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第1章 本研究の課題と意義......................................................1 第1節 問題提起.............................................................1

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(1)

中国における近代ナショナリズムの受容とネーションの想像 

―章炳麟・梁啓超及び孫文のナショナリズム論を中心に― 

目次

第 1 章 本研究の課題と意義 ... 1 

第 1 節 問題提起 ... 1

はじめに 中華民族を主体とする国民国家への脱皮 ... 1

1.多様な中華民族像の混在・重複 ... 2

2.中華民族の出自とネーション像の模索 ... 7

まとめ... 12

第2節 理論の枠組みと用語の定義 ... 14

1.ナショナリズム ... 14

2.ネーション ... 17

第3節 研究方法 ... 21

第4節 先行研究及び本研究の位置づけ ... 23

1.先行研究 ... 23

2.本研究の位置づけ ... 27

第2章 研究対象 ... 37

第1節 時期の選択 ... 37

1.日清戦争までの「伝統ナショナリズム」 ... 38

2.「五四運動」までのナショナリズムの変容 ... 42

第2節 ケース・スタディーの選択 ... 47

1.出身の代表性 ... 47

2.主張の代表性 ... 49

3.影響力 ... 50

第3章 章炳麟の排満思想の変遷 ... 59

第 1 節 学者と革命家としての章炳麟 ... 59

1.学者としての章炳麟 ... 59

2.革命家としての章炳麟 ... 66

第2節 従来の研究傾向と問題点 ... 69

1.先行研究 ... 69

(2)

2.従来の研究傾向への批判 ... 70

第3節「排満」と勤皇 ... 72

1.「族類」思想の中の「排満」 ... 72

2.人種論の中の「排満」 ... 74

3.勤皇の中の「排満」 ... 78

第4節「排満」と建国 ... 82

1.勤皇の幻滅 ... 82

2.「分鎮」の幻滅 ... 83

3.「士の愛国、民の敵愾」のための「排満」 ... 86

第5節 「排満」思想への告別 ... 90

1.「満州族も中国人」 ... 90

2.日露の勢力拡大に対抗するための満蒙地域保全論 ... 91

第6節  まとめ ... 93

1. 章炳麟の排満思想の変遷 ... 93

2.ネーション像の模索の軌跡 ... 94

3.章炳麟における「族類」思想、人種論及びナショナリズムの関係 ... 96

4. 章炳麟のネーション像模索のダイナミズム ... 98

第4章 梁啓超の「大民族」論の構築 ... 105

第1節  ジャーナリストと変革者としての梁啓超 ... 105

1.ジャーナリストとしての梁啓超 ... 106

2.変革者としての梁啓超 ... 112

第2節  先行研究と本研究の位置づけ ... 115

1.先行研究 ... 115

2.従来の研究傾向への批判 ... 117

第3節  「中華民族」と「大民族主義」論 ... 118

1.儒教的コスモポリタニズムと近代国際情勢に対する初歩的認識 ... 118

2.日本での思想の激変 ... 122

3.国家意識の向上と愛国論の提起 ... 123

4.「国民」概念の受容と国民競争論 ... 126

5.「支那民族」から「中国民族」へ ... 128

6.「民族主義」の提唱 ... 129

(3)

7.「中華民族」という名前の創出 ... 130

8.「大民族主義」論 ... 133

第4節 「保種」と「保教」をめぐる変化と揺れ ... 136

1.「保種」について ... 136

2.「保教」について ... 138

第5節 まとめ ... 141

第5章 「民族主義」をめぐる孫文の固持と妥協 ... 152

第1節 革命家と政治家としての孫文 ... 152

第2節 先行研究と本研究の位置づけ ... 153

1.先行研究 ... 153

2.本研究の位置づけ ... 155

1.幼少時代の反満思想の萌芽 ... 158

2.維新変法の試み ... 159

3.排満建国論 ... 161

4.列強との提携 ... 165

5.「民族主義」論 ... 169

第4節 「五族共和」論 ... 170

第5節 中華民族への同化論 ... 172

第6節 まとめ ... 174

1.孫文のナショナリズム論の理論的根源 ... 174

2.孫文のナショナリズム形成の社会的要因 ... 175

3.孫文の民族主義における固持と妥協 ... 178

第6章 中華民族の出自と中華民族像の模索 ... 185

第1節 エリート・ナショナリズム ... 185

1.エリートによるナショナリズムの受容 ... 185

2.ネーション像が異なる原因 ... 187

3.信念と策略 ... 190

第2節 ネーション像の定着 ... 192

1.歴史の記憶と中華民族 ... 192

2.文化と中華民族 ... 194

3.外部規定によるネーション像 ... 196

(4)

第3節 結論と今後の課題 ... 199

1.結論 ... 199

2.今後の課題 ... 201

謝 辞 ... 205

主要参考文献 ... 206 

(5)

第 1 章 本研究の課題と意義 

第 1 節 問題提起  

はじめに 中華民族を主体とする国民国家への脱皮 

2011 年は辛亥革命百周年に当たる。中国の歴代王朝の支配下、数千年にわたり「天下」は 一体であり、全ては皇帝一族の私有物のように考えられていた。いわゆる「溥天ふ て んの下、王土 に非ざる莫く、率土そ つ との濱、王臣に非ざる莫し」という名言は、そのような考え方を如実に反 映している。辛亥革命をきっかけに、王朝専制の歴史に一応ピリオドが打たれた。「中華民国」

という国号で示されるように、中国は既に皇帝一族の中国ではなく、「中華」の「民」である 中国人の主権国家となった。その意味で辛亥革命は、間違いなく中国の近代国民国家への 変身の出発点であるといえよう。 

中華民国に続き成立した中華人民共和国でも、国民国家への脱皮が続けられてきた。中華 人民共和国の国歌『義勇軍進行曲』の冒頭には、「起ちあがれ! 奴隷となることを望まぬ人々 よ!我々の血肉を以って新たな長城を築こう!中華民族に最大の危機が迫り、一人一人が最 後の咆哮をあげる時だ」というフレーズがある。奴隷の運命より脱出するため、中華民族を 未曾有の危機より救い出すために一人一人は努力しよう、という愛国心を呼び掛ける内容で ある。ここで個人の運命と民族の危機がリンクされており、ネーションとしての「中華民族」

とステートとしての「中国」は、完全に重なり合うようにされている。 

中国の国歌に象徴されるように、中華民族を主体とするナショナリズムは、社会主義イデ オロギーと並ぶ中華人民共和国の統治原理の二本柱の一つである。冷戦後、社会主義イデオ ロギーの衰退とともに、ナショナリズムの重要性はますます高まっている。それがゆえ、中 国政府は精力的に「愛国主義教育」を展開し、中国共産党が中華民族を滅亡の危機より救出 し、さらにその「偉大なる復興」を実現させていくとアピールしている。 

このように、中国は伝統的な王朝専制より試行錯誤しながら、中華民族を主権者とする国 民国家へ脱皮しつつあってきた。ただこの歴史的な変身は、未だに完全に実現したわけでは ない。今日の中国には相反する二つの潮流が見られる。 

