1947年1月15日付教育関係三法案について
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(2) . 1947年1月15日付教 育関係三法 案について. 古. 野. 博. 明. I. 1 947年1月1 5日付 で, 戦後教育改革を具体的に推進しようとする三 つの重要法案が文部省内 で 作成された, 教育基本法案, 学校教育法案, 地方教育行政に関する法律案がそれ である. このうち, 5日付案は, 他の諸案とともに鈴木英一『教育行政』(戦後日本の教育改革3 東大出版 教育基本法1月 1 会 1 0年3月) にその全文が紹介されている. 学校教育法案と地方教育行政に関する法律案は, 国 9 7 立教育研究所付属図書館所蔵の 『戦後教育資料』 に納められ(m-39) , 一般に公開されている. こ れら三法案のそれぞれが文部省内のどのレ ベ ルで (調査局審議課か省議か, その他か) 作成された のかについては今は確定 できないが, 三つの法案が同日付で作成されていた事実だけからでも, 内 容上の相互連関とその立法政策史的意義の追求に関する強い衝動にかられる. 教育基本法案と学校 教育法案と では, 義務教育年限の延長などについて文理上の一致があり, 学校教育法案第8, 28 , 地方教 都道府県教育長 3 4 0 5 8 6 9 6 1 0 0条に登場するところの 市町村教育長 育総 38 9 7 , , , , , , , , , 長という行政機関名は, 同法案が明らかに地方教育行政に関する法律案の構想と一体のもの である ことを示唆している. これらの法案三つをワンセッ トとして考察することもあながち見当ちがいと いうことは できないであろう. 戦後教育立法の具体的な立案作業が開始されたのは, 少なくとも1 94 7年5月 22 日, 第一次吉田 内閣の文相に田中耕太郎が就任して以後のこと であり, おそらく, 8月 ごろを境に本格化したと推 定できる, 今日, この時期以降の教育立法政策史を吟味の対象とし, それをいくつかの時期に区分 947年1月15日付 して考察しようとするとき, だれもがこれら三法案の存在に出会うはずである,1 三法案の作成に焦点をあてることは, 戦後教育改革の研究にとっ ていかなる意義をになうの であろ うか, また, 三法案の存在は, 戦後教育立法政策史においていかなる位置を占めるのであろうか,. 2. 946年9月 20日 今日, 確認されているところでは, 教育基本法の具体的立案は,1 , 教育刷新委員 会第三回総会において田中耕太郎文相が提示した教育基本法全体構想に始まる.大臣官房審議室は, 翌9月21日付 で教育基本法要綱案を, 9月 25 日付 で「教育基本法制定にあたっ て考慮すべき事項」 を作成しているが, これらは, 教刷委第一特別 委員会に配布され, 討議の重要な参考資料となっ た← そして, 教刷委第一特別委員会と総会の討議は, とりわけ, 教育の理念, 教育目的・方針条項につ いて豊かな内容をつくりだしたのである, 11月 29 日, 教刷委第13回総会が採択した 「教育の 理念 111.
(3) . 古. 野. 博 明. 及 び教育基本法の制定に関すること」と第一特別委員 会が第13回総会に提示した教育 基本法参考案 とがその後の省内 立案作業の母胎となっ たことはよく知られている.第13回総会以後の省内立案活 47年1月 7 日付 2月 29 日付教育基本法要綱案,19 動 に つ いて は, 12 月 2 1日付教育基本法要綱案,1 4日付教育基本法 (案) の存在が知られている. 1月 15 教育基本法前文案 (大臣訂正の分) , 1月 1 日付教育 基本法案は, かかる経緯の末に 登場したもの であり, 教育刷新委員会 での討議の成果をう けた省内 での検討の一つの最 終的結論 であっ たとみられる( , } . ’ 4日付案と1月1 5日付案との差違は, 一部 7 0年東大出版会) 参照. なお, 1月1 1 ( ) 以上鈴木英一 『教育行政』( ) 参照, 9頁注 (37 の字句上の修正だけである. 同29. 946年8月 ごろからだとみられる( 学校教育 法についての打ち合わせ が始まるのは1 2 ) . 今日, 法案 ) である. 2月 24 日付学校教育法要綱案(『戦後教育資料』W-13 の形で確認しうる最初のものは,1 この要綱案は省 謡での討議に付されたものとみられるが, 教育を国の事務と規定したり, 教則の決 定を命令委任事項とするなど議会主義的国家教育権の発想が目立つほか高等学校の義務制を構想し ていることもやや興味をひく. また, 学校教育法の法案が直接教育刷新委員 会の審議に付さ れ た こ とはなかっ たとされているが( 3 } , 立案作業の推進にあたっ ては, 義務教育年限の延長をは じめ, 六・ 一回建議事項 「二, 学制に関すること」 の骨子を盛り込んだ教刷委第 三・三・四制単線型学校体系 ’ 0第1 6回総会,12・27第1 7回総会採択) が ふ ま え ら れ て い る こ と は 確 実 であ る. 4 6・1 2・2 7建 議 12・2 ( こ の よ う に, 1 月 15 日付学校教育法案は, 教刷委第 二特別委員会と総会 での討論を背景に主として. 省内 での検討を中心に して作成に至っ たものとみてよい. 97 8年8 ( 2X 3 ) 佐々木享「学校教育法の成立過程と 『目標』規定成立の意義について」日本教育学会第37回大会(1 月30日) 報告 (プリント) 参照. 教育行政の改革については, す でに,1946年 1月 25日付で「地方教育行政刷新要綱」 ,「地方教育 5 5 X- ) が練り上 』I 『 戦後教育資料 補正試案 」( 同「 ) 設置要綱 」 行政刷新要綱ニ基ク学区庁(仮称 , げられており, アメリカ教育使 節団報告書(3月31日) が勧告する教育 委員会制度構想との間の調 整が重要な課題となっ ていた, 8月 20 日省議決定の 「教育行政刷新要綱」 や10月2日付大臣官房 審議室作成の 「教育行政刷新に関する問題点」 は, 学区, 学区支庁に 調査審議機関としての教育委 員会を設置する案 も導入しているが, その骨 格においては従来からの学区庁 構想を維持している. また, 9月 25 日付及び10月 20 日付 で審議室が作成した「教育 基本法制定にあたっ て考慮すべき事 項」 でも, 「教育行政官庁 法 (学区庁法) 案の作成」 が明記されている( 4 } . このように, 8月以降に おいても省内 では, 全国を八~九区域に分けて学区庁を設置し, 各学区の大学を中 心において教育 行政の刷新と教育権の独立をはかろうとする 意見が有力 であっ た. 省内の意向は, 教育刷新委員会 5 0月 9 日を皮切りに1 に報告さ れ討論の素材と なるが,10月 4 日に設置された第三特別委員会は,1 構想をしりぞけ 回の討議を重ねた 末, 教育権独 立の趣旨を継承しながらも大学 を中心におく学区庁 ・ その成果は, 教刷委第一回建議 て, 民意の反映をはかる 「教育委員 会」 構想の採用をうち出した. 2月2 7回総会採択) となっ て現れる. 第三特別委員 会での 7日第1 事項「四, 教育行政に関すること」(1 討論は, 教育行政制 度改革の理念, 基本原則にとどまるのでなく, 委員の公選制, 事務配分, 行政 機関の相互関係, 教育財政上の諸問題などかなり詳細にわたるとみ られ, 地方教育行政に関する法 律案の土台を形成したと考えてもよいであろう, 112.
