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初期「大陸往来」の一瞥(下) : 戦時下上海にお ける現地文学の種々相

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初期「大陸往来」の一瞥(下) : 戦時下上海にお ける現地文学の種々相

著者 大橋 毅彦

雑誌名 日本文藝研究

巻 67

号 1

ページ 1‑26

発行年 2015‑10‑10

URL http://hdl.handle.net/10236/13799

(2)

初 期

﹁ 大 陸 往 来 ﹂ の 一 瞥 ︵ 下 ︶

│ 戦時 下 上 海に お け る現 地 文 学の 種 々 相│

橋 毅 彦

一 前 景 化さ れ る 現地 文 学 一 九四 一︵ 昭 和 一 六

︶ 年度 上 半期 の 芥 川賞 を 受 賞 した 多 田 裕計 の

﹁長 江 デル タ

﹂の 初 出 発表 は 同 年三 月 号 の﹁ 大陸 往来

﹂に おい ての こと であ った が︑ たま たま 同誌 には 現地 の文 学サ ーク ル長 江文 学会 の同 人蘇 我邦 衛に よる 文芸 時評 で﹁ 現地 文学 の志 向と 段階

﹂と 題す る評 論も 掲載 され てい た︒ 大政 翼賛 会が 示し た﹁ 内は 民族 の精 神を 振起 し︑ 外は 大東 亜文 化の 昂揚 に努 む﹂ とい う実 践要 綱を 実現 す る こ とが

︑﹁ 前 線 と銃 後 の 中間 に 位 す る特 殊 地 域﹂ たる こ こ 上海 では さら に一 段の 喫緊 性を 持ち 出し たと いう 前提 に立 って

︑﹁

﹁ 現地

﹂の 特殊 性を 性格 とし た文 学﹂ の現 況に つい て論 じた もの であ る︒ と ころ で︑ この

﹁﹁ 現 地﹂ の特 殊性 を性 格と した 文学

﹂と は具 体的 には どの よう なも のを 指す のだ ろう か︒

﹁現 地文 学の 志向 と段 階﹂ の書 き手 はい ま目 にし てい るそ れは 揺籃 期か ら発 足期 に踏 み込 んだ 段階 にあ るも のに 過ぎ ない と断 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(3)

って いる ので

︑こ こで は同 じ号 に載 った

﹁長 江デ ルタ

﹂も 含め

︑便 宜的 にこ の年 の終 りま での

﹁大 陸往 来﹂ に掲 載さ れた 小説 作品 まで 守備 範囲 を広 げて

その こと を考 えて みよ うと 思う

︒ 手 始め に﹁ 長江 デル タ﹂ から 見て いく と︑ 日本 から 上海 に来 て間 もな い主 人公 の三 郎と 袁孝 明・ 袁天 始姉 弟の 交わ りを 描い たこ の中 編小 説は

︑汪 兆銘 の新 中央 政府 樹立 前後 の﹁ 文化 の大 デル タ﹂ とも 呼び 得る 上海

・南 京・ 杭州 を舞 台と して

︑新 しい 時代 の座 標軸 を求 める 者た ちの 思想 上の 苦悩 を荒 々し いタ ッチ で彫 り上 げた 作品 であ る︒ 政治 上の 考え では 彼と は反 対の 立場 にあ る袁 孝明 が体 現す る﹁ 人間 の思 想の 権威 のた めに も︑ 現実 が一 変し たと 云つ て︑ 直ぐ 転向 でき な﹂ い苦 しみ の真 剣さ に接 した 三郎 が

︑﹁ も う︑ 日 支事 変 は︑ 魂 の問 題 と して 我 々 の 前に 残 さ れて ゐ る 祈り をも つて 心と 心と を重 ぬる こと が必 要だ

﹂と いっ た思 いを 自ら の裡 に湧 き上 らせ てい く人 物と して 造形 され てい ると ころ など は︑ 同じ 作者 が﹁ 大東 亜戦 争﹂ の 勃発 の 際 に得 た 感 動 に突 き 動 かさ れ て 書い た

﹃新 世 界﹄ 一 九 四 三

・ 七

︑ 大 都 書 房

︶ に 登場 する 神が かり 的な 思惟 に巻 き込 まれ てい く人 物像 よ り も表 現 と して は 優 位 にあ る と 思わ れ る が︑ おそ らく こう した 一面 も視 野に 入れ ての こと であ ろう

︑芥 川賞 選評 委員 会に 出席 した 横光 利一 は﹁ やつ ぱり これ は身 を実 地に 当て てや つて いな けれ ばこ んな もの は書 け な い です

﹂︑ あ る いは

﹁支 那 の 青年 な ん か に読 ま せ れば

︑日 支 の 提携 とい うよ うな 点で 実に 貢献 する 所が ある だろ うと 思う

﹂と いっ た言 葉を 口に して いる

︒ 上 海と いう 場に おれ ばこ そ日 本内 地に いる より も自 分た ち の 生 活が そ れ と深 く 関 与し て い る こと が 感 得で き た り︑ いま まで は知 らな かっ たそ のあ りよ うを 具に 見聞 する 機会 を得 てい くこ との でき るも の︑

││ そう した 判断 のも とに 作品 の中 に取 り込 まれ た﹁

﹁ 現地

﹂の 特殊 性﹂ なる もの は︑ さは 言え

﹁和 平建 国﹂

﹁日 支提 携﹂ の渦 中に 巻き 込ま れる 人心 ばか りを 指す ので はな い︒

﹁ 長江 デル タ﹂ にお いて も 三 郎と 袁 孝 明の 知 己 とな る 人 物 とし て

︑ヒ ト ラー の 魔 手か ら上 海に 逃れ てき て︑ 第二 次上 海事 変の 戦禍 の跡 生々 しい この 街の かた ほと りで 暮ら して いる ベル ツ兄 妹が 登場 して

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(4)

い るが

︑こ の

﹁放 浪 民 族﹂

││ 中欧 か ら 上海 に 亡 命し て き た ユダ ヤ 避 難民 の 運 命 に目 を 向 けた 作 品 群 を こ の 時 期 の

﹁ 大陸 往 来

﹂に 発 表し て い っ た の が 小 泉 譲 で あ る︒ 同 誌 一 九 四

〇 年 一 二 月 号 掲 載 の

﹁少 女 テ レ ー ゼ

│上 海 碼 頭 風 景

│﹂

︑ 一九 四 一 年 六月 号 掲 載﹁ 追放 者 の 家﹂

︑七 月 号 掲 載﹁ 追放 者 の 家︵ 続

﹂︶ がそ れ に あた る が

︑小 泉 はそ れ ら の 作 品を

︑彼 等避 難民 の合 宿所

︵ ハ イ ム

︶ に 自ら 直接 訪問 する

など して 書き 上げ てい った

︒ 事 変の 終息 を見 ると 同時 に始 まっ た︑ 上海 を中 心と する

﹁中 支那

﹂地 域の 経済 的復 興開 発に 関わ る動 きも

︑上 海の

﹁ 明朗

﹂化 など とい った 呼び 声と セッ トに なっ て上 海居 留 邦 人の 関 心 の的 と な って い た︒ 一 九 三八 年 九 月に 創 立 され た日 支合 弁の 上海 恒産 株式 会 社︵ 華 名

上 海 恒 産 股 份 有 限 公 司

︶ が 大上 海 都 市計 画 を 定め て そ れ に着 手 し たこ と な どは その 一つ の現 れだ が︑ 一九 四一 年一 二月 号の

﹁大 陸往 来﹂ に載 った 佐野 清︵

黒 木 清 次

︶ の﹁ 新市 街日 記

﹂と 題 する 短編 は︑ この 国策 会社 が開 発し た五 条ケ 辻の 住宅 地に 引っ 越し てき た邦 人男 性の 目を 通し て︑ かつ て市 街戦 が繰 り広 げら れた 土地 の光 景が 面目 を一 新さ せて いく さま を物 語っ たも ので ある

︒虹 口の

﹁雑 魚寝

﹂の よう な生 活か ら妻 と共 に新 市街 の振 興住 宅へ 越し てき た主 人公 は︑ この 市政 府一 帯の 道路 名を どう 呼ん だら いい のか 明快 な答 えが 見つ けら れず に複 雑な 思い にか られ たり しつ つも

︑散 歩の 途上 で出 会っ た白 衣の 傷病 兵と 言葉 を交 わし たこ とを きっ かけ とし て︑ いま から 暮ら し始 め る この 土 地 が﹁ 静か に