一方では、教育の普及、産業化の進み、人々の活発な流動、マスメディアの発達、インタ ーネットや交通網の整備などは、中国の全体を未曾有の規模のように緊密に連結しており、

中華民族を主権者とするナショナリズムの機運が確実に高まっている。 

もう一方では、地域・エスニック集団間の経済格差が拡大し、大規模の人口移動による種々 の摩擦が激化し、さらに国際交流の増加による海外の影響(民族自決権の強調や、チベット・

(6)

汎トルコ・モンゴル・韓民族といった連帯意識の増強など)が強まっている。このような中 で、近年、中国周縁地域のエスノナショナリズムの高揚も注目されている。 

様々な深刻な社会問題を抱えた中国では、国民の間の遠心力と求心力の拮抗はエスカレー トする一方である。旧ソビエトのような国家分裂危機を回避し、中華民族のもとに国民統合 をうまく実現することができるかどうかは、中国の将来に関する最大の懸念事項の一つとい えよう。 

かつて歴史学者の E・J・ホブスボームは、地球の最後の二世紀の歴史を理解するために、

「ネーション」とそこから引き出された語彙を理解することが不可欠だと指摘した。中国の 場合、ここ百年以来の政治変容を理解するためにも、今後の行方を展望するためにも、国民 国家の主体とされる「中華民族」は、避けては通れないキーワードである。 

しかし、「中華民族」とはいったいどのようなものなのか。現実に異なった中華民族像が混 在・重複しているが、それはなぜであろうか。中華民族とはいつ・どのように生まれたのか。

中華民族の出自はその今後の運命とどのような関係があるであろうか。こうした疑問に関し ては、学者の間に議論があるものの、未だに定論に至っていない。本研究では、逐次に検討 してみよう。 

1.多様な中華民族像の混在・重複 

(1)多様な中華民族像 

現代中国語に極めて多用されている「中華民族」という言葉は、一体何を指すのか、どの ような人々を含めるのか。簡単な質問に見えるが、良く考えると必ずしもそうではない。な ぜならば、中華民族とは多様な意味が混在しているからである。 

国歌の歌詞に見られる「中華民族」とは、主権志向の中国人の共同体である。中国の国籍 さえを持っていれば、誰でも中華民族の一員に考えられる。言い換えれば、これは中国とい うステートの境界に規定されたネーションである。ただ、中国の周縁地域に住んでいる人々 はそのナショナル・アイデンティティを認めない場合もある。典型的な例は、チベット独立 やウィグル独立などの声である。辛亥革命後既に 100 年近くも過ぎた今日、「中華民族」とい うナショナル・アイデンティティの鋳造は、依然として中国の直面している最も重要な課題 の一つである。 

同時に現実生活の中に、多くの人々は無意識的に「漢民族」の同義語として「中華民族」

を使う経験がある。例えば、中華民族は「龍の子孫」や「炎黄子孫」であるといった言い方 がその通りである。ここの「中華民族」とは主権志向のネーションではなく、起源神話や血

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華人の漢人の部分も含まれている11。言い換えれば、これは中国というステートと一部重な り合っている共同体である。 

さらに、中華民族とは、もっと広い範囲内の人々を指す場合がある。例えば、四川大震災 後、少数民族居住地を含む被災地への海外華人たちの救済は、中国の一部のメディアで「中 華民族の凝集力を示した」と称えられている12。ここの「中華民族」は、自分や祖先の出身 地の「ルーツ」に区分されたエスニック集団である。華人系ムスリムなど海外華人の非漢民 族の部分13や、中国国内のエスニック・マイノリティも含まれている。言い換えれば、これ は中国人と海外華人を合わせる共同体である。もちろん、この共同体は主権を目指すわけで はない。 

要するに、図 1 に示されるような異なった中華民族像は、人々の脳裏に混在・重複してい る。1980 年代に「私の中国の心」という大ヒット曲があった。「中国の心」「龍の子孫」とい ったキャッチー・フレーズや、英領植民地であった香港の歌手の華麗な熱唱により、多くの 中国人は魅了された。この曲の流行に見られるように、ネーションとしての中華民族像、漢 民族の同義語としての中華民族像、及び中国人と海外華人の集合体としての中華民族像は、

しばしば完全に重複し、区別できない状態である。 

 

図1. 多様な中華民族像   

             

注:中国      中華民族 

 

(筆者作成) 

 

グローバル化の進展やリージョナリズムの台頭にもかかわらず、国民国家は依然として今

中国人の集合体  としての中華民族像 

「漢民族」の同義語 としての中華民族像

中国人と海外の華人の集合体  としての中華民族像 

(8)

日の世界秩序の主役である。そうしたなかで、民族自決権(National Self-determination)

は国際法に認められているだけではなく、ある種の道徳規準のようになりつつある。一方で、

世界のほとんどの国は多民族国家(Multi-ethnic Country)である14。如何に国内の諸エス ニック集団をまとめ、一つのネーションに統合するかは、多くの国々の共通の課題である。 

そうしたなか、例えば、The American Nation や The Singaporean Nation のような多文化 の政治共同体が創生(形成)されている。文化の同一性に欠けているという理由で、ネーシ ョンとしての中華民族を否定する説が見られるが、今日世界の大部分の国民国家の様相を鑑 みると、そのような説は成り立たない。ただ、アメリカやシンガポールなどのネーション名 と比べれば、「中華民族」は多岐な意味が混在し、しかも極めて頻繁に使われるという点で、

特異性が見られる15。  

(2)ネーション・ビルディングに対する影響 

「中華民族」という言葉が多用されている中、異なった中華民族像の混在・重複は、中国 の国民統合や中国人の国民意識には大きな影響を及ぼしている。少なくとも、次の二点が挙 げられよう。 

一点目には、国民国家の主体としての中華民族像と、漢民族の同義語としての中華民族像 との重複により、エスニック・マイノリティは、漢民族の文化や起源神話などを強いられる 傾向が見られる。これは無意識的に行われることなので、トラブルが発生しても、同化側の 漢民族はそれに気づかない場合が多い。 

例えば、中華民族の「炎黄子孫」の起源神話を迎合するには、最近各地の地方政府の主導 で黄帝の祭祀が増えている。この場合、「中華民族」とは無論漢民族のことである。しかし、

中華民族という言葉の多義性により、このような黄帝祭祀のブームは、結局漢民族の起源神 話をエスニック・マイノリティに受け入れさせるプレッシャーとなりかねない。ほとんどの エスニック・マイノリティは、独自な起源神話を持っている。彼らにとって中華民族のナシ ョナル・アイデンティティが受け入れられるかもしれないが、「炎黄子孫」といった漢民族の 起源神話がとうてい受け入れ難い。地方政府が黄帝祭祀を積極的に行うのは、観光業の振興 に主眼しているかもしれないが、結果としては文化の同化の強要に映られる。 

