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“The Crystal Egg” における秘密の表象

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Academic year: 2021

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H. G. Wellsの短編小説 “The Crystal Egg” (1897)は、火星人の存在を描くといっ た共通点から、翌年に発表された長編小説The War of the Worlds (1898)の前身とし て位置づけられることのある作品である。また、リュミエール兄弟による世界初 の映画上映が行われた 1895 年からそれほど時を置かずして執筆され、映像の驚異 やその現実性を描いているため、Laura Marcusが指摘するように、“an allegory of the origins of cinema” (339)であるという見方もなされている。確かに、作中にお いて卵形の水晶を通して覗く世界の映像が、キャラクターにとって現実よりも圧倒 的な現実感を持って迫り、投影された幻影が、現実の生活を凌駕していくという展 開は、新しい視覚のテクノロジーとその影響力を予期する寓意として読み解くこと が可能である。しかし、この短いテクストの中には、単なる長編の前身としての価 値や、映画の寓意に留まらない複数のテーマが認められる。本論文では、作品のメ イン・キャラクターであるCaveの描かれ方と、卵形の水晶を取り巻く視点の問題 に着目し、水晶が「秘密」として描かれることの意味を考察していく。

1.逃避としての幻影

物語の主人公ケイブは、ロンドンのセブン・ダイアルズで、“C. Cave, Naturalist and Dealer in Antiquities,” (164)という剥製や骨董を取り扱う店を経営する、語り 手に “the old man” (169)と形容される初老の男性である。商品として手に入れた卵 形の水晶が不思議な光を発し、そこに映画のように映し出された風景が見えること をケイブが発見したことによって展開される物語で、水晶に映るその風景とは、火 星の風景であることが友人の科学者によって明らかにされる。そして、家族に見つ からないように秘密裏にその映像を楽しむことだけが、生きがいとなったケイブ は、ある日水晶を手にして微笑を浮かべたまま亡くなり、家族によって売り払われ た水晶はその行方がわからなくなってしまう、というのが大筋のプロットである。

まず、この主人公ケイブの描かれ方に注目したい。彼は、店を経営する一家の

“The Crystal Egg” における秘密の表象

谷 めぐみ

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主でありながら、家庭内でみじめなほどに虐げられた人間として描かれる。彼に は妻と子供二人がいるが、妻のMrs. Caveは “She was a coarse-featured, corpulent woman, younger and very much larger than Mr. Cave (165-66)と、ケイブより若 く大柄な気の強い女性として描かれ、一方のケイブは、“He was a little old man, with pale face and peculiar watery blue eyes; his hair was a dirty grey, and he wore a shabby blue frock-coat, an ancient silk hat, and carpet slippers very much down at

heel.” (164)と、小柄で弱々しくみすぼらしい恰好をした人物として対照的に描か

れる。さらに妻には飲酒の悪癖があることも明らかにされる。ケイブ夫人は夫の商 売に口を出し、ケイブが “his right to manage his business in his own way (166)を 主張しても聞く耳を持たない。実際、ケイブは、自分のやり方で商売をやらせて ほしいと、一場面の間で三回繰り返して言うが、家族全員が “None of them had a high opinion of Mr. Caveʼs business methods” (166)である以上、彼の訴えはすべて 無視されることになる。子どもたちはと言えば、ケイブの実子ではなく、ケイブ 夫人の連れ子である。26 歳の口やかましい娘は “mean and over-reaching” (170)で、

18 歳で体の大きく粗野な息子は、ケイブに “a violent dislike” (170)を抱き、機会が あれば彼を攻撃している。家庭内において何の威厳もなく、四面楚歌の状態に置か れたケイブは、高値で売れる見込みのあった卵形の水晶を売ることを秘密の事情 ゆえに拒否し、家族に一斉に非難された時も、強く言い返すことができずに、“his ears afl ame and tears of vexation behind his spectacles” (167)と、眼鏡越しに悔し涙 を流すことしかできない。そのような彼の立場は、“he was in considerable distress by reason of the negligence, the positive ill-treatment even, he received from his wife

and step-children” (170)という言葉に端的に示される。このように家族からの無視

と虐待に苦しめられるケイブの姿が、コミカルかつ詳細に描写された後、彼の関心 が、ただ水晶が見せる幻影へと向けられるようになり、強い執着に変化していく様 子が描かれる。このことによって、ケイブの水晶への執着は、虐げられた家庭内か らの逃避という側面を強く合わせ持っていることが示唆される。水晶が見せる映像 は、家庭生活に失敗した男性が、逃避するのに最適な場所として機能するようにな る。ウェルズは前年に発表した短編、“The Purple Pileus” (1896)においても、妻に 虐げられた男が、偶然発見した紫色のキノコの力によって、家庭内での権力を取り 戻す話を描いている。また、The Invisible Man (1897)においても、現状に満たされ ない男が透明になる薬の力を借りて権力を手に入れようとする話を描いているが、

