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禅 会 のスケジュールを 見 ると 週 末 だけでなく 平 日 の 夜 も 静 坐 会 が 開 かれており 宿 泊 のできる 青 年 部 静 坐 会 というものもあり 熱 心 に 坐 禅 をやっている 様 子 が 伺 えました ここには 坐 禅 を 真 剣 に 行 える 環 境 があるかもしれない

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Academic year: 2021

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擇木道場との出会い

白井 蔵月

<禅の風景> 私が禅を始めたのは、井筒俊彦という碩学に憧れてのことです。見性をすれば、 幼少期から禅をやっていた彼のように、詩や文学に対して深い洞察をすることが できるのだろうと考えていました。当時はそのような内的な志向をもって坐禅を 組んでいましたが、それから一年経って、私がなぜいま禅をやっているのかと問 い直してみると、その理由の方向性が以前とは 180 度変わってしまったことに気 づきます。 摂心会などの機会で出会った先輩方は、公の社会で広く活躍されており、私は その姿に憧れを抱くようになりました。自分の外に向かって、社会に対して、大 胆にコミットしていく、今はそういう志を持って、禅と関わっています。 谷中にある擇木道場に初めて足を踏み入れたのは、ちょうど一年前の今頃です。 その頃私は、禅というものを本格的にやってみたいと思い、都内の各地にある禅 道場や禅寺を回っていました。しかし、訪ねてみたところはどちらも、一般の方々 向けには週末の坐禅会のみを開いているのみで、なかなか本格的に修行ができそ うな場所は見つけられませんでした。自宅で坐禅をやるにしても、ひとりではな かなかやる気を保てないし、しっかりとした方法を教えてもらわずに、自己流で やってしまっては身にならないだろうとの思いもありました。ですので「やはり 禅というものは出家でもしないかぎり、その神髄に触れることはできないのだろ うか」と、半ばあきらめているところでした。 そんな心持ちのもと、インターネットで坐禅について調べているときに、擇木 道場のweb サイトに遭遇しました。禅寺や道場のホームページといえば簡素なも のが多かったり、そもそもホームページすらなかったりすることがありますが、 擇木道場のホームページはとても充実していて、驚いたことを覚えています。坐

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禅会のスケジュールを見ると、週末だけでなく平日の夜も静坐会が開かれており、 宿泊のできる「青年部静坐会」というものもあり、熱心に坐禅をやっている様子 が伺えました。「ここには坐禅を真剣に行える環境があるかもしれない」とピンと くるものがありました。 その日はちょうど金曜日だったので、一泊の青年部静坐会が予定されていまし た。当日の夕方で開始直前だったのですが、はやる思いを抑えきれず、迷惑覚悟 で予約の電話を入れ、すぐさま宿泊の身支度をして自宅を出て、電車で日暮里へ と急いで向かいました。 日暮里駅から擇木道場までは暗い夜道が続いていました。谷中へは以前、霊園 での花見をしたことがあったので、道の途中ではその時のことを思い出していま した。道場にたどり着き、おそるおそる扉を開けると、中には簡素な木造の内装 が、橙色のランプの光で、暗くぼんやりと照らされていて、正面には筆と硯の一 式、生け花がそえてありました。都会で育ったごくごく普通の若者にとっては、 なんだか不思議で、すごく崇高な雰囲気がするなあ、という印象を受けました。 私が到着したときには既に静坐会は始まっていたので、一階には誰もおらず、道 場全体が沈黙に包まれていました。私はそこで、「面白いところに来たなあ」と一 人心の中で感嘆したのを覚えています。 足元にある立札を見ると、「二階で静坐中 御用の方は二階へ」と書いてありま した。「勝手に上がって坐りに入っても大丈夫なのだろうか」といくばくかの不安 もありながらも、階段をのぼって禅道場の扉を開けました。こちらも簡素で清潔 感のある木造りと畳の大部屋も、ぼんやりとした橙色の明かりに包まれており、 坐禅会中の沈黙と相まって、崇高な空気が張りつめていました。その時は、15 人 くらいの方が座っていらしたと思います。 私は擇木道場へ来る以前に他の坐禅道場で座り方と数息観の方法を一通り教 わっていたので、同じやり方で座れば良いのだろうと思い、静坐の真只中にも関 わらずあまり躊躇もなく裏から座布団を三枚取って中へ入り、座を構えようとし ました。空いている場所に座布団を置こうとすると、「そちらから回ってきてくだ さい……」と私に向かってささやく声が聞こえました。注意に促され奥へすすむ

