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翻訳 「ヨーロッパの魂は寛容です」ドイツ連邦共和国首相アンジェラ・メルケルのヨーロッパ議会での演説--2007年1月17日於シュトラスブルグ 利用統計を見る

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和国首相アンジェラ・メルケルのヨーロッパ議会で

の演説--2007年1月17日於シュトラスブルグ

著者

Merkel Angela, 上野 喬

著者別名

Ueno Takashi

雑誌名

経営論集

71

ページ

287-303

発行年

2008-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004600/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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翻訳:「ヨーロッパの魂は寛容です」

ドイツ連邦共和国首相アンジェラ・メルケルの

ヨーロッパ議会での演説:2007年1月17日於シュトラスブルグ

上 野 喬 訳

1.序 2.翻訳

1.序

2007年3月25日ドイツ連邦共和国首都ベルリーンにおいて、ヨーロッパ連合EU 加盟27ヶ国の代 表そして関係者が集合し、当連合成立・発展の基礎となった1957年ローマ条約発効50周年記念の祝 典が開かれた。当共和国首相・EU 議長国代表としてアンジェラ・メルケルは祝賀演説を行ない、 次いで彼女はヨーロッパ議会議長ハンス・ゲルト・ペテリングとヨーロッパ委員会委員長ホセ・マ ヌエル・バローゾとともに「ベルリーン宣言」に署名したのである。 2007年当初から半年間メルケル首相は国政運営と当期EU 議長国議長として、八面六臂と例える ことのできる活躍を果す。殊に当連合の重要会議において、彼女はいくつかの演説を行ない、その 主要なものは当年7月に、ドイツ連邦共和国出版・報道局から『ヨーロッパは共同化を達成しま しょう』Europa gelingt gemeinsam と題する小冊子として公刊された。以下に訳出される「ヨーロッ パの魂は寛容です」Europas Seele ist die Toleranz は、彼女が当年1月17(水曜)日ストラスブール (フランス)のヨーロッパ議会会場で行なった議長就任演説であり(Rede von Bundeskanzlerin Angela Merkel in Europäischen Parlament. Mi, 17.01.2007. http://www.bundeskanzlerin. de/Content/DE/ Rede/2007/01/2007-01-17. なお本訳文左側数字は原文の段落順序を示している)、第一演説として当 冊子冒頭におかれ、また当冊子には8演説が納められている。上記小冊子には1.ヨーロッパの魂 は寛容です(2007.01.17) 2.一緒に自由を守りましょう(2007.03.16) 3.ベルリーンから の合図(2007.03.24) 4.ヨーロッパは私達共通の未来なのです(2007.03.25) 5.ベルリー ン宣言(同日) 6.EU の行動力を回復いたしましょう(2007.03.28) 7.ブリッセルヨー ロッパ議会での予測(2007.06.14) 8.停滞を克服いたしましょう(2007.06.27)が納められて いる。

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当訳出の演説では議長国議長としてアンジェラが把握したEU の過去・現在・未来像が述べられ、 それはまた2007年前半期当連合の活動方針をも示したいわば基調演説であり、この中で述べられた 主内容は、他演説でも、うまず取り上げられ、たゆまず繰り返される。当演説は2005年11月彼女が 首相就任直前に語った「総体的世界の中のヨーロッパの価値」の基本理念を展開しており(―― 上野喬翻訳:アンジェラ・メルケル現ドイツ連邦共和国首相講演「総対的世界の中のヨーロッパの 価値」――ミュンヒェン:バイエルン・カトリック・アカデミ―2005年11月2日―東洋大学経営学 部『経営論集』69号(2007年3月))、本学部学生諸君に紹介するのにふさわしい名演説・名文と考 え訳出した(では名作・名文とは何んだろうか。凡そ創作者が造形・作文により自己意志表示 を行なう時、主観的―本人―に、そしてこれが最重要であろうが、時・空間を超越して客観的― 他人―にも、彼本人の創作活動の流れの中で、適技・適文が適所に置かれていると信じ、認められ る活動結晶であろう。私達にとりそれは雪舟等楊の「天之橋立図」ミケランジェロの「ピエタ」そ して森鴎外の「山椒太夫」N.マキアベッリの『政略論』を挙げることができようか)。 では旧新両大陸でのヨーロッパ統一運動はどの様な経過をたどったのか、EU 成立前史を、主と して R.クーデンホフ・カレルギーの業績と著作を中心に整理することが、以下の翻訳理解の一助 となろう。 多数の、しかも個性的民族が生存するヨーロッパ大陸内の統合は、戦争・征服を契機として出現 する。古代ローマのJ.シーザーはイタリア半島統合に続けてその矛先をスペイン・ガリア・ブリタ ニアそしてバルカン地域に向け、ついにローマ帝国を樹立した。その約800年後カール大帝はフラ ンク王国を建てたが、当王国は程なく、後代のドイツ・フランスとイタリア地域に分裂する。漸く 10世紀半ばに至りオットー大帝による神聖ローマ帝国が出現する。中世紀に当大陸は精神文化的に はキリスト教殊にカトリック教会を中心に統一され、当教会のローマ法王が卓越していた。しかし 時代とともに各地の俗人領主権力は拡大し、ここに聖と俗との対立が生じ、更にイスラム教徒が東 ヨーロッパ・東地中海地域で大きく伸長する。こうした利害対立存続の中にもヨーロッパ統合の理 想は消滅しなかった。逸早く国内統一を達成したフランスでは、フィリップ善王の顧問P.デュボワ は対イスラム同盟を意図した『聖地再征服論』(1306年)を出版した。しかしビザンツ帝国はオス マントルコ勢により亡ぼされ、ローマカトリックに対峙するプロテスタント諸宗派が、ヨーロッパ に続出する状況下では当大陸統合運動は下火となる。17世紀にフランス王アンリ4世の側近シュ リー伯の『覚書』でヨーロッパのキリスト教共和国が提唱され、次いでサン・ピエール神父は『永 遠平和の草案』(1713年)を著し、I・カントや J・J・ルソー等後代の平和論者に影響を与えている。 こうした連合論は寧ろ新大陸で注目されるようになる。当地イギリス植民地では独立・建国運動が 展開されるが、いわばアメリカ合衆国の建国祖父である W・ペン、G・ワシントンそして B.フラ

