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戦後歌謡の定型にみる「現実」感覚の変遷 : 「虚 構の時代」論の再検討

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構の時代」論の再検討

著者 吉岡 威史

雑誌名 同志社社会学研究

号 6

ページ 43‑54

発行年 2002‑03‑20

権利 同志社社会学研究学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011959

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戦後日本社会論における「虚構の時代」

私は昨年、この『同志社社会学研究』の第5号 において、「『虚構の時代』の大人像−歌謡曲にお ける『夢』使用法の諸類型をとおして−」と題し た研究論文を発表している。本稿の目的は、その 論文に、現在の私自身の考えをつけくわえること で補足修正し、以前の主張を洗練させることであ る。

さて、その主張とは以下のようなものであっ た。

1990年代以降、「荒れる成人式」問題や「アダ ルト・チル ド レ ン」問 題(西 山 1995)な ど、成 熟困難問題と総括できそうな現象が報道されてい る。これは、戦後日本社会でいえば、「現実」の 対領域としての「理想」を追いかけて、物質的空 洞にrealなものをrealize(実現)しよう と し た 戦後の復興期から、高度経済成長期を経て、「現 実」の対領域としての「虚構」「夢まぼろし」の 状態、具体的には、コンピューターやゲームとい ったvirtual realityへの社会的な意味を欠いた熱 狂の状態への移行(見田 1995・大澤 1996)を背 景として説明できる。

すなわち、これは戦後日本社会における近代化 の問題としてとりだせる、というのが私の考えで ある。「夢(理想)」を実現することでアイデンテ ィティ混乱を抜け出す、といった、エリクソン型 の自我形成イメージからくる近代型〈大人〉像

が、「虚構の時代」とこれらの論者が呼ぶ現在に おいて、実現困難と感受されていることが、前述 した「成熟困難」問題の核ではないか。

こういった立場と類似する理論モデルとして は、まず特殊的近代化論として、そもそもここで いう「成熟」像が欧米から輸入された外発的な自 我 イ メ ー ジ で あ る、と い う、夏 目 漱 石([1914]

1978)や江藤淳([1967]1993)といった論者の議

論に代表される側面が考えられる。あるいは、よ り普遍的なポスト近代化論として、情報化・消費 化社会が、想像界と現実界の境界を無化すること で「理想」をハイパーリアルの領域においやって しまう、といった、ブーアスティン・マクルーハ ンを拡大解釈することでボードリヤール(Baudril-

lard[1975]1992)がもっとも尖鋭化した側面も考

えることができる。

前述の論文では、その具体的な「現実の対領域

=夢(理想or虚構)」のあ り よ う を、1980年 代 以降のポップソングから考えるために、自我形成 期の表現として十代の歌手に注目し、85年前後 にヒットした尾崎豊・99年以降にヒットしてい る宇多田ヒカルの歌詞にあらわれる「夢」表現の 分析をおこなった。また補足的に、この「虚構の 時代」の代表的な歌手である桑田佳祐の「夢」分 析もくわえた。

その結果を簡単にみておこう。

まず、土臭いフォークソングの影響下にスター トしたが、東京生まれである尾崎の「夢」は、黄 昏の心象風景を伴い、あらかじめ実現を禁じられ

戦後歌謡の定型にみる「現実」感覚の変遷

── 「虚構の時代」論の再検討──

吉岡 威史

YOSHIOKA Takeshi

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た「理想」を含意し、「あと何度自分自身卒業す れば本当の自分にたどりつけるだろう」(『卒業』

1985)という、挫折のための挫折とか、コンピュ

ーターソフトの「バージョンアップ」と通底する ような成長イメージをもっていた。

次に、都市化が十分にすすんだ段階での、アメ リカ育ちでもある宇多田の「夢」は、天国的な心 象風景を伴い、「現実は極上の夢でごまかそう」

(『Never Let Go』1999)と い っ た、き ら び や か な

「嘘」としての「虚構」を含意していることがわ かった。

また桑田の場合、「あの虹の彼方に夢出づる人 魚 の よ う な 思 い 出 が 住 む」(『Bye Bye My Love』

1985)といった、虹の心象風景を伴う、豪華であ

るがつかみがたいといった虚構性と、同時に生命 力の横溢する〈祭〉といった原始的な時間感覚も 特徴にもっていた。これは、尾崎と宇多田の中間 に位置する、日本経済バブル期の「夢」と考える ことができる。

