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f利己的に生きる
J
という意味の再検肘人間教育専攻
現代教育課題総合コース 兼 頭 佑 輔
第1章 剰j己的に生きるということへの懐疑 利己的に生きるということは、一般的に否定 的に見られがちであり、学校教育上においても 利己的な生き方というのは否定され、窮地的に 生きることが推奨されている。
しかし、利己的に生きることが必ずしも不誠 実に結びつくわけではない。自身の成功のため に自分に対して誠実であることは不誠実ではな いのである。
つまり、都利私款による行為治宝否定されてい るからといって、利己的な f誠 実 的 と 窮 地 的 な f誠実的を二項対立の図式として捉え、二 者択ーできるようなものではないはずである。
否定されるべき利己性とは他者に損害を与え る利己性であり、私市郎欲のためとはいえ、他 者に損害を与えない利己性は否定されるべきも のではないと考えることができる。よって、利 己的であるが故に、それだけで常に人聞の行為 が否定されてもよいとはいえないと考える。そ れが、利己的に生きるということに対する現時 点での懐疑である。
第2章でl訴JI己的に生きるということと和胤 的に生きるということとが、実際にどのように 捉えられているかその概念謹漣を行った。
第2章利他的な行為と剰j己的な行為の背景と その要因
この章では藤井聡、小田亮、内藤淳、頼藤和
指導教員 金 野 誠 志
覚の所論を比較し、検討することによって、利 他的な行為と利己的な行為の背景とその要因に ついて分析した。
まず、手l胤的な行為について藤井と小田の所 論を元に分析する。両者とも、人間の手目他性に ついて、 f損jと「得Jという側面から分析し ている点は基科号に共通している。
藤井は人聞が自然な感情に基づけば和胤的で あり、利己的な人間は自身治宝利己的だという歪 んだ思考回路によって発生するとしており、人 間の耕地性の蒋在を主張すると同時に、 f共有
地の悲廟~J を例に挙げることで利己的な人間は
消搬する創換性を持っていると述べている。一方で小田は、行動学守強化学を利用するこ とによって、人間に利己性が存在することは否 定していない。付け加えて、人間は自然淘汰の 結果、利他性を獲得し、互麟句な関係を形成し たと推測する。
両者はともに、利樹句な人間は互騨句な関係、
持っていると述べているが、相違点として、藤 井は利己的な人間は鮒ヒすると主張しているの に対して、小田は人間の手JI他性とは自然潟汰や 君櫛駄のプロセスの結果であると述べている。
続いて、利己的な行為について内藤と頼藤の 芳織を元に分析する。両者はともに、自然潟汰 の側面から分析することで、人間の本質が利己 的であるという前提に立っている。
内藤は、自分の遺伝子を残すために、自分の
- 64 - 生命を存続させるために利益を求めることが生 物の本能であり、人間も例外ではないと述べて おり、そo)ff動は「快jと「不快Jに基d 、て 行われていると考えている。
一方で頼藤は自身の遺伝子を残すために行動 することは内藤と共通しているが、人閥均湖底 して利己的であることは望ましくないと考え、
利己的な行為には「蕃jと「悪jがあると述べ ている。
両者とも人間が互恵的に手1胤的な行為を行う ことは認めてはいるが、和地的な行為は利己的 な利益を得るための手段であると述べている。
また、利己的に生きるためにはどうすればよ いかという行動指針を出している頼藤に対し て、内藤は利己的に生きるということを現象的 に捉えている。
第
3
章利己性と糊馳の狭間で生きる人燭 4名の所論の分析結果から、 4名は直樹包お よて舟鞍的瓦恵性に基づく荊胤的な行為を行っ ているという点に関しては共通して認めている。これは互恵性に基づく利樹枕行為が「損jと
「得Jに関車付けられているという点において も同様である。
しかし、和
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也的な行為の基盤となり瓦恵性の 捉え方が4名によって異なる。内藤と頼藤は、その互恵性が各個人の利己的な目的を達除する ために生かされていると考えており、藤井と小 田 訴l胤的な行為が、自分を含む集団の利益を 個人的な利益よりも重く考えたものだというこ
とを強調している。
このように4名の所論を比較すると解釈につ いては温度差が存在するものの、和雌凶告と利己 的のどちらの立場からも同様のことを述べてい る部分があることがわかる。このことを念頭に
おいて、人間方部胤損句に生きるのか、事j己的に 生きるかの考察を進め、利己的に生きる意味に ついて再検討を行う。
その結果、人聞は f他者中tC.
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悌j己性jを有 しており、李鵬的に生きようとす乱ばするほど、それは利己的になり、利己的に生きようとする ほど利樹句な行為を行うのである。そのため、
人間はそこに人間であることのもどかしさを感 じ苦悩するのだというように考えるに至った。
私たち人間は利己的な生き方しかできないとし、
う意味で、自己を超えることができないもどか しさを抱えている。そのもどかしさこそ、人間 としての証であり、人間は、利己的な生き方を しているといえると結論づけた。
制コりに
4輸では、 f他意中,凶堺Ij己性jは人間の生き 方に大きく影響しており、京馳的に生きようと すすLばするほど、それl訴Ij己的であり、利己的 に生きようとするほど京地的な行為を行う他な いため、人聞はそこに人間であることのもどか しさを感じ苦悩するのだというように考えるに 至った。しかし、これらを、学校教育上、どの ように位置づけばよいかということまでは至っ ていない。今後の課題としたし、