一九九七年フランス総選挙
その他のタイトル Elections legislatives de 1997 en France
著者 土倉 莞爾
雑誌名 關西大學法學論集
巻 48
号 3‑4
ページ 577‑602
発行年 1998‑12‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00024492
一九九七年フランス総選挙
土 倉
莞
爾
者 と
︑ フランス第五共和国憲法は第一二条に﹁大統領は︑首相および両院議長に諮問した後︑国民議会の解散を宣するこ
( 1 )
とができる﹂と定めている︒議会解散は大統領の自由裁量権に属するというメカニズムになっているわけである︒今
までの大統領は︑政治危機を操作する︵ド・ゴールが一九六二年と一九六八年に行った︶か︑大統領選挙の勝利を完
成させるべくただちに議会多数派を選挙民に要請するために︵ミッテランが一九八一年と一九八八年に行った︶この
( 2 )
権限を成功裏に行使してきた︒後者の選択は一九九五年に大統領に選出されたシラクにも可能であったが︑彼を支持
する党派がすでに議会多数派であったために︑彼はそれをしなかった︒彼の意見では︑本当の危機状況の時にのみ解
( 3 )
散のメリットがあることになっていた︒
一九九七年四月ニ︱日︑国民議会を解散することを︑決断した︒総選挙で与党の政権基盤を固め︑
九九年の欧州通貨統合への参加に向けて︑緊縮財政路線を進める狙いがあった︒ただし︑最初から懸念されていたこ
( 4 )
とであったが︑失業率上昇など国民の不満が高い中での総選挙は︑シラク大統領にとって大きな政治的かけであった︒
一九九五年の秋以来︑ジュペ内閣はストライキの波や社会不安に直面していた︒それらは政府の財政赤字を削減し
たり︑公共支出を縮小したり︑国家の役割を減少させようとする政策に対応したものだった︒失業者が戦後最高の三
百一二十万(︱ニ・五%︶に達するするに及んで︑シラク大統領とジュペ首相の支持率は下がっていった︒このような
状況の中で︑与党陣営の中でも前大蔵大臣の
UDF
︵フランス民主連合︶のアラン・マドランのような経済自由主義
( 5 )
一九九五年大統領選挙のさいの公約であった﹁社会的裂け目﹂の矯正にそった政府のいっそうの社会政策を主
一 九
九 七
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ス 総
選 挙
シ ラ
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統 領
は ︑
1 0
三
︵ 五 七 九
︶
張する
RPR
第四八巻第三•四合併号
︵ 共
和 国
連 合
︶
のセガンのような人たちの対立が表面化した︒にもかかわらず︑四月ニー日の時点では︑
( 6 )
一九九七年総選挙における与党の勝利を予想していた︒
フランスは通貨統合参加のため︑九七年の財政赤字を国内総生産
( G
D P
)
歳出抑制のための医療保険支出などの社会保障予算を削減する一方︑増税策も打ち出しており︑国民の不満が高まっ
ていた︒シラク大統領は当初予定の九八年総選挙に向け︑内閣改造を実施し︑与党内の体制を固める考えだったとさ
( 7 )
一気に解散へと傾いていった︒
五月五日︑総選挙は公示された︒それまでの世論調査では与党の保守・中道連合が社会党を中心とした左翼勢力を
リードしていて︑改選前の議席を減らしながらも過半数を獲得する見込みとなっていた︒しかし︑与党が進めている
欧州通貨統合に向けた緊縮政策に国民の不満が高まっている中で︑四分の一がまだ態度決めていないとされた有権者
( 8 )
の動向次第では︑不確定の要素もその時点では強かった︒
五月二五日の投票まで二週間となった時点では︑欧州通貨統合推進を唱える与党の保守・中道連合がリードを保っ
て来ていたが︑社会党を中心とした左翼勢力が追い上げ︑接戦の様相となってきた︒保守中道連合が勝利した場合︑
緊縮政策が続くのは確実なため︑雇用拡大や景気浮揚策を求める国民の票が左翼支持へと流れており︑与党陣営は苦
しい戦いを強いられることになった︒その当時︑調査機関 IPSOS が発表した世論調査によると︑保守・中道の予
想獲得議席は二九 0 と︑過半数を一議席上回るだけで︑社会党二六四︑共産党二二となっていたから︑まさに僅少差
であった︒シラク大統領は︑大統領当選の二周年に当たる五月七日︑
︵ 五
八
0 )
の三%以内に押さえなければならない︒
しよう﹂というメッセージを発表した︒大統領はその中で﹁フランスは過去にいい選択をしたとは限らない︒企業国 れる︒しかし︑与党内から早期解散の声が強まり︑ 世論調査によると︑
一 五
0 議席の減少にもかかわらず︑ 関法
一四の地方紙に﹁フランスの新しい飛躍を共有
1 0
四
1 0
五
有化が成功につながり︑公共部門の大きさがサービスの質につながると錯覚していた﹂と社会党を批判した︒そして︑
( 9 )
小さな政府による経済活性化を目指す連立与党を支持するようとくに求めた︒
ただし︑世論調査会社
BVA
が︑五月一七日︑発表した最終調査結果によると︑与党の予想議席数は三 0 二で︑左
翼陣営の二五二に対して五 0 議席リードした︒フランスでは︑投票日直前の一週間は世論調査結果の公表が禁じられ
( 1 0 )
ており︑その日の発表が最後となった︒この調査結果をどう見るかは︑興味深い︒当時の報道では︑左翼勢力の息切
れ︑社会党と共産党の内部温度差の露呈と言われていた︒しかし︑ IPSOS と
BVA
の調査と評価の違いと解釈で
きるのではなかろうか︒ここで︑さしあたり︑付言すれば︑それはジュペ首相の不人気であろう︒社会保障カット︑
公務員削減など緊縮政策を敢行したせいばかりではない︒いかにもエリート然としたものの言い方が︑人々の反感を
買い︑支持率は三 0 %を割って︑かっての社会党の首相当時のクレッソンと最低を争うくらいであった︒閣僚の一人
( 1 1 )
が︑五月︱一日︑﹁首相はセガンでもいい﹂と口走るほどであった︒
選挙戦において︑社会党の掲げる政策にも一言しておこう︒問題は欧州通貨統合と失業問題であった︒単一通貨の
見通しにおいて︑セガンとジョスパンの間には大きな差異はなかった︒セガンは一九九二年の国民投票の時における
彼の立場をゆるめてあまり反マーストリヒトを言わなくなった︒他方︑ジョスパンの通貨統合の共通基準に対する留
保は︑ある種のヨーロッパ懐疑主義を表明していた︒失業問題は選挙民の重大な関心事であったが︑ここでもジョス
パンとセガンは大差はなかった︒社会党の公約は︑七 0 万の若者に公共部門と私企業部門に半数ずつ︑真の仕事をと
いうものであった︒さらに︑賃金低下を招くことなく︑労働時間を三九時間から三五時間に減らそうとするもので
( 1 2 )
あった︒なお︑緑の党は週三二時間を主張していた︒
一 九
九 七
フ 年
ラ ン
ス 総
選 挙
︵ 五 八 一
︶
結果は
︵ 五 八 二
︶ ( 1 )
阿部照哉・畑博行編﹃世界の憲法集﹄︹第二版︺︵有信堂︑一九九八年︶︑三六五頁︒
( 2 )
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( 3 )
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( 4 )
﹃日本経済新聞﹄一九九七年四月二二日
( 5 )
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( 6 )
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7 2 .
