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『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

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(1)

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

著者 八木 智生

雑誌名 文化學年報

号 70

ページ 35‑61

発行年 2021‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://id.nii.ac.jp/1707/00028205/

(2)

﹃ 洛 西 壬 生 寺 畧 縁 記 ﹄ の 典 拠 と 成 立 時 期

八 木 智 生

は じ め に 壬生

寺︵ 京都 市中 京区

︑律 宗︑ 本尊 は延 命地 蔵菩 薩︶ の縁 起は

︑現 在以 下の 三種 類が 確認 され てい る︒ 1

﹁壬 生 地蔵 縁 起 絵巻

︵以 下︑ 六 巻本 と 称 す る︶ 六巻 の 巻 子本

︒奥 書 は な いが

︑﹁ 奥 文 明 十 八 年 三 月 廿 四 日﹂ と 記 した 神田 道僖 によ る明 和四 年の 極証 文が 付属

︒ 2 元 禄版

﹃壬 生寺 縁起

︵以 下︑ 元禄 本と 称す る︶ 版本

︵大 本︶

︒上 中下 の三 巻三 冊︒ 元禄 十五 年序

︒ 3 寛 政版

﹃壬 生寺 縁起

︵以 下︑ 寛政 本と 称す る︶ 版本

︵半 紙本

︶︒ 上中 下続 録の 四巻 二冊

︒寛 政二 年序

︒ 壬生 寺の 縁起 につ いて は︑ 主に 六巻 本の 成立 時期 に関 して

︑研 究が 積み 重ね られ てき た︒ おお むね

︑現 存六 巻本 は 近 世 の 摸本 で あ り︑ 原本 は 中 世 のも の で ある と い う理 解 で あ っ た よ う に 思 わ れ る

︑泉 万 里 氏 は 美 術 史 の 観 点 か ら

︑現 存絵 巻は

﹁十 五世 紀後 半﹂ のも ので ある とい う

︒ いず れに せよ

︑本 文自 体 は 中 世の も の とみ ら れ てい る よ う で ある

︒た だし

︑錯 簡が 複数 個所 存在 して おり

︑欠 落 や配 列 順 など

︑当 時 と 全く 同 じ 構 成で あ っ たか は 不 明 であ る

︒ 本 稿で は先 行研 究に 従い

︑少 なく とも 本文 は奥 書通 り文 明年 間の もの であ ると して おく

― 35 ―

(3)

元禄 本は

︑六 巻本 の説 話を すべ て収 録 した う え で︑ 配列 を 変 更し

︑新 た に 説 話を 加 え てい る

︒序 に は︑

﹁粤 有 数 巻 縁 起︒ 蔵之 久矣

︒具 載快 賢僧 都安 置尊 像︒ 円覚 上人 中興 寺院

︒及 歴朝 臨幸

︒古 来霊 験之 数蹟

︒一 日有 信心 居士 素聞 有 此 縁起

︒来 請曰

︒幸 以和 文書

︒鏤 梓以 広諸 善男 女之 見聞

︒今 応其 請︒ 以授 剞厥 氏之 次︒ 拾近 来霊 験一 二︒ 合刻 以成 三 巻

︒﹂ と あり

︑寺 に蔵 して いた

﹁数 巻縁 起﹂ をも とに 作成 した とい う︒ 柴田 芳成 氏は

︑﹁ 内容 面か ら推 して

︑元 禄本 を 遡 れば 絵巻 に至 ると いう こと はひ とま ず 推測 で き るだ ろ う﹂ と し︑ 内容 の 変 遷 につ い て は︑

﹁絵 巻 か ら元 禄 本

︑元 禄 本 から 寛政 本へ と︑ 縁起 の内 容が 増補 され るに 際し て︑ 先行 する 地蔵 説話 集が 資料 とし て用 いら れて いた こと が確 認 さ れた

︒そ れら の取 り上 げら れた 説話 に描 き出 され てい るの は︑ ほと んど の場 合︑ 病気 平癒 や危 難救 出と いっ た︑ 近 世 の地 蔵信 仰の 一面 を強 張し てい る︑ きわ めて 現世 利益 的な 霊験 のあ りさ まで あっ た﹂ とい う

︒ 寛政 本は

︑元 禄本 と同 じ配 列で 全説 話を 収 録し

︑さ ら に 続録 巻 を 追加 し て 説 話を 増 補 して い る︒ 序 に は︑

﹁此 壬 生 寺 縁起 は元 禄壬 午の 年梓 成て 世に 行る

︒天 明戊 申の 春︑ 版焼 失せ しに 由て

︑予 同志 に再 刊を 謀︑ 原本 を翻 刻し

︑且 真 影 錫杖 の図 を巻 首に 彫り

︑本 尊の 霊験 十六 条を 輯 て巻 末 に 続録 す

︒﹂ と あり

︑天 明 の 大 火が 再 刊 のき っ か けと な っ た と いう

︒ 本稿 では

︑こ れま で論 じら れて こな かっ た︑ 壬生 寺の 略縁 起で ある

︑大 阪歴 史博 物館 蔵﹃ 洛西 壬生 寺畧 縁記

﹄を 対 象 とす る︒ これ まで 目録

には 掲載 され てい たも のの

︑書 誌情 報や 本文 につ い て は 未紹 介 で あっ た

︒ま ず 全文 を 翻 刻 し

︑次 に本 文と 六巻 本・ 元禄 本の 該当 箇所 本文 を対 照さ せる こと によ り︑ いず れの 本文 に依 拠し たも ので ある か︑ ま た どの よう な特 徴を 持っ てい るか 明ら かに する

︒な お︑ 目録 では

﹁洛 西壬 生寺 畧縁 起﹂ とあ るが

︑本 稿で は原 本の 通 り 表記 する

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 36 ―

(4)

