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明治前期における地方私立銀行について--長崎県三友銀行の場合---香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

明治前期における地方私立銀行

について

一基崎県三友銀行の場合−一

伊・丹 正 博 Ⅰ・はじめに・。Ⅱ・三友銀行の設立過程。(i)三友社の創立。(ii)三友社か ら≡友銀行へ}役員と株主の構成。:Ⅲ=≡友銀行の営業状況。(未完) Ⅰ 明治前期の地方金融史研究に.おいて−ほ.,先ず国立銀行の生成発展を中心に.考 えねばならないことは,いうまでもないことである。私は,九州金融史を研究 するについても,このような考えから,分散的に各県に設立された,地方国立 銀行の個別分析を中心に.追求してきた。1)また,−L般紅.,明治期の金融史・銀 行史の研究紅おいても,その方法論,分析手法等,アプローチの差違ほあって も,その対象は,国立銀行が過半以上を占めているのが現状であり,国立銀行 と併行して多数設立された私立銀行や,特殊金融機関としての府県農工銀行, あるいほ,庶民金融機関として−の無塵会社など軋ついての積極的研究はきわめ て少い。 しかし,地方金融史・銀行史を追求する上に.おいてほ,こ.れら,中小の金融 機関を見落すわけ紅は行かない。特に,私立銀行は,財閥系の三井銀行を筆頭 に.,数鼠的には,国立銀行をほるか匿.りょうがし,明治後半期紅入った80年代 には,普通銀行に.移行した旧国立銀行を加えて−,全国で2,000を越えている。 1)拙稿「明治前期における−・国立銀行の性格紅ついて一創立初期の福岡第17国立銀行 の場合−−」(『香川大学経済学部研究年報』4所収)111−114ぺ−汐。

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− 2 −− 香川大学経済学部 研究年報 7 J967 これらの銀行が,日露戦争以後,日本資本主義の発展過程において,度重なる 恐慌毎に,合併・合同を繰り返し,太平洋戦争末期の一・県叫行主義による銀行 合同促進運動を通じて−,はぼ,現在のような形紅近い,普通銀行の姿を現出せ しめたと考えられる。 したがって,国立銀行の研究と共に,私立銀行の研究を−特に,史料が, 地方的紅偏在している地方私立銀行の個別的研究をw進めなければならない と思う。 わが国に・おける私立銀行の系譜は,明治初年の銀行類似会社に端を発し,国 立銀行条例公布によって,「銀行」という名称をつけるこノ包めできないこれら 金融機関が,三井組バンクを先導に,私立銀行の設立許可を求め,明治9年の 国立銀行条例改正にともなって,ようやく制度として発足したのである。2) 第1表 私立銀行年次別行数 行 数 L 資 本 金 2,000千円 2,000 2,000 3,290 6,280 10,447 17,152 2)明治5年制定の国立銀行条例葦22条第3節濫は,「為替・両替預り金貸附等都テ銀行 二類スル業ヲ営ム者ハ向後紙幣頭ノ承認ヲ得サレハ共営業ヲ為ス可ラス」とあって,国 立銀行以外には銀再という名称を認めていなかった。このような銀行類似会社ほ,年々 増加し,国立銀行条例公布時紅は,約100をこえていた。『明治財政史.』(第12巻・492 貫)紅は,「是等銀行会社ノ資本ノ\其小ナルモノノ\圃ヨリ数百円三通セサリント錐モ其大 ナルモノニ至デハ数十万若クノ、数百万円ノ巨資ヲ擁シテ厳然一地方ノ経済ヲ左右レ名ハ 国立銀行条例ノ検束ニヨリテ銀行t・称セナレトモ兵営業ノ英二至テハ殆ソト国立銀行卜 相駆逐レ其進退消長ハ実ニーL般公衆ノ利益二大関係ヲ及ホスモノアリテ到底大蔵省ノ監 督ヲレタ等閑ニ・何スルコト克ノ\サテンムルモノアリ依テ同省二於チハ明治七八年ヨリ同

