インド哲学仏教学研究 05(199803) 005藤丸, 智雄「曇鸞の光明観に関する考察」
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(2) 存在のなかにまた輪廻することになってしまう」と仰った.そして観経を授けて,「これ. こそが偉大な仙人(仏)の術であり,これに依りて修行すれば,生死を解脱することがで きるだろう.」と仰った.曇鸞はすそに頂戴して,陶弘景に送られた仙方をすべて火にく べた.. 曇鷲は『大集経』の研究が原因で体を病み,神仙甲方術により長生を求めたが,この留支 との遥遠により浄土典籍を得て,浄土思想家へと転じていく.この曇鸞と陶弘景・菩提留支 をめそる物語は,途中梁の皇帝(武帝)との対話が挿入されている部分も含めると伝記中で 多くを占めており,雲鴛伝の中心的な題材の一つとなっている.神仙の側を代表として登場 する陶弘景は,伝記中の「江南の陶隠者は方術の集まり来っているところであり,(その方 術は)広範にして豊かであり,国内で尊ばれている」(「江南陶隠居者方術所帰,広博弘膿 海内宗重」[大正50,470戒小25])との記述や,「朝廷にたびたび招いても,役職に就こうと しない」(「此屡徴,不就任」[大正50,470b12])という梁の武帝の発言からもわかるよう に,当時の中国道教界を代表する人物である.道教では不老長寿に最高の価値を置く.この 長生に対するものとして仏教の解脱が挙げられている.両者の比較から長生が否定されてお り,道教の志向するものそのものが否定されることとなっている.具体的には『観経』が留 支から与えられ,結果曇鸞は浄土思想へ進むという物語の帰結となっている.物語に依れば, 雲鸞が浄土思想へ傾倒していく過程において,貴賓の長生志向が決定的な意味を持っていた, と言える・果たして,この物語を裏付ける材料が『論註』に見られるだろうか.先ず無量寿. に関する曇鸞の論述を,『論註』から採出して考察を行うこととする. 『論註』には,無量寿について以下の記述がある.. 無圭寿者,言無圭寿如来寿命長遠,不可思量也.[大正40,8独3■] 無量寿とは,無量寿如来の寿命が長く,思いはかることの出来ないことをいう.. これは,『無量寿軽便婆提舎願生僑』という題名を解釈した部分である.別の寿命に言及 した箇所を見ると以下のようにある.. 依舎衛国所説無量寿経仏解阿弥陀如来名号,何故号阿弥陀.彼仏光明無量,照十方国無 所障碍,是故号阿弥陀・又彼仏寿命及其人民無量無辺阿僧祇劫,故名阿弥陀.[大正 40,g27b2-6] 舎衛国にて説かれた『無量寿経』における仏の阿弥陀如来という名号の解釈によれば, 「どうして阿弥陀と名付けるのか・かの仏の光明が無量であり,十方の国を照らし妨げが ない・それ故阿弥陀と名付ける・またかの仏の寿命と,その(国土の)人民(の寿命)が 無量無辺阿僧祇劫だから阿弥陀と名付ける」とある. 阿弥陀という言葉について両義に解釈されており,寿命と光明の両面について意識されて いることは分かる・しかし,この箇所は先に挙げた箇所と同様に,名称を説明した部分であ る・この説明の後に「無碍光如来の光明が無量であり,十方の国を照らし妨げがないと言う のなら,この世闇の衆生はどうして光明を蒙っていないのか・」句と問答が続くが,問答の テーマは光明に限定され,無量寿については触れられない.つまり,一般的に阿弥陀の名称 の両義について説明した後に,光明の問題が本題として問われていくという形式になってい. -59-.
