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lll 流通地方

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(1)

とくに製粉業の歴史地理学的基礎

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ここにいわゆるユルポア地方は広い畑作地帯であって︑膨大な人口を擁するパリの南西郊に位置しているため︑由

来商品の生産および流通についてはパリとの関係を無視することは出来ない︒商品の流通は︑県都たるヴェルサイユ

ユルポア地方の商品流通

を仲介として︑パリと密接不離な関係をもって行われて来た︒

本来主要な穀物生産地であるため︑この地方の主な商品としては小麦・燕麦等の占める比重はとくに著しい︒した

がってこの地方の各市場は︑かかる農作物の交換の場として発達をみたが︑この地域の生産物の超過部分を商品化す

ることによって生ずる地域聞の分業は︑大都市周辺の地理的事情も加味して特色をもっていた︒たとえばヴェルサイ

ユの製粉の仲継売買があげられる︒もとより︑穀物生産と製粉業は結びつけて考えられて然るべき性質をもつもので

159 

あるが︑ここでは耕地の増大にともなう水車業発展のための条件が欠如していたので︑製粉業の発展は阻止され︑強

いては新たな地域えの分解の作用をなした︒そこにこの地方の商品流通の一つの特質が見出されると思われる︒

そこで十八世紀を通じて︑この地方の農産物の種類︑交通路︑市場等

' V瞥見し︑製粉業と水車業との関連における

(2)

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商品流通の地域性を歴史地理学的に考察したいc

パリ盆地の南西部に位置するこの地域は︑首都の近郊とい

ろ地理的条件にも左右されて早くから耕地が開拓され︑様々

な農作物が見出されていた︒この傾向は十八世紀になるにつ

れてますます顕著となり︑lヌ河沿いの河谷では果樹:主

54 2

イヴエット

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谷では種々な野菜類︑葡萄畑が散在し︑一方広い台地の上で

は小麦・ライ麦・燕麦・大凌等の穀物が生産された︒さらに

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十八世紀末ともなると︑かつて森林におおわれた村落も次第

に農耕地に変り︑草原︑葡萄畑が穀物畑に取って代られて︑

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代表的な小麦の生産地の一つに数えあげられるようになっ

こうした土地利用の進行の結果︑地表面積の割合は著しく

変化したc

革命第四年にこの地方八つの郡│ヴェルサイユ

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(3)

ユルポア地方の商品流通 161 

収獲された穀物・飼料

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Rennemoulin 1792.10.1  414

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道らしい道とてない有様であった︒@そのため悪路しか利用出来ぬ農民達は︑ ールピョ︒

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ーの割合いをみると︑全面積三七二ハ八ヘクタ

ールのうち穀物作附地は二三二二三ヘクタールで約七割であり︑約一割が葡萄

畑・牧草地であって︑森森は二割にすぎない︒したがって半分以上森林におお

われた土地の多いアンシアンレジーム期と比較すると土地開拓の進行は著しい

ものであった︒②

一七六四年につくられた道路網図の一つをみると︑この地方を通る大きな道

lヌの谷に沿ってノルマンジ

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ドルl

を連結するブルタlニュ回日

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街道︑二本のエスパlニユ同名

m m S 街道

ーそれはランブイユを結ぶ道と︑パレイゾl附近でオルレアン街道と一緒にな

っている街道l他にアルパジョンを経てエタンプの有力な穀物市場に連絡して

いるオルレアン︒ユ宮5

フォンテンブローに通ずるミデイ

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街道

の六本であった︒ここで方ルレアン︑ミディ街道は︑道も比較的良く整備され

ていたので︑葡萄酒や穀物を真直ぐパリに送り込んでいた︒@しかしヴェルサ

イユ周辺とその南の川谷地帯は︑上記の二つの揖道からもまたノルマンジ1

面からも遮断されていたので道も悪く︑ましてや小都市や村落に踏み込むと︑

(4)

162 

彼等の生産物を自己の村落附近か︑精々ヴェルサイユまで運搬するのがやっとであった

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次に専らヴェルサイユに小麦を運んだ同市近郊の小村落(王領地)