﹃ 洛 西壬 生 寺 畧縁 記

﹄ の書 誌 情 報と 翻 刻 書

誌 大阪 歴史 博物 館蔵

﹃洛 西壬 生寺 畧縁 記﹄

︵芸

1032

︑ 登録 番号

1988-12

︶ 種 類 略縁 起︒ 形 態 仮綴 じ︒ 寸 法 縦二 四・ 九セ ンチ メー トル

︑横 一七

・四 セン チメ ート ル︒ 丁 数 六丁 表 紙 本文 共紙

︵原 装表 紙︶ 外 題 表紙 中央 部に

﹁洛 西壬 生寺 畧縁 記﹂ と直 接刷 る︒

内 題

﹁ 壬生 寳幢 三昧 寺 畧 縁 記﹂

︒ 尾 題

﹁ 洛西 壬生 寺畧 縁記

﹂︒

※外 題と 尾題 は同 じ版 木︒ 奥 書・ 刊記

な し︒ 備 考 各丁 ウラ に小 さく 丁数 を記 す︒ ただ し︑ 最終 丁で ある 第六 丁に は︑ オモ テに 記さ れて いる

︒ 本資 料は

︑今 中富 之助 氏︵ 初代 中村 鴈治 郎関 係資 料の 収集 で知 られ る︶ によ って

︑昭 和四 十一 年八 月八 日に 寄贈 さ れ たも ので ある

― 37 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(5)

○ 凡例

・ 振り 仮名

︑濁 点︑ 送り 仮名 は底 本に 従っ た︒

・ 句読 点を 補っ た︒

・ 本文 丁数 は︑ 丁の はじ めに

︵一 オ︶ のよ うに 示し た︒

・ 改行 は

﹂で 示し た︒

・ 割注 は︹

︺ で示 した

!

"

︵一 オ︶ 壬 生寳 幢 三 昧寺 畧 縁記

﹂抑 當 寺 は 人皇 六 十 六代 一 條 院 の御 宇

︑正 暦二 年

﹂の 御 草創 也

︒開 山は 智 證 大 師 の

門 葉 快 賢大 僧都

﹂と 申て 顕密 の碩 徳 なり

︒粟 田 関 白 道 兼 公の

﹂苗 裔 た り︒ 悲母 の 深恩 を 報 し給 ん と て︑ ひ とへ に

地 蔵尊 を 持 念 し

花 洛

に 出 て唱 導 を 成 し 済度

﹂利 生 を 専ら と せ り︒ 爰に 當 寺 御 本尊 延 命 地蔵

﹂菩 薩 は︑ 僧 都一 心 の 誠

を 凝し 御衣 木を 加持 し︑

﹂ 時の 佛師 定 朝 法眼 と 心 をあ わ せ て一 刀 三 礼 の﹂

︵一 ウ

︶懇 精 をつ く し︑ 一 千日 の 間

︑等 身

の 聖容 を造

﹂畢 す︒ 相好 円満 巍々 とし て 蓮眼

瞬 か如 く

︑あ た﹂ か も生 身 の 如 し︒ 寛弘 二 年 に至 つ て 御堂 の 供 養﹂ 有

︒︹ 其 時の 寺号 を小 三井 寺と 称す

︺本 尊 の 霊験 年 をた て い よ

!

"

﹂ あ らた に 日 を逐 て ま す

!

"

た う とく 侍 り き︒ 頼

を か くる

﹂輩

世出 世 と も冥 顕 の益 に 預 り︑ 一度 拝 し一 度 礼 し︑

﹂ 或は 日 参 行 道 通 夜し 志 の願

望遂 す と いふ こ と な

︒﹂ 業 病 を 治 し︑ 諸病 の 苦 しみ を た すけ

︑刑 罰 をの か れ

︑﹂ 貧 賤を ま ぬ かれ

︑所 望 を 成 就 し

︑怨 敵 を 降伏 し

︑﹂

︵ 二

︶縄 目 に か わ り な と し て 人 の 命 を す く ひ︑ 風 雨 時 に し た

﹂か ひ 五 穀 成 就 成 さ し め

︑も ろ

!

"

の 厄難 を 拂 ひ 玉 ふ

︑﹂ 疾 風の 雲霧 をひ らく る如 し︒ 詳 成る 事は 本縁 記に 出て

﹂諸 家の 記録 にも 筆せ り︒ 此尊 の霊 験は 延命 経︑ 本﹂ 願

︑十 輪経

︑占 察経 等の 説に 異な らす

︒一 毛一 滞﹂ 一砂 一塵 露い さゝ かの 善事 にも それ

! "

の徳 を施

﹂し 玉へ り︒ そ

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 38 ―

(6)

の 本誓 をい へ は︑ 毎日 晨 朝 の 三 昧に は 我

﹂等 か ため に 大 悲の は た へを 奈 利 の 焔に こ が し︑ 今世

﹂後 世 の 悲願 に は 済

度 の質 を六 道に わか ち給 り︒ 誠に

﹂︵ 二 ウ︶ 尺迦 弥勒 二佛 中間 の導 師と は當 寺御 本尊 を さし て

﹂生 身 の 佛 のこ と く 拝

み 奉る

︒正 暦二 年よ り八 十歳 を﹂ 経て 七十 二代 の帝

白河 院︑ 睿 情 を凝 して 霊 夢を

﹂感 せ さ せ玉 ひ

︑此 尊 をさ し て 生

身 と 称 し玉 ふ

︒承 暦﹂ 年中 に 佛 閣に 詣 て 玉 ひ︑ 寺号 を 地 蔵院 と 勅 し﹂ 玉 へり

︒其 後 七 十 四 代 鳥羽 院 に も 御 帰 依 ふ か

︑天 承﹂ 年中 に御 幸あ り︒ 七十 八代 二條 院御 降誕 はも つは ら﹂ 此尊 に祈 らせ 給ひ

︑御 もふ けあ り︒ 則行 幸の

﹂勅 使

は 万 里 の 小 路 中 納 言 な り︒ そ れ よ り こ の か た 代 々﹂

︵三 オ︶ の 帝 の 宝祚 を 祈 り 奉 り︑ 今 に 至 り 尽 せ ぬ 御 願 所 と な

︑﹂ 兼 ては 四民 の祈 祷を いた して 退転 ある 事な し︒ 此寺 開﹂ 闢の はし めは 五條 坊門 壬生 にて あり しに

︑建 保元 年大

願主 和州 の刺 史宗 平︑ 再興 の時 代︑ 伽藍 の鋪 地を 同坊

﹂城 にあ らた む︒ 今本 名を 召す る ゆへ に 壬 生の 地 蔵 と は称 す

な り

︒其 後

︑四 十 餘 歳 を 経 て 八 十 八 代 後 深草 院 の 御 宇︑ 正﹂ 嘉 元 年 二 月 に 東火 の 餘 炎 を 西 に 引 て 一 寺 こ と

!

"

灰燼 と なる

︒本 尊 に い さゝ か つ ゝか な く 渡ら せ 給 へ 共︑ 佛庭

﹂た ゝ 礎石 の み 有て 僧 侶 悲歎 に し つめ り

︒其 後

︑宗 平

﹂︵ 三 ウ︶ 遺息 左金 吾政 平ま た

!

