傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 〇
傳
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法
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師
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密
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目 次 ( 一 ) 序 言 ( 二 ) 傳敎 大 師 入 唐 の 目 的 ( 三 ) 傳敎 大 師 の 密 教 相 承 ( 四 ) 弘 法 大 師 の 入 唐 傳 密 ( 五 ) 和 州 久 米 寺 ( 六 ) 大 師 入 唐 以 前 の 本 邦 密敎 概 觀 ( 1 ) 日 羅 ( 2 ) 呪 禁 師 來 朝 ( 3 ) 法 道 ( 4 ) 役 小 角 ( 5 ) 善 無 畏 ( 6 ) 泰 澄 ( 7 ) 淨 定 ( 8 ) 智 鳳 ( 9 )道 慈 ( 10 ) 玄昉 ( 11 ) 石 山 寺 ( 12 ) 盧 空 藏 造 像 ( 13 ) 良 辨 ( 14 )實 忠 ( 15 ) 義 静 ( 16 ) 善 議 ( 17 ) 慶 俊 ( 18 ) 勤 操 (19 )法 進 ( 20 ) 賢 憬 ( 21 ) 思 託 ( 七 ) 弘 法 大 師 の 入 唐 御 日 正 志 ( 一 ) 序 言 傳敎 、 弘 法 兩 大 師 は 時 を 同 ふ し て 入 唐 し 法 門 を 傳 承 し 來 り て 、 一 は 比 叡 を 開 い て 各 宗 の 源 を 成 し 、 一 は 野 山 を 創 し て 日 本 思 潮 界 の 根 幹 と 成 る 、 其 功 績 は 誠 に 筆 舌 の 及 ぶ 所 で な い 。兩 大 師 は 又 共 に 密 教 を 傳 へ て 之 が 吾 が 國 に 宣 揚 せ る 點 に 於 て 軌 を 一 に し て お る が 、 其 の 傅 密 の 由 來 に 至 り て は 同 じ か ら ざ お も の が あ る 、 即 ち 傳敎 大 師 に あ り て は 果 し て 入 唐 巳 前 に 密敎 相 承 の 意 志 あ り し や 否 や が 問 題 で あ ら う し 、 弘 法 大 師 に あ り て は 入 唐 の 正 目 的 が 何 れ に あ つ た か は 共 に 吾 々 の 知 ら ん と 欲 す る 處 で あ る 。 ( 二 ) 傳敎 大 師 入 唐 の 目 的 の 第 一 は 、 法 華 圓 宗 の 相 承 に あ り し 事 は 何 人 も 疑 ひ な き 所 で あ る 、 即 ち 叡 山 大 師 傳 に 依 る に 、 已 に 其 の 比 叡 入 山 の 當 時 即 ち 二 十 二 三 歳 の 頃 と 思 し き 時 代 に 、 大 師 随 レ 得 披 覧 起 信 論 疏 並 華 嚴 五 敷 等 猶 荷 天 台 以 爲 指 南 毎 見 此 文 不 覚 下 涙 慨 然 無 由 ゾ 披 覧 天 台敎 迹 是 時 値 下 愚 知 天 台 法 文 所 在 八 罰 叢 得 冩 取 圓 頓 止 觀 、 法 華 玄 義 、 並 法 華 文 句 疏 四 教 義 、 維 摩 經 疏 等 此 是 故 大 唐 堕 眞 和 術 所 將 來 也 適 得 此 典 精 勤 披 閲 義 理 奥 蹟 彌 仰 彌 高 随 讃 随 堅 。 云 云 (傳敎 大 師 全 集 別 巻 八 二 頁 ) と あ る に 見 て も 、 已 に 早 年 時 代 天 台 の敎 迹 に 渇 望 し て お ら れ た 事 が 想 像 出 來 る の で あ る 、 此 時 己 に 後 日 入 唐 し て 天 台 を 根 本 的 に 研 究 し た い と の 念 が 萌 し た と 判 す る も 不 可 な か ら う と 思 ふ 、 其 の 後 延 暦 二 十 年 (大 師 三 十 五 歳 ) 十 一 月 十 四 日 に 、 比 叡 山 に 南 郡 の 十 大 徳 を 請 じ て 法 華 十 講 を 修 し 、 其 の 翌 年 に は 天 台 の 法 門 を 誦 じ 、 叡 慮 恭 く も 勅 使 を 遣 は し て 其 の 法 筵 に 随 喜 し て お ら れ る 、 斯 く て 桓 武 天 皇 と 大 師 と 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 一
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 二 の 間 は 肝 膽 相 照 し 、 大 師 は 屡 々 入 唐 求 法 の 念 願 を 天 皇 に 内 奏 し て を ら れ た も の で あ ら う 、 そ こ で 天 皇 は 延 暦 二 十 一 年 九 月 七 日 、 天 台 激 迹 の 諸 宗 に 超 へ 、 南 岳 大 師 の 後 身 た る 聖 徳 太 子 が 迹 を 本 邦 に 垂 れ 給 へ る を 知 う し め し 、 天 台 の 法 門 を 我 國 に 興 立 せ ん こ と を 思 欲 さ れ 、 和 氣 祭 酒 に 詔 問 あ ら せ ら れ 、 和 氣 朝 臣 は 我 が 大 師 に 聖 旨 を 傳 へ 、 朝 臣 と 大 師 と 終 日 此 事 に 就 て 議 せ ら れ 、 逐 に 入 唐 求 法 し て 完 全 な る 法 門 を 傅 承 せ ね ば な ら ぬ と い ふ 處 に 落 ち つ い た や う に 傳 (傳敎 大 師 全 集 八 七 頁 ) に は 見 へ る 、 茲 に 於 て 大 師 は 上 表 す 、 其 の 文 の 一 節 に 云 く 、
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寳 車 於 此 間 中 暑 所 望 法 華 圓 宗 與 日 月 齊 明 天 台 妙 記 將 乾 坤 等 固 云 云 と 上 奏 し て 入 唐 の 勅 許 を 得 た の で あ る 、 之 に 依 り て も 天 皇 御 親 ら 天 台 の 法 門 を 和 國 に 闡 揚 せ ん と 思 欲 立 た れ た の と 、 大 師 求 法 の 誠 意 と が 入 唐 の 動 機 を な し て お る 事 が 知 り 得 る 、 し か も 入 唐 に 際 し 譯 語 と し て 弟 子 義 眞 を 随 件 せ ん 事 を 奏 し て 許 さ れ て お り 、 そ の 義 眞 に 就 て は 、 ﹁ 當 年 得 度 沙 彌 義 眞 幼 學 漢 音 略 習 唐 語 ﹂ と あ る か ら 大 師 の 入 唐 求 法 の 登 願 は 可 な り 前 か ら あ つ た 事 と 思 ふ 。 斯 く し て 其 翌 年 七 月 六 日 肥 前 の 國 を 出 航 し た の で あ る が 、 そ れ よ り 前 同 年 五 月 十 二 日 に 弘 法 大 師 亦 入 唐 の 勅 許 を 得 て 、 同 時 に 出 発 し 、 弘 法 大 師 は 入 月 十 日 に 、 遣 唐 大 使 と 共 に 福 州 に 着 し 、 傳敎 大 師 は九 月 一 日 に 遣 唐 判 官 菅 原 清 公 と 共 に 明 州 鄙 縣 に 上 陸 し 、 直 に 台 州 に 至 り 龍 興 寺 和 術 道 蓬 に 謁 し て 天 台 の 觀 門 を 受 け 、 十 月 七 日 に は 天 音 山 に 登 つ て 、 佛 朧 寺 行 満 座 主 よ り 敷 門 を 傳 へ て お る 。 一 方 弘 法 大 師 は 十 一 月 三 日 に は 大 使 と 共 に 幅 州 を 発 し て 長 安 に 向 ひ 、 十 二 月 二 十 三 日 に 長 安 に 着 し 、 同 地 に 於 て 研 究 し 翌 年 六 月 胎 藏 界 法 を 、 七 月 金 剛 界 法 を 、 倶 に 恵 果 阿 閣 梨 に 從 つ て 受 け て 、 八 月 に は 傳 法 阿 閣 梨 と な つ て を る 、 し か も 付 法 の 師 恵 果 阿 闊 梨 は 同 年 十 二 月 十 五 日 、 弘 法 大 師 在 唐 中 六 十 歳 に し て 入 寂 し て を ら れ る 事 と 相 考 へ て 、 恐 ら く 大 師 の 爲 に 底 を 盡 し て 傳 付 さ れ た 事 と 思 ふ 、 之 を 以 て も 弘 法 大 師 の 密 教 思 想 は 全 く 恵 果 阿 閣 梨 に よ つ て 培 は れ た の み な ら す 、 臨 絡 間 際 の 事 で あ り 、 然 も 不 出 世 の 偉 人 を 膝 下 に し た 恵 果 阿 閣 梨 は 、 必 す や 強 い 刺 戟 を 大 師 に 與 へ た こ と は 想 像 に 難 か ら ざ る 所 で あ る 。 