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なぜ数学は教育の中心にあるか(第43回総会講演)

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(1)

な ぜ

数 学

教 育

中心

る か

京理科 大 学

  

小 松

三郎

1

. 松

と工部

学 校

 

日本は、 わ れ わ れ日本 人に とっ ては、 ち っ ぽけな、 ま だ ま だ開発

上の 国で あ る が 、

国か ら見る と意

に大 き く、 高

に発達した、 人 に

まれ る存 在である。 ア ジア の 国 々 や ヨー ロ ッパ の小国に行 くと、 日本が

末か ら明治にかけて、 ま た

次大戦

で、 ど

して

激に

発展

することがで きたか

か れるこ とが ある。 私の は、 日本は既に

17

18

世紀に高度に発 達 し た数 学を

っ てい て

1}

、 幕 末に は庶 民に まで普 及 してい た か ら とい の で ある。 私は数 学者で、 相 手 も大 抵の場 合は数 学 者だか ら こ ん な答で納 得 して くれ る。 し か し、 似た よ うな条件の 国は た く さ んあっ たの に 、 なぜ 日本 だけ が

数学

切 と

えたの か

えてみ れ ば不思 議で ある。

 

森 喜

総 理大 臣 な ら日本は 厂天皇 を中心と して い る

の 国である とい

ことを 国民の皆 さん が承 知 を してい た」か ら と答 える で あろ

。 これ も事 実に反 する と は言え ない 。 勤王 の 志士達はこ の 考 えに立 っ て我が

を さ さげ、 明 治

新を成 し 遂 げ た。 これ に続 く明治の 元勲たち も同 じ

えであっ た。 伊 藤博 文、 井上毅らが 作 成 した帝 国

憲法

1889

、 教

勅語

1890)

をみ れば明ら かで ある。 国民の殆ん ど もこの

っ た。

次大

戦の 最

面で も、 人

くせ ば 天

佑神

助が ある と じて わ な か っ た。 菊池 大 麓

1855

1917

11

歳で イ ギ リス に

学 し、 ケ ンブ リッ ジ大 学で教 育を受 けた人である が、 こ の人で さえ、

1907

年 及び

1910

の イ ギ リス 、ア メ リカ訪問で は、 日本の 成 功は教 育 勅 語に基づ く教 育成果であ る と し、 教

勅 語の英 訳まで用

して力 説 し た

2

pp

232

236

 

この、 日本は 天

を中心とする神の国で

る とい

思想を確 立 し たの は、 水 戸 学な どの 先駆 は あっ た に して も、

田松 陰

1830

1859)

である とい っ て 間違い は ない であろ

は、 承

の通 り、

1854

ペ リ ーの :二

ア メ 密 航 しようと し、 折 角の 条約締 結 がこわ れ るの をお そ れ たペ リ ー

ら れ 、 下 田 のにつ な が れ る。 そして、 一 長州

に送られ、 野

獄で

1

を過ご した後、

軟禁

状態

郷の松

本村

で松下

塾を主

する。 それ か ら

2

あ ま

、 再 び投獄 されて江 戸で

政の獄最 後の 犠牲者 と して処 刑さ れ た。 こ の 短い 期 間に 教 えた塾 生たち

30

人ば かりが、 長 州藩 を動か して明 治維 新 を成 し遂 げた。 高杉 晋 作、 久 坂 玄瑞、 入江 杉

な どの人々 は中

で亡 くなっ た が、 生

残 っ た伊藤 博文、

山県有

朋、 品川弥二

、野

村靖

たちは明

の 中

となっ た。

革命

を 実 行 する人はふつ う破 壊 者であっ て、 政権 獲 得 後は邪 魔になることが

い 。 松下 村 塾の生徒 達は破 壊 者である と と もに建 設 者で ある とい う世 界で も例を見ない 176 −一

(2)

業を成 した。 この

田松 陰は最 も成 功 した教 育 者であっ た と言

る の で は な い ろ うか。

 

松 陰の 教 育の実 際につ い ては松陰 自

が詳しい 記録 を残 して いて全集

3

で見 る こ とがで きる。

入手 しや すい もの に

4

がある。

この もとに なっ た

10

巻本の 全 集に は門人が書い た

つ か

収録

され てい る。 この

雑誌 「

及日

人」の

陰特集号

重 な

記録

が ある。 こ の中で、 甥で吉田家を継い だ吉田庫三 と

が一致 して松 蔭が教 えたのは数 学 と地 理だ と言っ てい る。

田の証 言

5

では、

学 者は

術を

しみ 、士 も亦すべ き事で ない 、 と心得る者が ある、 是 は大 変な 間違で、 聖人 も六芸の中に数学 を加 えた位で 、 人生の最 大必 要物であ る、 と言っ て初 学者の為に、

九數乗 除図」 と題する

盤 の早

び の 出来る

を書 きま した。 そ れ か ら 一 学 を研 究 致 した の で 、 凡て歴 史は、 地 図を以て研 究 せ ね ば な らぬ、 地 を離れて 人 な く人 を離れて

なし とい ふ わけで ある か ら人事 を 論 ずる に は先づ地 理 を研 究せ ね ば な らぬ と言っ て、

分 も調べ 、 人に も教 え まし た。

とあ り、

杉浦

重 剛が

える品川の

6

で は、

算 術は此 頃武 家の風 習と して 、 一た る

如斯

こ とは

心得

る に及ば

とて

しみ たる もの な

し に、

生 は

切な る

とせ られ、

生にも九々 を教 へ られ た り 。 余の如 き も

術 は

れた るも、 此 九々

も猶 記 臆せ り。

は最 も

術が嫌ひ な りし、 そ は

術に通 ずれ ば、 直ちに俗

に用 ひ ら る ・ が

にて 、俗 吏 と なれ ば、 相 当に威 権 も 振 ひ

ら る 丶な れ ど学 問 修業 、 是が為に充分 出来 ざる を以て、 一 は算 術 さへ ば ざ れ ば

が父 母も俗

と は せ ま じ との 心 よ り、 強 ひ て

ばざ り しが、

生 は此

術に就て は、 士 農工 商の別 な く、 世 間の こと

盤 珠を はつ れ た る もの は な し、 と常 に戒 しめ られ た

とある。

 