( 7 )
﹃日本経済新聞﹄一九九七年四月二二日
( 8 )
同︑五月五日
( 9 )
同︑五月八日
( 1 0 )
同︑五月一九日
( 1 1 )
同︑五月一八日
( 1 2 )
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7 7 .
フランス総選挙の第一回投票は五月二五日行われ︑即日開票の結果︑社会党︑共産党を中心とした左翼勢力が︑ R
P R と UDF
による保守・中道与党連合を上回る勢いを示した︒最終的な勝敗の行方は︑六月一日の第二回投票に持
ち越されたが︑シラク大統領と与党連合の苦戦は免れないところであった︒これは︑ 一九九九年からの単一通貨ユー
( 1 )
ロ導入に向けて取り組んできた緊縮財政などに対する国民の評価が厳しいことを示してもいた︒
( 2 )
︵ 表
1 )
をご参照頂きたい︒それによれば︑各勢力の得票率は︑左翼が四ニ・︱‑%に対して︑与党連合が 関法第四八巻第三•四合併号
1 0
六
表 1 1997 年総選挙第 1 回投票結果 本 国 海 外
ムロ計 有権者数 38,004,867 1,195,594 39,200,461 投
酉示数 26,036,937 602,299 26,639,236 棄 権 率(%) 31.49 49.62 32.04 無効投票率(%) 4.90 6.29 4.94 有効投票数 24,760,146 564,390 25,324,536
,,,,. 兄
派 得票数 有門夏効 舟 有数( 権% 者 比 ) 議席数 得票数 有鴨効 店 有数( 権% 者 比 ) 議席数 得票数 投有(序ん効 ) 比 有数( 権% 者 比 ) 議席数 右 翼 8,859,752 35. 78 23.31 7 295,980 52.44 24.76 4 9,155,732 36.15 23.36 11 R p R 4,081,116 16.48 10.74 4 174,555 30.93 14.60 3 4,255,671 16.80 10.86 7 u D F 3,684,937 14.88 9.70 3 38,679 6.85 3.24 3,723,616 14.70 9.50 3 L D I 708,636 2.86 1.86 1,128 0.20 0.09 709,764 2.80 1.81 右翼諸派 385,063 1.56 1.01 81,618 14.46 6.83 1 466,681 1.84 1.19 1
左 翼 10,461,676 42.25 27.53 202,813 35.93 16.96 1 10,664,489 42.11 27.21 1 社会党急進社会党 6,366,967 25.71 16.75 102,799 18.21 8.60 6,469,766 25.55 16.50 共 産 党 2,440,951 9.86 6.42 68,406 12.12 5. 72 1 2,509,357 9.91 6.40 1 緑 の 党 910,393 3,68 2.40 2,528 0.45 0.21 912,921 3.60 2.33 M D C 265,921 1,07 0.70 265,921 1.05 0.68 左翼諸派 477,444 1,93 1.26 29,080 5.15 2.43 506,524 2.00 1.29 極 左 549,914 2.22 1.45 2,110 0.37 0.18 552,024 2.18 1.41 極 右 3,812,797 15.40 10.03 9,722 1. 72 0.81 3,822,519 15.09 9. 75 F N 3,773,901 15.24 9.93 9,722 1.72 0.81 3,783,623 14.94 9.65 ェコロジスト 673,076 2.72 1.77 2,262 0.40 0.19 675,338 2,67 1, 72 緑 の 党 431,833 1.74 1.14 365 0.06 0.03 432,198 1,71 1,10
諸 派 402,931 1.63 1.06 51,503 9.13 4.31 454,434 1.79 1.16 4 i 122,552 0.49 0.32 122,552 0.48 0.31
I~~ ギ母 l'sll'¥; ヽベ瘤瞬批 1 0‑¥J (l‑i:1<111)
第四八巻第三•四合併号
︵ 五 八 四
︶
三六・一五%であり︑
F
N は一五
・ O
九%であった︒小選挙区二回投票制のため︑得票率は議席数に関係しないし︑
大半の選挙区は二回目の決戦投票の結果待ちであった︒出口調査などに基づく各種調査機関の予測によると︑最終的
に ︑ 緑 の 党 を 含 め た 左 翼 勢 力 が 二 六 三 ー ︱ ︱
1 0