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明治前期に.おける地方私立銀行について− −β − 私立銀行の設立は,第】表に見るよう紅,3)三井銀行.以後は,国立銀行設立 ブームのため,−囁停滞するが,明治12年12月,国立銀行の設立が許可されな くなってから,急増しはじめる。これほ,国立銀行設立を計画して,資金を準 備していたものが,私立銀行設立に転じたからである。 −このように,明治13年の私立銀行合引数ほ,前年にくらべて,行数は約4 倍,資本金額ほ約2倍に増加した。『朋治財政史』によると,「明治12年マテソ\私 立銀行及銀行類旧会社ノ数右ノ如ク太夕多カラス其資本亦僅少ニシテ営業ノ況 状実二微々タリンカ十三年二重り地方ノ農家ハ比年ノ豊穣二拘ラ.ス米価頻リニ 騰濱■レ大工其富ヲ増殖シタルヲ以テ財本余裕アルニ従テ頓二購買力ヲ進メ為メ ェ貨物ノ販路滑カニシテ商況宿額トナ・り金融頗ル繁劇ヲ曽ケタリ是二於テ\民心 一・般二起業二傾キ銀行設立ノ計画各地二起レリ而シテ是時二当り国立銀行ハ其 資本既二内定ノ額二満チ又創立ノ許可セラレナルニヨリ私立銀行ノ創立俄然異 数ヲ増加レ…」4)という状況であったが,本稿で対象とする,長崎県下の私 立銀行の一つである三友銀行は,はぼ,この時期に当る明治14年1月紅,銀行 類イ以会社としての「三友社」を設立している。そうして−,更に,16年3月に.な二 って,これを私立銀行に移行し,「三友銀行」の出現となったのである。 Ⅱ (i)三友杜の創立 明治10年代の九州に・おける銀行の設立状況に.ついては,国立銀行を中心とし ですでにのぺたが,5)長崎の場合は,長崎市の第18国立銀行,平戸の第99国立 十年二至ル間二私立銀行条例ノ編成二着手レタルコト数回ナリレカ当時政敵二於テノ\既 こ二一一般会社法制定ノ議アリソニヨリ曹ク同法制定ノ後ヲ侯ツヘレトノ議二決レ該条例ノ 発布ノ\遂二中止二帰セリ 明治九年国立銀行条例改正セラレ普通ノ銀行類似会社モ亦銀行ノ称号ヲ唱フルヲ得ルニ 至り漸次銀行卜号シテ金融機関ヲ新設スルモノ若クノ、従来使用ノ名称ヲ廃レテ銀行卜改 称スルモノ各地二輩出レ加之其称謂ノ会以テ実業社会ノ信用ヲ招クニ便宜サリン為メ銀 行類似会社ハ赫々減少レ之レニ反レテ私立銀行ハ愈増加スルニ至レリ」とのぺて−いる。 3)土屋喬雄編『地方銀行′」\史』36ぺ−ジ。 4)『明治劇政史』第12巻703−4ページ。 5)前掲拙稿「明治前期における一周立銀行の性格紅ついて」111−114ぺ一汐。

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香川大学経済学部 研究年報 7 ユタ67 _ 4 −・ 銀行,厳原の第102国立銀行という,国立銀行3行がすでに.あり,私立銀行が はじめで顔を出すのほ,明治14年10月の玖島銀行であるとされて−いる。¢)っま り,三友社が設立された明治14年1月は,長崎県下紅おいては,まだ,私立銀 行の存在しなかった時期である。 三友社は,宮副吉兵衛・米屋良菩7)の両名を発起人として,14年1月19日, 「会社営業轍」が長崎県令内海忠勝宛提出されている。これに.よると,設立場 所ほ,長崎県北松浦郡平戸村であり,「同盟会杜ヲ結ヒ三友杜卜称シ諸公債証 宙旧金銀売買貸預為換両替等旨トレ資本金弐万五千円ヲ以テ創立営業仕度・…・ ‥‥」8)というものであった。 同地方に.おいては,先に.ものぺた通り,すでに,平戸第99国立銀行が,明治

