覿工経済研究
インフレーレヨン以後に於ける
猫逸の経済的復興 ≡
一堀 江 邑
助下に抱ぐる小文托本年五月十日本校第十二同公園講演骨に於いて試みたる撒榛原稿でぁり、固£り 誌上に発表†る日約を以て草Lたるも¢でほ示uいが、本誌嗣輯者の俵粗によりこ\lニ鴇戟する:ミにし た。講演の際に托時間の関係上省略し㍗ろ部分も可成りぁつたから、之にょりてその理解が補けろれば 尊ひでぁろ。尚之ほSOコter︶Der⊃eue計u冴che︻ヨPeriaニsヨ亡Sに負ふミニろ多さ:ミな附託して置く 世界戦寧により七英図とせ界の覇を辞つ窄ドイヅの脛臍が、戦前既に非常なる肇達を途げ、てゐ、たことは、富ふ に及ばないが、その後達した経済も、四ケ年に飴り、世界の誇張囲を向ふに廻して孤軍奮闘する問に、その基礎 を危くするまでの打撃を被ってゐたのである。のみならす戦敗の結果、聯合図からは驚くべく莫大なる賠償の負 櫓を負はされ、更広之に引き絞く褐逸貨幣の暴落の馬めに、ドイツの経臍はその堰床から破壊せられ、ドイツ観 イソフレージョン以後に於けろ環逸の檻静的筏興第四奄弟三装 ︵明月糊口が桝︶
︵.︼九一︶ 一井田巻 第三兢
︵山九二︶ こ民の窮状望嘉に絶するものがあつ・花のである。常時の状態については、本校松崎、木村術数授が膵朝の際、第
這本講演愈に於いて、詳細且つ興味ある講演があつたのであるが、其後約三年を経て一九二六年夏私が入猫し
たときには、斯かる困窮のあとは殆んど見られなかったのみならす、薄荷はせ界の郁を以て誇る巴里、倫鼓舞よ
りも塾頓して居り、清潔であり、レストランも商店も市場も仲々繋発してゐた、住宅なども仲乍甚沢で、堂内の
調度類など、英件の同じ程度の住宅に於けるよりも、造かに立派である。昔々日本人の多く下宿してゐる伯林田
由、南都方固の朗謂住宅筒域に於いても、朗々め軒下、門先等に貸間札が多く下ってゐて、追行くもの1眼を惹き、外面の立派なるに引きかへ、勝手元の不如意を物語るかの如くに想像せられたのであつた。併し伯林金牌から
富へぼ、常時非常な住宅難が叫ぼれてをり、所々に新しき住宅が建築中であり、郊外などには立派な新式の住宅街
が総督せられてゐるところも少くなかつたのである毒中も道路や橋契其他の修築新設等朗カに留まれて居り、宛
然復興途上の泉京市を偲ばしめるものがあつたのである。而してこの状態豊ハ後私の伯林滞在±有年飴りの間、大慣欒化なく顆撥してゐた。近来日本人の欧洲に短期間旅行見饗するもの多く、昨年夏は大阪毎日新聞主催の炊
洲見嬰旅行困、ニ甲声四五十人なども見へてゐたのであるが、是等の入違彼等が数日乃軍撤退問伯林又は覇逸
阿内に滞在する間に見るドイツが、僅か数年前に円本に於いて聞いてゐた如き、インフレーシヲン時代の窮状にあ
ったとは、思らく想像だもつかないことであらう。極めて皮相的に見ても、ドイツの紐解複興は斯の如く穎著な
ものであり、而かも犬が完二組十一二五−∴二十メ二七年の約三ケ年間に為されたのであるから驚くのほかはない然らばドイツ綻臍は如何なる状態から、如何なる方面が、如何なる催件の下に、如何なる程度に復興せられ、 その結果復興ドイツ経済は如何なる状態にあるか、叉経済は敢脅の炭質の土釜であり、その重安なみ褒化は必然 的に政治ヒ、軋倉上に影響を及ぼすとすれぼ、夫等の政治上、敢合上の影響、更にドイツの閲際上の地位に封す る影響如何等。ドイツの経済的復興と云へぼ必然的に是等の問題が起って来るのである。著し経消車的に是等の 問題に答ふる焉めには、正確詳細なる統計上の数字に基く観察分林批判等が必要であるが、本日は拳術講演に非 ざるのと﹁時間の制限もある故に、なるべく統計表などは避けて、大膿次の如き問題を極めて概括的に親祭して 見たいと思ふ。即ち ︵こ 戴時中及び戦後のドイツ経済の破壊 ︵二︶ ドイツの檻臍的復興の原因 ︵三︶ ドイツの檻臍的復興の尊賛 ︵四︶ ドイツ後輿経済の内的矛眉 ︵五︶ 内的矛盾の克服過程とドイツ経済の勝木 剛 戦時中及び戦後の許イつ経済の破壊 先づ第仙に、戦時中は、所謂鮭臍的生産は殆んど中絶し、由家総動員の下に、問を貌げて軍需品の生産に姦し イyフレージョン以後に於けろ燭逸の経済的篠興 ︵一九三︶ 三 ▲空≦挙
