DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.39.23 135 齋木: 新学術領域研究「出ユーラシア」
新学術領域研究「出ユーラシア」
齋 木 潤
京都大学Integrative Human Historical Science of “Out of Eurasia”
Exploring the Mechanisms of the Development of Civilization
Jun Saiki
Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University
新学術領域「出ユーラシア」(正式には,出ユーラシ アの統合的人類史学―文明創出メカニズムの解明―,領 域代表: 松本直子岡山大学教授[考古学])は2019年度 に発足し,現在2年目に入っている。7つの計画研究と 今年度から参加した18の公募研究からなる領域である。 これまでの『基礎心理学研究』における新学術領域研 究の報告記事と比較して,今回は,様々な意味で特殊で ある。まず,多くは領域が発足して数年後の報告である のに対し,今回は発足直後である。また,昨今の新型コ ロナウイルス感染により2020年3月以降領域としての活 動に大きな制約がかかっている。このため,これまでの 領域としての活動を報告することが難しい。さらに,今 までは比較的多くの心理学者が参画している領域の報告 であるが,今回は心理学者が(現時点では)圧倒的に少 ない。しかし,後述するように本領域では心理学からの 貢献に対する期待が大きい。このため,本稿では,本領 域の目指すところを述べ,基礎心理学研究者に本領域に 関心を持っていただくためのPRをしたい。 本領域が目指すのは「人類史の科学」,もう少し限定 すれば「文明形成の科学」ということができる。Harari の「サピエンス全史」がベストセラーになるなど人類史 は近年強い学術的関心を引いているが科学研究は発展途 上である。「文明形成の科学」という野心的な試みには もちろん多くの学問分野の連携が不可欠で,本領域では 考古学を中心に,人類学,遺伝学,解剖学,神経科学, 歴史学,霊長類学,心理学を含む多くの専門家が参画し ている。 本領域のもう一つの特徴は,文明形成の多様性に着目 する点であろう。人類はユーラシア大陸を出て,新しい 環境に適応する過程で多様な文明を作り上げた。「出ユー ラシア」では,日本,オセアニア,メソアメリカ,ラテ ンアメリカなどに生まれた異なる文明を比較しながら文 明形成の普遍的基盤と多様性が生まれるメカニズムを明 らかにすることを目指している。 本領域が提起する問いの一つは「文明を生み出す認知 的特異性とは何か?」である。文明形成を可能にしたの はヒトの認知的特異性であることは間違いないが,その 過程の多くは不明なままである。文明史の研究の中核を なす考古学や歴史学は遺跡,遺物,古文書などヒトの心 の働きが残した物質データを手掛かりに認知的特異性に アプローチする。他方,遺伝学,解剖学などの生物科学 は,ヒトの身体標本,遺伝子標本を手掛かりに人類進化 の生物学的基盤を通してヒトの認知的特異性を考えるう えでの様々な制約条件を明らかにしている。しかし,こ れらの分野はヒトの心の働きを直接研究しているわけで はない。その意味でヒトの行動を直接研究する人類学と 心理学に対して本領域では大きな期待が寄せられている。 現在の人類を研究する人類学と心理学,特に基礎心理学, 実験心理学は人類学がフィールドワークに基づく民族誌 的研究というより質的なアプローチをとるのに対して, 基礎心理学は実験や調査に基づく定量的アプローチと, 対照的な性格を持っている。本領域の中では,これらの 分野が相補的な関係を持ちながら連携することが求めら れている。 基礎心理学会の会員で本領域の分担者となっている川 畑と齋木は共に認知科学的アプローチを進める B02班
The Japanese Journal of Psychonomic Science
2020, Vol. 39, No. 1, 135–137
報
告
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Environmental Studies, Kyoto University, Yoshida-Nihon-matsucho, Sakyo-ku, Kyoto 606–8501 Japan. E-mail: saiki. [email protected]
