Ⅰ 問題と目的 学習障害とは,基本的には全般的な知的発達に 遅れはないが,聞く,話す,読む,書く,計算す る又は推論する能力のうち特定のものの習得と使 用に著しい困難を示すさまざまな状態を指す(文 部科学省,1999)。このうち書字障害は,書く技 能が顕著に困難であり,かつそれが知的水準や感 覚入力などに起因しない状態を指す。 書字障害は音韻と正書法の規則性,形態的複 雑さによって影響を受ける。日本語はひらがな, カタカナ,漢字という3種類の正書法注1)を使用 し,正書法の規則性や形態情報の特徴がそれぞれ 異なる。したがって日本語の書字に困難を示す事 例の報告は,漢字とカタカナ(橋本ら,2006; 倉内ら,2012;中山ら,2009;酒井ら,2002; 宇野・上林,1998),漢字とひらがな(金子ら, 1997,1998),漢字とカタカナ,ひらがな(玉村 ら,2009;宇野・上林,1998)など複数の正書法 で書字困難を示す場合と,漢字に特異的な書字困 難(宇野ら,1995,1996)を示す場合がある。 本邦における読み障害を伴わない漢字の書字 障害の事例報告は宇野ら(1995, 1996),橋本ら (2006),中山ら(2009),玉村ら(2009)などが ある。そのような漢字の書字障害の要因として, 宇野ら(1995, 1996),玉村ら(2009)は漢字形 態の視覚認知障害あるいは視覚認知障害と想起障
Michiru Iwata, Ryusaku Hashimoto, Kazuyori Yagyu, Harumitsu Murohashi: Orthographic Working Memory Deficits in Kanji Specific Developmental Dysgraphia: Analysis of Kanji Structures and Elements
1)北海道大学大学院教育学院 2)北海道医療大学 3)北海道大学病院 4)札幌学院大学 注1)音を文字列に変換する際の規則。ある言語を書き表すた めの表記法で,その数は言語によって異なる。英語の場合はア ルファベット文字による表記法に限定されるが,日本語では複 数の表記法の体系が用いられている。
漢字に特異的な書字障害における
正書法ワーキングメモリー障害の検討
―構造と要素の分析から―
岩田みちる1)・橋本竜作2)・柳生一自3)・室橋春光4) キーワード:書字障害,漢字,構造,要素,正書法ワーキングメモリーKey words: developmental dysgraphia, kanji, structure, element, orthographic working memory LD 研究,Vol.29 No.2, 145-153, 2020 〈要旨〉これまで漢字の書字障害に対して,視覚認知障害,視覚認知障害と想起障害,漢字をまとまりと して学習する方略の欠如,視覚情報の保持障害など,さまざまな仮説が提案されてきた。これらの障害仮 説に合致しない漢字の書字障害を呈した児童の障害機序を検討した。漢字の親密度を統制し,漢字の「要 素」が他の漢字に含まれる共有性を操作した書字課題を実施した。その結果,木偏など「要素」を共有す る漢字が多いほど修正を繰り返すことが確認された。このことから,本児の書字障害の背景には,漢字の 「要素」の共有性によって形態情報の競合が生じることで保持と処理が困難になる正書法ワーキングメモ リ―の弱さが疑われた。漢字の形態情報を共有する他の漢字の多さによって生じる干渉が,正書法ワーキ ングメモリ―の処理負荷に影響した結果,漢字に特異的な書字障害が生じた可能性がある。 資 料
