公立歴史館のその周辺
著者 吉田 豊
雑誌名 関西大学博物館紀要
巻 1
ページ 211‑220
発行年 1995‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/16503
日本博物館協会の統計によれば九四年現在︑三千館余りの博物館があ
るらしい︒統計に含まれない小規模な施設や︑類似機能を持つデパート
︵催し物会場︶︑ギャラリーなども入れれば︑総数は五千館︵会場︶とも
いわれる︒なかでも公立の歴史系博物館︵歴史館︶の数は多く︑その中
心は市町村立の地域博物館である︒
行政の横並び式に歴史館が作られた結果︑どれも同じようであり面白
みもないといった批判がされる︒特に︑大都市圏にある市町村立のもの
がそうである︒これらの歴史館のなかには︑やがて統廃合の対象になる
ものもあるだろう︒その対策として︑他館に負けない華やかな特別展や︑
体験学習︑ミュージアム・コンサートなどの普及活動を今以上に頻繁に
開催し︑アミューズメント化をはかっていくということになるのだろう
か︒市町村でも今後増えると思われる文書館や教育・文化系情報センタ
ーとの関係は︑どうなるのか︑などについて考えてみたい︒
なお本稿では︑地域博物館や郷土館︑歴史民俗資料館︑産業史博物館
一変身する博物館 公立歴史館の行方
特別展覧会には︑主催者と会場との関係によって︑博物館自身が企画
する﹁自主企画展﹂と︑大手新聞社の企画事業部などの外部組織が博物
館で行う﹁持ち込み展﹂がある︒また︑新聞社などがデパートの催し物
会場を借りて行うデパート展もある︒
持ち込み展の場合︑博物館は単なる貸し会場にすぎず︑そこに一括し
て持ち込まれるパック展であり︑巡回展として東京を中心に数ヵ所の博
物館を巡回することが多い︒自主企画展ではあるが宣伝のため特定の新
聞社に補助してもらう場合でも︑博物館は貸し会場でしかない場合でも︑
博物館と新聞社が﹁共催﹂者として名を連ねるために外見上は区別がつ
かない︒現実には様々な折衷型があり︑どのように協力し合うかがポイ 等の歴史系博物館を﹁歴史館﹂と略称するが︑大都市圏の市立博物館を主な対象として考えたい︒また﹁博物館﹂と呼ぶ場合︑美術館を含む人文系博物館を主な対象とし︑時に自然科学︵理工・自然史︶︑動植物を含めた全体を指して用いたい︒
二特別展の功罪 吉田豊
一一一一
ントであるが︑ここでは単純に︑公立歴史館の自主企画展と新聞社の持
ち込み展を対比してみたい︒
持ち込み展には︑利点が多い︒民間主導による動きやすさがあるので︑
公共機関では実施しにくい海外作品展が可能となり︑利用者︵入館者︶
は名品を見る機会が増える︒新聞社は宣伝が得意なため︑入館者が増え
る︒博物館の負担が軽くなり︑体力に自信がなくなりアイデアも枯れて
きた学芸員には︑救いの神でさえある︒
一方の自主企画展にも利点があるのは当然のことであり︑いちいち触
れないが︑要はバランスよく行われることが理想である︒館ごとに異な
るが︑現状はやや持ち込み展の比重が大きすぎるのではないかと思える︒
持ち込み展には美術系の展覧会が多いが︑適当な広さの会場を持つ美
術館が見つからない場合など︑歴史館で行われる︒歴史系の学芸員が美
術展の担当となるというような︑笑えない事態もでてくる︒新設の歴史
館には︑これに備えて巡回展を受け入れられる会場の広さだけは確保し︑
美術系の学芸員をそこに配置するという用意周到なところもある︒
表に出てくる市民要求や行政による地方文化振興策としては﹁郷士﹂
館の設置や歴史系の自主企画展を望む声が強いが︑一般市民の利用度か
