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多数当事者間相殺の有効性について : フランスにおける近年の議論を参考にして 利用統計を見る

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多数当事者間相殺の有効性について : フランスに

おける近年の議論を参考にして

著者名(日)

深川 裕佳

雑誌名

東洋法学

55

3

ページ

33-68

発行年

2012-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000849/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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目次 問題の所在 Ⅰ   相殺概念における「多数当事者性」   1   フランスにおける《 compensation multilatérale 》の用語法に関する議論    A   問題の所在    B   [ Delozière-Le Fur 2003 ]の見解    C   [ Myriam 2006 ]の見解   2   わが国における「多数当事者間相殺」という用語法――「相殺の法則」からの解明    A   フランスの学説による議論から得られる示唆    B   相殺概念への「多数当事者性」の組み込み Ⅱ   多数当事者間相殺の法的性質について   1   フランスにおける《 compensation multilatérale 》の法的性質 《 論    説 》

多数当事者間相殺の有効性について

――

フランスにおける近年の議論を参考にして

――

 

  

 

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   A   共通の委任または共同的行為とする見解[ Delozière-Le Fur 2003 ]    B   片面的な集合的行為とする見解[ Myriam 2006 ]   2   わが国における「多数当事者間相殺」の法的性質に関する検討    A   フランスにおける議論から得られる示唆    B   わが国における多数当事者間相殺の法的性質 おわりに 引用文献 問題の所在   民法には、三者間に二つの債権がまたがって存在する場合に、三者間相殺に関する特別の規定が存在する[深川 二 〇 〇 九 a] [深 川 二 〇 〇 九 b] 。 そ れ ば か り で な く、 学 説 で は、 相 殺 契 約 を 利 用 す れ ば、 債 権 の 対 立 要 件 さ え も 緩 和 す る こ と が で き る と 一 般 に 考 え ら れ て い る[我 妻 一 九 六 四、 三 五 三 -三 五 四] 。 で は、 四 人 以 上 の 者 の 間 に 錯 綜する複数の債務を「相殺」することも、同様に、契約によって可能なのだろうか。可能であるとすれば、どのよ うになされるのだろうか。これが本稿において論じる問題である。本稿は、この問題を解決するために、近年、フ ラ ン ス に お い て 公 表 さ れ た 二 つ の 博 士 論 文[ Delozière-Le Fur 2003 ] お よ び[ Roussille 2006 ] を 取 り 上 げ て 紹 介 し、これらから示唆を得て、わが国における「多数当事者間相殺」の概念について、以下の順で検討を行うことに する。   ま ず、 「多 数 当 事 者 間 相 殺」 と い う 用 語 法 に つ い て 検 討 を 行 う (後 述 Ⅰ) 。 な ぜ な ら ば、 「相 殺」 は、 そ の 定 義 か ら し て、 「二 人 の 者 が 互 い に」 (民 法 五 〇 五 条) 債 務 を 負 っ て い る と い う こ と が 必 要 と な り そ う に も 思 わ れ、 そ う す

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る と、 「多 数 当 事 者」 と「相 殺」 と を 組 み 合 わ せ る こ と は、 奇 妙 で あ る よ う に も 思 わ れ る か ら で あ る。 こ の 問 題 は、フランスにおいて議論されていることであるが、わが国においても、果たして「多数」当事者の間に「相殺」 という用語を用いることができるかどうかということは、同様に議論すべき問題となりうる。   次 に、 「多 数 当 事 者 間 相 殺」 の 有 効 性 を 検 討 す る た め に、 そ の メ カ ニ ズ ム の 解 明 を 試 み る (後 述 Ⅱ) 。 債 権 の 対 立 する二人の間であれば、相殺の説明は容易である。また、三者間であっても、二つの債権がまたがって存在する場 合については、前述のように民法に三者間相殺に関する特別の規定があることから、その規定を手がかりに検討す ることも可能である。しかし、三者間において三つの債権がまたがって存在していたり、四者において四つの債権 がまたがって存在したりする場合には、いったいどの債権とどの債権とが相殺に供されたのか、対当額において消 滅するにしてもその残額について法律関係はどのようになるのかということが全く明らかでない。それにもかかわ らず、従来、学説では、相殺契約を利用すれば、債権の対立要件さえも緩和することができ、多数当事者間に循環 する債権関係さえも一挙に解決できると単に述べられてきただけである。そこで、この問題について、一定の解決 策を提示するものと考えられるフランスにおける近年の研究から示唆を得て、わが国においてこれをどのように考 えることができるかということを明らかにする必要がある。   ここまで述べた問題を解決するために、本稿において、フランスにおける近年の研究を参考にするのは、そこに おいて、多数当事者間に錯綜する債権関係の清算を実現するための手段について新たな法的構成が提示され、別々 になされた研究の結果は、多数当事者間相殺の有効性とその性質について奇しくも類似した方向性を示しているも のと考えられ、興味深いものとなっているからである。フランスでは、従来、相殺が対向する二人の間で行われる も の で あ る と い う こ と は、 そ の 定 義 よ り 導 か れ る 重 要 な 要 件 で あ る と さ れ て き た (フ ラ ン ス 民 法 典 に お け る 債 権 の 対

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立 要 件 の 重 要 性 に つ い て は、 [深 谷 一 九 九 三] に お い て 明 ら か に さ れ て い る。 ま た、 フ ラ ン ス の 相 殺 制 度 に つ い て は、 [深 川 二 〇 〇 八、 九 六 頁 以 下] に お い て も 紹 介 し た) 。 そ し て、 近 年 の い く つ か の 論 者 は、 こ の よ う な 要 件 も 牽 連 性 に よ っ てある程度は緩和しうる、または、牽連性がこのような要件を代替するのであるということを述べるにとどまって い た[深 川 二 〇 〇 八、 一 三 七 -一 三 九] 。 そ の よ う な 状 況 に お い て、 フ ラ ン ス に お け る 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 有 効 性 は、相殺契約によって債権の対立要件さえも緩和することができると考えられているわが国よりも、さらに困難な 理論的問題に直面しているということができるだろう。そこで、わが国における相殺規定の母法の一つであるフラ ンス民法典を前提として、フランスにおいて多数当事者間相殺の有効性が明らかにされつつあることは、示唆に富 むものと思われる。 Ⅰ   相殺概念における「多数当事者性」   1   フランスにおける《 compensation multilatérale 》の用語法に関する議論    A   問題の所在   [ Delozière-Le Fur 2003 ]および[ Roussille 2006 ]において、多数当事者間相殺の法的性質がどのように解明さ れ て い る か と い う こ と を 紹 介 す る 前 提 と し て、 多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 が そ れぞれの論文においてどのように使われているかということ (用語法) を明らかにしておかなければならない。   [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、 《 compensation multilatérale 》 と い う 法 律 用 語 が 矛 盾 を 含 む 不 適 切 な も の と 考 え ている。このことは、単に、用語法上の問題にとどまるものではない。なぜならば、フランスでは、債務の相互性 要 件 は、 相 殺《 compensation 》 に は 欠 く こ と の で き な い 本 質 的 な も の と 一 般 に 位 置 づ け ら れ て い る た め に、 [ Delo

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-zière-Le Fur 2003 ] が《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 に つ い て、 「相 殺《 compensation 》」 と「多 数 当 事 者 間《 multilatéral 》」 と を 組 み 合 わ せ る こ と が 矛 盾 す る と 指 摘 し て い る こ と は、 相 殺 の 本 質 に か か わ る 重 要 な 問 題となるからである。   こ れ に 対 し て、 [ Roussille 2006 ] は、 《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 法 も フ ラ ン ス 法 に お い て 認 め ら れ る と 指 摘 す る。 そ こ で は、 《 compensation 》 の 語 源 に ま で 遡 る こ と に よ っ て、 二 当 事 者 間 で あ れ、 「多 数 当 事 者 間《 multilatéral 》」であれ、その本質には違いがないということが明らかにされている。   こ の よ う に し て、 《 compensation multilatérale 》 の 用 語 法 は、 そ の 法 的 性 質 を 解 明 す る た め に 避 け る こ と の で き な い 問 題 と な る。 そ こ で、 以 下 に お い て、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] の 見 解 の 見 解 (後 述 B) お よ び、 [ Roussille 2006 ] (後述 C) における《 compensation multilatérale 》の用語法について検討していくことにする。    B   [ Delozière-Le Fur 2003 ]の見解     ⒜「一つの残額に減らすことによって弁済を簡易にするメカニズム」   [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、 そ の 研 究 の 対 象 を「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム《 les mécanismes de simplification des paiements par versement d ’un solde unique 》」と呼んでいる。同書によ る と、 こ れ は、 し ば し ば、 「多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》」 と か、 「ネ ッ テ ィ ン グ ‘netting ’」 と か 呼 ば れ る も の で あ る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 3 ]。 し か し、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、 以 下 に 述 べ る よ う に、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 に こ れ ら の 用 語 を 用 い る こ と は 適 切 で は な いと考えている。     ⒝《 compensation multilatérale 》と ‘netting ’の異同について