第四幾 多三眈
ハ一九四︶ 四不生産的消費のみを敢へてしてゐたのであるから、散寧によりてドイツの経済が荒廃しキことは嘗ふまでもない
アメリカ人の計算に従へぼ、世界大戦の戦費は、聯合軍山千四百五十倍弗、同盟軍ハ百三十倍弗、合計二千八十
倍弗腫上ってゐるが、同明m衰の戦費の大部分がドイツによつて免略されたことを思へば、哉零そのものによりてドイツの受けた経済的打撃の如何に大なりしかは、思ひ学ぼに過ぎるであらう。侍戦時中はエ場機械等の修緒更
改等は極めて不完全に行はれたるに過ぎなかつた馬め、観民生産の基礎を甚しく悪化したのみならす、ドイツに於
いては一九一週1一九叫八年の問に於いて叫千三百二十六萬人︵全人口の二十パーセント︶が動員せられたが、その大部分は平時の生産的労働から奪ひ去られたのであり、その代りは生産性の劣患なる幼少年又は婦人を以て補
はれたのである。而かも右の出征軍人申戦死者、百八十三欝五千人、負傷者四百二十二陶五千人、厳兵六十六萬
五千人の犠牲者を出し、之によつてドイツの国民的生産的努働を減殺し、国民経沸上に輿へた打撃は嘗に測るべ
からざるものと謂はなけれぼならない。梅戦後の国民の髄質上、道徳上の頚厳を考へれぼ更に甚しきものがある。
第二に、ドイツは職敗の結果、ベルサイユ傭約によりて次の如き新負槍を受けたの′である。
︵イ︶エ柴の非常に蔑逢し、従来ドイツの富源なりし裡エルザス・ロートリンゲン、拘ザール地方、伺従来ドイツの保護の下にあつたルクセンプルグ地方、㈱上シレジャのエ発砲方の一部分、等を聯合図、フラニス
ポーランド等に奪はれたこと。
︵こ すべての啓植民地を失ひ、従来園外に期有してゐたすペての特煉利槽を失つたこと。︵ハ︶ 経臍的蟄展の背後の重要努力たる軍備を殆んど剥奪せられた主。 ︵ニ︶一九二五年一月まで、自己猫立の商菜政貸︵関税政冤其他︶を韮てる繚利を奪はれたこと。 ︵ホ︶ ベルサイユ條約による賠償金絶綴は、一九二鵬年の倫敦協軍実に従へ.ば一千三宮二十借金馬克となつて ゐた。その後叫九二四年より暦施されたるドーズ実に従へぽ、初めの五ケ年間は年々七億五千萬、十倍、 十二億五千萬、十七倍、廿五億金馬克を及彿ひ、何かも共後無期限に毎年二十五億マークを支挑はねばな らぬこと。 ︵へ︶ ベルサイユ條約履行の快諾の薦めに、ドイツの財政及び軍備は聯合図によりて管印せられるこt。 第三ルール占領。ベルサイふ條約の斯の如き莫大なる経済的負塘は、経済的荒厳の極にありし戦後のドイツ経 済の堪え得べ′からざるものであつた。然るに聯合図は條約不履行を口嘗に、仙九二三年一月、遮にルール地方を 占解し同地方を英彿軍の管理の下に思いたのである。之に封しドイツの資本家はエ場閉鎖による所謂消極的反抗 を試みたが、その薦めに無数の労働者は術上に拗げ出され、斯くて労働者の木浦はドイ7第二の革命の危機とな らて勃畿し、朗々に暴動を惹き起したのであつた。聯合軍のルール占領と之に件ふ革命的暴動がドイウの経済的 打撃を探化したことは明かである。 故後に右のドイツの條約諒路履行の不可能とルール占領、革命的危機、政府の基礎の動格はドイツ貨幣の信用 む失廃し、斯の弘ろしきインフレーションを惹き起したのであつた。インフレーションによりドイツ国民の受け 虎Jこ′︸−ショy以後に於けろ碍逸り踵浄的筏爽 ︵一九五︶ 五
