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Fundamental research on the standard creation of beauty in space design : the creation of a checklist for the production of a beautiful interior space design

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

Fundamental research on the standard creation of beauty in space design : the creation of a checklist for the production of a beautiful interior space design

高橋, 浩伸

http://hdl.handle.net/2324/459197

出版情報:Kyushu University, 2005, 博士(工学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

(2)

--

第 2章美に関する考察

2 章 美に関する考察

2.  1 はじめに 20  2.  2 美の在処 21  2.  3 美学における美に対するアプローチ 23 

2.4  医学(脳神経学・脳内生理学)における 25 

美に対するアプローチ

2.  5 環境心理学における美に対するアプローチ 28 

19 

(3)

第 2章美に関する考察

2.  1 

はじめに

美は過去、人文科学の範疇でしか語られることがなかった。すなわち、哲学や思想とい った分野で扱われてきた。しかし本研究においては、美を自然科学の分野で検討し、考察 を行うことで、普遍的な法則を見出そうとするものである。

今日自然科学的に美にアプローチしようとすると、あまり多くの分野は見いだせない。

まず考えられるのは、美を扱う学問として美学があるが、この美学は本来、哲学や思想 的な分野での学問であり、 19世紀以降の心理学的な実験的方法を取り入れ、心理学的な実 証を基に、やっと心理学的美学が自然科学的な範疇に収まる程度で、他のものに自然科学 的な因果的法則を見出したものは見あたらない l)

次に考えられるのは、医学の分野であり、今日の医学の進歩に伴って、脳神経科学、脳 内生理学それに生物学等の分野でのアプローチが試みられ、人間の脳への理解が飛躍的に 進んだ結果、心と脳は一元論的に捉えられるようになり、美がどのように脳内において情 報処理され、創出されるのかといったようなメカニズム等が解明されつつある 2)。今後こ のような研究が進み、より詳細な人間の美意識のメカニズムの解明が期待される。

もう一つは、環境心理学・認知心理学といった心理学をベースとした分野でのアプロー チである。

心理学とは、経験的事実としての意識現象と行動を研究する学問であり、精神について の学問として形而上学的な側面をもっていたが、 19世紀以降実験的方法を取り入れるよう になってからは、実証的科学とされるようになったものである 3)

このように今日、美に対して自然科学的なアプローチを行おうと考えると、この3つの 分野しか考えにくい。

したがって、次にはこれらの美学の分野、医学の分野、それに環境心理学・認知心理学 といった分野における、それぞれ美に関してどのようなアプローチがなされてきたかを整 理し、それを基に本研究における環境心理学における美へのアプローチの妥当性を示す。

20 

(4)

三 ‑

第 2章美に関する考察

2

.  2 美の在処

美を恣意的ではなく、論拠ある自然科学的に捉えようというのが本研究の目的である。

美を考える場合よく問題とされるのが、美は評価される対象物に存在するのか、それと も評価する側の人の心が創造するものなのかということである。

これを環境心理学における、今日一般的な人間と環境の関係、すなわち「人間一環境系 モデル」で考えてみると、美が環境側だけの特性であるとすると、 美しいとされるもの' に対するすべての人の評価は同じになるはずである。しかし、現実には夕日を美しいと言 う人もいれば、そうでない人もいる。また逆に、美は人間側だけの特性とするならば、地 域や文化が違ったとしても、自然の草花等、万人が美を感じるであろうものを、美しいと 評価しないとは考えにくい。すなわち美に関して考える場合、評価される環境側と評価す る人間側の両方の特性を考慮して行かなければならないというのが今日の一般的な考えで ある。

しかし、ここで例として、有名な「アヴェロンの野生児注1)」や、インドの「オオカミ 少女注2)」の例などを見ると、人は人としての教育なしには、人としての感情も感性も持 ち得ないということを示しており、美を感受する心も、人としての教育や経験無しには、