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  「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 は、 前 述 の よ う に、 《 compensation multilaté -rale 》 または ‘netting ’と呼ばれているのであるが、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、 以下のようにして、 一方で 《 com -pensation 》 は 債 務 の 消 滅 原 因 で あ り、 そ の た め、 《 compensation multilatérale 》 も 債 務 の 消 滅 原 因 と な る は ず で あ るが、他方で ‘netting ‘はしばしば更改と組み合わされることによってはじめて債務を消滅させるということから、 区別されるべき概念と考えている。    実 際 に、 英 法 で は、‘ netting ’は、 そ れ の み で は、 当 事 者 が 債 務 か ら 解 放 さ れ る の に 十 分 で は な い の に 対 し て、 《 compensation 》 は、 債 務 の 消 滅 の 方 法 で あ っ て、 弁 済 に 相 当 す る (英 語 の set-off ) 。 そ の た め に、 〔‘ netting ’に は、 次 の よ う に、 〕 更 改 の メ カ ニ ズ ム が 付 け 加 え ら れ る こ と が 頻 繁 に 行 わ れ る の で あ る。 す な わ ち、 更 改 に よ る 相 殺 ‘ne ttin g b y n ov ati on’、 ‘se t o ff b y n ov ati on ’で あ る 。 結 果 と し て 、《 co m pe ns ati on m ult ila té ra le 》 と 呼 ば れ る メ カ ニ ズ ム は、 真 の 弁 済 の 手 段 の 一 つ で あ る の に 対 し て、‘ netting ’は、 時 に は、 単 純 に 一 つ の 金 額 に 片 付 け る 過 程 で あ る。 す な わ ち、 《 compensation multilatérale 》 は、 確 か に 純 残 額 の 計 算 で あ る が、 同 時 に 弁 済 も 課 す の で あ る。 そ う で あ る か ら、 法 的 効 果 に つ い て の み 考 え る と、‘ netting ’と《 compensation 》 に つ い て、 そ れ が「二 者 間《 simple 》」 で あ れ、 多 数 当 事 者 間 で あ れ、 混 同 さ れ る こ と は な い の で あ る。 [ Delozière-Le Fur 2003, n o 33 ( p. 48 ) ]     ⒞「一つの残額に減らすことによって弁済を簡易にするメカニズム」の独自性   こ の よ う に、 《 compensation multilatérale 》 と ‘netting ’と を 区 別 し た 上 で、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、 「一 つ の残額に減らすことによって弁済を簡易にするメカニズム」は、このいずれとも呼ぶことができないと指摘する。    一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ る 錯 綜 す る 債 務 の 弁 済 の 簡 易 化 は、 区 別 な し に ‘netting ’ま た は《 compensation

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multilatérale 》 と 名 付 け ら れ る。 《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 は、 今 日 一 般 に 受 け 入 れ ら れ て い る 見 解 に よ れ ば、 二 人 以 上 の 当 事 者 の 間 で 定 め ら れ た 錯 綜 す る 債 務 の 決 済 ( dénouement ) の メ カ ニ ズ ム の 組 合 せ を 形 容 す る こ と が で き る の に 対 し て、‘ netting ’と い う 用 語 は、 約 定 の 弁 済 の 簡 易 な 方 法 を 示 す た め に 主 と し て 利 用 さ れ る。 こ の 二 つ の 用 語 の い ず れ も、 し か し な が ら、 ふ さ わ し い も の で は な い。 一 方 で、‘ netting ’の 用 語 法 は、 複 数 あ る 弁 済 の 簡 易 化 の 方 法 の 間 で 混 乱 を 引 き 起 こ す。 他 方 で、 《 compensation multilatérale 》 の 用 語法は、矛盾したものであるだけでなく、一つの残額に減らすことによって弁済を簡易にするメカニズムの制 度を正当化するのに不十分である。 [ Delozière-Le Fur 2003, n o 32 ]   ま ず、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 を ‘netting ’と 呼 ぶ こ と が 適 切 で な い の は、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]よると、それが多義に用いられているからである。    ネ ッ テ ィ ン グ ‘netting ’は、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 を 指 し 示 す の に 不 適 切 で あ る。 な ぜ な ら ば、 〔‘ netting ’に は 少 な く と も 五 つ の 類 型 が あ る と 指 摘 さ れ て お り[ The Group of Experts of the Central banks of the Group of Ten Countries ( the predecessor of the Basel Committee ) 1989 ]、 こ の 多 義 的 な 用 語 で は、 〕 さ ま ざ ま な 簡 易 化 の メ カ ニ ズ ム の 多 様 性 に 立 ち 返 っ て し ま う か ら で あ る。 ‘netting ’ は〔バ イ ラ テ ラ ル と マ ル チ ラ テ ラ ル の 両 方 の 場 面 を カ バ ー す る 用 語 で あ る た め〕 、 簡 易 化 に よ る 消 滅 が 問 題 と な る 債 務 が 二 人 ま た は 複 数 当 事 者 の 間 で 定 め ら れ た と い う こ と に 応 じ て 区 別 す る こ と が で き な い。 さ ら に、 ‘netting ’に よ っ て 獲 得 さ れ る 効 果 は、 単 純 化 の 方 法 に よ っ て 獲 得 さ れ た 結 果 で は 全 く な い か ら で あ る。 [ Delozière-Le Fur 2003, n o 33 ]   つ ぎ に、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 を《 compensation multilatérale 》 と

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呼 ぶ こ と が 適 切 で な い の は、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] よ る と、 《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 そ れ 自 体が、 次のような問題を抱えているからである。 すなわち、 [ Delozière-Le Fur 2003, n os 23 et s. ] は、 「多数当事者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》」 と い う 用 語 そ の も の に つ い て、 こ れ が 奇 妙 で 矛 盾 し て い る と 指 摘 す る。 な ぜ な ら ば、 「相 殺《 compensation 》」 で あ る と す れ ば フ ラ ン ス 民 法 典 一 二 八 九 条 以 下 に お い て 規 定 さ れ た 要 件 を 満 た さ な け れ ば な ら な い に も か か わ ら ず、 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 相 殺 の 要 件 を 満 た し て い な い か ら で あ る。 も し も 「多 数 当 事 者 間 相 殺」 が「相 殺」 で あ る な ら ば、 フ ラ ン ス 民 法 典 の 規 定 に よ る と、 わ が 国 に お け る「同 種 の 目 的 を 有 す る 債 務」 (民 法 五 〇 五 条 一 項) と い う 要 件 に 相 当 す る 代 替 可 能 性 ( fongibilité 、 フ ラ ン ス 民 法 典 一 二 九 一 条 第 一 文) と、 わ が 国 に お け る「二 人 が 互 い に」 (民 法 五 〇 五 条 一 項) と い う 要 件 に 相 当 す る 相 互 性 (対 立 性、 réciprocité 、 フ ラ ン ス 民 法 典 一 二 八 九 条) と を 満 た し て い な く て は な ら な い。 そ れ に も か か わ ら ず、 多 数 当 事 者 間 相 殺 で は、 代 替 可 能 性 が な い 債 務 も、 相 互 性 が な い 債 務 も 消 滅 さ せ る こ と が で き る と さ れ て い る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 43 ]。 この二つの要件のうち、代替可能性を欠く場合については、当事者の合意によって[ Delozière-Le Fur 2003, n os 51 et s. ] ま た は、 合 意 が な く て も、 「公 定 物 価 表 に よ っ て 物 価 を 定 め ら れ た 穀 物 や 食 料 品 の 定 期 給 付 は、 弁 済 期 に あ る確定した金額と相殺することができる」というフランス民法典一二九一条第二文の類推によって、相殺を認める ことができる[ Delozière-Le Fur 2003, n os 58 et s. ]。しかし、相互性要件については、当事者の合意によって相殺 の要件から解放することはできない[ Delozière-Le Fur 2003, n os 62 et s. ]。そこで、多数当事者間相殺の概念は、 消 滅 す べ き 債 務 の 対 立 と い う 相 殺 の 本 質 的 要 素 を 欠 く こ と か ら 拒 絶 さ れ る べ き こ と に な る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 133 ]というのである。   こ の よ う に し て、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、‘ netting ’と《 compensation multilatérale 》 と を 峻 別 し た 上 で、