「水晶の卵」はこれらの作品とは違い、ケイブは権力を手にすることには関心がな い。しかし、水晶、キノコ、薬と道具立てに違いはあるものの、虐げられた現状か らの逃避という側面を強く持ち合わせているのは、同時期に発表されたこれらの作 品と共通している。

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ケイブが卵形の水晶に不思議な映像を見るようになった時期は、語り手に よって、“At that time his health was very bad – and it must be borne in mind that, throughout all this experience, his physical condition was one of ebb (170)と示され、

彼が体験した現象は、身体の不調により生じた現象である可能性が示される。さら に、家族からの冷たい扱いに苦しめられ、精神的にもひどく衰弱していた時期であ るといえる。水晶に映る映像の見え方は、人によって異なり、またケイブ自身が見 る時もその都度見え方が異なり、よく見える時もあれば見えない時もあるが、“his vision was most vivid during states of extreme weakness and fatigue” (171)と、心身 ともにひどく衰弱した時に、水晶の放つ光をもっとも感知することができることが 示される。このことからも、現実世界において救いや充足感を求められない時に、

ケイブが現実世界の代替物を水晶の映す映像に見出す、という構図が認められる。

卵形の水晶は、家庭内で冷遇され居場所のないケイブが現実逃避の手段として利用 する装置であり、水晶が見せる仮想世界の幻影は、心身ともに弱り、現実世界が苦 しく感じられた時にこそ、より現実感を伴って迫ってくる、ケイブだけのもう一つ の現実である。それはケイブにとって、“It was not dream-like at all” (172)な幻影で あり、“a defi nite impression of reality” (172)を与え、現実世界よりも現実味を帯び た仮想世界として彼を魅了する。水晶が映す映像に魅了され、ますます現実世界へ の関心を失ったケイブは、現実世界と幻想の世界を両立することができず、商売に まったく身が入らなくなり、常に水晶の映す世界にのみ心を奪われるようになって しまう。そして、ついに水晶の仮想現実の世界が、ケイブの現実の世界を凌駕する ことになるのであり、それを示すのがケイブの死の場面である。水晶が映す映像が

“the most real thing in his existence” (178)になってすぐに、ケイブは死亡する。ケ イブの死は決してドラマティックなものではなく、死後に彼を訪ねたウェイスが、

ケイブ夫人からその顛末を簡単に説明される形で示されるに過ぎない。しかし、水 晶を固く握りしめ、微笑みを浮かべたその死に顔は印象的であり、ケイブが最後に 目にしたものが、現実世界のものではなく、水晶の幻影であったことを示唆してい る。ケイブが心身ともに弱った時にこそ最も水晶の幻影がよく見えたことを思え ば、彼は彼自身の死に近づくことによって最もよくその世界を覗くことができたと 考えられる。それが意図的なものであれ、自然なものであれ、ケイブにとっては、

現実における自身の健康よりも、より端的に言えばその生命よりも、水晶の映す仮 想世界を優先したと考えられ、ここでケイブにとっての仮想世界と現実世界の価値 は完全に逆転したと言えよう。マーカスが映画の寓意と読み解くように、確かに水 晶は、全く異なる世界の映像を映し出し、現実を抜け出し、現実と見まがうような 仮想の世界へと連れ出す新しい視覚的な装置としての役割を果たす、といった点で 映画と大きな共通点を持っているように思われる。ついには、現実世界から肉体的

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にも旅立ち、自分だけの幻影の世界を手に入れたケイブの死は、映像による幻想世 界が現実以上の現実感を備えて現実世界をいとも簡単に凌駕する可能性、そしてそ のことが、現実世界を生きるよりも幸福なことであるという皮肉な結末を物語って いる。それは、映像による幻想世界の現実に及ぼす影響力の強さを予感させるもの である。しかし、ここには平行して考えなければならない点が存在する。それは、