こうした現実認識の三つの類型を抽出したうえ で、このような、現実を「超越」しようとたり、

それに「適応」したり、虚構性を「自省」したり

(井上 1992)といったタイプの自我が、実現困難

であるとしても、どのような〈価値〉に依拠して

「大人」と呼ばれるものになろ う と し て い る の か、ということに論文の焦点はあてられた。その

「実現困難」性の具体的な姿こそが、戦後日本の 近代受容における二重の困難性の実相だと考えた からである。

さて、こうした私の議論は、もともと見田宗介 が 定 立 し た、「現 実」の 対 領 域 が「理 想」か ら

「夢」を経て「虚構」へ向かう、といった戦後日 本の社会意識論が、「虚構の時代」内部において も進行してきた、という判断を根底に含んでい る。しかし、ある特定のアーティストと時期に限

定した質的な解釈ではそれでいいのかもしれない が、より大きな視点からは、戦後日本社会の歌謡 曲における「夢」使用法は、実際にはどのような かたちで変遷を遂げてきたのだろうか(もしくは 遂げなかったのか)。

今回は、戦後歌謡曲における「夢」使用法を量 的に処理し、そこからなにが見えてくるのかを考 察し、前回の議論に厚みをくわえていきたい。

2

資 料

さて、このような分析のためにもっともふさわ しい資料集としては、『新版 日本流行歌史』(社 会思想社)があげられる。1970年に初版がでて 以来、80年、94年に増補新版が登場し、規模も どんどん大きくなり、上中下の3巻におよんでい る。編者の前書きによれば、「初版当時も今まで になかった流行歌史の網羅的な著述として多くの 反響をよんだが、その歌詞篇と年表、参考資料は 各所で基本的な資料として重用されてきた。今で は 流行歌史 の本はほとんど発刊されておら ず、この 流行歌史 が唯一のものとなってしま ったような観さえある」ということであるが、こ れは誇張とはいえないだろう。

時期としては、1868年(明治初年)から、1994 年(平成6年)までの127年間の流行歌を扱って いる。日本近代の曙から戦中・戦後をカバーする わけで、申し分のないスケールである。

歌詞の収録量としても、明治時代202曲、大正 時代118曲、それ以降は1369曲、総数1689曲で あり、流行歌がいかに多様かつ多量であるとはい え、その雰囲気の移りゆきを十分にカバーできる ものがある。ちなみに、網羅的な歌詞研究として 孤高の位置をしめる、見田宗介『近代日本の心情 の歴史』([1967]1978)が扱っている歌詞の総数 は、451曲である。

曲の選択基準が明示されていないことが難点で

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はあるが、私の生まれ育った年代の選曲などみて いても、「流行歌」の基準としてほぼ妥当である とかんじる。

ただし、小川(1998)の指摘にあるように、① テレビメディアと歌謡曲が連動しはじめたことに よって、「それについていく若年齢層/なつメロ や演歌にとびついた中高年齢層」が分化しはじめ た ②特にアメリカからの影響によってフォーク

・ロックを中心に聴く層がでてきた、といった大 きな出来事が1960年代後半に起こっている。そ のことによって歌詞分析の資料としても、おおま かにいって、「演歌」「テレビに親和的な歌謡曲」

「洋楽志向のフォーク、ロック」の三つに分化し ており、そのどれに重点をおいて収集するかによ って、分析が大幅に違ってくるといえる。

戦後歌謡とひとくちにいっても、見田や鶴見俊 輔、南博らのように、国民全体の「大衆芸術」と して扱える時期と、宮台真司らのように、若者論 の一環として扱う時期とがわかれてしまう。いつ の頃からか、ヒット曲のイメージというと、紅白 歌合戦をのぞいては若者の若者による若者のため のものになったのである。それゆえ一貫した分析 は不可能、との考えがあるが、私はむしろこの

「分断」をこそ問題にしたい。

それはさておき、この資料集では、選者の世代 的なものか、若干「なつメロ」や「演歌」に偏っ て収集されているきらいはあるかもしれない。た だ、ある「定型」をみてとるぶんには十分である ともいえるだろう。

もうひとつ、この資料は1994年までであり、

最近の6年ほどを補うために、『J−POPヒットソ ングス』(2000)という、主に1990年代の流行歌 の歌詞とコードを1年あたり40曲前後集めた資 料もくわえた。これは研究者用に編まれたもので はなく、むしろその点で重要である。この時期 は、カラオケやオリコンでのセールスチャート、

FMやテレビ番組での人気集計が洗練された頃で もあり、「街で流れていたもの」という観点から は、選曲にほぼ問題はなく、曲数からいって、そ うした基準よりさらに網羅的であろう。ただし、