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ンクリンもヨーロッパ統合論とその運動を観察していた。こうした地域統合をめぐる旧新両大陸間 の交渉は20世紀に入ってからもなお活発になってくる(R.N.Coudenhove-Kalergi, Europe Seeks Unity, New York. 1948, 8-12)。 20世紀は戦争と革命の世紀であった。新大陸のアメリカ合衆国そして新興国日本をも捲きこんだ 第一次世界大戦の中で旧大陸諸国は疲弊し、逆に労働者階級の国家を標榜し、ヨーロッパの連合に は寧ろ対立するソヴィェット・ロシアの出現そして戦勝国としての強国アメリカ合衆国の卓越を観 察したヨーロッパの知識人の多くにとり、旧大陸諸国家の権威低下は疑うべくもなく、こうした中 で O.シュペングラーの『ヨーロッパの没落』(1922年)が刊行された。しかしながらこうした悲観 論がみられた一方、オーストリアの前述カレルギーは『汎ヨーロッパ』(1923年)を出版する。彼 は平和的ヨーロッパ統合を主張し、彼の所論に賛成する政治家、知識人を中心としてウィーンでの 第一回汎ヨーロッパ議会(1926年)を皮切りに、第二回がベルリーンで(1930年)、ソ連とドイツ で全体主義が優勢を示した1932年にはスイスのバーゼルで第三回、1935年には再びウィーンで第四 回の会議が開かれたのである(R.N.Coudenhove-Kalergi, Pan Europa, Wien 1924. 26f. 50Jahre Europa-Union Schweiz 1934-1984: Eine Darstellung von Dr. Hans Bauer, Bern 1984.5.7. Anne-Marie Saint-Gille, La 《Pan Europe》: Une débat d'idees dans l'entre deux-guerres. Paris 2003. 71~75.81)。

第二次世界大戦の勃発とともに、有識者のヨーロッパ以外への移住・亡命が始まり、汎ヨーロッ パ運動もアメリカ合衆国を中心に続けられる。すでに当国に亡命していたカレルギーを先頭に、 1942年頃からヨーロッパ連盟構想が継続討議され、ニューヨークには「アメリカ・ヨーロッパ委員 会」が設置され、1943年には当市で第5回目の汎ヨーロッパ議会が開かれる。更にイギリスでも戦 時内閣首相の重任を担った W.チャーチルが当運動の変らぬ支持者となっていた。大西洋を挟んだ アングロサクソンの努力は、連合国側勝利後の1947年にマーシャル計画を具現した。ヨーロッパ大 陸諸国の経済復興、共産主義阻止こそ、1950年代から本格化するヨーロッパ統合・連合の重要な基 盤となったのである。 所謂冷戦期を前後に挟んだヨーロッパ統合の動きは以下の様に集約できよう。(1)1951年:西ド イツ、フランス、イタリア、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダはヨーロッパ石炭・鉄鋼共同体 EGKS を創設、(2)1957年:EGKS6ヶ国は共同市場創出のためヨーロッパ経済共同体 EWG を結成 (於ローマ)、(3)1960年:デンマルク、英国、オーストリア、ノールウェー、ポルトガル、ス ウェーデン、スイスのヨーロッパ自由貿易連合 EFTA 創設、(4)1967年:EGKS、EWG そしてヨー ロッパ原子力共同体 EURATOM はヨーロッパ共同体 EG に合併、ブリッセルにヨーロッパ委員会 EK を開設、(5)1972年:EG と EFTA6ヶ国は国別自由貿易協定に署名、(6)1973年:英国、デンマ ルクは EFTA を離脱して EG に、アイルランドも EG 加盟、(7)1981年:ギリシャ EG 加盟、