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「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 を 説 明 す る の に、 一 方 で ‘netting ’は 三 者 以 上 の 多 数 当 事 者 性 と い う 特 徴 を 明 確 に す る こ と が で き な い こ と か ら 不 適 切 で あ り、 他 方 で《 compensation multilaté -rale 》は、 《 compensation 》に多数当事者性を観念できないことからその用語自体が不適切と考える。このように、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]は、 「一つの残額に減らすことによって弁済を簡易にするメカニズム」の多数当事者性を 強調し、これを識別するための適切な学理上の用語は、現在のフランス法においては見当たらない、すなわち、多 数当事者性がこのメカニズムの独自性を示すものと考えられているのである。    C   [ Roussille 2006 ]の見解   [ Roussille 2006, n os 15 ― 16 ] は、 「相 殺《 compensation 》」 と い う 言 葉 の 語 源 に さ か の ぼ る と、 「多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》」 と い う 呼 称 も 成 り 立 ち う る と 考 え る。 す な わ ち、 《 compensation 》 と い う 言 葉 は「均 衡 さ せ る、 バ ラ ン ス を 図 る ( équilibrer ) 」 と い う 意 味 の ラ テ ン 語「 compensare 」 に 由 来 す る た め、 二 者 間 相 殺 だ け で な く、 多 数 当 事 者 間 相 殺 に お い て も、 当 事 者 の 債 権・ 債 務 を 均 衡 さ せ る と い う 意 味 で《 compensation 》 という用語を利用することができるというのである。このような指摘は、後に述べるように、多数当事者間相殺が 通常の相殺と同様の法理に基づいて生じるものであるということを考える上で参考になるものである。   [ Roussille 2006 ] に よ る と、 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 そ の 類 似 の 概 念 で あ る ク リ ア リ ン グ や ネ ッ テ ィ ン グ と、 以 下 のような関係にあるという。   ま ず、 ク リ ア リ ン グ ‘clearing ’に つ い て み る と 次 の 通 り で あ る。 フ ラ ン ス で は、 多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensa -tion multilatérale 》 の歴史は古く、 [ Roussille 2006, n o 4 ( pp.2 ― 3 ) によると、 その起源は、 中世における 《 scontra -tion 》 に 見 い だ す こ と が で き る と い う。 一 三 世 紀 に お い て、 シ ャ ン パ ー ニ ュ の 大 市 の 商 人 た ち は、 そ の 相 互 的 な 債

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務 の履 行 を簡 易 にす るこ と を目 的 とす る 制度 を 採用 し てい た。 これ が《 scontration 》 と呼 ば れる も ので あっ た。 そ れは、為替手形と共に登場し、その弁済を一か所に集中させて決済を制限する点で、多数当事者間相殺の先駆けと な る も の で あ っ た。 こ の《 scontration 》 は 各 市 場 に 広 が っ た が、 や が て、 よ り よ い 制 度 を 求 め て、 リ ヨ ン に お い て、一七世紀に多数当事者間相殺が登場した[ Roussille 2006, n o 5 p. 3 ) ]。しかし、リヨンの市場の衰退と平行し て、 一 八 世 紀 末 に ロ ン ド ン の 銀 行 員 た ち が 始 め た と い わ れ る ク リ ア リ ン グ の 技 術 が 各 国 に 広 ま っ て い っ た[ Rous -sille 2006, n o 6 p. 4 ) (以上の歴史的経緯については[ Delozière-Le Fur 2003, no 5 p. 18 ) ]も参照) 。このような沿革 か ら、 ク リ ア リ ン グ と 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 し ば し ば 類 似 し た も の と 考 え ら れ る こ と が あ る。 し か し、 [ Roussille 2006, n o 11 ( pp.7 ― 8 ) に よ る と、 両 者 は、 次 の 点 に お い て 異 な る と い う。 一 方 で、 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 金 融 市 場 に お い て、 決 済 ( le dénouement ) の た め に、 ク リ ア リ ン グ の 技 術 と 組 み 合 わ さ れ う る。 他 方 で、 ク リ ア リ ン グ は、多数当事者間相殺と同等に扱えるものではない[ Roussille 2006, n o 11 ( p. 8 )]。クリアリングは、その取引 ( l ’ opération ) の 決 済 ( le dénouement ) を 表 す (多 く の 有 価 証 券 に よ っ て 示 さ れ る) 残 額 の 弁 済 ( règlement ) に お い て、 単 に、 有 価 証 券 の 交 換 を 避 け る こ と を 可 能 に す る だ け で あ る。 ク リ ア リ ン グ 機 関《 les organismes de clearing 》 は、引き渡す有価証券の全体額を減らすことを可能とする差引計算を執り行うことができない。クリアリング機関 は、口座から口座へと振込むという手段によって、単に、有価証券の流通を容易にするということのみを許し、多 数当事者間相殺が行われない場合にも介入することができる。   また、 [ Roussille 2006, n o 12 ( p. 9 )]は、ネッティングに種々の種類があることを確認した上で、 「ネッティング ‘netting ’は、 多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》 と 完 全 に 一 致 す る も の で は な い」 と し て、 次 の よ う に指摘する。

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   ネッティングは、多数当事者間相殺に基づかないことを可能にする状況において、純残額を計算することにそ の 本 質 が あ る、 よ り 広 い 作 用 ( l ’opération ) を 意 味 す る。 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 他 の 種 類 の 間 で〔ネ ッ テ ィ ン グの様々な種類の中で〕 、ネッティングの一つの方式であるにすぎない。 [ Roussille 2006, n o 12 ( p. 9 ) ]   2   わが国における「多数当事者間相殺」という用語法――「相殺の法則」からの解明    A   フランスの学説による議論から得られる示唆   こ こ ま で 述 べ た よ う に 、 フ ラ ン ス で は 、「 多 数 当 事 者 間 相 殺 《 co m pe ns ati on m ult ila té ra le 》 と い う 用 語 法 が 問 題 と さ れ て い る。 こ の 背 景 に あ る の は、 先 に 述 べ た よ う に、 フ ラ ン ス 法 で は、 相 殺《 compensation 》 に お け る 債 務 の相互性要件は、 《 compensation 》 という概念の定義にかかわる本質的な要件であると考えられてきたことである。   そこで、 この伝統的な理解を尊重すれば、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] が述べるように 《 multilatéral 》 と 《 compen -sation 》 と を 組 み 合 わ せ る こ と は で き な い の で あ り、 《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 は そ も そ も 奇 妙 で あ る と い う こ と に な る。 そ こ で、 《 compensation multilatérale 》 そ れ 自 体 が フ ラ ン ス 法 上 で は 認 め ら れ な い も の と 考え、多数当事者間でなされる債権の簡易な決済は、独自の概念として存在すると考えることになる。   し か し、 そ の よ う な フ ラ ン ス 民 法 典 上 の 相 殺 を 前 提 と し て も、 [ Roussille 2006 ] に 指 摘 さ れ て い る よ う に、 当 事 者 の 債 権・ 債 務 を 均 衡 す る 制 度 と い う よ う に《 compensation 》 を 広 義 に 理 解 す れ ば、 フ ラ ン ス 法 に お い て も、 《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 を 用 い る こ と が で き る と い う こ と に な る。 こ の こ と は、 フ ラ ン ス 民 法 典 上の解釈としても、注目に値するものといえるであろうが、わが国において「多数当事者間相殺」を二者間相殺と 同様の「相殺」法理から説明する際にも、参考になるものといえる。