らいえば美術館での美術品鑑賞の方が圧倒的に多いというギャップも︑
歴史館と歴史系学芸員にとって持ち込み展を必要に受け入れざるをえな
い要因である︒
憂うべきは︑持ち込み展の開催が︑長期的に見た時に地方︵地域︶文
化の振興に結びつきにくいということである︒ある程度の全国均一なレ
ベルを要求きれる図書館︵大学もそうであろう︶や︑中央・地方の別が あまりない芸術分野での独自文化の振興には限界がある︒設立目的の上からも︑数の多さからも︑公立歴史館が地方文化振興の核の一つとなるべきであるが︑その歴史館が中央の企画による巡回展を受け入れすぎるのは問題だろう︒地方の自立や自前の人材育成が必要であるが︑持ち込み展がそれに役立つとは思えない︒
高額な入館料をとる持ち込み展が増えることも︑無料を原則とする図
書館などと較べてバランスを欠く︒
また︑その盛況が博物館本来の業務に結びつくものとは思えない︒パ
ック化して持ち込まれる企画展など︑相手次第のその場限りの事業にな
りやすい︒これに対し近現代美術館では︑協同企画の巡回展︵新聞社の
それとは異なる︶を行ない成果をあげつつある︵最大組織である﹁美術
館連絡協議会﹂などが大手新聞社内に事務局を置いていることに︑やや
疑問も感じるが︶︒地域の独自性が強い歴史館では︑他地域の紹介展・
比較展︑同等規模の所蔵品を持つ館同士の交換展などが精一杯であり︑
ざらに努力するべきだとは思うが︑未だ成果は少ない︒
たとえ自主企画展であっても︑展示品のほとんどは借用品である︒貸
し借りを契機とした他館との交流や︑目新しい企画イベントを行うこと
による活気はあっても︑資料の借用・返却で精一杯となり︑まともな調
査研究ができなかったり︑単発的な記念講演会以外の普及活動と結びつ
いていかないといったことになる︒この点︑同じ人文系博物館でも︑自
他ともに企画展を柱と認める近現代美術館とは異なる︒
多くの新設まもない歴史館では︑このような借用展を避け︑収蔵品の
みで特別展を開くことは不可能であろう︒積み重ねによって充実がはか 一一一一一
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常設展示とは︑公開施設において︑特定の資料を常に展示していると
いう意味だろう︒短期展示である特別展に対して︑長期展示の普通展で
あり︑基本展示ということになろう︒
基本展示の長所として︑次のようなことが考えられる︒第一に︑来館
前に電話等で確認しなくても︑目当ての展示を常に見ることができる︒
第二に︑不変な部分︑基本的な部分があることによって︑特色や個性を
主張しやすい︒第三に︑前述のとおり特別展偏重は好ましくなく︑収集・
普及・調査等との関連付けができる︒
複製品やカラーパネルを多用した新設歴史館の常設展示は︑すっきり
として美しく︑一般に好まれやすいが︑飽きられもしやすい︒展示の見
方として︑初めての場合は全体の流れを把握してもらうため︑通史的に
みて欠けているところがないように複製・復元品中心で︑解説も短い方
がわかりやすくていいのかもしれない︒しかし二回目以降は︑興味のあ
る部分を中心に資料そのものをじっくり見たいという利用者もあるだろ
うし︑その場合は︑実物中心で解説も詳しい方がいいということになり︑ れ蓄積となるような展覧会活動を︑長期的視点で一つでも多く行っていくしかなく︑利用者の理解と協力も不可欠である︒
新聞社などの巡回展が︑美術鑑賞の機会を広げることによって全般的
な文化振興に大きく貢献してきたことは評価されるべきだが︑博物館側
はそれに頼りすぎてきたのではないだろうか︒
三常設展示と資料収集
