学校不適応児への遊戯療法に関する一考察
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(2) はじめに. 登校拒否などの学校不適応は増加の一途をたどっている。最近の学校現場の現状を眺め ていると、この傾向は増えこそすれ、減ることはないように思われる。筆者の在籍してい. るT市でも児童生徒数は減少傾向にあるものの、登校拒否児童、生徒数はかえって増加の 傾向にある。これは全国的な傾向であるといわれている。. 筆者は丁市の教育研究センターで三年間適応指導教室の運営を任せられていた。学校に は行けないが適応指導教室には通級できる児童生徒を対象に、筆者なりの援助を行ってい た。そこでは筆者は楽しさを先ず第一に考えて適応指導教室を運営していた。しかし、こ のたび遊戯療法を専門的に学ぶ機会を得た結果、遊戯療法とは楽しさを第一に考えるもの ではないことが理解されてきた。. 筆者が行っていた、ゼ楽しさを第一に」というモットーも、勿論完全には否定できない だろうが、楽しさだけでは不充分であると言わざるを得ないだろう。筆者は自分の好みの 事柄で学校不適応児童・生徒達を(支援しているつもりが)引っ張っていたところがある。 卓球、魚釣り、キャッチボール、野球、料理、トランプ、オセロぐ連珠、.将棋、百人一首、. サイクリング、施設見学など、ともかく今考えてみると、すべて筆者が得意あるいは嫌い でないもので、彼らと接していたことが分かる。彼らが得意でなければそれについて摺導 し上達させ、喜びを味わわせる。これらはすべて、学校教員のやり方である。できないこ とは指導してうまくさせればよいと考える。しかしこの方法であると、個人の好み(ある いは興味のあること)には限界があるので、あらゆるタイプの子どもには対応できないこ とになる。あるいは、拒否されることにもなると言って良いかも知れない。やはりアクス. ラインの児童中心遊戯療法の8面出に従って、子どもに寄り添う方が、対応は臨機応変で あると言える。さらにそうすることは教員(セラピスト)の人間的成長にもつながるであ ろう。〔子ども(クライエント)から学ぶことが多くなり、真の意味で子ども(クライエ ント)を尊:敬する姿勢をも見出せるようになるであろう。〕. 学校教員の集団をあつかうことのうまさ、教えることの巧みさ等の長所を生かしながら、 なおかつカウンセリング的思考・対応のできる存在になれたらいいと思う。適応揚導教室 を運営するにしても、その人の人柄や名人芸的なものでなんとか保たれているという状態 がすべてであってはいけないだろう。重要なことは誰が行っても、程良くうまくいくとい う運営の仕方・方法であると考える。つまり理論が大切なのである。そこで、本研究では 筆者が取り組んだ事例をもとにして、遊戯療法が学校不適応児の自尊感情を修復すること に関して如何なる有効性があるのかを検討することを目的としたい。自尊感情が修復され れば自ずと再適応ができるであろうと考えるからである。.
(3) 目. 次. はじめに 第1章問題と目的. ・一一一…一一一一一……一……一…一一……一一一一一一一一一一一一1. 第1節問題・ 一…一一一一一一一一一一一一一一一一一一…一一一一一一一一一一一一一一一一一…一一一1. 第2節 目的. 一一一一一一一一………一一一…一一一一一……一…一一一一一…・…一一2. 第2章遊戯療法理論と先行研究 一…一一一一一……一一一一一…一…一一…一一一一一4 第1節 遊戯療法の理論. 1 遊戯療法の概念. 一一一・一一t一一一一……一……一一…一一一一…一…一・一一・一一一4. …一…一・一一一一一……一…一一一一一一一…一…一一一一…4. 2 心理療法における遊戯の意義 …一……一一一一一一一一一…一・一一一一一一…4 3 遊戯療法の歴史的経緯 ・’一・・一一・一・p一一一一・一『…一一一一一一一…一一一一一一…一…一一一6. 4 遊戯療法の原理 5 遊戯療法の過程. 一一一一…………一,一一一…一一一一一一一……一一一一……7. 一……一一・…一…一一一t一…一…幽一…一一一’” ’一一一一一一一一9. 6 児童中心遊戯療法 一一…一…一一一一一一一一一一一…一一………一一一一一一一一一p11 第2節 先行研究 一…一…一・一一一……一一一一一一………一一一・…一一…一一一一一一一17. 1 チック症児との遊戯療法過程 ・…一一一一一一一一一…一…一一一一一一………18. 2 自分が出せないためにいじめを受けていた男児の遊戯療法過程t一一一pl& 3 場面絨黙児に対する遊戯療法過程 …………一一一一一…一…一一一…19 4 アクスラインの「DIBS」における遊戯療法過程 …一一…一・一…一一一19 第3章 遊戯療法事例の検討 一一』一一一一一一一一一一…一…一…一一一一一一一一一…一一…一一一22 第1節 事例の概要 t一一一一一一一一一一一一…一…一一一一一一一一一一一…一…一一……一一一22 第2節 援助の方針 ・一一…一一一一一………一一一一一一一……一一一一一一一一一…一一一一…23. 1 援助の方針について ………一一…一一一一一一一……一一…一一…一…一一23 2 面接構造 …一一・一一一一…………一一……t’t曽一‘ 一曹…一一一一F ” 一“’…”一一層一一23. 3 描画テストについて 一一一………一…一一一…一……一一一一一一一一一一・一・・23 第3節 援助過程. 一一一一一一一一一一…一…一一一一一一一・一薗一一’一一”’一一∵一←一一一一一一一一『一m”25. 第’4節仮説の検証 ・一…一一…………一一一一一一一一……一一一一一一一一一一一…一一一一87. 1 仮説の検証のための遊戯療法過程一覧表 一一一…一…一一・一一一一一一一一87 2 仮説1について. 一一一一……一一一一一一一一一一一一一一…一一一一一一一一一一…一一一…89. 3 仮説2について …一一一一一一…一一…・一一一…一一…一一一…一一…一一一一一一一90. 4 仮説3について 一一…………一一一一一…一一一一一一一…一一…一一・・一一一一…92 5 仮説1と仮説2の関係について 一一一一一一一一…一一一一一一…一一一・一・・一一4一一一一一一一93. 6 仮説1と仮説3の関係について 一一…一…一一一一一……一…一…一…93 第5節 考察 一一一一…一一・一一L一一一…一…一一・……一一……一…一……一一一……94. 1 不適応行動の背景について ……一一…一一一一一一…一一一…………一一一94. 2 いじめを親に話せなかったことについて 一一…………一一一一一一一94 3 本事例における卓球のもつ意味について 一一…一一一一・……一一一一一一95 4 描画テストについて. ……一一一一一一…一…一…一一一一・一…一一一一一一t一一一一・一一97. 5 本事例を成功へ導いた条件について 一一…一一一一一……一…一一……101 第4童 総合考察と課題 一一一一…一一一一一一一…一一一一一一一一一一…一一…一…一一一一一一一一一一一一104. 第1節 総合考察 一一一一一一………一一・・一・一一一……一一…一一一一一一一…一一一一一…104. 1 遊戯療法における自尊感庸の修復過程について. …一一一一…一…一一104. 2 訓練中のセラピストの変容について 一…一・・一一一一・一一一…一…一一一一一一一一104. 第2節今後の課題 一一一一一一…………一一一一一…一一一一…一一一…一一一一一……105. 要約 引用文献 参考文献 おわりに.