︑き び し く︵ し か も 長 閑 か な 風 景 と と も に

︶ 祖国 や 戦 争﹂ につ い て の深 い感 懐を 与え てく るこ とを 実感 して いく

︒ そ んな 主人 公が 目を 細め て遠 く見 やる

﹁河 向 こ う の櫛 比 し た建 物

﹂は

︑﹁ 煙 や塵 埃 の よ どん だ な がれ

﹂に そ の 下層 を 包ま れ て 蜃 気楼 の よ うに 空 に 浮い て も い れば

︑夜 に な れば

﹁苺 を つ ぶ した

﹂よ う な 赤い ネ オ ン に 彩 ら れ て

﹁悪 の 華﹂ の ごと き 影 像 に化 す の だが

︑そ う い えば あ の 詩 集﹃ 上海 雑 草 原﹄ 一 九 四 四

・ 一

︑ 八 雲 書 林

︶ の 著 者 池 田 克 己 の 場 合も

︑建 設工 作に 従事 する 長江 三角 洲の 上に 広が る雑 草原 の間 から

﹁彼 方は るか に薄 靄が かげ ろひ

︑夜 はネ オン が空 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(5)

を焦 がす 上海 租界

﹂を

﹁不 逞々 々し い心 で眺 めや

﹂っ てい たし

︑自 分た ちが 掘り 返す 泥の 中に 顚倒 して いく あの 衢が

﹁ 魔都

﹂と 呼ば れて いる こと に﹁ 腹か らの 笑ひ

﹂を 感じ なが ら詩 作に あ た って い た︒

﹃ 上 海雑 草 原﹄ の 刊行 は 一 九四 四年 一月 であ って

︑い ま話 題に して いる 時期 より かな り後 にな るが

︑詩 集に 収録 され た作 品の 中に は﹁ 大陸 往来

﹂を 初 出と す る も のも あ り︑ た とえ ば

﹁新 市 街日 記

﹂と 同 じ 一九 四 一 年一 二 月 号 の同 誌 に 載 っ た

﹁泥 土 層

│上 海 雑 草 原

│﹂ と題 する 詩か らは

︑あ たり 一面 羹の よう にな った 泥土 の中 に埋 もれ なが らそ れと の無 邪気 な格 闘を 繰り 返す 苦力 とと もに ある こと によ って

︑租 界の 偉容 を誇 って きた 上海 の歴 史が 塗り 替え られ てい く現 場に 自ら も立 ち会 って いる とい う確 信を わが もの にし てい こう とす るさ まが 伝わ って くる ので ある

︒ と は言 え︑ この よう にし て現 実の 変革 に積 極的 に関 わっ てい き︑ それ によ って 自身 にと って の意 義あ る生 活を 見出 して いく とい った シチ ュエ ーシ ョン を打 ち出 すこ と だ け が︑

﹁現 地

﹂性 を 捉え た こ との 証 し に なる と は 言え な い だろ う︒ つま り︑ それ とは 反対 に︑ コス モポ リタ ンと して の街 が次 々と 投げ かけ てく る悪 夢や 災い によ って その 身を すり 減ら し︑ 不幸 で数 奇な 運命 を辿 って いか ざる を得 なく なる 人生 も︑ これ また 上海 とい う都 市が その 内部 に数 多く 抱え 込ん でい たも ので はな かっ たか

︒こ こで は太 田克 己の

﹁異 国に 果つ

﹁ 大 陸 往 来

﹂︑ 一 九 四 一

・ 一

︶ を挙 げて おこ う︒

﹃支 那在 留邦 人人 名録 第三 十一 版﹄ 一 九 四 一

・ 九

︑ 金 風 社

︶ に 記載 され てい る上 海 居留 民 団 立 上海 日 本 高等 女 学 校教 諭太 田克 己と おそ らく は同 一人 だと 思わ れる この 作家 が書 いた

﹁異 国に 果つ

﹂は

︑上 海で 暮す よう にな って 三十 年に もな る塚 本は ると いう 五十 歳を 過ぎ た女 性を 主人 公と する 短編 であ る︒ この 街に 来て まも なく 知り 合っ た独 逸人 男性 の跡 を追 って 彼の 国に 行き

︑そ こで 一児 を授 かり はす るも のの 結局 は彼 と別 れて 上海 に戻 り︑ 幾多 の苦 労を 重ね なが らい まで は下 宿家 の女 主人 とし てそ れな りの 生計 は立 つよ うに はな った もの の︑ ある 日脳 溢血 の発 作を 起こ して 倒れ てし まう

││ そこ から 死を 迎え るま での 半年 ばか りの 彼女 の姿 を︑ 病床 でそ うし た自 身の 半生 を振 り返 る彼 女の 回想

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(6)

も交 えな がら 描き 出し てい る︒ 折に ふれ て湧 き起 る︑ 捨て てき たふ るさ との ある 日本 に対 する 愛憎 半ば した アン ビバ レン トな 感情

︑上 海事 変に 遭遇 して 現地 の学 校へ の進 学を 断た れた ため にド イツ に留 学し て工 学士 にな るた めの 勉学 に励 んで いる

︑国 籍は 日本 でも 日本 語の 読み 書き ので きな い 一 人 息子 の エ ディ と 繋 がっ て い た いと い う 必死 な 思 い︑ 永い 年月 を﹁ ただ 自分 の力 のみ 信じ

︑独 りで 自分 を守 るこ とに のみ 汲々 とし て﹂ 生き てき た女 の胸 の底 には

︑こ うし た葛 藤が 幾重 にも 畳み 込ま れて いた こと が物 語ら れて いる ので ある

︒ 二 期 待 され る 現 地青 年 像 さ て︑ 文学 作品 が﹁ 現地

﹂の 特殊 性を 性格 とす ると いっ ても

︑斯 様に その 内実 は様 々な 傾向 に分 かた れる もの であ るこ とを 見て きた わけ だが

︑そ うし た中 でも より 際立 って くる 位相 が何 だっ たの かを あえ て挙 げる なら

︑そ れは 激し く変 転す る時 局に 向き 合い 己の 生き 方を 決定 して いく 現地 の青 年の 姿が 作品 制作 のモ チー フと して 頻繁 に選 ばれ てい くこ とで あっ たと 思わ れる

︒ 現 地邦 字新 聞﹁ 大陸 新報

﹂の 発行 元の 大陸 新 報 社 が一 九 四 一年 一 一 月に 刊 行 し た﹃ 大陸 年 鑑 昭 和十 七 年 版﹄ は︑ 内地 のそ れと は著 しい 相違 点を 有す る﹁ 青年 団﹂ の設 立及 び﹁ 青年 運動

﹂の 展開 が現 地上 海で 見ら れた こと を報 告し てい る︒ すな わち 名称 は青 年団 であ って も︑ 年齢 上の 構成 から みれ ば内 地の 青年 団︑ 壮年 団の 両者 を結 合一 体化 した もの とし て一 九四

〇年 八月 に誕 生し た﹁ 上海 青年 団

﹂が

︑﹁ 本 団 は国 体 の 本義 に 則 り現 地 青 年 の国 民 的 団結 力 を 涵養 しそ の心 身を 鍛錬 する と共 に現 地に 於け る国 民組 織の 中核 とし て大 東 亜建 設 の 推 進力 た ら んと す る﹂ 団 則 第 一 章 第 三 条

︶ 目標 を掲 げて

︑文 化部

・訓 練部

・体 育部 の組 織系 統の 下に 多方 面に わた って 活動 を 展 開︑ 一九 四 一 年一

〇 月 現在 にお いて は合 計九

〇余 りの 単位 青年 団を 有し 総団 員数 は一 万名 に達 する まで に勢 力を 伸張 させ てき てい るこ とが 報じ 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(7)

られ てい る⑺

︒ 上 海青 年団 はそ の活 動内 容を 広く 知ら しめ てい く べ く 機関 誌

﹁上 海 青年

﹂の 刊 行 を始 め る が︑ そ の第 三 号︵ 一 九 四

・ 一 一

・ 一

︶ と 第四 号︵ 同

・ 一 二

・ 一

︶ を 見る と︑

﹁長 江デ ル タ﹂ の作 者 で ある 多 田 裕 計が

︑同 団 の 一単 位 で ある ハミ ルト ン⑻

青 年団 の代 表と して 他の 八名 の団 員と とも に東 京で 開催 され る大 日 本 青年 団 主 催 の興 亜 青 年大 会 へ 派遣 さ れる こ と に 決ま っ た こと や

