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日本の 回教 工作 と民族 調 査

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日本の 回教 工作 と民族 調 査

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日本 の 回教 工作 と民 族調査

一 戦 前 ・戦 中期 の 内 モ ン ゴル を 中心 と して 一

1は じ め に

本 稿 は、 戦 前 ・戦 中 期1)に 日本 軍 部 が 中 心 とな っ て展 開 した 回教 工 作2)と 実 質 的 に は 回教 工 作 の 一 環 と して実 施 さ れ た民 族 調 査 の意 味 につ い て考 察 す る予 備 的 考 察 で あ る。 本 稿 で は、 まず 、 日本 の植 民 地 ・占 領 地 に お け る 回教 工作 の 方 針 ・ 施 策 ・内 容 な ど を簡 単 に整 理 し、 そ の 後 、 回教 工 作 と直 接 的 あ る い は 間接 的 な 関 わ りが あ っ た 民 族 調 査 を事 例 と して 取 りあ げ 、 最 後 に 回教 工 作 が 現 地 社 会 に与 え た 影響 に つ い て検 討 す る。

最初 に 、本 稿 の テ ー マ に 関 連 す る先 行研 究 の 動 向 を整 理 して お きた い 。 これ ま で の 日本 の植 民 地 ・占 領 地 に 関 す る研 究 で は 、 日本 の植 民 地 主 義 と民 族 学 の 関 わ り、 日本 軍 占領 下 の 日本 語 教 育 、満 洲 国 や 華 北 地 方 の村 落社 会 、 台 湾 先 住 民 に対 す る 皇 民 化 政 策 な ど につ い て の 実 証 的 な研 究 が 進 め られ て き た[中 生2000;山 路2011]。 また 、 戦 前 ・戦 中期 に 日本 人 が 中 国 で実 施 した現 地 調 査 も多 く、 華北 地 方 の農 村 慣 行 、 家 族 ・親 族 、 同業 組 合 な どに 関す る実 態 調 査 が そ の 資料 的価 値 を高 く評 価 され て い る[e.g.仁 井 田1944,1951;中 国 農 村 慣 行 調 査 刊 行 会1952]。

日本 の 回 教 工 作 に 関 す る 研 究 と して は、1990年 代 以 降、 歴 史 学 者 を 中 心 と し て 文 献 史 学 の 手 法 に よ る詳 細 な研 究 が 発 表 さ れ て い る。 例 え ば、 華 北 と内 モ ンゴ ル の 回教 工 作 に つ い て は 新 保[1999,2000,2002,2003]、 戦 前 ・戦 中 期 の 回 民 工 作 の 全 体 像 に つ い て は安 藤[2003]、 日本 の 回教 工 作 と亡 命 タ タ ー ル 人 につ い て は坂 本[2008]、 回教 工 作 に 関与 した佐 久 間貞 次 郎 につ い て は松 本[2009]、 満 洲 国 の 回教 工 作 に つ い て は 田 島[2009]、 中 国 回教 総 聯 合 会 につ い て は 山崎[2011]

が実 証 的 な研 究 を行 っ て い る 。 い ず れ の研 究 も現 存 す る文 献 資料(例 えば 、戦 前 ・ 戦 中期 の機 関誌 や機 密 資料)を 活 用 し、 日本 の 回教 工 作 の全 体 像 が徐 々 に解 明 さ

れつ つ あ る。

しか しなが ら、 当時 の 関係 者 に イ ン タ ビュ ー調 査 を行 っ た新 保[2002]は 別 と して、先 行研 究 の 大 部 分 は文 献 史 学 の ア プ ロー チ に よ る もの で あ り、結 果 と して 、 回 教 工 作 の 政 策 的 側 面 の 分 析 に重 点 をお い て い るせ いか 、 当時 を知 る現 地 住 民 の 反 応 や 記 憶 につ い て はあ ま り紹 介 され る こ とが ない 。 当然 の こ となが ら関係 者 の

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日本 の回 教工作 と民族 調査

多 くが す で に他 界 して い る こ とが大 きな 要 因 な の か も しれ ない が 、日中両 国 で 「 史 の生 き証 人」 が 姿 を消 す現 在 、 日本 の 回教 工 作 を実 際 に体 験 ・経験 した 当 事 者 の声 を早 急 に記 録 す べ きで あ ろ う。 また 、 そ う した作 業 は 日本 の植 民 地 ・占領 地 支 配 の実 態 を多 角 的 に検 討 す る うえ で大 い に役 立 つ に ち が い な い 。 こ う した 問題 意 識 を 出発 点 と して、 本 稿 で は、 既 存 の文 献 資料 や フ ィー ル ドワ ー ク で収 集 で き

た一 次 資 料 に よっ て 、 中 国(主 に内 モ ン ゴ ル3))に お け る 日本 の 回教 工 作 の全 体 像 を描 き 出 し、 回教 工 作 と直 接 的 あ る い は 間接 的 な 関係 の あ っ た民 族 調 査 、 そ し て 、 現 地 住 民 の 反 応 な どにつ い て検 討 す る4)。

と こ ろで 、 本 稿 で 取 り上 げ る民 族 調 査 の 対 象 とな っ た 中 国 ム ス リム とは主 に 回 民5)を 指 す 。 中 国 の 回 民 は 中 央 ア ジ ア や 西 ア ジ アか ら中 国 へ 移 住 し た外 来 ムス リム を民 族 的 祖 先 と し、 清 真 寺(モ ス ク)を 中 心 と して 独 自の ロー カ ル ・コ ミュ ニ テ ィ を形 成 して きた 。 清 真 寺 を中 心 とす る コ ミュニ テ ィ は 回民 の 社 会 生 活 や 歴 史 的 記 憶 を醸 成 す る重 要 な 空 間 で あ り、 周 囲 の 漢 民(漢 人)と は明 らか に異 な る 生 活 世 界 で あ る。 日本 の 中 国 侵 略 が本 格 化 した 後 、1932年3月 満 洲 国 、1937年 10月 蒙 古 連 盟 自治 政 府 、1939年9月 蒙 古 連 合 自治 政 府 が 成 立 した が 、 日本 軍 部 主導 の 回教 工 作 は 中 国各 地 で積 極 的 に展 開 され 、 軍事 占 領 下 で は 清真 寺 の 組 織 形 態 や権 力 構 造 も変 容 を余 儀 な く され た 。例 え ば 、 内 モ ン ゴル で は 、 清真 寺 は 日本 軍 部(例 え ば、 駐 蒙 軍 、 特 務 機 関)や そ の 影 響 下 に あ っ た 西 北 回 教 聯 合 会 の統 制 ・監 視 下 に お か れ、 回民 の地 元 有 力 者(清 真 寺 の宗 教 指 導者 や管 理 責 任 者)の なか に は 回教 工作 に協 力 す る者 が 現 れ た 。 そ の 後 、1949年10月 に 中華 人 民 共 和 国 が 成 立 す る と、1957年6月 の 反 右 派 闘争 、1966年8月 か ら1976年10月 ま で の 文 化 大 革 命 な ど一 連 の 政 治 運 動 の なか で 、 日本 の協 力 者 だ っ た 回族 の人 々 は熾 烈 な政 治 弾圧 の 対 象 と な り、 中 国 共 産 党 を支 持 す る新興 勢 力 が 伝 統 的 なエ リー ト に取 って代 わ って 、 清真 寺 の 主 導 権 を掌 握 す る こ と と な っ た。