(4) 第1章 問題と目的. 第1節 問題 村瀬(1996)は「とりわけ、悩みやこころの傷が深い子どもほど、自分を否定約に捉え、. 人間への信頼感を失っています。『生まれてくるのじゃなかった』『誰も自分のことみて いてくれないもん』とつぶやく中学生、なかには『死ぬ勇気がない、サリンをもっとたく さん撒いてくれたらよかったのに』と真顔で深いため息をつく青年もいます」と述べてい る。ここに登場する中学生や青年はまさに自尊感情の欠損した状態にあるといえるであろ う。. 筆者は1980年に、当時担任していた学級の生徒(中学1年生男子)が自殺するとい う事件を経験した。マスコミは当時“校内暴力が原因の自殺”と呼んでいたが、今でいう ところの“いじめ自殺”事件であった。. 詳述は避けるが、結果的に彼は真実を誰にも語らず死を選んだのである。何故真実を誰 にも打ち明けられなかったのか?そして登校拒否をすることもできずに自殺の道を選ばざ るを得なかったのか?. 推察するに彼にとっては、誰も自分の苦しみを真に受けとめてくれる人はいないと感じ たのであろう。あるがままの弱い自分を、評価することなく受けとめてくれる人が誰もい ないと感じたのであろう。. 自殺をするということは、自分の存在価値を認めていないことにもなると考えられる。 あるいは苦しみが大きすぎてそれから逃れるには死を選ぶ他ないと考えたのかも知れない。 いずれにせよ、ひとつには彼の自尊感情が欠損した状態にあったと考えられる。自分とい うものがこの世に存在する価値があると自己判断(認知)すれば、死を選択することはな いであろう。. さらに踏み込んで考えると、彼は自分の追い込まれた心情をどう打ち明けて良いかその 方法がわからなかったのではないか。言語化が困難であったのではないか。そういう自尊 感情の欠損状態にあり、言語化が困難な子どもにはどう関われば良いのか。 筆者はこの事件以来、このテーマを心の片隅で常に考え続けてきた。教員を続けている 限り、否、人間として存在する限り忘れられない問題である。. 一. そんなとき、遊戯療法という心理療法に巡り会えた。 ある子が言語的に意志表示が困難であっても、その態度や動作で心情を推し量る洞察力 が教員には必要である。その点に関して非言語的な関わりを通じての心理療法である遊戯 療法を学ぶということは最適であると考えられた。. 心理療法はたやすくできるものではない。しかし、時代が物質的に豊かになればなるほ ど、ある面では精神的に貧しくならざるを得ないのが人間というものであるのかも知れな い。それ故、学校現場にもカウンセリング的対応、発想というものが必要になってくるの ではないか。というのは問題行動の現象面だけを表面的に見るのではなく、その行為の奥 にある心理的メカニズムを理解する必要があるからである。頬処療法的対応(学校現場で はそうせざるを得ない現状であるのかも知れないが)だけでは不充分なのである。積極的. 生徒指導を行ううえでも、問題行動の起こる心理的メカニズムを理解する必要があると考 えるQ. −1一.
(5) 第2節 目的 学校教員のなかにはカウンセリング等の心理療法に対して懐疑的である者が多い。かく いう筆者もかつてはそうであった。学校現場にカウンセリング的受容態度をもって臨めば 集団の収集はつかなくなるのではないかということがその理由のひとつである。それとと もに、カウンセリングの本質に関して無知な教員が多いのも事実である’ B実際学校現場で. は反社会的な行動に対する対処療法的な対応に追われ、腰を据えてじっくり人間というも のの発達心理なり児童心理・青年心理を研究する動きは全体としては少ないといわざるを えない。というよりも、良いとは感じてはいてもそこまで時間的・心理的余裕がないとい うのが現状であろう。しかし、学校教員集団には真に値打ちがあると判断すれば少々の苦. 労は厭わない者が多いのも事実であるGそれならば、何故カウンセリング的なものについ て積極的に学ばないかと考えると、そこには前述したカウンセリングに対する懐疑的な姿 勢があることも大きな原因のひとつになっていると思われる。真に有効であるという確信 が持てれば、真摯に学ぶ者がもっと増えてくると考えられる。そこで筆者がカウンセリン グに対して懐疑的な教員の一人(現在はそうではないが、信じたいために疑い続けるとい う姿勢をもつ一人)として、実体験を通じてその真価を体得できれば、一般の教員に対し て自信を持って啓発していけるのではないかと考える。そのためには筆者自身が事例を通 して心理面接の有効性を出走し、体感する必要がある。. 筆者が今後、主に関わるのは小・中学校の児童・生徒たちである。中学校の生徒という のは言語を媒介とするだけのカウンセリングをするには言語表現能力が発達的に今一つ未 熟な段階だと言わざるを得ない。まして小学生はなおさらである。そこで幸いなことにこ の度、小学校六年生から中学一年度になる不適応児の心理面接を担当する機会に恵まれた。 この事例の過程を追い、総合的に考察することで筆者の希望していた研究ができることと なった。. 本研究では、ロジャースの来談者中心療法の立場から、「個人の中にある成長への力を 解放させる」また、アクスラインの児童中心遊戯療法的立場から「遊戯療法過程は成長へ の過程である」という仮説に基づき、学校不適応児の遊戯療法過程を分析し遊戯療法場面 における、子どもの成長・発達の過程及び訓練中のセラピストの変容を明らかにするもの である。. アクスラインの児童中心遊戯療法を適用したのは、本:事例のクライエントに対して最も. 有効であると考えられたことと、初心者のセラピストにとってはこの方法から入るのが適 当だと考えられたからである。. そこで心理面接に懐疑的であった筆者が具体的に検証しようと考えたことは、遊戯療法 においては今や当然ともいえるような以下の仮説である。しかし、当然といえるほどの仮 説が、遊戯療法を初めて行う一教員である筆者に検証できるならば、それはまさに誰しも 納得いく仮説といえるのではないかと考える。そうすることによってのみ一般の心理面接 に懐疑的な教員集団に対しても説得力があると考えるからである。 具体的に検証したい仮説は、以下の3点である。. 仮説1 セラピーの進展に伴って、遊びの種類、遊び方には子どもの成長発達を裏付け. 一2一.
(6) るような一定の変化が示される。. 仮説2 プレイ場面における成長・発達に伴って、子どもの目常場面での行動にも変容 が認められる。. 仮説3 セラピーの進展に伴って、訓練中のセラピストの態度や技法がポジティブに変 化してくる。. 一3一.