か く て 大 師 は 平 城 天 皇 の 大 同 元 年 八 月 、 眞 言 の 蘊 奥 を 極 め て 歸 朝 さ れ た 、 在 唐 期 間 二 年 で あ る 。 然 る に 傳 敷 大 師 は 、 前 記 の 如 く 邃 満 二 師 よ り 、 天 台 の敎 觀 二 門 を 傳 へ 、 更 に 唐 順 宗 永 貞 元 年 三 月 二 日 、 道 邃 よ り 圓 頓 戒 を 受 け 、 三 月 二 十 五 日 台 州 か ら 明 州 に 還 ら れ 、 四 月 上 旬 船 所 に 來 到 さ れ た の で あ る 、 傳 ( 全 集 九 一 ) に は 、 大 唐 貞 元 二 十 一 年 四 月 上 旬 來 到 船 所 と あ る か ら 兎 に 角 入 唐 の 目 的 も 一 段 落 着 い て 、 歸 途 に 着 か れ た も の と 考 へ ら れ る 、 又 そ う 決 め る 學 者 も あ る の で あ る 。 要 す る に 傳敎 大 師 入 唐 は 天 台 法 門 の 傳 承 が 、 其 の 圭 目 的 た る 事 は 史 實 の 證 し て 除 り 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 三
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 四 あ る と こ ろ と い は ざ る を 得 な い の で あ る 。 ( 三 ) 傳敎 大 師 の 密 敷 相 承 傳 ( 全 集 九 一 頁 ) に は 前 の 引 文 の 直 ぐ 次 に 、 つ ( 來 到 船 所 ) 更 爲 求 眞 言 向 於 越 府 龍 興 寺 幸 得 値 遇 泰 岳 霊 巖 山 寺 鎭 國 道 塲 大 徳 内 供 奉 沙 門 順 曉 順 曉 戚 信 心 之 願 灌 頂 傳 受 云 云 と あ る 、 即 ち 一 旦 船 所 に 來 た が 、 更 に 眞 言 を 求 め ん が 爲 に と い ひ 、 幸 値 遇 と 稱 し , 其 の 眞 言 傳 法 は 果 し て 豫 定 の 行 動 と の み は 俄 に 断 じ 難 い 點 が あ る 、 大 師 に は 順 曉 以 外 に 傳 法 の 阿 闊 梨 は あ る が 、 共 の 傳 法 が 何 れ も 大 法 で な い の で 、 大 師 に 取 つ て は 順 曉 阿 闊 梨 が 尤 も 重 要 な る 人 で あ る 、 即 ち 兩 部 大 法 は 順 曉 か ら 相 承 さ れ た の で あ る 、 順 曉 は 、 胎 藏 法 を 善 無 畏 の 資 一 行 ・ 義 林 よ り 、 金 剛 法 を 不 空 よ り 傳 承 し た る 大 阿 閣 梨 で あ る 、 而 し て 一 行 は 天 台 學 者 で あ つ て 、 善 無 畏 の 説 を 筆 録 せ る 大 日 經 義 釋 (義 釋 は 一 行 の 著 述 と 見 て よ ろ し い ﹂ を 見 て も 師 が 天 台 の 奥 旨 に 通 曉 せ る 學 者 な る 事 を 知 り 得 る 、 義 林 は 其 の 法 弟 で あ つ て 百 三 歳 に し て 新 羅 國 に 在 り て 法 輪 を 轉 じ て お る と 内 證 佛 法 相 承 血 脉 譜 に あ る 所 を 見 る と 、 是 又 一 行 に 準 じ て 天 台 の 學 者 で あ つ た と 考 へ て 宜 し か ら う 、 其 の 二 人 か ら 胎 藏 法 を 相 承 せ る 順 曉 亦 天 台 學 者 で あ つ た 事 で あ ら う 、 か く 考 へ れ ば 台 密 な る も の ゝ 相 傳 か ら い ふ と 、 順 曉 か ら 傅 法 さ れ た 事 は 誠 に 系 統 上 意 義 あ る 事 で 、 其 の 點 で は 寧 ろ 恵 果 阿 闇 梨 か ら 相 承 さ る ゝ よ り は 大 師 と し て は 有 意 義 の 事 と 解 し 得 る
の で あ る 、 是 等 が 所 謂 因 縁 と 申 す 所 と 思 ふ 。 更 に 大 師 は 、 大 唐 貞 元 二 十 一 年 五 月 五 日 壽 州 草 堂 寺 比 丘 大 素 か ら 五 佛 頂 の 法 を 受 け 、 同 日 、 明 州 檀 那 行 者 江 秘 か ら 普 集 壇 並 に 如 意 輪 壇 等 を 傳 へ 、 又 同 日 、 明 州 開 元 寺 西 廟 法 華 院 霊 光 和 上 か ら 軍 茶 利 菩 薩 の 壇 法 並 に 契 像 等 を 傳 授 し 、 及 其 前 年 貞 元 二 十 年 十 月 に は 台 州 國 清 寺 惟 象 和 上 か ら 大 佛 頂 大 契 曼 茶 羅 の 行 事 を 傳 授 さ れ た 旨 、 内 證 血 脉 譜 に 明 す 所 で あ る 。 之 に よ れ ば 大 師 が 一 旦 船 所 に 引 き 上 ぐ る 前 に 眞 言 法 を 受 傳 さ れ た の は 崩 入 唐 の 其 年 に 惟 象 か ら 相 承 さ れ た 分 丈 け で あ る 、 し か し 其 の 法 は 法 と し て は 問 題 に な る も の で は な い 。 故 に 一 旦 船 .所 に 引 き 上 げ ら れ 、 更 に 眞 言 を 求 め ん と さ れ た 事 が 豫 定 の 行 動 で あ つ て 、 即 ち 荷 物 を 一 旦 船 所 ま で 積 み 出 し て を き 、 身 輕 に な つ て 更 に 眞 言 の 法 を 受 け ん 目 的 で あ つ た の か 、 從 つ て 入 唐 し た ら ば 眞 言 の 法 は 何 れ の 機 會 か に 傳 へ ん と す る 考 へ で あ つ た の か 。 是 に 就 い て 自 分 の 考 へ で は 天 台 の 相 承 を 終 つ て 眞 言 の 傳 法 に 移 つ た の で あ る か ら 、 元 來 長 安 へ 行 つ て 恵 果 か ら 傳 法 す る の が 道 で あ つ た ら う 、 し か し 大 師 は 御 承 知 の 如 く 還 學 生 こ し て 入 唐 さ れ た の で あ つ て 、 留 學 生 で は な か つ た 、 随 つ て 歸 朝 を 急 が れ た の で あ る 、 即 ち 歸 朝 復 命 さ れ た の は 延 暦 二 十 四 年 七 月 四 日 の 事 で 、 共 の 翌 年 即 二 十 五 年 の 三 月 十 七 日 に は 、 寵 遇 恩 重 を 極 め た 、 桓 武 天 皇 御 年 七 十 に し て 崩 御 さ れ て を る 、 弘 法 大 師 の 如 き は 其 の 入 月 に 歸 朝 さ れ て 桓 武 天 皇 の 崩 御 に 會 は れ な か つ た 位 、 此 傳敎 弘 法 爾 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 五