(4) . 1 947年1月1 5日付教育関係三法案について. ’ 75年3月東大出版会) 及び自治大 39頁 同 「教育委員会制度の成立」『教育改革』( 7~2 ( 4 ) 鈴木英一 前掲書23 学校編 『戦後自治史X』 等参照. かかる経緯で作成された三つの法案はいずれも法律案としての体裁を一応整えることができた最 ’ 4 7年8月ひかり出版社) の 初のものとみてさしつかえないであろう. 内藤誉三郎 『学校教育法解 説』( 記述によれば「議会に提出すべき法律案は1月15日迄に内閣法制局に要綱を提出することになっ て いた」(3頁) よう である. また, 高橋 誠一郎文相が, 2月14日, 貴族院本会議で次のように述べ て いた,. 「教育刷新の具体的方策と 致しましては, 文部省が只今準備して居りまする法案は……第一は 教育 基本法であります. ……第二は, 学校教育法であります. ……第三は, 地方教育行政法であ ります, 尚此の外に研究中のものが二, 三ございまするが或は後程他の機会に於て申し上げるこ 2巻7 9頁) 『近代日本教育制度資料』 第3 とに相成るかと考えまする,」( みられるように, ここ では教育 基本法, 学校教育法, 地方教育行政法の三法案とその他 『研究中 の二, 三のもの」 とが明瞭に区別 して扱われており, 省内立案作業における三法案の先進的位置を 示唆している. ここ でいわれた二, 三の法案とは, 教員身分法要綱案, 学校法人法要綱案などをさ 5日付の三つの法案は, 議会提出を直接 すと考えてよい( 5 ) , これらのことを考慮に入れると, 1月1 47年度からの六・三制実施 念頭において起案されたものであり,この時期の 立案作業のなかでは19 プを形成していたものとみられるのである の方針に合わせて最優先のグルー . そして, 教育基本法 案は, 1月 23 日, 法制局 で検討される( 6 ) . 学校教育法案についても閣議提出がはかられた形跡があ 「各 「 る( 〉 7 , また, 地方教育行政に関する法律案についても, 1月17日, 法案の請議案」 が作成され 関係官庁に法案に対する 意見を求めるための文書」が発送された模様 である( 8 ) . こうして, いずれの 法案もその成立に向けてのあらたな準備に入っ たとみられるが, この間の事情は 十分明らかではな し、 .. 2回帝国議会への上程が直接日程にのぼっ ていたとは考え と こ ろ で, 1月 15 日付三法案の, 第9 にくい. とりわけ, 4月1日からの六・三制実施の方針をめ ぐる動向が問題の焦点となっ ていた. 周知のように, 教刷委は六・三制の実施を強く要求し, これをうけて文 部省は4月1日実施の方針 で進んでいたとみられる. これに対 し, 政府部内 では, 吉田首相をはじめ, 大蔵省, 内務省が財政 工日 の要求はきわめて強硬であっ た. 的理由から強く反対していた.また, 4月1日実施についての C こうした情勢の なかで, 1月31日, 田中耕太郎が更迭され, 高橋誠一郎が文相に就任する. 約8 カ 工E 相互の関係における複雑な状況に内在するもの 月間にわたる田中文政の終結は, 政府, 文部省,C 三法案の行方に強く影 であっ た( 9 ) .田中更迭に象徴されるこの時期の文教情勢は,当然のことながら 4日, 貴族院での南原繁質問に対して, 六・三制の実施 (したがっ て 響した. 高橋新文相は, 2月 1 47年度実施の方針を実 現しうるか否かについて 学校教育法の制定) には 「非常な障碍」 があり, 19 省内 ではもちろん関係方面とも折衝中であり 「未だ成案を得るに至っ て居らぬ」 と答え, また, 地 方教育行政に関する法律案についても 「種々 なる障害に逢着しなければならぬことと考へられる」 第 と述 べている( } , 。 . この時点において, 少なくとも学校教育法案, 地方教育行政に関する法律案の 92回帝国議会上程の確固たる方針が成立する条件はま だ整えられていなかっ たといえよう。 以上のような経緯の概略によるだけ でも, 三法案の作成を立法過程の単なる一通過点とみなすの は適切 でないと思われる. むしろ, それは, 田中文政期省内立案作業の到 達点, さらには, 三法案 作成後二週間余の田中退陣劇を合わせ考えると, 教刷委との協同という省内立案作業の性格を無視 できないにせよ, それは, 田中耕太郎が直接間 接に指導し影響を与えてきた立案作業の終結点を示 113.
(5) . 古. 野. 博. 明. すものとみなすことが現実的 であり, われわれは三法案の内容から田中文政期に成立した教育改革 案, その立法政策の骨格と特徴をよみとるよう努める必要 があるのではなかろうか. ( 5 ) 1946年 11月 25日付学校教育局作成の学校法人法要綱案( 『戦後教育資料」m-3 ) 9 , 日付不明の教員身分法要. 綱案 (同前V-2 2 , 田中文政期のものと推定できる) , 日付不明の 「学校教師 (員) 身分法に関する問題点」(同 前V-23 m-7) などの存在を確認で 94 6年7月1日付社会教育奨励法案 (同前V 9と鉛筆書有り) ,1 , 21-9-2 き る. ま た, 1946年 12月 2 1日付教育基本法要綱案は 「この法律に掲げる諸原則を実施するために適当な法律が 制定されなければならないこと」 とし, 学校教育法, 社会教育法, 学校法人法, 教育行政法, 教員身分法を掲げ ている, 田中文政期に社会教育法要綱案が省内で作成されていたかどうかは今のところ未確認である. 6 ( ) 鈴木英一 前掲書 258頁 ( ) 仲新 『日本現代教育史』(1 7 96 9年11月第一法規) は, 1月17日付田中文相より吉田首相宛の文書に,「教育刷 新委員会の決定により, 学制全般の根本的刷新を計る必要があるので, 別紙学校教育法草案を具し, こ・に閣議 をお願いする」 とある, とし(2 73頁の注) その学校教育法案全文を紹介している(227~23 6頁) 5日付 ,. . 1月1 仮名文字等一部に訂正があるほかほとんど同文である 案と比べてみると, , また, 内藤誉三郎は 「学校教育法案 ができて, それを閣議にかける段階にきたわけです, それをワンマンが反対した, 大蔵大臣も反対だった」{自治 大学校史料編集室『「六・三制及び教育委員 96 8年2月, 1 3頁)「正月の休暇 .会制度の発足と改革」 座談会記録』1 も殆ど休まず, とにかく要綱(学校教育法案の -- 筆者)を予定の期日(1月1 5日 -- 筆者)迄に内閣に提出 した」(『学校教育法解説』19 4 7年8月ひかり出版社3頁) と述べている, ) 鈴木英一 前掲論文の 「付・年表教育委員会の制定経過」 海後編.『教育改革』4 ( 8 1 0頁 ( 9 ) 田中更迭の事情については前掲『「六・三制及び教育委員会制度の発足と改革」 座談会記録』 に, 内藤誉三郎, 天城勲の若干の証言があり, 吉田茂 『回想十年』 第1巻 (1 95 7年新潮社) でもかんたんにふれている. 1頁 回 り 『近代日本教育制度史料』 第32巻8 0~8. 3. では, 三つの法案は, いかなる改革案を提起し, どのような問題構造をもっ ていたの であろうか. まず, 教育基本法案は, 前文 で 「人間性を尊重し, 真理と正義と平和とを希求する人間の育成を 期する」 ことを明記し, 教育の目的を 「教育は, 人間性の開発をめ ざし, 民主的・平和的な国家及 び社会の形成者として, 真理と正義とを愛し, 個人の尊厳をたっ とび, 勤労と協和とを重んずる, 心身ともに健康な国民の育成を期して行はれなければならない」(第1条) と規定する. 他民族と自 国民にはかりしれない残虐非道な犠牲をしいた1 5年間の侵略戦争に対する深刻 な反省にたっ て,戦 後の「危機」 打開のためには何よりも人間性の確立, 人間としての自律が必要だと認識されていた. 新憲法の 「理想の実現は, 根本において教育の力にま つべきものである」(前文) とする以上, 恒久 平和の理念とともに人間性の確立が教育の目的として第一義的に登場するのは必然的 であっ たとい いうる であろう. 南原繁は, かつて, 次のように述べたことがある. 「わが国がいま改めて民主政治を自分のものとするためには, 何を措いても, 人間の自律と人 間性の確立が急務 である. われわれが国民たる前に, ひとり びとりが人間としての自律である. それは, 国家の権力といえ どももはや侵すことの できない自由の主体と しての人間人格の尊厳 -- 同時におのおの が余人をもっ て代えることの できない個性の価値の相互の承認 でなければ ならぬ. このことは, そもそも近代日本を築いた明治維新において, まず成就さるべき性質のも のであっ たの である. ……いま祖国の崩壊に遭遇して, 国を根底から建て直すに当っ ては, 真に ヒュ ーマニズムの精神の覚醒とそれによる自主自律的な人間の養成よりも, 根本的且つ喫緊の課 1 9 5 5年4月 題はないであろう. それこそ, わが新しい教育の第一の根本原理 であるのである,」( 114.