兼ね合いが難しい︒常設展示といえどもリニューアルは必要である︒複製品やパネル展示
中心の場合︑数ヵ月単位の頻繁な展示替えは不要かもしれないが︑逆に
一目でわかる程度に大規模な展示替えを一○年単位で行う必要があろう︒
博物館展示の画期となったのは︑七七年に開館した国立民族学博物館
︵民博︶の優れた展示手法だろう︒一定の大きさの格子状パネルを組み
合せた展示具によるシステム的な展示である︒しかし民博と較べてレプ
リカが多い新設館では︑展示装置ばかりが目立つものになりやすい︒大
型の展示具を有機的に配列した場合︑展示更新がしにくいという制約も
ある︒公立歴史館の通史展示にそれが多い︒全国から入れ替わり来館者
がある観光地の博物館であれば︑資料保存のための最低限の展示替えだ
けで済むかもしれないが︑通常の場合︑人的・経済的余裕のない小規模
館では︑システム展示が活性化を阻む大きな制約となりかねない︒
一方︑既存館の常設展示は古臭く︑そこに並んでいる資料が実物中心
の場合︑資料保存上から一︑二ヵ月ごとの展示替えが必要だったり︑利
用者にとっては暗くて見えにくかったりといった制約がある︒通史的な
流れを示せるほどには実物が揃っていないので︑資料の羅列になりやす
い︒不足する実物がごく一部であればレプリカを参考として置くことも
できるが︑同数に近くなると︑両者の良さを殺し合うことになりかねな
い︒実物陳列か複製展示かの二者択一による割り切りも必要であり︑実物
の揃わない新設館では後者を選ぶしかない︒
実物陳列の代表が︑東京国立博物館︵東博︶だろう︒東博は歴史館で
一一一一一一 l 上1
’
はなく美術館︵古美術館︶であろうが︑日本を代表する人文系博物館で
ある︒その中心をなす本館の基本展示は︑彫刻・工芸・絵画・書跡に分
かれている︒背景装置などがほとんど使われない︑資料本位の陳列であ
り︑時代別ではないので︑それぞれの専門家でないとわかりにくいとい
ったことがある︒しかし︑全てを満たす展示はありえない○古美術館を
兼ねた歴史館の場合︑資料本位の基本展示に徹するのも一つの見識であ
ろう︒
博物館が実物資料を収蔵・展示しようとするかぎり︑その取り扱いや
保存と公開の兼ね合いの問題を最優先に考えるべきである︒この場合︑
収蔵資料の内容によってその館の特色が決められざるをえないし︑当然
のことでもあろう︒美術品の収蔵施設として出発した世界の博物館史で
考えてみたとき︑収集・収蔵は博物館の原点である︒
現在のところはまだ特別展や普及活動のテーマも豊富であるように見
えるが︑それもあと一○年も経たないうちにマンネリ化し︑興味を持た
れなくなってくるのではないか︒地味で︑短期的には入館者が減るかも
しれないが︑収蔵品の充実をまず行い︑その上で博物館の運営を考える
といったやり方に︑そろそろ戻る方がいいのではないか︒
持ち込み展よりも自主企画展︑特別展よりも基本展示にもう少し力を
入れるべきであろう︒その実現・充実のためには︑調査・研究・企画や
実物資料の収集活動が必要である︒文化財の保護も︑公共機関の責務で
ある︒それらの有機的な結びつきをいかに達成するかは︑館を運営する
立場にある者の手腕次第であろう︒ 鑑賞型から参加・体験型へ︑あるいは普及機能の強化といったことが︑これからの博物館には必要だと言われることがある︒しかしそのなかには︑意外と実行しにくいものもある︒
たとえば学習機能について︑博物館法で博物館は社会教育施設の一つ
であるとされており︑すでに法制定︵一九五二年︶から数十年がたつが︑
これを強調した博物館は多くない︒学習レベルは︑小学生・一般成人.
