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密教文化 Vol. 1995 No. 190 006室寺 義仁「死の定型表現を巡る仏教徒の諸伝承 PL112-L101」

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密 教 文 化

死 の定型 表 現 を巡 る仏教 徒 の諸 伝 承

人 が老 い、 病 を患 い、 死 に逝 く こ と。 こ う した あ りの ま ま の 現 実 を 目に した こ とが、 ブ ッダ出 家 の 動 機 とな る 「ハ ッ と させ る衝 撃 の体 験 」 で あ っ た。 ………『ブ ッ ダチ ャ リタ』 の作 者、 ア シュ ヴ ァ ゴー シ ャ(世 紀10(輝頃) は、 そ の様 な視 点 か ら ブ ッ ダ出家 の模 様 を描 い て い る。(1)この よ う に 伝 記 に描 か れ るの は、 当 時 す で に イ ン ドの 仏 教 徒 た ち の 間 で、 所 謂 ブ ッ ダ の 「四 門 出遊 」 の 伝 説 が 広 く知 られ て い たか らで あ ろ う。 この 伝 説 を 今 に伝 え る文 献 の内、 古 い もの で は、 化 地 部 が 保 持 した 『五 分 律』 が挙 げ られ る。 パ ー リ ・ニ カ ー ヤ(DN Maharoeuroe-sureoieoe) や 漢 訳 阿 含(法 蔵 部 が 伝 え る 『長 阿 含 』 「大 本 経 」)で は、 ブ ッダ そ の人 で はな く、過 去 の仏 で あ る Vipassin が 王 子 で あ った時 の物 語 と して 伝 え られ て い る。(2)総 じて、 この 四 門 出 遊 伝 説 は、 路 傍 で、 老 人 ・病 人 ・死 人、 出 家/沙 門 を 初 め て 目 の 当 た り に した 「太 子 」 が、 車 駕 を操 る 「御 者 」 に向 か って、 「此 為 何 人 」 と問 い か け る、 と い う導 入 を常 とす る。 「御 者 」 が、 老 ・病 ・死 に つ い て 語 る と、 た た みか け る よ うに 「自分 は免 れ る こ とが で き るの か 」 と問 い質 す が、 「決 して で きな い」 とい う答 え に沈 黙 して しま う。 そ う い う筋 書 き で あ る。従 って、 こ こ に語 られ る老 ・死 につ い て の説 明 は、 あ くま で 「御 者 」 の 口 を 借 りた も ので あ って、 ブ ッダ 自身 の 言 葉 で はな い。 しか も、 資 料 に よ って、 か な り表 現 が 相 違 して い る。共 通 して い るの は、 「老 」 を余 命 幾 許 もな い こ と、 「死 」 を家 族 ・親 族 と離 別 す る こ と、 と して 理 解 して い る点 だ け で あ る。 本 論 考 で取 り扱 う 「老 ・死」 説 は、上 述 の 四 門 出遊 伝 説 に 基 づ く もの で は な く、 ブ ッ ダ自身 の教 え の 中 で説 か れ る もの、 及 び、 そ れ に 基 づ く後 代 の論 書 に見 られ る表 現 で あ る。 興 味深 い こ とに(そ して、 実 は こ の点 こそ