一部の研究者は既に黄帝崇拝のブームに警告を発した16。だが、このような異なる中華民 族像の混在・重複に起因する無意識的な同化は、依然として繰りかえされている。昨今の漢 民族とエスニック・マイノリティとの齟齬で、エスニック・マイノリティ側はしばしば漢民 族に同化されつつあると不満を訴える。それに対して、漢民族の人々は納得いかず、同化政 策を布いていないと反論する。双方の食い違いには様々な原因があるが、漢民族としての中

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華民族像とネーションとしての中華民族像の重複による、無意識的な文化の同化が、その一 因であろう。 

二点目には、海外の華人を含む中華民族像と、ネーションとしての中華民族像の重複によ り、中国人の国家帰属意識は相対的に希薄である傾向が見られる。つまり、出身のルーツの 紐帯で結ばれた中華民族像は、対内・対外の主権を志向する中華民族像を曖昧にして、ネー ション(国民)の観念を希薄化させている。 

その結果、たとえ国籍を変えるにしても、中華民族というアイデンティティが全く変わっ ていないという錯覚があるので、本人として裏切りの意識は薄いし、外の中国人からの視線 もわりあい寛容である17。中国政府は原則的に二重国籍を認めない方針であるが、「華僑事務 弁公室」などの政府部門は、中国の国籍を持っている華僑と中国の国籍を持っていない華人 とを、同じように対処する場合が少なくない18。 

現に多くの中国人は先進国の裕福で便利な生活を憧れて国籍を未練なく変える。移民の多 いアメリカやカナダなどはともかく、移民が割合少ない日本の場合も、帰化した中国系の人々 が大勢いる。米国土安全保障省によると、2008 年米国籍取得した外国人の中に、中国人はお よそ 4 万にのぼるという19。日本法務省民事局の発表した資料によると、1952 年から 2005 年までの間に、およそ 10 万人の中国人が日本籍に帰化し、2005 年だけでは 4,500 人近くに 達したという20。 

中国人の自国への帰属意識が諸外国と比べれば極端に薄いというわけではない。事実、よ り良い生活を求めるため富裕国へ移民したいという願望が、中国以外の国々にもよく見られ る。例えば、2008 年米国籍取得者の中に、メキシコ・インド・フィリピン出身者は、中国出 身者よりも遥かに多い21。日本の過去 10 年帰化許可申請者では、朝鮮・韓国申請者数は、中 国申請者数のおよそ倍に達している22。ただ、多様な中華民族像の混在・重複により、「中華 民族」を盛んに口にし、海外で数多くの中華街を形成してきた中国人は、実際には中国とい う国への帰属意識がそれほど強くない、という事実が否定できない。 

一方では、他国に帰化した中国系の人々の中には、居住国の「国民」である意識に欠ける 場合が多い23。例えば、主権者としの政治参与に関して、中国系アメリカ人の選挙投票率は、

黒人やインド系の人々より大きく下回っている24。選挙投票率は様々な要因に影響されてい るが、アメリカ社会における諸移民集団で華人の選挙投票率がダントツに低いという傾向は、

国家全体に対する連帯感が相対的に薄く、主権者としての国民意識が欠乏していることを浮 き彫りにしている25。 

海外の華人を含む中華民族像は、台湾との交渉や改革開放初期に華人資本の招致を引き寄

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せることなどに役立った。そして、1990 年代以降、大中華経済圏のパワーと華人ビジネスネ ットワークの役割は世界からの注目を集めている。しかし同時に、海外の華人を含む中華民 族像と、ネーションとしての中華民族像との重複は、華人たちの居住国に警戒感をもたらし ている。東南アジア諸国における根強い中国脅威論や、近年アメリカなどで多発している華 人のスパイ疑惑事件に対する過度な報道26は、そのような警戒感によるところが大きい。 

(3)梁啓超らのネーション像模索との関係 

国内民族問題の激化や国際交流の加速に伴い、多様な中華民族像の混在・重複している状 態は、中国のネーション・ビルディングや諸外国との信頼関係の構築を阻害するマイナスの 側面が次第に顕在化している。なぜ「中華民族」という言葉が多用されていながら、異なっ た中華民族象が混在・重複しているのか。それを明らかにするため、清末のエリートたちが

「中華民族」という言葉を創り、上述した多様な中華民族像を描き出した当時に遡らなけれ ばならない。 

後に詳しく述べるが、中国の古代にはすでに「民族」という言葉が見られる。しかし、そ れは主として民衆のことを指していた。近代になると、ナショナリズムが中国に流入したこ とに伴い、「民族」という言葉はネーションの訳語として、日本語から逆輸入された。それを きっかけに、清末のエリートたちは中国のネーション像を模索しはじめ、ついに中国のネー ションのために「中華民族」という名称を創った。その後、彼らの描いたネーション像の変 化とともに、中華民族の意味も変わりつつあり、次第に今日のような多様な中華民族像の混 在・重複の状態になっていった。つまり、異なった中華民族像の混在・重複している状態は、

清末の中国人エリートたちの行ったネーション像の模索の名残といえる。 

「中華民族」という言葉の起源及び今日の語意の定着においては、特に梁啓超・章炳麟及 び孫文の役割に注目すべきである。梁啓超は「中華民族」という言葉を創出した人である。

章炳麟は「中華民国」という国号を創ったのである。孫文は 1940 年代から中華民国の「国父」

として尊ばれ、中華人民共和国が成立した後も「革命の先行者」として高く評価されている。 

梁啓超・章炳麟及び孫文は、それぞれは独自の中華民族像の模索の道を辿ったが、三人と も満州族支配の清王朝の維新変法より発足し、排満建国の主張を経て、最終的には清王朝の 版図内のすべてのエスニック集団を統合しようとした。異なった中華民族像の混在・重複の 現象は、彼らのネーション像の模索の上に既に見られるようになった。 

しかも、中国の近代史上における三人の巨大な存在感のもと、彼らの思想変遷の各段階で 描き出した異なったネーション像は、何れも今日の中国に投影している。梁啓超のいう満・

漢・蒙・蔵・苗・回を合一する「大民族」こそ、現在のネーションとしての中華民族像の元

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祖である。章炳麟の鼓吹した黄帝崇拝と国粋主義は、漢民族だけの中華民族像とは大いに関 係がある。孫文の革命活動の大部分は海外亡命中に行われ、華僑・華人たちはその重要な支 持基盤である。海外華人と中国人の集合体としての中華民族像の定着には、孫文の革命活動 は大きな役割を果たしていたといえよう。つまり、梁啓超・章炳麟及び孫文の描いた異なっ たネーション像には、現在の多様な中華民族像の原型が見られる。 

2.中華民族の出自とネーション像の模索 

(1)中華民族の出自に関する論争 

梁啓超・章炳麟及び孫文のネーション像の模索は中華民族という名前の出現と定着、及び 今日の多様な中華民族像の混在・重複に繋がっているだけではなく、中華民族というネーシ ョン自体の出自にも大いにかかわる可能性がある。中華民族の出自、つまり中華民族という ネーションはいつ・どのように生まれたかは、本論文の関心の所在である。 

