台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成 61
台湾 にお け る社 会参 加仏 教 集 団か らみ た
在 家 者 の 再 編 成 一慈済会の事例を中心に一
陳 文 玲
1は じめ に
本 稿 は 、 社 会 参 加 仏 教 の 宗 教 団 体 で あ る 慈 済 会 の 事 例 を 中 心 に 、 当 会 に ボ ラ ン テ ィ ア と し て 加 入 す る在 家 者 が 組 織 化 さ れ る 仕 組 み を 、 説 明 す る こ と を 目 的 と した 論 文 で あ る 。 台 湾 で は 仏 教 徒 は 、 聖 職 者1)つ ま り 出 家 者 と、 一 般 信 者 つ ま り在 家 者 と い う2つ の カ テ ゴ リ ー に 分 け ら れ て い る2)。 慈 済 会 は 創 立 者 が 出 家 者 で あ り 、 メ ン バ ー の 大 多 数 が 在 家 者 で あ る と い う 仏 教 団 体 で あ る3)。
表 題 に あ る 「社 会 参 加 仏 教 」 と は 、 イ ン ド出 身 の 社 会 学 者 ラ ン ジ ャ ナ ・ム コ パ デ ィ ヤ ー ヤ(RanjanaMukhopadhyaya)が 、 仏 教 徒 の 運 動 ・活 動 の 特 性 や 、 仏 教 者 や 仏 教 学 者 に よ る 用 語 ・概 念 を 考 察 し た う え で 、近 代 日 本 に お け る 仏 教 の 社 会 活 動 に 対 して 、EngagedBud‑
dhismと い う 用 語 を 和 訳 し た も の で あ る(2005)。 ム コ パ デ ィ ヤ ー ヤ は 、 社 会 参 加 仏 教 を
「仏 教 者 が 布 教 ・教 化 な ど い わ ゆ る 宗 教 活 動 に と ど ま ら ず 、 さ ま ざ ま な 社 会 活 動 も行 い 、 そ れ を 仏 教 教 義 の 実 践 化 と 見 な し 、 そ の 活 動 の 影 響 が 仏 教 界 に 限 ら ず 、 一 般 社 会 に も 及 ぶ と い う仏 教 の 対 社 会 的 姿 勢 を 示 す 用 語 で あ る 」 と 述 べ て い る[2005:28]。
そ も そ も社 会 参 加 仏 教 の 原 語EngagedBuddhismま たSociallyEngagedBuddhismは 、 ベ トナ ム の 僧 侶 テ ィ ッ ク ・ナ ッ ト ・ハ ン(Ven.ThichNathHanh、1926AD.一 。 「一 行 禅 師 」 と も 呼 ば れ る)が 、 ベ トナ ム 戦 争 中 の 反 戦 運 動 へ の 仏 教 僧 侶 の 参 加 を 説 明 す る 際 に 最 初 に 使 用 し た もの で あ る 。 テ ィ ッ ク ・ナ ッ ト ・ハ ン が 提 唱 し た よ う な 政 治 的 な 反 抗 運 動 か ら 、 平 和 を 提 唱 ・推 進 す る あ ら ゆ る 形 式 の 活 動 、 さ ら に さ ま ざ ま な 社 会 問 題 に い た る ま で 、 仏 教 徒 が 積 極 的 に 関 わ る と い う社 会 参 加 仏 教 の 宗 教 的 な 実 践 は 、 そ の 後 世 界 各 地 で 展 開 さ れ て き た 。1989年 に 「仏 教 者 国 際 連 帯 会 議 」(lntemationalNetworkofEngagedBuddhists,台
湾 で は 「国 際 入 世 仏 教 協 会 」4)と訳 さ れ て い る)と い う 仏 教 徒 の 連 合 組 織 が 創 設 さ れ た こ と を 契 機 に 、 世 界 各 地 域 で ロ ー カ ル な 次 元 で 行 わ れ て い た 仏 教 徒 の 社 会 参 加 活 動 が 、 ネ ッ トワ ー ク を通 じ て 国 際 的 な 仏 教 運 動 と結 び付 け ら れ よ う に な っ た の で あ る 。 近 年 、 台 湾 の 仏 教 団 体 は 、 国 際 社 会 に お け る 社 会 参 加 運 動 と連 動 す る よ う に な り 、 そ の な か で も 、 と り わ け 仏 教 徒 ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 「仏 教 慈 済 功 徳 会 」5)(以 下 、 慈 済 会)が 注 目 さ れ て い る6)
[cf.Barnes1996:275‑278,Huang2003:136‑153,2005:1‑38etc.]。
62 台湾における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成
ク イ ー ン(christopherS.Queen)に よ れ ば 、社 会 参 加 仏 教 で あ る か 否 か を検 証 す る に は 、以 下 の 諸 要素 が 示 され な け れば な らな い と され る。 そ れ は 、第 一 に仏 教 の社 会 運動 で あ る こ と(e.g.上 述 した1963年 にベ トナ ム僧 侶 テ ィ ック ・ナ ッ ト ・ハ ンが リー ド した政 治 的 な反 抗 運 動 と平 和 運 動)、 第 二 に従 来 とは異 な る新 しい タイ プ の リー ダ ー が い る こ と
(e.g,ダラ イ ・ラマ、 イ ン ド新 仏 教 運 動 を リー ドした ア ンベ ー ドカル 博 士 、 日本 創 価 学 会 の創 立 者 ・牧 口常 三 郎etc.)、 第 三 に 原 始 教 義(AncientDharma)に 基 づ く新 解 釈 で あ る こ と、第 四 に現 代 的 な手 段7)を用 い て社 会 参加 の 目的 を達 成 す る こ とな どで あ る(Queen l996:4‑16)。 黄(Chien‑YUJ.Huang)は 、 ク イ ー ン の 提 示 し た こ れ らの 諸 要 素 を参 照
し、慈 済 会 に は そ の うち3つ の 条 件8)が存 在 して い る た め 、社 会 参 加 仏 教 とい うカ テ ゴ リー に位 置 づ け た(Huang2003:137)。 本 稿 で は 、 こ れ らの 先行 研 究 をふ まえ て 、慈 済 会 とい う仏 教 団体 を社 会 参加 仏 教 と して扱 う こ とに す る。 なお 、慈 済 会 が 実践 す る社 会参 加 活動(病 院 にお け る奉 仕)に つ い て 、筆 者 は既 に別 な テー マ で取 り扱 って い る(cf.陳2006 b)。
本 稿 で は 、慈 済 会 の創 立 の経 緯 、組 織 の 成 長 お よ び慈 善事 業 の展 開 を述 べ た上 で 、 そ う した慈 善 事 業 をサ ポー トす る人 的 資源 お よび 資金 源 を獲得 す る組 織 の仕 組 み を説 明 す る。
さ らに慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィ アた ち が 、慈 済 会 の 人 間で あ る とい う アイ デ ンテ ィテ ィを如 何 に形 成 して きたか 、 とい う 問題 意 識 に基 づ い て 、慈 済 会 の ボ ラ ン テ ィア た ちの 制服 着 用 に 焦 点 にあ て 、慈 済 会 の 内部 か らみ る メ ンバ ー た ち の観 点 、 お よ び慈 済 会が 外 に向 け て社 会 活 動 をす る 際 に、 慈 済会 メ ンバ ー で は ない 人 び とが み た慈 済会 の 制 服 に対 す る イメ ー ジ と い う、 い わ ば慈 済 会 の 内 的 と外 的 とい う2つ の側 面 か ら分 析 す る。