成立しないものと考えられる。

また、別の例を挙げれば、例えば幼児が水墨画(写真ー 2.1) を見たときに、その水墨 画に惹かれ、美しいと評価することがあるであろうか。水墨画の美しさを解るためには、

ある種の体験と学習、及び知的反省が必要であり、この作業なしには水墨画の美しさは解 らないと言える。

さらにまた別の例を示すと、その美としての評価が分かれるものにピカソの「ゲロニカ」

(写真一 2.2)の絵があるが、この絵の芸術的な美しさの評価には、芸術にた対する知性 と知識が必要と言える。

周知のとおり「ゲルニカ」は無彩色の白と黒と灰青色からなる絵であるが、これらを芸 術的知性またはこの絵に対する知識もなく見た場合、その絵に描かれている、悲しみに押 しつぶされたような女性の顔や、恐ろしい形相で挑みかかってくるような牡牛の顔、ラン プを持った手、飛来する鳩など、一見断片的なそれぞれの像が構成している緊迫感は、見 るものを緊張とある魅力によって引きつけるものの、とてもその美しさを感じ取ることは

21 

(5)

2章 美 に 関 す る 考 察

困難と言える。この絵の背景にある、権力者の暴圧に苦しみ叫ぶ一般的な市民の声や、真 の平和を求め地道に戦う人々の希望の光が表されていることを理解しない限り、この絵の 美しさは理解されないであろう。

このような例からも解るように、美に関して、人間一環境系モデルにおいて考える場合、

環境側に存在する美(造形やプロポーション、花や自然などの美)というものはある程度 存在するであろうが、評価する側の人間の感性や知識がないままでは、美は成立しないと

いうことが言えるであろう。

写真ー2.I 水 墨 画 ( 天 橋 立 図 作 雪 舟 )

写真ー2.2 『ゲルニカ』作 ピカソ

22 

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第 2章美に関する考察

2

.  3 美学における美に対するアプローチ

今日、美学の分野において、美に対して様々なアプローチの方法があるが、研究方法で 見てみると、大別して美学研究には哲学的方法と科学的方法が認められる l)

哲学的方法は、本研究における目的ではないので、省略するが、科学的方法おける美学 研究は、唯一、心理学的美学のみであると言える。

科学的方法による美学は、原則的には自然科学、精神科学(人文科学)、社会科学に属す る様々な科学の方法を用いて美の性質を説明する学的活動を指すのだが、実際には心理学 的美学以外あまり目覚ましい成果をあげたものはない l)。生理学的研究もそれと並んで若 干の寄与をしているが、心理学的美学のなかでも特に一時期を風靡した「感情移入」の原 理に基づく「感情移入美学」のほかには美学体系を建設し得たものは見当たらない l)

感情移入美学とは、ある対象から直接に知覚される、「美しい」、「崇高な」等の意識以前 にある感情を説明する美学で、テオドア・リップス (T.Lipps, 18511914)らによって20世 紀初頭に学問的に体系化されたものである。この感情移入美学は、ある対象の中に、感情

を通して自己を埋没させるところに美的体験が生まれるとしている。

またフェヒナー (G.T.  Fechner, 18011887)が、思弁的・形而上学的な「上からの美学」

に対して経験的・実証的な「下からの美学」を唱えて以来、「実験美学」が美学史上の市民 権を得るようになり、現在に至るまで、これに種々の改良が加えられている。

このように今日の美学は、美の概念そのものを問うより、個別の美的経験・芸術領域・

芸術と他の人間活動との関係を追求する研究が主流となっている。

このような美学における潮流は、本研究が行おうとしている環境心理学の分野における 心理学的手法を用いた実験による研究との関連も深く、今後の両分野での情報交換が盛況 に行われ、自然科学的なアプローチによる美の究明が期待される。ただし、哲学的方法に よる美の研究の必要性も当然ながら存在し、哲学的方法と科学的方法との両面からの研究 が必要であろう。

現在においても、美を客観的に、しかも簡潔に定義することは大変困難と言わざるを得 ない。それゆえ、近代美学においては視線を逆転し、すなわち美を客体の側に探るのでは なく、美を感じとる主体の心について省察しようとしたのである。