専門家などで全く異なるはずであるが︑特定のレベルに対応する専門館
もまだ少ない︒
展示物を繰り返し見ることは可能であるが︑立ったままでの学習には
限界がある︒教育・普及活動が主体となるべきであり︑展示を大教室で
の講義とすれば︑教育普及は少人数でのゼミナールとでもいえるが︑こ
れを大勢に実施するのはお金のかかることであり︑一部の市民のみを対
象とした中途半端なものになりかねない︒
生涯教育を単純に色分けすれば︑探究型と技芸習得型に分けられるが︑
いずれにしても図書館やカルチャーセンターなどが既にあり︑専用の教
育・文化センターを造る自治体もある︒博物館において展示活動や調査
研究活動と関連が少ない教育普及を︑それを犠牲にしてまで行う必要が
あるのだろうか︒学校行事や授業内容との調整も難しい︒専門の教育博
物館や子供博物館が必要だろう︒
参加型の博物館として︑たとえば触れる展示の導入が考えられるが︑
四生涯教育への対応
一
一
一
皿
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実物資料は不可能に近く︑レプリカも傷つきやすく高価なものが多いし︑
持ち去られることもあり︑露出展示はしにくい︒マナー意識の向上がな
いとうまくできないことであり︑多くの利用者の積極性︑たとえばセル
フサービス的な意識が生まれなければ長続きしない︒必要だと言われな
がら友の会が半数以上の館にできていないのも︑自主的に運営されてい
る好例が少ないことが大きな理由の一つであろう︒
博物館の種類別に︑付加できる機能は異なる︒歴史館と美術館でも違
うし︑自然科学系でも理工館と自然史館では大きく異なる︒露出展示に
しても︑理工系や産業系の近代資料を扱う博物館ではむしろ当たり前の
ことであろう︒文字記録資料を閲覧させる文書館・図書館に対して︑モ
ノ資料を展示するということだけで︑三千余館に増えた全てを一括して
博物館と呼ぶことに︑かなり無理があるのである︒それを前提にした議
論でなければならない︒
体験機能としては︑近代美術館で素人から専門家までが幅広く行える
ワークショップ︵工房活動︶が有望なのだろう︒歴史館でも体験学習が
考えられるが︑人数が限定きれることが多い︒縄文や弥生時代を専門と
する考古館︵たとえば静岡市立登呂博物館の試み︶や︑民家などの体験
学習のしやすい民俗館︵たとえば千葉県立房総のむら︶であれば︑それ
に関する技術を理解することは︑その歴史館の展示や調査活動を進めて
いくうえで役立つのだろうが︑大半の歴史館では︑実施にかかるコスト
に見合うだけのものとはなりにくい︒
映像展示についても︑実物の横に接ぎ木のように視聴覚設備を据えつ
ける安易なものでは︑実物との間で価値が相殺しかねない︒博物館が収 特色ある博物館が求められる傾向にある︒一例として︑娯楽を目的とした歴史館について考えてみたい︒
仕事が生き甲斐というタイプの人間は︑日本では少なくなってきてい
る︒娯楽という言葉に抵抗感があればアミューズメント型と置き換えて
もいいが︑特に大都市圏では知的娯楽センターが今後ますます求められ
るだろう︒学習を進めるためにも︑娯楽の要素は必要である︒
公共の場合︑教育関係の施設利用や講座受講などは実費負担程度か無
料であるのに対し︑文化施設の利用料は︑公共でもほとんど有料である︒
娯楽となると︑その代表である遊園地に公共施設はほとんどない︒学習 蔵・展示する資料は︑実物が本来あった環境から切り離されている︒環境と一体化した世界そのものを保存しようというエコ・ミュージアムが今後増えてくるだろうし︑制約の多い実物保存を離れて︑疑似環境を体験できるバーチャル・リアリテイを活用する試みも出てこよう︒新しいタイプの博物館が必要である︒
誤解されると困るが︑既存の歴史館が力を入れようとしている体験学
習会などの普及事業を不要だといっているわけではない︒たとえば小学