日本 の 回教 工作 が 現 地 の 回 民社 会 全 体 に与 えた 影 響 は大 きか っ たが 、 こ れ ま で の先 行 研 究 で は そ れ ほ ど注 意 が 払 わ れ て い ない 。 本稿 で は、 日本 の 軍 事 占領 が 現 地 社 会 に もた ら した影 響 を念 頭 に 置 きな が ら、 日本 の 回教 工作 、 民 族 調査 、 現 地 社 会 の 関 わ りにつ い て考 察 す る。 以 下、 まず 、 日本 の 回教 工 作 の経 緯 や 過程 を整 理 して全 体 像 を把 握 す る。 そ の次 に、 日本 人 が蒙 彊 政 権 下 で 実施 した民 族 調査 を 紹 介 し、 回教 工 作 と民 族 調 査 の 関 わ りを指 摘 し、 最 後 に 、 回教 工 作 が現 地社 会 に 与 え た影 響 、 そ して現 地 住 民 の反 応 を記 述 した い。

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日本 の回教 工作 と民族 調査

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日本 の 回教 工 作

1亡 命 タ タ ール 人 との遭 遇

中 国 大 陸 に対 す る 日本 の 関 心 は、1894年7月 の 日清 戦 争 、1895年4月 の 台 湾 占領 、1904年2月 の 日露 戦 争 な どを 契 機 と して 高 ま っ た。 そ の 後 、1931年9月 の 柳 条 湖 事 件 、1932年3月 の 満 洲 国建 設 、1937年7月 の盧 溝i橋事 件 な ど に よ る 戦 線 の 拡 大 に と もない 、 日本 軍 部 は華 北 分 離 政 策 、 内蒙 工 作 、 西 北 工 作 な どを画 策 し、 中 国 にお け る軍 事 占領 を段 階 的 に進 め た。 そ の なか で 日本 軍 部 が 積 極 的 に 取 り組 ん だ 工 作 の ひ とつ が 回 教 工 作 で あ った 。 そ の 発 端 は、 ロ シ ア(お よ びそ の 後 の ソ連)に 対 す る警 戒 心 、 中 国 国 内 の 反 日運 動 、 防 共 、 東 南 ア ジ アへ の 占領 地 拡 大 な どの 軍事 的 ・政 治 的 な 利 害 関 心 で あ り、 回 教 工 作 は主 に 日本 国 内 と国 外 の 植 民 地 ・占 領 地 で ム ス リム に対 して展 開 され た 懐 柔 ・宣 撫 工 作 で あ った 。 基 本 的 に は 、 日本 軍 部 が 中心 とな っ て 回教 工作 を展 開 した が 、 特 務 機 関 、外 務 省 、 政 治 結 社 な どの様 々 な 団体 ・組 織 が 回教 工 作 に 関 わ っ た た め 、 回教 工作 の全 体 像 を解 明す る こ とは必 ず し も容 易 で は な い 。本 稿 で は 、便 宜 上 、 回教 工 作 を 日本 国 内 に お け る工 作 と中 国 に お け る工 作 とに分 類 し、 そ れ ぞ れ の特 徴 を簡 単 に ま とめ て お

く。

そ れ で は、 は じめ に、 日本 国 内 にお け る 回教 工 作 を概 観 して お きた い。 日本 国 内 で は、 ロ シ ア革 命 か ら逃 れ た亡 命 タ タ ー ル人 な ど の テ ユ ル ク系 ムス リム を主 な 対 象 と して 、 日本 の 軍 人 、 政 治 家 、 活 動 家 た ちが 回教 工 作 を行 っ て い た。 亡 命 タ ター ル 人 を取 り込 む 工作 は ロ シ ア、 そ の 後 の ソ連 、 共 産 主 義 に対 す る警 戒 心 に よ る もの で あ っ た 。 なぜ な ら 日本 は 日露 戦 争 で ロ シ ア を破 った が 、 ロ シ ア はそ の 後 も 日本 に とっ て は脅 威 で あ り続 け た か らで あ る。 こ う した 軍事 戦 略 上 の 利 害 関係 を考 慮 した うえ で、 日本 軍 部 は 、 帝政 ロ シア に 反発 して い た タ ター ル 人 アブ デ ュ ル レ シ ト ・イ ブ ラ ヒム に注 目 し、 秘 密 裏 にi接触 ・支 援 す る よ う に な っ た[小 松 2008;坂 本2008]。 例 え ば、1938年5月 、日本 で 東 京 回教 礼 拝 堂 が 開堂 され た と き、

ア ブデ ュ ル レシ ト ・イ ブ ラ ヒ ムが モ ス ク の イ マ ー ム(導 師)を 担 当 し、 黒 龍 会 の 頭 山満 が モ ス クの 扉 を最 初 に 開 け た。 ま た、 同年9月 に 同 じ く東 京 で大 日本 回教 協 会 が 結 成 され た が 、 会 長 に は 林 銑 十 郎(陸 軍 大 将 、 元 総 理 大 臣)が 着 任 した 。 これ らの 出 来 事 か ら、 当 時 、 日本 軍 部 や 活 動 家 た ちが 日本 に暮 らす ムス リム に接 触 し、 利 用 し よ う と して い た こ とが よ くわ か る。 も ち ろん ムス リ ム側 に も 日本 軍 部 な どの 有力 者 に 意 図 的 に接 近 した 者 もい た6)。 いず れ に して も、 戦 前 ・戦 中期 、 日本 の ム ス リム が 回教 工 作 の 主 要 な対 象 とな っ て い た こ とは 明 らか で あ ろ う。

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日本 の回教 工作 と民 族調 査

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日本 の 回教 工作 と民族 調査

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2中 国 に お け る 回教 工 作

日本 国 内 に お け る 亡 命 タ タ ー ル 人 を主 な対 象 と した 回 教 工 作 と連 動 し なが ら、

満 洲 国、 華 北 地 方 、 内 モ ンゴ ル な どの 中 国各 地 に お い て も回教 工 作 が画 策 ・展 開 さ れ て い た。 例 え ば、 満 洲 国 成 立 以 前 か ら、 関 東 軍(1919年4月 創 設)や 南 満 洲 鉄 道 株 式 会 社(1906年11月 設 立)は 中 国東 北 地 方 の 回 民 や 亡 命 タ タ ー ル人 に 対 して様 々 な働 き か け を 試 み て い た。 例 え ば 、 満 鉄 庶 務 部 は 回 民 調 査 を 実 施 し、