12年1月以来,資本金5万円で,北松浦郡平戸町572番地において営業してお

り,三友社ほ,仙応,銀行類似会社の型態をとって創業したものと思われる。 三友社の営業状況については,史料を欠くので,記述しえないが,設立時把. 提出された「三友社規則」および断片的な史料から,その内容をうかがってみ ると,営業の内容は,「専ラ貸金為換両替旧金銀浪シ地金諸公債証書売買等」 (規則第三条)であり,営巣期間は,「満5ケ年ヲ以デー・期ト㌢満期後ハ吏二 締約スルモノトス」「但シ時宜二依り株主ノ協議ヲ以デ期限内解社スルコトア ルヘシ」(仝第四条)という,期限付きで設立されたものである。結局,共同 出資による貸金会社とでもいうべきものであったようだ。しかし,14年11月に. は,資本金を倍額の50,000円に・増加し,9〉更紅,翌年にほ,壱岐および伊万里 6)『十八銀行80年の歩別附表「長崎県下の銀行の興亡と変遷図表」参照。 7)宮副書兵衛は.,長崎県小城郡小城町在住,当時,同県北松浦郡平戸村2131番戸寄凱 米屋良書は,同県北松浦郡平声村2311番戸在住である。 8)三友社の「会社営業願」に.よる。尚,本稿において使用せる,三友社および三友銀行 にかんする史料は,すべて,長崎県立図書館所蔵の郷土史料文庫中に含まれているもの で,筆書きの文穿と印刷のものからなっている。 9)≡友銀行関係史料中に下記の文苔がある。 「資本金増額届 当会社資本金弐万五千円ヲ以デ営業罷在侯本年十二月一月ヨリ更二 弐万五千円ノ株金ヲ募集シ併セチ五万円ノ資本ヲ以テ是迄ノ通り営業仕度候段奉届慎也 明治十四年十一月l」四日 北松浦郡平戸村敢部弐千育三十壱番戸■三友祉 副社長 官副書兵術 社長 千秋央彦(以下略)」

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明治前期に.おける地力私立銀行について −∂一 に.それぞれ支店を設置している。10)このような銀行類似会社の全国的な趨勢 ほ,次ぎの通りである。11) (年次) (社数) 明治13年6月 120 14年末 369 (資本金) 1,211千円 5,894 7,958 12,071 15,142 15,397 15年 16年 17年 18年 438 572 741 744 これに.よると,三友社は,全国平均1祉当り1万円余りの資本金額(18・4 年において)に.くらぺれば,5フラ円という資本金からみて,中以上のクラスに 位置づけられるものと考えられる。尚,預金を取り扱っていないのも,他の同 類会社とはば同様であった。 (ii)三友社から三友銀行へ鵬役員と株主の構成 三友社から三友銀行への移行についても,明確な史料が人手できないため, 長崎県あてに.提出された届書に.よらざるを得ない。明治16年2月20日,北総浦 郡長を経て長崎県令に出された副書ほ次ぎの通りである。 「当郡三友私立銀行発起人高力弥五郎外二名ヨリ役員届井頭取本沢五郎外− 名ヨリ開業及印鑑届別紙之通.り差出候二付則チ副書進達仕候也 明治十六年二月廿日 北松浦郡長西郷純正 長崎県令内海忠勝殿 10)前掲史料「支店設置頗 一一・三友社支店壱ケ所 右者壱岐国石田郡武生水村四百七拾番工支店開設本店同様営業仕度依テ御許可被成下 度先鋭金之儀ノ\御規則之通上納可仕候依之此段奉願候也 北松浦郡平戸村東部弐千百 三拾壱番戸 三友社々長 千秋奥形 明治十五年七月三日(以下略)」 「支店開設営業願 北松浦郡平戸村二千百三十壱番戸二於テ会社ヲ結ヒ十四年勧第四 拾四号ノ官許ヲ経テ三友社卜称シ資本金五万円ヲ以テ銀行類似ノ営業罷在候処西松浦 郡伊万里下町弐百拾九番戸二於テ支店ヲ設置シ深町清吉ヲ以テ該備長トレ業務為取扱 着資本ノ内ヲ以テ本店同様営業仕度此段奉願慎也,明治ナ五年十−・月六日 平戸三友 社島 千秋窺彦 仝 副社長 宮削ぎ兵術 仝伊万里支店長 深町清吉(以下略)」 11)前掲『地方銀行小史』65ぺ−・汐の

