因果の矢の客観性について
森田邦久
大阪大学大学院文学研究科 招聘研究員
量子力学におけるSchrödinger方程式も,Newton力学における運動方程式も,
時間に関して対称的である.それにもかかわらず,ほとんどの場合,原因は時間 的に結果に先行する(これを因果の矢と呼ぼう).この原因と結果のあいだにある あきらかな非対称性の起源はどこにあるのだろうか.これは,世界の側の非対称 性を反映したものであろうか,それともわれわれ主観の側の非対称性を反映した ものなのであろうか.
因果の矢が主観的であるならば,なぜ通常われわれは原因が結果に時間的に先行 するように見えるのか,という疑問が生じる.一方で,因果の矢が客観的であるな らば,物理理論は時間に対称的であるのになぜそのような非対称性が現れるか,と いう疑問が生じる.
Price の答は,われわれの心理学的な矢が因果の矢を「客観化」しているという
ものであった.すなわち,過去は覚えているが,未来を知らない.これは,過去は 固定されているが未来は可変的であるとわれわれは考えているということである.
それは,一般に,われわれは原因を自由に「選択」することができることによって
「結果」を変えることができると考えていることにつながる.
一方で,Dowe はフォークの非対称性を因果の非対称性の根拠とする.フォーク の非対称性は世界の側に実在するので,因果の矢は客観的であるというのだ.
本発表では,まずこれら Price と Dowe の論争を概観し,それぞれの議論を批判 検討したい.