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   B   相殺概念への「多数当事者性」の組込み     ⒜用語法からの解明   ここまでの検討を参考にして、わが国において、多数当事者間相殺が「相殺」であることをどのように説明する ことができるだろうか。そこにおける中心問題は、フランスでの議論を参考にすれば、多数当事者性を「相殺」の 概念に含むことができるのかという点にあるといえる。わが国においても、法定相殺については、特別の規定が存 在 し な い 限 り は 二 者 間 で の 相 殺 の み を 前 提 と し て お り (民 法 五 〇 五 条) 、 こ の こ と か ら、 「多 数 当 事 者 間 相 殺」 と い う用語は、奇妙であるとも考えられる。   し か し、 す で に 述 べ た よ う に、 わ が 国 で は、 約 定 相 殺 に お い て「相 殺」 の 用 語 を 柔 軟 (広 義) に 用 い て お り、 学 説 に お い て も、 「多 数 当 事 者」 と「相 殺」 と を 組 み 合 わ せ る 用 語 法 は 定 着 し て い る も の と い え る (た と え ば、 [中 舎 二 〇 〇 六] ) 。 そ こ で、 わ が 国 に お い て 学 説 で 一 般 に 用 い ら れ て い る「相 殺」 と い う 用 語 法 か ら す れ ば、 「多 数 当 事 者間相殺」という用語を用いることが許されるものといえるだろう。すなわち、わが国における「相殺」の用語法 からして、そこに当事者の多数性を持ち込むことが可能であるといえる。     ⒝「相殺の法則」からの解明   このようにして、用語法の観点からは多数当事者間相殺を「相殺」と呼ぶことができるとしても、さらに、多数 当事者性を「相殺」の概念に含むことができるかどうかということを理論的に検討しておく必要があるだろう。そ れは、二者間における「相殺」とそれ以上の当事者間における「相殺」とが一つの法則に基づいていることを示す ことによって明らかにすることができるものと考えられる。   二者間に債務が対立しているときに、相殺が可能となることは疑いがない。三者において二つの債務がまたがっ

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て 存 在 し て い る と き に も、 「相 殺」 で き る 場 面 が 民 法 に 規 定 さ れ て い る。 し か し、 三 者 に 三 つ の 債 権 が 循 環 し て い たり、四者に四つの債権が循環していたりする場合には、どのようにして相殺が可能となるのだろうか。言い換え れば、差額のみの最小の弁済によって、当事者間の法律関係を解決することがどのようにして可能となるのだろう か。   解 決 の 手 掛 か り は、 相 殺 が、 「二 人 が 互 い に … 債 務 を 負 担 す る 場 合」 (民 法 五 〇 五 条 一 項) 、 す な わ ち、 「相 殺 を 行 う 当 事 者 間 で 債 務 を 負 担 し 合 っ て い る」 と い う こ と に あ る。 従 来、 こ の こ と は、 文 字 通 り 二 者 間 に お い て 債 務 が 「対 立 し て い る」 と い う こ と を 示 す も の と 考 え ら れ て き た。 し か し、 三 者 間 で あ っ て も、 そ れ 以 上 の 当 事 者 間 で あ っ て も、 「相 殺 を 行 う 当 事 者 間 で 債 務 を 負 担 し 合 っ て い る」 と い う 状 態 が あ れ ば、 差 額 の み の 最 小 の 弁 済 に よ っ て、当事者間の法律関係を解決することが可能となる。このことは、現実に弁済されなかった債務は、対当額にお いて消滅しているということを意味している。 これを一般的に示せば、 次のようにいうことができる (相殺の法則) 。    複数当事者の債権・債務について、その債権額の総和とその債務額の総和とが等しい場合には、各当事者は、 その債権と対当額においてその債務を免れる。   相殺における債務の対立要件を重視するフランスでは、債務が対立していれば相殺が可能であるし、逆に、相殺 であれば債務が対立していると考えられるために三者以上の相殺については議論があった。これと同様に、わが国 においても、二者間相殺、三者間相殺、多数当事者間相殺のそれぞれは、異なる概念であるかのように考えられる ことがあった。しかし、前記の法則によれば、二者間であれ、三者間であれ、そして、それ以上の多数当事者間で あれ、同じ条件の下に相殺が可能となるということが明らかである。すなわち、相殺に供される債権をめぐる当事 者の関係についてみると、すべての当事者が債権者であり、債務者であるという関係、すなわち相殺に関する当事

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者 間 で「閉 じ ら れ た 債 権・ 債 務 関 係」 に あ る 場 合 に お い て は、 各 当 事 者 に つ い て、 そ の 債 権 額 と 等 し い 債 務 額 に つ い て ―― そ の 対 当 額 に つ い て ――、 各 当 事 者 は、 現 実 の 弁 済 を 行 わ ず に 済 ま せ る こ と が で き る ―― 相 殺 に よ っ て そ の 債 務 を 免 れ る こ と が で き る ―― の で あ る。 た と え ば、 前 記 の 法 則 に よ れ ば、 A B 二 当 事 者 間 に お い て、 A が B に 五 〇、 B が A に 八 〇 の 債 権 を そ れ ぞ れ 有 し て い る 場 合 に は、 こ の 二 つ の 債 権 は「閉 じ ら れ た 債 権・ 債 務 関 係」 に あ り、 一 方 で、Aはその債権額五〇の範囲において債務を免れるために残額三〇の支払いをする必要があり、他方で、Bはそ の債権額八〇の範囲において債務を免れるためいかなる支払いも不要となる。また、前記の法則によれば、図 1 の ように、ABC二当事者間において、AがBに五〇、BがCに八〇、CがAに一〇〇の債権をそれぞれ有している 場合には、この三つの債権は「閉じられた債権・債務関係」にあり、Aはその債権額五〇の範囲においては自己の 債務を免れるために残された五〇の支払いをする必要があり、Bはその債権額八〇の範囲において自己の債務を免 れるためにいかなる支払いも不要であり、Cもその債権額一〇〇の範囲において自己の債務を免れるためにいかな る支払いも不要となる。このようにして、前記の法則は、二者間相殺から多数当事者間相殺までにおいて必要とな る条件を明らかにする「相殺の法則」ということができるだろう。   他方で、このように二者間相殺とそれよりも多い当事者間の相殺との間に、その効果が生じるための条件につい て共通点が見いだせるとしても、これらの間には、当事者がその債権と対当額においてその債務を免れた後に、以 下のような違いが現れる。   すなわち、二者間相殺では、対当額において債務を免れた後に差額が存在しても、その差額に関する債権・債務 関 係 を 明 確 に す る こ と が で き る。 先 の 例 (A が B に 五 〇、 B が A に 八 〇 の 債 権 を そ れ ぞ れ 有 し て い る 場 合) で は、 A 図 1  三者間相殺 の例 " # $ 100 80 50

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は、Bに三〇を支払えばよいことになる。このことは、対当額を超える額の配分は、債務額が債権額よりも大きい 当事者の一方に委ねられることを意味している。民法五〇五条以下に規定された法定相殺では、このような二者間 相殺の特性から、一方的な意思表示のみによって相殺をすることが認められるものということができる。このこと は、たとえ三者に係わる相殺であっても、相殺に供される債権が二つであれば、同様である。すなわち、その場合 にも、差額について法律関係を明確にできるから、一方的な意思表示のみによる法定三者間相殺についても規定を 用意することができる。また、たとえ二者が関与する場合に、対立する債権が三つ以上であっても、差額に関する 債権・債務関係を明確にすることができるから、民法は、相殺充当の問題としてこれを解決することができる。   これに対して、それ以外の場合、たとえば、三者以上の間にまたがる三つの債権がある場合、四者にまたがる四 つの債権がある場合などには、当事者がその債権と対当額においてその債務を免れた後に、いずれかの当事者に債 権 ま た は 債 務 が 残 っ て い て も、 一 義 的 に 債 権・ 債 務 関 係 を 決 め る こ と は で き な い こ と が あ る。 先 の 例 (A が B に 五 〇、 B が C に 八 〇、 C が A に 一 〇 〇 の 債 権 を そ れ ぞ れ 有 し て い る 場 合) で も、 A は、 五 〇 の 支 払 い を な せ ば よ い と い うことであるが、果たして、それをBおよびCになぜ分配せねばならないかということが問題となる。これは、一 方的な意思表示によって効力の発生を認める法定相殺では、解決することが困難な問題である。そのような差額給 付義務は、現行民法には規定がないのであり、当事者の合意からしか導くことはできないだろう。   そ こ で、 さ ら に、 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 法 的 性 質 に つ い て 検 討 を 進 め る 必 要 が あ る (後 述 Ⅱ) 。 こ の た め に、 以 下 に お い て、 再 び、 フ ラ ン ス に お け る 近 年 の 博 士 論 文[ Delozière-Le Fur 2003 ] お よ び[ Roussille 2006 ] を 参 考 に しつつ (後述Ⅱ 1 ) 、 わが国における多数当事者間相殺の法的性質について検討 (後述Ⅱ 2 ) をしていくことにする。

