Ⅰ.はじめに
豊かな「経済」の授業をするために,中学・高校の 教師にとって,重要な時事問題を扱った論文を読むこ とは欠かせない。自分の勉強になるし,教材に使える 個所や新しい視点が見つかることもある。 その一例として本稿標題の本を取り上げた。 山家論文「何のための『負担増』か? アベノミク スの 1 年とこれから」が,岩波『世界』2014 年 3 月号 に載り,私は 9 月の本学会全国大会(於立命館大学) で,その論文を紹介する発表をした。ところが,翌 10 月に山家さんは本稿タイトルの岩波ブックレット を出版された。そこで,本誌では後者を紹介するべき であると考えた。前者の論文発表後 7 か月の経済の展 開が加わり,より本腰を入れた内容・構成になってい て,山家さんの論旨も,私の発表内容も,基本的には 変わっていない。 なお上記の全国大会当日に配布された私の資料は, 山家さんに何か所か添削していただいたものであり, 本稿も,山家さんに何か所も添削していただいた。 高校生には少し難しい個所もあるが,①本書の要約 を生徒に紹介,②部分的にコピーして解説,③金融・ 財政などの用語や仕組みについて,教科書の索引を使 いながら基礎と実態を勉強,などの授業ができる。 現場の先生方が新聞の縮刷版を検索する便や,傍証 のために,関連記事の日付・抜粋・見出しを添えた。 これが本稿を読みづらくしているが,ご容赦いただき たい。引用新聞は,特記がない限り朝日新聞である。 政府批判の論文を授業で扱うことに,ためらう向き があるかもしれないが,誤っていると思う政策には, 選挙や市民活動や毎日の生活の中で,その人なりのス タイルで批判していくことが民主主義の基本であろう。 なお本稿は,私自身が学んだ記録でもある。 本書は次のように書き出している。 「安倍晋三内閣が発足して 1 年以上が経ちました。 集団的自衛権行使容認の閣議決定,特定秘密保護法の 制定,武器輸出の解禁,原子力発電所再稼働に向けて の動き,等々と,最近の安倍内閣は,国民の大多数の 反対を押し切っての強権の発動・暴走が目立ちます」 (以下,このように引用符をつけて,本書―口語体― から引用する箇所が多い)。 本書は 4 つの章から成る。順に見ていこう。Ⅱ.アベノミクスはなぜ問題なのか?
─日本経済の長期停滞の原因を考える 今の安倍政権は 2012 年末に成立した。 翌 13 年 1 月に「日本経済再生に向けた緊急経済対 策」を閣議決定し,「大胆な金融政策」「機動的な財政 政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という「3 本 の矢」で,「長引く円高・不況から脱却し,雇用や所 得の拡大を目指す」と述べている。 同年 6 月の閣議決定「経済財政運営と改革の基本方 針」では,「3 本の矢,いわゆるアベノミクス」など という形で,アベノミクスという語が,いわば公認の ものとして使われ始め,次のように述べている。 「1990 年代初頭におけるバブル崩壊を大きな節目とし て,日本経済は現在に至る約 20 年間,総じて低い経 済成長に甘んじてきた。…我が国が取り組むべき課題 は,まず第一に長期にわたるデフレと景気低迷から脱 出することで…『3 本の矢』を一体として,これまで と次元の異なるレベルで強力に推進していく」(本稿 の下線は,すべて箕輪)。 このアベノミクスには次の特徴・問題点がある。 1.問題点 1─「非科学的」な政策 「一国経済が厳しい状況にあるとき,…まず必要なこ とは,状況を正しく把握することです。…なぜ厳しい のか,その背景や原因などについての分析は,まった山