︑現 地 の大 東 放 送 局が 毎 水 曜日 夜 に 放 送す る

﹁大 陸 青年 の 時 間

﹂で

﹁立 体 文 化 へ の 前 進﹂

︵ こ の

﹁ 立 体 文 化

﹂ と い う 特 異 な 言 葉 は

︑ 後 に 刊 行 さ れ た

﹃ 新 世 界

﹄ に お い て も 小 説 の 主 人 公 に よ っ て 口 に さ れ て い る

︶ と題 す る 講 演 を 行 う こ と が 記 さ れ て い る︒ さ ら に 上 海 青 年 団 本 部 幹 事 と し て

︑﹁ 文 化 部

﹂で は﹁ 詩 吟・ 朗 詠

・映 画

・団 歌﹂

︑﹁ 訓 練部

﹂で は﹁ 職場 相互 視察

﹂︑

﹁ 総務 部﹂ では

﹁企 画・ 立案

﹂を それ ぞれ 担当 して いる こと も確 かめ られ る︒ 上 海青 年団 を中 心と する 青年 運動 の動 きは

︑海 軍表 忠塔 建設 勤労 奉仕 の 主 催⑼

︑ 海軍 復 興 部 の好 意 を 得て の 上 海青 年館 の落 成⑽

︑ その 青年 館内 で の近 代 日 本科 学 図 書館 虹 口 分 館の 開 設⑾

と い っ た話 題 を 提 供し な が ら︑ 団の 機 関 誌の みな らず 他の 新聞

・雑 誌メ ディ アに おい ても 頻繁 に 取 り 上げ ら れ てい く こ とに な る︒

﹁ 大 陸往 来

﹂の 場 合で そ れ を確 認す ると

︑一 九四

〇年 一一 月号 に﹁ 地域 別青 年団 の組 織│ 上海 青年 団の 拡大 強化

﹂と 題す る告 知が 掲げ られ

︑翌 一二 月号 にお ける

﹁新 体制 現地 人座 談会

﹂で は当 の団 体の 事務 局長 であ る松 井松 次も 出席

︑上 海青 年団 の現 況に つい て熱 弁を 振る って いる とい う具 合だ

︒一 九四 一年 六月 号に は美 山豊

﹁現 地青 年問 題を 論ず

│岐 路に 立つ 青年

│﹂ と題 する 評論 も載 った

︒そ して

︑こ うし た状 況が 広が りを 見せ てい くと き︑ 多田 裕計 のよ うに 自分 の生 活そ のも のを 問題 の渦 中に 直接 投げ 込ん で行 動し てい くと ころ にま では 踏み 込ま ない にせ よ︑ それ と無 縁で ある とは いえ ない 立場 を選 択す る書 き手 が現 れる 可能 性は 十分 すぎ るほ どあ った と思 われ るの であ る︒ た とえ ば一 九四 一年 二月 号の

﹁大 陸往 来﹂ に載 った 二藤 二雄 の小 説﹁ 泥岸 の詩

﹂が

︑時 期的 に見 て比 較的 早い 段階

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(8)

の現 地青 年運 動の 動向 につ なが るス トー リー を提 示し てい る︒ 事変 直後 の﹁ 昭和 十二 年十 二月

﹂の 上海 に︑ 内地 出張 の帰 途に つい た自 然科 学研 究所 所員 の﹁ 私﹂ とと も に︑

﹁ 私﹂ の 友人 の 弟 であ る 千 田良 平 と い う青 年 が 電気 材 料 商を 営む 兄の 仕事 を再 度手 伝う ため に戻 って くる とこ ろか ら こ の 物語 は 始 まっ て い くが

︑そ の 冒 頭 部で く だ んの 良 平 は︑ 船が 上海 の港 に近 づい たこ とを 知っ た﹁ 私﹂ から 甲板 に出 よう と誘 われ ても

︑﹁ 僕

︑い やで す! 戦跡 はい やな んで す︒

︵ 中 略

︶ 戦 争 で 破壊 さ れ たあ と を 見る の は た まら な い﹂ と いう 言 葉 を口 に し

︑日 本 軍の 輸 送 船と 擦 れ 違 う時 に 周 囲の 人々 がこ ぞっ て﹁ バン ザイ

﹂の 声を あげ る中

︑た だ一 人船 室に 閉じ こも って

﹁フ ラン スの 恋愛 小説

﹂に 読み 耽っ てい る青 年と して 描き 出さ れて いる

︒ 事 変前 とは 異な る良 平の 様子 に︑ 兄の 冬太 も﹁ 私﹂ も戦 争の 激し さが 彼の 内部 に自 分で も収 拾の つか ない 圧力 感を もた らし たが ゆえ の変 貌で はな いか と危 惧の 念を 募ら せる のだ が︑ そん な良 平に ある 日転 機が 訪れ る︒ その 日上 海に 着い てか ら初 めて の﹁ 私﹂ の訪 問を 受け たも のの

﹁私

﹂と の対 話を 拒否 して 街へ 飛び 出し た良 平は

︑必 死に なっ て逃 げ惑 って いる うち に閘 北の 一郭 にあ る戦 闘で 破壊 され た鉄 路管 理局 に辿 りつ く︒ そし て︑ 良平 に追 いつ いた

﹁私

﹂が その 戦跡 から

﹁硝 煙の 匂ひ

﹂よ り﹁ 何か もつ と尊 い世 界の

︑鋭 く胸 をう つ匂 ひが 吹き つけ てく る﹂ のを 感じ た時

︑良 平も また やお ら爆 弾で でき た穴 のふ ちを

﹁彼 の心 の中 にど ろど ろ流 れて ゐる 邪念

﹂を 吐き 出す かの よう な声 を上 げな がら 歩き 始め

︑兄 とと もに この

﹁泥 岸の 街﹂ で店 の再 建に 乗り 出す 決意 を固 める

︒や がて 彼が

︑戦 乱後 の﹁ 変態 的な 殷賑 さ﹂ で﹁ 汚辱 な感 じ﹂ をと みに 増加 させ た虹 口 の 日 本人 街 を 再生 さ せ るた め

︑﹁ 共 和 里自 警 青 年会

﹂の 良 き 指導 者と して の風 貌を 持ち 出し たの は︑ それ から ほと んど 間を おか ない その 年の 暮︑ 大晦 日を 迎え る頃 だっ た︒ 上海 青年 団 の前 身 に あ たり

︑現 地 自 粛運 動 の 一翼 を 担 う 上 海 青 年 倶 楽 部 が 結 成 さ れ た の は 一 九 三 九 年 二 月 の こ と だ っ た が︑

﹁ 泥岸 の詩

﹂は そう した 運動 体の 萌芽 的形 態を 捉え てい ると も言 えよ う︒ 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(9)

目 次 で は︹ 現 地創 作

︺と 銘 打 た れ た﹁ 泥 岸 の 詩

﹂と は 別 建 て で 同 じ 号 に 掲 載 さ れ た 大 木 雷 作⑿

の 小 説

﹁光 あ る 濁 流﹂ の方 は︑ 事変 後二 年が 経過 した 上海 で中 国経 済の 再建 とい う問 題に 取り 組む ため の研 究会 を立 ち上 げた 青年 佐川 と︑ 彼を 後援 する 貿易 商杉 本龍 造に 実の 両親 の死 後引 き取 られ てい まは 娘同 然の よう にし て龍 造夫 婦と とも に暮 らし てい る時 子と いう 二十 歳少 し過 ぎの 娘が 主人 公 で あ る︒ 時子 の 眼 に映 る 佐 川青 年 の 人 とな り は︑

﹁ 軽薄 で

︑ニ ヒ ルな 上海 の青 年た ち﹂ の中 にあ って ひと きわ

﹁真 実味 のあ る︑ 熱の 塊り の様

﹂な もの であ り︑ それ を自 ら証 明す るか のよ うに 佐川 は﹁ 建設 的な もの への 意欲

﹂を 全身 に漲 らせ なが ら行 動し てい く︒ その 過程 にお いて は︑ 自身 の尊 敬す る中 国人 の経 済学 研究 者か ら会 への 参加 を断 られ て﹁ 日支 提携

﹂遂 行に 難儀 する こと もあ れば

︑同 じ会 のメ ンバ ーで あっ ても 佐川 の経 験知 に富 む発 言を 快く 思わ ず︑

︿ 老上 海/ 新 上 海﹀ とい う 党 派的 な 考 えを 押 し 出 して く る 小林 青 年 らに よっ て孤 立に 追い やら れた りも する

︒が

︑そ れら をも って して も佐 川の 闘志 は怯 むこ とが ない

︒彼 との 世代 的な 違い がも たら す﹁ 自由 主義 の動 脈硬 化病

﹂に 罹っ てい るこ とを 自覚 する 龍三 から 自分 たち に代 わる 時代 の担 い手 とな るこ とを 期待 され つつ

︑佐 川は

﹁世 間並 みの 平和

﹂よ りも

﹁現 地新 体制

﹂の 礎と なる 生き 方を 選ぶ 決意 をい っそ う強 くし てい くの であ る︒ つ いで に言 えば

︑そ んな 佐川 とと もに 生き るこ とを 自分 にと って の幸 福に 通じ ると 確信 して いく 時子 の印 象が

﹁健 康美

﹂と いっ た言 葉で 語ら れ︑ それ をも って

﹁断 じて 現地 娘ぢ やな い﹂ こと の徴 とさ れて いる こと から は︑ これ まで の﹁ 享楽 的刹 那的

﹂な 生活 スタ イル や精 神性 とは 異な って

︑今 日唯 今か らの 上海 を支 える 新た な現 地青 年の 一翼 を占 める 日本 人女 性に つい て期 待さ れる イメ ージ が︑ そう した 符牒 をも って 流通 し始 めて いる こと も読 み取 れる のだ