敬神

は父

杉百合之助

影響

る。

百合

之助は、

文化

年将軍

大 臣

に任 ぜ られ、世

の 家 慶 も従一位に叙せ られ た際に

廷 か ら出 された 布 告の 写 しを持 っ てい て、 こ れ が

幕府

跋扈

朝廷

御威光

え を示

もの だ と して

い てい た。 また、

先祖

仏式

ではな く、

自分

めた

規則

っ て

っ て い た

5

。 家に

棚を お い て まつ る こ と は ま だ 一 般 に行わ れ てい な か っ た ようであ る。 松陰 は、 山鹿流 の 兵 法の 家 を継い だ叔 父 吉 田 大 助 の

子となっ て 兵 法 を学んだ。 もう 一叔 父 玉木 文 之進儒 者 。 松下村 塾は もと も と はこ の 人 が

め たもの である。 松 陰は文 之進の ス パ ル タ式 教 育 を受 けてい る。 松 陰の 、 客 観 的 世 界を数 学 的に把 握 する とい

態 度は、 一 には兵

法者

彼を知 り、 己を

ことに由来するであろ うが、 もう 一 、 後で詳 し く述べ る よ

に、

朱子

学の 日本 的解

に理

る よ

に思わ れ る。

 

他 方、 ヨ ー

統 的

数学

尊重

さ れ きた 。 そ もそ も、 ヨ ー ロ ッパ の

高等

は プラ トンが

め たアカデ メ イア

387BC

529

原形

が あ る。 その 門には

幾何 学

ば ざる

は入 門 を許 さず

とい う言葉 が掲 げられ てい た と

う伝 説

が あ、 その通 りにそこ で は数 学 的教

ん じ ら れ てい

(3)

7

。 中世 に なっ て も、 ヨ ー

道 院や

大学

で の

学科

算術

、 幾 何、 天 文

及 び音 楽 とい

quadrivium

、 文 法、

辞、 論 理の下

trivium

を加 えたもの で あっ た。 ケ ン ブリッ ジ大 学で は

19

世紀末 まで こ の伝 統 が保た れて い た。 学 部学 生は基

的に

数学

とラ テン語 ギ リシャ語だ けを勉 強 す れ ば よか っ た。

優等

生 になろ

とする学 生はま

ず数学

だ けの トライボス

tripos

試 験 を受 ける。 こ れ に

等 級

合 格 した も の は wrangler と

ば れ、

常 に名

なこ と と され た。

に上

3

入位

まで の人達はカ レッ ジの フ ェ ロ ーにな り、

きな

究に

専念

するこ とがで きた。

古典

語の トライボス 試 験 もあっ た が、

1850

年 頃まで は数 学の トラ イ ボス

験 合 格 者で な けれ ば

受験 す

ら許 されな かっ た。 同 じ頃

学の トライ ボス 試 験 に もよ

や く物 理 学が加 味 さ れ る よ

にな た とい う [

2

pp

95

97]

。 そ れ ぞ れの専 門の試 験はその後 に

ける の で ある 。

G

H

.バ ー

20

紀前 半 イギ を代

る大数学 者 っ た が 、

1898

年 にけ た

数学

の トラ イ ボス 試験で は 第四 位 の 成績しか とれず、

1900

年 に受け た数

専 門の

業試 験で第一位 となっ て よ

や くフ ェ ロ ーの 地位を得た [

8

p

95

1900

年 頃の 数

トライ ボス 試験問題は ホ イ ッ テイカー一一ワ トソ ン の 教 科書

9

で見る こ とが で きる。

して

しくない 。 電磁気

流体力学

で よ く用い ら れ る ス トー クス の 公

も、 論 文で発

さ れ たの で はな く、 この

試験

問題の 一つ で あ っ た とい う。 この よ うな教

で ケ ンブ リッ ジ

大学

は一

学で フ ラ ン ス ー国より

くの ノーベ ル

賞者 を育て るの に成 功 した。

 

松 陰に ヨ ーロ ッ パ の

影響

が なか っ たと は

えない 。 彼 は非 常 な

強家で、 獄 中 にある と き な ど毎 日数冊 の

んだ とい

洋式兵法

につ い て

心に研 究 した。 下 田事件 まで の

1

間は 江 戸 で佐 久 間

山に師

した 松下

村塾

洋式 の 軍

訓 練 を行っ て い る。 後に高杉

晋作

が おこ した奇

兵隊

松 陰

の西洋 兵 法の

兵 を とっ た もの で ある。 源 了 圓教授に よれ ば 、

山は

詳証 術

数学)

は萬 学の 基 礎 な り

き残 してい るそ うである。

 

と もあれ、 生 き残 っ た塾生 と長 州 藩の 同

たちは

国家の建 設 に必 要な人材 の 養誠 の た め教

機 関の整備に

め、 その 際 数 学に重

を置 くことを

れな かっ た。 まず、 藩校明倫

で松 陰の 門下生であっ た

戸 孝 允は

1868

通 教

につ い て建 議 し、 これ が文部 省による小 学 校 と師範 学 校の 設 立につ なが る。

1870

に は

尾 庸三

1837

1917)

らの建言によ り工

部省

が設 けられ 、 工

部大

丞 となっ た山尾 と伊 藤

博文

1841

1909

年こ 部 学 校 を立 す こ と を建議 した。

山尾

伊藤

と共に勤 王の 志士 として

躍 した人で、

1863

年長州 藩が幕

をお か してイ ギ リス に

遣 した

藤、 井上

5

人の

学 生の 中の 一 人で ある。 伊

上 は翌

の長 州

と四国

連合艦

隊の 戦争に

急遽

帰 国し た が、 山尾は

1868

年 まで

っ て

造船

学を修めて

帰国

した

尾たちの建 言は

ち に太 政 官に採

さ れ、 山尾と工部 大輔 となっ た

藤が こ の学

設 立 にあ たっ た。 教 師は イ ギ リス か ら招 くこ と と し、 その 人選は、 折か ら

約改正の ため

派遣

さ れ 一

178

(4)