校時代における身近で具体的な歴史教育は必要であるし︑学校教育と調
整しつつ歴史館のやるべき事業であろう︒しかし歴史館に求められる役
割は︑この他にも多い︒限られた人員と予算のなかで︑何を行うべきか︑
真剣に考えられなければならない︒
五娯楽館の必要性
五
美術館の場合︑付帯施設の充実によるアミューズメント化をはかり︑
豪華な雰囲気をたかめる必要があろう︒しかし︑原色図版の美術写真集
がいつでも見られる時代である︒展示等の中核部分は実物中心でないと
だめだろう︒実物と︑それを見せる落ちついた雰囲気が大事である︒
これに対して歴史館は︑ガラスケース内に実物を陳列するだけでは理
解してもらいにくい場合が多い︒中核部分も含めた︑思い切ったアミュ
ーズメント化が必要である︒中途半端にするよりも︑地味な割りにお金
もかかる実物資料の収集・保管を最初からしないと決めて︑身軽になっ
た方がいい︒いわゆるテーマパークであるが︑東京ディズニーランドや
ハウステンボス︵長崎オランダ村︶を︑民間によるそのさきがけと見る
こともできよ諺っ︒
近鉄奈良駅に︑二三年ぶりに展示ホールを改装した﹁奈良歴史教室﹂
がある︒公立でも︑本格的な実物学習に至るまでの初心者向けの娯楽型
歴史館や大都市圏における都市観光センター的な歴史館があっていい︒
たとえば︑実物中心の館ではきわれるものは限られるし︑レプリカでも
精巧なものは実物以上に高価であり︑さわらせにくい︒楽しんでもらう
ことを第一とし︑多少精度が落ちてもいいからさわれるレプリカを展示
する︒学問的に多少問題があっても︑どんどんわかりやすい復元模型を
作る︒低価格の複製・復元品であれば︑学問研究の進展とともに廃棄・
更新することもできる︒ よりも文化が︑さらに娯楽が冷遇壁逆であり︑その結果として︑料金︵余暇を過ごすことになるのである︒ さらに娯楽が冷遇されているのであるが︑利用者の数は結果として︑料金の割りには質が低いレジャーランドで
情報化社会への対応は︑有形資料を扱う博物館といえども必要であり︑
それには研究型・学習型・地域型などが考えられる︒情報を操作する場
合︑①情報源の創造︑②その収集・整理︑③公開・提供・ネットワーク
化などがある︒大学は①︑図書館は②③中心であろう︒
博物館では③が送り手側の一方通行になりやすいが︑双方向とするべ
きである︒受け手側に﹁教育・普及﹂するのではなく︑いい語彙が思い
つかないが︑博物館法で言う﹁利用に供する﹂ための事業でなければな
らない︒また︑その実現のためには︑①②を中心とする研究型をまず目
指すべきである︒
研究型博物館としては︑考古資料を中心とするものが多いが︑まず大
学付属博物館が考えられる︒一般社会から見れば大学は公開性が少なく︑
専門に細分化されすぎている︒付属博物館は︑大学と市民とを結ぶ施設
の一つとなるが︑日本では質・量ともに少なすぎる︒これは人文系だけ
ではないらしく︑たとえば東大付属植物園の経費・研究者数は︑欧米の
一○分の一以下らしい︒
ネットワーク化する場合︑中央統制的にならないようにする必要があ
り︑各地方の自立が望ましい︒博物館だけでなく図書館などとの協力に
よる︑都道府県立以上の︑東北・九州といった大きな地方単位の国立の
情報館も必要だろう︒関西学研都市に予定される第二国会図書館︵情報
館︶が︑中央の分館でなく独立した施設となるよう︑また関西のみで終
六情報センター機能の充実
一一一一ハ本稿では歴史系博物館を単純に歴史館と呼んできたが︑これには古美
術資料も収蔵するタイプがかなりある︒一方︑学問的には歴史資料の中 わることのないようすべきであろう︒
情報が溢れ︑マルチメディア化が進んだとしても︑望みのものがうま
く取り出せない︑公正・公平な情報かどうかもわからないといった問題
が出てこよう︒求められる良質な情報を︑どのように公開すればよいの
だろうか︒国の場合︑大学共同利用施設である民博・歴博︵国立歴史民
