<論説>イングランド銀行支店経営と中央銀行政策 : 「地域」からみた「中央」銀行政策形成史 (<特集>国際化社会における経営と文化)
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(2) 第Ⅹ V 巻. 横浜経営研究. 2 (2). 第. 1. 号 (1994). たから,支店長は信用審査の資料として ,口座 形成期中央銀行政策が 地域経済にどのような 影 開設申請企業の 業種,社歴,資本金,売上高, 響を与えたか ,逆にまた,地域的発想なり 現場 従業員数,平均賃金,地元での 評判などを書き. の経 , 験 なりとの接触をつうじて 中央銀行政策が. 送っており,「支店書簡帳 は ,それゆえ企業史 研究の有用な 資料であ る.」3). どのようにより 現実的なものへと. なかでも,初代支店長のジョージ・ニコル ズ. (GeorgeNjcho. Ⅱ. s) は ,辞 4モ 7%,. の 懇請で新救貧法制定事業に. しな. ,その一端を解明. するのが本稿の 狙 い なのであ る 目. 百十目じきじき. 2. 中央銀行政策の 模索とバーミンガム. 参加し「新救貧法. の父 」と呼ばれるようになることからも. がら練り上げられていったか. 吉武平子ギ音 言呉. 一一経営環境に 関する準備的ノート 一一. 判るよ. に,見識に富んだ硬骨漢 だ った力糾 ,彼が支 店長在職中 (1826 年 9 月 21 日任命 [27年 1 月 1 自営業開始 ] 一 34 年 9 月 15 日 辞 ) に書き送っ た 640 通もの「半分宿」 (privateletter) 一一業 務 上の非公式書簡 ( 「親展公文」 ) で,それだけ に officiallette, にはない立ち 入った情報や 判断 う. 本論に先立って ,バーミ ンガム支店の 経営環 境 として,三つの 占を指摘しておきた い. ィ王. が 盛り込まれている. は,内容的にも充実し. 第一は,当時, 19 世紀第 2 四半期には,地金 の流出人と覚国為替の 動向を指標にして 銀行券 発行高を調整すべきことを「リカード. ゥ. から学. んだ」 6)理事たちがイングランド 銀行のなかで. て興味深く,われわれにとって貴重な資料であ る. [A] 中央銀行政策の 模索. 次第に力をえて ,彼らの考えにそって 中央銀行. ,当時ニコル ズ は, しばしば,本店では分か. らない地域経済の 実態を強調し ,率直な意見の. 政策のノー・ ハオ が形成される 途上にあ った. 具申,懇請・嘆願, ときには職を 賭した激しい 抗議を交えて ,金融政策の変更や弾力的な 運用 を 求めて本店と 対立した. そうした本支店間の. いう 事実であ る. そうした中央銀行政策の 模索. 応酬と支店経営の 実態を分析することによって 第1図 l㏄ r. ま. と. 過程については 多くの研究があ ", ここでは 立ち入らないが ,理事会内部の動向に焦点を 絞 り. ,. って大きな流れだけを 概括しておこう・. 年間手形割引総額. M Ⅲ@n. 資料 . GeneralLedger. @ 1807 および SpecialD scountCommittee (Reportssand M4inute Books)( 以 T SDC 略 ) (1808Ⅱより作成.数値は「 1981 年論文」 (往来参照 @ 9 頁,第2 表に掲出.. と.
(3) イングランド 銀行支店経営と 中央銀行政策. イングランド 銀行券は主に 手形割引を通じて 発行されていたが ,. ると. (第. Ⅰ. この手形割引高の 推移をみ. 図 Ⅰ, 1760 年ごろから, まさに産業. 革命の開始に 照応して画期的に 増大し. 1797 年. @. 」,. (3)@3. 尚志 ). 脈理論の観念的・ 機械的適用」と 批評され, ま た「安定した 通貨と活発な 国際貿易に依存する 綿 業主導の強力な 経済的諸利害に 適合」 9, した, 「マンチェスター = ロンドン枢軸」の 体制とい. からの 完換 停止時代には ,手形割引は 第 1 次 世. われている.. 界 大戦まで凌駕されないほどの 空前の高水準を 記録していた. この過剰発行とインフレを 背景. た イングランド 銀行当局も, この 19 世紀第 2 四 半期には, いまや地金の 流出人や覚為相場の 騰. に 1810 年代には銀行・ 通貨制度の質的整備が 課. 落をガイドラインとして. 題 となり, リカード. る必要を充分に 自覚しつつあ った. 『インバラ. ゥ. (D. R た ardo). や ソーン. かつてはリカード. 銀行券の発行を 調節す. トン (H. Thornton) が物価騰貴の 原因はイン グランド銀行の 免 換 停止,と 過剰発行にあ ると説. 転し 貴金 構は流人する』. いて「覚国為替相場を 指標とする信用規制」. な』 r 感情論. ( とくに「バンク・レートの. たる論拠も見出し 得ない』. 体系的活用. コ. ). の必. ゥと 対立し. ンド銀行が発券額を 減らしさえすれば 為替は好 という. 『一部の強力. (Sentiment) には「なんらの 確固 という決議を 記録し. 要を強調したことは 周知のとおりであ る. この. た 1819 年 3. ときには, 鉄げ テ 当局は優良手形の 割引需要. Ⅱこの決議は ] 1827 年 12 月 6 日に撤回. け 経済界の健全な 需要Ⅲ に @ えているかぎり. た ] (Rescinded 6 Dec" Ⅱ. 