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が 本 論 の主 題 な の で あ るが)、 この場 合 に は、 イ ン ド仏 教 の 各 学 派 が 担 っ た経 典 伝 承(aeeioueri) 毎 に、 そ の表 現 が、 見 事 に 定 型 化 して い る の で あ る。 この見 事 さ と、 そ れ が す で に パ ー リ ・ニ カ ー ヤ の段 階 か らの事 実 で あ る と い う点 か ら、 も し も、伝 記 作 者 の語 る通 り、ブ ッダ出家 の動機 が、 老 ・ 病 ・死 を 目 の 当 た りに す る とい う 「ハ ッと させ る衝 撃 の体 験 」 に あ った、 と認 めて 良 い とす るな らば、 ブ ッ ダ 自身 が、 そ の体 験 を、 覚 者 た る こ とを 証 し、法 を説 き始 め た そ の時 か ら、 す で に言 葉 化 して いたで あ ろ う こと も、 推 測 に難 くな い。 さて、 ブ ッダが 老 ・死 につ い て語 った と され る言葉 は、大 別 す る と次 の よ うな 二 種 類 の テ ー マ の下 に、 諸 経 典 に残 され て い る。一 つ は、 ブ ッタが 初 め て ベ ナ レスで 説 法 した際 に説 い た教 え で あ る 「四 つ の 真 理 」(四 諦) を説 く諸 経 典 箇 所 の 中 で、 「苦 しみ とい う真 理 」 を テ ー マ と して、 「老 」 と 「死 」 が 説 明 され る場 合 で あ り、今 一 つ は 「縁 起 」 説、 と い って も、 す で に メ ンバ ー の数 が12に 定 ま った 段 階 で の 「12のメ ンバ ーか らな る因果 連 鎖」 (十 二 支 縁 起)の 内、 最 後 の メ ンバ ー と して の 「老 ・死 」 を テ ー マ とす る 場 合 で あ る。 と ころ が、 この よ うに テ ー マ が 異 な る に もかか わ らず、 老 ・ 死 につ い て の記 述 は、 各 学 派 の伝 承 毎 に、 両 者 と も全 く同 じ定 型 化 され た 表 現 と して 伝 え られ て い る。 例 え ば、 パ ー リ上 座 部 と い う一 学 派 が 伝 え る 経 典 伝 承 で あ る、 パ ー リ ・ニ カ ー ヤ の諸 経 典 で は、 テ ー マが 四 諦 で あ って も、十 二 支 縁 起 で あ って も、 老 ・死 を説 明 す る諸 語 句 は、 す べ て 完 全 に一 致 して い る、 と い う意 味 で あ る。 この よ うに 一 つ の 学 派 が 伝 え る経 典 伝 承 の 内部 で は、 文脈 にか か わ らず、 表 現 相 互 に矛 盾 が な く、翻 酷 を 来 さ な い と い う事 実 か ら、 そ の 定型 化 に至 る背 景 と して、 ブ ッダの 基 本 的 教 説 にっ いて の用 語 法 を統 一 し、確 定 した 仏 教 教 義 と して取 り扱 お う と い う、 当 該 学 派 の人 々 の、 集 団 と して の意 図 を 読 み 取 る こ とが で き る。 す で に藤 田宏 達 博 士 は 「縁 起 や 四諦 に関す る注 釈 的説 明 を述 べ て い るパ ー リ経 典 で は、 死(marana)と は何 か の 問 い を 起 こ して、 次 の よ う に答 え るの を 常 とす る。」(3)と して、 こ こ に扱 お う とす る 《死 の 定 型 表 現 》 の 内、 死 の 定 型 を 巡 る 仏 教 徒 の 諸 伝 承

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密 教 文 化 パ ー リ ・ニ カ ー ヤ の表 現 を紹 介 し分 析 を加 え て お られ る。 この啓 発 され る と ころ の多 い論 文 を 出発 点 と して、 こ こで は さ らに、 パ ー リ ・ニ カ ー ヤ と 漢 訳 諸 阿 含 とを比 較 して、 漢 訳 諸 阿 含 の 《死 の定 型 表 現 》 を系 統 的 に分類 して み た い と思 う。漢 訳 阿含 の場 合 は、個 々 の阿含毎 に、そ れぞ れ に異 な つ た学 派 が担 っ て い る経 典 伝 承 が保 持 され て い るか ら、 この作 業 に よ って、 イ ン ド仏 教 の各 学 派 が担 った経 典 伝 承 そ れ ぞれ にお いて、 死 につ い て の説 明 が 定 型 化 して い る とい う事 実 が 明 らか に な るか らで あ る。 で は、 分 類 結 果 を表 に ま とめ た もの を、 次 の見 開 き二 ペ ー ジの表 に掲 げ る。 なお、 こ の作 業 は、 『縁起 経 』(見 開 き の表 中(6)を参 照)に 伝 え られ る 《死 の定 型 表 現 》 の10項 目 の説 明 語 句 を一 々解 釈 す る、Yoeruoeuroiei と Vasubandhu の Praoueorieoir との テ ク ス ト分 析 を 行 う 上 で の、 基 礎 作 業 と して 私 は位 置 付 けて い る。 この 課 題 につ いて の吟 味 は、 残 念 なが ら、紙 数 の関 係 で別 稿 に譲 らね ば な らな い。 表 説 明 (1)∼(6)の区 分 につ いて: (1): パ ー リ経 典 の 相 当 箇 所 と、 その 伝 承 を 担 う上座 部 の 影 響 を受 け た、 論 書 の 語 句。 (2):『中 阿含 』(略 号MA)の 相 当箇 所 と、 そ の伝 承 を 担 う正 統 説 一 切 有 部 の、 論 書 の 語 句。 (3):引 用 例 未 見 の、 『増 一 阿含 』(略 号EA)の 相 当 箇 所。 この経 典 箇 所 の 伝 承 を担 う学 派 は不 明。 (4): 説 一 切 有 部 系 の、 論 書 の語 句。 典 拠 とす る経 典 箇 所 は、 不 明。 (5):『雑 阿 含 』(略 号SA)の 相 当箇 所 と、 それ に よ く合 致 す るNidSaの 相 当個 所。 この経 典 箇 所 の伝 承 を担 う学 派 は、 お そ ら く根 本説 一 切 有 部 と考 え られ る。 (6):四 つ の 阿 含 に は属 さ な い、単 独 の経 典 で あ るPSAVN=Praoueiroe utpeoriueio (『縁 起 経 』)の 相 当個 所 と、 そ こに伝 承 さ れ る経 典 用 語 を知 る、 論 書 の語 句。

