• 検索結果がありません。

[文献紹介] 岡村達雄・古川清治編集『養護学校義 務化以後 : 共生からの問い』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "[文献紹介] 岡村達雄・古川清治編集『養護学校義 務化以後 : 共生からの問い』"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

[文献紹介] 岡村達雄・古川清治編集『養護学校義 務化以後 : 共生からの問い』

著者 田中 欣和

雑誌名 教育科学セミナリー

巻 18

ページ 47‑47

発行年 1986‑12‑07

URL http://hdl.handle.net/10112/00019514

(2)

文献紹介

岡村達雄・古川清治編集

『養護学校義務化以後一共生からの問い一』

早いもので、「養護学校義務化」から

8

年を 経過した。当時すでに、障害児を含めてどの子 も、地域の学校で共に育ち、共に生きることを めざす運動や実践が広がりつつある中で打ちだ された「義務化」は、実質的には「共育」の動 きにブレーキをかけ、養護学校•特殊学級・普 通学級に子どもを選別・隔離する政策であった が、それはまた「政策」対「運動」の対立とい うばかりではなくて、教育運動や教育理論にお ける対立を鮮明にした。ここ十年ほどの間に

「義務化=隔離」の思想に逆らう行動は、予想 以上のものを生みだしたことはたしかであるが、

今日、「隔離」の立場に対置する議論や事例を 提示することでは不十分なのであって、今どこ まで来たのか、明らかになった問題は何なのか、

現時点での壁の性質は何なのかを総括した上で、

「特殊」な教育領域の論議ではなく、教育・学 校一般を見直す鍵として「共生」を論ずる必要 があるだろう。編集者たちの意図もそこにあっ たと思われる。

本学の岡村達雄氏と『オヤジの障害児教育 論』(柘植書房)の著者である古川清治氏を中 心とした共著であり、それぞれの執筆者の角度 は、さらに巻末の座談会で照らしあわされる。

編者あとがきに、「共生・共育を求め合いな がら、親たちや教師たち、それに『障害者』た ちがお互いにわだかまりをもち、もどかしさの なかにおかれているのも事実だと思う。だから こそ、いま、私たちにとって率直な相互批判・

わだかまりのぶつけあいが必要なのだと思う」

と編集意図が述べられている。

(柘植書房

1 9 8 6

5

月刊、

1 , 7 0 0

「ぶつけあい」は「投げかえしあい」にまで には至っていない。そのこと自体が

8 6

年時点で の私達の位置を鮮明にしているのであろう。

「地域の学校」を「校区の学校」「文部省の出 店」とよぶに至った古川氏は、この十年間に学 校はより悪くなったとしながらも、地域の子ど もの集る場所としての学校を放棄しようとはし ない。その葛藤を含んだ論旨は、今、かなり多 くの人々の抱いている気持ちをことばにしたも のとなろう。また「近代学校」批判というより 大きな枠組のなかで「共生」を位置づけようと 苦闘している岡村氏の論稿は、障害児教育論と いうより、氏の読者にとって岡村教育論がどう いう方向へ向っているのかを理解するのに役立 つだろう。

「地域の学校で」論が、拡がりという点では おそらく全国ーになっているはずである大阪の 経験が集団的に総括できていないということが、

全国的な総括においても弱点をつくりだしてい るということを筆者はあらためて感じる。岡村 氏のいうように、権利を一定程度保障すること によって統治する構造を十分対象化しないと、

運動の拡がりは体制内化し、形式化する。点と 線が面となり、ーたん沈静化しかけた面でまた 点が生まれて、線でつながったり、ひびわれし ていく力動過程を記述していくためには、執筆 者らと基本的な問題意識を共有できる人々が、

より大きな枠組を持ちながら、事実を整序し、

集積しあう機会をさらに求めなければならない であろう。

(田中欣和)

‑47‑

参照

関連したドキュメント

供た ちのため なら 時間を 惜しま ないのが 教師のあ るべき 姿では?.

学校に行けない子どもたちの学習をどう保障す

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

 調査の対象とした小学校は,金沢市の中心部 の1校と,金沢市から車で約60分の距離にある

岩内町には、岩宇地区内の町村(共和町・泊村・神恵内村)からの通学がある。なお、岩宇 地区の高等学校は、 2015

今年度は 2015

 講義後の時点において、性感染症に対する知識をもっと早く習得しておきたかったと思うか、その場