岩倉使節

団の 一

となっ て欧 米 を訪問 する

伊藤

に任 さ れ た。 この

条約改

交渉

っ た よ

に はゆかず、

使節

団の イ ギ リス

到着

は翌

年夏

になっ て しまっ た。

 

それや こ れ で実 際の

1873

8

になるが、 都

principal

に任 命 され た ダ イヤ ー

Henry

 

Dyer (

1848

1918))

と山尾の 構 想で

時最 先

の 工科

大学

が誕 生 した。 土 木、 機 械、 電信、

建築

化学

、 鉱

6

学科

を もつ

6

制の大

る。

め工

学寮

とい っ た が、

1877

年工部大 学 校と改 称 し、

1885

文部

の 下 にあっ た

京 大 学工 芸 学 部 と合 体 して帝国大 学工 科 大 学 となる まで続い た。

15

以 上

18

歳 まで 応募 する こ とがで き、 入学試 験に は英語 読 書、 聞書、

術 、 幾 何 学 初 歩、 代 数 初 歩、 地 理 学 初 歩、

され た。 合格 者は、

2

年 間の 予 備 学で

語、

数学

、本 朝 学、物理学、 化学、 図学 をそれぞれ ほ ぼ

1

時 間

ずつ ぶ 。 そこ で 試験 に合 格 した

のは

2

間の

み、 それぞれの

門 の授 業 を

ける と ともに

地研

をする。

2

大 試 験 を

けこれ に

合格

した もの は実地施 業の 免 状 を

て、 更に

2

修業

をする とい

制 度で あっ た

10

pp

649

699

11

, 

pp

74

96]

Q

 

ヨ ーロ ッパ では

作 りを

しい 仕

と見做 し、 紳 士た る

のは

物作

りに関わ ら ない の がギリシ ャ以 来の

統で

っ た。 しか し、

19

になっ て 一

その国の

経済力

、 軍

事力

を左

する ようにな るとそ う もい っ ておれ な くな る。

統 ある大学は

関心で あっ た か ら、 国

技術者養成

のための

教 育機 関

る よ

になっ た。 ナ ポ レ オ ンが

っ た グ ラン ・ゼ コ ール の か は 目的た め にで きた。 ドイツ系の諸 国で は

1865

年の カ ール ス ル

大学

た に工科 大 学が作 られ た。 こ の中で最 も有 名なの が アイン シュ タイ ンが 学 んだ ことで知ら れ る チ ュ ー リヒ の ス イス連 邦工科 大 学で ある。 とこ ろ が先 進工 業国であっ た イ ギ リス で は却っ て対 策が遅れ、

徒弟修業

だ けが

技術者

に なる

で ある とい

長 く続

。 ダイ ヤ ー

20

数 学教

たてたペ

John

 

Perry(

1850

1920))

は共に小 学 校 を終

る と徒 弟

業 をし なが ら

間の 学校 に通い 、 その 後 よ

や く高

ける とい

経 歴 を送っ て い る。 これがイ ギリス で

最 も恵

まれた

技術者教育

っ たの で

る。

山尾

もグラ ス ゴ ーの

造船所

きなが らダ イヤー と

じ夜 間の学校ア ン ダ ーソン ・カレッ ジ で

強 した。 ダイヤー は 日本に来てか らこの こ とを

り、 山尾 とお おい に

意気投

合 した と回想 して い る

12

 

工部

る 目的で で きた世

最 初の本 格 的な高 等教 育 機 関 で あるが、 同時にイ ギ リス の経験 も生 か して

地教 育 を重視 した 。 上に紹介 した カ リ キュ ラム は第二次 大 戦 後に で きた新 制大 学の工学 部の カ リキ ュ ラム に そっ く りとい っ て よい ほ ど よ く似 てい る。

本朝学

とい

の は歴 史書の講 読で 、 新 制大 学 教

部の 人

・社 会 科

に相 当する。 松下村塾で の教

を ほ

ふ つ さ せ るもので あっ たの であろう。 窮理 学 とい

のは

で ある。

で説明 するよ

に朱

学で い

理 を日本人 が物理 と理解 したこ とか らこ の名が 生 まれ た。

6

とい

う修

(5)

限は ス イス連 邦工 科

学の倍 以上で あっ た が これ も

大学

の 大

めた もの と考 えれば納 得が ゆ

。 実 際、優

卒業

した もの には

Master

of 

Engineering

とい う称 号が 与 えら れ た 。 第

1

回の卒 業生の 中に は 高 峰 譲 吉、 辰 野 金 吾、 志田林三郎、 田辺

朔郎

な どがい る。

らの

業 論 文は その ま ま実施で きる ほどの もの で あっ た とい

10

13

 

電信 学とい

う名

で 電

工学 科が 誕生 したの

世界最

で ある。 電 信は

1837

ア メ リ カ の モ ース イ ギ リス の ホ イー トス ーン に よっ て独 立に発 明 された。 それ よ

り前

ドイッ で もガウス と ウエ ーバ ー に よ る

実験

わ れてい た が これは実用に ならなか っ た。 西

部劇

注意深

る人はア メ リカ の西 部 開拓が電 信

の敷 設 と 共に

われた ことに

気付

い てい る であろ う。

19

世 紀

後半

の イ ギ リス の 世

制覇に も

電信

かせ なか っ た。

を越 える通 信 には海

ケ ー

使

、 初 期 のケー ブル は期 待 さ れ た性 能を示さ な か っ た。 長距 離 を伝わるうちに電 気信 号の

形が乱れ て判読不 能 と なっ て し まうの であ る。

1855

年 グラス ゴ ー大 学 ト ム

William

 

Thomson

、 後の

Lord

 

Kelvin

1824

1907

}まこの 問 題 を数 学 的に

し、

ケ ー

指 針 を与 え 。 トム ソ ン

自身

この理

づ い て 大 西 洋 横 断 ケー ブル を設

し、

1866

年実際

設さ れ た ケ ー ブル は予期以 上 の性

したとい じ頃イ ギ リス と イ ン ドを

ぶ ケーブル も完 成 し、 こう して 大 陸 間も瞬 時に 通

で きるようになっ た。 これ に前 後 して、 マ クス ウエ ル

James

Clerk

 