さきの「洋楽志向のフォーク、ロック」のうちで も特にロック調のリズムのものがほとんどであ り、以前なら「ニューミュージック」とよばれ、

90年代終わりに「J−POP」とよばれるようにな ったジャンルのもの、すなわち「虚構の時代」の 若者世代が好む曲の分析にしか向かない。

3

分析方法

分析の方法としては、「夢」に注目するのは当 然としても、今回は「涙」にも同じぐらいの焦点 をあててみる。見田宗介による、『近代日本の心 情の歴史』(1967[1978])によれば、「明治以後の 日本の流行歌の中で、最も多く使われてきた名詞 は『涙』であり次いで『夢』で あ る」(p. 47)と いう。ただし、明治前期の22年間には、96曲中 1曲で使われているのみであり、それが徐々に比 率を増して、戦後の18年間では36.7% の曲で使 われるという比率に達するという、やや意外な結 果がみられる(この比率は私の研究と大いに異な る。「涙」という名詞に限定していて、「泣く」な どの動詞を省いているからだろうか)。

土居健郎は、その有名な日本人論としての一連 の「甘え」理論のなかで、「涙」にはそれほど重 点をおいていないようにみえるが、「本来乳幼児 の母親に対する感情として起きる」と定義される

「甘え」において、「涙」は重要な意味をもつはず

である(土居 1971)。この「涙」と近代化を結び

つけて考えることはできないだろうか。

そこで、戦後においても、「涙」登場曲の比率 に劇的かつ有意味な変化がみられるのか、「泣く」

という動詞登場曲も含めてみてみることにした。

ただ、「涙」が登場する、といっても、とるに足

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りない場面で、「泣くな野球の神様も/たまにゃ 三振エラーもする」などといったように言葉の飾 りとして副次的にでてくるものと、曲に表現され た心象風景の集約点になっているものとを区別す る必要がある。

この区別は、実際には難しく、分析し直すたび に結果が違ってしまったため、最終的に、量的に 同じものとして扱うことにした。あまりに軽い使 用と思われるものを分離してみたりもしたが、30 曲に1曲という割合であったので、誤差の範囲内 で あ ろ う。「虚 構 の 時 代」の「涙」は、「cry」

「tears」などというように身体感覚を離れて記号 化しているので、この差を量的データに反映させ たいとも思ったが、「なみだ酒」などが記号化し ていないともいえないので断念した。

さ て、も ち ろ ん 本 稿 の 主 眼 で あ る、「夢」が

「理想」を含意するのか「虚構」を含意するのか、

という比率もおさえていく。また、そもそもの

「夢」使用率の変遷もおさえておく必要があるだ ろう。

前述のように、「夢」とは、人間の認識にとっ

て「現実 reality」の対領域であるから、そもそ

も 幻 想 的 な も の で あ る。そ れ が「realize(現 実 化)」可能で前向きなものとみなされているとき が「理想」になり、近代の時間感覚からすると停 滞していたり、後ろ向きにだとか、「偽りのつく りもの」「悪夢」のようだとネガティブに「realize

(認識)」されたりするときが「虚構」になる。そ のことをふまえて、ここでは「夢」表現を5種類 に分類しておこう。

タ イ プAは、理 想 を 含 意、も し く は「理 想」

という言葉そのものに注意が向けられた楽曲。

若々しさが特徴である。タイプBは、それが実 現不可能だとか空想的なものだとかいう了解があ り、理想そのものとはいいきれないが、それに準

ずる前向きな「夢」。タイプDは、現実とかかわ りがないわけでもないが、ノスタルジックであっ たり、詠嘆調で停滞ぎみの「夢」。タイプEは、

現実とのかかわりを放棄して、白昼夢のように

「虚構」世界に耽溺するタイプの「夢」。タイプC は、このどれにもあてはまらないものというだけ ではなく、「この世のパラダイス」といった、ポ ジティブなものではあるが「嘘」にすぎないとい う認識が根底にあるタイプのもの。「嘘」だから ネガティブということも限らなくて、永続性を欠 くということである。

この分類にさいして、もっともよりどころとな るのは、そこ(「夢」)に流れる時間感覚が、未来 へ向かっているか、過去へ向かっているか、停滞 しているか、ということである。そういう矢印を つけるつもりでのぞめば、だいたいの分類は可能 である。未来を想像することで時間を直線的に流 すAはわかりやすい。Cに分類されるものの場 合、ある種、時間が一瞬の「現在」のみに な る

(「夢中」など)。これがパラダイスの「楽 し さ」

より「虚構性」が強調されると、「人間はこうし た儚いものだ」といったふうに、後ろ向きなE に近づく。また、音楽に長調と短調があるよう に、雰囲気が陽性か陰性か、ということも基準の ひとつになる。