"

檀 越と して 当伽 藍を 建﹂ 立す

︒佛 閣寺 院の 興行 すこ ふる 往古 の儀 に超 たり

︒此

時 代 に当 つ て 當寺 を 宝幢 三 昧寺 と 号 し て楼 門 に菅

﹂原 為 長 卿 の筆 額 を掛 し と かや

︒此 本 尊 御 持物 の 錫﹂ 杖は 尺 迦 如

来 在世 の時

︑忉 利天 にし てま さ しく 地 蔵

!

﹂ へ御 附 属有 し 希代 の 錫 杖 にて

︑開 山 僧 都祈 誓 の砌

︑﹂ 感 得な り

︒そ れ 錫

!"

杖 は五 佛を 現し 六度 円満 の輪 相を

﹂顕 して 六趣 の衆 生済 度の 標熾 たり

︒此 御本 尊の 御事

︑﹂ 正 暦二 年の 草創 より 以降

御 厨子 に御 帳を 掛奉 りて

﹂︵ 四 オ︶ 左右 なく 凡 人の 肉 眼に 薩 埵の 御 身 を 拝す る 事 を制

﹂し 給 へ り︒ その ゆ へ は 尊容 を

見 奉る とい へ共

︑不 信懈 怠の も﹂ のは 忽に 現罰 を蒙 り︑ 又信 心渇 仰の 人は たゝ ちに 巨益 にあ つか るこ と幾 千万

︑是 ひ

と へに 賞 罰厳 重の 得失 を﹂ 恐る ゝゆ へな り︒ され は此 本尊 御厨 子に 掛り し御 戸 帳は

︑﹂ 先 蹤 を追 せ ら れ︑ 開帳 の み き り には 度毎 に﹂ 禁裏 御所 より 御寄 附に て 掛替 奉 り︑ い まに 恒 式 とな り

︑﹂ 御 代 参等 つ ね に至 り 有 らせ ら れ

︑ま す

!

"

― 39 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(7)

本 尊 の﹂ 霊 徳を そ へ 奉る

︒ま た は 仙 院 御所

女 院 御 所﹂

︵四 ウ

︶お な しく 御 帰 依 浅か ら す︒ 当 寺勅

願 所 の 規 模 他

﹂超 たり

︒い まに 至り ては 三十 三年 また は祖 師大 年忌

﹂等 に公 人誰 人御 厨子 を開 き諸 人に 拝せ しむ

︒且 は﹂ 叡情 に

依 り御 開帳 有ら せら れ︑ 参詣 群集 を成 し尊 敬し 奉 る事

︑如 来 出 世に 逢 ひ 奉る か こ と く成 る を や︒

﹂中 興 諱 は導 御 圓 覚

十 萬上 人と て時 の名 師に て︑

﹂ 本願 僧都 にこ とな らす 親孝 の志 しふ かく

︑済 度﹂ 利 生を 専 ら と し︑ 融通 大 念佛 を 興行

し て道 俗﹂ 男女 をゑ らは す︑ 自他 の 願 行を す ゝ む︒ 南北 二 京 の﹂

︵ 五オ

︶間

︑凡 四 十 八ヶ 所

︑其 化益 に 預 るも の 幾 千

︑数 をは

﹂か るへ から す︒ 就中

︑当 寺例 年三 月 十 四日 よ り 廿﹂ 四日 迄 の 大 念佛 は 其 随一 に し て︑ 永式 と な り 土地

の 士民 種々 の狂 言を なし

︑子 女の 類ひ 鐘鼓 の聲

﹂に 歩み を急 き貴 賤群 集す る事

︑翰 墨の 載る

﹂所 にあ らす

︒是 を世 に

壬 生の シヤ テン デン トハ ヤセ リ︒

﹂ 此大 念佛 にむ かし より 今に 用る とこ ろの 鰐﹂ 口あ り︒ さし 渡し

︵二

〜三 字分 空白

正 嘉 年 中︑ 橘の 宗 貞﹂ 鋳作 す 所な り

︒﹂

︵ 五ウ

︶一

本 堂 の 外 に 焔魔 堂 愛 染堂

鐘 楼 堂ア リ

︒﹂

︹ 方丈 地 蔵 院

︺︹ 寺

家 五 箇 坊

︑客 坊 三 ヶ 坊︺

此 餘 阿弥 陀 堂 釈迦 堂

﹂宝 塔 一基

八 ッ 足 二 王 門 等 は 今 は 退転 せ り

︒﹂ 一 宗 旨 は 律 宗

真 言 兼 学 な り

︒﹂ 一 鎮 守 は 六 所 大 明 神 な り︒

︹ 八幡

︑熊 野︑ 稲荷

︑祇 園︑ 天 満 宮︑ 十禅 師︑ 是 ヲ 六 所 ト

﹂称 ス

其 外︑ 弁才 天 社︑ 荒神 社等 あり

︒今 に祭 祠﹂ 厳重 なり

︒﹂ 一 當寺 に壬 生の 忠岑 の硯 有り

︒歌 書 硯と いふ

︒箱

﹂は 津

の 国長 柄の 柱橋 の木 にて 作 り︑ 此木 土 中 に﹂

︵六 オ

︶埋 れ 有事 一 千歳 に お よふ と か や︒ 蓋の 裏 に 新古 今﹂ の歌 を し る

︒筆 は清 水谷 中納 言實 業 卿な り︒

﹂年 ふれ は朽 こそ まさ れ橋 柱﹂ むか し長 柄 の 名た に か わり て

﹂當 寺 来歴 等 本縁 記

に くわ しく とい へと も︑ 事繁 多﹂ なる ゆへ にた やす く見 へか たし

︒今 採摘 し︑ はた 又﹂ 当時 をし るし 本尊 の霊 徳を 述

て 諸人 見聞 の﹂ 利益 結縁 随喜 のた めに 備ふ るも のな り︒

﹂︵ 六 ウ︶ 洛西 壬生 寺畧 縁記

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 40 ―

(8)