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Ⅱ   多数当事者間相殺の法的性質について   1   フランスにおける《 compensation multilatérale 》の法的性質    A   共通の委任または共同的行為とする見解[ Delozière-Le Fur 2003 ]   まず、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]の見解について紹介する。先に述べたように、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]は、多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》 と い う 用 語 は 不 適 切 で あ る と 考 え て い る。 そ こ で、 以 下 に お い て [ Delozière-Le Fur 2003 ]の見解を紹介するに当たっては、その用語法を尊重し、 「一つの残額に減らすことによっ て弁済を簡易にするメカニズム」と表記するが、これは、本稿でいうところの多数当事者間相殺に相当するもので ある。   [ Delozière-Le Fur 2003 ]は、 「多数当事者間相殺」という概念自体が矛盾すると考えるために、⒜相殺を根拠と してきた従来の支配的見解もまた不適切と考えられるとし、そこで、⒝「相殺」に取って代わる新たな法律構成が 必要であるとする。以下、この順に、同研究の概要を紹介していくことにする。     ⒜伝統的な説明の不適切性   [ Delozière-Le Fur 2003 ] は、 フ ラ ン ス に お い て、 今 日 の 支 配 的 学 説 が「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 を「相 殺《 compensation 》」 の 鋳 型 へ と 流 し 込 も う と し て い る と 述 べ る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 85 ]。 そこにおいては、 清算機関 《 chamber de compensation 》 の介入を通じて、 債権譲渡 [ Delozière-Le Fur 2003, n os 90 et s. ]や人的代位《 subrogation personelle 》[ Delozière-Le Fur 2003, n os 95 et s. ]、旧債権の消 滅 に よ る 更 改 を 利 用 し た 債 権 の 移 転 の 効 果 に よ っ て、 債 務 の 対 立 性 要 件 が 回 復 さ れ る な ら ば、 「一 つ の 残 額 に 減 ら

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す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 が 相 殺 に 由 来 し う る と さ れ て い る の で あ る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 131 ]。   しかし、これらの伝統的な説明に対して、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]は、 「仲介者は、決して、単純化のメカニズ ムによって消滅することを狙った債務の名義人となるのではないという事実に加えて、このような説は、当事者の 意思を無視している」 [ Delozière-Le Fur 2003, n o 297 ]として、以下のような批判をする。    仲介者〔清算機関〕は、もともと約束された権利関係に基づく債権と債務の権限を保有する者になるのではな い。 そ こ で、 規 制 さ れ た 金 融 市 場 ( les marchés financiers réglementés ) に お い て、 更 改 の 効 果 に よ っ て 債 権 者 と 債 務 者 と を 変 更 す る こ と に よ っ て 共 同 契 約 者 の 資 格 で 精 算 機 関 が 介 入 す る と い う 説 は、 矛 盾 す る こ と に な る。 [ Delozière-Le Fur 2003, n o 132 ]   そ こ で は、 清 算 機 関 は、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 の 参 加 者 の 間 に お い てもともと約束されていた権利関係に基づいて、それらの債権と債務を引き受けるのではないということが明らか にされている[ Delozière-Le Fur 2003, n o 132 ]。すなわち、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]によれば、 「一つの残額に減 らすことによって弁済を簡易にするメカニズム」は、清算機関の介入によって相互性要件を回復させることにその 本 質 が あ る わ け で は な い の で あ る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 133 ]。 そ こ で、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁済を簡易にするメカニズム」を説明するのに、多数当事者間「相殺」という言葉の濫用を行うだけのメリットを 見 い だ す こ と が で き な い の で、 伝 統 的 な 学 説 は 拒 絶 さ れ な け れ ば な ら な い こ と に な る と さ れ る[ Delozière-Le Fur 2003, n os 132 ―133 et 297 ]。

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    ⒝「共通の利益」の実現を目的とする法律行為   「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 と「相 殺」 と に 共 通 す る 唯 一 の 要 素 は、 当 事 者 が 受 け 取 り ま た は 支 払 う べ き 債 権 と 債 務 の 純 残 額 の 確 立 に 本 質 が あ る と い う こ と で あ る[ Delozière-Le Fur 2003, n o 134 ]。 そ し て、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 は、 「定 め ら れ た 日 に お い て、 そ の 日 に 即 時 に 決 済 可 能 な 一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と を 通 じ て、 清 算 ( reglement ) 手 続 き に、 複 数 人 が 債 務 の弁済にその債権を割り当てる ( affecter ) という一つの取決め ( une convention ) 」 として定義されうる [ Delozière-Le Fur 2003, n o 134 ]。 そ し て、 こ の 一 般 的 な 割 当 て《 affection générale 》 こ そ が 第 三 者 効、 す な わ ち 担 保 の 機 能 を生じさせうるのである[ Delozière-Le Fur 2003, n os 307, 325 et s. ]。   [ Delozière-Le Fur 2003, n o 161 ] は、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 の 独 自 性が、すべて同一の内容を有しており、かつ、すべて同一の目的の実現に向けられているような共同の意思の存在 に由来するものであると考える。その内容および目的は、たとえばグループ企業や独立した債権者と債務者の間に お け る 合 意 に お い て は「弁 済 を 簡 易 に す る」 と い う「共 通 の 利 益」 の 実 現 で あ り[ Delozière-Le Fur 2003, n os 148 et 151 ]、 さ ら に、 金 融・ イ ン タ ー バ ン ク 市 場 に お い て は、 そ の よ う な 利 益 に 加 え て、 シ ス テ ミ ッ ク・ リ ス ク の 制 限と市場の流動性の確保という「共通の利益」 、すなわち、 「制度利益 ( intérêt systémique ) 」の実現である[ Deloz -ière-Le Fur 2003, n os 150 ―151 ]。   で は、 こ の よ う な「共 通 の 利 益」 は、 ど の よ う な プ ロ セ ス に よ っ て 実 現 さ れ る の だ ろ う か。 [ Delozière-Le Fur 2003, n os 167 et s. ]は、この疑問に対して、以下のように二つの種類が存在すると答える。   第 一 に、 共 通 の 利 益 に よ っ て 統 合 さ れ る 共 同 的 行 為《 l ’act conjonctif 》 が こ れ を 実 現 す る[ Delozière-Le Fur

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2003, n os 235 ― 292 et 298 ]。共同的行為の定義は学説において様々に述べられているが、 [ Delozière-Le Fur 2003, n o 268 ] の 従 う 定 義 に よ れ ば、 「そ の 行 為 の 成 立 時 ま た は そ の 後 に、 同 一 の 当 事 者 を 中 心 と し て、 す な わ ち、 行 為 の目的の観点から定められる、いわゆる共通の利益によって、複数人が共同させられる行為」である。それは、当 事 者 の 多 面 性 ( une pluralité de participants ) 、 行 為 の 統 一 性 ( une unité d ’acte ) 、 当 事 者 の 統 一 性 ( une unité de par -tie ) によって特徴づけられる。   第 二 に、 「一 つ の 残 額 に 減 ら す こ と に よ っ て 弁 済 を 簡 易 に す る メ カ ニ ズ ム」 の 大 部 分 (た と え ば、 金 融・ イ ン タ ー バ ン ク 市 場) に お い て、 そ の 技 術 は、 同 一 の 仲 介 者 に よ る 代 理 ( la représentation ) の 働 き に 基 づ く。 そ し て、 弁 済 を 簡 易 に す る 効 果 は、 す べ て の 参 加 者 の 銀 行 の よ う な 共 通 の 受 任 者 ( un mandataire commun ) の 選 任 に よ っ て 獲 得 さ れ る。 す な わ ち、 「共 通 の 委 任《 un mandat commun 》」 で あ る[ Delozière-Le Fur 2003, n os 167 ― 234 , 292 et 298 ]。    B   片面的な集合的行為とする見解[ Roussille 2006 ]   次に、 [ Roussille 2006 ]の研究を概観していく。 [ Roussille 2006 ]も、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]と同じく、多数 当 事 者 間 相 殺 を 研 究 対 象 と し て い る。 先 に 述 べ た よ う に、 [ Delozière-Le Fur 2003 ] が そ の 名 称 に つ い て「多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》」 と 呼 ぶ の を 不 適 切 で あ る と 考 え る の に 対 し て、 [ Roussille 2006 ] は、 「多 数 当 事 者 間 相 殺」 の 呼 称 を 適 切 で あ る と し て い る。 し か し、 そ の 法 的 性 質 と し て、 伝 統 的 に 学 説 が 考 え て き た も の は 不 適 切 で あ り、 清 算 機 関 が 実 際 に 担 っ て い る 役 割 に 着 目 し て 新 た な 法 的 性 質 を 与 え る 必 要 性 が あ る と 考 え る。   そこで、⒜清算機関へ債権を集中させることを通じて多数当事者間相殺を説明してきた伝統的な見解がなぜ不適