過剰発行はあ りえないという. みがあ って, この間における 銀行当局の路線変. たち, リカード. ゥ. 「健全需要説」に. たちと真っ向から 対立して ぃ. 月 25. 日の理事会議事録には ,余白に [ され. と読み取れる 書き込. 更を如実に証言してくれるⅢ. 1832 年には「パーマ 一のルール」, すなわち. たK ところが 1816 年から 2¥ 年にかけて金本位制が. 施行され 梵換 が再開されると ,手形割引の 規模 は 急激に縮小し. 以後,本格的な 景気循環と恐. 慌も登場して , 割引高は低迷ないし 低成長の. ト. 「一切の要求払い 債務』. (預金プラス銀行券Ⅰ. に. 対し『望ましいと 思われるおよその [準備 ] 率 は証券で 3 分の 2, 地金で 3 分の U] であ ると いう基準が総裁によって 明示された 1l,. また。. レンドのなかでほぼ 10 年 ご、 との激しい 庵轡の グ. かつて筆者が「サー・. ラフを描くことになった.. の発見」に細やかな 補正を加えっ つ 詳論した よ. あ. イングランド 銀行は. うに, イングランド 銀行を発券部と 銀行部に. らためて健全な 通貨供給を求められるととも. に,経営的にも不安定な低収益時代を 迎えたこ. 「. とになる. こうした背景で「通貨論争」がおこ. 直接制限制度 - 。. 十. ),. 通貨学派は リヵ一 ドゥの考えを 受け継いで. 銀行券の過剰発行が 呆気過熱. ( したがってまた. 恐慌Ⅰ を拙くとして , その発行高を 金属貨幣が. 流通するばあ いと同じ動きをするように 規制するべきだと 主張した. これがピ. 4丁. 2 部門分割」. し. 前者には「保証準備発行額. 後者には「銀行部自由競争主. 義」を導入するという. ,. 1844 年銀行法の原型と. なる構想が, 1838 年 2 月以降,再三,理事会で 正式の議題とされでもいるⅨ. このばあ い, 「健全な通貨」というモネタリ・サイドの 目的 に加えて,手形割引など 通常の銀行業務の 分野. 内では通貨あ るいは信用の 強い需要があ るとき. では民間銀行を 競争相手として 経営を活性化し 「業績の向上」をはかるという ,通貨学派とは 異なった銀行独自のバンキンバ・サイドからみ. にも, それだけの銀行券を 流通から 引 」 : げてし. た 動機が存在したことも 注目されてよいであ ろ. まうという, その意味で「国際均衡」優先の. う・. ここに,一国. の金準備が外国に 流出して減少するばあ. ルールが制度化されることになる.. い,. 国. ピール銀行 法は, だから, しばしば「 リヵ一 ドゥ = 通貨 学. タト ・. 法 (1844 年 ) に結実するわけで ,. 厳格に ー - )レ釜艮. ジ,ン [ . クラッパム ]. ともあ れ, ピール条例が , 嫌がるバンクに. 側から. (政府や通貨学派によって. ) 一方的に. 押し付けられた「窮屈なジャケット」だった. と.
(4) 横浜経営研究. 4 4) ぐ. 第 ⅩV 巻. いうのは,必ずしも正しくない.. 筆 1 号 (1994). ガム・スクール」が 大きな影響力を 持って ビ. これが大きな 流れであ るが,現実のバンクの ポリシーは一進一退,試行錯誤の連続だった.. 銀行理事会は「しばしば 意見の分裂した」,そ して「最良の 意見が必ずしも 多数を占めること の みぃ 」組織であ 13,, 「国際均衡」派と「国 内均衡」派, 「健全通貨」論と「業績向上」論 が複雑に交錯して ,支店に対する指示も一貫せ り. ず,支店のがわでは , そもそも伝達された 営業. た,6). アトウッドは 管理通貨制と「国内均衡」優先. の積極的景気政策で『完全雇用と 完全賃金』 (fullemploymentandfull wages) を実現すべ きことを説き , イングランド 銀行は完全雇用 点. まで銀行券を 発行すべきであ り 『それ以覚に 流 通手段の過不足を 判断する正しい 基準は存在し ない』と主張した 17).そして『展生 と 労働者 の 利害は実際は 一つであ る』と強調して. ,『勤. 方針が理事会内部でどの 程度の重みをもって 決 定され, したがってどの 程度の寿命と 拘束力を. 労 諸階級』 the indust,ious classes; the p,oduc-. もつものかを ,. tiveclasses) が,企業家も 労働者も,結束して. ときには何度してかからなけれ. ばならなかった.金融引締が必要だと一致して. 「通貨改革」. も,その方法をめぐって童曲り 制限 (窓口規制 ) 派 と公定歩合引上 (割引政策 ) 派が対立し こ れに売りオペ (公開市場操作 ) 論や適格手形の 期限短縮論も 絡んで,政策は動揺した. 1833 年. の連動に結集するようよびかけた. 銀行法で高利禁止法が 緩和され「バンク. , レ一. トの 一世紀」が開幕したとはいえ 川 ,公定歩. ( およびそのための「議会改革」. ). 18).こ うし. た バーミンガム 学派の理論と 運動は,古典派の. 理論家には判らぬウェスト・ミドランズ 地域社 会特有の経済組織・ 経済変動の実態をふまえて. 「所得と雇用の 地域変動」に 関する認識の 枠組 を 構築し 「地域社会の 枠組のなかでの 共同行. 合は 1839 年までは 4% か c-0/に 固定されていた. 