レンヌム1ラン

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︒己吉の生産量と消費

量とを比較してみると︑一七九二年一C

の生活と︑翌年の種蒔きに必要な四三二セチエを除く五三二セチエ

(約五割六分)から地代(金納と一部現物の定額 小作料)と利益を分け合っていた

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@ 就中穀物はその佳持参される丈けでなく︑直接都市のパン屋と取り引きをする ため︑附近の川の水車を使用して製粉されて運ばれた︒さらに十八世紀末にはヴェルサイユえは燕麦・ソラ豆類が遠

くトラップ︑ゴメッツ︑シヴルl

ズ等からさえも運ばれた

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① ①  

拙稿﹁フランスの近代化と地域の変貌﹂一七八l一八三頁︑歴史地理学紀要︑一九六O

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十八世紀に到るもこの地方の小都市・村落の道路が非常に悪かったことは︑ヴェリエlル市長ヴィタラン・ドミノ︑レンヌ

lラン司祭セネのメモ等で理解される︒

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ヴェルサイユに生産物を運ぶ慣しになっていた農民は︑非常に高額な運貨を似払っていた︒﹀2Fω

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(5)

十四・五世紀までパリへの穀物供給は︑専ら周辺一帯の荘園に散在していた領主の﹁穀物倉庫﹂を介してか︑ある

いは次第に向上して来た農民によって直接になされていた︒十六世紀になると︑農民の生産力はさらに増大したむち

なみに一五五三年﹃旅行案内記﹄の著者エチエンヌは︑﹁パリとフランスの穀倉地帯を結ぶいたる処で商業取引きが

山 木 え ︑

シャルトルにいたる通路は穀物・木材・家畜等の市が出来たために︑またドルIへ通じる通路は家畜・家禽・

皮革・果実

1

とくに葡萄il穀物の市が出来たために通路の往来は頻繁となった﹂①と書いている︒その他同六五年パo

リ高等法院が法令をもって︑﹁すべての人に周辺の町や村で穀物を許可する﹂ことになったことや︑一六六九年のル

イ十三世の勅令は︑おさえがたい農民の生産力の向上とパリの流通規制の破綻を自ら承認したものであったc

ユルポア地方の商品流通

かくしてこのユルポア地方でも農民層の発展に対応して︑各耕地の中心的位置に市場が形成され︑そうした市場は

或はヴェルサイユ︑シユヴルlズ︑リムlル︑パレイゾ1等々から小さな村落まで数多く存在する様になったc

これらの市場のうちでヴェルサイユは一番大きなものであった︒ここには一六六九年三月︑ルイ十三世のとき特許

状による自由市内Oσ同門出口

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サン・ルイ(八月二五日)︑サン・ドニ(十月九日)の祭日に

聞かれた︒十八世紀となるとさらに週二回小市が聞かれ︑同特許状による月曜市

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丘と自然的に増加した金曜市

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22

があった︒@農民はこれらの市で︑ノートル・ダム区Z5Rgで家畜│穀物の買却は余り行われな

163 

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印曲︒聞の道路では酪農品・家禽・野菜・果物を売った︒@また一七三六年ごろから許可されたサ

(6)

ン・ルイ区

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lト麦・肉類等を買却した︒@

164 

しかしながらヴェルサイユが︑ユルポア地方の他の市場と異った特殊性をもったのは︑粉の売買の大中心地となっ

たことである︒それはポア・ル・ロア司

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o という粉の売買場が建造されたことによって証明せられる︒こ

の建物は一七二三年に市長のブルlアンによって建てられ︑⑤週二回(月・木曜)に業務が行われた︒@そこでは製

粉された小麦・燕麦等がパリ︑ヴェルサイユはもとより︑その他の小都市のパン屋にも売られた︒このときからヴエ

ルサイユは製粉の売買に関する限り︑当地方きつての独占的地位を占めるにいたった︒

このポア・ル・ロアの設立は︑間近の農民経済の向上の反映であったが︑同時に今迄以上に水車業の活動に拍車を

かけるものであった︒ちなみに製粉需用に対処して水車業を円滑にするための一例をみると︑ヴェルサイユ周辺の土

地を所有していた王は︑議会の名において︑一七三二年に未だ何人の所有にもならない川の水を個人の処に引き込む

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lヴルの罰金を課し︑違反者には罰金の倍加を命じ︑さらに水車の車輸の大きさ︑水位︑水門の巾等