そ れ に よ り、 慈 済 会 の人 間 と して の ア イデ ンテ ィ テ ィ を強 化 させ る要 因 を考 察 しなが ら 管 見 を述 べ る。 そ の 際 、慈 済 会 に属 す 内 部 の 人 間 と外 部 か らの批 判 的 な見 解 を対 比 的 に提 示 す る。 そ して、 そ れ ぞ れ異 な る契 機 で 慈 済会 に入 会 した慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィア た ち は、
本 来 はお 互 い に縁 もゆ か りもな い 関係 で あ っ たが 、 そ う した かれ らが如 何 に して連 帯 す る よ う にな っ た のか 、 ま た、 なぜ か れ らは慈 済会 に対 して忠 誠 心 が 強 い のか 、 そ れ らの要 因 を探 求 し、解 釈 す るこ とを試 み る 。
皿 慈済会 の創 立経緯
1創 立 者 に つい て
慈 済 会 の 創 設 者 ・釈 証 厳(以 下 、 証厳 師)は 、1937年 に 台湾 の台 中県 清 水 鎮 で 生 ま れ た(cf.陳2006b:110‑115)。 彼 女 は 幼 い 頃 か ら同 県 に住 む叔 父 夫 婦 の家 に 養 女 に 出 さ れ 、裕 福 な 家 庭 環 境 で 育 っ た 。養 父 母 は台 湾 中部 の都 市 で 映 画 館 を経 営 して い た。15歳 の時 、養 母 が 胃の手 術 を受 け た 際 に、 彼 女 は養 母 の 病気 が 治 れ ば 、 自分 の 寿命 が 縮 ま って もか まわ ない と祈 っ て、 「観 音 菩 薩 」 の 名 を唱 え続 け た 。 そ して 、3日 間続 け て観 音 菩 薩
台湾における社 会参加仏教集団からみた在家者の再編成 63
が養 母 に薬 を与 えた 夢 を見 る経 験 した。 そ の後 、養 母 の病 状 は次 第 に 良 くな り、彼 女 の願 い は叶 え られ た とい う9)。1960年 に は、 養 父 が脳 梗 塞 で急 死 した 。 シ ョッ ク を受 けた 彼 女 は 、 「(養)父 は今 ど こに い るの だ ろ うか」 と思 い悩 んだ とい う。 彼 女 は 、養 父 が 生前 に行 っ て い た寺 を訪 れ、 見様 見 真 似 で 経 を唱 えて 養 父 を供 養 した 。 そ こで仏 教 教 理 の す ば ら し さに惹 か れ 、 将来 、 出 家 して仏 陀 の偉 大 な思 想 を社 会 や 知 識 人 た ち に も広 め てい こ う と決 意 し、 出家 を考 え る よ うに な っ た とい う。
翌年(1961)秋 、 彼 女 は 意 を固 め 、家 族 の 反対 を押 し切 っ て家 出 した 。 そ れか ら各 地 を 転 々 と した彼 女 は 、花 蓮市 郊 外 にあ る小 さ な寺lo)に身 を寄 せ て 、寺 の裏 にあ る小 屋 に一 人 で住 み 着 く よ うに な っ た 。1963年 、彼 女 は 台北 市 で 中 国仏 教 会11)によ る具 足 戒 の 受 戒 儀i 礼 に参 加 し、 比丘 尼 に なろ う と した 。 そ の と き偶 然 、彼 女 は 戦後 に 中国 大 陸 か ら渡 って き た仏 教 研 究 者 で あ る印 順 師 と出会 い 、 そ の場 で 正 式 に弟 子 入 り して証 厳 とい う法 名 を も ら った の で あ る。 そ の時 、 彼 女 は 師匠 か ら、 「為 仏教 、為 衆 生 」(仏 教 と衆 生 の た め に尽 く さ なけ れ ば な らな い)と い う教 え を受 け た(金 子2005:181‑182)。 彼 女 は 師 匠 の こ の言 葉 に強 い 影 響 を受 け 、後 に 慈 済 会 を設 立 した(静 思 書 斎2002:130‑131,釈2005:6‑
9)。
1966年2月 、証 厳 師 は入 院 す る 知 人 を見 舞 い に花 蓮 県 の診 療 所 を訪 れ た 際、 交 通 が 不 便 な東部 山地 に住 む先 住 民 女性 が、 経 済 的 な貧 困 ゆ え に診 療 所 で 治療 を受 け られず に流 産 した こ とを知 った 。証 厳 師 は シ ョ ック を受 け 、何 とか貧 しい 人 々 の 問題 を解 決 し、 か れ ら の 苦 しみ を和 らげ た い とい う思 い を強 め た 。 ま た、 あ る 日宣 教 して い る3人 の カ トリ ッ ク 修 道 女 が 、証 厳 師 の住 居 にや っ て きた。修 道 女 ら は証厳 師 と互 い の宗 教 信仰 に つ い て議論
した 末 、 「仏 教 は社 会 に対 す る 具体 的 な 貢 献 に 乏 しい」 と指 摘 した。 そ の こ とが 証厳 師 を 深 く反省 させ 、 交 通が 不 便 で 医療 設 備 も整 っ てい ない 台湾 東 部 に病 院 を設 立 す る とい う計 画 をた て た(陳2004:63‑65)。 これ らの 出 来事 こそ 、証 厳 師 を して仏 教 の 教 義 と社 会奉 仕 と を、 い か に関 連付 け るか を考 え させ た大 きな契 機 で あ っ た。
1966年4月14日 に は 、慈 済 会 の 前 身 と な る 「仏 教 克 難 慈 済 功 徳 会 」(以 下、 「功 徳 会 」)と い う慈 善 団体 が 結 成 さ れ た12)。「帰 依 」13)を希 望 す る信 者 に対 し証 厳 師 は、 「功 徳 会 」 の 組織 幹 部 とな っ た人 が 奉仕 活 動 に参 加 す る こ と と、寄 付 金(お よ び寄付 者)を 募 る こ と を義務 とす る こ と、 とい う条件 を提 示 した(陳2003:56,2004:67‑69)。
1967年7月 に発 行 さ れ て い る 「功 徳 会」 の機 関紙 に は、 寄 付 金 の 額 、寄 付 者 の 名 前 、 出費 明細 に 関す る会計 報 告 が 掲 載 されて お り、 そ れ に よる と 「功 徳 会」 に寄 せ られ た寄付 金 は、 証厳 師 を は じめ とす る出 家者 た ちへ の布 施 で はな く、貧 困 者へ の救 済 とい う目的 の み のた め に管 理 され た とされ て い る。
この よ うに 出家 した尼 僧 た ち14)は 「功 徳 会」 へ の寄 付 金 に頼 る こ とな く、 証 厳 師 と と も に 、唐 時代 の高 僧 に由 来す る と され る 「一 日働 か な けれ ば一 日食 わ ず」、 「信 徒 の供 養 を受 け入 れ ない」 とい う厳 しい戒 律 を遵 守 した。 尼僧 た ちは創 始 期 か ら現在 まで ロ ウ ソクや 手
64 台湾における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成
工 芸 品 、穀 物 加 工食 品 な ど を生産 ・販 売 して得 た金銭 を収 入 源 と し、 自家 栽培 の野 菜 な ど を食 して 、 自給 自足 の 生活 を い ま だ に続 け て い る とい う[金 子2005:139‑140、209]。
こ う した証 厳 師 の姿 勢 を、 清貧 かつ 自律 的 だ と評価 す る人 々 が 現 れ、 彼 女 に従 っ て出 家 や 帰 依 を希 望 す る者 が、 さ らに増 加 した 。 ま た資 金 の 明細 を公 表 す る とい う、会 計 の 透 明性 が 寄 付 者 の 信 頼 す る と ころ とな り、世 間 か ら も好 評 を得 る こ と に な っ た の で あ る[王 2005:279]o
2組 織 成長 と事 業展 開