近代美学は美の心的事実を重要視するようになって来ており、そのかぎりで美学は主観

23 

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第 2章美に関する考察

化の道をたどってきていると言える。

このように、美学の分野において、美を自然科学的に研究したものは、心理学的美学以 外見られなかった。これは 19世紀以降の心理学が芽生えた以降のことで、それ以前の美学 は、いわゆる哲学や思想による研究であった。そのため、美学は自然科学の範疇ではなく、

人文科学の分野とされてのである。

このような心理学的美学は、次項で述べる脳神経学や脳内生理学等の医学的なアプロー チ以外の分野では、当研究のような心理学的手法を用いた環境心理学と研究の方向性を同 じくする数少ない分野であり、美に関してのアプローチには共通する点が多く見られる。

したがって、今後はさらに本研究のような環境心理学における自然科学的な美へのアプロ ーチと合わせ、グローバルな視野に立った研究が望まれる。

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24 

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‑ ‑

第 2章美に関する考察

2.4  医学(脳神経学・脳内生理学)における美に対するアプローチ

近年の脳神経学・脳内生理学の発達によって、美的判断がなされるまでには、多様な神 経サブシステムが相互に働きあっていることが現在知られているが、しかしその協調的な 相互作用のメカニズムは解っていない。

視覚情報処理でのよくある誤解は、網膜に入ってくる信号が受動的にフィルターにかけ られるという思いこみである。ゲシュタルト心理学者は、知覚が生来のルールに従って、

視覚特徴をグループ化し、体制化し、そしてその過程が物理的条件に影響されないもので あることを示してきた。すなわち視覚情報処理は能動的なものであり、内的なメカニズム が好む特徴によって選好されるのである。これはカントの「形は、もしそれが知覚のプロ セスを促進するならば美しいと判断される」という言葉が思い起こされる 4)

この知覚情報処理に関する研究では、いくつかの興味深い報告がなされている。

例えば、人はバラの花を見たときに、それがツバキやスミレではなく バラ である ことを知る心の動きと、 きれいだ 、 素晴らしい 'と感じる心の動きとが起こる。

前者が知性情報処理、後者が感性情報処理にあたる。脳の損傷によって、このうちの感性 情報処理だけが選択的に傷害される事態が起こることが報告されている 4)

これは視覚性感情低下と呼ばれる症状で、バラの花をみて、それが バラ であるこ とは分かっても、 きれいだ 'という感情が起きなくなってしまうのである。しかし感 性機能自体は健常な状態で残っており、音楽を聴けば、 美しい 'と感じることができる。

またバウアー (Baue r, R, M,  19 8 2)の症例によれば、 39歳のときに交通外傷で両側側頭葉 後下部に血腫が生じた右利き大卒の男性がいた。発症後 1年の 19808月から、患者は視 覚刺激によっで情動が喚起しなくなったと訴えはじめている。美しい景色を見るのが好き で、病前はよくハイキングに出かけたが、どの景色も同じようにしか見えなくなったので 止めてしまった、きれいな女性やエロティックな写真を見ても何も感じなくなったので「プ

レイボーイ」の購読を止めた、などである 4)

しかしこれが側頭葉損傷でよく起こる情動機能自体の低下や性的機能の低下ではないこ とが明らかになった。患者は音楽を病前と同じように楽しむことができたし、性的な会話 や音声に対しては 39歳の男性相応の反応を示したからである。したがって、視覚入力に限 定された情動喚起の傷害と考えられたが;この点は、情動喚起を自律的反応として測定す

25 

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第 2章美に関する考察

る皮膚電気反応 (SCR)を用いた実験によって確認されている。患者は、ヌード写真に対し てはほとんど SCRの反応を示さなかったのに、性的な会話を聴かせると大きく変化し、音 楽に対しても十分な変化を示したのである。同様な症例はハビブ (Habib,M,  1984)も報告し ており、わが国でも石坂と永渕 (1991)が女性の患者についての詳しい研究の結果を報告し ている 4)