も決定して︑個人が任意に川水を使用して水車業の防害とならぬ様に水車のための法規を定めた︒⑦

ともあれヴェルサイユは粉の売買の中心地として︑ポア・ル・ロアには一七七七1ー八五年まで年平均五

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の粉が集り︑ネッケルの時代には直接の保護下におかれたので︑パリ地方で収獲の悪い八八年にも五一一000袋︑翌

八九年の最初の五ヶ月聞には二四二五O袋を確保した︒@

一方地方の市場のシュヴルlズは穀物l小麦・大麦・燕麦ーや家畜︑リム1ル︑パレイゾlロンジュモーでは大

麦・燕麦屑・家畜等がすべて附近の農民達によって持参された︒

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この建物は長さ十六トワiズ(約三二米)幅七トワl()

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③ ⑦ ①   ユルポア地方の商品流通

当時製粉業は︑専ら水車を使用して行われていた︒そしてヴェルサイユのポア・ル・

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アに運ばれた粉の大部分

は︑周辺の小さな支流とピエl

ヴル川で製粉されたものであった

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しかしながら製粉の需用にともない︑これらの流 れは如何なる効用を供えていたであろうか

ヴェルサイユ周辺の小川

ここの谷聞はパリ・ヴェルサイユの近郊であり︑

その上サン・ゼルマンω?の

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古からも余り遠くないという 立地条件から︑水車の挽臼は専らかかる町のために穀物を挽いていた︒

165 

一七八四年までに水車は︑グラン・パルクに二台

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lリノl

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lランに各一台ずつ11としレンヌムM

よび王領地以外の小川に五台が数えられ︑その他に‑二台の水車急造の気配がみられたc①これらの水車は︑

(8)

ヌ河を臨む幾つかの丘の麓の小さな流れによって動かされていたが︑それらの流れは水車業には排水の点で不充分で

166 

あった︒すなわち県都からル・ド・ガリl

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の巳寄とヴイルプル

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支流に通ずるこつの排水路は︑十八世紀中頃まで汚水を受け入れる傾斜も堤防もなかったcそのため人は淀んだ流れ

と悪臭を放っ泥溝の水や泥土の逆行を防ぐことに専念していたc②たとえば王は︑

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lヴルの国

債を使ってヴイルプルlの領主が所有した水車を出買受けてそれを破壊し︑排水口に水車を置くことを禁止したc@ま

た建築管理局は請負師に年八

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Iヴルで小川の淡深作業を行わさせた︒しかしこうした水の流れを円滑にすべき

対策も︑これらの小川の流れを改善出来なかったc

O年に依然として﹁水の逆行が危険な水蒸気と放散物を生

ぜしめるかも知れない﹂④という当局の警告は︑淀ゐだ流れが改善されていないことを物語っており︑したがって十

八世紀末になってもこの谷間では︑水車業の発達は望み得べ︿もなかった︒

lヴル川

lヴルとイヴェット川谷では︑水車のある村落は冬期の洪水にそなえて川辺りと台地の間の砂質・粘土質の斜

面の上に存在していた︒@水車は川の源から東部の出口のアントニイ﹀己︒ロ可まで一一あり︑ポア・ル・ロアと近

くの村々のために製粉を行っていた︒@

水車業は河川の水量と落差に左右されるが︑この川の水は︑夏の乾燥期となると屡々不足した︒一七四九年の記録

によると︑ピェlヴルの川床は︑巾は六ピエ(約二米)しかなく︑水位は水門の処で凡そ二Olス(約六O

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かなかったことが記されている︒それゆえ水が岸辺一杯にまで拡って流れたとしても八十時間に六時間の割でしか水