や ん べ家悠紀夫『アベノミクスと
暮らしのゆくえ』を読む
The Journal of Economic Education No.34, September, 2015Reading “Abenomics and Where Our Livelihood is Going” by Yukio Yanbe
Minowa, Kyoshiro
く行われていません。…いきなりアベノミクスなので す」。この点は下記の「問題点 3」で,やや詳しく述 べよう。 2.問題点 2─多くの経済思想が混在した政策 「第 1 の矢:大胆な金融政策」は,「民間の手持ちの お金が少ないから投資や消費ができず,お金を増やせ ば問題は解決に向かう─こう考えている」わけで, 「マネタリズム(貨幣数量説)の主張を受けての政策 …ということになります」。 「第 2 の矢:機動的な財政政策」は,「『積極的な財 政支出』とでも呼ぶべきもので…公共事業を増やす政 策です。…需要を増やせば問題は解決に向かう─こ う考えているのです。…この政策を支える経済学はケ インズ経済学です(…長期停滞からの脱出には必ずし もそぐわないと思えるのですが)」。 「第 3 の矢:民間投資を喚起する成長戦略」は,「… 長期停滞の背景には,企業の投資の弱さがあると安倍 首相は見ているのでしょう。…こうした政策を主張す る経済学は,サプライサイド経済学と呼ばれる経済学 の一派で…規制緩和が最も大切だという…新自由主義 経済学…の主張を受けたものです」。 以上,「要するに,あらゆる経済学が混在している のです。…『アベノミックス』というのでしょうか」。 3.問題点 3─現状認識を見誤った政策 「安倍首相は,日本経済の長期停滞が 1990 年代初頭 から,つまりバブル破裂とともに始まった,ととらえ ている(上記下線部)…この認識が誤りなのです」。 やや長い話になるが,まず図 1 を見てみよう。 90 年になると株価が急落し,91 年から地価が急落 (グラフは省略)する。アベノミクスなど多くの人は, このあたりが長期停滞の始まりと考える。 しかし GDP は,緩やかになりながらも右上がりが 続く。「それが右下がりになった(低迷状態に陥った) のは 1998 年からです。…その他の経済指標を取り出し てみても,動きはほとんど同じです。…その事実を見 ずに,『1990 年代初頭から』『バブル崩壊以降』など といい加減なとらえ方をしていたのでは,日本経済の 長期停滞の本当の理由は見えてきません」。 なぜ,日本経済は 1998 年から失速したのか。 図 1 の,民間需要と雇用者報酬の動きは,GDP の動 きとよく似ている。つまり「次のように考えるのが自 然でしょう。 ①雇用者報酬が,何らかの理由で 1998 年から下が り始めた。 ②それを受けて国内の民間需要(家計の消費支出, 住宅建設がその 80%程度を占めます)が 1998 年から 減り始めた。… ③結果として,GDP も 1998 年から減り始めた。国 内民間需要は,総需要(国内民間需要 + 政府需要 + 輸 出)のおよそ 65%を占めます。その減少が生産を減 少させた,ということです」。 なお本書では,実額でなく指数で示すなど別の表現 になっているが,話の内容は,以上のとおりである。 外国の GDP は,98 年以降も伸びている(図 2)。 図 2 日本だけ 1998 年から GDP が減少
資料:IMF, International Financial Statistics.