﹃ 洛 西壬 生 寺 畧縁 記

﹄ の典 拠 本章

では

︑﹃ 洛 西壬 生寺 畧縁 記﹄ の本 文を

︑六 巻本 およ び元 禄本 の本 文と 対照 させ るこ とに よっ て︑

﹃洛 西壬 生寺 畧 縁 記﹄ の本 文が どち らを もと に構 成さ れた のか 考え る︒ はじ めに

﹃洛 西壬 生寺 畧縁 記﹄ の本 文を 任意 に分 割し ゴチ ック で示 し︑ 該当 する 六巻 本本 文を

︻六 巻本

︼と して 傍 線

︑元 禄本 本文 を︻ 元禄 本︼ とし て波 線︑ いず れに も共 通す る部 分を 二重 傍線 で示 した

︒ま た︑ その 他参 考資 料も 併 記 する

︒な お︑

﹃ 洛西 壬生 寺畧 縁記

﹄の 本 文 には

︑句 読 点・ 濁 点を 補 う

︑振 り 仮名 を 省 略す る

︑改 行 を無 視 す る︑ 通 行 字体 にあ らた める

︑と いっ た操 作を 適宜 施し た︒

︻1

︼ 抑 当 寺 は人 皇 六 十六 代 一 条 院の 御 宇︑ 正 暦二 年 の 御草 創 也

︒開 山 は智 証 大 師の 門 葉 快賢 大 僧 都 と申 て 顕 密 の 碩 徳 な り

︒粟 田関 白道 兼公 の苗 裔た り︒ 悲母 の深 恩を 報じ 給ん とて

︑ひ とへ に地 蔵尊 を持 念し 花洛 に出 て唱 導を 成し 済度 利 生 を専 らと せり

︻六 巻本

︼一

│一 そ の本 願三 井快 賢僧 都と 申は

︑粟 田関 白道 兼 公の 苗 裔︑ 其 門資 は ま た智 証 大 師 の弟 葉 な り︒

︵中 略

︶近 郊 隣人 は じ め て 唱導 の仁 にま ねく

︒貴 賎み な諸 道徳 に帰 し︑ 緇素 すで に富 楼那 と称 す︒ 或は 連々 の嘱 請に 応じ

︑或 は処 々の 講行 に 接 す︒ 彼悲 母の 日計 やう やく かゝ さず

︑其 孝子 の露 誠た ちま ちに あら はる

― 41 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(9)

︻元 禄本

︼上

│一 本 願三 井寺 の快 賢僧 都︒ 俗姓 は藤 氏大 織冠 十三 世之 孫︒ 粟田 関白 道兼 公の 族な り︒ 出塵 の後 三井 寺に 登り

︒智 証大 師 の 門葉 と成 て天 台の 教門 其玄 奥を 究む とい へど も︒ 慈母 洪恩 のむ くい がた き事 を思 ひて

︒後 に寺 を出

︒京 華に 母を か へ り見

︒唱 導を 事と して 緇素 を引 導す

︻2

︼ 爰 に当 寺御 本尊 延命 地蔵 菩薩 は︑ 僧都 一心 の誠 を凝 し御 衣木 を加 持し

︑時 の仏 師定 朝法 眼と 心を あわ せて 一刀 三礼 の 懇 精を つく し︑ 一千 日の 間︑ 等身 の聖 容を 造畢 す︒ 相好 円満 巍々 とし て蓮 眼瞬 が如 く︑ あた かも 生身 の如 し︒

︻六 巻本

︼一

│一 仍 仏 師 定朝

︹法 成 寺 金堂 造 仏 之 賞︑ 叙法 橋

︑又 昇 法眼

︑仏 師 昇 綱位 初 例 也 云々

︺に 仰 て

︑地 蔵 の 尊 像 を て う こ く し 奉

︑一 刀三 礼の 懇精 をつ くし て一 千日 の 間に 等 身 の聖 容 を 造畢 す

︒蓮 眼 瞬 がご と く︑ 座 像の 尊 顔 を 拝す

︒︵ 中 略︶ 爰 に 快賢 僧都 御衣 木を 加持 し︑ 随分 の資 貯を 抛て 無弐 の信 心を 凝給 ふに や︒

︻元 禄本

︼上

│一 定 朝に 命じ て造 らし め本 尊と なん 仰ぎ 奉り ける

︒彫 刻の 願を 発し てよ り御 衣木 を加 持し

︒仏 匠は 一刀 三礼 すれ ば︒ 願 主 は一 香三 拝し

︒共 に無 二の 信心 凝し 侍る ゆへ にや

︒相 好円 備し て恰 も生 身に むか へる ごと し

︻3

︼ 寛 弘二 年に 至つ て御 堂の 供養 有り

︒︹ 其 時の 寺号 を 小三 井 寺 と称 す

︺本 尊 の 霊験 年 を たて い よ

!

"

あ ら た に日 を 逐 つ

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 42 ―

(10)

て ます

! "

たう とく 侍り き︒ 頼を かく る輩 世出 世と も冥 顕の 益に 預り

︑一 度拝 し一 度礼 し︑ 或は 日参 行道 通夜 し志 の 願 望遂 ずと いふ こと なし

︒業 病を 治し

︑諸 病の 苦し みを たす け︑ 刑罰 をの がれ

︑貧 賤を まぬ かれ

︑所 望を 成就 し︑ 怨 敵 を降 伏し

︑縄 目に かわ りな どし て人 の命 をす くひ

︑風 雨時 にし たが ひ五 穀成 就成 さし め︑ もろ

! "

の厄 難を 払ひ 玉 ふ 事︑ 疾風 の雲 霧を ひら くる 如し

︒詳 成る 事は 本縁 記に 出て 諸家 の記 録に も筆 せり

︒ この 部分 では

︑壬 生寺 本尊 の利 益が 列挙 され てい る︒ 六巻 本・ 元禄 本と もに 同文 はな いが

︑利 益に 相当 する 説話 を 示 す︒ 寛 弘二 年に 至つ て御 堂の 供養 有り

︒⁝

⁝六 巻本 一│ 二︵ 元禄 本上

│二

︶ 業 病を 治し

︑諸 病の 苦し みを たす け⁝

⁝六 巻本 二│ 三︵ 元禄 本中

│五

︶︑ 六 巻本 四│ 二︵ 元禄 本下

│二

︶︑ 六巻 本四

│ 四

︵元 禄本 中│ 十︶

︑ 元禄 本下

│七 刑 罰を のが れ⁝

⁝六 巻本 三│ 二︵ 元禄 本中

│九

︶ 貧 賤を まぬ かれ

⁝⁝ 六巻 本五

│一

︵元 禄本 下│ 一︶ 怨 敵を 降伏 し⁝

⁝六 巻本 三│ 二︵ 元禄 本中

│八

︶ 縄 目に かわ りな どし て人 の命 をす くひ

⁝⁝ 元禄 本下

│三 五 穀成 就成 さし め 六巻 本・ 元禄 本に 該当 する 説話 はな いが

︑﹃ 延 命地 蔵菩 薩経

﹄﹁ 十種 福﹂ に︑

﹁ 穀米 成熟

﹂が ある

︻4

︼ 此 尊の 霊験 は延 命経

︑本 願経

︑十 輪経

︑占 察経 等の 説に 異な らず

︒一 毛一 滞一 砂一 塵露 いさ ゝか の善 事に もそ れ

!