慈 済会 が 成 長 して い る理 由 は、 か れ らが採 用 した募 金 制 度 とメ ンバ ー 組織 の仕 組 み に も 関 連 してい る。募 金 制 度 と組 織 の 仕 組 み は、 在 家 者が 再 編 成 され る メ カニ ズ ム とか か わ っ て い る ので 、 そ の点 は次 の章 にお い て述 べ る こ とにす る。
1970年 代 に台 湾 で は経 済 が 徐 々 に発 展 し、西 部 の都 市 地域 を 中心 に経 済 発 展 が と りわ け 進 ん でい た が 、東 部 で は 、 まだ 開発 が 遅 れ て お り、人 々 の生 活 は厳 しい状 況 に と どま っ て い た。 そ の 時期 の慈 済 会 は 、東 部 の住 民 を対 象 に定 期 的 に小 規 模 な無料 診 療 を行 い 、 ま た は貧 困者 へ の経 済 援 助 を実 施 して い た。 一 方 、証 厳 師 は 台 湾東 部 に病 院 を建 設 す る とい う夢 を抱 い て 、 台湾 全 島 で巡 回講 演 し、東 部 の住 民 を援 助 す る よ う人 々 に呼 びか け 、 ま た 台 湾各 地 で 会員 を募 集 した。
1979年 に は、 慈 済 会 が結 成 され た 当初 か らの重 要 目標 で あ っ た、 病 院 設 立 構 想 が 実 現 す る段 階 に入 っ た。 建 設用 地 獲 得 の 困難 、 建 設資 金 と専 門 的知 識 や 技 能 を もつ 人材 の不 足 な どの問 題 に直 面 した が 、総 合 病 院 設立 とい う構 想 が 慈 済 会 の 月刊 紙 や一 般 の マ ス コ ミの 報 道 を通 じて 、人 々の 関 心 を集 め る よ う に な り、 さ らに は 政府 高 官 や 当 時 の蒋 経 国 総 統 も、慈 済 会 の 病 院 建 設 計 画 に関 心 を寄 せ る よ う に な っ た とい う[何2000:72,金 子 2005:104‑106]。 そ の後 、1986年 には 、慈 済病 院 は花 蓮市 内 の西 北部 、花 蓮 駅 か ら徒 歩15 分 ほ どの と ころ に設 立 され た。 医療 施 設 が 少 な い台 湾 の 東部 地 方 で の 病 院建 設 を果 た した 慈 済 病 院 は 、貧 困者 の た め に入 院 や 、手 術 に必 要 な事 前保 証 金 納 入 制度 を廃 止 す る方 針 を 打 ち出 した 。慈 済 病 院 の こ う した病 院運 営 の 方針 が 模 範 とさ れ、 台 湾 の他 の 大 規模 病 院 で も同様 の 制度 が 廃 止 され る よ うに な っ た[何2000:115]。 他 方 、 緊 急 の 災 害 が 発 生 した 場 合 、 当 該 地域 の慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィ アが 現 場 に駆 けつ け 、状 況 に応 じて救 援 体制 を整 え る任 務 も負 っ た。 こ う した 財 政 面 の 透 明 化 と具 体 的 な 救 済 ・救 援 実 績 が 評 価 さ れ る につ れ、 慈 済 会 は人 々の信 頼 が 得 られ 、花 蓮 地 区 だ けで はな く、台 湾 全土 で もそ の 名 が知 られ る よ う にな り、 会 員 数 が次 第 に増加 したの で あ っ た。
皿 人的資源 と資金源 を獲 得 する仕組み
こ う した慈 済 会 の社 会 貢 献 事 業 をサ ポ ー トす る には 、 いず れ も資金 源 と人 的 資源 が 欠 か
台湾における社会参加仏教集団か らみた在家者 の再編成 65
せ な い。 慈 済 会が これ ら を獲 得 す る仕 組 み は下 記 の よ う にな っ てい る。 資金 は、 寄付 金 、 出版 事 業 、物 販 の営 業 収入15)、資 源 回収16)、バ ザ ー な どで 集 め られ る。 こ れ らの 中 で も、
寄付 金 は重 要 な資 金 源 とな っ てい る 。 ま た、 慈 済会 が 採 用 した募 金 制 度 は 、人 的 資 源 を獲 得 す る仕 組 み と も関 連 して い る。
慈 済 会 の 主幹 となる 人 た ち、 お よび一 時 的 に活動 に参 加 す る人 たち は 、 み な ボ ラ ンテ ィ ア で あ る。 そ れ以 外 の 各事 業 体 、例 え ば、 学校 、病 院、 テ レビ局 は一般 の機 関 と同様 の人 事 制 度 が 採用 され て い る 。 これ らの事 業 体 で は 、運 営 面 にお い て最 低 限必 要 な人 数 の専 門 職 やス タ ッ フな どが 、 有給 職 員 と して雇 われ て い る。 これ らの有 給 職 員 の仕 事 を補佐 す る 人 的資 源 と して ボ ラ ンテ ィアの 組織 が あ り、 各事 業 に適 当 な 人数 が 配 置 さ れ てい る 。本 稿 で は、 もっ ぱ らこの よ うな ボ ラ ンテ ィア た ち を対 象 に す る こ とに す る(図1参 照)。 慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィ ア組 織 に は 、そ の ほ か 「慈 済 教 師連 合 会 」、 「警 察 連 合 会」、 「慈 済 青年 連 合
【図1】 慈 済会事業組織 図
織組アイテンラボー
業
志
化
文 ーーー1‑IllI 慈済青年連合会
1
鷲 lIIl僧 団
運営手話隊
11
警察連合会蝋燭製作
五穀食品製作 ー11販売部 教師連合会
基金会サポート文化センター慈誠艶徳会(学生の世話人)
テレビ局地域環境保護
厳
証
釈 1 1ー ラジオ放送名誉会員連合会
書籍出版慈誠隊
雑誌出版委員
1
1医学センター)会会徳金功基済済慈慈( 業志育
教 II慈済大学大学院
慈済看護学校大学部
ー1 慈済高校国際人医
会(鉦料診 断医療
団
骨髄バ ンク
慈済中学校 Illl
部
進
推
画
企 1国際
事 業
部慈済小学校
宗教部業志療医 台中潭子病院
1
台北新店病院建築造営部ー
ー1
ー 1情報管理部嘉義大林病院 1‑IlllI
総務部篇聯 台東関山病院
財務部
1
1救 災
・救援花蓮玉里分院
人材資源部1貧困者慰問花蓮病院
秘書部
(太線の部分が本稿 の主 な対象で ある)
66 台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成
会」、 「慈 誠 酪徳 会」、 「慈 済 人 医会 」 な ど とい う付属 的 な組 織 もあ る。 これ らは職 業 別 に な って い て、 慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィ ア活 動 を支 援 す る役 割 を担 当 して い る。
1人 的 資源 一 ボ ラ ン テ ィア の編 成
ここ で まず 、慈 済 会 ボ ラ ンテ ィ アの 編成 に関 す る 諸用 語 を説 明す る と同 時 に、 ボ ラ ンテ ィア の編 成 につ い て も説 明 す る。