この作品を貫く濃厚な「秘密」の空気である。

2.水晶の秘密性

卵形の水晶に秘密性を付与したのは、他ならぬケイブ自身である。彼は、水 晶の不思議な光に始めから心を奪われ、“he told no human being of his curious

observations” (171)と、誰にも話さずにそれを自分だけの秘密へと変える。その

理由として、“He seems to have been living in such an atmosphere of petty spite that to admit the existence of a pleasure would have been to risk the loss of it.” (171)と いうことが示され、ここでも家庭生活での孤立により、それ以外の世界を壊され まいと必死に秘密を守ろうとするケイブの様子が描かれる。ケイブの秘密の水晶 は、買い手が現れたことによって危機に陥り、紛失した際には、ケイブ夫人は “an eager search” (168)を行い、ケイブの不在時には、”The rest of the family, having discussed him with the freedom his absence warranted, hunted the house from garret to cellar, hoping to light upon the crystal. (168-69)と、家族総出でケイブの「秘密」

の在り処を暴こうとする様子が描かれる。家庭内で秘密を守りきれないと感じたケ イブは、ついに秘密を独り占めすることを断念し、協力者を求める。この秘密の共 有者となる相手こそが、ケイブの見る映像に科学的な分析を加えてゆくことにな る、医学学校の実験助手で年若い友人のJacoby Waceである。さらに、この物語自 体がウェイスの話をもとに、語り手が語っている物語であることが作中で明かされ る。秘密の共有者を手に入れたケイブは、追求する家族の手から彼の秘密を救い出 すことに成功する。

この物語において、ケイブがその秘密の発見を最も恐れる相手は彼の家族であ り、世間一般に対するものではない。もちろん、家族が必死にその行方を捜索する のは、水晶が高額で売れる見込みがあるという現実的な理由のためである。しかし、

“guiltily” (164)な眼差しをし、夜遅くまで “a private purpose” (167)のために隠れて 何かを行うケイブの様子は、家族に不信の念を起させるのに十分なものであり、秘 密の解明へと家族を駆り立てる。ケイブが特に秘密の暴露を恐れているのが、“He was very cautious lest he should be thus discovered by his wife” (172)と彼の妻であ ることや、水晶の映像を見ることができるのが、はじめの内は夜に限られている

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こと、また、黒いビロウドの布を頭からすっぽりと被って水晶をこそこそと誰に も見つからないように覗く様子、それに高まっていく秘密性を加え、さらに昼は 店で商売をし、夜は水晶を預けたウェイスの下に “every night from half-past eight until half-past ten” (175)と、毎晩通い詰めるケイブの姿を総合すれば、ケイブの水 晶の秘密にまつわる行動は、自然と一つの推論を導き出す。それは、Robert Louis StevensonThe Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde (1886)に代表されるような、

ヴィクトリア朝における昼と夜の二重生活である。

ヴィクトリア朝における昼と夜の二重生活とは、主に “brothels and nighttime bohemia (Showalter 106)であり、ヴィクトリア朝の男性の生活に深く関わってい た。ヴィクトリア朝は、「産業革命の発達に伴い、性差による労働領域の二極化が 進んだ結果、外で働く夫に家庭という避難所を提供する〈家庭の天使〉として、よ き妻よき母という性役割を果たすことが女性の理想」(武田 17)とされた時代で あり、「食欲も性欲も持たない女が当時の理想として女性に求められた性イデオロ ギー」(武田 28-29)であった一方、男性には家庭外で性を解放する機会が設けら れ、その中でも「ヴィクトリア文化の快楽的な側面をよく表すのは売春」(度会 9)

であり、「未婚、既婚を問わず、また階級の上下を問わず、多くの男が公認の一夫 一婦制の外で性の快楽を追求した」(度会 9)。性の抑圧と解放が昼と夜の二重生活 として行われ、同時代の文学において、あからさまに描写されることはほとんどな かったものの、ジキルとハイドの物語にとどまらず、多くの小説に仄めかしが見ら れる。