三議席︑与党連合が二八七議席と予想された︒社会党のジョスパン第一
( 3 )
書記はテレビで﹁われわれの躍進は︑国民が左翼に将来を託そうとしていることを示している﹂と述べた︒
第一回投票で︑連立与党は予想外に苦戦し︑選挙戦を率いてきたジュペ首相は五月二六日︑責任を取る形で辞意表
明をした︒それだけではなく︑与党陣営は状況を変える戦術を取ろうとした︒マドランとセガンが連携する公的な場
( 4 )
が演出された︒右翼の異なった流派を一緒にする夢のチケットは︑どたばたの妥協と言えよう︒シラク大統領は︑五
月二七日夜︑六月一日の決戦投票を前に︑テレビとラジオを通じて国民に緊急演説をして︑苦境に陥っている保守中
道の連立与党を支持するように強く呼びかけた︒演説では二六日に辞意を表明したジュペ首相の後継候補を明示せず︑
与党を事実上大統領自らが率いる形で︑決戦投票に挑む姿勢を明らかにした︒大統領は︑第一回投票で棄権をした約
三割の有権者に︑﹁あなたがたは時代遅れの社会党に国を任せたいのですか﹂と警告して決戦投票で与党を支持する
( 5 )
ように呼びかけた︒シラクのこの光沢のない演説では情勢を挽回することは出来そうになかった︒かって五月七日に
( 6 )
﹁フランスの新しい飛躍を共有しよう﹂とメッセージを発表したシラク自身が飛躍できないことを示した︒
( 7 )
さて︑第一回投票の結果から何が読み取れるか︒まず︑投票率の問題がある︒これには︑︵表
2 )
をご参照頂きた
から見ると︑上昇している︒ここから︑八 0 年代末からフランスに感じられる民主主義の相対的無力が読み取れるが︑
年 の
最 近
一
0 年 間 に お け る 棄 権 率 の 平 均 は 一 = 二 % で あ り ︑ 一九七八年から一九八七年の一 0 年間の平均︑ニニ・四% い︒棄権率は︑たしかに一九八八年より低いとしても︑ 一九九三年に比べて上昇している︒ 一九八八年から一九九七 関 法
1 0
八
表 2 総選挙第 1 回投票における棄権率 動員されなかったことを意味している︒彼らは︑第一回投票で︑選挙期日が早められたことの正当性を確信しなかっ それは別として︑前回よりも棄権が多かったのは︑予想より早められたこの選挙に保守・中道派の有権者がほとんど
( 8 )
一九九三年の勝利後︑安定与党の四年間に対して︑棄権でもって狼狽を表明したのだった︒
次に︑﹁双極のカドリーユ﹂︵左右二大政治勢力ずつの四大政治勢力︶についてふれてみたい︒これは以前にも論じ
( 9 )
たことがある︒さて︑この四大勢力である
P C
‑%だった︒これは︑﹁双極のカドリーユ﹂︑すなわち政党システムの﹁中心勢力﹂の弱化を意味する︒そして︑それ
一 九
九 七
年 フ
ラ ン
ス 総
選 挙 1973 1978 1981 1986 1988 1993 1997( ) 年
1 0
九
︵ 共
産 党
︶ ︑
ps
は︑第一回投票で︑棄権︑無効投票︑﹁周辺勢力﹂の政党への投票の合計が︑有
権者総数の五六•四%に達するという結果になるのである。では、この「中心勢
カ﹂と﹁周辺勢力﹂を一緒にして︑古典的な左翼と右翼に区分してみると︑政治
的光景はかなり伝統的なものとなる︒第五共和制下の何時もと変わらず︵ただし︑
一九七八ー一九八一年の脱線は例外として︶︑右翼が五一・ニ%で︑新しい盟友
である緑の党を加えても左翼は四――-•四%であるから、右漢が大きく優勢である
ことになる︒左翼は一九八六年の四四%の水準にかなり近い︒そして右翼は︑
の に
対 し
︑ 今
日 で
は 一
︱ 1 0
%を占めている違いがある︒右翼における内部の亀裂と
た だ
し ︑
︵ 五 八 五
︶
一 九
八 八
年 は
F N
︵国民戦線︶が右翼全体の一九・六%を占めていた 九八八年の五 0• 五%にかなり近いことになる。 九%を集めた︒かってはどうかといえば︑
一 九
八 一
年 が
九 五
・ 一
% ︑
一 九
八 六
年 が
八 三
・ 一
% ︑
一九九三年が六八
︵ 社
会 党
︶ ︑
UDF
︑
RPR
︑は有効投票の六六
た し
︑
第四八巻第三•四合併号
異質性はますます重大になってきている。 FN を除いた右翼は三五・八%で、緑の党を含む左翼との差は四三•四%
( 1 0 )
の七・七%で左翼が優勢である︒
左翼に焦点をあてて︑第一回投票を見てみると︑社会党系の政党︵社会党︑急進社会党︑左翼諸派︶だけが︑
九三年にくらぺ︑本来の躍進をしていることになる︒これらの政党は合計二七・七%を獲得して︑
挙より五年間で七・六%前進したことになる︒八 0 年代の社会党が支配政党であった頃の状態︑すなわち︑
年︑三八・三%︑ 一九九三年の総選
一九八八年︑三七・六%には戻らなかったが︑社会党系の政党は七 0 年
( 1 1 )
代末の状態にまで回復したのである︒そして一九九三年の二
0 .