会 員:慈 済 会 に寄 付 金 を支払 っ た人 は 、 自動 的 に慈 済会 の会 員 とな る。 支払 い は、 定 期 的 に金 融機 関 を通 して支 払 う方 法 が あ るが 、 口座 自動 引 落 し も可 能 で あ る。 また 、集 金 資 格 の あ る委 員(詳 細 は後 述)に 定 期 的 に 集金 して も ら う方 法 もあ る。 以 上 の い ず れ の 方法 に も、 寄付 者 の 名 前 と住 所 が す で に慈 済 会 に登 録 され て い る ため 、 会員 番 号 が付 け られ て お り、寄 付 をす れ ば慈 済 会発 行 の領 収書 が もら える 。寄 付 を して 個 人 名 が登 記 され れ ば 、基 本 的 に慈 済 会 の 会 員 に な るの で あ る。 こ う した金 銭 的寄 付 と活動 は別 活 動 と して扱 わ れ る の で、 会 員 は寄 付 す る以外 に、 慈 済会 の活 動 に参 加 す る義 務 は ない 。 な お、 上 述 の よう に定期 的 に寄 付 金(慈 済 会 で は 「功 徳 款 」 ま た は 「功 徳 金 」17)と云 う。 以 下 「功 徳 金 」 と表記 す る)を 寄 付 す る者 の ほ か 、不 定 期 的 に寄 付 をす る一般 寄 付 者 もい る。 会 員 は遂 次 補 充 され続 け るた め 、 その 数 を正 確 に把握 す る こ とは 困難 だ が 、慈 済 会 は2005年5月 の時 点 で全 世 界 に500万 人超 の会 員 が存 在 す る と されて い る18)。
名誉 会 員:100万 台 湾 元(日 本 円約350万 円)19)を寄付 す れlj鉾o)、誰 で も名 誉 会 員21)にな れ る。 慈 済会 の名 誉 会員 に なれ ば 、証 書 を も ら うほか 、 年1回 慈 済 病 院 で無 料 診 察 を 受 け られ る とい うメ リ ッ トが あ る。 台 湾 元100万 の寄 付 金 は、1回 に限 らず 、 正規 メ ンバ ー とな って い る者 で も、 ま た本 人 で は な く家 族 の 名義 で も寄付 す る こ とが可 能 であ る。 つ ま り、 こ の場 合 、 寄 付 者 本 人 が 知 らず に名 誉 会 員 とな る こ と も あ る し、 家族 お よ び本 人 が重 複 して 寄付 す る場 合 もあ る。 な お、 名 誉 会員 は、 以 下 の よ う な正規 メ ンバ ー に課 せ られ た義 務 を、 行 わ な くて も よい とい う特典 が あ る。
委 員:各 地 区単 位 で実 施 す る2年 程 度 の研 修 を履 修 し、先 輩 の 委 員 ら に よる 認 定 を受 け て、 創立 者 の証厳 師 か ら委 員 の 識 別 証 と 「慈 済 服 」(次 の 節 で 詳 述)を 授 与 さ れ た 男 女 が委 員 と な り、慈 済 会 の 正規 メ ンバ ー とな る。 つ ま り、 かれ らが慈 済 会 とい う 団 体 を運 営 ・支 配 す る ボ ラ ンテ ィア組 織 の 幹部 とな るの で あ る。 な お 、委 員 にな る 者 は、最 低40名 の 会 員 を確 保 して 、金 額 の多 寡 に 関 わ らず 毎 月 の 「功 徳 金」 を集 め る こ とが義 務 づ け られて い る。 こ の よ うな仕 組 み に よっ て、 慈 済 会 の人 的 資 源 と 資 金 源 が一 定 程 度確 保 で き る こ とに な る。 な お委 員 には 、 「慈 済 十 戒 」22)の遵 守 が 求 め られ る 。 こ こで 注 目す べ き こ とは、 政 治 参加 や政 治 に関与 す る こ とが禁 止 とな っ てい る こ とであ る。
台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成 67
「慈 誠 」:委 員 とほ ぼ同 等 の研 修 を2年 程 度 履 修 し、 委 員 ら に よる 認 定 を受 け て 、証 厳 師 か らの 識別 証 と 「慈 済服 」(次 の節 で 詳 述)を 授 与 され た 男性 の 正式 メ ンバ ー は、
「慈 誠 」 と名 づ け られ る。1991年 に 、男 性 の み の ボ ラ ン テ ィ ア 組 織 が 結 成 さ れ た。 当初 の メ ンバ ー の大 半 は 、女 性 委 員 の夫 であ った 。彼 ら には 「功 徳 金 」 を集 金 す る義 務 は な く、 主 と して 集 会 や イ ベ ン トにお け る警 備 、交 通 整 理 、物 の 運 搬 な ど、 女 性委 員 を補 佐 す る役 割 が 与 え られ て い た 。1999年 の 台 湾 の 大 震 災 の際 に、
救 援 活 動 に 男 性 の ボ ラ ン テ ィ ア を 求 め る ニ ー ズ が 増 した た め 、 そ の 頃 か ら、 「慈 誠 」 に な る 者 が次 第 に増 え て い っ た よ う で あ っ た。 な お 委 員 と 同様 に 「慈 誠 」 に も、 「慈 済 十 戒 」 の遵 守 が 求 め られ て い る。 と くに酒 ・タバ コ ・橿 榔 子 は厳 禁 に な って い る。
見 習 委 員=委 員 ない し 「慈 誠 」 を 目指 し、 上 述 の いず れ か の研 修 コー ス を履 修 中 の男 女 の こ と。正 式 の 委 員 に な る以前 の段 階 で あ り、 委 員 が入 会 の 勧 誘 をす る と き、募 金 や ボ ラ ンテ ィ ア活動 の手 伝 い な ど、 陰 で サ ポ ー トす る役 割 を果 た して い る。 この段 階 で は 、上 述 の 「慈 済 十 戒」 を犯 さ ない こ と、 つ ま り、 い ま まで の悪 癖 を直 す準 備 の 時期 とされ て い る。
慈 済 会 自体 が 公 表 して い る統 計(図2参 照)か ら、 慈 済 会 病 院 が 設 立 され た1986年 以 降、 慈 済 会 の主 幹 で あ る委 員 と 「慈 誠 」 の 数 が急 増 して い っ た こ とが読 み取 れ る 。委 員 数 の増 加 は 「功 徳 金」 を支 払 う会員 数 の 増 加 、 ひ いて は慈 済会 に と って潤 沢 な運営 資 金 が 確 保 さ れ る こ と を意 味 して い る。 こ う した状 況 は 、1980年 代 以 降 、 台 湾経 済 が急 速 に発 展 す る につ れ、 高 額所 得 者 層 や 経 済 的余 裕 の あ る人 々 が 慈 善事 業 実 績 をつ み 、 慈 済会 に関 心
を寄 せ て い っ たた め で あ る と考 え られ る。
2資 金 源 を獲 得 す る仕組 み
慈 済会 で は、 銀行 や郵 便 局 で の 自動 引 落 と しサ ー ビス が普 及 して い る今 日で も、委 員 が 会 員 と直 接 面 会 して集 金 す る方式 を採 用 して い る。 そ れ は、 委 員 との直 接 的 な接 触 を通 じ て、 会員 らに慈 済会 の理 念 を理解 して も ら うため だ とさ れ る。 また慈 済 会 で は 、寄 付 者 か らの 「功 徳 金 」 が税 務 署 に よっ て税 控 除対 象 に な る よ うに す る た め 、 「功 徳 金 」 を受 け付 ける た び に領 収 書 を発 行 し、 毎年 年 末 に同会 発 行 の雑 誌 な ど を通 じて、 慈 済 会 のす べ て の 収 支 報告 を対外 的 に公 表 す る よう に な って い る。
前 に も触 れ た よ うに、 慈 済 会 の草 創 期 に 、証 厳 師 は慈 済 会 の 組織 幹 部 に対 し、奉 仕 活動 に参 加 す る こ と と、寄 付 金(お よ び寄 付 者)を 募 る こ とを義 務 づ け る条 件 を提 示 して い た 。 当時 の寄付 金 を集 め る 方法 と して 、証 厳 師 は まず 、信 者 らに対 し毎 日5角(現 在 の 日 本 円換 算 で150銭)を 竹 筒 に入 れ て貯 金 す る こ と を勧 め て い た(王2005:276‑277)。 そ の た め 、後 に慈 済会 の草 創期 の こ と を、創 設 当 初 の労 苦 や 当 時 の会 員 や 委員 に対 す る敬 意
68 台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者 の再編成