1924年 支 那 回教 徒 の研 究 』 を出 版 して い る。 満 洲 国 で は 日本 人 ム ス リム の 川 村 狂 堂(1877?一?)、 三 田了 一(1892‑1983)ら が イ ス ラー ム 関 連 情 報 の 収 集 、 現 地 有 力 者 との接 触 を行 っ て い た 。 川 村 狂 堂 は1910年 代 に 中 国(新 艦 あ る い は 四 川 省)で イ ス ラー ム に改 宗 した と され る が、 満 洲 国 で は1934年7月 に成 立 した 満 洲 伊 斯 蘭協 会 の 総 裁 とな っ て い る 。 満 洲 国 で は 地 元 出 身 の 宗 教 指 導 者 、 例 えば 張 徳 純(張 子 文)が 協 力 者 と して 動 員 され て い た[張 巨 齢2008]。 詳細 は 未確 認 で あ る が、 川 村 狂 堂 は黒 龍 会 か ら中 国へ 派 遣 され た の で は な い か と考 え られ て い る [保 坂2008:46]。 一 方 、 三 田了 一 もイ ス ラ ー ム に改 宗 した 日本 人 で、1921年 頃 に満 鉄 に入 社 し、 イ ス ラ ー ム 関連 の情 報 収 集 や調 査 活 動 に従 事 して い た。 後 述 す る が、 三 田 の 満 鉄 入 社 は 同 じ く 日本 人 ム ス リム の 山 岡 光 太 郎(1880‑1959)の 旋 に よ る と い う[小 村1988:61]。 また 、 前 述 した 亡 命 タ タ ー ル人 ア ブ デ ュ ル レ

シ ト ・イ ブ ラ ヒ ム は 日本 軍 部 関係 者(在 トル コ 日本 大 使 館 勤 務 の神 田正 種)の 勧 誘 に よ り、1933年10月 、 満 洲 国 の奉 天 を経 由 して 来 日 して い る 。神 田 は陸 軍 中 佐 で あ った[小 松2008:135;松 長2008:204]。

満 洲 国 の ほ か 、 華 北 地 方 、 内 モ ン ゴル な どで も 日本 軍 部 は 回教 工 作 を積 極 的 に 展 開 した 。満 洲 国 の建 国 後 、 関 東 軍 は 満 洲 国 か ら長 城 線 を越境 し、 華 北 地 方 で 占 領 地 を拡 張 し始 め た 。これ は 華 北 分 離 工 作 で あ り、1935年5月 か ら河 北 省 、山東 省 、 チ ャハ ル省 、 緩 遠 省 、 山西 省 で 画 策 され た もの で あ る。 そ の狙 い は 華 北 を中 国 国 民 党 の支 配 か ら切 り離 す こ とで あ っ た 。 同 じ頃 、 内 モ ン ゴル で モ ン ゴル 人 の独 立 運 動 の気 運 が 高 ま っ て お り、 関東 軍 は モ ン ゴル 人 の徳 王 を支援 しな が ら内蒙 工 作 を展 開 し、 内モ ンゴ ル を 中華 民 国 か ら分 離 させ よ う と して い た。 こ う した 一連 の 工 作 を進 め る なか で 日本 軍 部 関係 者 が 中 国各 地 で遭 遇 した の が ム ス リム(主 に 回 民)で あ り、 日本 軍 部 は 回民 に対 す る工 作 を具 体 的 に検 討 す る よ うに な っ た[関 東 軍 参 謀 部1934]。 例 え ば 、 日本 軍 部 は 特 務 機 関 を つ う じて、1938年2月 、 北 京 に 中 国 回教 総 聯 合 会 、 同 年12月 、 蒙 彊 政 権 下 の厚 和(現 フ フ ホ ト)に 西 北 回 教 聯 合 会 を結 成 させ 、前 者 の 顧 問 を三 田 了 一 に、後 者 の顧 問 を小 村 不 二 男(1912‑

1998)に 担 当 させ てい る。こ れ らの 団体 は建 前 と して は回 民 の 団体 とさ れ てい た が 、 実 質 的 に は 日本 軍 部 の 統 制 下 ・監 視 下 にお か れ て い た 。

西 北 回 教 聯 合 会 の 前 身 は、 張 家 口 の 回教 会(会 長:李 郁 周)と 帰 繧 城(厚 和)

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日本 の 回教工 作 と民族 調査

の 回 教 公 会7)(会 長:支 馨)で 、 そ こ に包 頭 の 回教 公 会(会 長:楊 立 堂)、 大 同 の 晋 北 回 民 聯 合 会(会 長 不 明)が 加 え られ 、1938年12月 西 北 回教 聯 合 会 が 成 立 した[呉 懲 功 ・王 質 武1987:45‑46;小 村1988:448‑449;武 莫 勒2007:70]。 西 北 回教 聯 合 会 の本 部 が厚 和 、支 部 が厚 和 、 張家 口 、 大 同 、包 頭 に 設 置 され た 。 支 部 の下 に は清 真 寺 が分 会 と して位 置 づ け られ(全 体 で計24分 会)、 本 部 と頂 点 と す る一 種 の 階層 組 織 が 確 立 さ れ た。 当初 、 同聯 合 会 の会 長 職 は 空席 で 副会 長 に 曹 英 が 就 任 した。 曹 英 は厚 和 で徳 厚 堂 を経 営 す る有 力 者(か つ宗 教 指 導 者)で あ っ た。 新 た に 成 立 した西 北 回 教 聯 合 会 の顧 問 に は 日本 人 ム ス リ ムの 小 村 が着 任 し、

清 真 寺 の管 理 ・統 制 、 回教 青 年 学 校 の設 立 ・運 営 、 蒙 彊 回教 徒 訪 日視 察 団 の組 織 な どの業 務 に携 わ っ た[蒙 彊 新 報1941年7月16日;小 村1988:448‑449;新 2002:321‑324;坂 本2008:56‑57]。

また 、 華 北 、 内 モ ン ゴ ル、 西 北 にお け る 回教 工 作 に満 洲 国 の 回教 工 作 の経 験 が 活 か され た こ と は看 過 す べ きで は ない で あ ろ う。 例 え ば、 満 洲 国 の 回教 工 作 に 関 与 して い た 日本 人 た ち8)が 内 モ ン ゴル の 包 頭 へ 派 遣 され て 清 真 寺 や 学 校 な どで 回 教 工 作 に 従 事 して い た こ とが 報 告 され て い る[李 士 栄1988:22]。 この ほ か 、 前 述 した 満 洲 国 の 宗教 指 導 者 だ った 張 徳 純 が 内 モ ン ゴル にお け る回 教 工 作 に関 与

して い た こ と を示 す 資 料 が 残 され て い る[外 務 省1938]。 日本 軍 部 は 回教 工作 を 満 洲 国 か ら華 北 、 内 モ ン ゴルへ と展 開 して い た が 、最 終 的 には 西 北へ の 進 出 を検 討 して い た。 そ の狙 い は 、 西 北 の 回 民 軍 閥(馬 鴻 賓 、 馬 鴻 逡 、 馬 歩 芳 、 馬 歩 青)