︒ 現 にこ の﹁ 健康 美﹂ は﹁ 大陸 往来

﹂一 九四 一年 五月 号掲 載の 国見 由紀 夫の 小説

﹁建 設﹂ にも 出て くる

︒前 年一 一月 号の 同誌 に﹁ 技術

︑技 巧の 未完 成は ある が︑ 筆者 の大 陸を 見る 愛情 はこ の一 篇に 溢れ て居 る﹂ とい う﹁ 編輯 局﹂ から

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(10)

のお 墨付 きを もら って

﹁春 妹﹂ を載 せた のに 次い で

︑﹁ 兵 隊 出身

﹂の こ の 作家 が そ の後 の 精 進 振り を 示 すべ く 発 表し たの がこ の作 だが

︑そ こに も﹁ 光あ る濁 流﹂ の時 子と 同じ く│

│い や︑ その 描写 の細 部に 至る まで 剽窃 と見 紛う ばか りの 重な り方

で│

│﹁ 健康 美﹂ を湛 えた 冬子 とい う女 性が 登場 する

︒そ して 上 海 の開 発 会 社 にタ イ ピ スト と し て勤 める 彼女 が心 を傾 けて いく

︑現 地除 隊後 上海 特務 機関 にい るか つて の上 司の 命を 受け てこ の会 社に 出向

︑奥 地の 鉱山 との 間に 無線 網を 構築 する 任に 就い た村 田 青 年 もま た

︑﹁ 開 発の 命 脈﹂ を 守る た め に﹁ 捨 て身

﹂の 行 動 に打 っ て 出ん とす る青 年と して 造形 され てい る︒ 建設 と統 制と が結 びつ いた 時代 の要 請を 前に して

︑自 分自 身の 幸福 や個 性の 自由 な 発展 に し か 人生 の 価 値を 見 出 さな い こ と を若 さ の 欠陥 だ と み なす 発 想 を身 に つ けた 二 人 は

︑そ う し た

﹁幸 福

﹂や

﹁ 自由

﹂を 犠 牲 に する こ と にお い て 初め て 結 び つい て い こう と す る︒

﹁若 い 感 情 を妙 に 掻 き 乱

﹂し

﹁身 を 破 滅 に 近 づ け﹂ ると いっ た﹁ 上海 病﹂ を向 うに まわ した この 二人 の姿 に︑ 作者 は村 田が 畏敬 する 吉川 少佐 の口 を借 りて 現地 に生 きる 青年 の方 向を 見定 めて いる

︒ 三 現 地 文学 に 差 し込 む 室 生犀 星 の 影 以 上︑ 現地 青年 の行 く末 にス ポッ トを あて た小 説 を 一 九四 一 年 上半 期 の﹁ 大 陸往 来

﹂か ら 三 編取 り 上 げて み た が︑ 自警 青年 会︑ 経済 研究 会︑ 開発 会社 にお ける 無線 開設 と個 々の 活動 の場 は違 って いて も︑ 彼ら の行 動の 指針 とな るも のが 総じ て自 身の 私生 活を 叩き 上げ

︑建 設実 践へ の道 を邁 進し よう とす る熱 意に よっ て支 えら れて いる こと

︑そ して その よう な青 年を 描き 出す こと が当 の書 き手 たち にと って は︑ 自ら の文 学を 挙げ てい わゆ る翼 賛運 動に 協力 する こと の証 しと して 受け とめ られ てい たこ とが 判然 とし てく るの であ る︒ だ が︑ この よう なか たち で生 み出 され る健 全な 文学 なる もの は︑ 新体 制に 即応 する こと を第 一義 的な もの と考 える 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(11)

書き 手の 意識 を優 先さ せる がた めに

︑現 実の 後を 追い かけ てい くだ けか

︑予 め定 めら れた コー ス以 外の 道を 作中 人物 に歩 ませ る可 能性 を失 って いく もの にな って いく かし て︑ かえ って 文学 とし ての 衰弱 を呼 び込 んで いっ たの では ない か︒ た とえ ば﹁ 光あ る濁 流﹂ の場 合︑ たし かに そこ では

﹁私 など も中 国人 とし ての 自覚 はハ ツキ リし てゐ ます が︑ 実際 に民 族を 超越 した 大東 亜の 民と して の実 感も 確信 も摑 むこ とは 出来 ませ ん﹂ とい う言 葉に よっ て佐 川青 年を はた と立 ち止 まら せる 中国 人が 登場 した り︑ その 佐川 も自 分の 関わ って いる 研究 会は

﹁軍 部と は何 の関 係も あり ませ ん﹂ など と言 い放 った りし てい て︑ 作中 人物 の生 きる 空間 がけ っし て均 質な もの では なく

︑幾 つか のベ クト ルを 違え た力 線に よ って 成 り 立 って い る こと も 肯 定で き る

︒だ が 翻っ て 事 変前 か ら 事 変後 に か けて の 佐 川の 変 化 の 仕方 に 目 を向 け た 時︑ 仏蘭 西租 界の 一郭 で﹁ 周囲 の生 活か ら浮 び上 がつ

﹂た

﹁エ トラ ンゼ

﹂の それ と言 って もよ い﹁ 孤独 の生 活﹂ を送 って いた 彼が

︑な ぜ唯 今現 在に あっ ては

﹁竹 を割 つた 様な 性格 と物 に対 する 迸る 様な 熱﹂ でも って 龍造 一家 を魅 了し てし まう 人物 に成 りき るこ とが でき てい るの か︑ その 必然 性や 成 長︵

︶ の 過 程が ほ と ん ど伝 わ っ てこ ず

︑た め にこ の人 物が 人間 らし くは 見え てこ なく なっ てく るの であ る︒ それ はや はり この 作品 を読 んだ 際の 芸術 的感 興を 殺ぐ 一つ の瑕 疵で ある と言 わざ るを 得な い︒ さ て新 たな 問題 に移 ろう

︒小 論の はじ めに 記し た文 芸時 評﹁ 現地 文学 の志 向と 段階

﹂は 最近 の収 穫と して 小泉 譲の

﹁ 少女 テレ ーゼ

│上 海碼 頭風 景│

﹂を 挙げ てい る︒ 傍題 が 示 唆す る よ うに

︑外 国 か らの 船 が 出 入り す る 波止 場 に 日々 足を 運び

︑自 分の あと を追 って ウィ ーン から

﹁パ パと ママ

﹂が やっ て来 るこ とを 心待 ちに して いる 八歳 のユ ダヤ 人少 女テ レー ゼを 登場 させ ると ころ から 始ま るこ の小 説は

︑彼 女の 裡に 生じ るさ まざ まな 感情 の起 伏と

︑彼 女の 若い 叔母 で二 人の 生計 を支 える ため 身を 粉に して 働く アン ナが そん な中 で初 めて 知っ た恋 の歓 びと を交 錯さ せな がら

︑よ うや

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

(12)

く彼 女の 目の 前に 現れ た父 母を 乗せ た船 が︑ ユダ ヤ人 上陸 禁止 の命 令の ため にそ のま ま上 海碼 頭か ら離 れて 行く のを テレ ーゼ が見 送る まで を物 語っ たも のだ が︑ 評者 はそ うし た﹁ 上海 の碼 頭に はザ ラに 転が って ゐ﹂ る﹁ 素材