(3) る.寿命に関しては名称の説明に留まっており,それ以上踏み込んだ言及はなされない・ 又ここは,『論』の主題である五念門という浄土往生の修行法を説く部分でもある・中で も重要な意味を持つ讃嘆門に関する最初の説明である・『論註』に於ける五念門の占める位 置は非常に重く,またその間題の微妙さから,これから後もしばしば多くを割いて詳細な説 明が加えられていく.讃嘆門については,その名称の修行上に持つ意味という観点から,五 念門中でも特に精緻な解説が加えられていく.しかしながら,以降において讃嘆する名称に っいて問われるとき,名称の両義性に関して触れられることはない・即ち,無量の寿命に就 いては最初の説明で言い訳程度に触れられるだけであり,以降では阿弥陀の名称を問う場合, 寿命の意は無視され,両義の内の無量光のみを対象として論議するということになっている のである.. 以上の考察から,伝記中に物語られるような曇鷲の長生への憧憬の残淳を『論註』中に見 ることは出来ない.長生という道教的価値観から,生死そのものからの解脱という仏教的価 値観への曇鸞の転向までをも意味しているとしても,そのことを積極的に意図する記述は『論 証』中に見ることは出来ない. 以上,伝記の記事から寿命の問題を対比的に扱い,曇鴛の光明重視の傾向を考察した・寿 命についての注釈もあるにはあるが,それはあくまでも一般的な解説を行うに過ぎず・専ら 阿弥陀仏という名称のもう一方の意味である光明の義が重視されていることが分かる・. Ⅲ.垂鸞の光明理解と平等 以下に『論証』を考察する.その方法論として,畳駕の独自性を鮮明にするため,最初に 『論』中の光明に関する記述を見ていく・その作業を経た上で,曇鸞の注釈そのものを見て ゆく.それが『論』の内容に沿ったものか,貴賓の独創的な見解を含むものかに分類する・ その上で,暴発が独自に盛り込んだと思われる内容を抽出し,その意図を探ることとする・ 1.『論』中の光明 1-1.『論』中の光明に関する用例 『論』は,大正で二頁余りほどの非常に短い作品である乃・この短編中に光明に関して以下 の記述がある.. a相好光一尋,色像超群生.[大正26,刀Ia17,232戒1-22,大正40,S31c23,839b19-20] よい姿の光は一尋であり,姿形は生けるものたちを超え出ている・. b.浄光明満足,如鏡日月輪.[大正26,230c24,231c12,大正40,$2$c19,g37a8-9] 清らかな光明がくまなく満ちており,鏡・太陽・月の(光の)輪のようである・. 。.無垢光炎軋明浄曜世間.[大正26,230c25,231c14-15,大正40,829a7,837a柑-19] 汚れのない光炎は強く,明るく清らかに世界を照らし出している・. d.仏恵明浄日,除世痴暗冥.[大正26,231a7231c24-25,大正40,$30al,83S軌10] (阿弥陀)仏の智恵である,明るく清らかな太陽は,世の轟かさの暗闇を除く・ e.安楽国清浄,常転無垢輪,化仏菩薩日,如須弥住持.[大正26,231a2`-27,232b9-10,. 大正40,833a19-20,糾1al-2]. -60-.
(4) 安楽国は清浄であり,常に汚れなき法輪を転じており,化生の仏・菩薩の太陽は須弥山 の不動なるがごとくである.. £無垢荘厳光,一念及一時,普照諸仏会,利益諸群生.[大正26231a2g-29,大正 40,S33M-5,糾1alふ17] ととのえられた汚れなき光は,瞬く間に仏の集まりを残らず照らし出して,集うものた ちに恵みを与える.. g二者,応化身,一切時不前不後,一心一念,放大光明,悉能遍至十方世界,▲教化衆生.. 種種方便修行所作,滅除一切衆生苦故.[大正26,232blト15,大正40,糾1a14-16] 二は,その応化身があらゆる時に,前後なく,思うまもなく,大光明を放ち,十方の世 界にあまねく行き渡り衆生を教化する.様々な方便により修行して行うところは,衆生の すべての苦しみを滅し尽くすことだからである.. b・云何讃嘆.口業讃嘆.称彼如来名,如彼如来光明智相,細彼名義欲如実修行相応故.. [大正26231b15-17,大正側,$35blO-14] どのように讃嘆するのか.口業により讃嘆する.その如来の名を称え,その如来の光明 という,智恵の相そのままに,その名の意味するところそのままに,正しく修行し一致し ようとするためである.. i・入第二門者,以讃嘆阿弥陀仏,随順名義,称如来名,依如来光明智相修行故,待人大 会衆数.是名人第二門.[大正26,233a11-13,大正40,糾3b5-7] 第二門に入るとは(何か).阿弥陀仏を讃嘆し,名の意味するところに従う,(すなわ ち)如来の名を称え,如来の光明である智恵の相に依って修行することで,大会の人々の 中に入ることが出来る.これを第二門に入るという. 重複して用いられている用例があり,のべにすれば十五例となる‡).非常に短い『論』中. に十五例もの用例があり,浄土を表現する上での重要な特長として光明を用いていることが 分かる. ト2.三種の荘厳に基づく分類 『論』は,備と偶を含む注釈部分の二部構成になっており,基本的に五念門という修行形. 態を主題としている.その五念門中の観察門について多くを割くが,観察門で説明される内 容とは,修行者が浄土を観察する上で対象となるもの,すなわち法蔵菩薩の誓願と修行によ り調えられた阿弥陀仏の国土(阿弥陀仏国土荘厳功徳)・阿弥陀仏(阿弥陀仏荘厳功徳)・ 菩薩(菩薩荘厳功徳)の三つの描写である.二部構成の前半部分(偽)のほぼすべてがこの 描写に費やされており,塁鸞の注釈もこれに対して多くを割いている.先ず,この三種類の 描写に基づき先の用例を分類すると以下のようにな.る. 阿弥陀仏国土荘厳功徳:b,C,d. ト一億察門 三種の荘厳-(阿弥陀仏荘厳功歓a. )五念門. 菩薩荘厳功徳:e,ちg. その他:b,i(讃嘆門に対する説明) 以上が三種の荘厳を基にした分類である.hiについては,讃嘆・称名という修行法に閲す. -61-.
