝 観 す る こ と は 困 難 で あ っ た 。 、 齎 然 は 、 こ の 尊 い 姿 を 、 ぜ ひ と も 日 本 に 将 来 し た い と 念 じ た の で あ る 。 そ こ で ﹁ 喬 然 は 、 遂 に 衣 鉢 を 捨 て ﹂ す な わ ち 所 持 の 財 物 を 喜 捨 し て ﹁ 香 木 を 収 買 し 、 工 匠 を 召 募 ﹂ す る に 及 ん だ 。 こ の 工 匠 は 、 釈 迦 像 の 背 面 蓋 板 の 裏 に ﹁ 大 宋 国 台 州 張 延 皎 拜 弟 延 襲 雕 ﹂ の 刻 銘 、 ま た 反 花 座 表 に ﹁ 唐 国 台 州 開 元 寺 ﹂ の 刻 銘 が あ る と こ ろ か ら 、 台 州 の 張 兄 弟 で あ る こ と が 判 明 し た 。 さ ら に 釈 迦 像 の 胎 内 よ り 発 現 し 允 ﹃ 入 瑞 像 五 臓 具 記 捨 物 ﹄ の 末 尾 に も 、 完 成 の 日 付 を ﹁ 雍 熙 二 年 八 月 十 八 日 ﹂ と 記 し 、 つ づ い て 法 済 大 師 賜 紫 ( 自 著 ) 齎 然 録 造 像 博 士 張 延 皎 第5図 ﹁ 齎 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 一三
仏 教 学 会 紀 要 創 刊 号 三 二 勾 当 造 像 僧 居 信 と 明 記 さ れ て い る 。 造 像 の 責 任 者 が 張 延 皎 で あ る と 土 ハ に 、 開 元 寺 に お い て 造 像 の 事 務 に 当 っ た 僧 が 居 延 と い う 名 で あ る こ と も 、 判 明 し た 。 こ の 模 刻 は 、 ま さ し く 瑞 像 の ﹁ 様 に 依 り 彫 鏝 ﹂ し た も の で あ っ た 。 起 工 は 七 月 二 十 一 日 、 完 成 ( 畢 手 ) は 八 月 十 八 日 で あ る 。 な お 、 こ こ に 掲 げ た 文 書 に は 、 注 目 す べ き 一 文 も あ っ た 。 い か 雍 熙 二 年 八 月 初 七 日 、 造 像 の 次 、 佛 牙 を 像 面 に 入 れ 、 巳 の 後 時 に 至 り 、 佛 の 背 上 に 出 血 一 点 あ り 。 何 な る 瑞 か 知 み な れ ず 、 衆 人 威 見 る 。 故 に 此 に 之 を 記 す 。 こ れ ま た 奇 瑞 と い え る で あ ろ う 。 瑞 像 の 模 作 は 完 成 し た 。 畢 世 の 念 願 を 果 し た 齎 然 は 、 後 文 に お い て 感 懐 を 述 べ る 。 ま ず は 父 母 、 師 主 、 国 王 お よ び 諸 佛 よ り 受 け た る ﹁ 四 恩 ﹂ に 報 じ 、 つ い で 唐 土 の 皇 帝 、 本 国 の 国 主 が 、 そ れ ぞ れ 長 久 の 宝 寿 を 保 た ん こ と 、 そ し て 宋 国 の 人 士 た ち の 長 命 を 願 っ た 。 さ に ら 裔 然 は 、 今 月 ( 八 月 ) 一 日 よ り 、 発 心 し て 大 蔵 経 を 転 読 し 、 ま ず 大 宋 皇 帝 の 聖 寿 を 祈 る ほ か 、 帰 国 に 至 る ま で の 安 穏 を 願 っ た の で あ る 。 こ う し て ﹁ 既 に 願 心 を 満 ﹂ た し た 。 そ の 幸 せ を 悦 び 、 い ま や 瑞 像 が 完 成 ( 円 就 ) し て 、 胎 内 に 五 臓 を 入 れ る に 及 ぶ 。 こ こ に 入 れ た 絹 製 の 五 臓 六 腑 こ そ 、 釈 迦 像 の 修 理 に 際 し て 、 胎 内 よ り 発 現 し 、 内 外 を 驚 か し た も の で あ っ た 。 胎 内 へ の 納 入 品 に つ い て は ﹃ 入 瑞 像 五 臓 具 記 捨 物 注 文 ﹄ に お い て 、 品 目 を 寄 捨 の 人 名 を 掲 げ て い る 。 文 の 末 尾 に は 、 雍 熙 二 年 八 月 十 八 日 の 日 付 を 記 し 、 こ の 文 書 を 僧 鑒 端 が 、 齎 然 の ﹁ 為 め に 書 ﹂ し た も の で あ る こ と が 示 さ れ た 。