上図の GDP は,日・米・英については 97 年 =100 とし,仏・独については現在の通貨ユーロがスタート した99年=100とした。さらに本書では賃金について も,日本だけが 98 年から下降しているグラフが示さ れている(本稿では省略)。 「世間では日本経済の長期停滞や賃金下落の原因を, 図 1 バブル破裂と長期停滞 資料:内閣府『国民経済計算』,東洋経済新報社『会社四季報』。 註:日経平均は 225 種の年末。
90 年代初頭のバブル破裂,あるいは,同じく 90 年代 初めから著しく進み始めた経済のグローバル化などに 求める見方が多い」が,図 2 が示す「98 年から下降」 「日本だけ下降」という事実から,「構造改革」政策に 原因を求める,というのが本書である。 「1996 年から 97 年にかけての橋本内閣の『構造改 革』政策,少し間をおいて,2001 年から 09 年にかけ ての,小泉内閣,第 1 次安倍内閣,福田内閣,麻生内 閣の『構造改革』政策,それらの政策が,日本経済を 『賃金が上がらない構造』に『改革』してしまったと 考えるのです」。トリクルダウンしない経済に変えて しまったのである。 「企業が儲かるようになっても,賃金は上がらなく なったという『事実』については,政府の白書も認め ている」。その一例として,本書は 2012 年『労働経済 白書』のグラフ(図 3)を引用している。本稿では, 原資料に当たらず,そのままスキャンした。 難しそうに見えるが,100 の交点から出発すれば, 生徒にも分かる。1986 年以降の景気回復期ごとに, 経常利益が最も低下した四半期(景気の谷)を 100 と し,その後景気の山までの経常利益と給与の推移が, 右上へ 2 本,右横へ 3 本描かれている。前者は,景気 の回復につれ企業の利益が増えると,給与も増える。 2 本とも 97 年以前の景気回復期である。ところが後者 は,3 本とも 98 年以降の景気回復期であり,景気の回 復につれ横軸の経常利益が増えて右へ大きく延びても, 縦軸の給与は上がらず,逆に,やや下がっている。 政府の白書は,「こうした変化を示しても,その変 化が『構造改革』政策の結果であるとは記述していま せん」。 こうして「賃金の上がらない構造」,つまり正規雇 用者を減らし,非正規雇用者を増やし(表 1),賃金 図 3 近年の景気回復過程では経常利益が賃金に結びつきにくい を下げられるようになったことにより,企業は経常利 益・社内留保を増やした(図 4)。 表 1 正規が減り,非正規が増えた(万人) 正規社員 非正規社員 1997 年 3,812 1,152(23.2%) 2014 3,278 1,962(37.4%) 資料:『労働力調査』。 図 4 企業の利益・社内留保は増え,賃金は減る 資料:『法人企業統計』,『民間給与実態統計調査』。 なお社内留保は,景気が悪い年は取り崩されてマイ ナスになるが,それ以外の年は累積されていく。つま り累積額は,マイナスの年には減少するが,その他の 年は積み上げられ,こうした手元資金が増える年が続 いたことが,後に見る銀行借り入れ減少の大きな要因 となっている。 4.問題点 4─人々の暮らしに目を向けない 政策 人々の「暮らしの危機を危機として捉える視点も姿 勢も,まったく欠け…これが最大の欠 陥」である。 たとえば安倍首相の最初の所信表明 演説(2013 年 1 月)で,①日本経済の 危機,②東日本大震災からの復興が進 んでいない復興の危機,③外交・安全 保障の危機,④教育の危機を挙げたが, 「危機というなら『人々の暮らしの危 機』をあと一つ数え上げ…るべきだと 思うのです」。 たとえば厚労省の『グラフでみる世 帯の状況』を見ると,次表のとおり, 生活が「大変苦しい」が近年大幅に増
えて約 3 割,「苦しい」を加えると 6 割になる。 表 2 世帯の生活意識 (%) 大変苦しい 苦しい 1986 年 12.8 28.1 1992 9.0 25.2 2013 27.7 32.2 資料:『労働力調査』。 貯蓄の無い世帯が 16%,100 万円未満を含めると 24.8%,4 軒に 1 軒という割合である。母子世帯では 36.5% は貯蓄が無い(2013 年)。
Ⅲ.アベノミクスは成功しているのか?
