印 度 學 佛 教 學 研 究 第 四 十 五 巻 第 二 号 平 成 九 年 三 月 二 六 一
元
暁
の
浄
土
思
想
と
仰
信
藤
能
成
一 元 暁 (六 一 七 ∼ 六 八 六 ) の 著 作 は あ ら ゆ る 分 野 に 亘 っ て お り 、 そ の 数 は 百 部 に 達 す る が 、 現 在 残 っ て い る の は 二 七 部 ほ ど で あ る 。 な か で も ﹃ 起 信 論 疏 ﹄ と ﹃ 金 剛 三 昧 経 論 ﹄ は 彼 の 二 大 著 作 と 言 っ て よ い 。 ま た 彼 は 新 羅 浄 土 教 の 祖 と し て 多 く の 人 々 に 念 仏 を 広 め た こ と が 知 ら れ て い る 。 元 暁 が 浄 土 思 想 に 着 目 し た 背 景 に は 彼 が 注 釈 書 を 著 し た ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ 、 真 諦 訳 ﹃ 摂 大 乗 論 釈 ﹄ 、 ﹃ 宝 性 論 ﹄ 、 ﹃ 樗 伽 経 ﹄ 等 の 如 来 蔵 系 統 の 典 籍 の 研 究 が あ っ た 。 特 に 彼 が 深 く 傾 倒 し た ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ は 阿 弥 陀 仏 信 仰 を 説 い て い る 。 如 来 蔵 系 統 の 典 籍 に 阿 弥 陀 仏 信 仰 が 説 か れ る こ と は よ く 知 ら れ て お り 、 元 暁 が 研 究 し た こ れ ら の 典 籍 に も 阿 弥 陀 仏 信 仰 が 説 か れ て い る の で あ る 。 し か し 、 如 来 蔵 思 想 と 浄 土 思 想 と の 結 び 付 き の 必 然 性 に つ い て は 現 代 に お い て も 疑 問 視 す る 声 も あ る 。 こ れ に 対 し 、 元 暁 は 如 来 蔵 思 想 を 基 盤 と し た ﹃ 起 信 論 ﹄ の 理 想 世 界 を 多 く の 大 衆 と 共 に こ の 世 に 実 現 す る た め に 浄 土 思 想 を 説 い た の で あ っ た 。 す べ て の 人 々 が 心 を 一 つ に し て 、 ︱ 心 の 境 地 に 至 る 道 は 浄 土 思 想 を 置 い て ほ か に な か っ た 。 元 暁 は 如 来 蔵 思 想 と 浄 土 思 想 の 期 待 さ れ た 、 必 然 的 な 融 合 を ﹁ 仰 信 ﹂ に よ っ て 成 し 遂 げ た の で あ る 。 本 稿 で は ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ を 中 ( 1 ) 心 に 彼 の 浄 土 思 想 と 仰 信 に つ い て 考 察 す る 。 二 元 暁 の 浄 土 思 想 の 論 理 的 基 盤 が ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に あ る こ と は 、 彼 の ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ を 見 る と 明 ら か で あ る 。 以 て 覚 り て 之 を 言 う 、 此 無 く 彼 無 く 、 稜 土 と 浄 国 は 本 来 一 心 な り 。 生 死 と 浬 盤 は 終 に 二 際 無 し 。 然 る に 帰 源 の 大 覚 は 功 を 積 み て す な わ ち 得 、 流 れ に 随 う 長 夢 は 頓 開 す べ か ら ず 。 (大 正 三 七 ・ 一 二 五 下 ) 此 と 彼 、 稜 土 と 浄 国 、 生 死 と 浬 繋 の 対 立 は 、 実 は 無 き も の で あ っ て 、 そ れ ら が 一 心 に 帰 す る こ と 、 そ し て そ れ を ﹁ 帰 源 の元 暁 の 浄 土 思 想 と 仰 信 (藤 ) 二 六 二 大 覚 ﹂ と 呼 ん で い る こ と は 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ の 論 理 に 重 な る 。 ま た こ れ ら は 、 真 諦 訳 ﹃ 摂 大 乗 論 釈 ﹄ の 表 現 を 踏 襲 し た も の で ( 2 ) あ る 。 真 諦 訳 ﹃ 摂 大 乗 論 釈 ﹄ に は ﹁ 本 来 寂 静 不 寂 静 無 二 ﹂ 、 ( 3 ) ﹁ 生 死 則 浬 繋 、 二 無 此 彼 ﹂ の 表 現 が あ り 、 こ れ ら の 二 元 対 立 を 超 え た 世 界 を 、 一 心 に 融 合 さ せ た と こ ろ に 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ を 思 想 的 基 盤 と し て 浄 土 思 想 を 展 開 し た 元 暁 の 面 目 躍 如 た る も の を 見 る こ と が で き る 。 ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ の ﹁ 大 意 ﹂ も ﹃ 仏 説 阿 弥 陀 経 疏 ﹄ の ﹁ 大 意 ﹂ も 共 に 、 対 立 す る 世 界 が 本 来 一 心 で あ り 、 無 二 で あ る と い う 覚 り に 至 る こ と を 目 的 と し て 掲 げ る の で あ る が 、 こ れ ら の ﹁ 大 意 ﹂ と 本 文 に 展 開 さ れ た 浄 土 思 想 の 関 係 は こ れ ま で 明 ら か に さ れ て い な い 。 三 ﹃ 起 信 論 ﹄ は 中 観 、 唯 識 思 想 を 如 来 蔵 思 想 に 融 合 さ せ た 、 東 ア ジ ア に お け る 大 乗 仏 教 思 想 の 中 心 的 な 書 で あ る 。 元 暁 は こ の 如 来 蔵 思 想 に お け る 一 心 の 概 念 こ そ 、 覚 り の 世 界 の 相 を 表 わ す も の で あ る と し て 、 す べ て の 人 々 が 一 心 に 帰 り 、 二 元 的 対 立 を 超 え た 境 地 に 生 き る こ と を 理 想 と し た の で あ る 。 如 来 蔵 思 想 と は 、 す べ て の 衆 生 が 仏 と 同 じ 本 質 を 持 ち 、 そ れ に よ っ て 仏 と な る こ と が で き る と い う も の で あ り 、 仏 と 衆 生 と が 平 等 で あ る と い う 前 提 の も と に 展 開 さ れ る 思 想 で あ る 。 元 暁 が 覚 っ た 真 理 は 、 ま さ に こ の 如 来 蔵 の 考 え 方 に 合 致 す る も の で あ っ た 。 元 暁 が 如 来 蔵 思 想 に 注 目 し て い た 事 実 は 彼 に 、 ﹃ 宝 性 論 ﹄ を は じ め ﹃ 不 増 不 減 経 ﹄ 、 ﹃ 勝 糞 経 ﹄ 、 ﹃ 拐 伽 経 ﹄ 、 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ 、 ﹃ 金 剛 三 昧 経 ﹄ と い っ た 如 来 蔵 系 統 の 典 籍 に 関 す る 注 釈 書 が あ る こ と か ら 知 ら れ る 。 そ の う ち ﹃ 宝 性 論 宗 要 ﹄ (失 ) 、 ﹃ 宝 性 論 料 簡 ﹄ (失 ) は 、 漢 訳 ﹃ 宝 性 論 ﹄ に 関 す る ゾ る 唯 一 の 注 釈 書 で あ る 。 