(6) . 1947年1月1 5日付教育関係三法案について. 20頁) 57年1 9 0月東大出版会・2 朝日新聞社編 『明日をどう生きる』 , 『現代の政治と思想』1. それは, 敗戦直後の世相が求めた一時的必要に局限される性質のもの ではない. 戦後30余年の人 民の歴史を貫通して 未来を開きつつある一 貫した理念というほかなく, その後の実践のなか でます 5日付案の第一 の ます磨きぬかれるべき性質のもの であっ た. このような教育目的の定立が, 1月1 特徴であり, その趣旨は, 教育基本法の成文に生きたの である. 第二の特徴は, 教育目的達成の方 法・組織論上の原則として, 学問の自由・教育の自律性 (第2条) と教育の国民に対する独立責任 1条1項) の理念が提示されたところに求められる (第1 . このような組織原則は, 一方 では, 人間の 自律を中心とする教育の目的の諸相が学問の自由, 教育の自律性によっ て絶えず深められ, 豊かに されるよう要請するとみるべきであり, いわば目的規定自体をも拘束する関係に 立つと 、いえる. 他 1条1 1項) や自己の使命を自覚した教師の 方では, それは, 教育条件整備を目標とする教育行政(第1 職責遂行の政治的, 官僚的支配からの独 立を予定し, いわば, 教育権独立の趣旨を国民に対する関 係において示そうとしたとみられるが, その論旨はややあいまいである. 形式的法律主義や国家後 見的監督行政論の侵入の余地を全く残していなかっ たか どうか, 吟味の必要性を感じないわけ では . 学校教育法案の内容と照らし合わせるとその感はいっ そう深くなる. ・構成は次の如く である. 第一章 総則 (第1~21条) 第二章. 小学校 (第2 2~4 0条). 第三章. 中学校 (第4 1~4 7条). 第四章. 高等学校 (第4 8~5 8条). 第五章. 9~8 0条) 大学 (第5. 第六章. 8条) 盲学校及 び聾学校 (第81~8. 第七章. 養護学校 (第8 9~91条). 第八章. 2~9 幼稚園 (第9 7条). 第九章. 雑則 (第9 8~1 06条). 附. 則 (第1 07~11 4条). みられるように, 各学校別に規定する従前のやり方を改めて制度の体系を一つの法律にまとめあ げ,六・三・三・四制単線型学校体系の創出をねらうと同時に「児童 の満6歳に達したろ日 の翌日以後 における最初の学年の始めより」 「満15歳に達したろ日の属する学年の終わりまで」の保護者の就学 義務を規定して義務教育年限の延長を図る(第2 7 4条) など, 学校制度の抜本的改革を企図 してい ,4 2条) る. そして, 例えば, 小学校は 「初等普通教育を」(第2 1条) ,中学校は,「中等普通教育を」(第4 , 高等学校は 「高等普通教育及 び専門教育を」(第4 8条) それぞれ施すことが目的とされ, 従前の各学 校令と比べて国家主義的色彩の払拭につとめている. このような学校体系のなかで教育 基本法案が 示す教育目的の達成が予定されることになる. では, その組織論にかかわっ て学校教育法1月15 日 付案はいかなる原理と制度を提起したのか, その特徴は何 であっ たのか. 注意深い検討が必要 であ る.. 第一に, 小学校及び中学校の教科について 「小学校の教科は, 国語科, 社会科, 算数科, 理科, 音楽科, 美術科, *工作科, 家庭科, 体育科及び自由研究とする」(第 数条*但し ,「工作科」 については 資料に削除の跡がある) , 「中学校の教科は, 国語科, 社会科, 数学科, 理科, 体育科, 音楽科, 美術科, 職業科とする」(第4 3条) と明記し, 教則は 「命令でこれを定める」(第26 4 7条) という制度を採用 している. 教科書制度については, 文部大臣の検定を経たもの (但 し 「当分の間」 は文部省 が著作 権を有するもの) の使用 を義務づける (第2 5条1項 7条) とともに 「特別の必要ある場合」 は命令 ,4 1項,4 に委任される(第2 5条1 7条) . なお, 高等学校の 「学科目及 びその程度, 教科用図書」 も命令 で 115.