感性情報処理と知性情報処理の関係は、次の二通りが考えられる。花を見てそれが「バラ」

と分かってから「美しい」と感じる系列処理と、両者が初めから同時に進行する並列処理 の2つである。系列処理の場合は、知性情報処理が傷害されると、感性情報処理も必ず傷 害されることになるが、この症例で知性情報処理は傷害されているが感性情報処理が残っ ていることが明らかにされたためにその可能性は消失し、並列処理が残ることになる。

花を見て、「バラの花だ」と分かる心の動きと、「美しい」と感じる心の動きとは、脳 内で、早くから並列的に進行していると考えられるのである 4)。この 2つの過程が、

脳内で具体的にどのような経路を介して進行していくのかについてはまだ明らかではなく、

さらに多くの脳損傷事例による研究を必要としている。

このような一見メカニカルな視覚の美的反応の説明が適切であるならば、なぜ美的な認 識が文化によって、あるいは個人によって変わってくるのであろうか。

これは、現在脳の可塑性のためだと考えられている。例えば、皮質の回路が完全に遺 伝的にプログラムされているわけではなく、回路が最終的に形成されるためには、生ま れてからの視覚環境に依存することが知られている 6)。もっとも、このことで、われわ れの生涯を通じて美的判断が間断なく変化していくことをすべて説明できるわけではない。

可塑性、あるいは学習は、中枢神経系の重要な特徴のうちの一つでしかない。

美しいとか楽しいとかいうのは、中枢神経系の処理ルールに最適に対応するタイプの視 覚入力なのかもしれない。こうしたルールはある程度遺伝的にあらかじめ定められている

6)。しかし、視覚経験の豊かさや持続的な学習課程を通して、美的な選好は変化していく。

従来の静的な美学理論が十分でなかったのは、おそらくこの順応性という考えが無かった からであろう。これらの情報の内的処理のルールがさらに明らかになれば、このような状 況が改善されるであろう。しかしこれらのルールの適用のされ方はあまりに膨大で、込み いっており、そのため美的評価の予測が困難なのだと言える。

したがって、このような膨大で複雑な脳内における情報の内的処理のルールを、すべて

26 

(10)

第 2章美に関する考察

明らかにするのではなく、特定の美的体験に関して、それがどのような条件下、あるいは どのような環境のもとで生じるのかを明らかにした上で、その時の脳内での情報処理がど のような形で行われ、そのルールとなるものが存在するのであれば、その存在を見出すこ とで、美的体験における脳内の生理的な規則の一端が明らかになるであろう。

このような脳神経学や、脳内生理学における美的体験の医学的な研究による実証や、脳損 傷事例等による研究が進めば、現在、美に関して自然科学的にアプローチできる、当研究 のような心理学的手法を用いた環境心理学的な美へのアプローチや、同じく心理学的手法 を用いた心理学的美学における美へのアプローチと併せて、より実証的な美へのアプロー チが可能となるであろう。その意味では、美を自然科学的に究明しようとするときに、当研 究のような心理学的手法を用いたアプローチ以外のものとして唯一のアプローチがとれる、

大変重要な分野である。

しかし現在の段階では、さらに多くの事例や症例が必要と言える。

現在の脳神経学や脳内生理学においては、知覚は受動的ではなく、むしろ能動的な性質 を強調している。すなわち知覚は、求心性神経経路によって伝えられる信号の最もよい解 釈を捜す課程に媒介されていると考えられている。

このことから考えると、美しいという美的判断は、中枢神経系の処理ルールにおいて、

最適に対応するタイプの視覚入力といえるかもしれない。

このような仮説は、そう遠くない将来解明され、中枢神経系の処理ルールの一端が解明 されれば、美に関する多くの疑問も解明されていくことであろう。しかし現在においては、