ケイブが妻に隠れて、こっそりと覗き見る世界は、決して女性を表象するもので はない。それは火星の風景であり、鳥のような翼を持った火星人であり、虫のよ うな姿をして動き回る機械である。しかし、この覗き見るという行為自体に、性 的な表象を読み取ることは可能である。Laura Mulveyは、映画の有する快楽の一 つとして、“Scopophilia (pleasure in looking)” (440)を挙げ、映画の持つ男性の視覚 快楽嗜好を指摘しているが、水晶を見るという行為を、他人を対象物として密かに 見る快楽として解釈するならば、ここでのケイブの姿は、窃視症的な性癖を備え、

「視る者=能動的/男、視られる者=受動的/女」(武田 71)という構造で解釈で きるのではないだろうか。透明になることで、人に気づかれずに盗み見ることを 可能にした『透明人間』のみでなく、ウェルズは、短編 “The Remarkable Case of

Davidsonʼs Eyes” (1895)においても、一時的な盲目状態に置かれることで、遠く離

れた場所の光景を覗き見ることができる男の物語を描いており、この時期、一方的 な、あるいは窃視症的な視線というものに、強く関心を抱いていたと考えられる。

こう考えるならば、ケイブが日中、家庭において剥奪されている男性的権力を夜 間、水晶をのぞき込むという行為によって回復していることになる。しかし、この

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作品において特徴的なことは、ケイブが一方的に覗き見る視点を持った、つまりあ る種の権力を持った存在であるだけでなく、同時に覗き見られる存在でもあるとい う点にある。火星と思しき風景の中に、ケイブは自分の持つ卵型の水晶と同じ形状 のものが複数あるのを見る。そして、ケイブが水晶の風景を覗き見るように、火星 人と思しき生き物も、水晶を通してケイブを見つめる様子が描かれる。

And a series of observations, made at the suggestion of Mr. Wace, convinced both watchers that, so far as this visionary world was concerned, the crystal into which they peered actually stood at the summit of the end-most mast on the ter- race, and that on one occasion at least one of these inhabitants of this other world had looked into Mr. Caveʼs face while he was making these observations. (176)

ここでは、見る者と見られる者の関係が表裏一体であり、こっそりと秘密の世界を 覗き見るケイブが、反対に覗き見られる様子が描かれ、見る者が見られる者へと転 換する可能性が示される。これによって「視る者=能動的/男、視られる者=受動 的/女」という二分された構造は崩されることになり、男性のケイブが覗き見られ る存在へと転換する。ここで注目しなくてはならないのが、水晶の秘密によって導 き出されるもう一つの側面である。

3.もう一つの二重生活

ヴィクトリア朝の男性が内包する秘密の二重生活には、売春や放蕩な生活とい う以外にも大きな意味を持つものが存在した。それは二重生活の代名詞といえ る『ジキル博士とハイド氏』を、Elaine Showalterが同性愛をめぐるパニックの寓 話として解釈したように、異性愛と同性愛の二重生活を意味していた。中流階級 の男性にとって、“homosexuality represented a double life, in which a respectable daytime would often involving marriage and family, existed alongside a night world of

homoeroticism” (Showalter 106)であり、昼の生活は妻や子どもたちのいる家庭と

結びつき、夜はホモエロティックな同性愛の世界で過ごすといった二重生活は決し て特異なものではなかった。

ケイブの生活を考えてみれば、昼は家庭と繋がる店で過ごし、夜は同性のウェ イスと過ごすという、同性愛者の二重生活を想起させるような生活が描かれてい る。ケイブの身体的な弱々しさは女性性を感じさせるものであり、その意味で覗 き見られる存在へと変化するケイブは視線を受ける存在として読み取ることが可 能であるかもしれない。また、ケイブの子どもが実子ではなく、連れ子であると

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いう点も、彼の男性権力の欠如や不能性を示していると言えるかもしれない。ケ イブ夫人は、水晶が紛失したショックから、“a peculiar nervous condition midway between hysterics and amuck (168)と、ヒステリーと精神錯乱の中間のような状態 になるが、このヒステリーを起こした妻からからケイブは逃げ出す:“Mr. Cave took refuge from his wifeʼs emotions in the shop.” (168)。ヒステリーは 19 世紀において、