俗博物館︶があり︑伝統ある東博のなかでは後発の付属情報センター︵資
料館︶が︑幅広い活動を展開しつつある︒県立では福岡の九州歴史資料
館︑宮城の東北歴史資料館などがあり︑考古関係以外では香川の瀬戸内
歴史民俗資料館など︑それぞれの特色を生かした博物館がある︒
地域歴史館での情報提供は︑借用品の場合の制約やモノ史料としての
多様性︑実物史料の保護などがあり︑公益性のある提供依頼に限定しな
いと対応しきれない現状だろうが︑生涯学習の推進のためにも︑情報公
開の枠を広げる努力は必要である︒当面は︑写真を揃え︑コピー・サー
ビスやマイクロフィルム閲覧などに応じられるくらいはしておくべきで
あろう︒
公正を期すためには︑公文書館と同じように︑公開に対する基準をは
っきりしておかないといけない︒学芸員︵研究員︶の確保と︑大学の自
治のような政治的な中立性の確立が必要である︒
七美術館・文書館・図書館
心とぎれている古文書を収蔵する歴史館は多くない︒法的にも︑博物館法︵五一年公布︶が歴史︑芸術︑民俗︑自然科学等
に関する資料ということで︑動植物も含めて︑図書以外の資料を幅広く
対象としているのに対し︑文書資料は公文書館法︵八七年公布︶という
異なる法律によっているのである︒茨城県立歴史館や神奈川県立金沢文
庫︑京都市歴史資料館などは︑文書館と博物館を兼ねる数少ない例だろ
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美術的・歴史的に価値のある文化財の収蔵・展示施設であった博物館 O
から美術館や歴史館が分化してきたのであり︑その時点では近世文書な
どの古文書の文化財的価値が低く見られていたという歴史的経緯︑現用
公文書の情報公開運動のなかで文書保存の必要性が認識され︑古文書も
含めた文書館が作られるようになるのは後のことであるといったことか
ら︑止むを得ない面があろう︒活字図書についても︑日本では書跡に較
べて収蔵・展示対象になるものは少なかった︒
歴史館と美術館︵古美術館︶の間では︑目的や方法は異なっても資料
は共通するものが多く︑資料中心で動く博物館では︑一緒の方が効率的
なこともあろう︒しかし︑芸術性の高い資料でも︑歴史的には﹁絵そら
ごと﹂を描いたものも多い︒美術館が歴史の流れのなかに美術品を位置
付けるとしても︑歴史館とは似て非なる面がある︒文書館や図書館を兼
ねる歴史系博物館がほとんどないという現状が︑正常とは思えない︒
図書館が貴重図書の展示コーナーを設けたり︑文書館でもそのような
例があるように︑歴史館においても︑閲覧というやり方が難しい資料だ
けを展示するというような発想の転換が必要かもしれない︒しかし借用
七
これからの博物館は︑特色を強めて専門分化していくことが必要であ
る︒たとえば図書館でも︑地域︵郷土︶図書館︑歴史図書館︑美術図書
館などの専門館が必要である︒
一方︑歴史事象を統一的に把握したいという利用者にとっては︑文書
史料やモノ史料を別々にしか見れないというよりも︑ごく近くで︑関連
付けて見られることが望ましく︑複合化が求められる︒もちろん︑八二
年の行政管理庁の勧告にそって国立史料館を歴博に吸収するべきだ︑と
いった意味での複合化ではないし︑利用者にとっては複合化であっても︑
内部では組織を分けた方が仕事がしやすいこともある︒専門分化した施 品が多く︑保存の制約の多い古美術資料なども扱う歴史館では︑展示以外での公開は限定せざるをえない︒公開という目的は同じであっても︑運用面では文書館や図書館とは異ならざるを得ない︒民俗資料も︑大型不定型資料や藁製品などが多く︑閲覧が難しい分野であろう︒歴史館は資料を見せてくれないという︑歴史研究者の不満は解消されない︵たとえ誤解に基づく部分が多いとしても︶︒
文字史料による文献史学に対して︑歴史館がモノ史料による︑それと
は別の歴史学を構築する必要があると言われることもある︒文書以外の