︵山九六︶ 六 多四懸 第三拡 た経済的打撃は革零そのものより受けた天よりも寧ろ大であるとさヘ音はれた経である。貨幣低値は日に益々下 落し、之に反比例して物慣は鰻上りに暴騰するのに、俸給又は篤銀はその割には上らず、その薦め資質貿銀揉却 って益々下落して、中産階級及び労働階級の悲惨な状態隻呂ふに忍びざるものとなつた。夫等の悲惨な状態につ いては普々が伯林滞在中下宿の主婦なぜから督語りに浜ながらに屡々聞かされたところである。葡インフレーシ ョンによるドイツの経済的打撃の一因として、資本の国外逃亡をあげなけれぼならない。即ち政府の信用が失墜 し、貨幣が下落し始めるや、ドイツの資本家は将来に於ける更に大いなる下落を見越して、自己所有の資本を外 囲に造り、外囲貸に特化することによりて自己の損失を免るゝと共に、之によりて困窮の信用を更に叫暦突堕せ しめて、インフレーションを更に甚しく激化せしめたのである。 斯の如く、ドイツの経済は我等の絡醍したる仙九鵬八年以後更に悪化し、劃九二三年秋にはそのどん底に終り 鵬九二四年春、ドーズ案の驚施と共に始めて復興の曙光を見るに至ったものである。私が戦後に於けるドイツの 経済的復興についてお話するに常り、特にインフレーション以後に於ける経済的復興なる限定を輿へる所以も亦 此應にあるのである。 こ ドイサの纏唐曲線興の原因 斯の如き大いなる控臍的破壊を被り、困窮のどん威から斯くも速かに復興したのは、抑も如何なる原因に基くも
のであるか。是が原因をぼドイツ人の国民性が勤勉であるとか、克己心にとむとか、負けじ魂であるとか、其他軒 抑の精神的原因に求める人もあるであらうが、私は之を経済的に見て、次の如き四つの原因を蓼げ虔いと思ふ。 その弟血は、ド右ソの経済的復興む可能ならしめるに至った素地とも官ふべきものである。ドイツ竺方に於 いて、蟄肌及び戦時中に経臍的技術的に非常に進歩してゐたのと、他方に於いて、自国領土内では殆んど教卒を 行はす、その馬め各程の富源む、産発もエ場其他の経済的設備も殆んど哉零そのものによりては破壊せらるゝこ とが無かったが馬めに、経済的復興の素地は既に布衣してゐたのである。のみならす、ドイツは最初から国民総 動員の計笠のもとに、平時の経臍的生産工場を閑職と同時に直ちに軍需品製造工場に組織啓へしたのであつたか ら平和克服と同時に、是等の軍需品工場は直ちに再たびもとの経済的生産工場に特化することが、比較的容易に 行はれ、従って経済的復興に非常な便宜を異へることになつたのである。 第二は経済的復興の手段方法とも言ふべきものがあつて、私はその最も主要なるものとして、企業の集札化と 蒸発の合理化とを轟げ庇いと思ふ。各柴を集中し、大規模の組絞とLて、科畢的経螢方法妄とり、所謂企葉粧皆 の合理化を行ふならぽ、冗費を箇約し得るのみならず、更に進んで市場の猫占を拉侍するに至るならば、競寧に よる無駄な損夫経費もなくなり、更に所謂猫占慣格︵カーテル償格︶を維持し、飴剰利潤をさへ得るに至る。他 方集中化せられたる企業は労働者の拭抗に勤し七封抗する力を増し、労働者の搾取の率を高めることも出来るの である。然らばこの集中化の方法が如何にして如何なる程度に行はれたかは、次に掲ぐペきドイツ経済の筏興寄 イシフレーショy以後lこ於けろ環逸の経済的復興 ︵∵九七︶ 七
琴四・倦 琴芋粥 ︵山九八㌣ 八 賓の頓に於いて逃べるであらう。欝し企業の集中化は同時にドイツ経済の復興のバPメーターとなり得るからで ある。.次に産業の合理化によ少てはヽ 咄方には新技術新撥械の輸入により、他方には労働の料静的管理法kよlり
労働の生産力を増加すると共に、労働の能率強度里向め、葡労働時間を延長しながら、或る場合陀は却って努質
を引き下げる等により、二々には生産高を大.にすると共に他方咋は生産費を節減し、√企菜家の利潤を太にするも
のである。ドイツに於い七蜜際に行はれたる企業の集中化及び産柴の合理化.に閲し、ボン教授は.﹁合理化わドイツ経済生活に封する意義﹂なる論賓集の中で、吹、の如く述べでゐる。即ち﹁合理化はその最も内部的本質紅綻べ