動の拠り所」を 提示した,「バーミンガムの産. から量的制限派が 優勢で, 44 年. 物」にほかならない '9,.. 47 年. 4. 月以降, 2% から 8%,. 8. 月, とりわけ. 10% と機動的・. だから, この学派は,やがて結局「マンチェ. 弾力 りに変更される よう になるというのが 一般. スター = ロンドン枢軸」とも いう べき「総資本. 的な趨勢ではあ ったが,それもジグザグな変化. (支配的資本 ) 」体制によって. にすぎなかった. 中央銀行政策のマニュアルが. (mr 血 ngham is not England)20) と 一蹴されてしまう・しかし , そ. 白. 経験と試行錯誤のなかから. 歴史上はじめて 形成. されてくる,そうした時代のことを ,. い まは 問. 題 にしているのであ る. [B] バーミンガム 学派 前項にみた「モネタリ・オーソドキシー」 ( 「マンチェスター・スクール」 ) 曲. の形成と対照. りに,バーミンガム支店の営業地域では ,. 「特. 殊西部ミドランズ 的中小規模製鉄資本」 15)や今. , 『バーミンガム. は イギリスではない』. れだけにまた ,. ニコル ズ が支店長に在職したこ. ろには,地域に根ざしたこの 学派とその共鳴板 であ る『勤労諸階級 コの 動静は,バーミンガム 支店にとっては 無視し難い経営環境となってい た, アトゥッ ド 自身も地方銀行 (Attwood & Co.) の経営者として 支店の有力な 顧客であ り, アトウッドに 共鳴する多くの 製鉄会社や中小企 業が支店に口座を 開いていた.支店長ニコル ズ. 属 加工業者など 多様な中小企業を 社会的基盤と し, 「バーミンガム 政治同盟」 (Bi,mingham Pol;ti。 al Union) 別称「バーミンガム 中 下層者 連盟」 (B 廿mingh"m Union of the Low 。r and Middle Classes) の代表者トマス・アトウッド. 断 わったうえ 『工業生産者層 (Manufacturing Oasses) に対する彼の 影響力は当地ではほと んど無限であ る』からと述べ ,頻繁にその情報. (ThomasAttwood) に指導された「バーミン. を本店に発信した ,. は, アトウッドの 通貨問題に関する 議論は圧私. の所信には強く 反している』. と. で 21). 『私がこのような 情報を総.
(5) イングランド 銀行支店経営と 中央銀行政策. 裁 に苦. き 送るのは,現在わが 国の異なった. 諸地. 方でそれぞれ 支配的となっている 様々な見解を 総裁が知って 比較することができるということ が,私には重要だと考えられるからです・』 り 『あ らゆる困窮はすべて 通貨のせいであ 「平 り. 価助丁と紙. 券 増発」. ("Ⅱ ttle SoV",e ㎏ nS and. @. 尚志 ). 目. (". .コ) 5. スクールを代表するリチャード・コブデンも. ,. 1857 年に, バーミンガムでは『金属工業地帯の 産業が… 小 製造業者によって 営まれ』 , [ マンチェス タ Ⅱ. 、ンャ 一の都市. F ラン ヵ. におけるより. も,すべての階級間でより 自由な交流が』 われて い て ,. 『. ネ上. 会状態は道徳的・. 行な. 政治的にい. 円 enty ofPape," りによってのみ 救済されると いうアトウッドの 議論を民出が 毎日毎日吹き 込. ってより自然であ り,かつ健全である』と観察. まれ, アトウッドの 計画を採用すれば「ポケッ. 的万法」. トは はポンド 貨 ,鍋には牛肉」 ("Poun 佃 inhiS. カ. しているというⅢ,産業革命研究の「地域史 (r。eional methods). を提唱してラン. シャ一二繊維産業中心史観の. 改訂を迫ること. Pocket and Bee Ⅱ n his Pot ヅ が 保証されると. となったアレンのウェスト・ミドランズ. 企業家や民 衆の思考・行動様式を 頭から 軸祝 しては地方支. 業史研究以来, この地域の職業分化の「多岐 性」. 店の経営戦略を 構想、し 実現するのは 難しい,. く製造業者. 聞かされているときに』ぬそうした. と. いう のであ る. と企業経営の「小規模性」. ならびに. 小難万一被用者きという. @[J)" ]丑 , (子羊 , ":日, "百円 "土 套韻". ナ月枯葦. 三三. 金属工. 重層的 雇. " 一一が明らかにされてき. /-2,, @. バーミンガム 地域の中小金属加工業者は [C] マンチェスターとバーミンガム. して「規模の 経済」よりも「専門化」. マンチェスタ 一に対するバーミンガム. 地域の. 「経済的・社会的構造上のコントラスト」は , 「. mg 世紀を通じて 顕著」だった. 24,多様な職業. 経営特化」. ). ,概. ( 「極度な. を選択することによって , 「経営規. 模は小さいままで・ 高い生産性と 豊かな経営成 果を実現」しつつあ った. そして, こうした金. 分化と多数の 中小企業, 国内市場を基盤とした. 属加工業の成長に 牽引され. 奥深い産業連関の 形成,弾力的な 職業転換 ど高. 二. い 社会的流動性,相互扶助的な 労働者と親密な. 促されて, ブラック・カントリ 地域の製鉄業が. 労使関係. 本格的に発達した. こうして 19 世紀に入って. そうした特徴について ,. て詳論する余裕はな い .. い ま改め. ここでは, 若干のこと. 