【図2】 慈 済 会 の 主 幹 ボ ラ ンテ ィ ア の人 数 の 年 間 統 計(2003年 ま で) 入 数20
,000 18,000
16、OOO
14,000 12,000
IO,OOO 8,000
6,◎◎◎
4,0◎0
2,000 0
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(慈済 文 化 志 業 中 心 編 集 部2000〜2004)に も とづ き筆 者 が 作 成
を もっ て、 「竹 筒 歳 月」 と呼 ぶ よ うに な っ た。2006年 に慈 済会 が創 立40周 年 を迎 え た 際 に、 証 厳 師 は、 再 び 草創 期 の 「竹 筒 歳 月 」 時代 の募 金 方 式 を 国内 及 び 海外 の 拠 点 に対 し、
推 進 しよ う と呼 びか け た。 慈 済 会 に所 属 す る施 設 にお い て も、 ボ ラ ンテ ィアた ち が奉 仕 活 動 を行 な う場 所 に も、 コ イ ン を入 れ る ため の竹 筒 が 用 意 され 、 コ イ ン募 金 を呼 び か け てい
る。 これ らの募 金 は、 会員 寄 付 の よ うに領 収書 が伴 った もの で は ない 。
N慈 済 人 の ア イデ ン テ ィテ ィの創 出
ノー ノー レ 〆 ノ ー ノ ー フ
慈 済 人 と は、 一 般 的 に は 、模 倣 防 止 の た め に 工 夫 した 「慈 済 服 」(慈 済 会 の 独 特 な 制 服)を 着 る委 員 、 「慈 誠」 と見 習 委 員 の こ と を指 して い る が 、 しか し証 厳 師 の理 念 に 同感 し、時 々寄付 を した り、慈 済 会 の 社 会奉 仕 活 動 に参 加 した りす る ボ ラ ンテ ィ ア(会 員 と非 会員 の双 方)も 含 め て そ う呼 ばれ る こ ともあ り、 か れ ら に よっ て厳 密 に定 義 され て い る わ け で は ない 。 しか し本論 で は、 慈 済 人 の こ と を慈 済 会 の 独特 な 「慈 済 服」 を着 る委員 と、
「慈 誠 」 お よび見 習 委 員 とい う正 規 メ ンバ ー に限定 して考 察 す る。
慈 済 会 の 制服 は、 慈 済 会 を構 成 す る重 要 な一 部分 で あ り、 そ の着 用 は慈 済 人 の ア イ デ ン テ ィテ ィ に も繋 が っ てい る 。慈 済 会 の諸 活 動 を運営 す る正 規 メ ンバ ー と、 一時 的 な ボ ラ ン
台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成 69
テ ィア参 加 者 を識 別 す るた め に 「慈 済服 」 が 創 られ た ので あ る 。 この よ うな 「慈 済 服」 を 身 に着 け る こ とに よ って 、 慈済 人 と して の ア イデ ンテ ィテ ィが形 成 され るの で は ない か 、 と筆者 は考 えて い る。 つ ま り、 「慈 済 服 」 の 着 用 は、慈 済 人 の ア イ デ ンテ ィテ ィを構 築 す るた め の手 段 だ と捉 え られ る と思 わ れ る 。本 章 で は 、 したが っ で 「慈 済 服」 に 関 して まず 説 明 し、そ の うえ で、 慈 済 会 内部 か ら創 られ た慈 済 人 ア イデ ンテ ィ テ ィ と、慈 済 会 が外 に 向 け て社 会 活 動 をす る際 の慈 済 人 ア イデ ンテ ィテ ィ とい う、 い わ ば内 と外 とい う2つ の側 面 か ら、 ア イデ ンテ ィテ ィ形成 の状 態 を分 析 して み た い。
1制 服 か ら み た在 家者 の 再 編成
上述 した委 員 お よ び 「慈 誠」 に は、 正規 メ ンバ ー と認 定 され た と き、 識 別証 とと もに 、 ID番 号 が 書 か れ た 個 人 の ベ ス トが 授 受 され る23)。こ の ベ ス トは、 一 般 会 員 お よ び一 時 的 に参加 す る非 会員 で あ るボ ラ ンテ ィア用 とは 区別 され て い る(後 述)。 正規 メ ンバ ー の慈 済 人 は授 与 式 を行 っ たの ち 、初 めて 「慈 済服 」 の 上 に ベス トを ま とう こ とが許 され る。
正規 メ ンバ ー で は ない 会 員 は、 慈 済 会 に寄 付 を した と きの 領収 証 以 外 に、会 員 で あ る こ と24)を証 明す る もの は何 もな い ので 、 そ れ らの会 員 は会 の管 理外 に お かれ る こ とに な る 。 この こ とは、 つ ま り慈 済 会 の正 規 メ ンバ ー とは看倣 され てい な い こ とを意 味 す る25)。そ こ で 非正 規 メ ンバ ー は 、慈 済 会 の名 や 信頼 感 を利 用 し、会 活 動 以外 の場 で 慈 済会 の名 を借 り た 募金 、借 金 、不 正 商 売 な どを犯 す 可 能性 もあ る。 そ の ため 、 正真 正 銘 の 慈 済人 か ど うか を見分 け、 詐 欺行 為 を防 止 で きる簡 単 な 方法 と して 、服 装 に よる 区別 とい う方 法 が と られ た の で あ る。慈 済会 内 の役 割 や、 実 際 に奉 仕 活 動 を行 う場 面 に よ っ て 、着 用 す る 「慈 済 服 」 の様 式 は次 の よ う に なる。
女性 委 員 には 、異 な る様 式 の 「慈 済服 」3種 が あ る 。証 厳 師 は そ れ ぞ れ の服 装 に名 称 を
つ けて い る。 つ ま り、 労 働 作 業 に着 る服 を 「藍天 白雲 」26)、一般 の仕 事 や外 出訪 問 で着 る
に
服 装 を 「八 正 道服 」27)、儀 礼儀 式 に参 加 す る と きの正 装 を 「柔 和忍 辱 衣 」28)と呼 ん で い る 。 これ らの服 装 は 、異 な る場 面 に応 じて使 用 さ れ る よ うデザ イ ン され てい る。 ま た髪 型 も規 制 され てお り、女 性 委 員 は髪型 をそ ろ える こ と を要 求 さ れて い る 。す なわ ち頭 髪 を後 ろ に 1つ に束 ね、 黒 い ネ ッ トで 覆 い 、 その 上 に紺 色 の 蓮 の花 の飾 りをつ け るの で あ る。 これ ら の 服飾 ・髪 飾 りの購 入 につ い て は厳 格 に管理 され 、委 員 のみ が 手 に入 れ る こ とが で きる 。 なお か つ特 殊 な材 料 、デ ザ イ ン、マ ー クが用 い られ 、模 倣 品 を作 る のが 容 易 で は ない よ う に工 夫 され てい る 。
男性 委 員 と 「慈 誠 」 の 服 装 は 、労 働作 業 に着 る、男 女 同式 の 「藍 天 白雲 」 と正 装 の 「藍 天 ス ー ツ」 とい う2種 だ け で あ る。 ス ー ッ の色 は 濃 い青 色 と決 め られ て お り、 これ を 「慈 済 藍 」 と呼 ん で い る。 ネ ク タ イ と ネ ク タ イ ピ ン に は、模 倣 品 防 止 の工 夫 が され て い る 。
「慈 誠」 の髪 型 は丸 刈 りで あ り、そ れ は よ く働 き忍 耐 強い 精 神 を表 してい る とい う。 これ
ら男女 そ れぞ れ に均 一 化 され た 髪 型 は 、 「慈 済 の精 神 」 を表 す もの で あ り、 「慈 済 頭 」(慈
70 台湾における社会参加仏教集団からみた在家者の再編成
済 ヘ ア)と 通 称 され る 。