─「第 1 の矢」「第 2 の矢」の効果を検証する 1.第 1 の矢 まず「第 1 の矢:大胆な金融政策」であるが,これ に入る前に,本書は基本に立ち返り,金融政策は,政 府でなく,日銀の仕事であることを確認している。 独立性を保とうと努力しながらも,しばしば政・財 界や米国に屈してきた日本銀行が,今までにも増して 「様変わりの『大胆な金融政策』を実施するように なった」理由は,①「日本銀行法を変えるという安倍 首相の圧力に日本銀行が屈したこと」(2012年11月21 日に公表された自民党の選挙公約に「日銀法の改正も 視野に,政府・日銀の連携強化の仕組みを作り」と書 き込まれた),②「たまたま…13 年 3 月に日銀副総裁 2 人の任期が満了し,同年 5 月に総裁の任期が満了す るする予定にあり…総裁・副総裁は両議院の同意を得 て,内閣が任命する」となっていることである(日銀 法)。 この情勢の中で白川総裁は,副総裁の任期満了に合 わせて,ごく僅かの任期を残して辞任したのである。 なお,日銀が独立性を保ったとしても,「一握りの エリート集団(9 人の政策委員)が,勝手に政策決定 をしてよいのか,という問題」があり,「その政策決 定が,本当に国民のためになっているのか,という疑 問」を本書は投げかけている。 さて,「大胆な金融政策」(13.4.5「新・量的緩和 130 兆円 日銀,過去最大の投入 新緩和 市場に驚き」) は,次の 3 つの柱から成っている。 ①消費者物価を,前年比 2%上昇になるように,な るべく早く(2 年程度を念頭に)実現させる(それま では 1%上昇を目指していた)。これは黒田緩和の前 に,政府・日銀共同声明として発表された(13.1.23 「金融政策 政府主導に 官邸圧力 折れた日銀」)。 ②日銀から民間金融機関に供給する資金の総量(マ ネタリーベース)を年間 60 ~ 70 兆円のペースで増や す。12年末残高は138兆円であったから,これを翌13 年末に 200 兆円,14 年末に 270 兆円にする。 ③ MonetaryBase を増やすために,主に民間銀行 が保有している国債を日銀が買う。 この政策のシナリオは,「マネタリーベースが増え る→銀行が企業・個人へ貸し出しを増やす→企業 は設備投資を増やし,個人は消費を増やす(物価が 2%も上がるのならなおさら)→景気が好くなり,長 期不況から抜ける」というのである。 それまでも日本は,ものすごい金融緩和をやってき た。本書は,日銀の資料からグラフ(本稿では省略) を引用して説明している。「2012 年時点で,日本のマ ネタリーベースの対 GDP 比率は 25%程度,米・欧は 10%台後半でした。先進国中もっとも金融を緩和して いた日本。その日本で,アベノミクスはさらに『大幅 な金融緩和を実施する』というのです」。 実際の推移を図 5 で見ていこう。 図 5 日銀の資金供給と国内銀行の資金供給 資料:『日本銀行統計』。 本書ではグラフは添えてないが,解説は同じである。 マネタリーベースの残高は,2013 年末で 202 兆円であ り,計画通り 200 兆円を超え,12 年末に比べ 64 兆円 増えた。ところが民間金融機関の貸出は 434 兆円から 449 兆円へ,15 兆円しか増えていない。14 年末も同じ 傾向であり,上図で,マネタリーベースの折れ線が急 上昇しているのに,国内銀行の貸出金は,緩やかな上 昇に過ぎない。 このグラフを 1985 年に遡って見ていこう。 マネタリーベースが漸増すると,これをタネ銭にして国内銀行の預金と貸出金が,足並みをそろえて増え た(信用創造については教科書より,日経 2009.4.6 「日銀マネー,中小に届かず 『信用乗数』2 年ぶり低 水準に」などがリアルで分かりやすい)。90 年にバブ ルが破裂すると,貸出金と預金の増え方が緩やかにな る。97 ~ 98 年からは,貸出金が減り始めた。この過 程の分析は省くが,このときからゼロ金利政策や,量 的緩和策が実施された。 