分類しているうちに自分なりの基準ができてく るのだが、今述べた、「現実」とのかかわりが濃 密か稀薄かということ、時間が未来か過去かとい うことを補足するものとして、美的認識とでもい うものがある。たとえば、過去をふりかえってい て空想的であっても、あまりにその「夢」の美へ の固執が強いと読みとれるときは、ある種の「現 在」性がかんじられるので、Dに分類すること になる。

全体に、作詞家や登場人物の「真意」を読み解 くというより、どの定型に拘束されているのか、

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と考えながら読むべきである。

実際には、こういった判断は難しい。特にA とBの間、もしくはDとEの間を隔てることが 困難である。また、判定時期によるクセもでてく るので、すべての時代をアトランダムに判定する のが望ましい。ここでは慎重に何度かにわたって 分類した後、A×4+B×3のポイントとD×3+E

×4のポイントを比較することにした。また、C には3.5をかけてポイントをだす。これらのポイ ントから、前向きな「夢」使用、後ろ向き の 使 用、中間的な使用の比率を計算できる。

ところで、こういった、解釈者の主観を前提と した量的分析の場合、当然のことながら複数名に よる共同的な主観の次元にするのが望ましい。前 述の見田の研究も、因子群の判定を3名で行って いる。ただ、今回は研究の規模の問題もあり、私 個人の判定に限定して行うことにする。

分析する時期については、『新版 日本流行歌 史』の1945年 か ら1994年 ま で の す べ て を、90 年代の『J−POPヒットソングス』のすべての分 析で補足できれば理想的であり、実際にその分析 を行ってグラフを作成しているが、今回は、その うちで現在わかっている、各時代の傾向がよくあ らわれる時期にしぼって論述していくことにす る。

まず、敗戦直後の傾向を知るために、見田の分 析でいう「理想の時代」(1945〜59年)のスタート にあたる10年間(1945〜54)をとりあげた。ただ し、実際には、戦後歌謡のスタートとして収録さ れているのは1946年からである。次に、過渡的 な「夢の時代」(1960〜70年代前半)から、1961〜

70年の10年間をとりあげた。この時期は、高度 経済成長と、前述した音楽享受形態の多様化が進 行した時期だが、あえて数字だけをとりだしてみ る。そして、「虚構の時代」(1970年代後半〜90年

もしくは現在)から、できるだけ新しい1985〜94 年の10年間をとりあげた。さらに、補足として

『J−POPヒットソングス』から、2000年発表と表 記された42曲の歌詞も、同様の方法で数字をと りだしてみた。

実際はこの三つの10年間以外の部分を連続さ せて、細かく補足しなければならないことがたく さんある。ただ、本稿の目的はあくまで各時代の 傾向をみることであるから、それはまた別の機会 に譲ることにする。

さて、そうした量的な比率をいったんおさえた 上で、次にその比率の解釈や、「夢」使用の文脈 についての注釈をつけることにする。

4

量的分析の結果

前章までに述べた分析方法により、「涙」登場 の度合いと、「夢」使用法の傾向は、以下のよう な数字であらわされることがわかった(図)。

「涙」登場曲は、1946年〜54年では、163曲中 86曲、52.8% の登場率である。61〜70年では、170 曲中105曲、59.7% の登場率である。ちなみにこ の数字は、もう少し遡ってくわえると上昇し、も う少し後の時代をくわえると下降する。85〜94 年 で は、155曲 中72曲、46.5% の 登 場 率 で あ る。2000年 は、42曲 中14曲、つ ま り33.3% の 登場率であった。

次 に「夢」の 方 は、1946年〜51年 で は、163 曲中65曲で 使 用(39.9%)。A 16 B 10 C 7 D 16 E 20である(使用曲数と各使用回数の和とが食い 違うのは、同曲中の異なる使用法を加算したた め。以 下 同 じ)。A×4+B×3は94ポ イ ン ト。D

×3+E×4は128ポイントである。また、C×3.5 は、24.5ポイントになる。これらのポイントか ら、前向きな「夢」使用は38.1%、後ろ向きの使

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用は51.9%、中間的な使用は9.9% と一応計算で きる。

64〜70年 で は、225曲 中80曲 で 使 用(35.6

%)。A 21 B 13 C 6 D 23 E 19で あ る。A×4+B×

3は123ポ イ ン ト。D×3+E×4は145ポ イ ン ト である。また、C×3.5は、21ポイントになる。

これらのポイントから、前向きな「夢」使用は

42.6%、後ろ向きの使用は50.2%、中間的な使用

は7.3% と一応計算できる。

85〜94年 で は、155曲 中75曲 で 使 用(48.4

%)。A 29 B 12 C 11 D 11 E 13で あ る。A×4+B

×3は152ポイント。D×3+E×4は85ポイント で あ る。ま た、C×3.5は、38.5ポ イ ン ト に な

る。これらのポイントから、前向きな「夢」使用

は55.2%、後ろ向きの使用は30.9%、中間的な使

用は14.0% と一応計算できる。

2000年は、42曲中22曲で使用(52.4%)。A 10 B 4 C 5 D 1 E 5である。A×4+B×3は52ポイン ト。D×3+E×4は23ポイントである。また、C