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また、 表 中、 語 句 の右 肩 に付 され た番 号 は、 文 献 に 記 載 され て い る順 序 で あ る。 な お、SAが、 根 本 説一 切 有 部 の影 響 を受 け改 変 され た、 新 た な伝 承 を 示 して い る こ と、 及 び Yoageroueier に 含 まれ る引 用 経 典 と 根 本 説 一 切 有 部 との結 び付 き につ い て は、L. Schmithausen 教 授 に よ って論 証 され て い る (scheourieroei 特 に §1を 参 照)。 これ らの点 に つ い て は、 榎 本 文 雄 氏 の 「初 期 仏 教 思 想 の生 成 一 北 伝 阿 含 の 成 立 」(岩 波 講 座 東 洋 思 想 『イ ン ド仏 教1』 特 に、p. 109)を 参 照 して い た だ き た い。 表 分 析 (1)-(2)-(3)-(5)-(6)の 順 に、 経 典 伝 承 の古 い層 か ら新 しい層 へ の展 開 を 確 認 す る こ とが で き るよ うに思 わ れ る。 ま ず、(1)∼(6)ともに、 冒頭 か ら四 つ 目 まで の 用 語 に つ い て は共 通 して い る と考 え られ る の で、 第 五 番 目 に位 置 す る語 句 に注 目す る必 要 が あ る。(2)の段 階 で、(1)に は なか った、 寿 命 が 尽 き る こ と、 と い う新 た な要 素 が 加 わ る。 一 方、(3)の 伝 承 に は、 体 温 が な くな る こ と、 と い う(1)や(2)には な い要 素 が 含 ま れ て い る。 そ して、 寿 命 が 尽 きる こ と ・体 温 が な くな る こ と、 と い う二 つ の要 素 を と も に取 り込 む の が、(5)の段 階 で あ る。 そ の(5)では、 時 が くる こ と、 とい う(1)でも伝 え られ る説 明語 句 が書 き込 まれ る。 そ の 上 で、 こ の展 開 を踏 ま え た(6)の段 階 で、 「死 」 の説 明 語 句 と して、 死、 とい う同 じ語 が書 き込 ま れ、 死 ・時 が く る こ と、 と い う、(1)に対 応 す る形 で の、 二 要 素 が 付 加 さ れ る。 ここで初 めて、 《死 の 定 型 表 現 》 に つ い て の新 た な解 釈 を 導 き出 す こ とが可 能 にな り、実 際、YとPSVyに お い て そ れ ぞ れ に解 釈 され る こ と に な る。 この点 に つ い て は、 す で に述 べ た よ うに、 別 稿 を準 備 して い る。 (2)に比 べ て、(3)の方 を新 しい層 と想 定 す るの は、(2)の 「破 壊 」 に相 当 す る と思 わ れ る、(3)の用 語 が 「拾 五 陰 身 」 とな って い るか らで あ る。 な ぜ、 後 者 の表 現 の方 が、 新 しい伝 承 の層 に位 置 付 け得 るの か、 とい う点 に つ い て は、 論 書 との 関 連 にお いて 次 の よ うに考 え る こ とが で き る よ うに思 わ れ る。 死 の 定 型 を 巡 る 仏 教 徒 の 諸 伝 承