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(8)1986年:統一ヨーロッパ法の署名開始。更に域内市場創設と4つの自由の推進、(9)1986年:ス ペイン、ポルトガル EG 加盟、(10)1991年:EG からヨーロッパ連合 EU への移行に合意: (11)1993年ヨーロッパ連合(マーストリヒト)条約発効。結局全体主義としての共産主義体制は 1980年代末から、凡ゆる東・中ヨーロッパ諸国で、その非人間性・非経済性のため行詰まり、当該 諸国は相次いで当体制を捨て去った。21世紀初頭に見られたEU 加盟国の増加は、少なくとも現時 点において、資本主義、共産主義体制のどちらが人間にとり耐え得るものかの証左となっている。 メルケル首相演説の第二の要点は、地球温暖化(長期的気温上昇が要因となって現象すると推定 される地球的気象異常)阻止のため、EC が世界に先んじて当抑制政策の発議・実施を呼びかけた ことである。 第二次世界大戦後人類による地球環境破壊・資源濫用阻止の提言は少なくなかったが、それらの 中でも1972年発表のローマ・クラブの『成長の限界』は人類と資源との今後の関連について、均 衡・調和的対応を提唱し、また1975年ドイツ・キリスト教民主同盟代議士 H・グルールは『収奪さ れた地球―「経済成長」の恐るべき決算』を公刊し、世界的な環境保護、換言すれば省資源運動展 開の大きな指針となった。メルケルは前述冊子の第五・六演説において、地球環境保護政策案に関 して、繰り返し言及し、また当年6月ハイリゲンダムで開催された世界首脳者会議においても、当 政策具体化のために、実に精力的に行動したのであった。 日本においては、有力経済紙日本経済新聞がメルケルの所論を積極的に支持している。例えば世 界首脳会議開催前(6月5日)には「待ったなし温暖化対策」特集を発行し、更に訳者が記録して るだけでも「環境と経済を考える」と題した不定期連載社説を、10数回にわたり(2007年3月11、 5月14.21、6月6.9.14、7月1.29、8月27、9月25、12月16日)発表し、またサイエンス欄に おいても「温暖化の地球史」を5回にわたり連載し、当社主幹岡部直明氏は4月23日に「地球温暖 化の国際政治」を発表、そして当社主催の「日独経済シンポジウム」にはメルケルも臨席し、基調 講演を行ない、EU の温暖化政策について日本人向けに説明した(メルケル独首相 基調講演、日 本経済新聞2007年9月12日)。また2008年当初の所謂3ヶ日社説も「低炭素社会への道」と題され ている。勿論2007年全般にわたり、他の新聞や雑誌も、こうした時事的話題のため、一種の啓蒙運 動のために大きな頁数を割いたのであった。 アジアモンスーン地域にあり、他地域に比べて天変地異を少なからず経験している花綵列島の住 民である日本人は、全般的な自然環境の変化に対しては決して敏感に反応しないのであろうか。極 論すれば上記問題への接近は、根本的に個々人夫々の接近なのであり、日本の場合には、教育課程 の中に、そうした科目・課題が扱われることが必要とされるのである。日本の各大学においても地 球環境問題に関わる講義・シンポジウムが頻繁に開かれていよう。本学部でも、他大学・他学部と

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の正確な比較は別として、石井薫教授が「環境マネジメント」の講義を繰り返し、1995年2月から 「地球マネジメント学会」を設置発足させ、2007年には14回目の当学会が開かれ、また『地球マネ ジメント学会通信』も2007年12月で第79号を刊行している。当学会のこうした活動は他大学学生諸 君にも「地球マネジメント・インターゼミ」として公開されている。こうした啓蒙活動は、世界的 な温暖化防止会議において討議される様々な達成数値・基準と直ちに結びつくことは不可能であろ うし、その達成には長時間を必要としよう。しかしながらこうした啓蒙活動を継続発展させること が、やはり21世紀において認められ受け入れられる必要があるだろう。これを希求するのは、メル ケル演説紹介の労をとった訳者だけの願いであろうか。

2.翻訳

① ヨーロッパ議会議長ハンス・ゲルト・ペタリング様、ヨーロッパ委員会委員長ホセ・マヌエ ル・バローゾ様、加盟国代表の皆様そして会場の皆様。 ② 私は今日、このヨーロッパ議会の、今や27加盟国の代表の皆様からなる議会の議長国議長とし て、初めて皆様にお話しできることをうれしく存じます。ですから皆様、私がもう一度ルーマニ アとブルガリアの代表の方に、心からの歓迎の言葉を申し上げますことを、どうぞお許し下さい。 ③ 私は、昨日選ばれましたヨーロッパ議会の議長と副議長様にもう一度、私と更には全議員の名 によりまして、心からの祝辞を申し上げますとともに、議長国ドイツの初めにあたりまして皆様 に、私達は良好、緊密そして建設的な協調関係を――まさしく、先程議長様が言われました様な ――己を知る議会にふさわしい協力関係を、持つことを提案いたしたく存じます。 ④ 皆様、私はヨーロッパで、これまでの全生涯を過ごして参りました。しかしながらヨーロッパ 連合の中では、私は未成年者でしょう。私はかつてのドイツ民主主義共和国 DDR で育ち、17年 前つまりドイツ再統一後に、社会主義が克服された後に、初めて私は――他の数百万の人達と一 緒に――ヨーロッパ連合に受け入れられたからです。私は35才になるまでヨーロッパ連合を外か ら知っていたにすぎず、1990年以降にそれを内から知ることになりました。 ⑤ 内から見た生活は――御存知の様に――外から見たものと全ては殆んど変りません。これは凡 ゆる家庭に当てはまりますし、更にヨーロッパにも当てはまるのです。外から眺めましても、