×3.5は、17.5ポイントになる。これらのポイン トから、前向きな「夢」使用は56.2%、後ろ向き

の使用は24.9%、中間的な使用は18.9% と一応

計算できる。

さて、ひとめでわかるようにまとめれば、「涙」

登場率は53→60→47(→33%)へと移行して お

図 〈涙〉「夢」使用の変遷

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り、「夢の時代」は高度経済成長期にもかかわら ず暗いというべきか、情緒的な定型が歌謡に頻出 していることがわかる。「虚構の時代」はどうか といえば、小川博司の言葉でいう「洋楽志向のフ ォーク、ロック」の歌詞の定型が支配的になった ゆえだろうが、ドライでクールな傾向がみられ る。ことに、J−POPばかりを集めた2000年のも のでは、最盛期のおよそ半分の曲でしか「涙」は 使用されない(J−POPのみによる「涙」使用率 の変遷も興味あるところであるが、今回は省略す る)。

「夢」をおおまかにまとめると、使用率は40→

36→48(→52)%という移行で、皮肉にも「夢の 時代」がもっとも少ない。また、38→42→55(→

56)%が前向きで使用されるという移行をしめし て い る。後 ろ 向 き は52→50→31(→25)%と い う移行で、過半数が後ろ向きの時代から、過半数 が前向きの時代へときれいに移行している。

「夢の時代」の「夢」使用率の減少は、おそら く、後ろ向きな「夢」使用法の定型を抜け出して 前向きなそれへの定型が確立される過渡期ゆえで はないだろうか。「夢=理想」という定型が確立 された後は、迷いがとれたように使用率も上昇す る。ちなみに、それ以降は演歌までもが、かつて から存在したかのように理想を歌い始めている。

80年代における、「夫婦愛讃歌」といえるものの

急増(小川 1999)はそのあらわれであろう。

さ ら に、興 味 深 い の は、「涙」が 多 い 時 期 は

「理想」型の夢が少なく、「夢」が未来へ向かって 流 れ 出 す と、「涙」が 減 衰 す る と い う こ と で あ る。これは、よく考えればあたりまえのことかも しれない。ここから想像できるのは、「涙を流し て過去やつかの間の幻想にひたる」定型が存在し たが、ある時期から、輸入音楽の影響による曲想 の変化に伴い、「涙をみせず未来の夢=目標に向 かって生きる」といった定型があらわれたのでは

ないか、ということである。

すなわち、見田や私自身の議論に反して、歌謡 曲論としてみるかぎり、そこにあらわれる「夢」

や時間感覚は、欧米近代の影響を受けて、どんど ん前向きになってきたのだということがわかる。

しかも、その間に位置する高度経済成長期こそ が、むしろ後ろ向きな曲想が中心なのは、いった いどういう理由からだろうか。ここではそれを、

「農村−都市」という観点から考えてみよう。

5

質的分析

農村から都市へ、といった戦後の心身の移動 が、「ふるさと」イメージをどのように変容させ てきたのかを、歌謡曲を素材として扱ったものと して、藤井淑禎「歌謡曲 の 中 の〈故 郷〉」(2000)

があげられる。ただし、文学専攻の学者らしく、

歌詞が世相をそのまま反映しているといった態度 には、社会学の現在の動向からすると物足りない も の が あ る。ま た、小 川(1998)や 宮 台(1993)

が指摘するように、「国民全体の愛唱歌」という 前提は、ちょうど見田が分析を終えた1960年代 で終わっている。

それにもかかわらず、やはり歌詞分析が社会意 識の動向を説明することに繋がるというのであれ ば、「歌詞−世相」の中間に、ひとつのメカニズ ムを想定しなければならないだろう。私の場合 は、今回、手短にいうと、「夢」「涙」という言葉 にかかわる身体性やエロスイメージの変容を扱う ことで、人々が意識せずになんとなく流通させて いる〈意味〉の定型を問題にしている。すなわ ち、人々が「歌謡曲」とはこういうことを歌うも のだ、と、理解するときのキイになるもの(「夢」