ここで、まず中華民族の出自に関する論争を簡単に紹介しておく。 

1930 年代、歴史学者の呂思勉は、『中庸』のいう「軌」「書」「行」の同一化の状態が、中 国の民族の形成を物語っていると主張した27。1950 年代初期、旧ソビエトの一部の専門家た ちはスターリンのネーション近代起源説を理論根拠として、漢民族が 19 世紀に形成されたと 主張した。この説は中国人の歴史感覚とはあまりにもかけ離れていたため、1954 年、歴史学 者範文瀾は漢民族の秦・漢時期の起源説を主張した28。以来、民族の起源に対する研究は、

中国の民族問題研究の重要なテーマの一つとして断続的に行われてきた。ただし、その中に は、幾つかの問題点が見られる。 

第一に大部分の研究はレーニン・スターリンやマルクス・エンゲルスの古典から敷衍した ものである。しかしネーションの出自に関するマルクス主義古典の論述は、もともとは一致 しているわけではない。エンゲルスはネーションが部族より発展してきたと主張するのに対 し、スターリンはネーションが資本主義上昇期の産物だと主張している。そうした異なった 論述をどのように理解すればよいのかは非常に難しい問題である。 

第二に旧ソビエトの研究者たちとは違い、中国で行われた所謂「民族起源」に関する研究 ではナショナリティ29とネーションは何れも「民族」と訳され、ほぼ同一視されている。そ のため主権・独立志向のネーションに関する研究よりむしろ、エスノロジーの研究というべ きものが多い。 

第三に国民国家の主体とされる中華民族の出自に関する系統的な研究は、1988 年に費孝通 によって書かれた論文「中華民族的多元一体格局」を機に、漸く始まった30ため、研究の蓄 積は極めて少ない。ネーションとしての中華民族の出自に関する研究は中国のナショナリズ

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ム研究の最も重要な基本課題の一つであるのに対し、それに関する実証研究は非常に貧弱で ある。 

費孝通の「中華民族的多元一体格局」に続き、中華民族が歴史上形成された堅固な共同体 であるということを論証するため、中華民族の源流を古代史に見出そうとする研究が、中国 の民族問題研究者の間で精力的に行われた31。こうした風潮の中で、中国東北地方のエスニ ック・マイノリティは古くから中華民族の一部分であることを、内外に示そうと意図した「東 北工程」32は、一時話題となった。しかし中華民族を歴史発展の自然進化の結果のようにと らえる原初主義33的な研究は、国内外の研究者たちに大きな疑問を感じさせている。 

第一は、現実の問題である。つまり、モンゴル族や韓民族など、国境をまたぐエスニック・

マイノリティのネーションへの帰属意識が説明できない。中国で公認された 56 の民族の中に、

漢民族を含め、三十余りの民族は国境をまたぐ民族である34。こうしたエスニック集団は古 代から中華民族の一部分になっているとすれば、モンゴル国や韓国などの人々も中華民族の アイデンティティを持つはずである。しかし、現実には、彼らはそれぞれ独自のナショナル・

アイデンティティを持っている。中華民族の多元一体論は、周辺各国のナショナル・アイデ ンティティを否定することにつながるので当然そうした国々から強い警戒感を招き、国際問 題にまで発展する場合があった。上述した「東北工程」は韓国の人々に強く反発された。 

第二は、歴史の問題である。古代史にネーションの出自を発掘しようとするアプローチで 指摘された政治上の「冊封」制度、経済上の貿易の隆盛、文化上の交流、人口上の混血など は、いわゆる「中華秩序」に帰納する。しかし、中華秩序の覆う範囲内のすべての人々を一 つの「民族」ととらえるネーション像は見られず、むしろその内部に様々なネーション像が 浮上した。主権・独立志向の中華民族が「中華秩序」そのものの後継者であるような論断で は、こうした「中華秩序」だった範囲の全てを覆うネーション像が出現しなかったことが説 明できない。要するに、確かに古代に「中華秩序」は存在したが、しかしそれが中華民族の 源流であるかどうかについては、もっと精緻な実証研究が必要である。 

一方、費孝通の論説を批判する近代主義35者たちの研究は未だに初期段階にあり、次のよ うな欠陥が存在していると考えられる。 

第一に、近代主義の理論の敷衍に止まり、系統的な実証研究がほとんど見られない。近年、

ベネディクト・アンダーソンやアーネスト・ゲルナーなどの近代主義者のナショナリズム研 究の成果は、次々と中国に紹介されてきた。こうした近代主義の理論が、歴史・文化のまっ たく異なっている中国に当てはまることができるかどうかは慎重に検討する余地があり、実 証研究の裏付けが必要である。 

(13)

第二に、多岐な意味を持つ「民族」・「国」など重要なキーワードを、如何に明確な概念で 解読すれば良いか、という難題が残っている。例えば、梁啓超は、(中国人は)「国の存在を 知らない」というテーゼを繰り返して述べた。一部の研究者たちはその論拠として、中国に ネーションの存在がなかったと主張している36。しかし、梁啓超のいう「国」とは果たして ネーションを指しているのか、それとも主権国家を指しているのか、恐らくそれほど明確で はなく、「国」の語意がそれぞれの文脈によって異なると考えられる。 

つまり中国の独特な歴史と文化の背景の下で、近代主義理論の妥当性を検証する作業が必 要である。特に、「民族」や「中華民族」といった言葉が出現した前後の、「われわれ」意識 の共同体に関する認識の変化を追跡する必要がある。 

(2)ネーション出自に関する論争の意義 

出自に関する論争は、中華民族に限らない。事実上、あらゆるネーションの出自に関して、

論争が存在している。ネーションの「出自」に関する異なる理解は、ナショナリズム研究の 最も重要な争点の一つである37。 

研究者たちがネーションの出自に注目するのは、もちろん歴史の真相を追求しようとする ことに原因がある。だが、多くの研究者がこれほどネーションの出自に拘るのは、むしろナ ショナリズムの原動力解明やその行方の予測に関心を寄せるからである。 

表 1 は、ネーションの出自に関する幾つかの主要な説及び、それぞれのナショナリズムの 行方に関する見通しである。おおまかにいえば、ネーションの出自に関して、自然的な属性 の捉え方と歴史・社会的な産物の捉え方の二種類の見解が見られる。それと関連して、前者 はネーションの不変的な本質を強調するのに対して、後者はネーションの歴史・社会的な環 境による制約を強調する。ナチスなどの人種優越論の残酷な歴史を経て今日では、ネーショ ンの自然的属性を強調する研究者はめったに見られない。 

そして、歴史・社会的な産物の捉え方の中には、また古代起源説と近代起源説がある。ネ ーションンの出自に関して、前者は悠久な歴史や伝統文化などを強調するのに対し、後者は 近代の資本主義の勃興や工業化社会、そしてマスコミ文化などの役割を強調する。加えて前 者はネーションにおける歴史の連続性を強調するのに対して、後者は近代の諸事象による質 的な変異を強調する。 

さらに、古代起源説と近代起源説との溝を埋めようとする研究者がいる。古代起源説の立 場でありながら、ネーションに関する意識は近代の諸事象によって重大な変化が起こったと する研究者もいれば、近代起源説の立場でありながら、ネーションに関する意識には歴史的 な根強さ(Rootedness)を強調する研究者もいる。前者としては、上述の費孝通の中華民族