Maxwell

1831

1879)

は電 磁

気学

成し、

1873

最 初の教 科 書 を出版 した。 これ はフ ァ ラデ ー 直観 的 な記 述 を 、 数 学 的に厳 密 に

現 し直し た もの で あっ た が 、複

な連 立偏 微分 方程 式の形に

わ されてい た ため 理

で き る 人 は少 なか っ た。 長 距離ケ ー ブル の解 析 もトム ソ ン の 理論で は不 十 分で、 マ ク ス ウエ ル 理 論に基づ い て改めて

す 必 要があっ た。 マ ク ス ウエ ル の生 前こ の よ

な研

を行 っ たのは、 工 部 大 学

の 電

信 学担当教 師

エ ア トン

William

 

H

Eyrton

1847

1908

ーで ある。 エ ア トン の

任 は

1873

78

年、 ペ リ ー は

1875

79

年で 、 二人が 一

期 間

こ の

50

以 上 共 同論 文 を発

し、マ ク ス ウエ ル に

気 学

の研

心は

やイギ リス か ら

京へ 移っ た

と言わせ た そ

である

14

。 現

、 電

磁気

位 系は電 流の単 位アンペ ァを 基 に定

さ れてい るが 、 これ はエ ア トン が

め たもの で ある。

 

ニ ュ ー トンが 「プリン チピア

を出

し、

力学

法則

と万

有引力

法 則

か らケ プラーの

則 が

ける ことを示したは

1687

である。 ニ ュ ー トン は、 こ の た めに まず 関

立 し、 その上 で微 分 積 分

設 しな けれ ばな らなか っ た。 こ の

析 学の誕生 は、 ギ リシャ

時代

何 学の成 立に匹

する数 学上 の 革命であ る。 そ して、 ひき

きイギ リス の産 業 革命が起

た。 しか し、 この 二つ の

革命

の 間に

の 関係は ない 。 天 を理 解 する こ とは直 ちに地の こ とに

びつ か な か っ たの であ る。 つ ま り、蒸気 機関 と機械の時代で

っ た

19

の 中頃 まで、 工業で使われる力

は、 大 抵の場

ギ リシャ以

の 静

学で間に合わせ る ことがで きた。 そこで生 一180 〜

(6)

じた問題を解 くには連立一次 方 程 式か、 せい ぜ い 二次 方 程 式の解

を知っ てい れ ば よ く、古 代の 数 学で十 分で あっ たの である。 そ れ が 電

と情報の 時 代になる と すっ か り様 子が 変わ っ て し まう。 電気 を伝 える た めには高 価な 金属である銅 を使

う他

な か っ た が、 これ を節 約 し よ

とすれ ば、 偏微 分方 程 式 を、 た とえ近似 的で あっ て も、 解 か ねば な らない とい

う事態

に なっ た。

初期

時代

はそ

っ た。 とこ ろが、

19

世紀の 中頃、 偏微 分方程 式 を解 く方法は、 ご く

特殊

方程式

を除 けば、 フ ー

Joseph

 

Fourier(

1768

1830

の 方

1822

が ただ 一つ

られ てい た にす ぎない 。

い トム ソ ンの

方程式

に対 して は フー リエ の

その

の が使 えた が 、 そ れ以 上は

自力

を見つ なけれ ばな ら な か っ た。 そして、

くこと がで きた場 合 も、 答は数 値で な く関 数 なの で ある か ら、 そ れ を

用 するには利用

に また

度の数 学 的素

が必 要 となる。 そ うい う時代 になっ たの である。

 

工部 大 学 校で は、 予 科

1

年生 に数学の 講

1

半ず

つ 、 予 科

2

年生に 数 学の 講 義 と力 学の 講 義 を それぞれ週

3

回 と週

2

1

時 間半 ずつ っ て い た が、 こ れ で も、従 来の 教 え

で は

間 が 足 りな くなっ たの であろ

ペ リー たちは大 胆 な改 革を始め た。 すな わち、 正確 な分 数で はな く、 精 度 を指

した小

を用い る。 定 規 とコ ン パ ス で描 く図形で は な く、 関

数値

を基に方 眼紙上 に描い たグ ラフ を

使 う

。 ユ ー ク リ ッ ド

幾何

り解析

重 点 を

、 なるべ く早 くか ら微 分

分 に

れ させ る とい

教 育。 これ は成 功 し、 工

部大学校

卒 業

生 たちは新 しい

時代

技 術者

に必 要な数 学の 実 力 をつ て巣 立っ て い っ た。 公

て、

20

世 紀はア メ リカ と日

世紀

っ た。 この

成功

の 理

は、 両 国がこ の世

の 主要産

は 工業である こ と を見

い て、

現代

物作

りに必

な、 碁本 原 理を理解 しかつ 応 用で きる人材を育成 したこ とにあ る。

 

での

実験

信をつ て、 ペ リ ー 、 エ ア トンたちは

イギ リス に 工部大 学校 を模 した教 育機 関 を作る こ とに

努力

する。 一

、ペ ーは一般 人の た め の初 等、 中等 教 育で の

学教 育の 改

に も

熱を傾 けた。 しか し、 日

で は抵

な く

け 入 れ ら れ た ものが、 イ ギ リス ではそ うは ゆ か なか っ た。

20

世紀になっ て

、 イ ギ リス で は数学 教 育 を、 プラ トン の よ

に、 正 しく論 理 的 あるい は政治的判

がで きる よ

に なる た めの 訓 練の 場と

えて い の で ある。 こ のた め、 ユ ー リッ ドが 書い た とお りの ユ ーク リ

何 を

教 育が依 然 と して行わ れ てい た。 守 旧 派は、 技術 者の ための

数学

で は

知性

の鍛

はで

ない と してペ リーに反

した。 ペ リーは

20

の 試行の後、

1901

グ ラス ゴ ー

か れ た

大英

術協 会の 上で 守旧派と対 決 する講 演 を

行 う

。 翌

、 この

講演

、 この 会場 とその 後に出された数

くの 意見、及びペ ーの 返

を収録した本

15

が出版さ れ た。 すこし遅 れて、 アメ リカの ム ー

Eliakim

 