﹂を よく こな して

﹁作 品﹂ にし た作 者の 手腕 を高 く評 価し てい る︒ な るほ どそ のよ うに 評価 され る作 者 の﹁ 手慣 れ た 筆致

﹂な る も の は︑

﹁は じ め て︑ アル フ レ ツド

︵ ア ン ナ の 恋 人 と な る ユ ダ ヤ 人 の 青 年 医 師

︒ 注 大 橋

︶ が

︑テ レ ーゼ の 部 屋 に来 た の は︑ 夏の 終 り 頃 だ つ た

︒そ れ も 秋 へ 移 る 前 ぶ れ な の か︑ 霧の 深い ひや りと した 夜だ つた

︒薄 煙り のや うな 霧 が︑ び つ くり す る 程秋 の 匂 ひを 含 ん で︑ あ たり を 立 罩め て ゐ た︒ ポプ ラの 樹の 下に

︑し よん ぼり 立つ てゐ る外 燈も

︑慌 てた 色彩 でぼ んや りと 輪を 描い てゐ た﹂ のよ うに

︑人 物の 内面 の 動き を そ の まま の か たち で 説 明せ ず と も︑ 彼 らを 取 り 巻く 風 景 の 描写 に よ って そ れ を感 得 さ せ てい く と ころ だ と か︑ ある いは 作品 の構 成と して は二 部形 式を とっ てい る︒ それ ぞれ の冒 頭に

︑テ レー ゼの 境遇 をそ れに 集約 した 感の ある

﹁七 月の 空に も︑ 暗い 歔欷 ある を︒

﹂ なら び に﹁ そ の秋

︑孤 独 は 流河 と 共 に逝 く

﹂と い っ た詩 的 感 興を 湧 か せる 小見 出し を置 いて いる とこ ろな どに

︑う かが うこ とが でき る︒ 一 方︑ この 小説 に対 する 評者 の注 文が 無い わけ では ない

︒そ の最 たる もの が︑ 物語 の最 後に 至っ てテ レー ゼの 心が 絶望 に覆 われ てい くの を目 して

︑そ のよ うな 結末 のつ け方 には

﹁現 地文 化の 建設 に逆 行す る働 き﹂ を持 った

︑あ るい はそ うし た傾 向に 紛れ そう な作 者の 志向 が現 れて いる ので はな いか とい う危 惧の 念を 表明 して いる 点で ある

︒こ の危 惧を 反転 させ れば

︑建 設へ の意 欲や 健康 美に 溢れ た青 年像 の造 形を 通し て現 地文 化の 興隆 に寄 与す る行 動派 とし ての 作家 に対 する 称讃 にな るこ とは 見易 い道 理だ が︑ その こと はも う繰 り返 さな い︒ む しろ それ とは 別に 注目 した いの は︑ 作者 の慣 れた 筆捌 きが もた らす

﹁詩 感﹂ が単 なる

﹁言 葉の 美し さ﹂ の域 を越 えて

﹁真 実の 輝き

﹂を 顕し てい くた めに

︑た とえ ばど のよ う な 作 品を 目 標︵ 手 本

︶ に据 え た ら よい の か とい う 問 いに 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 一

(13)

対し て︑ この 文芸 時評 の書 き手 が室 生犀 星の 作品 を持 ち出 して きて いる こと であ る︒ か つ て 詩 集﹃ 抒情 小 曲 集﹄

︵ 一 九 一 八

・ 九

︑ 感 情 詩 社

︶ や第 一 創 作 集﹃ 性に 眼 覚 める 頃

﹄︵ 一 九 二

・ 一

︑ 新 潮 社

︶ を も って 大正 詩壇 と文 壇と に新 風を 送り 込ん だ室 生犀 星の 一九 四〇 年か ら四 一年 にか けて の創 作活 動と 言え ば︑ いわ ゆる

︿ 王朝 もの

﹀と 呼ば れる 小説 を多 く執 筆発 表す る時 期に あた って いる が︑

﹁現 地文 学の 志向 と段 階﹂ の筆 者で ある 蘇我 が﹁ 少女 テレ ーゼ

﹂の 作者 が見 なら うべ きだ とし て持 ち出 した のは

︑そ れよ りや や遡 った 時点 でこ ちら の方 はい わゆ る︿ 市 井鬼 も の

﹀と 呼 ばれ る 作 品の 量 産 態勢 に 入 る 直前 に 書 かれ た

﹁医 王 山﹂

︵﹁ 改 造

﹂︑ 一 九 三 四

・ 七

︶ だ っ た

︒市 井 に逼 塞し て暮 らす 一地 方官 吏の 人生 に触 れた この 短編 を蘇 我は 取り 上げ

︑そ れが

﹁詩 人犀 星が 最も 詩才 を沈 めて 書き あげ たか の様 に見 え﹂ なが ら

﹁最 も 強 く﹃ 詩﹄ を感 じ

﹂さ せ ると 述 べ る︒ 換言 す れ ば︑

﹁ 美し い 描 写を 含 ま ずに

︑平 凡 な文 が 真 を 衝き

︑全 体 的 に交 響 し 合つ て 詩 感 を盛 り 上 げる

﹂ケ ー ス と して こ の 短編 の 出 来栄 え を 褒 めて い る わ け だ︒ こ のよ うな 犀星 評が 評者 一人 のも ので なか った こ と は︑

﹁ 医王 山

﹂発 表 時に 遡 っ て同 時 代 評 を見 て も 確か め る こと がで きる

︒一 九三 四年 六月 号な らび に七 月号 の﹁ 行動

﹂に

﹁文 芸 時評

﹂を 寄 せ た 阿部 知 二 は︑ 犀星 の

﹁洞 庭 記﹂

﹁ 中 央 公 論

﹂︑ 一 九 三 四

・ 五

︶ や

﹁猟 人⒁

﹁ 行 動

﹂ 一 九 三 四

・ 六

︶ を取 り 上 げ て︑

﹁い く つ かの 挿 話 は 組 曲 の や う な 配 置 を 持 つて ゐ﹂ たり

︑﹁ 俗 悪な もの の上 には 浄ら かな 光り

﹂が 投 げ かけ ら れ てい る と ころ を 買 っ てお り

︑続 く 同誌 八 月 号の 座談 会﹁ 月評 と文 芸思 潮⒂

﹂ に出 席し た折 には

︑そ うし た犀 星文 学の 特 性 が他 で も 発 揮さ れ た 例と し て﹁ 医 王山

﹂を 持ち 出し

︑﹁ ち よつ と饒 舌に 過ぎ るや うな とこ ろ も あ る﹂ が﹁ あれ は ち ょつ と 行 くと サ チ ー ルみ た い に│

│僕 は ゴー ゴリ を沢 山読 んで ない けれ ども

││ さう いふ こと にな つて 面白 いと 思つ た﹂ と発 言し てい る︒ この よう にす でに 文壇 にお いて は認 めら れて いた 犀星 の作 品カ ラー が︑ 上海 にお ける 現地 文学 のあ りか たを 問題 にす る言 説の 中に 顔を 覗か

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 二

(14)

せる のは

︑少 しば かり 意外 で新 鮮な 気が する

︒ そ んな 感想 を抱 いて 周囲 を見 回す と︑ ひょ っと する とこ こに は犀 星の 影が 差し てい るか もし れな いと 思わ せる よう な作 品に 出く わし た︒ 一九 四〇 年一 一月 号の

﹁大 陸往 来﹂ に掲 載さ れて いる 黒木 清次 の﹁ なが れ﹂ であ る︒ 同じ 号に 載っ てい る﹁ 秋ふ かし

蘇 州だ より

﹂で

︑﹁ 蘇 州文 学﹂ の 創 刊に 関 わ りつ つ あ るこ と

︑近 く 成 立す る は ずの 中 日 文化 協会 蘇州 分会 の会 員に なる 予定 であ るこ とを 自ら のプ ロフ ィー ルと して 記し てい る黒 木が 書い たこ の短 編小 説は 蘇州 を舞 台と し︑ 事変 後一 年目 にこ の街 の金 融公 司に 赴任 して きた 矢山 と︑ 城内 の百 貨店 に勤 める 雲珍 との 間に 生じ た愛 情の ゆく えを 追う 作品 であ る︒ 本 文中 にも その 映画 タイ トル を持 ち出 して いる とこ ろが ある のだ が

︑こ の 年の 夏 に 上 海で 上 映 され

︑そ の 中 のハ イラ イト シー ンの 一つ とし て蘇 州の クリ ーク 沿い の草 原で

﹁日 本の 船員 と美 しい 支那 娘﹂ が﹁ 楽し さう に語 り合 つて ゐ﹂ る場 面が 挿入 され てい た︑ あの 長谷 川一 夫・ 李香 蘭が 共演 した 映画

﹁支 那の 夜﹂ が歌 い上 げる よう なラ ブス トー リー が︑ 自分 たち の間 にあ って は現 実の もの とは なっ てい かな いこ とを どち らか らと もな く察 し合 い︑ 二人 の心 が静 かな 悲し みで 満た され てい くさ まを 描き 出そ うと した のが この 小説 だが

︑そ の中 には 輪禍 に遭 って 入院 して いる 雲珍 とそ れを 見舞 った 矢山 とが 病院 の中 庭で 次の よう な言 葉を 交わ す一 節が 挿し はさ まれ てい た︒ 夕 暮 時 で 木 犀 の 花 特 有 の 霧 の や う に ひ ろ が つ て む せ て く る 匂 が そ の あ た り に こ め て ゐ た

