徳田秋声における火と散文
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自然主義試論Ⅲ
The fiction of TOKUDA Syusei : Fire and Prose
葛 綿 正 一 KUZUWATA Masakazu Hier ist die Rose, hier tanze.――Hegel 文学史において花袋や藤村は特権化されるが、理由は明らかであろう。花袋や藤村はいわば近代というナラティ
ヴに従属してしまった。花袋や藤村は時流に敏感な存在であるがゆえに、文学史に位置づけることが容易だといえ
る。反対に、硯友社から出発した鏡花や秋声は時流に乗り遅れた作家であり、文学史的な位置づけが難しい。ここで
は秋声について検討するが、特に火の形象に注目してみたい。火の形象を通して、倦怠や無頼など秋声の散文の特質
が浮かび上がるように思われるからである。年代順に取り上げるが、引用は『徳田秋声全集』全四二巻(八木書店、
一九九七年)による〔1〕。
一 初期作品における火の形象 ―― 一八九六~一九〇八年
まず初期作品をみていこう。被差別村出身の娘が登場する『藪かうじ』(一八九六年)で注目されるのは「怒の焔」
である。「何も彼も癪の種子となりて、胸に激する怒の焔消ゆる時なく、また最初のお槇にてはあらずなりぬ」。同じ
人物が「焔」ゆえに全く激変してしまうのである。苛められた継子は狂気となって家出し、継母は財産を手に入れる
というのが結末になっている。
『惰けもの』(一八九九年)の主人公は政党の機関紙の主筆である。その政論家を怠け者にしてしまうのは「火」の
せいかもしれない。「火を持つて来い」と命じる男に令嬢を譲り、男の勧める娘と不幸な結婚をするからである。「持
つて来た火鉢の火に、葉巻を推着けながら」猨山に千葉の豪農の娘を勧めるのが遊座である。政党首領の令嬢は猨山
のことを思っていたが、遊座と結婚し北海道で亡くなる。政党の支持者である豪農の娘と結婚した猨山は小役人となっ
て、遊座から「君の活火はもう滅してゐるのだ」と断言される。
華族を取り上げた『雲のゆくへ』(一九〇〇年)は煙草から立ち上る煙の行方を描いている。
「咲さんは可恐い目遣ひをするねえ。」/呟くやうに言つて、立ちながら莨を喫ひはじめると、咲さんと言はれた娘 の子は体を縮めて、おづおづ横の方から彼が様子を候つた。成程薄気味の悪い目遣ひである。 (一)
茗荷谷に住む子爵の比企寛のもとに引き取られるのが咲子であり、不幸な姉の娘である。「臥てゐた若紳士が、ぱ
つと燧火を摺つて、胸から上を抬げて葉捲に火を点けたので、二人の話は急に遏んだ」。この紳士から火を借りるの
が藤三郎で、馴染みの春日関を連れ、知り合いの華族に取り入る算段をしていた。若い紳士は比企寛の異母弟に当た
る均である。
均は寛の妻、牧子から、寛が親しくしている女を探るよう命じられて、お関に再会する。お関は均に思いを寄せる
ようになるが、それはラムプの火が「ちらちらと屡瞬いて、劇しく油煙が揚る」ときである(三十七)。楢村という
鉱物学士が比企寛に取り入ろうとするとき、二人は「ラムプに照映えて居る」(四十)。咲子は「火が点く時分からは
又一入の淋しさ、怺えきれず不意と宅を飛出し」たりする(四十四)。お関は「マツチを捜したが、火を点ける間が
ない」、そこに押し掛けるのが藤三郎である(五十六)。楢村は「じりじりと手炙を押して」牧子に近づく(七十八)。
牧子に追い出される形で咲子とともに下谷に住むようになった均は悩み、「邪慳さうに埋んだ火を抉つて、じりじり
身を揺る」(九十)。寛は楢村に騙されて変死し、お関は藤三郎に殺されるが、「玄関の物蔭に置いた火は、何時か風
に褫 とられて了つた」という(九十二)。秋声は周到に火を伸縮させている。
『気まぐれもの』(一九〇〇年)の鉄道は興味深い。「火のやうに見える件の隧道の小口から、塊の真黒の烟を絶 したたか