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J967 ー 6・一− 香川大学経済学部 研究年報 7 「三友銀行役員届」紅よると,発起人は,高力弥五郎,官副語兵衛・木沢五 郎の3名であり,役員ほ.次ぎに示すようになっている。 北松浦郡平戸村 小城郡小城田了 佐賀郡佐賀八戸町 長崎区丹大工町 北松浦郡平戸村 仝郡 仝村 頭 取 木沢五郎 副頭取 宮副吉兵衛 取締役 探町滴吉 仝 黒川勘四郎 仝 千秋英彦 支 配人 米屋良菩 これらの人物について簡単にのぺておくと,本沢五郎ほ,下寺村儲蓄講惣代 で,宮副書兵衛と共に,≡友銀行の発起人である。宮副ほ,≡友社副社長であ ったが,米屋良まと共に,三友社設立時の発起人でもあった。千秋轟彦ほ,三 友杜々長であり,深町清吉ほ,三友社伊方望支店長であった。三友銀行の役員 は,三友杜の役員紅新しく加わった長崎・佐賀地区の有力者でもって組織され てこいる。役員の変遷は,節2表のよう紅なっている。 創立時の主要株主および,その後の変化は,第3・4・5表の通りである。 これを見ると,すぐ気附くように,先述の三友杜・三友銀行役員が大部分であ り,はとんど変化していない。16年3月創立時は,資本金15万円で,翌17年に ほ,18万円に増賀しているが,主要株主の所有株数も余り変っていない。役員・

第2表 役員構成の推移

草本表ほ,三友銀行『各季考課状』により作成。

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明治前期に.おける地方私立銀行紅ついて −・7一

第3表 主要株主の変遷 ①

(創立時)明治16年3月

株数竜金額l姓 名

氏 田 善 治 宮 副 書兵荷 黒 川 勘四郎 深 間 清 吉 千 秋 英 彦 丸尾治右衡門 米 屋 良 書 本 沢 五 郎 久 田 繁一郎 宮 田 小太郎 福 島 又三郎 長崎県北松浦郡下寺町 仝 小城郡小城町 仝 長崎区船大工町 仝 佐賀郡八戸町 仝 北松浦郡平戸田了 仝 仝 仝 仝 小佐々村 仝 生属村 仝 佐賀郡柳町 (所有株数 40株,株金2,000円以上の株主を所載,資本金額ほ150,000円。) 第4表 主要株主の変遷 ④ 明治17年12月 株 数【金 額l 姓 名 黒 川 勘四郎 宮 副 署兵衛 丸屋治右衛門 探 町 清 吉 川 崎 楷 一 幾本 沢 五 郎 木 沢 五 郎 宮 田 小太郎 富 福 良 三 福 島 又三郎 長崎県長崎区舶大工町 佐賀県小城郡小城町 長崎県北松浦郡平戸町 佐賀県佐層郡八戸個丁 仝 西松浦郡有田 長嶋県北松浦郡下寺町 仝 平戸村 仝 生月村 仝 平戸村 佐賀県佐虫郡柳町 (所有株数 40棟,株金2,000円以上の株主を所載,資本金額は,180,000円。) ※ この木沢五郎は,「備蓄訊腰代.」としての名儀となっている。

(8)

J967 香川大学経済学部 研究年報 7 第5表 主要株主の変遷 ⑧ − β 一−・ 明治18年12月 株数Ⅰ金額葛 姓 名 佐賀県′ト城郡/j\城間 違崎県長崎1云本石灰町 佐賀県佐賀郡八戸鞘 仝 西松浦郡有田皿山 長崎県北松浦郡平戸村 仝 平戸町 仝 長崎区櫻津町 仝 北松浦郡平戸村 佐賀県小城郡小城町 仝 長崎県北松浦郡生月村 佐賀県佐賀郡材木田1 宵 副 書兵衛 黒 川 拗四郎 洗 町 清 ま 川 崎 桁 − 本 沢 五 郎 丸屋治右衛門 米 屋金 平 春本 沢 五 郎 宮 副 徳治郎 江 越 菩太郎 宮 田 小太郎 福 島 又三郎 を所載,資本金額ほ., 1的,000円。) (所有株数 40棟,株金2,000円以上の株主 ※ この木沢五郎は「下寺村備蓄講惣代」 としての名儀となっている。 主要株主については,その身分職業等,一腰に,当時の銀行の実際考課状に・お いてこは記入されているぺきものが,この三友銀行の考課状においては,一切, はぶかれているので,明確には掴みえないが,恐らく,はとんどは,平民(商 人および農業)と推定される。12) 次ぎ紅,株主構成の推移を見てみよう。入手した考課状に・ほ,株.主名簿のつ いていないものもあるため,第6表ほ三期分であるが,18年・17年・ユ8年と, 丁度,創立後3年間の動きほ,うかがえるであろう。ここで,県内とあるの ほ,長崎県と佐賀県の両県を含んでいる。創立時軋は,まだ,佐賀県は長崎県 に含まれており,け年から,これが,分離している。県外ほ,大阪府が主であ り,一・部,福岡・徳島・滋賀が1名づつ見られる。地域別としてほ,長峰県北 松浦郡在住が極めて多く,残りは,長崎地区と佐賀県の小城郡および佐賀郡で 12)平戸第99国立銀行の『第十四回半季実際考課状』(明治18年下半季)た記載されている 「株式売買譲与ノ事」によると,宮副徳次郎等2名に,平民・商・銀行役員等の肩書が 附されている。