(7) . 古. 野. 博. 明. 定めることとされた, 教科を法律で定め, その具体的内容である教則の決定や教科書についてこれ を命令制定事項とするやり方は,教科書についての国定制の撤回・文部大臣の検定制導入を除けば, 教育を国の事務と規定した1 94 6年12月 24 日付学校教育法要 綱案と同じである. ところで, 帝国憲 法・教育勅語下においては,教科を勅令 で定め,教則を省令に委ね,国定教科書の使用 を義務づけるや り方がとられていた. それらの規定や国定の教育内容の中味については時代により重要な変更があ り, その吟味は制 度史研究にとっ ても必要不可欠であるが, 今はその意義を問う用意はない. 問題 は, こうした従前の制 度と1月 15日付案との間に大差がないとみられること である. 教科名 だけを 法律 で定め, 法律の規定によっ て教則の決定や教科書に関し必要な事 項を命令に委任するというこ とは, 教育内容の決定を結局は国の行政権の窓意に全面的に委ねて しまうことを意味する. 法律主. 義の採用や教科書検定制度の導入などの相違 点は, 主として, 制度の原理的基礎の違い (制度史的 には重要 な遠いなの であるが) を予想させるだけ ではないだろうか, 第二に, 学校監督行政に関するしくみが問題になる. まず, 公立又は私立の小・中学校は 「都道 0 7条) 府県教育長の」(第4 7条) ,4 ,「私立学校はこの法律に特別 , 「高等学校は地方教育総長の」(第5 第8条 都道府県教育長の 監督に属するとされる 」( ) の定めある場合を除いては . そして 「教育上有 8条) が規定され,「校長の命を承けて」(第 害 であると認めたとき」 の監督庁の授業変更命令権(第1 3 3条)行われる教育活動な ど学校内的事項に対する行政機関の後見的監督 がまず目につく.外的事項 8条) 面についても, 監督庁の設備等変更命令権(第1 , 学校設置者への 「学校の増設, 拡張及び整理」 1条)及 び校長の解職命令権(第1 2条) な に関する命令権(第7条) , 私立学校の校長等の認可権(第1 「 どが定められた. さらに, 総括的な規定として, 「法令の規定に違反したとき」 安寧秩序を乱し又 , は風俗を壊乱する虞のあるとき」 , 「法令の規定により監督 , 「6箇月以上規定の授業をしないとき」 庁のなした命令に違反したとき」は,「監督庁は公立又は私立の学校の閉鎖を命ずることができる」 5条) 7条の規定が, それ とされた(第1 . ここ で注目すべきことは, 第8条, 第11条, 第15条, 第1 8 8 9年8月3日, 勅令第3 6 9号) の, 第3条, 第7条, 第10条, 第9条の条文と 「監 ぞれ私立学校令 (1 督庁」「監督官庁」の語を除けば全く同文 であるかまたはきわめて相似 しておりかつその対象を公立 学校にまで拡大している点 である, 学校監督行政のしくみは, 明らかに私 立学校令を下敷にして立 案されたの であり, このような旧制度的思 惟は学校教育法の成文に部分的にせよ生きてしまう こと に な っ た. 第 三 に,12月 24 日付案と同様に命令制定事項がきわめて多いことも 1月 1 5日付案の大きな特徴. である. 「命令 で」 定めることを規定する条文は, 全体 で33条項にのぼっ ており, この法案におけ る法律主義の採用 がいかに形式的なもの であっ たかということを如実に物語っ ている. こうして, それが学校体系の抜本的改革を提起したもの であっ たにもかかわらず, 教育内容の国 家的決定, 後見的監督行政, 形式的法律主義等々 の, この法案の諸特徴には, 国家教育権的発想を 感 じ な い わ け に は い か な い の であ る.. 地方教育行政に関する法律案は,「公正な民意により, 地方の実情に即した教育行政を行い, 教育 本来の使命を達成せしめることを目的と」 し(第1条) , 「地方教育行政の組織, 監督及 び教育費の負 担」 をこれによらしめようとするもの で(第2条) , 明らかに行政組織法 の性格をもつものであっ た, 構成は次の如く である. 第一章. 総則 (第1・2条). 第二章. 市町村教育行政 (第3~37条). 第三章. 都道府県教育行政 (第3 8~5 5条). 第四章. 地方の教育行政 (第5 6~7 8条). 116.
(8) . 5日付教育関係三法案について 1 94 7年1月1. 第五章 組合教育委員会及び教育委員会協議会 (第7 9 82条) 第六章. 教育行政の監督 (第8 3~9 3条). 第七章. 教育財政 (第9 4~1 08条). 附 則 この法案によれば, 市町村と都道府県にそれぞれ公選による委員と議会が議員のなかから推挙す る委員 で組織する (第4 9条) 教育委員会をおいて (第3,3 8条) ,3 , これを議決機関とし, 別に, 教. 育に関する事務を執行し, 教育に関して市町村, 都道府県を代表する機関として各教委が選挙する 教育長をおく (第2 4 8 6 0条) ,2 ,4 ,5 . この構想は, 教育委員会が, 教員人事や教育条例の制定改廃, 教育予算や決算, 教育税や授業料等の賦課徴収 (市町村, 都道府県) , 教育内容の基準や私立の小.中 学校の認可(都道府県) 等々に関して議決し, 教育長がこれらの議決の執行と学校その他の教育施設 の管理を掌るとするものでいわゆる行政委員会としての教育委員 会制度構想とは異なる. また,「政 令の定める区域」に, 都道府県教育委員会委員 が選挙した委員 で組織する地方教育委員会を設け(第 5 6 7 8条) 1条) ,5 ,5 , 事務執行機関として地方教育総長をおくこと(第6&7 , 地方教育総長は, 地方教 育委員会が「選挙したものに ついて内閣がこれを任命する」 こととし(第6 9条) , これを国の機関と して位置づけている. そして, ここ でも, 地方教育委員会が, 官公立高校の教員人事, 公私立大学, 高校の設置, 廃止の認可, 社会教育, 国庫負担金, 国庫補助金の配分等に関して議決し, 地方教育 総長がこれらの議決の執行と官立の大学その他の教育施設の管理を掌る(第6 2条)とする. また, 5 ,7 地方教育総長の管理下に地方教育研究所がおかれ, 教員の再教育, 教育内容の研究・その他の調査, 研究, 各級学校教育に関する専門的指導及 び助言, 市町村・都道府県の教育委員会・教育長への助 言に関することなどを扱うこととしている (第7 7条,7 8条) , この法案に示された教育委員会と教育 (総) 長の関係は, 地方自治法にみる地方議会と首長の関係との類比でとらえられ, 「教育議会」 , 「教育知事」 などと呼ばれたこともある, 教育刷新委員会 では, 例えば, 都道府県の教育長は, そ の社会的地位において知事, 地方裁判所の所長と対等のものとして位置づける議論もあっ た. この ような発想は教権確立の趣旨を表現したも のとみられるが, 同時に, かかる組織編成下において, 上級行政庁としての地方教育総長及 び地方教育事務局の占める位置が大きいことに留意すべき であ ろう, さらに, 教育財政についても一般行政からの独立をはかっ て教育独立会計の設置 (第1 0 2条) や所 得税に対する付加税として教育税の創設(第9 7条) を試みている. 教育費については, 都道府県立, 市町村立学校経費等はそれぞれ都道府県, 市町村の負担, 教員の俸給その他の給与は都道府県の負 担 (第9 4条) としながら, 義務教育経費の一部国庫負担 (第9 5条) 6 , 教育行政経費の国庫補助 (第9 条) を定め, その金額の算定等を政令に委ねている. 地方教育行政に関する法律案の以上のような概要をみるとき, さしあたっ ては, 教育を一般行政 のルートから全く切り離して教育権の独立をめ ざし, 教育事務をできるだけ 「地方」 に委譲して文 部省の権限 「縮少」 をはかり, 「公正な民意」 と 「地方の実情」 に即した自治的な教育行政の組織と そのあり方を示したものと特徴づけることができよう, また, 学区庁案における教育の自主性, 学 者, 教育者の自主権確立の趣旨を継承しながら, アメリカ教育使節団が勧告した 「地方分権」 , 「民 衆統制」 の発想をくみ入れたものとみることができるのかもしれない. しかし, 法案の中味にやや 立ち入っ て検討すれば, 次の二つの問題点をどうしても指摘しないわけにはいかない . 第一の問題は, この法案が示した教育行政に対する監督のしくみ である. 法案は, 上級行政庁に よる監督と住民監督の二つの組み合わせを提起している. 上級行政庁による監督は,「地方教育行政 の自治」 を尊重し「この法律に従っ てのみ行うことができる」 として(第8 5条)監督庁の自由裁量を 117.