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 癖 管 見 六 六 の 一 事 を 以 て も 前 に も 記 し た 如 く 、 桓 武 天 皇 が 大 師 入 唐 の 時 巳 に 還 學 生 と し て 許 し 、 陛 下 親 ら 老 齢 に 永 か ら ざ る を 自 覚 せ ら れ 、 し か も 御 目 の 黒 い 内 に 大 師 に 天 台 の 法 門 を 相 承 せ し め 、 日 本 に 立 派 な 佛 敷 を 弘 通 せ し め て 安 心 し て 崩 御 し た い と の 御 考 も あ つ た 事 と 拜 察 す る 、 故 に 大 師 に 永 く 彼 の 地 に 留 ま る こ と を 許 し 給 は す 、 况 ん や 大 師 も 萬 一 外 遊 中 に 崩 御 せ ら れ 給 は ん に は 如 何 ば か り 哀 し き か と 強 く 感 じ 自 ら 族 路 を 急 が せ 給 ふ て 天 台 山 の 相 承 を 專 要 と し 、 尚 餘 暇 あ ら ば 眞 言 を 傳 へ ん と し 、 從 つ て 早 急 の 間 に 傳 法 歸 國 せ ん と 欲 せ ら れ た の が 第 一 。 第 二 に は 天 台 山 に 於 て 、 眞 言 の 相 承 を 誰 に す べ 費 や に 就 て 、 邃 満 二 師 及 び 惟 象 阿 閣 梨 等 に 相 談 せ ら れ 、 其 の 結 果 嘗 て 荊 州 玉 泉 山 (傳 教 大 師 全 集 五 五 四 頁 ) に あ り て 、 天 台 を 研 究 し 、 轉 じ て 密 敷 の 大 阿 閣 梨 と な ら れ た 一 行 福 師 、 そ の 法 資 と し て 有 名 な 順 曉 が 、 泰 嶽 霊 巖 寺 に お る 、 師 に 從 つ て 受 け よ 、 そ れ に は こ ん な に 荷 物 も 澤 山 あ る 事 だ か ら 一 旦 船 所 ま で 積 み だ し 、 轉 じ て 順 曉 阿 闊 梨 に 面 謁 相 承 せ ら れ た ら よ か ら う と い ふ 事 に 、 一 致 さ れ た の で あ ら う と 想 像 す る も の で あ る 、 而 し て 恐 ら く 此 の 想 像 は 當 り は せ ぬ か と 思 ふ 、 大 師 が 若 し 密 歡 相 承 の 意 志 な し と す れ ば 、 貞 元 二 十 年 の 十 月 、 國 清 寺 惟 象 か ら 、 問 題 に も な ら ぬ 密 教 の 相 承 を さ れ る 譯 が 分 ら な い 、 即 ち 十 月 七 日 に 初 め て 天 台 山 に 登 り 、 同 十 四 日 に 行 満 か ら 天 台 の 教 門 を 傳 へ た 前 後 ( 日 は 不 明 ) に 於 て 、 早 く も 已 に 惟 象 か ら 大 佛 頂 大 契 曼 茶 羅 の 行 事 を 傳 授 さ れ て お る ( 内 證 佛 法 相 承 血 脉 譜 、 全 、 五 六 一 頁 ) 一 事 を 見 て も 、 大 師 の 入 唐 密 教 相 承 は 、 ど う し て も 入 唐 以 前 か
ら の 豫 定 の 目 的 の 一 、 ( 即 ち 順 曉 か ら の 付 法 も 豫 定 め 行 動 ) に し て 、 大 師 は 入 唐 已 前 か ら 、 天 台 法 門 の 傍 ら に 密 教 の 相 承 を し て 來 た い と 考 へ て お つ た も の と 認 む る も の で あ る 。 因 に 大 師 の 入 唐 中 密 敷 に 關 す る 相 承 を 血 脉 譜 に 依 り て 記 せ ば 、 左 の 如 し 。 胎 金 兩 部 大 法 相 承 是 に 依 り て 江 秘 霊 光 の 二 人 は 惟 象 法 縁 の も の 、 先 に 惟 象 に 受 法 し た 大 師 が 、 後 に こ の 二 人 よ り 相 承 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 七
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 八 せ る も 首 肯 か れ る 、 若 し 大 師 に 傳 密 の 素 志 な か り し な ら ん に は 、 惟 象 か ら 雑 密 を す ら 大 切 に 傳 承 す る 所 以 が わ か ら な い 、 單 に 天 台 の 法 門 丈 け を 傳 へ て お れ ば 宜 し い 譯 で あ ら う 。 斯 く 論 じ 來 れ ば 大 師 の 入 唐 傳 密 に は 、 入 唐 已 前 ど ん な 豫 備 智 識 が あ つ た で あ ら う か を 知 る 必 要 が あ る の で あ る 。 ( 四 ) 弘 法 大 師 の 入 唐 傳 密 弘 法 大 師 の 相 承 に 就 て は 眞 言 諸 阿 闊 梨 の 御 前 に 於 て 、 禿 筆 な 弄 す る こ と 遠 慮 致 し ま す 、 唯 其 の 入 唐 の 動 機 に 就 て 、 大 師 の 芳 踊 な 恭 敬 す る 小 柄 と し て 、 聯 か 考 へ さ ぜ て 頂 き 六 い 次 第 で 御 座 ゐ ま す 。 元 ・よ り 自 分 丈 け の 大 師 恭 敬 の 一 端 で あ つ て 、 言 家 諸 匠 へ 申 上 ぐ る 考 へ で は あ り ま ぜ ん 。 空 海 僧 都 傳 (弘 法 大 師 全 集 首 巻 ) は 弟 子 眞 濟 、 大 師 入 寂 の 承 和 二 年 十 月 二 日 に 撰 し た る も の 、 即 ち 大 師 寂 後 七 ヶ 月 に 成 つ た も の で あ る 、 牧 野 氏 の ﹁ 弘 法 大 師 傳 の 研 究 ﹂ に は ﹁ 疑 ふ べ き 除 地 多 し ﹂ と 稱 し て を る 書 で あ る 、 然 し そ う 疑 ふ て ば か り 居 つ て は 昔 の 人 の 傳 記 な ど 殆 ど わ か ら な く な つ て 了 ふ こ と で あ ら う 。 右 傳 に よ れ ば 、 或 は 名 山 絶 鰍 の 處 石 壁 孤 岸 之 奥 超 然 と し て 獨 り 往 き 苦 修 練 行 し 、 或 は 阿 波 大 瀧 峯 に 虚 空 藏 を 修 念 し 或 は 土 佐 室 土 崎 に 赴 き て 心 身 を 練 磨 し 、 ﹁ 對 佛 像 誓 日 我 入 佛 道 毎 求 知 要 三 乗 五 乗 十 二 部 心 裏 有 疑 未 以 爲 決 仰 願 以 諸 佛 示 我 至 極 一 心 所 請 夢 有 人 日 大 毘 盧 遮 那 經 是 汝 所 求 也 即 覚 悟 歡 喜 求 得 一 部 披 秩 遍 覧 凡 情 有 滞 所 質 問 更 爲 発 願 入 唐 學 習 ﹂
と あ る 。 ﹁ 高 野 贈 大 僧 正 傳 ﹂ ( 史 籍 集 鹿 第 十 二 )是 又 眞 濟 僧 正 撰 と 相 傳 す る と こ ろ に し て 、前 と 酷 似 し て を る 牧 野 氏 元 よ り 之 を 疑 ふ て を る 、 民 の い は る ゝ 如 く 兩 書 共 眞 濟 の 作 に あ ら ざ る や も 知 り 難 い 、 し か し そ の 理 由 も 明 瞭 に 知 り 難 い と 思 は れ る 。 ﹁ 大 師 御 状 集 記 ﹂ ( 史 籍 集 覧 第 + 二 ) は 寛 治 三 年 第 八 代 御 弟 子 經 範 集 記 と あ る か ら 、 大 師 寂 後 二 百 五 十 四 年 の 御 作 で あ る 、 同 書 亦 右 二 書 と 同 じ 記 事 が あ つ て 、 入 唐 の 動 機 と な し て を る 、 遺 告 ( 全 集 第 二 編 ) 亦 大 同 で あ る b 即 ち 遺 告 に 曰 く 、 ﹁ 佛 前 発 誓 願 日 吾 從 佛 法 常 求 專 要 三 乗 五 乗 十 二 部 經 心 神 有 疑 未 以 爲 決 唯 願 三 世 十 方 諸 佛 示 我 不 二 ︼ 心 所 感 夢 有 人 告 日 於 此 有 經 名 字 大 毘 盧 遮 那 經 是 乃 所 要 也 即 随 喜 尋 得 件 經 王 在 大 日 本 國 高 市 郡 久 米 道 塲 東 塔 下 於 此 一 部 解 緘 普 覧 衆 情 有 滞 無 憚 問 更 作 発 心 ﹂ と 、 此 の 遺 告 に 就 て は 、 牧 野 氏 も 大 體 根 本 史 料 と し て を ら れ 、 而 し て 入 唐 の 動 機 に 就 て は 此 の 説 を 依 慧 し て を る 。 此 れ に 依 り て 考 ふ れ ば 大 師 佛 門 に 入 り て よ り 、 ひ た す ら 大 小 乗 の 法 門 に 出 入 研 讃 に 努 め ら れ た が 、 爾 疑 義 あ り て 決 せ す 、 そ こ で 一 心 に 所 請 せ ら れ た 、 殆 ど 書 夜 不 怠 に 所 願 せ ら れ た 事 と 思 ふ 、 そ の 所 願 中 圖 ら す 夢 に 入 り 、 其 の 夢 中 に 人 來 り て 大 日 經 の 名 と 其 の 所 在 と を敎 示 さ れ た こ と に 成 る 。 眞 言 行 者 か ら 所 願 を 除 く 事 は 出 來 ぬ 、 大 師 が 一 心 不 亂 に 所 願 さ れ た 事 は 、 不 世 出 の 眞 言 行 者 と し て 絶 待 に 信 じ 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 六 九