‑
%という疎外状況から脱却したのだった︒
次 に
︑ F
を除く右翼︑すなわち穏健右翼︑に焦点をあてて︑第一回投票を見てみると︑有効投票の三五・八%と N
いう数字は第五共和制下の右翼の記録で最も悪いものである︒前回の一九九一ー一年総選挙にくらべて︑八%︑二百万の
有権者を失っている︒悪い方のこれまでの記録は︑
F
との競争はなかったが︑社会党の躍進︵﹁薔薇の潮﹂︶に直面 N
録 ︵
﹁ 渇
水 状
態 ﹂
︶
一九八八年六月は FN との競争も加わり、四 0• 五%だった。これまでの最低記
( 1 2 )
の一九八八年より︑四・七%も下回ったのが今回の穏健右翼の得票率だった︒
穏健右翼はヨンヌ県を除くすぺての県で票を減少した︒ヨンヌ県は一九九三年左翼だった
J.P
ソワッソンの右翼
への移行が大きく︑右翼はニ・八%増加した︒しかし︑それ以外では︑穏健右翼から左翼への票の移動が重要となっ
た多数の右翼の地盤が存在する︒例えば︑ロゼール県の一四・九%︑オート︐ロワール県の一四・六%︑アヴェロン
県の︱二%の移動などがそうである︒他方︑穏健右翼票の低減が左翼に利益をもたらした県で︑
F
へ の 移 動 も 伴 っ N
ていた県として︑オート・マルヌ県︑ムーズ県︑オープ県などがある︒これらの地方では︑穏健右翼は︑左翼と
F N
した一九八一年六月が四ニ・九%︑ 一 九 八 六 年 ︑ 三 ニ ・ 八 % ︑ 関法
︱ I o
( 五 八 六
︶
一 九
八 一 九
( 1 3 )
の躍進によって︑押しつぶされた格好になった︒
いささかの例外はさておき︑穏健右翼の没落は重要であり︑いくつかの原因が考えられる︒無力な動員︑
F N の 強
化された競争力︑とりわけ
RPR
ー
UDF
連合と社会党が形成する政治システムにおける中心勢力の﹁選挙多孔性﹂
( p
o r
o s
i t
e e
l e c t
o r a l
である︒この﹁選挙多孔性﹂が︑ )
│UDF
連合の勝利をもたらし︑ 一九九七年にはその戻りがあったのである︒換言すれば︑﹁シラク主義への失望﹂
( 1 4 )
が投票移動の潮流を﹁社会党銀河﹂
( g
a l
a x
i e
s o c i
a l i s
t e )
へと誘導したのだった︒これは九五年大統領選挙の時に︑浮
( 1 5 )
動票の増大と選挙民の政党への忠誠心の欠如と指摘された問題にもつながってくる︒九五年大統領選挙で目立つのは︑
( 1 6 )
政権政党への不信と︑最初から死票を意識した異議申し立て票の激増である︒
次 に
F
N を問題にしたい︒
F
N は一五・ニ%で今までの総選挙の記録を更新した︒
は恒常的だった︒すなわち︑
九九七年に一五・ニ%という訳である︒九 0 年代になって︑その増加率はとくに著しい︒すなわち︑
一九九三年から一九九七年にはニ・六%の増加である︒
J.M
ル・ペンによって達成された
F
N の選挙における得票率の最高記録︑
F
は︑選挙において︑政党となり︑候補者の組織となった︒かってはそれどころではなかった︒大統領選挙におい N
( 1 7 )
てそうであるが︑議論の核心になったのは︑党首そのものだったのである︒
いて強力であった︒注目される増加率の大きい地域圏︑県として︑シャンパーニュ・アルデンヌ地方︵アルデンヌ県︑
一 九
九 七
年 フ
ラ ン
ス 総
選 挙
F
N はいたるところで躍進した︒
一 般
的 に
は ︑
ルアーヴルーヴァランスーペルピニャンを結ぶ線から東の部分にお
一 九
八 六
年 に
九 ・
八 %
︑
一 九
八 八
年 に
九 ・
九 %
︑
︵ 五 八 七
︶
一五・三%をほとんど破りそうである︒ 一九九三年にはニ・七%︑ 一九九五年の大統領選挙の時の 一 九 八 八 年 か ら 一九九三年に︱ニ・七%︑そして︑ 一九八六年以来︑得票率の増加 一九九三年には社会党票の穏健右翼への移動︑
つ ま
り
RPR
年総選挙にもあてはまる見解であるといえよう︒ 第四八巻第三•四合併号
六•五%、オートマルヌ県、七・八%)、
︵ 五 八 八
︶
ロレーヌ地方︵ムーズ県︑七%︑ヴォージュ県︑六・三%︶︑アルザス地方
フランシュコンテ地方︵テリトワール・ド・ベルフォール県︑六%︶︑
( 1 8 )
︵ロワール県︑六%︶があげられる︒ ローヌアルプ地方
も し
︑ F
N の高揚がこれからも堅持されるとすれば︑それは政権についた左翼の失敗が原因となるか︑古典的右翼︑
すなわち穏健右翼が自分の固有の基盤を再建することが出来なくて消滅した時であろう︒もし︑左翼と古典的右翼が
この暗礁を乗り切れば︑中央のプロックの中で行ったり来たりしている︑政治の新しい選択の光景を決定するかに見
( 1 9 )
え る 選 挙 民 に と っ て ︑
F
N は傍観者にとどまるであろう︒これに関連して︑九三年の総選挙︑九五年の大統領選挙の
( 2 0 )
︵
2 1 )
鍵となる特徴は︑﹁選挙民のばらばらな分裂﹂﹁投票の極端な分散傾向﹂であったとする見解もこれを延長して︑九七
( 1 )
﹃ 朝 日 新 聞 ﹄ 一 九 九 七 年 五 月 二 六 日
︵ 夕 刊 ︶
︒ ( 2 )
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‑ j u
i n
1 9 9 7 ,
D O
S S
I E
R S
E T DO C U M E N T S , P a
r i s ,
1 9 9 7 , p p
4 .
2 ‑ 4 3 .
( 3 )
﹃ 朝 日 新 聞 ﹄ 一 九 九 七 年 五 月 二 六 日
︵ 夕 刊 ︶
︒
( 4 )
P a
u l
H a i n s w o r t h ,
o p .
c i t . ,
p .
8 0 .
( 5 )
﹃ 日 本 経 済 新 聞 ﹄ 一 九 九 七 年 五 月 二 七 日 ︒
( 6 )
P a
u l
H a
i n
s w
o r
t h
, o
p . c i
t . ,
p .
8 0 .
( 7 )
D O
S S
I E
R S
E T DO C U M E N T S , p .
4 3 .
( 8 )
P a s c
a l P
e r r i
n e a u
L ,
e p r e m i e r
t o u
d e r
s e l
e c t i
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l e g i
s l a t
i v e s
e d
1
9 9 7 ,
R
e v
u e
f r a
n r a i
s e
d e
s c i e
n c e
p o l i
t i q u
e , V
o l . 4
7 , N
o .
3
‑ 4 , 1 9 9 7 , p . 4 0 5 .
( 9 )
拙稿﹁フランス一九九三年総選挙﹂﹁選挙研究﹄第九号︑一九九四年︑七九ー八 0
頁 ︒
︵ バ ラ ン 県 ︑ 六 ・ 九 % ︶ ︑ 関法
P . P e r r i n e a u , o p . i t . c , p p . 4 0 6 ‑ 4 0 7 . ペ
リ ノ
ー は
本 国
値 を
使 用
す る
︒
I b i d . , p p . 4 0 8
‑ 4 0 9 . I b i d . , p . 4 0 9 . I b i d . , p . 4 0 9 ‑ 4 1 0 . I b i d . , p .