ぼ、技術的ではなくして、、経済的、敢愈的及び金融的である。、、−、▲カーテル形成に於いて、眞賓に決定的なるものは、技術を改善し、労働者の教育を進めるととによりて、生産費を低減し、憤格を引き下げる己とやはなく
して、打ち明けて冨へぼ、生産費は低減してゐるにも拘らず、安倍を高く経路す′るか、或は選に高く引き上げる
ことである。﹂と。資本の妖乏匿常画してゐたドイツの経済は、.産業の合理化に於い七も、資本を多く聾する扱術的方面には解れす、主として労働者並びに給費者一般に封する座迫によつて、その犠牲に於いて、蜜現せられ袴
ものである。併し兎も角、それか企業家.、資本家に多くの知恵者磨らし、経臍的復興の最も重要なる動力と凝ったこと鱒、寧はれぬ琴蜜である。
右の如き経済的復興を可能額らしむべ.き素地の七に、ドイツ資本家をして、右の如き有効をる復興方法を苦行することを得さしめたのは、次の如き二つ、の主要原因によるものであるから、私は是等を復興原因の第亭、第四
としてあげんと欲するものである。即ち
第三原因としてあぐべきは、労働者の革命運動、反抗運動の失敗であ、る。五言年のPシヤ革命の刺戟を受けて、大我末期に於卜いてはドイツ労働者の不平は高ま軒、革命遊動は進展し、遮にドイツ帝政を倒し、引ひて大
戦終結の直接原因の仙つを造る喧至つたのである。併しながら、二几二八年のこのドイツ革命は敢禽民重々義者 ヽ
の姦切㌢によつて、労働者の最初の目的たる、ロシヤの如きプロレタワァート革命に徹底することを得す、或程
度に於いて、急進的ブルヂヨアジーとの安協に経ったが薦めに、労働者の姦的不満は碕構鎖し、殊に戦後の経
済的窮迫の蔑めに、革命遽動は少しも衰退することなく、ざイツ政府及び資本家階級の地位は極めて不安なもの
であつたぎの状態は叉インフレーションを惹き起した原因の−つとも言はなけれぼならない。この労働者の不満ほ遮た一九二三年聯合軍のγル地方占領を契機として再び勃塗し、ザクセン、、︿ンブルグ、ライン地方と全図に
嵐って咄連、の暴動を惹き起し、ザクセシに於いて最も猛烈を極めたけれども、妄敢愈民主々養老とブルヂヨアー
との向盟によ、り他盃ハ産寵の準備不足並びに指導の誤謬等によりて惨敗に蹄したのであつた。共後企業の集中化
産菜の合理化の遊動忙よ老、資本の攻勢は進み、発条は絞出し1労働者の賃銀は引き下げられ、労働時間曙社長せられ、生活給度は少しも向上しないにも拘らず、労働者側は其後殆んど大した抵抗を覿みることを得す、非
常なる苦痛の中に、資本家の経済的復興の重荷を輪稼せしめられながら獣ふたる有様である。この意味に於いて
弊働階級反抗運動の失敗、特竺九二三年の革命の失敗及びその後の労働者の抑墜はドイツの挺臍的復興に大い
︵一九九︶・尭 イyフγショシ以後に於けろ猫逸の経済的復興なる紺係あるものと言はなければならない。
第四は外囲資本の輸入である。即ちドーズ案によるアメリカ資本の輸入之である。この案は要するに、ドイツ
をして賠償金を文彿はしめる焉めには、ドイツの粧臍を復興せしめなければならぬが、ドイツに於いてはその革
めに必安なる資本が紋乏してゐるから、之をアメリカより輸入し、之によりて復興したる経済の中より、賠償金
を支彿はしめやうと云ふものであり、仙九二四年アメリカの前副大統領ドーズ氏によ少て計雷せられたるもので
ぁる。一九二七年には、ドーズ実によりて輸入せられたアメリカ資本に勤しドイツの支梯ひたる利子は七倍金馬
克に及んでゐたから、之を年七歩の利子とトて資本換算するならば、既に百億馬克以上の資本がアメリカから輸
入せられてゐる繹である。
三 ドイツの経磨的復興の奉茸
既に述べた如く、ドイツ経済の復興の啓蜜は、市稗の外観、市坂の状況、家庭内勝手菟の梯子等からも窮はる
るところであるが、是等の単なる外面的親祭は㌧一傑の旗行見聞記としては兎も角、少しく立ち入つて、経済的
復興の原因につき研究し、それらの諸原因の結英として、ドイツ経済の復興が如何なる方簡に、如何なる程度に