(14)

多元一体論が挙げられる。後者としては、A・D・スミスの説が挙げられる。 

この両者ともエスニックのルーツや役割の根強さを強調するので一見では類似しているよ うに見えるが、前者は古代「民族」(エトニ)と近代「民族」(ネーション)との質的な差異 を認めない一方で、後者はその間の質的な差異を見出す。それと関連して、前者はネーショ ンを歴史的に形成された運命共同体としてその堅固さや絶対性を強調するのに対して、後者 はネーションを相互依存の世界やマスコミ文化の必要な要素としてそのファンクションを強 調する。 

 

表1. ネーション出自に関する主要な説及びナショナリズムの行方に関する見通し 

ネーションの出自  ナショナリズムの行方 

自然秩序の一部分 

(H.S. Reiss など) 

血縁のグループの自然進化の結果 

(Van Den Berghe など) 

優先的で既定の有力な社会的絆 

(クリフォード・ギアーツなど) 

歴史的に形成され、近代になってから目覚めた運命共同体 

(費孝通など) 

永続または永続に近い 

近代工業主義・資本主義・官僚制・マスコミ・世俗化の結果 

(エリック・ホブズボームなど)  19〜20 世紀の「近代性」の変化にかかる  近代国家と市民社会のギャップを埋めるための手段 

(アンソニー・ギデンズなど) 

少なくとも地球のあらゆる所で、西側のモ デルに基づき裕福で安定な「近代性」への 転換が完成しない限り、持続していく 

前近代に既に存在したエスニック集団(エトニ)の継承者、

西欧の場合は、15 世紀後半から 16 世紀に出現 

(アントニー・D. スミスなど) 

相互依存の世界とマスコミ文化の必要不可 欠な要素 

(筆者作成) 

 

表 1 からわかるように、ナショナリズムの理論研究においては、ネーションがいつ・どの ように生まれたかの理解により、ネーション及びナショナリズムの行方に関する予測もそれ ぞれ異なるのである。近年、中国のナショナリズムは注目されており、現状の考察・分析を 通じて、中国のナショナリズムの行方を探ろうとする研究が数多く行われている。しかしそ

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れだけでは不十分であり、長いパースペクティブで中華民族の出自を掘り下げることは必要 不可欠であろう。 

(3)中華民族の出自に関する論争と梁・章・孫のネーション像の模索 

さて、梁啓超・章炳麟及び孫文のネーション像の模索は、中華民族の出自に関する論争と は、どのような関係にあるのか。図 2 では、中華民族の出自に関する二つの説と、梁啓超・

章炳麟及び孫文のネーション像の模索との関係が示されている。 

 

図2. 中華民族の出自と梁啓超・章炳麟及び孫文などのネーション像の模索 

 

(筆者作成) 

 

前文で述べたように、中華民族の出自に関して、対立軸として二つの説がある。 

一つの説は、中華民族多元一体論に代表されているネーションの古代起源説である。それ によれば中華民族は中国の独特の地理条件のもとで、数千年もの歴史の中で形成された運命 共同体である。梁啓超・孫文及び章炳麟のネーション像の模索は、古代に既存した物自体38の 民族が近代ナショナリズムの受容や列強の侵略により、自己意識に目覚めるプロセスである。 

もう一つの説は、いわゆるネーションの近代起源説である。それによれば、ネーションと しての中華民族は、近代ナショナリズムの受容と伴って初めて出現した近代的な現象である。

               

         

中華  

 

自己意識の目覚め(「自覚」 

 

中華  

 

「想像」または「創造」 

梁・章・孫等に  よるネーション 

像の模索  近  代 

古代起源説による中華民族の出自       近代起源説による中華民族の出自 

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梁啓超・孫文及び章炳麟のネーション像の模索は、古代には存在しなかったネーションを創 りだしたプロセスである。 

図 2 に示される通りに、なぜ梁啓超・章炳麟及び孫文らが異なるネーション像を描き出し たのか、彼らによるネーション像の模索を如何に解読すればいいかは、ネーションの古代起 源説と近代起源説の論争の焦点である。 

注意すべきことに、「民族」や「中華民族」などの言葉が中国語に現れたことと、ネーショ ンやナショナリズムの出現のことが簡単に同一視されてはいけない。というのは、「民族」や

「中華民族」は名前だけなので、たとえそうした名前がなくても、それに当たる実質的な存 在が必ずしもないわけではないからである。それだけに、梁啓超・章炳麟及び孫文のネーシ ョン像の模索が、果たして前近代に既に存在したネーションの「自覚」であるのか、それと も近代までになかったネーションの「想像」または「創造」であるのかという疑問の解明は、

中華民族の出自を明らかにするための避けては通れない重要な糸口である。 

まとめ 

辛亥革命をきっかけに、中国は中華民族を主体とする国民国家に脱皮し続けてきた。今日 の中国では、中華民族への向心力と遠心力は同時に増長しており、その間の拮抗がエスカレ ートする一方である。中華民族のもと、国民統合がうまくできるかどうかによって、中国の 将来は大きく左右されるであろう。 

 

図3. 天安門広場に掲げられた孫文の巨大肖像 

   

中華民族はこれからどこへ行くのか。その行方を探るため、現状の分析だけでは不十分で あり、長いパースペクティブの中で中華民族の出自を考察しなければならない。というのは、

理論上において、ネーションの出自に関する異なる理解により、ネーションの行方に対する 予測もずいぶん異なるからである。特に中華民族像という言葉の創出と定着に大いにかかわ

この巨大肖像を見ると、「韃虜の駆逐、中華の回復」や「五族共和」といった孫 文の名言が自然に蘇られるであろう。中華民族に関する現代中国人の認識は、

このように孫文の影響を受け続いている。 

出所:Record China(2010 年 1 月 15 日) 

http://www.recordchina.co.jp/group/g27159.html   

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った梁啓超・章炳麟及び孫文らの役割を注目すべきである。 

現代の中国人にとって梁啓超・章炳麟及び孫文は既に遠い昔の人物のように考えられてい る。恐らく教科書に収録されている梁啓超の『少年中国説』など、いくつかの名文を除いて、

大部分の中国人は、彼らの著作を直接に読んだことがないであろう。しかし同時に、彼らは また現代中国社会と密接な係わりを持っている。中国近代史におけるその巨大な影響のため、

彼らがネーション模索の段階で描いた様々な中華民族像は、いずれも今日に投影している。 

梁啓超らのネーション像の模索は、「中華民族」という名称の由来や今日の多様な中華民族 像の出現だけではなく、中華民族の「実体」の出現とも大いに関係がある。彼らのネーショ ン像の模索は果たしてネーションの「自覚」なのか、それともネーションの「想像」または

「創造」なのか。中華民族の出自に関する近代起源説と古代起源説の最大な争点となってい る。梁啓超らのネーション像の模索に対する考察は中華民族の出自の解明のため、さらに中 国のナショナリズムの行方の展望のために必要不可欠である。 