車は廻転しないという結果を生じていた︒実際問題としてここでは水車は三十時間から三六時間も廻ることが出来な

(9)

かった︒というのは水車に必要な流水量がつくられるためにはこれだけの時聞が必要とされ︑それから水車は精々

その上非常にわずかしか来ない水量を使用してゆっくり廻転する有様であった︒ゴ0

︒ ︒ σ σ

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川に遡るにつれて水車の活動の断続は一層激しくなり︑ピュック切口の水車はヴォ1

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長い間停止していることが一七八九年に注目されている︒①

冬期の水量が比較的豊富なときでも︑水車の活動のための何プlスかが欠けると︑川水は堤防を突き破って︑アンブ

ランヴイエ

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田耕地にみられるように岸辺一帯にまで出水して︑下流の水車には役立たなくなった︒③

こうした洪水は谷聞に小池を作り︑一七五七年に五O以上も数えられ一七七

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平方トワ1ズの面積であっ

o①これが流水量を減じ︑製粉業にどれ丈け悪影響を与えたかは推測するにやぶさかでない︒その対策は一七五一

年五月三十一日淡深作業のために詰負業者に支払う報酬の決定︑@さらに革命四年に到っても内務大臣による堆積泥

ユルポア地方の商品流通

土除去法の督促等にみられるが︑毎冬必要とされるこの困難な淡深の仕事は︑莫大な出費を要するので部分的にしか

成功しなかったG⑪そこで村民はせめて川の両岸にポプラと柳を植え︑元気よく発芽さすことに腐心したo

イヴェット川

イヴェット川の水車は始めは専らシュヴル1ズとその附近の村落のために粉を挽いていた︒それは距離的には県都

から遠くにあり︑かつ道路が極めて悪いので粉の運搬が不便であるためであった︒

川の沿岸には二二の水車が数えられた︒これらのうちサン・レミ

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167 

台︑サllル修道院からリュイlヌ公に譲り渡されたダンピ1

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ロンジユモlの領主の所有

になるグラヴイニーの円

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m自可およびサン・マルタン日・一宮山江古の製粉業者の一台を除いて残りの全てはシュヴ

(10)

168 

ルーズの領主に所属していた︒⑬

しかしここでも問題は水量と落差に懸っていた︒イヴェットの谷で水車を動かすには︑毎秒一五!一六立方ピエ

(

1五・一立方米)の水量が必要であったが︑毎夏決って水は不足するので水車は幾時間も停止した︒たとえ

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ωロ包自の二つの水車は︑毎秒四│五立方ピエ(一・二l一・六立方米)の流水量しかない場合は︑

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C時間も停止していた︒この様な間駄は七月末から八月初句にかけておこったが︑一七六二年には丸々一ヶ月

も水車は廻らなかったcとくにサン・レミ!とジフの広の間にあるクールセル

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何回の水車は土用の聞は半

分も停止した︒@

ここではピェlブル川同様に︑冬期と豪雨の後では︑川は沈泥によって塞ってしまうので︑落差の点からも水車の

活動は阻外された︒そのため欠張り毎年の淡深作業が必要であったが︑経費を廻つてのサン・ルイ家と住民との聞の

淡深作業の責任転化の争いは︑作業を等閑ならしめて︑一七九二年の春にはイヴェット川は泥水しかみられな︽な

o

つまりこの地方の製粉業を捨っている諸川の特徴は︑夏の乾燥期には水量が不足することと︑冬期には反対に川水

が氾濫することであった︒したがって常に一定した豊かな製粉能力は認められず︑周辺の農民の穀物の生産量が増大

それに応じて都市への十分な製粉業地としての機能を果すべき自然条件に欠けるものであったO

② ①  

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(11)

Bibe. Versailles. S. 580 Ff39. Lettre 'de M. d' Angi vil1erlamunicipalite de Versailles 14 avril 1790. (C 

VI) 

Bibi. V. 580 F. fOS 31. 39. 43; Arch. Comm. V, Dreg. du comite municipal fO 117. (CVI‑‑CVlI) 