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密 教 文 化 ま ず、 パ ー リ経 典 の kheuoieuroi beer (諸繭 の破 壊)と い う項 目 が、 説 一切 有 部 の 本 来 の 伝 承 を残 す と考 え られ て い るMAで は 「破 壊6」 (*bherd) とあ るに もか か わ らず、 同 じ説 一 切 有 部 系 の論 書 で あ る 『阿 毘 曇 八 健 度 論』 で は、 「捨 陰6」(*skeieuroieur noieurie) と い う用 語 に 入 れ替 わ り、以 下、 この表 で取 り上 げ た文 献 で は、 一 貫 して 捨/棄/niskfe paと い う系 統 の語 が 用 い られ て い る。 唯一 の例 外 が、 玄 訳 『法 蕊 足 論 』 の 「諸 繭 破 壊10」で あ るが、 原 本DhSkで は"skaureiuro nieruoeuri9" と あ り、 この訳 出 は、 表 に挙 げ た他 の文 献 の翻 訳 例 か ら明 らか な よ うに、 玄 奨 が'nikdueor'を 訳 す る時 に は 「棄/棄 捨」 とい う語 を用 い る の が 常 で あ る事 実 と、 矛 盾 して い る。 玄 装 訳 『法 葱 足 論 』 の 他 の 項 目 の中 に も、 こ こ に挙 げたDhSkの 文 言 の直 訳 と して は、 奇 妙 な もの(7・8, 9, 11)(4)があ り、 《死 の 定 型 表 現 》 につ いて は、 玄 装 訳 『法 緬 足論 』 の 資 料 と して の確 実 性 を、 疑 わ ざ るを 得 な い。 そ こで、 なぜ 同 じ説 一 切有 部 系 の伝承 の中 で、 「諸 繭 の破 壊 」 か ら 「諸 緬 の棄 捨 」 へ の変 化 が起 こ った のか とい う問題 を、 検 討 して お きた い と思 う。

一 つ の仮 説 は、Pali に伝 承 され る"…kdireioru beirue keureoris sa nieurieru,"と い う表 現 が、Sanskrit の 伝 承 で は"kauyeoruei nik khaeoru とい うよ うに、Pali の" …bherio kaereuiaer…" と い う二 つ

の語 が抜 け落 ち た形 に な った、 とい う もの で あ る。 しか し、抜 け 落 ち た 場 合 で も、 そ れ が単 に抜 け落 ち た の か、 そ れ と も 「遺 体 を投 げ棄 て る」 と い う表 現 が、 死 の現 象 そ の もの の説 明 と して は不 適 切 で あ る と考 慮 して の こ とで あ る か、 そ の点 も不 明 で あ る。 た だ し、Buddhaghosa は、 当 該 表 現 につ いて、 あ くま で死 の説 明 と して、 詳 しい解 釈 を ほ ど こ して い る(Pa-paneriueidan I, 217. 1-13=Sareuorisuei II, 13.7-19)。

も う一 つ の仮 説 は、 死 と い う事 象 を取 り上 げ る際 の 文 脈 に あ る。 『法 蕊 足 論 』 は 「聖 諦 品 」・「縁 起 品 」 の 中 で、 『舎利 弗 阿毘曇 論』 は 「四聖 諦 品」・ 「縁 品 」 の 中 で、 そ れ ぞ れ 「死 」 の解 説 が あ り、「苦 諦」 の 中 の 「死 」 と、 「縁 起 」 の 中 の 「老 死 」 の 内 「死 」 と、字 句 通 りに一 致 す る 表 現 が、 両 者

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《死 の定 型 表 現 》 表 死 の 定 型 を 巡 る 仏 教 徒 の 諸 伝 承