ま た 、 彼 は ﹃ 大 乗 起 信 論 別 記 ﹄ に お い て 、 中 観 、 空 思 想 の 典 籍 で あ る ﹃ 中 論 ﹄ 、 ﹃ 十 二 門 論 ﹄ と 、 唯 識 思 想 の 典 籍 で あ る ﹃ 喩 伽 論 ﹄ と ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ を 批 判 し た う え で 、 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ を ﹁ 諸 論 之 祖 宗 、 群 譚 の 評 主 ﹂ と 高 く 評 価 し て い る こ と を 見 て も 元 暁 が 如 来 蔵 思 想 に 深 く 傾 例 し て い た こ と が 知 ら れ る 。 四 元 暁 は 、 ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ の 中 で 阿 弥 陀 仏 の 浄 土 へ の 願 生 を 、 大 乗 も 小 乗 も 、 聖 人 も 凡 夫 も 、 元 に 勝 処 に 生 ま れ 、 大 道 に 趣 く こ と の で き る 道 で あ る と 説 い て い る 。 彼 が 、 浄 土 願 生 を 聖 人 に も 勧 め た こ と は 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ の ﹁ 若 観 法 身 畢 寛 得 生 ﹂ を 十 解 以 上 の 菩 薩 と 、 初 地 以 上 の 聖 人 の 往 生 と す る 独 自 の 解 釈 に も 現 わ れ て い る 。 つ ま り 阿 弥 陀 仏 の 浄 土 信 仰 こ そ が 、 す べ て の 人 々 が 共 に 一 心 の 境 地 へ 至 り 得 る 道 だ と 考 え た の で あ る 。 そ れ で は 、 元 暁 に お い て 浄 土 思 想 は ﹃ 起 信 論 ﹄ の 一 心 の 思
元 暁 の 浄 土 思 想 と 仰 信 (藤 ) 二 六 三 想 と ど う 結 び 付 け ら れ る の だ ろ う か 。 そ れ を 解 く 鍵 は ﹁ 仰 信 ﹂ に あ る 。 彼 は ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ に お い て 、 仏 智 と す る と こ ろ の 無 等 無 倫 最 上 勝 智 に つ い て 、 た だ ﹁ 仰 信 す べ し ﹂ と ( 8 ) し 、 そ れ は ﹁ 心 源 に 至 れ ば 、 智 と 一 心 は 渾 同 無 二 で あ る ﹂ か ら だ と 言 う 。 そ し て 仰 信 を 基 盤 と し た 往 生 行 を 説 く 。 心 眼 未 だ 開 か れ ざ れ ど も 、 惟 だ 如 来 を 仰 ぎ て 、 一 向 に 伏 信 せ よ 。 是 の 如 き 等 の 人 は そ の 行 品 に 随 い て 彼 土 に 往 生 す 。 辺 地 に は 在 せ ず 。 ( 大 正 三 七 ・ ︱ 三 一 中 ) 元 暁 は 仰 信 を ﹁ 惟 だ 如 来 を 仰 い で 、 一 向 に 伏 信 せ よ ( 仰 惟 如 来 、 一 向 伏 信 ) ﹂ と 解 釈 し 、 こ の 仰 信 に よ り 浄 土 に 往 生 す る と 説 く の で あ る 。 元 暁 の 目 指 す と こ ろ は 。 一 心 源 に 還 帰 す る こ と で あ る 。 か れ は こ の 論 理 を 打 ち 出 す た め に ﹃ 起 信 論 ﹄ を 引 い て 、 二 切 境 界 は 本 来 一 心 で あ る ﹂ と し て 、 ﹁ 大 智 の 用 に 無 量 の 方 便 あ り て 、 諸 の 衆 生 が 応 に 解 を 得 る と こ ろ に 随 い て 、 悉 く 能 く 一 切 法 義 を 開 示 す ﹂ と 説 く 。 