吐出して、轟々と出て来た列車がある」。工夫の留吉が鶴嘴で自分の足を打ち付けるのは、この火に煽られたからで
あろう。鉄の家に運び込まれるが、その女は「火を掻直してゐる」。留吉は子供を花火のなかで見失っていた(「又一
つ湿つた空気に、劇しい摶撃を与へて、爆発した」)。妻もいなくなっていた(「持つてゐたマツチを摺つて、納戸の
火鉢の側にあつた洋燈を点けて、座敷へ出ると、熱苦しい部屋の中は、散々になつてゐる」)。留吉が鉄の女とともに
行方を眩ますのは「気まぐれ」ではなく、火の必然といえる。
『春光』(一九〇二年)は編集者が作家に「胸のポケットから莨を取出して、マッチを摺りながら」問いかけるとき
始動し、「莨に火を点けながら、真面目になつて」原稿を催促するとき終わる作品である。父が病気のため櫨野の邸
に引き取られた冬子は、息子の熊夫と出会い、幸子を生む。萩沢のことが忘れられない冬子は作家になるが、幸子を
殺すことを考える。「油が尽きたのか、灯は今消えやうとして、蒼い焔をあげてゐるが、板戸の隙間から、一朶の弱々
しい曙光が差して来て、室内は一時幽闇くなつた」。消えようとする灯火に変わって、ピストルが火を吹くのである。
『学士の恋』(一九〇六年)では火が老学士の恋情を示す。「卓子の遂傍に据ゑた小い暖炉は、石炭を入れることす ら忘られたのか、十畳敷ける西洋仕立の日本室の空気は、冷え放題に冷切つて」いるからである。「一 ひとしきり時燃立つた情」
も消えてしまう。
『放火』(一九〇六年)には題名通りの場面が出てくる。「硫黄臭い火はパツと光つたが、吹付ける風で忽ちフツと
消される。又一本、又一本」。書き手としての秋声の焦燥があるのかもしれないが、これによって少年は一時的に助
けられる。同年の『幻影』でも主人公は火に囚われている。「家を焼いたら、きツと私のことを狂人といふであらう。
併し私は家を焼く。断然焼くことに定めて了ツた。焼かなければ、私は狂人になツて了はなければならぬ」。火を点
ければ狂人とみなされるが、火を点けなければ狂人になってしまう。これは秋声的な火のパラドクスであろう。花袋
の「重右衛門」にこうしたパラドクスは見当たらない。生木が燃える『焚火』(一九〇七年)には孤児の乞食が登場する。
「片足で焚火を蹴散らした。薪、木屑は、燃えたまま其処らに散乱ツた」。この散乱ぶりが花袋のロマン主義的造型と
異なるところである。
『おのが縛』(一九〇六年)は生き方の異なる兄弟を描く。「医院の診察室に、赤い毛に深々と臀を埋めて、寝台に
腰かけて居た」のは、田舎から出てきて電車に轢かれた弟のほうである(二)。兄は博士論文をまとめ出世を考えて
いるが、妻との仲がうまくいかない。「真中の赤毛布かけた腰懸台に横になつて、落した莨の吸差が毛布をフスフス
焼いてゐるのも知らず、うとうとと寝入つて了つたが…」(六十六)。興味深いのは、兄弟が全く離れたところでとも
に赤い毛布の上にいる点である。妻が亡くなると、その妹の滋野と結婚するのは兄のほうである〔2〕。瓦斯の火、
莨の火、火鉢の火が、絶えず兄を突き動かしており、火と毛布の遭遇が本作の縛りになっている。
『奈落』(一九〇七年)では父と子が一人の女性を争う。「眴 みまはすと室はもう薄明くなつて火鉢の火気も衰え、灰も妙
に湿つたやうになつて見えれば、鉄瓶も何時の間にか音を断つてゐた」。息子はすでに妻の愛を失っている。母親は
もはや夫の愛を期待しておらず、父親は息子の嫁を連れ去る。「四人が四人、誰の顔を見ても死灰のやうに蒼ざめて
ゐた」というのが結末である。
『熱狂』(一九〇七年)の主人公は心が「焔のやうに休みなく閃く」ので病院の仕事ができないという(七)。「酒で
も引被らなきや、この体中に燃えてる焔が一時だつて治まりやしねえ。俺の体にや年が年中火が附いてるんだ」と口
にしているが(八)、火が熱狂へと駆り立てるのである。