型」 ),. また蒸気機関の 出現に. く原料採掘 一 製鉄 ( 中間生産物Ⅰ 一 金属加 :1: (最終生産物 ) きという「一貫した. を 想起するにとどめよう. 19 世紀後半にバーミンガム. 「バーミンガム. ( 「加工部門主導型」. ニ. ブラック・カン. トリ地域と呼ばれるようになるこの. 地方は,. イ. 分業構造が地 域内に作り出された」ことになる 28,. なお, これらの製鉄企業は ,金属加工業者と 違って,. ギリス産業革命発祥の 地であ り金属工業の 中心. バーミンガム 支店の手形割引顧客の. 中では格段. 地ではあ ったが, 19 世紀中葉においても「 Tl:場 制 大経営の続出と 中小経営の急速な 没落といっ. ど大きな経常規模をもっていたが. 南 ウェイ ル. た,いわゆる産業『革命』的状況は ,. この地に. 必ずしも顕著には 出現しなかった.」この地域の. 中Ⅱ、金属工業企業家たちは ,規模の経済 (大槻 模化 ) よりも極度な 経営特化 (専門家 ) を選択、 し それによって「小さな 経営規模でも 独自の 技術を創出して 他の追随を許さない 地位を築き, また高い労竹生産性を 実現」しょうと 努めてい たのであ る. 」. 引. じっさい,マンチェスター・. ,. ズ や北東部クリーヴランドにやや 後年始 顕 する. 銑 錬一貫経営と 比較すれば相対的に 小規模な多 数の企業が群 正 するという特色をもち ( 「特殊 西部ミドランズ 的中Ⅱ、規模製鉄資本」 ), イギリ スが「世界の 製鉄所」を誇った 時にも「発達し た. 『地方市場』が 唯一の消費市場」をなしてい. た. ( 「地域内市場. 向 特殊高級 鉄 原料の小規模生. といわれている ,91. ところで, バーミンガム 地域では職業転換が. 産」 ).
(6) 第X V 巻. 横浜経営研究. 6 (6). 第 1 号 (1994). かなり容易に 行なわれ,不況になると 労使とも 同系統の他業種へ 機動的に移動したことが 知ら れている, また,労働者が小規模家族企業とし. 地域の民出の 生活水準を議論するのはミスリー. て 独立し次第に 経営的に上昇したり ,逆に不況. かれてもがるのであ る 32). ディン グ だとして,生活水準の「地域史的研. 究. 」. 期 には か 親方が店を閉じて 働き口を求めたりす るというわけで ,水平・垂直,多方向な 社会的. (regionalandlocalstudies) が必要だと説. ともあ れ,当地域は不況に対する 適応力が強 く. ,. また社会的・ 政治白 9 運動が, アトウッドの. 流動性の高さも 存在した 30).総じて労使関係. 「. は 親密で, わけても 小 親方と被用者のあ いだに. 労 諸階級』 一. は 階層間の「境界線設定が. 困難」なことがしば じばであ って,当時 (1844年 ) の雑誌は,労使. class"一の運動として 組織されることが 多かっ. が 一体感を共有しえている. ストの中心地」で ,. 都市は『バーミンガ. 中 下層者連盟」のように 労使を糾合した『 勤. ケインズ流にいうと. た .そのほか,この地域は「ノンコンフォー が 進展して「地方自治のメッカ」となる.. 仕方がないから ,仲間を首にするのは止めてく. レン が活躍する 33,. 力 、ン. 一. と対上ヒ してあ くまで相対的な 話ではあ. るが,そうした行動様式が指摘されている.. だ. Ⅰ. ミ. 1860-70 年代には市政改革. ムを 別にすれば,他に存在しない』 と特筆して いる 31,. このため,庵主は景気が悪くなって もできるだけ 解雇を避けようとする.労働者も 一人一人の就労時間が 短くなり稼ぎが 減っても れと主張する.階級的な亀裂がより鮮明なラン. "ac ve. そう. した背景で, 「草の根」民主主義の「バーミン ガム的組織原理」を 活用して,「national で impenial で,かつまた local な 」政治家チェシバ. 産業・経済構造,企業・ 雇用構造,文化構造 (思考・行動様式 ). など各面でユニークな 当地 域に ,通貨・金融政策における 古典派的な処方. から失業率の 統計, それも全国平均でみた 完全. 篭が 画一的に持ち 込まれて適用されたばあ. 失業率の一一不完全な 一一推計値などからこの. 様々な 軋礫が 起こるのは当然であ ろう.支店業. 第2図. 40. 30. 20. 10. 0. 資料 : SDC. より作成. 割引総額. (本店・支店. 則). い,.
(7) テ. 支店 ネ き営. l7) 7. 尚志 ). 店 支. 口右. 地力. ィ牛. @. フ ⅡⅡ. 沖 ℡. 住 Ⅰ. 店 本. 数. ロ. ∼ コ/ 害 Ⅰ. 図. 3. 第. 1. l1. ㏄l㎝. 円. Ⅱ け. と中央銀行政策 (.関口. 座|. イングランド 銀ィ. り. 卸冊蚊膿沖 ℡ 0. 11. M. ⅡⅡ. on. 10 9 8. Ⅱリヴァプール. 7 6 5 4. 資料 : ぢ % 、 より作成・数値は「 1981 年論文」. 6 一 7 頁,第1 表に掲出. 38. ;J13.9 義. 3. 支店別手形割引 額. 7. 第4 図. 3. ィ. 6 3. 3. qり. 3. @ 作成. 5. 4. 3. 2. 3. 30. 2. よ. 29. 8. 2. Ⅰ. 7. 6 2 8. ,豊美 廿ト : お )C.