行はれてゐるかの寄賛を見るが焉めには、飴りに揆としてゐるものである。さればと云って、若し厳格に科挙的
に之を賛誇せんとすれば、各紺の産業部門、少くとも重賓産柴部門に関する生産、交通其他種々の統計材料を必
弟四巷 弗三浪 ︵こ00︶ 膚○嬰とするものである。例へば、
等である。
併しながら、是等の数字を挙げてゐては際限なく、叉此庭では固より科畢的講演をなす主旨に非ざるがため、
私は経済的復興の指標ともなるべき次の=ろの経済的事嘗を挙げて、この事蜜の澄明に代へ皮いと思ふのである ︵一︶産柴の集中及び猫占化、並びに金融資本の教達。︵二︶ドイツ企業の国際的束占企業への参加進出。︵三︶資本の輸出。
︵こ産巣の集中及び礪占化並びに金融資本の教連。 何故に産菜の集中及び猫占化が経済的畿展のパルメーターとなるか。−今日支配的なるこの資本主義的経済 なるものは、自由兢琴を原則として出来上つたものである。従つて強者生存でY強いものは残り、弱いものは倒れる。経済界に於いて強者とは大資本を擁し、大規模生産を行へるものである。大資本を有するものは、大規模
の料率的経営方法と精巧なる椀械とを利用することを待、強力なる競学力を有するが故に、競争に打ち勝つこと
となる。株式合祀の畿達により、大資本の集積が容易になると共に、益々この趨勢を助長し、朗謂カーテル、ト
仝親展生産組敬 イリプレーショシ以後に放けろ燭逸の経済的復興 炭 践 一九一三年 一〇〇 一〇〇 一〇D叫九山王年度盲二〇〇とし、その後の数年庶の生床を百分率を以て表はせぼ
︼九㌻七年 八七 一九二三年 四四 一九二四年 七六、一五 入四 ︼九二五年 九こ、三七 九四 九 ︵二〇〓一︼ 一九二六年 八七、三 ︼〇ニ ー〇四 ︼九こ七年 一〇六 一四八弗四舎 弟三靡
︵二〇こ︶ lこ ラス斗、の方法によりで、大資本による産業界の猫占化が行はる1に至った。而してこの猫占化は企業間の結合 関係がカーテル、シソヂケート、トラストと、結合踊係の比較的ルーズなものから、緊箪なるものに進むに従ひ 益々進展するものである。而して故近時に於いては猫占化の両形態として右の如き企柴結合の諸形態亜びに参輿 阻係、企業金融関係等によつて、生産、販繋、交通運輸、金融の諸生産部門を包含し、統仙的指導を行ひ、経臍 界に於ける叫王闊を形成するととろのコ、ンツエルンなるものが現はれた。更に経済界に於ける兢寧に於いて最も 重要なる役割を揖するものは、資本の大さであるが、今日の経済に於いて、最も多く資本の集中するところは銀 行なるが故に、企柴の集中化、産柴の猫占化と並行して銀行の集中化の行はる1ことも亦必然である。大いなる 銀行ほど信用が大であ少、預金が益々多く集って来る。大銀行は斯く集中し来った資本を道輪する蔑めに之を企 業家に貸しっけるが、その貸付資本の安全の蔑めにはその企業を自己の支配下に置き、或は白からその企業む繹 螢する必要を生する。斯くて銀行の産柴界に射する支配力は経済の後展と共に、益々大となるものである。日本 に於ける安田家の如く、大銀行家が諸種の専業を紅塵する様になるのがその例である。一之に反し大事柴を経常と る大企業家は大銀行を白から経常するか、或欄大銀行と密接なる関係を結ぶことが、必要となり叉極めて有利す なつて来る。斯くてこ亮二二菱、住友等の大産業企糞家ば何れも大銀行を経常するに至るが如きである。斯く銀 行資本と産業蛮本とが融合し合惜したものを、吾々は金融資本と名付ける。故に資本主義が両足程度以上に獲達 するときは、その敬達に従ひて益々この金融資本の勢力が大となり、進んで開民経臍金蔑を支配する忙至るものである。故に産業の礪占化の状態と金融資本の葵達程度とは、前述の如く、経済的畿展の原因となり、手段とし ■
て利用せらる1側方、その結果から見れば、﹁陶経済の進歩哉達の程度を示す指櫻となり得るものである〇さて、ドイツの経済状態む観るに、新進のドイツ尤戦前既にアメリカ合衆圃と共に、この種の企発給合の最も