(9) . 古. 野. 博. 明. 限界づけているが, 監督関係の基本を, 市町村・都道府県の教育委員会は, 第一次において地方教 3条)〔市町村.都道府県教育長が行な 育総長の, 第二次において文部大臣の監督下におくこと(第8 〕 う国の教育行政事務について も同様 (第 挺条) , 「政令の定める事項」 については, 市町村教育委員 会は都道府県教育委員会の, 市町村教育長は都 道府県教育長の監督をうけることと定めて, さらに 次のような規定を設けている, 第8 6条 監督庁は, 教育の監督上必要がある場合においては, 事務の報告をなさしめ, 書類帳簿 を徴し, 及 び実地について事務を視察し又は出納を検閲することができる. 第90条 教育委員会の議決又は選挙がその権限を超え又は 法令若 しくは会議規則にそむくと認 めるときは, 監督庁は, これを再 議に付し又は再選挙を行わしめることができる. 前項の規定によっ てなした教育 委員会の議決又は選挙がなおその権限を超え又は法令若しく は会議規則にそむくと認めるときは, 監督庁は議決又は選挙を取り消すことが できる. 左に掲げる事 件は,政令の定めるところにより,監督庁の許可をうけなければならない, 一, 教育条例を設け又は改廃すること. 二, 教育税を賦課徴収するこ と. 三, 教育に関し起債すること, 但 し, 一時借入金はこの限り でないこと.. 第91条. 四, 教育費にあてるための基本財産及 び積立金を処 分すること. このほか, 教育長が未選出で教育事務停廃のおそれがあるときの, 監督庁による臨時教育長代理 3条) も問題となるところであろう. みられるように, 市町 村や都道府県の教育 の派遣の規定(第9 行政における自治立法権, 自治行政権, 法令の自治解釈権は法律の定める ところによっ て著しく制 限され, 究極的には, 国家後見的監督に従属せしめるしくみが整えられている. 教育委員会の解散・ 2条) による住民監督の方法は, 委員の公選制と 9条) や監 査請求 (第9 7 委員の解職請求 (第8 ,88 8 ともに民主化の契機をもつものとして 十分注目すべき制 度にはちがいないが, かかる自治権の制約 を制度上くつがえす性 格をもつものではない. 3条1項) また, 視 第二に, 教育長と学校・教員の関係に注目した場 合, 市町村に視学をおき (第3 4条) 学委員をおくこと ができる (第 錫条1項) とし, 都道府県に視学委員を (第5 , 地方教育事務局 視学は「 学事の視察を 6条)とする各規定を見落すわけにはいかない. に視学・視学委員をおく(第7 1項) 3条1 行い及 び教員人事に関する資料を報告する」(第3 ・ } ( , 視学委員は 「学科の(教授の視察及 び) 教育権の独立の趣旨 4条1 1項) とされているから, この法律案が, 教育の自主性, 指導を掌る」(第3 に出るとはいえ, かかる制 度 の下で, 教育行政に対する教師の教育 権が制度上十分に保障されうる といえるか どうかきわめて疑わしいの である. 1項の条文には, ペン字で修正の跡があり, 「視学委員は学科の指導を掌る」 が 「視学委員は, 教授の ( 1 ) 第34条1 視察及び指導を掌る」 とされている.. さて, 以上のような三法案の内容をワンセッ トのものとみなし, 田中文政期教育改革構想の到達 点をみきわめようとするとき, われわれは, 直ちにあらわな撞着とある種の当惑に 直面するの であ る. 一方 では, 教育の目的達成の方法原則, 目的条項自体をも拘束するものとしての学問の自 由・ 教育の自律性 が提示され, また教育権の独立を国民との関係 で示そうとされていながら, 他方, 具 体的な制度形態をみれば, 形式的法律主義, 法律の委任による教育内容の国家的決定,.国・上級行 政庁による国家後見的監督, 教育行政権による教師の教育権の著しい制約など, いわば議会主義的 国家教育権ともいうべき発想が目立つからである. 教育目的条項の革命的意義については, ここ で 118.
(10) . 1 94 7年1月15日付教育関係三法案について. は問わない, このような 「矛盾」 は, 何を意味するのだろうか 教育基本法案と他の 二法 案との間 . のギャッ プは埋めようもなく, これをセッ トでみなすには無理があるとの議論も生ま れうるかもし れない. いや, はたしてそれは本当に 「矛盾」 なのだろうか. 国家教育権的発想と 「教育の自主性」 , 「教育権独立」 論とは 「両立」 しえた のではなかっ たのか この 「両立」 は旧制度からの転換を し . いられる情勢の中での一つの体制的選択 であっ たとする仮説にも十分な魅力 がある いずれにせよ . , それは, 田中文政期立法政策の事実に基づく詳細な吟味によっ て確定されるべきところ であり と , くに, この時期において国家と教育の関係が どのように問題にさ れたのか, その論理構造の抽出が 重要なポイントを占めると思われる ここ では, 1 94 7年1月1 5日付三法案に結実する教育の自主 . 性, 教育権独立, 学問の自由の理念が, 各法案のその後の経過においても発展的に継承され 成文 , に生きたことを指摘するだけにと どめようと思う.. 4 1947 年 1月 15 日付三法案の位置づけを確定する上 で. , 各法案のその後の経緯にはまことに興味. 深 い も の が あ る.. 教育基本法1月 1 5日付案は, その後, 法制局 での検討, CIE との折衝に移され, 1月 30日付教育 基本法案となる. さらに, 2月 1 2日付教育基本法案, 2月 28 日付教育基本法案を経て, 3月1日 閣議に上程され(3月4日決定) , 3月6日には枢密院に送付される. 枢密院で一部修正をうけて (3 月8日付教育基本法案・3月12日本会議決)3 月 13 日第9 2回帝国議会衆議院に上程され(3月1 7日可決). , 3月1 9日貴族院に送付3月 25日 可 決 成 立 し た(3月31日公布4月1日施行) か か 経 る 緯 な の か で注 ( . ) .. 目すべきことは, 1月 1 5日付案と1月 30 日付案との重大な質的差違 である. 両者の差違は6カ 条 にわたっ ているが, とくに第11条 (教育行政) の条文の質的な変化が大きい, 1月 30日付案の第 11条は次のようなもの である. 第11条. 教育行政. 教育は, 不当な 支配に服することなく, 国民に対し直接に責任を負うべきもの である. △ 教育行政は, この自覚のもとに,△教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標とし て行なわれなければならない. 第 一 項 で, 1月 15 日付案の 「独立して」 が 「直接に」 となり 「政治的又は官僚的」 が抜けた , .. 第二項 では, 「学問の自由を尊重し」 が抜けた, 後者については, 第2条との重複を避けたものと解 してさしつかえないだろう. 問題は, 第一項の変化 である, 教育の国民に対する関係を直接責任と いう理念 でつなくということは, それを教育に対する国民の関係としてみれば, 教育の意思決定の 主体が国民 であり, 教育は, 直接国民自身の協同事業であることを示すと考えられる. このような 発想は, これまでの立法政策の展開のなか では十分自覚的であっ たとはいえないもの であり, 質的 に全く異なる新しい原理の登場を意味している. 安達健二は, このような重大な変化の事情を次の ように証言している. 「ダイ レ ク トリ ィ ・ レ ス ポン シ プ ル と 書 い て き た ん です こ の 通 り 書 か ね ば いか ん と い っ た ん .. ですね. それを翻訳して教育は国民に対してダイレクトリィ にレス ポンシブルだといっ たのが, これはその独立してという意味ではないかといっ たけれども, その 『独立して』 とは又, 何だと いうことでまあそのまま直したという, 私はそういう感 じがするんですが. 要するに教育の民衆 的支配という ことを書けということで, こう書いてきたことをそのまま翻訳し, そして多少加え 119.