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の テ ク ス ト毎 に確 定 して い る。それ に対 して、 『阿 毘 曇 八 健 度 論 』 と 『発 智 論 』・『阿 毘 達 磨 大 毘 婆 沙 論 』(玄 奨 訳)の 場 合 は、 こ の 《死 の 定 型 表 現 》 が 表 れ る文 脈 が 異 な って い る。 これ らの北 伝 諸 ア ビ ダル マ文 献 で は、 「云 何 老、 云 何 死、 云 何 無 常。」(T.26, 780c12f., T.26, 926b10f., T.27, 199a9f.) とい う問 題 設 定 の も とに、 死 と い う事 象 が論 じ られ て い るの で あ る。 い さ さか 穿 った 見 方 をす れ ば、 カ シ ュ ミー ル の説 一 切 有 部 に始 ま って、 後 代 の ア ビ ダル マ の 諸 学 者 た ち に至 る まで、 学 匠 達 の抱 く、老 死 を巡 って の 関 心 事 が、 ブ ッ ダ出 家 の 動 機 と も な っ た、 苦 しみ の現 実 の実 感 と して よ り も、 「諸 行 無 常 」 の典 型 的様 相 と して の位 置 付 け へ と、 い つ しか 抽 象 化 さ れ て き た の で あ る、 と も考 え られ る。 そ こで 出 て くる のが、 「死 と は 無 常 と い う こ とに他 な らな い の で はな い か。 そ うで あ れ ば、 一 体、 死 と無 常 と は ど の よ うな点 で 区別 され得 るの か」 な ど とい う疑 問 で あ る。 そ の解 答 は とい え ば、 死 は無 常 で あ るが、 無 常 は必 ず し も死 で はな い、 と い う実 に機 械 的 な も ので あ った。 そ こま で深 読 み を しな くて も、Buddhavarman 訳 『阿 毘 曇 毘 婆 沙 論 」(T.28, 148c26-27)(5)の 中 で、 す で に一 例 認 あ られ る よ う に、 例 え ば 「諸 行 が 壊 れ る こ とが死 で あ る」 とい うよ うな、 誤 解 を招 きや す い と して、 死 の 定 義 と して の 「諸 繭 が 壊 れ る こ と」 とい う語 句 を 「諸 魎 を捨 て る こ と」 と い う表 現 に改 め た可 能 性 もあ る で あ ろ う。 この 仮 説 が正 しい とす れ ば、 経 典 伝 承 語 句 の改 窟 が 行 われ た こ とに な る。 いず れ に せ よ、 現 在 の と こ ろ は想 像 の域 を 出 な い。 た だ、 この 正 統 な説 一 切 有 部 が用 い た表 現(「 捨 陰 」。『識 身 足 論 』T.26, 547a9/547a25の 用 語 で は、 「諸 緬 棄 捨 」。)を、根 本 説 一 切 有 部 も継 承 した こ と は 確:かで あ る と 思 わ れ る。 略号

AVSN: Arthaviniscayasutranibandhana ed. N.H. Santani. DhSk: Fragmente des Dharmaskandha ed. S. Dietz. -NidS

a: Funfundzwanzig Sutras des Nidanasamyukta ed. C. Tripathi.

死 の 定 型 を 巡 る 仏 教 徒 の 諸 伝 承

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PSAVN: Pratityasamutpadadivibhanganirdesa(-sutra) ed. P.L. Vaidya, BSS No.17.

PSVy: Pratttyasamutpada (-adi-vibhanga-nirdesa-) vyakhya Y: Yogacarabhumi ed. V. Bhattacharya.

De Jong(1974): "A Propos du Nidanasamyukta", Melanges de Sinologie offerts a Mousiecer Paul Deumieville, vol. II, Paris 1974, p.146 f., repr. in Buddhist Studies by J. W. de Jong, ed. G. Schoppen, Barkeley 1979, p.246 f.

Mejor (1991): Vasubandhu's Abhidharmakosa and the Commentaries Preserved in the Tanjur, Stuttgart 1991, pp.70-73.

注記

(1)谷 川 泰 教 「厭 離 考(上) Sarvega と Nivvega」 『高 野 山 論 叢 』29 巻、1994、 特 にpp.51-52参 照。

(2)こ れ らの三 つ の資 料 の対 応 に っ い て は、 中村 元 「ゴ ー タ マ ・ブ ッ ダー 釈 尊 の生 涯-』 東 京1969、pp.70-71参 照。 「死 」 に っ い て の説 明 語 句 の み を 参 考 の

た め に 挙 げ て お く。DN II, 26.8-12:… Kim panayam samma sarathi kalakato namati? Eso kho devo kalakato nama: na dani tam dakkhinti mates va pita va ahhe va natisalohita, so pi na dakkhissati mataram va pitaram va anne va natisalohite ti. こ の pali の 伝 承 に相 当 す る、 法 蔵 部 が 伝 え る伝 承 で は、 『長 阿 含 』No.1「 大 本 経 」T.1, 6c12-14:……問 日、 何 如 爲 死。 答 日、 死 者 壼 也。 風 先 火 次、 諸 根 壊 敗、 存 亡 異 趣、 室 家 離 別。 故 謂 之 死。 そ して 後 に、 こ の エ ピソ ー ドが ブ ッダ の伝 記 に取 り込 まれ、 所 謂 「四 門 出 遊 」 の伝 説 と な って 伝 え られ る化 地 部 の伝 承 の 中 で は、 『五 分 律 』T.22, 101c12-13: …又 問、 何 謂 爲 死。 答 日、 氣 絶 神 逝、 無 所 復 知、 棄 之 空 野、 長 離 親 戚。 故 謂 之 死。 な お、 『五 分 律 』 に よ る と、 菩 薩 と い う名 の太 子 が、14歳 の時 に体 験 し た 出 来 事 と さ れ る。 (3)「 原 始 仏 典 にみ る死 」 「仏 教 思 想10死 』 京 都1988、 特 にpp.70-71を 参 照。 (4)「 天 喪 損 逝 」 とい う訳 語 が kaleioe に対 応 して い る と考 え る の は、 「喩 伽 師 地 論 』 の 中 で、 玄 が、PSAVNの 《死 の 定 型 表 現 》 の 中 の kaueiruier を 「天 喪 損 没 」 と訳 して い る こ と に よ る(T.30, 447c29=Sraleuirei ed. K. Shukla, 345.11.以 下、SrBhと 略 す る。)。彼 は、 こ の訳 語 を"merioeurioe kdueir kierie"と い う表 現 に 当 て る こ と も あ る(447c20, srBh 344.6)が、 そ れ は 次 の