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切 で あ る の か、 ⒝ 伝 統 的 な 見 解 に 代 え て、 ど の よ う に 新 た な 構 成 を す る こ と が で き る の か と い う 順 に[ Roussille 2006 ]の研究を紹介していくことにする。     ⒜伝統的な説明の不適切性   フ ラ ン ス に お い て は、 伝 統 的 に は、 多 数 当 事 者 間 相 殺《 compensation multilatérale 》 は、 清 算 機 関 の 介 入 を 中 心 と し て、 債 務 法 の 制 度 の 組 合 せ と し て 理 解 さ れ て き た[ Roussille 2006, n os 93 et 97 ]。 す な わ ち、 債 権 譲 渡 説 [ Roussille 2006, n os 101 ―106 ]、債務引受説[ Roussille 2006, n o 113 ]、弁済代位説[ Roussille 2006, n os 120 ―128 ]、指 図 説[ Roussille 2006, n os 136 ―138 ]、 更 改 説[ Roussille 2006, n os 145 et 146 ] と い っ た さ ま ざ ま な 考 え 方 が 展 開 さ れ、そこでは、いずれも、債権法制度の概念を組み合わせることを通じて、多数当事者間相殺を清算機関と参加者 の間の二者間相殺に置き換えて説明してきたのである。   [ Roussille 2006 ] は、 こ の よ う な 伝 統 的 見 解 に 対 し て、 清 算 機 関 は、 そ の 一 般 に 担 っ て い る 役 割 や 現 実 の 機 能 か らすると、伝統的な説明とは異なって、もっと制限された役割しか果たしておらず、決済を簡易にするという現実 的な役割しか有していないと批判する。すなわち、清算機関は、当事者間の法律関係に介入するものではないとい う の で あ る。 そ こ で、 債 権 譲 渡 説 に は、 現 実 に は 譲 渡 の 対 抗 要 件 (フ ラ ン ス 民 法 典 一 六 九 〇 条) が 具 備 さ れ な い と い う問題や、多数当事者間相殺によってその履行が簡易にされた振込みの指図は譲渡に適していないという問題が存 す る と い う[ Roussille 2006, n os 107 ―111 ]。 ま た、 債 務 引 受 説 は、 フ ラ ン ス 法 で は、 ド イ ツ 法 と は 異 な っ て、 債 務 の 譲 渡 不 能 原 則 が 存 在 す る た め、 こ の 原 則 に 反 す る と い う[ Roussille 2006, n os 114 ―117 ]。 そ し て、 弁 済 代 位 説 に つ い て は、 現 実 に は、 代 位 の 意 思 表 示 (フ ラ ン ス 民 法 典 一 二 五 〇 条 一 項) や、 代 位 弁 済 者 に よ る 弁 済、 弁 済 証 書 の 返 還といった弁済代位の要件を満たしていないという問題があると指摘する[ Roussille 2006, n os 130 ―132 ]。さらに、

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指図説に対しては、清算機関の実際の働きにおいては、指図の要件が満たされないという問題が存すると指摘する [ Roussille 2006, n os 139 ―143 ]。 すなわち、 今日では、 指図の要件として、 被指図人 ( délégué ) が指図人 ( déléguant ) の債務者でなければならないとされているが、清算機関は参加者の債務者でないこと、また、清算機関は参加者に 対して債務を負うということを根拠づける原因もないということである。その上、更改説は、現実を表現していな い と い う[ Roussille 2006, n os 157 ―165 ]。 な ぜ な ら ば、 更 改 の 意 思 を 欠 い て お り、 ま た、 更 改 に 基 づ く 新 た な 債 務 (清 算 債 務) の 発 生 と 共 に 古 い 債 務 が 消 滅 す る わ け で も な く、 さ ら に は、 更 改 に よ っ て 古 い 債 務 を 二 つ に 分 割 す る ことを説明できないというのである。このように、 [ Roussille 2006, n o 165 ]は、いかなる債務法の制度をもってし て も、 清 算 機 関 の 実 際 の 機 能 を 形 容 す る こ と が で き な い と い う。 こ の 理 由 を[ Roussille 2006, n o 166 ] は、 清 算 機 関が当事者間の法律関係に介入するのではないということに求めている。   で は、 清 算 機 関 の 介 入 は、 ど の よ う な 意 義 を 有 す る の だ ろ う か。 [ Roussille 2006, n os 166, 222, 266, 293 et 551 ] によると、 清算機関は、 主として、 事実上の活動を遂行しているという。 その主な役割である残額の計算 ( calculer les soldes ) は、 事 実 上 の 活 動 で あ っ て、 そ れ に よ り、 清 算 機 関 は、 会 計 役 務 を 提 供 し て い る に す ぎ な い[ Roussille 2006, n o 265 ]。 そ れ は、 た と え ば、 銀 行 取 引 に お い て は、 参 加 者 そ れ ぞ れ の 差 引 残 額 を 計 算 し た り[ Roussille 2006, n os 272 ―274 ]、借越額と貸越額の総額の間で会計上の均衡を検査したり[ Roussille 2006, n os 270 et 271 ]とい う清算機関の作業である。   こ れ ら の 清 算 機 関 の 作 業 は、 意 思 表 示 に 基 づ い て 生 じ る も の で は な い[ Roussille 2006, n os 275 et 276 ]。 ま た、 決 済 す べ き 債 務 は、 こ れ ら の 作 業 か ら 発 生 す る も の で も な く、 最 終 的 な 決 済 に 参 加 す る 者 の 意 思 に よ る の で あ る [ Roussille 2006, n o 277 ]。 そ こ で、 こ れ ら の 作 業 は、 法 律 行 為 で は な い、 と い う こ と が で き る ( V. [ Roussille 2006,

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no 275 ].) 。 こ の よ う に、 清 算 機 関 が 事 実 上 の 活 動 を 行 う の み で あ る と い う こ と は、 銀 行 取 引 だ け で な く、 証 券 取 引 の場合も同様であるとされている ( V. [ Roussille 2006, n os 279 ―292 ].) 。     ⒝片面的な集合的行為としての多数当事者間相殺   [ Roussille 2006 ] は、 多 数 当 事 者 間 相 殺 が ど の よ う な 形 態 を と る に せ よ、 す な わ ち、 そ れ が 清 算 機 関 と 結 び つ け られるにせよ、そうでないにせよ、また、銀行や金融機関の仲介者によって交換されるフローを簡易にするために 利用されているにせよ、多数当事者間に存在する個人の債務を簡易にするために利用されているにせよ、以下のよ うに、独自の性質を有すると指摘している。   多 数 当 事 者 間 相 殺 の 独 自 性 を 明 ら か に す る た め に、 [ Roussille 2006, n os 355 et s. ] は、 ま ず、 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 過 程 を 二 段 階 に お い て 検 討 す る。 す な わ ち、 第 一 段 階 に お い て 行 わ れ る 算 術 的 な 計 算 ( la compte arithmétique ) は、 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 中 心 的 な 仕 組 み で あ る[ Roussille 2006, n o 479 ]。 そ こ で は、 そ の 流 動 的 な 特 質 の お か げ で、 そ れ ぞ れ の 当 事 者 の 貸 借 状 況 に 一 致 す る 残 額 (差 額) が 計 算 さ れ る。 積 極 財 産 及 び 消 極 財 産 の 総 体 ( une masse ) と し て の 様 相 を 呈 す る 集 合 体 ( la collctivité ) に 各 参 加 者 を 積 極 的 ま た は 消 極 的 に 結 び つ け る 債 務 を 生 じ さ せ る (各 当 事 者 に つ き 残 額 の 支 払 い ま た は 受 取 り の 義 務 を 生 じ さ せ る) と い う 法 的 効 果 を 有 す る の み で あ っ て、 こ の 段 階 で は、 ま だ、 い か な る 債 務 も 消 滅 し な い[ Roussille 2006, n o 552 ]。 第 二 段 階 に お い て、 各 参 加 者 の 残 額 の 清 算 ( le règlement ) を 経 て、 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 作 用 ( l ’operation ) は 決 済 ( le dénouement ) に な る。 そ れ は、 純 残 額 が 借方になるすべての参加者が払ったものを集めた総額を純残額が貸方になる者に対して再分配することを認める方 法によってのみ達成される。   こ の よ う な 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 過 程 を 分 析 し た 結 果 と し て、 [ Roussille 2006, n os 452 et s. ] は、 そ の 法 的 性 質 を