(9)

明治前期における地方私立銀行に.ついて −・夕一∬

(10)

J967 香川大学経済学部 研究年報 7 ー→J〃 −− ある。三友銀行と同時期の私立銀行である諌早銀行の株主が,はとんどすべ て,諌早地区居住者から構成されているのと同様である。1め 株主の所有株数による分布では,10株以下の小額保有株主が過半数を占めて いる。すなわち,16年に.ほ約50%,17・18両年でほ,約68%紅達している。1株主 所有平均株数は,16年で18.5株,17年で12“0株,18年で12・7株になっている。 三友社から三友銀行への移行過程,および株主構成の変化ほ,以上紅のぺた 通りであるが,銀行設立の目的がどこ把.あったかは,充分把握できない。長崎・ 平戸・/J\城の各地区に.は,すでに.国立銀行があり,14)尚,かつ,私立銀行を必 要とした理由はなんであったか。福岡市に.おける,第17国立銀行に対する筑紫 銀行のごとき関係を一応考えてみるべきであろう。15)すなわち,専ら,紙幣発 行と官公金の取り扱い紅すべて−を托した国立銀行−・般に対して,地元産住商人 の必要度の下に.出て来た私立銀行の設立を想定するのであるが,これほ,次節 において,更に.検討を進めたい。 Ⅲ (i)預金業務 三友銀行の経営状況をうかがうために.,先ず,預金業務から見てゆきたい。 預金の種類としてほ,御用預金として,定期・約定・当座・別途・為務方御用 の各預金があり,人民預金もほぼ同様に,定期・約定・当座・別途よりなって いる。これらの年次的推移は第7表軋見る通りである。これによると,全般的 に官公預金と民間預金をくらぺても,期中・期末ともに,後者の方が,かなり 多い。特紅,期末残でみれば,民間預金の方が8∼4倍の額を示している。預 金樺別でほ,官公金の場合,前半でほ,当座預金が,又,後半では為替方御用 預金が圧倒的軋多い。これ紅対して,民間預金の場合ほ,全期間を通じて当座 13)誠早銀行については,別稿で詳説する予定である。 14)長崎市には第18国立銀行,平戸には虜99国立銀行,小城田1(佐賀県)には籍97国立銀 行があり,厳原(長崎県)の第102国立銀行を加えて,明治16年には,長崎県下に国立 銀行が4行存在したことになる。 15)松井安信氏「九州金融史の叫約(ニ)一明治初・中期の福岡県金融事情」(『西南学院 大学商学論集』寛3巻第1弓)114叫7ぺ一汐。

(11)

明治前期における地方私立銀行について 第7表 預金構成の推移(本支店総計) ーJ∫− 単位 円 ※ 三友銀行各季考課状より作成。(以下同様) 預金が第一・位で,約定預金がこれ紅次いでいる。これほ,−・般に・,この時期の 銀行についていえることであり,年次を経る紅従って,預金構成中に・おいて当 座預金の占める比率は減少し,定期預金の比率が増大してくるのであるが,三 友銀行の場合,この初期の状況を示しているものといえ.よう。尚,約定預金に・ ついてほ.,「期限ノ有無二不拘十日戎ノ、−サ月前二通知ヲ得テ仕払フヘキモノ 其他種々ノ約束ヲ結ヒクルモノ」16)とされている。 次ぎに.,この預金構成の推移を,各支店別に.みると,第8∼14表のようにな る。本支店の数ほ7で,長崎・大阪・佐賀・平戸∴伊万里・壱岐・島原であり, はじめ平戸が本店であったが,後に.,長崎支店と,交替している。島原は出張 店である。 預金総額中においてほ,長崎店の占める位置が極めて大きい。官公金,人民 16)三友銀行『第四回半季実際考課状』18ぺ′−ジ。