「涙」)を仲介させている。そういう意味では、Fic- tionやRealismなどといった言葉の使用法の変容 を問題にしたレイモンド・ウィリアムズの『キイ ワード辞典』に近いのかもしれない(Williams 1976

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=1980)。

ただ、解釈の次元では反映論はある程度避けら れないし、最終的には避けるべきでもないだろ う。ここでは、基本的にこの藤井の議論に依拠し ながら論をすすめる。

藤井によれば、戦後の「農村」をめぐる視点 は、4つの時期にわけられる。「農村の理想の未 来」といったものがイメージされえた1960年頃 までの第一期。都市への人口移動が激化した第二 期。1966年の経済 審 議 会 の 中 間 報 告 に「過 疎」

という言葉が登場するのに象徴される、荒涼たる 故郷イメージの第三期。都会も環境・公害問題で 荒廃しているが、帰るべきふるさとも実体をもち えない宙づりの第四期。

これに対応する心象の歌詞を収集し、各時期に 配置するというのが、藤井の論の基本的な枠組み である。1956年の『故郷はいいなァ』から、1965 年の『帰ろかな』や1962年の『遠くへ行きたい』

へという曲想の変化を解釈すると、手放しで賛美 できる実体的な「ふるさと」イメージから、「逡 巡自体がテーマ」(p. 71)「都会からは逃れざるを えない、しかし故郷は受け止めてくれない、でも どこかに行くしかない」(p. 73)というイメージ への移行がみてとれる。

一見してわかるように、藤井の議論における第 一期から四期までの移行は、ごく短期間におこっ たものとして説明されている。すなわち、この議 論の射程は、高度経済成長が引き起こした「ふる さと」イメージの脱現実化、とでもいえるもので ある。とすれば、それ以降の「ふるさともの」歌 謡は、「極端なまでの完璧さ」「そらぞらしい、張 りぼてのふるさとの光景」(p. 86)、すなわち「虚 景」になるほかない。

では、逆に「都市」への視点はどのようなもの

だったのだろうか。ここからは私の分析になる が、戦後直後の「理想の時代」でいえば、『東京 の花売娘』『夢淡き東京』『東京ブギウギ』『東京 の 屋 根 の 下』『銀 座 カ ン カ ン 娘』『東 京 キ ッ ド』

『東京シューシャインボーイ』といった「東京も の」とでもいえる歌が1950年までに登場してい る。ここでは、「小首かしげりゃ 広重描く/ジ ャズが流れる/粋なジャンパ ー の ア メ リ カ 兵」

「映画にレビューにブギウギ/なつかし 江戸の 名残り」といったように、伝統とアメリカの影が 同居していたり、「海を渡りひびくは東京ブギウ ギ/世界の歌/世紀の歌」「キャピタル東京 世 界の憧れ/楽しい夢の東京」というように、イン ターナショナルな「夢」の象徴であったり、「日 比谷は恋のプロムナード/上野は花のアベック/

浅草 夢のパラダイス」というように、青春のエ ロスの結実点としてイメージされたりしている。

これらをひとくちでまとめることはできない が、「ねがうはおなじ夢」といわれるときの「夢

=理想」も、「君は浅草か あの子は神田のそだ ち」という部分に続くものであり、遠方からやっ てきて何かが実現されるべき場所としてのイメー ジではなく、既にある生命力が横溢しつつある場 所として、基本的に陽性のイメージが刻印されて いる。また、「娘」「キッド」「ボーイ」といった

〈少年〉イメージとの親和性も確認しておいてい いだろう。

このうち、インターナショナルな「夢」のイメ ージは、『東京五 輪 音 頭』(1963)に お け る、「四 年たったら また会いましょと かたい約束夢じ ゃない」に現実として結実するのだが、この「夢 の時代」の「東京」イメージには、無視できない 心象風景がまとわりついている。『ウナ・セラ・

ディ東京』(1964)は、「哀しいこともないのに なぜか涙がにじむ」ではじまるが、この言葉は象

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徴的である。『東京の灯よいつまでも』『ワン・レ イニー・ナイト・イン・トーキョー』『ラブユー 東京』『新宿ブルース』など。理由は明示されな いままで、60年代の東京のネオンは、不思議と 雨で濡れているイメージである。

この時代の〈涙〉の定型は、たとえば『ネオン 川』(1966)の「誰が名づけた川なのか 女 泣 か せの ネオン川/好きできたのじゃないけれど いつか知らずに流されて 浮いた浮いたの酒を注 ぐ」という言葉に集約される。好みや把握力を超 えた圧倒的な外部の力に規定されている自己を、