~J 0寝柑~~宅島VignonHeurtier,畑主主ttüii~Fouacier主」吋必れJ与~1-20

~J 0藍Y;;!0~QE選後起j彰:g;a出....J'V語~\-'ム子。oG. Vergey‑Tricom, Le relief des environs de Paris, specialement au sud de la Seine. p. 52'!.., Ann de Geog, 1924. ~~。キ~1砕.lJ....J\-'~Buc, Vauptain, St‑Martin‑de‑]ouy, Rat, Igny, Vauboyen, BivreAmblainvillier, Grais, Mou1in, Migneaux給千J嶋向。Arch.nat., Zle 307 XCV (XcV) 

Arch. nat., FI4 183 (XCVI) 

Arch. nat., 01804(1); Zle 308 (XCVI)お吋'6S. Lerat, Un aspect de la banlieue residentielle Parisienne, 

p.237, Ann de Geog, 1957. 

~J 0ぬ~t-'談終演S~S~~('.(!~J心~ドー総@ト入ムl\ト干J-#,総当~,♀~点。

キ昨4E‑t!‑‑#'('.l.l ~ ト"'~三県)0~淵:t!~~盟.lJれJ~ν:,"~!o Arch. nat., F14 183 S. Dupain l@:世~1ιr:--‑"'t<以C'.w‑' <{tI録.liJf千J~同t<-0+Þ\話ム。S. Dupain, op. cit., pp.86. 125. 136. (XCVIII) 

Arch. nat., Zle 307. (XCVIII) Arch. S‑et‑O E123. H. Bezault, Histoire municipal de Longjumeau pp.4‑5, 

Bibl. nat., Inv. 9875 (CII) 

Arch. comm. Chevreuse, Dreg. 2, fO  (XCVIII‑XCIX) 

(XCIX‑C) 

(CII)  ⑤⑤@⑧⑧③@ 

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十八世紀以来この地方の穀物生産は発達したにもかかわらず︑それに対応すべき製粉

業は早くも途中で衰退した︒その直接の理由は製粉業と直接の関係をもっ水車と河川の

関係にある︒すなわちこの地方の諸川は︑ブラ!シュが指摘しているように︑台地では

ブリ切立ゅの不浸透な石灰石が水を漏らさないので川谷の形成は堅い岩床に出逢うまで

砕け易い砂を透して行われていることである︒したがってヴェルサイユの谷間の小川も

l

イヴェット川も︑分岐した小谷の土地を彫って出来たものであって︑

谷聞には泥土が積り︑また時としては川水が岸辺の不浸透な土地の上に溜って洪水をお

こすというパリ盆地には﹁注目すべき例外﹂①ロロ

OOMRH

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いた︒その結果ここの水車による製粉能力の一茨退と︑都市の膨張による需用の増加に対

応してi過度期には風車︑手押し挽砕機(後に馬を使用)│十八世紀末には粉はイヴエツ

ト川のシュヴル1

ズからも@ずっと南のエタンプ開

ZB2・ドールダン

らも目立って流入されるようになった︒@たとえばエタンプではジュイl

支流のルlェット円︒

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の諸川の水車や︑ドールダン

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(2) V. de la Blache, Tableau de la Geographie de la France, tom 1l, p.137, 1903. 

Arch. S‑et‑O, 254. (C) 

Cf. L. Marquis, Les rues d'Etampes, (CVIII) 

)&111平宍O与す以~'.l.l-fミ弐1トャ・モ-K'~~ト?\,ト吋1ÞQjI~j工司会心~~号W~..;:;~20Arch. nat., ADXVI 75, (LXXVIII)

,1..6'Arch. comm. F4 Passim (LXXXVI) 

M. Phi1ipponneau, La vie rurale de la banlieue Parisienne pp.518‑9. Ach. nat., DXXIX 33 (LXXXVIII) 

(耳草原.g::Q何事訴竺A. Defresne et F. Evrard, Les subsistances dans te district de Versai1les, 1921. ‑'='MEEE:)。

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参照

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