モノ史料の収集・研究によって歴史学の幅を広げる効果はあろうが︑考
古・民俗の専門館以外の地域歴史館がモノ史料のみにこだわり︑中途半
端に地域史の全体像を描こうとすれば︑無理が生じよう︒
八専門化と複合化
設・組織が協同することによる複合化・総合化であろう︒地方における歴史館と公文書館との関係については︑前者が生活・文
化・産業等に関するモノ史料の収集・展示を︑後者が民間も含めた政
治・権利関係の公的文字記録史料を主な対象とした収集・閲覧を分担す
るというのが専門化であろうが︑内容よりもまず整理・収納を重視する
図書館の方が︑史料の保存・公開に適しているというようなケースもあ
る︒当面は設備と人材が整っているところで扱えばいいことだろう︒
文書館︑地域図書館︑考古・民俗・産業史等の専門館︑あるいは埋蔵
文化財センター等の専門館が整っていない地域では︑よくもあしくも歴
史館は複合施設として活路を見出すことができよう︒しかし︑専門分化
が進む中央レベルや大都市圏では︑それらの専門館の収集資料からは抜
け落ちてしまう﹁その他の歴史資料﹂︑特に不定型な史料を収集・保存
するのが歴史館独自の役割であるとするなら︑そこで復元できる歴史は
全体の一︑二割程度だろう︒
前述したように︑情報センター機能を付随させることが必要だろう︒
また︑娯楽機能としては︑観光センター的な博物館が︑これからの都市
観光︵まちづくり︶の促進のために大都市圏でも造られていい︒ただ︑
複合化・多機能化するよりも︑無目的化しやすいので︑これを既存の歴
史館に付随させることは難しい︒独立施設を造るべきだろう︒
専門図書館機能の充実も欠かせない︒町村合併で歴史的には様々な地
域を含みながら︑諸地域出身の住民を抱えて戦後急速に都市化した大都
市圏の市立館における大衆的な要望の多くが︑当該行政市の歴史のみを
知ることにあるとは思えない︒たとえ知りたいと思っても︑古代・中世
一
一
一
八
1
日本の博物館は写真撮影が禁止されているところが多く︑けしからん
と言われることがある︒欧米に比べ︑借用品が多い日本の博物館では︑
所蔵者の許可なしに撮影を認めにくい︒何故︑日本には借物館が多いの
かということを考えなければならない︒
税制の違いは大きな問題であり︑企業メセナ運動のみに頼ることのな
いよう︑是非解決してほしいことである︒コレクションとして実物資料
を多く所蔵する私立の博物館への︑公的補助︑民間の寄付なども︑もっ
と活発になっていい︒所蔵品のない公立博物館を作るよりも︑よほどま については︑地元に展示できる資料はほとんどない︒古文書でも︑大同小異であり︑活字化された資料などで補うしかない︒
図書コーナーを持つ博物館は多いが︑大規模でないと効果は小さいし︑
図書館と異なり有料入館者しか見れないというのもだめである︒小規模
な余地しかなかったり︑近くに地域図書館がある歴史館であれば︑休憩
コーナーなどに軽い内容の図書をバランスよく置く方がましだろう︒
小規模な複合館では雑芸員であることも必要かもしれないが︑大規模
な歴史館ではアーキビストや司書が必要だろう︒横並びの公立歴史館の
乱立は︑専門分化の流れに反する部分が大きいのだから︑歴史館に文書
館や図書館機能を付随きせるといった拡張主義でなく︑文書館や図書館
に歴史館を付属きせるといった発想の転換も必要だろう︒いずれにしろ︑
同じ歴史資料を扱う文書館や地域図書館との協力は欠かせない︒
九その他の課題
しである︒また︑地元にある史料の散逸を防ぐためには︑公立文書館の設置を優先すべきかもしれない︒公立博物館の収集対象が広範囲なモノ資料であり分類学が未発達なた
めか︑借物展に追われているせいか︑資料保存方法を積極的に研究して
いる学芸員はまだ多くない︒入館者の増加と結びつきにくい割りに実施
にはお金がかかるので︑上層部も無理解・無関心となりやすい︒収蔵庫