(5) るものであり一旦除外する.e,£gについても浄土にいる菩薩の位置付けを充分に考察した上. で論ずる必要があり,一旦考察の対象外とする. 1-3.用例の内容による分類 先の分類(1-2)の結果,五例を一旦考察の対象外とした.残りは四例(のべ八例)である・ その光明の描写の内容を,いくつかの分類の基準となる指標を選び,以下のように分類した・ 国土 阿弥陀仏 作用. 様態. d. 癖(という暗冥)を除く 明るく浄らかに照らす 超越 普遍 智恵との-敦. b,C,d a. b d b,C,d. 清い 太陽他との類似. b d. 太陽. 先ず作用と様態との二種類に分け,更にそれらを細かく分類した.以降では,この中の作. 用の側面に焦点を当てて分析する.すなわち,『論』に見られる「疲(という暗冥)を除く」, 「明るく浄く照らす」という作用と貴賓注釈中の光明の作用との比較を行う. 2.曇鸞の光明のはたらきに対する注釈 2-1.除闇の例. 先ず,『論』の内容と一致するものを検討する・ 是故願言使我国土所有光吼除世療闇,入仏智恵,不為無記之事.亦云,安楽国土 光明,従如来智恵報起,故能除世痴闇冥.経言,或有仏土,以光明為仏事,即是此也・ [大正40,S30a3-7] このため次のように誓願した.「私の国土にある光明が,世界の疲の闇を除き,仏 の智恵に入らせ,無記のこととならないようにする」と.また,安楽国土の光明は, 如来の智恵より生じ,そのため世界の暗闇を除くことができる,という・経に「光明 が仏事をなしている仏土もある」と述べているのは,このことである・ 彼土光明,如来智恵報起.触之者,無明黒闇,終必消除[大正40,83ぬ10-11] かの土の光明は,如来の智恵より生じた.これに触れれば,無明の黒闇は必ず消滅 することとなってしまう.. これらは,『論』の「仏恵明浄日.除世痴闇冥」に対して施された注釈である・両者は, 内容については一致している.具体的には,阿弥陀の国土の光明が如来の智恵により生じ たものであり,そのため世間の痴の黒闇を取り除くことが出来るという理解を提示してい. る.先の『論』中の光明に関する分類で見れば,「痴(という暗冥)を除く」に該当し, 『論』の説く内容と一致している. 如彼如来光明智相者.仏光明是智恵相也.此光明照十方世界,無有障碍,能除十方. 衆生無明黒闇,非知日月珠光但破空穴中闇.[大正40,835b15-17] かの如来の光明という智恵のあらわれのようにとは.仏の光明は智恵のあらわれで たものである.この光明はすべての世界を照らし,障碍がなく,すべての人々の無明 -62-.
(6) である黒闇を除き,日光・月光・珠の光が空穴の中の闇を破すといったようなものと は異なる.. これは,五念門の讃嘆門「云何讃嘆,口業讃嘆.称彼如来名,如彼如来光明智相,如彼 名義,欲如実修行相応故」に対しての注釈である.全体としては,讃嘆門という修行法の 一段階を示すものであるが,ここに引用した部分は「如彼如来光明智相」という部分に着 目し,光明とはどのようなものであるのかという点について注釈している9).作用その ものは,「すべての人々の無明である黒闇を除く」のであり,先の例と同様に『論』の内 容と一敦している. 其光曜事,則映徹表裏,其光曜心,則終尽無明.[大正40,837a19-20] その光は事を照らすと,表裏に輝きとおり,その光は心を照らせば,ついには無明 を尽くす.. これは,「無垢光炎胤明浄曜世間」に対する注釈である.事象の表裏に光の行き届 く点が説かれている一方で,先に引いた例と同様に痍を除くことが説かれている.10) 以上,四カ所を引用した.これらはすべて『論』の「疲(という暗冥)を除く」はたら きを中心として注釈されており,『論』の内容から離れない.よって,これらの例は曇鷲の 独自性を示すものとは言えない. 2-2.平等に関する用例 次に,`平等'という言葉を用い注釈しているものを取り上げる.. 見有国土,優劣不同・以不同故,高下以形.高下既形,是非以起.是非既起,長 冷三有・是故興大悲心,起平等願,願我国土光炎職盛,第一無比,不知人天金色, 能有奪者.若為相奪.細明鏡在金辺則不現….他化自在天金,比安楽国中光明. 則不現.[大正40,$29a長一23] ある国土をみると,優劣不同である.同じでないために,上下があらわれる.上 下があらわれてしまえば,是非が起こる.是非が起こってしまうと長く三界の存在 にしずむ.このため,大悲の心をもよおし,平等願をたて,「私の国土の光菅は強 く,最高で並びうるものがなく,人天の金色はその光を奪うものがあるが,そのよ うにはならないように.」と願った.(輝きを)奪いあうとはどういうことか.た. とえば,よく映し出す鏡を金の側に置けば(鏡の光は)あらわれない….他化 自在天の金は安楽国土の光明にならべれば(光は)現れない. これは,「無垢光炎蛾. 明浄曜世間」に対しての注釈である.先ず,相対的な世界のあり. 方(優劣,高下,是非)が三界にしずむ原因となっていることを憐れんで法蔵菩薩が誓願を 起こしたことを説く・ついで,誓願により成就した安楽国土の様子が説明されている.注目 すべきは,法蔵菩薩が立てた誓願に`平等'という言葉が冠せられている点である.その願 の具体的な内容は,国土の光明が第一無比で,その光が何ものかに輝きを奪われるようなも のでないようにというものである.実際に続く箇所で,具体的に様々な光明が比較されてゆ き,安楽国土の光明がそれらの一切の光に輝きを奪われない最高のものとして位置付けられ る・安楽国土の光明は,一切の光を超出しており比較するものがないことになり,その結果. -63-.