﹁ い ゝ 匂 だ ね

︵ 中 略

﹁ で も ワ タ シ 木 犀 の 匂 は 哀 し い

﹂ と い つ て し ば ら く し て 余 り に も い ゝ 匂

﹁ あ ま り に も 美 し い も の も 哀 し い ね

︑ そ し て ま た 美 し か ら ざ れ ば 哀 し か ら ん に

⁝ 雲 珍 は む つ か し い

﹂ 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 三

(15)

﹁ え

? イ マ 一 度 美 し

⁝ カ ラ

⁝ ザ

・ レ

・ バ

﹁ 哀 し か ら ん に

⁝ あ な た は 美 し い

│ だ か ら 哀 し ん で は い け な い

﹂ 雲

珍の 清ら かな 美し さを 称え 彼女 を愛 しむ 思い を伝 えて いく ため の前 置き のよ うに して 矢山 の口 から 発せ られ るの が﹁ 美し から ざれ ば哀 しか らん に﹂ なの だが

︑実 は こ れ と同 じ 言 葉が 題 名 とな っ て︑

﹁ な がれ

﹂よ り 半 年前 の 内 地で 刊 行さ れ て い た﹁ 日本 評 論﹂ 一 九四

〇 年 四月 号 に 発 表さ れ て いた 短 編 小 説が

︑犀 星 の﹁ 美 しか ら ざ れ ば 悲 し か ら ん に﹂ なの だ︒

﹁ 哀﹂ と﹁ 悲﹂ の違 いは ある が︑ その 二 か 月後 に こ の小 説 を﹁ 雛 の日

﹂と 改 題 し て他 の 作 品と と も に単 行 本 に 収 録 し て 刊 行 す る 際 に 書 名 の 方 は﹃ 美 し か ら ざ れ ば 哀 し か ら ん に﹄

︵ 一 九 四

・ 六

︑ 実 業 之 日 本 社

︶ と や は り

﹁ 哀﹂ の文 字 の 方 が選 ば れ るに 至 っ た犀 星 の﹁ 美 し か ら ざ れ ば 悲 し か ら ん に﹂ は︑

﹁ 一

.

雁 子︵ か り こ

﹂︶

︑﹁ 二

.

雛 の 日﹂

︑﹁ 三

.

渡 し舟

﹂の 三つ の挿 話か ら成 って いる

︒洋 裁の 内 職 を して 都 会 で一 人 暮 らし を し て いる 雁 子 を中 に し て︑ 彼女 と親 しく して いる 榊木 と作 家の 野木 との 三人 の間 に不 思議 な友 情が 交わ され てい くこ と︑ 脳溢 血に 罹患 した 妻の 予後 の生 活に 付き 添う 野木 の心 に︑ 彼女 に対 する 愛情 と哀 憐が 以前 にも まし て去 来す るよ うに なっ たこ と︑ 突然 の喀 血に 襲わ れ死 んで しま った 雁子 の郷 里に 赴い た野 木と 榊木 が︑ そこ に広 がる 縹渺 とし た景 色の 中に 雁子 のす べて を感 じ とっ て い く こと が

︑い ま 挙げ た 三 つの パ ー ト でそ れ ぞ れ語 ら れ た 小説 で あ る︒ した が っ て物 語 の 内 容か ら す れ ば

﹁ なが れ﹂ と重 なる もの では ない

︒け れど も︑ これ らの 出 来 事が 挿 話 風に 綴 り 合わ さ れ な がら

︑全 体 と して は 無 惨で 悲痛 なこ とが 溢れ かえ って いる この 人生 や世 間の 中で

︑い じら しく も美 しい もの の命 に寄 り添 おう とす る感 情の 高ま りを 伝え てく る点 に依 拠す るな らば

︑こ の小 説が 伝 え て くる そ の よう な

﹁詩 感﹂ に 共鳴 し た 黒 木清 次 と いう 作 家 が︑ そう した 思い を逆 説的 に言 い表 して いる

﹁美 しか らざ れば 哀し から んに

﹂と いう 題名 に目 をつ けて

︑自 分の 作品 に登

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 四

(16)

場さ せた 人物 にそ れを 口ず さま せる とい う可 能性 は十 分に あり 得る

﹁大 陸往 来﹂ から 少し 離れ るけ れど も︑ この 推測 を補 完し 得 る 現地 作 家 と犀 星 と の関 わ り を 告げ る さ らに 確 か な事 例が ある

︒﹁ 現 地文 学の 志向 と段 階﹂ 中で も紹 介さ れて い た 現地 唯 一 の邦 人 文 学団 体 た る 長江 文 学 会は

︑一 九 四 一年 に入 ると その 活動 の場 を﹁ 大陸 新報

﹂紙 上の

﹁土 曜文 藝﹂ 欄か ら会 の機 関誌

﹁長 江文 学﹂ に移 しつ つあ った

︒月 刊現 地総 合雑 誌﹁ 大陸 往来

﹂に 比す れば 現地 文学 活動 にコ ミッ トす る割 合が 格段 に高 い︑ しか し創 刊号 も含 めて それ 以降 のも のも ほと んど 見る こと がで きな いこ の﹁ 長江 文学

﹂の 中で

︑現 在実 物 を手 に す るこ と が そ れの み 可 能⒄

な 第 二巻 第 二号

︵ 通 算 第 五 冊

︑ 一 九 四 二

・ 五

︶ に 掲 載さ れ た 小濱 千 代 子⒅

の 小 説﹁ 黄 塵﹂ が︑ すな わ ち ここ で 取 り 上 げ て み た い 作品 なの だ︒

﹁黄 塵﹂ は︑ 結婚 して 夫の 勤務 地で ある 上海 での 暮し を 始 めた 途 端︑ 想 像だ に し てい な か っ た俗 悪 な 人間 世 界 のご たご たに 巻き 込ま れて しま った 女主 人公 の昌 子が

︑そ の中 で自 分の 生き る道 を模 索し てい く姿 を描 いて いる

︒す なわ ち︑ 彼女 との 婚約 前に 街の 酒楼 で知 り合 った 姑娘 との 関係 を清 算し きれ ない でい る夫 と対 手の 女性 や︑ 彼と は親 戚に 近い 関係 にあ って

︑寡 婦の 生活 の気 易さ や下 宿屋 を営 んで いる とい う商 売柄 もあ って か︑ 色々 な連 中を 自分 の部 屋に 出入 りさ せて は欲 得ず くの 付き 合い を優 先さ せて いる 年増 の莫 連女 の間 に挟 まれ なが ら︑ 何と かし て自 分の 精神 の生 き延 びる 場所 を求 めて いこ うと する 昌子 なの だが

︑そ んな 彼女 が彼 らの まき 散ら す無 知の 身勝 手さ や俗 悪な 空気 から 少し でも 離れ てい たい と思 って

︑二 三日 前に 買っ て来 た 新 刊 の雑 誌 を 開く く だ りが あ る︒ そ し てそ こ に 載っ て い て︑ 彼女 の目 を惹 きつ けて いっ た物 語が

︑間 違い なく 室 生 犀 星の 書 い た小 説 を 指し て い る ので あ る︒

﹁ 黄塵

﹂の 本 文 では この 物語 の内 容を どの よう に説 明し てい るか

︑以 下に 引用 して みよ う︒ 初

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 五

(17)

そ れ は 美 し い 物 語 で あ つ た

︒ 題 材 を 平 安 の 都 に 採 つ て

︑ 其 処 に 住 む 雅 び や か な 一 対 の 男 女 が

︑ 偶 然 三 た び も め ぐ り 合 つ て お 互 に 相 手 を 想 つ て ゐ な が ら

︑ 男 は 女 の 住 処 を 知 る べ き 時 に 教 へ て 貰 へ な か つ た 為 に

︑ 女 は 自 分 の 中 に あ る 掟 を 破 つ て 迄 誇 を 捨 て た く な か つ た た め に

︑ と う と う 最 后 迄 生 涯 を 共 に す る 生 活 に 入 れ な か つ た

︑ と い ふ 筋 に

︑ 昌 子 の 好 き な

︑ 詩 人 か ら 身 を 起 し た そ の 作 者 は 彼 自 身 の 匂 ひ 高 い 夢 を 托 し て ゐ た

︒ 陽 炎 の 燃 え る 荒 れ た 庭 の 摘 草 や

︑ う ら ぶ れ た 砂 丘 に 立 つ 寺 の 風 景 な ど を 繞 つ て

︑ 縺 れ 合 ひ 解 き ほ ご さ れ る 心 理 の 絵 巻 は

︑ 巨 匠 の 絢 爛 と し た 文 字 の 選 択 の 上 に 繰 り 展 げ ら れ て ゐ た

︒ こ のよ うに 要約 され た作 品が

︑﹁ 西 の京 五条 あた りの 築地 も崩 れた 庭﹂ の中 で﹁ 暖か い猫 の目 のや うな 春の 日ざ し﹂ を 受け て 摘 草 に興 じ る 女初 瀬 と︑