4 1 0 . J o s e p h S z a r k a ,
0 p .
c i t . , p . 1 6 2 .
中木康夫﹁シラク政権の成立ー一九九五年フランス大統領選挙﹂﹃朝日法学論集﹄十六号(‑九九七年七月︶︑二三頁︒
P . P e r r i n e a u ,
0 p .
c i t . , p . 4 1 0 . I b i d . , p . 4 1 1 . I b i d . , J o s e p h S z a r k a , o p . i t c . , p . 1 6 5 .
中 木 ︑ 前 掲 論 文 ︑ 二 四 頁 ︒
立が前面に出て︑第一回投票でかなりの率に上った棄権票の再動員がはかられ︑票においても議席においてもきびし
い結果となったことである︒しかし︑今回の第二回投票と一九八八年のそれとの基本的な相違は︑
F
N の増大する政
治的存在感である︒第二回投票で
F
N が見せた体系的な組織維持政策は︑保守・中道の与党連合の敗北に大きな貢献
( 1 )
をした︒今回の第二回投票と八八年のそれの結果比較で︑まず注目されるのは︑両者とも左翼と穏健右翼の対決が三
( 2 )
九九の選挙区で行われたことである︒︵表
3 )
を参照されたい︒この三九九選挙区の対決は︑全選挙区の数の七二%
( 1 0 ) ( 1 1 ) ( 1 2 ) ( 1 3 ) ( 1 4 ) ( 1 5 ) ( 1 6 ) ( 1 7 ) ( 1 8 ) ( 1 9 ) ( 2 0 ) ( 2 1 )
一九九七年フランス総選挙 多くの点から言って︑ 一九九七年総選挙の第二回投票は︑
~ ︵ 五 八 九 ︶
一九八八年のそれに似ている︒つまり︑左翼と右翼の対
表 3 1 9 8 8 年以降総選挙第 2 回投票の構図 ( 人 )
フランス本国 1 9 8 8 年 1 9 9 3 年 1 9 9 7 年
第 1 回投票当選者 1 1 5 7 2 7
左翼 v s右 翼 対 決 3 9 9 335 399
社会党諸派 v s穏健右翼 3 8 7 2 9 5 3 6 9
内訳 緑の党 v s穏健右翼
゜ 2 1 4
共産党 v s 穏健右翼 1 2 38 1 6
FN 対決 , 8 4 5 6
社会党一諸派 v s FN 7 2 1 1
内訳 緑の党 v s FN
゜ ゜ 1
共産党 v s FN 2 1 1 3
穏健右翼 VS FN
゜ 8 1 3 1
穏健右翼内対決
゜ 3 1 2
三つ巴決戦 1 1 1 5 7 9
社会党諸派・穏健右翼 •FN
4 1 0 6 8 緑の党・穏健右翼 •FN
゜ ゜ 3
内訳 共産党・穏健右翼 •FN
゜ 2 5
その他の FN をふくむ三つ巴決戦
゜ 2 ゜
その他の FN 抜きの三つ巴決戦 7 1 3
単独候補 2 1 1 7 1 2
それ以外の状況
゜ 1 ゜
5 5 5 5 5 5 5 5 5 関法
第四八巻第三•四合併号
過去三回の総選挙の議席結果にたってさら
一九八八年総選挙の時に左蔑と
( 4 )
穏健右翼との差三二議席よりも倍以上である︒
過去三回の総選挙の議席結果を本国に限って
( 5 )
一 覧 表 に す れ ば ︑ ︵ 表
4 )
に な
る ︒
た ︒
そ れ
は ︑
ている︒左翼は穏健右翼を六六議席リードし して︑穏健右翼が二四四で︑
F
N が一となっ
みよう︒議席数であるが︑左翼が三一
0
に 対
て顕著な違いがある︒ 一九九七年第一回投票
当選者の減少は︑穏健右翼の影響力の低下と
( 3 )
社会党候補者の平凡な得票の結果である︒
フランス本国の第二回投票結果を分析して
した者が一︱五あり︑ 一九八八年
一九九七年の七と比べ
は第一回投票で過半数を突破して当選を決定 だ
︑ ︵
表
3 )
から分かるように︑
第二回投票の六
0 %と比較すると大きい︒た
にあたっており︑これは一九九三年総選挙の
︱ ︱
四
︵ 五 九
0 )
表 4 1 9 8 8 年以降総選挙議席結果
フランス本国 5 5 5 議 席
一 九 九 七 年 フ ラ ン ス 総 選 挙
1 9 8 8 1 9 9 3 1 9 9 7 変化指数
% % % 9 7 / 9 3 9 7 / 8 8
共 産
序兄 2 5 4 . 5 2 2 4 . 0 3 5 6 . 3 1 5 8 1 4 0
社会党/左翼諸派 2 6 8 4 8 . 3 6 3 1 1 . 4 2 6 8 4 8 . 3 4 2 4 1 0 0
緑 の , 兄 > U .