牽達してゐた観であつ宅併しながら、その結合は主としてカーテルの程度に止まり、猫占化の程度は比較的低
いものに過ぎなかった。戦時中は特殊の事情によりこの種の傾向を浅分強めはしたけれども、戦敗の結英、戦前
ドイツの蟹座と富はれてゐたエルサス、P−トリンゲン、ザール地方を失ひ、更に上シレジャの銀山地帯を密はれ、ルール地方は占領せられ、斯くて大企業結合の基礎を全く奪慮れたが焉めに、戦前の多くのカー≠ルは破綻
し、解散せられたのであつた。其後インプレーションの時代には更に或軽の企業集中が可成りに行はれたが、常
時のものはその基礎が比餃的薄弱なりしと、インフレーションの横に乗じた投機的性質を帯ぶるもの多かりしが
馬めに、インフレーションの絡規後直ちに崩壊したものも少てなかつたのである。例へぼインフレーション常時
はドイツの認賓上の支配者とまで呼ばれたスチンネス・コンツェルンがインフレーション後忽ちにして崩壊した
が如きである。故に現在の大企菜集中の多くは殆んどインフレーション以後、即ちかのドーズ案が採用せるれた
一九二四年後に成草したものである。而かも戦前のものがカーテル程度のものに過ぎざりしに反し、現今のもの
はトラスト・コンツェルンの性質を有する市場痛占の可能性を濁するものである。
今、結合せられたる小数大企共によりて生産せらるゝ生産額の、その生産部門に於ける紙生産額に封する割合
インフツーショy以後に於ける狩逸の倭臍助役輿 ︵二〇三︶一三右の如く集中化されたる諸企集中、その汲も甫菅なものとして二つの例を掲げて見やう。即ちその仙つは聯合
製鋼株式愈弊<ereiコ各eStaぃぎeユ∧e声G.︶であつて、之は合計七倍七千八百二十萬馬首の資本を有する八簡の禽敢を聯合したものであり、別にこの合祀固有の株式資本八倍馬克を有し、其偽証横倍入金等を合して、この合計
の絶負債は十三億五千革帯馬克に達する。この脅眈は、土地、茨坑、コークス製造桝、鍛山、製織新、製鋼朗、
展鋳工場、自家用港薦、掛道共他を有し、叫九二六年にこの倉敵の使用する労働者、痩用人の組数は十八萬八千
人に上ってゐたといふ、驚くべく蒋大なる合祀である。他の例はイー・ゲー・染料工柴株式合祀︵L.G.Farbeコiコdu St﹁訂戸レ・︶である。この食紅は戦前既に存在してゐた大倉祀が結合トて、叫九二五年創立せられ、十億マークの大資本を擁し、化単二柴界に絶封的猫占を有するところの大骨放である。その組織の複雑なることは、臥界第刷
の稲あるほどである。今この禽敢の製造部門の主なるものを示せば、染料、製薬、フイルム、蔓典材料、電池、
窒素、人造肥料、火薬、轟瓦斯、ダイナマイト、石茨液化、酒精ベンジン、人造絹糸等である。山九二六年ドイ
第四谷 第三兢 を百分率を以て示せぼ次の如くである。 加 里 九八三一 銭T﹂幾 八八、○ 城 山 九七.三 電気化撃工業 八六、九 染 料 九六、三 化撃工発 八三、○ 鋼▼ 銭 九五、○ 電免尊莞 八一、五 褐 炭 九四、五 船倉証 八〇、九 ︵こ〇四︶ 心因 石 炭 九〇二 銀行光 七三、八ッに於ける化畢工菜食敢の総数望ハ百二十敢、その紙生産額は十八億五千三百高鳥克だが、その中、三倍四千
七草馬寛がイー・ダー・染料倉敷叫敢によりて生産せられるとふのであるから、驚かざるを得ない。序ながら、こ
の脅赦によりて新に成功せられた石袈液化の教明は﹂せ界の著明界を牽勤せしめたものであつて、今後世界の紅
酒界に革ゐ的大影響を労らすであらうとのことである。周知の如く、現代は石次の時代から石油の時代に入り、
石油の需要は日々に増加しっゝあり、せ界の強固は油由の寧奪把血眼になつてをり、石油載牲膏飼主量的哉尊の
盈大なる嘉因となるほどのものであるが、この新教明の方法た依れば天然石油の生産費よりも班別も低廉に生