"

の 徳を 施し 玉へ り︒ その 本誓 をい へば

︑毎 日晨 朝の 三昧 には 我等 がた めに 大悲 のは だへ を奈 利の 焔に こが し︑ 今世 後

― 43 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(11)

世 の悲 願に は済 度の 質を 六道 にわ かち 給り

︒誠 に釈 迦弥 勒二 仏中 間の 導師 とは 当寺 御本 尊を さし て生 身の 仏の ごと く 拝 み奉 る︒

︻六 巻本

︼一

│一 そ の本 誓を いへ ば︑ 毎日 晨朝 の三 昧に は膚 を奈 利の 焔に こが し︑ 今世 後世 の悲 願に は質 を六 道に わか ち給 へり

︻元 禄本

︼同 文な し︒

︻5

︼ 正 暦二 年よ り八 十歳 を経 て七 十二 代の 帝白 河院

︑叡 情 を凝 し て 霊夢 を 感 ぜさ せ 玉 ひ︑ 此 尊を さ し て生 身 と 称 し玉 ふ

︒ 承 暦年 中に 仏閣 に詣 で玉 ひ︑ 寺号 を地 蔵院 と勅 し玉 へり

︒其 後七 十四 代鳥 羽院 にも 御帰 依ふ かく

︑天 承年 中に 御幸 あ り

︻六 巻本

︼二

│一 爰 一条 院御 宇正 暦二 年よ り八 十余 歳を 経て

︑白 河院 睿情 を凝 して 霊夢 を感 じ︑ この 尊を さし て生 身と 称せ り︒ たち ま ち に后 宮を うつ して 承暦 年中

︑仏 閣に 詣し

︑た ち所 に道 儀を ます

︒則 寺号 を地 蔵院 と定 らる

︒し かの みな らず

︑鳥 羽 院 御帰 依あ るに 依て

︑天 承年 中に 又一 日御 幸の 儀あ り︒

︻元 禄本

︼上

│三 白 河院 叡情 を凝 して 信敬 せさ せ給 ひ︒ たち まち 霊夢 を感 ぜさ せお はし まし

︒承 暦年 中后 宮群 臣を ひき ゐて まふ でさ せ 給 ふ︒ 此時 寺を 地蔵 院と なん 名付 させ 給ひ ける

︒其 後第 七十 四世 鳥羽 院御 帰依 浅か らず

︒天 承年 中御 幸な らせ 給ふ

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 44 ―

(12)

︻6

︼ 七 十八 代二 条院 御降 誕は もつ ぱら 此尊 に祈 らせ 給ひ

︑御 もふ けあ り︒ 則行 幸の 勅使 は万 里の 小路 中納 言な り︒ それ よ り こ の かた 代 々 の帝 の 宝 祚 を祈 り 奉 り︑ 今に 至 り 尽せ ぬ 御 願 所と な り︑ 兼 ては 四 民 の祈 祷 を い たし て 退 転 あ る 事 な し

︻六 巻本

︼二

│二 後 白河 院の 長子 人王 七十 八代 二条 院︹ 御諱 守仁

︑御 母贈 皇太 后懿 子︑ 贈太 政大 臣経 実公 御女 也︺ 御降 誕の 御祈 のた め に 御立 願あ り︒ 則御 産平 安︑ 皇子 御誕 生ま しま しけ り︒ 夫地 蔵経 の文 にか なへ り︒ 則万 里小 路中 納言 を行 事の 勅使 と し て︑ 執行 中観 法印

︹生 年八 十九 歳云 々︺ 勅宣 をう けた まわ り︑ 開帳 の儀 式を いた し奉 る︹ 六月 十七 日よ り同 廿四 日 に 至て 一七 ヶ日 開帳 云々

︺︒

︻元 禄本

︼上

│四 然 るに 第七 十六 世近 衛院 の御 宇天 養元 年六 月十 七日 二条 院降 誕せ させ 給ふ

︒此 日よ り同 二十 四日 に至 て一 七日 の間 開 帳 せし む︒ 是は 後白 河院 の勅 命に 依て 二条 院御 誕生 御願 成就 の御 よろ こび の為 なり

︒此 帝は 後白 河の 長子

︒御 母は 贈 皇 大后 懿子

︒贈 太政 大臣 経実 公の 御女 なり

︒勅 使は 万里 小路 中納 言︒

︻7

︼ 此 寺開 闢の はじ めは 五条 坊門 壬生 にて あり しに

︑建 保元 年大 願主 和州 の刺 史宗 平︑ 再興 の時 代︑ 伽藍 の鋪 地を 同坊 城 に あら たむ

︒今 本名 を召 する ゆへ に壬 生の 地蔵 とは 称す なり

︻六 巻本

︼四

│一

― 45 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(13)

順 徳天 皇の 御宇 建保 元年 に至 て︑ 中興 の大 願主 和州 前吏 平朝 臣宗 平︑ 久し く管 領を 致て 鎮に 丹懇 をは こぶ

︒然 間︑ 五 条 坊門 坊城 に於 て伽 藍建 立の 敷地 をさ だめ

︑仏 閣塔 婆年 をか さね て甍 をま じへ

︑堂 舎僧 坊日 に随 て軒 をな らぶ

︒本 願 開 闢の 初に は五 条坊 門壬 生に おひ て小 堂を 立と いへ ども

︑再 興の 時代 に及 て在 所を 坊城 にあ らた む︒ いま 本名 を召 す る ゆへ に壬 生の 地蔵 とは 称也

︻元 禄本

︼上

│五 宗 平建 保元 年心 を発 して

︒五 条坊 門壬 生よ り此 坊城 に移 して 伽藍 建立 の敷 地を 定め

︒仏 閣塔 婆甍 をま じへ

︒堂 舎僧 房 軒 をな らぶ

︒今 坊城 に移 すと いへ ども 元の 名を 改め ず壬 生寺 とは いへ る也

︻8

︼ 其 後︑ 四十 余歳 を経 て八 十八 代後 深草 院の 御宇

︑正 嘉 元 年二 月 に 東火 の 余 炎 を西 に 引 て一 寺 こ と

!