と協 力 し、 ソ連 、 中 国共 産 党 、 中 国 国民 党 に対 抗 す る こ とで あ っ た9)。

3内 モ ン ゴル の 善 隣 協 会

日本 の 内蒙 工 作 で 言 及 す べ きは善 隣協 会 お よび興 亜 義 塾 の活 動 で あ る。 善 隣協 会 の前 身 は1933年3月 に 設 立 さ れ た 日蒙 協 会 で あ る 。 大 陸 浪 人 の 笹 目恒 雄 、 大 嶋 豊 、 野 副 金 次 郎 が 創 設 当 初 の 中心 メ ンバ ー だ っ た。 初 代 理 事 は 陸軍 少 将 の依 田 四 郎 で あ り、 日本 軍 部 の 意 向 にそ っ た形 で 組 織 ・運 営 さ れ た 団体 で あ っ た。1934 年1月 、 日本 軍 部(例 え ば、 林 銑 十 郎)や 財 界 の 支 援 を受 け て財 団法 人 と して善 隣 協 会 が 設 立 さ れ た 。 東 京 に 本 部 が 置 か れ、1938年4月 、 蒙 彊 政権 下 の 張 家 口 に 在 外 本 部 の 蒙 彊 善 隣協 会 が 設 置 され た。 善 隣協 会 は 内 モ ン ゴル にお け る教 育 ・ 文 化 ・医 療 な どの 諸 活 動 を行 い な が ら内 蒙 工 作 に 協 力 した。 回教 工 作 関連 で は 、 善 隣協 会 に は 回民 部(部 長:土 橋 一 次)が 部 門 と して 設 置 され て お り、 回民 に特 化 した 政 策 ・工 作 が 実 施 され て い た。 回教 工 作 を企 画 した の は野 副 金 治 郎 で あ る 。 例 え ば、 善 隣i協会 は1940年1月 、 張 家 口 の 回 民 集 住 地 域 に 回 民 女 塾 を 設 立 し、

蒙 彊 政 権 下 の 回民 女 性 を対 象 に 日本 語 を教 え 、潜 在 的 な対 日協 力 者 を養 成 して い た。 成 績 が 優 秀 な塾 生 の な か に は 日本 の大 学 へ 留 学 した者 もい た 。

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日本 の 回教 工作 と民 族 調査

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回教関係機 関組織系統表 表①

部第二部 十一班  

注、棒 線 は蔵接 関係 く指揮 命 令を受 く

点線 は間接 関係(内‑面指 導 と援 蹴}

在張家 口

在北京

中国回教総 合会

着 席 顧 問 高垣 信 造 く初) }三 田 了一(次)

ー 点 難 灘噸 噛

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在厚和

西北回教連合 会  

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注 、費木 、樋 口、末 広、大 野の4名 ほ蒙 古讐 隣協会 の興 亜鍍 塾の 圃教班 盤 生で 、厚和 支蔀 ・教 胃 都へ 指導 助手 として派遣 されて いた。

出 典:『 日 本 イ ス ラ ・一ム 史 』(1988)の 表 。 (南)

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日本 の回教 工作 と民 族調 査

こ の協 会 の も とに興 亜 義 塾 が厚 和 に 開設 さ れ、 モ ンゴ ル 人 や 回民 な どに対 す る 工 作 に従 事 す る若 者 が養 成 さ れ た。 モ ンゴ ル人 や チ ベ ッ ト人 に対 す る工 作 で は蒙 古 班 出 身 の西 川 一 三 、 木 村 肥 佐 生 が 有 名 で あ るが 、 回教 班 も優 秀 な 人材 を輩 出 し て い た 。 例 え ば、『善 隣協 会 史』 に よれ ば、興 亜 義 塾 が 輩 出 した塾 生97名 の うち 、 回教 班 の 塾 生 は、 第1期 生 で は青 木 潔 、樋 口豊 、今 井 正 三 、松 本 末 喜 、友 常 正 二 、 小 室 泰 二 、大 沢 次 郎 、大 野 英 文 、 第3期 生 で は 末広 栄 、小 野村 広 三 、末 広 伊 佐 雄 、 第4期 生 で は足 立 二 也 、 土 木 田 利 平 、 第5期 生 の 大 村ee‑一、 茂 木 、 富 松 、 佐 藤 、 第6期 生 で は鵜 川 龍 一 とな っ て お り、 少 な く と も計18名 が 回教 工 作 に何 らか の 形 で 関 わ っ て い た と考 え られ る。 小 村 不 二 男 の 『日本 イス ラー ム史 』 の 巻 末 に添 付 され た 図 に よれ ば 、 第1期 生 の 青 木 潔 、 樋 口 豊 、 第3期 生 の 末 広 栄 は西 北 回教 聯合 会 の 厚 和 支 部 に勤 務 して い た[小 村1988]。 残 念 な が ら、 蒙 古 班 卒 業 の 西 川 や 木村 と違 い 、 回教 班 の 卒 業 生 の 活 動 内 容 に つ い て は 記 録 資 料 が ほ とん ど残 って い な い10)。

回教 工 作 と 日本 人 ム ス リム の動 向

1戦 前 ・戦 中期 の イ ス ラ ー ム改 宗 者

次 に注 目 した い の は 日本 人 ム ス リム の動 向 で あ る 。 戦前 ・戦 中期 、 中 国 や 日本 な どで イ ス ラ ー ム に改 宗 した 日本 人 が現 れ た。 日本 人 ム ス リム の多 くが 回教 工 作 に直 接 的 ・間接 的 に 関 わ っ て い た。 日本 の 回教 工 作 と 日本 人 ム ス リム とは 実 は切 り離 せ な い 関係 に あ り、 等 閑視 す べ きで は な い。 資料 的 な制 約 が あ る た め 、本 稿 で は主 要 な事 例 だ け を取 りあ げ、 日本 人 ム ス リ ムが 回教 工 作 で果 た した役 割 を確 認 して お きた い 。

まず 、 戦 後 日本 の ムス リ ム社 会 の 重 鎮 と も言 え る小 村 不 二 男 に注 目す る。 小 村 は 、戦 前 ・戦 中 期 に内 モ ン ゴル を中 心 と して 回教 工 作 に従 事 した特 務 機 関員 で あ っ た 。 小 村 は1988年 に 『日本 イ ス ラ ー ム 史 』11)を 出 版 し、 自分 の体 験 ・経 験 談 を 具体 的 に記 述 して い る[小 村1988]。 戦 後 、小 村 は 日本 にお け る イス ラ ー ム 団体 の 設立 ・運 営 ・宣教 な どの 諸 活動 に 関 わ る一 方 、 戦 前 ・戦 中 期 の 回 教 工 作 の 関 係 者 を探 し出 し、 イ ン タ ビュ ー調 査 を行 っ て い た 。小 村 の 『日本 イス ラー ム史 』 に 埋 もれ て い る情 報 を手 が か り と して 、 日本 人 ム ス リム が 回教 工作 に どの よ う に関 わ っ て い た の か を整 理 して み た い 。