産することを得るとのことである。而かもドイツにはその原料たる禍米が無壷戒に存在するといふのである。こ
の意味に於いてドイツは将来有力なる石油産出図となり、英米の強敵となるであらう。この形勢を漆想したもの
か、世兇この石油合敵ア㌃カのスタンダード石油愈敢はイー‖ゲー・染料食前と協定し、此の人造石曲数造の焉
め竺新禽政を設立せんとする交渉が進行中だとのことであるか若しこの協定にして成立すれば、世界の二大愈
敢の間に利至ハ同が生じ、賂釆石油の世界的猫占が行はる1に至るであらう。葡その外この禽赦に於いて生蒸せられるものゝうち、窒素、人造肥料は世界の経済界の将来に依然として偉大なる影額泰盛へるであらうし、又火
薬毒瓦斯の製造は来るべき世界帝国主養戦争に於いてドイツの演ずべき偉大なる役割を漁約するものにちがひな
い0佃ドイツの経済的復興の尊瞥の第言して附冒すべきは金融資本の教達である。既に述べた如く大いなるコン
ィソフレーショシ以後に於ける将逸の経臍静夜輿 ︵二〇五︶一志 _一J第四特 集三兢
︷こ〇六︶一六 ッェルン闇多くの場合銀行柴をもその中に包含してゐるか、或は銀行と轡殊の緊密なる関係を結んでゐるのであ るがら、コンツェルン資本は耽に一位の金融資本を表はせるものであるが、銀行資本の産業企糞支配の関係を見 れぼ、ドイツに於いては戦前既に著しき銀行の集中、大銀行の畿達があゆ、六大銀行が殆んど全図銀行を支配す るの状態であつた。梶って是等の大銀行の産業界に射する勢力は極めて強く、戦前に於いてこの六大銀行・は重安 産業企菜の中で、七百五十叫の重役の地位を占めてゐたのである。ところが血九二六年に於いては、是等の大銀 行の占むる重役の地位は二千三百二十四に上ってゐる。之によりても、哉後、銀行の産業界に封する支配的勢力 が如何に増大しっ1あるかは、明瞭rに想像され得るところで参る。 ︵二︶ドイツ企真の国際的猥占企柴への参加進出。 一国企柴が外囲企業に参加進出すのには、固より閣内に於ける経癖が可成りの梓匿に畿展するに非ざれぼ不可 能のことであるから、叫困企真の国際的企業への参加の串質そのものに、その囲の経済的畿展の仙つの指標とな り得る理由があるのである。而してその企業が国際的燭占企業なる場合、特に然りである。蓋し、自由競寧制を 以て始った資本主轟は、その獲展と共把、今やその封立物なる覇占佐相化してゐること、ドイツの例につきて前 述したるが如くである。斯の如くして先進資本主義諸国に於いては仙陶経済内部に於いて所謂無政府的生産が或 程度に厳止せられてゐるのであるが、固際的には依然として生産の無政府状態が支配し、各観民鮭臍匿屈する企 発と企業との閤には或は原料地の睦待について、或は生産物め販路に閲し乍∵更には投資範囲の獲得に就いて、激烈なる競軍機が闘はれてゐるのである。併しながら、この過程が進行する間には園内経済に於けると同様に、 国際経済に於いても、強者は弱者を併呑し、勢力相伯仲せるものは協定を結びなどして、所謂闊際的カーテル、 団際的トラストが畿生するに至る。盟把是等の固際的企発給合と相平行して銀行柴の国際的シンヂケートが護生 するものである。故に是等の国際的結合が多く存在すれぼするほど、而して更に夫が猫占的結合なればなるほど その経済は進歩畿達したものと謂はれなけれぼならないのである。 さて、ドイツの嘗際を観るに、ドイツは埜肌蹴に大いなる程度に国際的企柴に参加してぁたのであるが、是等 は開戦と同時に殆んど破壊せられたことは一一呂ふまでもない。従って現存するドイツ企糞の因際的企業への垂加進 出は何れも固より戦後に始めて行はれたものである。戯るにドイツの参加してゐる国際的猫占的企業の紙数は沈 た六、七十に及んでゐる。そのうち特に重要なるものにして、ドイツ企業が指導的役割を演じっゝあるものゝみ を撃ぐれぼ、国際加里工業、国際針金工柴、囲際軌條カーテ隼−図際園管カーテル、アメリカ電気工発とドイツ の月EGとの協定。イー・ゲー。