害を挙げ,橋本ら(2006)は漢字の偏や旁をまと まりとして学習する方略の欠如,中山ら(2009) は視覚情報の保持困難を挙げている。このように 漢字の書字障害の背景は単一ではないため,個々 の事例の障害機序を踏まえた支援が重要となる。 漢字書字の認知過程において,漢字の形態情報 は「構造」と「要素」ごとに想起される可能性が 失書研究から指摘されている(小森ら,2009)。 漢字は,偏や旁などに代表される「要素」と,そ れらが左右・上下などに位置づけられる枠組みの 「構造」とがある。例えば「洗」は「さんずい」 と「先」という要素が,左右に配置される構造で 形づくられている。小森ら(2009)は左側頭葉後 下部の病変によって漢字失書を示した成人に対 し書字課題を行った。その結果,「洗」に対して 「活」,さんずいと「天」,さんずいと「甬」(よう) などと書き誤り,漢字の構造は正しいが要素を間 違える症例を報告した。漢字書字を既に獲得した 成人が脳損傷によって部分的な機能を障害された 結果としての失書と,漢字の書字を獲得する段階 に認められる発達性書字障害とを同一視すること はできない。しかしながら書字の認知過程を踏ま え,漢字の形態情報が「構造」と「要素」に分か れて表象されうるという視点から検討をすること は有用だと考えられる。 書字の認知過程については,脳損傷による失 書症例に基づいたRapp et al.(2016)のモデルが ある。このモデルは書字の認知過程において書 記素表象の「想起」と「保持・処理」という2つ の機能を想定している。例えば“cloud(雲)”と いう単語の書字を求められた場合は,音韻と一 致する音韻表象が長期記憶から検索され,その 音韻表象に対応する書記素表象が正書法長期記 憶(Orthographic Long Term Memory: 以 下, O-LTM)から想起される。想起された書記素表 象は,正書法ワーキングメモリー(Orthographic Working Memory:以下,O-WM)にて出力が 終了するまで保持され,正しい系列で出力する ためにモニタリングなどの処理が行われる。な お,ウェクスラー式知能検査で評価するワーキン グメモリーは主に聴覚呈示された音韻情報の保持 と操作を表すのに対して,Rapp et al.(2016)の モデルにおけるO-WMは書記素の保持と操作に 関わる点で異なる。このようなモデルに基づき, Rapp et al.(2016)は失書の背景をO-LTMから の想起が障害されるO-LTM障害と,想起された 情報の保持・処理が障害されるO-WM障害に分 類した。O-LTM障害は単語の文字数ではなく親 密度が書字に影響し,単語に対する主観的なじみ 深さが高い単語で書字の成績が良い(親密度効 果)。O-WM障害は単語の親密度ではなく文字数 が書字に影響し,文字数が少ないと成績が良い (語長効果)。つまりO-LTM障害では語長効果が 認められず,O-WM障害では親密度効果は認め られない。Rapp et al.(2016)はこれらの障害は 起因する脳の損傷部位が異なることを明らかに し,書字の認知過程においてこれらの機能は分離 していると主張した。 Rapp et al.(2016)のモデルを漢字書字に当て はめる場合は,正書法による違いを考慮する必要 がある。小森ら(2009)の指摘通り,漢字の形態 情報が「構造」と「要素」という単位で表象され ているならば,漢字を書く過程でこれらの形態情 報を統合する処理が必要になる。さらに日本語は 英語と比較して使用する音韻数が少ないため同音 異義語が多く,「構造」と「要素」から合成され た字形の実在性や意味の適合性を判断する必要が あるだろう。 漢字の形態情報が「構造」と「要素」に分かれ て障害されうるという小森ら(2009)の報告を踏 まえてRapp et al.(2016)のモデルを漢字の書字 過程に当てはめると,漢字の場合はO-WMが想 起された構造と要素の形態情報を保持しつつ,そ れらを組み合わせた上で,意味の適合性を判断す る処理を担っていると予想される。例えば「桜」 のように多くの漢字に共有されている「木偏」と いう要素を含む漢字は,木偏と組み合わせること が可能な候補(公,毎,寸,才などの要素情報) の表象にも活性が広がりうると推定される。もし O-WMに障害があれば,同時に活性化された要