"

く 灰 燼 とな る

︒ 本 尊に いさ ゝか つゝ がな く渡 らせ 給へ 共︑ 仏庭 たゞ 礎石 のみ 有て 僧侶 悲歎 にし づめ り︒ 其後

︑宗 平の 遺息 左金 吾政 平 ま た

!

"

檀 越と して 当伽 藍を 建立 す︒ 仏閣 寺院 の興 行す こぶ る往 古の 儀に 超た り︒ 此時 代に 当つ て当 寺を 宝幢 三昧 寺 と 号し て楼 門に 菅原 為長 卿の 筆額 を掛 しと かや

︻六 巻本

︼五

│二 建 保年 中︑ 宗平 の建 立よ り四 十余 歳を 経て

︑後 深草 院の 御宇 正嘉 元年 二月 廿八 日︑ 東火 の余 炎西 に引 て一 寺こ と

!

"

く 灰燼 とな る︒ 本尊 に於 ては 余殃 をま ぬが る︒ 仏底 たゞ 礎石 のみ あり

︒周 章の 侶徒 驚悲 する 事︑ 鶴林 の煙 に咽 に似 た り

︒漢 武の 臣︑ 何の 恨あ つて 藍水 の昔 の雨 を灑 がざ らむ

︒然 則︑ 満寺 の僧 侶み な成 風の 謀を めぐ らし

︑む なし く日 を 送 る処

︑和 州前 吏平 朝臣 宗平 遺息 左金 吾校 尉政 平︑ 二代 管領 の壇 越と して 当伽 藍を 建立 す︒ 仏閣 寺院 の興 行︑ 頗往 古

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 46 ―

(14)

の 儀に 超過 せり

︒此 時代 に当 て地 蔵院 の称 をあ ら ため て 宝 幢三 昧 寺 と号 す

︒︵ 中 略︶ い ま当 寺 の 額は 菅 原 為長 卿 の 筆 跡 なり

︻元 禄本

︼上

│六 建 保年 中宗 平再 興よ り四 十歳 を経 て︒ 八十 八世 後深 草院 の御 宇正 嘉元 年二 月廿 八日

︒東 火の 余焔 西に 及で 一寺 悉く 灰 燼 とな る︒ され ど本 尊は つゝ がま しま さず

︒だ うは 礎の みぞ 残れ りけ る︒ 大檀 越和 州前 吏朝 臣宗 平の 息左 金吾 校尉 政 平

︒二 代の 跡を 逐て 伽藍 修造 の興 行を なす

︒頗 往 古の 建 立 に超 過 せ り︒

︵中 略

︶此 時 地 蔵院 の 名 を改 め て 宝幢 三 昧 寺 と 号す

︒其 額は 菅原 為長 卿の 筆跡 なり

︻9

︼ 此 本尊 御持 物の 錫杖 は釈 迦如 来在 世の 時︑ 忉利 天に して まさ しく 地蔵

!

へ 御附 属有 し希 代の 錫杖 にて

︑開 山僧 都祈 誓 の 砌︑ 感得 なり

︒そ れ錫 杖は 五仏 を現 じ六 度円 満の 輪相 を顕 して 六趣 の衆 生済 度の 標熾 たり

︻六 巻本

︼該 当説 話な し

︻元 禄本

︼上

│八 当 寺本 尊地 蔵菩 薩出 現の 来由 は既 に上 に記 しを はり ぬ︒ 持物 の錫 杖の 来由 を尋 るに

︒本 尊落 慶の 折か ら持 物の 錫杖 い ま だ成 就せ ず︒ ある 時辰 の一 点よ り午 の時 に至 りて 本尊 のあ たり 霧ふ かく おほ ひて 異香 四方 に薫 ず︒ あや しみ 思へ る 処 に︒ 午の 中分 に及 んで 霧は るゝ に随 ひて 本尊 を拝 し奉 れば

︒忽 ち御 手に 錫杖 を携 へも ち給 ふよ そほ ひ︒ 恰も 生身 の ご とし

︒本 願僧 都随 喜感 激し て三 七日 の間 一心 に敬 礼し て︒ 錫杖 の来 所を 示し 給は ん事 を祈 給ふ

︒一 夕夢 らく

︒や ご と なき ざふ の枕 上に 現じ て告 て宣 く︒ 汝し らず や此 錫杖 は︒ むか し釈 尊佉 羅陀 山に して 延命 地蔵 経を 説給 ひし 時︒ 無

― 47 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(15)

数 の声 聞菩 薩諸 天人 民悉 く集 る︒ 其時 我此 六輪 の錫 杖を 持し て大 地よ り涌 出し き︒ 時に 釈尊 慇懃 六道 の衆 生済 度の 事 を 付嘱 し給 ふ︒ 其時 の錫 杖す なは ち是 なり と示 し給 ふ︒ 僧都 夢さ めて いと たう とく 有が たく 覚え て︒ まさ に仏 の在 世 に あつ て佉 羅陀 山に いた れる 心ち なん し侍 りけ る︒ 抑此 錫杖 の功 徳諸 の経 論に 詳に 見え 侍れ ばこ ゝに しる さず

︒其 全 体 を見 るに

︒五 仏具 足の 妙塔 衆生 本有 の曼 陀な り︒ 六輪 の音 を聞 ば立 地に 三毒 を滅 し︒ 五仏 を拝 し奉 れば 本有 の仏 性 あ らは れず とい ふ事 なし

︒此 錫杖 一見 一聞 の人 は︒ 往生 浄土 の良 因を 植て 竟に 菩提 の善 果を 成熟 せし めん こと なん ぞ 疑 はん

︒ 10︻

︼ 此 御本 尊の 御事

︑正 暦二 年の 草創 より 以降

︑御 厨子 に御 帳を 掛奉 りて 左右 なく 凡人 の肉 眼に 薩埵 の御 身を 拝す る事 を 制 し給 へり

︒そ のゆ へは 尊容 を見 奉る とい へ共

︑不 信懈 怠の もの は忽 に現 罰を 蒙り

︑又 信心 渇仰 の人 はた ゞち に巨 益 に あづ かる こと 幾千 万︑ 是ひ とへ に賞 罰厳 重の 得失 を恐 るゝ ゆへ なり

︒さ れば 此本 尊御 厨子 に掛 りし 御戸 帳は

︑先 蹤 を 追せ られ

︑開 帳の みぎ りに は度 毎に 禁裏 御所 より 御寄 附に て掛 替奉 り︑ いま に恒 式と なり

︑御 代参 等つ ねに 至り 有 ら せら れ︑ ます

! "