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 〇 得 る 處 で あ る 、 夢 中 に 經 名 と 所 在 と を 敷 へ ら る ゝ 事 も 必 す あ つ た と 信 す る も の で あ る 、 近 代 人 は 之 を 信 じ な い で あ ら う 、 之 を 信 じ 得 な い 近 代 人 を 攻 撃 は 出 來 ぬ 、 近 代 人 は そ の 儘 に し て よ り よ く 科 學 的 に 発 達 せ し め て 行 き 詰 つ た ら 又 考 へ 直 す と し た ら 宜 し か ら う と 考 へ て を る 。 自 分 は そ う 考 へ て を つ て も 近 代 人 が そ う 考 へ て く れ な け れ ば 要 領 を 得 な い 、 且 ら く 私 の 方 で 者 へ 直 し て 見 る 事 に す る 。 ( 五 ) 和 州 久 米 寺 弘 法 大 師 が 霊 夢 に よ b て 大 日 經 が 大 師 の 心 神 安 定 の 究 覧 處 な る こ と を 知 り 、 而 も 其 の 所 在 地 が 大 和 高 市 郡 久 米 寺 な る こ と を も 知 ら れ た と あ る 、 そ の 久 米 寺 に 就 て 見 る に (大 日 本 佛 教 全 集 書 寺 誌 叢 書 第 三 ) 久 米 寺 は 推 古 天 皇 の 御 願 に 依 り 、 聖 徳 太 子 の 御 弟 來 目 王 子 ( 聖 徳 太 子 傳 暦 上 に 大 將 軍 來 目 皇 子 薨 於 筑 紫 と あ る か ら 久 来 寺 の 檀 越 と な つ 六 人 で あ ら う ) の 建 立 で あ る と い ふ 、 王 子 の 眼 疾 馨 王 善 逝 に 所 請 し て 開 け た り と い ふ の で 、 寺 を 來 眼 寺 と 名 け 後 に 弘 法 大 師 に 依 り て 久 米 寺 と 書 す る や う に な つ た 意 味 の 事 が 、 和 州 久 米 寺 流 記 に あ る 、 法 相 の 義 淵 、 三 論 の 勤 操 共 に 此 の 寺 に 住 し た り と 傳 ふ 。 此 の 寺 の 東 塔 に 大 塔 あ り 、 善 無 畏 三 藏 が 基 を 建 て た も の と い ふ 、 そ こ に 大 日 經 七 憲 を 納 入 し て を か れ た 、 之 を 弘 法 大 師 が 感 應 せ ら れ た と い ふ の で あ る 、 善 無 畏 來 朝 説 に 就 て は 後 に 述 ぶ る 如 く 、 甚 だ 信 じ 難 い 事 で あ る が 、 久 米 寺 に 大 日 經 が 何 人 か に よ り て 將 來 さ れ 、 安 置 し お か れ た も の を 、 弘 法 大 師 が 風 の 便 り に 聞 き 込 ま れ た の で は あ る ま い か 、 久 米 寺 は 勤 操 の 住 し た 寺 で あ り 、 勤 操 は 大 師 が 求 聞 持 法
を 受 け た 師 で あ り 、 大 師 の 心 裡 中 自 ら 久 米 寺 と は 往 復 せ る 機 會 も あ つ た 事 と 思 は れ る 、 さ れ ば 大 師 が 唄 心 に 最 高 不 二 法 門 の 示 敷 を 所 請 す る 刹 那 に 、 久 米 寺 を 調 査 し て 見 や う と い ふ 霊 感 妙 應 が あ つ た と て 不 思 議 で な い 。 來 目 皇 子 と 久 米 仙 人 と を 融 通 し て 、 蓬 に 久 米 寺 と せ ら れ た か 、 兎 に 角 此 寺 が 名 刹 で あ り 、 朝 廷 特 に 恩 寵 を 加 へ ら れ た こ と は 推 測 し 得 る と 思 ふ 、 右 久 米 寺 流 記 の 作 者 は 何 人 な る か 不 明 な る は 、 久 米 寺 縁 起 ( 日 本 佛 教 全 書 寺 誌 叢 書 第 三 ) に も い ふ て あ る 如 く で あ る が 、 兎 に 角 弘 法 大 師 と 久 米 寺 と の 關 係 あ る 事 は 、 大 師 傳 に 依 り て 信 じ て 宜 し い 處 で あ る 。 私 は 大 師 は 久 米 寺 に 於 て 初 め て 大 日 經 を 讀 誦 さ れ た 事 と 思 ふ が 、 右 大 日 經 が 養 老 年 間 ,に 善 無 畏 の 將 來 せ る 所 な り と す れ ば 、 了 賢 僧 正 の 言 は る ゝ 如 く 、 大 日 經 の 翻 譯 は 唐 の 開 元 十 三 年 で あ つ て 、 善 無 畏 の 來 朝 は 養 老 元 年 と し て 開 元 六 年 に 當 る 、 故 に 恐 ら く は 梵 本 で あ ら う と い ふ 考 へ が 浮 ぶ 、 此 善 無 畏 の 來 朝 に 就 て は 、 扶 桑 略 記 に も あ り 、 別 項 記 載 す る 如 く 、 諸 書 に 記 さ れ て を る 處 で あ る が 、 ど う も 信 じ 難 い 、 從 つ て 久 米 寺 に 大 日 經 が あ つ た の は 、 事 實 と 思 ふ が 、 そ れ が 善 無 畏 將 來 云 々 と い ふ 點 は 單 な る 傳 説 で あ ら う 。 然 ら ば 大 日 經 は 何 時 誰 人 に よ り て 將 來 さ れ た か を 知 る べ き で あ る が 、 今 は 單 に 大 日 經 丈 け に 限 ら ず 兩 大 師 入 唐 已 前 に 於 け る 本 邦 密 教 傳 布 の 概 觀 を 窺 ひ 、 以 て 兩 大 師 入 唐 傳 密 の 目 的 に 對 す る 概 念 を 得 た 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 一
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 二 い と 思 ふ も の で あ る 。 ( 六 ) 兩 大 師 入 唐 已 前 の 本 邦 密敎 概 觀 傳敎 、 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 の 動 機 を 考 察 せ ん と 欲 す れ ば 、 先 づ 兩 大 師 入 唐 巳 前 ど の 位 迄 密 教 研 究 を な さ れ た か を 知 る 要 が あ る 、 夫 れ に は 當 時 如 何 な る 程 度 の 密 教 が 傳 播 さ れ て を つ た か を 見 る の が 第 一 に 必 要 な こ と で あ ら う 。 兩 大 師 巳 前 の 本 邦 密 教 は 、 大 體 に 於 て 雑 密 單 法 の 傳 來 と 見 て よ ろ し か ら う 、 又 當 時 の 修 験 道 を 雜 密 と 見 る べ き や 否 や に 就 て も 議 論 の あ る こ と ゝ 思 ふ が 、 但 々 密 教 の 單 法 が 修 験 者 に 影 響 し て お る 事 は ど う も 認 め ら る ゝ や う に 思 ふ の で あ る 。 今 且 ら く 凡 て 夫 れ ら を 密敎 の 影 響 と 假 定 し て 論 を 進 め る 事 に す る 。 當 時 ど ん な 人 々 が 弘 法 し た か 、 及 び ど ん な 經 典 や 密 法 が 行 は れ た か 、 に 就 て 少 し く 記 し た い と 思 ふ 、 か や う な 點 に 來 て 思 は す 落 涙 を 禁 じ 得 ざ る 事 は 、 震 災 巳 前 の 調 査 が 全 部 烏 有 に 歸 し た 事 、 及 び 其 の 資 料 を も 焼 失 し て 容 易 に 手 に 入 れ 難 い 等 の 事 で あ る 、 暗 涙 を 怨 び て 筆 を 取 る 事 に す る o (1 ) 旦 維 、 百 濟 よ り 來 朝 せ る 人 、 地 藏 尊 の 秘 法 を 修 し て 民 間 に 流 傳 し た と 傳 ふ 、 時 代 は 敏 達 天 皇 の 時 で あ る か ら 、 兩 大 師 入 唐 よ り 二 百 二 十 餘 年 の 前 で あ る 、 日 羅 の 事 歴 日 本 書 記 二 十 、 古 今 著 聞 集 第 二 聖 徳 太 子 傳 暦 上 巻 、 太 子 傳 古 今 目 録 抄 等 に 出 す 。 地 藏 菩 薩 は 胎 藏 曼 茶 羅 地 藏 院 の 主 尊 に し て 、 日 羅 の 記 事 が 事 實 と す れ ば 恐 ら く は 日 本 に 於 け る 密 敷 的 信 仰 の 嚆 矢 で あ ら う 。