その効果か,景気循環のせいか,02 ~ 07 年,いわ ゆる「いざなぎ越え」という好況になり,国内銀行の 貸出金も少し増え始めた(再び図 5)。この機会に金 融政策を正常化するべく,日銀は 06 年,マネタリー ベースを減らした(図で確認)。しかし 07 ‐ 08 年, リーマン・ショックになったため,マネタリーベース を再び増やし始めていた。そこへ黒田緩和が行われた, という経過である。 その日銀シナリオ「マネタリーベースが増える→銀 行が企業・個人へ貸し出しを増やす」は,図 5 のとお り,ほとんど実現しなかった。とすれば,その後の, 「企業は設備投資を増やし,個人は消費を増やす→景 気が好くなる」はどうなったか。 景気は 12 年 11 月に底を打っていた(14.5.31「直近 『景気の谷』12 年 11 月と認定 内閣府発表」)。安倍政 権は,その翌月に発足し,13 年 4 月に黒田緩和があっ たが,13 年の GDP は 12 年の伸びとほぼ同率で,14 年 はゼロ成長になった(表 3)。民間企業の設備投資 (GDP の 14%を占める)は 4.1%増えたが,消費増税 による消費の反動減は一時的でなく,家計消費支出 (GDP の 57%)が 1.3%も減ったことが大きく響いた。 GDP の停滞や家計消費の低さに驚き,日銀は 14 年 10 月 31 日,追加緩和をした(14.11.1「日銀,目標達 成へ背水 企業は好決算 消費支出伸びず」)。 この追加緩和とまさに同日(!),約 130 兆円を運 用する「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」 は資産運用割合の基準を,国内外の株式 24%から 50%に増やし,国内債券は 60%から 35%に減らした。 厚生年金や国民年金の積立金を,リスクの高い株で運 用しない歯止めを大幅に緩め,GPIF が今まで保有し ていた国債を日銀に売り,その資金で株を買えば,株 価が上がる,という筋書きである。これを「政治介入 だ」(14.11.1)という批判もある。 そして 11 月 21 日に,15 年 10 月予定の消費税 10% への引き上げを 1 年半延期することを表明して,安倍 首相は衆議院を解散させた。 以上,実体経済が,日銀のシナリオどおりに動かず, 「麻薬」の追加投入に至った経過を説明したが,第 1 次,第 2 次の黒田緩和は,日銀も安倍首相も公言しな かった「株高・円安という副次的な効果」を生んだ。 「政府の政策として株価を上げることを目標にするな どとは言えないことです。また,円相場を安くするこ とを目標にするなどと言えば,たちまち諸外国から批 判が出てきます…」。でも「政府の本音としては,株 高・円安を目指したのかもしれません」。 そもそも最初の黒田緩和は 13 年 4 月 4 日である。株 価は,その前からすでに大幅に上昇していた(図 6)。 「野田佳彦前首相が国会解散の意図を表明した 2012 年 11 月 14 日から」上がり始めたのである。「株価は金融 大緩和の結果ではなく,金融緩和によって株価が上が るだろうと投資家(特に海外の投資家)が期待したた めと見ることができます」。 円安も,同じように,「金融緩和により円安になる だろうとの期待の産物と見る」ことができる。 その株高・円安は,黒田緩和の翌 5 月に終わった (13.5.24「東証暴落 1143 円安 アベノミクス 危うさ 露呈」)。その後 11 ~ 12 月に再び株高・円安に動くが, これはアメリカ経済の好転から日本の株価も上昇,そ して米金利の上昇を見込んだものである。そして 14 表 3 GDP・消費・設備投資の前年比(実質,%) 年 GDP 家計消費支出 民間企業設備 2011 -0.5 0.1 4.1 2012 1.8 2.1 3.7 2013 1.6 2.0 0.4 2014 -0.0 -1.3 4.1 資料:『国民経済計算』。 図 6 株価と円相場の推移資料:日本経済新聞「景気指標」(毎月曜掲載)。