そこで、本研究では、梁啓超・章炳麟及び孫文のネーション像の模索の軌跡を辿り、なぜ 彼らは異なったネーション像を描いたのか、そのネーション像模索の原動力は何なのか、そ うしたネーション像の決め手はどこにあるのか、中国の伝統な「華夷秩序」の考え方は彼ら のネーション像の模索にどのような影響を与えたのかを考察する。この考察は、中華民族と いうネーションの出自を明らかにするための一助となるであろう。 

 

図4. 北京オリンピック聖火リレーへの応援と妨害 

   

出所:ウィキペディアフリー百科事典(2010 年 1 月 14 日) 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2008̲Olympic̲Torch̲Relay̲in̲SF̲-̲Embarcadero̲51.JPG 

 

中国の国旗である五星紅旗を振り応援する人々と、チ ベット亡命政府の雪山獅子旗を振り妨害しようとする 人々が対峙している。これはある意味で、今日の中国 社会の縮図といえる。中華民族への向心力と遠心力は 同時に増長しており、その拮抗がエスカレートしつつ あるのである。 

 

(18)

第2節 理論の枠組みと用語の定義  1.ナショナリズム 

本研究は、主に思想史の視点より中国のナショナリズムとネーションを考察する。考察に 入る前にまず、ナショナリズム及びネーションとはどのようなものであるか、という本論文 における理論の枠組みと用語の定義を紹介しておく。 

周知の通り善悪の価値判断を別にして、ナショナリズムは、社会主義や人種主義、そして ファシズムなどと並ぶ 19 世紀以来最も影響力の大きいイデオロギーの一つである。しかも社 会主義などのイデオロギーが衰退している今日、ナショナリズムは依然として強い生命力と パワーを示し続けている。そのためナショナリズムとはいったい何なのか、その生命力はど こからきたのか、といった問題に多くの研究者たちは注目している。しかし、こうした問題 に関しては、未だに定論は形成されていない。 

それは、ナショナリズムに対する研究の蓄積が浅いという原因にある。二次大戦まで、ナ ショナリズムに関する重要な論述は僅か何本の短編の論文にとどまっていた。二次大戦後、

反植民主義運動勃興の背景のもと、ナショナリズム研究が次第に多くなり、1980 年代以降ピ ークを迎えた。 

だがもっと重要な原因は、ナショナリズムの極めて複雑な現れ方にある。それぞれの文脈 や強調する側面によって、ナショナリズムは国家主義、国民主義、民族主義、そして愛国主 義といった日本語の訳語がある。それに対応して、ナショナリズムの主体であるネーション も国家、国民、民族と訳される。これらの日本語の漢訳は、若干のニュアンスの差異や使用 頻度の違いがあるものの、ほとんどそのまま中国語にも通用できる。 

一般的な語感では、ナショナリズムのこれらの訳語は必ずしも同じ意味ではない。文脈に よっては、その間には大きな違いがあり、正反対のイメージを残してしまうことさえもある。 

国民主義を言えば、西欧の 18 世紀中期以来、フランス大革命のスローガンであった特権階 級の打破や人間の自由と平等の訴えが想起され、一般市民を中心に政治運営が行われるイデ オロギーや政治運動と考えられる。日本の場合は、明治時代の自由民権運動に当てはまる。

中国の場合は、国民主義という言葉自体が熟されていないが、梁啓超の「国民」論や「三民 主義(民族主義・民主主義・民生主義)」に関する「of the people; for the people; by the  people」といった孫文のリンカーン風の説明に当てはまる。 

個人の自由・平等を重んじる国民主義の姿勢と対照的に、国家主義を言えば、国家が至上 に置かれ、国民が献身・犠牲的奉仕を強要される道徳観念が想起される。国家の権威と意思

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の絶対の優位を認める政治原則と考えられる。日本の場合、ナショナリズムの訳語で使用頻 度の最も高いのはこれであろう。過去の戦争の失敗を受け、日本社会において国家主義に対 する警戒感と憎悪感が根強く存在している。中国の場合、「国家主義」を標榜する政治主張が 見られたものの、総じて言えばそれほど多く使われていない。ただし、昨今の愛国主義教育 には、国家主義の色彩が窺える。 

そして、民族主義を言えば、アフリカやアジアなどの旧植民地の独立運動のイメージが浮 かび上がり、伝統文化の継承と維持、及び文化・種族などの背景の異なる人間集団間の政治・

社会・経済権利の平等の訴えと考えられる。日本の場合、日本自身のことをあまり「民族主 義」云々とは言わないが、民族の伝統や民族の解放などの使い方があり、人類学や国際的連 帯の立場から「民族主義」という言葉が用いられている。中国の場合は日本と違い、ナショ ナリズムがほとんど「民族主義」に訳されている。また、古代や前近代の「族類」思想を「伝 統民族主義」とし、それに対して国民国家に志向するナショナリズムを「近代民族主義」と する場合もある。 

さらに、「愛国心」「愛国主義」といった言葉もナショナリズムの意味がある。愛国主義を 言えば、1990 年代後半から強まった中国政府の「愛国主義」教育が想起されるが、現に世界 のほとんどの国は愛国心の育成を教育の重要な方針の一つとしている。日本では国家主義の 再来に対する危惧が根強く存在しているものの、現在の小学校指導要領には愛国心育成の内 容が導入されている。ただ愛国心とは、単なる愛郷心(patriotism)、即ち文化・社会共同体 としての国に対する愛着から、忠誠心(loyalty)、即ち政治共同体としての国に対する愛着 まで、その中身は様々であり、一概にナショナリズムに帰納することができない。逆に、ナ ショナリズムはある意味で、特殊な愛国主義ともいえる。 

このようにナショナリズムはまるで怪物のように、国民主義・民族主義・国家主義、そし て愛国主義といった多様な面目で現れる。どれがナショナリズムの真相であろうか。私たち はこうした概念を通してナショナリズムを理解すると、一つのまとまったイメージを描き出 すのは極めて難しい。そこで、ナショナリズムの定義を明らかにするため、こうした一連の 言葉の最大公約数を探し出さなければならない。その最大公約数こそ、ナショナリズムの概 念の中核ではないかと考える。 

この一連の概念の最大公約数は何であろうか。ほかならぬ「主権」に対する追求、または 主権を広げようとする意志ではないかと考える。主権とは、領土及びその領土内のあらゆる 集団や個人を支配する最高絶対の権力である。それはまた対外的な主権、つまり外に対する 独立性を持つかどうかと、対内的な主権、つまり内に対する最高至上の権力を持つかどうか、

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そして最高決定権、つまり内部に最終的に決定する権力はだれが握っているか、というよう に細分化することができる。 

主権の三つの側面は、ちょうど民族主義、国家主義と国民主義に当てはまる。同じ文化ま たは共通の歴史の記憶を持つ人々が「われわれ」の意識を持ち、外に対する独立性を訴える 主張は、いわゆる民族主義である。この「われわれ」意識の集団が、集団内の全員に対する 至上の権威をもつとするイデオロギーは、国家主義である。さらに、この集団内部に最高決 定権が帝王や宗教の長老などの手に握られているわけではなく、その集団内の一人一人にあ る、という政治思想は、国民主義である。そして程度の差があるものの、その集団に対する 忠誠心や愛着の全ては、愛国主義といえる。 