(7) 得られた`平等,である.ここで,平等願という言葉が用いられているものの,その結果得. られた浄土の描写には浄土において何ものかと何ものかが等しいとか,一切が等しいという 記述を見ることは出来ない.一方で,浄土の光明が他の人天の光明を超越しているという点 が説明されるにすぎない.少し立ち戻ってみると,`平等'の誓願そのものの具体的な内容 は,「能有奪者」の否定である.つまり,前提として優劣・高下・是非といった相対的な 世界のあり方を否定しており,浄土の`平等'はその世界内においても存在相互の`平 等,として成立しているのだが,それだけでは不十分なのである.他の一切に超越して いることで成立している完全な`平等'である.浄土内の光明によりもたらされる`平 等,は,浄土外の輝きを超えることにより支持されているのであり,超越しているとい う価値観を伴って成立している`平等'である.. 一得生彼,無咲忍之殊,人天色像,平等妙絶,蓋浄光之力也.[大正40,837alO-11] ひとたびそこに生まれれば,咲りをもつものと忍ぶことを身に付けたものとにあ るような相違はなく,人天の姿形は平等で優れているが,それは浄らかな光による のである.. これは,「浄光明満足. 如鏡日月輪」に対する注釈である.先に引用したものは,光明を. 有する国土という視点で注釈され,ここでは国土に生まれたものを対象とした注釈である. その優れた姿について「平等妙絶」と表現されている.妙絶とは優れており,かけ離れて いるという意味である11).`平等,であることとかけ離れていることの二つが併記され るのは,先の`平等,を第一無比とした例と共通しているとも見られるが,端的な表現 となっており,結論は出ない.ただ,光明を蒙った効果について`平等'を用いて注釈 する点については,この箇所も第一の用例と共通している. 如是等衆生,見阿弥陀如来相好光明身者,如上種種身業繋縛,皆得解脱,人知来 家,畢尭得平等身業.[大正40,839b29-C2] これらの衆生は,阿弥陀如来の容姿に光明を持つ身体を見れば,上述のような様々 な身体のはたらきの束縛から,みな解脱することが出来,如来の家に入り,遂には 平等な身体のはたらきを得る. 是衆生若遭阿弥陀如来平等光照,著聞阿弥陀如来平等恵美,是等衆生,如上種種. 意業緊縛,皆得解脱,人知来家,畢尭得平等意業.[大正40,839b12-15] この衆生は,阿弥陀如来の平等な光照に遭ったり,阿弥陀如来の平等な意のはた らきを聞けば,これらの衆生は上述の様々な意のはたらきの束縛から,みな解脱す ることが出来,如来の家に入り,遂には平等な意のはたらきを得る. これは,仏の荘厳を身・口・意の三業として注釈している箇所の,身業と意業に関す る説明であり,説明の形式は対応している.「相好光一尋.色像超群生」を注釈した身業 の説明では,阿弥陀仏の光明を見ることで平等身業を得るとあるが,`平等'が具体的 に何を意味するかは示されない.平等身業という表現はここで用いられるのみで,その意 図するところは不明確である. ただ,この`平等'な身業に関連すると思われる箇所がある.. -64-.