す な わ ち 大 智 、 一 心 を 仰 信 し 、 往 生 行 を 行 ず る と こ ろ に 、 仏 智 は 無 量 の 方 便 に よ っ ( 9 ) て 一 切 の 法 義 を 開 示 す る の で あ る 。 五 (10 ) 仰 信 は 、 如 来 蔵 系 統 の 経 論 に 、 特 徴 的 な 信 の 形 態 で あ る 。 ﹃ 不 増 不 減 経 ﹄ 、 ﹃ 勝 翼 経 ﹄ 、 ﹃ 宝 性 論 ﹄ な ど の 如 来 蔵 系 統 の 経 論 に お い て 仰 信 が 説 か れ る 。 ﹃ 不 増 不 減 経 ﹄ に 、 舎 利 弗 よ 、 一 切 の 声 聞 、 縁 覚 の 有 す る と こ ろ の 智 慧 は こ の 義 の 中 、 た だ 仰 信 す べ し 、 如 実 に 智 見 し 、 観 察 す る こ と 能 わ ず 。 舎 利 弗 よ 。 こ の 甚 深 義 は 即 ち 是 第 一 義 諦 な り 。 第 一 義 諦 は 即 ち 衆 生 界 な り 。 衆 生 界 は 即 ち 如 来 蔵 な り 。 如 来 蔵 は 即 ち 法 身 な り 。 ︿ 傍 点 は 筆 者 ﹀ (大 正 一 六 ・ 四 六 七 上 ) ま た ﹃ 勝 糞 経 ﹄ に は 、 一 切 の 阿 羅 漢 と 僻 支 仏 の 浄 智 は 一 切 智 の 境 界 と 如 来 法 身 に お い て 本 よ り 見 え ざ る と こ ろ な り 。 仏 の 言 を 信 ず る が 故 に 、 常 想 、 楽 想 、 我 想 、 浄 想 を 起 こ す 。 顛 倒 の 見 に あ ら ず 。 こ れ を 正 見 と 名 つ く 。 ︿ 傍 点 は 筆 者 ﹀ (大 正 一 二 ・ 二 二 二 上 ) さ ら に ﹃ 宝 性 論 ﹄ に は 、 た だ 、 如 来 に 対 す る 信 に よ り 、 第 一 義 諦 を 信 ぜ よ 。 眼 目 の な き 者 の ご と く 日 輪 を 見 る あ た わ ず 。 ︿傍 点 は 筆 者 ﹀ (大 正 三 一 ・ 八 三 九 中 ) 仰 信 と は 、 第 一 義 諦 、 如 来 蔵 、 衆 生 界 、 法 身 、 一 切 智 の 境 界 等 を 認 識 で き な い 衆 生 が 、 た だ 如 来 や 如 来 の 言 葉 に 対 し 全 幅 の 信 を 捧 げ る 托 身 の 姿 勢 を 言 う こ と が わ か る 。 元 暁 も 仰 信 に つ い て 同 様 の 見 解 を 示 し て い る 。 彼 は ﹃ 浬 繋 宗 要 ﹄ に お い て 、 若 し 究 寛 、 不 究 寛 門 に 就 か ば 、 た だ 仏 地 に お い て の み 眼 見 と 名 つ く る を 得 、 こ の 時 、 究 寛 し て 一 心 原 に 帰 し 、 仏 性 の 全 分 体 を 証 す る が 故 に 。 金 剛 以 還 は 未 だ 眼 見 を 得 ざ る に 、 宜 し く 是 仰 信 す べ し 、 た だ 聞 見 と 名 つ く 。 そ の 未 だ 一 心 之 原 に 至 ら ざ る を 以 っ て 仏 性 の 一785一
元 暁 の 浄 土 思 想 と 仰 信 (藤 ) 二 六 四 全 分 体 を 証 せ ざ る が 故 に 。 ︿ 傍 点 は 筆 者 ﹀ ( 大 正 三 八 ・ 二 五 〇 中 ) 元 暁 は ﹃ 浬 盤 宗 要 ﹄ に お い て 、 金 剛 に 達 し て い な い 菩 薩 は 仏 性 を す べ て 証 見 す る こ と が で き な い の で 、 仰 信 す る の だ と 説 い て い る 。 こ れ ら の こ と か ら わ か る よ う に 、 元 暁 は 自 分 の 認 識 を 超 え た 如 来 の 言 葉 を 信 じ 、 如 来 に す べ て を 托 す る 信 仰 の 姿 勢 、 す な わ ち 仰 信 こ そ 、 仏 位 に 至 る ま で 基 本 的 に 持 ち 続 け な け れ ば な ら な い も の で あ る こ と を 主 張 し た の で あ る 。 