゜ ゜ 7 1 . 3
u D F 1 2 7 2 2 . 9 2 1 3 3 8 . 4 1 0 8 1 9 . 5 5 1 8 5
R p R 1 2 8 2 3 . 1 2 4 0 4 3 . 2 1 2 7 2 2 . 9 5 3 9 9
右 楓 諸 派 6 1 . 1 1 7 3 . 1 , 1 . 6 5 3 1 5 0
F N 1 0 . 2
゜ 1 0 . 2 1 0 0
全左翼十緑の党 2 9 3 5 2 . 8 8 5 1 5 . 3 3 1 0 5 5 . 9 3 6 5 1 0 6
全 穏 健 右 翼 2 6 1 4 7 . 0 4 7 0 8 4 . 7 2 4 4 4 4 . 0 5 2 9 3
に は
八
八 年
か ら
︑
︱ ︱ 五
ま ︑
,1 かったが︑第二回投票の結果︑ て ︑
一 九
九 七
年 の
果 結
は ︑
一九八八年の結果に類似している︒九七年
きた逆転の激しさがまず注目を引く︒今回︑
は︑九三年には二 0
八議席失っている︒そして︑九年間の期間を置い と八八年において︑奇しくも︑社会党二六八議席と
F N
一 議
席 は
同 じ
数になっている︒共産党は︑第一回投票ではあまり良い結果を出さな
一三議席増となり︑議会での一定の地 位を占めることになった︒穏健右翼において︑
RPR は UDF よりも
よく抵抗しているといえるだろう︒
RPR は一九八八年とほぼ同数の
当選者を出すことによって︑統一を保ったといえよう︒他方︑
UDF
一九八八年には
RPR
とほぼ対等の議席を得ていながら︑九七年
( 6 )
一九議席を失ったことになる︒
左翼は︑議席で言えば︑五六%を獲得し︑右翼は四四%であった︒
多数投票制によって左翼は明らかに議席増大の利を得ている︒左翼の 穏健右翼への得票数での優位は極めて弱く︑およそ五
0 万票に過ぎな
い︒左翼は有効投票の四八・ニ%を得ただけであるが︑穏健右翼は四 六・一%を獲得している︒第二回投票で穏健右翼は目覚しい躍進をし
︵ 五
九 一
︶
に分析を進めれば︑次のように言える︒
ニニ五議席躍進した左翼
一九九三年と一九九七年に起
まり九七年の方が︑八八年に比べて︑社会党は穏健右翼を直接叩いている訳である︒
第二回投票の七六の選挙区で︑左翼︵ないし緑の党︶︑穏健右翼︑
F
N の三つ巴の決選投票が行われた︒
を 除
い て
︑ F
N はすべての選挙区に出馬した︒結果は︑左翼四七︑穏健右翼二九︑
F
だった︒この四七議席は N は 0
決定的であるが︑これには
F
N の存在が大きくのしかかっている︒シラクの大統領選挙の時には︑第二回投票でル・
ペンの力が及ぶことはなかったが︑今度の選挙では︑第二回投票で四七の選挙区で左翼が勝利したのは︑穏健右翼に
( 9 )
とって第三者であるル・ペンが障害となったからであった︒
F
N への投票者たちが右翼の大義に合流しないというの
はあたらない︒そうではなくて︑
F
N は統一されていないのである︒右翼の議席獲得を複雑にしているのは︑
F N 選
( 1 0 )
挙民の多様性である︒
( 1 1 )
九七年の総選挙は一六年間に五度目の左右の政権交代を行わせた︒それらをここで振り返っておくと︑八一年が右
翼から左翼へ︑八六年がその逆︑以下︑八八年︑九三年︑そして九七年である︒このあわただしい短期の交代は︑第 で︑同じくニ︱ 0 議席を得ているが︑穏健右翼も︑ た︒穏健右翼は二八 0 万票増大したのに対して︑左翼は︱二 0 万票増やしただけだった︒第二回投票で一三二人の候
( 7 )
補者を立てた
F
N は︑五・七%だった︒
F
N はかなり後退した︒
F
N の存在が左翼の勝利のばねになったとする広まっている見解に反して︑社会党は︑決戦投票で︑穏健右翼に勝
るだけの政治的なダイナミズムを作り出すことに成功した︒第二回投票が行われた選挙区全体の七 0 %にあたる穏健
右翼との対決となった三六九の選挙区で、社会党は、五一・五%の得票を集め、敵方の四八•五%に勝り、議席数に
お い て ︑ ニ ︱ 0 対一五九となった︒これは五一議席のリードであるが︑ 関法 第四八巻第三•四合併号
一九八八年に比ぺると︑社会党は︑この対決
( 8 )
一七七議席獲得しており︑三三議席のリードに過ぎなかった︒つ
︱ ︱ 六
︵ 五 九 二
︶
一 選
挙 区
表 5 左翼勝利の過去 3 回の総選挙第 2 回投票得票率 1 9 8 1 1 9 8 8 1 9 9 7
左 翼 ( + 緑 の 党 1 9 9 7 ) 5 5 . 1 5 0 . 4 4 7 . 7
ェコロジスト 0 . 2 0 . 1 0 . 1
穏 健 右 翼 4 4 . 6 4 6 . 8 4 6 . 2
F N 0 . 1 2 . 7 6 . 0 100% 100% 100%
一 七
五共和制の︑政治的安定という今までのイメージを︑損なうものである︒選挙制度は一方
の他方への勝利を実際以上に拡大するだけではない︒それはフランス政治が陥っている
( 1 2 )
ヨーヨーのメカニズムを加速させているのである︒
社会党と穏健右翼の対決を考察してみると︑社会党の三四議席は五 0 ー五一・五%の票
で獲得されている︒ということは︑多数派を変えるためには︑有権者の
O ・
七五%が社会
党 か
ら ︑
RPR│UDF へ投票行動を変えれば良いことになる︒その差は僅少である︒し
かし︑八八年ではもっと小さかった︒そこでは過半数に達するために一七議席を変えれば
( 1 3 )
良かった。それは 0• 三%の票の移動で良かったのである。
左翼は一六年間に三度目の勝利をものにするという快挙を成し遂げた︒しかも︑今まで
の二度の勝利は大統領選挙での勝利の直後に行われた余熱もさめやらぬうちでの選挙での
それであったのにくらべれば︑今回の達成は見事であったといえよう︒しかしながら︑そ
( 1 4 )
の成功は左翼の選挙基盤での収縮を伴ったものであったことが重要である︒︵表
5 )
を見
ればわかるように︑三回にわたる左翼の勝利をもたらした選挙の第二回投票の得票率を比
較すると、八一年は五五•五%でかなりの勝利であり、八八年は五 0• 四%で微弱な勝利、
そして九七年は四七・七%で明らかに過半数に達していない︒新政権は︑過半数以下の有
権者の支持しか得ていないし︑野党勢力内の対立に助けられていることを考慮しなければ
( 1 5 )
な ら
な い
︒
一 九
九 七
年 フ
ラ ン
ス 総
選 挙
︵ 五
九 三
︶
関法
一五%の得票を獲得しながら︑現行の多数代表制では︑ 一議席しかないという事 第四八巻第三•四合併号
ここで︑どうしてもフランスの選挙制度︑多数代表制を問題にしなければならない︒それは一方の勝利を不当に拡 大するからだけではない︒選挙での勝利が一%以下の票で左右されるからだけでもない︒
F
N の政治思想がどうであ
れ︑それは︱つの政治勢力であり︑
( 1 6 )
実があるからである︒
F
N の問題は重要であるので︑以下︑節をあらためて問題にすることにする︒
( 1 )
J e r o m e J a f f r e ,
L a D
e c i s i o n e l e c t o r a l
e a
u s e c o n d t o u r : U n Sc r u t i n t r e s s e r r e , R e v u e f r a n , a z s e d e s c i e n c e p o l i t i q u e V , o l . 4 7 ,
N o .