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ヨーロッパ連合は例外といってよい程の、歴史的な成功の例でございます。ヨーロッパ連合は、 惑星地球上で最も印象的な平和事業の一つなのです。ヨーロッパの統一により、ヨーロッパの諸 民族は、大きな幸せをものにし、彼らの自由は保障され、また彼らの豊かさも可能となったので ございます。 ⑥ ローマ条約はまもなく50周年を迎えます。私達はこの記念式典を、来たる3月24,25日にベル リーンで、冷戦終了後のヨーロッパ再統一を、他のどこよりも象徴している都市で祝うのです。 しかしながら、本当のところ、この50年は、歴史の中では、マバタキ以上のものではないのです ね。でもこの短期間に、ヨーロッパでは想像以上の多くのものが達成されたのですね。 ⑦ これが外から眺められたヨーロッパでございます。 ⑧ しかしながら、内から眺めましても、ヨーロッパ連合はすばらしい家庭でございます。私は内 でくらしてみて――私の最近17年の経験なのですが――それは外から眺めたよりもはるかにすば らしいことがわかったのです。 ⑨ ですから皆様、私は二度とこの家庭から脱け出たいとは思いませんし、私達共同のヨーロッパ 家庭以上の良い場所はありません。 ⑩ 今日、私達はこれを改修し、これを拡張しております。多くの個所を私達は更新しております。 でも時に私は次の様にも考えるのです。私達は確かに、この建物を改修し更新することに取り組 み、それで今日ではその中に約5億のヨーロッパ人が家庭を見つけているのですが、この壮大な 建物を前にして、ともすれば、その偉大さ、比類のなさを見のがしかねないのではないでしょう か。これでは、それの中心がおかれた処に、この建物が実際どの様にして完成されたのかを、私 達は殆んど理解することができなくなりましょう。 ⑪ 皆様、ヨーロッパの多くの人々は――皆様が家庭におれば気がつきますが――今日お互いさま、 まずまずに暮らしております。でも皆様は、ヨーロッパはいかにあるべきか、何のために私達に はヨーロッパが必要なのか、ヨーロッパを最奥部で結びつけているものは何か、ヨーロッパ連合 を造り出したものは何かを問うてみないのでしょうか。

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⑫ 多くの人は、ヨーロッパの本質を決めようと考えておりますが、何にもなりません。はっきり 申し上げまして、私はそれは全く違うものとみなしております。私はジャック・ドロール前ヨー ロッパ共同体委員長を思い出すのですが、彼は「私達はヨーロッパに一つの魂を与えねばなりま せん」との有名な言葉をのべました。私は私の言葉として「私達はヨーロッパの多くの魂を見つ けねばなりません」を加えたく存じます。本当のところ、私達にはそれらをヨーロッパに加える 必要はございません。それらはすでに私達のそばにあるのですから。 ⑬ 多様性こそ、これらの魂ではありませんか。プラハ出身の偉大なヨーロッパ人であった作家カ レル・チャペック程、これを見事に表現した方はおりません。引用いたしますと「ヨーロッパの 創造者は、それを小さく造り、その上それを細分いたしました。ですから私達の心は大きさより もその多様性に引かれるのです」。 ⑭ 多様性でしょうね。ヨーロッパはその多様性により生きていると言われたなら、それは間違い なく正しいのです。私達国家間の、ヨーロッパ地域間の区切、言葉と気質の多様性――この全て を私達は守っていきたく存じます。私達は、調和させられたか知れないもの全てを、無理に調和 させなくとも宜ろしいのです。 ⑮ ヨーロッパはその多様性において生きねばならぬ。勿論これは本当です。しかもまた、こうし たものとしての多様性は、何がヨーロッパをその最奥部で結びつけているものなのか、つまり何 がその魂を造っているものなのかについて、私達の理解の助けとなる、いってみれば、普遍的 ヨーロッパの原理ではない、これも本当なのですね。 ⑯ 確かに国家と人間の多様性の理解について、私達はいささか別のものを造らねばなりませんし、 それは、私達が答えねばならぬもののために、独自の正しい質問をするために造らねばならぬも のなのです。では、何がヨーロッパの多様性を可能にしたのでしょうか。 ⑰ この質問への答えは疑う余地のない程明らかだと私は言いましょう。自由こそ私達に多様性を もたらすでしょうし、自由こそ私達の多様性の前提条件であり、自由こそ全てそれらに刻みこま れているのです。即ち自分の思想を、よしそれが他人のそれを妨害しようとも、公然と語る自由、 信仰し、はては信仰しない自由、企業家的行動の自由、自分の考えに従い自分の作品を創作する 芸術家の自由です。この自由こそ、ヨーロッパにとり、呼吸のための空気同様必要なものなので