(8) 第 XV 巻. 横浜経営研究. 8 (8. Ⅰ. 第. 5. 図. 第 1号. (1994). 支店別手形割引取入. ㏄. ㏄. 40. 30 リヴァプール. 20. マンチェスター 10. ". バーミンガム. Ⅰ. ・Ⅰ :/ ll ・. Ⅹ. 二. へⅩⅠ. ユーカッスル. リース. , ノア "一 " -,, ノア @"@ @ . """ "一 ". ヘ プリストル 182627@ 28@ 29@ 30@ 31@ 32@ 33@ 34@ 35@ 36@ 37@ 38. 資料 : 5DC. より作成. 第 1 表参照. 営 経 の 店 支 ラム ょガ. じ 通 を 務. かス,タリ︶ 年エム セノ田は行阿 %チガク. ン細,ァ︵ 刀 AイM一ヴ ㏄い 、|. [. 0. /.
(9) 9@ 9 Ⅰ. 尚志 ) 口. @ イングランド 銀行支店経営と 中 央 銀行政策. 三十区. 巴 @0 つ ざ. 叫ド. Cむ。む. ・ 00 円トりひ,テ 0.つ 0 @00㏄. -@. り㏄. 三十 伴凍. Ⅰト. 寸@@@N. N@. ㎡ ひ㏄・N ㏄. 0 古 いり 寸 ・ ト. ㏄. 。卜. ︶Ⅰ ヨou ︶く. 整吐 rH むaめ,一式期. 二っおお. 綿. -卜 ㏄ ののの・田の@@Q ㏄寸べ. ・ ト@. ㏄テ ㏄・のの 寸Ⅰ. 寸・@ の0%N.o@㏄ ㏄ト. 0寸ト ・Ⅱ 寸㏄. ㏄㏄㏄ @・ い㏄. つ -@ 一の @. 寸- り0一トつ の-N の碕. の・ コ. め一コぎ色田口耳 轟 G 球円空名一 % 華一 ョo く Wc uⅡ 3巳 ︶. 穐@. い麓. ㏄@Ⅰ. @ 由. ㏄. ㏄り. ト 寸のⅠ・㏄@ NNN つ吟-. つoN㏄ .. ののN ,N. ㏄z. のり いN峰,@ いN のN@. 。挨. つ のの・ り出トの ㏄・ テべ ㏄ ㏄N. 津. Ⅰ. べ邸 石浦桧旺. 四 % Ⅰ兵ヘ Ⅳ|て. 杖. 00Ⅱ 0. 唾石瓦 ミ訃. 蛙. のNの@. 卜N. べ. ㏄㏄ りの・@ Ⅰ@ の・ 0@ 。 ヰ. つ寸 @@. い・む ㏄. の㏄Ⅰ. ㏄㏄の 二・卜. のべ. のす@. ・ 0寸. のNNo. のの. ㏄㏄ ひ㏄つ・ @. り㏄. 田口 聖一キ. 中ぱ. のの︵のの︶の・ゆい寸の ト, ㏄の・ ト@7 、 のべ. へり @ り@. 再自ゆ寸 NN. 。Ⅰの N・ @ い・の㏄円のの・㏄Ⅰ. り㏄0. ㏄こ. 000. ㎎ 宙俺達. 肝簿. むは巨 津. い・ののの 寸. の ㏄㏄N ・ ㏄・@ りト@. Ⅱ % 弱 い仲. の㏄. ひ。N-. ㏄つ二 %N べ・マい㏄寸寸・の寸ⅡⅡ。の. Nい@. つ㏄ 0.. @@ひトり @ の寸の -べ・㏄のい・のりい一の再・. 0- き @ の・寸寸寸㏄ つ・ Nい の・尊のの 寸・. ・㏄。の㏄ 0 Ⅱの・ 0寸 ㏄@ト. マト. いN ト・のⅡ㏄つ㏄・マ功. 卜N@O.. ㏄輻@. NⅡ N の・の 寸. ㏄つ㏄, 寸の㏄. 再. ㏄. つ・ ゆN. .のの トⅡ の ㏄・ め ㏄㏄ ト㏄・の @㏄守り 0@㏄. ト・寸 の N@ ひ0り・. N@ の@ 0. ㏄の・. のト ・の @ の ⅠⅡ. Ⅱの㏄ つ・ いト NのO.. N㎡の・の @ ㏄. N.. @@. のの. マNN.O@0. へ N ㏄り Nの・ ・ い Ⅱ㏄㏄ ト-@ ㏄のの トベ田 ・㏄ -N 。ト・ @- の・. ㏄Ⅱ べト 目一 Ⅱマ功 ひⅡ 寸. 卜の. りN. 艦ロ拭. 凹目ミートト トコ. 去冨べ嬰 田口. ㏄の㏄㏄ いN. つ・ 吟@. ㏄. いの 二@. い肝隠. ︵2% 串 ︶母コ牡 砒石尻. 唾石肺. 巾・ 寸 ㏄㏄ いい. いの・ 寸N. 岨の マ・-. 堅石 報桧叶 世柄1本 メ 円心 ヘ卜. 旺串ぺ 隠田口. 目. り㏄. 甘コ cc べ uき Uきま ︵ こ穏寅田柵 巨ミ・一 @ 二三 のョ のき馬二の必 Ⅰ巨︶田口 e 鱒臣ゆ弍 G 刈り 田二心金 穏 キ芯柵桧旺り品 B.紬二 Ⅲ 卍化コ 田ロ 示嶺 G 軽目・㌣ 喪船医︵ @. 0り 伴. 堅石蔽ミ叶檸芯 蔽い旺. 相田田ぐ. 去冨べ. 隠田口 柘. 譲 ︵.