よ うなerBhの 学 説 を 知 って い たか らで あ る。 自rBh(344.6-7)に は、 《死 の 定 型 表 現 》 の pralueirui が あ る。 これ は、 「四摩 」 の内 の 「死 摩 」(mldurieurioe)

と は、 《死 の 定 型 表 現 》 の 中 の"maeiruei kerueioruei" に相 当 す る こ と を 言 う

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-た め の 冒頭 引 用 で あ る。 そ して、 死 神 に よ る死 (mrtuy) と は、kaleirui を 本 質 と して い る (SrBh 345.11)こ とが 指摘 され て い るか らで あ る。 な お、 こ の SrBhに 認 あ られ る見 解 が、Maureiuri の 考 え 方 と も一 致 して い る こ と は、 別 稿 に記 す。 (5)「 云 何 爲 死。 答 日、 諸 行 散 滅 是 名 爲 死。 如 説 若 死 即 無 常 耶 ……」お そ ら く、 「死 」 の説 明個 所 が、 書 写 に よ って 伝 え られ て 来 た過 程 で、 す っか り抜 け 落 ち て しま っ て い る。 玄 訳(T.27, 199a26-27: 云 何 無 常。 答、 諸 行 散 壊 破 没 亡 退 是 謂 無 常。)と 対 応 して、 「諸 行 散 滅 是 名 爲 無 常 」 と あ る の が、 本 来 の 正 しい 伝 承 で あ ろ う。 さ もな け れ ば、 当該 個 所 に は 「無 常 」 の説 明 が 欠 落 す る こ と に な り、 脈 絡 が 通 じな くな って しま う。 補 注 《死 の 定 型 表 現 》 を 伝 え る諸 資 料 パ ー リ資 料 パ ー リ経 典 に お いて 当該 定 型 表 現 が 表 れ る箇 所 を 整 理 す る と次 の様 に な る。 <1>「 四 諦」 の 内 「苦 諦 」 と して の 「生 ・老 ・死 」 の 中 で 「死 」 を 説 明 す る 経 典 箇 所:

Pali(1) DN II, 305.14-18.(Malueiurie) Pali(2) MN III, 249.22-26.(saljreiruei)

<2>「 縁 起 」 の12番 目の メ ンバ ーで あ る 「老 死 」 の 内 「死 」 を解 説 す る経 典 箇所: Pali(3) MN I, 49.23-26.(Sammaditthi)

Pali(4) SN II, 2.30-3.4.(Vibhanga)

以 上 の諸 経 典 個 所 に表 れ る 《死 の定 型 表 現 》 は、 次 に下 線 で示 す様 に、8つ の 説 明語 句 を 有 して い る。 な お、variantに つ い て は、 上 掲 個 所 に 対 す るPTS版 の そ れ ぞ れ の 脚 注 を参 照 して い た だ きた い。 ま た、 前 掲 の藤 田論 文p.86, nn.6, 8も 参 照 さ れ た い。

Yam tesam tesam sattanam tamha tamha sattanikaya cuti cavanata bhedo antaradhanam maccumaranam kalakiriya khandhanam bhedo ka lebarassa nikkhepo, idam vuccati maranam//