(2 )呪 禁 師 來 朝 、 敏 達 天 皇 の 六 年 十 一 月 百 濟 國 王 よ り 、 經 論 千 巻 、 律 師 、 禪 師 、 比 丘 尼 、 呪 禁 師 、 佛 工 、 造 寺 工 六 人 を 貢 し 、 難 波 の 大 別 王 寺 に 置 か れ し 旨 、 (傳 癒 縁 起 二 、 挟 桑 署 記 三 、 元 享 釋 書 二 十 等 ) に 出 づ 、 佛 敷 關 係 の 人 々 の 中 に 呪 禁 師 あ る は 、 恐 ら く は 密 教 に 關 す る 人 で あ ら う 。 此 兩 大 師 入 唐 前 二 百 二 十 七 年 に 當 る 。 ( 3 ) 法 道 仙 人 、 印 度 に 五 百 の 仙 人 あ り て 各 金 剛 摩 尼 法 を 修 し た そ う で あ る 、 法 道 は そ の 一 人 な り と い ふ 、 播 州 印 南 郡 法 華 山 に 居 し 、 常 に 法 華 を 讀 誦 し 密 法 を 修 し 、 孝 徳 天 皇 の 五 年 五 月 帝 不 豫 に 際 し 、 法 道 入 り て 加 持 し 奉 り 、 玉 體 平 癒 し 勅 命 に よ り て 法 華 山 中 に 大 殿 を 建 立 白 雄 元 年 九 月 落 成 す 、 主 上 寺 に 臨 幸 し 玉 ふ 、 從 來 庶 民 神 を 重 ん じ 佛 を 輕 ん す る の 風 習 爾 來 改 ま る と 、 法 道 仙 人 の 印 度 人 な る と 否 と は 別 と し て 密 法 を 弘 通 し た 事 蹟 は 顯 著 な り と は い れ ば な ら ぬ 、 是 れ 兩 大 師 入 唐 よ り 、 約 百 五 ⊥ ハ 十 年 前 に あ た る 事 で あ る 。 ( 元 享 釋 書 一 八 等 ) ( 4 ) 役 小 角 、 和 州 葛 木 上 郡 茄 原 の 人 、 三 十 二 歳 家 を 捨 て 葛 木 山 に 入 り 藤 葛 を 衣 と な し 、 松 果 等 を 食 と し 、 孔 雀 明 王 の 呪 を 呪 し て を つ た そ う で あ る 、 修 験 道 の 租 と 仰 が る ゝ 入 、 擾 州 箕 面 山 に 箕 面 寺 を 創 す 其 孔 雀 明 王 の 呪 を 修 せ る こ と が 何 人 よ り 傳 へ た る か 不 明 な る も 、 葛 木 山 中 に 籠 り て 其 の 事 あ り し は 兩 大 師 入 唐 よ り 約 百 四 十 年 程 前 の 事 で あ る 。 ( 元 享 釋 書 五 等 ) ( 5 ) 善 無 畏 、 元 享 釋 書 一 に は 、 傳敎 弘 法 兩 大 帥 入 唐 傳 密 管 見 七 三
傳敎 弘 法 兩 大 帥 入 唐 傳 密 管 見 七 四 ﹁ 吾 元 正 帝 養 老 之 間 、 來 此 土 時 機 未 稔 利 導 無 聞 只 延 暦 廿 四 年 内 侍 宣 日 昔 天 竺 上 人 雌 垂 降 臨 不 勤 請 受 徒 遷 整 舟 途 令 眞 言 秘 法 絶 而 無 傳 ﹂ 緒 あ る 、 善 無 畏 は 元 正 天 皇 の 養 老 元 年 の 潮 年 雲 亀 二 年 に 支 那 長 安 に 來 て 、 天 平 七 年 迄 二 十 年 間 生 存 し て お ら れ た の で あ る か ら 、 其 の 間 に 日 本 に 來 ら れ た 事 が な い と 斷 言 は 出 來 ぬ 事 で あ る が , 肝 心 の 善 無 畏 傳 (宋 高 僧 傳 巻 二 ) に 其 事 が 少 し も 見 當 ら ず 強 い て 申 せ ば 、 ﹁ 如 畏 出 残 無 常 非 人 之 所 側 ﹂ と あ る を 以 て 與 へ て 論 じ 得 る か も 知 れ ぬ が 、 蓋 し 來 朝 の 證 と す る に は 足 ら な い 、 然 し 無 畏 來 朝 説 は 當 時 可 な り 喧 傳 さ れ た も の と 見 へ て 、 叡 山 大 師 傳 に も 、 前 記 内 侍 宣 を 載 録 し て 、﹁ 昔 天 竺 上 人 自 錐 降 臨 不 勤 請 受 徒 遷 整 舟 邃 令 眞 言 妙 法 絶 無 傳 深 可 歎 息 深 可 歎 息 方 今 最 澄 阿 閣 梨 遠 渉 演 波 受 無 畏 遺 訓 近 畏 無 常 翼 此 法 有 傳 ﹂ と あ る 、 天 竺 上 人 と は 善 無 畏 を 指 せ る も の で あ る 。 (師 錬 ) 斯 く の 如 く 善 無 畏 來 朝 説 は 天 皇 も 信 じ 玉 へ る 所 、 叉 弘 く 永 く 一 般 的 に 信 じ た も の と 推 測 す べ し 、 善 無 畏 が 大 日 經 の 翻 譯 を 以 て 來 た と す れ ば 、 我 が 聖 武 天 皇 の 神 亀 二 年 以 後 の 事 で あ る 、 從 つ て 夫 れ を 弘 法 大 師 か 御 覧 に な り 得 た 事 に な る 、 養 老 年 間 と あ ゐ か ら 梵 本 だ ら う と い ふ 説 も 出 る が 、 善 無 畏 の 來 朝 は 或 は 夫 れ 以 後 か も 知 れ ね 、 何 れ に せ よ 信 す る に 足 ら ね と 思 ふ が 、 此 の 外 扶 桑 略 記 に せ よ 、 三 國 佛 法 傳 通 縁 起 に せ よ 來 朝 説 を 取 っ て お る と こ ろ を 見 る と 、 更 に 研 究 す る 必 要 が あ る 、 若 し 養 老 神 亀 の 頃 來 朝 さ れ た と す れ ば 、 兩 大 師 入 唐 よ り 約 入 九 十 年 前 に 當 る 。
因 に 釋 書 に は 、 世 言 無 畏 齎 毘 盧 舎 那 經 入 我 國 時 乏 資 稟 藏 和 之 久 米 寺 而 去 後 七 十 年 空 海 遭 二 霊 感 得 此 經 若 無 畏 不 將 來 此 邦 箏 有 此 經 乎 、 と あ る 、 言 家 に 於 て も 無 畏 來 朝 に 就 て は 、 肯 定 と 否 定 と あ る 、 又 肯 定 の 中 に も 其賚 持 の 大 日 經 は 梵 本 か 漢 譯 か の 議 論 が あ る 。 傳 通 縁 起 下 に 依 れ ば 、 一 行 福 師 開 元 十 五 年 奄 卒 、 無 畏 其 後 應 來 日 域 噂 久 目 東 遇 立一 基 塔 三 年 之 後 還 大 唐 と 記 し て 滞 日 年 歎 迄 記 し て 明 瞭 じ し て を る が 夫 れ 丈 疑 備 を 増 す 譯 で あ る 、﹁ 又 善 無 畏 三 藏 來 朝 之 年 錐 無 記 録 應 是 聖 武 天 皇 御 宇 神 亀 季 暦 天 中 初 運 ﹂ と 若 し 之 に よ れ ば 天 平 元 年 ( 八 月 改 暦 ) は 兩 大 師 入 唐 よ り 七 十 五 年 前 で あ る 、 蓋 し 本 書 は 無 畏 來 朝 説 の 尤 も 詳 細 な る も の で あ ら う 。 是 に 就 て は 何 れ 後 日 研 究 し て 見 た い と 思 ふ て お る 。 ( 6 )泰 澄 法 師 、 師 は 天 武 天 皇 白 鳳 十 一 年 ( 六 入 三 )六 月 十 一 日 生 る 、 越 知 峰 洞 中 に 修 行 し 、 自 然 に 密 敷 を 感 悟 し た と 傳 に あ る 、 養 老 元 年 弟 子 淨 定 を 從 へ て 加 賀 白 山 に 登 り 、 密 呪 を 誦 し て 妙 理 菩 薩 を 感 見 せ ら れ 、 文 武 天 皇 の 大 寳 二 年 鎭 護 國 家 の 法 師 と さ れ た 。 養 老 六 年 元 正 天 皇 不 豫 に 際 し 師 に 命 じ て 所 願 せ し め ら れ た 、 時 に 淨 定 を 随 へ て 宮 中 に 入 り 、 三 鈷 杵 を 執 り て 加 持 せ ら れ 立 ど こ ろ に 平 癒 せ ら れ た 、 天 平 八 年 天 下 庖 瘡 流 行 し 、 聖 武 天 皇 四 民 の 病 苦 を あ は れ み 泰 澄 に 所 願 せ し め ら れ た 、 其 の 時 師 は 十 一 面 觀 世 昔 供 を 修 せ り と い ふ 、 其 の 霊 像 (+ ︼ 面 )今 現 に 近 江 國 伊 香 郡 南 富 永 村 (元 向 源 寺 本 尊 ︱ 但 今 廢 寺 に 付 村 有 と な る ) に 存 し 國 寳 で あ る 、 斯 く て 神 護 景 雲 元 年 (七 六 七 )三 月 十 入 日 入 十 五 歳 に し て 、 印 を 結 ん で 往 生 す 隊敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 五