このように、ナショナリズムは、対外的主権と対内的主権、そして内部における最高決定 権に対する訴えを中核とする。民族主義、国家主義及び国民主義は、それぞれ強調する側面 が異なるものの、何れも主権を目指している。ナショナリズムは、まさにこの三つの側面か らなる三位一体である。国家主義、国民主義と民族主義は、イメージがまったく異なる、な いし正反対であるにもかかわらず、ときどき同じ人の上に見られる。このような例は枚挙に いとまがない。例えば、北一輝を代表とする日本の戦前の国家主義者の多くは、特権階層の 打破を目指していたが、結局国家主義の国家改造計画に辿ってしまう。孫文や梁啓超など中 国の近代思想家の上にも、国民主義と国家主義及び民族主義の色彩が併存している。 

それだけに、特権階層の打破、個人の自由と平等を標榜する国民主義の土壌に、国家を最 高至上とする国家主義の実りを結ぶことがありうるし、国民主義や国家主義のもと、外部と 区別するため内部文化の均質化という「民族主義」的な目標が図られている。さらに、民族 主義の旗印を掲げて反植民主義運動で誕生した多くの新興国家は、長年に国家主義の独裁政 権が強いられている。 

もちろん、国家主義、国民主義と民族主義は全く同じようなものとは考えていない。ただ、

この三つの政治思想の流れには、何れも主権、つまり対外的主権・対内的主権、そして内部 の最高決定権に対する追求という最大公約数を持っている。そのため、異なる現れ方にもか かわらず、ナショナリズムに帰納されている。 

本研究のタイトルには、国家主義や国民主義、及び民族主義といった訳語を用いず、「ナシ ョナリズム」という言葉を使っている。これは中国近代思想史において、国民主義や民族主 義、国家主義及び愛国主義は区別し難いためだけではなく、それらの事象の内在的なつなが りを強調したいためである。また後述した通り、中国では中華秩序の「華夏」と「夷狄」と の区別を強調する「族類」思想などを「伝統民族主義」、西洋世界から伝来されたナショナリ

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ズムを「近代民族主義」と呼ばれ、二者ともナショナリズムとされているが、本研究では「主 権志向」は二者の質的な違いとして、後者だけをナショナリズムという。 

ちなみに、ナショナリズムは大衆意識に基盤を置き、ほかのイデオロギーと区別している と同時に、それらのイデオロギーに利用されやすい性格を持っている。結局、人種主義、共 産主義、ファシズムなどのイデオロギーと融合され、人種論的なナショナリズム、社会主義 的なナショナリズム、ファシズムのウルトラナショナリズムといった様々な変種が表れてい る。こうした変種は、ナショナリズムの要素が含まれているが、その全てはナショナリズム というわけではない。 

このようにナショナリズムは多様な現れ方があり、しかもほかのイデオロギーと結合しや すい性格を持っている。その結果、ナショナリズムという言葉は濫用される傾向にあり、そ れを定義するのは困難なことといえる。ある統計によると中国人研究者だけで二百種以上の 説があるという39。こうした数百種の定義の中のどれがナショナリズムの中核を最も的確に 把握しているのであろうか。 

少なくとも上述した考察から見ると、国内外の研究者の諸説の中で、最も簡単明瞭かつ的 確にナショナリズムの中核を抑えたのは、「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単 位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張するひとつの政治的原理である」40と いうアーネスト・ゲルナーの提唱した定義であろう。 

ゲルナーの定義は主権を追求するナショナリズムの政治性を明快で説明し、議論の出発点 としてある程度のコンセンサスを得ている。ただし、ゲルナーの定義も完ぺきとは言えない。

というのはこの定義では「民族(nation)」は何かという質問を残している。この問題に対し てゲルナー自身は、ネーション判断基準の客観的な文化決定論と主観的な意思決定論との間 に彷徨っており、明確な答えを提供してくれなかった。そこで、次はネーションの概念につ いて、少し考察してみよう。 

2.ネーション 

ネーションとは、もともと「生まれ」という意味のラテン語「natio」から派生した言葉で ある。ローマ帝国期には「よそ者」というニュアンスで用いられた。中世ヨーロッパにおい ても、この語は宗教会議などに集まる同郷集団を指していたという。その後 17 世紀のイギリ ス革命においては、「ネーション」の概念は聖職者やある特定の集団のみを指し示すのではな く、幅広い人民を包含するようになった。さらに、フランス革命をきっかけに、基本的人権 を持つ一人一人が対等な形の「国民」という意味で使われるようになってきた。 

このように、ネーションは時代とともに大いに変化している概念である。さて、今日では

(22)

ネーションという言葉は何を指すのであろうか。アンソニー・D・スミスは、二種類のネーシ ョンの存在を指摘している。 

第一に広義的なネーションである。つまり、「歴史的ないしは語源的に言えば、『natio』 と いうことばは普通、エスニック的にも、文化的にも異なり、独自の出自と自分たちだけの母 なる大地を持った異邦人野蛮を指している。こうした意味から、ネーションは語源的に自然 や出生地と表裏一体のものに見える」41。この種類のネーションは、エスニック・ネーショ ンとも呼ばれる。 

もう一つの種類は、狭義的なネーションである。つまり、「政治的支配や政府機関によって 立つ唯一の基盤であり、社会的公正や社会進歩といった『歴史の大道』を象徴するものであ った」42。 

この分類方法は、前述したゲルナーの指摘したネーション基準の文化決定論と意思決定論 とは一致している。18 世紀以来、数多くの帝国を埋葬し、新興国家を次々と創出させ、無数 の人々を戦場に追い立て、命さえ捨てても惜しまないほど自己犠牲させる力は、紛れなく後 者のネーションを主体とするナショナリズムである。今日、いわゆる民族自決権は、既に国 際法に確認されており、主権志向のナショナリズムは、国民国家主導の世界秩序を決定する 大きなパワーを持っている。しかし仮にナショナリズムの政治的な要請を除去すれば、それ はこれほどの影響力を持たないであろう。少なくとも、今のように注目されるはずがない。

ゆえに、上述したネーションの出自に関する論争は、当然にして後者のネーションをめぐり 展開している。本研究でいうネーションも後者のネーションを指す。 

ナショナリズムと同じように、ネーションも国家、国民と民族など複数の訳語がある。注 意すべきことにネーションは「国家」と訳される時、一定の領域と人民に排他的な統治権を 有する政治団体もしくは政治的共同体である「国家」とは異なり、あくまでもナショナリズ ムの主体である政治団体を指している。そして「民族」という訳語は、日本語及び中国語で は包括的な概念であり、ネーションを指す場合、国民国家内部における「われわれ」意識を 持つエスニック集団を指す場合、さらに国民国家を形成する以前の「われわれ」意識を持つ 集団(部族など)を指す場合がある。 