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す。それが制限される処で、私達は萎縮してしまいましょう。 ⑱ ヨーロッパにとり極めて重要であり、絶えず自覚せねばならないこと、それは自由は一回限り で獲得されるものではないということです。自由こそ殆んど日毎に新らしく獲得されねばなりま せん。しかも自由は、皆様、決して拘束なしのものではありませんね。それは責任と離れがたく 結ばれております。ですから私達が本当の自由について話す時には、実は私達は、他人の自由に ついていつも話しているわけですね。 ⑲ では私達はそれを、ヴォルテールの有名な言葉で語りましょうか。引用いたしますと「私は君 の言ったことを間違いだと決めつけよう。だが君が言わんとしていることを守るために、私の命 を投げだす覚悟なのだ」。 ⑳ ヴォルテールは自分の中に、ヨーロッパの魂をもっていたと、私はみております。何故なら ヴォルテールの言葉は、ヨーロッパを際立たせているもの、その魂を造りだしたものは、私達の 多様性による交流であることを、示しているのです。  私達ヨーロッパ人は、私達の歴史から、多様性からこそ、最高のものが造りだされることを学 びました。このために私達に能力を与えてくれる特質、他人への責任は負いながらも、まさしく 自由である、能力を与えてくれる特質は、貴重な財産なのです。  その特質は寛容です。ヨーロッパの魂は寛容なのです。ヨーロッパは寛容の大陸でございます。  これを学びとるため、私達には数百年が必要でした。寛容への道すがら、私達は大災難を苦し み抜けねばなりませんでした。私達はお互いに迫害し破壊し合いました。私達は私達の故郷を荒 らし、私達には聖なるものを危険にさらしました。憎しみ、荒廃そして破壊という最悪の時期は、 人の一生にも足らぬ長さで、なおも私達の後に横たわっているのです。それは、私のドイツ民族 の名において惹き起されたのでございます。  この数百年の長い歴史から、ヨーロッパの私達は、今日寛容を行なうのに苦労している地球上 の人間や地域に向かって、とてもおごり高ぶる気分でいることなどできません。しかし、この数 百年の長い歴史から、ヨーロッパの私達は、ヨーロッパ全域と全世界において、寛容を押し進め、

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そして寛容を行なおうとしている全ての人を助けねばならぬ、義務を負うているのでございます。  確かに皆様、寛容はウルサ型の徳なのですね。それはまごころと理性とを必要としますし、私 達から何かを求めてもいるのです。でも決してそれを、勝手気ままさや無定見ととり違えてはな らないのです。更にまた、寛容は私達がヨーロッパでそれらを必要とするのと同様に、武力放棄 や他人を許すことで求められているだけでなく、他人に望むことでも求められているのです。  ヨーロッパの魂に向かう、寛容に向かう簡単な方法がございます。私達が他人の眼でみること ですね。――皆様も一度試みてはいかがでしょうか。ヨーロッパの多くの民族の眼で、私達の大 陸の多様性、即ち私達の富を見つけることは、魅力ある冒険と存じます。しかし、これに魅了さ れましても、寛容は絶えず挑戦されていることを、私達は忘れてはなりませんね。  ですから私は、はっきり申し上げますが、ヨーロッパは絶対に、非寛容、極左・極右主義の暴 力、宗教の名をかりた暴力について、最小の理解さえもってはならないのです。寛容がもしも非 寛容を前にして、自分を守らないのならば、自分の墓堀人となりましょう。或いはトマス・マン の言葉で言うなら「寛容が悪と見なされるならば、それは犯罪行為となる」のです。非寛容を拒 む寛容――これこそ人間を人間らしくするのでございます。  レッシングの有名な指輪の寓話の中で、賢者ナータンは三人兄弟の争いについて語っておりま す。そこでは誰が父親の指輪の真の相続人なのか、それとともに宗教的真理が問題となったので す。これらの遺産は善行によってのみ指し示されるのです。これの行いにおいて他の兄弟を超え ねばなりません。ここで私達は再びそれらに、ヨーロッパの魂に出合ったと私はみておりますし、 まさしくこの中で平和的共存即ち相互依存の中で、私達は、最上のものを求めるべきなのです。  私はクリスチャンとして、ヨーロッパのキリスト教的基礎をはっきりと認めておりますが、私 にとりまして、この戯曲の最も美しい場面は、サルタンのナータンに向けての願いでした。分け へだてられた信仰のさかい全てをものともせず、このイスラム教徒はこのユダヤ人に向って頼み ました。「私の友になって下さらんか」。  まことに皆様、これこそ、これに向ってこそ、今私達が追求しかつ努力せねばならぬ――諸民 族のもとでの相互依存なのですし、これこそ、昔も今もなおも、ヨーロッパ統一の大きな目標な