3 ‑ 4 , 1 9 9 7 , p . 4 2 6 .
ジ
ャ フ
レ も
フ ラ
ン ス
本 国
の 数
字 で
分 析
す る
︒ ( 2 )
I b i d .
( 3 )
I b i d . , p p
. 4 2 6 ‑ 4 2 7 .
( 4 )
I b i d . , p p
. 4 2 9 .
( 5 )
I b i d .
( 6 )
I b i d .
( 7 )
I b i d . , p 4 . 3 0 .
( 8 )
I b i d . , p . 4 3 1 .
( 9 )
I b i d . , p . 4 3 4 .
( 1 0 )
P a u l H a i n s w o r t h ,
0 p .
c i t . , p p . 8 0
‑ 8 1 .
( 1 1 )
J e r o m e J a f f r e , o p . c i t . , p . 4 3 5 .
( 1 2 )
I b i d .
( 1 3 )
I b i d .
( 1 4 )
I b i d . , p . 4 3 6 .
( 1 5 )
I b i d .
( 1 6 )
I b i d .
︱ ︱
八
︵ 五 九 四
︶
︱ ︱ 九
一九九七年フランス本国での第一回投票で一五・一%の得票率をあげることによって︑ジャン・マリー・ル・ペン
一九九五年の大統領選挙の一五・三%にほぼ近い︑総選挙における最高の記録を達成した︒
一九八六年以 八八年の総選挙では得票率一九%に達したのはフランス本国全県の三分の一でしかなかった︒九三年にその割合は三 分の二となった︒そして九七年には四分の三となった︒
F
N が第二回投票まで持ち込んだ選挙区は九三年の一
00
か
( 1 )
ら 九
七 年
に は
一 三
︳ ︱
‑ と
な っ
た ︒
F
N への投票者が多いのは大都市とその郊外であるが︑それは住民が
F
N の治安と外国人嫌いの政策に共鳴を示す
からである︒逆に︑田舎や小都市の住民はそうではない︒
F
N はとくに農民層に支持が弱く︑四%という最も低い得
票率であった︒農民の
F
N への抵抗はどこから来るかというと︑ド・ゴール派の運動への彼らの特権的な関係︑農民
の社会的結合の強固なこと︑農民組合の力︑カトリック教会のゆるやかな影響などが考えられる︒ル・ペン主義が制
( 2 )
覇するのは︑社会的︑文化的︑政治的枠組みが風化してきている都市住民の不安が広がった地域である︒
F
N に多く支持をあたえるのは︑︵表
6 )
からもわかるように︑将来に不安をもつ小経営者と︑危機に瀕している
労働者である︒労働者の四分の一は
F
N へ投票している︒今まで一世紀以上にわたって︑労働者と経営者との闘争は︑
フランス政治の対立を構造化してきた︒その構造は︑自由業者や生産手段の所有者の大半を右翼へ︑労働者や賃金生
活者を左翼の方へと分化してきた︒ところで︑その論理は
F
N への投票には及ばない︒移民の排斥という共通目標が
昨日までの階級対立を解消したのである︒この﹁商店と工場﹂
( ! ' a t e l i e r e t e d l a b o u t i q u e )
一 九
九 七
年 フ
ラ ン
ス 総
選 挙
の 政
党 は
︑
の 結
合 は
︑
︵ 五
九 五
︶
一 九
八 六
年 と
四
表 6 総選挙・大統領選挙における F N 投票者の分類(%)
総 選 挙 大統領選挙
1 9 8 6 1 9 8 8 1 9 9 3 1 9 9 7 1 9 8 8 1 9 9 5
合 計 1 0 1 0 1 3 1 5 1 4 . 5 1 5 . 5
男 性 1 1 1 2 1 4 1 8 1 8 1 9
女 性 , 7 1 3 1 2 1 1 1 2
年 ム T l
1 8 ‑ 2 4 歳 1 4 1 5 1 8 1 6 1 6 1 8 2 5 ‑ 3 4 歳 1 0 , 1 0 1 9 1 7 1 8 3 5 ‑ 4 9 歳 1 1 8 1 3 1 5 1 7 1 5 5 0 ‑ 6 4 歳 , 1 0 1 3 1 5 1 1 1 7 6 5 歳以上 6 1 0 1 3 1 2 1 2 ,
職 業
農 業 1 7 3 1 3 4 1 3 1 6
商人,職人,企業主 1 6 6 1 5 2 6 2 7 1 4
上級管理職,知的職業 6 1 0 6 4 1 9 7
中 間 管 理 職 , 6 8 1 1 1 2 1 4
サ ラ リ ー マ ン 1 2 8 1 8 1 7 1 3 1 8
労 働 者 1 1 1 9 1 8 2 4 1 9 3 0
身 分
自 営 1 3 7 1 2 1 2 2 1 1 1
公営部門勤務者 8 , 1 2 1 2 1 1 1 5
民営部門勤務者 1 4 1 3 1 6 1 9 1 7 2 1
教 育 水 準
初 等 教 育 8 7 1 3 1 7 1 5 1 4
中 等 教 育 1 5 1 2 1 6 1 4 1 3 1 7
工業学校,商業学校 1 2 1 2 1 4 1 9 1 8 2 1
高 等 教 育 7 1 0 8 1 0 1 2 ,
宗 教
宗儀を守るカトリック教徒 7 5 1 2 7 7 1 0
宗儀を不規則に守徒 る カトリック教 8 1 0 1 2 1 2 1 6 1 2
宗俄を守らない カトリック教徒 1 2 1 1 1 3 1 8 1 7 1 8
無 宗 教 7 9 1 5 1 7 , 1 4
関法
第四八巻第三•四合併号
︱ 二
0
( 五 九 六
︶
来のあらゆる国政選挙で確証されるところであり︑
F
N の選挙における躍進のてことなったものである︒この意味で︑
大統領選挙での
F
N への投票において︑八八年には小商人と職人層が︑九五年には労働者が︑ともに一︱
1 0
%近くに
( 4 )
なったのは︑顕著な出来事であった︒
一九九五年︑大統領選挙の結果︑
F