ちなみに、中国では古くから「民衆」の意味で「民族」という言葉が用いられたが、その 後「ネーション」の漢訳としての「民族」が日本語に現れ、当時の中国人エリートたちによ って、中国に逆輸入された。この点について、後に詳しく述べる。 

ナショナリズムの多様化と関連して、ネーションの定義も非常に難しい。これまでのネー ションに関する定義は三つに大別できる。 

(23)

一つは、客観的特徴による定義である。この種類の定義は、上述したエスニック・ネーシ ョンと、国家の基盤とされるネーションを合体するものである。その中で最も影響力のある のは、スターリンの七つの要素の定義であろう。つまり、「ナーツィヤ(ネーション)とは、

言語、地域、経済生活、及び文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎とし て生じたところの、歴史的に構成された、人間の堅固な共同体である。……これらすべての 特徴が存在する場合に、ナーツィヤ(ネーション)があたえられるのである」43。 

しかし、この定義に関しては、「客観的定義に当てはまる人間集団は多数存在するが、いつ でも『ネイション』として見なされるのはそのうちの一部の集団であるがゆえに、常に例外 が見出されることになる」「さらに…言語、エスニシティ、その外何であれ、ネイションの定 義のために用いられる基準自体が、不明瞭で、変化しやすく、曖昧なものであり…」44、と 歴史学者の E・J・ホブスボームに批判されている。ホブスボームはさらに、フランス大革命 の後、フランス語が少数派の支配言語から国民言語に転化したといった例をあげて、いわゆ る「伝統」の不確実さを指摘した。 

確かに世界の大部分の国は多民族国家であるので、この七つの要素を全部そろえるエスニ ック集団は数え切れないほど多い。しかしその中に、主権を志向して、ネーションと呼ばれ るのは一部しかない。そして、言語や文化、共通の歴史の記憶などの均質化は、多くの場合 は、ナショナリズムが流行した後のことである。文化や歴史などの要素は、ネーション形成 の土壌を提供し、大衆意識に深く根差しているが、ネーションといえる判断基準ではなく、

むしろネーション形成の過程に利用される材料である。文化の均質化は、ある意味で、ネー ション形成の結果といえる。 

客観的定義と対照的なのは、主観的定義である。ホブスボームは、ネーションを「最初の 作業仮説として、人々の十分に大きな集団があって、その成員が自ら「ネイション」の一員 と見なしているのであれば、それはネイションとして取り扱うことにしよう」と定義した45。 ただホブスボーム自身も指摘したように、主観的定義は結局個人の選択に従属し、同義反復 の欠陥を免れないのである。 

如何に主観的定義と客観的定義の欠陥を補完すればいいか、研究者たちは認知心理学から ヒントを得て、構築主義46的な定義を下した。B・アンダーソンはその名著『想像の共同体』

で、(ネーションとは)「イメージとして心に描かれた想像の共同体である―そしてそれは、

本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」47と述べている。 

そもそも想像(imagination)とは、認知過程上の重要な一環であり、現前の知覚に与えら れていない物事のイメージを心に浮べることである。そのため想像とは「虚偽」な意識や「捏

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造」ではなく、社会心理学上の社会事実である。アンダーソンの提唱した定義をきっかけに、

アイデンティティの形成における「想像」のプロセスが重要視されるようになった。 

アンダーソンの定義は、主権志向というネーションの中核を見出し、ネーションを客観的 な基礎の上に構築されたものとする。この定義は、ゲルナーの指摘したネーション判断基準 の文化決定論と意思決定論との困惑から脱出し、ネーションとほかの共同体、特にエスニッ ク集団の違いを明確し、ネーションの本質を的確に浮き彫りにしたと考える。そこで本研究 では、この定義を尺度として中国のナショナリズムを考察する。 

(25)

 

第3節 研究方法 

本研究では、次のようなアプローチで考察を行う。 

1.政治思想史の視点より考察する。 

これまでの先行研究では、単に梁啓超・孫文及び章炳麟の「思想」だけを対象にする研究 が多く、歴史の文脈で彼らのナショナリズム論を分析する「思想史」の研究が少ない。 

しかも、彼らのナショナリズム論の形成における歴史背景の役割が触れられる場合もその 逆のプロセス、つまり彼らのナショナリズム論が当時の歴史の大きな流れに果たした役割に ついて、十分な関心が払われていなかった。 

そこで、本研究では、彼らのナショナリズム論自体だけを考察するだけではなく、そのナ ショナリズム論と歴史の大きな流れとのインターアクティブをも考察の範囲内に入れる。 

2.梁啓超・孫文及び章炳麟のネーション像の模索を考察するにあたって、それぞれの主 張に止まらず、そうした主張の提出したプロセスをも重視し、動態的な考察を行う。 

これまで多くの先行研究では、彼らのナショナリズム論は変わらないもののように捉えら れている。たとえ彼らのナショナリズム論の進化に着眼しても、そうした変化の軌跡に対す る精密な追跡や、そうした変化を引き起こした要因に対する分析が欠けている。 

しかし、梁啓超にせよ、孫文にせよ、章炳麟にせよ、彼らのナショナリズム論はいずれも 大きな動揺と変化が見られ、たまには前後矛盾という場合もある。そして、彼らは単なる思 想家だけではなく、同時に政治家でもある。ゆえに政治目的を達成するために、たまには本 心に反する政治主張を取り上げることも考えられる。 

もし彼らの主張を一貫的で変わらないものとして考察すれば、その全体像が見えないばか りか、間違った結論を結ぶ危険性が潜んでいる。実際にはそうした主張転換の軌跡は、当時 の政治・社会状況の激しい変動を反映したものであり、そのネーション像の模索を解明する ための重要な糸口である。 

そこで本研究では梁啓超・孫文及び章炳麟のナショナリズム論の進化したプロセスに焦点 を当て、その変化を引き起こした要因を分析し、動態的な考察を行う。 

3.梁啓超・孫文及び章炳麟の描いたネーション像の異同の比較を通じて、彼らのネーシ ョン像模索の原動力や、ネーション像を描き出した時の判断基準、及び族類思想・社会進化 論・ナショナリズム三者の役割と相互関係を明らかにする。 

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前述した通り、梁啓超・孫文及び章炳麟のナショナリズム論の主要な争点は、ネーション の内包するエスニック集団や覆う地理的領域、そしてネーションの特質などの側面が挙げら れる。ネーションの内包するエスニック集団については、主に「排満」を主軸として考察す る。ネーションの覆う地理的な領域については、焦点を台湾、チベット、蒙古や東北地方な どの主権問題に置く。さらに、ネーションの文化的特質に関しては、「儒教」や「国粋」に対 する態度をめぐって考察をする。 

こうした考察を通じて、梁啓超・孫文及び章炳麟のナショナリズム論の特徴だけではなく、

彼らのネーション模索における族類思想や社会進化論及びナショナリズムのそれぞれの役割 を明らかにし、そのネーション模索の実質は「自覚」であるか、それとも「想像」または「創 造」であるかを解明する。 

参照

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