染料合祀とアタリカのスタンダー・ド一石油禽放との協定。更に図際鋼鍍カーテ ル等である。この最後の閣際鋼鎗カーテルはドイツの主唱の下に山九二六年秋設立せられたる彿、白、ルクセン ブルグ及び後にオースト∴リヤを含め全欧洲の銅鏑産額の七〇パーセントを産出する大綱餓カーテル.であり、妖洲 大陸を打ってⅦ丸とし、英米勢力と相競争する目的を弔するものである。このカーテルの中に於い.て、ドイツは 叫九二六年にはカーテル参加開会憾の生産額の四三∴八パーセントを生産することになつてゐ、花のである。 イ/↓ノレーション以後に於ける猫逸の経済的筏異 ︵二〇セ︶一七
︵三︶資本の輸出。 資本の輸出は原則として関内過剰資本を前提する故に、との意味に於いて資本の輸出の存立は折柄的敬展む意 味するものである。併し単に夫のみならす、資本の輸出なる現象は通常、資本主義的蟄展が二軍段階に達して始 めて起る現象なるが故に、資本を捻出しつゝある団は、資本主義的に蟄展したる固なることを意味し得るのであ る。何んとなれぼ、この現象は、二万に於ては、経酒の非常に哉放した結果としての資本の過剰と生産費、就中 労賃の高きことの焉めに、自国内に於いては、利潤率も利率も比較的低く、有利なる投資口の乏しき故に、低廉 なる外囲労働を使用し、高き利潤率を接待せんが馬めに行はるゝものである。他方に於いて、資本主義的畿展が 或段階に達して、自由貿易から保護貿易の時代に移り、関税戦が特破約となつた時代に、関税の障壁を突破せん が馬めに商品輸出が姿を攣へて資本となつて輸出せらるゝものであり、叉輸出資本が外国債に癒する場合の如き は、大抵その應募の條件として、そ︵の輸入したる資本を以て事業を起す際に、資本輸出闘の撥披共他の材料を購 入使用する契約を結ぶものなるがため、資本の糠揖は之に伴ふ外囲貿易促進の手段として用ひらる 是等何れの場合に於いても、経済の二軍桂慶の磯展を途げて始めて資本輸出なる現象は起り得るものである。 併しながら、ドイツに於いては、ドーズ案等によりてアメリカ資本を輸入しっゝあり、山般的には資本の不足 が訴へられつ1あるのであるから、資本の輸出が存在するといふことは、一見奇異の様に思はるであらう。併し ながら寄苦行はれてゐるのである。たゞドー、ズ実によりて資本を輸入してゐる紺係と、賠償金支沸ひの関係とか 第四塔 第三兢 ︵二〇八︶一入
ら、資本輸出の大さは極めて巧妙に院政せられてゐるから容易に認め難いのである。併しドイツの紅臍が安定し 幾分快復したる側九二五年末から血九二六年にかけては、この現象が明かに認識され得るのである。而してその 方紘は他の資本主義図の夫と同校に外因企業への参血ハ或は外囲位、酢憤への應基の形式をとつてをり、その方固 は、璧削大いに問題となつたと同じ方向む辿つてゐるのも不思議である。即ち主としてバルカン、トルコ、小ア ジヤ、ペルシャ等であり、更に哲猫領アフリカ、南米、Pシヤ、支那等が之に次ぐ。而してベルリーナー・クー ゲブラツト紙の報するところに依れば、一九二七年の故初の五ケ月間に於けるドイツ資本の輸出額は一億六千四 訂正十濁馬芽に上ってゐるから、之を年額に横罫すれぼ四億馬克から四億五千萬馬克と見積られるであらう。之 を竪肌の資本輸出年額二十三倍鵜克に比すれば、極めて貧弱と富はなけれぼならぬが、併し現在ドイツの困灘な る所帯よか是丈の資本の輸出をなすことは、非常な努力と謂はねぼならぬと同時に﹀総柄的復興の著大な進展と 謂はなければならない。何んとなれば、昨年度の如きはドーズ実による輸入資本に封する利子七億マークを支沸 ひたる以外、臍償金として二十五倍馬克を無償給血ハしてゐるのであるから、蔵前の如く是等の特殊文雄なきもの とすれぽ、既に耗臍的忙は戦前よりも遠か以上に、資本輸出能力を快復してゐるものと謂はなければならないか らである。 インづ′レーショy以後に於ける猫逸の経済的後興 ︵こ〇九︶一九