『凋落』(一九〇七年)の一節は注目に値する。「一時頃までも、良介夫婦が別れ話で捫着してゐた昨 ゆふべ夜の今朝である。
恒子はふと目を覚すと、楷下の台所で、早や妹のお新が起きて釜下を焚つけてゐる気 けはひ勢である」(三)。夫婦喧嘩の挿
話と火の挿話が並んでいる。妻の恒子はチフスで亡くなり妹は妊娠し流産するのだが〔3〕、そうした結節点で火が様々
に変容している。本作について「今度の文章は極楽に書く積りです」と秋声が語っているのは興味深い(「事実と想像」
一九〇七年)。「極楽」ならざる業火が浮かぶからである。
『絶望』(一九〇七年)は「始終長火鉢の傍に頑張つてゐた」大工の目を盗んで蕎麦屋の出前を口説くが、二人に冷
たくされる常磐津の師匠を描く。「…呶鳴りながら、火鉢と三味線の外、何もない上へ上つて行く。/で、手撈りに、
火鉢の抽斗からマツチを取出すと、手捷く摺つけて、一昨日投出して行つたままのランプを、台所の口から持つて来
て、火を点けたが、もう何をする勇気もなく、取放しの蒲団の上に、疲れた重い体をヅシンと投出したと思ふと、憤
れつたさうに泣いて居た」というのが結末である。「火鉢と三味線」しかない、これが秋声における最低限度の生活
なのである。
『犠牲』(一九〇七年)の冒頭をみると、凄まじい密集ぶりである。「四方八方へ散らかつてゐる弟や妹が、幾年振
かでドカドカと一緒に集まつて来たのは、つい此の三四日前の事である。何時も寂しい宇野糺の家は、盆と正月が一
時に来たやうに、急に賑つて来た」。
父の法事に駆けつけた密集ぶりは二十年前「囲炉裏で栗を焼いて食つた楽み」に通じるものであろう。しかし今、
栗林は「湿気を持つた空気が急に重く」感じられる場所となっている。したがって、熱い密集は冷たい孤立に移行す
ることが予期される。「不図、二十年かかつて積んだ三百円某の貯金のことを憶出した。同時に、其金が、或日あの
栗の林で、寂しく目を瞑る時の用意だと云ふ事をも思ひ浮べて、急に可恐しい暗い影に胸を封された」。「二十年かか
つて積んだ三百円某の貯金」は死ぬための用意でしかなく、その意味で冷たく暗い人生の縮図になっている。
『二老婆』(一九〇八年)の貧しい画家夫婦は老婆から部屋を借りている。「行火」に火を入れて、二人の老婆を眺
めているのだが、引っ越すことになる。「荷物が一ト片着き片着いたところで、自分は火鉢の火を起して、莨を吹か
しながら、明日から空家になる此の家の事や、十五六年住古したと云ふ、老夫婦の事や、お栄婆さんお幾婆さんの将
来など想つてゐた」。火を起こしたとき、それぞれの老婆の人生が浮かぶのである。「死んだ方が可い」と口にしてい
たお幾婆さんが助かり、酒屋に引き取られたはずのお栄婆さんが死んでしまうのが結末である。「莨を一服喫して」ひっ
くり返った亭主をもつお幾婆さんは「先へ死う死うと思つてゐたら、到頭爺に先を越されてしまひましたよ」と語っ
ていたが、またしても先を越される。それは洗濯と水汲みばかりしてきたからではないか。
『出産』(一九〇八年)は出産費用を準備するため質屋に行く話である。「飯が済んでから、静に莨を喫してゐると、
少しは気が落着いて来た」男は質屋に向かう。質屋には「雪灯に火を点けて、倉に駈込」む小僧がいて、金を借り
る。だが、「一面華やかな火」が映るビヤホールに入ってしまう。「中は白熱のガスの光に、莨の煙が蒼く漂ふてゐ
る」。ここで散財するのだが、なぜか陽気になる。「濠端に見える火が、如何にも夜の色を見せてゐた。耳は森と澄ん
で、脚が思のほか軽かつた」。これらの火に主人公は救われているのであろう、妻の出産は無事に済む。
秋声にとって散文とは火のように伸び縮みするものではないだろうか。爛れて広がり凝って縮図となるからである。
以下、そうした点をみていきたい。
二 火と『新世帯』――一九〇八年
『新世帯』の主人公新吉は十四歳で上京し酒問屋に奉公した後、「薪に炭」を商う店を持ってお作と結婚する。「綺