(7) 第2章 遊戯療法の理論と先行研究. 第1節 遊戯療法の理論 1.遊戯療法の概念 アクスライン(1947)は、「遊戯療法は、遊びが子どもの自己表現の自然な媒体である、. という事実に基づいています。それは、ちょうど、ある型の成人向きの治療において、個 人が自己の困難な事情を『話すことにより表出する』ように、自分の気持ちや問題を、子 どもが『遊ぶことにより表出する』ために与えられている一つの機会であります。」と述 べている。. また前田(1986)は、「プレイセラピーとは、『遊び』を治療的手段とする心理療法であ. る」としているQ また山下他(1978)は「遊戯療法はプレイを媒介として展開されるクライエントとセラピ. ストとの間の特殊な心理的相互交流を通じて、クライエントの、主として性格、行動上の 問題を解決し、ひいてはその個人のパーソナリティの発達を促進することを目的とした、 実践的な援助活動である。ここでいう特殊な心理的交流とは、治療的人間関係ともいうべ きものである」と述べている。 村瀬(1990)は、「遊戯療法とは、言語によっては十分に表現をするには至らないクライ. エントを対象に、遊びを主な表現、コミニュケーションの手段とする心理療法である。」 「遊戯療法は心理療法が子どもに行われた際に、たまたまとる形態であり、その過程は心 理療法のそれである。」と述べている。. つまり子どもという、言語による感情表出が末細でしかも遊びが好きである存在にとっ て、遊戯療法は相応しい心理療法であるということができる。しかもそれは、遊びという 形態をとってはいるが、成人に対する心理療法と全く同様の過程をたどるものだと考える ことができる。. 2.心理療法における遊戯の意義 まず、遊ぶということが子どもにとってどんな意味を持つのかを考えていく必要がある。 内山他(1976)は「子どもは、雨親の愛情や保護を得たいという願いをもっている。その反. 面、両親に反抗し、攻撃したいと思っている。これらの欲求が阻害されるとき、子どもの 情緒や行動上の障害が始まると考えられる。この不幸を未然に防いでくれるものが遊びで ある。このように遊びはそれ自体治療的機能を有している」と述べている。 次ぎに同じく内山他(1976>は、「遊戯療法が、子どもの情緒や行動の障害を扱うために. 利用されるもう一つの理由は、治療者と子どもとの間に、望ましい治療関係を設定するの に効果的であるということである。子どもの種々な問題を治療しようとする時、障害とな. るのは言語の未発達と、自分からすすんで治療を求めてこないという2点である。これら の障害を克服してくれるものが、遊びである」と述べてその意義づけをしている。 また前田(1986)は「子どもは遊びの中で、創造主を養い、社会性を培い、運動能力を発. 達させる。遊びを通しての他者との情緒的交流は、子どもの精神発達には不可欠のもので ある。小学生ともなると、 f評価されない』体験がもてるということに意義がある。プレ イセラピーを受けに来る子どもの多くは、自己評価が低い。そのような子どもたちが上手、. 一4一.
(8) 下手を気にしないですむような人間関係をセラピストが築き上げるところに、治療的意味 が生じるのである」と述べている。. ’. 村瀬(1990)は、子どもの単独あるいは集団の遊びを、日常場面や臨床場面での観察を通 して次のように捉えている。. ①言いたい、やってみたいが現実生活では許されないことを、遊びの場で果たそうとす る。現実について、色々空想をめぐらせることにより自らを慰めたり、欲望を満足させる。 ②現実には許されていても、あるいはそう振る舞うことが期待されていることでも、自 分一人ではできないことを遊びの場で反復して自分を訓練しようとする。現実をマスター していく力の育成。. ③とかく指示され、受け身的立場におかれる現実状況とは違って、遊びの場では、子ど も自身がリーダーとなり、自分の意志決定を実行に移すことができる。能動性、主体性を 獲得するたすけとなる。. ④遊びはコミュニケーションの道具である。遊びを通して、子どもは人と人との絆を信 じうる。言葉の通じない、国籍の違う子どもたちは遊びを通じて協力し、楽しんでかかわ れるし、言葉を獲得していない障害児との間にも、遊びを通して交流が可能になる。 ⑤遊びという、現実生活の実利や様々な拘束から、やや解き放たれた自由な時空間の中 では、創造性を芽生えさせ、発展させやすい。 ⑥遊びは教育的な機能をも持っている。. そして、こう締めくくっている。「以上のように、遊びの性質を捉えられるが、遊びに 没頭している子どもを見ると、まさしく遊び自体が子どもの r生』そのものである。(中 略)非現実でありながらもかたや現実でもありうるという、独特の中間領域なのである。 実際、本当に遊んでいる子どもというのは、まさにζれら現実と非現実の世界にまたがり ながら、そこに精神エネルギーをひたむきに集中しており、その子はまさに高度に統合さ. れた1つの世界を生きているのであるaこのことは、人生の達人とされるような成人が困 難な事態を処するに際して、真剣に本質的にとりくみながらも、よきあそび心をもち、難 しい課題克服の過程を味わい楽しみすらおぼえているという事情に一脈通じるかも知れな い。ウィニコットが精神療法とは、患者さんを遊べるようにしてあげることだと語るのが 臆におちるゆえんである。」. まさに至言である。遊戯療法の本質をみぬいた言葉ではないかと考えられる。 また平野(1995)は「児童の遊びの中に真剣さを見いだし、さらに児童の遊びを真剣なも. のへと変えてゆく治療者の関わりが、遊戯療法をより治療的にさせるということであ る。」と述べている。これぽ先の村瀬の主張と相通じるものであると考えられる。 さらに平野は遊びの真剣さをこう位置づけている。「第!に、児童が遊びに真剣に取り. 組む時、その遊びは自由に創造力を働かすことの許される場となり、自分自身の内的世界 の表現と体験の場となる。(中略)したがって、遊びに見られる真剣な感情とは自由連想 や象徴といった成人の心理療法において重要とされる心的活動と同様のものが児童の中で. 作動していることのあらわれであると言うことができるだろう。第2に(遊戯という表 現)手段は、児童が己れの葛藤に向き合おう、それによって大人へと成長しようとする方 向へと向かっている。このような意志なり目的があることが、遊びを真剣なものにさせる のである。」その際、大切になってくるのが「治療者が児童の遊戯を真剣とみなすこと」. 一5一.
(9) であるとも述べているQこれは極めて重要で、肝に銘じなければならないことのように思 われる。というのは、ややもすると遊戯療法というものは成人に対する心理療法よりも軽 んじられる傾向があるようだからである。しかし、これは明らかに誤解であるといえるだ ろう。むしろ言語化できない子どもに対する心理療法であるから、より一層難しいと言っ ても過言ではないのではないかと思われる。 さらに平野は、「遊びに、は苦痛な現実を楽しいものに変えるという現実否認の側面があ. り、楽しい時間を過ごすことで児童の不安に固まった心を解放し、情緒的な発達や現実を 処理する力の成長をうながすこともあるだろう。(中略)日常生活では受け入れられない ようなネガティブな感情や衝動を表出できることも自己受容感や自己肯定感を育む機会に なると思われる」と述べている。. 以上様々な遊戯療法の意義を諸家の論考を参考にして述べてきた。遊戯療法とは単に楽 しく遊ぶことではないことが明確に理解された。そこでの遊びは遊び半分であってはなら ないのである。クライエントが真剣に遊び、それにゼラピストが真剣に応えることによっ てはじめて遊戯療法の遊戯療法たる意義があると言えるだろう。. 3.遊戯療法理論の歴史的経緯 高野(1988)の述べているものを参考にして、遊戯療法発展の歴史的経緯についてまとめ てみたいQ 遊戯療法理論の先駆は、フロイト(Freud,S.,1908)の精神分析理論であるといわれている。. しかし、その考え方が実際の治療に活用されることはなかった。この考え方を実際に子ど もの心理療法に適用したものとして、フッグ・ヘルムート(Hug−Hellmuth,H.von,1921>を挙. げることができる。フッグ・ヘルムートは、幼児の心理療法における遊びの重要性を明ら かにしている。したがって、フッグ・ヘルムートは遊戯療法を実施した最初の人であった ということができるであろうQしかし、当時は遊びを心理療法に利用することはむしろ、 “いかがわしいもの”という見方が強かったようである。 その後、遊戯療法の初期の発展は、メラニー・クライン(Klein,M.,1932)やアンナ・フロ イト(Freud,A.,1928)等の精神分析的立場の研究者によって促進されたのである。しかし、. この両者の間には、同じ精神分析的な立場をとりながら大きな差が認められるのである。 すなわち、クラインは、子どもは自由遊びにおいて、無意識の願望、恐怖、快楽及び葛藤 などを象徴化すると考えたのである。そして、幼い子どもでも、遊びを用いることで精神 分析理論が適用できるのであると考えたのである。一方、アンナ・フロイトは、児童分析 が開始されるまでに、治療者に対する子どもの依存性を高めたり、信頼感を得るための手 段として、遊びを用いることを考えていたのである。つまり、クラインは、象徴的遊びの 解釈を強調するのであるが、アンナ・フロイトは、治療者と子どもとの関係を重要とする のである。このようにして、同じ精神分析理論に属しながら、二つの流派(前者をイギリ ス学派、後者をウィーン学派と呼ぶ)が生じたのである。. 精神分析学的概念を使用しながらも、上記の2者の精神分析学的遊戯療法とは基本的に 反対の立場をとったのが、マーガレット・ローエンフェルド(Lowenfeld,M.,1939)である。. ローエンフェルドは、遊びの形式原理、すなわち形態の面に注意を向けたのである。この 遊戯療法では、砂箱とその中に配列される遊具が使用される。いわゆる、サンドプレイと. 一6一.