Hastings

 

Moore

1862

1931))

イツの ク ライン

Felix

 

Klein

1849

1925

同 じ よ

数 学教

改 革案発 表

た。

らの 提 案はす ぐ に

国に

用 され た わけで は ない が、 徐々 に取 り入 れ られ 、

(7)

麓が、 逆にイ ギ リス流の ユ ーク リ ッ ド幾何 を持 ち込 むとい

反 動の時 期があっ た。 しか し、 小

金 之助 た ちの

努力

しずつ 改 善さ れ 、 戦中の 旧制中学や 戦後 す ぐ の 新 制

高校

数学

な ど はほ ぼペ

に沿っ て 行わ れ た。

 

松下村 塾の 教

は、 生徒が 一 人で、 あるい は数人でグル ー プ を

っ て 、

学の経

兵法

書 などを読 むの に

して先生 が意見を はさんだ り、生徒の意見 を

めると い

ス タイル で

わ れ た。 松 蔭は、 また、 生徒に読んだ本の抜 き書 きを

る こ とを 奨 励 した。 以下 、 そ れ に な らっ て、 数 学教 育の

古典

を読みな が ら、

切 と思わ れ る とこ ろを

き書 きしたい 。 テキス トは プラ トンの対 話 篇 「国 家」

16

朱熹の 「

大学章句」

171

及 びペ

数学

15

。 これ に は二 つ の翻 訳

23

24

がある が、 こ の抜 き書 きは新し く訳 した。

2

, プラ トン の 対話 篇 「

 

プ ラ トン

427

347BC

が 生 ま れ た 、 ア テ ナ イの 威 信 を絶 頂 に

い たペ リ ク レス の 死

2

の こ とで ある。 パ ル テ ノ ン神 殿が完 成 したの はその

3

の 前

432

、 ギ リシ ャ の

連合

艦 隊が サラ ミ ス の

でベ ル シ ャ海 軍 を壊 滅 させて か ら

50

しか

っ てい ない 。 ア テ ナ イ はこ の とき自分たちの 町 を焦土 とする犠 牲 を

わ なければな らなかっ た。 そ れ を

える と信 じ られ ない ような

栄ぶ りで ある 。 しか し、 一

で はア テ ナイの 衰 亡は既に

まっ てい た。 ギ リシャ世 界 最後の 覇

を め ぐっ てス パ ル タ と戦っ たペ ロ ポネソ ス 戦

431

年に始 ま 、 こ の後

20

年 以上 も続い て前

404

ア テ ナ イの

無条件

降伏で終わっ た。

果 として 、 ギ リシ ャ人 た ち は 自分た ちの 国家を建 設する こ と に

敗 した。

 

プラ トンの 父 母は共 に名 家の出で あっ たか ら、 プラ トンは

本来

ならばアテ ナ イ の 政

家 と して活躍 することが

期待

されてい た。 プラ トン 自身 も政

に対

る関 心 を生 涯

けた。 理 想 国 家の 建 設 を

見て

3

度 もシュ ラクサ イの 招 きに応じ た ほ どである。 この旅 行 とて僭 主の 怒 りにふれて奴 隷に売られるこ ともあ たほ どである が、 ア テ ナ イで政

活 動をする こ と はもっ と

険で あっ た。 ア テナイが 発展 する間は市

心 を一つ にする こ と に

立 っ た民主主

が 、衰 退 期には

衆愚

ちぶ れ、

能 な将軍 た ち をわ

か な失敗 を理 由に死 刑にする一

、 扇動 政 治 家ア ル キ ビア デ ス の 口車に乗っ て

415

には シケ リ ア遠

乗 り出 し

3

万 以 上の 将 兵を失 うとい う大

い た り した。 ペ ロ ポネソス戦 争の

も対外 戦 争以 上 の惨 禍が続い た。 戦 後に で きた

30

委員会

に よ る政

過酷

わめ 、 つ い に 内 戦 と な る 。 一年 後民 主 政が

活 する が、 それまでに

わ れ た人

は 、 ア テナ イ市 民に限れ ばペ ロ ポネソス 戦 争 全期 間以 っ た とい う 。

 

わずか

30

年 の 間 に

栄の み か ら奈 落の

に落ち たの はア テ ナ イ市 民の傲 り とそ れに

来 する政 治の失敗か らで ある。 自らは額に汗せ ず、奴 隷の

労働

と同盟 国の貢 ぎ物に寄生す る暮 ら しがい つ で も続 くわけは ない 。 しか し、 市 民た ち は 一182 −一

(8)

は思っ て い ない 。 責 任があっ た と思われる人々 を

発 し、 死刑にする こ と に よっ て うさをは ら してい た。 ソ クラ テス

469

399BC

は その 犠牲に なっ た。 ソ ク ラ テス は た だ一 人

民たちに彼 らの 政治 判断の

を問い た だ し 正 し

基づ い

判断す

る よ

の でる が 、 一

般市

に と っ ては他 な ら ぬ アル キ ビ アデ スた ちアテ ナイの 運

わ せ た政 治家 を教 育 した

詭弁家

っ たの で

る。

 

ソ クラ テ ス に近 か っ た プラ トン は国外に出て しば らく諸国を遍 歴 す る 。 その間、 ソ ク ラ テ ス と

の人々 の対 話 を記 録 した とい

裁の 初期の 対 話 篇を発 表 し、 ソ ク ラ テス の 真 意 が何で あっ たか 人々 に理解 して もら

こと に

あた 次々 に発 表 して い

対 話 篇はその にソ ク ラテス にプラ トン

自身

の思

を語らせる もの に

わっ て ゆ く。 そ うした

中期

対話

篇の 中で最大 最 重 要 な もの がこれ か らその 一部 を紹 介 して行 く 「国家」である。 ア カ デ メ イア開設

10

年程

たっ た前

375

年 頃に、 前

430

頃行

われ た

対話

として書か れ た と想 定 されてい

16

p

433

454

 