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 六 其 の 一 生 は 全 く 密 教 的 で あ る 、 但 し 傳 記 の 性 奇 な る 役 小 角 に 酷 似 し て あ る 、 泰 澄 の 十 一 面 供 を 修 せ る 年 月 兩 大 師 入 唐 よ り 六 十 八 年 前 で あ る 。 (釋 書 十 五 に 詳 し ) ( 7 ) 淨 定 、 泰 澄 の 弟 子 臥 行 者 と い ふ 、 師 は 泰 澄 に 随 侍 し 種 々 神 變 不 思 議 の 行 事 を な し 、 眞 言 行 者 或 は 修 瞼 者 ら し き 人 で あ つ た 、 日 本 入 に は か う い ふ 氣 分 が 多 分 に あ る の で あ つ て 、 况 ん や 古 代 の こ ご 實 在 し た こ と で あ ら う 、 兩 大 師 の 入 唐 よ り 約 七 八 十 年 程 前 に 活 躍 し た 人 で あ る 。 (8 ) 智 鳳 、 傳 通 緑 起 下 に ﹁ 或 云 道 慈 随 智 鳳 受 求 聞 持 法 而 年 代 可 考 ﹂ と あ る 、 師 は 大 寳 三 年 入 唐 し て 唯 識 を 學 べ る 人 、 ( 釋 書 十 六 ) 僧 正 義 淵 は 師 の 弟 子 で あ る 、 道 慈 は 智 鳳 に 從 つ て 唯 識 を 學 べ る 人 な 筋 ぱ 、 智 鳳 唐 よ り 歸 朝 の 時 、 求 聞 持 法 を 傳 へ た り と せ ば 、 之 を 道 慈 に 授 け た で あ ら う 、 道 慈 入 唐 し て 善 無 畏 に 求 聞 持 法 を 受 け た る を 思 へ ば 、 其 の 已 に 智 鳳 よ り 受 け た る 故 に 特 に 再 傳 せ り と も 考 へ ら れ る 、 元 來 求 聞 持 法 は 西 暦 七 一 七 年 善 無 畏 が 譯 さ れ た の を 最 初 と す る こ と で あ ら う か ら 、 智 鳳 の 傳 へ た る は 或 は 其 根 本 密 印 と 眞 言 丈 け で は な か つ た ら う か 、 智 鳳 七 〇 三 年 智 鸞 智 雄 と 共 に 入 唐 し 、 七 〇 六 年 に は 歸 つ て お る か ら 、 兩 大 師 入 唐 よ り は 、 約 百 年 程 前 の こ と で あ る 。 ( 9 )道 慈 律 師 、 和 州 添 下 郡 の 人 、 智 藏 の 門 弟 で あ る 、 智 藏 元 呉 國 の 人 三 論 を 嘉祥 大 師 に 學 び 來 朝 の 後 法 隆 寺 に 居 し 僧 正 と な つ た の で あ る 、 智 光 と 兄 弟 房 で あ つ て 、 大 寳 元 年 ( 七 〇 一 ) 入 唐 請 益 し 、 在 唐 十 七 年 養 老 元 年 歸 朝 す 、 公 の 在 唐 中 専 ら 三 論 を 研 究 し た の で あ る が 、 又 傳 に 依 る と 、 ﹁ 慈 在 唐 逢 密 者
得 虚 空 藏 求 聞 持 法 慈 傳 善 議 議 傳 勤 操 操 傳 空 海 ﹂ と あ る 、即 ち 求 聞 持 法 で は 弘 法 大 師 の 法 祖 父 に 當 る 、 弘 法 大 師 入 唐 に 對 す る 動 因 の 上 に 重 要 な る 地 位 を 占 む る 人 と 思 ふ 。 師 歸 朝 の 前 年 善 無 畏 來 唐 し 、 而 し て 道 慈 律 師 歸 東 の 年 善 無 畏 は 求 聞 持 法 を 譯 し て お る 。 尤 も そ れ よ り 前 四 〇 七 年 に 聖 堅 に よ り て 虚 空 藏 經 入 巻 は 翻 譯 さ れ て お る が 、 求 聞 持 法 は 無 畏 已 前 な い と 思 ふ 、 さ れ ば 律 師 の 傳 へ た 法 は 恐 ら く 無 畏 の 翻 譯 せ る も の で あ ら う 、 何 と な れ ば 養 老 元 年 ( 改 元 十 一 月 ) 歸 朝 の 事 故 想 像 し 得 る の で あ る 。 以 上 元 享 釋 書 二 に 依 る 、 然 る に 傳 通 線 起 下 眞 言 宗 の 下 に 於 て は 、 ﹁ 昔 人 王 第 四 十 四 代 元 正 天 皇 御 宇 養 老 二 年 戊 午 道 慈 律 師 從 ゾ 唐 歸 朝 ﹂ と あ る か ら 在 唐 十 八 年 と な る 。 之 な れ ば 當 然 求 聞 持 法 も 無 畏 譯 出 の も の を 傳 へ 得 た る こ と を 認 め ら る 、 、 尚 又 ﹁ 在 唐 六 宗 眞 言 随 一 ﹂ と あ る 處 を 見 る と 或 は 眞 言 の 研 究 も 餘 程 な さ れ た る 事 を 想 ふ べ き で あ る 、﹁ 求 聞 持 法 特 所 精 詳 自 行 化 他 啻 以 此 法﹂ と 説 き 、 ﹁ 道 慈 於 唐 随 善 無 畏 三 藏 受 學 眞 言 開 元 四 年 善 無 畏 來 同 六 年 戊 午 道 慈 還 日 本 三 箇 年 中 於 唐 傳 受 ﹂ と あ る 、 是 に 依 れ ば 律 師 は 在 唐 中 大 に 眞 言 の 研 究 を さ れ た こ と に な る 、 然 し て 胎 藏 界 の 法 を 傳 へ た か 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 七
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 八 否 か は 注 意 を 要 す る と 思 ふ 、 善 無 畏 よ り 求 聞 持 法 を 傳 へ た る こ と は 事 實 と 考 へ る 。 弘 法 大 師 が 入 唐 巳 前 阿 州 大 龍 寺 、 土 州 室 戸 崎 に 於 て 求 聞 持 法 を 修 し た と 傳 へ ら る ゝ も の 道 慈 將 來 の 法 な る こ と は 、 依 つ て 信 ず べ き で あ る 、 道 慈 律 師 は 日 本 密 教 史 上 功 績 あ る 人 で あ る 、 師 の 歸 朝 は 兩 大 師 の 入 唐 よ り 八 十 六 年 前 に あ た る 、 天 平 十 五 年 十 月 入 滅 o ( 南 都 高 信 傳 ) ( 10 ) 玄昉 個 正 、 聖 武 天 皇 天 平 七 年 ( 七 三 五 )四 月 、 玄昉 僧 正 は 佛 像 及 經 論 五 千 餘 巻 を 齎 し て 歸 朝 さ れ た 玄 防 は 初 め 義 淵 の 弟 子 、 唯 識 を 學 ぴ 、 元 正 帝 震 亀 二 年 ( 七一六 )奉 勅 入 唐 し 、 智 周 法 師 に 謁 し て 法 相 宗 を 學 ぴ 歸 朝 さ れ た の で あ る 、 本 邦 に 一 切 經 を 傳 へ た 最 初 で あ つ て 、 其 の 中 に は 勿 論 多 く の 密 書 も あ つ た こ と で あ る 、 何 者 同 年 迄 に 支 那 に 翻 譯 さ れ た 密敎 關 係 佛 典 は 、 約 七 十 部 二 百 巻 に 及 び 、 そ の 翻 譯 經 者 の 重 な る も の 二 十 七 八 人 に 及 ん で を る 、 此 の 一 切 經 の 將 來 は 十 分 注 意 す べ き 事 項 で あ る 。 因 に 其 の 將 來 せ る 年 は 兩 大 師 入 唐 よ り 六 十 九 年 前 で あ る 。 (11 )石 山 寺 、 東 大 寺 要 録 一 に 聖 武 天 皇 天 平 十 九 年 ( 七 四 七 ) 近 江 國 に 石 山 寺 を 建 て 、 如 意 輪 觀 音 を 安 置 し 如 意 輪 法 を 修 す と あ る 、 如 意 輪 觀 音 は 胎 藏 界 曼 茶 羅 觀 音 院 第 二 行 第 四 に 位 す る 本 尊 で あ る 、 此 の 年 は 兩 大 師 入 唐 よ り 五 十 七 年 前 で あ る o (12 )虚 空 藏 造 像 、 東 大 寺 要 録 一 に 孝 謙 天 皇 の 天 平 感 費 元 年 四 月 大 佛 の 挾 侍 觀 音 虚 空 藏 二 菩 薩 の 像 を 鋳 る と あ る 、 虚 空 藏 は 胎 藏 曼 茶 羅 虚 空 藏 院 の 主 尊 で あ る 、 此 の 年 は 兩 大 師 入 唐 よ り 五 十 五 年 前 で あ る