(10) 10 (10). 横浜経営研究. 第 1 号 (1994). 第Ⅹ V 巻. 収益の向上のために ,支店網の設置が 建議され. この支店の好調ぶりは 当時の事情通の 目を惹 い. たという事情も 存在した 3". もっとも理事会. ていたよ. の議事録には ,. ら, 『支店設置にともなって 必要とされるだけ. Bankers) もバーミンガム 支店の営業方針・ 企 業 戦略を仁コルズ 氏によって採用されたシス テム」 と呼んで高く 評価している 40,.不況と. の 費用に見合う 公正・妥当な 収益のみを』. 恐慌が続き銀行家が『不必要な 警戒. 支店は『競争銀行』ではなく. 「通貨と公出に 対する義務」を 優先すべきだか 目標. う. (TheG,cularto. で, 『銀行家回報』. と 踊躍 い 』. とするものと 記録されている 3ん.そうした 優. で俊巡 するなかで, ニコル ズ は『的確な地域の. 先順位は存在したが ,. 情報. 「健全な通貨」と「営業. 成績の維持・ 向上」という ,. ときに二律背反す. 二重の動機の 混 清 をかかえて,支店制度が発. る. 足したのであ る.. (10。"l info,m"tion Ⅱ と 『通貨創造者 (C, 。"to,SofCu,,en 。y) という有利さ』を 活用 して地方銀行や 地場産業に『大胆に ,. 別的に思慮深く 信用を与える of@ bold ,. [B] バーミンガム 支店の営業実績 地方諸支店の 営業は順調で , において「すぐに ,. とくに手形割引. かつ異常に成功した.」, 8). 諸支店合計の 割引額は 1830 年に, また割引顧客 数 ではすでに 29 年から,いずれも 本店の実績を 凌駕した. (第 2. 図・第 3 図 ). 以後,おおむね. 恐慌もしくは 金融逼迫の時を 除いて,支店が割 引業務の主な 担い手になったということができ 1839 年 4 月, フランス銀行総裁はインバラ. る・. ンド銀行総裁宛ての 書状において ,. 『支店がイ. ギリス経済に 不可欠な役割を」演じている. る・. その手形割引額は ,. 1829, 30 , 31 年にリヴ. ァプールやマンチェスターをもしのいで 全支店 甲 第一位であ ( 第 4 図 ), 割引収入では , 28 年から 32 年にいたる 5 年間,断然,首位を 独走 した ( 第 5 図 ). バーミンガム 支店の割引シェ り. アは割引高で 全支店の 3 分の 1, 割引取人では 4 割前後に達している. 1 表 ). なお, 1834. (第. 年から,どちらのシェアも. 2. 割を割り,顧客数. も 35 年には急減する. ニコル ズ が支店長を辞職. したのは, 1834 年 5 月のことであ る. 開業初期数年間におけるバーミンガム 支店の 大変な 好 成績の理由は 一義的には説明できない が,支店長ニコルズ の努力と才覚 力 ) 」. ( 「経営構想. に多くを負っていたことは 間違いない.. judicious. conf 迅 ence) を採用した. それによってバーミ ンガム支店はインバランド 銀行のなかで 例外的 に. 『地元の企業者的生産者層』. and productive classes) の側に立ち , 『ロンド ンの金融的利害』 (Money Interest) にべった りはしていない. これは『適切な 知識と巨額な 資金』があ るばあ い『最も賢明なシステム』で あ り, 『巨大で有益な 成績を迅速に 達成する 正 しいシステム』でもあ る. というのであ る.. このことを念頭に ,割引業務の 内容を検討し てみよう.. 素晴らしいモデ. なかでもバーミンガム 支店の業績が 顕著であ. (p,inciple. 王 y. フランスにはない『真似るべき ル』だと述べている 39,.. 点,. 原則』. but@ discriminative@ and@. しかし選. 米本稿は 1980 年 10 月の社会経済史学会大会で 筆者が 行なった報告 ( レジュメが『創立 50 周年社会経済 史学会大会報告集』 に掲載されている ) の草稿に 最小限の手直しだけをした. 中間的な試論であ る. 紙幅の制約があ るので,大会では配布した図表の 多くも本稿では 割愛されている.大会後,筆者は, 報告の論旨を 敷 桁 した論説の連載を 開始したが けイングランド 銀行バーミンガム 支店」『経済学論 集』 1981 年 7 月.以下「1981 年論文」と略記する ), 予備的な考察 (本稿の 2 陀 ] までにあ たる部分 ) のみで中断し ,本論部分は未だに完結していない・. 本稿の詳細な 展開は,本格的な資料による裏 付け を 含めて, 1981 年 論文」の続稿で 果 たされなけれ ばならないものであ る. 「. l) A.Briggs,TheLeiceslerSchool,in: md. れ;. l5 Feb.. N レ WStafes-. 1958.. 2) イングランド 銀行史は汗牛充棟の 研究 史 をもつ が, ほとんどはまさにセントラルでナショナル. な中央銀行の 歴史であ り,支店経営に焦点を置 い たモノバラフとしては ,管見のかぎり ,長ら.