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のです。これこそ、1945年以降のヨーロッパの初めの一歩の出発点でした。ヨーロッパ石炭・鉄 鋼共同体条約更にはローマ条約でも、殆んど私達の文化に取り組むことはなく、マーストリヒト 条約でも、これは漸く隅の方に現わされたにすぎませんでした。  しかしながら、共同ヨーロッパについての、即ち何がヨーロッパをその最奥部で造りだしたの かについての洞察なしに、この様な洞察なしには、全てこれらの条約も陽の目をみることはな かったでしょう。これらの条約の中で、ヨーロッパの相互依存という重要な問題には、すでにふ れられ、また部分的には見事に答えられているのでございます。  こうして私自身、この基礎の上で、一つのヨーロッパのための今日の課題は、全加盟国の―― 大国も小国も、古参国も新参国も――同権的相互依存にあることを、認めますし、ヨーロッパに おいて私達は共同化だけを達成することです。ですから私達議長団の標語は「ヨーロッパは共同 化を達成しよう」ですが、私は更に「ヨーロッパは共同化だけを達成しよう」を付け加えたく存 じます。  私自身、ヨーロッパ的水準で最も良く操作できる様に集合された、一つのヨーロッパを認めま す。――しかもこれには必要とされる介入を伴ってこそ効果的なのです。  私自身、ヨーロッパ的規制が寧ろ弊害ともなっていた、他の政治領域を、はっきりと加盟国、 そこの諸地域そして諸自治体に任せる、一つのヨーロッパを認めます。  私自身、ヨーロッパ的解決に全幅の信頼がおかれる、一つのヨーロッパを認めます。そこでは 世界の総体化、テロリズム等の新たな危険による平和、安全保障への脅威等、21世紀の挑戦を解 決するために、共同で事にあたらねばならないのです。全てこれらの挑戦にも、結局私達は― ―私は確信しておりますが――寛容を認めるとの基礎に立ってこそ、対応することができるので す。  ヨーロッパ連合憲法草案において、初めてヨーロッパ条約本文が、はっきりと寛容について語 りましょうし、これによりヨーロッパ連合の加盟国が明示されますし、またこれにおいて、私達 は来るべきヨーロッパの新たな合理的規約を発展させうる基礎を造るのです。しかも規約は、新 たな大きなヨーロッパ連合と懸案の挑戦に対応しうる、私達に使い易いものでなければなりませ

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ん。御存知の様に、今日の規約をもってしてEU は拡大もできず、いわんや緊急の決定もできな い有様なのです。  皆様、こうした状態を私達は克服しなければならないのです。ですから私達には、ヨーロッパ 連合と国民国家の、権限について明確な記述が必要なのです。手続規約も以前よりわかり易く定 義されねばなりません。換言するなら、私達のもっている条約的基礎は、ヨーロッパ連合が世界 で将来も存続したいのならば、変りゆく枠組条件に適応してゆかねばならないのです。  以上の事が、ヨーロッパ連合の全加盟国そしてヨーロッパ議会に関わるヨーロッパ委員会の委 託により、私がヨーロッパ憲法条約の批准危機の打開策を話し合おうとする背景なのでございま す。  思案の段階は過ぎました。今や今年の6月までに、新たな決定を仕上げねばなりません。です から私自身、議長国ドイツの任期終了までに、憲法条約拡大手続の予定表を通過させることに努 めねばならないのです。  これの手続を、2009年春の次期ヨーロッパ議会選挙までに、首尾よくまとめることが、ヨー ロッパ、その加盟国とその市民にとり利益なのです。ですから失敗は歴史的怠慢となってしまい ましょう。  私達はこの課題に立ち向いましょう。その際私達は――かつてヨーロッパの初期の歴史的決定 と同様に――私達の多様性の、即ち寛容の精神の交流に、それをゆだねることにしませんか。何 故なら、私達が直面している政治、経済そして社会的挑戦は、まことに大きく大変具体的なので す。  これについて私は、二つの重点をみております。  まず第一に、対外並びに安全保障の凡ゆる面からの挑戦が、ヨーロッパ連合に押しよせており ます。  コソヴォ問題につきましても、当連合は法的地位問題解決実現に、協力いたしました。西部バ

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ルカンの安泰は、私達共同の関心事ですし、西部バルカン諸国についてヨーロッパ的見通しがな ければ、この安泰はありえないと、私は申し添えましょう。  近東地域につきましても、ヨーロッパ連合は、アメリカ合衆国、国際連合 UNO そしてロシア と共同して、和平交渉を進めねばなりません。手短に申し上げれば、所謂近東問題4者協議が求 められているのです。しかしながら、進展可能の前提は、近東においての平和、安泰そして持続 する発展達成のために、ヨーロッパ連合が一丸となって臨むことでしょう。このことはまさしく、 イランの原子力計画での交渉にもあてはまりましょう。  同様にヨーロッパは、アフガニスタンの成果ある発展に、根本的な関心をもっております。こ こでは、軍事と民事的努力の結合だけが効果的となりうるのではないでしょうか。全て他の方法 では、行き詰ってしまいましょう。  近隣に向けましても、ヨーロッパ連合は、以前にもまして、政治的具体案を示さなければなり ません。つまり、多くの国々のこれへの加盟は、いつも実現されるとは限りません。ですから近 隣外交は、筋の通った魅力的な選択肢なのですね。私達はこの議長国任期中に、とりわけこの様 な近隣外交を、黒海地域と中央アジアに向けて、展開したいと存じます。  更に多角的通商交渉に関わるドーハ会議の成果も、私達の全ての介入に引きあうものでした。 私達だけではなく開発途上国も、大変多くの危険にさらされているのです。その中で、何かを達 成することができる時間の窓は小さいのですね。でもここで成功するためには、全てをやってみ ようと私達は心を決めませんか。  でも皆様、私達はここで立ち止まってはいられません。私達は、ヨーロッパ連合とアメリカ合 衆国間の首脳会議におきまして、大西洋横断経済協力関係の深化について、話し合いたいと思っ ているのです。アメリカ合衆国は、ヨーロッパ連合の最も重要な貿易相手なのですし、私達はお 互いに、いつも最も重要な投資相手なのです。私達の世界的競争力向上のためにも、私達は特許 権、工業規格或いは証券取引所参入の貿易障壁を、更に引き下げねばなりません。大西洋横断の 共同市場にこそ、私は確信しておりますが、ヨーロッパの利益が最も深く横たわっているのでご ざいます。