とりわけ女性特有の病であると考えられていたが、「この時代の父権制度による女 性の抑圧を集約したものとして、女性に特有の病理とみなされることに」(武田 84)なったのであり、「女性性にも男性性にも同化することができず、性的自己同 一性を持ちえない女性」が、「身体の病として表面化させてしまう両性性の病」(武 田 85)であると考えられた。この場面におけるケイブ夫人は、一見、興奮のあま り、当時女性特有の病気であると考えられたヒステリーの発作を起こしているよう に見えて、彼女の中にある両性性を表出し、家庭内で父権を失ったケイブに代わっ て、男性性さえも獲得しているようにも考えられる。妻のヒステリーから逃げ出 すケイブは、自分にはない男性性を獲得した妻から逃げ出していると考えられる。

また、世紀末には、男性のヒステリーが大きく取り上げられ、“the male hysteric is seen as expressing his bisexuality or homosexuality through the language of the

body” (Showalter 106)と、男性のヒステリーは、バイセクシュアリティやホモセク

シュアリティと結び付けられた。妻からのヒステリーから逃げ出すケイブは、自身 の同性愛が発覚することを恐れてホモセクシュアリティやバイセクシュアリティ と結び付けられるヒステリーという病から逃げ出していると考えられるかもしれ ない。しかし、ケイブは、水晶の秘密を保持するために、妻の目から逃れて、同性 のウェイスと秘密の夜を共有することになる。このことは、結局ケイブが彼のホモ エロティックな欲望から逃れられていないことを示唆していると考えられるので はないだろうか。

そもそも、ケイブとこの年の離れた実験助手との間には不思議な絆が存在して いる。“His relationship to Cave was peculiar (169)という二人の関係は、“He had a taste for singular characters, and he had more than once invited the old man to smoke and drink in his rooms, and to unfold his rather amusing views of life in general and of his wife in particular. (169)と示されるが、職業も年齢も異なる二人が、ケイブ が誰にも知られたくないと考えていた水晶の秘密を共有できるほどに親密な関係 である理由は、はっきりとは描かれない。また、この水晶をめぐる問題に関わる のは、ケイブ夫人と連れ子の娘を除けばみな男性である。そして、その中でも水 晶を欲するのは、みな男性である。さらに、冒頭に登場する水晶の購入を申し出 る二人の客は、結末で水晶の行方には関知していないことが示されるにも関わら ず、非常に意味深長に描かれる。この二人組は、一人が “a tall, thin clergyman” (164)

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で、もう一人が “a black-bearded young man of dusky complexion and unobtrusive

costume” (164)と示される、年齢の離れたどこかちぐはぐな二人組である。二人の

関係は、“considerable intimacy (165)と描かれ、ヴィクトリア小説の表現としては 十分に性的な関係を示唆するものである。この二人組や、ケイブとウェイスといっ た、年齢の離れた、共通点の少ない、ちぐはぐだが非常に親密な関係と言うのは、

どこか『ジキル博士とハイド氏』の厳格な生活を送る語り手Uttersonと年下の友 人Richard Enfi eldの関係を彷彿とさせるものである。二人の関係も “It was a nut to crack for many, what these two could see in each other or what subject they could fi nd

in common (6)と描かれ、なぜ彼らが親密であるのかという理由は明確にされない。

そしてやはりこの二人の関係にも、同性愛的な結びつきを読み取ることが可能であ る。水晶は、ケイブの死後、“a friendly fellow-tradesman” (179)によって買い取られ、

さらに彼から “a tall, dark man in grey” (180)の手へと渡り、男性から男性へと受け 継がれる。また、この物語の語り手である「私」の性別は描かれていないが、ウェ イス氏からこのように水晶の話を聞くことができるのは、おそらく男性であろうこ とが推測できる。さらに、興味深いことに、ウェイスが、ケイブが彼とのみ分かち 合ったはずの水晶の秘密を、他の人物と共有している様子が描かれている。ウェイ スから話を聞いた「私」は、水晶の光が人によって見え方が違うことの一例として、

“for Mr Harbinger – whose name will be familiar to the scientifi c reader in connection with the Pasteur Institute – was quite unable to see any light whatever.” (171)という エピソードを披露する。ケイブの死後、ウェイスが現在進行形の形で水晶の行方を 突き止められていないことを思えば、彼がHarbingerという人物に水晶の秘密を話 し、実験をしたのは、ケイブの生前であったと判断できる。しかし、ケイブは一人 きりの秘密として誰にも水晶の秘密を話さずにいたのであり、家族に秘密が漏れる ことを恐れ、苦肉の策としてウェイスに水晶を託したはずである。それを考えれば、