﹁ 山吹 色 の 狩 衣に 立 烏 帽子

﹂の

﹁顔 の 照 りは 一 き は 著し い も のが あ

﹂る 若 人︵ の ち の

﹁ 大 和 ノ 国 ノ 守

﹂︶ と の出 会い から 始ま る犀 星の 小説 で︑

﹁黄 塵﹂ の二 ヶ月 前の

﹁中 央公 論﹂ 一九 四二 年三 月号 に 掲載 され た﹁ えに しあ らば

﹂で ある こと は言 うを また ない

︒そ して 昌子 が 感 じと る

﹁詩 人 か ら身 を 起 した そ の 作者

﹂が この 小説 に托 した

﹁匂 ひ高 い夢

﹂の 証し は︑ 今度 は﹁ えに しあ らば

﹂の 本文 中に それ を求 める なら

︑た とえ ば初 瀬と 大和 の間 に交 わさ れる 次の よう な対 話に よっ て伝 わっ てこ よう

﹁ ま こ と 三 た び も え に し が あ り 申 し た に

︑ 我 ら の え に し は い つ も え に し に す ら な ら ず に 終 り

︑ 大 和 口 惜 し く ぞ ん じ 申 す

︒﹂

﹁ わ ら は は た だ 清 き 思 ひ を 抱 き 生 き た う ご ざ い ま す

︒﹂ 初 瀬 の 頭 は 垂 れ

︑ 長 い く ろ が み だ け が 大 和 の 眼 に 漆 の や う に け ぶ つ て 見 え た

︒ え に し は も う 結 ば れ さ う な と こ ろ で

︑ い つ も 美 事 に 酷 た ら し く 逸 れ て ゐ た

﹁ よ く 申 さ れ た

︒ 清 き お も ひ と い ふ 空 蝉 の や う な 言 葉 に す ら 我 ら は し つ か り 繋 が つ て 居 り 申 し た い

︑ こ れ は 永 く 生 き る た め の は な む け の や う な も の で せ う か

︒﹂

﹁ 御 一 緒 に お 従 き い た し ま し て も こ れ ほ ど の 清 さ に と ど く こ と は 出 来 ま せ ぬ

︒﹂

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 六

(18)

こ うし た物 語と 出会 うこ とに よっ て昌 子 の 裡 で﹁ 目覚 め た 感性

﹂は

︑﹁ そ の 鋭さ を 恃 に して 知 性 に呼 び か け﹂ はじ め︑

﹁ 大陸 の 黄 塵﹂ の なか で

﹁毅 然 とし て 生 き抜 い て 行 くこ と

﹂に 向 けて 彼 女 は﹁ 一筋 の 情 熱 を 燃 や し は じ め て ゐ﹂ く︒ と ころ でこ のよ うに して 自立 して いく 昌子 の姿 を 描 く こと に 主 題が 置 か れて い る と 見な す 木 田隆 文 は︑

﹁ 黄塵

﹂と いう 小説 がそ れゆ えに 現地 総力 報国 運動 とは 一線 を劃 し︑ さら にい えば 翼賛 文化 体制 に背 信す る向 きを 持っ てい たと いう 見解 を提 出し てい る⒇

︒ だが

︑は たし てそ うで あろ うか

︒な るほ ど昌 子 の 夫に 付 き ま とう 姑 娘 は︑ 作中 で は その 放恣 な姿 を露 わに する がゆ えに 昌子 の引 き立 て役 にな って いる にす ぎず

︑そ の意 味で この 女性 を登 場さ せた のは

︑日 華提 携を 推進 する ため に両 国人 の接 触面 を正 しく 捉え る必 要が ある とい う現 地的 課題 にこ の作 品も 即し てい るこ とを

﹁ 偽装

﹂す る た め であ っ た とは 言 え るか も し れ ない

︒だ が

︑昌 子 の自 立 と はい か な る も の で あ っ た か︒ 再 び﹁ 黄 塵﹂ に戻 ると

︑そ こで は︑ 先の 引用 の直 後に 次の よう な叙 述が 続く

︒ か う い ふ 美 し さ は

︑ 只 そ れ に 陶 酔 す る だ け に 止 ま る な ら ば

︑ そ れ を 此 の 時 代 の 厳 し さ か ら の 逃 避 と い ふ 人 は

︑ 或 は あ る だ ら う

︒ け れ ど も 又 一 面 で は

︑ そ の 美 さ が 類 ひ 稀 な 日 本 的 な も の で あ る だ け に

︑ そ れ を よ り 逞 し い 意 欲 へ 跳 躍 す る 土 台 に す る と い ふ 意 味 で

︑ そ の 精 神 の 在 り 處 は 否 定 出 来 な い 位 置 を 占 め る も の と も 云 へ る の に 違 ひ な か つ た

︒ 自 分が 読ん だ物 語を 手本 とし て昌 子が 得て いく 精神 的な 自立 は︑

﹁ その 美さ が類 ひ稀 な日 本的 なも ので あ﹂ り︑

﹁よ り逞 しい 意欲 へ跳 躍す る土 台﹂ とな り得 る点 にお いて

︑翼 賛へ の協 力や 挺身 を呼 びか ける 時代 の要 請に やは り応 える もの とな って いる

︒そ れは ちょ うど 前節 で取 り上 げた

﹁健 康美

﹂を 携え た日 本の 娘た ちが 上海 に存 在す るこ とが 国威 の発 揚に 一役 買っ て出 るこ とと

︑同 じ役 割を 果た すも ので ある と言 えよ う︒ 黒木 清次 の﹁ なが れ﹂ では そこ まで の傾 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 七

(19)

向は 現れ てい ない が︑ 小濱 の作 品に なる と犀 星の 描い た 丈 高 い女 人 像 は︑

﹁高 い 誇 に生 き よ う とす る 物 語の 女 の 気持 を貫 いて ゐる 日本 的な もの は︑ 今の 自分 にも 一筋 の繋 り を 持 つて ゐ る﹂ も のと し て 女主 人 公 に よっ て 受 けと め ら れ︑ 貞淑 さを 武器 にし てい くさ を戦 う女 の範 疇に 組み 込ま れて いく ので ある

︒ 四 上 海 に渡 っ た 女た ち が 語り 得 た もの こ のよ うに 犀星 の︿ 王朝 もの

﹀に 流れ る情 感の 美し さま でも が﹁ 類ひ 稀な 日本 的な もの

﹂に 結び つけ られ て現 地文 学の 翼賛 態勢 が整 えら れて いく 時︑ そう いう 潮流 から 一定 の距 離を とっ た言 説活 動は

︑ど のよ うな 場で どん な風 にし てそ の存 在感 を保 ち︑ かつ 伝え てい くの か︒ むろ ん︑ すで に見 たよ うに ユダ ヤ人 少女 の運 命に 翻弄 され る姿 を描 いた 小泉 譲の 小説 や︑

︿ 明朗 上海

﹀の 裏面 に巣 食う 何人 も の 邦人 を 登 場さ せ て﹁ 現 地文 学 の 志 向と 段 階﹂ の 書き 手 か ら問 題視 され てい く中 島徳 之助 の小 説﹁ 枯 草の ある 景色

︵﹁ 大 陸 往 来

﹂︑ 一 九 四 一

・ 一

︶な ども その 事例 とし て挙 げら れる

││ だが

︑前 者の 小泉 とて も︑ 一九 四三 年に 発足 した 上海 文学 研究 会に 参加 して いく 頃に は翼 賛文 学を 先導 する 役を 買っ て出 るよ うに 変貌 して いる

││ が︑ そう した

︹現 地創 作︺ 群と は誌 面構 成の 面で は別 扱い とな って いる 邦人 女性 たち の寄 せた 身辺 雑記 風の 作品 の中 にも この 手の 傾向 は流 れ込 んで いる ので ある

︒ そ の一 つと して 挙げ たい のが 一九 四一 年二 月号 の﹁ 大陸 往来

﹂に 載っ た室 伏ク ララ の﹁ 宣伝 部の 一室

﹂で ある

︒こ の 月の 特 輯 と して 同 誌 が組 ん だ﹁ 現 地生 活 ル ポ ルタ ー ジ ュ﹂ の筆 頭 に く る の に ふさ わ し く︑

﹁宣 伝 部 の一 室

﹂は 南 京国 民政 府宣 伝部 の国 際問 題研 究室 に勤 め出 して 一ヶ 月経 った 筆者 が︑ そこ で出 会っ た﹁ 支那 のイ ンテ リ﹂ や﹁ 非常 に優 秀な 邦人