男 女 委員 お よび 「慈 誠 」 の 個 人ベ ス トは 、一 般 の ボ ラ ンテ ィア の ベ ス トとは異 な り、 表 と裏 とが違 う色 にな っ てい て 、 一般 の活 動 の とき には 黄土 色 の方 を外 に 出 し、裏 の青 色 は 服 喪 の場 合 にの み 用 い られ る。各 委 員 の作 業 用 ベ ス トに は、 胸 に委 員 のID番 号 が 記 され てい て 、 それ が 委 員 の 身分 をあ らわ し、保 管 は各 自の 責任 で 慎 重 に な され る。慈 済 会 の 内
に
部 で は 、 こ のベ ス トの こ と を 「小 袈 裟 」 と もい う。
慈 済 会 で は、 奉 仕活 動 を行 な う際 に、 正規 メ ンバ ー の委 員 と 「慈 誠 」 の み な らず 、 会 員 や 非 会 員 の 一 般 人 が 、 ボ ラ ンテ ィア と して慈 済 会 の あ らゆ る奉 仕 活 動 に参 加 す る 者 も、
「志 工服 」29)とい うベ ス トを着 用 す る こ とが 、厳 格 に 義務 付 け られ て い る30)。これ は、 一 時 的 に慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィ ア活動 に参 加 す る会 員 、 あ る い は非 会員 と正 規 メ ンバ ー と を識 別 す る た めで あ る 。 「志 工 服」 のベ ス トの様 式 に よ っ て、 正 規 メ ンバ ー とそ れ 以外 の ボ ラ ンテ ィア の身 分 が 、 区別 で きる よう にな っ て い る。 非正 規 メ ンバ ー の ボ ラ ンテ ィアが 着 用 す るベ ス トの様 式 は 、正 規 メ ンバ ーの もの とは異 な っ て い る。 非正 規 メ ンバ ー用 のベ ス ト は黄 土色 で、 表側 の左 胸 と背 中 に青 色 の蓮 の花 の ロ ゴが 目立 つ よ うに プ リ ン トさ れて い る が 、個 人別 のID番 号 は付 い てい な い。 これ ら のベ ス トは活 動 時 間の み 着 用 され 、 普段 は 正 規 メ ンバ ー に よっ て保 管 され、 活 動 が終 われ ば 必 ず正 規 メ ンバ ー に返 され る。
そ の ほ か 、非 正 規 メ ンバ ー の ボ ラ ン テ ィ ア な ら、 誰 もが 購 入 す る こ とが で き る服 が あ る。 そ れ には 慈 済会 の ロ ゴが ない 灰 色 の上 着 、 白色 の ズ ボ ン と靴 で、 男 女 と も同 じ服 装 で
あ る。 こ う した こ とか ら、 一般 者 の 誰 で もベ ス トを着 け た と きの み、 「慈 済志 工 」(慈 済会 の ボ ラ ンテ ィア)と な るの で あ る。
証厳 師 は、経 典 に 由来 す る名 称 を 「慈 済服 」 に付 け る こ と に よっ て、 経 文 の意 義 を諭 し て い る。 慈 済 人 が 、周 囲 の 人 々 に対 して柔 和 で 善 良 な態 度 で接 し、か つ 自 ら修 養 して 柔和
と忍耐 を課 す る こ とで 、 よい縁 を結 び広 げ る こ とを期 待 して い る か らで あ る 。証 厳 師 は認 定授 与 式 で 、 女性 の委 員 に対 して 、 「最 も美 し く最 も気 品 の あ る衣 服 が 『柔和 忍 辱 衣 』 で す」 と諭 し、 また慈 済 人 の全 員 に対 して 「この 服 を 身 に着 け て い る と きに は 、身 だ しな み を整 え慈 悲 深 く柔 和 な心 を持 た ね ば な り ませ ん 。 一 切 の 行 動 は 、 『私 は仏 陀 の 弟 子 で あ る』、 『私 は慈 済 人 であ る』 とい う意 識 か ら離 れ て は い け ませ ん。」 と諭 して い る 。証 厳 師 は 「慈 済 服 」 を仏 教 の 言 葉 と関連 付 け 、 そ の意 味 を委 員 たち に わか りや す く解 釈 し説 明 し て い るの で あ る。 この 「慈 済 服 」 を身 につ け る こ とは、 俗 の 空 間 と切 り離 され る こ とを暗 示 し、 だ か ら会 員 た ち は、 自 ら証厳 師 の教 え に した が っ た 行動 に励 む よ う に な る の で あ る 。
2制 服 着 用 の 内 的 と外 的 な機 能
慈 済 人 が 「慈 済 服 」 を着 用 す る とい う効 果 は 、世 間 にか れ らの所 属 団体 を知 ら しめ る こ と、及 び会 員 が世 間 を欺 く行 為 を 防止 す る こ とに繋 が る だ け で は な い。 「慈 済 服」 に は、
台湾 における社会参加仏教集団か らみ た在家者 の再編成 71
か れ ら自身 が 、 それ に よっ て慈 済 人 で あ る こ と を 自覚 す る内 的側 面 か らの ア イ デ ンテ ィテ ィの形 成 と、外 部 か ら慈 済人 であ る とみ な され る こ とに よ って生 じる、外 的側 面 か らの ア イ デ ンテ ィテ ィの 形成 が あ る と考 え られ る。 これ ら につ い て以 下4点 に ま とめ て 分 析 す る 。
2‑1慈 済 人 とい うイ メ ー ジの 創 出
「慈 済 服 」 を身 に付 ける こ とは、 「私 は慈 済 人 だ」 とい う こ とを 自覚 す る機 能 以 外 に、他 人 の好 感 を引 き起 こす役 割 も果 た して い る。 筆 者 の調 査 に よ れ ば 、慈 済 人 の なか に は 、
「藍 天 白雲 」 を身 につ け る こ とは、 「格 好 い い」、 「素 敵 」 だ と評価 す る ほ か に、一 種 の プ ライ ドで もあ る と考 える 者 が多 か っ た。 最 初 に慈 済 会 に参 加 し よ う と思 った 動 機 は 、 「あ の 制服 が 格 好 良 いか ら」、 「『藍 天 白雲 』 を着 た 人 が とて も羨 ま しい」 と語 る 人 々が 少 な く な い。 か れ らは慈 済 会 に入会 す る まで に 、す で に慈済 会 に対 す る好 感 を もっ てお り、慈 済 人 の よ う に 「素敵 な制 服 」 を 身 に着 け る こ と に憧 れ て い る とい う背 景 が あ る ので あ る 。 こ の こ とか ら、慈 済 人 とい うイ メ ー ジは 「慈 済 服 」 に よって 創 られ て い る とい え よ う。
2‑2制 服 を着 用 した者 に対 す る言動 か ら思 想 に及 ぶ 拘 束 力
慈 済 人 は 「慈 済 服 」 を身 につ け た そ の 時 か ら、 そ の 心 理 に変 化 が 生 じ て い る。 か れ ら は 、今 自分 は慈 済 人 で あ り、 「慈 済 十 戒」(第2節 「委 員」 の項 お よ び注22参 照)に 背 く 行 為 を しては な らない と、 た び たび 自 らを戒 め て い る。 筆 者 が イ ンタ ビュ ー した委 員 た ち は 、 「慈 済 服」 を着 てい る 時 に 、信 号 の な い とこ ろ で、 むや み に道 路 を横 断 した り、道 ば た の屋 台 で 食事 した りす る こ とは ない と語 る。 か れ らは街 頭 で行 動 す る と きに は な るべ く