(11) . 古. 野. 博. 明. たと……独立ということはちょっ と どうだろうかということ で直接ということに直したんです. そういうことでは なかっ たかと思います」(北大教育学部教育制度研究室研究資料第2号『教育基本法の成 立事情口』42-43頁). みられるように, 国民に対する直接責任の理念のあらたな登場は, CIE との折衝を媒介にしてい る. また, 「不当な政治的又は官僚的支配」 から 「不当な支配」 への変化は, 第1条の 「人間性の開 発」 が「人格の完成」 となっ たことと同じく, 法制局 での検討を通 じて生まれたものであっ た. { 2 )」 5日付案から1月 30 日付案に至る過程は, 教育の国民に対する独立責任にかえて直 うして, 1月1 接責任という新 しい原理を登場させ, また, かかる理念と学問の自由, 教育の自主性原則とを統 一 的にとらえる可能性, いわば両者を表裏の関係 で形成する条件をつくり だしたという 点で画期的な 意 義 を も つ の で あ る.{ 3 ) 1 ( ) 鈴木 前掲書参照. 1条関係では,次の4点である.「28 2項目にわたって指摘された.第1 ( 2 ) 法制局では,1月15日付案の問題点が3 0 教育が責任を負うという意味, 教育行政も入るのか.29 , 不当なりや否やの判断者はだ , 官僚的支配の意味, 3 94 7年1月 22日「教育基本法案に関し法 1 れか.3 , 文部大臣の教育行政に関する責任に誰に対してのものか,」(1 2頁) また, 安達健二は 「これは法制局 でこう直ってきました」 と 99-30 制局で問題になった点」 鈴木前掲書, 2 述べている (前掲 『教育基本法の成立事情ロ』43頁) ( ).1月15日付案から1月 30日付案への変化にかかわって, 安達健二は 「教育の自主性ということが否定され, 3 そして教育の国民に対する責任という考えが積極的に強調されたもである」(『中等教育の基本問題』 帝国地方行 政学会196 3年5月2 7 9頁)と述べているが, 鈴木英一が的確に批判しているように教育基本法は「教育の本質に ねざし, 教育の自主性尊重を基本精神として生成されたものであり, これは教育基本法全体を流れる条理という べきもの 」{前掲書256頁) とみるのが正しい. ,. 5日付案のあと, 2月18日付学校教育法 学校教育法案もその後注目すべき変化をみせる. 1月1 案が作成され, 3月 5 日付毎日新聞に学校教育法案の主要条文 が掲載される. そして3月 7 日閣議 7日第92回帝国議会衆議院上程, 3月 22 日貴族院送付, 決定, 3月15日枢密院本会議可決, 3月1 3月 27 日可決成立, 3月31日公布4月 1日施行の運 びとなっ た. 学校教育法の成立過程について 78年8月30 は, 従来, 必ずしも定か ではなかっ たが,19 .日, 日本教育学会第37回大会における佐々 『 目標 規定成立の意義について 』 」 が, 2月 18日付学校教育法 木享報告 「学校教育法の成立過程と 案の存在をあらたに付け加え, この間の事情をかなりの程度明 らかに している, それによると, 1 月1 5日付案と2月18日付案との間には, 重要な差違が認められる. まず, 学校の目的条項が次の ように修正される. 小学校は教育基本法の趣旨に則り, 児童心身の発達に応じて, 初等的な普通教育を施す ことを目的とする. 第41条 中学校は, 教育基本法の趣旨に則り, 小学校における教育の基礎の上に, 心身の発達に 応じて, 中等の普通教育を施すことを目的とする.. 第2 1条. 高等学校は, 教育基本法の趣旨に則り, 中学校における教育の基礎の上に, 心身の発達 に応じて, 高等の普通教育並 びに社会に有用な専門教育を施すことを目的とする. 下線部分があらたに挿入された個所, 修正部分 である. みられるように, この法案は, 教育基本 第4 9条. 法の趣旨と一体のもの であることをいっ そう明確にしながら 「学校教育が子どもの発達にそくして 実施されるべき であるという視点」「小 → 中 → 高のいわゆる学校体系上の接続関係を明確にする企 図」 4 )を示すものであるといえよう, { さ らに, 注 目 す べ き こ と は, 1 月 15 日付案の教科名 を列挙する条文が削除されて, あらたに, 小, 120.
(12) . 19 4 7年1月1 5日付教育関係三法案について. 中, 高, 幼稚園の教育目標規定が登場したほか, 例えば, 小学校の場合についていうと 「小学校の 教科は第21条及 び第22条の目的に応じ監督庁 が定める」(第塾条)という条文が付け加え られたこ と, 1月 15 日付案の 「小学校の教則, 編成及 び設備は, 命令でこれを定める」(第2 6条) が, 「小学. 校の教則, 編成及 び設備は, 監督庁がこれを定める」(第2 6条) と修正されたことである, また, 3 5 日付毎日新聞に掲 月 載された学校教育法案(2月1 8日付案と同文のものではなかったかと推定される) に つ い て 筆 者 が検 討 した と こ ろ では( 6条)などは「都 5 ) , 1 月 15 日付案にある 「都道府県教育長」(第2. 道府県監督庁」 と修正され, 「地方教育総長」(第5 7条) は削除されて, 小, 中, 高校は都道府県監督 庁の所管に属せ しめられたことや 「命令 でこれを定める」 とした事項がかなり整理されて, すべて 「監督庁がこれを定める」 という規定にかわっ たことなども重要な修正点 である かかる修正は, . いくつかの点では立法政策に大きな転換が生じまた生じつつあっ たことを示すものといえよう. 第 一 に, 1月 15日付案が , 教科を法定し教則を命令 で定める構想であっ たのに対して, 2月18日 付案が, 目的実現のため の教育目標という形式 で教育の共通の基本方向を法律で定めながら教科の 法定をやめて教科, 教則を監督庁に委ねるという方式をとっ たということのなかには, 教育課程行 政のあり方, 教育目的実現の組織論に関する 「重大な態度の転換」「重大な意味の変更」 がある( 6 )と みなければならない. すなわち, 一方 では, 教育目標の法定と いう手続によっ て教育の新しい基本 方針を国民的規制のもとにおきかつその基本方針が政治的動向, 行政的窓意によっ て簡単には左右 されないという状況をつくる(そのような趣旨を含む) とともに, 他方 では, 「それを達成するいろ いろな方法や手段(そのうちの重要なものとして教科が考えられるのが普通 である)は, 時に応じ, 場所に即し, 対象にかなっ たやり方がとられ, 事情の変化に応じて, 直ちにそれに適切 な要素を加 えることができるような弾力を用意」 ( 7 )して, 「教育を抽象的な固定的なものにかたよらせずに, 現 実の具体に応じた動的な弾力ある組織によっ て運営していこうとする」 ( 8 }ねらいをもつ, 教育の目 的, 目標を法律に明記するということは, 法律の定めを通して教育内容の決定を行政権力に委ねる という構想にかわっ て, 教育の基本方針を法律に定めることによっ て行政権力の国民的規制の一 つ のルートが開かれることを意味する. 同時にそれは, 教育の自主的な運営がそこなわれることを防 ごうとする趣旨をも含むとみられるのであっ て, いわば目標規定自体も学問の自由, 教育の自主性 原則の拘束をうけるしくみに発展する途上の変化とみなしてよい であろう. ( 4 ) 佐々木享 「学校教育法の成立過程と 『目標』 規定成立の意義について」 8頁 ( 5 ) 拙稿「学校教育法の過渡的性格に関する一考察」『北海道教育大学紀要(第一部C) 』 第28巻第2号 なお, 筆 者のこの論文は, 資料上の扱いが十分でなく, 不正確な記述も含まれている この点で前掲佐々木報告に教えら . れるところ大であった. なお, 学校教育法の過渡的性格についてはいずれ再論したいと思う . ( 6X ) 坂元彦太郎『教育の断層』(1 7X 8 95 3年12月, 学習文庫)19 54年版2 20 1 22頁, なお, 前掲佐々木報告 , 22 ,2 が明らかにしたところによると, 坂元は, 教育目標規定の, 直接の起草者 であった . 第 二 に, 1月 15 日付案が 高等学校などを 「地方 教育総長」 の監督下においたのに対して ,. , それ を「都道府県監督庁」 の所管下におき, また 「都道府県教育長」 の権限にかかわる部分をすべて 「都 道府県監 督庁」 のそれに修正したという ことは す でに この時期に地方教育行政に関する法律案 , , の提起した改革案がその大中な変更を余儀なくさ れる状況にあっ たことを示唆 している したが っ . て, 教科, 教則をはじめとする少なからずの他の事項についてそれを 「監督庁が定める」 と規定し た条文 は, おそらく地方教育行政に関する法 律案のその後 の見通しが失わ れるという状 況とかか わっ て登場したところの, 全く暫定的, 過渡的な措置 であっ たと考え られる それは 教育につい . , て国家的統一を要する事項をどのように扱 い 教育行政の 「地方分権」 原理をいかに制度化するか , 121.