(8) 即見彼仏,未証浄心菩薩,辛夷得平等法身.輿浄心菩薩輿上地請書薩,畢真岡得. 寂滅平等故.[大正40,糾Oa17-19] すなわちかの仏を見れば,まだ浄心を証していない菩薩が,最終的に平等法身を 獲得する・浄心の菩薩と上地の菩薩たちと遂には同じく寂滅平等を獲得するからで ある.. この中の「見彼仏」は「見阿弥陀如来相好光明身者」に相当する.その結果としての 境地を「畢尭得平等法身」と表現し,先の例の「畢尭得平等身業」と対応する.両者の表. 現は対応関係にあり,仏の姿を見た菩薩の変化に廃する『論』の記述を,曇鷲が仏のはた らきを注釈する中で用いたと考えられる・それでは,具体的に「平等法身」について曇鸞 はどのように理解するのか・『論註』を見ると,菩薩の様々な活動が提示されている.「一. つの場所に留まりながら,同時にあらゆる世界に行って一切の諸仏とその会座を供養する こと」,「無量の仏・法・僧のいないところにて様々な姿であらわして教化し一切の衆生. を救いだし,常に仏事をなしていること」u)が具体的な内容である.そして,こうした 活動が往来しよう・供養しよう・救おうという想念なくして行われるから,この活動を行 う身体を平等法身と名付けるとしている13)・平等法身とは,こうして浄土に生まれて阿 弥陀の姿を見た菩薩のあり様のことを意味しており,平等身業も同様に理解されうる. 次に平等意業であるが,これについては引き続き問答形式で説明される.その問答の 中で,「凡心有知,則有所不知・聖心無軌故無所不知.無知而知,知而無知也」[大正 40,糾Oa]と説く・これは,藤堂恭俊氏の指摘があるように14)僧肇の影響下にある.こ の聖心・聖智と呼ばれる智は,「すべての分別戯論の止滅せる無分別にふみとどまること なく,分別戯論の世界へのはたらきをもつものであり」1月とあるように,積極的にはた らきかけていく智である・しかも,「知ることなくして知る」と表現し,知るという限定 がはずされ,分別知ではなく無限定の一切知となってはたらくものであるⅠ`).また,平 等意業は,`平等,な光照に遭う,もしくは阿弥陀の平等意業を聞くことによりもたら される・つまり,阿弥陀の側も`平等,であり,はたらきかけを蒙る側も`平等,とな るわけである.. このように,阿弥陀仏の光照に遭うことにより内的な変容がもたらされ`平等,な智 恵が獲得され,具体的には僧肇の影響下にある聖心という,無分別でしかも積極的に分別 戯論の世界へ等しく普遍にはたらきかけていく智恵を獲得するのである. 以上,光明と`平等,が関連して用いられている四つの箇所について分析した.それ らを簡潔に列挙すれば以下の如くである. ・安楽国土の光明は,平等願によりもたらされた無比の輝きである.またそのことに より,安楽国土において三界に沈む要因となる分析的な価値判断は起こらない. ・浄土に生まれるものは光明を受け,`平等,で超越した姿となる. ・阿弥陀の光明を受けたものは,`平等,な法身を獲得し・平等,な身体のはたらき を得る・すなわち想念なくして不動のまま同時に一切の場所ではたらきをなす. ・阿弥陀の`平等,な光明を受けたものは,`平等,な心のはたらきを得る.`平等, -65-.
(9) な心のはたらきとは聖心であり,分別する智ではなく,世界に等しく普遍にはたら きかけていく智である.また,それは阿弥陀の智でもある・ このように`平等,が光明に関する注釈の中で用いられている・その意味は多岐に分 かれているようだが,この四つに箇条書きした内容を更に分析すれば,前の二つは浄土と. そこに存在するものの琴しい姿を説明することに用いられており,しかもそれが,超越性 と関連している点でも共通している.後の二例についても共通点がある・これらは身・口・ 意の三業中の二つとして説明が加えられており,身業・意業の両者は,光明を蒙ることに ょり最終的に想念・分別なき身業・意業を獲得する・具体的には,両者共に静的なもので はなく,はたらきかけていくものとなっている・. このように,光明によりもたらされるものは`平等,により一括りにされる・`平等' の内容という点から見れば,浄土内存在の美しさの無比と等質性,無分別な軌一切に普 遍に作用するはたらきを表現している. もともと光明に関して『論』の中で`平等'が用いられることはない・それに対して, 上にまとめたように光明の作用を統べるものとして曇鸞は`平等'を利用していること が明らかになった.これは,曇鸞の独自性が色濃く出た注釈内容と言える1刀・. Ⅳ.『讃阿弥陀仏僑』における光明・平等の理解 曇鸞の著作の中心となっているのは『論証』であるが,『論註』以外に『略論安楽浄土 義』・『讃阿弥陀仏偶』の二書が現存しているほ)・両書の内『讃阿弥陀仏偽』は曇駕の 光明観を理解する上で重要な意味を持つ.『讃阿弥陀仏偶』は基本的に七言の偽からなり, 阿弥陀仏とその浄土,及び浄土にあるものを讃歎する内容となっている・この中で曇鸞は, 『無量寿経』の中の十二光を援用して阿弥陀仏を賞嘆する.十二の光明は,無量光・無辺 光・無碍光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智恵光・不断光・難思光・無称光・超日 月光である19).この十二の光明一つ一つに対して,七言四句で讃歎する・十二の名称に 関連づけて阿弥陀の光明が賞嘆されるのだが,その中には自ずと塁鴛の光明に対する理解 も見えてくる.この『讃阿弥陀仏偽』の中にも`平等'がニカ所に見られる・ 解脱光輪無限斉.故仏又号無辺光.. 蒙光触者舐有無.是故稽首平等覚.[大正47,421aト2] 解脱をもたらす光輪は限りがない.それゆえまた無辺光と呼ぶ・ 光を蒙り触れた者は,有無を離れる.それゆえ,平等なる悟りを持つものに地に頭 をつけて敬礼する. これは,十二光中の第二の名称である無辺光についての偶である・ここに登場する`平 等,は,有と無の二つを離れることを意味している・『論註』の中に見られる`平等' の用法に照らし合わせれば,平等意業の例に当てはまる・平等意業については,「阿弥陀 如来の平等な光に遭ったり,阿弥陀如来の平等な意のはたらきを聞けば,これらの衆生は 上述の様々な意のはたらきの束縛から,みな解脱することができ」20)とあった・この中 の「上述のような意のはたらきの束縛」とは,「邪見により心に分別が生じる・有だ無だ -66-.