(10) 呼ばれる技法である。(その後、この技法は、ローエンフェルドに教えを受けたカルフに よって、ユングの分析心理学の考えを導入して、現在の成人にも効果のある箱庭療法へと 発展していったのである) 精神分析的解釈と空間的形態とを関連づけようとしたのが、エリクソン(Erlkson,E.H.,. 1940)である。エリクソンは、子どもの遊びを発生的経過の再構成であり、子どもの生活史 の表現としてとらえ、子どもの遊びを形態分析的に記述すれば、その象徴的意味が分かる と考えたのである。 また、エリクソンと同じ頃に、レビィ(Levy,D.M.,1939)は、遊びそのものが持っている. カタルシスの機能を十分に発揮させることが治療効果を上げやすいと考え、解放療法を提 唱した。この療法では、カタルシスを発揮させるために人形遊びを用いたのである。 レビィと、時期を同じくしてソロモン(Solomon,J.C.,1938>カs’活動的遊戯療法を提唱して. いる。子どもの問題は、その生活環境に力強い安定した成人がいない場合に起こると考え、 治療者に力強い成人者の役割をとることが要求された。この活動的遊戯療法に近い考え方 が、後にハンビッジ(Hambidge,G.Jr.,1955)によって発展される。 また、同じ頃、アレン(Allen,F.H.,1942>が、もともとランク(Rank,0。,1945>によって提. 唱された関係療法を大成させている。. 1945年頃、アクスラインが、上述したような遊戯療法の批判の上に、ロジャースの 来談者中心療法の原理と方法を遊戯療法にとり入れたのである。いわゆる、児童中心遊戯 療法である。アレンの関係療法にしても、この児童中心遊戯療法にしても子どもの自己成 長の促進という面を強調している点においては同じである。しかし、その自己成長の仕方 を治療者による指導を重視しているのがアレンで、完全な非指示性を強調しているのがア クスラインである。この児童中心遊戯療法の立場に立って、その後、ドルフマン(Dorfman, E.,1951)、ムスタ心配ス(Moustakas,C.E.,1959>らが研究を続けていくのである。. 上述のように、遊戯療法は、比較的短期間に種々な理論的立場を生みながら、現在の姿 にまで発展してきた。欧米においても遊戯療法の歴史は浅く、まして日本ではいつそう浅. いものでしかない。しかしながら、1958年から1965年にかけて、学会にも多数の 論文が発表され、これらの業績に伴い、現在では全国のほとんどの子どもの治療に関する 施設では遊戯療法が用いられている。. 4 遊戯療法の原理 東山(1982)は「遊戯療法の世界」のなかで、興味深いたとえ話を書いているp少し長く なるが、引用してみよう。. ある入から、牛の訓練をする名人の話を聞いたことがある。牛の中には、性格や環境、 素因によるのだろうか、暴れたり、まっすぐ耕さなかったり、なかなか言うことを聞かな いのがいる。そういう牛は、訓練士に一週間組預けて訓練してもらうのである。牛の訓練 名人と言われているその人は、どのようなひねくれ牛でも一週間あれば治すそうである。 彼の訓練方法は他の入のそれとは少し違っている。彼は訓練場としてかなり広い泥田を用 意している。連れてこられる牛は、例外なく警戒的であり、言うことなど聞いてやらない そと不敵に構えている。. 一7一.
(11) 彼は牛を連れて泥田へ行き、牛に一言二言、声をかけて、そのまま泥田へ放してやるの である。牛は、はじめ戸惑いを感じているが、そのうちに、田んぼを走り回ったり、ころ がったり、あぜの草を食ったり、好き放題に遊んでいる。名人はそれを、キセルをくわえ ながら見ている。長い時は三日も四日も見ているのである。名人はただ見ているだけであ る。. そのうちに、牛がリラックスしてき、名人の方を気にしだすそうである。なぜ、この人 は自分に何も言わないのだろうと。そして、「も一う充分遊んだ」と牛が言うまさにその 時に、名人はやおら立ち上がり、牛にすきをつける。牛は、やはりこれが人間の本性かと ばかりに、すきを引いて、あちこち走り回る。名人は、牛の後を牛の行くとおりについて いく。牛はこれでもか、これでもかというように縦横無尽に走り回る。名人はそれでも牛 の行く通りついて走る。. 数時間たつと、牛は立ち止まって、不思議そうな顔をするそうである。名人がにっこり して、「さあ、まっすぐ、まっすぐ」と言うと、牛もにっこりして、まっすぐにすき始め る。. 私はこの話を聞いて、名人はやはり名人だと感心した。それは、目的は違うが、名人の 態度と呼吸が、プレイセラピストのそれと非常に似ていることを直感したからである。プ レイセラピーにおいて、子どもとセラピストがともに自由にしておれる場が必要であるこ と、簡単な場面構成をして、子どもが自然に動けるまで待つこと、ここというタイミング を逃がさないこと、子どもに任せてどこまでもついていくことは、プレイセラピストの基 本的態度である。名人と牛のように、プレイセラピストが子どもとの関係を作れば、子ど もは自らの存在を自覚できるようになる。. 東山は、プレイセラピストがこの牛の名人のように子どもとの関係を作れば、子どもは 自らの存在を自覚できるようになると書いている。. 名人は「あるがままの受容」を牛に対して行い、牛がどういう行動をしても批判しない. という「許容的雰囲気」を作っているQそして牛との「良い関係」を成立させている。そ して泥田という場の中でのみ牛を自由にするという制限を設けている。まさに「非指示的 態度をとり」牛の後に従っている。さらに牛の様子を観察し、「じっくり待つ」態度をく ずさない。牛の本性を信じて待つ姿勢を堅持しているので、牛に「自信と責任を持たせ」 ているといっても良いだろう。. 子どもと牛を同等に扱うことにはいささか抵抗のある方もおられるであろうが、象徴的 表現として捉えるならば、許せる範囲であると考えられる。 牛の訓練名入は何も遊戯療法を意識して行動しているわけではな:いだろう。しかし、こ. こに自己を言語によって表現し得ない存在に対して、とる態度には共通するものがあると 考えられるのではないか。われわれは「名入」のやり方に学ぶところ大である。思えば、 ゆったりと時間が流れていた古きよき時代の子育てはかくあったのではないかと思われる。 子どもを暖かく見守る慈愛に満ちた母あるいはおばさん等がいて、その存在の前で子ども は思う存分「遊ぶ」ことができたのではないだろうか。しかしながら、時代が新しくなり、 幼児期からやれ早期教育だの習い事だの、子どもの自由なありのままの遊びを思う存分す. 一8一.