この 篇の 主題 は 「正

につ い て

である。 その 中で、 理想の 国家の あ

かた、 そ こ で の政 治家の養 成が

じ ら れ、 政治家 を

て る にはま

ず数学

数学

的 な科学 を教 えるべ る とう現 在の 日

で は全

く考

えられ ない 教 説 が述い る。

 

10

巻 あ

る本の第

1

巻ではま

、 『そ れ ぞ れの人に借 りてい る もの を返すの が、 正 しい こ と だ

とい う詩 人シモ ニ ス の 説が取 り上 げ られ、 これ が 「

に は利益 を

え、

には

害悪 を与 え

る技 術

解釈

され る。 そこ に トラ シュ マ コ ス が

り込 んで

正 しい こと

とは、

の利 益に ほ か な ら ない 』とい い 、 ソ ク ラ テ ス と問

支 配 者が 自分 た ちの利 益になると思っ て被 支配者に

じたこ と をその ま ま

行 う

こ と」が正義で、従っ て 「

い もの に とっ て は不 正 を

行 う

ことが 利

である

直す

。 問

は な おも続 き、一応 トラシュ マ コ スが引 き下がっ た形で

1

が終わ るの である が、 本 当の意味で反駁 したこ とにな らない こと は ソ クラ テ ス

める 。

 

シ モ ニ ス の正義が政 治 的問 題 の解

に役立 た ない こ とは

らかで

る。 現に、 イス ラエ ル とパ レス チ ナ は 互い に こ の正義を主

して

50

年以 上殺 戮を続 けてい る。 トラ シュ マ コ ス の正義は当 時の ギ リシャ諸 国の 政治原 理で あ り、 現

もな お大 国 の主 張 する正義である。

 

2

巻以降で は プラ トンの兄であるア デイマ ン トス グラ ウコ ン とソ ク ラ テス の 三人だけの対話になる。 ソ クラ テス は、 兄弟たちが再提 起 した トラシ ュ マ コ ス

ちに反論 するこ とはで きず、 理想国家 建設に話を移す。 ここ で述べ られ るの が

名 な哲 人統

治説

である。 『つ ね に恒常 不変のあ り

を保つ もの に

れ ることの で き る

』愛

知者が国の

守護

者に な る か、

治者が哲学 者になる以

わ れ ない 。 こ

して、 こ の よ

な人々をどの よ

に して

成する か とい う問題に入っ てゆ く。

 

教 育 論は 「国家 」

2

にある。 第

2

3

に述べ られて い る

文芸

音楽

(9)

体 操 を主 とする教

は総て の人 を

対象

とする一

般教育

であ

哲学者

統治者

た めの

教育

6

7

じられてい る。

まず

6

巻の

後半

で この

教育

ぶべ きもの が

善の イデ ア

である ことが語 られ る。 よ く知 られ て い る よ

に、 プ ラ トン は個 々 の

物 は移ろい が 、 そ

に不

存在

がある と し、 イデ ア と 呼ん だ。 しか し、 善の イデ アが何で ある か プラ トン の 説 明は明 噺 とは言い 難い 。 『思惟 に よ っ て知 られる 世界に お い て、

知る もの

知ら れ る もの

に対 し て もつ 関係 は、 見 られ る 世界におい て、 太 陽が

見る もの

見られ る もの

に対 し て もつ 係 とち

ど同じなの だ

とい

太 陽の 比

、 あるい は もっ と分か りに くい 線 分の比 喩 に よっ て

示 され るだけで

る。

 

しか し、 それ が どの よ

にして

られるか、 その方 法につ い て は次の第

7

で明

に述べ この

洞窟

の比

まる。

教育

無教育

とい

こ とに関連 して、 わ れ わ れ人 間の 本性 を、 次の よ

な状 態に似て い る もの と

えて

れた ま え

と前置 きし、「人 間は、 地 下にある洞窟に、 生 まれ た ときか ら

の ス クリ ー しか見るこ とがで きない よ

に縛 りつ られてい て、 背後にある品物の

太 陽に よ る

) 影

しか見 ない ように強制 されてい る

とする。 そ うすれ ば、 この 囚 人た ちは 『もっ ぱ ら さま ざ まの 器物の 影だ けを、

実の もの と認 め る こ とにな る だろ う。

らが こ

した

束縛

か ら

解放

され、

る こ とが許さ れ た とき、 以

には

だ けを見てい た もの の実 物 を見 よ

と して も、 目が くら んで よ く見

め る こ とがで きない ろ う。

そ して、見 える よ

に なっ た

も、「以

てい た

の ほ

が、 真 実性がある と考えるだろう。 上 方の 世界の事 物 を見ようとするならば、

れ が 必 要である。 遂 に、 洞

に で て太 陽を見る こ とがで きる よ

になっ た人は、 太 陽こそが 、 目に見

る世界にお ける い っ さい の

ある仕 方で の

原 因 と なっ て い る もの で あるこ とを

る。 この 人 は わ が

っ たこ の変

分の ため に

せであっ た と

え、 地下 の 囚人たち をあわ れ むよ うになるだろ

。 とこ ろが、 こ の よ

な 人 が、 も

下へ 下 り

っ て 、

との

を占め た と

、 ま だ暗い

が よ く見え ない こ の 人を見て、 人々 は、 あの

は上へ 登っ て

っ た た め に、 目を すっ か り だめ に して帰 っ て きたの だ とい い 上へ 登っ て行 くな ど とい うこと は 試み るだけの値 打 ち さえもない 、 と言 うの で はなかろ うか。 人々 を

放して上 に

れて

とす れ ば 、殺 されて し ま

こ と が あ る かもしれ ない 。」

 

この ように、太 陽の 比 喩に戻っ た後 ソ ク ラ テス は言 う。 『

的 世界には 、最 後 にかろ

じて見て と ら れ る もの と して、

善の イデ ア

がある。 い っ た ん こ れ が見 て とら れ たな ら ば、 この

善の イ デ ア

こそ はあら ゆ る もの に とっ て 、 すべ て 正 しく

しい もの を生み出 す原 因で ある とい

結論

へ 、

えが 至 ら なければな ら ぬ。 すな わ ちそれ は、

見 られ る世 界

に おい て は、 光と光の主とを生み出 し、

思 惟に よっ て知られ る世

におい て は、 みずか らが 主 と なっ て君 臨 しつ っ 、

実性 と

性 とを提 供 する もの である

と。

 