まだその解明には至っていない。

すなわち現在において、美に対する自然科学的なアプローチは、当研究のような心理学 的手法を用いた印象評価実験等によって、経験的事実としての意識現象と行動を研究する 以外考えにくく、その意味では当研究のような環境心理学におけるアプローチしかないよ うに考えられる。ただし前述のように心理学的美学におけるアプローチも考えられるが、

これも同じく環境心理学同様に心理学的手法を用いるため、同じような方向性を持つもの として扱える。

27 

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第 2章 美に関する考察

2.  5 

環境心理学における美に対するアプローチ

環境心理学の領域において、美に関して考える場合、美が環境の特性なのか、人間側 の特性によるものなのかが議論されているが、先のアヴェロンの野生児やオオカミ少女の 例を考えると、人間側の特性によるものが多いように考えられる。 もちろん環境側だけの 特性で、人間側の特性は全くないとか、その逆というのも考えにくい。 これは何も美に関

して考えた場合のみ、 このような関係になるのではない。

すなわち環境心理学における人間と環境の関係についてどのように捉えるかという考え 方の「人間一環境系モデル」において、様々な環境は、明らかに人の意識や行動に影響を 与えることもあれば、 ごくわずかにしか影響しない場合もある。あるいは、環境の影響を 人間側ではまった<意識していないということもあるであろう。さらに、人と環境との相 互作用は常に変化しているのである。 こうした関係のなかで、環境を人の意識や行動に結 びつけて記述、分析し、概念化するためには、非常に錯綜した理論を組み立てなければな

らない。その関係をすべて網羅しようとするのは不可能に近いであろう。

しかし、環境心理学の分野では、 このすべての関係を明らかにするのではなく、心理学 的見地から研究の目的に添った調査手法を用い、すなわち、 どのような「人間一環境系モ デル」 を設定するかによって、目的の研究のデータを収集し、分析・検討を行っていこう

というものである。

ここで、環境心理学には、心理学が持っている基本的なパラダイムとして、いくつかの 前提が存在している。

そもそも心理学がその研究対象として客観的に扱うことができるものは、図ー 2.1の 刺激ー印象ー反応関係の中で、入力としての刺激と出力としての反応との関係のみであり、

この関係から通常はその内的過程が推論されているに過ぎないのである 5)

すなわち、 まず外的世界の対象と内的世界の全体的印象とが何らかの対応性を持ってい るというのが、第1の前提である。

そして次に、入力変換過程を印象化、出力変換過程を反応化注3)として、それぞれに個 人差としての主体的要因が影響しているというのが第2の前提である。従来この要因とし て、記憶.感情・認知スタイルなど多くのものを心理学では考えてきた。

このモデルの下で全体的印象を明らかにしようとすることになるが、基本は外的世界の

 

28 

(12)

第 2章 美に関する考察

刺激と反応との関係つまり刺激ー反応の関係である。 この関係を数量的もしくは質的に明 らかにして、内的課程内の全体的印象を推論しようというのが第3の前提である。

ところが出力としての反応が個人の自由にまかされる事態は、 一般的な印象評価分析の 研究ではほとんどなく、分析者から与えられた反応の枠組みにしたがって、全体的印象を 表現することが求められている。 さらに、分析者は事前に刺激の内容や提示などの条件を 設定していて、入力に対しても個人の自由にまかされる事態はほとんどない。

事前に設定されている刺激ー反応関係が第4の前提である 5)

このように

このような前提があるものの、今日の心理学は、体と精神との関係に関する理論を組み 立て、物理的事象(刺激)とそれに対応する心理学的事象(反応をもたらす内的過程の結果)

との間の数量的関係を明らかにしてきている。

刺激

※内的過程

r  ' 

 r-►

 ' 

属性 a2‑‑++感覚 p2

' 

属性 a3-―←~感覚 p3  全体的印象 ...表現型 I .. .