(12) る時間的、空間的、心的余裕がなくなってきているのが現在ではないかと考えられる。 遊戯療法の場では、クライエントは日常生活ではしたくても出来ないことを思う存分す ることが出来る。たとえば入(セラピスト)を従え、自分がリーダーになることもできる。 自分のありのままの言動をそのまま出しても否定されることもない。このことはクライエ ントにとって、自分の存在をおおらかに肯定してくれる他者の存在を認知することにもな る。ひいては人間への信頼感の回復にも繋がり、自己肯定感、自尊感情の獲得にも繋がる。 さらに遊戯療法の場では、クライエントはいじめっ子にも、母にも、父にも、兄弟姉妹に も、学校の先生にもなることが出来る。これは目常生活での役割反転を体験できることに なり、それは自己を客観的に見ることに繋がる。. 誰しもスポーツや趣味の世界で、対人的にうまくいけばそのことが実生活の自信につな がるものである。それと同様のことをクライエントは遊戯療法という守られた空間・時間 のなかで体験することが出来る。これが、日常生活でほどよく適応していくための壷井と なって自信を得ていくのであるQ. 5 遊戯療法の過程 遊戯療法過程における主要な仮説モデルを挙げてみると、 上田と吉田(1969)は学校恐怖症もしくは神経症的登校拒否と呼ばれる幼稚園児、小学生. 児に遊戯療法を行ってその治療過程を5段階に分けている。 第!段階:. 受動的で堅い姿勢、表情は無表情に近く、寡黙的で、ともに堅い自己概念で身辺をとら えていて、この敵意や拒否、消極的なかたちでの反抗的態度によって、自己を強く守ろう としているようであるQ. 第2段階: 治療場面が症児に脅威や不安を与え、自己概念を突き崩すものでないことが認知されて くると、内的緊張がほぐれて、抑制、抑圧されていた感情が徐々にとけ動き出して活動性 を帯びてくる。このようなときに症児は治療者に対して、器物を壊したり、粗暴な言動に 出たりして治療者の許容性を確かめたりする。徐々に硬直した自己概念がとけ出していく。. 第3段階: 症児にとって、この新しい体験は、家庭における過保護的でありながら、深い次元で愛 情を受けとめられていないために、深い愛情体験として経験される。内的に満たされない で持っている依存感情を受容されたことから、治療者に依存的となり、治療的退行が起こ ってきて、これによって、治療関係が促進され、緊密化されて、信頼関係は強いものとな ってくる。. 第4段階: プレイの内容が治療者をまじえて、社会化された形になって、症児の方から積極的に治 療者をリードしていくようになり、治療場面を完全に自分のものとして取り入れて行動し、 非生産的な態度から、生産的な態度へと動けるようになってきて、暖かい受容された人間 関係の中で、経験を自己のものにしていけるようになる。. 第5段階: 言語量は増大して、自由に自己の感情を表明して、あるがままに行動するようになって. 一9一.
(13) きて、治療者と症児の関係においても、適度の距離をおいて柔軟な態度を取るようになり、 遊戯療法の意味を症児なりに把握するようになる。 深谷(1974)は折衷的立場でいろいろな遊戯療法に通じる遊戯治療過程の一般的モデルを. 示しているQ. 第1段階:模索期 場の理解が未成立であるため、不安や緊張が高く、探索的行動に終始する。セラ ピストにも警戒を顧るめず、くり返し探りが試みられる。. 第2段階:行動化期 場の理解が確立し、防衛的態度もゆるみ、セラピストとの治療関係が次第にでき 始める。それに支えられて行動は自由さを増し、自己表現も可能となってくる。. 第3段階:攻撃性拡大期 セラピストとの治療関係に充分支えられ、薪しい行動が開始される。しかしそれ は建設的なものではなく、多くはそれまで抑制していた攻撃性の発揮である。攻 撃性の発揮は子どもが自己受容能力を高めたことを示している。. 第4段階:創造と再生期 今までの否定的行動、攻撃的行動は滅少し、代わりに、創造的で建設的な行動が 増加していく。. 第5段階:離反期 日常場面でよい行動が可能になるにつれ、プレイルームの魅力が減少してくる。 クリニックに来たがらなくなり、終結を待つようになる。 また山下(1978)は遊戯療法の治療過程を、導入期、展開期前期、展開期後期、終結期の. 4段階に大まかに区分し、各期の特徴を、〈来所への動機づけ、保護者との分離〉<遊び ・行動〉〈感情;不安t緊張など〉〈治療者との関係〉〈症状・問題〉〈治療者の動き〉 及びく親の態度〉という7つの観点から・具体的行動レベルの特徴を挙げている・ここで はその4段階の更に特徴的なものを簡単に紹介する。. 第1段階:導入期 分離不安(seperation anxiety)が強く、プレイルームに入ること、および親と の分離に相当な抵抗がある。親にしがみつき泣き叫ぶことがみられる場合もある。. 入れても、入り口近くに立っているだけであったりする。それゆえ遊べない。遊 んだとしても、不安を解消するために落ちつきなく、断片的におもちゃに触る。. あるいは見てまわる程度。顔の表情は不安、緊張を抑圧して無表情を装う。治療 者に対しても治療者が目に入らないように“無視”を装う。. 第2段階:展開期前期 仕方なくプレイルームに入る程度。でも保護者にとっては症児を連れてくるのは 比較的楽になる。一つのおもちゃで遊ぶ時間がやや長くなる。いくらか工夫して 遊ぶようになる。行動に雪気が出てくる。動きが速くなる。未分化な感情の表出、. 初期の不安、緊張は薄れてくるが、焦点づけられた感情の表現はされないQ治療 者の話しかけには直接応答しないが、単純な応答、「うん」とか、「違うよ」な 一10一.
(14) ど、次第にラポートが形成されてくる。その他、治療室での遊びを家庭でくり返 したり、遊戯室であったことを親に話したりしている。. 第3段階:展開期後期 症児が来所することを待ち遠しく思うことがある。プレイルームに入ると、すぐ、 遊び始める。遊ぶ時間を気にしたり、友だちを連れて来たがつたりする。一つの 遊びが連続する。まとまりのある構成的、統合的遊びが出てくる。治療者を自由. に遊びに引き込む。活動水準が高まり、攻撃的・破壊的行動を不安なく自由に表 出することができるようになる。感情の発散(カタルシス)がしきりに現れる。 比較的自由な会話ができる。治療者との競争的、共同的関係が遊びを通して自由. に表現される。また、攻撃(aggression)、依存(dependency)、退行(regres 、sion)等が強く表現されることがある。また、症状の改善が認められたり、一時 的に今までにない問題行動が出現したり、症状の転換が外の形で現れたりする。. 第4段階:終結期 次第に、「まだ行かなければならないのか」「学校の勉強の方が良い」「友だち. と遊んだ方が良い」などという発言がみられるようになる。来所することの動機 づけが次第に低下する。行動そのものに落ち着きが見られる。治療者と座り込ん で話をしたり、逃避としてではなく、没頭して本を読んだりして、遊具に手を付 けないことがあり、つまらなさそうなそぶりを示す。しかし、一つの遊びを憾め ると、集中して遊び始める。感情や、意志を自由に治療者に伝える。会話にめり はりがでてきて、子どもらしい躍動感が感じられる。落ちついた語らいができる。 親や、教師から〈これなら、やっていける〉〈見違えるように変わった〉という 積極的な評価や、気持ちが治療者に伝えられる。 上記のような、遊戯療法の主要なモデルを概観してみると、ほぼその治療の流れが同じ 方向に向いて行くことが分かってくる。この遊戯治療場面にいるクライエントはセラピス トの暖かい受容的態度に支えられて、内在する成長力を回復して、本来の自分を取り戻す ようになる。いわゆる子どもの遊戯治療過程が子どもの成長発達の過程であることが理解 されてくる。. 子どもは遊びの中に自らを的確に表現する。このことが、遊戯療法を成立させる一つの 柱になっている。同時にそれは、診断、評価、発達研究のためにも利用価値の高い情報を 提供する。. 6 児童中心遊戯療法 アクスラインの児童中心遊戯療法の基本になっているパーソナリティ構造論について、 アクスライン(1947>は、 「各個人の内部には自己実現を完全に成し遂げようとして、たえ. まない努力を続けている、ある強い力があるように思われる。この力は成熟しようとする 動因、独立しようとする動因、自己を方向づけようとする動因などの特徴を持っている。 この成長しようとする衝動を直接満たすためには、本当の自分になれるおおらかな雰囲気 や、自分を一曲入ばかりでなく自分でも一完全に受け入れること、あらゆる人間の生得的 な権利である尊厳性が個人に当然あたえられていること、などを必要とするのである。個 一 11 一.