この パ ー リ上 座 部 が 担 う伝 承 が、 お そ ら く 《死 の 定 型 表 現 》 の中 で 最 古 の層(表 (1))に 位 置 す る もの と思 わ れ る。 それ は、 次 の よ う に試 訳 す る こ とが で き る。 あ れ これ の 生 き物 が、 そ れ ぞ れ の生 存 ク ラス か ら、 落 下 す る こ と、 落 下 す る状 態。 壊 れ る こ と、 失 せ る こ と。(i)死神(ii)の死、 時 が 来 る こ と。 〔そ し て、〕 諸 葱 が壊 れ る こ と、遺 骸 を 捨 て る こ と。 お よ そ こ う した こ とを、 人 は 「死 」 と言 う の で す。 N.B. (i)瓦 解 した素 焼 き壷 の よ う に、 四つ の構 成要 素 か ら成 る 肉 体 が、 元 々 の 構 成 要 素 へ と、 バ ラバ ラに 壊 れ、 も はや、 姿 ・形 が 同 じ生 存 ク ラ ス の生 き物 た 死 の 定 型 を 巡 る 仏 教 徒 の 諸 伝 承

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密 教 文 化 ち に は見 え な くな って しま って、 身 失 せ る こと に な る。 この点 に つ い て は、 室 寺 「bheda につ い て の仏 教 教 義 解 釈 」(「印度 学 仏 教 学 研 究 』43巻2号 所 載) を参 照 して い た だ き た い。 (i)上 掲 の藤 田論 文p.61参 照。 漢訳四阿含資料 <1> pali(1)に つ い て は、Mauerieuiheri の 内容 に一 致 す る漢 訳 経 典 で あ る『中阿 含 』No.98「 念 庭 経 」 の 中 で は、 このPali(1)に 相 当 す る個 所 が 欠 落 して い る。 pali(2)に つ い て、 対 応 す る漢 訳 経 典 中 のPali(2)に 相 当す る個 所 で は、 次 の よ うな表 現 に な って い る。 『中阿 含 』(Sarghadeva 訳)No.31, T.1, 468 a5-7:死 者、 謂 彼 衆 生 彼 彼 衆 生 種 類、 命 終、 無 常、 死 喪、 散 滅、 壽 壷、破 壊、 命 根 閉 塞、 是 名 爲 死。 こ の 《死 の定 型 表 現 》 は、 「分 別 聖 諦 経 」(MANo.31)の 中 で伝 え られ る も ので あ るが、 同 じMAに 含 ま れ る他 の諸 経 典 に お い て も、 「死 」 と 同 様 に 「生 」 「老 」 の表 現 も、文 字 通 り に一 致 す る個 所 が あ る。 例 え ば、 「老 」 につ いて は 「成 就 戒 経 」(MANo, 22, T.1, 450c4-6/9-11)の 中 で 長 老 比 丘 の 姿 を 記 述 して い る個 所、 ま た 「生 」 「老 ・死 」 にっ いて は 「大 拘 締 羅 経 」(MA No.29, T.I, 「老 」:462b14-16, 「死 」:462b17-18, 「生 」:462c5-7)の 中 で、 「苦 」 を解 説 して い る個 所 に お いて 見 出 す こ とが で き る。DA、EA、SAの 場 合 は、 こ の よ う に生 ・老 ・死 につ いて の 定 型 表 現 の 用 例 が 頻 出す る こと は な い。MAは 説 一 切 有 部 が 担 って いた 伝 承 で あ る と考 え られ て い るが、 パ ー リ上 座 部 と同 じ く有 力 な 学 派 の 一 つ で あ る説 一 切 有 部 が、 彼 等 の保 持 す る阿 含 の 用 語 法 を 統 一 しよ う と した 痕 跡 を伺 い 知 る こ とが で き る。 <2> pali(3)に つ いて、 対 応 す る漢 訳 経 典 個 所 中 の Pali(3)に 相 当す る個 所、 『増 一 阿 含 』(Sarghadeva 訳)No.49 -5, T.H, 797c15-17:云 何 爲死。 所 謂 彼 彼衆 生 展 轄 受 形、 身 髄 無 温、 無 常 攣 易、 五親 分 張、 捨 五 陰 身、 命 根 噺 壊、 是 名 爲死。 pali(4)に つ い て、 対 応 す る漢 訳 経 典 個 所 中 のPali(4)に 相 当 す る個 所、 『雑 阿 含 』(Gupabhadra 訳)No.298, T. II, 85b16-18:云 何 爲 死。 彼 彼 衆 生 彼 彼 種類、 没、 遷、 移、 身 壊、 壽 書、 火離、 命 滅、 捨 陰、 時 到、 是 名 爲 死。