年 11 月から,また株高・円安になるが,これは,上 に述べた日銀の追加緩和による。 この株高・円安という副次的な効果は,実体経済に 次の影響を与えた。①金融機関や大企業の収益を拡大 させた。②これらの高収益は,一部は正社員のボーナ スや配当を増やし,大半は内部留保として企業内に蓄 積された。③資産家の資産価値を高め,高額商品の購 入を増やした。④円安で物価が大幅に上がり,家計に 厳しく,また中小企業や運輸業などのコスト増になっ た。⑤円安にもかかわらず,13 年の輸出数量は前年 比 1.5%減,輸入数量は減らずに,0.3%増であった。 2.第 2 の矢 「機動的な財政政策」というが,実際は「公共事業 拡大政策」である(13.1.30「人からコンクリートへ 生活保護切り下げ 公共事業は増加」)(15.1.15「財源 不足 高齢者につけ 介護低所得対策を縮小」)。 表 4 一般会計歳出 (兆円) 年度 当初 補正 補正後 2011 92.4 15.1 107.5 東日本大震災 2012 90.3 10.2 100.5 史上 3 位の規模 2013 92.6 5.5 98.1 「当初」は過去最大 2014 95.9 3.1 99.0 〃 2015 96.3 〃 資料:『国民経済計算』。 註:塗りつぶしは第 2 次安倍政権下。 安倍政権は一般会計の歳出を増やし(表 4),とくに 公共事業に頼った。GDP 統計の公的資本形成が前年よ り増えたのは,近年では 99 年 4.3%(小渕内閣。金融不 況への対処),09 年 7.0%(麻生内閣。リーマン・ショッ クへの対処),12 年 2.7%(野田内閣。大震災への対処) だけであり,それ以外の年は前年より減った。11年は民 主党内閣の「コンクリートから人へ」で 8.2%減であっ た。しかし,13 年(安倍内閣)は 8.0%も増やした。13 年の成長の 4 分の 1(0.4÷1.6)は公共投資による(表 5)。 表 5 GDP と公共投資(実質・前年比%) 年 GDP 公的固定資本形成 同・寄与度 2011 -0.5 -8.2 -0.4 2012 1.8 2.7 0.1 2013 1.6 8.0 0.4 2014 -0.0 3.7 0.2 資料:『国民経済計算』。 たしかに公共事業は GDP を増やすが,「財源や財政 赤字の問題もあり」,「安倍内閣が実施している公共事 業の中には,大型港湾の建設や自動車道の建設,ダム 建設など,人々の生活環境や自然環境を破壊する事業 が多く…景気を一時的に良くすることの代償としては 大きすぎる」という問題もある。 なお上の表 5 で,「寄与度」という概念を生徒に教 えておく必要がある。各項目の寄与度を合計すれば GDP の成長率になる。たとえば家計消費支出は, GDP に占める割合が大きいため,前年比の伸びが小 さくても GDP の伸びに大きく寄与・貢献する。
Ⅳ.アベノミクスは何をもたらすのか?
─「第 3 の矢」が暮らしを危険にさらす 第 3 の矢は「民間投資を喚起する成長戦略」である。 第 1 章の冒頭で紹介した緊急経済対策で,安倍首相 は,「日本を世界一企業が活動しやすい国にする」と 言い,14 年 6 月の閣議決定「『日本再興戦略』改訂 2014—未来への挑戦」では「世界に誇れるビジネス環 境」を整えると言っている。それでいいのだろうか。 この「再興戦略」では多くの具体策が上がっている が,本書では①法人税減税,②規制緩和,③企業をさ らに稼がせるための環境整備,に絞って説明している が,本稿はさらに③を省く。 1.法人税の引き下げ 「法人実効税率(国税 + 地方税)を国際的に遜色の ない水準に引き下げる」「20%台まで引き下げる」と いうが,日本の税率は,いま 34.6%。米国は 40.8%, フランス 33.3%,ドイツ 29.6%,中国 25.0%,韓国 24.2%である(財務省のホームページ。本書による)。 