(10) とか,是だ非だとか,美しい醜いだとか,善いとか悪いとか,これだあれだといったよう に様々に分別する.分別するから長く三界に沈み,様々に分別する苦しみ,取捨する苦し. みを受れ久しく長大な夜に眠り込んでしまい,抜け出す時がない」2Ⅰ)とある.こうし たあり様の逆が,平等意業である.ここでいう平等覚は有無を離れることを内容とするの だから,平等意業の別表現といえる. 安楽声聞菩薩衆,人天智恵成洞達. 身相荘厳無殊異,但順他方放列名. 顔容端正無可比,精微妙躯非人天,. 虚無之身無極体.是故頂礼平等力.[大正422a19-22] 安楽国の多くの声聞・菩薩・人天の智恵は,すべて透徹している. 容姿の厳かさは差異がなく,ただ(かつていた)他の場所によって名を分けている だけである.. 顔かたちも調っていて比べるものがなく,細やかで言い表しようのない美しい体は 人天の細くではなく,. 虚無の身体にして,際限のない身体である.それゆえ,平等な力に頂礼する. これは,十二光に関するものではないが,`平等'という表現が用いられている.光 明との関わりから見た`平等'は,どのような意味を持っていたのだろうか.『論註』 の分析をもとに先に整理したものに依れば,浄土内存在の美しさの無比コ),分別しない 心のはたらきっ),浄土内存在の等質性24),諸世界に普遍に作用するはたらきっ)の四点 である.この`平等'の四つの内容を踏まえた上で引用した部分を見れば,互いの内容 が一致していることが分かる.「顔容端正無可比,精微妙躯非人天」は浄土内存在の美し. さの無比と一致する.『論註』の「第一無比」「不知人天金色」[大正40,829a12]とい う表現とも一致する.「身相荘厳無殊異,但順他方故列名」は等質性を意味している.最 後の「虚無之身無極体」については,以下に検討を加える. この箇所は,『無量寿経』の「其諸声聞菩薩人天,智慧高明神通洞達,威同一類形無 異状,但困順鈴方,故有人天之名.形貌端正超世,容色微妙非天非人,皆受自然虚無之身. 無極之体.」[大正12,271c6-10]を下敷きにしている.この中に浄土内にある様々な名 を持つ存在が等質であり,超世していることが説かれている.「虚無之身無極之体」とい う表現もそのまま出てくる.「無極」を曇鸞はどのように理解したと考えられるだろう.. 同じく『無量寿経』の表現を分析すれば,救済・神通というはたらきの無限(「示現滅度, 趣済無極」[大正12,266戒3],「光顔魂魂,威神無極」[大正12272cll],「感動十方, 無窮無極」[大正12プ75b柑]),光明の無限(「無量光炎,照曜無極」[大正12271a6]) その他(「達空無極,閑人泥垣」[大正12,275blg],「後生無量寿仏国,快楽無極」[大 正12,275c9-10])であり,曇繋が阿弥陀のはたらきを象徴するものとして光明を理解し ていることを考慮すれば,「無極」という表現についてはたらきを表現したものと解釈し. たと言える.「無極の体」は(虚無でありつつ)無限にはたらくことを意味するのであり, この部分も四点中の諸世界に普遍に作用するはたらきに該当することとなる.. -67-.