六 元 暁 が ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ を 著 す 論 理 と な っ た ﹃ 起 信 論 ﹄ は 帰 敬 偈 の 帰 命 に 始 ま り 、 ﹁ 勧 請 利 益 分 ﹂ の 仰 信 で 終 わ っ て い ( 11 ) る 。 元 暁 は ﹃ 起 信 論 ﹄ を 仰 信 か ら 帰 命 に 至 る 信 の 深 化 過 程 と し て 捉 え た の で あ り 、 ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ も そ の 過 程 の 中 に 位 置 づ け ら れ る 。 以 上 の こ と か ら 、 元 暁 が ﹃ 無 量 寿 経 宗 要 ﹄ を あ ら わ し た 思 想 的 な 基 盤 は 如 来 蔵 思 想 に あ っ た と 言 い 得 る 。 一 心 は 衆 生 心 で あ り 、 仏 智 で あ り 、 す べ て の 境 界 が 一 心 に 入 る の で あ る か ら 、 仏 智 を 仰 信 す る こ と は 、 自 身 の 心 の 根 源 を 仰 信 す る こ と で も あ る 。 仰 信 す る こ と に よ り 、 衆 生 は 自 己 の 心 原 に 向 い 、 本 来 性 を 回 復 す る の で あ る 。 元 暁 は ﹃ 起 信 論 ﹄ の 標 題 中 の ﹁ 起 信 ﹂ を ﹁ 信 理 実 有 、 信 修 ( 12 ) 可 得 、 信 修 得 時 有 無 窮 徳 ﹂ の 三 信 を 起 こ す こ と と 解 釈 す る 。 こ の よ う な 三 信 は 唯 識 系 統 の 書 に 散 見 さ れ る も の で 、 元 暁 ( 13 ) は こ れ を 真 諦 訳 ﹃ 摂 大 乗 論 釈 ﹄ よ り 見 い 出 し た の で あ ろ う 。 こ れ ら の 三 信 を 起 こ せ ば ﹁ 能 入 仏 法 、 生 諸 功 徳 、 出 諸 魔 境 、 至 無 上 道 ﹂ と 言 い 、 こ れ は ﹃ 華 厳 経 ﹄ の ﹁ 信 為 道 元 ﹂ の 論 理 に よ っ た も の で あ る 。 彼 は さ ら に 帰 敬 偈 は 三 宝 へ の 帰 命 で あ る と い う が 、 こ の 論 理 の 基 盤 と な っ て い る の は 、 同 じ ﹃ 華 厳 ( 14 ) 経 ﹄ の ﹁ 信 敬 三 宝 故 発 心 ﹂ の 思 想 で あ る 。 ﹃ 起 信 論 疏 ﹄ に 、 そ の 本 一 心 の 源 に 還 帰 す る が 故 に 帰 命 と い う 。 帰 す る と こ ろ の ︱ 心 は 即 ち 是 三 宝 な る が 故 な り 。 (大 正 四 四 ・ 二 〇 三 中 ) と 言 い 、 さ ら に 帰 命 は ﹁ 信 心 の 極 ま り ﹂ と 言 う 。 標 題 の ﹁ 起 信 ﹂ は 、 三 信 で あ り 、 三 信 は 三 宝 に 対 応 し 、 ﹁ 大 秉 が た だ 一 ( 15 4 心 で あ る こ と を 信 解 ﹂ し て 起 こ す 信 で あ る 。 こ れ ら の こ と か ら 、 仰 信 ← 起 信 ( 信 解 ) ← 帰 命 と い う 信 の 深 化 の 過 程 が ﹃ 起 信 論 ﹄ に お い て 語 ら れ て い る と 元 暁 は 見 て い た 。 元 暁 の 浄 土 思 想 は こ の 信 の 深 化 の 過 程 に 位 置 づ け ら れ る 。 