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次 の よ う に 指 摘 す る。 す な わ ち、 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 算 術 的 な 計 算 ( la compte arithmétique ) に 基 づ く の で あ り、 こ の 計 算 こ そ が 多 数 当 事 者 間 相 殺 の 集 合 的 性 質 を 支 え る も の で あ る。 こ の 算 術 的 な 計 算 は、 家 族 財 産 法 (夫 婦 共同財産や相続財産の清算) において用いられているものと共通する、ある特徴を示している。それは、参加者に 積 極 財 産 及 び 消 極 財 産 の 総 体 ( une masse ) と の 関 係 を 持 た せ る と い う こ と で あ る ( V. [ Roussille 2006, no 384 ]) 。 多 数 当 事 者 間 相 殺 に お け る 計 算 は、 算 術 的 な 性 質 を 有 す る の み で あ る と し て も、 重 要 な 法 的 効 果 を 生 み 出 す。 す な わ ち、 記 録 さ れ た 総 額 (ま た は、 フ ロ ー) と 簡 易 化 に む け ら れ た 総 額 (ま た は、 フ ロ ー) と の 間 に、 不 可 分 性 ( indivisi -bilité ) を作り出す[ Roussille 2006, n o 477 ]。そして、清算機関は、相続の分野における公証人と同様に、清算代理 人 ( agent liquidateur ) の様相を呈するのである。   [ Roussille 2006 ] は、 以 上 の よ う な 性 質 を 有 す る 多 数 当 事 者 間 相 殺 は、 契 約 に 基 づ く 清 算 の 技 術 ( une technique de liquidation conventionelle ) で あ る と 指 摘 し て い る。 そ し て、 そ れ は、 こ の よ う な 集 合 的 な 決 済 過 程 に 参 加 す る と いうあらかじめ表示された当事者の意思に基づいてその効果が生じるものである。そこでは、個々の参加者が互い に契約を締結するのではなく、共通の役務提供者との間で締結される契約によってのみ結びつけられている。多数 当 事 者 間 相 殺 は、 制 度 の 運 用 に 関 す る 一 般 的 な 条 項 を 定 め る 枠 契 約 (マ ス タ ー 契 約、 une convention-cadre ) に 基 づ いており、この枠契約は、それぞれの適用行為に対して反復的に作用する。この行為は、当事者の意思表示の合致 によるのではなく、互いに負っているものを全体的に清算するという共通の利益に向けられた意思に基づくもので ある。そこで、 [ Roussille 2006, n os 540 et s. ]によると、特に以下の理由から、共同的行為《 l ’act conjonctif 》とす る見解[ Delozière-Le Fur 2003 ]は受け入れることができないということになる。    この行為〔共同的行為《 l ’act conjonctif 》〕は、支持されている考え方によると、一つの行為において、当事者

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の多面性が唯一の当事者 ( une partie unique ) 、いわゆる多面的な当事者《 partie plurale 》のように振る舞うことを 意味する。多数当事者間相殺において、一つの行為へ参加する個人に確かに多面性がある。それにもかかわらず、 こ の 個 人 の 多 面 性 は、 「多 面 的 な 当 事 者《 partie plurale 》」 を 構 成 し な い。 …「多 面 的 な 当 事 者《 partie plurale 》」 は、他の当事者に対向する意思表示によって定義される。…多数当事者間相殺が作用する場合に、…実際に、その 作用を構成する法律行為の成立の瞬間において、当事者各人の意思は集中するが、互いに対向するものではない。 [ Roussille 2006, n os 540 et 541 ]   そ こ で、 [ Roussille 2006, n o 543, 546 et 552 ] は、 こ の よ う に 参 加 者 の 意 思 の 集 中 に 基 づ く 多 数 当 事 者 間 相 殺 を 「一方的 (片面的) で集合的な法律行為《

une acte collectif unilatéral

》」であるとしている。   2   わが国における「多数当事者間相殺」の法的性質に関する検討    A   フランスにおける議論から得られる示唆   ここまでにおいて紹介したフランスにおける議論から、どのような示唆を得ることができるであろうか。   一方で、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]は、 「一つの残額に減らすことによって弁済を簡易にするメカニズム」を分析 するのに、多面的当事者を結びつける共通の利益に着目し、金融・インターバンク市場において用いられる清算機 関を伴うものは「共通の委任」に基づくとし、これに対して、清算機関を伴わないものは「共同的行為」に基づく とする。他方で、 [ Roussille 2006 ]は、多数当事者間相殺の集合的性質 ( caractère collectif ) に着目して分析し、中 間 的 な プ ロ セ ス と し て 行 な わ れ る 残 額 の 算 術 的 計 算 ( le compte arithmétique ) が そ の 性 質 に 適 合 す る と い う。 そ し て、多数当事者間相殺は、集合的な清算という共通の利益の実現に向けられた各参加者の意思表示に基づくことか

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ら、 「片面的な集団的行為」とする。   このように相違が存するにもかかわらず、 [ Delozière-Le Fur 2003 ]と[ Roussille 2006 ]には、以下のような共 通性を見いだすことができる。   まず、いずれの研究も、多数当事者間相殺は、複数当事者間において「共通の利益」を実現するためになされた 意思表示に基づく法律行為であるとする。もちろん、その法律行為の性質がどのようなものであるかということに ついては、両見解にちがいがある。また、その法律行為の性質がどのようなものであるかは、各国の法制度に依存 する問題であって、フランスにおける議論が必ずしもわが国の場合にそのままあてはまるというわけではない。そ うであるとしても、わが国において相殺は、一方的な意思表示としての法定相殺か、当事者間の意思の合致に基づ く相殺契約かという枠組みで捉えられてきたところ、このように、フランスにおいて別々に研究された二つの博士 論文が、近接した時期において、多数当事者間相殺の特徴について、共通の利益を実現するものであるという共通 した見解へと至ったことは、多数当事者間相殺の法的性質を考える上で、興味深いものといえる。   つぎに、いずれの研究も、個々の債権・債務と全体の総債権・総債務とが密接に結びついているということを明 らかにしている。両者は、その法律構成が異なるために、一方で[ Delozière-Le Fur 2003 ]は、債権に対する債務 の「一 般 的 な 割 当 て《 affection générale 》」 と 表 現 し、 他 方 で[ Roussille 2006 ] は、 「記 録 さ れ た 総 額 (ま た は、 フ ロ ー) と 簡 易 化 に む け ら れ た 総 額 (ま た は、 フ ロ ー) と の 間 に、 不 可 分 性 ( indivisibilité ) を 作 り 出 す」 と 述 べ て い る が、その主張には共通性が認められる。多数当事者間相殺の性質を考える上で、このような個々の債権・債務と全 体の総債権・総債務との密接性 (以下、 「集合性」という) は、重要な役割を果たしているようである。   そ し て、 両 研 究 が 共 通 し て い る 点 と し て 注 目 さ れ る の は、 多 数 当 事 者 間 相 殺 に お い て 清 算 機 関 が 存 在 す る 場 合