素の間で干渉が生じ,O-WMにおける形態情報 の保持や処理が困難になると推測される(図1)。 一方でO-LTMからの想起が障害された場合,漢 字を書くことができず無反応となるだろう。そこ で本研究は「漢字の書字障害の背景にO-WMの 障害がある場合は,1つの偏や旁を中心としてそ れを共有する漢字の数が多いほど書字が困難にな る」という仮説を立て,漢字の書字課題における 誤答分析を行った。 Ⅱ 方 法 1.対象事例について 公立の通常学級に在籍する中学2年生(13歳2 カ月)男児。学習への助言を求めて相談室へ来談 した。個別指導に先立ち,保護者に同意を得たう えで評価を行った。 1)生育歴および指導開始前の状況 過期産(詳細不明),帝王切開にて出生し,出 生体重は2,632gで仮死などのトラブルはなかっ た。生育歴に特筆事項はなく,就学前から絵本に 興味を示し,拾い読みが可能であった。小学1年 生の修了時にひらがな,カタカナ50音を読むこ とができた。小学3年生から立ち歩きが出現し, 板書など学習面の困難が指摘されたため,小学4 年生で医療機関を受診し,知能に遅れはない広汎 性発達障害,注意欠如/多動性障害(以下,AD/ HD),学習障害と診断された。中学校は通常学 級へ進学したが,学業不振が顕著となったことか ら支援を求めて12歳8カ月時に某支援センターへ 相談した。そこで学習障害に関する専門機関への 相談を勧められ,相談室へ来所した。 母親によれば主訴は学業不振で,漢字は練習を しても覚えられないとのことであった。学習障害 に対する精査を目的に心理学的検査および書字課 題を実施した。 なお,実施に先立って目的とねらいを保護者と 本人に口頭で説明し同意を得た。研究発表につい ては後日同意を得た。 2.対象児の学習困難や読み書き障害に関する分 析方法 本児の学習の困難に対し,知的障害,読み書き 障害について検討した。また視覚認知,想起,保 持,形のまとまりの捉え方について,心理学的検 査を用いて検討を行った。 視覚認知障害や視覚性記憶障害などが認められ ない場合は,本児の障害背景を把握するために, 成人の失書研究から示された書字の認知過程に基 づいてO-WMの弱さを検討するための書字課題 を実施した。漢字の形態情報の保持や処理の負荷 は,漢字の形態情報が多くの漢字に共有されるこ とで高まると仮定し,漢字に含まれる要素の共有 性を操作した書字課題を作成した。課題の正答数 や誤答に関する質的な検討を行った。 図 1 漢字の構造・要素と共有性
1)心理学的検査 全般的な知的水準を検討するためにWISC-IV 知能検査,さらに読み書きの習得を音読検査(稲 垣ら,2010)と小学生の読み書きスクリーニン グ 検 査( 以 下,STRAW)( 宇 野 ら,2006) に よって評価した。書字障害の背景を検討するた め に 視 覚 認 知 機 能 をBirmingham Object Rec-ognition Battery( 以 下,BORB)(Riddoch & Humphreys, 1993)の異同課題にて評価した。ま た視覚性記憶についてRey-Osterrieth Complex Figure Test( 以 下,ROCFT)(Lezak, et al., 2004)を用いて調べた。なお,STRAWの漢字書 字において繰り返し間違える様子から,制御機能 を評価するために認知評価システム日本版ダス− ナグリエリ認知評価システム(以下,DN-CAS) (Naglieri & Das, 1997)の「表出の制御」も実施