136 基礎心理学研究 第39巻 第1号 (計画班代表 入來篤史理化学研究所教授[神経科学]) に所属している。「B02班: 認知科学・脳神経科学によ る認知的ニッチ構築メカニズムの解明」は神経科学(入 來),基礎心理学(川畑,齋木),霊長類学(齋藤亜矢京 都芸術大学准教授)の研究者から編成され,現生のヒト や霊長類を対象として文明形成の基盤となる認知特性の 解明に挑んでいる。B02班では,「生物が自ら環境を変化 させ,その変化が次の世代以降の進化に影響する」とい うニッチ構築の視点で文明形成を考えるという基本構想 のもと,道具を含む物質的構造物や人工物の認知に着目 し,その制作・使用・経験を通して心,脳,身体がどの ように変化するか,という相互関係を実証的に捉えるた めの調査・実験を計画している。Figure 1に物質世界・ 身体・心の相互浸潤による認知的ニッチ構築のイメージ を示した。本計画班では,認知的ニッチ構築の基本生物 原理を明らかにするとともに,それが時間軸に沿ってど のように進化を遂げ,現在の人類の文明の多様性となっ ているのかを実証的に解明することを視野に入れている。 筆者はその中で,現代の人類の多様性を世界認知マップ という形で実証データとして示す作業を進めている。 筆者らのグループは,これまでに視覚探索課題を用い て視覚認知における文化間変異を調べてきた。世界認知 マップのプロジェクトはこの研究をスケールアップした ものといえるが,本領域での活動を通じていくつかの課 題が浮き彫りとなった。第1に,実験心理学においては, マップを作ることができるようなデータが圧倒的に欠如 している。考古学は言うに及ばず,言語データ,神話の データベース,遺伝子データベースなど,他の分野では 地理的な分布を検討することのできるデータベースは 多々あるが,心理学データに関してはほとんどないのが 現状である。これは,いみじくも HenrichらがWEIRD (Western, Educated, Industrialized, Rich and Democratic)と
いう言葉で指摘したように実験心理学が極めて強い普遍 性バイアスを持っていることと無関係ではないだろう。 多様な文明が創出される仕組みを明らかにするためには まず文明創出のメカニズムの現在形である現生人類の認 知の多様性についてのデータベースの構築が不可欠であ る。第2に,空間的な多様性は時間軸での文化進化のメ カニズムと結びつけられる必要がある。心理学の枠内に いると,文化間変異の存在自体が議論の中心となること が多く,一歩進んで文化間変異の規定因を議論しても思 弁的な仮説に基づく議論にとどまることが多い。例えば, よく知られたNisbettの包括的/分析的認知スタイルとい う話もなぜそのような多様性が生じたのかというメカニ ズムについてはほとんど議論されることがなく,それを 実証するような研究は皆無といえる。しかし,本領域に Figure 1. Cognitive niche construction through interpenetration of physical
137 齋木: 新学術領域研究「出ユーラシア」 おける文化進化という視点を持ち込むと,多様性が生ま れるメカニズムの説明が必須となる。第3に,考古学, 人類学などの他の領域の知見と結びつけるためには,心 理学実験が測っている認知過程と現実場面での人間の行 動によって作り出された人工物との関係を明示すること が不可避となる。この両者をいきなり直接結び付けるこ とは難しいが,少なくとも2つのアプローチが考えられ る。一つは,B02班の他のグループで進められている道 具使用時の認知過程,神経基盤の研究の知見を利用する ことである。もう一つは,人類学研究が持つ多様な人間 の行動様式の研究と実験心理学の知見を連携することで ある。これらいくつかの媒介項を用いることにより,考 古学が持つ物質データと認知過程研究の関係に迫ること ができるだろう。 筆者にとっては,この領域に参画することが自身の研 究を基礎心理学の枠を超えてより広い視点からその立ち 位置を再確認する貴重な機会となっている。心理学者と して本領域に貢献するためには上述のような様々な課題 があるが,新しい学術の世界に触れることにより多くの ことを学ぶ機会を得たことは喜ばしいことである。 最後に,本領域のこれまでの活動を簡単に報告してお きたい。2019年の9月に最初のキックオフミーティング を岡山大学で行い,2020年1月に第2回の全体会議を南山 大学で開催した。キックオフミーティングは公募研究の 説明会を兼ね,第2回の全体会議では各班の研究発表や ポスターセッションなどを行った。その後,2020年2月 にメキシコのティオティワカンで国際研究会議を開催し た(筆者は残念ながら入試業務で参加できなかった)。 この海外での国際研究会議は本領域の特色の一つであり, 今後も年に一度のペースで実験心理学者が決して訪れる ことのない場所で行われる計画である。しかし,これ以 降新型コロナウイルス感染症の拡大により領域としての 活動は大幅に制約を受けている。公募班を含めた最初の 全体会議は当初6月に予定されていたが,8月にオンライ ン開催された。今後,どのような形で領域としての活動 が進められるのか甚だ不透明な部分も多いが,コロナ禍 が早期に収束し,本格的な活動が再開できることを強く 望んでいる。また,多くの基礎心理学研究者に本領域が 目指す新しい研究に興味を持っていただき,積極的に参 画していただくことを願っている。