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 しかしながら勿論のこと、私達はアメリカばかりに気を使ってはならないでしょう。つまりロ シアとの協力関係も、ヨーロッパにとり戦畧的意味をもっているのです。ですからそれは、でき る限り広い範囲で、強められねばなりません。こうして、新たな共同・協調協定について、話し 合われねばならないのです。  ここでも、エネルギー問題での共同作業が、中心課題となりましょう。私達は全てを行なうこ とになりましょうが、これについての話し合いは、殊に議長国ドイツ任期中に始めることになり ましょう。はっきり申し上げますが、私達には、ロシアとの信用し合える関係こそ必要なのです。 こうしたことだけが、信頼関係を育てることができるのだと存じます。  同時に勿論のことですが、情報、市民社会或いはロシアとその近隣との紛争の問題を、棚上げ にしてはなりませんね。  皆様、2012年以降の世界環境条約の礎石を、私達は来る3月のヨーロッパ委員会で、またドイ ツは8ヶ国首脳会議の議長国ですから、当首脳会議におきまして、すえようとしております。御 存知の様に、これに関しまして、ヨーロッパは一方では先駆者であるべきですし、他方では私達 には、アメリカ合衆国や他諸国をも必要としております。ですから、USA や他諸国が、エネル ギーと環境政策におきまして、これまで以上に緊密に、ヨーロッパ連合と協力できる様に促がす ことが、大切となりましょう。ですから、エネルギー問題への理解と環境保護とが、21世紀の人 間にとり、第二の挑戦なのだと私が申し上げましても、決して大言壮言ではございません。  皆様、アフリカにつきましても、私達は関係を、新しく整えようとしております。アフリカは 変りつつありますし、アフリカは私達の隣人なのでございます。そこに――政治的かつ経済的に ――投資することは、引き合いますし賢明でもあります。ですから私達は、EU・アフリカ首脳 会議の準備を早速始めましょう。それはまた、次期議長国ポルトガルのもとで開かれることにな りましょう。  皆様、地球一周のこの短かい旅のついでに、今日私は、重要な外交並びに安全保障での排戦に ついて、語りたく存じます。その展望は今日大変短かいだけのものかもしれませんが、それから 出てくるものこそ、大変明白なのです。即ち共同によってこそ、私達はこの排戦を受け止めるこ とができるのです。私達は共同で行動しなければなりません。まさにこのために、ヨーロッパ外

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交政策のために、私達にはヨーロッパ外務大臣が必要なのであり、これにより、私達の言葉に実 行が伴うことになるのです。このことも亦、憲法条約のための一つの根拠なのです。  皆様、こうしてヨーロッパが外に向けて新らしく整備されねばならないのと同様、内に向って も創造的でなければなりません。即ち私達の福祉、成長、雇用保障そして社会的安全、つまり、 私達ヨーロッパの社会国家モデルの維持と発展、しかも世界的総体化の状況のもとでのそれこそ ――ヨーロッパの市民と彼らの統治機関が、期待しているものなのです。これこそ、私達が議長 国である期間の、私達の仕事の第二の重点事項でございます。  次期リスボンの戦畧は、力強い成長と社会的ヨーロッパの展望を基礎におくでしょうし、そこ では、その周囲には責任をもって関わることでしょう。  この間にも、経済は上向きに成長しております。でも勿論のこと、それは自己目的であっては なりません。ですから私は、成長と聞くや、すぐに職場を考えてしまいます。雇用保障こそ私達 にとり、最初で最大の問題であり、これこそ社会的ヨーロッパだと、私は確信しております。  私達にとりましては当然の事ながら、雇用保障の前提が重要となりますし、このため3月の当 議会でのエネルギー問題は、全く特別な意味をもつことになるでしょうし、私達は委員会提案に つきまして、様々な面から討論することになりましょう。  「いかにして私達は、職場を造りだすことができるのか」「いかにして私達は、もっと効率的 になることができるのか」「いかにして私達は、競争力をつけることができるのか」という問題 と並びまして、私の見方によりますれば、多すぎる役所の整理が、ヨーロッパ連合の懸案事項な のです。ですから私達は、「よりよい適正配置」とのセリフのもと、全てを知っておられる当委 員会の主導権に、徹底的に結びつきましょう。  私はなおも或る事を――これは厳しい議論であると私は存じておりますが――望むのです。そ れは私達が、これらと関わりながら、もう一度所謂区切りの原理について、討論すべきではない でしょうか。つまりこうしてヨーロッパ連合は、ヨーロッパ議会任期終了時に、未処理法案あり との事態に陥ってはならないのです。これは、多くの加盟国の良い民主制的運用と存じますから、 ヨーロッパでそれができないわけはあるのでしょうか。