「慈 済 服 」 を着 ない よ うに してい る し、 も し活 動 後 に着 替 え る時 間が な くて そ の ま ま帰 宅 せ ざる を え ない と きには 、路 上 で の 買 い物 や食 事 は しない よ うに してい る。真 っ先 に帰 宅 して着 替 えて か ら他 の 用 事 をす る の だ とい う。 「慈 済 服 」 を着 て い る と きは 人 と言 い争 い もで きない し、 叱 りつ け る こ と もない 。 あ る委 員 は 、家 で 子 ど もや夫 に ヒス テ リー を起 こ した と き、家 族 に証 厳 師 の話 を思 い 出 させ られ る と、 も う罵 る こ と は で きな く な る とい う。 つ ま り、 慈 済人 に な った後 、 か れ らの言 動 は少 しず つ 変 化 し、証 厳 師 の 要求 に応 え る 習 性 を 身 につ け る よう にな る ので あ る 。
「慈済 服 」 の 着用 に よ り、 人 々 は 「自分 は慈 済 会 の 人 間で あ り、 慈 済 会 の恥 とな る よ う な行為 を して は い け ない 」 こ とを意 識 す る 。つ ま り 「慈 済 服 」 の着 用 は、 内 面 的 な意 識 の 変 化 と して と らえ る こ とが で きる。 そ れ は上 にあ げ た外 側 か らの 要 因 と合 わ せ て考 えて み る と、慈 済 会 の 人 間 と して の ア イ デ ンテ ィテ ィを 強化 す る機 能 を もっ て い る と考 え られ る。
72 台湾における社 会参加仏教集団か らみた在家者の再編成
2‑3一 時 的 出 家 の状 態 を暗示 す る こ と
慈 済 会 内部 で は 「志工 服 」 の ベ ス トの こ とを 「小 袈 裟」 と もい う こ とか ら、 ボ ラ ンテ ィ ア た ちが 「小 袈 裟 」 を ま と う こ とは、 僧 侶 の よう に出 家 した状 態 に等 しい こ と を暗示 して い る。 「小 袈 裟 」 を ま と うこ と に よ って 、社 会 奉 仕 活 動 を行 うこ とは、 宗 教 的 職 能 者 の 僧 侶 が 、 宗教 的 な領 域 で儀 礼 儀 式 を行 な う こ と と、対 比 し うる よ う な宗教 的実 践 で あ る。
慈 済 人 に よ る社 会奉 仕 活 動 そ れ 自体 が 、 宗教 儀 礼 的 な機 能 を も って お り、 寺 院 で参 拝 す る よ うな宗 教 儀 礼 の 形式 は と らな い もの の 、慈 済 人 に とっ て は、 そ う した宗 教儀 礼 と同様 の効 果 を もた らす もの で あ る と考 え られ て い る。 「小 袈 裟 」 と呼 ばれ るベ ス トを着 用 す る こ と は、袈 裟 が 僧侶 の礼 服 に由 来 す る メ タ フ ァーで 、 こ う した奉 仕 活動 その もの が修 行 で あ る こ とを 、か れ らに意 識 させ て い るの で あ る。 そ れ は あ たか も、 一 時 的 な出 家 の状 態 で あ る こ とを暗 示 して い る。
慈 済 会 の創 設 者 ・証 厳 師 に よれ ば、 在 家 者 で あ る俗 人 が 「慈 済 服」 を 身 に付 け る こ と に よ っ て、 出 家 者 と同様 にあ らゆ る 行 動 を戒 め な け れ ば な らぬ と求 め られ る 。つ ま り こ こ に、 一 時 的 に 出家 した状 態 が 作 り出 され 、 したが って 、 か れ らの 社 会奉 仕 活 動 が 、 あ たか
も出 家 者 の宗 教 的修 行 と同等 だ とみ な され る の であ る。
2‑4内 面 と外 面 か らみ た 平 等 の意 味
「慈 済服 」 の色 や様 式 か ら、慈 済 会 内部 で の役 職 を見 分 け る こ とが 出来 る こ と は、 これ まで 述べ て き た とお りで あ る。 しか しそ の一 方 で 、 慈 済 会 の 説 明 に よれ ば 、 「慈 済 服 」 を 着 用 す る こ と は、 年令 、 職 業 、社 会 的 地位 、貧 富 の 差 な どに関 係 な く、 その 統 一性 を利 用
して 、 「衆 生 平 等」 とい う仏 教教 義 を実 践 す る こ と にな る の だ とい う。
この 点 につ い て は 、2つ の 側面 か らの 解釈 が可 能 で あ ろ う。 慈 済 会 内 部 とい う内 的 側 面 か らの解 釈 で は、奉 仕 活 動 の 参加 者 に対 して 、 どの よ うな 身分 や社 会 的背 景 を もっ た人 間 か に関 わ らず 、 参加 者 す べ て が ボ ラ ンテ ィア と して 平等 だ、 とい うこ とが 強調 され る。 も う一 方 の外 に向 け た社 会 活 動 とい う外 的 側面 で は、 制服 の統 一 性 に よ りその 宗教 色 を薄 め る こ とで 、 同会 が 実施 す る社 会奉 仕 活 動 へ の 、非 仏教 徒 の参 加 を促 そ う と して い る こ とで あ る。後 者 の側 面 に立 て ば、 慈済 会 が 仏教 団体 であ る とい う こ と にか か わ らず 、多 くの 人 が 慈 済 会 の理 念 と奉 仕 活 動 を受 け入 れ る こ とが で き よ う。 また 、 ひ と りで も多 くの人 に、
仏 教 を広 め よ う とい う布 教 の 意 図 もみ て とれ る。 さ らに 、類 似 の 制服 の着 用 を通 じた参 加 者 らの 一体 化 は、慈 済 会 の 活 動 に参 加 す る非 仏 教 徒 の心 理 的 な垣根 を取 り払 う効 果 を もっ てお り、 かつ 非 仏教 徒 に対 す る奉 仕 活 動 に お い て も、仏 教 団体 で あ る こ と を強 く主 張 しな い 制 服 の 着 用 は、救 済対 象 者 か らの反 発 を和 らげ る メ リ ッ トもあ る31)。制 服 着 用 の意 図 は、参 加 者 内 部 の者 同士 を分 け 隔 て よ う とす る心 を退 け、 平 等 な心 を養 うた め だ とい わ れ る。 これが 「慈 済文 化 」 の 特色 だ と称 して もよい 。
台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成 73
上述 の ボ ラ ンテ ィア及 び 慈 済 人 が 、 「慈 済 服 」 に よっ て彼 らの 身分 を示 す よ うな例 の ほ か 、慈 済 会 の 関係 機 関で 仕事 をす る有給 職 員 に も、 み な特 定 の形 式 の制服 が あ る。 そ もそ も一 般 の 民 間 会 社 の社 員 が 制服 を 身 に つ け る こ とは 、台 湾 で も決 して特 殊 な こ とで は な い 。 しか し、慈 済 会 で は有 給 職 員 の み な らず 、 慈 済会 関 係 者 で あれ ば、小 学 校 か ら大学 の 教 員 に至 る まで 、す べ て制 服 を身 に付 け な けれ ば な らない の で あ る。 学校 の教 員 が 制服 着 用 を 、 この よ う に義 務 づ け られ る こ と につ い て 、慈 済教 育機 関 の 職員H氏 は 「教 育 機 関 は 、教 員 が 身 を以 て 規律 そ の もの とな らなけ れ ば な らない 。学 生 に制服 を着 用 させ る の な らば、 教 員 も同様 にすべ きで あ り、 こ れ は 『教 師 と学 生 は平 等 だ』 とい うこ と を表 現 して い るの だ」、 「制 服 は名誉 と責 任 をあ らわ し、 『上 人』32)が慈 済 人 の ため につ くっ た 『菩 薩 イ メ ー ジ』 そ の も のな の だ」 と、 話 して くれ た 。 しか し、 この よ う に服 装 統 一 を要 求す る規 則 を受 け 入 れ る こ とが で きず に、辞 職 す る職員 もい る と も語 る。