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日本の回教工作 と民族調査

表 ② 戦 前 ・戦 中 期 の 日本 人 ム ス リム ー 覧

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氏名 備考

野 田正 太郎 1868年 青 森 県 生 ま れ 。

オ ス マ ン朝 の トル コで 改 宗 。 ア ブ ド ・ア ル=ハ リ ー ム 。 最 初 の 日本 人 ム ス リ ム 。1904年 逝 去 。

有賀文八郎 1868年 福 島県 生 ま れ

1892年 頃?改 宗 。 ア フ マ ド。

1935年 日本 イ ス ラ ー ム布 教 本 部 を 東 京 に 設 置 。 1938年 イ ス ラ ー ム布 教 本 部 か ら 『聖 香 蘭 経 』 を 出版 。

※ 善 隣 協 会 野 副 金 次 郎 か ら経 済 援 助 あ り。

川村狂 堂* 1877年 熊 本 県(?)生 ま れ 。

1910年 代 中 国 の新 彊 省 あ る い は 四 川 省 で 改 宗 。

※ 別 の 説 で は1914年 に 四 川 省 成 都 で 改 宗?

1929年 北 京 の 王 静 斎(宗 教 指 導 者)と 交 流 。 1934年 満 洲 国 で 満 州 伊 斯 蘭 協 会 の 総 裁 に 就 任 。

※福 州 、杭 州 、蘇 州 、泉 州 、揚 州 、寧 波 、上 海 、鎮 江 、南 京 、徐 州 、 開 封 、 済 寧 、 済 南 な ど を視 察 。

山岡光 太郎* 1880年 広 島 県 生 ま れ 。

東 京 外 国 語 学 校 ロ シ ア 語 科 卒 業 。 改 宗 時 期 は 不 明 。 ウ マ ル 。

1909年 メ ッ カ 巡 礼 。 イ ブ ラ ヒ ム の 紹 介 に よ る 。 1911年 メ ッ カ 巡 礼 後 、 中 国へ 。

1920年 頃?三 田 了 一 に イ ス ラ ー ム 名 を与 え る 。

※三 田 了 一 は 山 岡 の 斡 旋 で 満 鉄 に入 社 。 1959年 逝 去 。

田 中逸平* 1882年 東 京 生 ま れ 。

1901年 台 湾 協 会 学 校(現 拓 殖 大)卒 業 。 北 京 遊 学 。 1924年 山 東 省 済 南 へ 。 清 真 大 寺 で 曹 鳳 麟 か ら受 戒 。

ム ハ ンマ ド ・ヌ ー ル 。 そ の後 、 メ ッ カ 巡 礼 へ 。 1924年 イ ン ドで 公 文 直 太 郎 に 会 い 、 公 文 と と.もに 帰 国 。 1925年 『白雲 遊 記 』 を 山東 省 済 南 で 出 版 。

1933年 再 度 メ ッ カ 巡 礼 へ 。

※ 頭 山 満 、 内 田 良 平 、 イ ブ ラ ヒ ム 、 ク ル バ ン ガ リ ー と接 触 。 1934年 メ ッ カ か ら帰 国 後 、 逝 去 。

※ イ ブ ラ ピ ム が 葬 礼 を行 う。

福 田規 矩男*

(鄭朝宗)

1884年 長 崎 県 生 ま れ 。

改 宗 時 期 は 不 明 。 イ ス ラー ム 名 も不 明 。

1908年 河 南 省 周 家 口(現 周 口)に 東 方 学 堂 を 開 設 。

※ 三 田 了 一 が 東 方 学 堂 を訪 問 した こ と が あ る 。 佐久間貞次郎* 1886年 東 京 生 ま れ 。

1920年or21年 大 連 で イ ス ラ ー ム に 改 宗 。 イ リ ヤ ー ス 。

※ 上 海 で 改 宗 し た 説 もあ り。

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日本 の 回教工作 と民族 調査

1923年 光 社 を 発 足 。

※ ク ル バ ン ガ リー 、 山 岡 光 太 郎 、 張 徳 純 と接 触 。 1924年 上 海 で 『回 光 』 発 行 。

1938年 北 京 か ら 内 モ ン ゴ ル へ 。

※小 村 不 二 男 、 佐 久 間 の 自宅(北 京)を 訪 問 。 1979年 逝 去 。

佐藤 甫 1887年 熊 本 県 生 ま れ 。

改 宗 時 期 は 不 明 。 イ ス ラー ム 名 も不 明 。 通 称 は 「回 山 」。

1915年 新 彊 省 イ リへ 。3年 滞 在 。 1929年 死 去 。

公文直太郎 1891年 高 知 県 生 まれ 。

15,6歳 の 頃 、 朝 鮮 半 島 へ 。 大 連 で満 鉄 の 職 員 の 世 話 に な る。

1914年 北 京 経 由 で 甘 粛 省 へ 。

中 印 国 境 で 逮 捕 ・釈 放 。 そ の 後 、 イ ン ドへ 入 国 。 イ ン ドで 改 宗 。 ム ハ ンマ ド。

1924年 イ ン ドで 出 会 っ た 田 中 逸 平 と と も に 帰 国 。

※ 中国 では 山東 省 済南 の清真 南 寺教 長曹鳳 麟 に 師事2 三 田 了 一* 1892年 山 口 県 生 ま れ 。

1920年 頃 山岡光 太郎 と師弟 関係 を結ぶ 。

※ ウマ ル と命 名 され るが正 式 には改 宗せ ず?

1921年 頃 山岡光 太郎 の斡旋 で満 鉄 に入社 。

1938年 包 頭 公 所 の 開 設 。 三 田 、 公 所 の 第2代 所 長 に 着 任 。 1941年 中国 回教総 聯合 会 の顧 問 に就 任。

1941年 北 京 の牛街 礼拝 寺 で改宗 。

※ 当 時 の 教 長 は 王 瑞 蘭 。 た だ し、 王 教 長 は1939年 に逝 去 。 小 村 の記録 で は改宗 時期 が不 正確 であ る。

※1940年 頃 日本 人 で あ るに もか か わ らず、 寧 夏 の清 真西 寺 の 教 長 職 を打 診 され た 逸 話 が あ る[小 村1988:501]

須 田正継* 1893年 山 梨 県 生 ま れ 。

改 宗 時 期 は 不 明 。 イ ス ラ ー ム 名 も不 明 。

1918年 東 京 外 大 ロ シ ア語 卒 業 。 通 訳 と して シ ベ リ ア 出 兵 に従 軍 。 1938年 内 モ ン ゴ ル へ 。8年 間 滞 在 。