「浮いた浮いたの酒」の中にある連帯で慰撫しよ うとしている。また、ここでの「夢」は、「泥に まみれた川だって やがて着くだろ青い海/お伽 話の夢だけど」となっている。「夢」は、たどり つく理想であらねばならないのだが、自己の把握 の外にある虚構である、と読める。この過渡的な 微妙さが、この時期「夢」使用率が低下している ことと関係するのではないだろうか。

こうした〈涙〉「夢」の定型の登場は、藤井が

「ふるさと」イメージの急速な変容をみてとる時 期とパラレルに考えられるべきだろう。ただし、

そうした繊細な変容を反映できない量的分析でい えば、〈涙〉が多用されだすのは1955年から8年 で、ちょうど経済白書が「もはや戦後ではない」

と 述 べ た56年 を 挟 む 時 期 で あ る。と は い っ て も、経済が充実しつつある時期にこそ涙もろくな っているということは確かである。

この「夢の時代」の印象的な年と し て、1962 年は、「夢」が典型的な「理想」として登場して いるのが特徴であり、『若いふたり』『いつでも夢 を』での使用例が典型であるが、戦後日本社会の 青春時代といえそうな無垢でかつ「現実」への確 かな手ごたえを含意した「夢」がみられる。『こ んにちは赤ちゃん』など、日本国の復興と、恋愛 結婚による新しい核家族の芽生えがこの時期には

ある。しかし、そうした「夢」の定型の変化は、

その背景として、藤井のいうような「ふるさと」

の虚景化を代償にしていたのである。その足場の 不確かさによって、「哀しいこともないのになぜ か涙がにじむ」のではないだろうか。

さて、「虚構の時代」にうつると、今回の量的 なデータからは外れているが、1983・4年頃は、

中間的な「夢」使用がきわだっている。東京ディ ズニーランドが開園し、ファミリーコンピュータ ーが登場したこの時期に、都市的なるものが出揃 っ た 停 滞 感 が あ ら わ れ た の だ ろ う か。「夢」と

「涙」の相関でいえば、「きらびやかな夢で縛りつ けたい」「きれいと言われる時は短すぎて」とい う『桃色吐息』がヒットした84年には、「涙のリ クエスト 最後のリクエスト」という印象的な歌 詞でチェッカーズが大ヒットした。また、「私は 泣いたことがない ほんとの恋をしていない」と いう『飾りじゃないのよ涙は』は、〈涙〉の都市 における記号化を的確に風刺していた。

〈涙〉もまた、この時期の直後に、「夢」の定型 の変化を受けて変化しはじめていたようである。

遠くは、「上を向いて歩こう 涙がこぼれないよ うに」(1961)に起源をもつ、〈涙〉の否定と上昇 が関係することであるという定型が頻出しはじめ る。「おまえの涙も俺をとめられない」「激しくた かぶる夢を眠らせるな」というハウンドドッグの

『ff』、「夢を追いかけるならたやすく泣いちゃだ めさ」という渡辺美里の『My Revolution』、「夢 をもとめるならば」「涙なんか見せちゃいけない よね」という尾崎豊の『シェリー』などがそうで ある。これは、世界規模での「『ロック/ポップ』

差異の消失」と南田勝也(2001)が呼 ぶ80年 代 中期の動向が、日本の「歌謡曲」を「ロック」化 したあらわれでもあるだろう。

こうした、日本経済バブル期に花開いた都市文

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化の中での、〈涙〉への逆説的な固執を抜けて、

「夢=理想」表現の定型の登場として画期的なの が1991年 で あ る。こ こ で は、登 場 す る「夢」7 曲のうち6曲が「理想」を内在するというのみな らず、「迷い探し続ける日々が 答になること 僕は知ってるから」(『どんなときも』)とか、「負 けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信 じ抜く事/涙みせてもいいよ それを忘れなけれ ば」(『それが大事』)とか、「どんなに困難でもく じけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝 つ」(『愛は勝つ』)など、具体的な情景として何 を根拠にそういう信念をもっているのかは明示さ れないで、「答」を「探し続け」たり、「信じ抜」

いたりすることの大切さが、あっけらかんとした 明るい響きで歌われている。

これは、藤井の言葉の「虚景」に倣っていえ ば、「虚想」とでもいうべきものであろう。2000 年の分析結果から想像できるように、バブル経済 が崩壊し、都市の快楽=夢に影が落ち、俗に「失 われた10年」などと呼ばれる90年代にこそ、高 らかに「夢=理想」は歌われてきたのである。