(13) . 古. 野. 博 明. という問題が, 時代の要請に沿う形 で十分自覚されていなかっ た状況をも 反映しているともみられ る. 8日付案 (及 びそれ以後) との差違は, 学校教育法の内容に こ の よ う に, 1 月 15 日付案と2月1. あらたな質を加え, またその質を貫徹せ しめる途上 での変化とみる べき であっ て, われわれは, 1 5日付案から2月18日付案に 至る時期もまたそれま での 立案経過の単なる延長ではないことを 月1 知 る の であ る.. 2回帝国議会に上程され,苦 心して成立にこぎつけられたのに 教育基本法案と学校教育法案が第9 地方教育行政に関する法律案は 対して, , 大きな障害に直面していた. この法案については, 内務 IE との折衝が難航していた. 19 47年3月 7 日の教育刷 省, 大蔵省の反対も強かっ たが, とりわけ C 次のように報告している ) ( が 新委員会第26回総会 で, 剣木享弘 学校教育局次長 , . 「地方教育行政法の方は司令部との交渉が非常に長引いておりまして まだ決定的な案が出来て いない」「教育行政の方は, 司令部と条文につきましてい ろいろ打ち合わせをしておる……が, 相 当司令部との間に 意見のくい違いがあるよう で……今直ちにこの法律案を決定するということが 6回総会議事録・野間教育研究所所蔵) 出来兼ねておる」(教刷委第2 このよう な事情は, 学校教育 法の条文 (「当分の間」 の監督庁規定など) にとっ ても密接なかかわ IB との意見の不一致は, その 後も長く続いて, 成案が確定されたのは, 一 りをもっ ている. また C 年以上後のこと である. その経緯の概略を追っ てみよう. 1月 15日付地方教育行政に関する法律案 2月 28 日付地 の あ と, 2月 10 日, C態 と GS に法案 提出, 6月 20 日付地方教育 委員会法要綱案, 1 948年1月 24 日付地方教育 委員会法要綱案, 4月 22日付地方教育委員会 方教育委員 会法要綱案, 1 教刷委 法要綱案, 4月 23 日「教 育 行 政に関すること 0 -- 教育委員 会制度の実施について --」( 6月10日教育委員会法案閣議決定をへ 6日建議) 第66回総会採択, 4月2 , 5 月 3 日付教育 委員会法案, , 参議 て, 6月 15 日第二回国会提出となり, 7月 5日衆議院文教委員会及び本会議で一部修正可決 筆者が 当面 なかで この 5日公布 施行に 至っ ている( , 9 ) , , 院 でも衆 議院の修 正通り可決して, 7月 1 . である 相違について 著しい 2 0 日付案との 1月 1 5 月 日付案と6 問 題 に した い こ と は, . 6月 20 日付案は, 地方教育委員会の目的を規定した第一条に, 「教育が, 不当な支配に 服するこ となく,国民全体に直接に責任を負っ て行われる べき であるという自覚のもとに」 を挿入して,教育 基本法第1 0条第1項の理念とこの法案の趣旨が一致するものであることを明らかに しながら,おお 1 )1月15日付案の中枢を占める ところ むね次のような制度改革案の変更を行なっ ている. それは,( ()1 の,「政令の定める区域」 に 設置する地方教育委員会及 び地方教育 総長の制 度を削除したこと, 2 づ 月1 5日付案が, 教育委員 会を議決機関, 教育長を事務 執行機関及 び教育に 関する代表機関と位置 「 教育委 けたのに対 して,教育委員会を合議制の 「教育行政機関」 , 教育委員 会が選任する教育 長を 3 )教育独 生格を変 更 したこ と,( 5条) 補助機関とそれ ぞれ のi 6条,5 員会の 命をうけ事務を掌る」(第2 立会計の設置, 教育税の創 設などを試みた1月15日付案第七章の全文を削除したこと, この三点で ある. またこの法案 でいう 地方教育委員 会とは, 市町 村教育委員 会, 都道府県教育委員 会をさすこ IE との折衝の過程をへて生ま な修 正は,C とも明記されている(第3条) . ところ で, このような大巾 7回総会 で, 地方教育行政に関する法律案に対する れたもの であっ た. それは, 教育刷新委員 会第3 公 ・ o ) CIE 側の要求として調査局の係官が報告した内容とぴっ たり 一致している( . なお, 教育委員の 重 そう 意義はい っ 選制は, 6月 20 日付案にも継承 されており, 前述の修正点を合わせ 考えるとその 新しい 政制度改革案に 戦後の教育行 2 0 日付案は 6月 て 要性を増していると考えられる. こうし , , 第1 0条第 質を刻印したの であり, その質は, 原理的には, 法案の第1条, したがっ て, 教育基本法 1 項 の 理 念に 照 応 す る も の であ っ た と い っ て さ し つ か え な い だ ろ う, 122.