また本書は,日本より低目の欧州諸国は「社会保険 料の負担を合わせれば,日本より負担率が高いという 調査結果を図示している。さらに「日本には,研究開 発投資減税その他の減税措置」がある。 法人税率を引き下げた場合の効果は,どうか。まず, 企業の余剰資金が増えても,投資はほとんど増えない であろう。「すでに十二分に余剰資金を抱えている企 業がそういう行動をとることは期待」できない。「そ のまま…企業に蓄えられるだけ」であろう(図 4 参 照)。 以上のように「法人税減税は根拠に乏しく効果も期 待できないものですが,その代償は,中小企業や多く の人々にとっては高くつくものです。…外形標準課税 (収益ではなく,資本金や賃金支払い総額などを基準にかけられる税)」を資本金 1 億円以下の企業にも広 げることが検討されているし,「社会保障関係費の削 減もすでに始められています」。 なお 14 年度一般会計予算の税収見込みは,消費税 15.3 兆円,所得税 14.8 兆円,法人税 10.0 兆円と,消費 税がトップである。「税に関して最も大切な原則は 『負担能力に応じた負担』です。…ところが消費税は, 所得の少ない人ほど負担が重く(収入に対する税負担 の比率が高い),所得の多い人ほど負担が軽い,とい う不公平な税制です」。その消費税を 5 → 8%に引き上 げるのは,より不公平にすることになる。 また,家計と企業の間の不公平さを表 6 で示そう。 所得税+消費税を家計の負担とみなし,法人税を企業 の負担とみなす。消費税が 3 → 5%に上がる前の 1996 年度に比べ,2014 年度は,家計が 1.20 倍に負担が増 え,企業が 0.69 倍に負担が減った。一方,所得は,家 計が 0.87 倍に減り,企業が 1.10 倍に増えた。つまり家 計は所得が減ったのに負担が増え,企業は所得が増え たのに負担が減ったわけである(資料の関係で年度の ズレがある)。 表 6 税収の変化と所得の変化(兆円) 〈税収の変化〉 1996 年度 A 2014 年度 B B/A(倍) 所得税 + 消費税 25.1 30.1 1.20 法人税 14.5 10.0 0.69 〈所得の変化〉 1996 年度 A 2012 年度 B B/A(倍) 家計の所得 307.9 267.5 0.87 企業の所得 41.3 45.9 1.10 資料:『国民経済計算』など。 註: 家計の所得は雇用者報酬+家計の財産所得。企業の所得 は民間法人企業の所得。税収は国の一般会計。 法 人 税 率 の 引 き 下 げ に つ い て は,「2015 年 度 は 2.51%,16 年度はさらに 0.78%下げて 31.33%にする。 政権は数年で 20%台に下げたい考えだ」(14.12.31「与 党税制大綱 景気刺激策を優先」)などの記事もある。 2.規制緩和 「安倍首相は,しきりに『岩盤のような規制』を 『私のドリル』で打ち砕く,と発言しています」。規制 とは,労働基準法などの労働関係法,国民皆保険制度, 食品衛生に関する規制,医薬品の製造・販売に関する 規制,建築・都市計画関連の規制などである。これら の規則は,不十分ではあるが人びとの暮らしを守ろう とするものである。それを打ち砕こうというわけであ る。 たとえば労働関係であれば,「企業が,何の制約も なく,企業の思うがままに(安い賃金で,長時間)人 を働かせることができるように,そして不要になった ら自由に(時に,若干の金銭を添えることによって) 首を切ることができるように」することである。ブ ラック企業を合法化する政策と言ってよいであろう。 そういうことを,区域を限って,一挙にやってしま おうというのが「国家戦略特区」である。「様々な規 制緩和や減税策を駆使し『世界一ビジネスがしやす い』環境をつくることを目指す。…医療や農業分野で も『革新』を目指す規制緩和が並ぶ」(13.11.22特区法 案,衆院で可決)。そして東京圏(東京都・神奈川 県・千葉県成田市)・関西圏(大阪府・京都府・兵庫 県)を指定,新潟市・養父市(兵庫県)を農業特区, 福岡市を雇用特区,沖縄県を観光特区に指定した (14.4.25 夕「6 戦略特区の政令決定」)。