は二重扉で厚い壁の土蔵のような構造とし︑桐箱などに入れて保管する
のが最も安全な方法であろうが︑野外に放置するよりはましな程度の所
もある︒
保存科学に対して素人ばかりが中心になって博物館を建設するのだか
ら︑当然のことかもしれない︒たとえ設備が良くてもそれを扱える人間
がいない場合は︑もっと危険である︒
大型物の多い近代資料や民俗資料等について︑図書館や文書館のよう
に︑専門職員の権限によって資料を取捨選択し廃棄するシステムが確立
していないことも︑収集・保存活動を不活発化させている︵廃棄するの
がいいと言っているわけではない︶・
開設時の企画や建築設計の仕方にも問題があろう︒公立博物館の展示
シナリオの作製を依頼きれる委員︵委員長が後に非常勤館長になること
が多い︶が︑大学関係の学識経験者中心の場合︑文字︵言語︶情報に基
づいたものとなりやすく︑実際に展示物を並べようとするとレプリカで
も揃わないといったことになりがちであり︑解説パネルの多用となる︒
建築設計以前に経験豊富な学芸員を配置するという当たり前のことを行
った博物館︵を設置しようとする自治体︶は︑ほとんどない︒
一 一
一
九
学芸員にそのような委員や館長になれるだけの人材が育っていないと
いう︑いわゆる学芸員の資格・資質問題も︑博物館運営の大きな妨げと
なっていよう︒遅れてスタートした文書館がアーキビスト制を整えよう
と努力しているのに対して︑公立歴史館などの博物館学芸員は行政内研
究者︑雑芸員でしかないといった実態の解消は一向に進んでいない︒図
書館においても︑一般図書を扱う司書の他に︑専門分野別の資格を考え
るべき時だろう︒
学芸員相互の交流・研修を主目的として八○年に発足した西日本人文
系学芸員研究会のほか︑各地に歴史系学芸員の自主的な研究会があるら
しい︒館単位でも︑そろそろ歴史館・文書館等の連絡会議のような集り
をもってもいいのではなかろうか︒
紙数の制限もあるので細かい説明は省き断定調に記させてもらったが︑現
状を分析しきれない︑まとまりのない話しに終始してしまった︒雑誌﹃博物
館研究﹄﹃地方史研究﹄所収の諸論考などを︑適宜参照させていただいた︒
菅原壽雄﹁人文系博物館﹂︵﹃博物館白書﹄日本博物館協会︑九三年一○月発
行︶の主張には共鳴するところが多かった︒また︑﹃博物館ハンドブック﹄
︵雄山閣︑九○年四月︶は︑全体を把握するのに便利であった︒博物館の問
題点は︑これらの白書やハンドブック︑大著﹃博物館学講座﹄全一○巻︵雄
山閣︑七八八一年︶などにほぼ網羅されており︑いささかでも新視点を添
えることができたかどうか心許ない︒
追記
天災は忘れた頃にやって来るというが︑本稿校正中の一月一七日早朝に起
こった兵庫県南部地震︵阪神大震災︶は︑衝撃的なできごとであった︒
近畿の都市部を襲った大地震として有名なのが︑一五九六︵慶長元︶年九
月の深夜に起こった伏見地震であろう︒建築中の伏見城が傾き︑堺の町屋多
数が倒壊したことなどを︑山科言経の日記によって知ることができる︒
イエズス会宣教師のフロイスは︑兵庫津︵神戸市︶の様子を次のように報
告している︒﹁今回の地震は非常に激しかったため市の大部分が崩壊し︑人
々の言うところでは間もなくその大部分が火災に遭ったとのことである︒す
なわち崩れ落ちてゆく竈から火の手が上がり︑乾燥した材木に火が燃え移っ
て火は風の勢いで完全な姿で立ち並ぶ家々をも檸猛に焼き尽くしたのであっ
た︒﹂︵松田毅一監訳︑家入敏光翻訳﹃一六・七世紀イエズス会日本報告集﹄
第1期第二巻︶・
今回の地震では︑東京や大阪からの情報ばかりで現地の情報がなかなか伝
わって来なかったことが︑救援活動を遅らせた原因の一つとされているよう
に思う︒
人口密度が高いほど︑被害や混乱も大きく︑東京への一極集中は是正され
なければならない︒政治・経済だけでなく︑地方の文化振興や創造的情報拠
点づくりに︑地方博物館も努力する必要があろう︒
○