仰 信 は 仏 位 ・ 心 源 に 至 る ま で 深 ま り ゆ く 信 で あ り 、 仰 信 を 取 り 入 れ る こ と に よ っ て 浄 土 思 想 と 如 来 蔵 思 想 は 融 合 し た の で あ る 。 仰 信 を 基 調 と す る こ と に よ っ て 、 浄 土 信 仰 は 一 心 源 に 帰 る こ と を 目 指 す も の と な る 。 す な わ ち 元 暁 に お い て は 浄 土 信 仰 は ﹃ 起 信 論 ﹄ の 説 く 一 心 の 境 地 へ 、 聖 人 と 凡 夫 の 区 別 な く 共 に 歩 ん で 行 く こ と の で き る 道 で あ っ た 。 す な わ ち ﹃ 起 信 論 ﹄ の 説 く 理 想 は 浄 土 信 仰 に よ っ て 、 初 め て こ の 世 に 具 現 さ れ る こ と に な っ た の で あ る 。 一786一
元 暁 の 浄 土 思 想 と 仰 信 (藤 ) 二 六 五 以 上 の よ う に 中 観 、 唯 識 と 如 来 蔵 思 想 を 統 合 し た 帰 源 の 論 理 を 基 に 浄 土 思 想 を 展 開 し た 人 物 は 元 暁 を お い て ほ か に な い 。 彼 と 同 時 代 の 善 導 が 浄 土 教 の 独 立 の 道 を 歩 ん だ の に 対 し 、 元 暁 は 当 時 、 仏 教 界 で 中 心 的 に 研 究 さ れ て い た ﹃ 華 厳 経 ﹄ 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ 、 ﹃ 摂 大 乗 論 釈 ﹄ 等 の 教 学 を も と に 自 他 不 二 、 一 心 の 融 合 的 浄 土 思 想 を 確 立 し た の で あ る 。 1 水 谷 幸 正 氏 は ﹁ 如 来 蔵 と 信 ﹂ に お い て 、 如 来 蔵 、 仰 信 、 浄 土 信 仰 に 関 す る 優 れ た 論 考 を な し て お ら れ る 。 本 稿 は 氏 の 論 考 に 負 う と こ ろ が 大 き い 。 (﹃ 講 座 大 乗 仏 教 六 ﹄ 一 一 九 ∼ 一 四 九 頁 。 春 秋 社 、 昭 和 五 七 年 ) 2 大 正 三 一 ・ 一 九 三 中 。 3 大 正 三 一 ・ 二 四 九 中 。 4 木 村 宣 彰 ﹁ 元 暁 大 師 と 涅 盤 思 想 ﹂ 、 ﹃ 元 暁 研 究 論 輯 ﹄ 一 八 九 頁 、 韓 国 ・ 国 土 統 一 院 、 一 九 八 七 年 。 5 大 正 四 四 ・ 二 二 六 中 。 6 大 正 三 七 ・ 一 二 六 中 。 7 大 正 四 四 ・ 二 二 五 下 。 8 大 正 三 七 ・ 二 一二 中 。 9 大 正 三 七 ・ 二 一二 中 。 10 水 谷 ﹃ 前 掲 論 文 ﹄ 一 三 一 ∼ 五 頁 参 照 。 11 ﹃ 起 信 論 ﹄ に お け る 仰 信 の 考 察 は 、 武 邑 尚 邦 氏 の ﹃ 起 信 論 入 門 ﹄ に 大 き な 示 唆 を 受 け た 。 (百 華 苑 、 昭 和 二 八 年 ) 12 大 正 四 四 ・ 二〇 三 上 。 13 大 正 三 一 ・ 一 九 九 中 に 、 ﹁ 信 有 三 種 。 一 信 有 。 二 信 可 得 。 三 信 有 無 窮 功 徳 ﹂ と あ る 。 14 元 暁 が ﹃ 起 信 論 疏 ﹄ に 引 用 し た ﹁信 為 道 元 功 徳 母 ﹂ の 直 前 に ﹁ 信 敬 三 宝 故 発 心 ﹂ の 論 理 が 展 開 さ れ て い る 。 ( 大 正 九 ・ 四 三 三 上 ) 15 大 正 四 四 ・ 二 〇 三 下 。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 浄 土 思 想 、 如 来 蔵 思 想 、 元 暁 、 新 羅 (九 州 龍 谷 短 期 大 学 助 教 授 一787一