こ の 齎 然 の 文 書 は 本 来 、 瑞 像 の 胎 内 に 納 め る た め に 作 ら れ た も の で あ る 。 し た が っ て 、 い っ た ん 胎 内 に 納 め て し ま え ば 、 遠 き 将 来 に わ た っ て 人 の 眼 に 触 れ る こ と は 、 予 期 さ れ て い な い 。 つ ま り 自 己 以 外 の 他 人 に 対 し て 、 み ず か ら の 立 場 を 主 張 し 、 あ る い は 弁 明 す る 性 質 の も の で は な か っ た 。 佛 の 前 に 、 そ の 信 仰 を 吐 露 す る 性 格 の も の だ っ た わ け で あ る 。 他 人 の 目 に 触 れ る こ と を 予 期 し て 記 し た 日 記 の 類 と は 違 っ て 、 そ れ だ け に 衷 心 か ら の 覚 悟 を 伸 べ 、 真 実 を 語 っ て い る 、 と 見 な す こ と が で き る で あ ろ う 。 さ て 育 然 は 、 巡 礼 の 足 跡 と 造 像 の 由 来 を 述 べ 終 っ た 後 、 洛 陽 に 詣 っ て 密 教 の 学 を 修 し た 事 実 を 、 述 べ 忘 れ た こ と に 気 づ い た も の に 違 い な い 。 よ っ て 付 記 の 形 で 、 そ の こ と を 述 べ た 。 こ の 付 記 の 文 に は 、 洛 陽 に お け る 記 事 の み が 示 さ れ て い る が 、 恐 ら く は 洛 陽 か ら 長 安 に ま で 足 跡 を 伸 ば し た こ と で あ ろ う 。 出 国 の 前 に は 、 教 王 護 国 寺 か ら 青 龍 寺 に 宛 て た 牒 状 を 得 て お り ( 前 述 ) 、 空 海 ゆ か り の 青 龍 寺 に 参 詣 し た こ と は 、 当 然 考 え ら れ る と こ ろ で あ る 。 付 記 の 文 は ﹁ 去 年 六 月 十 八 日 、 洛 京 の 龍 門 に 参 じ ﹂ た こ と か ら 始 ま る 。 去 年 と は 雍 煕 元 年 で あ り 、 五 臺 山 を 発 し た の が 五 月 二 十 九 日 で あ る か ら 、 喬 然 は 五 臺 県 よ り 太 原 を へ て 洛 陽 に 、 そ し て 龍 門 に 達 し た の で あ っ た 。 龍 門 で は ﹁ 善 無 畏 三 蔵 の 真 身 を 礼 拝 ﹂ し た 。 こ の こ と は ﹃ 鵝 珠 抄 下 一 ﹄ の ﹁ 善 無 畏 事 ﹂ 条 に 引 用 さ れ た ﹃ 齎 然 在 唐 記 ﹄ の 記 事 と 、 相 応 ず る 。 日 記 の な か で も 、 奮 然 は 次 の よ う に 述 べ て い た 。 龍 門 山 讒 源 伊 水 の 北 に 向 ふ 流 れ 。 ○ 伊 水 の 東 西 に 多 く 三 蔵 大 師 等 の 墳 墓 あ り 。 西 山 に 広 化 寺 あ り 、 是 れ 真 言 の 祖 師 善 無 畏 三 蔵 の 建 立 な り 。 ○ 次 下 に 二 重 八 角 の 経 蔵 あ り 、 一 切 経 を 納 む 。 是 れ 西 川 王 の 書 写 し て 将 来 し 、 此 の 蔵 に 安 置 せ る な り 。 三 蔵 の 在 日 、 此 の 蔵 を 以 て 灌 頂 殿 と 為 す 。 没 後 、 経 蔵 を 為 す な り 。 蔵 の 傍 ら に 五 重 塔 あ り 。 塔 の 下 に 三 蔵 の 身 を 安 ん ず 。 全 身 散 ぜ ず 。 ○ 跏 坐 、 合 掌 す 。 已 上 ﹁ 齎 然 入 宋 求 法 巡 礼 行 並 瑞 像 造 立 記 ﹂ 考 11 111 1