した がっ て 、厂教育 とはある人々 が 世に宣 言 し な が ら主

して い るよ

な、

の 一184 一

(10)

なかに知 識が ない か ら、 自分たちが知識を な か に入れてや る

の で は ない 。 真 理 を

機 能

は は じめ か ら

の なか に

内在

して い る。 た だ それを、 魂の全

とい っ しょ に生 成 流転す る世界か ら一転 させ て 、実 在お よ び実在の うち最も光 り輝くもの を観るこ とに堪え うるようになる まで、 導い て行か なけれ ば な ら ない 。」 教 育と は 「向け 変 えの 技術 にほ か な ら ない 。

『視 力 を外か ら植 えつ ける技術で はな くて 、視 力は は じめ か らもっ て い るけれ ども、 た だ その

きが 正 し

な くて、 見なければ な らぬ方

を見て い い か ら、 その 点 を直 す よ うに 工夫 する技術 なの だ。

  「

そ こ で 、 われわ れ新 国家 を建 設 しようとする者の為 すべ きこ とは、 次の こ と だ

とソ ク ラテス は言 う。

最 もす ぐれた素 質 を持つ 者たちを し て、 ぜ ひ とも、 わ れ わ れ が先に最大の学 問と呼ん だ とこ ろ の もの まで到達せ しめ る よ

に、 つ ま り、 前 述 の よ

な 上昇の を登 りつ

見 るよ うに、 強制 を課する とい うこ と。 そしてつ 、 彼 らがその よ

に上昇 して

をじゅ

ぶ んに見たの ちは、

ら に対 して 、 その ま ま上方に留 まる こ と をけっ して 許 さ ない とい

こ と。』

 善

われ る 国家は、

の意

の富 者、 すな わ ち、 黄 金に富む者で は な くて 、 思

ある

ぐれ た 生 を

か に

所有

する者が 公 共の

仕事

につ くこ と に よっ て の み 実 現で きるか ら とその理 由を述べ か ら 、 こ の よ

な人た ち は、 どの よ

方で生 み 出され るの か、

習され るべ き もの が

ある な か で、 どの

問が その ような効 力 を もっ て い る か が検

さ れる。

 

初め に、 第

2

3

巻で

っ た体

音楽

文芸

が と

あげ

、 体

は、 それ が

る とこ ろ の 人間の

身体

が成 長 し た り衰 え た りするもの だか らとい

め て い 学 科 で はない と判 断 され る。 音 楽 ・文 芸 もけっ して学 問的 知識 を授 ける もの で はない 。 そ れ が もっ て い る

教 育

果は調

と リズ ム の

感覚

養 う

の で あっ て、 事 実に近い 内容の 物語 を主 とす る もの も同 じだ と して しりぞ け られる。 技 術 も、 すべ て低 俗 な もの と思わ れ る とい うギ リ シ ャ 的偏 見で、 捨て られる。

 

結局 、「

が最 初に教 えられ るべ き学科 と なる。 その 理由 として、 は じ め に挙 げられ る の は、 すべ て の技 術 も思考 も知 識 も共 通に用い る もの で ある、 戦 争のた めに必 要である とい

ような

用 的な面である。 次い で、 「この 学科は

性 を目

め させ る よ

に導 く性 格、 実在 する

のへ と全 面 的に引っ ぱっ て行 く力 を

っ て い る

とし 以下の

2

つ または

3

つ が

げられ るの であるが

事柄

の 重

要性

に反 し、 プラ トンが書い てある ま まで はあま り説得 力がある よ

に思わ れない 。

 

まず 第一 に、

感覚

だけで は

識 が

られ ない こ とがある。 すなわち、 感 覚が 同

に正反対 の もの を示 すこ とが あ り、 その 場 合は知性の 助 け を呼んで は じめて認 識 がで きる。 その 際、数と計 算が役立 つ とい うの で ある。 プラ トン は小 指、 薬 指 と中指の三本の指を例にあ げ る。 「これ は

で あ る」 とい

認 識 は感覚の みで で きる。 しか し、「この

は大 きい

とい

認 識 は、 どの 指と比

する か に依

し、 感 覚の み で は定ま らない とい 。 同様 に、 太 さと細 さ、 軟か さと硬 さ、 軽 さと重 さも定ま ら ない 。 こ こ まで

む と、

日の わ れ わ れ は これ らの量 を数値 化 し、 そ

(11)

を比 較 して正 しい 認 識 を

る と書い てある こ とを期待 するが、 プラ トン は 全 く別の こ とを言 う。 「魂は、 報 告 さ れてい る そ れ ぞ れの ものが 一 か 、二 つ の もの なのか を、 し らべ て み よ

とす るだろ う。 そこで 、 もし 二つ と し て現わ れ るの な らば、 その おの お の は別の もの で

り、 そ れ ぞ れ が 一 の もの である

こ とを知 る。

こ の よ

な状 況の な か か ら、 は じめて、

と は何か、

とは何か とい

う問

い の 発

が 起る・

 

第二 に、

とか 一

ぶ こ と は、 次の 二 つ の 理 由に より、 実

観想

へ と魂 を向 け変

い て

行 く

。 ま

わ れ わ れ は同 じ もの を、 一

が ら同

にまた無 限に

い と見る のだ か ら

、 ちょ

合 と同 じく

性 を

ます 効 果を

つ 。

に、 そ れ にもかか わ らず、

は どれ をとっ て も互い に まっ た く

しくて少 しの差異 もない 、 た だ思惟に よっ て考 えられ る もの で ある。

 