(15) 人の行動は一つの動因、つまり完全に自己を実現しようとする動因によって引き起こされ る。この動因が外部の圧力で疎外されたときには、この目標に向かっていた成長が止まる のではなくて、欲求不満が作り出すところの緊張を起こさせる力のために、ますます惰力 を増して行動を続けるのである。個人の行動は、その個人が完全な自己実現を期そうとす る試みのために創りあげられた、内的な自己概念と、必ずしも一致するわけではない。行 動と自己概念が一致していて、寒入の内部に創られた自己概念が外部へ表現されても、少 しも不適当なところがなければ、その個人はよく適応しているという」と述べている。こ のような考えの上にたってみると、個人の不適応という行動は、自己実現の動因を表面化 させるに必要な諸条件が否定されたときに起こり、その否定は、個人の内的自己概念が十 分に表面化できず、歪曲した自己実現として表れたものと考えられる。そして、この自己 実寸の動因を表面化させるのに必要な諸条件を満たしてくれる場所が、すなわち、アクス ラインが述べている「よい成長の場所」なのである。又、アクスラインは、「遊戯治療室 はよい成長の場所である」とも述べている。つまり、自己実現のために必要な成長の場で あり、機会が治療なのである。それが最も相応しい条件のもとで、自己実現ができない子 どもの成長や自己実現に役立つものが遊戯療法であると、アクスラインは考えているので ある。. アクスラインの児童中心遊戯療法は、言うまでもなくロジャースの来談者中心療法を遊 戯療法に応用したものであるeこの遊戯療法のバイブルともいうべきものを8原則にそっ て追っていきたい。. <ラポートの確立> 1) よい治療関係(rapport)を成立させる。. 治療者が初めて子どもに会う。最初の面接が始まる。場面構成が始まる。微笑みはいつ もあたたかさと親密さの度合いの指標となるQ 子どもによっては、母子分離ができていなくて母から離れにくい子がある。治療者は子 どもを依存的にしている母親に対する準備もしておかねばならない。あくまで子どもが自 分で遊戯室へ入るようにしなければならない。仮に子どもがなんとか入っても、ドアを囲 めることを嫌がった場合には、無理にドアを閉めることはしない。子どもが自発的に閉め. るようになるようになるまで待つことであるQそれまでの治療者と子どもとの関係がもの を言う。信頼関係さえとれれば、子どもがドアを自尭的に閉めるものである。 「遊戯室で行っている行為を褒めることは治療には役立たない」なぜか?例えば、絵の 具を使って絵を描いていて、子どもが絵の具をこぼした。そして彼は絵の具の雑巾を取っ て拭こうとした。それに対して治療者が<∼ちゃんは慎重なのね。こぼした絵の具を拭い. たわ〉と言ったとする。その時から、彼は自分がどんなに慎重であるかを見せ始め、rぼ く、こんなに慎重だよ。ね、ぼく慎重だよね曇と言うよう}となる。それは『慎重な』行為 をして褒められたからである。治療者は褒めることによって、知らず知らず子どもの行動 を指導していたのである。「遊戯室で行っている行為を褒めることは治療には役立ちませ ん」. 褒めることは証すことと表裏一体である。両刃の刃であることを骨身にしみさせなけれ ばならないQ. −12一.
(16) 制限は初めから子どもに伝える必要はない。制限せざるを得ないことが起きてからでよ い。子どもがおもちゃを壊すと言った場合、〈壊したいのね〉と反射してやればよい。そ ういう子どもの心をその都度反射しているうちに、子どもは安心してくるものである。そ して開けたままになっていたドアも次回の面接からは自分で閉めるようになるのである。. ラポールの確立を先ず優先させたい初回面接ではあるが、その内容はやはり8原生の他 の原則も充分活用していかなければならないことが分かる。. <子どもを完全に受け入れること> 2) あるがままの受容(acceptance)を行う。. 子どもを完全に受け入れることは治療者の態度で示される。治療者は子どもと穏やかな 落ちついた親密な関係を維持する。もどかしがつたりするところを少しも見せないように する。治療者は直接的であろうと含みある言い方であろうと、とにかくどんな批評もど∼し. な非難もしないように用心する。またもろもろの行いや言葉に賛辞を与えるのを避ける。 これはすべて治療者の側で警戒しなければならないことである。子どもは敏感なもので、 ほんのささいな治療者側にある自分に対する拒否的な態度でも見破りがちである。 親が子どもを矯正しようとしているからこそ相談所に連れてきたのであるから、当然親 は全部とは言わないまでも、子どものある面を拒否しているのだ、という結論に達する。 従って子どもを完全に受け入れることこそ治療を成功させる一番大切なことだと思われる。 治療者に完全に受け入れられなければ、子どもは自分の真実の気持ちを表現する勇気を湧 かせることはできない。ただし受け入れるということは、子どもがしていることを是認す るということではない。この点はどんなに強調しても強調しすぎることはない。子どもが 表現するかも知れない否定的な気持ちを是認するのは、役立つというよりむしろ妨害にな るといった方が良い。. 子どもが治療者に対して拒否的で、遊戯室で遊ぶのを嫌がっているようなときに、無理 に何かをさせなければならないと考えるのは間違っている。思うままに遊んだり遊ばなか ったり、又思うままに話したり話さなかったりするのは、子どもの権利なのだ、というこ とを最初の説明に含めておくのがよい。. 子どもを受け入れることは、最初の面接を確立したり、子どもを部屋へ入れて活動させ たりすることよりもいっそう大切なことである。治療がうまく軌道に乗ると、治療者は、 子どもが行ったり話したりするすべての事柄に対して受容的な態度を持っていなければな らない。非指示的療法の過程はいろいろからみあっていて、ある原理がどこから始まり、 又別の原理がどこで終わるか、などというのは難しいことである。それぞれの原理は重複 していたり、相互依存的であったりする。例えば治療者がおおらかな気持ちでいなければ 受け入れることはできない。又受け入れていなければ、おおらかな気持ちにもなれない。 治療者が尊敬していない子どもに選択の責任を与えるわけにもいかない。これらの原理を 治療者がどの程度実行にうつせるかというその度合いが結局、治療がどの程度の深さまで 進行しうるか、ということに影響すると思われる。声の調子とか顔の表情、それに治療者 の示すゼスチャーさえも、その場面にもたらされている受容の度合いを増したり減じたり するものである。. 一13一.