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に、この機関が当事者の債権・債務関係に直接に介入するのではないというところである。これは、両研究におい て、清算機関を中心とする債権・債務の移転を考えて多数当事者間相殺を説明する従来の学説への共通した批判で あった。筆者は、多数当事者間相殺については、常に清算機関が必要であるとは考えていないが、清算機関が介入 する場合であっても、フランスにおけるこれらの博士論文の指摘のように、わが国でも、清算機関が債権・債務の 当事者に代わって真の債権者、債務者になるとは考えにくいように思われる。    B   わが国における多数当事者間相殺の法的性質     ⒜多数当事者間相殺の例   以下では、次のようなシンプルな事例によって、フランスでの議論を参考にしながら多数当事者間相殺の法的性 質を検討していくことにする。    A、B、C、Dの四者間で、①AがBに三〇〇、②BがCに四〇〇、③CがDに五〇〇、④DがAに六〇〇の それぞれの債権を有しているときに、この四者が合意でもって多数当事者間相殺を実現する場合 (図 2 ) 。   こ の 例 で は、 最 小 の 金 銭 に お い て 最 終 的 な 決 済 に 至 る 方 法 は、 以 下 の 二 段 階 の プ ロ セ ス に よ っ て 明 ら か に さ れ る。 第 一 段 階 (清 算) に お い て、 決 済 を す る た め の 計 算 上 の 問 題 と し て、 各 当 事 者 の 支 払 総 額 お よ び 受 取 総 額 を 明 らかにする必要がある。例では、Aについて①プラス三〇〇、④マイナス六〇〇、Bについ て①マイナス三〇〇、②プラス四〇〇、Cについて②マイナス四〇〇、③プラス五〇〇、D に つ い て ③ マ イ ナ ス 五 〇 〇、 ④ プ ラ ス 六 〇 〇 で あ る こ と か ら、 こ れ ら を 計 算 し た 結 果 と し て、最小の金銭において最終的な決済に至るには、それぞれの支払総額、受取総額は、Aに ついてマイナス三〇〇、Bについてプラス一〇〇、Cについてプラス一〇〇、Dについてプ 図 2  多数当事者 間相殺の例 " # $ % ᶆ600 ᶄ400 ᶃ300 ᶅ500

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ラ ス 一 〇 〇 と い う こ と が 明 ら か に な る。 次 に、 第 二 段 階 (決 済) に お い て、 A が 三 〇 〇 を支払い、そこからB、C、Dが一〇〇ずつ受け取ることによって、決済が完了する。   債権法改正の議論においては、このような仕組みを実現するものとして「一人計算」 と い う 新 し い 概 念 が 提 言 さ れ て い る[民 法 (債 権 法) 改 正 検 討 委 員 会 二 〇 〇 九、 一 〇 九 以 下] 。 図 3 で 示 さ れ る よ う に、 そ こ で は、 債 権 譲 渡 や 債 務 引 受 と い っ た 既 存 の 手 段 に よ ら ず、 計 算 人 ( Central Counter Party. 以 下、 「 CCP 」 と い う) に す べ て の 債 権 を 集 中 さ せ る 新 た な 方 法 が 一 人 計 算 で あ る と さ れ て い る。 こ れ に よ っ て、 す べ て の 債 権 関 係 が、 CCP と の 二 者 間 関 係 に 引 き直され、二者間法定相殺が可能となるのである。   これに対して、本稿では、二者間法定相殺に持ち込むことなく、多数当事者間相殺の性質を以下に検討していく こ と に す る。 確 か に、 「一 人 計 算」 は 多 数 当 事 者 間 の 債 権 関 係 を 簡 易 に 弁 済 す る 過 程 を 理 解 す る の に 便 利 で あ る。 し か し、 先 に フ ラ ン ス の 学 説 の 検 討 に お い て 述 べ た よ う に、 債 権 の 移 転 に よ っ て CCP が 真 実 の 債 権 者・ 債 務 者 の 立場におかれるわけではなく、そこで、 「一人計算」によって債権・債務が CCP に集中するということは、単に差 額計算の便宜に過ぎないように思われるからである。     ⒝「有因的な相互免除契約」説からの検討   ま ず、 [我 妻 一 九 六 四] に よ っ て 有 力 に 唱 え ら れ て き た、 相 殺 契 約 を「有 因 的 な 相 互 免 除 契 約」 と す る 見 解 か ら、前述の例について考えてみることにする。   わが国では、 「多数の当事者の間の循環的に対立する債権…を全員の間の契約で消滅させることもできる」 [我妻 一 九 六 四、 三 五 四] と い う の が 支 配 的 見 解 で あ る。 そ こ で、 こ の 見 解 か ら す れ ば、 前 述 の 例 に お け る、 A、 B、 図 3  一人計算によ る解決 " # $ % $$1 ᶅ500 100 100 100 300 ᶄ400 ᶅ500 ᶄ400 ᶆ600 ᶆ600 ᶃ300 ᶃ300

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C、Dの合意は、 「相殺契約」の一種として位置づけることになる。   そ し て、 相 殺 契 約 の 法 的 性 質 に つ い て、 [我 妻 一 九 六 四、 三 五 三] は、 「相 殺 契 約 は、 当 事 者 間 で、 対 立 す る 債 権 を対当額ないしは対等の評価額で消滅させる契約である」と定義して、その性質を「有因的な相互免除契約」とし ている。そこで、この見解に従えば、前述の例では、A、B、C、Dは、互いに免除する旨の契約で結びついてい る、ということになる。すなわち、各当事者によってなされた互いに対向する意思表示の合致によって、多数当事 者間相殺は成立する、ということになるのである。   このような相互免除的相殺契約によって、 A、 B、 C、 Dの法律関係は次のように解決される。 第一段階 (清算) において、全員の合意によって、Aについて、従来の債権・債務関係を消滅させて、それに代えてB、C、Dのそ れ ぞ れ に 負 う 一 〇 〇 万 の 新 た な 債 権 を 発 生 さ せ (こ れ は、 更 改 の 効 果 と い う こ と に な る だ ろ う) 、 B、 C、 D に つ い て は、免除が行われる。   し た が っ て、 「有 因 的 な 相 互 免 除 契 約」 説 に 立 て ば、 多 数 当 事 者 間 相 殺 を「更 改 と 免 除 の 組 合 せ」 に よ っ て 分 析 することになる。これは、旧債務が消滅し、新債務が発生するという点において、オブリゲーション・ネッティン グに親和的な考え方であるといえる。   しかし、更改と免除の組合せによる説明は、当事者の数が増加し、相殺に供される債権・債務の数が増加すると 複雑になりすぎるおそれがあり、また、当事者間における新たな法律関係の形成がどのようになされるかというこ と (誰 が、 誰 に 対 し て、 い か な る 債 務 を い く ら 負 う か と い う 問 題) に 対 す る 答 え は 一 つ に 定 ま ら な い 可 能 性 が あ る。 そ こで、この説は、現実的な困難を抱えている。さらに、誰が、誰に対して、いかなる債務をいくら負うかが定まら ないような場合には、更改の意思を、したがって、更改の効果を認めることも困難となる。そこで、この構成は、

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採用することができない。     ⒞「多数当事者間相殺=算術的計算」とする考え方   こ の よ う に し て、 既 存 の 債 権 関 係 の 消 滅 に 伴 っ て 新 た な 債 権 関 係 が 生 じ る と 考 え る こ と (更 改) は 不 都 合 で あ る と考えられるから、従来の債権関係に変更を加えることなく多数当事者間相殺を説明するための考え方を検討する 余 地 が あ る。 そ こ で、 [ Roussille 2006 ] の 研 究 に 見 ら れ た よ う に (前 述 Ⅱ 1 B ⒝) 、 計 算 の 作 用 が 多 数 当 事 者 間 相 殺 において重要な位置を占めているとされていたことを敷衍して、多数当事者間相殺を計算の作用に過ぎないと考え ることはできるだろうか。   し か し、 こ れ で は、 第 二 段 階 (決 済) 、 す な わ ち、 A の 出 捐 に か か る 三 〇 〇 が 一 〇 〇 ず つ、 B、 C、 D に 分 配 さ れ る こ と に よ っ て、 決 済、 す な わ ち、 最 終 的 な 債 権 の 消 滅 に 至 る こ と を 説 明 で き な い。 多 数 当 事 者 間 相 殺 が「相 殺」であるからには、債務を消滅させるものでなければならない。   そうすると、多数当事者間相殺は、単に計算の問題に過ぎない、または、計算の問題が多数当事者間相殺の主要 な部分を占めているということはできない。このことは、多数当事者間相殺には、計算の問題よりも重要となる点 が 存 在 す る と い う こ と を 意 味 し て い る。 す な わ ち、 「相 殺」 で あ る か ら に は、 債 権 の 対 当 額 消 滅 と い う 要 素 を 含 ん でいなければならないはずである。     ⒟「多数当事者間相殺=錯綜する債務の対当額消滅」とする考え方(本稿の立場)   そこで、さらに、多数当事者間相殺のプロセスから債権の対当額消滅という要素がどこに含まれているかを考え て み る こ と に す る。 そ う す る と、 第 一 段 階 (清 算) で は、 多 数 当 事 者 間 相 殺 に 参 加 す る 各 当 事 者 の 債 権 と 債 務 の 均 衡 を 図 る た め に ど の よ う な 給 付 が 必 要 と な る か が 計 算 さ れ、 第 二 段 階 (決 済) で、 そ の 差 引 計 算 (清 算) に 基 づ く

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