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と、ひとりが道場の端の中央で縦の向きに座っている。「こちらで合掌してくださ い……」と言われ、私はその坐っている方の前で、座布団を置いて合掌する。「前 へすすんで合掌してください……」前へすすみ、掛け軸へ向かって合掌する。「こ ちらへお座りください……」座布団をおいて、折って重ね、足を組んで背筋を伸 ばし、坐禅の体勢に入る。「合掌してください……」合掌をする。 覚えたての数息観をはじめて、何十くらいまでか数える。雑念が入る。「考えて はいけない」と考える。「考えてはいけないと考える、これも雑念なのだろう」と 考える。今日のアルバイトでの反省が頭によぎる。「見性とは何なのか」と考える。 「明日会う友達に今日の坐禅のことを話そうか……」「そういえば、新宿のフルー ツパーラーの予約をしないと……」日暮里駅からごうごうと響く電車の音、次の 停車を知らせるアナウンス、修行が進めばこういった生活騒音すらも、全く気に ならないようになるのだろうか、などと思った。 静坐会の終了後には、一階で懇親会がありました。一階に降りて、広めの和室 に十人程で卓を囲む。すでにこちらの道場で長いとみられる方々は仲良さげにし ておられる。初めてここに来て若干緊張していた私は周りの人の顔色をうかがっ てみる。皆いくらか緊張しているように見える。そのとき上座に座っていらした のは道風庵老居士でした。 坐禅についての簡単な話を老居士とした後、おのおの自己紹介をして下さいと 言われました。自分の番が回ってきたので私は、留学先と自宅で自己流の坐禅を やっていたことを話しました。 道場や寺に入門せずに、我流で坐禅を組むことを「野や狐こ禅ぜん」というのですが、 そのときの私は読み方を知らず、「わたしは野狐禅のぎつねぜんをやっていまして……」と申 してしまいました。「それは『野や狐こ禅ぜん』というんだよ」と、道風庵老居士がにこ りとして、高く柔らかい声色でそうおっしゃられました。 五月の下旬で、梅雨のけはいがしはじめ、夜はまだいくらか肌寒いという頃で した。潤んでひんやりとした空気と、素麺だったか冷麦だったか、冷たい発泡酒 で若干の酔いと、「落ち着きというのはこういうものか」と、「これが侘び寂びと いうやつなんだろうか」と稚拙な頭で考える。もう深夜になりかかっていたので、

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二階へとあがって、洋服のまま寝床につきました。もう一人いた私と同じ大学生 の方と話が弾んでしまったので、なかなか眠りにつくことはできませんでしたが。 翌朝は、眠い目をこすり睡魔と闘いながら、二炷香を座りました。 初めてここに来たということで朝の坐禅にも気合いが入っていました。そのた め、慣れないにも関わらず、足が痛くとも無理に我慢して長く座ってしまい、ア ルコールと夜更かしも祟ったのか、貧血を起こしてしまいました。吐き気がして ぐったりとうなだれてしまい、初めて会う方々に粗相を見せてしまって、恥ずか しい思いでした。そのとき直日をやっていらした霊亀居士が、「大丈夫ですよ、横 になって休んでください」と優しく声をかけて下さりました。 一息ついて横になり、仰向けになって天井を見ながら、「坐禅にはかなり辛い 面があるのでは」「耐えることも必要なのだろう」と自分に覚悟を迫った覚えがあ ります。 二炷香の後は道場を去り、午前中に授業があったので私は大学へ向かいました。 眠い割に頭がすっきりとしているのが不思議でした。 ちょうど一年前のことですが、このようにわりあいと鮮明に、擇木道場に初め て来たときのひとつひとつの場面、事柄を思い出すことができます。それほどこ の道場との出会いが私にとって気持ちのいい、印象的なものであったということ なのだと思います。 最近は Web サイトの充実が成功したおかげで、擇木道場には毎週多くの方が坐 禅をしに来られます。その中には、ちょっと興味があって坐禅を試してみたいと いう方々、道心を求めてこられる方々がいらして、おのおのの目的は様々です。 そして、おのおので擇木に対して持った印象というのは違うはずです。 私が擇木道場に初めて来たときには「不思議だ」「崇高な感じがする」「落ち着 いた雰囲気だなあ」といった印象を受けました。それらが総じて良いものであっ たので、私はここで坐禅をするようになったのだと思います。「にぎやか」「アッ トホームで柔らか」「なれなれしい」「固い」「暗い」「涼しい」「暑い」「昔の日本 を思い出す」皆が持つ印象はさまざまであると思いますが、初めていらっしゃる 方々の「擇木道場のファーストインプレッション」というものが、できるだけ良

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自 伝

―思う事

鈴木 輝風

<禅の風景> いものであってほしいです。 初めて擇木で座って以来、ここで禅を続けることができ、居心地の良さを感じ ている私としては、そう思います。 合掌 平成 26 年3月に行われた岳南支部摂心会の講話の時間にお話ししたものをま とめ、投稿しました。 今日は、15 年ほど前からのお話をしてみたいと思います。平成 11 年(1999 年) 9月に約 30 年社内外注として通っていた工作機械メーカーをリストラされ、自宅 で仕事をするようになりました。リストラといっても、そこで突然仕事がゼロに なったということではなく、だんだんと減っていったということです。外注に仕 事を出さなくなったということです。バブルが崩壊したといわれてから8年ぐら い後でした。バブル景気の恩恵も特になければ、バブル崩壊の影響もないと思っ ていたのですが、それは考えが甘かったようです。正社員と一緒に社内外注もほ ぼ全員リストラされました。 この外注という仕事は、どの業種でも同じだと思いますが、毎月毎月平均して ■著者プロフィール 白井蔵月(本名/博之) 平成3年、東京都生れ、早稲田大学文学部ロシア語ロシア文化 コース在籍中。いすゞ自動車来春入社予定。平成 25 年、人間禅 丸川春潭老師に入門。(埼京支部)

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