(17) <おおらかな気持ちをつくりあげること> 3) 許容的雰囲気(feeling of per皿issiveness)を作る。. 治療時間は、子どもが使いたいようにして使うための子どもの時間である。その時間に、 子どもが遊戯室で示す気持ちは、治療者のつくりあげるおおらかな雰囲気によって深めら れる。おおらかな雰囲気というのは、治療者の子どもに対するときの態度とか、顔の表清 とか、声の調子とか、又振る舞いなどでっくりだされる。も・し、子どもが故意に水を撤い. たとき、治療者がすぐにそれを拭き取ったりすれば、言葉でこそおおらかさを示していて も、いくらかそれを無効にする。. おおらかな雰囲気というのは、子どもの希望に従って道具を使ったり使わなかったりす る選択を意味している。. 遊戯室に入っても、一言も言わずに黙っている子をどうしたらいいか、という疑問がよ くもちあがる。そういうときにも治療者は指示せず、誘いもかけずにいることが望ましい。 全く暗示などがない状態に打ち立てられたところの、絶対的なおおらかさがいっそう治療 を成功させるのに役立つと思われる。子どもの行動の方向を決めるのは子どもである。治 療者の支持的な妨害はかえって独立へ向かおうとする進歩を遅らせるだけである。 子どもはその場面に安定性を感じていればこそ『よい』気持ちと同時に『悪い』気持ち も表面に出せるのである。治療者への信頼感は、治療者が一貫して基本原理を適用する場 合にだけ生じてくるものである。. 激励、是認、賞賛などは非指示的遊戯療法の時間には禁物である。このような治療者の 反応は、子どもの活動の型に影響をおよぼすか、罪の意識を助長するかのどちらかの傾向 を持っている。あくまで雰囲気は中立でなければならない。. 子どもは自分の良い面も悪い面もすべて出すことができて初めて緊張を追い払えるので ある。そして情緒的にくつろげるのである。そこには建設的な行動への足がかりが横たえ られたように見える。子どもは今までの気持ちを清算して、新しい気持ちになろうとして くる。そうした経験が子どもの行動に洞察をもたらす。自分に対する信頼感もわいてくる。 子どもは、自分で物事をやりおおせられるということを経験から知るのである。 〈感情の認知と反射> 4) 適切な情緒的反射(emotional reflexions)を行う。. 最初の面接では、しばしば治療者の応答はやや堅くなるようで、子どもが表現している 気持ちにではなく、内容に対して応答しがちである。しかし、気持ちを解釈しすぎるのも 良くない。子どもが人形を使って自分のことを象徴していると解釈できるような場合でも、 子どもが自分の媒体として人形を使う必要があると思っているうちは治療者もそれを使う べきである。子どもに先回りして解釈しすぎると、それが子どもの本質を突いている場合 でも、子どもがそうしようと思わないうちは、子どもに何か押しつけるという危険性があ る。(早すぎる直面化). 治療者が子どもの表現している気持ちをとらえて、その気持ちを認めてやる(反射す る)と、子どもはそこから進み出て、治療者も子どもがほんとうに洞察を得ることがわか るのである。. 14 一.
(18) <子どもに尊敬心を持ち続けること>. 5) 子どもに自信と責任を持たせる。 行動の変化は、もしそれがなにか永続的な価値を持つものでなければならないとすれば、 個人が達成した洞察の結果として、その個人の内部から生じてくるものでなければならな い。変化させたり、させなかったりする責任を子どもの手中におさめたとき、治療者は子 ども中心にその治療をすすめているのである。行動の変化とは、ある種の圧力によって順 応させることではない。というのは、ある一定の標準に順応することが適応の指標ではな いからである。治療者は自分に責任があるのだということを子どもが理解できるように援 助しようとする。子どもは自信を得て自己を尊重する気持ちになる。 治療者は、子どもは自分でやれるのだと信じている。治療者は子どもを尊敬しているの である。. 極めて憶病な子どもの事例をあげ、その子が徐々に自信を持っていく過程をえがいて、 この子どもを尊敬することの重要さをアクスラインは訴えている。. <子どもが先導します> 6) 非指示的態度をとり、治療者は子どもの後に従う。 治療者は非指示の方針を一貫して堅く守る。子どもがもっと褒めて貰おうとして、ある 種の行動をするような刺激を与えないように、治療者はあらゆる賛辞をさしひかえる。又’ 子どものすることを決して批評しない。援助を求めてきたときには、治療者はそれに応じ るQ. 治療者は何も示唆などあたえない。治療時間は、子どもがためしにやってみる場であり、 子ども自身の尺度をつかう時間である。. 治療者の側で促進させようとすることほど無益なものはない。子どもたちは促進される ことに憤りを感じて不機嫌になる。. 治療時間はレクリエーションの時間でも社交の時間でもない。まして学校の時間でもな い。それは子どもの時間である。又治療者は遊び仲間ではない。学校の先生でもない。母 親に代わる人でもない。治療者は子どもの目からすればまことにユニークな人である。治 療者は共鳴板であって、それに向かって子どもは、自分のパーソナリティーをためしてみ られるのである。治療者は子どが自分のことをあるがままに見られる鏡をもっている人で ある。少し考えてみれば、子どもは自分をよく知るために遊戯室に来ているのであるから、 治療者の意見や欲望などは無用なものだとわかる。子どもが先導するのである。治療者は それについていくのである。. ここでも9歳の男子の事例をあげて、治療者が何ら指示も示唆もあたえず、ただ反射を 続け、子どもの気持ちを明確化してやるだけで、驚くほどの変容を遂げた具体例を示して いる。治療者は子どもに先導させている。治療者は最善を尽くしてそれに従っていった。 治療者は子どもに同情も支持もしない。治療者はその場面に自分の気持ちを入れなかった。. 一15一.
(19) <治療はせかせられません>. 7) 治療はゆっくり進む過程であるから、じっくり待つ。 子どもに無理に表現させようとすることは、子どもをしりごみさせる原因になる。子ど もたちは、よく見かけは波乱のない遊びの一時期を通過する。その時期には治療者の側の 忍耐と理解が必要である。もし治療者がその子どもたちをそのままほおっておけるなら、 つまり子どもたちに時間をとらせてやれるなら、治療者は忍耐しただけの報いが得られる だろう。. 子どもは生来緩慢なものである。それを例えばボタンを手早くはめられないとか、鞍紐 を急いで結べないとか、実際子どもはたいていのことは急いでできないのであるが、その ような子どもを見ていて、大人はごくありふれた激昂を示す。そしてそのような大人は子 どもに襲いかかるようにして、それらのことを子どもに代わってやってしまう。子どもに は緊張と欲求不満がますますつのるばかりである。. 治療者が緊張と圧力を解放して、子どもに適切感をあたえてやろうとしているのであれ ば、「急いだやり方」はとらないだろう。そして平衡を取り戻す機会を子どもにあたえる ことが大切だと秀かるだろう。このようにして治療者は子どもに自分の時間をとらせるの である。. 治療者は子どもの目を通してものを見ようとすべきだし、子どもとともに、感清移入の 気持ちを発展させるべきである。個人の参加しないところに変化は生まれない、また価値 ある変化は内部から生まれる、という金言を忘れてはならない。治療者は、成長は緩慢な 過程であることを思い出すべきである。 <制限の意義> 8) 必要な制限(limitation)を与える。. 非指示関係にもうけられる制限は当然少なくなるが、極めて重要である。遊び道具をわ ざと壊すとか、部屋を傷つけるとか、治療者に危害を加えるなどのことは制限する、とい うようにほとんど実質的なことがらの制限にとどめておくことが大切である。又子どもを. 守るために必要な常識的な制限を含める必要がある。子どもにとって危険な活動を行わせ たりすることで時間をついやすのは治療的価値はないと言っても良いだろう。制限をあた えるのは、治療の効果をあげるためには、治療時間が治療室の外にはなにも持ち越されな いほど、賃常生活の場面から全く分離してはならない、という治療者の確信を意味してい る。うまく行われる治療というものは、もっと肯定的な自己指示をも.たらす洞察が得られ. るところまで、感情の解放がおこなわれるものであるという事実を、治療者は念頭におか なければならない。. 子どもの気持ちや態度が、言葉や遊びを通して表現されるとき、子どもも治療者もその 経験を客観的に見ることができて、この言語的行動を正直に、完全に受け入れることがで きるのであるQ. 時間の制限はいっそうはっきりした制限である。約束の時間を決める。遊戯面接の時間. を決定し、それを守る。子どもが約束の時間に30分遅れてきても面接は約束の時間に終 了する。. 大切なのは、一度約束した制限は必ず、一貫して守らせることである。子どもに安定感 一 16 一.