( 13 ) 良 辨 僧 正 、 傳 通 縁 起 巻 中 に 、 良 辨 の 事 蹟 を 明 し 不 空 羂 索 觀 音 の 信 仰 あ り し こ と を 認 め し む 、 即 ち 金 鐘 寺 を 建 て ゝ 本 堂 を 羂 索 堂 と 名 け た れ ば 、 其 の 中 に 不 空 羂 索 觀 音 を 安 置 せ る も の で あ ら う 、 同 觀 音 は 胎 藏 界 曼 茶 羅 觀 音 院 第 三 行 第 四 位 に 佳 す る 尊 で あ つ て 、 又 以 て 注 意 す べ き こ と で あ る 。 又 傳 通 縁 起 に は 天 平 五 年 羂 索 院 を 立 て 、 此 の 中 に 二 月 堂 あ り て 十 一 面 觀 音 を 安 く と あ る 此 尊 も 胎 曼 虚 空 藏 院 の 北 端 に 位 す る 菩 薩 で あ る 、 尤 も 十 一 面 觀 音 に 就 て は 、 蘇 我 大 臣 建 立 本 元 興 寺 講 堂 に 丈 六 白 檀 の 十 一 面 觀 音 を 安 置 し た と い ふ か ら 、 可 な り 古 く か ら あ つ た こ と は 、 前 來 の 記 事 と 照 合 し て も 首 肯 さ る ゝ と こ ろ で あ る 。 故 に 良 辨 に は 不 空 羂 索 及 十 一 面 觀 音 の 信 仰 あ り し こ と を 知 る べ き で あ る 。 因 に 天 平 五 年 は 兩 大 師 入 唐 七 十 一 年 前 の 事 に 屬 す 。 ( 14 ) 實 忠 、 南 都 高 僧 傳 や 元 享 釋 書 九 等 に よ る に 、 良 辨 の 弟 子 實 忠 、 或 る 時 撮 州 難 波 の 浦 を 通 り し に 關 伽 器 が 浪 に 浮 い て 來 た 、 近 づ き 見 れ ば 十 一 面 觀 昔 の 銅 像 が 乘 つ て を ら れ た 、 其 の 長 さ 七 寸 聖 武 天 皇 震 感 を 貴 み 給 ふ て 、 東 大 寺 羂 索 院 の 後 丑 寅 の 方 に 一 宇 を 建 立 し た と あ る 、 其 の 年 代 不 明 な る も 、 天 平 五 年 (即 ら 羂 索 院 建 立 の 年 ) 以 後 の 事 で あ る し 、 天 平 勝 寳 四 年 ( 七 五 二 )頃 は 、 師 の 盛 に 修 法 さ れ て を る こ と か ら 假 り に 當 時 と す れ ば 、 兩 大 師 入 唐 よ り 五 十 二 年 前 の 事 で あ る 。 ( 15 ) 招 提 三 祖 義 静 、 招 提 千 載 傳 記 巻 上 之 一 に 、 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 七 九
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 八 〇 ﹁ 嘗 於 招 提 造 經 藏 而 納 經 論 亦 別 建 立 貿 殿一 宇 安 不 動 尊 像 ﹂ と あ る 、 是 に 依 り て 鑑 眞 門 下 が 不 動 尊 の 信 仰 を 傳 へ た る を 知 る べ く 、 日 本 密 教 史 上 特 記 す べ き 事 蹟 で あ る 。 法 進 も 義 静 も 共 に 鑑 眞 門 下 の 逸 足 で あ つ て 、 鑑 眞 の 來 朝 は 天 平 勝 寳 五 年 ( 七 五 三 ) で あ る か ら 、 兩 大 師 入 唐 よ り 凡 そ 五 十 年 程 前 で あ る 。 ( 16 ) 善 議 、 道 慈 は 眞 言 法 を 以 て 善 議 、 慶 俊 に 授 く (傳 通 繰 起 ) と あ る か ら 、 善 議 も 道 慈 の 傳 來 せ る 法 を 傳 受 せ る こ と を 知 る べ し 、 唯 弘 法 大 師 が 入 唐 前 求 聞 持 法 を 修 さ れ た 爲 に 、 求 聞 持 法 丈 け が 有 名 に な つ た の で 、 元 來 そ の 他 の 法 も 多 少 は 傳 へ ら れ た こ と ゝ 私 は 思 ふ 。 ( 17 )慶 俊 、 大 安 寺 法 華 寺 等 に 居 し 、 愛 岩 山 を 開 い て 第 一 世 と な つ た 人 (釋 書 十 四 ) 、 道 慈 の 資 な れ ば 傳 通 縁 起 の 如 く 、 慈 に 從 つ て 法 門 を 相 承 さ れ た こ と ゝ 思 ふ 、 但 し 傳 に は 密 教 相 承 等 の 事 な し 、 天 應 元 年 僧 都 と な る 、 同 年 は 兩 大 師 の 入 唐 よ り 二 十 二 年 前 に あ た る 。 ( 18 ) 勤 操 僧 正 、 弘 法 大 師 傳 に 、 石 淵 贈 僧 正 勤 操 和 尚 に 逢 ふ て 、 三 論 宗 の 法 門 及 大 虚 空 藏 菩 薩 能 満 所 願 等 の 法 を 學 ぶ と あ る 、 御 遺 告 高 僧 傳 要 文 抄 、 元 享 釋 書 ・傳 通 縁 起 等 皆 同 じ く 求 聞 持 法 を 勤 操 に 受 く と あ る 、 從 つ て 密 教 史 上 に 於 砂 る 師 の 名 は 弘 法 大 師 に 依 り て 高 く な つ た の で あ つ て 、 元 來 三 論 の 學 者 で あ る 、 傳 に も ﹁ 操 尊 三 論 爲 君 父 斥 法 相 爲 臣 子 詞 義 膽 博 於 是 相 宗 夙 將 陣 亂 旗 廃 上 賞 辯 論 加
僧 都 云 云 ﹂ と あ る に 見 て も 知 ら 得 ら る ゝ 處 と 思 ふ 。 ( 19 ) 鑑 眞 門 下 法 進 、 師 嘗 て 讃 州 多 度 郡 に 至 り 或 る 家 に 宿 し た る に 、 其 夜 嬰 見 の 佛 頂 呪 を 誦 す る を 聞 き 奇 異 に 感 じ 、 其 の 親 に 向 ひ 此 兒 凡 流 に あ ら す と 豫 言 す 、 小 兒 は 後 の 弘 法 大 師 で あ つ た と い ふ 、 此 に 依 れ ば 法 進 又 佛 頂 呪 を 傳 へ た る を 知 る べ き で あ る 。 (律 苑 僧 寳 傳 十 、 南 都 戒 坦 院 法 進 律 師 傳 ) ( 20 ) 賢 憬 (憬 一 作 環 ) 、 淳 仁 天 皇 の 天 平 寳 字 三 年 ( 七 五 九 )師 大 藏 經 五 〇 四 八 巻 を 冩 し 、 唐 招 提 寺 に 納 る と あ る 、 當 年 は 兩 大 師 入 唐 前 四 十 六 年 で あ る 。 ( 21 ) 思 託 律 師 、 日 本 高 僧 傳 要 文 抄 三 に 、﹁ 寳 轟 年 勅 思 託 束 大 寺 擁 災 大 佛 頂 行 道 云 云 ﹂ と あ る 、 大 佛 頂 と は 佛 頂 の 総 徳 を 稱 す 、 故 に 佛 頂 尊 勝 は 又 一 字 金 輪 佛 頂 と い ふ 、 大 佛 頂 陀 羅 尼 經 法 に 明 に す 處 で あ る 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 は 早 く か ら 支 那 に 入 つ た こ と で あ る か ら 、 日 本 へ 傳 來 し た の も 可 な り 古 か つ た 事 と 思 ふ 、 而 し て 思 託 此 の 法 を 傳 へ た 一 人 で あ つ た の で あ ら う 。 此 の 外 光 明 皇 后 の 事 蹟 等 を 初 め と し て 、 佛 典 佛 像 佛 具 等 の 密 敷 關 係 を 上 げ 、 叉 記 傳 等 に 表 は れ ざ る 弘 法 の 人 師 を 研 究 し た ら 可 な り 資 料 は あ る こ と ゝ 思 ふ 、 余 今 研 究 中 に 屬 し 十 分 に 兩 大 師 入 唐 已 前 に 於 け る 本 邦 密敎 傳 播 の 概 觀 を 記 す る を 得 な い が 、 上 來 略 叙 し た と こ ろ に よ り て 、 兩 大 師 入 唐 已 前 本 邦 に 相 當 密 敷 的 色 彩 は 濃 か な り し こ と を 想 像 し 得 る こ と ゝ 思 ふ 。
(
七
)
弘
法
大
師
の
入
唐
御
正
志