制 服 の 規 制 に関 連 す る も う一 つ の 出 来 事 が あ る。2004年6月 に 、慈 済 病 院 に勤 め る 医 師が 個 人 的 に、 ホ ス ピスで の エ ピソ ー ドを本 に して出版 した。 そ の本 の なか で 、 ガ ン末期 の病 人 まで病 院 の寝 巻 き着 用 を要求 す る こ とは度 を越 え てお り、 しか も人 権侵 害 の行 為 で あ る と、慈 済 会 の 制服 規 制 を批 判 した。 そ の結 果 、 そ の 医師 の雇 用 契 約 は更新 され なか っ た。 そ の 医師 が そ の こ と に関 して、 不 満 を語 っ た こ とが新 聞 で 報 道 さ れて しま っ た。 報 道 後 、 慈済 会 側 は 、何 故 あの 医 師 の雇 用 契約 を更 新 しな か った か 、 とい う こ とにつ い て 理 由 を説 明 した 。慈 済 会側 が い うに は 、 当該 医 師 が 出 版 した本 に書 か れ た こ とは 事 実 で は な く、 あ くまで も著 者 の個 人 意見 にす ぎず 、 こ う した勝 手 な言動 が 、慈 済 病 院 の名 誉 に損 害 を与 え る こ と にな る とい う。 医 師の 雇 用契 約 は通 常 毎年 更 新 され る。 しか し、彼 は病 院 の 制 度 に従 わな か っ たの で 契約 しなか った と、 契 約 中止 の説 明 をお こ ない 、世 論 の 騒 ぎを抑 え る こ とに努 め た わ けで あ る33)。
慈 済 会 内 部 の解 釈 で は、 「慈 済 服」 の 着 用 に よ る平 等 が 強 調 さ れ て い る が 、 そ の 一 方 で 、外 部 者 か ら見 る と、慈 済 会 に制服 は何 種 類 か あ り、 そ の意 味 が 分 か らな いた め 、慈 済 会 内部 に階 級 の 区別 が あ る よ う に見 え て しまい 、外 部 者 には慈 済 会 に階級 差 別 が あ る 、 と い うイ メー ジ を もた ら して しま った の であ る。
V慈 済人 の構 成 か らみ た新 たな結びつ きの創 出
台 湾 の 人類 学 者 ・盧 意 馨34)は、 慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィア個 々 人 の集 合 が、 「千 手 千 眼 観 音 菩 薩 」35)として 象 徴 化 さ れ て い る状 況 を 指 し て、 「神 聖 な 紐 帯 」36)と呼 ん だ 。 この 集 団 で は、 個 々 の ボ ラ ンテ ィア た ち が 「千 手 千 眼 観 音 菩 薩 」 の 身 体 的 な部 分 部 分 と な っ て い る と、 意 識 され て い る か らで あ る。 そ して、 こ う した 役 員 とボ ラ ンテ ィ ア 間 の 「神 聖 な 紐 帯 」 は 、一 般 社 会 の 人 間関 係 とは異 な って い る と指摘 す る[盧1999:14,2000:297]。
証厳 師 は 、他 人 に利 益 を与 え よ う とす る者 は 「菩 薩 」37)であ り、慈 済 会 の社 会奉 仕 活 動
74 台湾 における社会参加仏教集団か らみた在家者の再編成
が 「菩 薩 」 の行 為 その もの で あ り、 じ じつ 慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィア た ちは 自分 た ち を 「菩 薩 の ネ ッ トワ ー ク」 だ と語 っ て い る。 こ こで い う 「菩 薩 」 と は 、 「他 人 に利 益 を与 え る 人 間」 で あ る とい う意 味 で用 い られ て い る。 仏 教 の教 理 で は 、人 を助 け る善 行 は神(God) に対 す る信仰 や忠 誠 心 の表 現 そ の もので はな く、各 個 人 の心 に備 わ る本 性 であ る とす るの で あ る。
証 厳 師 は しば しば 、慈 済 会 が 推 奨 す るボ ラ ンテ ィ ア活 動 と、 「千 手 千 眼観 音 菩 薩 」 崇 拝 との関 連性 を強 調 す る 。 それ は証厳 師が 、 苦 しん でい る人 を助 ける た め に大 きな病 院 を建 て た そ の構 想 は、 大 勢 の 人 た ち の協 力 を得 て 初 め て 実 現 可 能 で あ り、 「500人 を集 め れ ば
『千 手 千 眼 観 音 菩 薩 』 の よ うに な れ る で は な い か」 と考 えた か らで あ る とい う[c£ 播 2004:30‑31]。 この よ う に証 厳 師 お よび 慈 済 会 に関 して は、 「千 手 千 眼観 音 菩 薩」 に まつ
わ る さ まざ ま な語 りが展 開 さ れ て い る。 例 え ば、 「皆 様(ボ ラ ン テ ィ ア た ち)が 私 の 目や 手 にな っ て くれ た か ら、 皆様 は菩 薩 で す」 と証 厳 師 が しば しば 語 っ て いた とか 、慈 済 人 の 多 くが 、 「私 は 『上 人 』 が観 音菩 薩 で あ る と信 じて い る」 な ど と語 る38)。また 、証 厳 師 が 少 女 時代 に養 母 の病 気 が 治 る よう に 「観音 菩 薩 」 の名 を唱 え続 け 、 そ して 「観 音 菩 薩 」 に 夢 で 会 っ た とい う、そ の 語 り もそ うで あ っ た。 こ う した 「観 音菩 薩 」 の 連想 は 、出 家 者 で あ る証 厳 師 が 、仏 教 の 教 理 を説 く上 で重 要 な意 味 を もっ て い る。 「観 音信 仰」 が 一 般 に普 及 してい る台 湾 に おい て 、 人 々 は 「観音 菩 薩 」 に対 して深 い 親 しみや 信 頼感 を寄 せ て い る [林 ・蘇2003]。 証 厳 師 や慈 済 会 が布 教 活 動 を行 う に際 して 、 「観 音 菩 薩」 との 関連 性 を 連想 させ る こ とは、 そ の布 教 効 果 を向上 させ る こ とに繋 が っ て い る と考 え られ る。 また、
台湾 漢 民 族 の信 仰 の根 底 に あ る この 「観 音 信 仰 」[cf.陳2006a]は 、慈 済 会 に加 入 し奉 仕 活 動 に参加 す る ボ ラ ンテ ィ アた ち の、 証 厳 師 や慈 済 会 に対 す る信 頼 、 も し くは信 仰 を支 え てい るの で は なか ろ うか。
慈 済 会 の ボ ラ ンテ ィア た ち、 と りわ け慈 済 人 と 「千 手千 眼観 音 菩 薩」 とを関 連付 け る比 喩 を 「神 聖 な紐 帯 」 と捉 え るな らば、 む しろ 台湾 の 民俗 宗 教 の コ ンテ ク ス トで 理解 され な けれ ば な らな いだ ろ う。 その 次元 にお い て 「菩 薩 」 は、神 と して 崇 め られ る存在 で あ る。
す なわ ち 、証 厳 師 が 人 間 も 「菩薩 」 で あ る と強 調 して い る に も関 わ らず 、 慈 済 会 の人 々は 証 厳 師 が語 る人 間 と しての 「菩薩 」 を、 か れ らが 慣 れ 親 しんで い る民 俗 宗 教 に お け る理 解 に関 連 させ て、 さ らに証 厳 師 の こ と を超 世俗 的 な存在 へ と 「神 格化 」 して い る の は ない だ ろ うか 。
V[お わ り に
本 稿 で は、 台 湾 の仏 教 団体 慈 済 会 の発 展 の経 緯 と組 織 構 成 を概 観 して 、慈 済会 の 制服 に よっ て在 家 者 を再 編 成 す る仕 組 み を指摘 した。 そ して、 これ まで の調 査 資料 をふ まえ 、台 湾 に お け る現代 の仏 教 を信 仰 す る多 くの庶 民 が 、従 来 お こな っ て き た寺 院 に行 って神 仏 を