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 新らしい委員会と新らしい議会が始められてこそ、その都度の政治的刷新が可能となりましょ う。こうした民主制的区切りこそ、ヨーロッパ議会の選挙に、更に大きな意義を与えるものと、 私は確信しております。何卒、ヨーロッパ議会加盟国代表の皆様が、提案と理念でもって、議会 議長を支持して下さいます様に、お願い申し上げます。  皆様、全てこれらの課題は、とても6ヶ月以内で、処理することはできません。でも私達は 6ヶ月の短かい議会議長期間を、何んとかして克服しなければならないのです。ヨーロッパには 継続性こそ必要なのですね。ですから三頭議長制の考えは、大変重要なのです。私は、ヨーロッ パ連合初の三頭議長制の幕開けを、今日の午後ここシュトラスブルクで、ポルトガルとスロヴァ ニアの同僚とともに、行なうことができましたことを、喜んでおります。  更には、ヨーロッパのより長い継続性をというこの考えは、憲法条約にも盛り込まれている一 つの革新でございます。こうして私の所信表明の輪はとじられるのです。私達は偶然にせよ―― やむをえない条約改正という事態に再び、戻ってはならないでしょう。  全く確実なこと、それは、遅くて官僚的で反目し合っているヨーロッパなら、前にも述べた課 題を、決して解決することはできないでしょう。その外交・安全保障政策でも、いわんや環境・ エネルギー政策、ヨーロッパの研究開発政策領域でも、役所整理或いは拡大並びに近隣政策でも、 それらの課題は解決できないのです。  全てこれらの挑戦は、ヨーロッパの共同行動を求めております。それらは、私達がこの共同行 動をなしうる規約を求めており、それらは一層の努力を、そしてそれらは、変化と革新に対する 準備をも、求めているのでございます。  どの様な条件であれば、世界の諸地域は最も効果的に発展できるのか、私はこれは観察するに 価すると思うのです。アメリカ人科学者リチャード・フロリダはそれを調べ、そこで技術 Technologie・才能 Talente そして寛容 Toleranz という三要素に出合いました。ですから全てこれ ら三要素が合体した時にこそ、未来の領域において持続的な成長が達成されるのです。

 技術・才能・寛容――ヨーロッパにとり、これはなんと好ましい知らせであり、私達の行動に とっても、なんと好ましい格言ではありませんか。技術・才能・寛容――ヨーロッパは革新によ

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り、生きるべきであり、ヨーロッパは科学技術の進歩、経済の進歩、社会の進歩により、生きる べきなのです。  そしてヨーロッパは好奇心によっても、生きるべきなのです。このためにもヨーロッパ人は偉 大な発明品を、造りだしました。綜合大学 die Universitäten でございます。それは今日では、全 世界において自明のこととされている、多くのヨーロッパ理念の中の一つなのです。好奇心を自 由に発揮させうる前提条件――それは寛容でございましょう。  何故ならば、おのれ独自の考えを完全とせず、或いは、凡ゆる点で尊大さを抑えている人だけ が、総じて、他人の立場、彼の経験そして知識から、学びとろうとする関心を持つことができる のです。更にまた、他人の賢明な考え、道徳的姿勢と責任感ある行動を、認めることのできる人 だけが、他人から学びとることができるでしょう。こうして彼は知識をものにし、成長し、進歩 することができるのでございます。  お互いに学び合うことは、新らしい知識に導くのです。今日私達は、そのための革新を語りま したが、私はこの言葉で、単なる技術革新以上のものをも、考えているのです。それは、文化的 創造、政治的構想、精神的理念に関わっているのでございます。ヨーロッパに、その抜群の革新 力がなかったならば、それは、今日ある様な、ヨーロッパに成長することは、ありえませんでし た。  私達は、寛容の精神の中で、私達の好奇心を保ち続けるため、お互いを励まし、まさにお互い に呼びかけねばならないと、私は考えております。何故ならば、好奇心こそ、私達のまわりの世 界を、21世紀になりましても創造的にしておけるのだと、私達は信じているのです。  ドイツ人作家ペーター・プランゲが、その著書『プラトンからポップアートまでの、価値』で 書きましたことは、まことに正しいのです。引用いたしますと、「私達ヨーロッパ人がこれまで に実現してきたこと全ては、私達の内部矛盾、私達自身の永続的葛藤、意見と反対意見、理想と 反対理想、命題と反対命題との間の、絶え間のないヤリトリのお陰なのです」。  ですから何故、と私は訊ねるのです。無数の戦争と、はてしのない多くの苦難の後に、何故、 ヨーロッパにおける全ての私達の矛盾の中から、全ての私達の対立の中から、ほぼ50年前のロー

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マ条約締結の後から、ヨーロッパの統一というかくも偉大な事業を達成することが、できたので しょうか。全てこれらの中から、最高のものを私達に造らせることになったのは、何でしょうか。  皆様はもう御存知でしょう。それは、私によれば、ヨーロッパを、その多様性の交流によって 造りだしたもの、それは寛容でございましょう。  ですから私達にとりまして、来るべき50年のためにも、それが共同化が達成されなくて宜ろし いのでしょうか。  御静聴を心より感謝申し上げます。 ――― 完 ―――

〔謝辞 Dank:本訳文作成にあたりドイツ連邦共和国首相事務局 Bundeskanzleramt の Dr. Michael Weck 博士の協力を頂きました。記して感謝の意を表します。〕

参照

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