(11) イ. くス ウォンジー支店についての R. 0J. Roberl,, of England. Branch. D scounting,. 1826. ・. 「. レ ,,,, d. in the. f"r". 。. ・. ;,,。 e, ・. 「he おan,A "ゾ "ゼ,,-. 緩 6 一 J9/3.. Leice:stp. Ⅰ. 「. lJniVe,Ⅰty P,e ご , 1990 が公にされた・ 前者は地 方に対するイングランド 銀行の影響を「ロンド ンの尺度」や「理論の 適用」で裁断することの 危険を戒めている 点・ 本稿の立場 ( 1981 年大会 報告」以来の 筆者の中心論点 ) と 軌を・,にして いるが, 「インバランド 銀行支店と地方銀行の 肘 「. 立 」が強調され ,. @. 9) A.. Bnggs,. A㍗. Tル. J アお 。3 一 J867t,. London, floゐ nⅠ zhe. 1959,. Ⅰぅ. Ⅰ. Il J. H.. Palmer,. m)ziff㏄. B 勿椛. W@. in: RePor. R. t乃ぞ. 臼ダ竹刀. 「. ・. ・. ダ. 用例 f. ・. C ん Ⅰ rtal. (o。m,,げナんぞ. Ⅰ. 32, Q. ㍗・. Ib. p. 445 ・. ・. ・. 「. /Ill]. Ⅹ㍉. 15. 桑原莞爾「一九世紀両部ミドランズ. 製鉄業の経. 営構造とその 停滞諸要因」東北史学会「歴別 3f 輯 , 1966 . 1968 年,参照・ 198T 年 論文」 pp. l5 り 1, 参照・ (追記 : 初校後, 西沢 保 「異端のエコノミスト 群像 19 世紀 バーミンガム 派の経済思想、 (岩波 苦店 。 1994 L-@ が @[@WXさオL た . l7@ T. AAttwood, Letter Io Peel, l0 Dec. 1841 (Brit.. 第 33 輯. 16). ・. 「. 」. ヱ. 18). 19)@. Add. .. 穴ぞ戸。 iれど. コ. ⅠⅠ. . MSS. 0/.. と乃. ⅠⅠケリ Ⅰそそ. iれガ u( タタ or-t 、. ・. . 40 , 497 , f. イアれどづ. 。/. do . tんぞ. Letter. to. M. f-. 化く アわ Ⅰ 焼,. 13. TO()wUれ. ハは -Zi , 臼 /% ダ ,@ta く%.. oとた. .. Ⅰ. ⅠⅠⅠ. 1830.. A Briggs , Thomas@ Attwood@ and@ the@ Economi Background of the Birminghm Political UTnion, ・. in: caは た@み Ⅰ ソゴどピ H た to れca ⅠⅠ 0 は れnall, IX/2, ・. 1948, p.. do., The Background of the Par@lamenIar), Refo)rm Ⅳ,[ovement in Three Eng Ⅱ sh CiIie (18% 卜 ㌍ ), in: 乃 d, 兄円 , 19 ㏄, p. 300 20@ 首相 Lord Melbourne の発言 と 伝えられている. S.G. Ch ㏄ kland, The 別 ,㎞ngham E 。 on 。, m ㎏I, 198;. ど. ・. 181. ・. 』. げ " z乃 p. 。,ダ R,,nt{ぬ ,㎡, お綴一. @ COD,. Dec. コ. て. (22 Feb. 1838); Kb, pp. 140 一2 (26@ Jul 1838);@ Lb , pp 390-6@ (26@ Mar 1840) pp. 404 一 7 @2 Apr. 1840). 1981 年論文」 pp. 7, 10 円 2, 参照. 13) ㎝ apham 、 o,ク fi.f., n,p. 162 (邦訳, n, P. 177). 14) R. G;. Hawtrey, A4 Cen,tur3, げ Ba,n,k Rafe. 1938, 2nd ed,、 196,, p. xiv 瑛国 金融 史 研究会釈、 『、 利政策の百年』 (東洋経済新報社, 1977 旬, p.. lワ. Roberls,op. cit.,p.230f.. ]03 7) さしあ たり, 拙稿「インバランド 銀行と産業革 命」 円 と会経済史学』 X Ⅹ XVfmm/2 (1972. 7 ), pp. 87 一 103 頁 ; 同 1981 年論文」 叩 7 目 5, 参. Ⅰ川戸川. 339.. p.. ぉポ m-"m,@ 訪 , Secret. T 乃 e Tf/mes, 4 Dec. 1843.. (英国金扁虫 史 研究会沢 T イングランド 銀、 行 一 その歴史 一 Ⅱ ( ダイヤモンド 社 , 1970 年 ). p.. (グ. UrN 眠, ersl-. ・. Mus. 95. 琵e. 10) ルグルぱヤ (ou れ 0ゾ D とぴ加 ,ガ [以下, COn と略 ], O)a, p. 363 25 Mar. 1819). Cf COD,Ya. p. 188f. (6Dec. 1827).. られたことを 指摘している 占 ,注目に値するが,. の. 古尾. ・. tr@f Bkinl ゐ /,ぼ J スひ た 7 ゥ J3. Cambrid ty Press, 1943, pp. 26f., 67 一74. その根拠となるバーミンガム 支店の串 例 研究は 1880 年,以降 1905 年までの時期についてのもので あ る. ニコル ズ の正- 若月 H んわり of. 訪 , E, ぽ 1i,h P,,, f Lu,vJ, 2 vols., London, 1854 の改訂版 (1898 年 ) 巻頭に彼の伝記 ("l,ifeofSirGeorgeNcho 爪 , bv H.G;. Ⅶ W ink) があ る・ 5 以下, 支店 @ ーミンガム ) から本店 @ ンド ン ) 宛ての書簡には B づ /,, 本店から支店宛て のものには L づ B の略号を用い , おづ /,640 。 15 缶 p. 1834) のように書簡番 -邑と 日付を付して 引 用する. 6) J. H. Oapham, The Ban,A ゆ En は lan@d. A Histo,ry, Ⅱ, Cambrjdge UniVersity Press, 1958, p.. @. 