(20) をもたせるのは、実にこの一貫性の要素である。治療者の示す一貫性は、自分は受け入れ られている、ということを子どもに保証する。いつも一貫して、場面をおおらかにしてお くことが子どもがどの程度深くまで自分の気持ちを表現していけるかを決定する。 制限を提示する時期は、制限を導入する必要の生じるまで待った方がよいと私(アクス ライン)は信じている。. 制限は、賢明に、そして一貫して用いれば、その治療期間を現実世界につなぎとめ、治. 療が誤解や当惑や罪の意識や不安定感などを生じないように、その可能性を未然に防ぐ役 割を果たすことになる。制限の使い方を見れば、治療者と子どもとのあいだで、治療がど の程度進行しうるかを測ることができる。. 以上に見られるように、同様の原則が何度も重複して出てくる。ここにはアクスライン. がくり返しくり返し8原則を強調することで児童中心遊戯療法を読者に定着していこうと いう意図と、岡蒔にそれだけこの8原則が密接に関連しているということの証明でもある ようである。確かに遊戯療法を学ぶものにとって、この書き方は実に丁寧で親切である。 理論のみならず具体的な事例をふんだんに盛り込んでいるので実にわかりやすい。親切な アクスラインの暖かい入柄まで伝わってくるようである。 深谷(!974)は、「これら8つの原理は、つきつめていえば、同一の根本的態度を、いろ. いろの側面から表現したものといえよう。同一の根本的態度とは『子どもの健康な適応と、 成長への潜在力への呼びかけと信頼』であり、これは基本的には、大人の場合とも同一で あるということができよう]と述べている。 一方、河合(1978)は、アクスライン(1947). の述べた8つの原則に対して、「ある意味ではどのような遊戯療法を行うにしろ、その基 本となる態度であると言ってよいほどのものではあるが、これにあまりにも縛られると、 子どもめ主体性を尊重しすぎるあまり、治療者が主体性を失い、受容的というよりは単に. 受動的に行動することになる」と、治療における自由と制限のパラドックスをよくふまえ た上で、技法に必ずしも固執することなく、子どもの自己治癒の力を中心にして、自由に 用いていくことが大切であることを指摘している。. 第2節 先行研究 学校不適応について、坂野・宮川・大野木(199. 4)の「学校不適応行動」の定義によれ. ばr学校不適応という概念について明確な定義があるわけではない」としながらも、「登 校拒否や無気力などの非社会的行動、校内暴力や非行などの反社会的行動のように、心理 的要因に起因し、正常な学校生活を妨げる問題行動を総称する言葉」と述べられている。. 本研究での「学校不適応」はこの定義のなかの「登校拒否や無気力などの非社会的行動 (中略)のように、心理的要因に起因し、正常な学校生活を妨げる問題行動」を指すこと とする。. 本薪割事例における学校不適応児の感得しているその自己像の矯小さ自信のなさは彼が ’インテーク時に描いた樹木画や人物画からも充分感じとれるものである。(描画について は後述する)これは彼のSelf−Esteemの低さ、乏しさを表すものと考えられる。 Se}i−Este. −17一.
(21) ernについて菅(1984)は「個人の存在を支えるためのエネルギー源となるような健康な自 己愛」と定義している。他にも「自尊感情」「自尊心」「自己価値」「自己評価」等と訳 されたりしている。本研究においては以下「自尊感情」と呼ぶことにする。 先行研究としては、遊戯療法を通して「自尊感情」を修復する働きをしたと考えられる 事例について挙げてみることにする。. 1 「チック症児との遊戯療法過程」 松栄ら(1994)の「チック症児との遊戯療法過程」を紹介する。. 治療構造は親子並行面i接で、原期として週1回50分間のセッションを25回もった。 クライエントはチック症状を主訴に来談した小学校6年生男子である。チック症状の背 景には、父親の拒否的な態度や愛情不足、夫婦間の葛藤などがあると推定され、セラピス トは受容・共感的態度でクライエントの感情を受けとめ、内的な攻撃性を解放させるよう に心がける。その結果、①攻撃性の表出と修正感情体験、②家族力動の変化、③セラピス トとのコミニュケーション体験、などを転機にチック症状は完全に消失した。 このケースのクライエントは、「小学校に入った頃から友達の輪の中に入ることが少な く、口より先に手が出てしまうという架りで」友人関係がうまくいかなかったようである。 このクライエントに対して松栄は「チック症状そのものについては一切問題にせず、チッ クを否定しない大入としての態度を保持した」ことによって、それまで抑制されていたク ライエントの攻撃性を表出させることに成功した。ひいてはそのことから、クライエント のチックに対する罪悪感や否定的な自己像といった感情を修正し、自尊感情を取り戻させ. ていくのである。更にこういうケースを眺めていると、天の配剤(共時性1とでも言うべ き事件が得てして起こるものであるが、ここでもクライエントの母親が骨折するという事 故が起きる。そのことでそれまでクライエントにはほとんど関わらなかった父親(ある意 味では父親の関わりが拒否的であったのでクライエントがチック症状を呈したともいえ る)が、関わらざるを得なくなり父子関係が好転していくのである。そしてプレイの中で の松栄のキャッチボール的な関わりによって頬入関係における基本様式が習得でき、それ がクライエントの自信にもつながり、ひいては父親との関係を修復するうえでも大きな役 割を果たしたといえる。父子関係が貯広した結果、それまでの母子分離不安の問題が比較 的スムーズに解消されることにもつながつた事例である。. 2 自分が出せないためにいじめを受けていた男児の遊戯療法過程 次ぎに辻(1996)の「自分が出せないためにいじめを受けていた男児の遊戯療法過程」 の事例を紹介する。. クライエントは、来談時小学校2年生の男児。主訴は「小さい頃から性器いじり、チッ クなど変わった癖が続き、現在も弟の頭の臭いをかぐ癖が続いているので相談したい」と いうものであったが、その習癖の裏には「乳幼児期の親子関係が希薄であったこと、現在 も兄弟葛藤の中でうまく母親に甘えられないこと、学校でいつもいじめられているといっ た精神的なストレスが背景になっていると考えられた」ということである。治療方針とし ては「感情の表出、自儒を持って主体的に動いていけることを目標に」するということで ある。母に対しては、別のカウンセラーが面接を行った。. 一!8一.
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