Ⅴ.日本経済と暮らしのゆくえを問う
─アベノミクスと逆発想の政策へ 1.アベノミクスの経過の実態 次ページの表 7 に沿って見ていこう。 ①景気…アベノミクスと無関係に始まった景気回復。 表 3,表 5 などで説明した。そして 14 年はゼロ成 長(-0.0%)になり,長期停滞は続いている。 ②雇用…悪化している雇用環境・賃金。 表 1 や図 1,図 4 などで 98 年以降の悪化を説明し たが,安倍政権になっても,さらに悪化している ことがわかる。 ③物価…物価が上昇すれば,それでよいのか。 「原因が何であれ物価が 2%上がれば目標達成と いうことではなく,…消費,投資などの需要が増 え,結果として物価が 2%上がるということを目 指しているはずです。現在生じている物価上昇は, そうした,望ましい物価上昇ではなく,生活費を 上昇させて人々の暮らしを厳しくする,あるいは, 製造コストや輸送コストを引き上げて国内産業の (とくに商品価格への転嫁が困難な中小企業の) 経営を圧迫する,『望まれていない物価上昇』と いうべきです」。円安や海外資源の高騰による輸 入物価高も家計に響いている。 ④家計…所得が減り,厳しくなっている暮らし。表 7 アベノミクスの 2 年を前年(12 年)と比べる 12 年 13 年 14 年 景気 実質経済成長率・% 1.8 1.6 -0.0 同(除く公共投資)・% 1.7 1.2 -0.2 雇用 正社員の減・万人 12 46 16 非正社員の増・万人 2 93 56 非正社員の比率・% 35.2 36.7 37.4 賃金 現金給与総額上昇・実質% -0.7 -0.5 -2.5 物価 消費者物価上昇・% 0.0 0.4 2.6 輸入物価上昇・円ベース -0.3 14.5 4.3 勤労者 世帯 可処分所得の増加・% 1.1 -0.3 -0.6 同・実質・% 1.1 -0.2 -3.8 資料:『国民経済計算』,『家計調査』,『毎月勤労統計』など。 2.アベノミクスの今後 「第 1 の矢」は「もう効かなくなっています。…それ でもこの政策は止められません。止めることによる反 動が怖いからです」。そして上述のように,1 年半後 の 14 年 10 月 31 日に追加緩和した。3 回目,4 回目の 麻薬を打つかもしれない。国債の大量発行によって相 場が下がり(つまり金利が上がり),「政府の財政負担 は重くなり,…国債を大量に保有している民間金融機 関,そして日本銀行に巨額の損失が発生する」可能性 もあり,年金積立金と年金受給者への影響も心配であ る。 「第 2 の矢」は公共事業で,これが「ひたすら景気 を支えるという役割を果たしています。安倍内閣とし ては,これを止めるわけにはいきません」。 「第 3 の矢」は,「いわば『毒の矢』です。日本の経 済社会を,そして人々の暮らしを破壊してしまいま す」。これを「矢継ぎ早に放ってくる,ドリルを振 るって『岩盤規制』を壊しにかかる─これからの展 開はそう予想され,とても危険です」。 3.政策を根本から転換させるには 「『第 3 の矢』の政策のそれぞれに異議を唱え,その 実施を阻んでいくことが必要でしょう。法人減税をさ せない,規制緩和をさせず…TPP 交渉から撤退させ る,原子力発電所を再稼働させない,など課題は多岐 にわたります。…すでに多くの人が,さまざまな場所 で…異議申し立てを行っています。そうした運動が力 を増し…成果をかちとっていくことが必要です」。 もう一つ,「アベノミクスでない道を見つけ出して いくことも必要です。…賃金を上昇させることがカギ となります」。そのためには非正規雇用に対する規制 の強化や最低賃金の大幅引き上げなどが必要である。 要するに,人びとの暮らしを良くすることを第一に 考える。そうすれば「日本経済は長期不況から脱出で き,結果として,企業にとっても良くなる」のである。