な お、SAに お け る、 生 ・老 ・死 にっ いて の定 型 表 現 は、 私 の見 る 限 り、 この 「十二 支 縁 起 」 を 解 く個 所 の み で あ る。

サ ンス ク リ ッ ト資 料 上 掲 の 『雑 阿含 』No.298に 内 容 的 に一 致 す るサ ンス ク リッ ト文 献 が、 ナ ー ラ ンダ ー で 出土 したPSAVNで あ る。 中央 ア ジア で 発 見 され

(12)

たNi-dSaの 中 に も、Adieurie とい う タイ トル で収 め られ た、 対 応 す る経 典 が あ る。 こ れ らの経 典 群 は、12の メ ンバ ーか ら成 る 「縁 起 」 を、 碗6(こ れ あれ ば か れ あ り、 これ 生 じる が故 に か れ 生 ず、 と い う根 本 定 型 句)に よ る基 本 説 明 と、viberuie (12の メ ンバ ー そ れ ぞ れ の 解説 定 型 句)に よ る個 別 解 説 に よ って、 解 き明 か して い る。 そ の 他 に も、 い くつ か の論 書 か ら対 応 す る サ ンス ク リッ トの 断 片 を 回 収 す る こ とが で き るが、 これ らの諸 資 料 が伝 え る 《死 の定 型 表 現 》 は、 以 下 の下線 部 で示 す、 10項 目の 説 明 語 句 を持 つ。 な お、variant につ い て は、 別 稿 に 記 す。

maranam katamat/yd tesam tesam sattvanam tasmat tasmat sattva-nikayac cyutis cyavanata bhedo 'ntarhanih ayuso hanir usmano hanih jivitendriyasya nirodhah skandhanam niksepah maranam kalakriya /idam ucyate maranam/

N.B. な お、aeuroeuier の 直 後 に、DhSkに は"salueiurie periouaiuy" と い う語 句 が 書 き込 ま れ て い る。 玄 が これ らの語 句 を 「退 失 別 離 」 とい う 訳 語 で伝 え て い るの で、 確 か に、 そ う した 語 句 が あ っ た こ とが知 られ る。 想 定 で き る可 能 性 の一 つ は、 直 前 の経 典 用 語"bheieur ahedries" に対 す る論 書 の 説 明語 句 と考 え る こ とで あ る。 この 関 連 で、 玄 訳 の 『法 穂 足 論 』 に は、 彼 の博 学 さ の故 に筆 を滑 らせ た、 あ る い は、 書 写 の過 程 で書 き 込 まれ た と思 わ せ る個 所 が あ る(以 下 に指 摘 す る下 線 部 分)こ とを併 せ て 考 慮 す る必 要 が あ る。 な お、[]は 削 除 さ れ るべ き語 で あ る。 Cf. 『法 練 足 論 』 「縁 起 品 」T. 26, 513b3-5:彼 彼 有 情 即 於 彼 彼 諸 有 情 聚、 移 輔、 壊 没、 退 失 別 離、 壽 暖[識]滅、 命 根 不 輔、 諸 繭 破 壊、 天 喪 損 逝、 説 名死。 この 玄 訳 は 「聖 諦 品 」T. 26, 480b16-19に お いて、 字 句 通 り に確 認 す る こ とが で き る。 しか も、 そ こで は文 頭 が、 彼 彼 諸 有 情 類 即 從 彼彼 諸有 情聚、 と訳 され て お り、 サ ン ス ク リッ トの 構 文 と合 致 して い る。 この サ ンス ク リ ッ トで 伝 わ るPSAVNの 当該 個 所 は、 「死 」 とは ど うい う こ とな の か、 とい う と、 そ れ は、 あ れ これ の 生 き 物 が、 そ れ ぞ れ の生 存 ク ラ スか ら、 落下 す る こ と、 落 下 す る状 態 の こ と。分 かれ る こと、 消 失 す る こ と。 寿 命 が尽 き る こ と、体 温 が 無 くな る こと。 生 命 力(「 命根 」)が 滅 す る こ と、 諸 繭 を 投 げ 出 す こ と。死。 時 が 来 る こ と。 お よ そ こ う した こ とが 「死 」 と言 わ れ て い るの で す。 お お よ そ、 この よ うに訳 出 す る ことが で き る。 最 も新 しい層(表(6))に 属 す る と思 わ れ る、YとPSVyが 用 い る経 典 の語 句 で あ る。 <キ ー ワー ド> marapa, 「縁 起 経 』 死 の 定 型 を 巡 る 仏 教 徒 の 諸 伝 承 101

参照

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