(12)

−Jヱーー 香川大学経済学部 研究年報 7 第8表 預金構成の推移(長崎店) ヱ967 単位 円 第9表 預金構成の推移(大坂店) 単位 円

(13)

明治前期における地方私立銀行紅ついて −ヱ∂一

節10表 預金構成の推移(佐糞店)

単位 円

第11表 預金構成の推移(平戸店)

(14)

ヱ967 香川大学経済学部 研究年報 7 欝1立表 預金構成の推移(伊万里店) 一J・ゴー− 単位 円 第18表 預金構成の推移(壱岐店)

(15)

明治前期に.おける地方私立鋸行について 第14表 預金構成の推移(島原出張店) ーヱ∂− 預金いずれも他店に大きく差をつけているが,民間預金の方が,17年下半季と 18年上半季ほ約2倍に.近い割合を示しているのに,18年下半季より逆に,官公 金の方が,期中・期末ともに多くなっているのは.,為脊方御用預金が加わった 為である。又,この事に,本支店の位置交換をやり,長崎店が本店となったこ とも,一応,考慮に入れるぺきであろう。長崎店での民間預金は,当座預金が 8∼9割を占め,定期預金がこれ紅ついでいる。 長崎店についでほ,大坂店であるが,ここは,民間預金のみで,官公預金は ない。専ら,当座,約定預金が,中心であるが,期末残高に比して,期中の流 鼻が極めて大きいことから,営業性の預金であることがうかがわれる。 伊方室店も民間預金だけであり,佐賀店も,官公金はわずかである。 平戸・壱岐・島原の各店ほ,官公金がかなりあり,特に,壱岐・島原の両店 は,民間預金よりも官公金を多額紅扱っているのは,都市部から離れた地域又 ほ島であり,国立銀行の支店が設置されて1、ないことからも,県庁等官公庁の 出先機関の為替方を引受けていたことによるものと推定される。たとえば,

(16)

香川大学経済学部 研究年報 7 1.967 −J6・− 『考課状』紅よると, 「−・壱岐支店ノ、諸達ノ数ハ長崎県庁其他ヨリノ、件願伺届ハ十−・件エバ/テ其要 ナ・ルモノハ左ノ如シ ー・武生水準察署為換方被命度願書上皇シ允可セラレタル件 −】・牧山猪七三富安代ノニ戸島ヨリ上納レタル地方税ノ内拾銭札壱枚弐拾銭 札二枚描改ナルヲ発見レ其旨所轄警察署へ届出タル件 嶋・武生水監獄署為換方被命度頗番上呈シ未夕指令ヲ受ケザル件 一一・島原出張店ノ、頗二件エンデ其要ナルモノノ\左ノ如レ ・叫・島原替察署為換方被命度願書上屋シ允可セラレタル件 一山島原監獄支署為換方継続ノ儀出願シ允可セラレタル件」17) というような記述が散見される。 .以上にみる通り,預金構成に.おいてほ.,居間預金が中心であって,店別でほ, 長崎店の比重の高いことが分る。しかし,期末残高預金の口数当り金額を算出 第15表 民間預金−・口当り金額(17年・下) 単位 円 ♯ 三友銀行各季考課状より作成。(以下同様) ユ7)前掲史科 4ぺノー汐。

(17)

明治前期紅おける地方私立銀行について 第16表民間預金叫口当り金額(18年・上) 単位 円 ー ヱ7− 第17表 民間預金−・口当り金額(18年。下) 単位 円

(18)

ー ヱβ− 香川大学経済学部 研究年報 7 第18表 民間預金−・口当り金額(19年・上) J967 単位 円 してみると,欝16∼18表に.見るように,大坂店は,他店に比して−かなり高くな ることから,規模の比較的大きな会社なり,商業などの取引に.関連しているこ とがうかが.え.るであろう。 (未完) (後記)本稿を草するに当って.ほ,史料の閲歴・彼等等,長崎県立図書館の職 員の方々に種々お世話になりましたことを,ここに記して感謝申し上げます。 尚,本稿ほ昭和41年度文部省科学研究費(各個研究)に.よる作其の一部であ る。

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