本尊 の霊 徳を そへ 奉る

︒ま たは 仙院 御所 女院 御所 おな じく 御帰 依浅 から ず︒ 当寺 勅願 所の 規模 他 に 超た り︒ いま に至 りて は三 十三 年ま たは 祖師 大年 忌等 に公 人誰 人御 厨子 を開 き諸 人に 拝せ しむ

︒且 は叡 情に 依り 御 開 帳有 らせ られ

︑参 詣群 集を 成し 尊敬 し奉 る事

︑如 来出 世に 逢ひ 奉る がご とく 成る をや

︻六 巻本

︼二

│二 正 暦二 年の 草創 より 以降

︑本 尊の 御厨 子に 御帳 をか け奉 て︑ 左右 なく 凡人 の肉 眼に 薩埵 の御 身を 拝す る事 を制 し給 へ り

︒そ の故 は︑ 尊容 を見 奉る とい へど も︑ 不信 懈怠 の者 は忽 に現 罰を かう ぶり

︑又 信心 渇仰 の人 は︑ たゞ ちに 巨益 に

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 48 ―

(16)

あ づか る事

︑い く千 万と いふ 数を しら ず︒ 是ひ とへ に賞 罰厳 重の 得失 を恐 るゝ 故也

︻元 禄本

︼上

│四 一 条院 正暦 二年 の草 創よ り以 往︒ 本尊 の御 厨子 に御 帳を たれ てた やす く拝 し奉 るこ とを 制す

︒是 ひと へに 難遭 希有 の 想 を生 ぜし めん が為 にな ん︒ 11︻

︼ 中 興諱 は導 御圓 覚十 萬上 人と て時 の名 師に て︑ 本願 僧都 にこ とな らず 親孝 の志 しふ かく

︑済 度利 生を 専ら とし

︑融 通 大 念佛 を興 行し て道 俗男 女を ゑら ばず

︑自 他の 願行 をす ゝむ

︒南 北二 京の 間︑ 凡四 十八 ヶ所

︑其 化益 に預 るも の幾 千 万

︑数 をは かる べか らず

︻六 巻本

︼該 当説 話な し

︻元 禄本

︼中

│四 上 人歓 喜感 歎し て洛 西双 丘法 金剛 院︒ 其外 南北 二京 の間 に凡 四十 八箇 所の 道場 をか まへ 融通 念仏 をひ ろむ

︒夷 洛の 貴 賎 道俗 宗風 をし たひ

︒む らが り集 りて 念仏 を受 持す る者 幾千 万と いふ 数を しら ず︒ 12︻

︼ 就 中︑ 当寺 例年 三月 十四 日よ り廿 四日 迄の 大念 佛は 其随 一に して

︑永 式と なり 土地 の士 民種 々の 狂言 をな し︑ 子女 の 類 ひ鐘 鼓の 聲に 歩み を急 ぎ貴 賤群 集す る事

︑翰 墨の 載る 所に あら ず︒ 是を 世に 壬生 のシ ヤテ ンデ ント ハヤ セリ

︒此 大 念 佛に むか しよ り今 に用 ると ころ の鰐 口あ り︒ さし 渡し

正 嘉年 中︑ 橘の 宗貞 鋳作 す所 なり

― 49 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(17)

︻六 巻本

︼該 当説 話な し︒

︻元 禄本

︼中

│四 抑 当寺 にお いて 毎年 執行 する 所の 大念 仏の 会式 は円 覚上 人よ り権 輿せ り︒ 三月 十四 日よ り廿 四日 に至 て今 に及 んで 断 絶 する 事な し︒ 又村 民野 翁念 仏の 間に 交へ て散 楽や うの 戯を なし

︒あ るは 猿の かた ちに て堂 前に つな を縦 横に 張て つ た ひま とひ 顛倒 して 様々 に遊 戯す

︒ま こと の猿 の深 山幽 谷の 梢に のぼ り蘿 葛を はひ まと ふ事 の自 由を 得る にい さゝ か た がは ず︒ 希有 なる みも のな り︒ 是に 依て 貴賎 老少 群集 をな す︒ 13︻

︼ 一 本 堂の 外に

焔 魔 堂 愛 染堂

鐘 楼 堂 アリ

︒︹ 方 丈 地 蔵院

︺︹ 寺 家 五箇 坊

︑客 坊 三ヶ 坊

︺ 此 余 阿弥 陀 堂 釈 迦 堂 宝 塔一 基 八ッ 足二 王門 等は 今は 退転 せり

︻六 巻本

︼五

│二 夫 建立 奉る 五間 四面

︑本 堂一 宇︹ 奉安 置地 蔵菩 薩像 一体

︺︑ 四 天像 等︹ 各一 体︺

︑一 間四 面阿 弥陀 堂一 宇︹ 奉安 置半 丈 六 阿弥 陀如 来像 一体

︺︑ 一 間四 面釈 迦堂 一宇

︹奉 修補 安置 釈迦 如来 像一 体︺

︑同 廊奉 安置 薬師 如来 像一 体︑ 阿弥 陀像 二 体

︑地 蔵菩 薩像 二体

︑造 立奉 る︒ 宝 塔一 基

︹奉 安 置大 日 如 来像 一 体

︺︑ 釈 迦・ 普賢

・文 殊 等 像各 一 体︑ 建 立奉 る 大 門 八 足︑ 安置 奉る 一丈 金剛 力士 等也

︒︵ 中 略︶ それ 南面 の 八 足は 十 輪 門と な づ け て︑ 熊野 の 発 心門 に 向 へり

︒い ま 当 寺 の 額は 菅原 為長 卿の 筆跡 なり

︻元 禄本

︼上

│六 本 堂は 五間 四面

︒本 尊地 蔵菩 薩并 に四 天の 像を 安置 し奉 る︒ 阿弥 陀堂 三間 四面 半︒ 丈六 の弥 陀の 像を 安置 し︒ 釈迦 堂

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 50 ―

(18)

二 間四 面︒ 釈迦 の像 を安 置す

︒其 外薬 師如 来の 像一 躯︒ 阿弥 陀如 来の 像二 躯︒ 地蔵 菩薩 の像 二躯 新た に造 立し て別 殿 に 安置 し奉 る︒ 宝塔 には 大日 如来 釈迦 文殊 普賢 各 一体 を 安 置し 奉 る︒ 大 門は 八 足 に して 南 に たて り