麗に磨立てられた台ランプが二台、狭苦しい座敷に点され、火鉢や座蒲団が整然と並べられた」というのがその場面
である(五)。だが、仕事のできないお作との仲はしだいに冷えていく。「長火鉢の傍で一緒になると、二人は妙に黙
込んで了ふ。長火鉢には火が消えて、鉄瓶が冷たくなつてゐる」(十一)。出産のため実家に帰った妻の代わりに現れ
るのが、逮捕された友人の妻、お国である。その仕事ぶりはお作とは正反対で「始終薄暗かつたランプが何時も皎々
と明るく点されて、長火鉢も鼠不入も、テラテラ光つてゐる」(二十)。だが、自堕落な姿を目にして新吉は「煙管を
二三度、火鉢の縁に敲きつける」(二十七)。お作が流産して戻ると、「スパスパと莨を吹かしてゐた」お国は居場所
を失うほかない(三十三)。
新吉は何時からか、言はうと思つてゐる事を浚出さうとした。/ずつと離れて、薄暗い処で、針仕事をしてゐた
お作は、折々目を挙げて、二人の顔を見た。/お国は嶮相な蒼い顔をして、火鉢の側に坐つてゐたが、少時すると、
「え、其は私だつて考へてゐるんです。」 (三十四)
火鉢の側で考え込むこと、それが秋声にとって原型的な女の形といえる。この姿は『黴』のお銀、『爛』のお増、『あ
らくれ』のお島、『仮装人物』の葉子、『縮図』の銀子に受け継がれるからである。秋声が後に「創作態度に或る決
定的なものを与へ、人生の現実に目を向けた殆ど最初のもの」と本作について記すのも当然であろう(『光を追うて』
一九三九年)。お作は明るい「空気」を求めて前の奉公先を尋ねたりするが(三十五)、出て行くのはお国のほうであ
る。「少時すると、食卓がランプの下に立てられた」というのが別れの儀式となる(三十八)。お国は出て行って千葉
で芸者となり、お作は再び懐妊するというのが新世帯のありさまである。
『娶』(一九〇九年)は田舎暮らしの嫁が姑に叱られる話である。そこを夫婦で訪れた主人公は煙草を吸いながら田
舎暮らしを体験する。「自分はマツチを摺つて、莨を喫しはじめた。今朝はすがすがしい血が充ちてゐるやうである」、
「自分は台のうへの莨を取つて、一本火をつけた。風が較々庭の木立にいでゐる」。ゲストだけではない、ホストもま
た煙草を吸っている。「柳井氏は垣根際の栗の根に跪坐んで、莨を喫してゐた」。その妻も「女は満りませんよ。あの
だだツ広い台所に、年中燻されてゐるんですもの……」と口にする。ここでは誰もが煙に燻されているのである。
『二十四五』(一九〇九年)は母親に甘やかされて育った女性を描く。漣子は財産家に嫁ぐが子供を残して別れ、次
の結婚では姑との折り合いが悪くて別れ、最後に貧乏画家と世帯をもつ。
本作は汽車の場面で始まり電車の場面で終わる。「この汽車が立川あたりまで進行した頃には、空は一体に美しく
碧みわたつて来た。しつとりとした平野の空気、地面に苔の這つたやうな藁家、矮林、其間には葉のつやつやした桑
畑が限もなく拡つて、其上を煙が暗い影を片々に落して行つた」(二)。「空気」が煙で濁って「暗い影」に覆われる
のが、この小説なのである。最初の結婚では「黒く枯れた桑を折焚べながら、煙に顔を顰めてゐた」父親が「いつも
然うお客ではゐられないでの」と苦笑いしている(十)。鉄工場勤めの工学士と再婚するが、家族とうまくいかず「あ
の重苦しい空気のなかへ入つてから、悉皆萎けてしまつて」と思い続ける(三十三)。
「二人は火鉢を挟んで、萎頓したやうに坐込んだ」とあるが(四十四)、貧乏画家との結婚もまた幸福なものではない。
「今日は何故か、竈に火を焚つけるのも、張合がないやうな気がした」(五十二)。「柱にかかつた時計が停つてゐたり、
火が急に興らなかつたりして漣子は心細い此の夫婦暮を、つくづく淋しいと思ふこともあつた」(五十六)。真野が病
気になると、「がつかり火鉢の傍に坐つて、何を考へるともなく、深い思に沈んだ」という(六十)。回復するが「皮