この よ

の あ り方はプ ラ トン的実 在の典 型 と され、 後に プ ロ テ ィ ノ ス 、 プ ロ ク ロ ス ら新プ ラ トン主義 者に よ っ て

善の イデ ア

と結 びつ け られ 、 更に、 ア ウグス テ ィヌス によっ て キ リス ト教 神 学に取 り入れ られ た。

20

世紀の 無神 論 数学

に とっ て も

は実 在である。 バ ーデ ィ

8

p

59

っ てい る。

数 学と物 理 学 との立場の

い は、 お そら く

え られてい る よ りも

ない 。 私の見る と こ ろ で は、 最 も重 要 な違い は、

学の方が

実在

とは る かに

直接 的

な かかわ り

い を持つ とい

う点

にある。 通

実在

と目される主題 を取 り扱 うの は物 理

るか ら して 、 この こ とは逆

と思わ れ るか

しれ ない 。 しか し、

える と、 物 理 学 者のい

が何で

れ、

識が

直感

的に実 在 に帰 する

性を ほ と ん ど、 あるい は全 く

っ て い ない こ と は わ かる。

 

は とまれ 、 プラ トンは

国 家におい て最 も重 要な任 務に将

来参与

すべ き人々 を、 計 算の技 術の学習へ

か うように説

する こ とは、 適 切 な処置である。 そ して

らは、この 学科に素 人と して触れ るの では な く純粋 に

性その もの によっ て数の本 性の感 得に到 達

るところ まで

かなけ れ ばな らない 。

貿

易 商 人や小 売 商人 と して

買の ために それ を勉 強し訓練 する の で は な

、 その 目

は戦

のた め、 魂 その もの を生

か ら

理 と

実在

へ と向 け変 えと を容 易 た め なの

と書い た。

 

学 科

幾 何

である。 幾何 はもっ ぱら知るこ とを目

として

研 究

されてい る。 それ が

るの は、 つ ねに

るもの で あっ て、 時に よっ て生 じた

び た りす る 一時 的 の で は な

 

目の

学科

と して、 ソ ク ラ テス は は じめ 「天 文学

を提案 する。 グラウコ ン の

季節

を正

に関知 する とい

ことは、

農耕

航海

必 要

で あるだ けで な く、 軍 隊統 率の た め に

、 それ に

ず大

切 なことですか らね

とい う賛 成の言葉 を、

何だか

大衆

が ね して、

にも立たない 学問 を押 しつ けよ

と してい る と思わ れ は しない か と、 び くび くしてい る よ

に見 えるで はない か。 ほ ん と

に重大な点、 容 易には信じが たい

は、 こ うした学問の か で各 人ののある器官が浄め られ、 一一186 一

(12)

ふ た た び火を ともされ るとい

こ とだ』と

けな が ら、 天体の運 動 を論 ずるには 「立

幾 剛

先行

すべ きだ と

正す

当時

体幾何

は まだ

完全

な か 。 これ に対 して ソ ク ラテス は言

そ れ には 二つ の こ とが 原 因 と なっ てい るの だ。 ひとつ は、 どの 国

家 も

それ を

尊重

してい な

て、 困難な主題であるため に研 究が 強

われてい

こと。 も

ひ とつ は、

研究者

たちに は上に立つ

指導者

が 必 要であ り、 それ な しには発 見はあ りえ ない の に、 まず そ

者はなか な かわれ ない 、 さら に た とえい た と して も、 現状で は、 この

の 問題に研 究 能 力の

る 人 た ち は

りが

くて、

指導

に服そ

と しない だろ

とい

ことがある。 しか し、 もし国 家が国 全

をあ げて 、 この

究 を

重し な が ら

指導

力 す るな らば、 研 究 者 た ち もそれ に從 うだろ う し、 問題その もの も

持続

的かつ

に探 求さ れて、

柄がい か にある かの真 実が明らか にされ るように なるだろ う。

 

これ は科学研 究国家プロ ジェ ク トの構想である。 立体 幾 阿に関し ては、 国家に

わっ てア カ デメ イアがその役 割 を果た した。 メ ン バ ーの テ ア イ テ トス

420

頃一

369BC

は 正

8

面体 と正

20

面体 を 発 見 して そ れ まで に 知 ら れて い た 正

4

面体、 正

6

面体、 正

12

面体 と合 わ せ てち ょ

5

つ の正

面体が ある こ と を示し た

18

p

63]

原 論」 第

5

巻の比例 論 を作 っ た と され るエ ウ ドク ソ ス

凡 そ

408

355BC

も一時 アカデ メ イア に属 した と伝え ら れ る

18

pp

92

96

。 これらの成果が前

300

頃にユ ー クリッ ドの

原論

の形に まとめられ、 その

19

まで ヨ ーロ ッ パ の 数 学の典 型 となるの である

18

p

21】

 

四番目の学 科につ い て、 グラ ウコ ンが

天文

を推

賞す

る こ とに しま

。 そ れ が魂 を強制 して 上の

見 るよ

にさせ 、魂をこ の世界の

か ら天 上へ と

くも の である こ と は、 万 人に明らかである と私には思われ ますか ら

言 う

の に対し、 プラ トン はソ ク ラテス に 「現

、 この 天

学 を取 り

っ てい る よ

な仕方で は、 魂 の視

をまっ た く下に

けさせる こ とに なるだけだ と思 うの だ

と答 えさせ てい る。

天空にあるあの

多彩

模様 〔

は、 そ れ が 目に

える

域にち りばめ られ た飾

る か らには、 この よ

な 目に見

のの

ちではた しかに最 も美しく、 最 も正確ではある けれ ども、 しか し

真実

の そ れ とくらべ る な らば、 は る かに及ばな い もの と考 えなけれ ば な らない とい こ とだ。

実のそれ とはす なわち、

する速さと遅 さ が 、

実の

とすべ て の真 実

い て 運 行 し、 またその 運 行の うちに内在 する もの を運ぶ とこ ろの 、 そ の 運動の こ とで あっ て、 これ こ そ は、 た だ理性

ロ ゴス

と思 考によっ て と らえ られるだけであ り、

視覚

に よっ て は と らえられ ない ものなのだ

天空を飾る模 様は 、 そ う した 目に見えぬ 実 在を目指 して学ぶ ため の模 型 と して こそ 、こ れ を用い な け れ ば な ら ない 。蠡 『そ れ で わ れ わ れ は、 ち ょ

ど幾何 学を研 究 する場 合 と同じ よ

に して、

問題

を用い る こ と に よっ て 天文学 を追及 し、、天空に見 える もの に か か

の はやめ るこ とに な る だろ う。』

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