※厚和 に須 田公館 を開設。

肥 田寛夫* 1898年 生 まれ 。

小 林 元 の 薫 陶 に よ っ て イ ス ラ ー ム と 出会 っ て 改 宗 。 イ ス ラ ー ム 名 は不 明 。

中学校 時 代 の同級 生岩 沢光 城(イ ブ ラ ヒム)の 影 響 もあ り。

1939年 神 戸 に肥 田 道 場 を 開 設 。 1943年 支 那西 北 問題懇 談会 に出席。

そ の後 、 満 洲 国 へ 。 特 務 機 関 に 勤 務 。 1951年 逝 去 。

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益子 勇 1899年(?)青 森 県 生 まれ 。

1921年 陸 軍 士 官 学 校 卒 業 。

青 森 で ク ル バ ン ガ リ ー と 田 中逸 平 の 講 演 に 出 席 。 そ の 後 、 改 宗 。 イ ス ラ ー ム 名 は 不 明 。

エ ジ プ トの ア ズ ハ ル 大 学 に 留 学 。 中 国 ム ス リ ム ら と衝 突 。 1933年 そ の 後 、 イ ラ ンへ 渡 航 し、 現 地 で 逝 去 。34歳 。

小泉浩太 1903年 東 京 生 ま れ 。

1928年 東 京 回教 学 校 で 改 宗 。 ク ル バ ン ガ リ ー の 影 響 。 1931年6月 大 連 、 北 京 、 内 モ ン ゴ ル へ 。

※ 松 林 亮 が 頭 山 満 ・内 田 良 平 の 寄 付 金 を小 泉 に 送 金 。

※ 厚 和 か ら曹 家 の 隊 商 に 参 加 し て 寧 夏 へ 。

1932年 甘 粛 へ 到 着 。 官 憲 に逮 捕 され 、 西 安 で 銃 殺 刑 。 今 泉 義雄* 1905年 東 京 生 ま れ 。

1927年 日本 大 学 卒 業 。

ク ル バ ン ガ リー の 影 響 で イ ス ラ ー ム に改 宗 。 サ ー デ ィ ク 。 そ の 後 、 海 軍 に 従 軍 し、 イ ン ドネ シ アへ 派 遣 さ れ る。

セ レ ベ ス 回 教 協 会 の 活 動 に従 事 。 小 村 哲 夫 と宣 撫 工 作 に従 事 。 1946年 帰 国 。

小 林哲 夫* 1911年 兵 庫 県 生 ま れ 。

改 宗 時 期 は 不 明 。 オ マ ル ・フ ァイ サ ル 。 1936年4月8日 ア ズ ハ ル 大 留 学 。

※ 最 初 の ア ズ ハ ル 大 留 学 生 は益 子 勇 。 1939年 メ ッ カ巡 礼 へ 。

※ 萱 葺 信 正 、 後 藤 信 巌 と。

1943年 頃?イ ン ド ネ シ ア で 特 務 工 作 に従 事 。 セ レベ ス 回教 協 会(海 軍)へ 配 属 。

ボ ル ネ オ 回 教 協 会 、 セ ラ ム 回教 協 会 を 組 織 。 マ カ ッ サ ル 上 空 で 死 亡 。29歳

小村 不 二男* 1912年 京 都 生 ま れ 。

1937年11月 長 春 か ら包 頭 へ 行 き、 有 力 者 に 接 触 。 そ の 後 、 日本 に 一 時 帰 国 して 改 宗?ム ス タ フ ァ。

1938年12月 西 北 回教 聯 合 会 の 設 立 。 顧 問 に 就 任 。 1939年 秋 蒙 彊 回教 徒 訪 日視 察 団 を 日本 へ 案 内 。 1941年 春 厚 和 で 京 城 か ら来 た 茂 野 直 弘 ら に 会 う 。 1942年7月 西 北 事 情 研 究 所 を 開 設 。

中 岡 艮 一 1903年 栃 木 県 生 ま れ 。

1921年 原 敬 暗 殺 事 件 で 投 獄 さ れ る 。

1934年 出獄 。 そ の後 、 満 洲 国 へ 。 陸 軍 に 勤 務 。 ハ ル ビ ン で イ ス ラ ー ム に 改 宗?イ ス ラ ー ム 名 は不 明 。

タ タ ー ル 人 女 性 と恋 愛 関 係 に 。

※1937年 に神 戸 モ ス ク で 改 宗 し た 説 もあ る 。

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松 林 亮* 1921年 頃?改 宗 。 イ ス ラ ー ム 名 は不 明 。

右 翼 の活 動 家 。 皇 国 史 観 の 影 響 あ り。

1935年 満 洲 国 で 張 徳 純 と 回教 工 作 に 従 事 。

※趙 銘 周 ほ か7,8名 を 日本 へ 派 遣 。

1937年 夏 張 徳 純 、 趙 銘 周 、 劉 錦 標 、 馬 良 漢 に 同行 して 帰 国 。 小村 由太郎* 小 村 不 二 男 の 父 。

1937年 シ ベ リ ア経 由 で 京 城 へ 亡 命 した タ タ ー ル 人 と接 触 。

※ 京 城 に 臨 時 礼 拝 所 あ り。

※ 代 理 イ マ ー ム:タ タ ー ル 人 ア ブ ドッ ラ ー ・ハ キ ー ム 。

※ 京 城 帝 大 の 茂 野 直 弘 も協 力 。 岡 田義雄* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 も不 明 。 ム ス タ フ ァ 。

1941年 北 京 の 清 真 寺 で 回 教 を研 究 す る 。 鈴 木 剛* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 も不 明 。 ムハ ン マ ド ・サ ー リ フ。

1934年 メ ッ カ 巡 礼 。 同 行 者:郡 正 三 、 細 川 将 、 山 本 太 郎 。 1936年 メ ッ カ 巡 礼 。 同 行 者:細 川 将 。

1937年 メ ッ カ 巡 礼 。 同 行 者:満 洲 国 の 張 世 安 。 1938年 『日本 回 教 徒 の メ ッ カ 巡 礼 』 を 出 版 。

※若 林 半 の 経 済 支i援あ り。

※東 京 イ ス ラ ム教 団 の メ ンバ ー:郡 正 三 、 松 林 亮 と 同 じ く。

若 林 半* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 、 イ ス ラ ー ム名 も不 明 。 1938年 『回 教 世 界 と 日本 』 を 出 版 。

※ 大 日本 回 教 協 会 の メ ンバ ー 。

※ 鈴 木 剛 の メ ッ カ 巡 礼 を援 助 。 植原 愛算* 出 生 年 不 明 。

徳 島 県 生 ま れ 。 改 宗 時 期 、 イ ス ラ ー ム 名 も不 明 。

※ 若 林 半 の 弟 。

※ 共 産 主 義 者 だ っ た た め 満 洲 へ 逃 亡 。 1937年 メ ッ カ 巡 礼 を 志 す も紅 海 に投 身 自殺 。

※ 同 行 者:鈴 木 剛 、 細 川 将 、 榎 本 桃 太 郎 、 郡 正 三 。 正 三* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 も不 明 。 ム ハ ンマ ド ・ア ブ ド ゥ ワ リー 。 1934年 メ ッ カ 巡 礼 。