﹂が その 立居 振舞 いを も っ て 示し て く る﹁ 建設 的 な 感じ

﹂に 対 す る 信頼 感 を 厚く し

︑﹁ 積 極的

﹂に

﹁新 しい 東亜 の支 柱と なる 様な 気持

﹂に 至っ たこ とを 報告 して いる

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 八

(20)

だ がそ れと とも にこ の一 文に は︑ 東京 にい た時 にも よく そう なっ たよ うに

﹁私

﹂が ここ でも

﹁ふ つと さび しく なる こと

﹂︑ こ の﹁ ふつ とし たさ びし さに は本 当に 弱つ てし まふ

﹂こ と︑ そし て上 海で も南 京で もな い﹁ もつ と支 那的 な︑ しい んと した 田舎 の町 へ行 きた いな とは 思﹂ うと いっ た よ う なこ と も 書き つ け られ て い る︒ 前 者の 叙 述 のト ー ン が︑ たし かに それ が本 音で ない こと はな くて も︑ それ と同 時に 編輯 局の 狙い に沿 うよ うな 言葉 も書 いて おこ うと いう 心の 働き によ って 少し でも 支え られ てい ると した なら

︑こ ちら の方 では そう した リッ プサ ービ スや 構え とは より 無縁 なと ころ にあ って 筆者 の精 神の 内核 を形 作っ てい る︑ 何か やわ らか くて 繊細 なも のが その 姿を のぞ かせ てい るの では ない か︒ そし て︑ こう した やわ らか な目 と心 で﹁ 私﹂ が外 界に 接し てい く場 面と して

︑洋 車に 乗っ て家 と職 場と の間 を行 き来 する 箇所 も挙 げら れる のだ が︑ そこ に記 され てい る﹁

││ こん なに も空 の広 い︑ 星の きら

! "

と︑ 暗い 中に なだ らか な丘 陵の 線︑ 月を 浮べ た水

︒│

│洋 車の 上で 吹か れる 風は ビン

! "

と冷 たい

︑吐 く息 は真 白い

﹂と いっ た風 景イ メー ジと それ に接 した 感動 とを 突き 詰め てい くな ら︑ やが てそ こか らは 大東 亜共 栄の 幻影 に踊 らさ れる 男た ちの 詩編 群の 中に あっ て︑ 唯一 それ とは 異な る詩 的位 相を 示し て いる

﹁繁 星 の 下│

│南 京 広州 路

││

﹁ 亜 細 亜

﹂ 創 刊 号

︑ 一 九 四 四

・ 七

︶ と 題 す る︑ 彼女 の 書 いた 詩 が 現 れて く る ので あ る

︒ だ がこ の 詩 が 発表 さ れ るに は ま だ三 年 以 上 待た ね ば なら なか った し︑ そし て戦 局が 激し く変 転す る中 での そこ まで の時 間の 経過 は室 伏ク ララ の文 学者 とし ての 短い 生涯 の上 に幾 重も の光 と影 とを 投げ 与え てい くの であ る︒ 一 九四

〇年 から 上海 に在 留し

︑一 九四 一年 五月 号の

﹁大 陸往 来﹂ の扉 には 絵も 寄せ てい る新 制作 派の 閨秀 画家 村尾 絢子 の随 筆﹁ 私の 眺め

﹁ 大 陸 往 来

﹂︑ 一 九 四 一

・ 六

︶ にも 触れ てお こう

︒ま ずは タイ トル 自体 が注 目に 値す る︒ い かに も︿ 私﹀ とい う存 在が 前景 化さ れた 感を 与え るタ イト ルだ が︑ その 内実 は一 に画 家と して のま なざ しの 在り 方に かか って いる

︒具 体的 に言 うと

︑ど うや ら病 院 に 入 院し て い るら し い﹁ 私﹂ が 目に 入 れ る 窓の 向 う の風 景 は︑

﹁ 屋根

﹂と 初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

一 九

(21)

﹁ 空﹂ と﹁ くつ つい た様 に並 んで ゐる 家の 窓﹂ と﹁ 物 干 台﹂ とい っ た 何の 変 哲 もな い も の なの だ が︑ そ の中 に 現 れて 縄跳 びを する 女の 子の セー ター の袖 口 と 衿 に入 っ た﹁ 赤 い毛 糸

﹂の 線 が﹁ 青い 朝 の 空﹂ に 鮮や か で︑

﹁ 声を あ げ たい 程う れし

﹂く なっ たこ とが 書き とめ られ てい る︒ この よう に﹁ 私﹂ の﹁ 窓﹂ から の﹁ たつ た一 つの 眺め

﹂が

﹁有 名な 建物 の一 つ一 つ﹂ より もな つか しく 思え てく る感 情│

│そ れは

﹁け ふの 日曜 もた うと う部 屋に こも つた きり です ごし た│

│そ んな こと をか んが へる とも なく かん がへ なが ら︑ わた くし はだ まつ て四 角い 夜の 窓と むき あつ てゐ た﹂ とい う一 文を もっ て始 まり

︑窓 の外 に広 がる 風景 にた いす る感 動と

︑そ の反 照の よう に自 らの 裡に 蘇っ てき て悲 しみ を新 た にさ せ て い く思 い 出 との 間 を 揺れ 動 い て 行く

﹁私

﹂の 姿 を 書き と ど め た 室 伏 ク ラ ラ の 随 筆﹁ 上 海 に て︵ 上

︶︵ 下

﹂︶

︵﹁ 大 陸 新 報

﹂︑ 一 九 四 二

・ 二

・ 二 二

︑ 二 三

︶ に 受け 継が れて いく とも 言え よう

︒ そ の後

︑室 伏ク ララ と村 尾絢 子両 人は

︑そ れぞ れ海 軍が 出し てい た中 国語 総合 雑誌

﹁新 世紀

﹂の 編集 長に 抜擢 され る な り︑ 阿部 知二 と とも に 従 軍女 流 画 家と し て

﹁中 支﹂ 前 線に 派 遣 され る など し て︑ 大 状 況の 渦 の 中に 巻 き 込ま れて いく

︒個 の感 情な どと るに 足り ない もの とし て一 気に 押し 流し てい く︑ そう した 事態 に足 を踏 み入 れか けた 時点 で彼 女ら がど のよ うに して

﹁私

﹂性 をと どめ た言 説を 残し てい たか を見 てき たわ けだ が︑ 同様 の心 のあ りよ うを 示し たも う一 人の 女人 の言 説を

﹁大 陸往 来﹂ 以外 から も紹 介し たい

︒ 彼 女の 名は 富岡 冬野

︒京 都室 町に て生 い立 つ︒ 祖父 はあ の富 岡鉄 斎翁

︒竹 柏会 に所 属し た歌 人で

﹁ 心の 花﹂ 同人

││ こう した 経歴 を持 つ女 性を ここ で取 り上 げる のは 他で もな い︑ 彼女 の夫 の松 崎啓 次が 第二 次上 海事 変後 の上 海で 映画 を通 じた 日本 の対 中国 文化 工作 に深 く関 与し た人 物で あり

︑彼 とと もに 短期 間で はあ った が︑ 彼女 もま た上 海に 滞留 した から であ る︒ 中華 電影 設立 の前 後か ら 彼と 親 し く行 き 来 し てい た 映 画製 作 者 の劉 吶 鷗︵ 劉 燦 波

︶ が テロ の 凶 弾に 弊れ た時

︵ 一 九 四

・ 九

・ 三

︶ に 松崎 が現 場に 居合 わせ

︑劉 の死 を看 取っ たこ とは あま りに 有名 な話 だ︒ だが い ま はそ

初 期

﹁ 大 陸 往 来

﹂ の 一 瞥

︵ 下

参照

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・王力著﹃漢語詩律学﹄新知識    一冊   ﹃宋詞三百首箋釈﹄ 朱古微選輯唐圭璋箋釈   古典文学   ﹃宋詩選注﹄   銭鍾書選注   人民文学    後の二冊は未刊です︒.       

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注 ⑴  前号まで掲載した書信の数の一覧には誤りがあり︑本号で全て訂正した︒以下に訂正表を掲げる︒︵誤︶一九四〇年    周十二通︑松枝七通    ︵正︶一九四〇年   

  以上はいずれも戦前のものである︒ 周知のように︑ 周作人は日中戦争中の対日協力の罪により︑ 日本敗戦後は