N は﹁フランス第一の労働者の政党﹂であることをひけらかした︒
一 九
九 七
年
の総選挙では労働者票の二八%を獲得した社会党がその地位を奪い返した︒社会党は︑大統領選の労働者票の記録よ
り六%の前進で︑それはル・ペン票を食ったものだった︒しかし︑
F
N の労働者票が九五年の大統領選より比較的少
なかったとしても︑それは九︱︱︱年の総選挙よりかなり多いことが重要である︒九三年に比べ六%上昇し︑八六年総選
挙に比べると一三%も多いのである︒
F
N は今回の選挙で労働者票の二四%を獲得したが︑危機によって社会的にも
文化的にも恵まれず︑意気消沈している労働者︑彼らは今まで自分たちの防衛のために左翼の政党に投票していたの
( 5 )
だが︑彼らの票を予想以上に獲得したのが︑
F N で
あ っ
た ︒
F
N がフランスの選挙政治に登場するのは一九八四年のヨーロッパ議会選挙以降であるが︑
F
N の勢力地域は︑す
でに述べたように︑地中海沿岸から発して︑ ローヌ川流域をさかのぼり︑広大なパリ盆地を経由して︑
( 6 )
ならびに東部に達する半月形を描く地域である︒
一九九三年と一九九七年の総選挙の間に︑
F
N の得票がもっとも増えたのは︑
の地域では︑労働者票の五分の一から四分の一が動くことによって︑
F
N がさらに強力となり︑選挙結果において地
中海沿岸の
F
N と競争するようになった︒ただし︑今回の選挙における
F
N の増大は︑大統領選挙の時に見られたよ
うな︑労働者票の多いすぺての県に当てはまるわけではなかった︒
一 九
九 七
年 フ
ラ ン
ス 総
選 挙
フ ラ
ン ス
北 部
︑
フランス北部と北東部であった︒そ
一九八八年と一九九五年の大統領選挙では︑﹁左
︵ 五
九 七
︶
第四八巻第三•四合併号
ロ ︵ 五 九 八 ︶
翼ルペン主義﹂の出現が語られたくらいである︒九五年選挙では︑伝統的な旧型産業の地域で︑経済的社会的危機と
都市化の危機は﹁社会的亀裂﹂から真の﹁政治的亀裂﹂に転化し︑これらの地域では社会的にも政治的にも引きさか
( 7 )
れたことが論評された︒今回は︑それほど目立ちはしなかったが︑労働者の少ない南東部でも独立小企業者の票で F
( 8 )
N は躍進した︒ということは︑
F
N は労働者の世界にも企業家の世界にも根づいたことになる︒
今回の総選挙の第一回投票で
F
N の候補者に投票した有権者は︑﹁左翼でも右翼でもないと考えている﹂人たちの
ニ八%︑﹁どちらかといえば右翼﹂と考えている人たちの二0%︑﹁どちらかといえば左翼﹂と考えている人たちはか
なり下がって六%となっている︒とはいえこのような分布もたしかではない︒今回の総選挙に投票した有権者の三分
の一が﹁左翼も右翼もこの国を統治することはふさわしくない﹂と考えており︑その七二%が
F
N に投票しているか
らである︒経済危機︑統治者の失業問題への無策と彼らへの不信︑通貨統合の期限づけによって加速されるヨーロッ
パ建設に対する不安︑政党のクライエンテリズムや政治資金にまつわる諸事件は︑
F
N に有利に作用している︒左翼
が今回の総選挙で選挙民大衆の一部を奪回することによって勝利できたとしても︑左翼が引き起こした大衆の期待︑
( 9 )
とくに経済と社会の領域での期待を裏切ることがあったなら︑
F
N の勢力がさらに増大してゆく危険性はかなりある︒
F
N に投票した人たちの﹁政党的近親性﹂
( p r o
x i m i
t e p a
r t i s
a n e )
を問題にしたい︒﹁政党的近親性﹂とはどの党に
親近感を覚えるかを投票者に聞く調査である︒九五年の大統領選挙と九七年の総選挙の間に
F
に投票した人たちの N
中で︑左翼の党に近いと述べたものや︑右翼の党に近いと述べたものの割合が︑それぞれ︱︱%︑ニ︱︱‑%と下降して
いることがわかっている︒その分だけ︑どの党にも親近感がないとか︑
F
N だけと答えるものが多くなってきている︒
F
N だけという回答は︑九五年の三分の一から九七年には二分の一に増加している︒政党支持は︑候補者個人が重要 関法
わっている県もある。 FN が定着しているヴァール県(三・七%増)、プーシュ・デュ・ローヌ県(-―-•三%増)、ウー
( 1 0 )
ル・エ・ロワール県︵ニ・六%増︶がそうである︒﹁
F
N 主義﹂が﹁ル・ペン主義﹂を引き継ぎつつあるといえよう︒
( 1 1 )
九五年の大総領選挙の時と同じく︑ルペン主義の新しい人民化された選挙民の奪取は容易なことではない︑といえよ
( 1 ) N o n n a M a y e r , Du v o t e L e p e n i s t e a u v o t e f r o n t i s t e R , e v u e f r a n f a i s e
d e
s c i e n c e p o l i t i q u e V , o l . 4 7 , N o . 3 , 4 , 1 9 9 7 , p . 4 3 8 .
( 2 ) I b i d . , p . 4 4 0 .
( 3 ) Ibid••
p . 4 3 9 .
( 4 ) I b i d . , p . 4 4 0 ・
( 5 ) I b i d . , p
p .
4 4 0
, 4 4 1 .
( 6 ) I b i d . , p . 4 4 3 .
( 7 ) P a s c a l P e r r i n e a u ,
L a d y n a m i q u e u d v o t e
l e P e n L e p o i d s
d u
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a u c h o ‑ L e p e n i s i m e
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