している。音韻処理能力は3モーラの単語を用い たスプーナリズム課題を10問,聴覚的な言語性 記憶はRey Auditory Verbal Learning Test(以 下,RAVLT)(若松ら,2003)によって評価した。 2)漢字の書字課題 (1)漢字の選定と分類 O-LTMの影響を最小限にするために,漢字は 日本教材文化研究財団の漢字習得調査において読 み書き正答率が80%以上,かつNTTデータベー ス(近藤・天野,1997)において親密度,総画 数,複雑度が同程度で,漢字の学習学年が小学2 ~ 4年生の35字を選出した。漢字の構造の分類 は小森ら(2009)に従い偏旁に示されるような漢 字配置の大枠を「構造」とし,出題漢字は左右構 造,上下構造,繞(にょう)構造,垂れ構造,構 え構造の5つとした(図1)。 (2)要素の共有性の分類 構造の中に配置される要素は複数の漢字に使用 されることがあるが,その頻度にはバラつきがあ る。本研究では本児を理解するために,独自に 「共有性」という操作的定義を設けて,3段階の 分類を行った。共有性とは課題漢字の部首を共有 する漢字の数を指し,漢字習得調査(日本教材文 化研究財団,2001)において学習学年が小学2 ~ 6年生で,読み正答率が80%以上の漢字をもとに 算出した。選出した出題漢字と要素を共有する漢 字が1 ~ 9個の場合は低群(6問),10 ~ 20個の 場合は中群(13問),21~45個の場合は高群(16 問)と区分することとした。 例えば図2の「実」は上下構造で,要素は「う かんむり」と「夫の横線が3本」である。このう ち部首は「うかんむり」であり,上記の基準で 「うかんむり」を共有する漢字は27個であり,要 素の共有性は高群と分類された。 (3)手続き 出題文は国立国語研究所(2001)が用いた単文 を転用した。例えば「実」は,「木の実をひろう」 の下線部を空欄にし,出題部分にひらがなのルビ を振った。問題は1問ずつ提示し,制限時間は設定 しなかった。本児が修正を望む場合は,書いた字 を消さず,その隣に書き直すことを許容した。同一 の要素を共有する漢字(家・安など)は混乱の誘 発を避けるため日を変えて2回に分けて実施した。 3)行動や感覚に関するアセスメント 注意に関して,AD/HDの質問紙(ADHD-RS-IV-J)(AD/HDの診断・治療研究会,2003)を母 親に実施した。読み書きに係る感覚として,視力 と聴力検査を行った。 Ⅲ 結 果 1.心理学的検査 表 1 に各種の心理学的検査の結果について示し た。 WISC-IVの全検査知能指数は89で「平均の下」 であった。知覚推理の下位検査内では「絵の概 念」が評価点は低かったが他は平均域であり,明 らかな知的障害は認められなかった。 図 2 「木の実をひろう」への回答の繰り返し修正 右から順に書き直しをしている。
音読検査は中学生の標準値がないため小学6年 生男児と比較した結果,音読時間は2標準偏差以 内であり,音読速度の低下は認められなかった。 STRAWで小学6年生を対象とした漢字課題 (出題漢字は小学校4年生までの学習漢字)を実 施した結果,読みは20問全てに正答したが書字 の正答数は6/20問であった。このことから,漢 字の読みに顕著な困難は認められない一方で,書 字に特異的な困難が確認された。書字の反応は即 座に分からないと言ったり,形態の類似した漢字 を書いたりする場合があった。後者の場合は自分 の回答の正誤判断ができており,「これじゃない」 と修正を繰り返したが,ほぼ正答に至らなかっ た。なお漢字で答えらない問題に対してカタカナ での回答を求めると,考え込むことなく書くこと ができた。書字動作などに顕著な困難は示されな かった。 漢字を繰り返し誤答する様子から制御機能の弱 さが疑われたが,DN-CASの「表出の制御」は年 齢水準と比較して評価点8であり,本児の制御機 能は年齢相応の水準であった。 BORBの異同課題を実施した結果,長さなど さまざまな視覚的特徴に対する正答数は26 ~ 29/30問以上であり,微細な視覚性弁別能力に困 難は示されなかった。ROCFTの模写は36/36点 と丁寧で正確であり,STRAW同様に微細運動の 困難は見られなかった。直後再生は30点,遅延 再生は25.5点と時間経過に伴って細部の要素がや や欠落したが,全体の構造は正確であった。