同行 者:鈴 木 剛 ム ハ ンマ ド ・サ ー リ フ 。 細 川 将 ム ハ ンマ ド ・ア ブ ド ・ア ル=ナ イ ム 。 山 本 太 郎 ムハ ン マ ド ・ア フマ ド。

大西 伸 治* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 、 イ ス ラ ー ム名 も不 明 。 メ ッ カ巡 礼 者 。 1943年 陸 軍 第16軍 参 謀 部 特 別 班 。

※ 戦 前 か ら イ ン ドネ シ ア に 関 わ る。

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金 子 昇* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 も不 明 。 ア マ ス ラ ー 。

1936年 大 東 文 化 学 院 の 回 教 研 究 会 「支 那 回 教 現 勢 調 査 団 」 に 参 加 。

※ 中 支 、 北 支 、 内 モ ン ゴ ル を視 察 。

1943年 岩 畔 機 関 ペ ナ ン特 務 班 で 回教 工 作 に 従 事 。 茂 野直 弘* 出 生 年 不 明 。

改 宗 時 期 、 イ ス ラ ー ム名 も不 明 。 1930年 代(?)京 城 帝 大 卒 。

※1939年 『蒙 彊 調 査 報 告 』(大 陸 文 化 研 究 会)を 出 版 。

※京 城 イ ス ラ ー ム協 会 を組 織?

※ 小 村 不 二 男 の 父 と京 城 で 活 動 か?

1941年 春 蒙 彊 学 院 へ 。 萱葺 信正* 出 生 年 不 明 。

1938年 春 上 京 。

※ 若 林 半 の 推 薦 に よ り後 藤 信 巌 と ア ズ ハ ル 大 学 へ 留 学 。 1938年 秋 東 京 回 教 礼 拝 堂 で 改 宗 。 イ マ ー ム:イ ブ ラ ヒ ム 。

ム ハ ンマ ド ・イ ブ ラ ー ヒ ー ム 。

1939年 メ ッ カ 巡 礼 へ 。 同 行 者:小 林 哲 夫 、 後 藤 信 巌 。 1941年12月 大 学 で 警 察 に 抑 留 ・連 行 さ れ る 。

1942年 公 使 館 に 軟 禁 。 そ の 後 、シ ン ガ ポ ー ル経 由 で 一 時 帰 国 。 1943年 シ ン ガ ポ ー ル へ 渡 航 。 光 機 関 へ 配 属 。

ビ ル マ の ア ラ カ ン海 岸 部 へ 。 イ ン ド人 工 作 隊 を 引 率 。 注 記

① 氏 名*:回 教 工 作 に 関 わ っ た と考 え られ る人 物 。

② 年 号 ・時 期 につ い て は 『日本 イス ラ ー ム史 』 を参 照 したが 、 小 村 自身 に よ る 事 実 誤 認 ・記 憶 違 い な ど もあ り、 必 ず しも正 確 な情 報 で は ない 。

表② は 、 戦前 ・戦 中期 の 日本 人 ム ス リム の 主 要 人 物 を列 挙 した もの で あ る。 日 本 の 回 教 工 作 に 関 わ って い た と考 え られ る 人物 に は 氏 名 に*印 をつ け てお い た。

彼 ら全 員 が 回教 工 作 に 関 わ っ て い た わ け で は な い が 、 回教 工作 に関 与 して い た 者 が 多 か っ た こ とは一 目瞭然 で あ ろ う。特 に 、戦 後 日本 の ム ス リム社 会 を牽 引 した 三 田、 小 村 た ち は 中 国 に お け る 回教 工 作 に深 く関 わ っ て い た だ け に非 常 に 目立 っ た存 在 だ とい え る。 三 田 了一 は 山 岡光 太 郎 に 師事 し、 イ ス ラー ム に傾 倒 し、 山 岡 の斡 旋 に よ っ て満 鉄 に入 社 し、 そ の後 、 満 洲 国、 包 頭 、 北 京 な どで の各 地 で 回教 工 作 に従 事 した。 中 国 回教 総 連 合 会 の顧 問 に就 任 した こ とか ら中 国 イ ス ラ ー ム に 精 通 して い たの で あ ろ う。 北 京 の牛 街 礼 拝 寺 で王 瑞 蘭 の も とで正 式 に改 宗 した と い う説 が あ る[鈴 木2011:161]。 三 田 の 場 合 、 師 匠 に あ た る 山 岡が ア ブ デ ュ ル レ シ ト ・イ ブ ラ ヒ ムの勧 め で メ ッカ巡 礼 へ 行 っ て い る ので 、 中 国 ムス リム以 外 に も亡 命 タ ター ル 人 た ち と も接 触 が あ った 可 能 性 が あ る。

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一 方 、小村 の場合、 『日本 イス ラーム史』 とい う大 著が ある に もかか わ らず、

中国 へ 渡 航 す る ま での 経 歴 、 イス ラ ー ム に改 宗 した時 期 や 契 機 な ど 自分 自 身 の こ と につ い て は意 外 に も書 か れ て い ない 。 中 国へ 移 り住 む前 に 日本 人 ムス リム た ち と どの 程 度 交 流 が あ った の か も不 明 で あ る。 お そ ら く、 小村 は 中国 で 回民 あ る い は 亡命 タ ター ル 人 と出 会 って か らイ ス ラー ム に傾 倒 した の で は ない だ ろ うか 。 実 は、 父 親 の小 林 由太 郎 もム ス リム で 、 主 に朝 鮮 半 島 で 亡命 タ ター ル 人 と接 触 して い た ら しい 。 そ の後 、 父 親 は不 二 男 の い る厚 和 に 移 り住 ん だ が[傳 世 魁2001:

207]、 彼 らが改 宗 した経 緯 は よ くわ か らな い。 次 に、 小 村 不 二男 が 主 に 内 モ ン ゴ ル で行 っ た特 務 工 作 を確 認 して お きた い。

2小 村 不 二 男 の特 務 工 作

小 村 は京 都 生 ま れ で、 天 理 外 国 語 学 校 で モ ン ゴ ル語 と漢 語 を学 ん だ。 そ の 後 、 ど うい う経 緯 なの か は不 明 だ が 、満 洲 国へ 渡 り、1937年12月 に満 洲 国 の 新 京(現 吉 林 省 長 春)か ら蒙 彊 の 包 頭 へ 行 き、 回 民 の 有 力 者 に接 触 しなが ら回教 工 作 の 準 備 を着 々 と進 め た 。 小 村 が イ ス ラー ム に改 宗 した の は1938年 春 に 日本 へ 一 時 帰 国 した 時 で あ った と考 え られ て い る が[新 保2002:328]、 そ の こ と を裏 付 け る 資料 を筆 者 は確 認 で きて い な い 。