︒十 輪 門 と号 す

︒ 熊 野の 発心 門に むか へり とか

︒た け一 丈の 金剛 力士 を置 り︒ 14︻

︼ 一 宗 旨は 律宗 真言 兼学 なり

︻六 巻本

︼同 文な し︒

︻元 禄本

︼同 文な し︒ 15︻

︼ 一 鎮 守は 六 所大 明 神 なり

︒︹ 八 幡︑ 熊 野︑ 稲荷

︑祇 園

︑天 満 宮︑ 十 禅師

︑是 ヲ 六 所ト 称 ス︺ 其 外︑ 弁才 天 社

︑荒 神 社 等あ り︒ 今に 祭祠 厳重 なり

︻六 巻本

︼六

│一 い ま当 寺鎮 守を 六所 権現 と申 は︑ 嘉禄 年中 に甲 斐法 橋覚 玄︑ 別願 とし て五 所大 明神 を副 勧請 した てま つる

︒所 謂八 幡

・ 熊野

・稲 荷・ 祇園

・北 野等 の五 社是 なり

︻元 禄本

︼上

│十 日 吉十 禅師 に加 へて 神社 を勧 請し 奉る に依 て︒ 六所 権現 とは いへ るな り︒ 第一 は八 幡︒ 第二 は熊 野︒ 第三 は稲 荷︒ 第 四 は祇 園︒ 第五 は天 満宮 なり

― 51 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

(19)

16︻

︼ 一 当 寺に 壬生 の忠 岑の 硯有 り︒ 歌書 硯と いふ

︒箱 は津 の国 長柄 の柱 橋の 木に て作 り︑ 此木 土中 に埋 れ有 事一 千歳 に お よぶ とか や︒ 蓋の 裏に 新古 今の 歌を しる す︒ 筆は 清水 谷中 納言 実業 卿な り︒ 年ふ れば 朽こ そま され 橋柱

む かし 長柄 の名 だに かわ りて

︻六 巻本

︼該 当説 話な し︒

︻元 禄本

︼該 当説 話な し︒ 17︻

︼ 当 寺来 歴等 本縁 記に くわ しく とい へど も︑ 事繁 多な るゆ へに たや すく 見へ がた し︒ 今採 摘し

︑は た又 当時 をし るし 本 尊 の霊 徳を 述て 諸人 見聞 の利 益結 縁随 喜の ため に備 ふる もの なり

︻六 巻本

︼該 当説 話な し︒

︻元 禄本

︼該 当説 話な し︒ 三

本 文 の成 立 時 期 1

典 拠

︻ 3︼ 17︻

︼で は︑

﹁ 本縁 記﹂ の存 在が 語ら れて お り︑ こ れを 典 拠 とし て

﹃洛 西 壬 生寺 畧 縁 記﹄ の本 文 は 制作 さ れ て い る︒

『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期 ― 52 ―

(20)

前章 で﹃ 洛西 壬生 寺畧 縁記

﹄と

︑六 巻本

・元 禄本 の本 文を 比較 した 結果

︑一 見し て六 巻本 との 同文 が非 常に 多い こ と がわ かる

︒特 に︑

︻ 4︼ 10︻

︼は

︑該 当す る部 分は ほぼ すべ て六 巻本 の本 文を 利用 して いる

︒ 対し て︑ 元禄 本と の一 致は そう 多く ない

︒語 句レ ベル では 共通 して いる 部分 があ るも のの

︑一 文単 位で の共 通は み ら れな い︒ 唯一 まと まっ た同 文箇 所は

︑︻ 11

︼﹁ 南北 二京 の間

︑凡 四十 八ヶ 所﹂ とい う部 分で ある が︑ これ は慶 安三 年

︵一 六五

〇︶

﹁融 通大 念佛 桶取 之記

﹂︵ 壬 生寺 所蔵 文書

︶に お け る大 念 佛 の由 来 に

﹁上 人 歓喜 感 歎 して 南 北 二京 の 間 に 四 拾八 箇所 の道 場を 設け 融通 念佛 をひ ろめ

﹂と あり

︑こ こか ら引 用し た可 能性 があ る︒ 注目 すべ きは

︻9

︼︻ 11

︼︻ 12︼ で語 られ てい る︑ 錫杖 の説 話と 円覚 上人 およ び大 念佛 の説 話で ある

︒こ れら は現 存 六 巻本 には 収録 され てい ない

︒元 禄本 には 該当 の説 話本 文が ある にも 関わ らず

︑ほ ぼ同 文が ない

︒ また

︑︻ 10

︼に 相当 する

︑本 尊を 戸帳 によ って たや すく 目 に 触れ な い よう に し て いる 理 由 につ い て は︑ 六巻 本 と 元 禄 本で 内容 が大 きく 異な る︒ 六巻 本 では

︑﹁ 不 信 懈怠 の 人﹂ が 本尊 を 見 る と﹁ 現罰 を か うぶ

﹂っ て し まう た め

︑元 禄 本 では

︑め った に拝 する こと がで きな い珍 し さを 演 出 する た め であ る と い う︒

﹃洛 西 壬 生寺 畧 縁 記﹄ の﹁ 公人 誰 人 御 厨 子を 開き 諸人 に拝 せし む﹂ とい う記 述は 元禄 本の 方向 性と 近い にも かか わら ず︑ 本文 は六 巻本 の記 述を その まま 引 き 写し てい る︒ 以上 から

︑﹃ 洛 西壬 生寺 畧縁 記﹄ の本 文は

︑六 巻本 と書 承関 係に あり

︑元 禄本 をも とに はし てい ない と考 えら れる

﹁事 繁多 なる ゆへ にた やす く見 へが たし

﹂︵

︻ 17︼︶

と いう

﹁本 縁記

﹂の 性格 をも 勘案 すれ ば︑ やは り﹁ 本縁 記﹂ とは 六 巻 本の こと を指 すの であ り︑ 従っ て六 巻 本が

﹃洛 西 壬 生寺 畧 縁 記﹄ の典 拠 と み て疑 い な い︒

﹃洛 西 壬 生寺 畧 縁 記﹄ 本 文 が成 立し た時 点で まだ 元禄 本本 文が 存在 して いな かっ た可 能性 は比 較的 高い よう に思 われ る︒

― 53 ― 『洛西壬生寺畧縁記』の典拠と成立時期

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