以上 から,本児の視覚性記憶力および構成能力に困難 表 1 心理学的検査結果 WISC-IV(13:9) 指数(評価点) ROCFT*3(13:2) 点数 全検査IQ 89 模写 36/36 言語理解 90 直後再生 30/36 類似(10) 単語(7) 理解(8) 遅延再生 25.5/36 知覚推理 91 BORB*4(13:4) 正答数 積木模様(11) 絵の概念(5) 長さ 29/30 行列推理(10) 大きさ 28/30 ワーキングメモリー 94 傾き 26/30 数唱(10) 語音整列(8) 間隙 26/30 処理速度 91 音韻削除課題(13:3) 正答数 符号(10) 記号探し(7) 4モーラ 8/8 音読検査*1(13:3) 音読時間 5モーラ 8/8 単音 23.5秒 6モーラ 5/8 有意味単語 19.4秒 7モーラ 7/8 無意味単語 39.8秒 スプーナリズム課題(13:3) 8/10 単文 12.4秒 RAVLT*5(13:4) 正答数 STRAW*2(13:2)小6・漢字 正答数 学習(1 ~ 5回) 9-10-10-12-14個 音読 20/20 最終再生数 14個 書き取り 6/20 干渉後再生数 14個 DN-CAS(13:3) 正答数 評価点 表出の制御 40 SS8 検査名の隣にあるカッコ内は実施年齢を表す。
*1)音読検査:特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン/*2)STRAW : Screening Test of Reading and Writing
for Japanese Primary School Children /*3)ROCFT : Rey-Osterrieth Complex Figure Test /*4)BORB : Birminghan
は認められなかった。 音韻能力を検討するために実施したスプーナリ ズム課題は8/10問に正答し,さらにRAVLTは 14/15問を正しく再生することができた。以上か ら,本児の音韻処理や聴覚性言語記憶は良好で あった。 2.漢字の書字課題 1)書字反応 漢字の書字課題の結果,正答数は15/35文字 で,誤答20文字のうち無反応は3文字,誤字は 17文字であった。図2のように,同じ漢字に対 して3回以上の書き直しを「繰り返し修正」とし て集計した。その結果,誤字反応のうち約59% (10/17文字)に繰り返し修正が認められた。な お,正答のうち漢字要素の共有性高群の1文字に 繰り返し修正が認められた。 2)漢字要素の共有性による分析 要素の共有性の多少による比較を行った。各群 の誤答数は低群で2/6文字(33%),中群で9/13 文字(69%),高群で8/16文字(50%)であっ た。誤答のうち無反応は低群で1/2文字(17%), 2/13文字(15%),0/16文字(0%)であった。 次に,誤答のうち繰り返し修正が出現した漢字 数は,低群では0/2文字(0%),中群は3/9文字 (33%),高群は7/8文字(88%)であった。低群 (6問)は中群(13問),高群(16問)と比較して 問題数が少なかったため,低群を検定対象から除 外し,出題数が同程度の中群と高群の誤答数に対 してFisher正確確率検定(両側)を行った。そ の結果,誤答数に有意差は認められなかった(p =0.45)。次に,中群と高群における誤答の質的 違いを検討するため,繰り返し修正が出現した 漢字数に対してFisher正確確率検定(両側)を 行った。その結果,中群(3文字)と高群(7文 字)の間に統計的に有意水準5%で有意な差が認 められた(p=0.05)。以上から,共有性が高い漢 字は繰り返し修正が増加することが確認された。 次に誤答を漢字の構造と要素ごとに分析した (図2)。その結果,誤答において,漢字の構造は すべて正しかった。しかし,その構造に当てはま る要素が間違っていた。 表 2 に漢字の繰り返し修正によって書き出され た漢字を示した。