膚もまだ寒い空気に馴れないほどで」呻いている(六十五)。「二階では、細くしておいたランプが、もう消えさうに
なつて、外から入つて来た鼻には、人や食物の臭のやうな臭味が鋭く感ぜられた」(六十七)。室内には不快な空気が
籠もっているのである。「二月は一層寒さが厳しく、皮膚の弱い真野は、部屋にばかり閉籠つてゐたが、漣子も腰が
冷えると云つては、安火を擁えて、無精な体の持方をしてゐた」(七十)。二人は閉じ籠もるばかりではいられない。「薄
いランプの灯影で見ると、時計は四時を少し廻つたばかりである。真野は起出して板戸を開けた」とあるが(七十七)、
この「薄いランプの灯影」は二人が別れないであろうことを暗示している。漣子は手放した子供に会いに行くが、会
えないまま帰る。「暗い影が自分を蔽つてゐるやうで、自分ながら疑はしくなつて来た」漣子は電車に乗って、その
明るさに戸惑うのである。
『同胞三人』(一九〇九年)は両親を亡くした煙草屋の姉、弟、妹の三人を描く。姉のお島が結婚するのは煙草を買 いに来た医学生の塚田である。「其処へ塚田が出て来て、難しい顔をして火鉢の側へ坐り、莨を喫 ふかしはじめた」(七)。
これをきっかけとして弟の美喜男は家を出る。「女中にマツチを貰つて灯を点して、机の前に坐ると、一昨日の晩か
らの事が、ぼんやりと頭脳に浮んで、如何にも長いあひだの惑溺してゐた如 やうに思はれる。うかうかと、松山に唆され
てゐたと云ふ考も、如何かすると胸を衝いて起つた」(二十二)。松山と親しくなってしまったお島は塚田と別れる。
「神戸の空気」が合わない弟は東京に帰りたがっている(三十四)。妹のお政はお屋敷勤めをしていた縁で篠田という
男と結ばれるが、すぐにうまく行かなくなる。「二人は疲れた躰を、ドカリと窓際に坐つて、莨など喫してゐる。今
点けたランプの火が、流れ込む夜風に煽られて、部屋は何となく居心が落着かなかつた」(四十四)。別れた篠田がお
政に近づくのは「莨を喫しながら」である(六十)。お政は木村という金持ちの世話になり弟の面倒をみようとするが、
「莨屋の二階なぞにゐて、自堕落に暮して来たから、お前は然 さうなんだ」と罵られる(六十一)。医者になった塚田の診
察を受けるものの、姉は肺を病んで亡くなる。「塚田は火鉢の傍で茶を飲みながら、懐から札を二枚出して、それを
火鉢の蔭に置いた(中略)それが無くなつて了ふと、又火が消えたやうであつた」。これが煙草屋の三人の物語の結
末にほかならない。
『墨液』(一九〇九年)は全集二九の解説で代作の可能性が指摘されるにもかかわらず、注目に値する。「間島は墨液と、
財布とを見比べて躊躇つた。と、彼女の頭髪をやく火には、此墨液を打蒔くのが適当だらうと思つた」。書くことと
火を点けることに関連があるというのは秋声的テーマではないだろうか。『濁流』(一九〇九年)の「今火種を貰つて
来るから」という言葉は示唆的である(八)。
三 火と『足迹』――一九一〇年
妻(小沢はま)の半生を題材とした『足迹』は、田舎の家屋敷を売り払って一家が上京するところから始まる。上
京した晩、お庄は迷子になる。「温かい湯の匂のする溝際について、ぐんぐん歩いて行つたが、何処へ行つても同じ
やうな家と町ばかりであつた」(三)。秋声のヒロインにとって温かい湯は錯覚しか生まないのである。
父親は一日出歩いて晩方帰つて来ると、こそこそと家へ上つて、火鉢の傍に坐込んだ。傍にお庄兄弟が、消炭の
火を吹きながら玉蜀黍を炙つてゐた。六つになる弟と四つになる妹とが、付焼にした玉蜀黍を甘さうに囓つてゐ
る。父親はお庄の真赤になつて炙つてゐる玉蜀黍を一つ取上げると、弾切れさうな実を三粒四粒指で挘つて、前
歯でぽつりぽつり噛み始めた。 (五)
炙られて、噛み砕かれるものが秋声の世界には満ちている。お庄は日本橋へ奉公に出されるが、すぐさま浅草に移