1938年12月 、 蒙 彊 政権 下 の 厚 和 で 西 北 回教 聯 合 会 が 設 立 さ れ、 小 村 が 主任 顧 問 に 就 任 した。1939年1月 に は 厚 和 に 回教 青 年 学 校 を 開校 し、 小 村 が 責 任 者 を 務 め た。 当時 、 厚 和 の特 務 機 関長 は小 倉 達 次(大 佐)で 、 回教 工 作 に理 解 の あ る 軍 人 だ っ た と い う[小 村1988:119]。1941年11月 、 小 村 は 日本 軍 部 に 懇 請 し て厚 和 の 清 真 大 寺 に ミナ レ ッ トを建 設 さ せ て い る が12)、 こ れ も小 倉 達 次 の 後 押 し に よ る も の で あ ろ う。 そ の 後 、1942年10月 か ら11月 にか け て 小 村 は 蒙 彊 回 教 徒 訪 日視 察 団 を 日本 まで 引 率 してい る。 蒙 彊 回教 徒 訪 日視 察 団 は善 隣 協 会 と 日 本 軍 部 の働 きか け に よ って 実 現 した の だ が 、 小村 も全 面 的 に協 力 して い た。 蒙 彊 回教 徒 訪 日視 察 団 は 日本 各 地 を転 々 と し、 日本 の 軍 部 や 政 界 の 関係 者 に接 見 し、

東 京 回 教 礼 拝 堂 、 大 日本 回 教 協 会 な どを 訪 問 して い る[小 村1988:110‑111;新 保2002:329]。

時期 が 前 後 す る が、1941年 、 小 村 は厚 和 の 旧城 北 門外 東 順 城 街13)に 回民 会館 を設 立 した。 小 村 は この 回民 会 館 に西 北 地 方 の交 易 に従 事 す る 隊 商 を宿 泊 させ る こ と に よ っ て 、 西 北 地 方 や イ ス ラ ー ム に 関 す る情 報 収 集 を 行 う た め で あ る[傳 世 魁2001:205‑212]。 内 モ ン ゴル や 西 北 地 方 の 隊 商 に は 回民 が 多 く、 西 は新 彊 か ら東 は北 京 ま で交 易 活 動 を広 範 囲 に行 っ て い た の だ が、 小 村 は 回民 の隊 商 の 商 業 網 や情 報 網 に 目 をつ け た の で あ ろ う14)。回 民 会 館 は 厚 和 特 務 機 関 が組 織 した 西 北 貿 易 通 商 会(責 任 者:張 廷 璽)か ら資 金 を提 供 され 、 西 北 回教 聯 合 会 の厚 和

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日本の 回教工 作 と民族 調査

支 部 に管 轄 さ れ て い た。 回民 会 館 に は経 理 が 配 置 さ れ、 地 元 出 身 の 回民 が経 理 を 担 当 して い た。 小 村 は 回民 会 館 の顧 問 を務 め、 厚 和 特 務 機 関 の宮 崎 の指 示 を受 け て い た。 こ の 頃、 小 村 が清 真 大 寺 で礼 拝 す る様 子 を よ く目撃 され て い る[傳 世 魁 2001:206‑207]。

こ の よ うに、 小 村 の事 例 か ら、 内 モ ンゴ ル に お け る 回教 工 作 に つ い て は 、 日本 軍 部 、 駐 蒙 軍 、 特 務 機 関、 善 隣協 会 、 西 北 回教 連 合 会 な どの諸 機 関 ・団体 が相 互 に連 携 しなが ら行 っ て い た こ とが わ か る。また 、現 地 に く らす 回民 の 人 々(例 え ば、

清 真 寺 の宗 教 指 導 者 や管 理 責 任 者)が どの程 度 自覚 して い た の か は 未確 認 で あ る が、 日本 の 回教 工 作 に 直接 的 あ る い は 間接 的 に 関 わ っ て い た こ と もお の ず と よ く わ か る。 小 村 が深 く関 わ っ て い た西 北 回教 連合 会 に しろ 、 回 民会 館 に しろ 、 回教 青 年 学 校 に しろ、 現 地 の 回民 が 職員 と して積 極 的 に採 用 され て い た 。 そ の な か に は 日本 人 の 軍 人 や警 察 に 反発 して い た者 もい た が 、 時 局 の 要 請 か ら協 力 せ ざる を え な か っ た の で あ ろ う。例 え ば 、 回民 の傳 世魁 は 回 民会 館 の 経 理 を担 当 して い た が、1941年 冬 に会 館 内 で 発 生 し た利 用 者 の トラブ ル を きっ か け に辞 職 した に も か か わ らず 、小 村 の依 頼 を拒 否 で きず 、 回 教 青 年 学 校 の 会 計 とな っ て い る[傳 世 魁2001:209‑211]。

1V中 国 に お ける 民族 調 査一 回 民 の 実 態 調 査 を事例 と して

と こ ろで 、 皮 肉 な こ と に、 日本 軍 部 主 導 の 回教 工 作 に後 押 し され るか た ち で、

日本 の 回教 研 究 は 開花 す る こ と とな っ た 。特 筆 す べ きは 、 当 時 、 東 洋 史 学 を中 心 と した 文献 研 究 だ け で な く、現 地 調査 も系 統 的 に 実 施 され て い た こ とで あ る。 文 化 人 類 学 者 の 中生 勝 美 の言 葉 を借 用 す れ ば、 「戦 時 中 の民 族 学 は、 戦 争 遂 行 の た め の基 礎 学 問 と して 、 あ らゆ る 国で 利 用 」[中 生2000:17]さ れ た が 、 当 時 、 民 族 学 だ け で な く、 東 洋 史 学 や社 会 学 な どの 学 問 分 野 も 日本 の 植 民 地 ・占領 地 支 配 の 道具 とな っ た こ とは 否 定 で きな い 。 中 国 回 民 の場 合 、 満 洲 国 、 北 京 、 内 モ ン ゴ ル な どで調 査 団 が組 織 され て 実 態 調査 が 行 わ れ て い た 。

補 足 説 明 す る と、 日本 や 中 国 に は 、 日本 政 府 や外 郭 団体 な どの 支 援 に よ って 回 教 研 究 に 関 連 す る研 究機 関 が い くつ も設 立 され て い た 。 例 えば 、 日本 軍 部 は 内 モ ンゴ ル に対 す る 軍事 作 戦 を 本格 的 に 進 め る に あ た り、 善 隣脇 会 を組 織 した 。 善 隣 協 会 の 前 身 は1933年3月 に 成 立 した 日蒙 協 会15)で あ る 。 日蒙 協 会 は1934年1

月 に 善 隣 協 会 と改 称 し、 そ の 後 、 回教 圏孜 究 所16)を 傘 下 に 置 き、 国 策 に そ っ た か た ち で 回教 研 究 を展 開 した 。 回教 圏 孜 究 所 は 『回 教 圏 』 を定 期 的 に刊 行 し、 イ ス ラー ム 関 連 情 報 を積 極 的 に 収 集 ・分 析 して い た 。 こ の ほ か に も、1943年7月 に は 小 村 不 二 男 が 厚 和 に 西 北 事 情 研 究 所 を 開設 し、 回民 に 関 す る 調 査 ・研 究 を

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