繰り返し修正の背景を探るた め,日本語漢字に存在する要素を誤って組み合 わせた場合を「組み合わせ誤答」,存在しない要 素による誤答を「新造要素による誤答」と分類し た。例えば表2の「実」に対して「草冠と具」は 組み合わせ誤答だが,「草冠と央に横線」は新造 要素による誤答となる。繰り返し修正の背景を探 ることが目的のため,最終的に正答となった高群 の1文字も分析の対象とした。その結果,繰り返 し修正で書き出された60文字のうち,新造要素 による誤答は4文字のみで(7%)あった。 なお,書字課題の目標漢字が本児にとって既得 漢字かを確認するために読みの確認を行った。そ の結果,正答しなかった漢字を含めて全て読むこ とができていた。 3.行動や感覚に関するアセスメント ADHD-RS-IV-Jは不注意17点,多動性−衝動 性14点,合計31点であった。12 ~ 15歳の男児 と比較すると,不注意,多動性−衝動性の強さは 共に98パーセンタイル以上であり,注意に関す る全般的な困難が生活場面で観察されていた。視 力は両眼とも裸眼にて1.2,聴力は純音・語音聴 力検査ともに問題なく,主訴の原因と考えられる 感覚器官の障害は認められなかった。 Ⅳ 考 察 本児はWISC-IV知能検査の結果から知的水準 に遅れは認められない。音読検査やSTRAWは 小学校6年生の水準の2標準偏差に収まっており, 読み流暢性(ひらがな),正確性(漢字)に困難 がないことから,発達性ディスレクシアの特徴に 合致しない。一方で,STRAWの漢字の書字課題 では小学6年生水準と比較して正答数が顕著に低 かった。書字困難を説明しうる視力・聴力の問題 も認められないことから,本児には漢字に特異的 な書字障害があると考えられた。
書字障害の背景を検討するために実施した検査 において,本児は従来の漢字の書字障害仮説に合 致しないことが示された。BORBでは視覚性弁別 能力に困難が示されず,視覚認知障害は確認され なかった。ROCFTの直後再生,遅延再生では正 しく図形を再生しており,視覚認知障害と想起障 害や,視覚情報の保持障害は認められなかった。 これに加えて直後再生,遅延再生は全体のまとま りを捉えた描き方をしており,漢字の偏や旁をま とまりとして学習する方略の欠如という仮説にも 合致しなかった。漢字の書字を検討した結果,本 児には書記素の保持・処理が困難になるO-WM 障害があると考えられた。 漢字は木偏のように要素を共有する漢字が多い 場合,意図する漢字には不要な要素まで活性化が 広がりやすいと考えられる。O-WMにおける保 持・処理機能に弱さがある場合は,活性化された 不要な形態情報を抑制できないことで,誤って再 構成された漢字が書き出される可能性がある。一 方O-LTMにおける想起に弱さがある場合は,無 反応が多くなる。この仮説を検証するために,本 児が読めるが書字はできない漢字を用いて書字課 題を実施した。 その結果,要素を共有する漢字の数に依存して 繰り返し修正が出現し,O-WM障害が認められ た。一方で書字における無反応は8%であり,本 児の書字障害の背景にO-LTM障害は示唆されな かった。なお,本児は全ての目標漢字を正しく読 むことが可能であったことから,繰り返し修正の 出現は,目標漢字に対する知識の有無によって説 明することができない。 複雑な形態情報の捉え方は,小学校の低学年 表 2 書字課題の繰り返し修正 共有群 目標 漢字 要素を共有する実存文字の数 回答数 (組み合わせ誤答, 新造要素による誤答) 回答 高群 倍 45 4(4,0) 位,土偏と立,「比」の左側と立,泣 松 31 4(4,0) 木偏と云,木偏と去,木偏と広,木偏(右側を書こうとして諦めた) 紙 28 10(9,1) (7個),糸偏と糸,神,糸偏と「屯」の「ノ」が欠損糸偏と「氏」の線の角度や,突き抜け方を変化させたもの 練 28 4(4 .0) 維,連,総,糸偏(右側を書こうとして諦めた) 安 27 3(3 .0) 合,「合」の上部分に事,含 実 27 9(7,2) 草冠と「実」の下部分,草冠と「央」に横線,草冠と具,草 冠と貝,「漢」の右側,英,草,「草」の日が田,草冠(下を 書こうとして諦めた) 薬 23 3(2,0) 草冠と泉,草冠と早,薬(正答) 苦 23 12(12,0) 「漢」の右側,英,茉,草冠と史,草冠とホ,草冠と表,草冠と芳,英,草冠と十と方,英,草冠と木,草冠と未 中群 陽 17 4(3,1) 日と「陽」の右側,行偏と日と「元」の下部分,場,「陽」の右側(左側を書こうとして諦めた) 行 15 4(4,0) イと立(右上部分),イと子,イと弓,言偏(右側を書くとして諦めた) 底 13 3(3,0) まだれと共,さんずいとまだれと反,まだれと吉 低群 繰り返し修正なし ※新造要素(例:「屯」の上の「ノ」が欠損)の場合は下線で示した。
では断片化する傾向が指摘されている(服部, 2009)。発達的にも,漢字学習の初期は偏や旁よ りも,既知の知識(「口」を四角形,「雲」の下部 をカタカナのム,など)を活用して漢字を捉えて いる可能性がある。しかしながら誤答漢字に対 する分析の結果,本児は日本語に存在する要素 を誤って組み合わせることで誤答しており,新造 要素による誤答は稀であった。したがって,本児 は漢字の形態情報を構造と一般的な要素の様式で 表象していると推測された。漢字の表象の特徴を Rapp et al.(2017)の書字の認知過程モデルに加 えると,図3のようになる。 漢字が構造と要素という書記素に分かれて表象 されている可能性はこれまで成人研究から示され てきたが(小森ら,2009),本研究は中学生でも 同様に表象されている可能性を示した。1事例の ため一般化はできないが,親密度の高い漢字に対 しては中学生でも成人と同様に構造と要素として 表象している可能性がある。 失書研究に基づき読み書きに熟達した成人では 漢字の書記素が2つの階層に分かれて表象される と仮定すると,本児はその段階に達していたと考 えられる。おそらくこれは,本児の視覚認知,視 覚記憶や漢字の偏や旁をまとまりとして学習する 方略に障害がなかったからこそ可能であったと推 測される。従来の漢字の書字障害では漢字の形態 を正確に表象するための基礎となる認知過程に おける障害が明らかにされてきたが,本研究は O-WM障害が書字障害を引き起こしうることを 明らかにした。 アルファベット語圏では書字障害における O-WM障 害 が 報 告 さ れ 始 め て い る が(Barisic et al., 2017), 英 語 に お け るO-WM障 害 の 特 徴 は語長効果であった。本研究は,漢字におけ るO-WM障害は漢字要素の共有性による混乱に よって特徴づけられることを示唆した。 漢字は書記素が構造と要素に分かれているた め,O-WMにてそれらを統合する必要があり, O-WMの負荷が高い正書法だと推測される。本 例 も 漢 字 に 特 異 的 な 書 字 障 害 を 示 し て お り, O-WM障害の重症度によって書字困難が表面化 する正書法が異なる可能性がある。書字障害の背 景に基づいた支援や早期介入のためにも,漢字書 字に関わる認知過程とその発達的変化の検討が必 要である。 なお,本研究は親密度の高い漢字に統一したた め,親密度の違いによる検討はしていない。課題 漢字の親密度によって書記素の表象や意味システ ムからの関与が異なる可能性はあり,今後は漢字 単語の親密度を操作した検討が求められる。 図 3 漢字書字の認知過程モデル
付 記 本研究結果は日本LD学会第26回大会(2017)で 発表された。 謝 辞 ご協力いただいた本児,保護者さまに感謝いたし ます。 文 献 AD/HDの診断・治療研究会(2003):注意欠陥/多 動性障害―AD/HD―の診断・治療ガイドライン. じほう.
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