(11) 以上の分析から,この箇所は『無量寿経』の内容を受け,それを「平等力」という表 現で括っており,描写されている内容は『論註』内で`平等'が意味したものと整合し ていることが分かった.以上『讃阿弥陀仏偶』の`平等'を用いた二箇所を検討し,そ れらが『論註』の`平等'の内容と一致することを確認した.. Ⅴ.結論 『論註』を元に曇鸞の光明観についての考察を行った.それにより曇鸞の光明理解に は`平等'という概念が重要な役割を担っていることが明らかになった.『論』では光 明と関連して`平等'が用いられることはないが,『論註』■では多く光明との関連で用 いられる.その`平等'の意味するものは,第一に浄土内存在の美しさの無比,第二に 分別しない心のはたらき,第三に浄土内存在の等質性,第四に諸世界に普遍に作用するは たらきである.このことは,『讃阿弥陀仏偶』でも確認され,『無量寿経』に発想の源流 があることも分かった.それでは,`平等'は何故光明と関連して用いられたのか.こ れまでの考察から`平等'が光明を括る概念として用いられたことによる効果は三つあ る.第一に仏のはたらきの無分別・普遍なることを表現し得ていることである.第二には, 浄土の美しさ・輝きに意味を付与し得た点である.『論』に様々に荘厳された具象の浄土 が説かれるが,その美しさ・輝きは無比であることにより相対的なあり様を離れ,結果と して相対的な分別が起こらなくなっでいる,という意味を与えられている.浄土の光明は, ただそこにあるものを美しく輝かせるだけではなく,何ものもその輝きを奪えない光明で あることにより,分別する価値判断の余地のないものとなっているのである.第三は,そ れら光明のはたらきを`平等'により統べ括ることができたという点である. 以上のことが考察により明らかになったが,区別して考察した`平等'と除闇の関係, 十二光の全体的な理解,名称としての光明といった問題については言及するに至らなかっ た.別の機会に改めて考察することとする.. 〈略号及び使用テキスト〉 大正. 『大正新偉大蔵経』. 『論』. 『無圭寿軽便波提舎』(大正No.1524,巻26,230-±33). 『論註』『無量寿経優波捷舎願生偶註』(大正No.柑19,巻40,S26-8羽) [...]. 大正新傭大蔵経該当箇所. (…). 補足. `…'. 強調. (注記) 1)阿弥陀仏という名称は一つには光明を意味しており,必然的に光明の問題は重要な 問題として浮かび上がってくる. 2)[大正50,470a13-C15】. -68-.
(12) 3)時夫志学,便往尋蔦,備覿遺縦.心神歓悦,便即出家,内外経籍,具陶文理,而於 四論仏性蒲所窮研・読大集経,恨其詞義深密,難以開悟,因而注解.文言過半,便感. 気疾,権停筆功,周行医療.[大正50,470a14-19] 4)命惟危脆,不定其常[大正50,470妃2] 5)因即辞還殊境,欲往名山依方修治,行至洛下,連中国三蔵菩提留支.[大正 50,470b23-25] 6)問日,苦言無碍光如来光明無量,照十方国土無所障碍者,此間衆生何以不蒙光照.. 光有所不照,豊非有碍耶・答日,碍属衆生,非光碍也.[大正40,$27M-9] 7)[大正26,230c-233a] 8)『論』は二部構成になっている.前半部分(曇軋ま,前半部分を総説分とし,後半. 部分を解義分と呼ぶ)は偽を中心としており,後半部分は五念門という浄土往生の方 策の解説をその主たる内容としている.偽の内容は,極く一部を除き観察の対象とな. る浄土とそこにある存在(仏・菩薩)の荘厳である.五念門中の観察門の対象である ため,これらの内容は,後段で五念門中の観察門の内容として再び登場する.そのた め,前半部分と後半部分で偶の多くは重複して用いられている.aからほでは,こ れに相当し『論』で二箇所ずつ用いられている.. 9)先に引いた二例と異なり,阿弥陀の光明そのものの注釈だが,先の用例[大正 40,83083-7,838alO-11]は共に国土の光明が阿弥陀の智恵より生起しているとあり, 両者の因果関係が重ねて説かれており,両者の関係は分けては考えられない. 10)光明のはたらきが事と心の二者に同時にはたらくことが説かれる点に特徴がある. 11)妙絶に就いて,『漢語大詞典』(漢語大詞典出版社,2273)に「精妙絶倫」の意と している・「絶倫」とは同等のもののないことである.用例としては,南朝・斉・陸 蕨『奉答内兄希叔』「青書瑚軌賦歌能妙絶」が挙げられている. 12)能一処一念一時遍十方世界.種種供養一切諸仏及諸仏大会衆海.能於無量世界無仏. 法僧処・種種示現・種種教化・度脱一切衆生.常作仏事.[大正40,8側道4-27] 13)初無往来想・供養想・度脱想・是故此身名為平等法身.此法名為寂滅平等法也.[大 正40,糾Oa] 14)藤堂[1956]参照 15)藤堂[1956]379参照 16)詳しくは,藤堂[1956],藤丸[1卵6]参照 17)貴賓が「聖心」を用いていること自体が,独自性を強く打ち出しているものといえ る・僧肇の思想を借りて理解しなければならなかった点について藤堂氏は「『論註』 が世親的理解に開くるところがある」として,当時の曇鷲を取り巻く地理的・時代的. 状況が世親の思想を充分に理解するには厳しいものがあったことを指摘している.(藤 堂恭俊[1956]参照) 柑)『続高僧伝』によれば,『調気法』を著したとされている・又,『隋書』「経籍志」. ー69-.