るよう誘いを受ける。「乱次のない風をして、細い煙管に煙草を詰めると、マツチの火を摺りつけて、すぱすぱ喫み
はじめた」女に唆されたのである(二十三)。やがて築地の叔父夫婦に引き取られる。本作品において印象的なのは
火と笑いである。
ランプに火を点けて、お庄が呼起しに行くと、叔父は顎の骨をガクガク動かして、細長い筋張つた手を蒲団の外
へ延して、ぐつたり寝込んでゐた。お庄は、「厭な叔父さんね。」とげらげら笑ひながら出て来た。 (三十二)
お庄は叔父夫婦のもとで働く。局部に爛れをもつ叔母は『仮装人物』のヒロインの先駆だが、本作品においては激
しい笑いが絶えない。「産れて百日生きてゐた子供のために拵へたと云ふ、節の多い田舎織の黒斜子の紋附などもあ
つた。こんな子供の顔は、今想出さうとしても何の印象も残つてゐなかつた。お庄はその着物を見ながら、げらげら
笑出した。三十にもなつて、まだ初産のやうな騒をしてゐる叔母の様子が可 を怪 かしかつた」(四十)。 お庄が叔父夫婦に引き取られる原因となったのも火であった。「昔から油を絞つて暮して来た母親の実 さ家 とは、その 時分村の大火に逢つて、家も帑 どざう蔵も灰になつてから、叔父は残つてゐた少し許りの田地を売つて、漸と学校へ通つて
ゐるのであつた。其代りにお庄の支度を叔父が引受けることになつてゐた。叔父は時々それを言立てては、お庄の身
につく物を買はうとした。其度に叔母は好い顔をしなかつた」(四十三)。
大火がすべての原因となり、お庄の存在は叔母を苛立たせるのである。だが、入院した叔母は笑いを引き起こさず
にはいない。
「この助手さんは別品だねえ――。」と云つて、狂気じみた笑方をした。/お庄も看護婦も、後の方でくすくす笑
出した。(中略)お庄は後で暫く笑が止まらなつた。/夕方になると、叔母はまた叔父の来ないのに、気を焦立 たせた。お庄は幾度となく家へ電話をかけた。 (四十四)
叔母が別品だと言つた助手が、西洋料理などを取寄せて食べてゐるのを見て、お庄は時々口に手帕を当てて思出
笑をした。 (四十六)
入院していた叔母が亡くなり、母親が愚痴をこぼすと、お庄は笑い出す。母親にも楯突くところがヒロインの魅力
である。
お庄は少し遡上せた様になつてゐた。そして自分は自分だけの理屈を言つた。人中にゐるのに、然う姿振に介意
はない訳にも行かないと思つた。自分の身じんまくもする代りに、病人の看護も、長い間尚しも好くして来た方
だとも思つた。/お庄は理も非も判らないやうな年婦の愚痴に終に笑出した。 (四十八)
細長い棺の中には、布の茶袋が一杯詰められてあつた。冠物や、草鞋のやうな物が其端の方から見えた。生前に
色々の着物を縫つて着せるのが楽しみであつた人形を入れてやらうか遣るまいかと云ふことに就いて、女の連中
がまた捫着してゐた。/「入れないさうです。」と、誰やらが大分経つてから声かけた。/衆が笑出した。(五十)
悲惨と哄笑、これが秋声の小説の魅力になっている。叔父が連れてきた女に手紙を書いてもらう場面も同様であろ
う。「女は小説でも読むやうな気取で、母子にその文句を読んで聞かせた。お庄は狂気じみた其顔を瞶めながら笑出
した」(五十六)。小説のように自分のことを語って聞かせる女を笑っているのである。
お庄は磯野という書生と知り合うが、別の女に奪われる。「叔父のと決つてゐる座蒲団を側へ退けて坐りながら、
不興気に火を掻廻してゐた」というのが、そのときのお庄の姿である。見合いをした眼鏡屋からも逃げ出し、お庄は
従姉夫婦の世話で、芳太郎と結婚する。仲人は火災保険の重役である。
酒で頭脳の爛れたやうになつてゐる芳太郎は、汽車のなかでも、始終いらいらして居た。そして時々独語のやう
な棄鉢を言つた、金を掻浚つて家を逃出してくれるとか、お袋を撲殺して高飛をするとか、そんな事をすらお庄
の耳元で口走つた。 (七十三)
「芳太郎は時々狂気の発作のやうに、お庄の手を引張つて、明の射さない草ツ原に連出した」というが、お庄のま