『インバランド 銀行金融政策の 形成」. 大学出版会, 1989 年 ) をあ げておく. 8)@ E , V Morgan , The@Theory@ and@Practice@of@Cen ,. イングランド 銀行内部におけ. る「本店付支店」の 軋 礫を浮き彫りにしょうと する観点は稀薄であ る. 後者も 「国際的・ロン ドン的視座」に 偏った研究史を 批判し. イング ランド銀行と 地方産業との 関係に脚光を 当てた 点 , しかも銀行当局が「国内 面 1:業に付する 優 しさ」に欠けていたため 本 ・支店間の葛藤がみ. 3. 11. (11). 照 同上 p. 7, 注 11) 所 掲 文献のほか, それ以 後の邦語文献として , 藤田, 前掲 書 と 金井雄. 一59,. in: Er(,n,,用m/。、tzi. XXV, 1958 と。 リヴ ,ブール支 店に関する M. C 胡 Ⅱ ns, The BankofEngland aI Ⅱ verpo)01。 182 行 44. in: Buslnfss Hfstory, 。 XIV, 1972 があ るくらいだった. 藤田 モ 雄「中央銀、行 の形成」 (多賀出版, 1987 年 ). 第 5 章「インバ ランド銀行地方支店の 研究」は・主にこの 2 論 文によ。), 「支店で割引かれた 手形は企業主, 製 造業者及び商人らの 手形でなく, 銀行家の手形 であ った」ことと「割引において ,支店は本店 の指令と政策に 忠実で」あ ったことを説いてい る. しかし 1981 年論文」以後. バーミンガム 支店に関して 二つの研究, D.J.M0 , s, The Bank of Endand and the Country Bank 田 Mr 而 neh"m, 1827 円 3, in: Ec.on,o,m,,7cc Hisfo,,-ソ Rev./new,. 2nd ser., XXXIV/4, Nov,. 1981: D. Ziee 腱「, Cen,fr-u,lBu,n,k.p,en/phera,,l/n,du,stry.. 尚志 ). 口. ・・. Bank. @. ランド銀行支店経営と 中央銀行政策. ・. グ. 2l@ 22@ 23)@ 24@. ナ 1850. ,. in: Ero. れ. ・. H. ㎞・. 穴ダて. !, 2nd. 1948, p. 17. B づ L 442 93NoV. 1831). B づ L 387 (3l MIaV l831). B-@L@Private@(30@June@ 1832) A. Briees, t/ic.tor 由 n Cities, London, back. ser.,. 1963;. 1ハ ,. paper. ed. 、 1968, p. 186.. 25@ 大河内醜男『産業革命期経営 史 研究」 (岩波苫庇. 1978@). ,. pp. ・. 121 ,. 134.
(12) l2 L12. 第 XV 巻. 横浜経営研究. ヵ. 26) G. C. Ⅲ len, The fnれみ M,frial Devclopment 脇 rwineham. and the Ⅰ 8 ㏄Ⅰ 7927,, London, 1927,. Black p. xx. 30) Briees,ThomasAttwood,p. 1gg etPassi川 31) 武居,前掲雇掌 , p. 81. M.D. RowIands, Mdas 招だ d れみ M ピれ the W4est Mi ピルれみ 弗ヶと倣 W 乙れピ Tr Ⅰ は援ぬみそナ n ig the, Ⅰ れメぴ立れク I R ;7in ぴお on, MaxhesterUniversity Press 1975, 老妻日色・ 32) G. J. Barnsby, The Standard of Living in the ブ刀. Ⅰ. ピ. in:@ Econ . Hist , Rev . , 2nd@ ser , , XXIV/2 , 1971.@ Cf do., Th 几ピ Ⅱ匂Ⅰゐ石れ e Cz ク俺 ノけ0 ワピ笏ピれ t iれ カピ. CO。ぴ戸ケノ. 『イギリスの 地域と社会』 (御茶の水書房, 1984 年 ), p.76f. 27) Allen, め id. 大河内,前掲 書 ; 同 『近代イギリ ス 経済史研究』 0岩波書店, 1963 年 ) ; 武居,前 掲 書 ,参照. 28) 大河内,前掲『経営史 研究 J pp. 132 円, 13 行 40. 29) 桑原, 前掲論文 (一 ) P. 69, (二 ) p. 56; 同 「製鉄業」 (吉岡昭彦編著『イギリス 産業資本の 確立』 1968 年,第5 章 ) P.225.. Ⅰ. Black@ Country@ during@ the@Nineteenth@ Century ,. of. 武居良明. Ⅰ・. (1994). 第 1号. Ⅰ. Black@Country@ 33)@ 34)@. Briggs. 1867 , 1977. Victorian@Cities , pp. ,. Roberts. 1750@to@. , op. ・. cit, ,. p,. ・. 21 , 189-211. , 230ff. 244. 194f , (18@Jan , 1826) 36)@ Clapham , op , cit・, II, pp , 86@ff , (138@ CTIR , H , pp , 93@ff , 149]@ p 93a T , p 149) 37)@ COD , Eb , p , 173@(14@Nov 1833) 38) Clapham,op. ㎞・, 1I,p.124 (邦訳, D, p.124) 39)@ Bank@ of@ England , Archive , D275@ (19@ Apr 35)@. COD. , Wa. , p,. ・. ・. ・. ・. ・. 1839). 40)@. The@ pP). Circular@to@ 114. 一. Bankers. Ⅰ. (せきぐち. 教授. コ. , No , 119@(29@Oct. . 1830) ,. 116. よしゆき. (以下,続稿) 横浜国立大学経営学部.
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