(13) には『療古癖雑丸方』『論気治療方』を挙げ,『旧唐書』「経籍志」には,『調気方』. を挙げているが,相当する書は明らかではない.『雲及七義』には『鸞法師服気法』 という書がある.野上俊静氏は,曇鸞作と推測している.(野上[1970]54参照) 19)是故無量寿仏号無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・ 歓喜光仏・智恵光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏・其有衆生,遇斯. 光者,三垢消滅,身意柔軟,歓喜踊躍善心生焉・[大正12,270妃8劇] 20)是衆生若遭阿弥陀如来平等光照,著聞阿弥陀和束平等意業,是等衆生,如上種種意. 業繋縛,皆得解脱,人知来家,辛夷得平等意業.[大正40,$39b12-15] 21)以邪見故,心生分別・若有若無,若非若是,若好若醜,著書若悪,若彼若此,宥和 是等種種分別.以分別故,長清三有,受種種分別苦,取捨苦,長寝大夜,無有出期・. [大正40,$39c含-12] 22)起平等願.願我国土光炎俄盛,第一無比,不知人天金色,能有奪者・若為相奪・[大 正40,829alO-12] 23)以邪見故,心生分別.若有若無,若非若是,若好若軋若善若悪,若彼若此,宥和 是等種種分別.(中略)是衆生若遭阿弥陀如来平等光照,著聞阿弥陀如来平等意業, 是等衆生,如上種種意業繋軌皆得解脱,人知来家,畢責得平等意業・[大正40,g39b8-15] 24)見有国土,優劣不同・以不同故,高下以形・高下既形,是非以起・是非既起,長清. 三有.是故興大悲心,起平等願∴[大正40,g29a8-11] 25)能一処一念一時遍十方世界・種種供養一切諸仏及諸仏大会衆海・能於無量世界無仏. 法僧処.種種示現.種種教化.度脱一切衆生.常作仏事.[大正40,$40a] (参考文献) 横超慧日. [1970]『北魂仏教の研究』,京都:平楽寺書店・. 真宗教学研究所. [1972]『浄土論註総索引』.. 藤堂恭俊. [1956]僧肇と曇鸞,『印度学仏教学研究』小2,糾-72・. 野上俊静. [1970]『中国浄土三祖伝』,京都:文永堂・. 幡谷明. [19$9]『曇鸞教学の研究』,東京:同朋舎出版社・. 早島鏡正・大谷光真. [19$7]『浄土論註』,東京:大蔵出版社.. 藤丸智雄. [1996]曇鸞と僧肇一不思議の語をめそって-,『印度学仏教 学研究』朝一2,74-76.. 論註研究会. [1996]『曇鸞の世界一一雀生論註の基礎的研究-』,京都:永 田文昌堂. 1997.12.31稿 ふじまる. -70-. ともお. 東京大学大学院博士課程.
(14) Tan-1uan'sUnderstandingofAmida,sLight. FUJIMARU,Tomoo. InfinitelightisoneofthemostsigniBcantcharaCteristicsofAmida.Becausehislight CloselyrelatestothemethodsofgoingtohisPureLand,namely,theactofinvokinghisname. (cheqg-m加g称名)andthatofmeditatinguponhim(nibnb念仏),mOStearlierstudieshave focusSedonthisaspectofAmida'slight・nispaper,however,arulyzeshowTan-luan(曇鷲, 476∼542),a血mousthinkerofthePureLandteachings,understoodAmida,slightitself Withouttouchingupontheissuesofchengmihgandn坤. Tan-1uanisuniqueinthatheusesthetermequaHD7tOe叩1ainAmida,slight.Thisis apparentinhismainwork,theWhlibngshouj吻yo呼OtLsheyuanshengjiezhu(無量寿経優婆 提舎願生偶註)・Hegivesfour・meaningsforthisword・Thefirstmeaningisthatthelightin Amida'sPtlreLandcannOtbecomparedwithanythingelseintheworld;hislightisalmighty. Amida'slightbrightenshisLmdandeverythinginit,andnothingiscapableofdimmingits brightncss・Thesecondmeaningisthatin伽encedbyAmida,sactofequal-brightness(Pingdengguan-Zhao平等光照),thosewhoarebominthePureLandwi11nolongerrecognizethings relatively;COnCeptSSuChas以goodornotgood,,,"blackorwhite,"or"existenceornonexistence,,wi11nolongerexist・Thethirdmean1ngisthata111ivingthingsinhisLandwill. becomeequalthroughhislight・ThefourthmeaningisthatAmida,slighta銑ctseverything equallyatthesanetime.. Tanー1uanalsousesthetermequalio,inthesameWqyaShedoesinthemLliangshou. jわ紗OZPOtisheyuanshe曙jiezhuinhisworkthe2bnAmituqわjie(讃阿弥陀仏偶).Ananalysis OfhowthetermisusedinthisworkhムsmadeitclearthatitsoriginliesintheWhliawhouJing. (無量寿経).. -105-.
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