ハービンジャーに水晶の秘密を話し、彼にその光を覗かせたことは、恐らくケイブ の知らないウェイスの秘密であると考えられ、水晶をめぐる新たな男性同士の秘密 の関係を読み取ることができる。このように、「水晶の卵」の持つ秘密性は同性愛 の秘密をめぐる物語として読むことが可能であり、水晶を覗き見るケイブが覗き見 られる対象に変化する様子もこの文脈で解釈すれば、セクシュアリティの倒錯の物 語として読み解くことができるのではないだろうか。

結び

Patrick Parrinderの言うように、ウェルズの短編の多くは、“At the end of many of these stories the world is unchanged” (xv)である。しかし、同時にそれは “yet it

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could have been changed utterly and irrevocably” (xv)なものでもある。「水晶の卵」

もまた、社会を少しも騒がせることなく、一人の男の物語として、幕を閉じる。し かし、同時にそこには、個人の物語にとどまることのない、ヴィクトリア朝社会の 歪みが秘密という形で提示されている。

「水晶の卵」には、映画を思わせるような水晶の映像という仮想現実の持つ現実 性と、現実を凌駕するその影響力の強さが描かれている。さらにその秘密性が、影 響力の強さを高める働きをしており、それは昼のリスペクタブルで節度ある家庭に 象徴されるような生活と、欲望を解放する夜の生活という、ヴィクトリア朝の二重 生活を喚起させるものである。さらに、その二重生活は、男性同士の親密な描かれ 方やケイブの男性性の欠如、また反転する視点という点から、同性愛者の二重生活 という解釈も許容する作品であると言える。冴えない人物に起こった個人的な物語 として矮小化され提示される「水晶の卵」は、火星や火星人のような生き物、それ を映し出す当時登場したばかりの映画を思わせる水晶という装置、等に注目するこ とで、SF的な読みを誘導するものとして捉えられてきた。しかし、一見、シリア スな読みを拒絶するかのように描かれたこのコミカルな短い物語には、世紀末ヴィ クトリア朝の持つ影の部分が内包されている。それは、新しいテクノロジーによっ て仮想世界に逃避することの背景となる現実への強い絶望感や、人工的に二項対立 化された社会規範への歪みの表出であり、特に作品の至る所に見られるホモエロ ティックな関係の示唆は、この作品が発表されるわずか二年前の 1895 年に、Oscar

Wildeが男色の罪で有罪判決を受け、世間を震撼させたことを思えば、世紀末ヴィ

クトリア朝社会が抱えた問題を如実に反映していると考えられる。このような角度 から作品を考察する時、これまで主にSFとして読まれるだけであったウェルズの 初期の短編に、新たな、そして重要な解釈の可能性が存在することが、以上の「水 晶の卵」の分析から知ることができるのである。

Works Cited

Showalter, Elaine. Sexual Anarchy: Gender and Culture at the Fin de Siècle. London:

Virago, 1992. Print.

Marcus, Laura. “Literature and Cinema.” The Cambridge History of Twentieth-Century English Literature. Ed. Laura Marcus and Peter Nicholls. Cambridge: Cambridge UP, 2004. Print.

Mulvey, Laura. “Visual Pleasure and Narrative Cinema.” Feminisms: An Anthology of Literary Theory and Criticism. Ed. Robyn R. Warhol and Diane Price Herndl. New Brunswick: Rutgers UP, 1997. Print.

(10)

Parrinder, Patrick. Introduction. The Country of the Blind and Other Selected Stories. By H. G. Wells. Ed.Patrick Parrinder. London: Penguin, 2007. xiii-xxii. Print

Stevenson, Robert Louis. The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde and Other Tales of Terror. Ed. Robert Mighall. London: Penguin, 2003. Print.

Wells, H. G. “The Crystal Egg.” The Country of the Blind and Other Selected Stories. Ed.

Patrick Parrinder. London: Penguin, 2007. Print.

武田美保子.『〈新しい女の系譜〉─ジェンダーの言説と表象』.東京:彩流社,

2003.

度会好一.『ヴィクトリア朝の性と結婚』.東京:中央公論社,1997.

参照

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