ただ、2000年の分析からは、最初から都市に 生まれ育った特に女性歌手のなかで、はっきりと

「夢」に「虚構」を含意する新しい定型がでてき ていることも付け加えておこう。

6

結 論

見田や私自身の理論的な前提、すなわち、戦後 日本の「現実」の対領域が「理想」から「虚構」

へ、という枠組みを量的に再検討するというのが 本稿の目的であったが、その結果として、歌謡曲 表現においては、「現実」の対領域は「虚構」か ら「理想」へ向かう、という逆説的な数値を得 た。

しばしば論じられるように、歌謡曲は、実存の 構造としての身体と密接な結びつきをもつ(竹田

[1992]1996)。こ こ か ら 考 え ら れ る こ と と し て は、日本の近代化は、やはり外発的なものだとい うことである。つまり、理念と身体の間に逆立の 関係があると考えるのがいいのではないだろう か。

戦後復興から高度経済成長を支えた社会集団 は、外的(理論的)にみれば、ひたすら働いて都 市化・近代化をなしとげようと動いているのだ が、身体は牧歌的に安寧や追想を好んでいる。一 方で、「成熟困難」問題が指摘される現在の若者 は、外的にみれば「夢=希望や理想」を失って彷 徨しているのだが、身体はむしろ西洋近代の影響 下に、前向きに生きなければならないとして、絶 え間なく動くことを志向している。

ところで、加藤典洋は『日本の無思想』(1999)

において、辞典の定義や新聞記事の見出しにおけ る使用法の変化を量的に処理することで、「タテ マエ−ホンネ」という、日本古来から使用されて きたと考えられている態度は、現在の「偽装され た意識」という使われ方でいえば、実は1960年 代に登場したものだと述べている。ここで加藤 は、土 居 健 郎 の『表 と 裏』(1985)に お け る、日 本 古 来 か ら あ る「表−裏」が「タ テ マ エ−ホ ン ネ」にそのまま(言葉だけ)置き換わったという 主張を批判している。

すなわち、古代からの「表−裏」は、「顔−心

(腹)」に起源をもち、「方針−本心」という、絶 対的に独立した外部と内部というべきものであ る。これは、現在の「タテマエ−ホンネ」におけ る相補的(タテマエがあるからホンネがある)で 相対的(入れ替え自在)な性質とは違っている。

その変化に、戦後日本社会にある圧倒的な「切 断」の感覚をみるというのが加藤の考えである。

ポイントは違うが、土居の「甘え」理論につい ても、同様の再検討が必要となるのではないだろ

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うか。この理論が登場したのは1971年で、一世 を風靡したのであるが、ちょうどこの時期まで、

歌謡曲の世界では「夢」の定型が「理想」に変化 する過渡期にあり、「好きできたのじゃないけれ ど いつか知らずに流されて 浮いた浮いたの酒 を注ぐ」というような、「甘え」て慰撫しあう、

〈涙〉を介した 連 帯 が 頻 出 し て い る。1970年 の

「涙」使用曲にいたっては、25曲中17曲(68%)

に達する。

さらにいえば、見田の「心情のモチーフ」分析 においても、「甘え」は1952〜58年に増加しはじ め、59〜63年 に さ ら に 急 増 し て い る の で あ る

(その後の分析はない)。おそらく、「甘え」理論 は、こうした状況にフィットしたがゆえに説得力 をもったのであろう(逆にいえば、土居が理論化 しえたということと関係があるのか、71年以降

〈涙〉定型曲は減少する)。

つまり、加藤が指摘する、個々の「本心」を失 って集団的な「ホンネ」に流れてしまうといっ た、「表−裏」から「タテマエ−ホンネ」への移 行をスムーズにする潤滑油として、「甘え」は位

置づけられるのではないか。すなわち、「現実」

感覚の土台となる身体感覚(腹)がうまく獲得さ れないで、その獲得しなければならないのにでき ていない部分 を、〈涙〉が 埋 め て い る。〈涙〉と は、そもそも「いつか知らずに流されて」いるよ うな身体性であるから。もう少し後の時期になる と、その〈涙〉が振り切られていくのであるが、

これは、身体感覚をコントロールできるようにな ったあかしであるよりは、「タテマエ−ホンネ」

の共同体の崩壊ととるほうが自然であろう。

歌謡曲論の立場からみると、「理想」を追い求 め て「現 実」をrealize(実 現)す る は ず の 世 代 は、「いつか知らずに流されて」という感覚しか もちえない、集団依存的な自我形成をしてきた。

また近代主義の立場からいえば、そういう意味 で、「虚構の時代」の若者が突然幼稚化したとい うよりは、「現実」感覚をうまくコントロールで きないという点で、戦後日本社会は、55年体制 を経て国際的にみても稀な経済成長を遂げる頃か ら、一貫してイノセント(=根源的な受身)であ ったということができる。

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参照

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