(14) . 1 47年1月1 9 5日付教育関係三法案について. 同時に, 6月 20 日付案に ついては, 1月15日付案の発想を依然として継承する面があることも 見落してはならない, 第一に, 「地方教育委員会の監督」 の章を残し (第5章) 1月15日付案と同 様に, その監督は 「地方教育行政の自治 を尊重する精神に則り, この法律の定めるところに従っ て のみこれを行うことができる」(第6 9条) とし, また監督関係の基本を, 市町村教育委員会は第一次 において都道府県教育委員会の, 第二次にお いて文部大臣の監督をうけ, 都道府県委員 会 は 文部 , 大臣の監督をうける(第7 0条)〔地方教育委員会が処理する国の教育行政事務の指揮監督に ついても 1条) 〕 と定めながら, 次の二つの条文を用意している 同様 (第7 . 第72条 監督庁は, 教育の監督上必要 がある場合においては 事務の報告をなさしめ 書類帳簿 , , を徴し, 及び実施 について事務を視察し又は出納を検閲することができること , 第7 3条 (地方)教育委員会の議決 がその権限を超え又は法令もしくは会議規則にそむくと認め △ るときは, 監督庁 はこれを再議に付す ことができること, △ 前項の規定によっ てなした (地方)教育委員会の議決 がなおその権限を超え又は法令もしく △ は会議規則にそむくと認めるときは, 監督庁は, その議決 を取り消すことが できること . △ (地方) 教育委員会の処分がその権限を超え又は法令にそむくと認めるときは監 督庁はその 処分を取り消すことができること, 、 みられるように, 1月1 5日付 案第88 90条と比べると下線, △印を付した部分以外は全く同文 である(なお括弧を付した字句は資料にあるペン字訂正の跡である.) 第73条第3項はあらたに付け加えら . れたものであり, また, 1月15日付案の第91条, 第9 3条の規定は削除されている. 住民監督 の方 法については, 教育委員の解職請求制度 だけが残された(第7 4 5 6条) ,7 ,7 . 第二に, 市町村教委, 都 道府県教委の事務局に, 視学をおく とし (第2 3条1 1項, 第5 2条1 「 1項) 視学は , , 校長及 び教員に助言 と援助をなし, 教育の視察を行 い及 び教育状況を上司に報告すること」(第2 1項,第5 8条1 5条)とその 職務権限を規定している. これらの問題については, 1月15日付案における指摘が依然として妥当 することを認めないわけにはいかない 教育委員会法の成文 では これらの規定は全くそ の姿をか . , えて,「法律に別段の定がある場合の外, 文部大臣は都道府県委員会及 び地方委員会に対し 都道府 , 県委員会は地方委員会に対して行政上及び運営上指揮監督をしては ならない」(第5 5条第2項) , 時旨 導主事は, 教員に助言と指導を与 える. 但し, 命令及 び監督をしてはならない」(第4 6区) となっ た. 教育委員会法立法過程においてはなお, 6月 20 日付案以後の経過が重要 であり ここ で指摘した問 , 題点を含めて6月 20 日付案の再検討の作業を必要と しているが これ以上は本稿 の課題 ではない , . ここ では, 6月 20 日付案の問題点 が 学校教育法の監督庁規定にみられる過渡的な質と対応するも , のとみられることを指摘するにと どめようと思う . こう して学校教育法の過渡的な質と対応するような側面をもちながらも 6月20日付案に示され , た修正点, 新しい制度改革案にはやはり1月15日付案との間の 根本的な質的差違を認めなけれ ば , なら ず, した がっ て, 1月 15 日付地方教育行政に関する法律案から6月 20日付地方教育委員会法. 要綱案に至る過程においてもまた立法政策の重要な転換 が生じていたとみなさないわけには いかな いの であ る. 1947 年 1月 15 日付の三 つの法案は. , このようにそれぞれのその後の経緯にお いて内容上の質的 転換をこうむることになっ た, それぞれの変化は単独のものではなく おそらく原理的にも立案活動 上の諸事実にお いても相互に直接的な関連性 をもつもの であろう それゆえ 三法案のその後につい . , ても, 個別的に でなく, 三者の相互関連に注意しな がら立法政策全体の本質を究明すべく努めるこ とこそが必要であることはもとよ り自覚している しかし 以上 のような概略的検討によっ て得ら . , れた簡単な所見 でさえ, 直ちに, 三法案が戦後教育立法政策史において特別の位置づけをもつこと 123.
(15) . 古. 野. 博. 明. を導いてく れる. 三法案の作成は, まちがいなく, 田中文政期省内 立案作業の終結点だっ たのであ 47 り, その内容は, 田中文政の, したがっ て戦後初期 立法政策の特質をも示して いるはず である,19 年1月 15日付三法案作成に至る過程とそれ 以後との間には,国家と教育の問題 をめぐる論理構造に 重大な転換が存在するとみられるの であり, 両時期は, 明瞭に区分して考察されるべきである. ( 9 ) 鈴木前掲論の「年表・教育委員会法の制定経過」 参照,「この年表は, 文部省内で作成されたとみられる『教育 委員会法制定の経緯』(年表, 謄写刷) を参考とした」 とされているふ なお, 本文に掲げた法案のうち, 筆者がそ ) だけであ 『戦後教育資料』 m-39 9 48年1月 24日付案 ( 19 47年6月 20 日付案と1 の存在を確認しているのは, . る.. ◎. 教育刷新委員会第37回総会議事録 (野間教育研究所所蔵). 5. 三法案の作成が田中文政期省内立案作業の終 結点 であり, 戦後教育立法政策史において一つの重 要な時期を画する もの であるとする本稿の単 純な主張はす でに部分的には触れてきたところである が, ある思惑に根 ざしている. 戦後教育改革 を研究の対象としてその意義の探求を試みようとする とき, 筆者は, 従来から次の事柄をきわめて重視してきた. 教育の国民全体に対する直接責任の 理 念を確立しそれにもとづく制度が成立したこと, 人権としての教育の内容上の基本方向を教育の目 的・目標として法定したこと, この 二点 である, この 二つの事 柄は, 人権としての教育の組織論に ′ かかわる 基本原則として, -体的体系的に検 討すべきものと筆者は考えている. また, それらは, 一方 では国民主権原理, 教育は国民の事 業 であるという 原則に源を発し, 他方 では, 学問の自由(及 び教育の自 由) や教育の自 主性, 自律性原則と表裏の関係 で形成されたという 面が強く, 少なくと もその両者を統 一 して把握する条件を生みだしたとみられる. 立法政策による教育目的・目標定立 の問題については, たしかに十分慎重な議論を要する. 現実的には, 政治による不当な教育支配を 招くおそれがあり, 原理的には,「教育活動 がその本質において個人の創意にもとづく文化的性質の ものであり, 本質において法の干与の外に あることを考えるときに, 憲法及 び他の法令による教育 の規制には 一定の限度があることを認め ざるを得ない」 ・ ( )からである. したがっ て, このような「限 度」 の問題をも含めて直接責任の体制と教育の目的・目標の法定にいたる論理構造, その運用上の 問題構造が検討されなければならないといえよう. かかる筆者の 問題関心からいえ ば, 個別の教育立法過程を追う だけでなくその成果を土台にしな がらも教育 立法政策全体の生成, 発展, 消滅を構造的, 分析的にみる必要に迫られるし, またその ためには, 時期区分というやっ かいな問題 が付随する, 本稿は, こう した課題に接近するための一 つの偵察飛行的試みにすぎず, 立法政策史全体の時期区分を具体的に展望したものではない. 今一 度田中文政期の立法政策を吟味し直し, またその後の 発展との差違を注意深く検討する必要性を痛 感させられたということだけ で満足しなければならないの であるが, 同時に 一定の試行錯誤も許容 しうるようなかかる作業の積み重ねを媒介すること なしには課題に接近することすら困難だと思わ 79年9月) れ る. (19 6一37頁 961年2月有斐閣)3 ( 1 ) 田中耕太郎 『教育基本法の理論』(1 (本 学 講 師・ 旭川 分校). 124.
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