し 一

印象化 感性

ー 」

反応化

反応 R

図ー2.1 刺激ー印象ー反応の関係概念図

(引用:神宮英夫,「印象の工学」とは何か)

※部は筆者記入

29 

(13)

第 2章 美に関する考察

また科学的心理学は、普遍的な人間性や心的機能の法則定立的な研究を主流として出発 したが、人間一人ひとりの個人差や個性をどのように扱うか、あるいは積極的にそれらを どのように捉えるかは、心理学の始まりから今日まで絶えず問われてきた問題であった 3)

人間に個人差や個性があることは疑いのない事実であり、一方、人間に普遍的な人間性 があることも事実である。

人間を研究する場合、個人差や個性を捉えようとするか、普遍的人間性を捉えようとす るかは、研究の大きな分かれ目である。個人差や個性に焦点を当てる場合には、普遍的な 人間性は自明なこととして看過される。人間性一般に焦点を当てる場合には、個人差や個 性は、最小限になるように、あるいは統計的誤差として処理される。近年では個人差や個 性を認めた上で研究を進めることが一般的である。

このように現在の環境心理学においては、外的世界の対象と内的世界の全体的印象とが 何らかの対応性を持っており、外的世界の刺激と反応との関係、つまり刺激ー反応の関係 を数量的もしくは質的に明らかにして、内的世界の全体的印象を推論しようというもので、

これらの前提も、先ほどの脳神経学や脳内生理学の研究が進み、膨大で複雑な脳内におけ る情報の内的処理のルールが解明されれば、

実証性のある研究が行えるものと考えられる。

このような前提の詳細が明らかとされ、 より

しかしながら現在の環境心理学においては、 このような前提はあるものの、物理的事象

(刺激) とそれに対応する心理学的事象(反応をもたらす内的過程の結果) との間の数量的 関係を明らかにし、科学的な方法論と手法に基づく論拠からの裏付け、検証あるいは反証 が可能となっている。

そこで美に対して論拠ある自然科学的にアプローチをしようとすると、前述の脳神経学 や脳内生理学のような医学の分野でのアプローチか、本研究のような心理学的手法を用い た環境心理学あるいは同じような心理学的手法を用いた、心理学的美学によるアプローチ

ぐらいしか見いだせない。

したがって、現在美に関して自然科学的にアプローチするのであれば、底学的な研究の 進歩を待つ以外では、環境心理学をベースとした本研究のようなアプローチは大変有意義 で、妥当性のあるものと言える。

30 

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第 2章美に関する考察

またこの環境心理学における研究の領域を見ると、次の3つに大別できる 6)。すなわち、

I.人がその周囲をとりまく環境の情報をどのように受け止めているかという 環境知覚・認知に関する研究。

II.環境からの情報を処理してどのように評価、判断するかという環境評価に 関する研究。

III. ある環境で生じる人の行動の特性に焦点をあてた環境内の人間行動に関する研究。

これらは、それぞれ独立した領域ではなく、相互に関連しあったものであると考えられ ている 6)

まず、 I.の「環境知覚・認知に関する研究」は、環境に対して人々が抱くイメージを 左右する要因の検討、環境知覚と社会文化的な要因との関連の検討などが研究対象である。

n.の「環境評価に関する研究」は、環境を構成する要素の記述的分類にはじまり、物 理的空間や場所に対する情動的評価などが研究の対象となる。

III.の「環境内における人間行動に関する研究」は、ナワバリ (territory)意識とパー ソナリティ特性との関連の検討や、対人的距離とプライバシーとの関連の検討などが含ま れる。

当研究は、 n.の「環境評価に関する研究」に属するもので、 S D法(「S D法→因子分 析」)や評価グリッド法を用いて、美しい空間の印象評価実験を行うことで、人々の美的価 値観を抽出し、最終的には、設計者やデザイナーが美しい空間を創造する場合の、美の基 準となるようなデザインコードを提案しようというものである。

そこで次章では、 S D法(「S D法→因子分析」)を用いた印象評価実験による、現代日 本人の美意識に関する実験を行い、日本人の美意識の検討・考察することで、 4章におけ る評価グリッド法を用いた、インテリア空間における人々の美的価値観の抽出のための実 験の基礎資料とする。

31 

参照

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