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 八 一傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 八 二 從 來 述 べ 來 り た る 處 に よ り て 、 兩 大 師 入 唐 已 前 斯 く 密 法 並 に 密 敷 的 佛 典 佛 像 等 の 傳 播 せ る 中 に 生 長 せ る 、 我 が 兩 大 師 が 、 其 の 英 遭 な る 天 資 を 以 て 茲 に 留 意 せ ら れ た る は 當 然 と 思 ふ 、 是 れ 傳 教 大 師 の 入 唐 傳 密 に 就 て も 前 來 叙 し た る が 如 く 、 豫 定 の 行 動 と 解 す る 一 人 な る 所 以 で あ る が 、 今 叉 弘 法 大 師 の 入 唐 正 御 目 的 に 就 て は 余 は 矢 張 り 総 括 的 密 敢 の 相 承 と 大 日 經 の 研 究 と に あ り し も の と 思 ふ 、 傳 敷 大 師 の 入 唐 の 正 意 が 法 華 經 の 相 承 と 其 の 研 究 に あ り し が 如 く 、 弘 法 大 師 の 入 唐 は 大 日 經 の 相 承 と 研 究 と に 第 一 目 的 が 存 し た も の と 拜 す る も の で あ る 、 大 師 の 入 唐 が 釋 摩 詞 術 論 の 研 究 に あ む と す る 言 家 の 學 究 者 も あ り 、 又 宗 外 の 先 輩 も あ り 一 往 御 尤 も に 思 ふ こ と は 、 夫 れ も 目 的 の 一 部 を な し た か と は 思 ふ が 、 第 一 の 目 的 で あ つ た と は 考 へ ら れ ぬ 、 夫 れ な ら ば 大 師 の 何 處 か に 明 瞭 に 仰 せ ら る べ き で あ ら う と 思 ふ 。 翻 つ て 大 師 御 傳 と し て 尤 も 信 慧 す べ き 御 遺 告 全 集 七 ノ 二 五 一 頁 ) に 前 に も 同 じ 様 な 引 證 せ る も 、 吾 從 佛 法 常 求 尋 要 三 乘 五 乘 十 二 部 經 心 神 有 疑 未 以 爲 決 唯 願 三 世 午 方 諸 佛 玉 我 不二一 心 所 感 夢 有 人 告 日 於 此 有 經 名 字 大 毘 盧 遮 那 經 是 乃 所 要 也 即 随 喜 尋 得 件 經 王 在大日本國高市 郡 久 米 道 塲 東 塔 下於此緘普覧衆情有滯無所憚問更作発心解 以 去 延 暦 二 十 三 年 五 月 十 二 日 天 唐 爲 初 學 習 と あ る 、 是 に 依 れ ば 佛 数 に 疑 ひ あ り 、 不 二 絶 待 の 法 門 と し て 久 米 寺 の 大 日 經 を 得 た が 、 種 々 滞 り あ り て 通 せ す 、 之 を 質 さ ん と す る に 其 の 人 な し 、 茲 に 決 意 し て 入 唐 以 て 其 の 蘊 奥 を 窮 め 為 と せ ら れ た こ と
に な る 、 而 し て 入 唐 せ ら る ゝ や 直 ち に 長 安 に 恵 果 を 訪 ね 、 五 智 灌 頂 に 沐 し て 胎 金 兩 部 の 秘 法 を 學 び 、 大 日 金 剛 頂 等 二 百 餘 巻 を 讀 ま れ た と 宣 べ 給 ふ 、 此 の 御 遺 告 中 に 特 に 兩 部 を 學 ぴ 兩 經 を 讀 ま れ し こ と を 宣 べ ら れ て 他 を 詳 か に せ す o 是 に 依 り て 考 ふ る に 、 大 師 は 從 來 日 本 に 傳 來 せ る 處 に 依 り 、 且 つ は 先 輩 の 説 話 に 依 り て 當 時 唐 に は 密敎 新 來 し て敎 界 を 風靡 し て を つ た こ と は 、 明 瞭 に 分 つ て を つ た 事 と 思 ふ 、 恵 果 阿 閣 梨 は 大 師 在 唐 中 入 滅 せ ら れ 、 而 し て 支 那 密 敷 は 阿 闊 梨 時 代 を 以 て 最 高 潮 と 思 ふ 、 以 て そ の 教 風 が 海 を 渡 つ て 日 本 に 吹 き 來 つ た 事 は 、 當 時 の 交 通 史 と 共 に 認 め 得 る こ と で あ ら う 。 一 方 傳 教 大 師 は 南 郡 の 信 風 に 對 し て 懐 焉 た る も の あ り 、 其 の 入 唐 の 動 機 (目 的 に あ ら す ) と し て は 日 本 佛 敷 界 の 改 革 に あ り し 事 は 識 者 の 認 む る と こ ろ で あ る 、 激 學 改 革 の 爲 に は 舊 套 を 脱 す る の 要 あ り 、 夫 れ に は 權 威 あ る 相 承 に 依 り て 一 新 紀 元 を 劃 す る の 要 あ り て 新 天 台 宗 を 輸 入 せ ら れ た も の で あ る o 弘 法 大 師 が 三 論 法 相 等 古 京 の 六 宗 の敎 學 的 研 究 を 、 後 に 至 り て も 尚 奨 勵 せ ら れ 、 顯 密 併 行 を 以 て 我 が 台 宗 の 遮 那 止 觀 兩 業 双 翼 兩 輪 の 如 く に 扱 ふ て を ら れ な が ら 、 し か も 亦 古 宗 を 以 て 満 足 し 給 は ざ り し こ と は 、 そ の 新 た な る 法 を 求 め 給 ふ に 依 り て 極 め て 明 瞭 で あ る 、 古 き に 意 満 ち て 何 ぞ 新 た な る を 至 心 に 求 め 給 は ん や 。 從 來 の 佛敎 に 代 ふ る に 新 喩 入 の 佛 教 を " て 、 日 本 國 民 性 と 調 和 せ し め 、 よ く そ の 國 俗 民 風 を 淘 冶 向 傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 八 三
傳敎 弘 法 兩 大 師 入 唐 傳 密 管 見 八 四 上 せ し む る に は 、 佛 教 中 絶 待 不 二 の 法 門 に 侯 つ べ く 、 之 に 依 り て 佛 教 を 綜 合 し 、 日 本 の 思 想 界 を 宗 敷 的 に 統 一 せ ん と せ ら れ し 事 は 、 後 の 御 著 秘 藏 寳 鑰 十 佳 心 論 等 の 著 述 あ る に 依 り て 拜 し 得 る と 思 ふ 。 ﹁ 不 二 云 云 ﹂ の 語 は 即 ち 眞 言 法 門 の こ と で あ る 。 要 す る に 大 師 巳 前 の 密 敷 界 の 大 勢 よ り 推 度 し て 、 大 師 の 密敎 に 對 す る 觀 察 識 見 ほ 相 當 熟 し て を ら れ 、 そ の 上 大 日 經 を 研 鑽 し 給 ひ 、 其 の 識 見 よ り し で 密 敷 に よ り て 日 本 の 佛敎 界 思 想 界 を 大 成 せ ん と 思 欲 さ れ そ れ に は 大 師 親 し く 十 二 分 研 討 す る の 要 あ り 、 從 つ て 承 相 を 明 か に し 質 疑 を 行 ひ 、 研 究 資 科 蒐 集 の 爲 に 入 唐 せ ら れ た り と 私 は 拜 す る も の で あ る 、 或 る 人 十 佳 心 論 は 異 民 族 の 統 一 で あ る 大 師 は 當 時 支 那 朝 鮮 よ り 來 朝 歸 化 せ る 異 民 族 を 統 一 す る に は 、 大 日 中 心 に 十 界 互 具 を 衷 示 す る 曼 茶 羅 思 想 よ り 成 る 密 教 を 以 て せ ら れ た る も の な り と の 説 を な す も の あ り 一 往 卓 見 と し て 承 る も 爾 研 究 の 餘 地 を 存 す る も の と 思 ふ 、 な る ほ ど 密敎 の 曼 茶 羅 思 想 は 日 本 の 天 皇 中 心 に し て 一 君 萬 姓 一 體 な る 國 體 と 合 す る の で あ る か ら 、 大 師 が 日 本 國 體 と 密 教 々 理 と に 考 へ 及 ば れ た 如 き 事 は 極 め て 當 然 で あ ら う 。 但 大 師 の 如 き 千 古 不 世 出 の 偉 聖 の 内 觀 を 、 局 部 的 な 、 或 は 私 見 を 以 て 彼 是 付 度 す る は 多 く は 的 を 外 れ て 恐 れ 多 い 、 発 表 さ れ た 、 或 は 説 明 さ れ た 先 輩 學 者 の 意 見 よ り も 、 寧 ろ 御 遺 告 を 眞 面 目 に そ の ま ゝ 信 じ た い と 思 ふ 一 入 で あ る 、 餘 り 下 ら ぬ 管 見 を 擴 げ て 世 の 嘲 笑 に 價 す る は 餘 儀 な き も 、 兩 大 師 の 明 鑑 を 恐懼 し 、 南 無 大 師福 聚 金 剛 、 南 無 大 師 邊 照 金 剛 各 三 遍 唱 名 し 奉 り 、 以 て 筆 を 擱 く 。